『永遠の腕が下に』(原稿) 申命記 33章26∼27節 「昔よりの神は、住む家

November 09, 2013 永遠の腕が下に(原稿)
2013/11/10 泉キリスト教会礼拝
『永遠の腕が下に』(原稿) 申命記 33章26∼27節
「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」(申命記33章27節前半)
はじめに. 私たちが神のもとに来るまで、私たちの魂は当てどのない遍歴をしていました。
さまよっていました。住む家、すみかを持っていませんでした。「ホームレス」だ
ったのです。私たちの魂は、まるで、浮浪者のように、飢え、渇き、寒さに震えて
いました。私たちは、放浪者のように、当てのない旅を続け、空しく、わびしい、
無意味な人生を送って来ました。私たちの心は、いよいよ、すさび、また一層、ひ
ねくれてくるだけでした。
私たちは「すみか」を持っていなかったのです。心が安らぎ、くつろぐことの出
来るすみかを求めていたのですが、得られませんでした。そこを一生のすみかと思
い、心に決めた処が、結局は、仮の宿にしか過ぎなかったことを、年を取ってから
知らされ、呆然自失する人も少なくないのです。
私たちが、自分で、どんなに努力し、励んでみても、結局のところ、私たちは期
待も空しく、裏切られて行くだけでした。
神を無視して生きるとき、私たち人間は皆、遅かれ早かれ、自分が「ホームレ
ス」であることを、思い知らされることになるのです。
現代社会には、住む家があっても、心がホームレスの状態にある人々が、何と多
くいることでしょうか。失意と孤独の中に空しく生きている方々が多くおられるの
です。しかし、キリストによって神の愛を知らされた私たちは、もや孤独ではあり
ません。今年もはや11月半ばに近くなった今朝も、神のみことばを聞き、決して、
私たちを失望に終らせることをなさらない御方に、さらに依り頼みたく存じます。
(一)「昔よりの神は、住む家。」(申命記33章27節前半)
→申命記33章27節前半
昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。
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類語→
詩
90:1、91:9
原文のへブル語本文では、「住む家」という語がはじめに置かれ、強調されてい
ます。ですから、「住む家は、昔よりの神。」あるいは、「住む家です。昔よりの
神は、」とした方が、原文の意味をよりよく表現出来るのではないでしょうか。
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ところで、ここで「住む家」と訳されているヘプル語 は、興味深いこと
に、ヨブ記38章40節,アモス書3章4節などでは、ライオンなど野獣が住みついて
ている「洞穴」や「ねぐら」を指す語として用いられています。
神のみもとは、くつろげる所なのです。肩の凝る所ではありません。ヨソ行きの
場所ではありません。そこは、一年365日のふだんの住いなのです。ふだん着で
おれる所です。神のみもとは、遠慮なく、仕事着で出入りが出来るところです。そ
こは、私たちの日常生活のすべてを持ち出して行ける所です。そこに、私たちは生
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活の確かな基盤を置くことができるのです。その住み家において、私たちは、
日々、新らしく力を得ることが出来るのです。そういう意味で、神はあなたの住み
家であられるのです。
しかも、私たちの神さまは、永遠の昔からの神さまです。あなたが若いときも、
また、年老いたときも、あなたの神さまは、あなたの住み家なのです。あなたがこ
の世を去るときも、なお、神はあなたの住み家です。救い主キリストに信頼するあ
なたを、神は決して、失望に終わらせることはなさいません。いえ、むしろ、あな
たがこの世を去るそのときにこそ、神があなたの住み家であることの幸いを、一
層、はっきり、確認させて下さることでしょう。
だから、モーセは、臨終に際して、「昔よりの神は、住む家。」と喜び、感謝し
て、歌ったのです。また、詩篇90篇1節においては、
「主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まいです。」と、主に賛美をささげ
ているのです。
<参考>→詩篇91篇9節
「それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、
あなたの住まいとしたからである。 (二)「永遠の腕が下に。」(申命記 33章27節前半)
→申命記 33章27節前半
昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。
ここで、「永遠の腕」であると言われてる神の腕について、旧約聖書の他の
箇所で言われていることを二つ、三つ、学んでみましょう。
①神は、その御腕で世界を統べ治めておられます。
→イザヤ書40章10節前半
「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。」
②神は、その御腕で私たちを強くして下さり、救いを得させて下さいます。
→詩篇89篇21節後半 わたしの腕もまた彼を強くしよう。
→詩篇44篇3節 彼らは、自分の剣によって地を得たのではなく、
自分の腕が彼らを救ったのでもありません。
ただあなたの右の手、あなたの腕、
あなたの御顔の光が、そうしたのです。
あなたが彼らを愛されたからです。
③神の腕は、現実的であり、日常的です。
→イザヤ書33章2節後半
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朝ごとに、私たちの腕となり、
苦難の時の私たちの救いとなってください。
このように、旧約時代の預言者イザヤが祈っていますが、主は、朝ごとに私たち
の腕となり、日常の生活の中で、私たちの力となり、救いとなってさるのです。
④しかも、その神の腕は、私たちの下にあるのです。
「永遠の腕が下に。」
恵みから洩れ、こぼれ落ち、脱落しそうな者をも、神はその御腕をもって下から
守り支え、抱きかかえ、また、背負ってくださるのです。
新約聖書のへブル書13章5節後半において、「わたしは決してあなたを離れず、ま
た、あなたを捨てない。」と仰せている御方が、その永遠の御腕をあなたの下に差
し伸べ、あなたを守り支えて下さっているのです。
旧約聖書のホセア11章8節には、主の御腕に抱かれ、育てられ、教えられなが
ら、背信の罪を犯し続けてきた、神の民イスラエルに対する神の愛が熱っぽく語ら
れています。
「エフライムよ。わたしはどうして あなたを引き渡すことができようか。
イスラエルよ。どうして あなたを見捨てることができようか。・・・・
わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」
このような熱い愛をもって、私たちを愛し続けて下さっている神が、フラフラし
たり、モタモクしている私たち一人一人の下に、その永遠の御腕を差し伸べ、守り
支えて下さっているのです。私たちは、しばしば、頑なになり、自分に罪があるこ
とを認めようとせず、なかなか、悔い改めようとしないでいることもある者です
が、神のこの熱い愛に触れさせていただき、熱心になって、悔い改めましょう。主
は熱い愛と変ることのない真実をもって、私たちを追って下さり、時には追いつめ
てくださり、私たちを主の恵みの道に連れ戻してくださるお方です。
<参考>→詩篇23篇6節前半
まことに、私のいのちの日の限り、
いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
⑤神の腕は、勝利を得させてくださる。
→申命記33章27節後半
昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。
あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ。』と命じた。
→ヨハネの福音書16彰33節後半
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです。
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むすび.
あなたの下には、永遠の腕が差し伸べられているのです。
→申命記33章1節を御覧になればわかるように、モーセはその生涯を終えるに当
たつて、イスラエルの民たちに、祝福のことばを与えたのでした。今朝、学んで参
りました33章27節のみことばも、その中の一節です。
モーセは生涯を通じて、主のみことばによって生かされ、導かれ、昔よりの神を
自分の住み家として来ました。だから、人々にも、この昔よりの神をあなたの住み
家としなさい、と訴えているのです。モーセは、危険の中を通り、困難のうちを行
くとき、恐れと不安の中で激しくその信仰を揺さぶられるときに、主のみことばに
よって教えられ、自分を下から支えていてくださる御方の御腕があることを知らさ
れて来ました。だから、彼は感謝と確信をもって、下には永遠の腕がある、と語っ
ているのです。
私たちのような者にも、下から支えていて下さる御方の御腕があるのですから、
主に感謝と賛美をささげようではありませんか。そして最後の勝利を信じ、信仰と
希望と愛をもって、喜びつつ進ませていただきましょう。
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