ヴァチカン図書館蔵『葡日辞書』所収日本語の語彙的特徴

ヴァチカン図書館蔵『葡日辞書』所収日本語の語彙的特徴
斎 藤 博*
1.はじめに
(1)
99年11月にヴァチカン図書館蔵の『葡日辞書』が影印公刊された。
そこには周到な翻刻が付され、
対訳に使用された日本語の「索引」および「解説」が岸本恵実氏によって付されている。本稿はこの
辞書がその収録する語彙の量的な側面においても、かなりに偏った質的側面においても、はなはだ特
徴的であることに注目して、その特徴点の若干を記述し、問題点を考えようと意図している。その場
合に、後にも触れるように、本辞書では実に約36%のポルトガル語の見出しに対して日本語を与えて
いないが、本稿では、その未対訳部分のポルトガル語見出しに現代の日本語を与えて、その部分を含
めて本辞書の語彙的特徴を探ろうとしている。以下、原文のローマ字書き日本語は< >内に、未対
訳部分に筆者の与える日本語は≪ ≫内に示した。
2.収録語彙の量的特徴
2.1 語彙集に近い語数
本書の語彙は自立語では約2500弱に過ぎず、「辞書」と呼ぶには総語数が少なすぎる。しかし、こ
れは対訳済み日本語語彙の総数であり、もし、2.2以降に見るような未対訳で残されているポルトガル
語見出し(語・句・文)に対応する日本語を加えれば、大幅に語数は増大する。以下では、適宜未対
訳の部分に日本語を与えて示した。また、さらに本書は A∼C,
S∼Z の項を欠いている。現代ポル
トガル語の各項目に属す語の総数を考慮して、欠けている項目内の対訳に使用した日本語を加えれば、
全体としては一万語を超えると思われる。多数の未対訳部分があること、欠けている項目があること
から、原書の1頁にある元の書名らしい「ポルトガル語語彙集」Vocabulario da lingua Portugueza. がふさ
わしい形式をなしている。本書の提供する語彙の第一の特徴は量的には総数が対訳済みの部分の日本
語だけならば約2500にとどまることである。
*
Hiroshi SAITO 日本語・日本文化学科(Department of Japanese Language and Japanese Culture)
81
東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001)
2.2 ポルトガル語見出し(語・句・文)の未対訳率
本書の解説の記すように、本辞書の自立語の異なり語数は約2470にすぎないが、未対訳のままで残
されている部分に目を向ければ、下記の2.3に示すごとくに、未対訳のまま残されているものは圧倒的
に語・語句ではなくて、文が多いために上記の総語彙数は大幅に増大することになる。この未対訳の
例文中には語・語句だけの部分には観察しえなかった特徴的な語彙も含まれているようである。
いま筆者が未対訳部分を D ∼ R の項目ごとに算出すれば、下掲の[表1]のようになる。
[表1]項目ごとの未対訳率*
未対訳率
見出し
未対訳部
未対訳率
項目
D
562
73
13%
L
384
112
29%
E
566
85
15%
M
830
286
34%
F
253
8
3%
N
354
167
47%
G
135
20
15%
O
312
163
52%
H
20
2
10%
P
1758
911
52%
I
96
6
6%
Q
247
138
56%
J
52
8
15%
*
[見出し]には語・句・文が含まれる
見出し
未対訳部
項目
R
249
130
52%
合計
5818
2109
36%
上の表から次のようなことが観察されるようである。
漓 D ∼ J までの未対訳部の比率は最大で15%に過ぎないが、L 以降では急激に未対訳部が増加し、
O ∼ R では50%を上回る語・句・文が未対訳のままになっている。ここから、辞書作成の経過を推測
すれば、まず、対訳すべきポルトガル語をアルファベット順に書き上げ、対訳を A から始めたが進む
につれて容易に進捗せずに、対訳を放棄している状況が理解される。
滷 D から J までには、対訳すべき語、または語句が大半で、疑問文とか、命令文などはほんのわ
ずかしかないのに比べて、L 以降には文が急増し、中には2.3に掲げた例に見るように医療の場、商取
引の場で使用されるだろう文が対訳すべき対象として掲げられているが、多くは未対訳のまま残され
ている。L 以降に例文の急増していることが未対訳率が高まる理由の一つとしてもよさそうである。
2.3 例文の未対訳率
以下に挙げるのは、いずれも未対訳のままに残されている例文で、内容は、特定の分野に限られる
ものではなくて、さまざまである。
(日常会話) Nã quero beber mais. 86r - b15 ≪もうこれ以上飲みたくない≫
Toda esta noite nã dormi com pulgas. 83r - a10 ≪ゆうべは一晩中蚤で寝られなかった≫
Nam se pode andar cõ esta poeira. 75r - a20 ≪この埃では歩いて行けない≫ (医療)
Esta mezinha desfaz a pedra. 66v - a1 ≪この薬は結石を散らす≫
Esta ferida leuou sinco pontos. 76r - a9 ≪この傷は五針を要した≫
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(商取引)
Priuar da renda. 81r - a11 ≪賃貸料を取る≫
Qual destas peças he melhor. 84r - a17 ≪これらの反物のどれがよいか≫
各項目に、こうした目的語・補語と統合した動詞を含む短文がどの程度見られるかを比べると、下
記の[表2]のようになる。これによっても、[表1]に見る未対訳率が高まる L 以降の項目の簡単
なポルトガル語の文が未対訳部分の比率を高めている理由であると納得させられる。通常、これらの
例文は上に挙げたような単文で、下記のような複文は例外的である。これを現代の外国語習得に例を
見るならば、4.1以降に掲げた医療・海洋航海・商取引に関する多数の文から、本書編纂者の外国語習
得がかなり進んでいると判断できるが、文法に関しては未だ初歩の段階にあるといえるようである。
(例外的な複文)Post q̃ choue mto, quero ir. 77v - a2 ≪すごい雨降りだが、それでも行きたい≫
[表2]例文の未対訳率*
見出し
未対訳文
未対訳率
項目
見出し
未対訳文
未対訳率
項目
D
73
0
0
L
112
62
55%
E
85
0
0
M
286
198
69%
F
8
0
0
N
167
73
44%
G
20
0
0
O
163
87
53%
H
2
0
0
P
911
582
64%
I
6
0
0
Q
138
98
71%
J
8
5
62%
R
130
80
61%
合計
2109
1185
56%
*例文の未対訳率=未対訳文/未対訳部
2.4 [表1]と[表2]に見る量的特徴
上の[表1]と[表2]の資料から、次のようなことが観察され、それに基づいて「教科書」様の
ものが利用されたのではないかという推測もできそうである。
漓 D から J までには、明らかに記載内容に変化の起こる L 以降の項目との境界になっている J に
未対訳の文が少数ながら認められるが、D ∼ J の項では、[表2]の示すように、未対訳のまま残っ
ている文がごく少数で、通常は、下掲のように日本語が当てられている。
Guarda isto. 28v - a6 <これをやう取っておけ>
Este homẽ ia he desdentado. 7v - b10 <この人はや歯がない>
この J の項では未対訳の文の比率が62%にも高まっているが、これは連続して誓文(Iuramẽto)に関
、誓文を取る(Tomar ∼)
、誓文を破る(Quebrar o ∼)
する記載の中で、誓文する(Dar ∼, Fazer ∼)
のように対訳すべき日本語を示していない個所があって、全体の未対訳部が L 以降とはもともと比べ
られないほどの少数であることから高率となっている。[表2]に見られるように、L 以降の項の未
対訳部中の未対訳文の持つ意味とはあきらかに違うといえる。この J・L を境としてポルトガル語学
習上に、何らかの変化があったとも考えられる。もっとも有力な変化として、語・語句ではなくて文
が大量に記載されるのには、「指導者の交代」のほかに、学習者個人個人が、たとえば通詞になるた
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東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001)
(2)
めの養成中に作成するとされる「単語集」
の記入法を、それまでアルファベット順に進んできた途
中で変更するのは内的必要というよりは、上のような指導者の交代の他に、指導者のポルトガル人が
用意した「教科書」の存在を想定しないことには、説明しにくいところである。因みに、下記のよう
な現在の外国語教育にもしばしば使用される、一般的な真理を示す文とか、最上級・比較級の例文と
かが見られたり、また、天文学用のテキストからの例文ではないかと思われるような、16・17世紀頃
の日本人には馴染みのなかった内容の文さえ見られる。これは J を含む、それ以前の項目には決して
出現しなかった例文である。例えば
Partir polo meÿo. 63v - a1 ≪極を中間で分かつ≫
と言う例文の指示するところは、間違いなく「赤道」
(Equador)だろうが、これなどは、南蛮人が将
来したはずの地球儀を前にした実物教育でなければ、当時の日本人が理解しえたとは思われない。こ
こにも天文学書から例文を引用している教科書が存在していたのではないかと思われる事例があるわ
けである。
「教科書」が使用されたのではないかと推測させる今ひとつの理由は、下掲のような内容の文を、
いわゆる南蛮通詞などが、オーラルを専らとして口頭で外国語を習得したとしても、次項でも触れる
ような医療に関する非常に専門的な内容さえもっている、現代風にいえば基礎5000語段階などをはる
かに超えた語彙さえ見られるものを、口頭で与えられて本書のような整理した単語集を作成する程度
までに正確に筆録しえただろうかと言う疑問が当然起こることである。
O ouro he melhor q̃ a prata. 42v - a10 ≪金は銀よりもよい≫
Eu sou o minimo de todos. 45v - b8 ≪私はみんなの中でもっとも小さい≫
O sol nace no oreinte E póemse no occedente. 56r - a14 ≪太陽は東に登り、西に沈む≫
O mũdo he de figura redonda. 90r - b16
≪地球は丸い形をしている≫
上の例文はすべて未対訳のまま記載されたが、56r - a14の文では、oreinte と occedente はともに規
範的スペリングとは言えず、特に後者は occidente の見出し語の下に例文として記載されているので、
あるいは口頭の音声を筆記したための誤記と言えなくもない。もっとも本書の「解説」にもあるよう
に(p.467)
、i ∼ e に見る母音の交替は表記の許容範囲内のことでもある。ただ、こうした東西南北の
名称のような基礎語に関して誤記のあることは、原稿を記載した筆者がポルトガル語を外国語として
受容する側の日本人であったろうと推測させる。あるいは、写本作成者が日本人だろうとも思わせる。
さらに誤記例を加えれば、下掲のように一行おいた行で前行にあったと同じ語が誤記されているよう
な場合さえある。もちろん、語彙集はもともとアルファベット順ではなかったものを揃えて行くのが
通常の方法だろうから、本来はばらばらの紙片に分かれていたものといえるが、語彙集作成者がこの
ように続けて見出しとして掲出した場合に気づいてよいはずであり、写本されているとすれば、写本
(3)
作成者も、ポルトガル語の語義に詳しくなくて、至極機械的に筆写しているとも見られる。
Nordeste.<キタゴチ> Vento nordeste. 54r - b8
Noroeste.<アナゼ> Vento noroeste. 54r - b9
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≪北東の風≫
≪北東の風≫
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滷 さらに教科書の存在を前提とすると理解しやすい現象が次のような場合にも見られる。多くの
動詞には直説法単数現在の1人称形と2人称形が示されるが、それを外国語として学ぶ学習者にとっ
て有効な情報として、それぞれの動詞の過去分詞形と Ser ∼、Ter ∼ 、Estar ∼のような複合形がいわ
ば機械的に並べられている。当然初学者でも基礎的な文法に心得があれば複合形になった場合の意味
は動詞の元の形から類推できて、その意義を常時記載せずとも済むわけだから、未対訳部分に残って
いるのは、
「対訳を要せず」と言う意味とも読める。
例をあげれば Nomeo. as. ar. 54r - a2 <名を言ふ>では、
Ter nomeado. 54r - a5 ≪名乗った≫
Estar nomeado. 54r - a9 ≪と名乗っている≫
Ser nomeado. 54r - a10 ≪と呼ばれている≫
は、いずれも未対訳のまま残されている。ここでも複合時制形が動詞に必ず与えられるという構成に
なった教科書の使用を推測させるわけである。
さらに、形容詞の場合にも「対訳を要せず」という理由で未対訳のまま残されているのではないか
と思われ例も多い。以下はその一例である。この Limpo. ≪きれいな≫に用例としてあげられた語句
において当該の形容詞に修飾されている語のいずれもが基礎語であり、その意義は自明のこととして
未対訳のままに残されているとも読めるわけである。
Couza limpa. 35v - a13 ≪きれいなもの≫
Caza limpa. 35v - a14 ≪きれいな家≫
Vestido limpo. 35v - a15 ≪きれいな着物≫
さらに、これもおそらくは教科書の指定した書式があって、それに従っているのではないかと思わ
れるのが、形容詞から派生した -mẽte 語尾の副詞形が、さらには、『日葡辞書』では圧倒的に見出し
語としてではなくて用例中に掲げることの多い形容詞出自の=サ語尾名詞を見出しの形容詞と同じく
並列している現象がある。たとえば、Limpoで言えば、
Limpamẽte. 35v - a16 <きれいに>
Limpeza. 35v - a17 <きれいさ>
3.語彙の質的特徴
3.1 収録語彙のレベル
なによりも本辞書の語彙のレベルは、下掲のように、ほんの一部で明らかに身分が上の者に対して
敬意を示した敬体が使用されている場合、逆に身分の上の者が卑語などを用いて使用人などに命令す
ることがあっても、これらは例外的であって、常体の日常語・生活語の会話体・談話体・口語体が圧
倒的であるといえる。
Durma V. m. hũ pouco. 77v - b11 ≪少しお休みください≫
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東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001)
Vá V. m. primeiro. 80v - a19 ≪あなた様がお先にどうぞ≫
Olha pera ml̃. 57v - a19 <オレを見よ>
3.2 少ない文書語
いかに文書語が少ないかを示すために、仮に『日葡辞書』からまったくアトランダムに文書語を10
語抜き出し、本辞書での出現率と比較しようとすると、以下のような平凡ともいえる10語がまったく
使用されていない事が判明する。
<『葡日辞書』に出現しない『日葡辞書』の文書語>
Q iŭgo(救護)、G ŭjen(偶然)、Qeiqua(経過)、Guiuacu(疑惑)、Gogo(午後)、Saidai(最
、Xŭrai(襲来)
、Taiman(怠慢)
。
大)
、Xŭit(秀逸)
上のことは、口語だけではなく、意図的に『太平記』以下の多数の文献から、時には『論語』から
までも文語を収録している『日葡辞書』との際立った違いが見えてくる点である。人間の感情・行動
などを記述するような抽象度の高い、以下のような10語を、これもまったくアトランダムに選択して
も、
『葡日辞書』には一語も出現していない。
安寧、委曲、違犯、陰徳、鬱念、栄枯、煙浪、恩潤、餓鬼、華美。
上のような『葡日辞書』の語彙のきわめて特徴的な一面を示す結果は、実際は4.1項で取り上げる収
録語彙の所属分野とも大いにかかわってくることである。つまり、本書の語彙の示す意義分野には特
徴的な偏りがあって、一般的な文書語は極端に少ないという特徴がここに見られるわけである。
3.3 オレの使用
本辞書では、下記のように一人称の代名詞、自称としてオレが8回使用されている。このことは本
辞書の語彙の日常性を示す典型ともいえるが、『日葡辞書』と『羅葡日対訳辞書』では皆無、コリャ
ードの『羅西日辞典』、また、多くの口語体文を収録している同著者の『懺悔録』・『日本文典』でも
使用されていない。オレは、かろうじてロドリゲスが『日本大文典』中で『惚け物語』からの引用文
(4)
そこでは、相手に対する対称として vonore を用い、vore を以って自
に記載しているに過ぎない。
称している、典型的な俗語使用場面が見られる。しかし、ロドリゲス自身の日本語文法記述中では、
Vraga と Vraraga とを「身分の低い者が使う」として挙げるが、vore は挙げていない。
Pegouse a ml̃. 66v - b3 <オレに取り付いた>
Deixa me ir. 3v - a7 <止めずにオレを行なせい>
Fez isto por ml̃. 76v - a15 <これをオレが代りにした>
ただし、ほぼ同一の意味のポルトガル語文を一方は Vatacuxi を当て、一方は Vore を当てている辞
書作成者の意図は、使用場面の文脈によって使い分ける必要を明記したいということであろうか。
Mora defronte de ml̃. 2v - b14 <私が向かひに居る>
Estaua defrõte de ml̃. 2v - b16 <オレが向かひに居る>
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3.4 方言形の多用
本辞書の解説には、
『日葡辞書』になくて『葡日辞書』にある語は約130あり、その多くが通俗語ま
(5)
実際に解説中に挙げられたイゲ、ホガス、イギルなど
たは方言である可能性が高いとされている。
はしばしば九州方言として指摘され、
『日葡辞書』にも方言との注記がある。
方言形とみなせる語は以下の29語をはるかに超すが、ここでは主たるものを五十音順に示し、『日
葡辞書』での扱いなども参照の上、それぞれの若干の分布地などを一覧することにした。このような
小規模の一覧表においても、次項で扱う、本辞書の語彙の特徴的な意義分野の「医療」や「海洋航海」
に関する方言も見られ、繰り返すように、本辞書が日常語・地域の生活語を記載することがいかに多
いかを反映していると解せる。つまり、下記のうちのアカハラ(赤腹)は赤痢の異称であり、オチカ
エリ(復ち返り)は病気再発、ユビブは『日葡辞書』のモトブ形に対応し、
疽である。他方、アナ
ゼ(北西風)
、キタゴチ(北東風)
、ツレシオ(連れ潮)
、ワリシオ(引き潮)
、は海洋航海に関わる方
言である。なお、分布地域については『日本方言大辞典』によった。
<『葡日辞書』の若干の方言形>
爬ローマ字表記
(方言形)
爲主たる意義
アカガリ
爻主たる分布地域
爬 Acagari
爲 皸
爰ポルトガル語
爼備考
爰 Gretas dos pes. 27v - b16
爻 アカガリ 長崎 アカガイ 鹿児島
アカハラ
爬 Acafara
爲 赤痢
アカミ
爻 アカハラ 長崎・熊本など アカバラ 鹿児島 爼 東北・北陸でも
爬 Acami
爲 卵黄
アギト
爰 Camaras de sangue. 83v - b17
爰 Gema d’ouo. 26v - b6〈卵の赤身〉
爻 アカミー 首里
爬 Aguito
爲 顎
爼 首里でシロミは豚の脂身
爰 Padar. 60v - a6
爻 アギ 長崎・熊本など アギト 福岡・大分
アナゼ
爬 Anaje
爲 北西風
エブナ
爻 アナゼ 長崎・熊本など
爬 Yebuna
爲 ボラの幼魚
オチカエリ
爰 Vento noroeste. 54r - b9
爼 北・西・南西・北東風も指す
爰 Mujem. 49r - b12
爻 エブナ 熊本・鹿児島 エッナ 鹿児島
爬 Vochicayeri
爼 京都・大阪でも
爰 Recaida 89r - b16
爲 病気のぶり返し 爻 オチカエル 福岡・対馬 オテケル 鹿児島 爼 日葡も方言と
カイ
爲 牧草
カブナ
爰 Pasto 64v - b4
爬 Cai
爻 カイ(牛馬の飼料)岐阜・大阪・香川など
爬 Cabuna
爲 かぶ
爰 Nabo 50v - a6
爻 カブナ 長崎・福岡・大分 爼 『日葡辞書』でかぶ、東国・佐渡などでも 87
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爬ローマ字表記
(方言形)
爲主たる意義
カブル
爻主たる分布地域
爬 Caburu
爲 かじる
キタゴチ
クチタタキ
クネンボ
コサグル
爲 削り落とす
爰 Gralheador. 27v - a11 Linguaráz. 35v - b 9
爰 Laranja bical. 33r - a9
爲 産婆
爰 Raspo.as.ar. 88v - a16
爻 コサグ 熊本・大分 コサブ 長崎・熊本
爬 Cozoi
サセブ
爼 大分で北風も
爻 クネビ 熊本 クネッ 鹿児島 キネブ 種子島
爬 Cosaguru
コゾイ
爰 Vento nordeste. 54r - b8
爻 クチタタキ 熊本・大分 クッチャケ 長崎 クッタタキ 宮崎
爬 Cunẽbo.
爲 香橘
爰 Os ratos tudo roem.《鼠は何も齧る》88v - b3
爻 キタゴチ 佐賀・長崎・五島など
爬 Cuchitataqi
爲 おしゃべり
爼備考
爻 カブシル 宮崎・鹿児島 カブシー 鹿児島
爬 Qitagochi
爲 北東風
爰ポルトガル語
爼 日葡はコソグル
爰 Parteira. 63r - a5
爻 コゾイバサン 熊本 コゾエ・コーゼイバンバ 長崎
爬 Fizacaqui, Saxebu
爰 Murta. 50r - a8
爲 コケモモ属の小低木 爻 サセビ 鹿児島 サシビ 長崎 シャシャブの木 壱岐
シザル
爬 Xizaru
爲 後退する
ジョウニ
爰 Recuo.as.ar. 90r - a15
爻 スザル 福岡・対馬・熊本 スダル 宮崎
爰 Muito. 49v - a7
爬 Jŏni
爲 非常に 爻 ジョーニ 大分 ジョジョ 宮崎・鹿児島 爼 関東・京都などでも
シリビラ
爬 Xiribira
爲 臀部
スク
爻 ヒタビラ 鹿児島 シリタブラ 鹿児島・熊本・対馬
爬 Suqu
爲 編む
スム
爲 水に潜る
タバウ
爰 Mergulho.as.ar 43v - a5
爰 Mascareo. 41r - a5
爻 タカッポー 佐賀 タケンカップ 熊本
爬 Tabŏ
爰 Poupo.as.ar. 77v - b18
爲 貯える 爻 タボウ 長崎・熊本 タブー 佐賀
ツレシオ
爬 Tçurexiuo
爲 船の進行方向と同じ潮
トカキ
爼 日葡にもスク
爻 スム 長崎・熊本・佐賀 スン 鹿児島 スミュイ 喜界島
爬 Tacatpono faxira
爲 竹筒
爰 Tecer a rede. <網をスク> 90r - b6
爻 シク 沖永良部島
爬 Sumu
タカッポ
爰 Nadegas. 50v - b14
爬 Tocaqui
爼 京都・新潟・石川などでも
爰 A maré he por nós. <連れ潮ぢゃ> 40r - b16
爻 ツレシオ 山口・愛媛
爼 日葡に記載なし
爰 Lagartixa. 32r - b12
爲 蜥蜴 爻トカキ 長崎・熊本・大分 トカキュ 鹿児島 爼 日葡はトカギリを方言とする
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爬ローマ字表記
(方言形)
爲主たる意義
ヌルイ
爻主たる分布地域
爲 敏捷でない
爼備考
爰 Homẽ molle. <ぬるい人> 46v - a10
爬 Nurui
ヤッパレ
爰ポルトガル語
爻 ヌルイ 長崎・鹿児島 ヌリー 対馬・大分・熊本
爬 Yappare
爰 Deixa estàr ahi. <ヤッパレそこにおけ> 3v - a5
爲 じっとしている様 爻 ヤッパイ・ヤッパ 鹿児島
ユビブ
爬 Yubibu
爲
爻 モトブ山口・鹿児島 爼 Tem hŭ dedo podre. ≪指が腐っている≫ 75r - a9
疽
ワリシオ
爰 Panaricio. 61r - a19
爬 Varixiuo
爲 干潮
爰 Maré uazia. 40r - b5
爻 ワリ 長崎・熊本 ワル 長崎 爼 日葡はワリを記載
4.語彙の意義分野に見る特徴
収録されている語彙の意義分野を観察すると、ただちに医療、海洋航海、商取引の三分野に関わる
語彙の多さに気づくことになる。これは、当然、辞書の解説も指摘するように、語彙の編纂者が南蛮
通詞で、上の三つの語彙をもっとも頻繁に使用する場面で通詞としての役割を果たしただろうことの
反映だろうと理解される。さらに進めていわゆる南蛮通詞から南蛮医者となるような過程をたどった
ケースではないかとさえ筆者には思われる。それは、語彙として収録されているものには、4.1に挙げ
るような、現実の医療の場面でしか使用しないような語彙が多数見られるからである。
上記の三分野の語彙が目立つ他は、全体としては、衣食住の生活全般にわたる語彙、動植物名など、
そのほとんどは基礎語と呼べるものが多い。ただし上記の三分野の語彙に関しては、かなり一般的で
ない専門的な、いわゆる基礎語を超えた語が多い。
4.1 医療用語
『日葡辞書』との典型的な相違を示すような一例を挙げると、
「脂薬」の場合がある。つまり、
『日
葡辞書』はあくまでも規範的に Cŏyacu(膏薬)、Cŏyu(膏油)という語を選択記載するのに対して、
『葡日辞書』は Cŏyacu(膏薬)に加えて、Cusuriabura(薬油)という和語を記載する。さらに下掲の
ように「ぬき」という、いかにも医療の現場で常用されるだろう、平易な和語が見られる。この「ぬ
『日
き」に対応するはポルトガル語の Mecha は、傷口に挿入する綿撒糸、つまりガーゼのことだが、
葡辞書』に記載されていないようである。これは、「硫黄索」などとも呼ばれて膿を出してその後の
化膿を防止するに使用されたものである。治療に常用されただろうことは、下記のように Mecha に
続けて三例の熟語を掲げていることからも知られる。
Mecha. 41v - b2 <ぬき 腫物などに刺すぬき>
Fazer mecha. 41v - b3 ≪ぬきを作る≫
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東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001)
Meter mecha. 41v - b4 ≪ぬきを刺す≫
Por mecha. 41v - b5 ≪ぬきを入れる≫
同様に、南蛮医術が導入される以前の内科を主とする治療の場では多用されなかっただろう、ラン
セットに関しても『日葡辞書』では、Fari の項で「馬の血を取る時などに、刺絡針を刺しこむ」の記
述中で Lancetada ≪ランセットによる切開≫が見られるに過ぎないが、本辞書では、上の「ぬき」と
同様に、下記のように例文を多数挙げている。
Lanceta. 32v - b5 <腫物などの口をあくる針>
Furar co lanceta. 32v - b7 <針で口を開くる>
Cortar com lanceta. 32v - b8 ≪針で切る≫
Meter a lanceta. 32v - b9 ≪針を入れる≫
Abrir o apostema co lanceta. 32v - b10 ≪膿瘍を針で開ける≫
Lancetada. 32v - b11 <針傷>
Dar lanceta. 32v - b12 <針を立つる>
『日葡辞書』に記載されていない語で本書に収録されている医療に関する語も多く見られる。ここ
では、本書の語彙の特徴を示す例を二例付け加える。
Dentada. 4r - b2 <食ひ方>、
Dar dentada. 4r - b2 <食ひつく>
これは、動詞 Dentar ≪食いつく≫までさかのぼるまでもなく、「歯型、歯で噛んだあと」であり、
(食ひ入る)に対して方言と指摘した上での意味記述、「ダニなどが
『日葡辞書』が「Cui iri, ru, itta.」
噛みつく、あるいは、その歯を肉にさし込む」が、Dentada の内容を説明していることになる。
Legra. 34r - b6 <外境の道具の名>
上記の Legra の場合には、本格的な外科医術が南蛮医学によってもたらされ始めたころであったこ
とを考慮すれば、未だ定訳もなく、医療器具としか記述されていないのもやむをえなかったと言える。
この「頭蓋骨折を調べる骨膜掻爬器」が記載されていることからも、あるいは、この語彙集編纂者が
南蛮医学の道へと進む意図さえ持って対訳語彙集を編もうとしたかもしれないほどに熱意が伝わって
くる。
「医道」Medicina. 41v - b7 の見出しに続けて、いずれも未対訳だが「医道を学ぶ、心得ている、
研究する、医道を巧みに説く」などの例文を掲げているのもやや象徴的とも読める。
医療用語としては、他に「病名」
「症状」
「薬」に関する表現も多い(以下に日本語のみ挙げる)
。
「病名」喉痺、タカガミ、瘡の病、霞目、瘤、小舌、なまず、痃癖、横根、瘧、石淋など
「症状」腫れ、痛がる、打ち身、槍傷、頓死、痺り、絞り腹、死脈、やけど、浅手など
「薬」 芥子、珍毒、洗ひ薬、バルサモ、硫黄、没薬、麒麟竭、膿ませ薬、明礬、木香など
4.2 海洋航海用語
医療用語に次いで目立つ語彙は、海洋航海用語である。これには、船舶・航海・海・潮・風・港、
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ヴァチカン図書館蔵『葡日辞書』所収日本語の語彙的特徴
また、港までの距離などに関する表現・語彙を含むことになる。この分野でも例文には未対訳のまま
残っているものが多い。
(港までの距離)Daqui a Fucuda ha perto de tres legoas. 71r - b18
≪ここから福田まで約3レグアだ≫
Daqui a firádo he m.to longe. 36v - a1 ≪ここから平戸までは大変に遠い≫
(船体そのもの)Estar desapare Ihado. 6r - b3 ≪帆柱がなくなっている≫
Enceuar o masto. 15r - b11 <帆柱に油を塗る>
、
「船の胴、かわら、平甲板、
船体については、
「帆を上げる、収める、切り落とす」
(41r - a7 ∼ a9)
胴の間、艫、表の間、舷」
(51r - a14 ∼ a19, b - 1)のように連続して用語を掲げることが多いが、下
記の例のように、最初の見出し語に対訳を付しただけで、残りは未対訳のままが多い。
Proa. 81r - b1 <船の表>
Proa do nauio. da nao. da barca. 81r - b2 ≪艦船の、帆船の舳≫
Estar na proa. 81r - b3 ≪舳に居る≫
Castelo da proa. 81r - b4 ≪舳の船楼≫
Vela da proa. 81r - b5 ≪舳の帆≫
Ir á proa. 81r - b6 ≪舳へ行く≫
Passar pera a proa. 81r - b7 ≪舳へ通る≫
Vento por proa. 81r - b8 <向う風>
Maré por proa. 81r - b9 <向う潮>
航行に関しては、出港の時期、難破、座礁などに関する語を含む例文が下掲のように見られる。
Quãdo partẽ os nauios. 63r - b13 <いつ船を出すか>
Quãdo partio este nauio da China. 63r - b14 ≪船はいつシナを経ったか≫
Partio aos dez do mez passado. 63r - b16 ≪先月10日に経った≫
Perderse no recife. 90r - a14 ≪暗礁で難破する≫
A tempestade desaparelhou o nauio. 6r - a13 ≪嵐のために船はマストを失った≫
船体に次いで目立つのは、海、潮、港に関する語彙で、以下には日本語のみを記す。
「海」 <深い海、広い海、浅い海、荒海>、≪穏やかな海、北の海、南の海≫ など 「潮」 <ワリシオ、割り、高潮、カラ潮、満潮、引き潮、ツレシオ、向う潮>、など 「港」 ≪よい港、深い港、入港する、出港する、港に着く、港から離れる、入港するに
よい港、港に投錨する、港に停泊している≫、など
さらに、長期の航海に気象・天候への関心は欠かせないことであるし、航行するための地図も語彙
として目立つものである。
「天候・風」 <東風の風、北風、キタゴチ、アナゼ>
Isto pronostica chuua, uẽto. 82r - a12 ≪これは雨風の前兆≫
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東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001)
Perdeose com tormẽta、cõ tempestade. 69v - b6 ≪嵐で破損した≫
「地図」 Mappa do mũdo.39v - b17 ≪世界地図≫
4.3 商取引用語
本書には驢馬とか孔雀とかの日本に本来的には生育していないはずの動物名が記載されているが、
これらが、当時の輸入産物であり、こうした交易に携わるに必要とされる商取引に関わる短文が多く
記載されているのも特徴的である。最大の輸入品目の生糸以下の支払いに要する費用に関しては、
Mina d’ouro. 45r - b7 <金山>
Mina de prata. 45r - b8 <銀山>
Pataca. 64v - b10 <八匁がね>
Cem patacas. 64v - b11 ≪銀貨百枚≫ Hũ saco de patacas. 64v - b12 ≪小袋の銀貨≫ Hũ caixão de patacas. 64v - b13 ≪金庫の銀貨≫ など、金銀の発掘から、 鋳造貨幣をも記載している。他方、輸入品目の記載も下記のように多い。
「輸入品目」 生糸、毛織物、羅紗、沈香、乳香、没薬、茴香、象牙、孔雀、驢馬、虎の皮、牡鹿の
皮 インドの皮、黒砂糖、眼鏡、碧玉、鉄砲の薬、など。
商取引に関しては専ら外国との交易に関する短文が多いが、例えば船荷にする場合の「軽荷」
Lastro. 33r - b14 だけについても、下掲の短文以外にも「軽荷」を含む語句・文を4例も挙げている。
Este nauio tẽ pouco lastro. 33r - b17 ≪この船は軽荷を少ししか積んでいない≫ Meter lastro no nauio. 33r - b18 ≪船に軽荷を載せる≫ 「毛織物、亜麻布、綿布、薄い織物、厚い織物」など多数
同じように、Pano <織物>についても、
の例を挙げている。こうした生糸・織物を扱う大商人も、ポルトガル人が中国からもたらす生糸貿易
で莫大な利益を得ることが当然であったとしても、いかに損失を出すことが多いかが、下掲のような
多数の例文から知られる。商取引の現場で交わされる、南蛮通詞の心得ておくべき短文と読めるわけ
である。交易品によっては部外者にとって未知の語彙が多かったはずであり、基礎語には属さない。
Este anno perdi na seda. 69v - a16 ≪今年、生糸で損をした≫ Quãnto perdeo V. m. este anno. 69v - a19 ≪今年、どれだけ損をしましたか≫ Neste nauio perdi cem t.es 69v - a20 ≪この船で百貫目損した≫ No incendio passado perdi mais de quinhẽtos t.es 69v - a21 ≪最近の火災で五百貫目以上損した≫
Este anno quebrarã m.tos mercadores.85v - a10 ≪今年、多数の商人が倒産した≫
4.4 外来語としてのポルトガル語と地名の偏り
『日葡辞書』の記載する語彙と比較して特徴的なことは、本書では下記のようなポルトガル語が対
訳されずに、原語のままで使用されたことである。当然、関係する日本人とポルトガル人の間のコミ
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ヴァチカン図書館蔵『葡日辞書』所収日本語の語彙的特徴
ュニケーションが十分実現されたことを示していると言えるだろう。現代日本語には使用されていな
いものもあるが、残っているものが多い(現在日本語で使用されないものは語義を記した)
。
<本書の記載する外来語としてのポルトガル語>(カタカナ表記に従った)
ラシャ、カッパ、ボタン、シダデ(都市)、
バルサモ、サボン、バシオ(便器)、エスペト
(串)、パン、カピタン、パンヤ、ヘイトール(商館長)
、タバコ、カルタなど
なお、未対訳部分に、当然ポルトガル語を外来語として使用したろうと思われるものも見られる。
Tanger o orgaõ. 58v - a14 ≪オルガンを弾く≫ Dar offerta ao Pagode. 57r - a2 ≪パゴダに捧げものをする≫ 他方、本辞書には地名がはなはだ偏った地域名しか記載されてないという特徴が見られる。国外と
の交易を進めるために必要と思われる地名も少なく、国内の地名も江戸と大坂以外は九州内の地名し
か記載されていない。ただ、江戸は計6回出現しもっとも多い。それに長崎の3回が次いでいる。ま
た、Letra de japam. 34v - b16≪日本の文字≫、Monarca de japam. 47r - a10≪日本の帝王≫のような、
ジャパンの例が未対訳部分に見られる。
<本辞書記載の地名>
「外国」
インド、オランダ、シャム、トンキン、など。
「内国」
江戸、長崎、豊後、薩摩、五島町、平戸、福田、ジャパン、など。
5.語彙の特徴から見る辞書編纂時期
本書の解説では、成立年代として、『日葡辞書』刊行の1603年から最後の潜入宣教師の没年1714年
までの間と推定されている。
(p.473)その推定の際に、Gorra27r - a11<江戸頭巾・丸頭巾>という名
称に定着した「江戸」に注目された。また、『日葡辞書』にない「袖の下」が『日葡辞書』編纂時期
よりも後に使用された新しい表現かと記述された。この二つの、あるいは、本書の成立時期のより狭
い時間内に特定するに有効と思われる要因に加えて、筆者は酒樽のふたを「鏡」と呼ぶ『葡日辞書』
の表現も新しいのではないかと疑問をもっており、あるいは、上に提言されている成立時期を狭める
に効があるかとも考える。
Destampo.as.ar. 10r - b6 <樽などのかがみを取る>
に見られる「かがみ」は、『日葡辞書』、『羅西日辞典』、『羅葡日対訳辞書』のいずれの対訳辞書にも
見られない。外国人の手になる、はるか後代の『和英語林集成』第三版(1886)には下掲のように明
確に記述されている。このかがみの使用開始時期が特定できると、現在の110年間の幅をもって推定
されている本書の成立年代を多少とも短縮できるのではないかと指摘したいわけである。
(met.)the head of a barrel; an example, or pattern.
さらに、筆者は解説の設定した成立年代の上限を、本書の記載する複数の例文の持っているキーワ
ードと、寛永10・12・16年の鎖国令、さらには慶安の御触書などと通称される徳川幕府の禁令とを読
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み合わせる時、1603年よりは50年ほど下げてもよいのではないかという指摘を加えたい。
Prohibir o uestido de seda. 81v - a13 ≪絹の着物の着用を禁ずる≫
O Tabaco he prohibido. 81v - a16 ≪タバコは禁じられている≫
上の二例は当然いわゆる「慶安の御触書」の禁止条項、
「一 百姓は衣類の儀、布・木綿より外は帯・衣裏にも仕るまじき事」
「一 たば粉のみ申す間敷候。是は食にもならず、結句、以来煩に成るものに候」
をなぞっているポルトガル語文といえるだろう。
「慶安の御触書」は1649年、慶安2年の発布である。
さらに禁令に関する下掲の例文は相次ぐいわゆる鎖国令の禁止条項を記述していると読めるわけで
あり、それらが1603年よりは下った時期に発布された禁令の内容と合致していることを考慮すると、
いずれもいわゆる鎖国令が出されて以降に書かれたものと認められるのではないかといのが、筆者の
判断である。
Prohibir a uiagem da China. 81v - a9 ≪シナへの渡航を禁ずる≫
A uiagem de Siam està prohibida. 81v - a15 ≪シャムへの渡航は禁じられている≫
上の御触書の場合と同様に、数度の禁令中でもっともここの二文と近い内容をもつものを求めれば、
寛永12年の鎖国令と呼ばれる、1635年の禁令のうち、下掲の条項が対応しているようである。
「一 異国へ日本の船これを遣わすの儀、堅く停止の事」
「一 異国へ渡り住宅仕りこれある日本人来たり候わば、死罪申付くべき事」
[引用・参考文献]
『邦訳日葡辞書』
岩波書店
1980
『日葡辞書』
(影印本)
勉誠社
1973
『羅葡日対訳辞書』
(影印本)
勉誠社
1979
『ラホ日辞典の日本語』索引篇
ラホ日辞典索引刊行会
『羅西日辞典』
(影印本)
臨川書店
1967-69
1966
〈注〉
盧 ヴァチカン図書館蔵『葡日辞書』 京都大学文学部国語学国文学研究室編 臨川書店 1999
盪 杉本つとむ『日本翻訳語史の研究』八坂書房 1983.にオランダ語の学習において学習者が自分自身で作
成する「単語帳」の例が見られる。
蘯 スペイン語の母音交替のような許容範囲内の誤記ではなくて、日本語の子音の誤記と思われる下掲のよう
な例もある。
Embandeirar a foltaleza. 13r - a1<城に旗を立つる>に続く、言い換えのローマ字書き日本語 Xirouo
cagaru は、一行下に続く同類の表現 Embandeirar a nao. 13r - a2 のローマ字書き日本語 fune ni fatauo tatete
cazaru. <船に旗を立てて飾る>が正しいわけである。なお、本書の索引では上の誤記された部分は「飾る」
の項とは別の「かがる」の項に仕分けられている。
盻 『日本大文典』
(土井忠生訳 三省堂 1955)のP.528.附則三。
眈 本辞書P.470「解説」
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