オーストラリア 2005 年から 06 年にかけてオーストラリアの新聞界 で起きた大きな出来事と言えば、長くメディア界でマ ードックと二分した勢力を持っていた大富豪ケリー・ パッカーの死。そしてマードックの後継者問題や大都 市日刊紙のタブロイド化であろう。 ケリー・フランシス・バルモア・パッカー、2005 年 12 月 26 日死去。享年 68 歳。三大ネットワークの ひとつチャンネル9ネットワーク、出版社 PBL(2005 年に ACP=Australia Consolitated Press=と改名、時 事週刊誌『ブレティン』などの主要雑誌を発行。地方 紙や一時期首都紙キャンベラタイムズも所有) をもち、 名門パッカー家の三代目であった。 父フランク・パッカー卿(1906-74)はシドニーのテレ グラフ(日刊、日曜紙)をマードックに売却する 72 年まで所有、シドニー、メルボルンでチャンネル9を 始めた。祖父のロバート・クライド・パッカー (1879-1934)は週刊雑誌『スミスズ・ウィークリー』を 代表格に 1920 年代からマス・メディア界に参入、女性 誌『オーストラリアン・ウィメンズ・ウィークリー』 など出版界に君臨した起業家であった。祖父はマード ックの父親キース・アーサー・マードックと激しく競 い、父は旗艦紙テレグラフを売却し若きマードックの 世界進出の弾みとした。 三代目のケリー・パッカーは父の死後、投資や資源 開発、アメリカズカップ制覇の夢などを追い実業家じ みたが、それが一段落すると、やはり蛙の子は蛙だっ た。1980 年代のメディア買収に参画後はマードックと の覇権争いに勢力を費やした。パッカー家攻防の歴史 は、そのままマルチプル・メディア・オーナシップと 称されたオーストラリアのメディア界をなぞることが できる。 20 世紀オーストラリア・メディア界に君臨したパッ カー家については、Bridget Griffen-Foley, THE HOUSE OF PACKER: The making of a media empire ( Allen & Unwin, 1999)が話題を呼んだが、今 回の死後出版された Neil Chenoweth, PACKER’S LUNCH(Allen & Unwin,2006)が書店で売れている のは皮肉だ。 さて、そのパッカー家四代目と言える長男ジェーム ズ・パッカーは着々と帝王学を学び、継承すると思わ れるが、他方マードックの後継者と目されたラクラ ン・マードック(彼は WAN=世界新聞協会=の理事な ども歴任)の去就が注目されている。 英国生まれで、プリンストン大学卒業後わずか 21 歳でマードック傘下のクインズランド新聞社の経営を 任され、96 年からはニューズ社の経営陣に入り、全米 のマードック系新聞のトップに収まった。 しかし、オライリーの APN を継承すると思われた 息子、キャメロン・オライリーが離れたように、ラク ラン・マードックもまたニューヨークを後にして、オ ーストラリアに戻ったのである。 2006 年 3 月に入り、クインズランド州の州都ブリ スベーンで 150 年以上発行されている朝刊紙、クーリ ア・メール(20.8 万部)が、ついにタブロイド紙面に 移行した。残るところの大判(ブランケット版)の大 都市日刊紙は、全国紙のジ・オーストラリアン(13.3 万部) 、シドニー・モーニング・ヘラルド(32.4 万部) そしてジ・エイジ(19.5 万部)くらいとなった。 2001 年からメルボルンで発行されていたマードッ ク系のメトロ紙 mX が 2005 年 7 月からシドニーへ進 出した。18~34 歳の読者を対象に午後 3-7 時にター ミナル駅で配布されており、通勤客を中心に広く読ま れている。ブロイド版の 24~28 頁たて。広告が半分 以上占める。当初 5、6 万部の予想だったが、9 万部ほ どになった。他の州都市での発行を計画している。 2005 年は太平洋戦争終結 60 周年の年だった。建国 以来唯一オーストラリアを侵攻した国として日本はオ ーストラリア史のなかで特筆されている。8 月 15 日は 各紙特集を組んだのが目立った。新聞は法律によりキ ャンベラにあるオーストラリア国会図書館(NLA, http://www.nla.gov.au/)への納本が義務付けられてい る。オンラインでの新旧新聞、定期刊行物が充実して いるので、研究調査には大いに利用できる。 通信・情報技術・芸術省(DCITA)のクーナン大臣が 2005 年 3 月に提出したメディア改正案は、メディア 界からの反発も多かったが、2006 年 7 月には閣議決 定され、年内に法律改正をしたうえで、早ければ 2007 年 1 月から実施される見込みである。 これまで禁止されていたテレビ局(無料、地上波) と新聞社の相互所有(いわゆるクロス・メディア・オ ーナーシップ)の解禁、外資規制の撤廃、2010~12 年にはアナログ放送からデジタル放送への移行などが 主要骨子だ。そうなれば、多チャンネル・多メディア よりもパッカー、マードックといった既存の大手メデ ィアの寡占化がより一層強まるのではないかという危 惧や、デジタル機器の購入、コンテンツの不足などが 議論されている。 発行部数は 2005 年 7 月-12 月現在。 増減比は 2004 年同月対象。
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