対訳辞書索引の翻字について −−『自筆西日辞書』の索引などをめぐって−−

対訳辞書索引の翻字について
−
−『自筆西日辞書』の索引などをめぐって−
−
斎 藤 博*
1.はじめに
16世紀末から17世紀初頭に刊行された日本語対訳辞書中のローマ字書き日本語は当時の生きた日本
語の資料として貴重で、現行の各種の国語辞書もしばしば『日葡辞書』(1603年刊)の語彙を典拠と
して引用している。この『日葡辞書』にはその翻訳翻字に精緻を極めた『邦訳日葡辞書』があり、
『邦訳日葡辞書索引』
、
『邦訳日葡辞書逆引索引』が公刊されて利用度が高い。これに対し、
『羅葡日対
訳辞書』
(1595年刊)と Collado の『羅西日辞典』
(1632年ローマ刊)と辞典編纂用の草稿の翻刻『自
筆西日辞書』の三辞書については共に邦訳がない。また索引については『羅葡日対訳辞書』には「翻
字したローマ字書き日本語語彙索引」
(
『ラホ日辞書の日本語』
)があるが、
『羅西日辞典』には「翻字
されてないローマ字書き日本語索引」が、『自筆西日辞書』には「翻字された日本語索引」が収めら
れているにすぎない。いずれも辞書本文が邦訳されてないために、対訳辞書編纂者の発信した情報を
公刊後約400年後に、より精確な日本語に翻字して情報内容を提示しうる完成度の高い索引を作成す
るのは容易な作業ではない。以下には、主として『自筆西日辞書』索引中の不適切と見做せる翻字を
(1)
取りあげ、対訳辞書の索引作成に関わる翻訳・翻字の若干の問題点について考える。
2.対訳辞書の索引における翻字の位置
約400年前に対訳辞書編纂者から発信された情報を現在の日本人が受信しようとする時、従来、
種々の理由が考えられるとしても、あまりにもローマ字書きされた日本語の検討、他の国字資料探索
に力点を置くあまりにか、例えば『自筆西日辞書』の索引(2)でいえば、やや説得力のない翻字も少
なからず見られ、利用者にとって満足の行く索引作成にまで至っていないように思われる。
対訳辞書の索引における翻字の位置を確認するために、外国人の日本語との対訳・翻訳に始まって
ローマ字化された日本語を受け取って翻字するまでの過程を、ごく単純化した図をもって示せば、次
頁の[図1]のようになる。本論の全体を通して強調される点は、[図1]の爲段階にある翻字には
*
Hiroshi SAITO 日本語・日本文化学科(Department of Japanese Language and Japanese Culture)
1
東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
爬爰の段階へ遡った検討が必須条件だということである。
以下で、対訳辞書の索引などに散見される、不適切な翻字を検討する際、しばしば[図1]の爬、
爰、爲のどの段階に問題があるのかを探る。その際、当時の日本語に対して与えられたラテン語など
の外国語との対比を検討する過程を省略したのでは、ここで指摘する結論に至る道程を提示しないこ
とになるわけだから、以下では煩をいとわずにラテン語、スペイン語、ポルトガル語とローマ字書き
の日本語(これは当時の辞書編纂に携わる外国人にとっては、間違いなく音声資料であった)を対比
し、当該の外国語にはそれぞれ現代語の翻訳を与え、本論の当該箇所の論旨が妥当かどうかの判断資
料を提示することとした。したがって、筆者の判断が的を得ているかどうかは取りあげた素材に対す
る翻字・翻訳が的確に語っているはずである。以下、 ラ ス ポ は、それぞれラテン語・スペイン語・ポ
ルトガル語を示す。また、これらの外国語に対しては現代語訳を《 》内に示し、 日 と頭書されたロ
ーマ字書き日本語には〈 〉内に翻字例を与えた。なお、翻字した〈 〉内では16・17世紀の日本語
を表現するものとして旧仮名遣いに従ったが、現代語で翻訳している《 》内ではそれに従っていな
い。また、16・17世紀のスペイン語・ポルトガル語の表記も現代と異なるところがあり、さらにはラ
テン語の表記も古典ラテン語と異なるところがあるが、原則として各辞書に記載されているままの表
記に従った。ただし Collado の辞書で日本語に付されたアクセント記号および破裂音直前の鼻音化記
号は省いた。
[図1]対訳辞書における翻字の位置
[発信者]
ラ
ス
ポ
}
[辞書本体]
[受信者]
ローマ字書き日本語
爬 蛟 日本語音声 蛔 爰(romanized Japanese)蛔 爲漢字仮名交り日本語
爬翻訳・対訳(translation)
爰ローマ字化
日
爲翻字(transliteration)
3.発信された誤情報
16・17世紀のいわゆるキリシタン資料と呼ばれるものの中の一群の辞書『羅葡日対訳辞書』
、
『日葡
辞書』
、
『羅西日辞典』
、
『自筆西日辞書』などを比較すると、前二書のように複数の選ばれた者が明確
な規範に従って編纂に当たったものではなく、Collado が相対的に短い期間に定かな編集基準もない
ままにほぼ個人で著述した『自筆西日辞書』
、
『羅西日辞典』の場合には、前二書に比べると相対的に
精度が低く、その対訳内容が信頼性に欠ける場合が多々ある。以下にその典型的な例を示す。
盧 妻 戸
『羅西日辞典』の本文に Tçumado. を通用口(あるいはその戸)ではなくて、
「部屋」とした誤訳が
見られる。Tçumado. は小さい通用口の開き戸などが建物の端にあったが故に、もともとは「端戸」と
表記されたものに「妻戸」と同音字を当てたに過ぎないものであった。対訳辞書の著者は、
2
対訳辞書索引の翻字について
Tçuma=doの前部要素が「妻」の意であることを知っていてか、下記のように「妻」の要素を翻訳に
反映させている。この場合の対訳は誤りである。引き戸ではなく、「部屋」と翻訳されて、誤情報が
発信されたわけである。
ラ Conjugatorum cubiculum.《既婚者の部屋》 ス Aposento de casados.《既婚男女の部屋》
日 Tçumado.〈妻戸〉
むしろこれは、Cubiculum. の別項、
ス Alcoba o aposento de dormir.《寝室つまり寝る部屋》 日 Neya.〈閨〉
の記述に近い。これに対して妻戸を「肘金で取り付けたり、柱に取り付けたりして開閉する狭い戸」
とする『日葡辞書』は正しいわけである(翻字は『邦訳日葡辞書』
。「狭い戸」は ポ Porta estreita.)
かくして[図1]の爬段階で誤った情報が発信されたわけだが『自筆西日辞書』の索引の翻字「妻
戸」だけでは、こうした情報は索引利用者には与えられていない。索引作成者が得た情報の中に上の
誤りがあったはずであり、この情報を与えない索引は、見出し語「妻戸」を立てて Tçumado. に対応
するスペイン語検出のための役割しか果たさない.同索引中には ス Gestos hazer con el rostro.《顔で様々
なジェスチャーをする》に対応する 日 Yumen. に(十面カ)と疑問を投げかけている例があるが、こ
こで索引利用者の許に、「十面」については「作成者が疑問視している」、「翻字が決定的でない」と
いう情報が与えられている。このようにせめて索引利用者にとって、当面する翻字された語は辞書編
纂者からの情報だけなのか、索引作成者からの情報も加えられているのかが明確となる工夫が必要と
なる。こうしたことは、対訳辞書索引の負うべき特殊な役割と言える。
盪 南
『自筆西日辞書』では東西南北の名称は、それぞれ ス Oriente,poniente,sur,norte.
日 Figaxi,nixi,
minami,qita. で、その対応は自然で、原則的にはこの対応を活字化したはずの『羅西日辞典』では、
東西と北はそれぞれ ラ Oriens,occidens,septemtrio. で問題なしとしても、Minami. に対応するラテン
語が見当たらない。
『羅葡日対訳辞書』では、Auster,Australis,Notius. など三種以上も対応させてい
るところだが、
『羅西日辞典』では次のように誤ったラテン語見出し項目に南を記載している。
ラ Oriens.《東》 ス Sur.《南》 日 Minami.〈南〉
『羅西日辞典』には採録してないが、草稿段階の『自筆西日辞書』では Figaxi. に当てて ス Oriente
por donde sale el sol《そこから太陽の昇る東》とも記述し、同様の意味を表す別表現と合わせて東を重
(3)
結果として『羅西日辞典』には南に当たる
ねて表現しているのに、ラテン語との対応段階で誤り、
ラテン語見出しを欠くことになっている。『自筆西日辞書』の索引の見出し項目にはMinami(南)、
『羅西日辞典』の索引(4)では Minami.(oriens)の見出しもあるが、両索引とも情報発信者の Collado
がおかした誤りについて、利用者への情報提供はない。
蘯 山 林
3
東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
『日葡辞書』では、 日 Sanrin ついて、
日 Yama,fayaxi.〈山、林〉
ポ Matos,bambual ou bosque dos montes.《森林、竹林、山の茂み》
のように自然地形としての記述がなされているのに対して、『自筆西日辞書』では ス Desiertos.《荒涼
としたところ、砂漠》、Yermo.《無人の地》と記述し、また『羅西日辞典』では ラ Desertum.《荒涼と
した人の住まないところ》、eremus.《僻地》、solitudo.《荒野》のように具体的な自然地形としての
山林よりは、山林と人間との関わり方、あるいは山林の特徴的な一面を記述しているに過ぎない。こ
れは情報発信者の完全な誤りではないが、自然地形の記述としては不適切な点であり、索引がこうし
た点の不適切であるとの情報を利用者に与えることをも役割として課されるなら、もはや見出し語だ
けの翻字によるもの(
『自筆西日辞書』の索引)
、あるいは、かって辞書編纂者がその大部分を音声資
料として耳にしたにすぎない「ローマ字書き日本語」の見出し(『羅西日辞典』の索引)だけでは対
訳辞書の索引として不十分なものとなってしまうことを指摘したい。
盻 苔 虫
『自筆西日辞書』の索引に見られる「苔虫」は不適切であり、以下に検討したい。
日 Coqe muxi.〈苔虫〉
ラ Lanugo.《うぶ毛・にこ毛》
ス Yeruezillas como ouas que se crian en piedras.《石に生じるアオノリのような雑草》
と記述する『羅西日辞典』の内容は、下記の『日葡辞書』の Coqe.〈苔〉および Coqe muxi, u, uita.
〈苔むす〉の指示内容とほぼ同じと判断される。
ポ Musgo que nace nas pedras.《石に生える苔》
ポ Nacerem muitos musgos junctos, & espessos.《多量の苔がぎっしり接して厚く密生する》
さらに『羅葡日対訳辞書』の ラ Lanugo.《うぶ毛・にこ毛》に対する下記の日本語の記述にも近い。
日 Vbuqe,vel conomino vyeni dequru qe.〈産毛、または、木の実の上に出来る毛〉
つまり、微視的に見れば毛足の細い絨毛のように生え揃った苔、桃などの果実の表面に生えた柔ら
かい毛を記述している。果たしてこれを、船底・魚網などに付着する一見植物に見えるが大部分は海
産の「苔蘚虫類」つまり〈苔虫〉と翻字してよいかどうか疑問とされる。Collado が「苔蘚虫類」と言
う意義で「苔虫」を当てたかどうかも疑わしい。それは、Colladoが科学的な知識の十分な持ち主であ
ったかどうかを疑わせる記述が「苔」、「木の苔」に相当する個所で下記のように見られるからであり、
そのことから「苔虫」を「苔蘚虫類」という科学的な用語として使用したとしては説得力に欠けるわけ
である。
ラ Situs.《苔》 ス Limo y humor verde que se cria adõde no da el sol.《日の照らない所に生じる緑
色の土と液》 日 Coqe.〈苔〉
ラ Musculus.(muscus《苔》の誤り)
日 Qi no coqe.〈木の苔〉
4
ス Marhojo de los arboles.《木の寄生物》(5)
対訳辞書索引の翻字について
上の記述の中で《苔》Muscus. を「神経」の ラ Musculus. と取り違えていることも苔に対する知識に
疑問をもたれる点である。かくして上の Coqe muxi は他にも多い誤植の類同様に、上掲の内容からし
、あるいは Coqe muxi, u.〈苔むす〉ではなかったかという推定さえも可能とさ
て Coqe muxiro〈苔莚〉
せる。
眈 平 釜
『自筆西日辞書』の索引では Firagama. に対して「平釜」を当てている.これは不適切である。これ
では、前掲図の爰段階のローマ字書き日本語をただ音声として受信し、漢字に置き換えたに過ぎず、
『日葡辞書』にある「平釜」つまり、
ポ Caldeirão, ou panella de ferro larga.《広くて底の浅い大釜、または鉄の大釜》
とは似ても似つかない Firagama. になる。
『羅西日辞書』の該当欄の記述は下のようになる。
ラ Caenaculum spatiosum et magnum.《大きな広間》 ス Sala ancha y grande.《大きな広間》
改めて指摘するまでもなく Firagama. は「部屋」を指していて、これは『日葡辞書』の
日 Firoma.〈広間〉
ポ Sala grande.《広間》
に相当するわけである。
『羅西日辞典』では下記のように、大きさと形にしたがって「座敷、座、間」がラテン語 Caenaculum.
に当てられている。この系列に Firagama. が位置づけられ、
「平釜」ではあり得ないわけである。
日 Zaxiqi.〈座敷・座・間〉
日 Xeba zaxiqi.〈狭座敷〉
日 Xŏza.〈上座〉
ラ Caenaculum.
ス Sala.《部屋》
ラ Caenaculum paruum.
ス Sala estrecha.《狭い部屋》
ラ Caenaculum interius et spremum.
ス Sala de a dentro la mejor.《大部屋の奥の
かみ ざ
上座》
日 Vochi ma.〈落間〉
ラ Caenaculum inferius.
日 Ma goto.〈間ごと〉
ラ Omnia caenacula.
ス Sala baxa.《少し低くなった部屋》
ス Todas las salas.《各部屋全部》
結局、ここでは「平釜」に対応する爰のローマ字書き日本語に対して漢字を与えたという翻字に過
ぎず、『自筆西日辞書』の索引は、情報発信者が選択した不適切な日本語という媒体(「平釜」)を以
て伝えようとした内容、つまり上に見るラテン語・スペイン語の内容を十分に情報化していない。
眇 そ の 他
辞書編纂者の不適切な対訳によってローマ字書き日本語で発信された誤情報が索引作成者の翻字に
そのまま残されて索引の上で利用者に不適切な情報が発信されている例のうち、二三のものを以下に
付記した。
①留守と在宅 Collado が『羅西日辞典』の ラ Absento《留守にする》の項において、Zaitacu xi, uru.
〈在宅する〉と Rusu itaxi, u.〈留守いたす〉を併記したがために、同書の索引では日本語の反対語が括
弧内に同一ラテン語を記載して別項目に存在するという奇妙な現象が見られる。
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東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
②肱を張る 『羅西日辞典』の Figi vo fari, u.〈肱を張る〉は ラ Barbam frico.《髭を剃る》に対応し、
『自筆西日辞書』の「肱を張る」は ス Hazerse los mostachos.《口髭を手入れする》に対応している。こ
れは『羅葡日対訳辞書』の ラ Rado.《髪、髭を剃る》とか、 ラ Promitto barbam.《髭を立てる》とかに当
たると考えられるが、そうすると Figi.〈肱〉は誤りで Fique.〈髭〉ではないかと疑われる。
③秘 蔵 『羅葡日対訳辞書』の ラ Vidulus《革カバン》に対する記述「旅行の人の路銭、秘蔵の
物を入れておく袋」に見られる「秘蔵」が『自筆西日辞書』の索引では「ひそう」とあって、漢字は
当てられていない。これはColladoがいわゆる母音の開合を誤って、Fisŏ とあるべきところを Fisô と記
したので、そのため仮名書きにして情報発信者の誤りを示しているのだろうか。この「ひそう」には
『自筆西日辞書』で ポ Desestima.《軽視》と、また『羅西日辞典』で ラ Inaestimatio.《評価不能》と不適
切な語が当てられている。これも索引に漢字を当てない理由であろうか。しかし、〈ひそう〉の一行
上に母音の開合を間違えていない Fisŏ xi, uru.〈秘蔵する〉を見出し語に掲げており、それに対する
『羅西日辞典』の次の記述、 ラ Pluris aestimo.《非常に高く評価する》、 ス Estimar, preciar en mucho.《評
価する、大いに大切にする》を参照すれば、「秘蔵」の動詞形の意義を正確に示しているわけだから、
「ひそう」はその名詞形と見做した上で括弧付きの注記を加えれば適切な索引作りではなかったかと
(6)
言えるところである。
4.情報受信者の誤り
4.1 同音語差別化の不正確
盧 同音語 jŏ
多数に上る日本語の同音異義語がローマ字書き日本語で与えられている場合に、まず漢字で弁別し
なければならなくなる。例えば『自筆西日辞書』の索引では五種の jŏ が見られ、うち四種には漢字が
当てられているが、 日 Amata no iro vo someta ito no jŏ. では仮名書き「じゃう」のままであり、ローマ
字書き日本語から利用者が十分な情報を受信できるとは思われない。対応するスペイン語では次のよ
うに読める。
ス Sedas finas teñidas de muchos colores.《多数の色で染められた上等の絹織物》
つまり「上中下」の上のことを指すと判断され、上のローマ字書き日本語は、
日 〈数多の色を染めた糸の上〉
と翻字される。もっともこれは、『羅西日辞典』の下のような項目を翻訳および翻字した後の判断で
もある。
ラ Pollis.《ひき粉》 ス Flor de la harina.《極上小麦粉》 日 Mugui no co no jŏ.〈麦の粉の上〉
ラ Seraphim.《熾天使・最高天使》
ス Serafin orden superior en los coros de el cielo.《天使の最高位
じやう
うへ
にあるセラフィム》 日 Angeles no cugiŭ no jŏ, vel uie.〈天使の九重の上または上》
じやう じやう
ラ Summus.
6
ス Supremo.《最高の》 日 Jŏ no jŏ.《 上 の 上 》
対訳辞書索引の翻字について
盪 同音語vo
『羅西日辞典』の索引では、下記のように同じvoの見出し項目の中に、それぞれ翻字すれば「緒」
と「苧」に相当する語が記載されている。当然これは他のローマ字書きされた同音語が別項目にされ
ているように扱われるべきところであり、それには見出し語に括弧書きで示されたラテン語への精確
な対訳が要求されるところといえる。つまり、前掲の図で言えば、爲の翻字は、かつて辞書編纂者が
対訳した爬・爰段階への遡行作業が必須とされるわけである。現に同じく vo と表記された Vo(cauda)
、
Vo(mas)は別見出しになっているわけだから、当然爬・爰の段階まで遡行して検討が行われ、それ
ぞれ「尾」
、
「雄」と判断されているわけである。別項目に分けて翻字例も示せば下のようになる。
vo(緒)
ラ Funiculus.《ひも》 ス Cordon.《ひも》
日 Tabi no vo no.〈足袋の緒の〉
vo(苧)
ラ Carmino linum.
ス Lazos con que seatan.《結ぶひも》
ス Espadar lino.《麻を梳く》
蘯 同音語cumu
『自筆西日辞書』に付された索引中に、1.「組む」、2.「汲む」、3.「汲み上ぐる」、4.「組み干す」が
連続して見出し項目となっている。このうち1.「組む」、2.「汲む」は、それぞれ、
1. 日 Vŏfiza vo cumi, u.〈大膝を組む〉 2. 日 Mizzu vo cumi, u.〈水を汲む〉
で妥当だが、3.「汲み上ぐる」、4.「組み干す」は、それぞれ爬段階のラテン語・スペイン語を参照す
れば、不適切と判断され、下記のように改められるだろう(3.と4.は単純な校正ミスか)
。
3. ラ Leuo.《揚げる・起こす》 ス Leuantar en compañia junto.《みんなで一緒に組み上げる》
日 Cumi ague, uru.〈組み上ぐる〉
4. ラ Exhaurio.《汲み出す》 ス Agotar, no dexar gota.《一滴も残さず空にする》
日 Cumi foxi, u.〈汲み干す〉
上の訂正は、3.の Cumi. に ス Leuantar. の「立てる、建設する」が対応し、
「水を汲む」が対応しな
いことに因っている。煩をいとわずに『羅西日辞典』に ラ Leuo を求めれば、下記のように上の3.の
外に実に七回も見出し語として掲げ、ほぼ主要な語義を記述している。これを見ても「水を汲む」で
はなく物を「立てる、建てる、持ち上げる、引き起こす」行為を指しているわけである。翻訳・翻字
して掲げれば下のようになる。
ラ Leuo. に対応する ス Leuantar, Leuantarse:Leuantar actiue.《持ち上げる》 日 Ague, uru.〈上
ぐる〉、Leuantarse como el braço.《腕などを振り上げる》 日 Furiague, uru.〈振り上ぐる〉、
Leuantar içando como con polea.《滑車などで上に吊り上げる》 日 Tçuri ague, uru.〈吊り上ぐ
る〉
、Leuantar como apuntalando.《支柱などで押し上げる》 日 Voxi ague sase, uru.〈押し上げ
さする〉、Leuantar asiendo y tirãdo.《立てて引き上げる》 日 Fiqi ague, uru.〈引き上ぐる〉、
Leuantar.《持ち上げる》 日 Saxi ague, uru.〈差し上ぐる〉Leuantar en alto.《高く上げる》
日 Tate tçuru.〈立つる〉.
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東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
盻 同音語 yŭ.
『自筆西日辞書』の索引には Yui modoxi, u.〈言ひ戻す〉と Yui, ŭ.〈結ふ〉が見出し項目となってい
るが、以下のように爬段階の対訳・翻訳の検討の結果、Yui modoxi, u〈言ひ戻す〉は〈結ひ戻す〉が適
切だと結論できそうである.『羅西日辞典』ではこの Yui modoxi, u. ス Desordenar.《ばらばらにする》
に相当する見出し語は採られていないが、対訳辞書編纂者が、日常的に髪結いの動作を見る生活を送
っていただろうことは、『羅西日辞典』の「髪結ひ」の対訳の仕方、また髪結いに関する多数の日本
語に当てたラテン語数からも知られる。「言ひ戻す」と翻字された Yui modoxi, u. ス Desordenar. はまさ
にこうした髪結いの一連の動作の一つを表現したものと判断すれば、
「結ひ戻す」にならざるをえない。
ラ Vitta.《髪ひも》 ス Cinta para atar la cabeça o cabello.《髪を結ぶリボン》 日 Camiyui.〈髪結
ひ〉
日 Yui tçuqe, uru.〈結ひつくる〉に対応する8種のラテン語
ラ Alligo.《結びつける》、astringo.《紐でくくる》、colligo.《集める》、deligo.《しばる》、
euincio.《くくる》、innecto.《中へ巻き込む》、necto.《巻く》、vincio.《巻きつける》
日 Xita kara yui tçuqe, uru.〈下から結ひつくる〉
日 Yui tçuqe mavaxi, u.〈結ひつけ回す〉
日 Yui dŏgu.〈結ひ道具〉
ラ Subligo.《下から結いつける》
ラ Obligo.《結び合わせる》
ラ Ligamen, vinculum.《ひも》、vimen.《柳の枝》
眈 同音語xeme
日本語で「責める」と「攻める」の区別は、もともと語源が同じセム(迫む)であることから、漢
字を当てる場合にどちらにも当たる文脈もあるといえるが、より場面にふさわしい表現を選択すると
すれば使い分けが必要となる。『自筆西日辞書』の索引では、「責め」が5項目見られる中に「攻め」
が1項目だけ見られる。当然これは索引作成者の意図的な区別による表現と受け取れる訳だが、結論
的に言えば、対応するラテン語は Torqueo.《拷問する》であり、
「責め」が妥当なところである。
また、Collado は『羅西日辞典』において、実に20種以上のラテン語を用いて「責め」を記述して
いるが、下記のように半数ほどあげても判明するように、合戦などの文脈で使用された場合以外に
「攻め」に相当する語は一語も見られない。これも『自筆西日辞書』の索引中の「攻め返す」が「責
め」に相当するとする理由でもある。もっとも、『羅葡日対訳辞書』の索引(『ラホ日辞典の日本語』
索引篇)では、
「責め」が全面的に使用され、
「攻め」が見られず、例えば古代から使用されてきた合
戦用の ラ Turris ambulatorius.《回楼塔》の説明中の記述にさえも、Xeme. に「責め」を当てている.ただ
し規範的な『邦訳日葡辞書』では Xemecayesu. に対して「責め」を当てている。
『羅西日辞典』
ラ Torqueo.《拷問する》 ス Boluer a atormentar.《責め返す》 日 Xeme cayexi, u.《責め返す》
日 Xeme, uru.〈責むる〉対応の12種のラテン語:Conuexo.《虐待する》、adurgeo.《圧迫する》、
coarcto.《強制する》、exagito.《悩ます》、ingrauo.《悩ます》、insto.《強く迫る》、vexo.
8
対訳辞書索引の翻字について
《虐待する》、percrutio.《大いに苦しめる》、affligo.《重く罰する》、excrutio.《拷問する》、
discrucior.《拷問される》、ingrauesco.《苦しめられる》.
日 Xemeyŏ.〈責め様〉
ラ Modus torqendi.《責め方》
日 Xemegu.〈責め具〉
ラ Instrumentum ad torquendum.《責め道具》
『日葡辞書』
日 Xemecayexi, su.〈責め返す〉
ポ Opprimir hum, & atormentar a outro em vingança, & retôrno.
《ある人が仕返しとして他の人を責め苦しめる》
『羅葡日対訳辞書』
ラ Ambulatorius.《回楼塔》に関する説明の一部、
日 Zaixouo xemuru tameni, curumani noxetaru yagura, xeirô.〈在所を攻むるために、車に載せたる櫓、
井楼〉
つまり、最後にあげた『羅葡日対訳辞書』の「在所を攻める」が、単語索引の翻字「責め」に従え
ば「在所を責める」となるはずであり、不自然さが目立つだろう。ここでは《回楼塔》はいわば「責
め道具」
(Instrumento de tortura)ではなくて、
「攻め道具」
(Armas destructivas)として記述されている
わけだから、
「攻め」が当たると判断される。また、
『自筆西日辞書』中の「攻め」は、上掲の『日葡
辞書』の場合と同じく、
「責め返す」に相当し「攻め返す」は適切でないことになる。
眇 その他
本来別見出し語の下に分別されるべき同音語が、ローマ字書き日本語であることから、すでに上の
盧∼眈に見た例と同様に索引中で同一項目に入れられている不適切な例を付記したい。いずれも〔図
1〕の爬段階で日本語に当てられた対応語の検討が適切でないこに依ると言える。
漓同音語fachi
『自筆西日辞書』の索引中の Fachi.(蜂)の項目には Fachi no co. が見られる。これは索引作成者が
「蜂の子」と翻字することを表しているのだろうが、対応する スMortero.《鉢》、さらに『羅西日辞典』
の ラ Mortarium.《乳鉢》を参照すれば、蜂の項目とは別立てとすべきことは明らかである。また、
『和
訓栞』に記録される薩摩の方言、
「平皿」の類を指すとすれば、
「鉢の子」と翻字すべきところかもし
れない。
滷同音語cusa
本論の「4.2 不十分な対訳」の項の盻「四日熱」で、後に取りあげる「瘧」に類する熱病を指す
cusa. を含む文、 日 Cusa vo furui, ŭ.〈くさを震ふ〉が『羅西日辞典』の索引では ラ hedera, herba.《草》の
項目に入れられている。これは明らかに不適切である。 ラ Febris laboro.
ス Tener calentura. ともに《熱
病に苦しむ》の熱病が cusa. に相当するからである。因に『日葡辞書』では cusa. をX(下)の語、つ
まり方言として、 日 Cusa vo furŭ. を例文に挙げている。
澆同音語cama
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東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
『羅西日辞典』の索引に、見出し語 Cama. の下に下記のような三つの異なった意義に分けられる6
種のラテン語が見られ、これにいま、邦訳を付して掲げ、不適切な括り方であることを示す。
ラ Caldaria.《蒸し風呂》、flax.(falx. の誤り)《鎌》、falcatus.《鎌形の》、aenum.《銅鍋》、
calidarium.《湯殿》、sartago.《鍋》。
つまり、1. 調理用の鍋釜、2. 物を刈る鎌、3. 風呂の3項目に弁別されるべき語が同一見出し語で一
括されているわけである。さらに「→Firagama」のように、本論の「3.発信された誤情報」の眈平釜
で取り上げた Firagama. の項を参照するように付記されている。眈平釜で指摘したように□ラ
Caenaculum.《部屋》相当の Firagama. の後部要素に Cama. を認めて、上記の Cama. との関連を指摘し
ようという措置であろうか。こうした「Firagama. 参照」という不適切な指示も、
〔図1〕の爬段階の
検討が不十分であることに依っていると言える。
4.2 不十分な対訳
盧 「籠舎」
『自筆西日辞書』の索引には、下掲のように、Rôxa. に「籠舎」を当てている不適切な翻字が見ら
れる。確かに「籠舎」は「獄舎」だけでなく、
「囚人」
(籠者)をも示すに使われたとされるが、ここ
では、Rôxa. に対応する ス Preso.を参照すれば、「籠者」が適切といえるところで、なぜ索引作成者が
あえて「籠者」を選択したのかを問いたい。因に上記辞書の共著者の一方の手になる『キリシタン版
(7)
全て「籠者」と翻字されている(
「籠者になす」
、
「籠者さする」
、
エソポのハブラス』中の Rôxa. は、
「籠者す」の各一例)
。これらの翻字例と比較して、下の『自筆西日辞書』の語例との間にどんな相違
があって、
「籠舎」が選ばれたのかを問いたいわけである。
ラ Incarceratus.《投獄された者》 ス Preso.《囚人》 日 Rôxa.《籠舎》
ラ In carcem mittor.《獄舎に入れられる》 ス Ser preso.《囚人になる》 日 Rôxa. to nari, u.《籠舎
となる》
『邦訳日葡辞典』でも Rôxa には「籠者」が当てられ、
「囚人、すなわち、獄舎に入れられた者」と
記述されている。対応語は ポ Preso.《囚人》と ポ Encarcerado.《投獄された者》である。これに相当す
る上の ス Preso. と ラ Incarceratus. は「籠者」と翻字さるべきところと判断される。ただし「籠舎」は建
物としての牢のほかに、「牢に入ること、入れられること」も指示したとされているわけだからその
例を『羅葡日辞書』に求め、用例に翻字をして示せば、下記のように、6例のうち、 ラ Vinculum.
《獄舎》の項のローマ字書き日本語 Rôxa suru. のみが、
「拘束する」の意であることが確認できるから
(8)
「籠舎」も「籠者」も共に相当すると思われる。
『羅葡日辞書』の「籠舎」と「籠者」
ラ Capularis reus.《捕えられた罪人》 ポ Reo digno de morte.《死罪に当たる罪人》
日 Xizaini voconauaru beqi mexŭto, rôxa.〈死罪に行はるべき召人、籠者〉
10
対訳辞書索引の翻字について
ラ Carceres.《囚人》 ポ Ladroes, ou presos.《泥棒、または囚人》 日 Nusubito, vel rôxa.〈盗人、
または籠者〉
ラ Custodia.
ポ Preso. ともに《囚人》 日 Rôxa.〈籠者〉
ラ Vinculis esse.《獄舎に拘禁されている》 ポ Estar preso no carcere, ou tronco.《牢屋に捕われて
いる》 日 Rôxa suru.〈籠舎する〉または〈籠者する〉
ラ Mandare aliquem vinculis.
ポ Condenar alguem a prisao. ともに《或る者を投獄するように言い
渡す》 日 Qingocu, vel rôxani sadamuru.〈禁獄、つまり籠者に定むる〉
ラ Commentariensis.《看守》 ポ O que tem cargo del assentar em rol os presos, & os dias que estao no
carcer.《囚人を名簿に記録し、または監獄にいる日数を記す職務の者》 日 rôxato, sono
ficazuuo caqi xirusu mono.〈籠者とその日数を書き記す者〉
盪 穿鑿と洗足
『自筆西日辞書』の索引の「穿鑿」には、明らかに「洗足」と翻字して別見出しとすべき語が見ら
れる。ローマ字書きも Xensacu. に対する Xensocu. であり、また、共著者の一方がすでに上の辞書より
も19年前に作成・公刊した『羅西日辞典』の索引では、翻字はされていないが隣り合った別見出しに
置かれていたものである。索引作成者が Xensocu. を Xensacu. と読み誤って「穿鑿」の見出しに一括し
てしまったことによる誤りだろう。『羅西日辞典』の索引のローマ字書き見出しに従って『自筆西日
辞書』の索引を改定すれば、以下のようになる。なお、「洗足」はセンゾク形で福岡・佐賀・長崎
(対馬)などの地域で方言として使用されていたようである。
ラ Examen.《審問》 ス Examen.《調査》、aueriguacion.《究明》 日 Xensacu.《穿鑿》
日 Xensacu, xi, uru.〈穿鑿する〉 ラ Examino, librator.《測定する》
ラ Pedes lauo.
ス Lauar los pies.《足を洗う》 日 Xensocu.《洗足》
蘯 竹 藁
『自筆西日辞書』の索引には、Taqe vara. に対して「竹藁」が当てられている。ここには、二つの
問題がある。一つは、
『羅西日辞典』に見られる常識的な I no vara.〈藺の藁 ラ Juncus〉Mugui vara.〈麦
藁 ラ Palea triticea〉と同様のものが「竹」について考え得るかどうかという、翻字以前の問題があるこ
と、第二に、taqe と vara とは分離されているが、この種のことは Collado の辞書には頻繁にみられる
ことで、ここでは当然 Taqevara. として、vara は fara(原)の語頭音が語中に位置したことから有声化
したものと見なすべきところで、多くの他の類例が『羅西日辞典』に使用されている事実に関連づけ
なかったのではないかという問題がある。因に数例をあげれば、下記のようになる。なお付記すれば、
Collado のような外国人にとっては、Taqe vara でも Taqevara でも意味単位としては音声連続体として
受容されたはずであり、版本の印刷状態、丁寧ではない校正などを考慮すれば、最終的には索引作成
11
東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
者が辞書編纂者の意図した発信内容を酌んで、ローマ字書きされた媒体に微調整を加え利用者に対し
てその旨を注記する必要があるといえる。
日 Curi vara.〈栗原〉
ラ Castanetum.《栗林》 日 Cusavara.〈草原〉 ラ Pratum.《草原》
日 Igui vara.〈茨原〉
ラ Spinetum.《茨の藪》 日 Ixivara.〈石原〉
日 Matçubara.〈松原〉 ラ Pinetum.《松林》 日 Nobara.〈野原〉
ラ Glarea.《砂利の多い所》
ラ Campus.《野原》
したがって上の Taqe vara. は
日 Taqe vara.〈竹原〉
ラ Arundinetum, cannetum.《葦原、竹藪》
と翻字されるべきところだろう。さらに、Taqevara. に当てられるラテン語を『羅葡日対訳辞書』で確
認すれば、下のように、
「林」を当てていることからも、
「竹藁」が不適切であると知られる。
ラ Arundinetum.
ラ Cannetum.
日 Yabu, taqeno fayaxi.〈藪、竹の林〉
日 Taqeno fayaxi.〈竹の林〉
盻 「四日熱」
今ほど医療の進んでいなかった時代に高熱に苦しむ猩紅熱、腸チフスなどで、間を置いて起こる高
熱を間欠熱と称したようである。病の小康を得るとされる状態を二日間とするか三日間とするかでそ
の呼称が異なる。その例を『羅西日辞典』にみれば、下のようになる。
日 Futçuca fazami.〈二日挟み〉 ラ Febris tertiana.
日 Micca fazami.〈三日挟み〉
ラ Febris quartana.
ス Tertiana.《三日熱》
ス Quartana.《四日熱》
上の対比で明確なように、発熱している当日を入れずに、中二日を隔てて三日目に次の発熱を見る
とする命名法からは、「三日熱」に「二日挟み」という呼称を与えた訳であり、四日熱は同様にして
「三日挟み」となる。注意すべきは、当日を入れずに中二日、中三日を置いて三日目とするか四日目
とするかで、間に「挟む」日数が異なることである。四日熱に相当する上とは異なる日本語の名称が
下掲のように『羅葡日対訳辞書』に見られる。
ラ Quartanarius.《四日熱病患者》 ポ Doente de quartans.《四日熱病患者》
日 Yocca vocoriuo yamu mono.〈四日瘧を病む者〉
ラ Quartana febris.《四日熱》 ポ Febre quartans.《四日熱》
日 Yocca vocori, futçucafazamino vocori.〈四日瘧、二日挟みの瘧〉
上の「二日挟みの瘧=四日瘧」とされる ラ Quartana febris. が、下の『羅西日辞典』の「四日目づつ
の熱気」と同一の間欠熱を指しているとして支障ないだろう。
ラ Quartanarius.《四日熱病患者》 ス El que tiene quartana.《四日熱病を患っている者》
日 Yoccamezzutçu no necqi vo vazzurŏ.〈四日目づつの熱気を患ふ〉
以上の二辞書の相違は発熱当日から起算して「何日挟み」とするかどうかから起こっているとすれ
ば、
「四日熱」について両辞書の日数の数え方の違いは[図2]のように示されるだろう。
12
対訳辞書索引の翻字について
『羅西日辞典』 ● ○1 ○2 ○3 ●4 三日挟み,四日目づつの熱気
[図2]
「四日熱」にみる日数の数え方(発熱当日から起算するかどうかの違い)
『羅葡日対訳辞書』 ●1 ○2 ○3 ●4 二日挟みの瘧,四日瘧
(●=発熱・発作 ○=小康状態=間日)
ところが、
『日葡辞書』に「三日挟み」を求めれば、
日 Miccafazami.〈三日挟み〉
ポ Terçãas.《三日熱》
日 Miccafazami ni vocoru.〈三日挟みに瘧る〉
ポ Tremer de terçãas.《三日熱で震える》
のように、
「三日挟み」を「三日熱」に当てている。さらに、
『羅西日辞典』と『羅葡日対訳辞書』の
どちらにも見られない「二日瘧」を「四日熱」に当てた例が補遺篇に見られる。
日 Futçuca vocori.〈二日瘧〉
ポ Doença de quartãas.《四日熱病》
この二日瘧については『邦訳日葡辞書』では、当該の項において「四日熱[間二日おいて発作のお
こる間歇熱]の病気」と翻字し、[
]内に訳者の注記を付している。この「中二日」がどのような
ものかは、下記のように『羅葡日対訳辞書』の Periodus. の項に見る Mabi.(間日)によって、高熱の
出ていない日として確認される。
ラ Periodus.《周期》 日 Vocorino necqino samete aru aida, vel mabi.〈瘧の熱気のさめてある間、
すなはち間日〉
以上の諸対訳辞書の記述を与えられた条件として、下記の設問を考える。
①「三日挟み」を「三日熱」Terçãas. とした『日葡辞書』の記述が適切だったかどうか。
②「二日瘧」を「四日熱」Quartãas. に当てる『日葡辞書』の記述が適切だったかどうか。
①については、下の[表1]が示すように、下線を付した『日葡辞書』の「三日挟み」Terçãas. が
他の二辞書と異なっているが、この Terçãas. に当てた「三日挟み」は「四日熱」Quartãas. に対応させ
るべきところであったと知られる。また、ポルトガル語の序数詞の3を日本語の三日の3に単純に対
応させたのではないかとさえ想定させられるところである。もともと『日葡辞書』では、下のように
Fifitoifazame.〈日一日挟め〉
、Fimaje.〈日交ぜ〉
、Ichinichi fazami.〈一日挟み〉
のすべてに「三日熱」Terçãas. を当てている。これは[図2]に倣えば、●1 ○2 ●3と表すこ
とが可能で、間違いなく一日置きに起る発作・発熱を指している。このことは、現代語では「隔日熱」
terçã と呼ばれることに合致している。
いちじツ
さらに下記のように『羅葡日対訳辞書』において「一日挟みの瘧」と「日交ぜの瘧」の双方に三日
熱を当て、「二日挟めの瘧」に四日熱を当てていることを考え合わせれば、結論として『日葡辞書』
における「三日挟み」を「三日熱」に当てた対訳は適切ではないことになる。
13
東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
ラ Tertianus.《第三の》の項
ラ Tertiana, l, tertiana febres.《三日瘧、または、三日目毎の熱》 ポ Febre de terçãs.《三日熱》
日 Ichijit fazami no vocori.〈一日挟みの瘧〉
ラ Periodicus.《周期的な》の項
Periodicae febres.《規則的に起こる熱》 ポ Febres terçãs ou quartãs.《三日熱あるいは四日熱》
日 Fimaje, l, futçuca fazame no vocori.〈日交ぜ、または、二日挟めの瘧〉
なお、『羅西日辞典』では、上の『羅葡日対訳辞書』で四日熱に当てられた「二日挟み」が「三日
熱」Tertiana.に当てられるが、その仕組を図示すれば、● ○1 ○2 ●3のように発熱している
翌日から起算するから正しい対応といえる。
[表1]四日熱( ラ Febris quartana)に対する各辞書の対訳語 (下線は不適切な語を示す)
『羅西日辞典』
『羅葡日対訳辞書』
『日葡辞書』
ス
三日挟み Quartana
ポ
二日挟み Quartãs
ポ
三日挟み Terçãas
→設問①
ス
四日づつの熱気 Quartana
ポ
四日瘧 Quartãs
ポ
二日瘧 Quartãas→設問②
②の場合、前掲の『羅葡日対訳辞書』の Quartanarius. の項に見る「四日瘧」Quartans. は、本来「四
日ごとの」
「四日目の」という序数詞から派生したわけで、
『羅西日辞典』の「四日目づつに起こる熱
気」に対応していることは確かである。また『羅葡日対訳辞書』では「四日瘧」が「二日挟み」と並
記されているところからも、前記の『邦訳日葡辞書』の訳注[間二日をおいて]の指示するように、
「二日挟みの瘧」とすれば、
『羅葡日対訳辞書』の「二日挟み」と同様の表現となり、適切だったわけ
である。
眈 そ の 他
情報を受信した索引作成者の発信する情報が適切と言い難いような例を若干つけ加える。
①し た く
文字通り魯魚の誤りに近いことだが、『自筆西日辞書』の索引の Xitagui, u.(したぐ)
はg と q の取り違いである。同書の16頁裏27行には Xitaqui, u. と翻刻してある.これを同書の316頁に手
書き文字を見れば、Xitaqi, u. と読める。これは『羅西日辞典』の索引では、Xitaqi, u. と記された個所
であり、それぞれの辞書にラテン語とスペイン語を参照すれば、『日葡辞書』の記述するように「踏
みしだく」の古形「踏みしたく」の構成部分だと知られるところだろう。
②の る
『自筆西日辞書』の索引には、「み(実)のる」の意義をもった「のる」が見出し項
目に見られる。そこには、 ラ Generor.《産む・生ずる》 ス Engendrarse.《出産する》、formarse.《生
じる》、embarcarse.《乗船する》が対応しているが、この Embarcarse. を同一項目に入れるのは誤りで
ある。
ス Embarcarse. をも ラ Generor. の項目に記述した Collado の『自筆西日辞書』の誤りを正さずに同一
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対訳辞書索引の翻字について
項目に含めてたことになる。実際には、Collado も草稿から辞書として公刊する段階で気付いたから
か、上の ス Formarse. には意義を明確にするために ス En el viente.《体内に》を補い、当該の語は ラ
Navium conscendo《乗船する》の見出しの下に置き、 日 Fune ni nori, u.〈船に乗る〉と意義を明確にし
ている。辞書編纂の過程のこうした対訳およびローマ字書き日本語の変更などまで精査の上で上の
(実)
「のる」に入れられた「乗る」相当語を、別項目の方に入れ分けるという細かい措置、更にこの
間の事情を注記して利用者に情報提供するという配慮までを索引に求めるのは無理であろうか。
③姫 榁
Caqi.〈柿〉、varagi.〈鞋〉、xeqida.〈雪駄〉などのような対訳辞書編纂当時の外国人に
とって未知のものをいかに対訳するか、逆に日本人に未知のもの、 ラ Nectar.《ネクター》、mulsum.
《赤ぶどう酒》のような食物、動植物に始まって、『羅葡日対訳辞書』が「天地の図に北より南に引
き通す筋」と説明的に記述せざるを得ない「子午線」 ラ Meridium. のような天文学に関する用語等を
いかに日本語化するかが問題であった。当然「∼のたぐい」という類例を以て説明する方法が多くな
るが、中には 日 Fimuro.〈姫榁〉のような、明らかに不適切な例も見られる。『羅西日辞典』では、そ
の多くが地中海沿岸地方に居住したろう、辞書編纂者の食事に香料として価値の高い ラ Laurus.《月桂
樹》、 ス Laurel arbol.《月桂樹》と、 ラ Laurea.
ス Hoja de laurel.《月桂樹の葉》を記載している。とこ
ろが、選ばれたローマ字書き日本語「姫榁」はヒノキ科の針葉樹であり、他方「月桂樹」はクスノキ
科の広葉樹であり、葉の色も大きさもまったく違う。ただ、強い芳香を放つのは共通点である。この、
20世紀にやっと渡来した月桂樹を「姫榁」に当てている状況は、単に記載された漢字見出し語に依る
だけでは、索引利用者にはまったく見えてこないわけで、対訳辞書の索引の役割を十分に果たしてい
ると言えないのではないかと思われる。
5.まとめとして
上記のように対訳辞書索引における翻字の適切を欠くと判断される例について具体的に見てきたと
ころですでに繰り返し指摘したように、対訳辞書の索引作成者は、たとえ単純な翻字に対しても辞書
編纂者の対訳の場にまで遡って、日本語と対応する各外国語との対比をなすこと、いわば編纂者の行
った対比の追体験をも求められているとさえ言える。
誠に晦渋な400年前のメモに近い手書き原稿を精確に綿密に読み取り、翻刻をなした『自筆西日辞
書』に付された索引の翻字が一部では残念ながら適切を欠く段階にとどまっているものも見られ、本
論では繰り返し指摘してきた。
『邦訳日葡辞書』にとっては、
『日葡辞書』のスペイン語訳、フランス
語訳を参照出来るという好条件に恵まれたが、『羅西日辞典』の利用者にとっては、参照すべきは先
行する対訳辞書類の他には手書きの草稿と Collado の著作『懺悔録』
、
『日本文典』でしかないが、こ
れらの資料間の差異に関しても対訳辞書の索引が情報の発信源となる役割をも果たせれば理想的であ
ると思われる。
すでに重ねて同じ趣旨を繰り返したが、敢えて対訳辞書索引への要望二項目を以下につけ加える。
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東京成徳大学研究紀要 第 7 号(2000)
①本論ですでに見たように、指示されて参照する本文が正確に校訂されているような一般の語彙索
引とは違って、対訳辞書の場合には、対訳された外国語とローマ字書きされた日本語とのズレ、該当
する外国語が複数の場合には外国語間のズレにも注目しなければならず、正確な翻字の因って来たと
ころをも正確に示し得る索引が望ましい(索引利用者間のラテン語・スペイン語・ポルトガル語に関
する理解度にも大きな差がある)
。
②辞書編纂者がローマ字書き日本語を介して伝達している情報内容を、現代の利用者に正しく与え
られるような索引が望ましい。その内容と翻字の意味するところの差異、ローマ字書き日本語と辞書
編纂者が使用した外国語との様々な対応に関しても索引作成者から利用者に対して解説・注解を付し
た上で、翻字に加えた情報内容の記述が求められるところだろう。それには何よりもまだ邦訳のない
上記の三辞書が『日葡辞書』のように翻訳され公刊される必要がある。
〈注〉
盧 引用した対訳辞書などは下記のものである。
『羅西日辞典』
(影印本)
臨川書店 1966
『自筆西日辞書』
(翻刻・手書稿本複製付き)臨川書店 1985
『羅葡日対訳辞書』
(影印本)
勉誠社 1979
『ラホ日辞典の日本語』索引篇 ラホ日辞典索引刊行会 1967-69
『ラホ日辞典の日本語』本文篇 ラホ日辞典索引刊行会 1967-70
『日葡辞書』
(影印本)
勉誠社 1973
『邦訳日葡辞書』
岩波書店 1980
盪 『自筆西日辞書』
(大塚光信・小島幸枝著)索引はp.177-p.254.見出し形式例:Quajit(果実)
蘯 日 minami. は「正篇」部分にあり、もともとスペイン語=日本語の対訳が出来ていたもの(つまり『自筆
西日辞書』の草稿に当たる)に、後からラテン語の見出しを付けた際の間違い。
盻 『羅西日辞典』
(大塚光信著)索引はp.1-p.178.見出し形式例:Xincu.(labor.)
眈 ス Marhojo.(現marojo)は植物学的にはヤドリギなどの寄生植物。
眇 索引では〈ひそう〉の一行前にFisŏxi, uru.〈秘蔵する〉が見出し語となっていることからも、
「秘蔵」と翻
字し、開合の誤りを括弧書きで注記すれば十分といえる。因に『羅西日辞典』では本文で開合が間違ってい
るものを索引では作成者が正して採用している。また、開合について文法書の中で詳細に記述した当の
Rodriguez 自身もこの語の開合を誤り、訳書では訂正され注記されている(土井忠生訳注『日本大文典』
1955、p.89)
。これほど取り違い易いものだから、日本語を母語とする側の配慮が求められるところだろう。
眄 大塚光信著『キリシタン版エソポのハブラス』
、臨川書店、1983.
眩 本稿の校正直前に刊行された下記の辞書に、下記のような「籠者」と「籠舎」が見られる。
①京都大学文学部国語学国文学研究室編『ヴァチカン図書館蔵葡日辞書』
、臨川書店、1999.11.
Rôxaは、「籠者」と翻字され、「捕縛された者」という名詞にも、「捕縛する」「拘留する」という動詞に
も当てられている。
ポ Preso.《囚人》 日 Tçcamayerareta mono Rôxa.
〈捕へられた者、籠者〉
ポ No tempo da preza.《囚人だった時に》 日 Rôxa no toqi.〈籠者の時〉
ポ Estar prezo.《囚人になる》 日 Rôxa xi, suru.〈籠者する〉
ポ Prizam.《抑留すること》 日 Rôxa suru coto.
〈籠者すること〉
②半田一郎著『琉球語辞典』
、大学書林、1999.11.
籠舎 投獄する〔される〕こと
つまり、上掲書の「籠舎」の項の注記によれば、琉球語で「牢舎籠めを仰せつけ下さい」の意で、いいか
えれば動詞「籠舎」が「投獄する(される)
」意で使用された例が記載されている。
結論的にいえば、「逮捕する・拘禁する・入獄させる」意で、本来「牢」を指す「籠舎」が適切な場合も
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