1 説教 「救い主が生まれた日」 ルカの福音書2章1∼14節 石原俊久

説教
「救い主が生まれた日」
ルカの福音書2章1∼14節
石原俊久
クリスマスおめでとうございます。
1.預言の成就のために異邦人をも用いられる
クリスマスは 12 月 25 日をイエスキリストの誕生日として祝うものですが、
今週はイブ礼拝として 24 日の夜にそのときを持ちたいとねがっています。
12 月 25 日をキリストの誕生日と言いましたが、実のところイエスキリ
ストの誕生日はいつなのかよくわかっていません。何で 12 月 25 日になっ
たかは、もともと冬至祭、というのがヨーロッパにあって、それはもとも
と異教的な祭りだったのですが、ヨーロッパにキリスト教が伝わったとき
に、これをイエスキリスト誕生の祭りにしてしまおうということで 12 月
25 日がキリストの誕生日とされるようになったといわれています。
ルカの福音書 2 章はキリストの誕生を丁寧に描いていますが、ここから
は何月何日であったか、冬であったか、春であったかは明らかではありま
せん。聖書学者の意見もさまざまです。しかしこの福音書を書いたルカは
なるべく正確な時間を伝えようとして、その記録が聖書以外の記録として
残っている、異邦人による住民登録の記事を載せています。
1 節に記されている「アウグスト」は、本名ガイウス・オクタヴィアヌ
ス(前 27∼紀元 14 年在位)のことでローマ帝国初代皇帝です。2 節のシ
リヤの総督が「クレニオ」であったとき、とあるのは紀元 6∼7/9 年とい
うことがわかっています。また発見されている人口調査の資料のパピルス
から 14 年ごとに住民登録が行われていたことがわかっています。40 年以
上に調査が及んだという記録もあって「最初の住民登録」という言葉は「以
前の住民登録」とも訳せることからこの「住民登録」は、紀元前 9∼8 年
頃に開始され、終るまでに長期間を要したのではないかと思われます。こ
のような人口調査は主に税金の取り立てのための資料として用いられた
と考えられています。
このような資料や他の記録からキリストが生まれたのは紀元前 4 年ころ
と考えるのが一般的になっています。私たちの知っている西暦はキリスト
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の誕生を起源としていますが実際には少しずれがあるのです。このような
記録の仕方からルカが医者であってなるべく正確にキリストの誕生につ
いて書きたかったことがうかがえます。
いずれにしろ、ヨセフとマリヤの夫婦は身重であろうと容赦なく長い距
離を出かけなければならなかったのです。紀元 104 年頃のエジプト総督の
布告の書に、「戸別登録が行われるので、どのような理由にせよ、自身の
地区から離れている者はすべて、自分の家に帰らなければならない」とあ
ります。「どのような理由にせよ」というのがいかにも当時のローマ帝国
の傍若無人さを表しているようにおもいます、
本来ならばガリラヤのナザレの地でイエスはお生まれになるところを、
ローマ帝国の都合で強制的に流産の危険を伴ってヨセフの実家のあるベ
ツレヘムまで旅しなければなりませんでした。
しかしこのような理不尽な出来事も、700 年前の旧約聖書の預言者によ
って預言されていたことが成就するために必要なことだったのです。みど
りごとして、お生まれになること、ユダのベツレヘムといういなかの町で
生まれることが預言されていました。そして預言から700年後ついにイ
エスキリストが預言のとおりこの地上にお生まれになりました。今から約
2000年前のことです。
神の預言が成就するために、神はローマ帝国の政治をも用い、マリヤに
危険を冒させてまでもベツレヘム行きを余儀なくしたのです。そしてベツ
レヘムに滞在中に出産のときを迎えるのです。
2.宿屋には彼らの居場所が無かった。
7 節を見ますと男子の初子を生んだ、とだけ書いてあります。医者のル
カにしては表現が乏しくも思えます。そのときの状況はここからは見えて
きません。おそらくこれは救い主キリストが、「全くの人」として生まれ
たことを表しているといえるでしょう。
仏教の話で申し訳ないのですが伝説によるとお釈迦はインドの宮殿で
母、マーヤのわきの下から生まれた、といわれ、その特殊な誕生が仏陀を
特別な存在として祭り上げる役割を果たしています。つまり普通にうまれ
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たのではないからその教えも人間を超えたすばらしいものである、という
考えです。もっともこのことは釈迦本人が言ったことではなく、後の信徒
たちが作り出した話であるといわれています。
ルカはイエスキリストの誕生をあくまで医者の観点で何の特殊なこと
が無かったことを正確に記録したのだと思います。熱狂的な信者であるな
ら何か、「光がさした」とか書き加えたくなるものですがルカにとっては
この記録が正しいことのほうが重要であったのです。この福音書のはじめ
1 章 3 節には「私もすべてのことを綿密に調べておりますから」と但し書
きがあります。ルカは細心の注意を払って正確な記録を残しているのです。
だからこそ、後に行われる奇跡や不思議、十字架と復活が真実として生き
てくるのです。
キリストがお生まれになってマリヤは「布にくるんで、飼い葉おけに寝
かせた」とあります。その理由が宿屋には彼らのいる場所が無かったから
である、とあります。
「飼い葉おけ」に寝かせた、ということはそこが動物を飼っている場所
であることが想像できます。宿屋は見つかったが、彼らの居場所が無かっ
た。まず考えられるのは、ヨセフと、マリヤがいかにも貧しいのを見て、
宿屋の主人が、足元を見て部屋を案内しなかった。あるいは別の考えで、
宿に到着するのが遅れた。または妊婦が出産する場所が無かった。いずれ
にしても身重の女性に対して部屋を譲ろうという人はいなかったようで
す。人間ではなく動物がいる場所、汚くてくさい馬小屋に彼らは案内され
たのです。そしてキリストはそのような環境の中で地上にお生まれになっ
た。それは神のきよさからみればなんともふさわしくない場所のようにも
思えます。宿屋の人たちの薄情な態度もそれに輪をかけています。キリス
トがお生まれになったのはこのような地上です。住みにくくお金がものを
言う世知辛い、地上でした。
3.飼い葉おけに寝かせた。マリヤによる葬儀。
さてマリヤは幼子を布にくるんで飼い葉おけにねかせます。ベッドは無
くちょうど赤ん坊が入るのによい大きさであったからでしょう。幼子を布
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でくるむということは珍しいことではありませんでした。しかし出産をあ
っさりと描くルカにしてはこのことをわざわざ記したのにはやはり意味
があったのでしょう。
私たちが絵本で見る飼い葉おけは木でできていたりするのですが、当時
の一般的な「飼い葉おけ」は石でできていました。石の冷たい「飼い葉お
け」です。このことはキリストの葬儀を意味するという見方があります。
ルカの福音書の後半23章53節に十字架からおろされたキリストを墓に葬
る場面があります。そこにはこうあります。「それから、イエスを取り降
ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘
られた墓にイエスを納めた。」
キリストは岩に彫られた墓におさめられました。同じように生まれたば
かりのキリストも石でできた「飼い葉おけに」おさめられたのです。母マ
リヤは、意識してか、知らずか、自ら自分の生んだ子を、生まれてすぐ墓
に葬る儀式をしたのです。十字架後にはかなわないわが子の葬儀をまず済
ませたのです。御使いから知らされた処女懐胎。救い主が自分の体から聖
霊によって生まれる。しかしそのことは同時に自分の子であって自分の子
ではない。養育の責任はあっても生まれる子は神の子であり、その運命は
全人類の罪を背負って十字架にかかることであることをマリヤは知らさ
れていました。
石の飼い葉おけに寝かせた。それは普通の母としての歩みがここから断
絶されて救い主の誕生のために用いられたひとりの女性と偉大な神の御
子という関係が始まることを意味していました。
ルカの福音書8章19節からの箇所でイエスをたずねた母マリヤに一見冷
たいと思われるような言葉を語られます。
「あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、外に立って
います。」という知らせがあった。 ところが、イエスは人々にこう答え
られた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行な
う人たちです。」
まるで母親を無視しているようにも思える言葉です。しかし、マリヤは
その事をすでに承知していました。生まれたときにすでに自らイエスを葬
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ったのです。自分のおなかを痛めた子供は人類の救いのために地上に遣わ
された神の御子なのです。「力ある方が私に大きなことをしてくださいま
した」とマリヤは神を褒め称えるのです。マリヤこそまだだれもその意味
を知らなかったキリストの救いの業を最も早く知っていた人物なのです。
4.インエクセルシスデオ
しかし神は、このことを内緒にしてはおられませんでした。救い主キリ
ストの誕生は野宿で羊の番をしていた羊飼いたちに知らされたのです。羊
飼いは当時もっとも低い立場の人たちといわれていました。ユダヤ人であ
りながら羊飼いという職業ゆえに安息日を守ることができない卑しい人
たちであるとさげすまれていたのです。しかし救い主の誕生はこのもっと
も卑しいといわれた人々に真っ先に知らされたのです。神の定められた安
息日を守ることができない彼らでしたから、主の使いが現れたときにおど
ろいたのも無理のない話しです。きっと神からの罰が下ると思ったのかも
知れません。そんな彼らに天使は「恐れることはありません」と声をかけ
られるのです。当時の律法学者やパリサイ人といった宗教家がもっとも嫌
った羊飼いに、神は使いを送り、救い主の誕生を真っ先に伝えたのです。
羊飼いが責められていたのは律法主義がまかり通っていたからです。
しかしキリストは律法主義からまことの神に立ち返る「神の国」の再建
のためにこの地上に来られたのです。だからこそこの知らせは羊飼いたち
にまずはじめに伝えられたのです。人が眠っている夜中に働かねばならな
い人たち。しかし神の恵みによって生かされいることをもっとも知ってい
た人たちにこの福音がはじめに告げられたのです。
「私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです」
民全体は、あらゆる人々のために。羊飼いも、律法学者も、取税人にもロ
ーマ人も、エジプト人もそして日本人にも。
そして羊飼いたちはこの知らせを聞かされただけでなく、目で見える形
でこの救い主を知ることになります。羊飼いたちは「飼葉桶」で寝ておら
れるみどり子を探し当てます。このことが本当に起こったことなのだとい
うことを目で見て確かめたのです。
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御使いが、羊飼いのところに現れた時にさらにおどろくべきことが起りま
した。多くの天の軍勢が現れて神を賛美したのです。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心に
かなう人々にあるように。」
高いところには神の栄光があり、低いところには平和があるように。
キリストは高いところから低い地上に来られ子の救いを信じるものに平
和を与えようとしておられるのです。
この賛歌は〈いと高き所に,栄光が〉のラテン語訳から「グロリヤ・イン・
エクセルシス」と呼ばれます。
「荒野の果てに」の賛美でご存知かと思います。
これがすべて私たち人間の罪のあがないのための第一歩であったことを
おぼえたいと思います。
2000 年前のクリスマスの夜は決して華やかなものではありませんでし
た。それは救い主の誕生を祝うという祝賀会ではなかったのです。
初代教会においてキリストの誕生を祝う、という行事は無かったようで
す。初代のキリスト教信者はそれよりも、もっと重要な出来事を記念する
日のほうにはるかに関心をおきました。それは十字架の使徒、復活です。
クリスマスよりもイースターのほうがはるかに起源が古いこともその事
を物語っています。
クリスチャンにとってクリスマスはおめでたい誕生日ではなく、救い主
を地上に送ってくださった神と、その尊い犠牲の業に感謝するときなので
す。
私たちの周りを見わたしてみるときになんとこの地上は平和からかけ
離れたものであろうかと思います。ですからみ使いが羊飼いに知らせたよ
うに、そして羊飼いが人々に知らせたようにこの救いの業を私たちは知ら
せなければならないのです。
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