≪前週の祈祷会から≫ 1 テモテ書(5)2 章 1~7 節 ※( )の数字は節を

≪前週の祈祷会から≫ 1 テモテ書(5)2 章 1~7 節
※( )の数字は節を示す
エフェソの教会をふさわしく建て上げる務めを担うテモテに、まずパウロが勧めたの
は、すべての人々のために祈るということでした。そこには、「王たちやすべての高官
たち」(2)というこの世の権威ある人々も含まれていました。国家にせよ地方にせよ政
治に携わる人間の判断や決断は、その良し悪しにかかわらず無数の人々の運命を左右す
る責任を負うものです。そのような政治の秩序が失われ無政府状態に陥るとき、暴力が
蔓延し、もはや公共の良識や法の順守が省みられることはありません。政治権力によっ
てつくり出される秩序や平和の重要さを、パウロは知っていたということでしょう。
けれども、パウロがすべての人々のために祈ることを勧めるとき、そこには信仰的な
理由がありました。パウロが言うところの「王たちや高官たち」とは、
「自分はキリス
ト(教)を敵とする」と誓約することによって職務に就いた人々でした。もしかするとパ
ウロは、そのようなキリスト(教)に敵対する人々のために祈る必要があるのか、信仰を
同じくする者たちや自分たちに親しくしてくれる人々のために祈りたい、祈るべきだと
いう考えや議論が教会内に起こっていたことに気づいていたのかもしれません。
ある人々のことだけを祈るというのは、それ以外の人々を祈りから除外することで
す。けれども、パウロによれば、すべての人々のために祈ることは、神の御前に良いこ
とであり、喜ばれることだと言います(3)。なぜなら、「わたしたちの救い主である神」
は、すべての人々が救われて真理を知るように望んでおられるからです(4)。唯一の神
は、すべての人々の創造主であるゆえに、すべての人々との間にかかわりを持っておら
れます。そして、このすべての人々のもとに、神は独り子のイエス・キリストをお遣わ
しになり、イエス・キリストを御自身とすべての人々との間の「仲介者」としてお立て
になりました(5)。そして、その神の独り子が十字架にささげられたのです(6)。
この唯一の神と、キリストによる救いのもとに、すべての人々のために祈れというパ
ウロの勧告は置かれています。唯一の神の救いはすべての人々に開かれているからこ
そ、ある人々だけを選り分けて祈るわけにはいかないのです。主イエスは、
「自分を迫
害する者のために祈りなさい」(マタイ 5:44)と言われました。また、神はエレミヤを通し
て、イスラエルを捕囚としたバビロンの平安を求めて祈るように言われました(エレミヤ
29:7)。パウロにとってすべての人々のために祈ることは、キリストにおいて示された
神の証しに応答する人間の証しです。彼の言う「真実」と「偽り」(7)を分けるものと
は、その神の証しに基づいているか否かということだったのです。
(藤井和弘)