食虫植物で見られる隔離分布 東京都 日本には食虫植物といえるもの 2科 4属 小宮定志 分布するカラフ↑ムシトリスミレの変穏 2 1種 3白然交自己種が自生している。 l l Pち 、 ( P . l Y i l l o s aL .v a r .mmo 却 ( M i y o s hi )Tamura) モウセンコケ科に 2属 7穂 2自然交!i l l t 、 ¥ l < と見なした。 P i l l g u i c u ! a属の分類を体系つ 4種 1自然交配 そして、タヌキモ科に 2属 1 asper( 19 6 2 )は、花冠の形態からヨー けた C 種が知られている o これらの内、日本固有 ロッパとヒマラヤに分布する P . a ! p i u aL のものはコウシンソウとフサタヌキモの 2 及びシベリアからサハリンに分布するマノレ 種のみである。これら 2穏に加えて、コウ P .v a円 e g α , l aT u r c z . )と ノマムシトリスミレ ( シンソウと同属のムシトリスミレ及び北海 近縁とみなし l 司じ M icranthus節に分類し 道に関連のあるムラサキミミカキグサとホ asper( 19 6 3、1 9 6 6 )は P .a伊l1la た。その後 C ザキノミミカキグサの分布について考察す を切り離して閑有の節をたて、また I そv i l る 。 ! o s aは別の耳石属として離して区別した。そ .v a r i e g a l aがコウシンソウと最も i l r して、 P 縁であるとした。つまり、小宮・柴田 ( 1 9 9 8 ) 1.コウシンソウの分布 コウシンソウは栃木県足尾の庚申山(標 がサハリンで P . v a 円e g a l aを採集して精査 高1, 8 9 2m)と H光山塊の数カ所、そして、 するまではコウシンソウが同種の変種ない 群馬県j~~ の袈裟丸i1J(標高 1 , 961 m )に極く 少数分布するのみである。:fE 柄が 2-3分 し亜種であるとさえ考えられていた。 サハリンの自生地(船泊山、北緯 4 9度 4 3 岐 し て (3分岐するものは、 2分岐を 2段 分5 7、東経 1 4 4度 0 6分 3 4、様高 3 4 3 1 1 1、俗 繰り返したもの、図 1、 上 9)それぞれの 称・)11島山)では、泥炭の地面に群塊を形 先端に 1花ずつを同時に咲かせること(他 成して生育する。 1個休はコウシンソウよ のP i n g l l i C/l! a属はすべて単性花序)、はほ り 小 さ し 細 長 い 1本の花柄を伸ばし単性 垂直な岩壁にへばり付き葉面から水分を l 吸 花序をつける。業身はほぼ円形、葉柄の付 収して生育するなど特異な性質をもつこと 根は鞘を形成して筒状に束なり、根との聞 などて。際立っている(凶 1、上)。発見者の に数枚の微小な鱗片葉をつける。花冠上唇 三好学 ( 1 8 9 0 ) はムシトリスミレとは明ら の切れ込みが深い、下唇は短く黄色J ) lが丸 かに別穏だと判断して、直ちに新種 P in くて中央にある。花柄に巨大な(顕微鏡レ i y o s h iを記載した。出村 g l l i c l l ! ammosaM ベ Jレではあるが)有柄腺(図 1、下 1 3 )が 道夫 ( 1 9 5 3 ) は、花柄に腺毛が密生するこ 生えており、専は 5裂して放射状に配列す とでヨーロッパからシベリア、サハリンに る(凶 1、下) (コウシンソウでは前 3後ろ 一7 可 思 略 目1 ? 7 9 13 図1.(上)コウシンソウ P i J 1 g u i c u ! ar a 川 o s a 1.植物体全形、 x2/3 2葉 、 x2/3 3 花町側阿 4.花町上凶 いすれも x8 7 性副を開いた雌しべ、 x1 0 8、 9 .i E 柄円分蚊、 x5 51E の下面 6 .雌しべと雄しべ、 ( 下)7 ノレパムシトリスミレ P i J l g u i c l l l a叩 r i e g a f a L 2白植物体全形、 X3/5 3-5 等 6 雄しべ 7 .雌しべ 8 花の側面 9 切り聞いた花 1 0 花わム可 1 1.花町下両 1 2 葉 樹 叫Lなって鞘となり花柄円付棋を包む、担との聞に鱗片が付( (鞘の部分は地下 に潜る 1 3 花柄に生える有柄服、 x2 0 0 1 4 葉耐をもっ葉 3-12、 1 . ' いずれも x4 8~' 北方山草 2 2( 2 0 0 5 ) 2に分かれる)。染色体数は 211=64 (Zhu と高知県の境に位置する石立山(標高 kovaa l l c lTikhollova1 9 7 1 ;S t e i g e r1 9 81 ) 1, 7 0 8m) の標高 1, 5 0 0m から山頂に至る でムシトリスミレ ( P .macrocerasL il l k )と 石灰岩の岩壁でムシトリスミレが発見され 同数である。コウシンソウは 2 1 1 1 8(Yo. た こ と で 、 隔 離 分 イf jが 話 題 と な っ た shimura1 9 7 3 ) で大きく異なっている。因 (Yamallal 日 1 9 5 3 )。実は、遥か以前 1 8 8 8年 みに P .a l t i l l(l 211=32;P . v i l l o s a211=16で に三好学は「四国地 ) J; f j f i 物採集旅行の形 i i l J ある。結論として、コウシンソウの類縁種 にホ石鎚山ニもうせんごけ をヰ与定できず、 コウシンソウカ司君レベルで ( P i l 1 g u i c u l a )モ生ズノレヲ見タリ。と記録し DNA調査な ていたが、その後絶滅したため人々の記憶 二 孤立していると考えられる。 . . . y . .牛 脂 草 から忘れ去られていた。石鎚山よりは東寄 ど更なる再検討が望まれる。 りに位置する石立 1 1 1ではあるが、 i 豆か本州 2.ムシトリスミレの分布 中部から隔たる四国で再発見された事は大 ムシトリスミレの学名として、昔 P .v u l 変重要な怠義がある。我々はそれら 2点を gω i sL または P .v u l g a r i sL .var .lIIa c r o c e r a s 繋ぐ間にまだ未発見のムシトリスミレ自生 ( L il l k )H e r c l e rが当てられていたが、ヨ一 地があるのではないかと ロツ 中して、 1 9 9 2年清水達夫と中西務が三重県 d 虫 g 詐 主u 訂 t げy 円 川 f 目S とは花冠 1 形跨態の違いで亜種または 1 犯 独 l 飯高町│口蓮(ハチス)部落の 1 1 1奥でムシト 立 椅 種 今P . 司川σ 町C 口P 叩ο 町C 印e n 沼として灰別きれるよう リスミレの群落を発見した。何千年も人目 になつた(に Ca叩 s pe 白r凶 1 9 6 ω 6 :小宮 l 凶9 9 4 ω )。この に触れず生き継いてきた大株が多数の花杯j ムシトリスミレは北米の中南部から北西 を持ち上げて見事な花を咲き誇っていた。 部、アラスカ南部、アリューシャン列島、 ミッシング・リンクの発見であった。 f測した。iEに的 カムチャッカ半島、千島列島を絞て H本に 1 9 6 1年に池上義信・石沢:ii!i.: I ! J ' 谷 富 男 ら まて"分布しており、サハリンでも 1カ所北 が標高僅か 200mの新潟県村松町早出般 知床岬で採集の記録がある。アラスカでは の右‘灰岩岩壁でムシトリスミレの群生を発 一部で洞積の分布がオーノミーラップしてい 見した。また能見三郎は 1 9 6 1年に秩父の武 るといわれるが、 2 0 0 0年の探査では確認で 甲山(標高 1,3 2 0m) で 、 1 9 6 5年頃には大 きなかった(小宮・外 1 1 1.械松 2 0 0 0 ) 0 滝村の中津川渓谷魔羅振岩(様高 8 0 0 1 1 1 )で ムシトリスミレの日本における分布の詳 もムシトリスミレを発見して、首都聞にも 2)。永 分布することを明らかにした。更に 1 9 8 0年 らく雨アルプス戸台河原の自生地が南波と 片桐義昭が早出渓谷に近い杉川渓谷の標高 され、本州の中古川lIi 在地帯から北の亜高山 1 4 0 1 1 1という最低地での自生を発見した。 帝以上に内生する高 1 1 1植物の 1貝として扱 こうして、北方系の寒地位一植物または高 1 1 1 われてきた。ところが、第 2次世界大戦後 植物と考えられていた概念が崩れ、低山地 の1 9 5 2年山中二男によって問国の徳島県 帯での自生地が次々と知られるようになっ 細が近年急速に明らかにされた(図 -9 た 。 1 9 9 7年武藤道ーが i 岐阜県板 尾村の標高 6 0 0 1 1 1地点で、 1 9 9 9 年には長屋康郎か、板取村の様高 6 5 0 1 1 1j也点でムシトリスミレを Distribution map of P孟nguicula macroceras 発見した。この岡地点(中部山 告における南限となる)は明神 山の西壁と東日主に当る処で、ま たもや中部山岳と紀伊半島・四 国とを結ぶミッシング・リンク の 1つが判明したことになる。 臼本におけるムシトリスミレ の分布(図 2) を見渡す時、本 種が氷河期に広〈日本全国をカ ノ〈ーして分布していたことが想 像できる(九州は除< ?) 氷河 0 期が終わり地球温暖化に伴って 次第に北返し、高山とか石灰岩 や蛇紋 T I 地帯に逃避したものが 図 2 ムシトリスミレ P i n g u i c u l am a c r o c e r a sの分布 i 童存し、点々と隔離分布するよ 平 l iする同有種である o うになったと祢 J 則でトきる。 秋田市を北限として 秋田、 1 1 1形、宮城、新潟、富山、静岡、愛 3.フサタヌキモの分布 知、三重、滋賀、京都、大阪、奈良、和歌 ブサタヌキモ ( U t r i c l I/ a r i ad i m 0 1 P l w n - 山、兵庫、広島の各県に点々と出現しては v Ia k i n o )は、日本間有種として 1 9 0 6年 t l z al 絶滅することを繰り返えす奇妙な分布を示 牧野富太郎によって記載された。業上に付 してきた。自生地そのものの消滅または水 〈告1i虫嚢が極端に少なく、花茎や分校の基 質の恕化などによって絶滅し易いデリケー !な水草ときえ考えられていた。 脚音¥ 1 に閉鎖花(巣)をつける特徴を持つ。 花茎に鱗 J ' ,葉をつけない点でノタヌキモ 1 9 9 0年頃新潟県西山町と兵庫県加古川 Lour.)と近縁である。 閉鎖花を 市の自生地で絶滅が確認され、これで本種 w . 仰向。 。 つける点では北米産 U .g e m i n i s c a ρ Benj の自生地は全滅したかに思われた。ところ や混帯域に広〈分布するミミカキグサの I が 、 1 9 8 8年土屋守が岩手県計泉町 k透谷で 種 U .s l Ib l l / a t aL.などが引き合いに出きれ 採集した標本記録を頼りに周辺を探査した るが、いずれも類縁関係を見出せない。つ 結果、 1 9 9 4年小宮が平泉町中尊寺境内の池 まりフサタヌキモは日本にのみ孤立して分 でフサタヌキモが自生することを確認し -10 1 1草 2 2( 2 0 0 5 ) 北方 1 た。続いて 1 9 9 9年{主々木喜久が秋田県横手 サ類(1笹生タヌキモ属)は 1 8 0積ほどが知 市左南外村の幾つかの湖沼でブサタヌキモ られているが、日本には 4穏を産するのみ が県践することを調査して、忠、わぬ東北地 である。ヒメミミカ寺グサ ( U .m u l l lt i s s u l 1a 方の Vahl)はインド、マレーシア、インドシナ 画に自生地が確保されていることを 明らかにした(小汚・上野・保々木 1 9 9 9 )。 半島、中国、オーストラリアまで広く分布 ほぼ同時期 1 9 9 8年に長谷川康雄らによっ するが、日本では伊勢湾周辺の数カ所にし て新潟県三和村にも自生地が確認されてい か自生しない。牧野富太郎 ( 1 9 0 6 ) は日本 た。こうしてフサタヌキモは絶検すること 固有種とみなして U . nIttonica Makino なしまだ各地で健在であることが立証さ と命名したが、 K omiya& S h i b a t a( 1 9 8 0 ) れた。 が 元来、ノJ ' ,生植物や i 早生植物では水禽類に u . 川 i l l l lt i s si 1 J laのシノニムとした。黄色 い花を咲かせるミミカキグサ ( u .b i / i d a よって容易に遠)Jへ運ばれる、 1 青調、切れ L.)は青森県津軽半島木造町の平滝沼を北 藻'現象による隔離分布が知られている。 阪として日本に広〈分布する。そして、ム ムラサキミミカキグサの北海道への分布と ラサキミミカキクサ か、ナえfパノモウセンコゃケのハワイ・カウ ( u .IIligi1losaVahl ) とホザキノミミカキタサ ( u .caeru/eaL.) アイ島への隔離分布がいずれも渡り鳥に の 2種が北海道にまで分布を広げている。 よって種子が運ばれたものであることが分 ムラサキミミカキグサが北海道に自生す かっている。後者の例では、アラスカやカ るという記録は占〈、 1 8 8 4年刊行の汚部金 ムチャツヌうからノンストップで飛来するチ 吾「北海道植物誌J(開拓使版「北海道志 2 4 J ドリ科のムナグロによって運ばれたことが 3 4巻)にラテン名は記きれていないが、、ム 百正明されている。しかも、ブ吋タヌキモの ラサキミミカキタサ幌内辺谷地ニ生ズグと 場合決して水質に敏感でいデリケートな水草 書かれている。つまり長万部町静狩湿原で ではない。むしろ、幾分富栄養の池沼を好 採集したという記録であるが、その様本は み大7 1 1 lに生長して盛んに分校して増殖し、 紛失された。 1 9 5 1年舘脇操が当地で採集し 忽ち池沼の水面を覆い尽くすほどに繁茂し た標本が残されたのみで、その後の確認が てしまう税である。布i l 虫嚢が殆ど無いため なく、静狩湿原そのものが天然記念物指定 光合成と葉表耐からの栄養塩類の吸収が盛 を解除されるなど、湿原と共に既に消滅し んで、クロモなどと変わらない生産量を示 てしまったものと考えられていた す。当然、切れ藻グによる遠方への隔離分 (Komiya&S h i b a t a1 9 8 0 )。石狩平野でも 布を可能にする。 多くの i 日原にムラサ寺ミミカ寺グサの内生 が知られていた。 1 8 8 8年 F a u r i eが札幌郊 4.ムラサキミミカキグサとホザキノミミ 外で採集して以来、 1 9 1 8年ー丁藤村1舜が江別 カキグサの分布 市対Ifffiで採集した標本までが残きれている 本来熱帯から l 段帯に分布するミミカキク が、その後全く記録がなくなった。ところ ← 1 1一ー がとんでもない所から北海道のムラサキミ 残存するのが 1 9 9 8年外山雅寛と勝俣貝伊 ミカキグサ内生地が再発見きれた。 1 9 8 2年 によって石在Z Eきhている(/)、白;2 0 0 3 )。 滝田謙譲が釧路湿原の i E 根内で本種を採集 これら 2種のミミカキグサが北海道にま したのである。これがきっかけとなり、 1 9 8 3 で北ヒ分布する現象は、実は大陸東海岸沿 年外山雅寛によって新篠津湿原で発見き いに見られる一般的な梢物分布の特徴でも れ、そして、 1984 年には静狩i~JJ;( でも再確 ある。太平洋の黒潮によって暖気が送り込 認された。更に 1 9 8 5年には江別市東野械と まれること、そして、東海岸沿いを経由す 9 8 6年には勇払平野 月形町月ケ湖湿原で、 1 る渡り鳥の通り道となっているため、暖j也 の弁天沼と柏原東湿原でもムラサキミミカ 性の組物が意外な北上分布を示しているの キグサの自生を発見し、北海道にもかなり である。出1路市は日本で平均気視が最低と 広範に分布することを明らかにした。弁天 いわれる。しかし、事1路混原温根内の黒い 沼、柏原東湿版、静狩湿原では白花品のシ 0 ' Cに 泥炭地では 8月中旬の日中地表は 4 ロノ〈ナミミ力キグサ(【1 .u! i g i l l o s aVahlf も上昇する。北米大│接東海岸にはミミカキ a ! b i d a( M a k i n o )Komiya)すら見出された クサに似て大型の 9 9 0 )。寒冷な北海道では 1年革のラ (小宮 1 ロリダ半島からずっと北のカナダ・ニュー イフ吋イクノレに変身して定着している。北 ハウンドランド(北緯 5 0度)に至るまで分 限の釧路湿原(北緯 4 3度)では、最も気温 布している。この分布特性も日本のムラサ の上昇する 8月中頃から開花を始めて短時 キミミカキグサのそれと全く同じであると 日のうちに結実し種子を生産して越冬に備 説明されている。 ιCOrJ/utσ ,Michxがフ (食虫植物研究会会長) える。 1 8 8 1年渡瀬寅次郎が岩見沢市腕前J ! J l ( 野 5.文献 で採集したホザキノミミカキグサの原本 (SAP)が、北海道におけるミミカキグサ類 Casper( 1 9 6 2 )R e v i s i o nd e rG a t t l l n gPin の原本では最古のものである。 1 8 9 3年小田 nE u r a s i e n .F e d d e .R e p . g u i c u ! ai 切栄三郎が当別町で、 1 9 1 8年工藤祐舜が対 H e f t1/2B d .6 6 :1~ 1 4 8 9 2 5年三木茂が再び悦向で )(@で、そして、 1 Casper( 1 9 6 3 )Gedankenz l l rG l i e d e r u n g 採集した標本が残きれているのみで、ホザ d e r Gattung P i l l g u i c u ! a L . Bot . キノミミカキグサは既に北海道てやは絶滅し J a h r b .8 2 ( 3 )・3 2 1~335. た も の と 思 わ れ て い た (Kol l 1i y a & Casper( 1 9 6 6 )Monographied e rGattung S h i b a t a1 9 8 0 )。ところが、 1 9 8 4年に外山雅 P i l l g u i c u ! aL .Bib. l Bot . Heft . 127/ 寛によって新篠津湿原で再発見された。し 1 2 8 :1~209 かしその自生地は泥炭の採集場所であっ 小宮定志 ( 1 9 8 8 ) 日本を代表する食虫植物, たため 1 9 8 6年には消滅してしまった。幸い コウシンソウ.日本の生物 近接する月形町の月ケ湖湿原に僅かながら 49~56. -12ー 2( 6 ) 北方山草 小符定志 ( 1 9 9 0 ) シロパナミミカキグサ, 高等梢物分布資料 ( 1 3 1 ) . 植物研究雑 ( 1 9 9 7 )北海道産の食虫植物. 日本歯科 大学紀要 2 6:1 5 3-1 8 8 . i V la k i n o( 1 9 0 6 )O b s e r v a t i o n sont h eF l o r a 誌6 5( 6 ):1 8 5 . 小宮定志 ( 1 9 9 4 ) 食虫植物,その不思議を 0 :9 5, 9 6 . o fJ a p a n .B o t .i V la g .Tokyo2 三好学 ( 1 8 8 8 ) 四国地方植物採集旅行の 探る.食研事業出版. 小宮定志 ( 1 9 9 5 ) 絶滅が危倶される日本体: 食虫植物.日本商科大学紀要 2 4: 形i 兄.梢物学雑誌 2( 2 0 ):2 0 2-2 0 4 . i V li y o s h i ( 1 8 9 0 ) No t e s on P i l l g l l i cl I! a s p .novかうしんさう(新称) ramose, 139-173. 小宮定志 ( 2 0 0 3 ) 北海道における食虫植物 20:37- の現状と新産種.北方 [ [ 1草 Bot .i V la g .Tokyo4 ( 4 3 ) :315-319,t . 1 1 S t e i g e r( 1 9 9 7 )p e r s o n a lcomm 4 5 . 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