ファナロサのぶ子与座 城 間 69 又吉正雄 牧 港 67 宮城ファナユキエ 屋富祖 68 内間清蔵 城 間 78 宮城定雄アルベルト 屋富祖 81 粟国重信 城 間 80 27 29 24 12 ▲カンポグランデの調査風景 28 南米(ペルー・ボリビア・ブラジル)調査者名簿 稲福与座ジュリアシゲコ 城 間 78 マルコ宮城みつお 屋富祖 56 11 15 上原仲宗根千恵子 牧 港 68 山城徳子 牧 港 77 安座間平敷テレサ房子 当 山 78 比嘉健男 港 川 71 嘉手苅ローサトヨコ 当 山 79 比嘉光子 牧 港 70 宮城ファン辰良 牧 港 75 港 川 74 島袋重成エドアルド 城 間 77 内間安一郎 伊 祖 73 宮城アントニオ幸太郎 屋富祖 83 仲程通二 西 原 64 与座エイ 勢理客 77 ▲ボリビアの山城さん一家 比嘉ハツコエラディア新垣 小 湾 81 弟研修生との座談会を実施し ました。 牧 港 78 海外移民調査の目的と方法 ︻ボリビア︼ きは、マルコ宮城みつお氏か と思います。彼は、屋富祖出 ボ リ ビ ア の 戦 後 移 民 は 、 1 95 4年 8月 日 、 琉 球 政 身の二世で、国際テロリスト 府 の 計 画 移 民 第 一 陣 27 5 人 の﹁グスマン﹂を逮捕した功 がボリビアのうるま耕地に入 績により、ペルーの国防警察 植したのが始まりです。浦添 関係で最高の地位に就いてい か ら は 、 眞 栄 城 功 一 家 他 4家 ます。また、上原仲宗根千恵 族 人が入植しています。以 子氏は、牧港出身の二世で、 後、第二〇次まで 家族 人 女性で唯一ペルー国家警察大 ヒーなど数多くの作物を栽培 が入植しています。しかし、 佐に就いた方です。他に両親 したが、農業は失敗の連続で 原因不明のうるま病や洪水災 が開拓した地に野口英世学園 あ っ た と 言 い ま す 。 1 9 65 害、過酷な労働に耐えきれず を創設し、私費で学園を経営 年頃に市街地でキヨスクを始 帰国した者、隣国ペルーやブ している屋富祖出身二世の宮 め 、 1 97 0年 頃 に は レ ス ト ラジル、アルゼンチンなどへ 城ファナユキエ校長など多く ランを経営し、その頃から生 転住した者など現在では、7 の浦添出身者が活躍していま 活は安定するようになりまし 家族 人の方のみです。 す。 た 。 1 9 85年 に 日 本 企 業 の ペ ル ー で は 、 9人 の 子 弟 研 ボ リ ビ ア で 聞 取 調 査 を し た 合弁会社に弟の健男と一緒に 修生との座談会を持ちました。 山城徳子さんは、夫・興喜さ 働くようになり、以後 年間 ん︵故人、牧港出身・第一次 一世の祖父母については、厳 働きます。今では子ども達も 移民︶の呼寄移民︵第四次移 しい面もあったが、やさしい 立派に成長し、年金生活をエ 民 ︶ と し て 子 供 3人 と 一 緒 に イメージの方が強く、二世の ンジョイし、移民に悔いはな ボリビアへ渡っています。興 両親については家事の手伝い しと話していました。 喜さんは、一時は、八〇〇町 よりも勉学に励むよう強く言 歩と言われる農地を持ち、農 われています。 ︻ブラジル︼ 場内にセスナ機の飛行場を持 ジュキアは、景色がやんば つなど有名な方でした。 るに似ていることから、沖縄 比嘉秀充・健男兄弟は、叔 移民の間では﹁ブラジルのや 父で当時沖縄県知事の比嘉秀 んばる﹂と呼ばれていた所で 平知事の強い勧めもあり、第 す。サンパウロ市から約 一陣で入植しています。しか 35 0キ ロ 、 車 で 4時 間 も か し、父と三男の弟がうるま病 にかかり、弟が死亡したため、 かりました。戦前から米作と バナナ栽培で有名な移住地の すぐ耕地を離れ、サンタクル 一つです。 ス市へ移動しています。サン タクルス市の郊外でサトウキ ジュキアには、戦前移民の 二世、内間安一郎さんから聞 ビや米、大豆、バナナ、コー 仲 西 77 みつえエルミシア与座 城 間 80 又吉清栄 海外移民調査の目的は、移 調査の成果 民の体験談と暮らしぶりを調 査、記録するとともに移民当 時 の 手 紙 や パ ス ポ ー ト 、 写 真 、 ︻ペルー︼ 渡航証明書、渡航時の荷物な ペルーでは、浦添出身で戦 ど移民関係資料の収集を行う 前 移民の与座エイさん他 人 ことにありました。 の方々から聞取りをしました。 調査地は、ペルーのリマ市 エイさんは、仲西出身で旧姓 及び周辺地域、ボリビアのサ は外間、城間出身の夫・与座 ンタクルス市及び沖縄コロニ 仁 明 さ ん の 呼 寄 せ で 1 95 3 ア、ブラジルのジュキア及び 年に渡航しています。現在、 サントス、サンパウロ市サン 歳のご高齢ですが、かくし タクララ地区、カンポグラン ゃくとして、記億もしっかり デ市で実施しました。 していました。戦前移民の苦 調査方法は、一世及び二世 労話や戦争中の収容所の話、 に対し、海外移民調査カード 子育ての話など貴重な体験を を用い、個人面談による聞取 お聴きしました。 調査と、浦添市南米移住者子 ペルー移民で最も特筆すべ 与座みよこ又吉ルス 城 間 74 伊智柴徳 20 23 38 屋富祖 80 又吉正行 新城菊子エウヘニア 屋富祖 81 比嘉秀充 左記の日程で、今回の移民 調査展示会を行います。 また、沖縄学講座で移民調 査の報告会も予定しています ので、ぜひお越しください。 ︻展示会︼ 期間 1/ ︵水︶∼ ︵水︶ 場所 市役所1階ロビー ︻報告会︼ 沖縄学講座︵第7回︶ 移民調査報告 日時 1/ ︵土 ︶ 午後2時 場所 図書館2階視聴覚室 講師 島袋伸三氏︵浦添市移 民史編集委員︶ 受講料 無料 勢理客 72 問い合わせ 浦添市立図書館沖縄学研究室 ☎876ー4946 17 ▲ペルーでの調査風景 取調査を行いました。父・安 かせていました。 の人夫として働き、後に小作 林さん︵父の呼寄せ・伊祖出 サンパウロ市サンタクララ をし、野菜づくりを始めまし 身・組合第一二回・布哇丸・ 地区は、カーザベルデ地区と た 。 1 9 4 6年 に 家 族 一 家 で 大正8年 月 日サントス 並んで特に浦添市出身者の多 カンポグランデへ移動しまし 着︶は、ジュキアに約 ヘク い地区です。勢理客出身の又 た 。 父 と 長 兄 は 1 9 8 1年 に タールの耕地を開拓し、バナ 吉義雄さんと伊智春子・比嘉 サンパウロ市へ移動しました ナ栽培を行っていました。ジ 千代子の兄妹、牧港出身の又 が、清蔵さんはそのままカン ュキア沖縄県人会に自分の土 吉清盛・正雄兄弟の聞取調査 ポグランデに残りました。バ 地 ヘクタールを寄贈し、ジ を行いました。南米拓殖移民 ール︵売店︶や日本へのデカ ュキア沖縄県人会館の建立に 会社や呼寄移民、ボリビアか セギなどを行い、現在は夫婦 貢献された方です。また、今 らの転住など移民の動機は で年金暮らしをしています。 か ら 1 0 0年 前 の 工 工 四 教 本 様々でした。現在は年金生活 粟国重信さんは、父・誠助 を保存し、ブラジル沖縄文化 を満喫し、悠々自適な生活を ︵城間出身・第二一一回・ブ センター内の移民資料館へ寄 楽しんでいました。中にはオ エ ノ ス ア イ レ ス 号 ・ 昭 和 9年 贈したことが地元サンパウロ バマ大統領の就任式にワシン 1月 7 日 サ ン ト ス 着 ︶ 、 母 マ 新聞に掲載されていました。 トンまで旅行を楽しんだ方も ス 、 男 6人 女 1人 の 7 人 兄 弟 長を務めるなど会運営の中心 ジュキアから次の調査地サ いました。 の 四 男 で す 。 父 は 1 9 3 3年 的役割を担うと共に、今回の ン ト ス へ は 、 約 1 20キ ロ 、 最 後 の 調 査 地 は 、 沖 縄 移 民 にモジアナ線イスペラーバの 調査に積極的にご協力をいた 車 で 約 2時 間 の 距 離 で す 。 サ の原点とも言われるカンポグ ファゼンダ︵農場︶オタビッ だきました。研修生受入事業 ン ト ス は 、 今 か ら 1 0 0年 前 、 ラ ン デ で 行 い ま し た 。 内 間 清 クに最初に入植し、その後ア の成果が大きいことを実感す 日本人移民が初めてブラジル 蔵さんは、戦前移民二世です。 グ ー ト ス で 綿 花 栽 培 、 に渡った笠戸丸の入港地とし 父は亀︵城間出身・第五回・ 1 9 45年 に バ ウ ル に 移 動 し 、 ることができました。 洗 濯 業 を 開 業 、 1 95 7 年 に 調 査 期 間 中 、 ご 多 忙 に も か て知られている港です。 博 多 丸 ・ 大 正 7 年 9 月 2日 サ 一家でカンポグランデに移動、 わらずペルー浦添同志会の宮 サントスには、西原出身の ントス着︶、母はウタ、男5 そこでも洗濯業を営みました。 城 フ ァ ン 会 長 は じ め ボ リ ビ ア 仲程通二氏から聞取調査を行 人女7人の 人兄弟の二男で 浦添市人会の比嘉秀充会長、 いました。父は仲程通善︵西 す。父・亀さんは、当初アラ 重信さんは、 歳のとき独 立し、同じ洗濯業を始めまし ブラジル浦添市郷友会の親富 原出身・第一三一回・布哇 サトーバに入植し、綿花収穫 た。その後、バールや菓子製 祖政吉会長、宮城茂行氏、与 丸 ・ 昭 和 5 年 8月 日 サ ン ト 造業を営みます。菓子製造業 那嶺真二氏、赤嶺磯乃子氏、 ス 着 ︶ 、 母 は 明 子 、 男 3人 女 はかなり繁盛し生活は安定し カンポグランデ市沖縄県人会 6人 の 9人 兄 弟 で す 。 父 ・ 通 ました。現在は、家業を息子 の玉城ジョルジョ諚二会長に 善さんは、マリリーアからカ に譲り、年金生活を楽しんで は多大なご協力とご支援を賜 ンピナスに移動し、そこで八 います。 り、無事調査を終えることが 百 屋 を 開 き 、 9人 の 子 供 を 育 ペルーでは、浦添市南米移 できました。心より感謝とお てました。貧しいながらも子 住者子弟研修生受入事業の研 礼を申し上げます。 ども達には高等教育を受けさ 修生がペルー浦添同志会の会 せ、それぞれ立派な職業に就 内 間 69 伊智春子 ∼南米(ペルー・ボリビア・ブラジル) 移民調査報告∼ 22 2010年1月1日 広報うらそえ(4) (5)広報うらそえ 2010年1月1日 勢理客 74 島袋名幸キク 第11回 11 20 内間島袋ハルコテレサ 城 間 79 比嘉千代子 今回は、 先に実施した、 南米移民調査につい て報告します。 昨年度のブラジル・アルゼンチン海外移民調 査に引き続き、 今年度は、 ペルー(18人) ・ボリビ ア(5人) ・ブラジル(10人)の3カ国で計33名 から聞取調査を実施しました。平成21年9月 11日から9月30日までの20日間、 浦添市移民 史編集委員の島袋伸三調査員と編集事務局の 前津政廣(図書館奉仕係主査)の2人で聞取調 査をしました。 93 16 17 出身地 年齢 氏 名 出身地 年齢 氏 名 仲 西 93 又吉義雄 浦添市移民史便り 2.4
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