7 月 22 日 (日) 17:00 ◎25℃ 成田空港 19:45 ~ 21:20 ● 上海浦東空港 24:20 ~ 24:45 ◎22℃ 西安咸陽空港 1 日目 24:50 航空大酒店 日本では、まだ梅雨が明けず、暑くない。 翔陵高校から宅配便で送ってあった荷物を受け取る。貨物総重量 238kgだった。余裕 2kg! 成田空港第 2 ターミナルに 14:30 集合。倉見さん、重田・燕昇司の家族の見送り。 上海以降は、中国(北京)時間。日本時間より 1時間遅い。 上海では出発前飛行機内でかなり待たされた。空港出発時刻は飛行機の移動開始時刻。 西安では、ガイド・饒(ジョウ)さんが案内してくれた。 今回、ホテルの部屋割り・テント割りは、その都度、クジで決定した。 グローバルスタンダード 今回の中国登山の下見には、ぼくとK氏、I 氏の3人で昨年(2006 年)の夏に行ったのである が、そのときはインターネットで「成田発ソウル 経由ウルムチ行き」格安航空券を購入した。かな り安かったのであるが、安いせいかソウルで乗り 継ぎに8時間もあった。8時間なんにもしないで 待つのも辛いので、ぼくたちは空港を出て市内観 光をしようと考えた。市内観光をするには、一度 韓国に入国して乗り継ぎの便が出るまでに韓国 を出国しなければならない。 そこで、格安航空券を販売してくれた会社に、 それができるか問い合わせたところ、「できる」 との返事。ぼくらは、中国旅行のついでに韓国旅 行もできると楽しみにしていた。当日、成田空港 に行き搭乗手続きのついでにもう一度このこと を確認すると、搭乗手続きをした航空会社の係員 は何のためらいもなく、断定的に「この航空券で は韓国に入国できません」と言うのである。ぼく らはビックリし、「航空券を買った会社ではでき ると言われた」と、懸命に食い下がったが、「韓 国に入国できる航空券とできない航空券があり、 これはできない航空券です」と、あっさり言われ てしまった。格安航空券を買ったという負い目と、 航空会社の係員は中国人なのに日本語がとても 上手でしかもとても美人だったので、われわれは 16 16 すっかり信用してしまった。これから出発という ときに、乗り継ぎで8時間ソウルの空港でただひ たすら待つのかと思い、一気にみんな暗くなった。 ソウルに着き、乗り継ぎのため移動しようとす るとき、I氏が「乗り継ぎ時間を利用してソウル 観光を」というパンフレットを見つけた。I氏は もしかすると韓国に入国できるかもしれない、と、 ぼくたちに相談を持ちかけたが、人を信用しやす いK氏は「そんなこと、できるわけないよ」と、 取り合ってくれない。もともと疑い深いぼくは、 I氏に、「パンフレットを持ってだれかにもう一 度聞いてみよう」と提案した。片言の英語でパン フレットを配布している旅行会社の人に聞いて みると、「パンフレットのツアーの時間には間に 合わないが自分でならソウル観光はできる」との 返事。さあ大変・・・・だれを信じてよいのやら。 そこで、3人が別れていろいろな所でもう一度確 認しようということになり、3人バラバラになっ て確認をすると、全て返事は「われわれの持って いる航空券で韓国に入国でき、乗り継ぎ便に間に 合うように出国できる」とのコト。 かくして、われわれ3人は8時間、市内観光を し、焼肉をたっぷり食べ、韓国を楽しむことがで きたのでした。 教訓「情報は3回確認せよ!」がグローバルス タンダードである。(相澤) 7 月 23 日 (月) 08:00 09:30 ◎24℃ 航空大酒店 09:50 ~ 11:10 ◎ 漢陽陵博物館 11:45 ~ 12:40 ◎ 西安咸陽空港 2日目 16:00 ~ 16:20 ◎30℃ ウルムチ空港 16:40 ◎ 独山子大酒店(Dushanzi Hotel) 最初の 8:00 は朝食の開始時刻。以降 7/25 まで同様。 漢陽陵博物館は、漢の4代景帝の陵墓の発掘現場。ここにも兵馬俑がある。 成田→上海は中国東方航空、上海→西安→ウルムチは中国南方航空。 ウルムチ空港で、ガイド李(リー)さんと合流。李さんは、最終日の西安まで同行。 今回、おおよそ、街中での移動は40人乗りバス。登山口・都市間はマイクロバス。 宿泊したホテルは西安以外は3ツ星。設備は標準的だが、水道等の管理がいまひとつ。 ホテル到着後、全員 1 人1万円→603元に両替。後日、必要に応じ各自両替。 夕食は、隣の翼龍大酒店のレストランで中華料理。 国際都市ウルムチ ウルムチの街を歩いていると、「韓国人か」と 聞かれることがあった。百盛百貨店の「百盛」を 「ペクソン」と読んでいるが、これは韓国読み。 中国読みならば「パイチョン」のはずで、この店 は韓国資本だと考えられる。また、中心部の地下 街に「辰野」という店名の一角があり、 「タツノ」 と読ませている。これは日本資本だ。市街地の北 部は漢民族が多く、南門以南の南部にはバザール があり、ウイグル族などイスラム教徒の街だ。南 門下の地下商店街は東京のアメ横のような庶民 的な店がひしめき、スカーフを着けた婦人が多い。 このように新疆の首都ウルムチは多種多様な外 国文化が流入し、渾然一体、活況を呈している。 (中坪) 17 17 ウルムチの“百盛百貨店” “百盛百貨店”での買出しで、モチがさがせず、 女店員さんに漢字で「餅」と書いて見せた。走っ て持ってきてくれたのはお菓子のセンベイだっ た。次に「白餅」と書いたら、やはりお菓子など いろいろな品が目の前に出されもしたが、やっと、 求めていた真空パックの薄切りモチに出会えた。 その間、何人もの女店員さんが笑顔で右往左往し てさがしてくれ、その親切に感激した。それにつ けても、店員さんが何と多いことか!ところで、 中国のスーパーマーケットでは、店内に袋を持ち 込むことはできない。入り口に監視員がいて、カ ギ付のロッカーにバッグや袋は入れてから入場 となる。レジを終わって品物を持って、出る際に もレシートと品物をチェックされた。それだけ万 引きが多いということだろうか?(松井) 7 月 24 日 (火) 08:00 10:00 ◎26℃ 独山子大酒店 10:15 ~ 13:05 ◎ PARKSON Center(デパート) 13:20 ~ 14:25 ○35℃ 新山城レストラン 3日目 14:35 ~ 16:00 ○ 独山子大酒店 16:05 ~ 18:15 ○ 新疆ウイグル自治区博物館 18:20 ~ 19:20 ○28℃ 独山子大酒店 19:35 ~ 20:45 ○ 大得酒店(中華レストラン) 21:00 ○ 独山子大酒店 湿度が低く、高温でも、すがすがしい。日陰に入れば快適である。 デパートの地下で買出し後、ホテルに帰って食料荷分け。食料係が頑張った。 馬に運ばせる荷物(ガラ袋 19+プラ樽 2)を 20kg に統一し、各自のトレッキングザックは軽量とした。 市内のタクシーは6元~、バスは1路線1元。 <玉石混交>の記 その1 ウルムチの新疆博物館を見学に行ったときの こと。売店の陳列ケースに置かれていた数珠に目 を止めたところ、見込みありとみてとったのであ ろうか、女店員が傍らにやってきて執拗にわたし に付きまとい、「不要」と言ってもいっこうにひ るまない。あまりのしつこさに根負けしてとうと う大枚をはたいて購入する破目になってしまっ た。しかもこちらが買ったと決まったらご念が入 っていて、安くしたんだからお礼に何を呉れる? ときた。最近読んだ小説中に、父の形見の“何か の木の実にこまかな細工のほどこされた男物”の 数珠を持った副主人公が描かれていたが、わたし の手にしたそれは“石”。一つ一つの珠には人の 顔形が彫られているのだが、その顔たるや、仏顔 なのかそれとも辺境の民のそれでもあるのかい っこう定かでない上に、この珠が“玉”の類なの かありきたりの“石”なのか、これまた不確かな のである。とりあえず李さんに肩代りしてもらっ て支払い、翌日中国銀行に出向いて換金に及んで みれば、3%の手数料を取られただけでなく、帰 国後に届いたカード会社からの請求書を見れば、 18 17 日割り計算の利子が上乗せされている始 末。そんなこととは露知らずにいた自らの 愚かさこそとんだお笑い種だった。自分自 身への土産物にするつもりで買ったこの 数珠、果たして本物か偽物か?まがい物と わかることの怖さに、今もって置きっぱな しにしたままだが、一品としては恐らく隊 員中最高額を投じたこの買物。交渉に長け たI氏やT氏よろしく、いっそのこともっ とうんと値切るべきだったと悔やむこと しきり。“自己中”の報いで自業自得とい ったところか。なお、孫娘には天山の“石” に加えてトルファンで、水晶に観音像を彫 りつけたお守りを。これもかなり高額だっ. たが、まず本物まちがいなしと見てよかろう。 (重田) 買い物失敗談 その1 現地調達の食料品を買いに行ったスーパーで のこと。一角にテルモスが高級品然と並んでいた。 容量は多種。ボトルに日本語のラベルが貼ってあ る。「品質保証」「広口で注ぎやすい」「抗菌」… などなど。見慣れたコピーと 500ml40 元(約 640 円)の安さから迷わず購入。ホテルに戻り、さっ そく湯を沸かして持参の台湾産烏龍茶をこしら える。ところが変だ。キャップで 3 杯も飲むと無 くなる。しかもボトルの表面が熱い。もう一度湯 を入れ…。その夜、雑貨屋の「偵察」から帰って きた T 氏と N 氏が笑い転げている。しばらく焦ら された後で笑いの種明かしが。例のテルモスが雑 貨屋では 10 元で売られていたとのこと。デジカ メの画面にもはっきり 10 元の文字。表面が熱か ったテルモスの中身は冷たく、容量も 300ml ほど。 早計な購入に思わずがっくり。「ウルムチで日本 語」はまず怪しいと思わなければいけなかった。 (小清水) 7 月 25 日 (水) 08:30 12:00 ◎ 独山子大酒店(800m) 12:15 ~ 13:25 ①28℃ 国際バザール 13:35 ~ 15:35 ① 城市大酒店内レストラン 4日目 16:40 ~ 16:50 ○32℃ 天池 IC 近くの休憩所 17:25 ~ 17:30 ○ 天池入口ゲート 17:35 ~ 17:50 ○ 天池下ターミナル 18:10 ~ 20:10 ◎26℃ 天池・地元料理レストラン(1900m) 20:25 ~ 20:30 ○ 天池南岸 21:00 ①24℃ 海南 パスポート等貴重品とデポ荷物をホテルに預け、ガラ袋等をマイクロバスに積み込み、出発。 国際バザール(イスラムの市場)では、土産の買い物等。 天池では、夕食 19:00~19:40 の後、船への荷物積み込み等。時間がかかった。 天池南岸では馬に乗って川を渡り、海南の2つのパオに宿泊。 水事情その1 当然、水道や沢の生水は飲用出来ない。乾燥し ているので行動中に PET ボトル(500ml)の水を最 低 1 日1本は飲んだ。PET ボトルは1元ほどで街 中の至る所で売っていた。山中では、コックが毎 朝 1 本ずつランチといっしょに配ってくれた。 BC より先では、ウルムチで水筒として購入したスポ ーツ飲料の PET ボトルに、朝作ったお茶を入れ て持参したこともあった。朝夕は、ホテルでは当 然お茶やビールのがぶ飲みだが、山中ではコック が大きなヤカンに沸かしてくれた湯を蓋付きス テンレスカップ(これはコックが用意してくれた 食器。料理を出してくれる皿と同じ扱いで、沢の 水ですすぐだけなのだが大丈夫だったのだろう か?)で飲んだ。お茶の葉を一つまみカップに入 れ、少し冷めてから蓋をずらして飲むのがコツで ある。ところで、ヤカンの湯はテントの近くを流 れる沢の水を無造作にすくって沸かすだけなの で、お茶にしないと濁っているし何かの味がする。 だれもそこでは話題にしなかったけど…。 (岩本) 19 3 7 月 26 日 (木) 07:00 09:25 08:40 ○12℃ 海南(1900m) ~ 10:20 ○15℃ 大冬河(ダートンゴー)との分岐(2000m) 18:00 頃 ○18℃ BC(ベースキャンプ、3450m) 5日目 最初の 7:00 は、起床時刻。以降 8/4 まで同様の記述。 大冬河分岐とベースキャンプの間は、各自のペースで進む。 行動中は、終始快晴、気温 20℃程度。日差しは強いが、さわやか。 トイレ事情 空港やホテルはこの 10~20 年に建てられたも のなので、日本と変わらない水洗トイレがあり、 繁華街に有料公衆トイレ BOX のあるのがちょっ と変わっているかな程度だったが、いったん町を 離れると様子が変わった。海南(天池南岸のカザ フ族の集落)や自動車道路のサービスエリアのト イレは腰の高さの仕切りがあるだけで、使うには 多少の勇気が必要だった。おそらく、あと数年で これらは昔話になるのではなかろうか。 さて、山中では、BC のテントから半径数十m の岩陰で各自が勝手に1日数回?事に及んだが、 済んでみると不潔な感じは無かった。なぜか?空 気が非常に乾いているので、数日経つと巨大な馬 糞も乾いて土と同化してしまう。使ったトイレッ トペーパーをゴミとして持ち帰れば OK である。 20 3 BC 撤収が近くなったころ、カラカラになったペ ーパーを集めてまわったので、今、現地に痕跡は ないだろう。ところで下見の経験から、下痢がひ どいと局部が荒れたりペーパーを浪費したりし 易いので、おしり拭き用スプレーを持参して事前 に吹きつけることを勧めた。 ACでは、氷河上、テント近くの大岩の陰に水 流があったので、そこに足場を掘ってトイレにし た。いつも水が流れているので、事後に局部を水 で洗い流せばOK。手は冷たいが、不思議にお尻 は冷たく感じない。難を言えば、朝方は水流が弱 いので大きなブツは流れ下ってくれないこと。個 人的には、水で洗えたこのトイレがいちばん快適 だった。隊長のトイレ用タオルを、丁寧に絞って テントの横に干してしまったのはご愛嬌だった。 (岩本) 7 月 27 日 06:30 10:00 ○10℃ BC(3450m) (金) 10:20 ○ サイドモレーン取付き点 10:40 ~ 10:50 ○14℃ 渡渉点(3300m) 6日目 11:10 ○ 氷河の舌端(3500m・アイゼン装着) 12:10 ○10℃ 氷河の落ち口(3600m) 12:45 ~ 13:05 ○ 雪原下部(3700m) 14:05 ~ 15:00 ○10℃ AC(アタックキャンプ、3800m) 15:50 ~ 16:00 ○ 氷河の舌端 16:40 ~ 17:00 ○ サイドモレーン上 17:30 ○ BC 本日は、高度順化と荷揚げを兼ねて、ACまで往復。 重田と宅見は、体調不良のため、ベースキャンプ周辺を散策。 ACにはテントを1つ張り、中に登攀用具等をデポ。鳥に荒される可能性があるので食料は置かず。 登りの渡渉点では、水量が少なく跨いで渡れたが、下山時は水量が多かったため、氷河舌端から サイドモレーン上へ、右岸をトラバース。 氷河の落ち口では、中央部はクレバスが広く、右岸方向へ大きく迂回して通過。 トレッキング中の食事 まずは、昨年の下見での話から。現地コックの 蔡さんが、海南のパオでの夕食に出してくれたの は羊肉の炒め物から始まった中華料理の数々。こ れが旨い!ウルムチの夜店のシシカバブーをは じめ、料理に大満足のわれわれだったが、翌朝か らどうも腹の調子が怪しい。BC へ入るトレッキ ング中に食べたランチは、直径 30cm の堅い中国 パンに女性の握りこぶし大の燻製ハムとゆで卵。 初めは「贅沢だ」と思ったが、翌日からもハムが ソーセージに変わるだけであとは同じ。BC2泊 めのころには、3人ともげっそりして料理が喉を 通らなくなった。蔡さんの料理を見てみると、揚 げ物を作るのかと思うほどの多量の油の中に、何 でも入れて炒めてしまう。われわれがろくに食え ないのを尻目に、現地の馬方たちの旨そうによく 食べることといったら…。結局、われわれを支え たエネルギー源は、試しに日本から持参したα米 パックと、「油少なく」とオーダーしたトマトと 卵の炒め物、そしてお粥だった。あえて現地食中 心で行動してみようと考えたのが、食の冒険とな った。 なお下山後、お腹に余力があったAとIは、一 人前 22 元のざるそば、18 元のサンマの塩焼きを ひとり寂しく食べるKをホテルに残し、本格中華 の店に挑戦したが、唐辛子マーク1つ(つまり最 も辛くない)の品でさえ、皿の四分の一を占める 赤い物体に敗退した。それでもAは、「だから海 外登山は最高だ」と言うが…。(岩本) ============================================ 7 月 28 日 (土) ●8℃ BC ACへ移動の予定であったが、前日夜半から風雨が激しく(夜は雪)、夜が明けてからも 霧が濃くて時々小雨の天候であったため、停滞とする。 スゲーェ ベースキャンプでの出来事。お湯をもらいに食 事テントに行くと、もう馬方たちが寝る支度をし ていた。ちょうど目が合った馬方が私を呼ぶので、 彼が寝ているところに行ってみた。彼は自分の下 に敷いている羊の毛皮を見せたかったようだ。裏 をめくって一枚皮であることを自慢している。確 かに毛並みのいい毛皮だったので、「おー、スゲ ーェ」と言ったところ、テント内でバカ受けした。 みんな口々に「スゲーェ」といって騒いでいる。 まあよくわからないが受けたことに気をよくし 21 17 てその日は寝た。翌日も馬方は目が合うと笑って スゲーェという。こちらも「スゲーェ」と返す。 そんなことで自分を認識してくれたことにこち らも気を良くしていた。 ところが後日、李さんがこの謎を説明してくれ て唖然―そして赤面。どうやらカザフの言葉で 「スゲーェ」はセックスを意味するらしい。寝て いる馬方の横に座って、敷いている毛皮をなでな がら「スゲーェ」と言っている自分を想像して見 て、彼らが笑った意味は充分理解できた。無知と はスゲーェ恐ろしい。(井上) 7 月 29 日 06:00 09:25 ○0℃ (日) 09:55 ~ 10:10 ○1℃ 8日目 BC サイドモレーン上 11:25 ~ 12:00 ○0℃ 12:45 ~ 13:00 ○ 氷河の舌端 氷河の落ち口 15:05 AC ○0℃ 井上・谷口のみ 06:00 08:10 09:20 ~ 09:40 10:20 ~ 10:35 11:45 ~ 12:45 14:15 14:40 14:50 16:10 17:40 ~ 14:20 ~ ~ ~ 15:10 15:35 17:45 18:15 BC モレーン上の大岩 氷河落ち口 AC 稜線 五丈岩脇 稜線 PEAK1 稜線 AC 本日は全員でACへ移動。井上と谷口は、先行して PEAK1 方面のルート工作。BC には、ガイド・コック・馬方1名が残っている。 前日夜は、雨のち雪。朝は周囲が白かった。無風で、気温のわりに日向は暖かい。 前日の雨で増水しているため、サイドモレーンのかなり上部をトラバースした。 本隊は早めにACに着けて、天気も良かったので、シュラフを干すなど、のんびりできた。 井上・谷口は、PEAK1に登頂。その直下1カ所にフィックス設置。帰着は 18 時過ぎ。 本日の夕食から持参の日本食としたので、おいしく感じる。 うん道 ACでの用足しは氷河上を流れる小川の決め た場所ですますことにした。昼には水量が増すが、 朝方には水量が少なくなる。この時に用を足すと そのままモノが残ってしまい、後から行った者は 興ざめしてしまう。そこで立ち上がったのは設備 の専門家を自称するT氏。ピッケルを振り、その 理論を語りながら「うん道」を作りはじめた。ピ ックをもってしても氷河は硬く、水流を増やすの は難しそうだったが、夜には足の置き場もしっか りした立派なものが完成した。私は早速、用を足 した。朝になって、「誰だ、こんなところで用を 322 足したヤツは!」と叫んでいる隊員がいた。その 「うん道」は最初に皆で取り決めたところより上 流だったので、決めた場所には私の立派なモノが 目前に並んでいたのだった。(松井) アミノバイタル pro 出発前にTu氏にアミノバイタル pro というサ プリメントを提供していただいた。50 包入りで 10 箱、計 500 包。金額にして約4万円。効能を 知っている人は大いに喜んだ。一人当たり 40 包 余り。ACまで持ち上げたが、結局そのほとんど を持ち帰った。食料係は、どれだけ飲む、と思っ てその全部を持っていったのだろうか?(松井) 井上・谷口のみ 7 月 30 日 (月) 06:00 08:15 AC 06:00 08:15 ○-4℃ AC(3800m) 09:25 ~ 09:50 稜線(本隊と別れる) 09:25 ~ 09:45 ○0℃ 稜線(4050m) 10:15 トラバース地点 10:25 ~ 10:40 ○ 鞍部 9日目 11:20 ~ 12:20 ○11℃ PEAK1(4200m) 11:25 ~ 12:15 PEAK2の前衛峰 15:00 ~ 15:10 稜線(本隊と合流) 13:50 ~ 15:10 ○ 稜線 15:30 AC 15:30 ○10℃ AC 井上・谷口を除く10名が、PEAK1に登頂達成。全日ほぼ無風で暖かかった。 PEAK1 の頂上は狭く、一人づつ交代で立つ。天池をはじめ、展望良好。 井上・谷口は、稜線から本隊と別れて PEAK2方面でルート工作。前衛峰から引き返した。 買い物失敗談その 2 現地調達の食料品のひとつに「缶詰の魚」があ った。フレークか煮魚を予定していたが、イメー ジどおりのものが無い。パッケージの絵は、食え るのか?と疑うような奇怪なもの。ガイドに聞い ても食べたことが無いというシロモノばかり。ま まよ、と 8 缶購入。 さて、AC でのこと。食料 計画に沿って缶詰も配給された。わたしのテント 仲間 T 氏・I 氏は缶の絵にたじろぐ。 「ほかに食べ るものもあるし、ま、様子見ということで…」と まとまり、ザックにしまう。翌朝、ほかのテント に尋ねてみると、食料担当者のテントだけが食し たとのこと。「缶の中に隙間があいている」状態 で、味は「中華料理の揚げた魚。ところが水分が ほとんどなくかなり硬い。わたしたちがイメージ する水分たっぷりでやわらかい鮭缶とはまるで 違うもの」だった。手付かずの缶は最終日、馬方 に差し上げた。彼らは喜んでくれたが、少々の罪 悪感が…。世界で最も海から遠い都市ウルムチ。 海も、その魚も見たことが無い人が多いんだろう な、と島国日本のとのギャップに感慨ひとしきり。 (小清水) 23 3 7 月 31 日 (火) 06:00 07:15 ○-4℃ AC 08:05 ~ 08:35 ○0℃ 稜線 11:00 ~ 11:20 ○ 前衛峰 10 日目 11:30 ~ 11:50 ○4℃ PEAK2(4300m 峰) 12:00 ~ 12:30 ○8℃ 前衛峰 15:00 ~ 15:10 ○10℃ 稜線 15:40 ○ AC 重田・燕昇司を除く現役組10名が、PEAK2に登頂達成。 昨日より気温が低く、北風が冷たかった。その分、下りでも雪面が安定していた。 私は PEAK1、PEAK2 を「神奈川Ⅰ峰」「神奈 川Ⅱ峰」と名づけた。登頂ルートもルートセット をした二人の名前をとって「井上・谷口ルート」 がふさわしいと思う。下山後、ガイドの李さんに 命名の件を話した。李さんは「構いません」と答 えていた。私たちが初登(初踏)であることや山名 を公に認めてもらうにはどうしたらよいのかも 尋ねたが、明確な返事がなかった。改めて問い合 わせたい。 この報告書を参考にどこかの隊が 「神奈川Ⅰ峰」「神奈川Ⅱ峰」を訪れ、その名を 呼んでくれる日が来るのを心待ちにしている。 (小清水) 未踏峰命名 ボゴダ峰は未踏の時代から「聖なる山」とモン ゴルの人々から崇められてきたが、私たちの目指 す山々は未踏であるとともに現地の人の関心も 薄く、無名だった。必然的に、隊内で通る呼称が 必要となった。AC から稜線に至る斜面に帯状に 小岩が堆積している個所がある。下見の時、そこ をその形状から「象の鼻」と名付けた。PEAK1 に登った帰り、稜線上の西、4080 ㍍の岩を「五 丈岩」と呼んだのは誰だったか。とにかく誰かが 命名すればすぐに認知された。 24 3 8 月 1 日 06:00 08:45 ○0℃ AC (水) 09:15 ~ 09:25 ○ 氷河落ち口 09:50 ~ 10:50 ○10℃ 氷河舌端 11 日目 10:30 ~ 11:15 ○ 渡渉点(二手に分かれたので時間差大) 11:30 ~ 11:35 ○ サイドモレーン上 12:15 ○15℃ BC メインザックの他、ガラ袋も運び、一回で荷物を下ろした。 増水を予想し、一部隊員は 7/29 と同ルートでの下山を試みたが、モレーン下部の崩落で危険なため、 渡渉点へ回る。結果として増水は無く、跨いで渡れた。 我々の帰着前、ガイドの李さんは日程変更の要請を受け、海南の馬方に携帯電話で連絡するために 馬で数時間谷を下った。連絡は無事完了。 BC では、ビールで祝杯と、コックの蔡さんが腕をふるってくれた夕食。 トレッキング中の食事(続き) コックの蔡さんは、直接には言葉は通じないけ れど、われわれが食べると素直に喜んでくれ、そ の気遣いを充分に感じることができた。トレッキ ング中ずっといっしょに歩いたが、下山中に足を 傷めて苦労している姿に、心が痛んだ。今は、料 理人としては引退していて、李さんなどに要請さ れると協力してくれるのだそうだ。今年は特にお 願いして彼に来ていただいた次第で、馬に乗って の登場となった。 というわけで今年 ― 入山前の食事から「油は 少なめに」とお願いしたが、買出しの段階からそ のつもりで用意してくれていたそうである。昨年 と比べて、朝のお粥から始まるお腹にやさしいメ ニューとなり、ランチもクラッカーや小さめのパ ン、ソーセージになっていた。さらにアタック前 は質素気味な夕食、アタック成功しての夕食メニ ューは油おさえめながら肉たくさん、とその配慮 に感謝。(岩本) 25 3 8月2日 (木) 07:00 09:50 ○4℃ BC 11:05 ~ 11:15 ◎10℃ ジカンチー峠(3650m) 12:30 ◎ ボゴダベース(3550m) 12 日目 当初予定より 1 日早く下山。峠から先は、お花畑が続き、各自のペースで進む。 馬は午後から上がってきたので、荷物のベースへの到着は18時近く。 午後は自由時間となったので、玉磨き・近隣ピーク往復などそれぞれに過ごす。 <玉石混交>の記 その2 なかなかやって来ない馬方の、荷の到着をじり じりしながら待つ間の気慰めもあって(馬方連中 は途中で、禁じられている薬草の雪蓮花を採って いたというのだからひどいもの。彼らはその薬草 を得意気に腕に抱えていた。)、ボゴダのテントサ イトでは隊員たちは玉を探すのに懸命。馬鹿気た こととわかってはいてもそこは欲目。そんな他愛 ない隊員たちの仕儀には、いつこう同調する気の なかったわたしだったが、ふと思いついて、成田 に見送りに来てくれていた孫娘への土産に天山 の石を持ち帰るつもりになり(これがきっかけで 結局他の人たちにも、という結果を招くことにな った。)やおら腰をあげてみんなの仲間入りをす ることとなってしまった。 ついでに記しておこう。ボゴダのテントサイト には、中国の登山学校の教員と学生が滞在して登 攀訓練に励んでいた。幕内でしばらく休ませても らったが、中国各地の山々を巡ってキャリアを積 んでいる様子。みな英語は達者だし、話しぶりや 身のこなしはきびきびしていて、いかにも鍛え抜 かれたエリートといった感じ。こちらは“玉”の 部類に属しよう。(重田) 7月 29 日の朝の BC 326 8 月 3 日 07:00 11:40 ●のち○10℃ ボゴダベース (金) 13:10 ~ 13:30 ○ 氷河湖の畔 15:00 ~ 15:15 ●ニ 草原のパオ渡渉点 13 日目 17:40 ◎ 2号羊園(トレッキングテントサイト・2800m) 前夜からの雨が 10 時過ぎに止む。出発してすぐの川は増水していて馬で渡る。 氷原、湖、U 字谷、草原、湿地と変化に富んだ谷をひたすら下る。ヤギ・羊が多い。 14 時過ぎから驟雨の繰り返しで、一時は雹も。夕食時には止んでくれた。 2号羊園は放牧地で、馬糞を除けてテントを張る。日没後には街の灯が見えた。 夜間、フライシートの下に置いたストック・トレッキングシューズが盗難に遭う。 (19 時過ぎに約 500m 上部で地元のトレッキング隊と馬方が幕営したので、ガイドの李さんが 盗難注意を呼びかけていたが…。) 新疆、水と酒事情 中国では生水を飲んではいけないというのは 常識です。中国人自身も生水を飲みません。彼ら は水を加熱して飲みます。それを「開水(カイシ ュエイ)」と言います。お湯も湯冷ましの水も、 一度沸かした水を「開水」と言います。食堂では 開水が必ず付いて来ます。ペットボトル入りのミ ネラルウォーターもあります。0.8 元から 1.5 元 までいろいろな種類があります。「農夫山泉」と いう水が一番高く、宇宙飛行士専用というので人 気です。 ビール(啤酒、ピージォウ)は大瓶一本 2.5 元 くらい。でも食堂では 20 元で出すところもあり ます。しかも温い。黙っていると平気で温いのが 出ます。「ピンジェンピージォウ」と言わねばな りません。「ピンジェン」とは「冰真」です。冷 えたビールは、コンビニ(好好先生=ハオハオ シエンション)で売っています。コンビニはウル ムチなどの大都会ならばあります。缶ビールもあ りますが、表面印刷のインクが溶けて手につくの に注意しましょう。ミルクビールというのもあり ますが、その名の通り牛乳風味。これはいただけ ません。 中国のウイスキーは「威士忌」と書きます。街 では 500ml 瓶一本 10 元で売っています。なんと か飲めるものもありますが、レッド級です。コー ヒー味のものは最悪です。ブランデーもあります。 レミーマルタン型の瓶(300ml)に XO と書いた ラベルの貼ってあるのが傑作です。これらはお遊 びで買って飲むとおもしろいでしょう。 強い酒は「白酒=パイチュウ」。われわれは専 ら「伊力老窖=イリラオジー」という銘柄を飲み ました(一本 500ml で 20 元くらい)。李さんが 言うには、「伊力」とあるのが旨いそうです。独 特の匂いがあり、あちらで飲む分にはよいのです が、日本に持ち帰り、山で飲もうとザックに入れ、 うっかりこぼしたりでもしたらたいへんです。実 体験者がいます。テントが死にました。(中坪) 27 3 8 月 4 日 07:00 09:05 ●のち◎14℃ 2号羊園(トレッキングテントサイト) (土) 11:00 ~ 13:30 ◎のち●20℃ 水管駅(取水堰・送迎車発着所) 16:25 ~ 16:30 ① ウルムチ・独山子大酒店 14 日目 16:45 ~ 16:50 ◎30℃ 城市大酒店(City Hotel) 17:05 ~ 17:30 ◎ 清真風味餐庁(イスラム風レストラン) 17:35 ○のち●ニ 城市大酒店 出発時は濃霧。水管駅で馬は荷を下ろし、元の道を海南へ帰っていった。 管理人の好意で開けてくれた駅舎内で雨を凌ぎながら車到着までかなり待つ。 水管駅から高速道路まで2時間、砂漠地帯を走る。ずっと未舗装路。 独山子大酒店でデポ荷物を受け取り、市内中央の城市大酒店へ。 昼食はシンチャンラーメン(地元の五目うどん)、夕食は夜店屋台のシシカバブ。 トイレ事情 その 2 中国の便所がひどいのは有名。都市の便所(厠 所=ツエースオ)は有料。例えば映画館の便所は 3角(0.3 元)。便所の入口に集金人がいる。有料な のに大便所の扉が無いのは納得できない。別の映 画館の 2 階にファーストフードの店があり、その 店の便所は日本の便所並みに清潔で、しかも無料。 これも変な話だ。ウルムチから天池に行く街道筋 のドライブインの便所(中国式)が5角だったの には憤慨した。ひどい便所なので払うのを渋った ら、番人の小母ちゃんがまくし立てたので仕方な く払った。(中坪) 28 3 蜜 こぼれ話 盛岡のバスセンターにも蜂蜜屋があり、花の種 類別の蜂蜜を売っているがそれは瓶売り。ウルム チの人民市場の蜂蜜屋さんは種類別にホーロー の容器を並べて量り売りをしている。お客はプラ 容器を持って来て、グラム買いをする。例えば「益 母草」の蜜(効能書きによると婦人病に効く)は 1キロ(公斤=コンチン)20 元。エコロジスト Tak 氏に次いで Tag 氏も買ってホテルに持ち帰っ た。ところが翌朝、蜜は半分以上なくなっていた。 絨毯が吸ってしまったのでした。(中坪) 8 月 5 日 08:00 11:50 ○20℃ 城市大酒店 (日) 12:00 ~ 13:30 ○24℃ 紅山公園(ウルムチのシンボルの公園) 13:45 ~ 14:20 ○ Sushi en tfr(中華麺レストラン) 15 日目 14:30 ~ 19:25 ○32℃ 独山子大酒店 19:40 ~ 22:15 ○ 火炬 HOTEL(Torch Hotel)のレストラン 22:30 ○ 独山子大酒店 最初の 8:00 は、朝食の開始時刻。以降最終日まで同様。 午前中は自由行動。紅山公園と昼食は全員で回った。公園での杵搗きが一興。 昼食後、19 時まで自由行動。夕食は、4ツ星ホテルのレストランで羊の丸焼き。 欽差大臣林則徐 ウルムチの目抜き通り、紅山公園の最高部に仏 塔と並んで林則徐の像がある。林は、英国の阿片 貿易を取り締まるために皇帝の勅命を受けて広 州に赴いた。彼の厳しい取締りが原因で、アヘン 戦争がおこった。英国艦隊の攻撃を受けた清朝朝 廷内は和平派の意見が支配的となり、林は戦争惹 起の責を問われ免職となって、伊犂(新疆西端の 都市)に追放された。後、太平天国の乱が起こる と再び欽差大臣に任ぜられて広西に赴くが、途上 で病死した。外国の侵略に対して毅然として戦っ た彼は民族英雄である。漢民族の新疆支配のシン ボル的存在である紅山公園の中心に林則徐の像 があるのは、さらに象徴的である。 (中坪) 皇帝生活 ウルムチ市内に、生活道具品を売っているほん とにでかい店がある。ド○ト、ファンタス○ト、 いろいろな量販店を足したような店で、電化製品、 家具、オーディオ、地下にはこれらを建物に設置 するための工具類。日常生活で必要なものは何で も揃っている。 皇帝生活を望むようにビルの正面には「皇帝生 活」と大きく垂れ幕がかかっている。その下を大 きなソファーや箪笥を車の後ろにはみ出させ、載 せて帰っていく中国人たちが通る。センスはどう かというものから、最高級手作り木工製品やド○ エモンに似たパクリの子供用椅子など様々なも のがあり、丸一日楽しめそうである。(田垣) 29 3 8 月 6 日 08:00 10:10 ○20℃ 独山子大酒店 (月) 10:30 ~ 11:40 ○ 国営工芸地毯厂(絨毯ショールーム) 12:00 ~ 13:30 ○ 国際バザール 16 日目 13:40 ~ 14:50 ○ 湘川餐飲(中華レストラン) 15:35 ~ 15:45 ○39℃ 風力発電所前休憩所 17:10 ○27℃ トルファン・幺幺路緑州会館(Oasis Hotel) 昼食後、砂漠の中の高速道路をひたすら走る。トルファンは葡萄畑が広がるオアシス。 街中の小さな店の IP 電話で、留守本部・村越氏に下山報告。2 分で 7.2 元。 ホテルでの夕食後、隣接の舞台で民族舞踊を鑑賞。最後はステージで団員に混じって踊りに興じる。 道路横断 ウルムチでバスの車窓から外を見てびっくり。 こちらでは歩行者は横断歩道などは渡らず、渡り たい場所を勝手に渡る。車の方も心得たもので、 うまくその間をすり抜ける。横断する人は車の間 をゆっくりと歩いて渡る。走ると予測しにくいの で、逆に危険だと分る。互いの絶妙な関係である。 ウルムチのホテルに到着し、荷物を置いて相澤さ んとビールを買いに出た。前の6車線の道をウル ムチ方式で渡ってみた。左見て、右見て、車の間 を走って何とか向こうまで渡る。帰りもトライし たが、われわれの感覚ではどうしても走ってしま う。しかし、慣れとは恐ろしい。何日かするとこ れができるようになる。山から帰った後などは、 みんな現地人のように車の間をゆっくり歩いて お店や屋台へ出かけていった。帰国後、近くの県 道を渡る時にこれを思い出したが、実行するのは とてもじゃないけど無理。「郷に入ったら郷に従 え」だ。(井上) 水事情その2 この遠征は、命の水という表現が、実感できた 旅でもあった。西安から西へ向かう飛行機の窓か ら見た街は、河に沿って点在するだけで、山も平 野も灰色だった。ウルムチやトルファンでは、緑 の街路樹が続いているが、その根元にはパイプが 通じていて、水が朝夕撒かれる。現在、緑の森と なっている紅山公園に飾ってあった写真によれ ば、水道が引かれる前の紅山は、禿げた岩山であ る。新疆の発展は、エネルギーや政治事情に拠る のでなく、天山の水の量に左右されるのではない か。ところで、ウルムチのホテルの水は澄んでい て案外冷たく、清浄な感じがしたが、東へ進むに つれ怪しくなった。トルファンでは「歯磨きした ら喉を痛めた。」、西安では「洗濯後、濯いだ水が きれいにならず、よく見たら水自体が茶色だっ た。」という話がある。(岩本) 3 30 幺幺 8 月 7 日 07:00 09:30 ◎30℃ 路緑州会館 (火) 10:20 ~ 11:30 ◎35℃ 高昌故城 11:40 ~ 12:20 ① 阿斯塔納古墓(Astana Tombs) 17 日目 12:35 ~ 13:10 ① 39℃ ベゼクリク石窟 13:25 ~ 13:50 ◎ 火焔山博物館 14:25 ~ 15:25 ◎ 花園大飯店のレストラン 15:35 ~ 16:45 ◎39℃ 交河故城 16:55 ~ 18:10 ◎ カレーズ博物館・民家(土産葡萄購入) 18:25 ~ 19:15 ◎ 宝地ウイグル風味快餐店 20:15 ~ 22:30 ○30℃ トルファン駅 バスで旧跡巡り。曇りがちの天気だが、ウルムチと比べ一段と暑い。 カレーズは、カナートと同様の地下水路のこと。高速道路からも縦穴の並びが見えた。 トルファン駅は、市街から車で1時間。敦煌まで夜行寝台列車で移動。 交河故城 中国の美味しいもの 中国で美味しいのは、やはり本場の中華料理で ある。が、それらを除いて考えると、今回行った 中ではなんといってもウルムチのシシカバブー (羊の肉の串焼き)である。近くで羊を放牧して いるだけあって肉がとても新鮮で、日本で食べる 羊の肉みたいな臭みがまったくない。そしてそれ にかけてある香辛料(クミンと塩と唐辛子を混ぜ たもの)が絶妙で本当に美味しい。ただ、腹の調 子のことを考えると、唐辛子を抜いてかけてもら うのがよい。ぼくは、特に腎臓のシシカバブーを オススメしたい。夜、屋台でシシカバブーをかじ りながら冷たいビールを飲むことを考えると、こ れだけでもウルムチにまた行きたくなってしま う。なお西安でも食べてみたが、ウルムチとは比 べ物にならないほど貧弱で、美味しくなかった。 もうひとつオススメしたいのが、トルファンの 葡萄である。果物はスイカやハミウリなどもあり、 これらも美味しいが、味は日本のものと大差なく、 想定内だった。ところが、トルファンの葡萄は想 定外の美味しさだった。粒は小さいが、皮が薄く 種がないので、買ったら軽く洗ってそのまま食べ られる。色はマスカットのようなエメラルドグリ ーンで、味はそれよりも少し甘い気がする。房 31 3 トルファン駅前で スイカとハミウリを食べる からとって、ペットボトルに入れて持ち歩いたが、 そのまま食べてゴミも出ないので、とても便利だ った。値段は 1kg15 元ぐらい。もっと買って食べ ておけばよかったと後悔している。(相澤) インターネット ウルムチの城市大酒店の近くには日本の秋葉 原のような電気街ビルがあり、日本と変わらぬメ ーカー製パソコンが並んでいる一方で、Micro soft ならぬ Micro step のキーボードがあったり、 発売間もない Windows Vista の DVD が 18 元で 売られていたりした。また、トルファンのブドウ 棚通りで通りかかった間口2mの雑貨屋の店先 にIP電話が置いてあり、日本へ 1 分 3.6 元で通 話ができた(インターネットも使える)のには驚 いた。トルファン駅前にネットカフェがあり、老 若男女が混じって繁盛していたが、画面を覗くと ネットゲームが一番多かった。それは頷けるが… キャラクターの着せ替え遊びの画面を見ている 女の子の向い側で、白人の○○○シーンを見てい る男性がいた!現代の異文化とはこんなものだ ろうか。(岩本) 8月8日 (水) 10:50 ~ 10:55 ○車中 28℃ 敦煌駅 11:10 ~ 12:30 ◎30℃ 陽光大酒店(Sunshine Hotel) 12:35 ~ 13:30 ◎ 麗園(レストラン) 18 日目 14:00 ~ 16:45 ◎32℃ 莫高窟 17:15 ~ 18:10 ① 夜光杯廠 18:15 ~ 19:35 ◎30℃ 陽光大酒店 19:40 ~ 21:25 ① 鳴沙山と月牙泉 21:40 ① 陽光大酒店 乗車してから食堂車がないことが判明。朝食は、各自持参の食料で済ませる。 9時~10 時、列車の中で報告書の内容・原稿分担等について話し合う。 敦煌では、ガイド・代(ダイ)さんの案内で回る。 世界遺産の莫高窟をはじめ、どこもよく整備されている。国内外からの観光客が多い。 小清水・井上・松井が、発熱で、行動の際一部ホテルで休養。 ウルムチから敦煌まで別送した荷物が開けられていて、土産品の一部が盗難に遭っていた。 夜、ホテルで飛行機貨物室預かり個人荷物を一人 12.5kgで梱包。 中国の女の人と仲良くなる方法 中国の女の人と仲良くなる方法はいろいろあ るが、買い物を通してのコミニュケーションがい ちばん良いと思う。「お土産の値切り方」のとこ ろでも書いたが、値段のやりとりを通しての会話 はとても楽しい。時間がないときは早々に買い物 だけを済ませるしかないが、時間があるときは、 いろいろ話ができて結構楽しい。相手にもよるが、 こちらがあれこれ質問をすると、一所懸命説明し てくれる。こちらが中国語ができれば申し分ない が、できなくても相手が英語を話せれば、こちら の片言の英語で十分である。 今回中国に行って驚いたのは、日本語を話せる 女の人がとても多いことだ。それだけ日本人観光 客が多いのかもしれない。ただし、目下観光客で いちばん多いのは中国人、次いで韓国人、日本人 は減っているとのことである。敦煌のお土産屋さ んでは、日本語を学校で習ったことがないのにと っても上手な女の子がいた。こちらの言うことは しっかり理解し、話す言葉は目を閉じて聴いてい ると日本人と思うくらい発音が綺麗なのだ。どう 32 16 やって勉強したのかと聞いたら、「日本のドラマ のビデオを何回も見て勉強した」とのことである。 中国人恐るべし!中国の底力を感じたような気 がした。日本に来れば通訳として十分通用するの にと思ったが、時間がなくて会話はそこまでだっ た。 今回の旅行でいろいろな人と友達になれた。別 れ際にお互いの住所やメールアドレスを交換す るのだが、ここで驚いたのは一緒にいたK氏の準 備の良さである。K氏はメールアドレスを書いた 名刺を日本から持ってきていたのである。これな ら、書く時間が省けるというもの。ここでも、K 氏の計画的行動に改めて感服した次第である。ち なみに、日本に帰ってきてからT氏のところに一 通のメールが届いたが、いろいろな所でいろいろ な人にメールアドレスを教えたもので、だれから のメールだか名前だけでは分らなくなってしま った、とのことである。メールアドレスを教える ときは、相手の名前を聞いて一緒に写真をとって おくことをオススメする。(相澤) 8 月 9 日 07:00 09:00 ○20℃ 陽光大酒店 (木) 09:20 ~ 10:25 ○25℃ 敦煌空港 西安咸陽空港 12:45 ~ 13:00 ● 19 日目 13:45 ~ 16:00 ●ツ 東方大酒店 16:15 ~ 18:00 ●のち◎ 石碑林博物館~西安城壁 18:10 ~ 19:25 ◎25℃ 城市大酒店のレストラン 19:35 ◎ 東方大酒店(Oriental Hotel) 敦煌→西安は中国南方航空。西安空港で 7 月 23 日と同じガイド・饒(ジョウ)さんと合流。 西安到着時は強い雨だったが、夕方には上がり、傘なしで城壁見学ができた。 ホテル隣にウルムチのバザールにもあった家来福(カルフール)があり、食料・土産の買出しに便利だった。 暴利タクシーよりバス 中国の路線バスは1回1元。停留所で路線図を 見、路線番号を良く覚えて乗りましょう。前乗り で箱の中へ1元入れる。西安で東方大酒店から大 雁塔までバスで行った。どのバス停で降りたら良 いか分からなかったので、目の前に座っているお じさんに地図を見せて「大雁塔」と言ったら、降 りるべき停留所を親切に教えてくれた。もし人に 聞かず「大雁塔前」で降りたら2停留所分 300m ほど歩かなければならなかった。中国人は親切だ。 大雁塔見物のあと、門前にたむろっていたタクシ ー運転手に「いくらで行くか」と尋ねたら「20 元」という。高いと思ったが M 氏と共に乗り込 んだ。走り出してしばらくしてもメーターを倒さ ないので「メーター、メーター」というと、運転 手はタクシーを止め、降りろという風に顎をシャ クる。「降りようぜ」と M 氏。200m ほど歩いて バス停で路線図を調べ、バスを利用してホテルに 帰った。セコイ中国人もいる。ん?運転手はセコ イ日本人もいると思ったかも。旅は気の合う人と すると楽しいものだ。(中坪) 本屋 西安で地図でも買おうと、立派なビルの3階ぐ らいまで売り場がある大きな本屋に行った。入口 は狭くてガードマン(普通の服装だが)が立って おり、売り場の入口で、万引き防止のため荷物袋 33 3 を預けなければいけない。ただし、ウェストポー チぐらいは大丈夫。店内には、多くの人が立った り座ったりして本を読んでいる。比較的詳細な地 図を買おうと思って店員に英語で尋ねるがダメ で、自力で探すことになった。地図は、各州が 1 ページに納まっていて、ページごとに縮尺が違い、 全く距離がつかめない。しかし、航空・電車など の案内がいっしょに載っており、まあ中国の大き さを考えるとこれが合理的なのかも知れない。本 を購入して店から出るには、レジで精算をしたあ と、もう一度別のカウンターで本を見せてハンコ を押してもらわないといけない。それにしても厳 重である。(田垣) 東方大酒店(左)と家来福(カルフール) 8 月 10 日 07:00 08:30 ○20℃ 東方大酒店 (金) 09:25 ~ 10:20 ○25℃ 華清池 秦始皇兵馬俑(秦俑博物館) 10:35 ~ 13:00 ● 20 日目 13:15 ~ 14:20 ●ツ 秦錦堂(レストラン) 15:20 ~ ●のち◎ 大雁塔。のち自由行動 ~ 17:30 ◎25℃ 東方大酒店 18:00 ~ 19:15 ◎ 陵西歌舞大劇院(希望者) 19:30 ~ 21:00 ◎ 徳發長餃子館 21:40 ~ 東方大酒店 東方大酒店は泊まったホテルの中で唯一4ツ星。朝食は 20 階の展望レストラン。 華清池と秦始皇兵馬俑は、西安市内から高速道路で小一時間かかった。 徳發長餃子館は、南門の近くで、周辺は地元の人々で大賑わい。 お土産の値切り方 中国でお土産を買おうとすると、売り手が日本 語ができるときはもちろん日本語での交渉にな るし、できないときは身振り手振り。そして電卓 混じりでの交渉になるが、まず向こうから「○○ 元でどうだ」といってくる。もちろんその値段で 買ってはいけない。「高い」とこちらが言うと、 決まって「いくらならいい?」と聞いてくる。こ こで「△△元」と言おうものなら、あまり興味が なかった物でもその値段で買わされる羽目にな る。もし、まったく買う気がなければ、「いくら ならいい?」との問いかけに答えず、その場を立 ち去ればよい。でも、その物を欲しいときはどう すればよいか… ここからはその人の考えによるが、「日本人は お金があるんだから、少しぐらい高くても買って 中国経済に貢献すればよい」という人は「気持ち」 値切って買えばよい。「限られた予算の中で旅行 しているのだから、妥当な値段(何が妥当な値段 であるか問題であるが、ここでは売り手と買い手 双方が納得できる値段とする)で買いたい」と ぼくみたいに考える人はまず中国の物価事情を 頭に入れておくべきだ。中国では、瓶ビールが1 本 2.5 元(日本円で約 40 円)、大卒の初任給は、 場所によって異なるがウルムチ付近では 1500 元 (24000 円)ぐらい。日本では瓶ビールが 320 円、 大卒の初任給が 20 万円前後であることを考える と、中国の物価は日本の物価の 1/8 ぐらいである。 そこで、お土産の値段であるが、売っている中国 の人がそれを意識しているのかどうかは分らな いが、ぼくの感触では「妥当な値段」の 8 倍から 10 倍の値段を最初に言っているような気がする。 そこで、向こうの言い値の 1/10 の値段を言って 売り手の反応を見る。売り手がまったく取り合わ ないとき…こちらは、そこを立ち去ろうとすれば 良い。売り手が追いかけてくるようならば「妥当 な値段」は 1/10 の値段に近いので、その値段か ら交渉を始めると良い。言い値の 1/5 ぐらいで買 えればマアマアだと思う。なかなか売り手が値段 を下げないときは自分の希望の値段を言って、そ の値段でなければ買わないといい、帰ろうとすれ ば大体の場合、売り手はその値段でOKする。その 値段では赤字になってしまうときは、売り手は追 いかけてこないので、本当に帰ってしまえばよい。 同じようなものは他の店にもあるので、その値段 を参考にして別の店でまた交渉すればよい。もし、 その欲しい物がその店にしかないようならば、他 の店を 2,3 軒見てから同じ店にまた行く。時間に 余裕があれば、翌日または別の日に行けば、値段 交渉で決裂した日の向こうの値段より必ず安く してくれる。安くしても採算が合う程度までだが、 そのくらいの値段で購入できれば、かなり「妥当 な値段」に近い。向こうの言い値の 1/10 の値段 を言ったとき、売り手がもう少し高くしてくれと 言ってすぐ値段交渉が始まった場合は、「妥当な 値段」は 1/10 の値段にかなり近い。特に売り手 が日本語ができるときは相当吹っかけていると 見てよいので注意が必要だ。 ぼくはこのような交渉方法で、65000 円と言わ れた翡翠のペンダントを 12000 円で、500 元とい われたカシミヤのひざ掛けを 80 元で、など沢山 のお土産を購入した。値段交渉は一種のコミュニ ケーションなので、時間があるときは、いろいろ な話をしながら買い物をすると結構楽しい。今回 はK氏やT氏と買い物をしたが、とても楽しかっ た。特にT氏は会話がうまく、感心することシキ リであった。ただし面白さのあまりこれにはまっ て、必要のないもの(欲しくないもの)まで買わ ないように注意したい。日本に帰国したぼくは、 「こんなに沢山買ってきたの!」と、カミサンに 呆れられてしまった。(相澤) 34 8 月 11 日 (土) 05:30 06:30 ◎ 東方大酒店 07:10 ~ 09:10 ◎ 西安咸陽空港 10:40 ~ 12:20 ①32℃ 上海浦東空港 21 日目 16:20 ~ ○32℃ 成田空港、17:30 解散。 5:30 起床。ホテルでは朝食なしで、サンドイッチ持参でバスに乗車。 咸陽空港では、酒は小瓶でも 1 本とし一人 2 本まで。アイゼンは当然、土産の強力磁石も機内持ち込み はダメ、など手間取った。貨物総重量 245kgだったが超過料金はとられなかった。 成田空港の時間は、北京時間より、1 時間早い日本時間。出発時同様、重田・燕昇司の家族の出迎え。 8 月 29 日翔陵高校での打合せを約して解散。その後、共同装備を翔陵高校へ宅配便で送る。 8月 10 日、徳發長餃子館にて がっちり買いまショー 玉、翡翠、絨毯、夜光杯、いろいろな土産がわ たしたちの心を引きつける。そして土産屋さんの 売り子の女性の声もまた心を引きつける。彼女ら は何倍もの値段をふっかけてくる。彼女たちとの 値段の駆け引きを楽しんで、それぞれ買うことの おもしろさを満喫した旅だったが、皆さんいくら 使ったのだろうか。 最初にみんな1万円を両替した。603 元になっ た。ビールを買うと2~3元、バスに乗ると1元、 アイスクリームも1元、強いお酒でも 20 元程度 で買える。日常の買い物ではなかなか減らない。 お土産も干しぶどう 1kg で 20 元くらい。でも、 翡翠や玉などの装飾品はとんでもない値段。とこ ろが、これが好きな方々もいて、追加の両替をし たり、仲間から借りたりして買い物を続けていた。 わたしは熱が出て夜光杯は買えなかったし、玉 や翡翠に興味はなし。興味があったのは珪化木く らい。みんなで演劇見て、少し土産を買い、ハン コ作って最後に上海空港でメントスを買った段 階で財布の中は 21 元と5角。初めの1万円で 360 円弱余ったわけだ。 値段交渉も苦手だし、買い物競争ではみんなに 完敗だけれど、昔テレビでやっていた「がっちり 買いまショー」の1万円コースなら、きっとわた しの勝ちである。(井上) 35 3 <玉石混交>の記 その3 この 9 月 29 日は日中国交回復 35 周年記念日と いうことだが、わたしの中国への強い関心は大学 在学時に萌していたが、国交回復以前だったため、 中国本土への渡航は一般には不可能だった。した がって山行も台湾の玉山に的をしぼるしかなか った(当時、台湾に行った者は中国本土に入国す ることはできない、といった風評が立っていて、 玉山行もためらいがちだった)。国交が回復する や、交流は頻繁となっていったが、遅れをとった わたしは、本土の土を踏んだのは今回が初めてだ った。しかしこの間、 “近代化への抵抗を忘れた” 現在の中国には、もはやかつてのような思い入れ はなくなっていた。理由や原因はともあれ、手段 を選ばず利に走る事態を露呈している現今の中 国を思えば、夢は醒めてしまうのである。とはい うものの、反面、以前の中国を観念的に理想化し、 美化しすぎていたのかもしれない。人としても国 としても、珠玉に徹しきることは難事に違いない。 かといって悪玉でいるのもそうは息が続かない。 これが人の世の実際であろう。<玉石混交>を中 国に見た旅の一端の記である。 今回の山行に付随して観光にも時間を費やし たが、ウルムチやシルクロードゆかりのトルファ ン・敦煌・西安の各地を巡ったことや宮廷舞踊を 鑑賞したことは、平素、雅楽や平家琵琶、また日・ 中の文学に手を染めている者としていい記念に なった(心残りは、咸陽宮蹟を訪れなかったこ と・トルファンでワインを飲み損なったこと―そ れにしても、わたしを除いた隊員諸氏の酒豪ぶり にはあきれた。啤酒であれ、白酒であれ、ワイン であれ、何でもござれで、しかも夜半に至るも、 翌日は平然として行動に及んでいるのだから…。 ワイン、わたしの許に回ってこないうちに干され てしまったが、この雑食性がバイタリティーの因 と納得もしたことだった。)。これらの地に足を伸 ばすことが企画の中に置かれていたのも参加す る上で魅力となっていたのだったから。(重田)
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