Vol.21 オーケストラは最高の職業 2009年7・8月号 PDFファイル

NJP メンバーの宝物
―メンバーが大切にしている秘蔵の品、それにまつわる思い出を紹介するコーナー
Vol.21
オーケストラは最高の職業ー 白尾彰(フルート)
演奏旅行 先で ジョネ 先生と 白尾 ( 26 歳 頃)
これまでの音楽人生で、偉大な音楽家との出会い、かけがえのない体験を多くするこ
とができたことが、僕にとっての宝です。心のなかの宝物について、思い出の写真とと
もにお話ししたいと思います。
まず留学したチューリヒの恩師アンドレ・ジョネ。74 年から約 4 年間習いましたが、
彼のレッスンは毎回が宝の山でした。フルートの吹き方、テクニック については何もお
っしゃらず、楽器を超えた、音楽そのもののレッスンでした。よく言われたのは、
「うま
い笛吹きといい音楽家は違う」ということです。速く吹ける、指がまわる、音が大きい
…などということは重要ではない。大切なのは、音楽がどう演奏されるべきか、という
こと。音楽はお前がうまいことを見せるための道具ではないのだ、と。そして自分がそ
の作品をどう感じるかを語り、どう解釈するのかを示してくれました。その後僕が心の
宝をもつことができたのも、ジョネから「音楽とはどうあるべきか」を学ぶことができ
たからではないかと思います。
この写真は、演奏旅行先で一緒に撮ったものですが、写真をみると彼 の音を思い出す
んです。
「マタイ受難曲」のすばらしいフルート・ソロ。あたかもバッハが語りかけてく
るのではないかと思うような演奏でした。
新日本フィルでもすばらしい音楽家との出会いがありました。
第一にシモン・ゴールドベルク。彼が初めて新日本フィルを指揮したのが、カザルス
ホールでのハイドン定期演奏会で、82、83、84 番のシンフォニーでした(1990 年 7 月)。
初回の練習で衝撃を受け、それから約 4 年、亡くなるまで貴重な教えを残してくれまし
た。特に印象に残っているのが、91 年のバッハ・アーベント。ゴールドベルクが弾いた
ホ長調の協奏曲に、ジョネの「マタイ受難曲」と同じような感動を受けました。そして
最後に新日本フィルを指揮したコンサートでのシ
ューマンの 4 番シンフォニー。譜面どおりに弾く
だけでは表現がむずかしいシューマンですが、完
璧なバランス、メッセージを伝えるゴールドベル
クの指揮で、きわめて音楽的内容の濃い演奏が実
現できたと思います。
ゴールドベルクの言葉で印象に残っているのが、
教会を建てている石工の話です。
「 なにをしている
のか」と問われて、
「石を削っている」という人と、
「教会を建てている」という人とでは、見えているものが違う、と おっしゃった。ジョ
ネの「うまい笛吹き」と「いい音楽家」の話に共通するものがあると思います 。二人と
も虚飾なく、音楽の本質だけ、真実だけを見続けた人でした。
新日本フィルにいたからこそ出会えた偉大な音楽家はほかにもたくさんいます。 サッ
シャ・シュナイダー、レオン・フライシャー、ジャン・フルネ、ムスティスラフ・ロス
トロポーヴィチ、そして最近ではフランス・ブリュッヘン 。みな、それぞれの楽器の道
を究めた末に指揮者になった、すばらしい音楽家です。彼らとの練習、本番は、本当に
宝でした。
そしてなんといっても新日本フィルの仲間たち。同じ価値観を共有できる仲間ととも
に音楽をつくることができるのは、なんとすばらしいことか。
僕は、オーケストラは最高の職業だと思って います。100 人、仲のいい人もいれば、
普段だったら付き合わない人もいる。それが一緒に同じハーモニーをつくりだす、とい
うのが、行為として、とてもすばらしいと思うんです。楽器の演奏は個の作業ですが、
オーケストラは「自分だけ」じゃない。そこがいい。
もう一回生まれ変わってもオーケストラに入りたいと思うくらい好きですね。
10 年くらい前、「年をとるのも悪くない」と発言したことがありますが、いまでも同
じ気持ちです。逆に若いときに気づかなかったことがたくさん出てきて、
「なんにもわか
ってない」と思うことが増えてきました。これからは、もっと上達することに時間を割
かなければと思っています。
最後になりましたが、僕にとって一番の宝
はなんといっても家族です。家族あってのフ
ルート、音楽ですから、これからは時間をつ
くって家族孝行をしたいですね。家族写真は
公表の許可が得られなかったので、代表して
愛犬の写真です。
白尾家代 表、 コッペ とチャ ンク
(2009 年 7・8 月号)