***タイ編*** トランジット 韓国、インチョン 『政情不安』 前年の 10

***タイ
***タイ編
タイ編***
韓国、
トランジット 韓国
、インチョン
『政情不安』
政情不安』
前年の 10 月に癌の手術を受け自宅療養していた。冬の盛りになると開胸手術による影響
であばら骨が疼き、朝風呂、温泉施設通いによる養生をしていた。幸い、術後の調子もい
いしどうせなら暖かい東南アジア、それも行ったことのない国に出かけるかと俄か思い付きを
した。
今から申し込み 3 月初めになれば今よりパワーは回復していると予想して、旅行会社に聞い
てみた。この頃からタイでは現職首相と追いやられた前首相派が対立し赤シャツと黄シャツ
に分かれて騒動を起こし異常事態を報じられ始めていた。
外務省の海外渡航情報を気にしながら旅行会社の手配を見守っていたら、米子、韓国、
タイのルートの内、韓国~タイの飛行機が取れず希望の日程は困難との返事が来た。
それでは可能な日程を調べて貰うと、韓国・中国の経済好調を受けて旅行客が増え、当
面は無理で関空など他の飛行場からの便を紹介された。米子以外から行くことは考えてい
なかったからタイ行きは、取り敢えず諦めることにした。すると政情不安は段々と悪くなり終い
には渡航の中止勧告となり旅行会社もツアーの中止になってしまった。現地では中心繁華
街にある日系のデパートに放火、一部が炎上、二色のシャツが対峙なんてニュースも流さ
れ観光気分はゼロの様相。
騒ぎが収まり岡山から出るツアーに参加したのが暖かくなり始めた 6 月になってからのことだ
った。
現地の生活は対立の後遺症もなく、赤も黄色もなくなり元の微笑みの国に戻っていたが、一
部炎上のデパートは黒く焦げた跡が残り営業は縮小していたように見えた。その他に騒動の
跡らしいものは何もない。
通常のタイ旅行なら 5 日というのが一般的だろうが、暖かい所で養生することが主目的だか
ら 2 日延泊した。ガイドに案内してもらう以外は自分たちで散策するには十分な時間があり、
とてもゆっくりとした行動がとれる。
連続 5 泊する旅だからホテル選びは慎重に調べた。繁華街近くにあるル・メリディアンは便利
でゴージャスな割には値段も手ごろで大分、このホテルに傾いたが口コミの中に気にかかる
ことがあり残念ながら諦め、繁華街から離れた静かなホテルにした。
口コミの大半は無視してもいいもので占められており、賛否の要因となる事柄は殆どないが
指摘されていた事はあり得ることで、私の嫌いな事だったから、意見を参考にさせて貰った。
『王宮周辺とアユタヤ
王宮周辺とアユタヤ遺跡
とアユタヤ遺跡』
遺跡』
バンコク市内を流れるチャオプラヤー川周辺には王宮、有名な寺院があり観光の中心地
でもある。タイは発展途上国のイメージが強く、都会的な面は余り見ないかと思っていたら、
中心地は公共交通の MRT/BTS が整備されつつあるし高層ビルも沢山建てられている。
こうしたエリアのタイは発展途上国のかけらもなく、立派な近代国家と呼べる風でもある。MRT
に乗るにしてもセーブ可能のプリペイドカードを使えば改札は自動、電車に乗れば学生や子
供たちも携帯と睨めっこのスタイルは日本の風景と全く同じ。
ツアーは最低のコースを回るものを選び、自分たちで行ける所は出来る限り自力で、遠方は
ネットで探した OP ツアーを予約しておいた。
一般的な旅行で組み込まれる王宮周辺の行き先はワット・アルン(暁の寺)朝日を浴びた
景観の美しさから別名「暁の寺」を持つ、メインとなる巨大な仏塔には、色とりどりのガラスや
中国陶器の小片がはめこまれ、太陽に反射して、キラキラと輝いている。
ワット・ポー(涅槃仏寺院)バンコク最古の寺院にしてタイ・マッサージの総本山。本堂にある
長さ 46m・高さ 15m の巨大な黄金の涅槃仏像が有名。足裏に仏教の世界観を示した螺鈿
細工が描かれている。
王宮現王朝の祖・ラマ 1 世により建設され、歴代国王の住居となっていた王宮。現国王ラ
マ 9 世は、チットラーダ宮殿に居を移したものの、重要な行事は今もなお、こちらで行われて
いる。
ワット・プラケオ(エメラルド寺院)王宮の敷地内に建立された王室の守護寺院ワット・プラケ
オはタイで最も格式の高い寺院と言われている。守護神であるエメラルド色に輝く小さな仏
像を本尊として祀っている。
タイにある寺院では線香や造花のようなものを飾るのと別に、金箔を仏像に貼りつける。勿論、
金箔はお金を払ってのことになるが、見ていた感じでは身体の悪い所を治してもらう為、仏像
のその場所に貼るようだった。参拝客の多い仏像は金箔が何重にも貼られていた。
信仰心の強い国民だから、多くの店には祭壇か仏壇か分からないが灯りをともし供え物が
飾られているのをよく見かけた。
『アユタヤ遺跡
アユタヤ遺跡』
遺跡』
日本にとってアユタヤと言う地名は企業が進出し工業団地になっていることで有名だ。2011
年 10 月には工業団地を防護していた堤防の決壊により、各工場は操業停止に追い込ま
れ東日本大震災による経済的なダメージの傷口を更に広げてしまうことになった。
この地は昔から日本とのつながりが深く山田長政が深くかかわっっていた日本人街の跡地
が観光コースに組み込まれる。
アユタヤ遺跡は世界遺産に認定されており、歴代の王様が夏を過ごしたバーン・パイン離宮、
アユタヤで一番有名な涅槃仏のあるワット・ロカヤスタ、高さ 72 メートルの仏塔があるワット・
ヤイ・チャイ・モンコン、アユタヤを代表する王室の守護寺院でもあるワット・プラ・シー・サンペ
ットが代表的である。
遺跡や現存する寺院などはアンコールワットを見てきた者にとっては大きな驚きには成りえな
いが、歴史・文化的な面に興味を持てば別の見方ができるだろう。
私たちはアユタヤ遺跡について特別な興味を持って訪れたものではなかったから、紹介され
る所を淡々と見物させてもらった。
『水上市場』
水上市場』
ダムヌン サドゥアック水上マーケットはバンコクから 80km ほど離れた所にあり、以前は何処
でも見られた光景らしいが、廃れてきたことから保存の意味合いもあり観光客向けに整備さ
れた。だから早朝は現地の人たち向けの市場であり、以降は観光客相手と住み分けされて
いるようだ。
運河の中に造られた水上市場へはバンコクから車で対岸まで自動車で行き、そこからエン
ジンボートで市場入口まで乗せて貰う。市場に着くと、今度は手漕ぎのボートに乗り換え水
路の両側にある店屋を通りながらゆっくりと進む。店屋は水上に突き出たようなもので土産物
を中心にした品揃えがされている。そうした店が軒先を並べて何軒もあり、店先をゆっくりと進
むが所謂、品定めも何か良さそうなものはないか物色も船頭任せになる。
ガイドも欲しいものがあったら合図してくれとは言わないから、多分自発的に言わないとそのま
ま進行して行きそうだった。地方の土産物屋だから小さい民芸品のようなものが多く、値段は
そんなに高いと思わなかった。一番奥の方に行くと逆戻りし反対側の店先を進む。やがて、
とある店先で船は停止した。どうも、この店と提携していてカモを連れてきたという筋書きのよう
だ。どうせ、こんなことだろうと思っていたから、カモになり土産になりそうなものを探し出し、値
切りもせずに支払う。
出発地点には大きなスーパーのような土産店が鎮座しており、周辺は沢山の小舟が生活
用品、食料品などを売っていた。朝一番はこのような船で溢れていたのではないだろうか。
中には屋台よろしく簡単な料理を作り船上から売っている。横にはフルーツ船が香り高きドリ
アンを売っている。現代はこうした地方都市でも車の普及やスーパーにより物の調達は簡単
かつ便利になり、水上で売らなければならない事情は薄れているだろうから、観光客なくして
は成り立たないと思われる。
『市内散策』
市内散策』
東南アジアの国々には必ずチャイナタウンが存在する。中国とは陸続きだから移動して住む
ことに大して抵抗はないようで、自国での将来に希望が持てないのか、野心家が多いのか
は別にして異国で生業を営む人が多い。中心地サイアムに出かけた際、昼食を摂るためガ
イドブックで調べていた店に入ると、昼の時間を過ぎていたのでガランと敷いた。フカヒレスー
プが美味しいとされていたので、試しに頼んでみた。出されたものを頂いてみると、味が濃くフ
カヒレの味はないのに等しく、フカヒレの食感を楽しむ料理のようだった。
第 1 回目のフカヒレは『うーん、よく分からん』の評価。
後日、チャイナタウンのある所に MRT/BTS を乗り継いで出かけてみる。何処のチャイナタウンも
目立つのは金の販売店が林立しており、明るい照明とキンキラキンの商品だから直ぐに分
かる。
2 つ 3 つあるフカヒレ専門店の中から選んだのは店先に並べられているフカヒレを選んで調
理してもらうシステムの店。
フカヒレには値段が付けられており、私たちが選んだのは 2,000BHT の中くらいの大きさ、換算
すると 6,000 円くらいになるものだった。これのスープとチャーハンを 1 人前を注文して待つこと
が長い。それもそのはず、人気があるらしく客の足が途絶えないので直ぐに座ることが出来な
い様子、また注文待ちの客もいる様子。
少し長いようだったので聞いてみるが『OK』と言うだけでらちはあかない。その内、鉄鍋のような
ものに入れられたフカヒレスープが到着した。温度はかなり高そうで未だ煮立っているようでも
ある。とろみの付いたスープを取り分けて、冷ましながら味を確かめる。
先日食べたものと似たように味は濃く、ガイドブックの紹介にあるような至福の味とは言い難
い。味は個人差があり過ぎるから致し方のないこと、納得済みである。
日本ならスープとチャーハンを頼めばほぼ同時に出てくるのが当たり前、ところがここはタイ否、
中国?だからスープ鍋の底が見えそうになってから、やって来た。
チャーハンは掛け値なしに美味しい味と炒め具合、残り少ないとフカヒレスープとのコラボを
楽しむ。
タイは本当にフカヒレ料理が有名なのかどうか知らない、買ったガイドブックにそうあっただけ
のこと。
『パワースポット、
パワースポット、エラワン』
エラワン』
グランドハイアット・エラワン・ホテル前にあるヒンズー教祠で願い事が叶うパワースポットとして
多くの人が訪れる。ホテルの工事中に事故が多発し完成の遅れに困り果てた発注主は星
占いに占ってもらった。占星師はヒンズー教神のブラフマー(宇宙の創造を司る)を祀る祠を
設けるよう勧められたので、そうしたら以降は工事が順調に進んだ。その後、願いが叶う神様
として口コミで知れ渡り、病気平癒、家内安全などの願いをする人が絶えないパワースポッ
トになった。
願いが叶ったら神様に踊りを奉納する習慣があり、舞踊団が待機している。ここで寄付され
たお金は病院の医療施設の購入に当てられている。私たちはこのような予備知識を持って
いたので是非ともお参りしたくなり、ホテルから MRT に乗りエラワンまでやってきた。沢山の人
が祭壇に線香や花を手向けている。奥の方では鳴り物入りで舞踊団が踊りを奉納していた。
若いお嬢さんが綺麗な民族服のような姿で、アスプラ・ダンスにも似たゆっくりとした動きで踊
る。調べによると踊り子の人数で値段が変わり、一番高いもので 700 バーツくらいではなかっ
たと思う。私たちも受付ので現在、家内安全でおられることへの感謝のつもりで踊りの奉納
をお願いした。順番がくると前列にある座布団の席に座り奉納舞いを待つ。やがて、音楽と
ともにお経のように何か言っているが、さっぱり意味不明ながら私たちの名前だけは聞き取れ
た。
奉納の舞いのお客は次から次へとあり、音楽が途切れることはない。
『サイアム・ミラニット』
サイアム・ミラニット』
タイ・カルチャー・センター駅まで MRT に乗り、そこからはタクシーで行ってみた。駅から劇場ま
でシャトルバスはあるらしいが、ショー終了時に送迎はないとガイドブックにあったから、その場
所を探す必要はなかった。
ここはタイの歴史文化を紹介する場所でもあるから、地方の生活様式や文化などを展示し
た施設があり、劇を観るのとは別にこれらの施設を見学したり体験するだけでも面白い。
劇場には開演前にならないと入れないから、広場や庭園を散策していると、広場にある水
場近くに象さんが現れて丸太棒を使った芸を披露してくれた。園内にはサイアム・ミラニットグ
ッズ、スナック菓子を売る店やレストランもあった。私たちはここで約 1 時間過ごしたと思うが、
開演を知らせる放送があり劇場に入った。
劇場は想像を遙かに越える広さで、今でも距離感を表現できないほどだ。タイの歴史絵巻を
演じるが、舞台に登場する人数は多い時で 100 人近くは居るのではないかと思う。出演者
は人間だけではなく、大きいものは象が同時に数頭も舞台に出てくる。
壮大な演出に度胆を抜かれっぱなしになり、食い入るようにして観ているから、劇の中に引き
込まれてしまう。舞台演出に詳しい人なら分かるであろうが、雨降りのシーンで本当に雨が
降っているように見え、舞台の上に川ができ水が流れていた。人が水の中を歩くと水しぶき
が上がるし、どう見ても本当の水に見える、しかし舞台から下へは流れ落ちない。摩訶不思
議、どう見ても演出とは合点がいかない。
百聞は一見に如かず、この一言に尽きる。
劇が終わり不思議を調べるべく妻と二人で舞台に行ってみた。勿論、濡れているはずはな
いし何の変哲もない舞台があるだけだった。
さて、帰りはタクシーなどいないだろうから、他の人について徒歩で駅まで歩く覚悟をして出る
と、何とシャトルバスが待っていた。
躊躇することなく乗り込み駅まで戻ると、あとはゆっくりと地下鉄に乗りホテルに戻るだけ。駅
からホテルまでの道は人通りが多く、色々な店が開いており賑やかなところだった。タイだから
タイ式マッサージの店が多く、若い女性が観光客らしき人を見かけると盛んに客引きをしてい
る。私たちは夫婦二人連れだから余り声を掛けられることはなかった。ここでも日本人を見る
と万国共通の『社長さん』
変に相槌を打ったり返事をするとしつこく付きまとわれるから、無視し続けることが一番いい手。
今回もその手を使い無事にホテル着。
『ニューハーフショー』
ニューハーフショー』
タイはニューハーフに寛容な国で身体にメスを入れて性転換することにも同様のようだ。しか
し街の中を歩いているだけだと所謂オカマに出会うことなどないから、ニューハーフに寛容な
国でありそうなことすら理解することは出来なかった。
しかし、夜の街にネオンが輝き始めると何処から集まってくるのか知らないが歓楽街や、夜
のエンターテイメントには欠かせない存在だ。
私が事前に調べたところではマンボとカリプソという店が有名らしく、OP ツアー会社で食事と
チケットに送迎を付けて準備しているので、それを利用するのも一つの手。
夕方、ホテルまで迎えに来てくれ他のホテルを回って客を集めるかと思っていたら、それもその
はず例の暴動騒ぎで観光客の戻りはさっぱりで、ガイドも別のアルバイトをしないと食えなくなる
ほど暇続きだとぼやいていた。騒ぎ前の観光客の状態がどのようだったのか知らないから、
比較はできないが確かに日本人や外国人を観光地で見かけることは少ない。だから逆に
言えば客が少ないからサービスが良くなるのではなかろうか。
私たちが向かった先はマンボ、この店の隣にある宮廷料理レストランでタイ古典舞踊を観な
がら宮廷料理を頂く。先述のように周囲を見回してみても日本人は見当たらないし、外国人
も少なく席はガラガラ状態、つまりマンボのニューハーフショーの客も大半はここからスライド
するから、入りは悪いことが想定された。
食事はタイ名物のトムヤンクンが出され。術後に味覚変化が起こっていたから唐辛子の辛さ
はめっきりとヘナチョコになっており、普通なら丁度いい辛さだろうが、私には刺激が強すぎ
た。
タイ料理は近隣諸国に比べると辛さはマイルドだと言われるが、術後の私には唐辛子入りだ
とマイルドとは思えなかった。
食後、隣の劇場に入る。予想通り座席の中央部分に客が集中して左右の席はガラガラ状
態で日本、日本人は私たち夫婦だけのようだった。やがて妖艶な美女たちが繰り出すショー
が始まった。
この劇場で有名な女優さんは松田聖子の物真似、口パクながら容姿を似せておりメイクも
ばっちりで、そこらの女性よりも清楚に見える。もう一人はジャンボで怪物のようなお嬢さん、コミ
カルな動きをして観客から大きな笑いをとっている。顔立ちや仕草は元々、その気があっただ
ろうが豊満な胸に整形し、すらりと伸びた長い脚で芸も全く女性の振る舞い。
ショーの途中でステージから一人の女性が降りてきて、男性を物色している様子、するといき
なり私の腕を掴んでステージの方に引っ張っていき遂に上げられてしまった。
何があるのか、どうすればいいのか戸惑っていると、椅子が用意してあり座れとのことだった
のでその通りにすると、今度は目隠しをされた。その後のことは何があったのか分からなかった
が観客の笑い声が上がっていた。妻の話だとジャンボが砲弾のようなおっぱいを私の顔に押
し当てていたと言うことだった。話を聞いても全く心当たりのないような感じだった。
ニューハーフとかオカマとか私には縁のない物と思っていたのに、実際にこうした所で観劇
すると本当に面白いもので、小一時間のショーはあっという間に終わってしまった。帰り際に
観客と一緒に写真を撮ることができ、多少のチップを出す必要があると聞いていたが、おつ
りをくれと言う訳にはいかないから大きな札しかないと、大きなチップになる。
『繁華街と
繁華街と公園』
公園』
谷田通り、日本語でかけばこうなる。実際に日本人が作ったビルがあることからこう呼ばれる
ようになった。この近辺は繁華街だから人通りも多く、夜になればまた形の違う姿が見られる
のではないかと思われる。残念ながら私たちの泊まったホテルから夜にわざわざ出かけること
もないと、夜の姿を見ることはなかった。
現地の日本人も沢山利用しているようで、日本語で書かれた和食の店が沢山開いている。
ラーメン屋は定番、変わったところで『吉野家』と同じ店構えだから誰もがそう連想して足を向
け何か少し変と看板をマジマジ見ると『吉牛屋』?または『吉牛』と偽物だ。
どこにもこうしたものがある。タイに来るためトランジットは上海だったが、有名観光地の豫園で
カーネルサンダーおじさんが立っているから KFC かと思ったら KCF のような感じの店名で叔父
さんをよく見ると少し変えてあった。
ここに来れば和食にありつけることが分かっていたから、ここで食事を摂り近くのルンピニ公園
に行く予定で出かけて来た。人混み溢れる通りを物色しているとラーメン屋を見つけたので、
そこに入ってみる。店の中は如何にも日本を意識したような造り、だからラーメン屋というよりう
どんか蕎麦屋のようなのに、現地人の従業員がたどたどしい日本語で注文を取りに来た。
最近の海外にあるラーメン屋は国内と変わらないほどの味を出しており、食べてみて大失敗
のケースは今のところない。この店も然り、ホテル近くでも同様だった。
ラーメンを食べ腹ごなしに、ここから MRT で隣の駅にあるルンピニ公園で散歩することにする。
タイの午後だから暑さは増してくるが緑のある公園は涼しいとはいかないが、風らしきものも吹
いており、木陰にいると過ごし易い。ザックリとした地図をうる覚えに園内を歩いていると池の
中を 1m 弱のトカゲが泳いでいる。
公園にこんな大きなトカゲがいるとは驚き、だが更に足を進めると草むらからノシノシとゆっくり
出て来て池の方に向かう奴もいる。
ここでは珍しくない光景だった。園内には数知れず大小のトカゲが自由気ままな暮らしをして
いる。
木陰で昼寝などしていたら側にトカゲが来ていたなんてこともありそうな雰囲気。周囲は開発
され近代国家の様相を持つ、緑の一角は野生動物の塒(ねぐら)でもある。
昼間は人が多くない、この公園は夜になると夜市が開催され賑やかさを演出する。私たちは
タイ最終日、出発時刻まで時間があったので夕食がてら夜市に出かけてみた。昼間は閉め
ていた小さな店が一斉に店を開け、周辺では屋台が開き食の万国博のように多くの料理が
客を待っていた。和食系は見当たらず焼きそばに似たものを買い、タイ最後の晩餐を開催し
た後、市場を歩いているとテンポのいいピアノ曲が流れていた。タイの人が作曲したものらし
いが本当のところは分からない。タイの音楽といえばムエタイの時に流されるメロディーを想像
してしまうが、チャオプラヤー川を連想させるに引き寄せられ買うことにした。1 枚 1000 円と日
本語でお嬢さんが言う。
すっかり素直になっている爺は買う意思を伝えると、ニッコリとしてもう 1 枚サービスでくれるとい
う。よし、よしこれでよし。
『チャオプラヤー川
チャオプラヤー川クルーズ』
クルーズ』
川沿いには沢山の有名施設があり陸から見る風景は市内観光で観ている。それを川側か
ら眺められる、それも夜景の中を食事しながら眺めるのだからリッチな気分になる。
ホテルで待っているとガイドがやって来て、クルーズに参加する他の人をピックアップするため
ホテルに寄ってから船着き場に向かう。政変騒動の余波を受け、こうしたツアー客も激減し
ており、この日ガイドが担当したのは私たちを含めて 4 人だけだった。
船着き場に着くが出航まで十分な時間があったので、近くに在った小さな土産物屋のような
所に出たりは入ったりして暇つぶしをしている内に、大雨が降り出し身動きが出来ないほど。
南の雨はザーッと降り直ぐに止むから少しだけ涼しさを運んでくれる。時間が来た時には小降
りで出航には何の支障もなくなっていた。クルーズの客は万国からの人で、この船は日本人
にとって完全に away 状態だった。船に乗り込みテーブルに座っても周囲は外人さんばかり。