第3班ゼミ論文「東アジア共同体」

国際関係論演習3班ゼミ論文
2007/02/15
小泉智史、古瀬直人、チョ=ユンス、吉田康晃
東アジア共同体
目次
Ⅰ、はじめに
Ⅱ、東アジア地域における地域協力のこれまでの動き
1、東南アジア諸国連合(ASEAN)
2、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、アジア欧州会合(ASEM)
3、ASEAN+3
4、東アジア首脳会議(East Asia Summit:EAS)
Ⅲ、統合のメリット・デメリット及び統合の障碍
Ⅳ、東アジア地域統合に関する各国の思惑・動き
1、日本
2、中国
3、ASEAN
4、韓国
Ⅴ、エネルギー・環境問題から見た東アジア
1、世界のエネルギー需要の見通し
2、アジア地域のエネルギー需要の見通し
3、アジア地域のエネルギーの中東依存度の拡大
4、東アジアにおけるエネルギー協力
5、東アジア地域における環境問題の現状
6、酸性雨問題
7、黄砂問題
8、廃棄物問題
Ⅵ、結論
Ⅰ
はじめに
地域統合が世界のトレンドになりつつある今、東アジアもその動きに取り残されるまい
として活発に地域統合の形を模索している。中国と日本という価値観も政治制度も全く異
なる大国を抱え、地域に共通の価値や理念が存在しないと考えられているこの地域での地
域統合は、実現困難なものと認識されていた。しかし、この地域でも地域内外の様々な要
因によって東アジア地域統合の必要性を強く主張する者たちが現れ、
“東アジア共同体”な
る概念が提唱されるようになった。では、東アジア共同体とは一体なんなのか。現在のと
ころ明確に答えることはできない。参加国の枠組みをどこに定めるか、統合のレベルとそ
こに至るまでにどのようなプロセスを踏んでいくのか等、数多くの論点が存在する。そこ
には関係各国の思惑・利害が複雑に絡み合っており、その実現の形も未だ見えていない状
況にある。実際のところ、これからの動きによっていかようにも変容しうるというしかな
いだろう。
そこで、この論文では東アジア共同体にスポットは当てながらも、それのみにとらわれ
ずに東アジアの地域統合の全体像について考察をしていく。東アジア地域のこれまでと現
在の状況について言及しながら、その特徴と可能性を探っていく。特に今後重要な要因に
なるであろうエネルギー・環境問題には重点的に論じていく。最後に、東アジア地域統合
の展望についての我々の洞察を加えて結論としたい。
Ⅱ
東アジア地域における地域協力のこれまでの動き
本章では、これまでの東アジアの地域共同の取り組み、特に ASEAN+3 を中心に述べて
いきたい。
1、東南アジア諸国連合(ASEAN)
東アジアにおける地域統合の中で、ASEAN は常にその先頭に立ってきたといっても過言
ではない。政治的に意味のある区分がほとんど存在しないアジアで、現在最も政治的に確
立された地域が ASEAN、すなわち東南アジアだといえる。ASEAN はその強固な結束と優
れた外交能力によって存在感を増し、東アジアの地域統合の中心的役割を担いうる機構と
して内部からも外部からもみなされるようになった。以下で、ASEAN の誕生とその発展に
ついて述べていく。
ASEAN は 1967 年、バンコク宣言によって、インドネシア、マレーシア、シンガポール、
フィリピン、タイの五カ国で発足した。バンコク宣言は ASEAN の発足を宣言するもので
あり、その目的として「地域の経済成長、社会的進歩、文化的発展を推進する」ことを掲
げていた。公式には ASEAN は経済・社会・文化面での地域協力のための機構とされてい
たのだが、発足の経緯、その後の展開をみれば ASEAN は政治的な色彩を強く機構である
ことがわかるだろう。1960 年代後半の東南アジアにおいて、深刻な問題となっていたのは
ベトナム戦争であり、中国の文化大革命の展開であった。このような不安定な状況下で、
東南アジアの平和と安全を確保するために地域で協力することを選択した結果が ASEAN
なのである。一般に ASEAN は反共連合としてみられがちだが、確かにその一面もあるが
その本質は。
ASEAN が存在感を増した最大の要因は、当地域の経済発展だろう。1990 年代前後にか
けて ASEAN 諸国は高度成長を続けており、世界の経済成長を牽引する存在に見られるま
でになっていた。ただし、1997 年に起きたアジア経済危機によってその神話も一端は崩れ
たのだが、現在は危機を克服し信頼を回復している。ASEAN 諸国の民主化の進展も、
ASEAN が東アジア地域において無視できない存在であることを強く印象づけることとな
った。ASEAN の存在感が大きくなったことで、APEC や ASEM、ARF のような ASEAN
を中核に据えた地域機構が多く創設された。
ただ、2007 年 1 月現在でも ASEAN 加盟国全てが民主的法治国家というわけではない。
ミャンマーは軍事政権が民主化の動きを抑圧しているし、タイでも 2006 年に陸軍がクーデ
ターを起こしタクシン政権を転覆させるなど、決して政治的に安定しているとはいえない
状況が続いている。このように政治体制も宗教も経済規模も異なる国々の連合である
ASEAN が今日まで存続し、影響力を拡大できた要因はいわゆる ASEAN 方式と呼ばれる、
全会一致と内政不干渉の原則にあるだろう。この2つの原則を柔軟に適応することによっ
て ASEAN は共同体としての一体性を確保しつつ、合意を徐々に形成し、前進してきた。
ASEAN は政治・文化が大きく異なる地域においても地域協力は可能であることを証明して
いる。
2、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、アジア欧州会合(ASEM)
欧州が地域協力を深めていくにつれて、1980 年代半ばになっても地域の経済機構に加入
していなかった主要国は危機感を強めていった。欧州の地域統合が非加盟国に対して排他
的なブロック経済圏となり、自国に不利益が及ぶことを恐れたのである。そのような状況
のもとで、アメリカが北米に自由経済圏の創設を画策しはじめ、そのことが東北アジア、
オセアニア諸国を刺激して環太平洋地域での地域協力の枠組みが模索された。そして APEC
の創設へと至るのである。
APEC の創設にあたってはオーストラリアがイニシアチブを発揮した。日本も関係各国
への働きかけを行うなど一定の役割を果たした。日本とオーストラリアにとって最も重要
だったのは ASEAN の取り込みであった。そのため APEC は ASEAN に対して様々な配慮
がなされたものとなった。会合は ASEAN 加盟国と非加盟国で交互に実施されるようにな
っていたし、運営の仕組みも ASEAN のような非常に緩やかなものであった。ASEAN は当
初は先進国と同じ地域機構に加入することに対して抵抗感を持っていたが、このような配
慮の結果、自らに有益な機構として捉えるようになった。
APEC は他地域の経済ブロック化を警戒した結果として誕生したのであるから、APEC
が「開かれた」地域経済を標榜したのは容易に理解できるだろう。APEC は経済協力を基
本とした多角的な枠組みであるが、1993 年の首脳会議以降は政治的な協力のための機構と
しての色彩を帯びていった。
当初は APEC によって太平洋地域の経済自由化が実現可能だという楽観的な見方が強か
った。クリントン政権のアメリカも APEC 重視の姿勢を打ち出し、APEC に大いなる期待
を抱いていた。しかし、加盟国に対し緩やかな拘束力しか発揮できない APEC の枠組みに、
アメリカは次第に不満を持つようになる。さらに、NAFTA や WTO の成立によって APEC
への関心は弱まっていった。APEC は、太平洋地域に大きな影響力を持つ米中両国が参加
する会議の場を提供するものとして一定の評価が可能だが、アメリカの関心が薄れ求心力
を失ったといわざるを得ない。また、東アジア金融危機に際し、何らの有効な手段も講じ
ることができなかった APEC に ASEAN 諸国の信頼も揺らいだ。このような状況の下、
APEC に代わる地域協力の枠組みとして考えられるようになったのが東アジア共同体であ
る。
APEC の設立とほぼ同時期にもう1つの東アジアの地域協力の枠組みが提唱された。そ
れは、マレーシアのマハディール首相が提案した EAEG(東アジア経済グループ)構想で
ある。この構想はアメリカを排除した地域協力の枠組みであったため、アメリカは強固に
反対を表明した。日本もアメリカの意向を受け消極的な立場を崩さず、マハディールが期
待したリーダーシップを発揮することはなかった。ASEAN 内の立場も一貫したものではな
く、強い支持は集まらなかった。EAEG 構想はその後、実質的にメンバーが重複する
ASEAN+3 が定着していく中で、ほとんど言及されなくなった。
ASEAN+3 の枠組みが初めて形成されたのは 1996 年に発足したアジア欧州会合(ASEM)
の場であった。欧州、米州、アジアの三極の関係で、欧州とアジアを結ぶ機構だけが不足
しているという認識が欧州、アジア側で共有され、利害が一致したため ASEM の設立へと
至った。このときアジア側の参加国は EAEG 構想で予定されていたメンバー、つまり
ASEAN+3 のメンバーとほぼ重複していた。ASEM 全体の会合の事前にアジア側のみでの
会合が企画された。ここにイレギュラーな形で ASEAN+3 の枠組みが実現されたといえる。
3、ASEAN+3
正式な形で ASEAN+3 の首脳会談が開催されたのは、1997 年 12 月のクアラルンプール
における ASEAN 非公式首脳会談に付随する形で行われたのが初めてだった。ASEAN+3
首脳会談が実現した背景には、日本の橋本首相の ASEAN+1 の提案が大きく関与している。
橋本首相は東南アジア諸国を歴訪し、日本と ASEAN での定期的な首脳会談を各国に持ち
かけたわけだが、ASEAN は日本とだけ首脳会談を行った際の中国への影響を考え、ASEAN
に日中韓を加えた、ASEAN+3 の枠組みでの首脳会談を対案として示した。皮肉なことに
ASEAN+1 の枠組みを狙った橋本首相の提案が、間接的に ASEAN+3 の形成に寄与するこ
ととなった。
ASEAN+3 に単なるシンボリックな意味以上の実質的な意義を与えたのは、1997 年のア
ジア金融危機であった。金融危機はタイに始まり、東アジア各国に飛び火していった。特
にインドネシアと韓国の経済は危機的な状態に陥ったのだが、これまでの東アジア諸国が
目覚しい経済成長を遂げていたせいか、この金融危機もすぐに収まるだろうという楽観的
な見方が多かった。東アジアへの経済的な依存を深めていた日本は、東アジア諸国の救済
のためアジア通貨基金(AMF)構想を提唱したのだが、この構想はアメリカ抜きのもので
あったためアメリカは反対を表明した。また日本がアジアでの主導的な役割を果たすこと
に中国も反対した。米中のコミットメントが得られず、日本の AMF 構想は挫折に追い込ま
れた。日本が事前に関係各国に十分な働きかけを怠ったことも原因だが、アメリカも中国
もアジア金融危機の深刻度を見誤っていたのだろう。1998 年になっても金融危機は収まら
ず、経済だけでなく政治や社会に対しても深刻な影響を及ぼすようになった。
このように東アジア情勢が騒然とする中、1998 年 8 月、ASEAN 首脳会議の主催国であ
るベトナムが ASEAN の首脳会議に日中韓の首脳も招待したい意向を示した。ASEAN 諸国
は日本や各国からの支援を確固たるものにしたかったし、日本にしてみても AMF 構想以降
何らの有効な対策を講じていないという批判に応える必要があった。中国も韓国も
ASEAN+3 の枠組みを自らの存在感を高める絶好の機会と捉えた。関係各国の利害が一致
した結果、ASEAN+3 首脳会議が実現したのである。ここで、日本の小渕首相は AMF 構想
に代わる「新宮澤構想」を表明した。この構想は多国間ではなく二国間でのもので、アメ
リカを排除するものではなく、AMF 構想に反対した際に危機の重大さを見誤ってしまった
という反省から、アメリカや中国も賛成にまわった。韓国の金大中大統領からは、東アジ
アの中期的なビジョンを話し合うための「東アジア・ビジョン・グループ(EAVG)」の設
置が提案された。このように有意義な提案が多くなされたのだが、最も重要だったのは今
後も ASEAN+3 の枠組みでの首脳会談の定例化が確認されたことである。ここで ASEAN+3
の制度化が実現したといえる。
4、東アジア首脳会議(East Asia Summit:EAS)
2005 年 12 月、東アジア首脳会議がクアラルンプールで初めて開催された。その開催に向
けては、大きく分けて2つの問題が存在した。ひとつは参加国の枠組みをどこまで広げる
かであり、もうひとつは先に制度化されている ASEAN+3 との差別化をいかにして図るか
ということである。
将来の東アジア共同体の構築に向けての議論が各国で活発になされるようになり、東ア
ジア・ビジョン・グループ(EAVG)は 2001 年 ASEAN+3 の会議に際し提出した報告書の
中で、ASEAN+3 首脳会議を東アジア首脳会議へと発展させていくことを提案した。また、
東アジア・スタディ・グループ(EASG)も東アジア共同体の構築への中長期的な取り組み
のひとつとして東アジア首脳会議の開催をあげた。これらの提言を踏まえて、2004 年 11 月
に行われた ASEAN+3 首脳会議において東アジア首脳会議を開催することが正式に決定さ
れたのである。
結果的に第1回目の東アジア首脳会議は ASEAN+3 に加えてインド・オーストラリア・
ニュージーランドが参加国となった。参加国を ASEAN+3 以外にも拡大するかについては
争いがあった。拡大すべきと主張したグループの中心が日本であり、拡大すべきでないと
したグループの中心が中国であった。前者は東アジア地域主義の価値観を開かれたものに
することを目指し、後者は欧米、特にアメリカの影響力を排除し、東アジア地域の独自性
を重視した。日本としては、域内での影響力を増す中国に対抗するためインドを、アメリ
カへの配慮から欧米諸国へのパイプ役としてオーストラリア・ニュージーランドの参加を
強く求めた。中国にとっても自らが東アジア地域でのプレゼンスを得るためにはアメリカ
の干渉を排除することが大きな関心事であった。最終的には以外に参加国が拡大されたの
だが、それは東アジア地域主義を閉ざされたものにしてはならないという危機感に共感す
る国家がより多かったのだろう。ただ、東アジア首脳会議の参加条件が付されることにな
った。それは、①TAC(東南アジア友好協力条約)の締結国又は締結意図を有すること、②
ASEAN の完全な対話パートナーであること、③ASEAN と実質的な関係を有すること、の
3点であり、ASEAN が東アジア首脳会議においても主導的な役割が実質的に確認されたと
いえる。これは参加国を拡大すべきではないというグループへの一定の配慮とも見て取れ
る。日本としても中国を極力刺激せずに、東アジアの大きな枠組みの中で抑えていきたい
という思惑から、完全に参加の門戸を開くということは難しかったのだろう。
第1回の東アジア首脳会議の結果、東アジア首脳会議の今後の方向性について一定の合
意が形成されたが、それは事前に開催された ASEAN+3 首脳会議で確認されたものとほぼ
同一の内容であり、また ASEAN が中心的な役割を果たすこと、ASEAN の議長国が ASEAN
首脳会議に併せて主催することが決まり、ASEAN+3 首脳会議との役割分担という点につ
いては課題を残したといえる。しかし、参加国が ASEAN+3 以外にも拡大されたことは大
きな意義があるといえるだろう。東アジア首脳会議が中国、インド、日本という域内の大
国が一堂に会する場としての評価はできるのではないか。
補足)東アジア地域をめぐる FTA/EPA の現状
WTO の枠組みによるマルチラテラルな貿易の自由化の達成が困難だという認識が広が
り、より容易な二国間・複数国間の FTA/EPA を推進する動きが活発になった。FTA/EPA
の締結に取り残された国家が現実に不利益を被ることが明らかとなり、各国は FTA/EPA の
締結を競い合うようになった。それは東アジア地域も例外ではない。ASEAN を中心にして、
それを取り巻く日中韓、そしてアメリカも積極的な行動に出ている。各国の思惑と重なっ
て、多くの二国間・複数国間の FTA/EPA が乱立する状況となっている。いかにしてそれら
を調整していくかが、今後の大きな課題であるといえよう。
二国間・複数国間 FTA/EPA(2006 年 11 月現在)
東アジア地域
日本:発効済み
―
シンガポール、マレーシア
合意済み
―
フィリピン、タイ、
交渉中
―
中国:発効済み
交渉中
インドネシア、韓国、ブルネイ、ASEAN 全体、
ASEAN 全体
―
―
オーストラリア、ニュージーランド、パキスタン
アメリカ:発効済み
交渉中
―
―
シンガポール、オーストラリア
タイ、マレーシア、韓国
ASEAN:ASEAN自由貿易地域(AFTA)
広域構想
中国:04 年、ASEAN+3での FTA 締結を提唱
日本:06 年春、ASEAN+3にインド、オーストラリアを加えた 16 カ国での締結を提唱
アメリカ:APEC 全域での構想を提唱
このように、東アジア地域における FTA/EPA の実態は決して整地されたものではなく、
ある意味無秩序に乱立した状態とも言える。ASEAN がその中心にいることは疑いないのだ
が、今後これら二国間・複数国間の FTA/EPA がどのように発展し、さらに ASEAN+3や
東アジア共同体の枠組みへの連続性をいかにして持たせるのかについて注目したい。
Ⅲ
統合のメリット・デメリット及び統合の障碍
メリット
(i)共通通貨の導入
現在東アジア諸国の通貨は、EU のように地域独自の通貨を使わず、ドルにリンクした自国
通貨をそれぞれの国で使用している。アジア共通通貨を利用することで為替相場を安定さ
せることは東アジア経済の長期的な安定につながりうる。
(ii)地域の安定化
統合を進めることにより、各国の政治的対立が徐々に緩和され、結果として東アジア地域
の安定につながることが期待される。
デメリット及び統合の障碍
まず、前記(i)の共通通貨の導入については、金融政策や財政政策の主権を失うことになり、
各国に合った金融・財政政策ができなくなるという反対意見がある。共通通貨の導入により、
地域経済の不均衡を為替相場によって調整することができなくなるからである。
欧州連合との比較
地域統合の成功例とされる欧州連合の例と比較すると、現在の東アジアにおいては地域
統合への障碍は以下のように山積している。
ふぞろいな政治的価値観
EU は自由民主主義国家・法治国家のみで構成されるが、現在の東アジアにおいては日本
のような自由民主主義・法治国家のみならず、中国のような独裁国家、シンガポールのよ
うな権威主義的体制、ミャンマーのような軍事政権など、それぞれの国での政治的価値観
が統一されておらず、このような状況で主権の一部を移譲するような地域統合を行うこと
は困難である。
領土問題
EU 国家間において多くの領土問題は解決しているが、東アジアにおいては尖閣諸島、竹
島、台湾問題、スプラトリー諸島、朝鮮半島、東南アジア諸国での分離独立問題などの多
くの領土問題が未解決であり、現在の各国間の争いの火種にもなっている。
大きすぎる各国間の経済格差
東アジア地域全体の GDP は、世界経済全体の GDP のほぼ 4 分の 1 を占めるが、そのう
ち 3 分の 1 を日本が占めている。統合によってヒト・モノ・カネの移動が自由になると東
アジアの途上国から質の低い労働力が大量に日本に流入する恐れがある。
どの国がリーダーシップを執るか
東アジア共同体のような大規模な地域統合を行うには、強力なリーダーシップを発揮で
きる国が必要であるが、そのようなキャパシティを持つ国は日本と中国のみである。しか
し、この両国は歴史的・政治的な対立が深く、また東アジア地域統合におけるスタンスも
異なっているため、日中両国が協力して東アジア統合のリーダーシップを執ることは難航
するとみられる。東アジアにおいては EU のドイツ・フランスのような核となる大国のタッ
グが存在しない。
地理的な面での欧州連合との違い
・欧州連合はほとんどの国が陸続きの大陸であるが、東アジアは大陸でなく海によって分
割されている。輸送面においては低コスト、大容量輸送が可能な海運が活用できる東アジ
アには、EU に比べ地理的なアドバンテージがあるといえる。
・また、東アジア地域には EU に比べ、石油・天然ガス・鉄鉱石などの各種地下資源が豊富
であるというアドバンテージもある。
EU と比べ、東アジア地域には地理的なアドバンテージは大きい。しかし、現在のところ地
域統合には各国間の政治的・経済的問題が多すぎるというのが現状である。
Ⅳ
東アジア地域統合に関する各国の思惑・動き
1、日本
基本方針:日米同盟堅持・中国の動きを警戒・東アジア地域協力の枠組みは ASEAN+3
に加え、インド、ニュージーランド、オーストラリアを加えることを提案。
日本の東アジア地域統合への取り組みで、まず注目すべきは 97 年に橋本首相が東アジア
歴訪の際に日本と ASEAN 間の首脳会議の定例開催を提案したことである。この提案は
ASEAN 各国から評価を受ける一方、中国に対する牽制策とも受け取られ、マレーシアのマ
ハティール首相は提案に賛成しつつも「ASEAN と日中韓の会議を行い、その後に日本との
個別の会議を開きたい」と提案した。かくして、97 年 12 月に第一回 ASEAN+3 首脳会議
が開かれた。97 年のアジア通貨危機の際に、ASEAN+3 はアジア通貨・金融危機への対応策
として成立することになる。日本が主導権を発揮する形で構築された ASEAN+3 の枠組み
であるが、現在 ASEAN 各国に対する中国のプレゼンスが上がりつつある一方、日本の対
ASEAN 政策は、ASEAN が期待するほど積極的なものではない。90 年代半ば以降、ASEAN
政策に積極的な中国に対し、FTA 締結や東南アジア友好協力条約の署名などの点で日本は
遅れをとる形となっている。そのような中国の積極姿勢と日本の消極姿勢は ASEAN 各国
の戦略に少なからぬ影響を与えた。マレーシア、タイなどかつて日本寄りであったが、現
在は中国寄りになりつつある国もある。
そもそも日本は東アジア共同体の設立には積極的ではなかった。中国はじめ東アジア諸
国と手を組み、距離を縮めることが、最重要同盟国であるアメリカとの距離を遠ざけるこ
とに繋がると警戒しているからであると考えられる。アジア各国との地域統合においても
APEC を重視してきたが、近年の中国の ASEAN 急接近(2000 年の中国―ASEAN 間 FTA
締結提案など)による焦りからか、対東アジアの FTA を重視した戦略に乗り出した。そし
て、2003 年には日本・ASEAN 特別首脳会議が開催され、そこで発表された「東京宣言」
「行動計画」において、日本は ASEAN の統合に向けた取り組みに「全面的な支持」を与
え、
「東アジア共同体の構築を求める」ことが明記された。そして、TAC(東南アジア友好
協力条約)についても 2004 年 7 月に署名し、日本も東アジア共同体構築に中国に遅れをと
りつつも積極姿勢を見せ始めた。
東アジア共同体のビジョンとしては、ASEAN+3 にインド・ニュージーランド・オースト
ラリアを加えた 16 カ国で構成することを提案しており、ASEAN+3 での共同体構築を目指
す中国と対立している。これは、ASEAN+3 にインドという大国を加え、ニュージーラン
ド・オーストラリアといった、日本と同じくアメリカと安保上繋がりを持つ国で固めること
で東アジア共同体内での中国の影響力を牽制する目的があると考えられる。
今後とも日米同盟を堅持しつつ、東アジア共同体戦略については ASEAN+3 に印・豪・
ニュージーランドを加えた 16 カ国での「東アジア経済共同体」を提唱していくのが日本の
戦略である。
2、中国
東アジア地域協力の枠組みは ASEAN+3 を推進。東アジアサミットでの枠組み(ASEAN+
3とインド・オーストラリア・ニュージーランド)での枠組みには反対
中国は、1990 年に ASEAN の盟主であるインドネシアとの国交回復を成し遂げ、90 年代
半ば以降から ASEAN との距離を縮める政策を採り始めた。2000 年 11 月の中国と ASEAN
の首脳会議の際には朱鎔基首相(当時)が ASEAN と中国の間での FTA 締結を提案した。
朱鎔基首相はそれまで中国が消極的だった ASEAN+3 についても定例化に賛成し、日中韓
の FTA「北東アジア」FTA を提案した。そして、03 年には TAC にも署名するに至る。
中国が東アジアの統合に積極性を示すようになった理由は、アジア通貨危機でアジア地
域に地域統合の兆しが見えたこと、そして何よりアメリカ中心の世界に反発する中国にと
って、ASEAN との連携は APEC の枠組みと異なり、アメリカの影響力を排除して自身が
東アジア地域でのイニシアチブを取ることが可能になる格好の枠組みであるからと考えら
れる。そのため中国にとって日本が押す東アジアサミットの枠組みでの共同体構築は、イ
ンド・オーストラリア・ニュージーランドという国々が加わることで自身のプレゼンス低
下に繋がるのであまりよく思っていない。
また、中国が近年 ASEAN に接近するもう一つの理由が、今後確実な自国のエネルギー
需要の増加を見越して、ASEAN 地域の豊富な地下資源を目当てにしていることが挙げられ
る。中国は西側からの民主化への圧力に苦しむミャンマーに対して支援を行っている。そ
の目的はミャンマーの石油と天然ガスを狙ってのことであろう。事実、ミャンマーと中国
を結ぶパイプラインの構想も浮上している。そして中国が今後接近を狙っているのが資源
豊富で ASEAN の盟主でもあるインドネシアだ。
もともと反共親日であるインドネシアも、
最近の中国の経済力の大きさは無視できない状況にあり、また津波による被害・アチェ州
和平の為に外国からの支援を必要としていることもあり、現在両国の関係は急速に接近し
つつある。
中国が東アジア統合を進めるにあたり、日本の存在は無視できるものではない。経済面
については、東アジア全体の GDP の 80%以上を日中両国で占めている。しかしながら、日
本と共同してアジアの盟主になろうとも、小泉政権時代の「政冷経熱」の状況下では共同
でリーダーシップを執ることは困難であった。かといって単独で東アジア域内でのプレゼ
ンスを高めようとすれば、単独覇権主義と解釈され警戒される。中国が東アジア共同体の
リーダーシップを執るには何としても日本を引き込む必要がある。
また、中国との経済協力を進めつつも中国の将来シナリオに不安も感じている ASEAN
諸国は、東アジア地域統合における日中協調を望ましく思っている。小泉首相の時代、首
相の相次ぐ靖国参拝で日中関係は冷え切ったが、2006 年に就任した安部首相は就任後まも
なく訪中を実現した。さらに中国は、4 月に温家宝首相、秋に胡錦濤主席の訪日を予定して
いる。中国が日本に接近し、日本を親中化しようとしているとする分析もあるが、今後の
動向が注目される。
3、ASEAN
東南アジア地域において大国の影響力を相対化する方針
中国の影響力を抑えつつ、協力関係を維持
アメリカの単独行動主義的傾向に懸念(特に 9・11 以降)
1967 年に設立された ASEAN は、外相会議をその主な活動としていた。その設立 30 周
年にあたる 1997 年 4 月に、97 年 12 月に ASEAN と日中韓首脳会議を開くことを予定した。
しかしその年夏のアジア通貨危機により 98 年の第 2 回 ASEAN+3 首脳会議では、通貨危機
脱却が中心課題となった。このときの日本による対 ASEAN の巨額支援を ASEAN は高く
評価し、ASEAN は東アジア協力における日本のリーダーシップに大きな期待を寄せている。
ASEAN が日本のリーダーシップに期待するのは、アジア通貨危機の際の日本の支援がそ
の理由だけではなく、その裏には ASEAN に急接近する中国に対する不安感があるといえ
る。将来の東アジア最大の経済大国である中国に対する ASEAN の期待は大きい。しかし
過去の中国による内政干渉、現在進行形の問題であるスプラトリー諸島問題などもあり、
東アジア最大の独裁国家の中国に対し ASEAN は疑念も抱いており、中国との関係深化に
は慎重な面もある。そこで、中国以外の大国に参加してもらうことにより、中国一国の影
響力を緩和しようという狙いがある。しかしながら、ASEAN は中国の積極関与を否定して
いるわけではない。ASEAN は各国と協力しつつも、ASEAN において一国が台頭すること
を好まないのである。
4、韓国
北東アジアを重視し、日中の橋渡し役を目指す
ASEAN+3 のうちの「+3」の中では、韓国は日中に国力では敵わないものの、97 年のア
ジア通貨危機以降、韓国は積極的に東アジアにおける各国間協力のビジョンを提唱してき
た。金大中前大統領は 1998 年に、東アジア各国の民間有識者の討議の場として EAVG(東
アジアビジョングループ)を提案し、2000 年には EAVG(東アジアスタディグループ)で
の提言を官レベルで検討するための EASG を提案した。
後継の盧武鉉大統領は東アジア外交の重点を「東北アジア」に置き、朝鮮半島が地理的
に北東アジアの中心であること、政治的に韓国は日中の橋渡し役を担うことができること
より、韓国を東北アジアの経済物流の中心にする構想を掲げている。盧武鉉政権は日中の
橋渡しを担い、日中と朝鮮半島で東アジア共同体を形成できるようになったら、その事務
局を韓国に置くことも希望していたという。
韓国の対東アジア共同体戦略は、日中という二つの大国に挟まれるなかで事故の立ち居
地を見据え、調整役・アイデアの提案役としてその存在感をアピールしていく戦略である
といえる。
大統領選を来年 4 月に控え、現政権はもはやレームダックと化し、既に党の再編が始ま
っている韓国の次期大統領は、野党ハンナラ党候補が有力とされている。政権交代がなさ
れた場合、今まで各国の「ハブ」になること、
「調整役」を目指してきた韓国の外交政策に
どのような影響が出るのかが注目される。
現在のところ、東アジアにおいては「東アジア共同体」という一つの共同体についての
構想は各国ともばらばらであり、EU のような各国の主権移譲も含めた、さまざまな分野を
包括的にまとめた共同体を構築することにはあまり前向きであるとはいえない。また、各
国の政治体制がばらばらであり、各国の格差が大きすぎることからしてもそのような統合
は事実上不可能である。
しかしながら各国とも、貿易・通貨・感染症対策など分野ごとの協力体制構築を推進する
ことは消極的ではないのも事実である。現在の東アジアにおいては、各国が分野ごとにそ
れぞれ協力関係を構築しつつあり、それら全体をさす言葉として「東アジア共同体」が使
われているのだといえる。
そもそも EU は、過去に二度地域内で大規模な戦争が起きたことの反省があり、
「もう
二度と戦争はしない」という各国共通の理念があったからこそ、各国は自分の取り分を他
国と皆で分け与えることを我慢してでも地域統合を進めることができたといえる。しかし
東アジアにおいてはそのような各国共通の理念はなく、各国とも自国の国益を増大させる
手段として東アジアでの地域協力を推進させているものといえる。
Ⅴ
エネルギー・環境問題から見た東アジア
産業革命以降、我々の文明は、石油や石炭といった化石エネルギーの消費とともに発展
してきた。しかし、化石エネルギーは、無尽蔵ではなく埋蔵量に限りがあるとされ、また
採取できる地域も限られているために、しばしば国際政治において戦略上の「武器」とも
なってきた。また、エネルギー問題とも関係が深いが、環境問題も国際的な課題となって
いる。むしろ、地球温暖化、酸性雨、オゾン層の破壊など、その多くは、一つの国家の努
力だけでは解決することが困難でさえある。
以上のような問題が東アジアの地域主義に与える影響は決して小さいとはいえないであ
ろう。ここでは、エネルギー・環境問題が東アジア共同体構想にどう影響するか考えてみ
る。
1、世界のエネルギー需要の見通し
世界のエネルギー需要は、経済成長とともに確実に増加していくと予想されている。
IEA(国際エネルギー機関)の 2002 年の見通しによれば、2010 年で 111 億トン、2020 年
で 132 億トン、2030 年では 152 億トン以上にまで達すると予測されている。この内、地域
別にみると、先進諸国よりも、途上国での需要がますます増大しており、その中でも、ア
ジア地域のエネルギー需要の増加が顕著に見られる。アジア地域のエネルギー需要のシェ
アは、2000 年 28%、2010 年 31%、2020 年 32%、2030 年 34%と、年々増加していく一方、
日韓を除く OECD 先進国のエネルギー需要のシェアは減少している。今後は、エネルギー
需要におけるアジア地域の比重が重要になっていくと思われる。
2、アジア地域のエネルギー需要の見通し
アジア地域のエネルギー需要を 1980 年から 2020 年までさらに詳しく見ていくと、まず
アジア各国のエネルギー需要の年平均伸び率が 2000 年から軒並み減少していくと予想され
る中で、中国のエネルギー需要の増加が他のアジア諸国の増加に比べ、大きいことが見て
取れる。
中国経済は、旺盛な内需を背景に 1990 年代を通じて高い経済成長を維持し、2000 年代
に入っても WTO 加盟後、7~9%の成長率を維持している。
高度経済成長とモータリゼーションの進展により、エネルギー需要は増大し、中国は、
既に、世界第2位の1次エネルギー消費国である。2020 年には、石油換算 17 億トンの消
費が見込まれる。これによれば、世界のエネルギー消費に対する中国のシェアは約 15%に
達する見通しで、アジアでみると、1次エネルギー消費に占める中国のシェアは、2000 年
の 38%から 2020 年には 45%へ増加する。
日本では、エネルギー安全保障が、政策の優先課題であったため、過去 30 年間で、石油
から原子力、天然ガス、石炭への急激なシフトや産業部門を中心にした省エネルギーが進
展し、エネルギーの石油依存度が 77%から 49%まで減少した。今後は、穏やかな経済成長
(年率 1.3%)と、少子高齢化による人口減少および省エネルギー化が進み、エネルギー消
費量は横這いまたは減少の見込みである。アジアでの1次エネルギー消費シェアも 2000 年
の 22%から 2020 年 12%へ低下する。
3、アジア地域のエネルギーの中東依存度の拡大
原油の余剰生産能力は 1990 年以降、低下傾向にあり、2010 年以降、余剰生産能力は OPEC
中東産油国に集中すると予想されている。この結果、1997 年から 2020 年にかけて世界の
石油供給に占める OPEC 中東産油国のシェアは 26%から 41%に拡大する見込みがなされ
ている。他方、アジア地域の石油生産の伸びは見込めないことから、アジア地域の石油の
域外依存度、特に中東依存度は大きく伸びると予想されている。
4、東アジアにおけるエネルギー協力
前述した通り、東アジア全体で石油の消費量が拡大し、石油の域外依存度がますます増
加しており、石油の安定供給に対する方策を強化していく必要がある。石油の安定供給の
ためには、産油国との関係強化、石油以外への燃料切替も重要であるが、最も簡単で即効
性があるのは石油備蓄であろう。東アジアの石油消費国・地域の備蓄状況を見てみると、
日本、韓国は IEA に加盟し備蓄が整備されているが、中国や他のアジア途上国はまだまだ
石油備蓄体制が整っていない。日韓を除いたアジア地域の石油備蓄量はまだまだ少なく平
均在庫日数は 33 日程度である(IEA加盟国の備蓄義務は 90 日備蓄)。域内全体でみると
石油危機への備えは不十分といわざるを得ない。しかし、石油備蓄を進めるにも備蓄の増
強には一定の期間と費用が必要で、一国だけの力で短期的に東アジアの備蓄体制を整える
ことは困難である。そのため将来の石油危機に対応するには、東アジアにおける石油共同
備蓄機構と共通ルールを構築する必要がある。
最近では、2007年1月15日にフィリピンのセブ島で開催された第2回東アジア首
脳会議(ASEAN 諸国、日中韓、オーストラリア、ニュージーランドが出席)において、日
本の安部首相が①省エネルギーの推進、②バイオマスエネルギーの推進、③石炭のクリー
ンな利用、④エネルギー貧困の解消の4つを柱としたエネルギー支援策である、
「エネルギ
ー協力イニシアチブ」を発表した。とりわけ、エネルギー貧困の解消のため、電力設備の
整備、地方電化などのエネルギー・アクセス改善のほか、省エネ対策を含む資金協力、技
術協力として、今後3年間で20億ドル規模のエネルギー関連の政府開発援助を実施する
ことを表明している。このような日本の動きに合わせて、同会議では、省エネ目標・行動
計画の設定、バイオ燃料の利用促進などを内容とする「東アジアのエネルギー安全保障に
関するセブ宣言」が採択された。
5、東アジア地域における環境問題の現状
東アジアの経済成長は1960年代から現在にかけて、概ね、日本、NIES、ASEAN 諸
国、中国という順に段階的に進行してきたといえる。しかし、東アジアの工業化は欧州先
進諸国のそれよりも急激なものであり、産業構造の劇的な変化をともなうものであった。
この過程の中で、元々膨大な人口を有していた東アジアにおいては「爆発的都市化」といえ
るような状況が生み出され、従来の質素な生活様式から、大量消費型の生活用式へと変化
していった。こういった経済成長の裏で、大気汚染、酸性雨、水質汚染、土壌の劣化、森
林破壊といったいわゆる「地球環境問題」が東アジアでも深刻な問題として発生した。ま
た、「地球温暖化」の原因の一つとされている二酸化炭素の世界全体に対する排出割合も、
1991年では日本 4.8%、中国 11.2%、インド 3.1%となっていたが、2003年には、日
本 4.9%、中国 16.4%、インド 4.3%と上昇しており、今後もさらに割合を高めていくと思わ
れる。以下、現在の東アジア地域で深刻な環境問題である、「酸性雨」、「黄砂問題」、「廃棄
物問題」について具体的にみていきたい。
6、酸性雨問題
酸性雨は、火山活動や化石燃料の燃焼から生じた硫黄硫化物や窒素硫化物などが大気中
の水や酸素と反応することによって硫酸や硝酸が生じ、酸性の雨が降ることを指し、広義
にはガス・エアロゾルとして直接地上に沈着する現象を含む。酸性雨の影響としては、森
林、土壌、湖沼などの生態系への影響をはじめ、銅像や建造物の劣化や人体への影響等が
懸念されている。酸性雨は、その性質から原因となる物質の発生源から数千キロメートル
離れた地域にも影響を与えるため、酸性雨問題の解決を図るには近隣各国の協力が必要不
可欠となる。このため、欧州では 1979 年に長距離越境大気汚染条約が締結され、酸性雨の
状況の監視・評価、酸性雨原因物質の排出削減対策などが行われている。東アジアにおい
ても、11998年「東アジア酸性雨モニリングネットワーク(EANET)」が日本のイニシ
アチブにより組織され(参加国は東アジアの 12 カ国とロシア)、酸性雨モニタリングや、
データの収集・評価等が実施されている。東アジアの酸性雨の発生状況は主に中国の都市
部でみられている。2003年の EANET のデータでは、中国北部の西安で観測された硫
酸イオンの濃度は 1 リットル中約20ミリグラムと日本の平均レベルの約10倍であり、
硝酸イオン濃度は約4.2ミリグラムと日本の約5倍である。中国政府は1998年に二
酸化硫黄の削減目標を設定し、小型石炭ボイラーの禁止など、大気汚染対策を打ち出した
が、予想以上の経済成長もあって、二酸化硫黄の排出量削減は成功とは言えない。現在、
東アジアでは国境を越えた酸性雨被害ははっきりと顕在化はしていないが、中国のエネル
ギー消費が今後も伸び続け、石炭の消費量が増えるならば、脱硫装置の普及や、低硫黄石
炭の使用などの有効な対応策がとられない限り、日本や韓国にも酸性雨の影響が顕在化す
る恐れがある。
7、黄砂問題
黄砂は中国大陸内陸部のタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠や黄土高原など、乾燥・半乾燥地
域で、風によって数千メートルの高度にまで巻き上げられた土壌・鉱物粒子が偏西風に乗
って飛来し、大気中に浮遊あるいは降下する東アジア特有の現象である。黄砂は、発生源
地域周辺の農業生産や、生活環境に被害を与えるだけでなく、大気中に浮遊し、黄砂粒子
を核とした雲の発生・降水過程を通して地球全体の気候に影響を及ぼしている。
日本においても黄砂による大気汚染や洗濯物や車両の汚れなどの被害が生じており、さま
ざまな大気汚染物質の運び屋として機能している可能性も指摘されている。いままで、黄
砂については自然現象であると考えられてきたが、近年ではその頻度と被害が大規模化し
ており、急速に広がりつつある過放牧や耕地の拡大との関連性も指摘されている。
黄砂問題も酸性雨と同様に、発生源となっている国とその被害を受ける国が必ずしも一
致しない環境問題である。2002年の日中韓3カ国環境大臣会合では黄砂問題について、
(1)研究協力の推進、(2)モニタリング能力の強化、(3)国際機関との連携強化の必要性が合意
され、2005年には日中韓蒙4カ国と国際環境計画による国際共同プロジェクトが実施
されている。このプロジェクトでは黄砂モニタリングと早期警戒、黄砂対策の投資戦略に
ついて検討が進められ、日本の国立環境研究所が開発したライダー観測機による砂塵嵐観
測網整備が中国とモンゴルで進められつつある。現在、黄砂の発生を抑制するために植林
や土地利用の変更などの対策が実施されているが、元々が自然現象である黄砂を根絶する
ことは不可能である。そのため、砂塵嵐発生を早めに観測し、被害を軽減するための国際
的なモニタリングシステムや早期警報システムを構築することが費用対効果の点で有効で
あろう。
8、廃棄物問題
近年、東アジアで大きな問題となりつつあるのが、廃棄物の輸出とそれにともなう環境
への影響である。東アジアの経済成長を背景に鉄スクラップや電子・電気廃棄物などの再
生資源需要が高まり、日本や欧米などの先進国から中国や ASEAN の発展途上国への輸出
が増加している。日本からの再生資源が東アジア地域に輸出されていることは資源循環の
点で評価できるが、輸入された廃棄物が現地で適正に処理されないケースが発生しており、
それによる環境汚染が問題となる。中国に輸出されたパソコンなどの電子廃棄物の残渣が
適正な処理を経ずに放置されたり、金属回収のために野焼きが行われたりする場合もあり、
土壌汚染や有毒ガスの発生が現に生じている。
また、2001年4月に日本で家電リサ
イクル法が施行されたが、廃棄物輸出はこのリサイクル法を破綻させる可能性もある。家
電リサイクル法では、使用済み家電製品を販売店が引き取る際にリサイクル費用を消費者
が支払う必要がある。その後廃棄物は施設で鉄スクラップやミックスメタルなどの有価物
とそれ以外の無価物に分類されリサイクルされる仕組みであるが、日本と他のアジア諸国
では有価物と無価物の基準が異なっているため、海外の業者が日本の業者よりも高い価格
で有価物を買い取り再生資源として輸出されることがある。家電リサイクル法では国内で
のリサイクルを前提として費用徴収の仕組みを構築しているため、無価物のみが国内に残
されることになると、家電リサイクル法が成り立たなく恐れがある。廃棄物の不正輸出と
それによる環境破壊を防ぐには、東アジアにおける再生資源循環の適正で透明度の高い流
通システムを構築することが必要であり、そのためにも東アジア諸国が協力して再生資源
循環のルールを定めることが求められている。
以上、エネルギー・環境問題の視点から東アジアの状況を見てきたが、現在、これらの問
題の解決のために東アジア地域の国家間の協力体制が出来つつあるといえる。しかし、そ
の枠組みが東アジア共同体構想と一致するものであるかといえば、そうではなく、エネル
ギー協力の分野では ASEAN+3とインド・オーストラリア・ニュージーランドといった広
域に渡る協力体制が必要となるであろうし、環境問題の分野では環境問題の種類によって、
その発生源となっている国と被害を受ける国との間での協力体制が構築されるべきであろ
う。しかし、今後エネルギー・環境問題が複雑化、大規模化、深刻化していくならば、そ
れに対応するための東アジア地域共通のルールを定めた広域な枠組みが必要になり、それ
が東アジア共同体構想の土台となる可能性もあると思われる。
Ⅵ
結論
この論文では、「東アジア共同体」のこれまでの動き、域内での環境・エネルギー問題、
そして各国の地域統合の思惑について見てきた。そこで見られるのは「東アジア共同体」
という一つの地域共同体の具体的ビジョンがあまりはっきりとは見えてこない中、各国間
の協力体制は推進されつつあり、またその協力体制のさらなる推進・拡張の必要性の高ま
りははっきりと見て取れるということである。
各国間の地域協力の好例としてしばしば引き合いに出される EU と東アジア共同体とは、
歴史的・地理的な面の相違が大きく、両者を単純比較することはできない。最大の違いは EU
が主権移譲をも含めた、EU 域内全体を一つの「国家」とし、各国間の関係を「隣県」のよ
うにする包括的な統合を目指している一方、東アジア共同体においては各国の主権は維持
したままで、分野ごとにそれぞれグルーピングをし、それぞれの分野で個別的に協力関係
を構築しているという違いがある。
地域統合のモデルの概略例
協力分野 C
協力分野γ
協力分野 B
日中韓
協力分野β
協力分野α
欧州各国
協力分野 A
ASEAN
AUS&NZ
EU の地域統合のモデル
東アジアの地域統合のモデル
統合は包括的
ASEAN を HUB とし統合は分野ごと
しかしながら、東アジア地域においても地域全体を巻き込むような金融危機・戦争・自然
災害・疫病など、各国の経済産業に甚大な被害を及ぼすインシデントが発生し、各国が主
権の移譲・共有も含めた包括的な地域協力をせざるを得ないような状況となった場合には、
東アジア地域においても EU 型の包括的な地域統合がなされる可能性が無いわけではない
と考えられる。過去の経緯を見ると、東アジア地域協力が進むか否かは、専らそのような
ショックが起きるか否かにかかっており、今後もその状況は変化しないだろう。自発的に
内部から地域統合へのうねりが生じるとは考えにくい。東アジア共同体構想は、現状では
ある種のシンボリックな意味合いを持っているに過ぎないのではないか。地域協力の必要
性が各国政府の共通認識になっている今、より統合の深化を目指す勢力が東アジア共同体
という言葉を利用しているだけだという印象がどうしても拭えない。
参考文献
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EU・東アジア・世
-ASEAN+3の展開』
寺西俊一監修(2006)『環境共同体としての日中韓』
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田中宇『田中宇の国際ニュース解説』http://tanakanews.com/
ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/