本文 - J

416
論
Technical Papers
文
地域性を考慮した広域災害避難シミュレーションのための
マルチエージェントモデル
Multiagent Model for Wide-Area Disaster-Evacuation Simulations with Local Factors Considered
村木 雄二
筑波大学大学院 システム情報工学研究科
Yuji Muraki
Graduate School of System and Information Engineering, University of Tsukuba.
[email protected], http://www.kslab.cs.tsukuba.ac.jp/~yuji/
狩野 均
(同
Hitoshi Kanoh
[email protected] , http://www.kslab.cs.tsukuba.ac.jp/~kanoh/
上)
Keywords: multiagent model, simulation, disaster evacuation, local factors
Summary
In this paper, we propose a multiagent model for wide-area disaster-evacuation simulations with local factors
considered. Conventional multiagent models for evacuation simulations neither allow general-purpose computers to execute
wide-area simulations nor allow the object area to be changed easily. If these problems are solved, however, these
simulations can be useful for local governments to make disaster damage prevention plan. In the proposed model, each road
is expressed by a series of cells. A computational amount relevant to interaction among agents is reduced by describing the
model for agents to be affected by other agents through the state of each cell. This makes possible wide area simulations.
Using the data of a digital map database that is widely used for car navigation systems enables the simulations to be
performed for any region in Japan. Local factors are reflected in simulations by setting some parameters for evacuees, an
evacuation environment, and disaster damage prevention plan of the object area. As an evaluation experiment, we
simulated the situations of Kobe city on the date of the Great Hanshin-Awaji Earthquake. Simulations results about the
percentage of evacuees who arrived at refuges were in good agreement with the actual data when parameters for
evacuation-start timing were adjusted. We also simulated the current situations of two cities, Kobe and Tsukuba, and
confirmed that this model was successfully applied to the two cities. From these evaluation experiments, we believe that
this model can be applied to various areas and will perform further experiments in the future.
1.
はじめに
RoboCup-Rescue シミュレーションプロジェクトでは,阪
神・淡路大震災での神戸市の一部を再現し,包括的災害
救助シミュレータの開発と,それを用いた救助戦略の研
近年,交通流や経済現象などのシミュレーションにマ
究を行っている[田所 00].避難を行う市民エージェント
ルチエージェントモデルが利用されている.マルチエー
は,特定の行動目的をもたず,現実的な避難者行動を再
ジェントモデルとは,主体性のある構成要素をエージェ
現するよう複数の目的を同時に含む行動を行う[篠田
ントとしてモデル化するものである.このモデルには,
03].このシミュレータは現在も研究が進められており,
複数のエージェントが相互作用することで,単純な前提
現実の災害救助への貢献が期待されている.
から社会的現象が現れるという特徴がある[山影 02].
マルチエージェントモデルの代表的な例として,災害
従来の避難モデルでは,大規模なエージェント数を伴
う広域なシミュレーションはあまり見られず[松原 02],
避難行動のシミュレーションがある.村上らは,避難訓
ユーザによる自由な対象地域の変更が行えるシミュレー
練などの疑似体験を目的として,現実に近い状況を再現
ションシステムは少ない現状がある.しかし,容易に対
する避難シミュレーションの研究を行った[村上 03,村
象地域を変更でき,一般の PC 上での広域シミュレーシ
上 06].この研究では,シナリオ記述によるエージェン
ョンが可能となれば,自治体の防災計画の検討などの際
トの行動記述を行い,会話などを含む社会的インタラク
に有用であると考えられる.
ションをエージェントの行動として実現した.また,現
本研究では,任意の地域を対象に,広域な災害避難シ
実空間での実験の再現が,仮想空間でのシミュレーショ
ミュレーションを行うためのマルチエージェントモデル
ンの設計に有効であることを実験により示した.
を提案する.本モデルでは,道路をセルの列で表現し,
地域性を考慮した広域災害避難シミュレーションのためのマルチエージェントモデル
エージェントがセルの状態を介して確率的に他のエージ
417
§3 防災計画
ェントと相互作用を行うことで,エージェントの相互作
大規模災害の発生時には,避難情報などを迅速に住民
用に関わる情報量と計算量を軽減している[村木 04a,村
に伝えることが重要な課題である[片田 99a].被災地を
木 04b].空間情報にカーナビ用地図データベースを利用
対象としたアンケートによると,避難に役立った情報,
することで対象地域の変更を容易にし,避難者,環境,
不足した情報という質問に対して,最も多かった回答は
防災計画に関するパラメータを設定することで地域性を
「どこに避難したら安全か」という情報であったと報告
シミュレーションに反映させる.
以下では,まず研究分野の概要を述べ,次に提案する
されている[消防 98].現状の防災計画での主な避難誘導
の方法には,避難誘導標識,行政職員などの誘導員,広
モデルについてセルとエージェントを中心に説明する.
報車,防災行政無線による誘導がある[片田 99b,片田
最後に評価実験として,阪神・淡路大震災時の神戸市を
00].
想定した広域シミュレーションを行い,パラメータの調
2.2.
避難シミュレーションの現状
整によって現実のデータに近い結果が得られることを確
村上らは,避難訓練などの疑似体験を目的として,現
認する.また,性質の異なる 2 都市を対象に実験を行い,
実に近い状況を再現する避難モデルの研究を行った[村
地域性を反映したシミュレーションについて考察する.
2.
研究分野の概要
上 03,村上 06].この研究では,シナリオ記述によるエ
ージェントの行動記述を行い,会話などを含む社会的イ
ンタラクションをエージェントの行動として実現した.
このシミュレーションでは,100 万のエージェントを動
2.1.
災害避難の現状
§1 避難者の行動特性
作させるために専用のシステムが必要となる[中島 04].
一人ひとりの詳細な挙動に着目する場合や,エージェン
大規模災害時の避難者の主な行動特性として,家族な
ト間の位置関係を明確に表現し,精度の高いシミュレー
どの集団で行動することが多いことや,大多数が歩行に
ションを行う場合に,2 次元平面上での位置表現は有効
よって避難を行うことなどがあげられる[消防 87].また,
であり,多くの場合に用いられている.これに対して,
災害の発生時には,職場や外出先にいる人はいっせいに
交通流シミュレーションの分野では,特に対象空間が広
帰宅しようとする傾向があるといわれている.これに対
域である場合や,主体の詳細な挙動の再現があまり重要
して,災害時に自宅にいる場合は,家を空けることへの
でない場合には,ネットワークによって空間を表現する
不安や,家族がそろっていなことなどの理由から,なか
方法がよく用いられる.桑原らは,各リンクをブロック
なか避難を開始しない住民も存在するという報告がある.
と呼ばれる小区間に分割し,流体近似した交通流のブロ
このことから,被災した場所と居住地の関係から,避難
ック間移動量を,交通量-密度(Q-K)関係と交通量の保
者の目的地や避難の開始時機が異なると考えられる.
存則を用いて求めるブロック密度法を用いて自動車交通
避難者が歩行によって避難を行う場合,集団の構成人
流の表現を行った[桑原 97].ブロック密度法では,1 ス
数や集団内に身体的弱者を含むかどうか,歩行の目的,
テップ毎にブロックの密度を更新し,ブロック間を移動
歩行環境の群集密度などが,歩行速度に影響を与えると
する流量は連続値として算出される.しかしながら,交
いわれている[消防 87].このうち,歩行速度に最も大き
通を流体近似したままでは,ドライバーの経路選択行動
く影響を与える要因は群集密度である.群集密度が 1.5
などのモデル化に適していない.この点を改善するため,
人/㎡程度まで大きくなると,自由歩行から群集歩行とな
拡張手法であるハイブリッドブロック密度法では,目的
り,歩行速度が減少しはじめる.群集密度が 6.0 人/㎡に
地や車種などの属性をもたせて離散化した車両を直接扱
なると,通常,歩行は困難になると報告されている.ま
い,それらの移動量としてブロック密度法で計算された
た,避難者の行動は他者の行動に影響を受けることが知
流量を用いている.
られている.次節で示す先行研究では,他の避難者への
RoboCup-Rescue シミュレーションプロジェクトでは,
同調をエージェントの行動に加えることで,現実の避難
阪神・淡路大震災での神戸市の一部を再現し,包括的災
誘導実験と同様の結果を得ている.
害救助シミュレータの開発と,それを用いた救助戦略の
§2 避難環境
研究を行っている[田所 00].このシミュレータは,GIS
大規模な震災時には,交通渋滞や建築物の倒壊などに
や複数の個別災害シミュレータ,多種のエージェント群
より,被災者の避難行動が妨げられる場合がある.阪神・
を単一カーネルに接続した統合シミュレーションシステ
淡路大震災での街路閉塞に関する調査から,8m 以上の
ムとなっている.このシステムでは,一般の PC 上で数
幅員の道路であれば,道路が閉塞する(自動車が通れな
万のエージェントを動作させることができ,地図データ
くなる)確率はほとんどないこと,4m 以下の幅員の道
を取り替えることで全国の都市を対象にシミュレーショ
路では,リンク閉塞率が 50%を越えること,12m~18m
ンできるという特徴がある.シミュレーション用の GIS
の幅員の道路でも,高層ビルの倒壊によって自動車の通
は既存の地図データから作成する必要があるため,現状
行が困難となることが報告されている[家田 97].
ではユーザが自由に対象地域を変更してシミュレーショ
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人工知能学会論文誌 22 巻 4 号 F(2007 年)
ンを行うことに対応していない.
これら従来の避難モデルは,屋内空間や特定の地域を
対象とするシミュレーションを行うことで,避難誘導や
救助に関しての一般的な知見を得るには十分有用である
と考えられる.しかしながら,現実に近い状況を再現す
るため,個々のエージェントの行動が複雑になり,大規
模なシミュレーションを行うためには,高度な計算機環
境が必要となると考えられる.また,1km のメッシュを
用いた比較的粗いモデルにより,首都圏全域に対するシ
ミュレーションに取り組んでいるグループもある[大大
特 02].
図 1 メッシュ分割の例
本研究では,任意の地域を対象に広域災害避難シミュ
レーションを行うためのマルチエージェントモデルの構
築を目的とする.各自治体などにおいて防災計画の検討
を行う場合を想定し,一般の PC 上で実行可能である必
要がある.具体的な数値目標として,避難者数が最も多
い場合で 200 万人程度,計算資源としては本研究で利用
した PC の性能(CPU:Pentium Ⅳ 2.6GHz,メモリ:
512MB)と同程度かやや劣るものを想定する.また,地
域ごとに異なる避難者や避難環境の性質,防災計画を,
シミュレーションに反映することのできるモデルの構築
を目指す.
3.
提案するモデル
本モデルで利用する地図データが備えるべき条件と
して,自治体の防災担当者にとって入手しやすく,シミ
ュレーションの空間設定に必要な道路ネットワークの情
報を含んでおり,日本全国のデータが用意されているこ
とが挙げられる.今回の研究では,これらの条件を満た
す地図データの一つとして,カーナビ用 CD-ROM の統
一フォーマットであるナビ研 S 規格の地図データベース
を空間情報の設定に利用することとした.また,各自治
体でシミュレーションを行う場合,対象地域の地域性を
考慮しなければならない.本研究では,地域性を反映す
るパラメータの設定に必要なデータに関して,自治体が
管理している統計資料など,極力,対象ユーザである自
3.1.
基本方針
交通流や人流などの現象は,細部には再現性がないが,
平均的には再現性のある現象であるといわれている[森
下 03].これらの現象では,主体(車や人)が道路のど
の位置を通っているのか,状態や行動の変化が他のどの
主体の作用によるものかといった細部の情報は考慮する
必要がないと考えられる.
そこで本モデルでは,エージェント間の相互作用に関
わる計算量を抑え,一般的な計算機環境での広域な避難
シミュレーションを実現するため,ハイブリッドブロッ
ク密度法を避難行動モデルに適用する.この手法は,従
来,自動車交通流のモデル化手法として提案されたため,
主体間の社会的相互作用は考慮されていない.また,ブ
ロック内での主体の位置は特定されないため,主体の位
置関係に基づいた相互作用を導入することができない.
そこで,本モデルでは避難者の交通密度(群集密度)に
加え,ブロック内に存在するエージェントの属性などの
情報を保持するようブロックを拡張した空間モデルを新
たに考え,セルと呼ぶこととする.エージェントが,セ
ルの保持する情報(セルの状態)に従った確率で同じセ
ル内の他のエージェントから作用を受けるという間接的
な相互作用を行うことで,ハイブリッドブロック密度法
に基づく避難行動モデルに社会的な相互作用を導入する.
本モデルでは,ハイブリッドブロック密度法と同様に,1
ステップ毎にセルの状態を更新する.
治体の防災担当者にとって入手しやすいデータを用いる.
アンケートが必要なデータなど,自治体が保有していな
い可能性のあるデータに関しては,用意された数パター
ンの値から選択して設定することで,容易に対象地域の
変更を行うことができる.
3.2.
セル
§1 空間表現
本モデルで利用する地図データベースでは,道路網の
情報がおもに交差点を表すノードとそれらを結ぶリンク
の形で表現されている[ナビ研 97].各リンクはそれぞれ
が表す道路の車線数や道路種別などの情報をもつ.道路
種別には,
「高速道路」,
「自動車専用道路」
,「国道」,
「主
要地方道」
,「都道府県道」,「市町村道」
,「基本道」,「そ
の他の道路」の 8 種類がある.各リンクを特定の長さで
区切った小区間を本モデルではセルと呼ぶこととし,道
路をセルの列として表現する.各セルには ID が割り振
られ,エージェントの位置情報として利用される.
また,地図を図 1 のように n×n の格子状に分割し,
それぞれを 1 つのメッシュとする.各メッシュに人数,
建物種別などのパラメータを与え,メッシュ毎に異なる
値を設定することで,対象地域内の人口分布などをシミ
ュレーションに反映させる.建物種別 building は,土地
利用図などから得られるメッシュ内の建物の密集度(建
物が建っている部分の面積/メッシュ全体の面積)や高さ
による分類から,表 1 のように 5 つの値をとる.
419
地域性を考慮した広域災害避難シミュレーションのためのマルチエージェントモデル
表 1 建物種別 building の分類条件
building
0
1
2
3
4
建物の密集度
≦0.1
≦0.5
>0.5
≦0.5
>0.5
建物の高さ
-
低層
低層
高層
高層
表 3 obstacle の値とセルの面積の減少
obstacle
0
想定する障害の内容
障害なし
1
細い道路に低層建物の倒壊
2
3
細い道路に高層建物の倒壊
太い道路に低層建物の倒壊
4
太い道路に高層建物の倒壊
表 2 セルの属性
属性
ID
x
y
neighbor
area
obstacle
max
number
node
edge
refuge
sign
説明
セルの識別番号
正規化経度(地図上での位置)
正規化緯度(地図上での位置)
隣り合うセルの ID の集合
セルの面積
建物倒壊によるセルの面積の減少の度合い
そのセルに存在できる最大の避難者数
現在,そのセルに存在している避難者数
ノードに配置されていればそのノードの ID,そうで
なければ 0
マップの端に配置されていれば 1,そうでなければ 0
避難場所に面していれば避難場所の ID,そうでなけ
れば 0
標識が設置されていれば最寄りの避難場所の ID,そ
うでなければ 0
セルの面積
なし
-(建物の幅 8×
道路幅員 4)㎡
(セルの基本長/2)㎡
歩道部の面積のみ
片側の歩道部
面積のみ
表 4 building の値とセルに与える障害
building
0
1
2
3
4
セルに与える障害
障害を与えない
10%の確率で低層建物の倒壊による障害
50%の確率で低層建物の倒壊による障害
1%の確率で高層建物の倒壊による障害
5%の確率で高層建物の倒壊による障害
表 5 群集密度の値とセル
の群集密度レベルの対応
群集密度レベル
0
1
2
3
4
5
§2 セルの属性
各セルの属性を表 2 に示す.道路の幅員は,車線数や
群集密度の値(人/㎡)
0
~1.5
~3.0
~4.5
~6.0
6.0
種別などによる分類から平均的な値が得られる.
車道部,
歩道部の平均幅員を利用し,セルの面積を決定する[野村
01].災害時の建物などの倒壊による道路の有効面積の減
少を想定し,セルのプロパティには obstacle という値が
含まれる.obstacle は,そのセルの表す道路の幅員と倒
壊した建物の高さから,表 3 のように 0~4 の値をとる.
ここで,本モデルでは 3 車線以上の道路および道路種別
が「基本道」
,「その他の道路」でない 2 車線の道路を「太
い道路」,それ以外を「細い道路」とした.また,建物倒
壊による障害をセルに与える確率は,そのセルの配置さ
れているメッシュの building の値により,表 4 のように
定めた.
§3 セルの状態
本モデルでは,あるエージェントが他のエージェント
から移動速度の減少や,避難場所情報の取得などの作用
を受ける場合,作用する相手の特定は行わない.エージ
ェントはセルの状態に従った確率で他のエージェントか
ら作用を受ける.セルの状態を表すパラメータとして以
下の 1),2)がある.
1) 群集密度
本モデルでは,エージェントが移動を行う環境である
セルの群集密度を,エージェントが知覚可能なセルの状
態とする.セルの群集密度がエージェントの移動速度に
影響を与えることで,他の避難者との接近などによる歩
行速度の変化を表現する.セルの群集密度(人/㎡)は,セ
ル上の避難者数とセルの面積から求められる.セル上に
図 2 セルとエージェント
エージェントが存在していない場合の群集密度を 0 人/
㎡,セル上に存在できる最大の群集密度 6 人/㎡をそれぞ
れ最小値,最大値とし,表 5 のように群集密度の値と群
集密度レベルを対応付ける.ここで,自由歩行から群集
歩行へ変化する群集密度の値がおよそ 1.5 人/㎡であるこ
とから,群集密度の値を 1.5 刻みでレベル分けした.各
セルの群集密度レベルは毎ステップ更新され,次のステ
ップのエージェントの移動速度の決定に用いられる.
2) 認知度
ある地域の避難者のうち,避難場所の情報をもってい
る避難者の割合を避難場所認知度とよぶ.避難場所がど
こであるか人に尋ねる場合,周辺に避難場所の情報をも
っている人が多いほど,情報を得られる可能性が高い.
本モデルでは,セル内のエージェントのうち,避難場所
の情報をもっているエージェントの割合を,そのセルの
認知度とする.エージェントが情報取得行動を行う場合,
そのセルの認知度を情報取得が成功する確率に利用する.
3.3.
エージェント
本モデルでは,避難者一人ひとりをエージェントとし
て表すのではなく,
ともに行動する 1~5 人の避難者のグ
ループを 1 つのエージェントとしてモデル化する.エー
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人工知能学会論文誌 22 巻 4 号 F(2007 年)
表 8 交差点での進行方向選択アルゴリズム
表 6 エージェントの居住地による違い
居住地
住民
近隣
遠方
目的地
避難場所
自宅(対象エリア外)*
自宅(対象エリア外)*
または 避難場所
避難開始
遅い
早い
認知度
高い
低い
早い
低い
目的地の情報
あり
居住地
土地勘
あり
住民
なし
流入者
なし
同調の条件
-
-
-
-
-
満たす
満たさない
使用するアルゴリズム
ダイクストラ法
RTA* [Korf 90]
同調
ランダム
表 7 エージェントの内部状態
属性
ID
home
number
weak
locality
exist
wait
info
destination
cur_cell
adv_cell
pre_cell
pre_node
説明
エージェントの識別番号
自宅が対象地域内なら 0,近隣地域なら 1,遠方地域
なら 2
グループの構成人数
グループ内に弱者を含むか
土地勘があれば 1,なければ 0
道路上で避難を行っていれば 1,そうでなければ 0
避難行動を開始するまでの待ちステップ数
避難場所の情報をもっていれば 1,もっていなければ 0
目的地が避難場所ならばそのセルの ID,エリア外なら
北から時計回りに 0,1,…,7
現在自分がいるセルの ID
次に進むセルの ID
1 ステップ前に自分がいたセルの ID
通過したノードの ID のリスト
ジェントはセル上で行動し(図 2),人間の歩行速度を想
定した速度で移動する.
§1 エージェントの種類
if((次に進むセルの density) != 5){
switch(次に進むセルの density){
case 0: v = 72; case 1: v = 72;
case 2: v = 60; case 3: v = 54;
case 4: v = 42;
}
if(weak == 1) v = ((v - 24) * 0.5) + 24;
switch(number){
case 1: v = v * 1.0;
case 2: v = ((v - 24) * 0.8) + 24;
case 3: v = ((v - 24) * 0.7) + 24;
case 4: v = ((v - 24) * 0.65) + 24;
case 5: v = ((v - 24) * 0.6) + 24;
}
if(info == 0) v = ((v - 24) * 0.75) + 24;
}
else v = 0;
図 3 平均歩行速度を求めるアルゴリズム
エージェントは居住地,構成人数,弱者の有無,土地
き,ブロック内の密度からブロック間移動量を求めてい
勘の有無の各条件の組合せで 32 種類に分類される.エー
る.自動車交通流においては,同じ区間内であれば全車
ジェントの居住地が対象地域内である場合を「住民」,歩
両の自由流速度を一律に設定しても大きな問題はない.
行で帰宅可能な近隣の地域である場合を「近隣流入者」,
しかしながら,避難者交通流を対象とする場合,2.1.節の
歩行による帰宅が困難な遠方地域である場合を「遠方流
§1 避難者の行動特性で述べたように,各避難者の自由
入者」と呼ぶこととする.エージェントの目的地,避難
流速度は複数の属性に依存するため,単純に密度からブ
開始時機,認知度は,居住地の違いにより表 6 のように
ロック間の移動量を求めることは適切でない.本モデル
異なる.表中の*に関しては,エージェントが 8 方位のい
では,ハイブリッドブロック密度法を拡張し,各エージ
ずれかの方角へ向かうようにセル上を移動することで,
ェントの属性を考慮した上で,Q-K 関係と等価な密度-
対象エリア外の自宅へ向かう行動を擬似的に再現する.
速度(K-V)関係から,図 3 のアルゴリズムにより,各
構成人数や弱者の有無はエージェントの歩行速度に関わ
エージェントについて速度 v を決定する.算出した歩行
り,居住地と土地勘の有無は進行方向の選択に関わる.
速度 v が平均として実現されるように,1 ステップで 2
§2 エージェントの内部状態
セルまでエージェントを確率的に移動させる.ここで,
エージェントは,各ステップで内部状態やセルの状態
図 3 中の density,weak,number,info の 4 つの条件は,
などの条件から,行動ルールに従って移動や進行方向の
それぞれ避難者の歩行速度への影響要因である「群集密
選択,情報取得などの行動を行う.エージェントの内部
度」,「避難者の年齢」,「グループの人数」
,「歩行目的」
状態を表 7 に示す.
に対応している.例として,歩行速度が 60(m/分)と求め
§3 エージェントの行動ルール
られた場合,本研究では 1 ステップ 30 秒,1 セル 20m
1) 避難開始と避難完了
としているので,1 ステップで 1.5 セル進むと 60(m/分)
エージェントは初期状態で与えられた wait の値を 1 ス
の歩行速度を表現できる.よって,このステップでエー
テップで 1 だけ減少させる.Wait の値が 0 になると,エ
ジェントは 1/2 の確率で 2 セル,残りの 1/2 の確率で 1
ージェントは行動ルールに従い行動を開始する.また,
セル進むというように進むセル数が決定される.
エージェントが避難場所のセルや,端のセルに到着した
3) 進行方向の選択
場合,避難完了または対象地域外への避難とみなし,そ
エージェントは,交差点のセルに到着すると,エージ
れ以降,すべての行動を行わないこととする.
ェントの種類や目的地の情報の有無などの内部状態に従
2) 移動
い,表 8 に示す方法で進行方向を選択する.ここで,同
ハイブリッドブロック密度法では, Q-K 関係に基づ
調とは多数のエージェントが同一の方向へ向かっている
地域性を考慮した広域災害避難シミュレーションのためのマルチエージェントモデル
表 9 地域性の分類と設定するパラメータ
分類
避難者
避難
環境
防災
計画
地域性
人口
住民と流入者の割合
避難場所認知度
土地勘
弱者の割合
避難開始時期
人口分布
建物種別
避難場所
避難誘導標識
誘導員の動員数
〃 の誘導開始時機
設定項目・パラメータ
エージェント数
home が 0 のエージェントの割合
info が 1 のエージェントの割合
locality が 1 のエージェントの割合
weak が 1 のエージェントの割合
避難エージェントに初期状態で与
える wait の値
各メッシュの number
各メッシュの building
避難場所のセルの選択(refuge)
標識を設置するセルの選択(sign)
誘導エージェント数
誘導エージェントに初期状態で与え
る wait の値
421
• 避難の呼びかけ:5~30 分のランダムな時間,同じ
セルに留まり,避難の開始を促す.
情報をもっていないエージェントは,同じセル内に誘
導エージェントがいる場合,最寄りの避難場所の情報を
得ることができる.また,避難の呼びかけをしている誘
導エージェントがいるセルでは,避難を開始していない
エージェントは,特定の確率で避難開始までの時間が短
縮される.このとき,避難開始までの時間が 30 分未満だ
った場合は,次のステップで,すぐに避難を開始する.
避難開始までの時間が 30 分以上だった場合は,避難の開
始を 30 分早めるという処理を行う.
3.5.
地域性の反映
避難への影響が大きいと考えられる地域性を避難者
場合に,目的地の情報をもたないエージェントがそれに
に関するもの,避難環境に関するもの,防災計画に関す
同調した方向へ進行方向を選択するものである.本研究
るものに分類し,これらの地域性を本モデルによるシミ
では,同じセル内の 1/2 以上のエージェントが同一の方
ュレーションに反映するための設定項目やパラメータを
向に向かっていることを同調の条件とした.
表 9 に示す.避難者に関する地域性,避難環境に関する
4) 情報取得
地域性,防災計画に関する地域性をそれぞれエージェン
避難場所の情報をもっていないエージェントは,同じ
セル内の他のエージェントに避難場所の位置を尋ねると
いう情報取得行動を行う.情報取得行動は,移動と並列
に(実際には,そのステップでの移動の前に)行われる.
ト,メッシュ,避難場所や避難誘導のパラメータの調整
により反映させる.
4.
評価実験
情報取得行動を行った場合,そのセルの認知度の値を情
報取得に成功する確率とする.情報所得に成功したエー
4.1.
実験 1 提案するモデルの評価
ジェントは info の属性が 1 に変更され,交差点のセルで
阪神・淡路大震災当日の神戸市を想定した条件でシミ
なくても,進行方向を改めて決定する.次のステップか
ュレーションを行う.避難者の避難開始が「地震直後」
らは,交差点に到着した場合,変更された属性に従った
である避難者を A タイプ,「夕方暗くなる頃」である避
アルゴリズムを用いて進行方向の決定を行う.また,情
難者を B タイプとする.A タイプと B タイプのエージェ
報取得行動を行ったエージェントが情報を取得できなか
ントの比率を,1:2,1:3,1:4,1:5 の 4 つの条件で実験を
った場合,それ以降のステップでは常に情報取得行動を
行い,震災当日の尼崎市の避難所で得られた避難者数の
行うこととする.
データと比較する.各タイプのエージェントが避難を開
3.4.
始する時刻の分布を以下のように設定する.
避難誘導
§1 避難誘導標識
避難誘導標識による避難誘導をシミュレーションに
A:地震直後~18 時の区間で線形減少
B:16-20 時(18 時最大)の区間の正規分布
再現するため,エージェントに対して環境から情報伝達
また,本手法で導入したエージェント間の社会的相互
を行う情報伝達方式「標識」を導入する.避難場所の情
作用の効果について確認するため,同調と情報取得行動
報をもたないエージェントが,標識の設置してあるセル
を行う場合と行わない場合で実験を行った.
「同調・情報
に到着すると,そのセルから最寄りの避難場所の情報を
取得なし」が通常のハイブリッドブロック密度法に基づ
得ることができる.
標識を設置するセルを変えることで,
く手法,「同調・情報取得あり」が社会的相互作用を導入
現状の再現や設置による避難への影響の検討を行うこと
した本手法である.
ができる.この情報伝達方式の拡張によって,拡声器型
実験条件として,神戸市中央区周辺(約 11km×9km)を
防災行政無線同報系の放送による避難誘導など,定位置
対象とし,避難者数は約 87,900 人を想定する.避難場所
での情報伝達を再現できると考えている.
は各指定広域避難場所に最も近いセル(28 点)に配置し,
§2 誘導員
シミュレーション対象時間は午前 6 時~午前 0 時の 18
自身が移動しながら避難者に対して誘導を行う誘導
時間とする.対象地域に関するその他の条件に関しては,
員を,誘導エージェントとしてモデル化する.誘導エー
Web 上で公開されている統計情報,阪神・淡路大震災教
ジェントは,各避難場所のセルにランダムに初期配置さ
訓情報資料集などを参考とした.
れる.誘導を開始した誘導エージェントは,以下の 2 つ
の行動を繰り返しながらエージェントに対し誘導を行う.
• 移動:20 分以下のランダムな時間,移動を行う.
実験結果と,震災当日の 2 つの避難所における各時刻
の避難者数を図 4 に示す[あまがさき 98].グラフの横軸
は時刻,縦軸は 24 時の避難所到着者数を 100%としたと
422
人工知能学会論文誌 22 巻 4 号 F(2007 年)
表 11 地域性に関する条件
100
避難所到着率(%)
80
60
1:2
1:3
1:4
1:5
避難所1
避難所2
40
20
0
6
8
10
12
14 16
時刻(時)
18
20
22
0
図 4 避難所到着率の実測値とシミュレーション結果
項目
エージェント数
居住地属性の割合
土地勘のある割合
弱者の割合
避難場所認知度
メッシュ分割数
人口分布
建物種別
避難場所の数
避難誘導標識
誘導員の人数
誘導開始までの時間
表 10 社会的相互作用の導入による避難結果の変化
同調・
情報取得
なし
あり
18 時間後の避難場所
到着率(%)
83.3 (0.41)
89.2 (0.35)
平均避難時間(分)
58.5 (0.59)
52.3 (0.44)
きの,各時刻における避難所到着者の割合(避難所到着
率)を示している.点で示しているのは,実測値から得
た時刻と避難者数の散布図,線で示しているのは,全避
難エージェントのうち何%が避難所に到着したかを表す
シミュレーション結果の値である.
このグラフから,A と B の比率が 1:2 から 1:4 のとき,
実測値とシミュレーションの避難所到着率の増加傾向が
概ね一致することがわかる.この結果から,震災当日,
神戸市
つくば市
127,000 (356,000)
24,000 (35,000)
住民 100% (26:72)
住民 100% (59:41)
52%
55%
30%
35%
住民:70%,流入者:10%
36
16
※1
※2
28
21
避難場所の入り口(図 5 の①)のみ
500 人 (800 人)
40 人 (60 人)
2 時間後 (1 時間後)
4 時間後 (3 時間後)
表 12 避難誘導の改善条件
改善条件
標識 1
標識 2
誘導員 1
誘導員 2
誘導員 3
認知度 50%
改善内容
避難誘導標識を図 5 の①の位置に加え,②の
位置に設置する.
避難誘導標識を標識 1 の位置に加え,図 5 の
③の位置に設置する.
誘導エージェントの動員数を 2 倍にする.
誘導エージェントの誘導開始までの時間を
1/2 に短縮する.
誘導員 1 と誘導員 2 の両方の改善を行う.
居住地が「遠方」の流入者の避難場所認知度
を 50%にする.(※災害発生が昼の場合のみ)
• 対象地域:神戸市中央区周辺,つくば市矢田部周辺
• 避難者数(朝,昼):神戸市
380,000,595,000
つくば市
72,000,78,000
地震直後と夕方暗くなるころに避難を開始した避難者の
• 災害発生時刻:朝…午前 6 時,昼…午後 2 時
割合がおおよそ 1:3 程度であったのではないかと考える
• シミュレーション対象時間:
ことができる.また,パラメータの調整を行うことで,
本モデルを用いたシミュレーションから避難所到着率に
ついて妥当な結果を得られることがわかる.また,エー
ジェントが同調と情報取得行動を行う場合と行わない場
朝…午前 6 時~午前 0 時までの 18 時間
昼…午後 2 時から午前 0 時までの 10 時間
それぞれの地域の地域性に関する条件を表 11 に示す.
これらの条件の設定には,Web 上で閲覧できる「神戸市
合の結果を表 10 に示す.表 10 はそれぞれの場合での 18
,「統計つくば 2003」
,
統計速報 速報版(平成 14 年第 1 号)」
時間後の避難場所到着率と平均避難時間を示している.
「阪神・淡路大震災教訓情報資料集」,
「つくば市都市計
括弧内の数字は標準偏差を示している.平均避難時間が
画図(研究学園都市計画)
」,「神戸市 地域防災計画 地震
現実の避難で想定される時間より大きく感じられるが,
対策編 総括」,「神戸市 地域防災計画 防災マニュアル」
,
これは今回の実験では,指定広域避難場所のみを避難場
および「地域防災データ総覧 阪神・淡路大震災基礎デー
所として配置したためと考えられる.この表から,エー
タ編[消防 98]」を参考とした.また,つくば市の防災計
ジェントの社会的相互作用を導入することで,避難場所
画に関する条件の設定には,つくば市生活安全課防災係
到着率が約 6%高くなり,平均避難時間は約 6 分短くな
に協力していただいた.表中の※1 の条件は,各メッシ
っていることがわかる.
ュに含まれる行政区の面積のおおよその割合をその行政
4.2.
区の人口にかけあわせることで設定した.また,表中の
実験 2 地域性の比較
性質の異なる 2 都市を対象に,それぞれ朝と昼に災害
※2 の条件は,都市計画図を利用し,3.2 節§1 の基準で各
が発生した場合を想定した 4 種類の条件について地域性
メッシュに building の値を設定した.現状を想定した条
を反映させたシミュレーションを行う.それぞれの地域
件(基本条件)での実験結果と比較を行うための避難誘
の現状から想定される条件と,避難誘導に関する条件を
導に関する各改善条件と改善の内容を表 12 に示す.
改善させた場合での実験結果から,地域や災害発生時刻
神戸市とつくば市で朝に災害が発生した場合を想定
の違いによる有効な避難誘導方法の違いについて考察を
した実験結果を図 6,図 7 に示す.グラフの横軸は適用
行う.実験結果について,自治体の防災担当であるつく
した改善条件,縦軸は各改善条件を適用した場合に基本
ば市生活安全課防災係に評価していただいた.
条件での結果と比較して避難所到着率が 90%に達するま
シミュレーションの想定条件を以下に示す.
での時間がどれくらい短縮されたかを示している.
423
避難場所
避難場所
2
2
1
3
3
40
40
30
30
短縮時間(分)
3
短縮時間(分)
地域性を考慮した広域災害避難シミュレーションのためのマルチエージェントモデル
20
10
2
20
10
3
0
図 5 避難誘導標識の設置位置
0
標識1
標識2
誘導員1
改善条件
誘導員2
図 6 各改善条件により短縮
された時間(神戸市-朝)
表 13 各改善条件による 10 時間後の遠方流入者の避難所
到着率(神戸市,つくば市-昼)
改善条件
基本条件
標識 2
誘導員 3
認知度 50%
遠方流入者の避難場所到着率(%)
神戸市
つくば市
86.6
80.1
88.4 (1.8)
84.5 (4.4)
87.0 (0.4)
80.9 (0.8)
92.2 (5.6)
88.0 (7.9)
()内の数字は基本条件との差
図 6,7 から,次のことがわかる.
• 神戸市で朝に災害が発生した場合,誘導員 1,誘導
員 3 の改善条件では,避難所到着率が 90%に達する
までに要する時間が 30 分以上短縮される.
• つくば市で朝に災害が発生した場合では,標識 1,
標識 2 の改善条件では,避難所到着率が 90%以上に
なるまでに要する時間が 30 分以上短縮される.
神戸市では誘導員の動員数を改善した場合が有効で
あった.誘導員の動員数の改善内容として,神戸市もつ
くば市も現状の条件に関わらず,誘導エージェントの数
誘導員3
標識1
標識2
誘導員1
改善条件
誘導員2
誘導員3
図 7 各改善条件により短縮
された時間(つくば市-朝)
• 神戸市,つくば市ともに,10 時間経過後の遠方流入
者の避難所到着率が最も改善されるのは,遠方流入
者の避難場所認知度を 50%に向上させた場合である.
• 神戸市,つくば市ともに,誘導員よりも,標識によ
る改善を行った方が,10 時間経過後の遠方流入者の
避難所到着率がより改善される.
これらの結果から,地域によらず,遠方からの流入者
の避難所到着率を改善するための最も良い方法は,事前
の広報活動により遠方からの流入者の避難場所認知度を
向上させておくことであると考えられる.また,誘導員
の増員や誘導の開始を早めるよりも,避難誘導標識を多
く設置することによる避難誘導の改善が効果的であると
考えられる.この理由として,流入者の避難開始時機が
住民に比べて早い時間であるため,誘導員が誘導を開始
する時間には,流入者が地域外へ避難をしてしまってい
ることなどが考えられる.
つくば市生活安全課防災係から,これらの実験結果に
ついて次のような評価をいただいた.
を 2 倍にするという改善を行った.神戸市では阪神・淡
実験 1 について「現実には多くの避難者が指定避難場
路大震災の経験による地域防災計画の見直しから,もと
所以外の場所へ避難を行うことが考えられるため,結果
もと動員される人数が多く,誘導エージェントを 2 倍に
の定量的な妥当性は判断できない.しかしながら,避難
するという改善により,数百人が増員されることとなっ
者の避難経路が再現されることで,避難誘導標識の設置
た.これに対しつくば市では,もともと数十人といった
や誘導員の誘導計画の検討等において,定性的な評価を
少ない動員数であったため,誘導エージェントを 2 倍に
行う上で有用ではないかと考えられる.つくば市では,
するという改善による増員数も数十人となり,神戸市に
標識による誘導が有効であるという結果が得られている
比べ,誘導エージェントの増員が不足していたものと考
が,現時点で標識は避難場所の正門付近に設置されてい
えられる.また,つくば市では標識による誘導を改善し
るのみである.設置費用が限られている中で,より効果
た場合が有効であった.つくば市ではノード間の長さが
的な配置を検討する場合には,このようなシミュレーシ
平均的に神戸市より長い.このため,今回の実験の基準
ョンが有効となるのではないか.」
で標識を増設した場合に,避難場所からより遠い地点ま
実験 2 について「実際の災害時に,避難所への避難者
で誘導の効果を与えることができたために,神戸市に比
の早期到着や,特定の時間帯に避難者が殺到することに
べ,標識による誘導が有効であったと考えられる.
よる混乱があると,行政として対応が困難となる.実験
次に,神戸市とつくば市で昼に災害が発生した場合の
では,事前の広報活動による認知度の向上を想定した条
実験結果を表 13 に示す.この表は,基本条件,標識 2,
件でシミュレーションを行っているが,住民と流入者と
誘導員 3,認知度 50%の 4 つの条件でシミュレーション
で避難開始時刻の分布を変えたシミュレーションを行え
を行った場合の 10 時間後の遠方流入者の避難所到着率
ることから,避難所到着時間がうまく統制されるような
を示している.
広報活動や誘導員の指示による避難開始時間の調整の検
表 13 から,次のことがわかる.
討に利用できれば非常に有用ではないかと考える.」
424
5.
人工知能学会論文誌 22 巻 4 号 F(2007 年)
おわりに
地域性を考慮した広域災害避難シミュレーションを
行うためのマルチエージェントモデルを構築した.この
モデルは,日本全国任意の地域を対象に広域なシミュレ
ーションを行うことができる.また,少ない設定で,対
象地域の地域性をシミュレーションに反映することがで
きる.阪神・淡路大震災当日を想定した広域シミュレー
ションの結果,パラメータの調整を行うことで,震災当
日の実測値と比較して,避難所到着率の増加傾向につい
て妥当な結果が得られることを確認した.神戸市とつく
ば市を対象とした実験について,自治体の防災担当者か
ら定性的な評価を行う上で有用ではないかとの評価をい
ただいた.
今後は,不確定なパラメータについて現実の実験や調
査結果をもとに調整し,モデルをより妥当なものとして
いくことが課題となる.また,より多様な避難行動パタ
ーンや,新たな情報伝達方式を導入し,今回は再現しな
かった避難誘導方法を再現するなど,モデルの拡張を行
う予定である.
謝
辞
本研究を進めるにあたり,IT ナビゲーションシステム
研究会殿には,ナビ研 S 規格フォーマットについてご教
示いただきました.また,つくば市生活安全課防災係殿
には,地域設定のための調査およびシミュレーションの
評価に御協力をいただきました.ここに心より感謝の意
を表します.
[松原 02] 松原,田中,Frank,田所:大規模災害救助シミュ
レータを対象としたリアルタイム実況の自動生成,人工知
能学会論文誌,Vol.17, No.2,pp.177-180(2002).
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2006 年 10 月 10 日
受理
著 者 紹 介
村木 雄二(学生会員)
2004 年筑波大学第三学群情報学類卒業.
2006 年同大学大学院理工学研究科修了(修
士).現在,同大学大学院システム情報工
学研究科博士後期課程在学中.マルチエー
ジェントモデルに関する研究に従事.情報
処理学会学生会員.
狩野 均(正会員)
1980 年筑波大学大学院理工学研究科修了.
同年,日立電線(株)入社.同社オプトロシ
ステム研究所において人工知能・ニューラ
ルネットワークの応用に関する研究に従事.
1993 年より筑波大学電子情報工学系.
現在,
同大学院システム情報工学研究科准教授.
遺伝的アルゴリズム・人工生命の研究に従事.工学博士.1992
年電気学会論文賞,1999 年 WSC4 論文賞,2003 年,2006 年情
報処理学会優秀研究報告賞受賞.人工知能学会,情報処理学会,
IEEE 各会員.