ジョセフ・トッティス牧師 1ヨハネ 1:1-3 あなたは今までに、 何かについて自分が心から正しいと信じ。。そして後に なってそれが間違いだったことに気づいた経験がありますか?これは控えめに言っても結 構恥ずかしいことですよね。私たち人間の傲慢な性質の一つは、自分が他人よりも知って いると思うことです。また、真実は絶対ではないと思うことです。あるいは、その真実が 自分にとって「真実」であるか、と考えることです。「私にとって真実であることが私に とっての現実である。。。」というように。けれども、聖書によれば、実際には。。。私 たちが何を信じるか、信じないかが永遠への運命を定めるのです。。。使徒ヨハネは、私 たちが何を真実と信じるかが、永遠の結果をもたらすということを理解していました。こ のころ、教会ではグノーシス主義の異端が忍び寄っていました。 この、「グノーシス主義」という言葉はギリシャ語に由来します。 1097 ginoskw ginosko {ghin-oce'-ko} 知る、知覚する、理解する 自ら啓発されたものと称し、優れた「知識」を持ち深く物を考える者達。。。つまりそれ がグノーシス主義なのです。彼らは、すべての物質はけがれて汚れていると主張しまし た。ですから、イエスキリストがもし神であるなら、物質である身体を持つことはできな いだろうと考えたのです。そのため、イエスが神であるということを認めませんでした。 彼らの主張はこうです。。。 もし、すべての物質が「悪」ならば 本当のあなたを包むこの悪である身体をあなた自身がどのように扱ってもいいということ になります。だからあなたは、姦 や、酩酊、不倫、何でもあなたの好きなようにすれば いいのです。その肉はすでに悪であり、崩壊しているのですから。それ以上壊れることも ないわけです。ですから、気持ちよければ、やればいいのです。これが、グノーシス主義 の一端です。不品行な生活を送っても、神に対しては善であることができる。という考え です。人がどのように振舞いたいかが、彼ら自身の生み出す哲学によく影響を与えるのは 興味深いところです。ヨハネの時代の、神が肉に宿ることはありえないというこのグノー シス主義の考え方は、今日の醜いカルトを興しました。たとえば、モルモン教は、イエス とルシファーは聖霊による兄弟であるとしています。グノーシス主義は、さらにアリウス 主義を唱えたアリアスという神学者によって広められました。アリアスはキリストの神性 を否定し、彼が単なる創造物に過ぎないと主張しました。このアリウス主義は、今日のエ ホバの証人の礎となりました。エホバの証人は、イエスは肉に宿った神ではなく、ミカエ ル大天使が人間になったものであると主張しています。ご存知の通り、過去も現在も、イ エスキリストに関するさまざまな意見があります。 誰が正しくて、誰が間違っているのでしょうか? パウロはローマ書3章4節でこう言っています。 ローマ 3:4( 絶対にそんなことはありません。たとい)。。。すべての人を偽り者として も、神は真実な方であるとすべきです。。。(それは、「あなたが、そのみことばによっ て正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりで す。) 何が真理で、何が偽りなのでしょう? イエスはこう言っています。 ヨハネ 17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。 イエスはこうも言いました。 ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなので す。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 イエスは私たちに警告して言いました。 マタイ 7:15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、う ちは貪欲な狼です。 使徒パウロも私たちを警告しています。。。 2ペテロ 2:1 しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなた がたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそか に持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分た ちの身にすみやかな滅びを招いています。 世間にはにせ教師がはびこっています!間違った教えやにせ教師から自分を守る最善の方 法は、真理を知ることです。偽物を見抜くには本物を知る必要があります。「真理の言葉 を正しく伝え」(テモテ第二2:15)、聖書を注意深く学ぶクリスチャンは、間違った教 えを見抜くことが出来ます。だから私たちは聖書を学び、すべての教えを、聖書箇所に よって正しいものであるかどうか判断してだまされないようにしないといけません。使徒 ヨハネは手紙の中で、これらのにせ教師たちに対して警鐘を鳴らしています。 イエスが神であり人であると宣言しています。 1ヨハネ 2:26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来 ました。 第一ヨハネの手紙1:1から始めましょう。 1ヨハネ 1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また 手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 初めからあったもの。。。 何がはじめからあったのですか? 創世記 1:1 初めに、神が天と地を創造した。 へブル語で、「神」という言葉はこの文字通りの意味は、”Gods”つまり「神」の複数形な のですが、これは興味深いことですね。ヘブル語の「神」の単数形は、Elといいます。も し、へブル人の著者がElohimの代わりにElと書いていたら、「唯一の神」が天と地を創造 されたということになります。Elohim,つまり”Gods”--神々が天地を創造されたという事実 は、三位一体である神の存在を知る最初の手がかりになります。ヘブル語には、 ”dual tense(二重時制)”と呼ばれる、英語にはない文法があります。Dual Tenseの単語である Elaという言葉は「2」という意味です。もしこのElaという言葉が、Elohimの代わりに用 いられたら、神格のうちにある二重の人間性:父と子に対して激しい論議がかわされるこ とでしょう。(つまり三位一体の議論ではなくなってしまう)しかし、そうではなく、複 数形のElohimが使われているのです。Elohimという言葉は、3つ以上のものに対して使わ れます。御言葉には、神には3つの個性が存在するということが明確に示されています。 父、子、そして聖霊です。 1ヨハネ 1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また 手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 ちょっとここでWordということばに注目しましょう。 ”Logos”というギリシャ語は、logov logos {log'-os} = word(言葉) という意味です。 ヨハネは自身の手紙の中でよくこのタイトルを使っています。それは、黙示録の中で彼に 与えられているイエスに関するビジョンのためです。 黙示録 19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。 ヨハネの福音書には、こう書いています。 ヨハネ 1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 ヨハネ 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見 た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ち ておられた。 ことばは神であり、それが肉となり私たちのうちに住まわれたということに気づいてくだ さい。イエスキリスト、ことば、肉のうちに住まう神ヨハネの福音書と第一ヨハネに見ら れる類似性に気づいてください。 1ヨハネ 1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また 手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、2 --このいのちが現れ、私たち はそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわ ち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。‐‐ 使徒パウロはこのように述べてもいます。 1テモテ 3:16 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現 れ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、 世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」 1ヨハネ 1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、 ま た手でさわったもの 、すなわち、いのちのことばについて、2 --このいのちが現れ、私 たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。す なわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。‐‐ ヨハネは、彼とほかの弟子たちが、目撃者であったということを私たちに思い起こさせま す。私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの イエスキリストは人となってこの世に来られました:ヨハネは実際に彼をさわったので す。イエスは、人としての生活を送りました:ヨハネはイエスと3年半一緒にすごしまし た。そしてイエスは死にました: ヨハネはイエスが十字架の上で死んだときその場にい あわせたのです。それから、イエスは死からよみがえりました:ヨハネと500人以上の 人々が、イエスが死からよみがえったのを目撃し、そして彼らはそのことを否定せずむし ろ進んで自らの命をそれにより犠牲にしたのです。使徒パウロがコリント人への手紙の中 で書いたことを思い起こしてください。 1コリント 15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私が あなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている 福音です。 1コリント 15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の 宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるので す。 1コリント 15:3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたこ とであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死な れたこと、 1コリント 15:4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえら れたこと、 1コリント 15:5 また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。 1コリント 15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中 の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。 1コリント 15:7 その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全ての前に現れま した。 これが福音のメッセージなのです。これ以外の教えは、当時も今にいたっても偽りなので す。 1ヨハネ 1:3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがた も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエ ス・キリストとの交わりです。 ヨハネはここで、信者がはじめに宣言したことを堅く守るよう警告しています。それは、 神との、また彼ら同士の交わりが続くようにするためです。 Fellowshipということばは、ギリシャ語で: 2842 koinonia koinonia {koy-nohn-ee'-ah}: fellowship, oneness, communion koinonia koinonia {koy-nohn-ee'-ah}: 交わり、一致、親交 といいます。 さきほど聖 式の時に見たのと同じギリシャ語の単語ですね。 1コリント 10:16 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありま せんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。 この杯は、私たちをキリストとのKoinnania(交わり、一致、親交)に導いてくれま す。。。 パンはどうでしょうか? パンはキリストのからだとのKoinonia(交わり、一致、親交)ではないのですか? 新約聖書は一貫して、教会が―つまりイエスキリストにある信者が体現化されたもの―が 「キリストのからだ」であるということを言っています。 (先週の日曜日、ダン牧師がこのことについて話しましたね) エペソ 4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝 道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを立てあげるためであ り、 ローマ 12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり 互いに器官なのです。 1コリント 12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの 部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。 1コリント 12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なので す。 交わりなのです。。。 カルバリーの十字架の上で、キリストが私たちにしてくださったことを思い出してくださ い。。。わたしは以前こんなことを聞いたことがあります。。。”すべての教派は十字架の 足元でなくなる”なぜなら、血に染まったその十字架の足元の地は、謙 な信者たちをキ リストにあって一つのからだにしてくれるからです。けれども同時に、今日お話してきた ように、注意しましょう。。。使徒パウロが、エフェソの教会の人たちに警告したよう に。。。 使徒の働き 20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れ を荒らし回ることを、私は知っています。30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲 がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょ う。31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなた がたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。 神のことばに反する誤った教えは、キリストのからだにとってのガンなのです。ですか ら、神のことばに堅く立ち、欺かれないようにしましょう。 祈りましょう!
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