婆 子 焼 庵 - 経営禅研究会

2013 年 10 月 15 日 B 班 Vol.23
経営禅研究会 飯塚 如風
ば
【
し
しょう
婆 子
焼
あん
庵 】
あんじゅ
昔、一人の老婆がある庵 主 に 20 年にも及んで世話をしていた。その間、常に娘に食事を運ば
せて、庵主の面倒を見させていた。ある日、娘に対して、しっかりと庵主を抱きしめて、「こん
こ ぼ く かんがん
よ
なとき、どんな気分ですか」と言うように命じた。庵主はいった。「枯木 寒 巌 に倚り(枯れ木が
さんとう だ ん き
冷たい岩に寄り添っている)、三 冬 暖気なし(冬の三ヵ月のように冷たく澄んでいる)」娘は帰っ
て老婆に庵主の言葉を伝えた。すると老婆は「私は 20 年間も、こんな俗物を養っていたのか」
いおり
といって、庵主を追い出して、 庵 を焼き払った。
【 枯木寒巌・三冬暖気の真意とは 】
なま
禅の公案にはめずらしく艶めかしい、性的な香りがするものです。
登場する老婆は、奇特な人であったようで、一人の僧を 20 年にわたって面倒をみていたのです。彼女
は、つねに若く美しい娘を選んで、僧の世話をさせていました。20 年経ったとき、僧の禅境が熟したころ
だと思ったのでしょう。
ある日、娘にいい含めて、僧を誘惑させました。どう反応するかで、僧の禅境を確かめようとしたので
す。
こ ぼ く かんがん
よ
娘は、僧に抱きついて、「ねえ、どんなお気持ち……」と言わせました。すると僧は、「枯木 寒 巌に倚
さんとう だ ん き
り、三 冬暖気なし」
いわお
三冬とは冬の三ヵ月をいいます。私は凍りつく 巌 に寄りそう枯れ木のようなもので、冬の三ヵ月間、
まったく暖かさがないように、私の心は冷気に澄みわたっている。これが僧の答えでした。
ちなみに夏目漱石は、この「婆子焼庵」の公案に接したようで、『吾輩は猫である』の中に、「元来、
主人は平常枯木寒巌の様な顔付はして居るものゝ実の所は決して婦人に冷淡な方ではない」と、猫が主人
くしゃ み
の苦沙弥先生を評した表現に「枯木寒巌」があります。苦沙弥先生は、公案の僧のように女性を拒むほど
の冷淡な人ではないというものです。漱石は鎌倉の円覚寺に参禅して、禅の素養が十分にありましたので、
漱石文学の本質を理解するには、禅というものを知る必要があるのかも知れません。
さて、僧は若い娘の誘いを冷たく拒みますが、なぜ老婆の怒りを招いたのでしょうか。
にょぼん
僧侶は女性と交わる女犯が禁じられています。娘の誘惑を拒んで、その立場を守った僧は、僧としては立
派な態度です。しかし謹厳で立派ではあるが、何か情実を欠いて冷たい感じがします。
いおり
老婆は、「こんな俗物を 20 年も養っていたのか」と怒って、 庵 から追い出し、それでも腹の虫がおさ
まらずに庵を焼き払ったのです。
では、僧は娘によろめいてもよかったのでしょうか。それは戒律を破ることです。20 年間も修行したの
らくいん
に、破戒僧の烙印が押されてしまいます。もし、そんなことをすれば、やはり老婆は「こんな俗物め」と
怒って、僧を追い出したことでしょう。
じかい
枯木でもなく、娘と接することもなく、つまり持戒も駄目であり、破戒も駄目だとすれば、どうすれば
よいのでしょう。持戒と破戒という二つの対立を超える態度とは、一体何でしょうか。
【 禅 と 経 営 】
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経営判断は、正しい、誤りで判断するのではなく適、不適で判断する。
経営判断も相対の世界から絶対の世界に持っていく。
企業コンセプトを明確にし絶対の世界を創る。
経営とは変化に対応することです。
経営とは人材育成です。
経営とは独自性を発揮することです。