フォトクロミック化合物

フォトクロミック化合物
木曜班
はじめに
フォトクロミズムとは、単一の化学種が光の作用によって分子量は不変のまま
で、吸収スペクトルの異なる二つの状態間を可逆的に異性化する現象のことで
あり、その性質を有する化合物のことをフォトクロミック化合物という。フォ
トクロミック化合物に、ある適当な波長の光を浴びせてやるとその光のエネル
ギーによって化学種の状態が変化し、それと伴にスペクトル吸収も変化する。
可視光帯にスペクトル吸収体が移動すれば変色という現象が起こる。そして、
浴びせていた光を遮断し、異性化した分子の吸収する光を浴びせたり、熱によ
ったりしてフォトクロミック化合物は最初の状態へとエネルギーを失いながら
戻っていくのである。
用途としては、その変色を利用した調光材として幅広く利用できる。
また、先端化学の分野では、色の変色によって情報を記録する光記録材料や、
光スイッチなどへの応用研究が進められているが、熱に対する安定性や、異性
化の繰り返しによる化学種そのものの劣化など、まだまだ課題は多い。
そこで、我々木曜班では、フォトクロミック化合物の、研究の歴史の最も古い
「スピロピラン系化合物」について、その構造と変色、熱による反応速度、溶
媒による変色、退色などの相違を調べて、フォトクロミック化合物の基礎を学
びたいと思う。
原理
フォトクロミズムとは、光照射によって可視スペクトルの吸収(色の変化)が
大きく、かつ可逆的に変化する現象であることは、先述した。
ある分子 A が、ある波長λの光照射によってエネルギーを得て、励起状態の分
子 A*になったとする(経路①)。このとき、励起状態となった分子 A*は分子
内反応を起こし、A とは違った波長の光λ′を吸収する分子 B へと変化する。
また、この分子 B は、その吸収波長λ′の光の吸収(経路②)や、熱によって A
へと変化する(経路③)。これがフォトクロミズムの原理概要である。
図-1フォトクロミック分子理想型ポテンシャル曲線
このとき、B から A への熱戻りのしやすさは、その基底状態ポテンシャルエネ
ルギー⊿E(上図経路③)に依存することになる。熱戻りがしにくい、つまり⊿
E が極端に大きければ暗所に保存しておけばそのまま着色体を維持し続けるこ
とになる。このような化合物(これを光のみに依存するという意味で P 型とい
う)は、非常に種類が少なく、高価であるがビット型光メモリーとして非常に
有効である。
逆に、調光材料のような、光が当たらなくなって脱色するような用途にはこの
⊿E がそれほど大きくては、調光が遅く好ましくない(このような化合物を熱依
存性があるという意味で、T 型という)。
分子 A から B への異性化には、光幾何異性化(シストランス異性化)や、光
開閉環反応が有る。
前者は、アゾベンゼンやチオインヂゴが代表的である。
ちなみに、チオインヂゴの類縁体である、インヂゴが光幾何異性化を行わない
のは、その分子内で水素結合が、異性化を妨げているのである。
後者の光開閉環反応には、スピロピラン類(光開環反応)、フルギド類(光閉
環反応)などが有る。以下に、スピロピラン類の光開閉環反応を示す(図-2)
図-2スピロピラン類光開環反応(図中はニトロスピロベンゾピラン)
実験
1.フォトクロミズム観察
スピロピラン、チオインヂゴをスパテラ4分の1程度とりそれぞれアセトン、
トルエン 10mlに溶解させ、合計4種の溶液を用意した。これにブラック
ライトを当て、その着退色の様子、可逆性を定性的に観察した。
2.スピロピラン溶液の調整
スピロピラン 0.01g を、トルエン、アセトンに溶解させ、それぞれ全量を 100ml
とした。試験管にそれぞれ 5ml をとり、紫外線を照射し、変色を確認し、褐
色瓶へ移し、冷蔵庫へ保存した。(以降の実験ではこの溶液をもちいた。)
3.スピロピラン溶液の温度による着色、退色の様子の観察
斜めに穴を開けたコルク栓に温度計(100℃)をさし、5.00ml のスピロピラン溶
液を入れた三角フラスコのふたをし、これをサンプル1とした。これにより溶
液の温度をはかり、この温度と退色時間の様子を観察した。
スピロピラン溶液を5ml サンプル瓶(ねじ口)に 5.00ml とり、ねじ口をしっか
りと閉め、サンプル2とした。
このときサンプル2は変色させずに、サンプル1の退色完了の比色サンプルと
した。
アセトン、トルエン二種類それぞれの溶媒で実験を行った。
4.溶媒を飛ばした場合の着色保護の様子
スピロピラン溶液(アセトン、トルエン溶媒 2 種それぞれ)5mlずつを 50ml
ビーカーに採取した。1×5cm の長方形のろ紙を用意した。
二つの溶液にブラックライトを 5 分照射し、変色した溶液をろ紙に吸わせ、溶
媒を室温でとばした。この時、退色しないようにブラックライトはつけっぱな
しで放置、風乾した。
また、変色前の溶液を同様にろ紙にとり、風乾させブラックライトを照射して
その様子を調べた。
5.混合溶媒での着色の様子観察
用意した溶液に2種を同量(5ml)ずつビーカーに採取し、混合した。これにブ
ラックライトを照射し、その色と退色の様子を調べた。
実験結果
1.フォトクロミズム観察(定性)
図-3(表1)実験結果
ニトロスピロベンゾピラン
チオインヂゴ
溶媒
照射前
照射後
退色観察
照射前
照射後
退色観察
トルエン
無色
青色
早い(約2分)
赤紫色
赤色
退色した
アセトン
無色
紫色
遅い(30 分以上) 赤紫色
赤紫色
――――
ニトロスピロベンゾピラン及びチオインヂゴについて再び上の結果と同じよ
うな変色が見られた。よって可逆性は確かに確認された。また、チオインヂゴ
はアセトン溶媒では変色を目視により確認することは出来なかった。
3.スピロピラン溶液の温度による退色時間の観察
まず、温度と退色時間の測定結果のグラフを図4として以下に載せる。
図4退色時間と温度のプロット
(ⅰ)トルエン溶媒の場合
(ⅱ)アセトン溶媒の場合
4.溶媒を飛ばした場合の着色保護の様子
着色溶液を吸収させたろ紙から溶媒を飛ばすと、ろ紙に色が付いたままであっ
たが、だんだんと色があせていった。しかしながら、この色は溶液の色とは全
く違った色であり、溶媒(トルエン、アセトン)に関わらず、赤紫色を呈して
いた。
また、変色前の無色溶液を吸収させ風乾したろ紙に対し、ブラックライトを照
射しても、目立った変色は見られなかった。
5.混合溶媒での着色の様子観察
混合溶媒においては、それぞれの溶媒を足し合わせた色(青+紫=青の強い紫)
になった。また、ブラックライト照射をやめ、退色を観察すると、まず紫色に
なってから無色へとなることを観察した。
考察
普段我々が色を見るというのは、波長がおよそ 380~780nm の光(いわゆる可視
光)が物質(化合物)にあたり、その物質にたまたま可視光を吸収する性質が
あったとき、その吸収された色以外を補色として観察し、それによって人間は
色として認識している。
では、各物質の異性化前後、溶媒においての観察結果から補色およびその波長
を調べる。
図-5(表2)各色と補色、波長
物質(溶媒)
観察色
観察色の補
色
補色波長
ニトロスピロベンゾピラン(アセトン)異 紫色
性化後
薄黄緑色
570nm
ニトロスピロベンゾピラン(トルエン)異 青色
性化後
オレンジ色
590nm
チオインヂゴ(トルエン)異性化前
赤紫色
黄緑色
560nm
チオインジゴ(トルエン)異性化後
赤色
緑色
540nm
補色波長がつまり、吸収波長であるといえる。
今回使用したニトロスピロベンゾピランにおいては、元々無色であったのが、
紫外線照射後、青または紫色を呈した。したがって、吸収スペクトルは紫外線
照射前後で、短波長からより長波長側へシフトしたと言うことになる。E=hνの
式により、吸収する光のエネルギーは短波長のほうが大きいので、吸収するピ
ークの波長帯のエネルギーはより小さくなることになる。これは原理の項図1
フォトクロミズム原理概念に一致している。
以下は、実験の目的を明らかにした上で、その成果を考察する。
実験3の目的は、退色の様子が温度によってどう変化するのかを溶媒ごとにみ
ることであった。本来、無色体と着色体の各温度における平衡定数をもとめ、
着色体から無色体への熱反応の活性化エネルギーを求めることを目標としたが、
平衡定数を求めるためには溶液内の着色体濃度を詳しく知る必要があった。し
かしながらそのための手法が思いつかず、実際はその退色時間を調べることに
留まった。実際、実験結果のグラフを見れば、温度によって指数関数的なグラ
フが描けているので、濃度を測ることが出来れば、その活性化エネルギーを知
ることは可能だと考えられる。
ただし、光による退色を考慮しなければならないという大問題がある。
実験4の目的は、原理の項の反応式を見れば分かるように、スピロピランの光
異性化においては、ある程度の空間的余裕(例えば溶媒)が必要かどうかとい
うことの確認である。無色→着色の異性化体積的余裕が必要という考えで説明
が付くが、着色→無色では、むしろ分子体積的に小さくなっているのでこの考
えのみでは説明できないことに気づいた(つまり、溶媒がなくても着色→無色
は進み、無色→着色は進まない、という予想は外れていた)。このことは、電
荷移動が大きく関わっていることを考慮すべき問題であることの現れである。
つまり、電荷移動をなんらかの形で溶媒がサポートしているのである。
そう考えると、むしろ大切なのは電荷移動であり、無色→着色についても電荷
移動の溶媒によるサポートが、この変色を可能にしていると考えるほうが自然
なのではないか。
色が薄くなるのは、化学種そのものの崩壊だと考えられる。これはろ紙をもう
一度溶媒に入れた後にブラックライト照射をしてみれば分かるが、今回は時間
の都合で行っていない。
さらに実験4からわかったことがある。それは、溶媒による変色の違いは、純
粋に溶媒による相互作用の違いであるということである。以下にその概略図を
載せるが、溶媒による変色の違いは、溶媒と着色体との相互作用の結果である
と言える(色の違いは構造の違いと何かしらとの相互作用の結果との二種がま
ず考えられる)。
図-6溶媒和によるポテンシャル変化概略図
着色型スピロピランの基底状態、
は、着色型スピロピランの励起状
態、
は溶媒分子を示す。溶媒和を考慮しなかった場合のポテンシャル図を、
として表した。hνはスピロピランの場合紫外光のエネルギーで、hν´
が可視光のエネルギーである。
アセトンもトルエンも、この相互作用の強弱という差はあれ、着色体では
と
の間でエネルギー差が小さくなるので、より長波長の光を吸収する。こ
のとき、着色体がイオン化していることを考えると、極性をもつアセトンがよ
り相互作用が強く、トルエン溶媒の場合よりも長波長を吸収する。これは実験
1で見た結果と一致している。
もし溶媒との相互作用が無い、つまり着色状態で溶媒を飛ばすと
のB´と
いう経路をたどることになる。これは、着色状態での電子励起により大きなエ
ネルギー、つまりより短波長のエネルギーが必要である事を示唆する。溶媒を
飛ばすと、トルエン、アセトンどちらの溶液から得ても赤紫色を観察する(補
色黄緑色、補色波長 560nm)。この観察結果は、溶媒があるときよりも短波長
にシフトしているので、この考えを強く支持しているだろう。
また、溶媒を飛ばした後ほぼ同じ色を示すのは、異種溶媒内のスピロピランの
構造が一緒であり、構造による色の相違ではないことを支持している。
実験5の目的は、単に、混合溶媒について実験を行うとどうなるのだろう?と
いう好奇心からであった。はじめは成分溶媒それぞれの溶液の色を足したよう
な色であり、そのうち、熱的安定性の低い、つまり退色しやすいトルエン溶液
の色が消えて紫色になり、更に無色へと退色していく。しっかりとしたデータ
は時間の都合で得られなかったが、この退色時間を各温度によって調べていき、
実験3との比較ができたら、もっと面白い実験になったであろう。
感想及び反省点
一光子一分子反応、さらに可逆的反応という性質を持つ非常にシビアな化合
物である。よって、我々にできる実験は恐ろしく限られる。私たちが観察する
ためには光子の反射が目に当たらなければならないが、その光子が今回邪魔に
なる。よってどこかで必ず誤差を含んでいる。さらに、文献もそれほど多くは
無く、我々が出来そうなレベルでの実験に関しては、図書館で調べてもほぼ3
ページ程度しか見つけることが出来なかった(簡単な原理解説の本はたくさん
あった。)
だから、実験の設定はかなり難しく、週に一回の実験でさえつらかった。
その分、原理の習得、さらに観察事項の理論的考察には非常に時間をかけた。
しかしながらまだまだ分からないことだらけである。解決しなければならない
問題ばかりで、解決策も思いつかず、やりたくても出来ないことがたくさんあ
りすぎた。
チーフの個人的趣味(色素好き)という理由で、変に先端の色素なんかを選ん
でしまうと、後に困ってしまう。
また、実験を考えてからある程度予想をしながら実験を行ったが、その予想が
大きくこの程度の実験で覆された。勉強不足ということもあるが、実験により
得たなぜ予想が外れたのかを考えることによって得た知識は非常に多い。それ
こそ、学生実験で、ある程度結果の見えた実験とは違った意義があるはずであ
る。そのことを、早めに気づけるという点で化研の意義は大きいと思う(もち
ろんあまりにも未知の実験は危険を伴ってしまう…今回は色素と、比較的安全
な化合物であったから、大胆に実験が行えた。)
最後に、今回の実験の展望を述べる。最後の最後に注目したのは、溶媒を飛ば
した状態での着色保護である。この原理と、熱戻りのしないフォトクロミック
化合物(フルギド類)を利用すれば、書き換えはともかく、書きこみは可能(C
D-Rのようなもの)なメモリーが出来るのではないか(ただし、溶媒を飛ば
すまでの溶媒内の拡散を解決しないと、正確な記録はできないであろう)。
参考文献
①光機能化学市村国宏産業図書株式会社(2000)
②光機能分子の科学堀江一之・牛木秀治株式会社講談社(2001)
③実験で学ぶ化学の世界日本化学会編丸善株式会社(1996)
④有機フォトクロミズムの化学日本化学会編学術出版センター(1996)
⑤現代有機化学第四版(上)ボルハルト・ショアー化学同人(2004)
⑥ベムラパリ物理化学Ⅱ上野寛他訳丸善株式会社(2000)
⑦物理化学第6版(上、下)アトキンス東京化学同人(2003)