拡大EU下のナショナリズム―グローバル化と「民主化」の帰結― in 田中

拡大EU下のナショナリズム―グローバル化と「民主化」の帰結―
in 田中俊郎・庄司克宏『EU統合の軌跡とベクトル』慶応大学出版会、2006.
羽場
久美子
はじめに:民主主義とナショナリズム(1)
1989 年冷戦終焉と社会主義体制の崩壊後、「ヨーロッパは1つ」のユーフォリアが東西ヨ
ーロッパ全体を覆った。それから 15 年後の 2004 年 5 月 1 日、EUは、東西ヨーロッパの
一部を除くほとんどを包摂し、25 カ国に拡大した。グローバリゼーション下でアメリカの
単独行動主義に対し、「(複数の)新世界秩序 New World Orders」の一翼を担うことを宣言し、
イラク戦争以降、国連とも結びつつ、積極的に国際問題に関与している。東アジアの政治
や安全保障、北朝鮮の KEDO にも積極的に発言し始めた。拡大EUの国際規範をリードす
るものとしての役割は、ますます国際社会で大きくなりつつある(2)。
他方、冷戦の終焉は「民主主義」の時代をももたらした。社会主義体制が崩れて自由化・民
主化が謳われ、旧ソ連東欧諸国は競って「民主化」を開始した。1993 年アメリカの大統領補
佐官アンソニー・レイクが、冷戦期の「封じ込め」に変わるものとして「民主化」政策がある
と述べた(3)ように、「パクス・デモクラティア(民主主義による平和)」が世界を席巻している。
しかしF・フクヤマが予見した「民主主義」の勝利による「歴史の終わり」は現実の国際関
係史上では起こらず、各地で民族・地域紛争の時代に入った。ハンチントンはこれを「文明
の衝突」とし欧米の結束を説いた(4)。中・東欧が「民主化」を推し進める中、バルカン(旧
ユーゴスラヴィア)では、スロヴェニア、クロアチアの独立に続いて、ボスニア、さらにコ
ソヴォで民族・地域紛争が拡大し、冷戦終焉後の「民主化」の試みは、世界各地のラディ
カル・ナショナリズム(急進的民族主義)の席巻へと置き換わっていった。グローバリゼーシ
ョン下で各国における「民主化」の実態が模索される中、ナショナリズムが自己主張を始め
た、といえよう。
①<ラディカル・ナショナリズム(Radical Nationalism)の拡大と民族浄化>
ワシントン大学の国際関係学教授サブリナ・ラメは、既に 1990 年代に、旧東欧の「民主
化」過程で、ラディカル右翼が急成長する過程を分析している。またカリフォルニア大学ロ
サンゼルス校の社会学教授ミヒャエル・マンは、「民主主義の暗部:民族浄化の表出」の大
著を表し、民主化の過程において、どの地域でも民族虐殺が起こりうる可能性を秘めており、
起こらなかったのはたまたま幸運であったに過ぎないことを指摘している(5)。そうした事
実の検討は旧来意識的に避けられてきたし、むしろ旧来は「民主主義の未成熟」と捉えられ
てきた。しかし、ナチス・ドイツ、スターリンのソ連、ユーゴ、ルワンダで、そしてアイル
ランドやアメリカでも、民主国家において民主主義と民族虐殺が並存しうること、民主主
義がなぜこうした民族浄化をもたらすかの分析が必要であること、
「多数者による少数者へ
の独裁」の可能性と危険性は常に存在すること、をマンは強調する。
②<民主化とリベラル・ナショナリズム(Libral Nationalism)>
他方、1990 年以降民主化を進めていた中・東欧では、リベラル・ナショナリズム(自由主
1
義的民族主義)が広がった。リベラル・ナショナリズムは、語源としては奇妙かもしれない
が、近代化と解放の理念と結びついたナショナリズムで、とくに 1989 年後のポスト共産主
義のポーランドやチェコ、スロヴァキアなど中欧諸国に見られる、とダブリン大学の Stefan
Auer は述べている(6)。旧来多くの識者によりこれまで、中欧やバルカンの民主主義とナシ
ョナリズムの連関について、「民主主義」の未成熟がナショナリズムを招くと考えてきたし、
また中・東欧のナショナリズムは遅れたナショナリズムで、英仏型の西欧民主主義が実行
できない地域であり、民主主義が歪んだ形でナショナリズムへと転化したと考えられたが、
中欧には、愛国的だがショーヴィニスティックでない、「外国人嫌い」でなく「外国に友好的」
ナショナリズムが存在した。これは「ヨーロッパ回帰」やヨーロッパの諸機構への参加と
結びついたヨーロッパ化、文明化のナショナリズムでもあった。
③<「参加民主主義」とゼノフォビック(外国人嫌いの:Xenophobic)
・ナショナリズム>
ところが早くは 90 年代半ばから、主要には 2000 年前後から、西欧・北欧でも右派ナショ
ナリズムの成長が見られ始めた。イタリアの北部同盟やフォルッツァ・イタリア、オースト
リアのハイダー自由党の移民排斥、フランスの大統領選でのルペン現象、オランダのフォ
ルタイン死後のフォルタイン党の急成長など、反移民と、自国農民の擁護、失業者保護、
反EU、欧州懐疑主義(ユーロ・スケプティシズム)など、民衆の経済的不満を利用・扇動しながら反民
族主義的な動きを鼓舞する)動きが、20-21 世紀の転換期に急成長した(7)。
「他者」外国人移
民や企業への組織された怒りと暴力行使が、バルカンのみならず、まずEUの西の境界線
の内側で、次いで西欧の只中でも噴出し始めたのである。
さらに拡大EU25 カ国への広がりの中で、これまでのユーロクラット(EU官僚)主導に
よるEUの超国家権限行使が市民生活の一部にまで及ぶ「民主主義の赤字」を反省し、「参加
民主主義」を重視しようと「市民による政策決定」を盛り込んだ欧州憲法条約が 2004 年 19 月
に調印された。しかしこの憲法条約に対する国民投票で、それを牽引したジスカールデス
タン、シラクのお膝元のフランス、次いでオランダでも憲法条約が国民投票によって拒否
されるという事態が起こり、更なる批准は頓挫することとなった(8)。フランスではさらに、
労働者の反移民のデモ、あるいは逆にムスリム系移民の対移民政策に対する暴動がおこる
など、右派ナショナリズムは西欧でもますます活発化している。以上の流れを見ると、21
世紀において、民主主義の「未成熟」が急進ナショナリズムを生む、という説明ではもはや
片付けられない。「民主主義の赤字」を克服し「参加民主主義」の導入を考える際、欧州の
東西で国家や“people”を体現する市民、農民、民族、勤労者の間に、互いにゼノフォビッ
ク・ナショナリズムが広がっている事実を検討する必要がある。それは拡大EUとどのよう
な関係にあるのだろうか。
<EUの減速?>
「EUは減速しつつある(declining)。」2006 年 3 月、元ハンガリー政府EU代表ペーテ
ル・バラージは、イタリア・パドゥアでの欧州連合主催の国際会議でそのように述べた(9)。
「ナショナリズム、移民、マイノリティ、境界線の問題が、現在EUにとって、死活の、
2
最も重大な難問である。それらはいずれも拡大とグローバリゼーションの帰結である格差、
対立の温床となっている。」21世紀、グローバル化の広がりによって、労働力の自由移動、
移民の増大、EUそのものの境界線の拡大と、民族問題が、ヨーロッパ全体を覆っている。
拡大EUのナショナリズムはまさに、そうしたグローバル化する世界と「民主化」の波とい
う、世界全体が避けて通れない問題の一つの帰結として、現れている。
しかしこうした見方に、
『ツァイト』の編集主幹、テオ・ゾンマーは異議を唱える。彼は
「欧州衰亡論に組みするな」と、ヨーロッパ懐疑主義の広がりを戒める。彼は、欧州憲法条
約、統合の制度や枠組みへの新加盟国の不適応、フランスに見られる「経済的愛国主義」
の広がりがありつつも、欧州統合は同様の危機を繰り返し乗り越えてきたとする。彼はソ
フト・パワーとしての欧州の底力を評価し、ナショナリズムとヨーロッパ懐疑主義の克服
が重要な課題であると述べる(10)。これとはニュアンスは異なるが、25 カ国欧州委員長バ
ローゾは、「先行統合」が言われつつ「先行」で躓いた欧州憲法条約を踏まえつつ、ユーロや
EU財政をめぐる仏伊の「経済ナショナリズム」を強く批判した。また雇用などソーシャル・
ヨーロッパに立脚した社会保障の充実とそれに基づく経済発展が欧州市民にとって極めて
重要であることを主張した(11)。現在、拡大EUの最大の課題の一つが、民主主義、市民参
加とナショナリズムへの対応であるといっても過言ではない。
ハンガリーの政治学研究者、Agh Attila は、
「参加民主主義」は、実は歴史的に東欧のほ
うが進んでいた。西は、エリート民主主義、制度民主主義など機構面での代議制が進行し
たが、東では、独立と解放など、歴史的にハプスブルク帝国やオスマン・トルコ、さらに
ソ連社会主義など、支配に抵抗しての民族運動が成長したと述べる(12)。が、それ自体高揚
すれば他者排斥と民族弾圧、自民族中心主義に至った歴史を持つこともまた事実である。
中・東欧の「民主化」は、なぜリベラル・ナショナリズムとラディカル・ナショナリズム
に分岐していったのか、その分岐点は何か。また「民主主義の赤字」の是正努力と「参加民
主主義」の導入過程で、なぜ西の保護主義や移民排斥、東の西側不信など、相互の被害者
意識と外国人排斥のナショナリズムが噴出しているのか。民主主義とナショナリズムはど
こで重なり、どこで自民族の利害と「他者排除(Xenophobia)」として反転するのか。
<民主主義とは?ナショナリズムとは?>
民主主義とは何か。『社会学事典』(高畠通敏)によれば、民主主義とは、ラテン語の
demos+kratos(民衆の支配)に由来し、本来、民衆の運動、民衆の参加をその語源とする。
近代民主主義の理念としては、「治者と被治者の同一、成員の同質化・平等化」(シュミット)、
議会制民主主義、多数決と少数者の尊重、自治と地方分権を原則とする。(13)
ではナショナリズムとは何か。アーネスト・ゲルナーによれば、「ナショナリズムとは、
政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理」
で、近代化、産業化の中で進展する。他方アンソニー・スミスによれば、ネイションは「諸
理念や進行の中で最も人間の忠誠心に依拠しつつ、政治的な行動に駆り立て、祖国という
3
連帯意識を形成する」。(『国際政治事典』大澤淳) (14)
民主主義とナショナリズム。いずれの用語も数百冊の書物をしても定義づけ切れない多
様性と不安定性、その地域・民族(市民)に見合った複雑性を持つが、民衆の支配・参加という
語源を持つ行為が、合理的な自己と他者利益の追求を超えて、
「忠誠心と祖国への連帯」
「他
者排斥」に転化する契機はどこにあるのだろうか。そもそも「people(市民、民衆、民族、農
民)」自体が、極めて重層的で可変的である。冷戦終焉以降の 17 年間に限定しても、民主化
の中で現れてきたナショナリズムには、いくつかのバリエーションがある。
1.社会主義体制の崩壊とグローバリゼーションの広がりが、地域格差、階層間格差を拡
大させ、多数者になった市民が国家政策に異議を唱えるケース。:(市民益擁護のリベラル・
ナショナリズム。)
2.国民国家形成の過程で、それが大きく損なわれると自覚したとき、「自己と他者」「敵
と見方」の図式を作り、「我々」のアイデンティティを防衛するため、組織力と武力、軍事
力により、「他者」を攻撃し壊滅させることによって「自己」の保全と結束を図る。(ラディカ
ル・ナショナリズム。)
3.グローバリゼーションと地域統合の広がりが、自国と自分たちの利益を損なう(ない
し利益が実感できない)時、自民族あるいは自己集団を防衛するため他者を排斥する。そ
れが結果的に移民など社会的弱者及びマイノリティであってもそれを異質者として排除し
自己利害を守ろうとするゼノフォビック・ナショナリズム。(農民、都市市民、国民)(15)
本章では、拡大EUの中で現れてきた、これらの3つの民主主義とナショナリズムの形、
1) リベラル・ナショナリズム(1990 年代、中欧)、2)ラディカル・ナショナリズム(1990
年代、バルカン)、3)ゼノフォビック・ナショナリズム(2000 年代、西欧)について、そ
れぞれ検討していく。
1.自由化・民主化とリベラル・ナショナリズム(1990 年代、中欧)
EU拡大過程における中・東欧の民主化の研究は、冷戦終焉後、少なくない著作が出され
てきた。ハンガリーの政治学者バログは、ヨーロッパ統合と「国益」について、98 年に警
鐘を鳴らしている。ハンガリーの政治学者アーグ・アッティラを中心とした中欧研究叢書も、
社会主義体制から資本主義へ、民主化・市場化への過程を、ハンガリーのみならず、中・東
欧全域にわたり、同時代における 200 を越える時々刻々の論文の刊行を通して、精力的に
分析し続けてきた。また、チェコの Drulak らは、中・東欧地域の民主化過程を、民族的・
ヨーロッパ的なアイデンティティの特徴を通して追求してきた。サセックス大学のメアリ
ー・カルドアらを編者とした中・東欧の民主化の本は、欧州委員会とも直接関係を持ちなが
ら、中・東欧各国の研究者により 90 年代前半の民主化過程を総合的に分析したものである。
しかし著者らの意図とは関係なく、基準としての民主化の尺度が、まさに制度的枠組みと
しての民主化にそれぞれの状態を当てはめて整理がなされているために、結果として、西
欧の「民主化」基準に対して、どの程度中・東欧がそれを達成しているかの達成度評価とし
4
て作用している(16)。民主化とナショナリズムについては、制度分析を超えた動的・個別的
検討が、理論的再検討と共に不可欠である。筆者も、冷戦終焉以降の17年間、中・東欧の
「民主化」とナショナリズムをめぐる諸矛盾を拡大EUとの関係の中で分析してきた。
<4 度にわたる民主化、民族解放(National Freedom)と、3 度の挫折>
中・東欧は、19-20世紀にかけ、実に歴史的に4度にわたり、民主化、自由化の導入を繰
り返し試み、そのうち 3 度までが失敗してきた地域である。
第1は、1848 年革命、民族の解放とハプスブルクからの独立戦争、第2は、第 1 次世界大
戦後、ハプスブルク帝国からの独立と国民国家形成によるフランス第3共和政の導入、第
3は、第 2 次世界大戦後、ナチス・ドイツからの解放後の民主主義の導入、第4は、冷戦の
終焉後、社会主義体制の崩壊とソ連からの解放、「ヨーロッパ回帰」による民主化である。
それは一つには内部的要因によるものであり、今ひとつは、外部要因によるものである。
内部的要因とは、多民族地域ゆえの少数民族対立、諸利害集団の調整の困難さや、経済の
脆弱性、あるいは政党と一般民衆の結びつきの弱さなどの弱点であり、外部要因とは、国
境地域を通しての周辺諸大国からの絶えざる脅威などである。これらの相互作用の結果、
いずれも決定的には周辺大国の介入と多様で自己主張する少数者の存在(民主主義制度の
弱点)が、この地域の不安定化と民主化の失敗ないし中断を決定付けたのである。
<冷戦終焉後の「民主化」と、リベラル・ナショナリズム>
冷戦後におけるこの地域の「民主化」と市場化の達成は、ヨーロッパへの2つの段階で
の制度的回帰とかさなっている。
第1段階は、90 年代前半の<冷戦の終焉と体制転換による心情的・制度的なヨーロッパ回
帰>である。現実には、欧米理論家によるネオ・リベラルなショック療法を導入する国(ポ
ーランドなど)と漸進的改革を唱えるハンガリーやチェコなどの違いがあり、またいずれ
も程度の差や時間的スパンの違いはあったにせよ、国営企業の解体と民営化、外資の導入、
多党制と自由選挙による議会制民主主義、マイノリティへの人権保障、環境や経済・政治・
社会レベルにおける欧米基準値の達成、ヨーロピアン・スタンダードの導入、などが行われ
ていった。この過程では、急速で「暴力的な」制度化があり、多数の労働者・農民とその家
庭が巷に放り出された。たとえば農業協同組合は解体され、土地は元の所有者に返還され、
深刻な不況・不作が輸出を激減させた。(17)
しかしこのアングロ・サクソン型のショック療
法の導入により、中欧諸国は西欧が 100 年かかって行なった緩やかな資本主義化を 10 数年
の「社会主義から資本主義への道」として急速に整えていったのである。
第2段階は、90 年代後半の、<EUによる「民主化の達成基準値」の設定とそれに向
けての競争>である。EUは旧社会主義国を加盟させるに当たって、西欧型の「民主国家」
とするための基準を設けた。すなわち、政治、経済、法律における民主化、市場化、法制
度を要求するものとして、「コペンハーゲン・クライテリア」と31項目、8 万ページに及
ぶアキ・コミュノテールを実行していく「アジェンダ 2000」の過程が設けられたのである。
以後、中・東欧にとって、EU加盟は 1996-2004 年まで実に9年近く継続する「加盟基準達
5
成過程」となった(18)。こうしたEUの達成基準の設定と厳しい加盟交渉過程は、その時々
の基準達成交渉の際における西欧側の保護主義(たとえば農業補助金における既得権益の
保護)や、ダブルスタンダード(たとえば候補国に対するマイノリティへの人権要求と、
加盟国における人権侵害の放置)などとあいまって、西側への不信と批判を徐々に強めて
いくこととなった。
<リベラル・ナショナリズムとヨーロッパ化>
こうした中で、ヨーロッパ化と平行して成長していったのが、リベラル・ナショナリズムで
あった。リベラル・ナショナリズム(Liberal Nationalism)は、通常、自由化・民主化とそれ
が他者否定に至らず外国と共存する(ヨーロッパ化)という路線を、拡大EUの諸条件の中で、
自国の権利を擁護しつつ、進めていった。
例えばポーランドの場合、歴史的・伝統的な帰属による共和制、教会と国家の関係、宗教
教育、中絶批判など家族倫理の問題が、ポーランド・ナショナリズム(クリスチャニティ
やカトリシズム)の根幹、憲法問題とも密接に結びついてポーランド自由主義的ナショナ
リズムの理念となる(理念的にはアメリカのネオリベラルとも近いといえる)。ポーランドの
愛国主義は、自由主義的で、ショーヴィニズムやゼノフォビアとは一線を画し、多様性と
多元主義(ミフニク)を尊重し、連帯の理念に基づいていた、とアウエルは述べる。(19)
他方、チェコは伝統的にリベラル・ナショナリズムを持っているが、それは常にドイツの
権威主義的支配に対抗する民主主義への信任であった。故にチェコのナショナリズム、近
代化はドイツの影を持つ歴史を排除しようとする傾向を持ち、それは第二次世界大戦後の
ズデーデン・ドイツ人の排除(強制移住)にもつながった。チェコのナショナリズムは、
19 世紀のチェコの思想史家パラツキーに見られるように、平和と平等のスラヴ精神に基づ
く民主主義であった。マサリクの自由と独立の理念も、それを踏襲した。1989 年、ハヴェ
ルは 89 年に大統領に選出されて以来、こうした自由民主主義的な伝統をモラルを持って統
合しチェコナショナリズムを表象した。ドイツ人の追放に対してドイツに戦後初めて謝罪
し、ドイツとの共存を誓うところから、チェコ自由主義的ナショナリズムを開始した。し
かし他方それは、周辺国に対しては優越感と蔑視を持ち、特にバルカンの泥沼化に否定的
で、その点でも西欧リベラリズムとの共通性を持つ。(20)
これに対しハンガリーのナショナリズムは、民主化とヨーロッパ化を目指す、よりプラ
グマティックなナショナリズムであるといえよう。中・東欧の中では最も率先して外資・企
業の積極的導入を行ない、経済発展を推進した。その背景にはアメリカの投機王ソロスを
始め、自国外のユダヤ系企業家や金融資本家の援助があった。ハンガリーは 91 年、ソ連の
軍部によるクーデタの失敗の後、「ヴィシェグラード地域協力」を提唱して、積極的に周辺
諸国との安全保障に取り組み、NATOに接近した。いずれも、ヨーロッパ化の枠組みの
中で、中欧中最も積極的に 90 年代初めの安定と発展を謳歌した。また独特の選挙体制によ
って、急速に 2 大政党制に移行し、中道左派の社会党と中道右派の FIDES(青年民主同盟)
市民党が交代に政権を担いつつ、EU課題を達成していった。左派の社会党がよりリベラ
6
ルで欧州回帰に積極的であったが、右派 FIDESZ も、反ユダヤ主義的傾向を帯びつつも、
基本的には自由主義ナショナリズムの枠内にあった。他方で FIDESZ はヨーロッパ化より
も、300 万人の国境外ハンガリー人マイノリティの問題を政治化することによって、国内の
結束を図った。21)これは本国と周辺国との関係では主要には経済補助とマイノリティ擁
護を目指して、「少数民族地位法」と呼ばれるパスポートに変わる身分証明書の発行を議会
で満場一致で可決し、自民族の境界線の自由移動を図ったが、周辺国の強い反発を招いた
(22)。次いで国民投票に伏された周辺マイノリティに対する二重国籍導入は、国民の無関心
によって成立を阻まれた。ハンガリー・ナショナリズムは経済的リベラリズムと政治的同胞
主義の両側面を持つアンビバレントな要素からなるといえよう。
<左右のナショナリズムの成長と中・東欧の「民主主義」>
こうした急速な EU 加盟基準達成の要請に基づくネオ・リベラルな市場化改革の波の中で、
90 年代初めから、民族益を掲げて、右翼急進主義も成長してきた。たとえば、ハンガリー
ではチュルカの「MIEP:ハンガリー正義と生活党」、ポーランドのレッペルの「自衛」、ルー
マニアのトドルの「大ルーマニア党」、あるいは政権党としては、スロヴァキアのメチアル
の民主スロヴァキア運動などである。彼らは積極的に、民族の擁護を掲げ、自由化や民営
化をユダヤ資本の流入、ないしグローバリゼーション、アメリカナイゼーション批判とし
て、ヨーロッパ化に反対し、反 EU、反民主主義、反ユダヤ、反マイノリティなどを掲げて
支持を獲得していった。ただし、中欧ではこれらの勢力は多数派には至らなかったか、政
権党もEU加盟の現実化の中で衰退していった(23)。
2.国民国家形成とラディカル・ナショナリズム(1990 年代後半、バルカン)
これに対して、バルカンの場合は、中欧とはかなり異なる。中欧は、民主化とヨーロッ
パ化によって、自国の利害を調整することが少なからず出来たのに対して、バルカン、特
に旧ユーゴスラヴィアの経緯は、対照的であった。
旧ユーゴスラヴィアは、社会主義時代はチトーの指導により多民族国家を強力にまとめ、
ソ連に対抗して「非同盟」「自主管理社会主義」を実行していたが、冷戦の終焉後、多数民族
が互いに字地域のマイノリティを暴力的・軍事的に排除し対立する中、国家形成に向かう。
こうして 91 年、スロヴェニアとクロアチアの独立宣言と、それに対するドイツ、バチカン
の早期の承認の中で、連邦制は解体し、さらにボスニア、コソヴォと続く少数民族による
民族・地域紛争が激化し、最終的にはボスニア空爆、コソヴォ空爆に至った(24)。2000 年末
にようやく「民主化」を迎えたときは、ユーゴ東半分の地域は戦争の焦土と化していた。
中・東欧にはユーゴスラヴィアに並ぶ多くの多民族国家が存在するが、ユーゴのような
形でラディカル・ナショナリズムが爆発したケースは実は必ずしも多くない。旧ユーゴスラ
ヴィアのみで紛争が長期化し、他の中・東欧の多民族国家(ルーマニアやブルガリア)は多く
のマイノリティを抱えていたにも拘らず、何故問題が沈静化していったのか。何がユーゴ
と他の国々を分けたのか。
7
ユーゴで、Radical Nationalism が広がった原因は、次のものが考えられる。
①.ユーゴ分裂に対する、ドイツ・バチカンなど西欧の、政治的な早期承認。これが他の民
族にとっても更なる分裂と独立を促した。
②.冷戦後削減を要請された武器が、分裂したユーゴスラヴィアに周辺地域から大量に流入
したこと(ハンガリーからの武器の流入は、意図的に政府にも見逃されたとされる)(25)。
③.いわゆる「EU・NATO効果」の欠如。1998 年に中・東欧第 1 陣のEU加盟交渉が開始
されたことにより、ヨーロッパの東半分が、「加盟交渉開始国」、「加盟候補保留国」、「加盟
から外れた国々」の 3 者に分断された。方やNATO加盟とEU加盟交渉を進める中央諸国、
方やNATOの空爆の旧ユーゴという明暗を分けた欧米の戦略図式に対し、第 2 陣加盟候
補国(スロヴァキア、ルーマニアなど)は、欧州の民族問題解決方法に則ってEU加盟に向か
うことが自国の利益に最も沿うものであること、そうでなければユーゴのように空爆され
排除されると認識した。ルーマニア、スロヴァキアなどは当初EUによりマイノリティの
権利や人権規定の不十分さが指摘されたが、中欧に倣って改革を進めた方が結果的にEU
への加盟を早めることになるとの判断が働いた(26)。(バルト諸国が早期承認にも拘らず武
力化しなかった要因に、北欧経済圏に早期に安定的に組み入れられた点があげられよう。)
ラディカル・ナショナリズム発展の背景に特徴的なこととして、周辺からの武器の流入に
より一般民衆の手に武器が配布され、その結果、紛争と殺戮が日常化・長期化した。これに
より、旧ユーゴスラヴィアでは、90 年代初めはスロヴェニア、クロアチア、90 年代半ばは
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの独立闘争、その後 99 年まではコソヴォ、マケドニア、アル
バニアを巡り、ラディカル・ナショナリズムが席巻した。ユーゴは、民族問題をめぐる紛
争の負のスパイラルにより、ほぼ10年中欧諸国に遅れたとされる(27)。
1999 年のコソヴォ空爆とその後 2000 年末の大統領選挙と総選挙により、旧ユーゴスラ
ヴィアは民主化の方向に向かった。このように 10 年のセットバックの後、EUの主導によ
り 1999 年、「南東欧安定化協定(the Stability Pact for South Eastern Europe) 」が、平和
と民主主義の醸成、人権尊重と経済発展を目指して開始された。2001 年より元オーストリ
ア副首相のエアハルト・ブゼクが特別代表となり地域の安定化に向かい、NATO軍、国連
軍はEU軍に置き換わった。2006 年 4 月には、南東欧の自由貿易地域(RFTA)が CEFTA(中
欧自由貿易協定)に倣い開始されている(28)。
3.
「参加民主主義」とゼノフォビック(外国人嫌い)
・ナショナリズム(東西欧州、2000s)
現在、上記 2 例以上に困難で、欧州を席巻しているのが、ゼノフォビアの問題である。
マーストリヒト条約(93 年発効)以降、西欧では「民主主義の赤字」が広がっているとされ
る。共同体の超国家権限が拡大し市民に関わる問題を超国家機関が決定することが増加し
てくる中、EU拡大の利益が一般市民に還元されず、またEUの決定が一般市民の関与し
ないところで決められていくという問題が表出している。しかし他方で 2000 年前後よりグ
ローバル化と地域統合の進化に対し、各国及び各国民の意見を反映するシステムが主張さ
8
れ、それと平行して各国国民の利益は必ずしも相互了解を高めるのではなく対立を招く場
合もあることが明らかとなってきた。元加盟国と新加盟国の民衆、あるいは元加盟国のう
ち受給国と予算拠出国の民衆との間に、予算のゼロサムゲームが起こるからである。ヨー
ロッパの拡大に際して、西欧元加盟国と中・東欧新加盟国との「国益(National Interest)」
を巡る軋轢がその典型である。これらについては民主主義の赤字の解消の結果、逆に「市民」
を基盤とするゼノフォビアの成長を招く例が現れ、その軋轢が地域問題となり始めた。そ
の象徴的なものが 1)移民問題、2)農業問題、3)財政問題、4)憲法条約問題である。以下、こ
れらの問題について、東西相互の利害から、追ってみたい。
1)<移民問題>
移民問題については、拡大EUの東の境界と、新・旧加盟国の間の境
界、二つの境界線が問題となる。
1989 年の東欧革命と 90 年のドイツ統一、東西国境の意味の低下、中・東欧の「ヨーロッ
パ回帰」の機運により、ヨーロッパの東から西に多くの移民が流入した。85 年に締結され
95 年に発効したシェンゲン協定は、EU参加国でこの協定に調印した国の国民については、
自由に国境を通過できることとなり、この協定は、97 年のアムステルダム条約に組み込ま
れた。しかし境界線内の当該国国民の自由な移動の保障は逆に、「ビザを所有すべき第 3 の
国民」の移動については、域外国境の管理をビザ導入によって行うこととなった。
(1)<EUの東の境界線>これは旧来ビザをもたずに身分証明書の提示だけで行き来でき
た旧東欧諸国に新たな国境の線を引くこととなった。とりわけヨーロッパ領内にいる 1500
万人のロシア人、国境線の外に住む 300 万人のハンガリー人に問題を引き起こすこととな
った。これはEUの東の境界線と新加盟国との間における、主としてマイノリティの移動
の困難さの問題である。1 つはカリーニングラード問題であり 2002 年に「EUによる新た
な欧州分断」として問題となったがその後プロディ欧州委員会委員長とプーチンロシア大
統領により、シェンゲン協定までの臨時的措置としてトランジット書類が締結された。¥今
ひとつは 300 万のハンガリー人マイノリティである。これに対してハンガリー政府は、2001
年に「少数民族地位法」を制定し、マイノリティの移動の自由を図ろうとしたが、周辺国の
強い反発を買った。これも最終的にEUにより、加盟候補国住民の移動は身分証明書の提
示で許可されることとなった(29)。
(2)<旧加盟国と新加盟国の間の境界線>人、もの、サービス、資本の自由移動は、EU
加盟交渉の31 項目のクラテリア中、第 1 義的な達成条件であった。しかし現実にはEU加
盟国は、中・東欧の貧しい地域から、安い労働力が流入することにより、安い労働力競争
により自国の失業率や雇用条件が悪化することを危惧した。
その結果、EU拡大の最終交渉では、元加盟国の不安を解消する形で、新加盟国の人の
移動を、最長7年まで順次(2+3+3 年)、各国ごとに制限できることが決められた。中・東
欧はこれに対して強い不信を表明したが、西欧の都市市民の間には、「東の移民」に対する
反感があおられ、経済ナショナリズムとゼノフォビアが結びついて成長した。
同様に、西欧では東の安い農産物価格の脅威から、農民層の間にもゼノフォビック・ナ
9
ショナリズムが高まっていく。2000 年、移民流入の「東の境界」に位置するオーストリア
やイタリアで、自由党やフォルッツァ・イタリアの伸長、後には、西欧中枢部のフランス大
統領選挙やオランダで、ルペンやフォルタイン等など、反移民を掲げる右翼政党の成長が
見られた。彼らは、東の移民や安い農産物や安全保障の脅威や西欧基準の達成に対抗し、
各々「民族益」「国益」を民衆に訴えながら、国民のかなり広範な層をひきつける運動とし
て支持を広げていった。2005 年にはさらに失業、雇用問題、社会保障と結びついた動きが
仏蘭の国民投票で欧州憲法条約を否決させる。これらは拡大EU内部の東西の市民の対立
感情を高め、民主主義と国益の強化により、逆にEUの遠心力を強めていくこととなる。
2)<CAP(共通農業政策)の農業補助金をめぐる確執>
CAP の農業補助金は、EU予算の半分を閉める大きな予算である。これを履行するには、
受給国、予算拠出国、新加盟国3者の入念な調整が必要であった。この 3 者の配分と拠出
はまさにゼロサムゲームであったから、各国は市民の支持を勝ちうるためには自国の権益
を主張するしかなかった。元加盟国から見て、中・東欧の新加盟国、特に大国ポーランドに
農業補助金を予算どおり配分すれば、受給国は旧来の配分額を大きく減じ、拠出国は東に
対する予算持ち出しが急騰するなど大きな変動が生じる可能性があった。ゆえに中・東欧加
盟後の CAP の配分をめぐって、予算拠出国(ドイツ)は予算の拡大による負担の増大に反対、
予算受給国(フランス、スペイン)は補助金のこれまでの既得権益を主張した。新加盟国は、
元加盟国並みの比率の予算配分を要求した。こうして折衝は最終段階まで三つ巴でもつれ
込みデンマーク議長国のラスムセンが最終調整した。
その結果最終的には、現加盟国である 2 者(受給国と予算拠出国)の主張が通り、新加盟国
にしわ寄せが行く形となった。新加盟国は賃金の価格差を考慮して、CAP 補助金は 1 年目
は本来受給額の25%から始まり、その後毎年5%ずつ上昇して、ようやく10年後 2013
年に 100%を受給される、という計画である。新加盟国から批判が続出したため、最終調整
で、EU内各国政府は+30%まで、地域補助と政府の補助金を上乗せしてよいとされた。こ
のような状況の中、ポーランドでは、家族同盟や自衛など急進的な農民組織が成長し、加
盟後は、欧州議会選挙でも上位を占めて圧力団体となっていった(30)。
3)<財政問題>CAP と並んで、財政問題においては、西側の既得権益保持と、税金の東
への喪失感が広がった。当初、新加盟国は、強い不公平感を表明していたが、2005 年の予
算配分の中、西欧のほぼ 4 分の 1 から 5 分の 1 の購買価格を持つ中・東欧にとって、農業
予算は十分な額と映り、批判勢力は衰退した。逆に西欧側で、中・東欧への負担増と不公
平感、被害者意識が強まった。こうして 2005 年の欧州理事会で将来 10 年間の予算配分は
最大の懸案事項となり、各国の国益がぶつかる調整困難な場となったのである。
4)<既得権益とダブルスタンダード、Xenophobic Nationalism>
以上のように、EUは新加盟国との加盟交渉をめぐって、とりわけ、農業補助金、移民、
財政予算、といった、直接それぞれの利害とかかわる問題において、互いに譲れず、結局、
現加盟国に有利な形で最終調整する結果となったが、それは新加盟国のみならず相互に強
10
い不審を引き起こした。EUが受給国の既得権益を守るため、新加盟国に対して農業補助
金を削減したことが、加盟候補国の反発を招いた。イタリアとオーストリアの隣国である、
中・東欧の加盟候補国中最も GDP の高いスロヴェニアからは、95 年に無条件で加盟したオ
ーストリアや、EU の議長国イタリアで、移民やマイノリティに差別的な言辞を述べる人々
が政権に入っていることは極めて不本意に映った。こうした中、加盟候補国からは、EU
は、ダブルスタンダード、保護主義(protectionism)であるという批判が続出した。(31)
確かにEU加盟に際し厳しいクライテリアが設けられたのは、中・東欧の加盟交渉以降で
ある。中欧と同規模の隣国であり類似した歴史を体験してきたオーストリアやフィンラン
ドは、冷戦終焉後こうした基準はないまま95年に加盟し、その中で右翼ナショナリズム
が成長してゼノフォビック・ナショナリズムが広がったにもかかわらず、一時のハイダー自
由党への経済制裁を除いて対策が放置されたことは、中・東欧の不満を高めた。
5.<EU憲法条約の延期。排外ナショナリズムの強まり>
こうした中、2005 年5月 29 日のフランス、6 月 1 日のオランダでの国民投票でEU憲法
条約が拒否された。これを受け6月の欧州理事会は中断と再検討を余儀なくされ、最終的
にデンマークを初めとするほとんどの国が延期に言及し、既に批准を終えたドイツでも、
大統領が署名を延期する旨を声明した。(32)
これを機に、一つには、西の市民の間に、「民主主義の赤字」の問題が修復困難なまま放
置されてきたこと、加えて「民主主義の赤字」の解消と「参加民主主義」の実現の過程で、
東西市民意識や国益があい対立している状況にも配慮する必要があることが明示された。
第 2 に、欧州憲法条約の精神たる、合理的、効率的で多様性の中の統合を謳う、
「統一され
た強いヨーロッパ」、統一された外交安全保障政策 CFSP を、時期尚早と感じる国が多いこ
とも明らかとなった。ハンガリーの元外務大臣(現欧州委員会委員、コヴァーチ・ラースロ
ーは、インタヴューで、欧州憲法条約が拙速に可決されるよりも可能なら漸進的に進み、
ニース条約がしばらく続くことがベターであろうと表明していた。また EU 代表部のイギ
リス人大使(リトアニアの EU 大使)も、欧州憲法条約を拙速に決めてしまうことに、懐疑の
意を表明していた。(33)
多様で緩やかな民主主義は統合を弱め、大国主導の下に強力で統合された民主主義は反
発を生む。さらに市民に配慮した各国市民益を主張する民主主義は、相互対立のゼロサム
ゲームに遭遇する。今後25ヵ国から30カ国に拡大しつつあるEUは、民主主義とナシ
ョナリズムをめぐる古くて新しい根本問題に直面している。
5. おわりに、「民主化」とナショナリズム、残された課題
以上見てきたように、ヨーロッパ拡大後の民主主義とナショナリズムの問題は、1989 年
以降の民主化の広がりの中で、リベラル・ナショナリズム、ラディカル・ナショナリズム、
ゼノフォビック・ナショナリズムなど、地域によって異なるナショナリズムを表出した。い
ずれも民主主義がそれぞれの実態と土壌で実を結んだ結果であるが、その現れ方は、従来
11
の認識とは異なる表出を示した。とりわけ 21 世紀に入り、グローバル化と地域主義の拡大
の中で、「国益」の擁護が、先進国も含めて広範な形で起こっており、それは、市民層の声
の重視、参加民主主義の掛け声の中で、むしろグローバルなレベルでの相互利益に対抗し
て、ゼロサムゲーム的な相互対立関係を提示していることが問題となってきている。
ラディカル・ナショナリズムは、武力、軍事力により「他者」たる相手を抹殺する民主主義
の最暗部であるが、それとは異なれども、21 世紀に入り各国における民主化と国民益・市
民益というそれ自体は善の追求が、結果的に外に対するゼノフォビアを生み出す状況が拡
大EUの欧州各地に広がりつつある。すなわち上位のグローバリゼーション、リージョナ
リゼーションの統合の下で、下位の「民主化」は、その国の歴史や社会的特徴に応じて西
欧を凌ぐリベラル・ナショナリズムやラディカル・ナショナリズムを生むが、それが相互に
対立し、プラスサムを形作るのが極めて困難であるという、新しい状況を生み出してきて
いる。
こうした、21 世紀の市民の参加民主主義による「民主化」の新たな課題、下位レベルの
自己保全としてのラディカル・ナショナリズムやゼノフォビック・ナショナリズムにどう対
応していくか、はまさに、雇用と社会保障、経済発展というリスボン戦略の遂行にもかか
っている。「民族・地域紛争」を超えた新たな人の移動の時代に、EUの上位の求心力・統合
力と下位の遠心力・相互利害対立にいかに対処していくか、は拡大EUの統合にとっても、
根本的に重要な課題となっているといえよう。
注
(1) 拡大EU下の民主主義とナショナリズム、グローバル化と直接関連する研究書として、以下の
参考文献を参照。ナショナリズムとグローバル化、民主化、地域化と直接関連する研究所として、例えば、
以下を参照。The Radical Right in Central and Eastern Europe since 1989, Ed by Sabrina P. Ramet, The
(Pennsylvania State University Press, Pennsylvania, 1999) Stefan Auer, Liberal Nationalism in
Central Europe, (Routledge Curzon, London and New York, 2004). Christian W. Haerpfer, Democracy
and Enlargement in Post-Communist Europe, 1991-1998, (Routledge, London and New York, 2004).
Europeanization and Regionalization in the EU’s Enlargement to Central and Eastern Europe, James
Hughes,
Gwendolyn
Sasse
and
Claire
Gordon,
Palgrave,
(Macmillan,
Hampshire,
2004).
Europeanisation and Democratisation, Institutional Adaptation, Ed. by Roberto Di Quirico, (European
Press Academic Publishing, Florence, 2005), Globalization, Regionalization and the History of
International Relations, Eds. By Joan Beaumont and Alfredo Canavero, (Edizioni Unicopli, Deakin
University, 2005).
Sabrina Petra Ramet, Social Currents in Eastern Europe, The Sources and
Consequences of the Great Transformation, (Duke University Press, Durham and London, 1995),
筆
者も冷戦終焉後の 17 年間、EU・NATOの拡大と中・東欧のヨーロッパ化、民主化とナショナリズムにつ
いて、研究を進めてきた。主なものとして、羽場久シ尾子『統合ヨーロッパの民族問題』講談社、1994、
『拡
大するヨーロッパ
中欧の摸索』岩波書店、1998、
『ヨーロッパ統合のゆくえ』宮島喬氏と共編、人文書院、
2001、
『グローバリゼーションと欧州拡大―ナショナリズム・地域の成長か』御茶ノ水書房、2002、
『拡大
12
ヨーロッパの挑戦―アメリカに並ぶ多元的パワーとなるか』中央公論社、2004.
羽場・小森田・田中編著『ヨ
ーロッパの東方拡大』岩波書店、2006、報告として、羽場久シ尾子、日本EU学会報告「EUの拡大と中・
東欧の課題―国家、民族、安全保障―」2003.11、羽場久シ尾子、比較政治学会報告「拡大EUからイラク
戦争にみる、中・東欧の『民主化』」2005.6. 中・東欧の「民主化」については、羽場久シ尾子「1989 年の『民
主化』とは何だったのか」『窓』特集:東欧革命とは何だったのか、1991.など。
(2)Constructing World Orders, Pan European International Conference, The Hague, Sept 2004,
Establishing New World Orders, ECSA World, Brussels, December, 20004..T.R. Reid, The United
States of Europe, The New Superpower and the End of American Supremacy, Penguin Books, New
York, 2004.
Charles Kupchan, The End of the
American Era, New York, (2002).
(3)
ブルース・ラセット、鴨武彦訳『パックス・デモクラティア』東京大学出版会、1996.p。2.
(4)
フランシス・フクヤマ、渡辺昇一訳『歴史の終わり』三笠書房、上下、1992.サミュエル・ハンチントン鈴木
主税訳『文明の衝突』集英社、1998.
(5)
The Radical Right,
Ed. by Sabrina P. Ramet (1999), Mann, Michael, The Dark Side of
Democracy, Explaning Ethni Cleansing, Cambridge University Press, Cambridge, 2005.
(6)
(7)
Stefan Auer, Liberal Nationalism (2004)。
山口定・高橋進編『ヨーロッパの新右翼』朝日新聞社、1998、羽場久シ尾子『グローバリゼーションと
欧州拡大』(2002)など。
(8)
エマニュエル・トッド「仏暴動は、社会的反乱」『日経新聞』2005 年 11 月 12 日。
(9)
Balázs Péter, EU Enlargement and Human Rights, Jean Monnet International Project,
Padua, Italy, 24-26 March, 2006.
(10)
(11)
テオ・ゾンマー「欧州衰亡論に組みするな」『朝日新聞』オピニオン、2006 年 4 月 5 日。
欧州委員会委員長ホセ・バローゾ「仏スペインの経済ナショナリズム厳しい対処を強調」朝日新聞、
2006 年 4 月 20 日。バローゾ欧州委員会委員長「日欧関係の更なる発展にむけて」東京商工会議所国際会
議所講演 2006.4.21.リスボン戦略と雇用・ソーシャル・ヨーロッパに基づく経済発展を主張。
(12)
Ágh Attila, Institutional Design and Regional Capacity-Building in the Post-Accession Period,
Hungarian Center for Democracy Studies, 2005.
(13)
(14)
「民主主義」(高畠通敏)『社会学事典』弘文堂、1988。
アーネスト・ゲルナー、加藤節訳『民族とナショナリズム』岩波書店、2000.アンソニー・スミス須山
靖司監訳『20 世紀のナショナリズム』法律文化社、1995、「ナショナリズム」(大澤淳)『国際政治事典』
弘文堂、2005.
(15)
1 に つ い て は 、 Stefan Auer, Liberal Nationalism, (2004), Balogh András, Integráció és
Nemzetiérdek, Budapest, 2 については、The Radical Right(1999), 羽場久シ尾子『統合ヨーロッパの民
族問題』講談社現代新書、2005(7 刷)。
(16)
Balogh András, Integrácio és nemzeti érdek, Budapest, 1998 、 .National and European
Identities in EU Enlargement, Views from Central and Eastern Europe, Ed. by Petr Drulak, Prague,
2001.Democratization in Central and Eastern Europe, Ed. by Mary Kaldor and Ivan Vejvoda, London
13
and New York, 1999.
(17) Sustaining the Transitions; The Social Safety Net in Post Communist Europe, Ethan B.
Kapstein, A Council on Foreign Relations Book, 1997.. 羽場「1989 年の『民主化』とは何だったか」
『窓』
(1991)、「体制転換後 10 年の中・東欧社会」『拡大するヨーロッパ
中欧の模索』(19998)、「東欧の変革
10 年と『中欧』社会」『神奈川大学評論』(1999.)Sustaining the Transition (1997) 、Democracy and
Enlargement in Post-Communist Europe( 2002)
(18)
Enlargement of the European Union toward Central Europe and the Japanese Economy,
Budapest, 2002. 羽場久美子『拡大するヨーロッパ』(1998)、『拡大ヨーロッパの挑戦』(2004)。
(19)
Auer, Liberal Nationalism (2005), pp. 77-80, p84.
(20)
Auer, op. cit, pp. 101-121, pp.127-129.
(21)
Agh Attila, Institutional Design and Regional Capacity-Building in the Post-Accession Period,
Budapest, 2005. pp.33-65.
(22)
羽場久美子「『EUの壁』、『シェンゲンの壁』」『雑誌国際政治』日本国際政治学会、2005.
(23)
羽場久美子『グローバリゼーションと欧州拡大』御茶ノ水書房、2004.
(24)
バルカンの国家形成とラディカルナショナリズムの進行については、多くの英語・方後の文献がある。
(25)
岩田昌征「多民族扮装への予感」羽場・小森田・田中編『ヨーロッパの東方拡大』岩波書店(2006)
(26)六鹿茂夫「NATO・EU 拡大効果とその限界」『ロシア・東欧学会年報』28 号(1999)
(27)バルカンの民族紛争からコソヴォ空爆にいたる経緯と対立の表面化の図式については、Beyond EU
Enlargement, Vol 2. The Agenda of Stabilisation for Southeastern Europe, Bertelsmann Foundation
Publishers, 2001.
Kosovo and the Challenge of Humanitarian Internvention, Ed. by Albrechit
Schnabel and Ramesh Thakur, United Nations University Press, 2000.
(28) 外務省西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/europe/w_balkans/gh.html
(29)詳しく述べる紙幅はないが、カリーニングラードの境界線とマイノリティについては、Richard J.
Krickus, The Kaliningrad Question, New York, 2002. The EU & Kaliningrad, Ed. by James Baxendale
et al., European Union, 2000.
羽場久美子『拡大ヨーロッパの挑戦』(2004)を参照。ハンガリーのマイノ
リティ問題については、Peter Kovacs, “Co-operation in the Spirit of the Schengen Agreement, The
Hungarian beyond the Borders”, Minorities Research, Budapest, 1998, pp.124-131., Ethnic Geography
of the Hungarian Minorities in the Carpathian Basin, by Karoly Kocsis and Eszter KocsisHodosi,
Budapest, 1998, 17. 羽場久シ尾子「『EUの壁』・『シェンゲンの壁』―統合の「外」に住む民族の問題―」
日本国際政治学会編『国際政治』129 号、2000 年 2 月参照。
(30)Eastern Enlargement of the European Union, BBC, 2004. 欧州議会選挙結果、中・東欧ファック
スニュースより。2004.6.
(31)Bujko Bucar, University of Ljubljana, “The Issue of Double Standards in the EU Enlargement
Process”, Managing the (Re)creation of Divisions in Europe, 3rd Convention of CEEISA, NISA, and
RISA, Moscow, 20-22 June 2002.
(32)欧州憲法条約の国民投票否決については、『朝日新聞』『讀賣新聞』2005 年 5 月 30-31 日、6 月 1-2
14
日。羽場久シ尾子「欧州憲法延期、強い EU より国益・市民益」『讀賣新聞』2005 年 6 月 20 日。
(33)ハンガリー外務大臣 Kovacs Laszlo、リトアニア欧州代表部大使 Michael Graham, Interview, 2003
年 3 月、2004 年2月 11 日。
<<参考・引用文献>>
Auer, Stefan, Liberal Nationalism in Central Europe, Routledge Curzon, London and New York, 2004.
Balogh, Andras, Integracio es nemzeti erdek(統合と国益), Kossuth Kiado, 1998.
The Enlargement of European Union toward Central Europe and the Role of Japanese Economy, ed.
by Kumiko Haba, Tibor Palankai, & Janos Hoos, Aula, Budapest, 2002.
Europeanization and Regionalization in the EU’s Enlargement to Central and Eastern Europe,
James Hughes, Gwendolyn Sasse and Claire Gordon, Palgrave, Macmillan, Hampshire, 2004.
Europeanisation and Democratisation, Ed. by Roberto Di Quirico, European Press Academic
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Globalization, Regionalization and the History of International Relations, Eds. ByJoan Beaumont and
Alfredo Canavero, Edizioni Unicopli, Deakin University, 2005.
Haerpfer, Christian W., Democracy and Enlargement in Post-Communist Europe:The democratization
of the general public in fifteen Central and Eastern European countries, 1991-1998, Routledge,
London and New York, 2004.
Kaldor, Mary & Ivan Vejvoda, Democratization in Central and Eastern Europe, London & New York,
1999.
Kosovo and the Challenge of Humanitarian Intervention: Selective Indignation, Collective Action, and
International Citizenship, Ed. by Albrecht Schnabel and Ramesh Thakur, United Nations
University Press, Tokyo, New York, Paris, 2000.
Mann, Michael, The Dark Side of Democracy, Explaning Ethnic Cleansing,Cambridge University
Press, Cambridge, 2005.
National and European Identities in EU Enlargement Views from Central and Eastern Europe,
Ed.by Petr Drulak, Prague, 2001.
The Radical Right in Central and Eastern Europe since 1989, Ed by Sabrina P. Ramet, The
Pennsylvania State University Press, Pennsylvania, 1999.
『EUの中の国民国家
デモクラシーの変容』日本比較政治学会編、早稲田大学出版部、2003.
田中俊郎『EUの政治』岩波書店、1998.
谷川稔編『歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ』山川出版社、2003.(2005.2 刷)
宮島喬・羽場久シ尾子共編著『ヨーロッパ統合のゆくえー民族、地域、国家』人文書院、2001.(2004.3 刷)
羽場久シ尾子『統合ヨーロッパの民族問題』講談社現代新書、1994.(2005.7 刷)
羽場久シ尾子『拡大するヨーロッパ
中欧の模索』岩波書店、1998.(2005.4 刷)
羽場久シ尾子『グローバリゼーションと欧州拡大』御茶ノ水書房、2002.(2005.2 刷)
羽場久シ尾子『拡大ヨーロッパの挑戦―アメリカに並ぶ多元的パワーとなるか』中公新書、2004(2006.2 刷).
15
羽場久美子・小森田秋夫・田中素香編著『ヨーロッパの東方拡大』岩波書店、2006,6.
*
本論文は、2005-8 年文部科学省科学研究費基盤研究(B)海外調査「拡大EUの境界線と民族・地域・
安全保障(アメリカの影響)」(代表
羽場久美子)の研究成果の一部である。
16