訂正版 R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」 op.35 R.Strauss : Don Quixote, (Fantastische Variationen über ein Thema ritterlichen Charakters) op.35 18 リヒャルト・シュトラウス(1864 ∼ 1949)の父フラン 小説を読み耽ったことから、空想と現実の区別がつかなくな ツ・シュトラウスは、ミュンヘンの宮廷管弦楽団の第 1 ホル り、自身が中世の遍歴騎士となって世の不正を正すために冒 ン奏者で音楽院の教授も務めていた。リヒャルトの音楽的影 険の旅に出るという物語。シュトラウスは音楽において、こ 響は、もちろんはじめは父親から受けたことが大きかった。 の小説のもつ、現実と空想、あるいは意志と可能性というも その一つとして、 父親の " ワーグナー嫌い " が挙げられる。モー のを巧みに対立させた。ドン・キホーテが繰り広げる奇行の ツァルトやハイドン、ベートーヴェンなど、古典派的な作曲 数々が、シュトラウスならではの優れた管弦楽法でユーモラ 家の賛美者だった父フランツは、リストやワーグナーなどの、 スに描き出されることもこの曲の魅力となっている。 いわゆる「新ドイツ派」には激しい反感を持っていた。リヒャ 曲は以下の通り、序奏、主題、10 の変奏と終曲から成る。 ルト・シュトラウスもはじめは保守的な作風をとり、最初の 序奏:騎士物語を読むドン・キホーテは興奮して自分自身が 2 曲の交響曲には伝統的な色合いを濃くみせるなどしていた 遍歴騎士になろうと決心する。 のだが、後にその作風は変化する。変化をもたらしたのは、 主題:ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの主題が提示 アレクサンダー・リッターという ヴァイオリニストで、リヒャ される。 ルト・シュトラウスは、ハンス・フォン・ビューローの招き 第 1 変奏:ドン・キホーテとサンチョ・パンサの出発。風車 によって迎えられたマイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者とし に攻撃を仕掛けるが、地面に叩き付けられる。 て彼に出会った。この「新ドイツ楽派」の音楽への目覚めは、 第 2 変奏:羊の群れを敵の大軍とみて突進する。 後のシュトラウスの作風に大きく影響をもたらし、その一つ 第 3 変奏:ドン・キホーテとサンチョ・パンサの対話。 として、標題音楽的要素が加わり、一連の交響詩が誕生する 第 4 変奏:懺悔者たちが運ぶ聖像を誘拐された貴婦人と思い こととなる。 込んで、またも失敗するドン・キホーテ。 もっとも、1897 年に作曲された「ドン・キホーテ」には、 第 5 変奏 静かな夜、ドゥルシネア姫を想うドン・キホーテ。 シュトラウス自身による交響詩という副題はつけられていな 第 6 変奏 サンチョ・パンサの嘘により、ドン・キホーテは い。シュトラウスはこの曲を「大オーケストラのための、騎 百姓娘をドゥルシネアだと信じ込む。 士的な性格の一つの主題による幻想的変奏曲」として書き上 第 7 変奏 目隠しして木馬に乗せられたドン・キホーテとサ げたのである。音楽は自由な変奏曲の形で進行するが、さま ンチョ・パンサは、女たちにからかわれ、笑われているとも ざまな物語を描いていく曲の内容や性格から、現在では交響 知らず、てっきり空を飛んでいるものと得意満面。 詩として扱われることが一般的となっている。 第 8 変奏 舟に乗った二人は、水車小屋に襲いかかるが、舟 「ドン・キホーテ」は、周知の通りスペインの小説家セルバ が転覆してずぶ濡れに。 ンテスの「才知あふれる騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」 第 9 変奏 騎馬に乗った修道僧を敵と思って戦いを挑む。 の物語を描いた作品。シュトラウスはまずドン・キホーテを 第 10 変奏 ドン・キホーテの悪夢を醒まさせようとする友 表わす楽想を設定した。名付けて「悲しげな姿の騎士、ドン・ 人が登場するが、ドン・キホーテは騎士に化けた友人と決闘し、 キホーテ」 。これは終始独奏チェロによって奏される。このほ 打ちのめされる。ドン・キホーテは絶望して故郷へと向かう。 かにも独奏ヴィオラによる従者サンチョ・パンサを示す主題、 終曲:死の床につくドン・キホーテ。最後の日々を瞑想のな あるいは貴婦人を示す主題も登場してくる。小説は、騎士道 かで過ごしている。
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