デュルケムのトーテミズム論とレヴィ=ストロースの批判

トーテミズム論
門口充徳「デュルケムのトーテミズム論とレヴィ=ストロースの批判」
『 成 蹊 大 学 文 学 部 紀 要 』 第 41 号 、 2006 年 、 81-103 ペ ー ジ 所 収 。
本 HP 版 に は 、 刊 行 後 の 修 正 箇 所 が あ り ま す 。
デュルケムのトーテミズム論とレヴィ=ストロースの批判
E. Durkheim’s Theory on Totemism and C. Lévi-Strauss’s Criticism
門
口
充
徳
1.デュルケムのトーテミズム論
2.デュルケムの分類論
3.デュルケムの親族組織論
4.デュルケムの宗教論
5.レヴィ=ストロースによるデュルケム批判
6.残された大きな課題
ト ー テ ミ ズ ム 論 は 、 1962 年 に 出 版 さ れ た C ・ レ ヴ ィ = ス ト ロ ー ス の 『 今 日 の ト ー テ ミ
スム』をもって終焉を迎えた感がある
1
。 19 世 紀 後 半 か ら 20 世 紀 初 頭 に か け て 百 家 争 鳴
の観を呈したトーテミズムにかんする議論は、研究者たちの想念のカオス的混合物にすぎ
ず、トーテミズムにかんして唯一救いあげるものがあるとするならば、それは人間精神に
宿る二項対立の図式であるとされたのである。かれのこのような批判は、E・デュルケム
のトーテミズム論にも厳しくむけられることになった。見取図的にいえば、デュルケムが
トーテミズムを社会から説明しようとしたのにたいし、レヴィ=ストロースは自律した文
化としてとらえようとしたのであった
2
。もちろんデュルケムの構造主義的な発想は、
レヴィ=ストロースに影響をあたえているので、両者が対蹠的な地点にたっているのでは
ない。ここではデュルケムですら、反機能主義であった。本稿では、かれらの議論を検討
することで、未解明の部分を明らかにし、構造主義的な理解の方向性を探りたいと思う。
つまり構造は社会にも文化にも共通にその表現を見いだしているのかという観点からのア
プローチを試みることにしたい。
1
トーテミズム論
1.デュルケムのトーテミズム論
こ の 節 で は 、 『 社 会 学 年 報 』 に 掲 載 さ れ た 1902 年 の 「 ト ー テ ミ ズ ム 論 」 を 検 討 し 、 次
節 で 1903 年 の 『 社 会 学 年 報 』 に 掲 載 さ れ た 「 分 類 の 若 干 の 未 開 形 態 に つ い て 」 ( 以 下
「分類の未開形態」と略記する)を検討したい
3
。トーテミズムをめぐって研究対象と
なってきた事項を大別すれば、①特定の社会集団に動植物種などの名前を付与すること
(命名に使用された動物種などをトーテムとよぶ)、②同じトーテム集団に所属する個人
間の結婚は禁止されること(すなわち外婚制)、③トーテムとなった動植物を殺したり食
べたりすることは禁止されること(すなわち摂食禁忌)、④その社会集団がトーテムに関
連する儀式・儀礼や信仰をもつこと、となるであろう。「トーテミズム論」は、おもに②
と ③ を 検 討 し て お り 、 ① は 「 分 類 の 未 開 形 態 」 で 、 そ し て ④ は 10 年 ほ ど の ち の 『 宗 教 生
活の原初形態』で重点的に取り扱われている
4
。
「トーテミズム論」は、②の外婚制も③の摂食禁忌も否定するにいたったJ・G・フレ
イ ザ ー へ の 反 論 と し て 着 手 さ れ て い る 。 ア ル ン タ Arunta、 Aranda族 ( 以 下 、 ア ラ ン ダ 族 と
表記する)にかんするフレイザーは、トーテム体系は存在するものの2つの禁止は観察さ
れないとした。伝承ではトーテム内婚であるし、現在もトーテム外婚は例外的である。ま
た伝承では祖先はトーテムとなっている動物を自由に食べていたし、現在も食糧不足など
のときは食べている。こうした指摘は、デュルケムが高く評価するB・スペンサーとF・
J・ギランの民族誌とも合致しているとかれは判断していたので、このような観察自体を
否定することはできなかった
5
。既存のトーテミズム概念を維持するための突破口は、
原初形態を保持した未開社会ではなく発達した未開社会としてアランダ族をとらえ、そこ
では原初的なトーテミズムが希釈化された様相を呈しているだけだと解釈することであっ
た。もちろんかれは、スペンサーとギラン以前には、トーテミズムと外婚制との規則的共
存は無数に確認されてきたと認識していたので
6
、無謀な試みとは思われなかったので
あろう。
こうしてデュルケムは、「発達した」アランダ族の社会変動についての議論、いわゆる
進化論を展開することになる。基本概念は「環節化」であり、社会は発展するとともに分
化していき、社会集団は細分化されていくというのが基本原理である。胞族(以下、半族
と表記する)が発展していくなかで、ある数のクランへと環節化されるが、クランは半族
起源の共同性と連帯性を保持するという
7
。
2
トーテミズム論
まず現状の把握であるが、各種の社会集団は以下のように解説されている。部族は2つ
の半族に分割されており、この二分割はオーストラリア全土で普遍的である。アランダ族
の半族は名前をもたないが、婚姻クラスの名前をセットにして区別される。すなわち
Bulthara と Panunga の 半 族 と 、 Kumara と Purula の 半 族 で あ る 。 半 族 は し ば し ば ト ー テ ム を
もち、野営の場合は半族ごとに場所を占め、原則的に外婚制をとる。半族はトーテム組織
にもとづく一定数の氏族(以下、クランと表記する)にわかれる。一般にクランの成員が
2つの半族にまたがって所属することはない。具体的には、トーテム集団であるケムシ集
団 40 人 の 半 族 へ 所 属 状 況 は 34 人 と 4 人 に わ か れ て い る が 、 カ ン ガ ル ー 集 団 の 成 員 は 両 方
の半族にかなりまたがっている。地域共同体は独自のトーテム崇拝をおこない、その首長
Alatunja が 宗 教 的 ・ 世 俗 的 責 任 を も ち 、 ト ー テ ム 種 の 繁 殖 ・ 繁 栄 を 祈 る Intichiuma の 儀 式
を主催する。トーテム集団の全成員は石製であれ木製であれトーテムの象徴を刻んだ特有
の Tjuringa を も ち 、 各 ト ー テ ム 集 団 は そ の 一 揃 い を も つ
8
。
環節化の原理によれば、半族の内部分化によって下位のトーテム集団が誕生するはずで
あるから、同一トーテム集団の成員が2つの半族にまたがって所属していることを説明す
る必要がある。同時に、現在、半族外婚制は残っているものの、クラン外婚制は消失して
いることも説明しなければならない。デュルケムの変動仮説は、現行の父系制にたいする
母系制・女系制の先行である
9
。傍証としては、女性の社会的地位が高いこと、父と母
で子どもの呼称が異なること、妻側の親族への食糧提供の義務が夫にあることが列挙され
ている。理論的な考察として、アランダ族の婚姻規則を検討した場合、婚姻クラスをスト
レートに配置するか、斜めに配置するかで、簡単に母系にも父系にも変わりうることがわ
かる
10
。 ま た ア ラ ン ダ 族 に 隣 接 す る ウ ラ ブ ン ナ Urabunna族 と の 通 婚 の 場 合 、 ア ラ ン ダ 族
はみずからを母系制と仮想することで対応するという民族誌の報告もあった。したがって
原初には、2つの母系半族とそれぞれに固有のトーテムが存在したし、環節化によって半
族の内部には一定数のクランが存在した。
変動の要因となったのは、父方居住制が急速に確立したことである。このような生活と
系譜とを合致させるためには、子どもを父の半族に組み込む必要があったので、2半族間
で婚姻クラスの交換をおこなった。帰結として、同一のトーテム集団の成員が2つの半族
にまたがって拡散し、トーテム集団の外婚制は保証されなくなった。またクランの成員は
同一居住地に住むこともなくなり、クランは恒常性と個性を喪失していった。結局、半族
3
トーテミズム論
は残ったがトーテム集団は解消した。また摂食禁忌が弱体化しているのも同じ帰結である
11
。
以上のデュルケムによる社会変動論を検証することは難しい。かれの議論では、婚姻ク
ラス・クラン・トーテム集団・地域共同体といった各種の社会集団がどのように定義さ
れ、またどのような内実をもっているのかがまったくわからない
12
。かれの議論のほと
んどは間違いであろうが、半族を主たるトーテミズムの担い手、そして最重要の社会集団
と位置づけたことに致命的な欠陥があろう。これはアランダ族の現状を発展した段階の未
開 社 会 と と ら え た こ と に 起 因 し て い る 。 19 世 紀 の ア ボ リ ジ ニ 社 会 に か ん し て 「 発 展 」 を
前提とした仮説を組むことは倫理的にもできないので、遠い昔のことについての社会変動
論と考えておきたい。
なお後年の『宗教生活の原初形態』に連なる部分としてデュルケムは、結婚や摂食の禁
止といった消極的側面だけではなく、トーテミズムの積極的な側面にも言及している。こ
こ で も フ レ イ ザ ー の 議 論 か ら は じ ま る が 、 フ レ イ ザ ー の 見 解 に よ れ ば 、 Intichiuma の 儀 式
は、トーテム動物の摂食禁忌があるので、他のトーテム集団のための動物種の増殖が目的
ということになる。したがってこの儀式は、同族の仲間とのあいだで食糧の互酬性を可能
とする呪術的協力であり、このような呪術は、技術であって宗教ではないというのがフレ
イザーの解釈である。これにたいしてデュルケムは、互酬性による連帯はできすぎた説明
で あ り 、 Intichiuma の 儀 式 は ト ー テ ミ ズ ム に 由 来 す る 宗 教 だ と 反 論 す る 。 し か し 観 察 さ れ
た 事 実 は 否 定 で き ず 、 再 度 、 進 化 論 を 展 開 す る 。 す な わ ち Intichiuma の 儀 式 の 原 初 の 社 会
的機能は、クランとトーテムとを感情的に同一視した成員が、その宗教的に聖なる存在を
護 持 す る た め で あ っ た 。 と こ ろ が ト ー テ ミ ズ ム の 変 形 と も い え る Alcheringa の 伝 承 は 、
Tjuringa に 神 秘 的 な 力 を あ た え る こ と に な り 、 ト ー テ ム 種 の 聖 性 は 低 下 す る こ と に な っ
た。かくして慣習へと堕した儀式に、あらたな存在理由をあたえるべく互酬性の原理とい
う経済的効用が付与されたのである
13
。
こうしたデュルケムの機能主義的説明を支えているものは、人間の心理的な側面への曖
昧な遡及と、因果関係の不明確な変動論とであるといえそうである。かれの推論の特徴と
してもうひとつ指摘しておきたいのは、伝承や神話への懐疑的な研究態度である。かれが
言及しつつも採用を棄却した伝承・伝説には、「クランは半族よりも以前からあった」
「クランは半族に結合される以前は、相互に独立していた」「クランは、アランダの全領
4
トーテミズム論
地にわたって、ばらばらのトーテム群として移動して歩いていた」というものがある
14
。神話やイデオロギーを疑うのは、レヴィ=ストロースがいうように、社会学者の習
性なのかもしれない
15
。しかしこの「トーテミズム論」論文では、大事なものを捨てて
しまったようである。
2.デュルケムの分類論
「分類の未開形態」論文は、M・モースとの共著になっており、かれの貢献は大きいと
考えられる。この論文の最初の部分に登場する「科学的思考の方法は、真に社会的制度で
あって、その起源は社会学によってはじめて辿ることができ、また説明できる」という宣
言、「事物の分類は、正しくこの人間の分類を複写している」といった認識、「トーテミ
ズムは、一面からすると人びとを自然的対象にしたがってクランに分類したものである
が、別の面からいえば社会的集団にしたがって自然的対象を類別したものでもある」とい
う理解は
16
、デュルケムの社会学主義を標榜したものにとどまらず、構造主義的な発想
を胚胎したものとみることができる。なぜなら動植物の実践的・技術的な分類も、個々の
トーテム種と社会集団との1対1の対応も主要な課題ではなく、社会体系とトーテム体系
との対応関係が研究対象とされており、この対応関係は機能によっては接続困難であるか
らである。
分類を人間による科学とみたデュルケムは、定義・演繹・帰納・三段論法といった人間
の論理的能力によって説明する論理学も、観念連合や心的状態間の接近・類似の法則を用
いて人間の発達や個人的活動から説明する心理学も拒否した。人間は自然発生的に分類し
たのでも、自然的必然性から分類したのでもない。分類とは、集合体を構成するだけでは
なく、各集合体を特殊な関係にしたがって配列することであり、そのような序列的秩序
は、可感界によってもわれわれの意識によってもあたえられるものではない。論理的概念
は論理の外に起源をもっていると推定できるのである。なお言葉は、集合体により多くの
統一性と恒常性をあたえるが、集合体の観念を生むことはなく、一度その可能性が考えら
れた集合体をよりよく認識するための手段にすぎない
17
。
明確な境界をもって区別される概念をもつことが、人間にとっていかに困難であったか
は、未開社会が教えてくれる。共感的な行為、象徴的対応、天体の力といったものは現代
にまで残る遺物であるが、未開社会では非常に異質的な事物が相互に変形・変身できると
5
トーテミズム論
いう信仰が根強い。このような精神的混乱を克服するには、あらゆる錬成と長い歴史的発
達が必要であった
18
。そして未開社会の科学への第一歩が、トーテミズムにみられる分
類だとデュルケムは考えたのである。かれの議論は、再び、オーストラリアにむかう。
部族内の諸集団は半族・婚姻クラス・クランに分割されるとしているが、クランを同じ
トーテムを所有する個人の群れと定義しているし、トーテムクランという用語も使用され
るので、この論文ではクランとトーテム集団は同一として語られているようである。また
原則として、クランは半族にまたがっては存在しないことになっているとしているので、
「トーテミズム論」での見解を維持している。半族による二分法的分類が簡単に参照され
た あ と 、 4 つ の 婚 姻 ク ラ ス に よ る 分 類 と し て ク イ ー ン ズ ラ ン ド の ワ ケ ル ブ ラ Wakelbura族
の事例が検討され、半族は「属」で婚姻クラスは「種」だという見解がえられる
19
。次
にクランによる分類であるが、より明確で特徴的な分類体系は、半族と婚姻クラスの分類
体系ではなく、半族とクランやトーテムによる分類だということが発見される。事例と
な っ た の は 、 サ ウ ス ・ オ ー ス ト ラ リ ア 州 の マ ウ ン ト ・ ガ ン ビ ア Mount Gambier族 で あ る 。
名前をもった2つの半族のもとに、それぞれ5つのトーテム集団があり、各トーテム集団
はさらなる下位トーテムをいくつももっている。すべての事物は、どれかのクランに配分
されており、クラン成員は、そのクランに所属すると認められたものは、食料に適するも
のでも食べない。異なった半族に属する白インコ・トーテムクランと黒インコ・トーテム
クランは、色彩によって対立する表象を配置したもので、トリ・トーテムクランに属する
雨・雨雲・稲妻・雷といった下位トーテムは観念連合によるのであろう。いずれにせよク
ランの数が多数化して分類は複雑になっているが、各クランの内部はきちんと区別され
ず、分類の混乱状態は続いているというのがデュルケムの見解であった
20
。
デュルケムの関心は、分類される際の集合体間の関係にあったので、半族レベルのトー
テム、クランレベルのトーテム、クランが所有する各種の下位トーテムの相互関係が問題
となる。マウント・ガンビア族にかんする報告によれば、半族成員は、半族に属する事物
はみな自分のものと感じるが、かれのトーテムに属するものは、とくに身近に感じられて
い た 。 ニ ュ ー ・ サ ウ ス ・ ウ ェ ー ル ズ 州 の ウ ォ チ ョ バ ル ク Wotjoballuk族 に か ん す る 報 告 か
らは、半族の名前は一般的であるが、トーテムの名前ははるかに個人に近いこと、また個
人の存在はかれが所有する下位トーテムでも表わされるが、クランのトーテムのほうがさ
らに重要だということがわかっている。これらの報告からデュルケムが引きだしたもの
6
トーテミズム論
は、下位トーテムが個人にとって身近ではあっても、重要性としては上位のクラン・トー
テムであること、また重要性の相対的な差はたんに分類を構成する関係の視点の差にすぎ
ず、これまでの説明を一貫させうるということだった
21
。
かれが採用した報告を忠実に解釈するなら、婚姻クラスよりもクランが、社会集団とし
ての重要性をもつと推定されうるし、これまでの半族中心主義をあらためて、半族よりも
クランが重要だと考えてもよいだろう。また多数の下位トーテム間の分類は混乱している
とするのではなく、分類方法は不明であるとするのが妥当であろう。下位トーテムが個人
に対応するのか、なんらかの下位社会集団に対応するのか確実には把握されておらず、ク
ランとトーテム集団の関係も不明のままであった。ともかく部族は上下の包摂関係をとも
なった樹状構造として理解され、これが分類の基本形とされた。
ここから応用問題としてのアランダ族であるが、またしても「そこには分類の完全なも
の や 統 合 さ れ た 体 系 は 存 在 し な い 」 。 54 種 類 も の 事 物 が 、 ト ー テ ム 集 団 の ト ー テ ム と し
て役立っている。しかしトーテム集団は、半族の枠組みをこえており、正規の社会組織と
は関係のない私的結社に近いようなものまで増加し、無限に分散化している。しかも主要
トーテムか下位トーテムか区別のつかないものもある
22
。
ここでも「環節化」の概念による説明が試みられる。つまり半族やクランの細分化であ
り、下位トーテムの自律性の獲得、下位単位による上位単位の特質の保持、複数の下位単
位間での共通の特性といったことが言及されている。ウォチョバルク族にかんする報告に
よれば、いくつかの下位トーテムは形成過程にあったし、ペリカンと太陽はどちらが下位
ト ー テ ム で あ る か 証 言 は 異 な っ て い た 。 カ ー ペ ン タ リ ア 湾 の チ ン ガ リ ー Chingalee 族 で
は、半族間にまたがる4つの婚姻クラス間のペアがあったが、同様に北部以外のアランダ
族でも4婚姻クラスから8婚姻クラスへの移行がみられる。カルゴア川流域のムーラワリ
ア Moorawaria族 に は 、 152 の ト ー テ ム と ク ラ ン が 存 在 し て い る 。 ア ラ ン ダ 族 で は 、 フ ク ロ
ネ コ ・ ト ー テ ム ク ラ ン の Tjuringa は ハ ケ ア 花 で あ る が 、 ハ ケ ア 花 の ト ー テ ム ク ラ ン は 別 に
存在する。神話でフクロネコはハケア花を食べていたとされるので、共通の起源はあり、
環節化の過程にあるといえるという
23
。
デュルケム自身、十分に論証されたとは考えていないし、竜頭蛇尾に終わったという印
象すらあたえる。最終的な結論は最初に提示された仮説と同じである。社会は分類的な考
えが範型とするモデルであり、最初の論理的カテゴリーは社会的カテゴリーであった。最
7
トーテミズム論
初の「類」概念のモデルは半族で、クランは最初の「種」概念である。論証における問題
性は明白であり、社会の系列における諸集団間の関係も、トーテムの系列におけるトーテ
ム間の関係も確実に理解できたのではなかった。かれが考えた両者に共通の構成原理は、
環節化をキーワードにした上下の序列による包摂関係であり、一方に「部族」>「半族」
>「クラン」の系列と、他方に「クランのトーテム」>「下位クランのトーテム」>「個
人の私的トーテム」の系列が存在するはずであった。知るかぎりもっとも単純な分類体系
をもつとデュルケムが考えていたオーストラリアの諸部族は
24
、はるかに複雑な親族構
造や社会構造をもっていたといえる。デュルケムの議論にたいするごく単純な疑問である
が、なぜクランにはトーテムが存在して、部族や半族にはトーテムが存在しないのだろう
か。もし存在しないならば、社会組織にもトーテム体系にも、たんに下位の細分化が共通
にみられるというのが構造主義的な結論なのであろうか。
なお「分類の未開形態」論文の末尾には、『宗教生活の原初形態』の理論的骨格が鮮明
に記されている。すなわち聖なるものとは宇宙の中心にある社会のことであり、集合的精
神としての宗教的感情が分類の原動力である。社会的感情が弱まるとき、個人の反省的思
考は自由をえて、はじめて科学的な分類が進展する
25
。おそらく未開社会は自然との関
係が密接だから自然物のトーテムが多いのではなく、人びとが社会に強く依存させられて
いるからこそ、社会が構成するトーテムは重要性をもつのであろう。ともあれ議論は、社
会の系列とトーテムの系列の構造主義的関係から、社会とトーテムとの機能主義的関係へ
と逆行する。
3.デュルケムの親族組織論
『 社 会 学 年 報 』 に 掲 載 さ れ た 1905 年 の 「 オ ー ス ト ラ リ ア 原 住 民 社 会 に お け る 婚 姻 組
織」論文は
26
、親族構造に焦点をあわせた論考となっている。これまでの「トーテミズ
ム論」論文と「分類の未開形態」論文は、アランダ族を中心に記述されたスペンサーとギ
ランの最初の著作に依拠していたが、かれらの2作目として周辺の諸部族にかんする民族
誌データも入手されたことから
27
、デュルケムは比較研究を展開することになる。
アランダ族と周辺部族との共通点は、部族が2つの半族にわかれ、それぞれがトーテム
集団であるクランを含んでいることである。相違点は、周辺部族では、規則的に地域社会
とトーテム社会が一致しているのにたいし、アランダ族では、単一の地域集団が種々の
8
トーテミズム論
トーテムの代表者を含んでおり、異なった地域が同一のトーテムに所属していることであ
る。また半族にあらゆるトーテムの代表者が含まれているのもアランダ族の特殊性である
28
。議論を整理するなら、親族組織としては、部族・半族・クランが存在し、生活組織
としては地域集団、宗教組織としてはトーテム集団が摘出可能であり、周辺部族の規則性
としては、各半族にはいくつかの異なったクランが存在し、そのクラン自体がトーテム集
団であると同時に地域社会をも構成していることになる。こうした理解は、これまでの各
種集団間の関係の曖昧性を多少とも縮小させており、一定の前進をみせているが、デュル
ケムによれば、スペンサーとギランの2つの著作からは、それ以上の社会構造にかんする
情報はなにもないのである。かれらの報告から、社会分析の手がかりになるのは婚姻クラ
スの情報だけである
29
。
ま ず カ ミ ラ ロ イ Kamilaroi 族 か ら 、 図 1 の よ う に 4 セ ク シ ョ ン 体 系 が 提 示 さ れ て い る
30
。
図1 4セクション体系
図2 4セクション体系の親族
Aの婚姻クラスの男性は、Bの婚姻クラスの女性と結婚して、子どもはA1の婚姻クラス
に所属する。同様にA1の婚姻クラスの男性は、B1の婚姻クラスの女性と結婚して、子
どもはAの婚姻クラスに所属するので、2世代は同一の婚姻クラスに所属することはな
い。
次にアランダ族であるが、この論文では、本来の8サブセクションによるアランダ体系
であり、以下の図3のように紹介している。
図3 8サブセクション体系
図4 8サブセクション体系の親族
9
トーテミズム論
Aの婚姻クラスの男性は、Bの婚姻クラスの女性と結婚して、子どもはA1の婚姻クラス
に所属する。その子どもが男子であれば、A1の婚姻クラスの男性として、Dの婚姻クラ
スの女性と結婚して、子どもはAの婚姻クラスに所属する。この体系でも継続する2世代
は同一の婚姻クラスに所属することはない。またAの男性の息子はA1で、A1の息子は
Aであるから、AとA1からなるセットは独特の集団を形成することになる。しかし4セ
クション体系との大きな相違は、A1の婚姻クラスの男性が、B1の女性ではなく、Dの
婚姻クラスの女性と結婚して、子どもはAの婚姻クラスに所属するということである。
デュルケムは、この8サブセクション体系が、アランダ族を含めて周辺の諸部族に普遍
的な形態だと主張し、異なった類型が存在するというスペンサーとギランの解釈を批判し
ていく
31
。 第 1 に 、 婚 姻 ク ラ ス 名 が 4 つ し か な い と し て 別 類 型 と さ れ た ア ニ ュ ラ Anula
族 と マ ラ Mara族 に つ い て は 、 単 一 の 名 称 の も と で も 成 員 が は っ き り と 2 つ の ク ラ ス に 区 別
されていること、すなわち適用される婚姻規則が別になっていることから、アランダ族と
同様だとされた
32
。第2に、婚姻クラスとして4つの名称しかないマラ族と8つの名称
を も つ ビ ン ビ ン ガ Binbinga族 と の 通 婚 に お い て は 、 マ ラ 族 は 「 特 徴 的 な 変 形 」 を と も な っ
ていたというかれらの見解にたいして、両者は同一の原理をもち通常の対応であるとデュ
ルケムは反論している。第3に、ビンビンガ族における、AとC1、A1とC、BとD、
B1とD1がセットになっているというスペンサーとギランの解釈を
33
、デュルケムは
婚姻規則の適用状況から、AとA1といった組み合わせによるセットであると反論してい
る。つまり個々のセットが二分割による派生であることには同意するものの、AとC1な
どのあいだには特別の親密さや法的・道徳的な関係はなく、AとA1などのあいだには、
相互に子どもを含んでいたり、同じトーテムをもっていたりと、政治的・宗教的関係がみ
られるというのがデュルケムの論拠である。
こうして婚姻規則としては4セクション体系と8サブセクション体系の2類型しか存在
しないことを確定したデュルケムは、両体系間の関係の検討へと議論をすすめる。かれの
見解の骨子は、4婚姻クラスの二分割によって8婚姻クラスが登場したのであり、これは
母方のトーテムを敬遠するところに理由があり、このことは父系組織の前に母系組織が先
行して存在したことの証左でもあるということである
34
。
図 2 の 父 系 制 を と る 4 セ ク シ ョ ン 体 系 で は 、 A 1 に 属 す る 男 性 (Ego)の ト ー テ ム は 、 同
じ半族にある父のトーテムと同一であり、Aの女性とは結婚できない。さらに「かつての
10
トーテミズム論
母 系 制 も 残 存 し て い る と 仮 定 す れ ば 」 、 Ego の ト ー テ ム は 、 母 M の ト ー テ ム と 同 一 で あ
り 、 こ こ に 母 の 兄 弟 MB も 含 ま れ て い る 。 な お 実 際 の 血 縁 に よ る 母 や 兄 弟 で は な く 、 類 別
的名称として母や兄弟には、同等の位置にある多くの人びとが該当している。さて兄弟
MB の 娘 MBD は 、 「 同 じ 半 族 は 同 じ ト ー テ ム と い う 仮 説 」 に よ り 、 Ego と 同 一 の ト ー テ ム を
も つ こ と に な る 。 し た が っ て こ の よ う な 場 合 、 Ego は B 1 の 女 性 と は 結 婚 で き な く な る 。
完全な父系制のもとではこのようなことは起こらないが、「母系制の伝統」にとっては近
親婚のタブーを犯すことになる。これを解決したのが、社会に付加された制度であり、図
3の8サブセクション体系である。
か れ の 議 論 を 親 族 関 係 で し め す な ら 、 図 4 の よ う に 書 き 直 せ る だ ろ う 。 た し か に Egoの
配 偶 者 MMBDDは 、 Fの ト ー テ ム に も Mの ト ー テ ム に も 関 係 が な い 。 し か し さ き の ロ ジ ッ ク を
そ の ま ま 適 用 す る な ら 、 MMBDDも 母 の 半 族 の ト ー テ ム に 所 属 し て い る で あ ろ う 。 ま た MFの
ト ー テ ム と FMの ト ー テ ム を 区 別 す る 理 由 も み あ た ら な い 。 か れ の 目 的 論 的 機 能 主 義 に よ る
社会現象の説明は、制度の因果関係にとらわれて、困難に遭遇しているといえよう。デュ
ルケムは、諸部族の民族誌情報から証拠固めをし、「母系の父系にたいする先行」は証明
されたと結論づけた。しかし問題は残った。アランダ族と同じ8サブセクション体系をも
つ ワ ー ラ マ ン ガ Warramunga族 な ど で は 、 各 ト ー テ ム は 一 定 の 半 族 内 に 限 定 さ れ て い る の で
ある。すなわち「母系の父系にたいする先行」は、「環節化」としてアランダ族の変則性
を説明するためのものでもあったから、母が懐胎した場所のトーテム精霊が乳児に入り込
むといったアランダ族の特殊条件をくわえて、ここではトーテム組織が地域組織とは一致
していないという例外を説明せざるをえなかった
35
。
デュルケムの親族組織論の限界は、第1に、父系制にたいする母系制の先行といった議
論にみられるように、系譜論的な親族組織の理解になっていることである。母系制の概念
は、上述の8サブセクションの制度化だけでなく、血液・女性・タブーにかんする原初的
な集合表象を説明する一方で、他方ではアランダ族の変則性を解明するための道具立てで
あった。しかしこのことによって、人びとの心理に遡及する進化論的な社会変動論を導入
せざるをえず、思弁的な推論として批判される弱点を内包することになった。フィールド
ワーカーと理論家の双方に系譜論的な先入観があり、オーストラリア社会の核心をとらえ
ることには失敗しているといえよう。第2に、後年にレヴィ=ストロースが展開するよう
な「交換」の視点をもっていないことから、近親婚の禁止とクラン外婚制との関係、さら
11
トーテミズム論
には婚姻クラスの意味合いが不十分な理解にとどまっていることである。外婚制の本質が
クラン外婚にあることを発見したデュルケムは、クラン間の「連帯」や「生活の共同」に
ついても議論しているが、「交換による連帯」ではなかった
36
。これにより、クランと
地域生活集団との関係、クランをこえた半族や部族のレベルでのトーテムの意味、トーテ
ム動物の摂食禁忌の意味などが未解明に終わった
37
。第3に、スペンサーとギランが最
初に調査したアランダ族だけが周辺の諸部族と比較して特殊であるという蓋然性は低いと
考えられる。白人との接触がもっとも早かった部族であろう。貴重なデータではあった
が、理論的な解釈を改変してまでも調査時点でのアランダ族の現状を精密に解釈するとい
うリスクをおかす必要があったのだろうか。
4.デュルケムの宗教論
1912 年 に 出 版 さ れ た 『 宗 教 生 活 の 原 初 形 態 』 は 、 デ ュ ル ケ ム が ボ ル ド ー 大 学 か ら ソ ル
ボンヌ大学に移ってからの主著であり、かれの社会学の集大成でもある。副題「オースト
ラリアにおけるトーテム体系」にあるとおり、アボリジニ社会におけるトーテム的宗教を
とおして社会体系と文化体系の関係を確定しようとしたものといえる。
アボリジニ社会についてのデュルケムが依拠する民族誌は、『社会学年報』ではスペン
サーとギランの第1作、第2作が中心になっていたが、アリス・スプリングズ周辺のルー
テル派のミッションで活動していたC・ストレーロウの著作が追加され、かれのアボリジ
ニ理解を深めることになったと思われる
38
。内容上の大きな変化は、半族が後景にしり
ぞ き 、 再 び 1898 年 の 「 近 親 婚 の 禁 止 と そ の 起 源 」 論 文 に 戻 っ て 、 ク ラ ン が 前 面 に で て き
たことである。クランは、集団生活で優越的な地位を部族の基底に占めており、親族関係
とトーテムとによって特色づけられる、とデュルケムは宣言する
39
。
半族は特殊な同胞関係によって結合された諸クランの集合であり、2つ以外の数の半族
が部族内に存在することはない。名前やトーテムをもたない半族もあり、クランは半族の
過去の分裂による産物であること、半族は退化の途上にあることがわかる。各クランは唯
一の半族に所属するが、アランダ族だけが例外である。婚姻クラスは、婚姻規則に関係す
る二次的集団であって、半族の二分割あるいは四分割となっているが、両者の原則は同一
である
40
。クランを中心に据えることによって、クランと部族との関係についての理解
も一定の前進をみせている。かれによれば、各トーテムの礼拝の中心はそれと対応するク
12
トーテミズム論
ランであるが、諸儀礼に周辺諸クランの代表者たちがしばしば参列することは、部族の全
成員のあいだにおける一種の協調の結果でなければならず、部族を全体性において考察せ
ねばならないことになる
41
。しかし例えば、部族はトーテムをもつのか。もつとすれ
ば、そのように神聖化されたトーテム動物にたいする摂食禁忌は、だれの食糧でもない動
物を生みだしてしまう。
H・モーフィーがデュルケムを批判する場合も、この「クラン」が攻撃の的となってい
る
42
。モーフィーによる『宗教生活の原初形態』の要約によれば、アランダ族のクラン
は、外婚的擬似親族集団として、確固とした実体としてとらえられた。クランは部族社会
の再生産に不可欠のものであり、トーテムはクランの統合的要素であった。主要な動物が
クランに結びつき、成員はクランに擬似親族的な結びつきをもつ。精神的・宗教的力は、
クランの集合的・匿名的力以外のなにものでもない。神の可視的肉体化としてのトーテム
的標徴は、そのような沸騰の精神力の具象化であり、沸騰による興奮は、聖と俗とを区別
させる。したがって宗教的感情は、社会の行為が心のうちに惹起する安楽や依存の印象に
依存しているのであって、特定の対象の属性に帰属するものではない。これらの情緒は、
人びとのあいだに伝染性をもつほどに強烈である。モーフィーによれば、このようなデュ
ル ケ ム の い う 「 ト ー テ ム 原 理 le principe totémique」 は 、 他 の 諸 現 象 の 決 定 的 で 普 遍 的
な解釈にも適用されるが、デュルケムの理論的思考によるアプリオリな創造物であって、
アランダ族にかんする解釈を抽象化してえられたものではない。クランはかれの理論的必
要性から有力な地位があたえられているが、この制度は民族誌的に議論の余地があり、
デュルケムにおいては理論的必要性が、曖昧さを除去し、個々の解釈や体験を整序してい
るという。
しかしデュルケムの理論的思考は社会学の血肉をなしている。「一方、トーテムは、
トーテム原理またはトーテム神と呼んだものの感性的な外的形態である。しかし他方、そ
れは、クランと呼ばれるこの一定社会の象徴でもある。……それが同時に神と社会との象
徴であるとすれば、神と社会とは一つではないだろうか」。「社会は、個人意識のうちに
のみ、また個人意識によってのみ、実存しうるのであるから、集合的な力がわれわれに浸
透し、われわれの中で組織化するのは当然である」。「社会がみずから神となる、あるい
は神々を創造する傾向を、フランス革命の初年においてほど明らかに見うるところはな
い」
43
。
13
トーテミズム論
かれの宗教社会学を論じるのが本稿の目的ではないので、議論を元に戻すと、まず指摘
できることは、半族よりもクランが重要な社会組織であることにかれが気づいたことであ
る。これはオーストラリア社会において双分制は重要な組織原理ではないことを意味して
いる。またクランが、生活組織としては地域集団に、宗教組織としてはトーテム集団に相
当することにも気づいた。だが地域とトーテムがどのようにして部族社会全体に構成され
るのかはわからなかった。また婚姻クラスとそれによる婚姻規則にかんする民族誌的情報
はあったが、親族組織としてのクランにどのように婚姻クラスが組み込まれているかにつ
いては未解明であった。ここからは単系出自集団といった系譜論的なアプローチがオース
トラリア社会には不向きであることが示唆される。民族誌的な経験主義からはどのように
問題を孕んでいようとも、デュルケムにとっての「クラン」は、地域集団・トーテム集
団・親族組織の集積点、扇の要である。次節でみるように、これらは無関係と断言したの
がレヴィ=ストロースであるが、以下ではデュルケムとレヴィ=ストロースの方法論上の
共通性に言及しておきたい。
未開社会を自然発生的な実験室ととらえる考え方は、すでにデュルケムよって表明され
ていたが
44
、レヴィ=ストロースによって明確化された。かれによれば未開社会は、相
対的に単純で、説明のための変数がかぎられているので、そこでは完結した実験が構成さ
れている。しかしすでに準備された実験であり、統制不可能であることから、研究者はモ
デルを導入することになる。モデルとは、経験の特徴をなしている特性を保全しながら、
経験とは異なってわれわれが操作する力をもつような象徴体系で置き換えるための道具で
ある
45
。デュルケムにとってのモデルとは、研究者の仮説的な再構成によって構築され
たもので、観察された事象を説明するための道具ということになろう。したがって未開社
会の単純さは、モデルの構築に際しても変数の数を限定できるという特徴をもつことにな
る。また未開社会が破壊されていないかぎりで、現象の再現性という実験の最大の特性を
保有することも指摘できよう。
こ の こ と は デ ュ ル ケ ム の 「 原 初 形 態 formes élémentaires 」 「 未 開 形 態 formes
primitives」 と い っ た 言 葉 遣 い に も か か わ っ て い る 。 G ・ C ・ ホ ー マ ン ズ の 著 書 Social
Behavior: Its Elementary Forms に あ る elementaryと い う 言 葉 を め ぐ っ て T ・ パ ー
ソンズは、ホーマンズ自身が主張する「前制度的」といった意味の他にも、「未開の」と
か「すべての」といった意味でも使用されていると指摘した。「未開の」は、デュルケム
14
トーテミズム論
やレヴィ=ストロースへのかれの親近感の表われのようであり、「すべての」には、
ニュートン力学のような理論的一般化が含意されるという
46
。たしかにデュルケムの場
合 に も 、 ま た 著 書 Les structures élémentaires de la parenté の レ ヴ ィ = ス ト
ロ ー ス の 場 合 に も 、 élémentaires に は 「 す べ て の 」 の 意 味 に 近 い 「 基 本 の 」 と か 「 原 型
の」といったニュアンスが含まれているように思う。しかし宗教生活の発達の方向性を研
究の枠組みのひとつとして採用している『宗教生活の原初形態』の全体的な内容からすれ
ば 、 や は り élémentairesは primitivesと い う こ と に な ろ う
47
。オーストラリアのトーテ
ミズムは、デュルケムにとっては「達しうるかぎりもっとも原始的で単純な宗教」であっ
たから、アボリジニ社会は、「進化の起源に接近した社会」であった。ここから心理学的
な進化論に逢着することは運命として定められていたように思われるが、「(研究にとっ
て)本質的なことは、探究がもっとも有効な機会をもつ社会を選ぶことにある」という
デュルケムの見解も重要である
48
。
こ う し て 「 ト ー テ ム 」 と い う 学 術 用 語 が 、 ア メ リ カ ・ イ ン デ ィ ア ン の オ ジ ブ ワ Ojibwa
族の言葉からの人類学による借用であっても、「分類の未開形態」論文でとりあげられて
い た ズ ニ Zuni 族 な ど の ト ー テ ミ ズ ム は 、 主 要 な 研 究 対 象 か ら は 落 と さ れ て い る 。 ま た
「分類の未開形態」論文で社会組織とは無関係とされていた中国の易も扱われていない。
なにをもってトーテミズムとするかは研究者ごとに変差があろう。逆にどのような民族を
念頭においてトーテミズムを議論しているかによっても、研究者の見解や結論は異なって
こよう。レヴィ=ストロースは、実験と研究対象の選択にかんして、デュルケムと同一の
スタンスをとってきたと思われるが、次節でみるように世界のトーテミズムを問題にして
いるのである。
最 後 に 指 摘 し て お き た い の は 、 formesと い う 言 葉 が も つ 重 要 性 で あ る 。 注 目 す べ き 論 点
は 、 D ・ H ・ タ ー ナ ー が 、 ア ボ リ ジ ニ 社 会 の 「 形 態 formes」 を 認 識 論 と 宇 宙 論 の 重 要 な 次
元ととらえ、デュルケムの集合意識に相当するものと解説していることである
49
。おそ
ら く レ ヴ ィ = ス ト ロ ー ス に お い て は 、 formesは structuresと し て 明 示 化 さ れ て い る の で あ
ろう。いずれにせよ、これらはホーマンズの「前制度的」なものではなく、「制度」ある
いは「超制度」ということになろう。
15
トーテミズム論
5.レヴィ=ストロースによるデュルケム批判
19 世 紀 後 半 か ら 20 世 紀 初 頭 に か け て 百 家 争 鳴 の 観 を 呈 し た ト ー テ ミ ズ ム に か ん す る 議
論を「トーテム幻想」として退けたレヴィ=ストロースにとっては、トーテミズムにかん
する理論的な整理ですら幻想の例外ではなかった。かれがトーテミズム論者としてイギリ
スのW・H・R・リヴァーズを引用するところによれば、トーテミズムを定義的に特色づ
けるものは、①社会的要因として、ある動植物種あるいは生命のない存在と、外婚集団や
クランとの結びつき、②心理的要因として、これらの集団と動植物や存在とのあいだの親
族関係にたいする信仰、③儀礼的要因として、動植物や存在にたいする畏敬の念による、
摂食や使用の制限である
50
。同じころ、すでにアメリカではトーテミズムにかんする疑
念が表明されていたとしてレヴィ=ストロースが引用するのはA・A・ゴールデンワイ
ザ ー の 1910 年 の 著 作 で あ る 。 す な わ ち ク ラ ン 組 織 、 動 植 物 の 名 前 あ る い は 標 識 へ の 各 ク
ランの配付、クランとそのトーテムとのあいだの親族関係にたいする信仰、これらの3者
は合致することが少ないという指摘である
51
。
こうしてレヴィ=ストロースのトーテミズム批判は、いわゆるトーテミズムと社会組織
とは無関係だという観点から展開されるのであって、オーストラリアの場合もその埒外に
はない。かれが高く評価し重視するのはアメリカのF・ボアズの見解である。ボアズによ
れば、トーテミズム研究は、名前や標識、超自然的関係への信仰、食事にかんする禁忌、
外婚制、親族集団など、性質を異にするものを取り込んでいるが、すべてを唯一の類型に
いれることは絶対に不可能である。そして「トーテミズムとは、ひとつの人為的な単位
で、民族学者の思惟のうちにのみ存し、その外ではなんら特定のものもこれに対応しな
い」という。文化現象がひとつの単位に還元できるという考えにたいするボアズの異議申
し立ては、フレイザーだけではなくデュルケムにも向けられた批判として紹介されている
が
52
、レヴィ=ストロースが強調したかったのは、フレイザー批判ではなく、もちろん
デュルケム批判である。同様の観点からかれは、デュルケムとその一派が、マナやタブー
といった諸観念までトーテムと混合したと独自に論難している
53
。社会からのトーテミ
ズムの説明は、概念の混乱のうえにしか成立しえない、ということの傍証と考えられたの
であろう。
トーテミズムの存在不可能性についての理論的な検討も、ボアズに依拠している。ボア
ズによれば、普遍性の高い外婚制が普遍性の低いトーテミズムよりも論理的・歴史的に先
16
トーテミズム論
行しているはずである。エスキモーのように外婚制の単位が、実際の親族関係で規定され
た家族に限定される場合、人口の増加は、新しい単位の創設を招き形式的構造に欠けるの
で、この形式の外婚制とトーテミズムとは両立しない。外婚制の単位が拡大可能な場合
は、単系的血縁関係というような曖昧さを許さない血縁関係の規則と、名前などの血縁関
係についての示差的標識とが必要になるいう。しかし人口の発達は、外婚集団の数を減少
させていき、ついには社会全体が2つの外婚集団へ、ひいては双分組織へと還元されると
いう
54
。この容易には理解できないかれの推測がもし正しければ
55
、トーテミズムは
外婚集団として半族のみが存在する社会にしか適用できない。このことはレヴィ=スト
ロースがトーテミズムの認識論理の分析を半族レベルに狭めていくのと無縁ではないだろ
う。しかしアボリジニ社会の外婚集団は半族だけではないし、ボアズのいう単系的血縁集
団、あるいはレヴィ=ストロースが追加するところの双系的血縁集団の存在もアボリジニ
社会では疑わしい。
アメリカのR・H・ローウィによれば、アランダ族は、クランとは異なったトーテム集
団をもっているから、クラン組織とトーテミズムとのあいだには経験的な関連はない
56
。こういった引用を皮切りに、レヴィ=ストロースはオーストラリアでのトーテミズ
ムの存在を肯定する民族誌研究からの経験的な知見を参照しつつ、トーテミズム批判を展
開するが、基本的な見解は以下のようなものである
57
。アランダ族においては、トーテ
ム集団、地域集団、婚姻クラスの3者は、独立した構造と機能をもつ。トーテミズムの信
仰および慣行は、この社会でどれほど重要ではあっても、婚姻規則にかかわる社会学的な
部分とはまったく異なった次元に属する。したがってトーテミズムの社会学的説明は間
違っている。
ところでレヴィ=ストロースは、オーストラリア研究の代表者としてA・P・エルキン
の研究に1章を割いて論じているので、かれがエルキンなどの研究を引用している部分か
ら議論を要約しておきたい。エルキンによるトーテミズムの分類では、個人的か社会的か
でトーテミズムは大きく2つに分けられる。前者には個人トーテミズムがあるが、これに
は呪術が関連することが多い。後者には、男女の性別による性トーテミズム、半族・セク
ション・サブセクションのトーテミズム、父系的あるいは母系的なクラン・トーテミズ
ム、宗教的な文化トーテミズムが含まれる。なお夢トーテミズムは個人的でかつ社会的な
トーテミズムである
58
。
17
トーテミズム論
婚姻規則との関連でサブセクション・トーテミズムをみていくと、キンバリーランド東
部とノーザン・テリトリーの境界地域では、サブセクション・セクション・半族がトーテ
ムをもつが、婚姻は集団所属ではなく親族関係に根拠をもとめるので、サブセクションな
どの社会構造は婚姻規定をはたしていない。アーネムランド東部では、サブセクションが
トーテムをもっているから、サブセクションによる婚姻規則とトーテム所属とが一致して
いることになる。ノーザン・テリトリーとキンバリーランドにまたがるムンガライ
Mungarai族 や ユ ン グ マ ン Yungman族 で は 、 ト ー テ ム は サ ブ セ ク シ ョ ン な ど の 社 会 集 団 で は
なく特定の名前をもつ土地に結びついているが、出産する女性と胎児の精霊との関係か
ら、トーテムとサブセクションとが整合性をもつようにされているところもある。サブセ
クションをもつ北部アランダ族などでは、子どもは父方のトーテム集団にも母方のトーテ
ム集団にも所属せず、母親が懐妊を意識したときの場所に関連したトーテムである懐妊
トーテムとなっている。これらの知見をレヴィ=ストロースがまとめると、サブセクショ
ンがトーテム集団であっても婚姻規定をおこなわないこともあれば、またサブセクション
が婚姻クラスとして作用してもトーテム所属とは関係ないこともあるということになる
59
。
次にクラン・トーテミズムであるが、エルキンによれば、オーストラリアでのクラン所
属には、母系式・父系式・懐妊式の3通りがあるという。どのような方式のクラン所属で
あっても、一般にクラン成員は、トーテムで結ばれており、食事上の禁忌を遵守し、トー
テム種の繁殖を図るべく儀式をおこなう特権と義務をもっている。母系クランは、オース
トラリア東部とウェスタン・オーストラリア南西部に多くみられる。クラン所属は母系式
となっており、妊娠での父親の役割を否定するかのように、子どもは母親から母系的に継
続する「肉」を受け取るとされている。父系クランは、ウェスタン・オーストラリア、
ノーザン・テリトリー、ヨーク岬などに多く、各クランが母系クランと同様にトーテムを
もつ。ただし父系クランは、地域的な父系ホルドとなっており、特定のトーテムとの霊的
結 び つ き は 、 「 肉 」 に よ っ て で は な く 、 ホ ル ド が 領 有 す る 領 地 内 の 「 ト ー テ ム 風 光 sites
totémiques」 の 媒 介 に よ っ て 地 域 的 に 実 現 さ れ る 。 ト ー テ ム の 継 承 方 式 が 父 系 式 に よ る 場
合には、父系の地域集団が外婚制をになうので、社会構造と宗教が調和的であり、また
オーストラリアではつねに父方居住制であるから、血縁関係と居住規則も調和的である。
ところがアランダ族やサウス・オーストラリア西部のように懐妊や誕生の場所でトーテム
18
トーテミズム論
が決定される懐妊式の場合には、やや複雑になり、懐妊や出産が父方のホルドの領地内で
あれば、間接的に父系の性格を維持することになるが、それは蓋然性の問題にすぎないと
いう。そこで問題の北部アランダ族であるが、懐妊式のトーテム継承であるから、トーテ
ム的な外婚制は認められない。外婚制は、親族関係やサブセクション体系に委ねられてお
り、サブセクションとクラン・トーテミズムとはまったく別物であるという結論にいたる
60
。
エ ル キ ン は 半 族 ト ー テ ム を も つ ア ラ ン ダ 族 で 、 400 以 上 の ト ー テ ム を 蒐 集 し 、 60 ほ ど の
分類を作成したが、レヴィ=ストロースは綿密な分類と大まかな総合とによる唯名論だと
してエルキンの研究に評価をくだした
61
。ミイラ取りがミイラになった感がある。トー
テミズムを分断したのがエルキンなら、半族・サブセクション・クラン・地域集団・トー
テム所属・外婚制を分断したのがレヴィ=ストロースであるともいえる。婚姻規制と親族
組織から分析を一貫させようとするのではなく、トーテミズムの社会学的分析は不可能と
いう結論につなぐための論理構成となっている。いずれにせよ理論的な考察も、経験的な
考察も、脆弱な基盤のうえに構築されている。これは『親族の基本構造』で展開された構
造人類学の基本テーゼをみずから裏切るものであるが、かれがトーテミズムについて関心
を振り向けるのは前述のように半族トーテムの問題であった。
もうひとつのレヴィ=ストロースによるデュルケム批判は、デュルケムに敬意を払いつ
つ批判したとされるA・R・ラドクリフ=ブラウンの機能主義的トーテミズム解釈への批
判に付随して展開される。レヴィ=ストロースが引用するラドクリフ=ブラウンによる
デュルケム批判は、以下の2点にまとめられる
62
。第1に、デュルケムによれば、クラ
ンの恒久性・連続性から要求される標識は、最初は偶有的・恣意的な標識であり、のちに
動植物の表象から象徴に作りあげるのがトーテミズムである。しかし人間と動物の関係の
儀礼化は、トーテミズムよりもずっと一般的な枠組みであり、自然な利害関係から動物と
人間の関係の儀礼化がおこり、そこから儀礼の対象であった自然種を社会的単位の標識に
するのがトーテミズムだとラドクリフ=ブラウンは主張する。第2に、デュルケムは、神
聖なものだから儀礼的関係が存在するというが、儀礼的関係が存在するから神聖なものだ
ともいえる。ラドクリフ=ブラウンは、神聖視されたものという概念が不完全なことを指
摘して、個人の愛着の感情から儀礼化された集団的行為が発生し、そこからその集団を代
表する事物が象徴となり、社会の維持に貢献すると主張する。
19
トーテミズム論
ラドクリフ=ブラウンの機能主義的解釈はレヴィ=ストロースにとっては明白なまでに
おかしいのであるが、デュルケムのトーテミズム論も、究極的に分析すれば、必要から出
発して感情への訴えで完結しており、社会的現象を情緒性から派生させているとして手厳
しく批判される
63
。第1の論点にかんしては、デュルケムによれば、文化程度の低い人
びとには共同体を想起させる映像を自己の身体に描かせる「本能的傾向」があるために、
トーテムという象徴を用いクラン所属を表わすことになったと説明される。したがってレ
ヴィ=ストロースは、神聖なものにかんするデュルケムの情緒理論の根底にあるものはこ
の「本能」だと論難する。第2の論点については、デュルケムの神聖なものの集団起源論
にたいする批判であって、レヴィ=ストロースがトーテミズムにかんする社会学的説明へ
の拒絶を宣言したとみなすことができる。集団起源論は、論点の先取りに依存していると
かれは非難する。儀礼での感動が儀礼活動を存続させるのではなく、儀礼活動が感動をう
む。宗教的理念が沸き立つ社会環境と興奮からうまれたのではなく、社会環境はすでに宗
教的理念を前提としている。ラドクリフ=ブラウンの批判と同型の論理である。
こうしてレヴィ=ストロースは大きく舵をきり、オーストラリアから離れ、トーテミズ
ムを人間の知性から解明しようとする。M・フォーテスやR・ファースの研究からは、自
然種と社会的単位とのあいだには、実質的な類縁関係が存在しないこと、またトーテム表
象が措定している類似は、互いに異なった種としての動物と、社会区分で互いに異なった
祖先という2つの差異体系のあいだに存在することを引きだした
64
。そしてE・E・エ
ヴァンズ=プリチャードの見解が賞賛をこめて引用される。「動物界は社会という世界の
言葉で思考される」。「トーテム関係は、トーテムの性質自体にではなく、それが精神に
呼びおこす連合のうちにもとめるべきである」
65
。さらにレヴィ=ストロースは、こう
した理解がラドクリフ=ブラウンにもあると指摘し、前述の見解と区別して、ラドクリフ
=ブラウンの第2理論と称した。事例として登場するのは、母系外婚半族、性トーテミズ
ム、名前をもつ隔世世代の二分割であり、コウモリとフクロウ、タカとカラス、カンガ
ルーとウォンバットなどのペアである。機能主義から構造主義に転換したラドクリフ=ブ
ラウンにレヴィ=ストロースが発見したことは、動物種は、対立で分類でき、しかも共通
の性格をもつものが選択されていること、またトーテミズムは、対立が統合に役立つよう
にするような特定の方法のひとつであることである
66
。このようなことをなぜ「分類の
未開形態」論文から引きだせないのだろうか。
20
トーテミズム論
結局、レヴィ=ストロースのトーテミズムにかんする独自の結論は、「精神は、表示体
系のなかというよりは、むしろ、一方には種xと種yとのあいだ、他方にはクランaとク
ランbとのあいだに存在する示差的格差のあいだに相同性を要求する」ということになる
67
。かれの結論が、トーテミズムとは動物種などによる半族の命名のことであり、使用
される一対の名前は共通の性格と対立的性格をあわせもつということであれば、これは半
族のシステムと同一の特性であるといえよう。だだしオーストラリアの社会構造の現実を
度外視した発言になってしまう。再度、デュルケムにしたがうなら、分類とは部分が「序
列」の順位で配置された体系のことであり、このような枠組みは自然の景観にも心性的連
想の機制によってもあたえられない。「序列」とは、排他的に社会的事物であるからであ
る
68
。
6.残された大きな課題
R・ニーダムがレヴィ=ストロースのトーテミズム論を批判するところによれば、動物
種はそれぞれが内婚単位になるのに、なぜ対応する人間の集団間では外婚になるのかとい
う問題が解決できていない
69
。この問題にかんしては、レヴィ=ストロースはH・ベル
クソンを論じるなかですでに回答をあたえている。哲学者ベルクソンにとっては、外婚制
は有害な近親婚を避けるための本能の現われであり、トーテミズムはその手段であった。
ベルクソンの説明によれば、近親婚忌避の本能が活動しない場合、知性による想像力の表
象、すなわちトーテムで補うが、この表象は、動物性を強調するのではなく、二元性を強
調するものである。こうしてニーダムが提起したような動物世界の「同族婚」は問題とさ
れず、ラドクリフ=ブラウン第2理論の域に到達しているとレヴィ=ストロースはベルク
ソンを評価する
70
。すでにトーテミズムと外婚制は関係がなく、レヴィ=ストロースに
はここで闘う必要はなかった。
ところがかれのデュルケムへの要求は過酷なまでに厳しい。クランが本能的に標識を自
分のものとし、その標識を動物の図案に書き換え、クランと象徴とが神聖化されるという
一連の過程を、他のクランも同様にたどり、それがどのようにして体系的に組織化される
かという問いである。レヴィ=ストロースの引用によれば、デュルケムの回答は次のよう
になる。神聖さというものは、極度に伝染性をもつものである。「トーテム存在」の神聖
性は、多少なりとも縁のあるものに伝染する。そして最終的には、全世界が同一部族の諸
21
トーテミズム論
トーテム原理に分配されることになった。レヴィ=ストロースの反論は、分配という言葉
は曖昧であり、そのような分配は恣意的で偶有的な結果しかうまないし、このような偶然
の所産がなぜ「原始的分類」の起源になるのか理解に苦しむというのである
71
。
さらにデュルケムのいわゆる社会学主義にも批判はおよぶ。すなわちデュルケムは、あ
らゆる社会生活は人間の知的活動を前提としており、その知的活動の形式的性質は具体的
組織の一反映ではないとしていたのに、社会的なものの知性にたいする優先性を確言す
る。それでは範疇や抽象概念は、どのような社会秩序から派生するのか。デュルケムの回
答は、感情・情緒的価値・伝染や感染といった漠然としたものであり、かれの思想は相矛
盾するものに引き裂かれている。デュルケムは宗教とトーテミズムを結合させて、両者の
特質を失った不可思議なものを生んだのである
72
。トーテミズムが純粋に知的世界内の
出来事であるならば、すでに議論は終わっており、デュルケムに無理難題を背負わせる必
要はない。トーテミズムを社会学的に説明しようとするならば、なにが必要かをしめした
ものとして、レヴィ=ストロースの意見を拝聴すればよい。
「分類の未開形態」のデュルケムとモースに戻るなら、未開の分類は、概念の序列化さ
れた体系をなしており、事物は相互に分離された群に配置され、これらの群は相互に一定
の関係をたもち、その集合がひとつの全体を形成している。われわれが問題にしているの
は、もはや事物をたんに2つの対立する類に分けるという二分法なのではなくて、その各
類における諸概念の階統上の真の包摂関係なのである。オーストラリアのトーテムは、行
為の促進や行動の正当化が目的ではなく、観念相互間の関係を確立して知識の統一化をめ
ざすという思索的な目的をもっている。知識の統一性は集合体の統一性であって、事物の
全体がひとつの体系をなしていると考えられるのは、社会そのものが同じように考えられ
ているからである
73
。レヴィ=ストロースのトーテミズにかんする見解は、この「分類
の未開形態」論文の一節に尽くされているような気がする。しかも人びとによる社会組織
の認識も研究者による社会組織の認識も同一の原理に委ねられることが表明されている。
すなわち社会体系が文化体系を規定しているのではなく、社会体系と文化体系を共通して
規定しているものが存在するはずだというおぼろげな確信がある。
『今日のトーテミスム』以降のトーテミズムにかんするレヴィ=ストロースの考察は、
自己の業績の確認にとどまる。「体系的分類は具体的な社会に存するが、人口の変動に
よって古来の秩序が失われたり、変化したりするので、研究は困難をともなう」と述べた
22
トーテミズム論
あとで、かれはスペンサーとギランを引用して、ある社会組織レベルの生者にかんする諸
構造が、近隣の社会では同一の形態をとった死者の世界のことであるという。これは1つ
のメッセージを変換する2つのコードであって、マリノフスキーの本来的必要性にもデュ
ルケムの社会的拘束性にも関連づけられないと主張する
74
。たしかにそうであろう。社
会体系が最終の審級であろうとも、文化体系は一定の自律性を備えていよう。ここからレ
ヴィ=ストロースは、摂食禁忌・外婚制・トーテムについて言及するが、オーストラリア
についてではない。そしてかれの議論はカテゴリーにいたるが
75
、社会体系から疎隔さ
れたカテゴリーは、デュルケムのいうトーテムにはならないし、神の在所でもなく、パー
ソナリティの構成要素でもないことに注意すべきであろう。
レヴィ=ストロースは、『宗教生活の原初形態』の第2編、第7章のみからの引用をお
こなって批判を展開した。デュルケムの宗教論は心理学的説明だとして批判をしたのであ
るが、これはボアズによるデュルケム批判の基本路線でもある
76
。 つ ま り 18 章 と 序
論・結論からなる大著の他の部分は批判されていないともいえる。トーテミズムにかんす
る既存の諸理論を消去法で検討した『今日のトーテミスム』の結論は、「分類の未開形
態」論文の思考様式と一致している。まとめるならば、レヴィ=ストロースのデュルケム
批判は、心理学的説明を批判し、機能主義的説明を不問とし、構造主義的説明を継承した
といえる。あるいはデュルケムの心理学的説明の部分を構造主義的説明に差し替えること
が課題となったともいえる。レヴィ=ストロースの接近・類似といった概念は、フレイ
ザーがトーテムの議論で使用した概念であり、心理学を源流とする概念であるが。
オ ー ス ト ラ リ ア へ の 植 民 は 1788 年 に 開 始 さ れ た が 、 W ・ E ・ H ・ ス タ ナ ー に よ れ ば 、
1850 年 代 の ジ ャ ク ソ ン 港 ・ ボ タ ニ ー 湾 地 域 で は 、 生 気 を 失 っ て 生 き 延 び て い る 者 で す ら
1ダースにもみたなかった。しかも植民の拡大は、自然法則であるかのように、各地でこ
のパターンを再生産したという
77
。 ス ペ ン サ ー と ギ ラ ン の 最 初 の 著 作 は 1899 年 の 出 版
である。スペンサーはメルボルン大学の生物学者で、ギランはアリス・スプリングズの郵
便電信局長であった
78
。アリス・スプリングズはノーザン・テリトリーの中心地となっ
ていくが、そこはアランダ族の領地であった。二人によって詳細に調査されたアランダ族
とは、周辺部族よりもずっと早くから白人の影響を受けていた部族となろう。言語・神
話・音楽・儀礼など文化体系に属するものは比較的残存しやすいが、急激な人口減少は、
親族組織というアボリジニ社会の社会体系を根幹から壊滅させた。デュルケムの社会学理
23
トーテミズム論
論の準拠点は、まさにそのような脆弱な社会構造に定められたのである。クランと地域集
団との関係が不明確であることや、クランをこえた部族の統合が未解明であることは、固
有の領地を奪われたアボリジニ社会にたいする想像力の必要性を示唆しているように思わ
れる。この研究を完遂させるためには、「原初的」な社会に遡及して、失われたものが再
構成されねばならないのである。
最大の問題は、親族構造を中心にした社会構造が解明されていないことにある。一方の
デュルケムにあっては、クランの実態が不明確であり、親族組織からの検討が十分ではな
い。かれの社会学主義は、民族誌データの欠損によって、完遂できていないのである。他
方でレヴィ=ストロースは、『親族の基本構造』において限定交換の詳細な検討をおこ
なってきていたので、親族組織とトーテミズムとの関係が議論されてもよさそうなはずで
あるが、トーテミズムにかんするかれの議論は半族に収斂してしまった。問題を指摘する
ことは簡単であるが、問題を解決することは難しい。オーストラリアの限定交換に再び戻
る必要がある。神話研究におもむこうとするレヴィ=ストロースの後ろ姿を追い求めても
無意味なのである。
24
注
1
Claude Lévi-Strauss, Le totémisme aujourd’hui, Presses universitaires de
France, 1962, 4e éd., 1974.(クロード・レヴィ=ストロース著、仲沢紀雄訳『今日のトーテ
ミスム』みすず書房、1970 年)。
2
本稿は、トーテミズム研究の諸文献に言及する余裕はほとんどもたない。本稿の目的からデュルケ
ムとレヴィ=ストロースの文献にかぎられ、議論はオーストラリアのアボリジニ社会、しかもアラン
ダ族に焦点を絞っていくことになる。
3
Emile Durkheim, Sur le totémisme, L’Année Sociologique, Tome 5, 1902.
Emile
Durkheim
classification:
et
Marcel
Contribution
Mauss,
à
De
l’étude
quelques
des
formes
primitives
représentations
de
collectives,
L’Année Sociologique, Tome 6, 1903.(エミール・デュルケーム著、小関藤一郎訳編「トー
テミズム論」「分類の若干の未開形態について―集合表象研究のための試論―」『分類の未開形態』
法政大学出版局、1980 年)。
4
Emile Durkheim, Les formes élémentaires de la vie religieuse: Le système
totémique en Australie, Presses universitaires de France, 1912, 4e éd.,
1960.(デュルケム著、古野清人訳『宗教生活の原初形態』上巻・下巻、岩波文庫、初版 1941 年、改
訳版 1975 年)。
5
Durkheim, op. cit., Sur le totémisme, pp.82-83 et 84.(デュル ケム、前掲論 文
「トーテミズム論」139-140 および 142 ページ)。
6
Ibid., pp.88-90.(同上論文、150-152 ページ)。
7
Ibid., p.91.(同上論文、154-155 ページ)。
8
Ibid., pp.90-95.(同上論文、153-161 ページ)。
9
Ibid., pp.98-106.(同上論文、165-177 ページ)。
10
デュルケムは、読者の理解を容易にするためとして、婚姻クラスの8サブセクションのうち、4つ
のサブセクション名だけで説明をしている。したがってアランダ体系ではなく、カリエラ体系あるい
は「南部」アランダ族で説明していることになるが、これがかれの論旨を損なうものだとはいえな
い。
11
Ibid., pp.107-113.(同上論文、177-186 ページ)。
12
デュルケムは、「トーテミズム論」論文よりも前に、近親婚の禁止についての長大な論文を発表し
ている。ここでは外婚制の本質をなすクラン外婚制が議論されており、クランは、血縁関係ではなく
25
注
トーテムの共同によって構成され、地域的な基礎をもつ部族とは異なっており、また居住地の共同に
よる集団を含んでいたりすると説明している。トーテミズム一般からの理論的考察としては妥当なも
のであろう。したがってあらたに入手されたアランダ族の民族誌データに忠実なあまり、諸集団の整
理が十分にできなくなったともいえる。Emile Durkheim, La prohibition de l’inceste et
ses origines, L’Année Sociologique, Tome 1, 1898, pp.2-3 et 9.(エミール・デュ
ルケーム著、小関藤一郎訳編「近親婚の禁止とその起源」『デュルケーム家族論集』川島書店、1972
年、32-33 および 40-41 ページ)。
13
Durkheim, op. cit., Sur le totémisme, pp.85-87 et 112-120.(デュルケム、前掲
論文「トーテミズム論」145-147 および 185-198 ページ)。
14
15
Ibid., pp.95-98.(同上論文、161-165 ページ)。
Claude Lévi-Strauss, Leçon inaugurale faite le Mardi 5 Janvier 1960.(クロ
ード・レヴィ=ストロース著、仲沢紀雄訳「人類学の課題」『今日のトーテミスム』みすず書房、
1970 年、213-216 ページ)。
16
Durkheim, op. cit., De quelques formes primitives de classification,
pp.2, 8 et 14.(デュルケム、前掲論文「分類の若干の未開形態について」4、14 および 21 ペー
ジ)。
17
Ibid., pp.1-2 et 5-6.(同上論文、3-5 および 9-10 ページ)。
18
Ibid., pp.2-6.(同上論文、5-10 ページ)。
19
Ibid., pp.7-13.(同上論文、13-20 ページ)。
20
Ibid., pp.14-16.(同上論文、20-24 ページ)。
21
Ibid., pp.19-21.(同上論文、26-30 ページ)。
22
Ibid., pp.28-29.(同上論文、40-41 ページ)。
23
Ibid., pp.25-34.(同上論文、36-46 ページ)。
24
Ibid., pp.7 et 67.(同上論文、13 および 88-91 ページ)。
25
Ibid., pp.69-72.(同上論文、92-96 ページ)。
26
Emile
Durkheim,
Sur
l’organisation
matrimoniale
des
sociétés
australiennes, L’Année Sociologique, Tome 8, 1905, pp.118-147.(エミール・デュ
ルケーム著、小関藤一郎訳編「オーストラリア原住民社会における婚姻組織」『デュルケーム家族論
集』川島書店、1972 年、137-171 ページ)。
27
Baldwin Spencer and F. J. Gillen, The Native Tribes of Central Australia,
26
注
Macmillan, 1899. Baldwin Spencer and F. J. Gillen, The Northern Tribes of
Central Australia, Macmillan, 1904. ギラン没後の 1914 年には、調査地をさらに拡大して
カカドゥ地域とメルヴィル島の民族誌が出版されている。Baldwin Spencer, Native Tribes of
the Northern Territory of Australia, Macmillan, 1914.
28
Durkheim,
op.
cit.,
Sur
l’organisation
matrimoniale
des
sociétés
australiennes, pp.119-120.(デュルケム、前掲論文「オーストラリア原住民社会における婚姻
組織」138-139 ページ)。
29
Ibid., p.121.(同上論文、140 ページ)。
30
Ibid., pp.121-124.(同上論文、140-144 ページ)。セクションという概念をデュルケムが用
いているのではない。以下でも、用語や記号を多少変えていることもある。
31
Ibid., pp.124-131.(同上論文、144-151 ページ)。
32
スペンサーとギランがその特異性に驚いたマラ族について、後年の人類学者であるD・H・ターナ
ー も 、 デ ュ ル ケ ム と 同 様 に 、 不 規 則 性 は 存 在 し な い と 判 断 し て い る 。 David H. Turner,
Australian Aboriginal Social Organization, Humanities Press, 1980, p.57.
33
スペンサーとギランは、8サブセクション体系における婚姻による子どもの婚姻クラスへの所属
を、4セクション体系でのそれと構造的に等価として解釈している。4セクション体系のAの男性が
Bの女性と結婚した場合、子どもはA1に属するが、これと同様に8サブセクション体系において
も、Aの男性がBの女性と結婚した場合、子どもはA1ではなくDに所属するとして、ビンビンガ族
の8つの婚姻クラスを配置したところに問題がある。Spencer and Gillen, op. cit., The
Northern Tribes of Central Australia, pp.117-118. デュルケムがいうように、4セク
ション体系のAとA1との差よりも、8サブセクション体系のAとD1の差は大きい。
34
Durkheim,
op.
cit.,
Sur
l’organisation
matrimoniale
des
sociétés
australiennes, pp.132-136.(デュルケム、前掲論文「オーストラリア原住民社会における婚姻
組織」151-155 ページ)。かれは、オーストラリア社会では父系組織が一般的であるのに、なぜ母系組
織であるかを解明しようとしていた。父系組織の「深層構造」に母系組織が存在することを主張して
いたともいえよう。
35
36
Ibid., pp.136-147.(同上論文、155-167 ページ)。
Durkheim, op. cit., La prohibition de l’inceste, pp.18-20.(デュルケーム、前
掲論文「近親婚の禁止とその起源」51-54 ページ)。
37
デュルケムは、放浪者としての生活であることから、クランはその占めている地域によって定義す
27
注
ることはできないとしている。民族誌による十分な情報がなかったとはいえ、このような間違った理
解は、クランと地域集団との関係を見誤らせたのであろう。Durkheim, op. cit., Les formes
élémentaires de la vie religieuse, pp.333-334.(デュルケム、前掲書『宗教生活の原初
形態』上巻、418-419 ページ)。
38
Ibid., pp.129-130 et 216-217.(同上書、163 および 271 ページ)。
39
Ibid., pp.142-143 et 238-239.(同上書、178-179 および 302-303 ページ)。
40
Ibid., pp.150-154.(同上書、189-193 ページ)。
41
Ibid., pp.220-222.(同上書、274-277 ページ)。
42
Howard
Morphy,
Spencer
and
Gillen
in
Durkheim:
The
Theoretical
Constructions of Ethnography, N. J. Allen, W. S. F. Pickering and W. Watts
Miller eds., On Durkheim’s Elementary Forms of Religious Life, Routledge,
1998, pp.25-27.
43
Durkheim, op. cit., Les formes élémentaires de la vie religieuse, pp.293-
307.(デュルケム、前掲書『宗教生活の原初形態』上巻、371-386 ページ)。
44
Durkheim, op. cit., Sur le totémisme, pp.111-112.(デュルケム、前掲論文「トー
テミズム論」184-185 ページ)。
45
46
レヴィ=ストロース、前掲論文「人類学の課題」194-197 ページ。
Talcott Parsons, Levels of Organization and the Mediation of Social
Interaction,
Herman
Turk
and
Richard
L.
Simpson
eds.,
Institutions
and
Social Exchange: The Sociologies of Talcott Parsons and George C. Homans,
Bobbs-Merrill, 1971, pp.24-25.
47
デュルケムは、「原始的」あるいは「単純な」という言葉で説明している。Durkheim, op.
cit., Les formes élémentaires de la vie religieuse, p.1.(デュルケム、前掲書、17
ページ)。
48
Ibid., pp.132-136.(同上書、168-172 ページ)。それゆえにこそ、「本質」とか「法則」と
かがかれの念頭にはあった。Ibid., pp.593-594.(同上書、下巻、321-323 ページ)。
49
David H. Turner, The religious forms of the elementary life: Durkheim
revisited, Culture, Vol.13, No.1, 1993, pp.38 & 41-42.
50
Lévi-Strauss, op. cit., Le totémisme aujourd’hui, pp.15-16.(レヴィ=ストロ
ース、前掲書『今日のトーテミスム』17-18 ページ)。
28
注
51
Ibid., pp.10-11.(同上書、11-12 ページ)。
52
Ibid., pp.12-13 et 18.(同上書、14-15 および 21 ページ)。
53
Ibid., pp.48-49.(同上書、54 ページ)。
54
Ibid., pp.19-21.(同上書、22-24 ページ)。
55
ボアズは、「単系的家族がなんらかの特性で区分されるところでは、トーテム的組織の諸要素がみ
られる」と言明したあとで、レヴィ=ストロースが引用しているように、外婚制の単位である単系的
家族の数的減少が社会の双分組織化にいたる過程について考察を展開している。ただしこの過程には
条件があって、部族を構成する人口が少なく、人口増加率が低いことである。子孫が成人に達しなか
ったり、性別の違いで後継親族がえられなかったり、また新しい家族系統の創出が制限される場合に
は、「世代を重ねるごと」に単系的家族は数を減らしていく。この過程はヨーロッパ貴族の衰亡の歴
史に表われているとボアズいう。かれは外婚制を議論の前提としているので終着点が双分組織なのだ
ろうが、庶民ともども二大貴族に分割されるのではなかろう。Franz Boas, The Origin of
Totemism, American Anthropologist, Vol.18, No.3, 1916, pp.323-326.
56
Lévi-Strauss, op. cit., pp.11-12.(レヴィ=ストロース、前掲書『今日のトーテミス
ム』12-13 ページ)。
57
Ibid., pp.55, 58 et 62.(同上書、61、64 および 67 ページ)。
58
Ibid., p.68.(同上書 73 ページ)。このエルキンの分類では、クラン・トーテミズムと宗教的
な文化トーテミズムとが区別されている。後述するように、クラン・トーテミズムには母系も父系も
あるが、宗教的な文化トーテミズムは、父系のクラン・トーテミズムのように、父系式か懐妊式かに
よる「トーテム風光」でトーテム所属が決定され、宗教的な性格をもつトーテミズムだとされてい
る。
59
Ibid., pp.59 et 62.(同上書、66-67 ページ)。
60
Ibid., pp.64-67.(同上書、69-72 ページ)。
61
Ibid., pp.63 et 85.(同上書、68 および 92 ページ)。
62
Ibid., pp.90-93.(同上書、98-101 ページ)。
63
Ibid., pp.106-107.(同上書、115-117 ページ)。
64
Ibid., pp.113-116.(同上書、124-127 ページ)。
65
Ibid., pp.120-121.(同上書、132-133 ページ)。
66
Ibid., pp.123-132.(同上書、136-145 ページ)。
67
Ibid., p.22.(同上書、25 ページ)。
29
注
68
Durkheim, op. cit., Les formes élémentaires de la vie religieuse, pp.205-
211.(デュルケム、前掲書『宗教生活の原初形態』上巻、260-264 ページ)。
69
Rodney
Needham,
Totemism: The
1912
Foreword,
Text
Andrew
of Totemism
Duff-Cooper
by
ed.,
Andrew Lang,
Andrew
Centre
Lang
for
on
Social
Anthropology and Computing, University of Kent at Canterbury, 1994, pp.ix-x.
70
Lévi-Strauss, op. cit., pp.139-140.(レヴィ=ストロース、前掲書『今日のトーテミス
ム』153-155 ページ)。
71
Ibid., pp.140-142.(同上書、155-157 ページ)。
72
Ibid., pp.142-143 et 151-152.(同上書、158-159 および 168-169 ページ)。
73
Durkheim, op. cit., De quelques formes primitives de classification,
pp.11 et 66-68.(デュルケム、前掲論文「分類の若干の未開形態について」18 および 87-90 ペー
ジ)。
74
Claude Lévi-Strauss, Paroles données, Plon, 1984, pp.44-46. ( ク ロ ー ド ・ レ
ヴィ=ストロース著、中沢新一訳『パロール・ドネ』講談社選書メチエ、2009 年、54-57 ページ)。
75
Ibid., pp.46-50.(同上書、57-62 ページ)。
76
デュルケムの議論を「心理学的」として批判していたのはボアズであったから、レヴィ=ストロー
スのボアズ準拠もはなはだしい。ゴールデンワイザーの 1910 年の論文を引用して、トーテミズムにか
んして疑念を呈した研究者だと、かれを評価したのもボアズであった。Boas, op. cit., pp.319321.
77
W. E. H. Stanner, Religion, Totemism and Symbolism, Ronald M. Berndt and
Catherine H. Berndt eds., Aboriginal Man in Australia: Essays in Honour of
Emeritus Professor A. P. Elkin, Angus and Robertson, 1965, p.208.
78
Morphy, op. cit., p.16.
30