頚椎手術時の気管挿管

臨床ワークブック
頚椎手術時の気管挿管
井 上 義 崇
産業医科大学医学部麻酔科学教室 講師
Yoshitaka Inoue
プロフィール:1988年:産業医科大学医学部卒業
同 年:産業医科大学病院麻酔科 研修医
1989年:済生会八幡総合病院麻酔科
1991年:九州厚生年金病院麻酔科
1993年:原三信病院麻酔科
1995年:産業医科大学医学部麻酔科学教室 助手
1999年:総合せき損センター麻酔科 部長
2005年:産業医科大学医学部麻酔科学教室 講師
現在に至る
趣味
ゴルフ:入局してすぐ始めましたが一向に上達しません。仕事をしてきた証拠だと言い訳
したくはありませんが…。
NFL観戦:若ければやってみたいスポーツです。ポジションはやはりクォーターバック。
頚椎病変と気管挿管
頚椎の手術が予定される症例には、変性疾患である
頚部椎間板ヘルニアや頚椎症、靭帯骨化症、外傷によ
る頚椎損傷、慢性関節リウマチや化膿性脊椎炎などの
頚椎部の固定手術後(Fig.3)などはその例であり、気
管挿管が必要になれば神経症状に関わりなく特別な配
慮が必要となる。
喉頭展開と気管挿管
炎症性疾患、さらには腫瘍性病変や脊椎変形など多岐
気管挿管は喉頭鏡による喉頭展開で視野を確保して
にわたる。しかし、それらに共通することは脊椎の不
行うのが一般的だが、この手技で口腔軸と喉頭軸を一
安定性や脊柱管の狭窄圧排のために何らかの神経症状
致させることは頭頚部に非生理的な負荷を強要する侵
を伴うことである。これらの神経症状は四肢体幹の知
襲的な行為に他ならない。さらに熟練者が行っても困
覚や運動障害および疼痛から膀胱直腸障害などの自律
難な場合があり、喉頭展開困難に対する対応は、全身
神経障害まで、すなわち神経根症状から脊髄症状まで
麻酔導入時の安全性の根幹である気道確保の問題とし
多彩であり、軽微な外力や頚椎伸展位の強制によって
て論じられてきた2)。
症状が出現したり急性増悪することもまれではない。
しかし今日では、喉頭鏡による喉頭展開に代わる気
さらに頚椎病変では動きにより病態が悪化するもの
管挿管手技としていくつかの方法が紹介され、頚椎手
に加えて、頚椎自体の可動域が物理的に制限されて
術時の気管挿管法も選択肢が増えている。それに伴い
いるものがある。慢性関節リウマチによる関節破壊
不確実で気管挿管の条件を悪くする用手的頭頚部水平
(Fig.1)や後縦靱帯をはじめとする靱帯骨化症(Fig.2)、
固定(manual in-line stabilization)に頼る必要はなく
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なってきたが、各施行者のそれぞれの手技に対する習
熟度がストラテジーに大きく影響する。麻酔科医であ
れば少なくとも喉頭鏡以外にもう一つ日常的に自信を
持って使える気管挿管器具を自家薬籠中に入れておき
たい。
中間位での気管挿管
中間位で気管挿管が可能な手技としては、ファイ
バースコープやブラード型喉頭鏡あるいはビデオ喉頭
鏡を用いて視認しながら行うもの、トラキライトTMを
用いてライトガイド下に行うもの、ラリンジアルマス
Fig.1. 慢性関節リウマチ
クのコンデュイトを利用して行うものなどが挙げら
環椎前方亜脱臼により、歯突起と環椎後弓で脊髄は著明に圧迫され
ている。神経損傷の危惧もあるが、可動域も著しく制限されている
場合がある。
れ、さらに最近では、光学技術を利用した各種の気管
挿管用のスコープも紹介されている。これらは価格も
様々であり、施設や施行者によって利用頻度は大きく
異なるものと思われる。頚椎に病変がある場合は、不
安定性による神経症状への配慮にしても、あるいは物
理的な可動域制限への対応にしても、いずれも頚部に
負荷をかけない体位での気管挿管が望ましく、これら
の中間位で挿管可能ないずれかの方法を選択すること
になる。ここでは筆者が頚椎に病変がある場合の気管
挿管で日常的に用いているストラテジー(Fig.4)を紹
介させていただき、手技の留意点について言及する。
私のストラテジー(Fig.4)
(1)バッグマスク換気は可能か
麻酔導入時はまず、バッグマスク換気が可能か否か
Fig.2. 頚椎後縦靭帯骨化症
が重要なポイントとなる。意識消失時のマスク換気困
圧迫性脊髄症起因疾患の一つで、欧米人に比べ日本人に多いと言
われている。頚部の可動域は制限され、軽微な外傷を契機に神経
症状が出現する例もある。
難の予測に関するいくつかの報告もあるが3,4)、臨床
現場では患者評価とともに各自の経験と技量に基づい
て判断を下さなければならない。意識を取る前に枕の
高さや頚部の可動許容範囲を確認しておくことも大切
である。頚椎に病変がある場合は頚部を中間位に保っ
たままでのマスク換気が望まれ、適切な経口エアウェ
イの使用が有用である。バッグマスク換気に慣れてき
た研修医には、さらに頚部を中間位に保ったままで用
手的に気道確保ができるように日頃から心がけて下顎
の前推や経口エアウェイの使い勝手をトレーニングさ
れることをお勧めする。
フルストマックを含めて意識消失時のバッグマスク
換気に懸念があればファイバースコープを用いて意識
下に気管挿管を試行する。意識下気管挿管のポイント
は患者の協力に加えて意識レベルの調節および適切な
表面麻酔と上喉頭神経ブロックである。協力が得られ
Fig.3. 頚椎手術例
1)
喉頭展開時の頚椎の動きは主にO-C1およびC1-C2間で生じる
ため、この部位が固定されれば喉頭展開は難しくなる。
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ない患者や咽頭・喉頭反射の激しい状況での施行は気
道確保のみならず頚椎病変にとっても危険であり、麻
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バッグマスク換気で麻酔導入が可能
意識下
ファイバースコープ or
エアウェイスコープ TM
No
Yes
麻酔導入
No
FAIL
トラキライトTM
バッグマスク換気可能
Yes
気管挿管
ファイバースコープ or
エアウェイスコープ TM
FAIL
Fig.4. 頚椎手術の気管挿管(私のストラテジー)
酔科医として術者側と患者側の双方に納得してもらえ
気管挿管を家業とする麻酔科医には、お勧めの方法で
る適切な状況判断と対応が問われることになる。
あるが、習熟するには喉頭鏡と同程度の経験は必要と
思われる。
TM
(2)トラキライト による気管挿管
バッグマスク換気で麻酔導入ができれば、筋弛緩下
にトラキライトTMを用いてライトガイドによる気管挿
TM
(3)トラキライトTMで挿管できない場合
トラキライトTMは喉頭鏡に遜色ない確率で挿管可能
管を行う。トラキライト の特徴は咽頭・喉頭に視野
であり5)、特に中間位ではラリンジアルマスクを利用
を確保するためのスペースを必要としないことであ
するよりも信頼性は高い6)が、100%の確率でないのは
り、頭位の自由度は大きく、慣れれば中間位でも高い
他の手技と同様である。やはり慢性関節リウマチなど
おとがい
確率で挿管可能となる。たとえ頤を挙上したにもかか
で開口制限があり頚部の可動域が全くない症例では難
わらず喉頭蓋や舌根が咽頭後壁に接触していても、
易度は高くなり、ワンドの曲げ具合が成否の重要な要
ライトガイドにより梨状窩を経て後側法から気管入
因となる。3 回程度試行しても上手くいかない場合は
口部にチューブ先端を誘導することが可能である。
他の方法に変更すべきであり、一つの方法にこだわる
手技のポイントは、頚部透過光の性状の判読と、ハン
のは得策ではない。筆者はこのような場合にはファイ
ドルに伝わる手応えからチューブ先端のオリエンテー
バースコープを選択してきたが、新しく登場した気管
ションをつけることであり、部屋の明るさの調整も重
挿管用のスコープも有用な器具であることが期待さ
要となる。頭位によりワンドの曲げ具合にいくらかの
れ、今後の評価が待たれる。
工夫の余地はあるが、中間位では「BEND HERE」と
ファイバースコープによる気管挿管のポイントは、
印字されている位置でホッケースティック状に90度に
いかに視野を得るためのスペースを咽頭に確保するか
折るように曲げるのが相性がよい。さらに、ラセン入
であり、喉頭鏡の適切な補助的使用や介助者の役割が
りチューブを使えば90度の屈曲とその先の気管の変位
重要となる。ラリンジアルマスクの利用も、取り扱い
に対してよりスムーズに誘導できる。
に慣れている施行者では選択肢となるが、頚部の可動
筆者は頚椎部に病変があるケースのみならず、日常
域が制限されているケースでは角度によってはラリン
的に頭位は中間位で麻酔を導入し気管挿管を行うこと
ジアルマスクの挿入自体が難しくなる。いずれの手技
を心掛けているが、慣れればトラキライトTMによる手
を用いるにしても日常的なトレーニングと施行者自身
技は喉頭鏡を用いるよりもより優しくかつ高い確率で
による各自の習熟度の評価が安全な気道確保へつなが
気道確保が可能である5)。経済的なメリットも含めて
ることを銘記しておかねばならない。
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引用文献
新しい気管挿管器具
光学技術の進歩を応用して、気管挿管器具の分野に
も新しいコンセプトの機器が紹介されている。その中
で気管挿管に特化して考案されたスコープは、従来の
喉頭鏡とは形状を異にし、頚部に負荷をかけず中間位
でも視野を得るためのスペース確保が容易で、視認し
ながらチューブを誘導することを可能にしている 7)。
先端の形状がトラキライトTMに似て中間位での口腔軸
と喉頭軸の角度に近いのは興味深い(Fig.5)。この形
状は、トラキライトTMに独自の利点をもたらす一方で
内在する欠点でもあった気管入口部を視認できない問
題が解決できる可能性を示唆しているように思われる。
筆者もCCDカメラや液晶画像などを利用して日本
で発売されたエアウェイスコープ TM(ペンタックス)を
これまで30例程度使用してみて、学習曲線は急峻に立
ち上がり習得は比較的容易であると感じている。しか
しながら開口制限や頭頚部の可動域制限等の条件が厳
しいケースへの対応では、喉頭蓋版(イントロック、
ペンタックス)の形状やチューブの進行方向のコント
ロールなどにはさらなる改善の余地があると思われ
る。未だ価格が高いのも難点であるが、技術革新と相
俟って麻酔科医としては今後の動向が気になるところ
1 )Sawin P, Todd M, Traynelis V, et al.:Cervical spine
motion with direct laryngoscopy and orotracheal
intubation. Anesthesiology 85:26−36, 1996.
2 )Practice guidelines for management of the difficult
airway:An updated report by the American Society of Anesthesiologists Task Force on Management of the Difficult Airway. Anesthesiology 98:
1269−1277, 2003.
3 )Langeron O, Masso E, Huraux C, et al.:Prediction
of difficulask ventilation. Anesthesiology 92:
1229−1236, 2000.
4 )Kheterpal S, Ham R, Tremper K, et al.:Incidence
and predictors of difficult and impossible mask
ventilation. Anesthesiology 105:885−891, 2006.
5 )Inoue Y:Lightwand intubation can improve airway
management. Canadian J Anesthesia 51:1052−
1053, 2004.
6 )Inoue Y, Koga K, Shigematsu A:A comparison of
two tracheal intubation techniques with Trachlight
and Fastrach in patients with cervical spine disorders. Anesth Analg 94:667−671, 2002.
7 )Maharaj CH, Higgins BD, Harte BH, et al.:Evaluation of intubation using the Airtraq○ or Macintosh
laryngoscope by anaesthtists in easy and simulated
difficult laryngoscopy - a manikin study. Anaesthesia 61:469−477, 2006.
R
である。
Fig.5. 中間位での気管挿管
TM
TM
トラキライト とエアウェイスコープ はいずれも気管チューブに中間位での口腔軸と喉頭軸に近い角度を持たせている。
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