浜松市民文芸 - 浜松市文化振興財団

第
集
浜
松
市
浜 松 市
浜 松 市 民 文 芸
浜松市民文芸
60
60
平成 27 年度 浜松文芸館の催事と講座
(内容等については一部変更されることがありますので、浜松文芸館にご確認ください)
●講 座
講座名
文学講座
(春)
文章教室Ⅰ
文章の書き方を書きなが
ら学びます(大人向け)
川柳入門講座
あなたも川柳を始め
てみませんか
短歌入門講座
あなたも短歌を始め
てみませんか
俳句入門講座(前期)
あなたも俳句を始め
てみませんか
声であらわす文学作品
短詩から随筆まで
夏休み絵本づくり講座
簡単にできる絵本
3~6年生対象 付添不要
10 歳 か ら の 少 年 少
女俳句入門講座 4~6年生対象 付添不要
文章教室Ⅱ
文章の書き方を書きなが
ら学びます(大人向け)
講師
開催時
4/8,15,22,29, 5/6,13 毎週水曜日
(全 6 回)
松平和久
9:30 〜 11:30
(別途テキスト代
800+税)
たかはたけいこ
4/19,5/17,6/21,7/19 第 3 日曜日
(全 4 回)
① 13:00 〜 14:30 ② 15:00 〜 16:30
2000
今田久帆
4/26, 5/24,6/28,7/26,8/23 第 4 日曜日(全 5 回)
9:30 〜 11:30
2500
村松建彦
6/6,13,20,27,7/4 毎週土曜日
(全 5 回)
10:00 〜 12:00
2500
鈴木裕之
6/6,13,20,27,7/4 毎週土曜日
(全 5 回)
13:30 〜 15:30
2500
堤 腰 和 余 6/22,7/27,8/24,9/28,10/26,11/23
第 4 月曜日(全 6 回)
10:00 〜 12:00
3000
井 口 恭 子 7/25(土)
13:30 〜 16:00
500
九鬼あきゑ 8/4(火),6(木),7(金)
(全 3 回)
10:00 〜 11:30
500
8/16,9/20,10/18,11/15 第 3 日曜日(全 4 回)
① 13:00 〜 14:30 ② 15:00 〜 16:30
2000
たかはたけいこ
文学講座
(秋)
9/4,11,18,25,10/2,9 毎週金曜日
(全 6 回)
『雨月物語』
を読む 松 平 和 久
9:30 〜 11:30
文学と歴史講座
芥川龍之介の世界
自由律俳句入門講座
放哉・山頭火の世界
俳句入門講座(後期)
あなたも俳句を
始めてみませんか
文章教室Ⅲ
文章の書き方を書きなが
ら学びます(大人向け)
受講料円
3000
(全 5 回)
折 金 紀 男 9/13,20,27,10/4,11 毎週日曜日
9:30 〜 11:30
3000
(別途テキスト代
800+税)
2500
(全 3 回)
鶴 田 育 久 10/7,14,21 毎週水曜日
9:30 〜 11:30
1500
笹 瀬 節 子 11/14,21,28,12/5,12 毎週土曜日
(全 5 回)
吉川摩里子
13:30 〜 15:30
2500
12/20,1/17,2/21,3/20 第 3 日曜日
(全 4 回)
① 13:00 〜 14:30 ② 15:00 〜 16:30
2000
たかはたけいこ
●収蔵展 企画展
特別収蔵展「浜松の俳人たち」
企画展「スズキコージの絵本原画と浜松の手づくり絵本展(仮)」
以降については計画中
4 月 1 日(水)~ 7 月 19 日(日)
7 月 25 日(土)~ 10 月 25 日(日)
●講演会
「小説に描かれた徳川家康-異説を中心に-」 和久田雅之
8 月 31 日(日)13:30 ~ 15:30 500 円
●朗読会
「芥川龍之介を読む」 堤腰和余
10 月 26 日(日)14:00 〜 15:00 500 円
浜
松 市 民
文
芸
第 60 集
(山根七郎治 鼈)
浜 松 市
浜松市民文芸 60 集
中西美沙子
那 須 田 稔
柳 本 宗 春
竹 腰 幸 夫
選 者
小 説 児童文学 たかはたけいこ
評 論
随 筆 埋 田 昇 二
村 木 道 彦
詩 九鬼あきゑ
短 歌
定型俳句 今 田 久 帆
鶴 田 育 久
自由律俳句 川 柳
平成
年度浜松市芸術祭「第 回市展」にて
☆ 表紙絵
井 香 奈
筒
62
ました。
型染という技法を使用して、布を染めて制作し
得たことを吸収し、花を咲かせている様子です。
のを詰め込んでみました。多くの人や活動から
題「植物人間」
この作品は自画像です。高校で関わってきたも
芸術祭大賞受賞作品 工芸部門
26
2
集 市民文芸賞受賞者
部 門
受 賞 者
宮島ひでこ
生 﨑 美 雪
石 黒
實
阿 部 敏 広
伊 藤 斉
宮 澤 秀 子
成 瀬 喜 義
石 橋 朝 子
安間あい子
松 本 重 延
影 山 虎 徹
渡辺きぬ代
定 型 俳 句
中 谷 節 三
山本ふさ子
大 庭 拓 郎
飯 田 邦 弘
平 野 道 子
鈴 木 利 久
自由律俳句
河村かずみ
竹内としみ
北 野 幸 子
代
賀
山 口 英 男
馬渕よし子
柳
辻 上 隆 明
中 村 弘 枝
竹山惠一郎
飯 田 裕 子
土屋香代子
竹 平 和 枝
川
松 田 健
さくら珠ゞ音
三 原 遙 子
受 賞 者
「浜松市民文芸」第
説
部 門
小
論
児 童 文 学
評
筆
歌
随
詩
短
松浦ふみ子
鈴 木 和 子
3
60
浜松市民文芸 60 集
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
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・・・・・・
113 102
101 100 89 72 54
41 24 10
目 次
小 説 市民文芸賞
節 分
三原 遙子
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夜学の灯
石黒 實
・・・・・・・・・・・・・・・・・
メロンパン
阿部 敏広
・・・・・・・・・・・・・・・
入
選
竹中 敬明
孤 将 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内山 文久
ジルに寄せて ・・・・・・・・・・・・・
白井 聖郎
遼遠なるエンピレオ ・・・・・・・
竹腰 幸夫
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
柳本 宗春
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
児童文学
市民文芸賞
生㟢 美雪
春の贈り物 ・・・・・・・・・・・・・・・
宮島ひでこ
空向のひとり旅 ・・・・・・・・・・・
入 選
阿部 敏広
阿蘇の少女 ・・・・・・・・・・・・・・・
猫のお嫁さん ・・・・・・・・・・・・・むらまつたえみ
那須田 稔
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
135 128 121
評 論
市民文芸賞
更新されゆくもの―写真とは何か―
影山 虎徹 ・・・・・・
・・・・・・・・・
中谷 節三 ・・・・・・
山上憶良 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 入 選
波風のありもあらずも何かせん
(一葉日記より)
十津川郷士 ・・・・・・
・・・・・・・・・
中西美沙子 ・・・・・・
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
170 168 166
164 155
市民文芸賞
大庭 拓郎
牡丹餅 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
松田
健
エレキと草むしり ・・・・・・・・・ さくら珠ゞ音
浮 遊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入 選
中村 淳子
十円玉 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鈴木やす子
空 箱 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かとうまさこ
断捨離 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中津川久子
白い割烹着 ・・・・・・・・・・・・・・・
志賀 幸一
老 人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉岡 良子
夢のような ・・・・・・・・・・・・・・・ 西尾 わさ
私のお母さんになって ・・・・・ 山田 知明
不思議な一日 ・・・・・・・・・・・・・ 随 筆 ・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
146 137
185 184 182 179 178 176 174 172
4
石山 武
忘れられない人 ・・・・・・・・・・・
周東 利信
新聞配達の四季 ・・・・・・・・・・・
恩田 恭子
誘惑に負けた日 ・・・・・・・・・・・
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・たかはたけいこ
詩
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
市民文芸賞
竹内としみ ・・・・・・
重ねる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北野 幸子 ・・・・・・
谺 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
辻上 隆明 ・・・・・・
祈る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入 選
浅井 常義 ・・・・・・
偶感・時Ⅱ ・・・・・・・・・・・・・・・
大庭 拓郎 ・・・・・・
ドクダミ茶 ・・・・・・・・・・・・・・・
加藤貴代美 ・・・・・・
自分へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さくら珠ゞ音 ・・・・・・
匂い立つ ・・・・・・・・・・・・・・・・・
す み れ ・・・・・・
ひとりごと ・・・・・・・・・・・・・・・
髙柳 龍夫 ・・・・・・
満足の時 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 滝澤 幸一 ・・・・・・ からまつの葉は金の粒 ・・・・・ 中田 智美 ・・・・・・
手―ライフ― ・・・・・・・・・・・・・ 中村 弘枝 ・・・・・・
言葉の流れ ・・・・・・・・・・・・・・・ ~セウォル号沈没に想いを馳せて~
水気の多い女の涙
・
ヒメ巴勢里 ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
松永 真一 ・・・・・・
跡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 埋田 昇二 ・・・・・・
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 短 歌
市民文芸賞
飯田 裕子
中村 弘枝
土屋香代子
松浦ふみ子 鈴木 和子 入 選
石原新一郎
大庭 拓郎
太田 静子
金原 あい
赤堀
進
松島 良一
小笠原靖子 鈴木 敏文 清水 紫津
堀内 独行 柳 光子 北島 はな
山本 勝彦 知久とみゑ 河合 和子
岩城 悦子 新谷三江子 浜 美乃里
髙橋 紘一 鳥井美代子 内藤 雅子
飯尾八重子 柴田 修 髙橋 幸
村木 幸子 太田 初恵 遠山 長春
内山 智康 浦部 敬子 宮本 惠司
柴田千賀子 幸田健太郎 袴田 成子
白井 忠宏 松永 真一 脇本 淳子
岡本 久榮 渥美 佳子 平野 旭
冨永さか江 滝澤 幸一 中山 和
鈴木 壽子 中村 淳子 伊藤 友治
井浪マリヱ 岡本 蓉子 川島百合子
河合 秀雄
北野 幸子
新田えいみ
戸田田鶴子 大石みつ江 犬塚賢治郎
山口 久代 荻 恵子 内田 一郎
5
194 191 189 186
199 198 197
209 208 207 205 204 203 202 202 201
212 211 210
浜松市民文芸 60 集
江川 冬子 杉山 勝治 森脇 幸子
長浜フミ子
伊藤 美代
安藤 圭子
倉見 藤子 と ん ぼ 山田 文好
吉野 正子 宮地 政子 今駒 隆次
平野 早苗
髙畑かづ子
江間 治子
宮澤 秀子
花 信 栖
清水 孜郎
手塚 みよ 内山 文久 畔柳 晴康
鴇多 健 加藤 久子 恩田 恭子
和久田俊文 寒風澤 毅 坂東 茂子
近藤 茂樹 加 賀 の 女 伊藤 米子
水川あきら 髙山 紀惠 織田 惠子
渥美 進 前田 道夫 すずきとしやす
木下 文子 平井 要子 金取ミチ子
鈴木 芳子 出原 依美 藤田 淑子
太田あき子 古谷聰一郎 石渡 諭
さくら珠ゞ音 仲村 正男 飛 天 女
石黒 實 森 安次 介 護 マ ン
あ ひ る 石川 きく 竹内オリエ
鈴木美代子 村木 道彦 ・・・・・・
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
229
定型俳句 市民文芸賞
松本 重延
山本ふさ子
安間あい子
石橋 朝子 成瀬 喜義 伊藤 斉
宮澤 秀子 渡辺きぬ代 平野 道子
鈴木 利久
入
選
松本 重延 山本ふさ子 安間あい子
石橋 朝子 成瀬 喜義 伊藤 斉
宮澤 秀子 渡辺きぬ代 平野 道子
鈴木 利久 澤木 幸子 鈴木由紀子
吉野 民子 中村 瑞枝 山口 英男
田中美保子 大倉 照二 和田 有彦
大田 勝子 平野 旭 清水 康成
白井 忠宏 坪井いち子 野田 正次
赤堀 進 白井 宜子 橋本まさや
浅井 裕子 長谷川絹代 横田 照
能勢亜沙里 伊藤 久子 今井千代子
柴田 弘子 松江佐千子 黒葛原千惠子
勝田 洋子 林田 昭子 池谷 俊枝
中津川久子 鈴木 秀子 鈴木 千寿
内山 恭子 水野 健一 伴 周子
永田 惠子 小川 惠子 藤田 節子
野中芙美子 鈴木 智子 髙柳とき子
6
谷野 重夫 加藤 新惠 川瀬 慶子
漆畑美知子
鈴木 浩子
山﨑 暁子
本樫 優子 松原美千代 守屋三千夫
金原はるゑ 岩城 悦子 名倉 栄梨
坂田 松枝
大平 悦子
藤田八重子
あ ひ る 飯尾八重子 飯田 裕子
池谷 和廣
池谷 靜子
石川
染
伊藤アツ子
伊藤サト江
伊藤しずゑ
井浪マリヱ 今駒 隆次 岩﨑 陽子
岩崎 芳子 岩﨑 良一 右﨑 容子
梅原 栄子 大石 澄夫 太田沙知子
太田しげり 太田 静子 大村千鶴子
大屋 智代 岡本 久榮 岡本美智子
岡本 蓉子 小楠惠津子 小楠 よし
刑部 末松 小野 一子 小野田みさ子
影山 ふみ 加藤 和子 金取ミチ子
加茂 隆司 川島 泰子 川瀬まさゑ
北村 友秀 切畠 正子 倉見 藤子
畔柳 晴康 斉藤 てる 斉藤三重子
佐久間優子 佐藤 政晴 佐原智洲子
柴田ミドリ 清水 孜郎 清水よ志江
下位 満雄 新村あや子 新村ふみ子
新村八千代 新村 幸 鈴木 章子
鈴木 惠子 鈴木 節子 平 幸子
髙橋 紘一 高橋 久子 髙林 佑治
髙山 紀惠
滝澤 幸一
竹内 定八
竹内オリエ
竹下 勝子
竹田たみ子
竹田 道廣 竹平 和枝 竹山すず子
田中ハツエ 田中 瑞穂 田中 安夫
辻村 榮市
土屋香代子
鶴見 佳子
手塚 みよ
寺田 久子
鴇多
健
徳田 五男 徳増 貴子 利徳 春花
戸田田鶴子 戸田 幸良 鳥井美代子
内藤 雅子 長浜フミ子 中村 節子
名倉 太郎
西尾 わさ
錦織 祥山
二槗 記久 野嶋 蔦子 野田 俊枝
の ぶ 恵 野又 惠子 袴田香代子
浜 美乃里
浜
藤本 幸子
名 湖 人 松本憲資郎 松本 賢蔵 松本みつ子
水川 放鮎 宮本 惠司 八木 裕子
八木 若代 山上アサ子 山口 久江
山下いさみ
山下
宏
山下 昌代
山下美惠子 山田 知明 山本晏規子
横井弥一郎 吉田 昭治 和久田しづ江
和久田りつ子
和久田俊文 渥美 進
伊熊 保子 石塚 茂雄 大木たけの
金子眞美子 加茂 桂一 河合 秀雄
川合 泰子 河村あさゑ 佐野 朋旦
小 百 合 正 太 郎 不 知 火
鈴木 信一 鈴木彦次郎 髙林よ志子
7
浜松市民文芸 60 集
髙山 功 天 竜 子 永井 真澄
中村
寿
中村 弘枝
名倉みつゑ
西尾 淳子 野末 法子 野末 初江
袴田 雅夫 花 信 栖 晴 詩
飛 天 女
藤田 淑子
松永 真一
松本
緑
み さ こ
宮地 政子
村松津也子 森 明子 山下 静子
山田 文好 山中 伸夫 九鬼あきゑ ・・・・・・
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自由律俳句
市民文芸賞
飯田 邦弘 河村かずみ 賀 代
入 選
伊藤 有美 木俣 史朗 鈴木 章子
石田 珠柳
伊藤千代子
金田眞代子
嘉山 春夫 竹田 道廣 戸田 幸良
中谷 則子 中村 淳子 宮司 もと
宮本 卓郎 飯田 邦弘 大庭 拓郎
賀 代 鈴木 好 周東 利信
竹内オリエ 土屋香代子 土屋 忠勝
戸田田鶴子 外山喜代子 内藤 雅子
中津川久子 橋本まさや 浜 名 湖 人
ヒメ巴勢里 藤本ち江子 水川 彰
263
飯田 裕子 岩城 悦子 太田 静子
河村かずみ
倉見 藤子
畔柳 晴康
白井 忠宏 鈴木あい子 髙鳥 謙三
竹中 敬 鶴 市 手塚 全代
寺澤
純
鴇多
健
長浜フミ子
錦織 祥山 袴田香代子 浜 美乃里
原川 泰弘 宮地 政子 山内久美子
渡辺 憲三
選
評
鶴田 育久 ・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
川 柳
市民文芸賞
山口 英男 馬渕よし子 竹山惠一郎
竹平 和枝
入 選
竹山惠一郎 田中 恵子 馬渕よし子
山口 英男 浅井 常義 伊熊 靖子
内山 敏子 加藤 典男 鈴木 覚
鈴木千代見 鈴木 均 髙橋 紘一
為永 義郎 鶴見芙佐子 中村 雅俊
宮澤 秀子 村松津也子 石田 珠柳
太田 静子 木村 民江 倉見 藤子
畔柳 晴康 斉藤三重子 柴田 修
鈴木すみ子 髙橋 博 髙柳 龍夫
272
8
・・・・・・・・・・・・・
竹川美智子 竹平 和枝 辻村 榮市
戸田田鶴子
戸田 幸良
中田 俊次
中村 禎次 名倉 太郎 沼田 壽美
船木 正子 馬渕 征矟 宮地 政子
守屋三千夫
渥美
進
有本 千明
飯田 裕子 伊熊 保子 岩城 悦子
大庭 拓郎
岡本 蓉子
小野
和
加藤貴代美
金取ミチ子
北村 友秀
久保 静子 小島 保行 柴田 良治
白井 忠宏 髙山 功 髙山 紀惠
竹内オリエ 土屋香代子 手塚 美誉
寺田 久子 戸塚 忠道 内藤 雅子
永井 真澄 仲川 昌一 中津川久子
中村 弘枝 野末 法子 橋本まさや
浜 美乃里 平野 旭 堀内まさ江
松永 真一 み さ こ 水川 彰
夢 耺 山下 宏
今田 久帆 ・・・・・・
選 評 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
集作品募集要項
283
「浜松市民文芸」第
作品掲載については、清書原稿のままを原則としました。
作品点数
二九九
一、〇九六
五六一
自由律俳句
短 歌
定型俳句
二、
四八三
四二八
五
川 柳
計
四
三四
三八
一八
作品点数
集の作品応募状況
詩
部 門
掲載順については、市民文芸賞受賞作品は選考順、入選作
品は選考順または五十音順としました。
第
小 説
児童文学
部 門
60
評
論
随 筆
9
284
61
小 説
[市民文芸賞]
三 原 遙 子
いに赤鬼と一緒に酒盛りを始めたのだった。
しかし、鬼が酔いつぶれて眠ってしまうと、後家さんは鬼
の着物を剥ぎ取り、手拭いも頭巾もはずして、赤い身体を剥
次にとがった顎から目の下までを手拭いで包み、別の手拭い
角帯できりりと締めると、なかなか格好のよい男性である。
は、背が高くて、黒い着物の前を合わせ、腹の中ほどを紫の
た と こ ろ だ っ た。 赤 い タ イ ツ を 着 て 赤 鬼 の 面 を つ け た 演 者
り者で強い女性と思わせる。
かしい。女らしくなよなよと演じてみせるが、本当はしっか
いて、帯のおたいこを前に結んだ着物姿は、まことになまめ
るのかもしれない。顔につけた若い女の面は美形に作られて
後 家 さ ん を 演 ず る の も 男 性 だ と 思 わ れ る。 赤 鬼 よ り も 体 格
がよいが、綿入れの着物などを着て、ふくぶくしく見せてい
き出しにしてしまう。相手の正体を見破ったのである。
で鉢巻を巻くようにして額も隠し、頭巾をかぶる。こうして
目を覚ました赤鬼は、後家さんに豆で打たれると、すかさ
ず転がるように尻餅をつき、赤い両脚を空中に泳がせてみせ
のである。
女人用の着物がうずたかく積まれ、それを一枚一枚広げて
自身の身体に羽織って見ては、満足げだった後家さんは、つ
鬼が、どうにかこうにか立ち上がって、再びよろよろと後
る。軽い身のこなしだ。
赤い肌をすっかり隠してから、赤鬼は後家さんに言い寄った
午後一時から始まったのだが、少し遅れて狂言堂に入って
みると、舞台では赤鬼が赤い身体に黒の着物をさっとまとっ
だけを一日八回繰り返し上演してきたそうである。
平 成 二 十 六 年 二 月 二 日、 京 都 壬 生 寺 の 壬 生 狂 言 を 拝 観 し
た。古くから毎年節分の前日と当日には、「節分」という曲
節 分
浜松市民文芸 60 集
10
投げつけられた。鬼打ち豆は舞台じゅうに飛び散ったのであ
家さんに摑みかかろうとすると、またまた顔に豆をぱしっと
朱実さんはわたしの二度目の母、わたしは十歳で小学校の
五年生だった。昭和二十年代の終わりごろのことである。
右腕をなでさすったが、泣き止まなかった。
る。
ところが、後家さんはすぐに向きを変え、赤鬼めがけては
っしと豆を投げつけるのである。鬼は、転がり、立ち上がり、
る。何しろ今日は節分の前日なのだから。
る。 観 客 は 自 分 た ち の 方 に 豆 が 飛 ん で く る か と 一 瞬 覚 悟 す
舞台上の後家さんには余裕があって、まず升の中の豆を右
手 で ざ っ く り 摑 ん で、 客 席 に 向 か っ て 高 く 差 し 上 げ て 見 せ
らであろう。観客は、たえず声を立てて笑っている。
れまでに二度行ったことがあった。だからそのとき、わたし
に乗って五時間ぐらいかかったが、父と朱実さんと一緒にそ
京 都 に は お ば あ ち ゃ ん が い る。 朱 実 さ ん の 実 家 が あ る の
だ。わたしたちが住んでいた遠州地方の市から、当時は汽車
と言った。
「今から、京都に行きましょう」
たしの手を強く摑んで、
その日は土曜日だったからお昼で学校の授業は終わった。
掃除当番を済ませて、ああ、お腹がすいた、と思いながら家
登場人物の所作が大げさで可笑しいのは、この狂言が台詞
を一切用いず、身振り手振りで演じられるパントマイムだか
また豆で打たれる、という一連の所作を繰り返しながら、最
に帰ると、待っていたように朱実さんが駆け寄ってきた。わ
後にはへとへとになったという様子で揚幕の奥に逃げ込ん
は特に変だとも思わなかったのだが、朱実さんは子どものわ
殆どわからなくて、さっぱり覚えていなかった。ただ、六十
実さんはこの狂言を見ながら、始めから終わ
あのとき、朱
りまで泣いていた。子どもだったわたしには、狂言の中身は
てね」
ょう。お腹がすいてるでしょうけど、ちょっとの間、我慢し
「おにぎりを作ったから、持って行って汽車の中で食べまし
たしに有無を言わせないような思い詰めた表情をしていた、
年ぶりに観て、舞台で赤鬼が豆で打たれ逃げまどっている姿
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
継娘を連れて、夫の家から飛び出したのだとは、二日後に
た。
と後では思い当たる。
は、あのときも同じだったような気がする。
あけみ
だ。
詩
黒っぽいオーバーを着て、左手にスーツケースを下げた朱
実さんは、右腕でわたしを抱え込むようにして足早に家を出
朱実さんの頬を、涙がひっきりなしに伝わって流れ落ち、
嗚咽の声が漏れた。その度に彼女はつかんでいた手拭いを口
児童文学
にあて、両手でそれをきつく押さえた。わたしは朱実さんの
小 説
11
浜松市民文芸 60 集
呼ばれる外海である。
けば、田畑が続くようになり、更に三十分ほど進めば、灘と
食店、銀行などが並んで賑やかなのに対して、南側は少し歩
わたしたちの家から東海道線の駅までは、普通に歩いて十
分ほどの距離だった。駅の南側の地域だ。北側が、商店や飲
て、わたしは夢中で食べた。
べるあいまに何回か朱実さんの手から湯飲みを受け取って、
はよく覚えている。だがわたしは、塩のきいたおにぎりを食
ら置く場所がないのだ。どうしよう、悪いな、と思ったこと
朱実さんは、魔法瓶に詰めて持ってきたほうじ茶を、小さ
な湯飲み茶碗に注いで自分の手で持っている。汽車の中だか
「お茶も、どうぞ」
朱実さんはわたしの手をぎゅっと摑んで、半ば駆け足で近
道になる農道を急いだ。自分の衣類を入れたリュックサック
「梅干のも、よかったら食べてみて」
わかったことだった。
のふたが、わたしの背中でぱたぱた音を立てた。二人とも息
日ごろから言っていた。わたしは手渡された小盆に懐紙を敷
食卓で大皿に料理が出されたとき、自分が何をどれぐらい
食べていいのか、考えてから小皿に取りなさい、朱実さんは
った小さなおかず入れと塩の小瓶もあった。
等だと思った。ゆで卵と蜜柑が二つずつ、他に沢庵漬けの入
どれも焼き海苔ですき間なく包んであって、いつものより上
と朱実さんは言って、自分の膝の上で小風呂敷の結びを解
いた。
おにぎりは塩鮭入りのが二つ、梅干入りのが二つある。
「遅くなったけどお昼にしようね。
二人で分けて食べるのよ」
乗り込んだ列車はわりにすいていて、二人並んだ席がとれ
た。
梅干の種子もなめた。
ら、朱実さんはようやく半分のおにぎりを自分の口に入れ、
し に 持 た せ た。 わ た し の 昼 ご は ん の 世 話 を 大 方 す ま せ て か
朱実さんは、持ってきたおしぼりで自分の指先を丁寧に拭
いてから、おにぎりを半分に割った。それから指先で梅干の
ら教わったことである。
腹と相談しながら」食べるということも、この二度目の母か
前に一緒に作ったことがある。だから、二つ食べられそうに
る。ほぐした鮭も一切れの半分ぐらいを入れる。わたしも以
温かいお茶をすすった。握り飯も他のものもとても美味しく
を切らせたが、汽車の時間にはどうにか間に合った。
と朱実さんが言うので、半分でいい、と答えた。朱実さん
は 茶 碗 山 盛 り 一 杯 分 の ご 飯 を つ か っ て、 お に ぎ り 一 個 を 作
き、それに鮭のおにぎりを一つ、沢庵を二切れ、ゆで卵と蜜
わたしは湯飲みを手に持ったまま、朱実さんの指先を見詰
めていた。朱実さんは、わたしの生みの母よりも身体が大き
種子をしぼり出し、果肉だけを半分の握り飯に乗せて、わた
思っても、量としては多い、とわかるのだった。こういう「お
柑を一つずつ取って膝に置いた。これが自分の分だと考える
と安心して食べられる。
12
二十九歳のとき、親戚の人が中に立って、二歳年下の父の後
実際、朱実さんは父のところに来る前は、小学校の先生を
し て い た の だ と い う。 音 楽 の 授 業 も し た か も 知 れ な い。
台所仕事をするよりもピアノでも弾いている方が似合って
いる指だ、といつも思っていた。
れいだ。
が柔らかく動き、丸みをつけて切り整えられた爪が桜色でき
く洗っているときなど、その指に見とれていた。細く長い指
台所でさやえんどうのすじを取っているときや、じゃがい
もの皮を剥いて薄黄色の芋を手の中で転がしながら、水で軽
きにくい感じはあったが、指もきれいな人だった。
笑っていないときにはややきつく見えた。そのために取り付
く、
太っていた。目鼻立ちの整ったきれいな顔の人だったが、
十九歳だった。昭和十八年のことである。
が る 湖 の 北 側 の、 蜜 柑 農 家 か ら 父 が 婿 入 り し た。 二 人 と も
祖母の代までは、当主も農作業をしたが多くは小作に耕さ
せ、家作も十軒ほど持つ地主の家だった。祖母は一人娘で婿
写真を見るような気持ちで思い出す。
いて、その上の母の顔が小さく見えたのを、わたしは一枚の
た。母が寝ているとき、その髪が枕の上に末広がりになって
の 髪 を い と し そ う に 撫 で な が ら、 目 の 粗 い 櫛 で 梳 か し て い
わたしの記憶に残っている母は、白い顔をして、ふさふさ
とした量の多い黒髪を日本人形のように肩まで下げていた。
がつきまとって、苦しいときが今でもある。
は夜中によく泣いて母を困らせた、毎夜母は泣く子を背負っ
れないが覚えてはいない。わたしは生まれて一年ぐらいまで
実母は、胸を病んでいつも床についていた。一緒に遊んで
もらったことも何かを教えてもらったことも、あったかも知
わたしは、生みの母が亡くなったとき四歳、朱実さんがき
たときは七歳だった。
しかったのだろう、とわたしは思っている。
と見込んでのことだったという。祖母はどうしても息子がほ
務員として働いている方が、兵役も後回しにされるだろう、
十分に考えられたが、農業だけにたずさわっているより、公
だと祖母が言った。
を取り、わたしの母が生まれた。母も一人っ子で、近くに広
お前の身体は病気なのに、髪は元気なのだねえ、と祖母は娘
妻となり我が家にきた。
戦況が思わしくなく、若い女性も独身ならば徴用され、き
びしい労働をさせられるという心配があり、結婚を急いだの
て 家 の 前 の 道 を 行 っ た り 来 た り し な が ら、 寝 か し つ け て い
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
娘婿を一年間簿記の学校に通わせ、市役所に勤められるよ
うに奔走したのも祖母だった。婿が兵役に召集されることも
た、
と祖母が言ったことがある。責められたわけではないが、
詩
こうして、幼げな二人が新婚生活をはじめたのだったが、
夫 婦 は 気 が 合 っ て 楽 し そ う だ っ た。 家 の 中 に 華 や ぎ が 生 ま
児童文学
自分のために母は病気になったのかも知れない、という思い
小 説
13
浜松市民文芸 60 集
れ、祖母はうまくいった、と胸を撫で下ろした。わたしが生
すぐに運ばれてきた天ぷら蕎麦は、程よい温かさの汁がよ
い味で、とろけた天ぷらの衣が汁と一緒に喉を通っていくの
娘を亡くしてすっかり気を落としてしまった祖母は、美和
を頼みますよ、優しくしてやってね、と朱実さんにわたしの
祖母が選んだ父の後添えだった。
ことなど、細かく気配りをして、よく働いた。朱実さんは、
の祖母に相談して、台所のこと、掃除のこと、家族の衣服の
朱実さんは、当然のことだが外見だけでなく中身も生みの
母とは違った人だった。しっかりもので、姑に当たるわたし
かった。
人にも、よく喋り、よく笑った。このときは泣いてなどいな
もう、十時を過ぎていたが、朱実さんは何も注意はしない
で、笑みを浮かべてわたしの相手をした。わたしにも旅館の
みたりして、はしゃいだ。
たのだが、わたしは朱実さんの腋の下をちょいとくすぐって
ゆっくりと湯に浸かった。洗い場では互いの背中を流しあっ
朱実さんと一緒に風呂に入った。家族風呂より少し大きめ
の風呂だったが、他に入ってくる人もなくて、わたしたちは
を、本当に美味しい、とわたしは思った。
ことを繰り返し頼んでいた。だからわたしは、朱実さんと仲
まれたのは、翌十九年の暮れだった。
良くするのがよいことなのだと思って、自然に懐くようにな
朱実さんがわたしを連れて実家に帰ることを、父はもちろ
ん承知しているはずだと思っていた。それに明日は日曜日だ
門前から境内にかけてすきまなく露店が並んでいた。その
中に、「ほうらく」を高く積み上げて売っている店が何軒も
かせてゆっくり進んだ。
わたしたちは、はぐれないように手をつないで人の流れにま
翌日はゆっくりと朝食をとってから、駅前からバスに乗っ
て壬生寺に行った。お昼少し前だったが大変な人出だった。
少々の気がかりは、父よりも学校の方だった。
ば、大丈夫、月曜日には学校に行ける。このときのわたしの
か ら 学 校 に 行 か な く て も い い。 明 日 の 夜 遅 く で も 家 に 帰 れ
ったのだと思う。
脳卒中で逝った。
祖母は朱実さんが来てから二年ほどして、
京都には夜八時過ぎに着いた。朱実さんは迷うことなく駅
前の旅館に入った。
「おばあちゃんの家には、明日行きます。今日はもう遅いか
ら、ここに泊まりましょうね」
朱実さんの友だちが若女将をやっている旅館だということ
で、連絡もしてあったらしく、愛想よく迎えられた。
調理の人がもう帰りましたので、今夜はお蕎麦で温まって
くださいませ、と宿の人が言って、近くの蕎麦屋に出前を頼
んでくれた。
14
あった。わたしの家では「ほうろく」といっていたものと同
よろけるような格好で、おばあちゃんが飛び出してきた。
その後ろに身体の大きなおじさんも立っていた。
れた。
「何で、わたしの名前だけ書いたの」
も開けるのよ、と朱実さんが言った。
おばあちゃんが涙声で言った。朱実さんも今度はわあわあ
と声をあげて泣いた。
「心配しましたよ。よう無事で」
急き立てられて朱実さんとわたしは、土間から踏み石を踏
んで上がり、玄関脇の座敷に通った。
「まあ、まあ、二人とも、早うお入り」
じで、素焼きの平たい土鍋である。
朱実さんは露店の並びの一番奥まったところで、ほうらく
を一枚買った。それに、村瀬美和、十歳、女、と書いて店の
と訊くと、朱実さんはちょっと考えてから、
「あなたは、これからの人だからよ。厄除けも開運も大事な
人に渡した。ほうらくをお寺に奉納すると、厄除けができ運
のよ」
ら、 何 処 に も 行 か せ ず 自 分 が 迎 え に 行 く ま で 待 た せ て ほ し
しの手を取って、
手紙を書き置いて出てきたようだ。
どうやら父と朱実さんの間柄は、わたしの知らないところ
でとても深刻な状態になっていたらしい。朱実さんは父宛に
い、と頼んでいたという。
「さあ、おばあちゃんのお家に行きましょうね」
た末に、どういうことになるのかと心配した、とにかく跡取
父は、妻が結婚生活に希望をなくし、わたしを連れて家を
出たのだ、と考えた。そうだとすれば、自分自身を追いつめ
壬生寺から北に細い道を歩いて行くと、大通りに出た。朱
実さんは、荷物を宿に預けたと言い、小さな袋だけを提げて
りの娘を取り返さなければならない、それに、今まで作って
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
「何でこの子を連れて出る気になったのだ。子どもを道連れ
きた家庭というものを壊してはいけないのだ、と思うと、こ
いたが、わたしの手を引きながらときどきつまずいた。
と少しきまり悪そうに小さな声で言った。
狂言を観ていたとき泣きつづけた顔に、パフを使って白粉
をはたき、朱実さんはちょっと笑顔を作った。それからわた
いつもの笑顔になって答えた。
すぐに電報が打たれ、その日の夜遅く父が来た。父は朱実
さ ん の 実 家 に 昨 夜 電 報 を 打 ち、 二 人 が そ ち ら に 顔 を 見 せ た
詩
こに来るまで気が急いてならなかった、と言った。
随 筆
横断歩道を、足を踏みしめながら渡った。すぐに実家の前
に出た。
評 論
にして、苦労をさせてもいいのか」
児童文学
朱実さんは少しためらっている様子だった。しかし玄関前
に立つと、まだ案内を乞わないうちに中から格子戸が開けら
小 説
15
浜松市民文芸 60 集
父は、まだ息を切らせているような口調で朱実さんに訊い
た。怒りを抑えきれないというような強い口調だった。
くさん見せてくれた。
「お店が出せるほどあるやろ。美和ちゃん、好きなんを二つ
いと思ったのだけれど、汽車が出るまでにあまり時間がなか
と話した。
おばさんは仕立てが上手いので、仕事をよく頼まれる、大
きな余り布はお客に渡すが、小さい切れは貰っておくのだ、
取りなはれ」
ったので、
乗ってから食べさせようと思って、
連れて出ました」
わたしは、三つに折りたたんだ花柄の財布と黄緑色で巾着
のように仕立てた小銭入れをもらった。
朱実さんは、
「早く、美和ちゃんにお昼ごはんを食べさせなければならな
と、こちらは力のない低い声で眩くように言った。
二階の南側の部屋に布団を敷くのを、わたしも手伝った。
布団は三組用意してくれた。
日頃は泣顔などまったく見せたことがなかった朱実さん
が、その日は何かにつけ泣きつづけていたから、疲れてしま
ったのだろう、とわたしは思った。
「美和ちゃんは、五年生としては大きな方やろか。中ぐらい
「小さい方です」
敷き布団を押入れの上段から下ろして、息をつきながらお
ばさんが訊いた。
やろか」
「まあ、まあ、そんなに責め立てはらんでも」
おじさんが父に向かって言った。
「この人は、美和ちゃんをとても大事に思うとりますよ」
おばあちゃんも言葉を添えた。ここは朱実さんの実家なの
だ。
おばさんが言うと、父が、
「どうぞ、よろしく」
ネ ル の 寝 間 着 は 温 か く、 客 用 の 布 団 は ふ わ ふ わ で 心 地 よ
く、節分の夜の冷えも感じることなくわたしはすぐに寝入っ
おばさんはそう言って、わたしがカバーをかけた枕をぽん
ぽんと叩いた。
「小そうても、丈夫ならええわ。そのうち背が伸びる時期が
わたしはうつむいて言った。背の順に並ぶときは、前から
二番目である。
と、頭を下げた。
おばさんは朱実さんの兄嫁だ。朱実さんと年のころも同じ
で、体つきも似ている。
た。
「この辺りで、美和ちゃんはわたしが預かりましょか」
一階の奥の部屋で炬燵に入り、甘酒をご馳走になった。温
かい飲み物は私の気持ちを楽にさせてくれた。それからおば
来るわ」
さんは、着物を仕立てるときに出る端切れで作った財布をた
16
目を覚ましたときは月曜日の七時ごろで、父も朱実さんも
着替えを済ませていた。一瞬どきりとして飛び起きたわたし
に、父は、
「八時過ぎたら、近くの店で電話を借りて学校に連絡するか
ら、心配いらないよ。親戚で急病人が出たから、京都に来て
いる、ということにする。今日中に帰るから、明日は学校に
行きなさい。病人の症状は安定しました、と先生に話すのだ
言ったので、今度はわたしが、
「うん」
と答えた。
帰りの汽車では、わたしが窓側の席で父がその隣、朱実さ
んはわたしと向き合う形で掛け、三人そろって帰って来た。
父が、
「死んだお母さんはねえ」
は思ったが、父の言葉は昨夜と違って、静かで優しかったの
と父は説明した。同じことを、父は自分の勤め先の市役所
にも連絡するのだ、という。それでは嘘をつくことになると
「節分の夜はねえ、うちでも豆撒きをしたんだよ」
物語を作り上げていたようだ。
実像をほとんど思い出せない。父の話から母の姿を想像して
とわたしに話しかけてきたことは何度もあった。父は亡く
なった人を懐かしんで話していたのだが、わたし自身は母の
で、わたしは安心した。何だか急にうれしくなって、父の傍
と父は言った。
よ」
まで行き、父の腕を摑んで、
朱実さんは京都から戻ってからも、前と同じようによく働
いた。京都で両親が話し合ったことは、独り相撲をとらない
こと、互いに優しい気持ちで暮らすこと、
などだったという。
わたしには「独り相撲」の意味がわからなかったが、特に訊
き返すこともしなかった。
別れることはやめたが、両親の間にはわだかまりが残って
いたのかも知れない。おそらく父は何か気まずい思いをして
定型俳句
自由律俳句
川 柳
いたときに、以前の節分のことを思い出したのだろう。中学
短 歌
生になっていたわたしは、ときどき父の顔を眺めては、お父
朱 実 さ ん は 黙 っ て 微 笑 ん で い た。 父 と 朱 実 さ ん は 別 れ ず
に、また一緒に暮らすことにしたらしい。
と答えた。
と揺さぶったら、父は、
「うん」
「ねえ、早く帰ろうよ。ねえ」
詩
おばあちゃんの家を出るときに、見送ってくれる実家の人
たちの前で父は、
随 筆
「お前が、それでいいと言うのなら、また三人で暮らそう」
評 論
さんは死んだお母さんが好きだったから、寂しくなることも
児童文学
とわたしの両手を摑み、わたしの心の中を確かめるように
小 説
17
浜松市民文芸 60 集
父は、大切な思い出なのだというように言葉を区切り区切
りしながら、ゆっくりと話した。
げつけた。
「鬼は外、福は内」と大声で唱えながら、部屋ごとに豆を投
多いのだ、などと考えていた。
「前の日から神棚に供えておいた豆を下げて、ほうろくで煎
一家の主である父は、家中の戸を開け放って、どたどたと
床を踏み鳴らして歩き回った。
るんだ。これは、お父さんの仕事だったよ。それからみんな
その後から、おばあちゃんとねえやが「福は内」、「福は内」
と呼ばわりながら、急いで戸を閉めて回った。
で自分の年の数だけ数えてねえ、セロハン紙に包むんだよ。
で、祖母の発案で豆だけは各自の分をまとめておき、他の菓
安静にしている必要があった母が、床に這うようにして豆
や 蜜 柑 な ど を か き 集 め る の は 止 め た 方 が い い、 と い う こ と
リボンで結わえて、名札を貼り付けて、出来上がりだ」
七人が、それぞれの前に置かれたお盆を見つめた。
祖母、母、三歳ぐらいのわたし、それに親戚の家の女の子
二人、家事を手伝うねえや、看護婦さん、という女性ばかり
福の神が菓子を召し上がっているはずの客間に、みんなが
集まって大きな座卓を囲んだ。
おひねりのように口をひねって、ゴムで止めた。その上から
子類といっしょに父が配るということに決めたのだという。
やがて、父が背筋をしゃんと伸ばして、のっしのっしと座
敷に入ってくる。この日は、よそゆきの着物に袴を穿いた。
これから春がくる、みんな元気になるよう自分が先頭に立っ
チョコレート、蜜柑も順に配る。蜜柑は、毎年長兄の家から
日暮れ方だがまだ暮れきらないころから、豆まきの準備は
始まった。まず三つの盆に用意した菓子をいろいろ混ぜて盛
木箱で届いた。三男である父にとって、長兄は親代わりだっ
てがんばろう、
と思うと父は緊張で顔がほてってきたそうだ。
福の神を入り口で誘ってから、奥の部屋へと導くのだそう
である。おもてなしをして、長く居続けていただくつもりな
り、一つは玄関の下駄箱の上、もう一つは縁側の真ん中に、
のだ。
たという。
、「福は内」と厳かな声色を作って、まず豆の包
「福は内」
みを配る。名札を確かめ、間違いないように配る。ゼリー、
「そうこうしているうちに、すっかり暗くなってしまった。
一番大きな盆は客間の床の間に置いた。
節分のころはまだ冬だ。日の暮れるのが早いんだよねえ」
と父は笑顔で言った。
目だったんだよ」
「何度、
『福は内』を言ったか。みんな、早く早く、とせか
すんだけど、知らん顔でゆっくりと配るのが、お父さんの役
父は、暗闇の奥に無数の鬼が動き出す気配を感じた。鬼は
何としても追い出さねばならぬ。妻に取り付いた病魔も必ず
追い出さねばならぬ。若かった父は武者震いをしたそうだ。
18
母は背もたれのある座椅子にだるそうにもたれていたが、
寝間着ではなく普段の着物に着替えて、髪は両耳の上でゆる
く ま と め て 結 わ え、 赤 い 小 さ な 造 花 を 飾 り と し て 付 け て い
あいまいな形だったが、わたしも家出をしたことがある。
東京の大学に進学させてもらった。卒業後も東京で教員に
なり、
学生時代と合わせて十二年間一人で暮らしたのである。
朱実さんはいつも一生懸命な人だった。わたしには、よい
母親だったはずだ。でも彼女は、結婚とはこんなものではな
た。何だか古代の人の装いのようだと父は思ったそうだ。
「鬼は追い払ったから、この家にもう鬼はいないのよ。だか
い、もっと、もっと夫に愛されたい、夫も妻も同じ心で一生
人の心など自分の思いどおりになりはしない、愛されない
苦しみなどを味わうのは嫌なことだ、わたしは相変わらず背
懸命に愛しあいたい、と願っていたようだ。それは見ていて
ら『福は内』だけでいいのよ」
つらいことだった。
はしみじみと言った。
は低い方で目立たなかったし、顔だってよくない、気弱な性
格のわたしは、結婚なんてしない方が無難だ、長くできる仕
「鬼がいないのなら、ここは極楽なのね」
事を持って一人で暮らそう、と考えた。
わたしは家出を決行したつもりだったが、高校三年のとき
の担任が薦めてくれた大学を父が気に入り、
と周囲に吹聴した。
「娘を東京に遊学させるよ」
せ合い、息さえも合わせるようにして生きてきた。父が婿入
「学費の半分は、私が出します」
そのころは、産休代替の教員として重宝がられ、仕事の切
れ目もなかった朱実さんは、
「福は内」、「福は内」と唱えると、高くてよく通る
父が、
声だ、とみんなに言われたそうだ。そう言われてみると確か
りしてくると、今度は三人で息を合わせて生きたのだった。
祖母と母とは、互いにいたわりあって生きてきた。祖父が
早くに亡くなって、遺されたものの中で、二人は身も心も寄
だという気持ちのたかぶりであった。
母が無邪気な笑顔で言ったとき、父はふと気が遠くなるよ
うな快感を覚えたと言う。この人を自分は守りきっているの
だ、おかあさんはほんとうに心の広い温かな人だった、と父
祖母が言った。鬼のイメージを嫌い、怖いことなど何もな
い、安心して養生すればいいのだよ、という意味だったよう
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
見られていると思えば、喧嘩をしたくても我慢するだろう、
と張り切って言ってくれた。
随 筆
に、
その声はわたしの耳の底にも残っているような気がする。
評 論
家の中はうまくいっているようにみえた。両親はかなり努
力をして、家を守っていたはずだ。身内の人たちに囲まれて
児童文学
母は美花といった。わたしは一字をもらって、美和と名付
けられたという。
小 説
19
浜松市民文芸 60 集
むと都合のよい人たちを誘って、家作の何軒かに住んでもら
が、とても穏やかな死顔だった、と思う。
父は、その後の十年ほどを心臓の持病を抱えながらも機嫌
よ く 暮 ら し た。 定 年 退 職 し て 間 も 置 か ず に 亡 く な っ た の だ
みんなを呼ぼう、父が提案して朱実さんも賛成した。市に住
った。その親戚の人たち︱︱、父の次兄の息子夫婦、朱実さ
同僚の男性教師は言った。実らないことがわかっている片思
ら、そうなるんだ、別にあんたが悪いわけじゃあないよ、と
と呼び、授業中も騒いで話を聞かなかった。あんたが女だか
大学で日本文学を専攻したわたしは、卒業後、都立の定時
制高校に国語教諭として勤めた。生徒たちはわたしを「チビ」
した歩みで波打ち際までようやく辿り着くのだった。
砂丘の入り口に着くと、ゴムのサンダルに履き替えて、砂
を踏みしめ丘を登る。足を半ば砂に埋めながら、よたよたと
見に行くのである。
わたしが勤めていたころは、日曜日ごとに朱実さんと灘ま
で行った。晴れた日には夕刻になるのを待って陽が沈むのを
んの末の妹などにも入学祝いをもらって、
わたしは家を出た。
いもした。八方に出口が見つからなかったわたしは、やたら
海原に向かい、両腕を広げて深呼吸をするのは気持ちがよ
かった。そんなとき朱実さんは、ひどくはしゃいだ口調で言
「わたしたち、仲がいいわねえ」
った。
に人恋しくて苦しかった。
そんなときに朱実さんから手紙がきた。
お父さんは心臓の具合がお悪いのです。こちらに戻って、
また三人で暮らしませんか。あなたのこちらでの仕事も心当
最初から担任もした。女生徒たちは授業中も静かで、わたし
父と朱実さん、両方の人脈で、わたしは私立の女子校に採
用された。中等部と高等部があり、わたしは高等部の専任で
無理をすることはないさ、気を楽にして暮らせばいい、そ
う言って父はわたしを迎えてくれた。
わたしは朱実さんにすべてを任せて、三十歳で実家に戻っ
た。
父さんの心に受け入れてもらえなかった︱︱。でも、代わり
て生きていかなければならないのに、わたしはどうしてもお
「どうしたらいいのか、わからない。人は誰かと深く関わっ
毎日夕方になると気持ちが沈んで、泣きつづけるようにな
った。
ところが、わたしが六十歳で退職すると、それを待ってい
たように朱実さんの衰えが目立ってきた。
だが。
たりがありますから。
の話をよく聞いてくれたので、これで生きて行けるかもしれ
わたしは気恥ずかしくて、返事をしなかった。とくに努力
をしなくても気持ちよく一緒にいられることは確かだったの
ないと思った。
20
にあなたとはつながることができたと思うの。そう思っても
いいかしら」
普通では見えないものが、朱実さんの目には見えることも
あった。
陽が沈みきって、大きなきらめきを見せていた海原にも闇
の気配が濃くなるころ、わたしたちは名残を惜しんで砂丘の
胸をしぼるようにして言葉を吐き出す朱実さんの口調に
は、すがるような気持ちがあふれていて、わたしも一緒によ
ろけそうになる。
出口へと向かった。天気のよい日の日没時には、数十人の人
が浜辺に集まる。
の出入り口としている。みんながよく利用するのはバス停に
防風や砂防のための松林は、浜辺と平行するように果てし
なく続くのだが、そのところどころに切れ目を作って砂浜へ
わたしの生みの母や祖母、その前のご先祖の人たちが、長
く住んできたこの遠州の地を、朱実さんも気に入っていた。
わたしは、朱実さんの腕を取って出口に向かって歩き出し
たとき、ふと、松林の手前にハマユウが群生しているのに気
近い出入り口で、付近には、公園、海亀の資料館、サンドウ
ィッチなどが食べられる喫茶店などがある。
どめったに言わない、いい人たちよ。
が つ い た。 ハ マ ボ ウ フ ウ や ヒ ル ガ オ が 這 い 広 が っ て い る 中
に、ハマユウは一段高い姿で広がっている。数十株はあろう
オ モ ト の よ う に 重 な り 合 っ た 葉 の 中 か ら 花 芽 が 伸 び 出 し、
この花は、我が家の庭にも種子を播いて育てたのが三株あ
り、毎年夏には花をたくさんつけるので、よく知っている。
か。
黙って聞くより他に、何もできなかった。朱実さんは一生懸
い花を乱れ咲かせる。遠くからは、白く細い布ひもが絡まり
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
七、八十センチほどになると先っぽがふくらみほぐれて、白
命に生きてきたのだから、
もう何も気にしなくてもいいのだ。
あって球を作っているように見える。近寄れば芳香が漂って
父の後妻になったことは、朱実さんの心の中にいつまでも
悲しいこととして残っているようだ。わたしは、逆らわずに
朱実さんはそう言ってから、でも、結婚という形をとると、
また別なのだけれど、と必ず付け加える。
から、気を許して話ができる。皮肉やいやみ、叱責の言葉な
空っ風が吹いて多少荒っぽく雑な雰囲気もあるが、冬でも
雪は一度も降らない温暖な土地だ。人も大体において温かい
力を込めて相づちを打つのだが、朱実さんの悲しみにぴた
りと合った答えにはなっていなかった。
「大丈夫よ、何も心配いらない」
詩
わたしは人の妻にはならなかった。妻という立場に立つ気
がなくなったのは、父と朱実さんの関わりが悲しかったとい
随 筆
う理由だけではない。つらいことは他にもたくさんあった。
評 論
おり、まことに優しげな女人の趣である。花はヒガンバナに
児童文学
それらを解決する方法などありはしない。
小 説
21
浜松市民文芸 60 集
「あれは、仏様の花よ。花の向こうに、あちらに行った人た
朱実さんを促すと、砂の上で立ち止まって腰を伸ばしなが
ら、呟いた。
ましょう」
「あんなにたくさん、ハマユウが咲いてる。近くに行って見
ゃな人だった。病気だというから、可哀想な気がして、起こ
い。毛布がほんの少しだけ盛り上がっていて、身体がきゃし
当は誰かわからないのだけれど、あれは、美花さんに違いな
別の日の夜中には、そのベッドにわたしの生みの母の美花
さんが寝ていたようだ。向こう側に顔を向けていたから、本
かしら」
もいないのよ。ベッドの下もむろん探したわよ。どうしたの
わね、と話しかけながら電気をつけたら、お父さんは何処に
ちが、ざわざわしているでしょう。大勢がわたしを見て、何
似ている。
か言ってる。わたしが美人だと言ってるのよ、きっと。ふふ
さずに寝かせておいてあげた、と言う。わたし、優しいでし
いるように見えてきた。
なって目を凝らしているうちに、なるほど人がざわざわして
た闇が動いているようにも感じられる。朱実さんの気持ちに
てしまった。
んが亡くなると、みんな気を落としてしばらくはぼんやりし
って、彼女を笑わせようと一所懸命になった。だから朱実さ
こういう日々が四年ほど続いた。わたしの他に、近くの親
戚の人たちが交替で一緒に食事をし、朱実さんの話相手にな
ょう、と言いたげな顔で、朱実さんは少し笑った。
ふっ」
人々はまるで集合写真を撮ろうとしているように、何段に
も顔を並べて、いっせいにこちらを見ている。その中には京
朱実さんは暗がりに人がいる、と言うのである。ハマユウ
の群生した辺りと松林との間であろうか、薄くもやもやとし
都のおばあちゃんもいるらしい。
んが寝ていたのよ。あなたのお父さん。邪魔ですよ、と言っ
「昨夜ねえ、寝ようとしてベッドの毛布をはいだら、お父さ
で、仰ぎ見れば帯をのばしたような細長い空が見えるのだ。
間 に 一 間 ほ ど の 空 間 が あ る。 手 を 伸 ば し て も 届 か な い 距 離
ついたのだが、能舞台風にしつらえられた舞台と観客席との
わたしは『節分』を一時からの上演を途中から、二時から
のを全部観た。二回目は最前列で観ることができたので気が
られたので、狂言堂ともいうそうだ。
壬生狂言が演じられているのは、正式には大念仏堂という
建物である。以前は大念仏会のときに余興として狂言が演じ
急いでバス通りに戻った。
わたしは朱実さんを支えながら、
て、向こうに押しやったら、お父さんったら壁とベッドの隙
翌朝には、無邪気な顔に笑みを浮かべて、朱実さんは言う
のだった。
間に滑り込んでしまったの。そんな狭いところによく入れた
22
の建物のようだ。
吹きさらしで外気が冷たい。どうやら舞台と観客席とは別々
あの世もこの世もつまりは同じ場所で、亡くなった人もそ
の人を知っている人が生きている間は、時々姿を現すのでは
いか。
これはどういうわけだろう、と考えているうちに、不意に
ふわふわと湧き出した雲に乗って、舞台が上方に上っていく
に、生死を問わずみんな混ざり合って暮らしているのかも知
な い か と い う 気 が す る。 晩 年 の 朱 実 さ ん が そ う だ っ た よ う
れない。
しかし、仏の世界に鬼がいるのだろうか。人をだましたり
苦しめたりする鬼は、この世にいると考える方が自然だ。す
を里に預けて、自分はどこかに行くつもりだったのかも知れ
は、里帰りをすると決めていたわけでもなさそうだ。わたし
るつもりだったのかとも考えられるが、あのときの朱実さん
朱実さんが家出をして、なぜ『節分』という狂言を観よう
としたのか、今もわからない。実家に行くまでの時間を埋め
ると、鬼が豆で打たれて逃げていく舞台の方がこの世で、観
ない。
き上げの灰が漂っているのだ、と思っていたのだが、白いも
客は一時的にでも極楽のあの世に招かれて、この世の有様を
のは次第にふえて、よく見ればそれは風花だった。
見ているということになる。人の世には鬼もいるから、よく
考えてみれば、朱実さんは思いどおりにならないこの世で
苦しんできたはずだ。鬼ではないのに、自身が豆で打たれる
狂言を観ているときに、三途の川と思われる辺りに白いも
のがかすかに舞っていた。本堂前でお札を燃やしていたお焚
痛さを味わっていたのではないか。
音もなく舞う雪を見ているうちに、それまで感じなかった
寒さが、急に身体にまといつくようだった。マフラーを巻き
川 柳
(中区)
直して口元まで覆った。
自由律俳句
父は鬼のいない極楽にいたはずなのに、夢中になって守っ
た 先 妻 と そ の 母 親 を 失 っ て、 こ の 世 に 引 き 戻 さ れ て し ま っ
随 筆
定型俳句
た。亡くなった人たちが忘れられなかったに違いない。
評 論
短 歌
そのとき不意に、朱実さんが傍にいるような気がした。そ
れでわたしは、寒くはないですか、
と声に出して訊いてみた。
よく気をつけなさい、
と仏が教えてくださっているのだろう。
ああ、あちらがあの世、仏の世界で、こちらの観客席はこ
の世なのだ。あの世とこの世の境目にあるのは、三途の川だ。
ような錯覚を覚えた。
詩
それなら、わたしはどちらの世にいるのだろう。夫婦仲で
苦しむことなどは避けて、一人で気楽に暮らしているから、
極楽にいるともいえるが、もともと、そう単純に二分できる
ことでもなさそうだ。あの世があるとも思えない。今生きて
児童文学
いるこの世で、鬼が見える人と見えない人とがいるのではな
小 説
23
[市民文芸賞]
石 黒 實
き、朝礼では背の低い順に並び満男が頭に武がその後ろに並
時代と叫ばれ都会の子供達は中学を卒業すれば高校へと進学
如く走り出した時代であった。これからの日本は技術立国の
話はもう五十年も昔に遡る。東京オリンピックを成功のも
とに終え、世界経済の仲間入りを果たそうと日本が馬車馬の
生を辿ったのだろう?」と。
じく同級の友である大石武のことも「彼はあれからどんな人
村を離れて巣立っていた当時を思い出してしまう。そして同
保村が眺められる。此処に立つと満男はいつも中学を卒業し
有り難い話だで。地元の出身の社長さんなら安心だで。この
言葉であった。「こんな山奥の学校まで来てもらえるなんて
まる。何も知らぬ田舎者を外に引っ張り出すにはそれは甘い
ば、他よりも高利子で成人式を迎える頃には纏まった金も貯
来 る。 し か も 毎 月 の 給 料 か ら 会 社 の 積 み 立 て 金 制 度 を 使 え
みよう」と二人は親も交えて説明を受けた。話によれば近く
男と武の親を呼び出しその旨を伝えた。
「話だけでも聞いて
しては貰えないかと申し出、松下教師は普段から仲良しの満
名古屋市内に工場を営んでいる永田は同郷の森町の出身で
ある事から、この中学の就職担当教師に何とか二人程世話を
び、いつしか仲良しとなった。
するのが普通になりつつあった。一方、地方では満男や武の
際お世話になろう」と親達はすっかり話に乗ってしまい、二
まと
に高校も在るから進学したいのならそこの夜学に通う事も出
様に中卒で働きに出る者もまだ多くいた。二人は同クラスで
さかのぼ
し か も 石 田 と 大 石 で 席 番 も あ い う え お 順 で 一 番、 二 番 と 続
寧にお辞儀をした。墓は三丸山の中腹に有りそこからは大久
「父さん、僕の人生も色々あったよ。でも何とか通して来
たよ」満男は花を添え用意して来た香を焚くと父の墓前に丁
夜学の灯
浜松市民文芸 60 集
24
大きく、それは不良品となる。
していく作業である。鋼線の引っ張りが甘いと径が規定より
ルで巻き上げ曲げを付けて適量な長さでガシンガシンと切断
れて作業をする。メッキが施された鋼線を穴に通し、ハンド
男と武の作業場は工作機械やら鋼線の材料束を挟んで少し離
スレート壁の奥まった中に鋼線の巻き機と切断機がある。満
として主にスプリング部品や座金の製造を請け負っている。
ている。長栄企業もその一角にあり、ブラザー工業の下請け
名古屋市昭和区円上町。市電が走る大通りから一本内側に
入るとそこの区域は工場街であり中小の企業がひしめきあっ
次第です」そう述べて送り出した。
ば光る金の卵です。卒業される生徒さんに、幸多かれと祈る
は工業国日本を動かす車輪になられる訳です。どちらも磨け
生徒は将来の日本を背負う頭脳に、就職される生徒の皆さん
た。卒業式の壇上に立った守谷校長は、「高校に進学される
満男はこの工場で働きながら夜は定時制高校に通い、武は
金を貯め将来は自分で事業を興すのだと希望に胸を膨らませ
人一緒にこの工場に就職する事になった。
挨拶も元気よく仕事でも一生懸命に励んで、会社でも社会で
ていく生徒を教室に集め、
「同僚や先輩には好かれる様に、
職場に居る事の哀しさ、逃げる事も赦されない苦しさに頭に
に睨まれているのとそれは同じ恐怖にも似ている。その様な
二人は大人という人間がこれ程怖い存在であったと初めて
知った。岩穴に閉じ込められた小動物がとぐろを巻いた大蛇
ろした。武は引きつった顔でその場に立ちすくんでいる。
学校なんか休んだらええんやから」満男はホッと胸を撫で下
ぞ。五百個出来んかったら終われんで。エエか、出来なきゃ
て思ってノンビリやっとったらアカンぞ。帰り迄に五百個や
前はまあ合格やけどな、エエか、時間さえ過ぎれば良いなん
けると「次は自分か」と緊張した。竹中は満男の側に来ると
満男は心配して武に視線を送ったが竹中が満男の方に足を向
い。痛さのあまり武は頭を抱えその場にうずくまっていた。
躊 躇 い も な く 拳 骨 を 食 ら わ す。 そ れ も 生 半 可 な も の で は 無
って一人前の人間になるんだとの信念の基に若い従業員には
は兵長だったと今尚吹聴して止まない彼は、男は拳骨を食ら
大きくなるんや。こげーなもん不良品やあ」竹中工場長の怒
よぎるのは松下就職担当の言葉だ。卒業近くになって就職し
ゆる
受け箱の完成品を取り、一個一個をノギスで測り「おう、お
ためら
鳴り声と共に武の頭に思い切り拳が振り上げられた。陸軍で
令口調になり、しかも甘い顔どころか不具合な製品でも出し
工場長は仕事に就いた当初からこれと言って笑む顔を見せる
男ではなかったが、三ヶ月にもなれば彼の本性剥き出しの命
定型俳句
自由律俳句
川 柳
も是非必要とされる人間になって下さい」そんな言葉に胸を
短 歌
高鳴らせて来た満男と武である。此処に来てから三ヶ月も経
詩
たなら怒りを露わにする。「タワケー。何度言ったら解るん
随 筆
やあ、そんなんで張ってると思うとるんか。よく見ろや、材
評 論
たぬ内に、胸の高鳴りも大人社会に入って行く喜びもいつか
児童文学
料がたるんでるやないか、キッチリ引っ張らにゃ緩んで径が
小 説
25
浜松市民文芸 60 集
心細さと恐怖に置き換えられていった。
むなぐら
つか
かが
どうしてくれるんや」と胸座を掴み合うまでの事態に発展す
るのだ。満男や武は店の隅で身を屈めてサッサと食べ、逃げ
は武の辛い気持ちを察しそのまま外に出て太陽に身体をさら
見られたくないのか下を向いたまま顔を上げなかった。満男
の所に行き小声で言葉を掛けた。武は泣いている顔を満男に
き刺す痛みは胸の奥にまで浸み込む。そして五時の終業と同
命に廻し続けた。作業軍手は擦り切れ指の皮膚が裂ける。突
わせようと細い鋼線を目一杯に引き、巻き機のハンドルを懸
向かい、満男は満男で工場長に言われた五時の終業に間に合
午後からの作業もあおられ続け、一日八時間の労働は苦痛
の一言である。武はオドオドしながらも懸命に鋼線巻き機に
る様に店を出るのだ。
した。油に薄汚れた蛍光灯の下で目を凝らして鋼線ばかりを
時に出来た製品を出荷置き場に運び、急いで機械油の飛び散
十時に十分の休憩が入る。男達は大抵この時間に煙草を吸
い、手洗いを済まし肩や首をグキグキ動かして硬くなった身
見ていると、目はショボれて頭痛さえしてくる。見上げた空
った顔と手を洗い学生鞄を抱え、定時制高校へとペダルを漕
体をほぐす。「武、さっきの拳骨、痛かっただら」満男は武
に中学の級友の顔が浮かぶ。(他所の工場に就職して行った
ぐ。
昼飯は寮生は近くの大衆食堂「角屋」が行き付けである。満
ベルが鳴る。中学校の時に
十二時にはリリリリーと工場ふの
た
も取り付けられていた御椀の蓋のような鉄製の大きな奴だ。
限目の授業が始まってから四、五人は決まって遅れて入る。
入るとその後にドカドカと雪崩込んで生徒が入室する。一時
拶は夕方であっても「お早う」が習慣である。満男が教室に
れて季節は七月に入った。
「お早う!」
「ヨオー」教室での挨
かばん
友等はどうしているんだろう)みんな顔を輝かし希望の地に
男も武も昼飯と夕飯はこの店を利用する。周辺の工場から押
その生徒達は、電車の都合や仕事の都合で五時四十分の始業
そ
旅立って行ったのはわずか三ヶ月程前の事なのに。自分の心
昭和区円上町の広い通りには、街路樹が青々と夕風になび
き中央を二両編制の市電が走る。都会のそんな風景にも見慣
しかけて来る労働者で昼時の店は大賑いである。中小の工場
時刻には間に合わぬ。私立の夜学に通う生徒は、その大方が
よ
が揺れるのを抑えながら午前の仕事に向かった。
に働く者は大抵は何処もプレス加工か旋盤加工、フライス盤
町工場や個人事業主の下で働いている生徒なのだ。
なだれ
加工といった油塗れになる機械工だ。手も顔も油をろくすっ
まみ
ぽ落とさないままに来る者もいるので、触った湯飲み茶碗や
窓から差し込む陽がオレンジ色に変わると教室は蛍光灯が
燈る。都会の夕陽は大きく真っ赤だ。ふっと心は故郷になび
こぼ
ソースや醤油の容器は指跡で真っ黒になっている。混み合う
く。大久保村の陽は夕方五時を廻れば青い空を残したまま三
ひ
が飛び交う。ついには「タワケ野郎。ひっくり返ったがや、
中で肘が当たり味噌汁が零れた、皿がひっくり返ったと怒号
26
卓袱台を囲み夕食を済ましているだろうな。もうあの時には
に 混 じ っ て 田 舎 に い た 頃 が 思 い 出 さ れ る。「 も う 家 で は
と鳴った。街のネオンが華やかに光りを放つ。その鮮やかさ
水をガブガブと飲む。教室に戻る廊下で満男の腹がチャポン
洗う。そのまま蛇口に口をくっつけ昼の照り返し熱で温んだ
て教室の後方からそうーと抜け、廊下の横の手洗い場で顔を
する。
「オイ、顔を洗って来い」満男も他の生徒に連れ立っ
し、ついには鼾をかき出す生徒もいる。堪り兼ね教諭が一喝
上に投げ出した腕が文房具や教科書をバサバサと床に落と
のあちこちでコクリコクリと居眠りをする生徒が出る。机の
は辛い授業になる。仕事の疲れが押し寄せて来るのだ。教室
授業は四時限目まで有り八い時つ五〇分に終わる。一時限目は
遅れて来る生徒もいるので何時も落ち着かないが、二時限目
で眺め、満男は夜学の窓から見送る。
を金色に帯びた茜色に染める。その夕陽を故郷の父や母は畑
丸山の向こうに落ちる。山陰から伸びる夕陽は烏帽子山の空
三人の作業服姿の男達が客として毎日酒を酌み交わしてい
「今、帰りかえ。大変だねぇ」洒落気はないが着物姿に三
お ば
他に二、
角巾、エプロンをした叔母さんが賄いをしてくれる。
堂で満男は夕食をしてから寮に帰るのだ。
った者達も食事をしに来る溜まり場にもなっている。この食
での営業時間となっているこの店は、夜勤者や残業で遅くな
シギシと力任せにペダルを廻し角屋食堂に向かう。夜十時ま
まし校門で別れる。満男は千五百円で買った中古自転車をギ
は苦手なんだ」「バーイ」互いに声を掛け互いを目で顔で励
した汗が首筋を伝う。
「設計の授業は難しいな」
「ああ、計算
名古屋の七月は夜になっても暑い。昼の暑さがそのまま夜
にまで続く。肌に染み付いた機械油の匂いに混じりジットリ
終わる。
進められないと嘆く。生徒も教諭も疲れ果てその日の授業は
ままで、学力も中学一年程度のレベルさえ理解していない生
高校英語と言ってもこの教室は英文も日本文も地方訛りその
ている私立の定時制高校である。四時限目は英語の授業だ。
やまかげ
戻れないのだ」空腹は侘しさを誘う。「もうどんな事が有っ
る。「叔母さん、何かある?」これと言う注文はしないで陳
ば
列棚に残っている物を出してもらうのだ。店としてもその方
お
徒がいる教室だ。新任の学外講師は驚きの余り、授業を前に
ても独りで生きて行かなければならないんだ」親から離れ社
ぬる
会に出るという事の意味を満男は一つ一つその身に刻む。
が有り難いし、満男も時としてオマケを付けて貰えるのだ。
ちゃぶだい
数学は既に定年を終えた服部教諭で七十歳を過
三時限目の
しわ
「お
ぎている。皺枯れた声は教室の後方の席までは届かない。
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
「鰯の焼いたのが有るけど良いかい? 味噌汁は付けてあげ
るよ」「有難う、
叔母さん」キャベツと鰯の焼いた物が三匹、
ーい、聞こえんぞ」野次めいた声が生徒から飛ぶ。老教諭は
随 筆
裏声めいた声を必死に絞り出して授業を進める。定時制の専
評 論
沢庵が添えられたおかずを棚から出してくれた。満男はさっ
児童文学
任教諭は一人。他は学外の講師と昼間の教諭の手伝いで賄っ
小 説
27
浜松市民文芸 60 集
居て助かったったのだそうで、それからは苦労の連続で女身
である。聞けば叔母さんは空襲で家族を亡くし、自分は壕に
しているやね、お腹が空くやろうにね」掛ける言葉も母親調
未だ子供みたいなもんや。まあ一人でこんな処迄来て、苦労
広沢虎造の浪曲は有名で大方は知っている。「私から見れば
県の森町です」「アンタ、森の石松かい」森の石松と言えば
い る の か、 家 族 は い る の か? と 叔 母 さ ん は 色 々 尋 ね る の
だ。この店に来た当初は、「アンタ、田舎は何処やネ」「静岡
る。食事を出すだけでなく、いつしか何処から来て何をして
この時間帯に食堂に立ち寄る客は大抵は常連で顔馴染みとな
うに心が痛んだ。母からの手紙の返事に(何を書いたら良い
ないんだ)武が殴られても満男は自分が殴られたのと同じよ
そ ん な に 大 事 に し て は 貰 え ん、 学 校 の 先 生 等 は 何 も 解 っ て い
武はどんな思いでこの場に居るのであろうか。俺ら田舎者は
グズすれば羽交い締めにされる。
(満男が授業に出ている間、
社 寮 は 八 畳 が 二 間 の 部 屋 に 七 人 が 寝、 新 入 り は 先 輩 寮 生 に
は返事一つするにも気を使う。小間使いは当然のこと、グズ
互いを避ける間柄になっていった。
男も武にどんな言葉を掛けて良いものか、いつかそれとなく
していたのだ。此れから先も友達でいようと言い合った仲な
話をし、互いの家を訪ねて谷川に一緒に魚釣りに行ったりも
て武も満男も笑うことがない。中学生の頃二人は何かとよく
一つで何とか身を立てて食堂を開いたのだとテーブルの前に
のだろう)切ない思いだけがつのり、書いては破り捨て結局
そく口にかっ込む。すきっ腹に赤だし味噌の味がしみ渡る。
座り込んで身の上を話すのだ。「だから、あんたも負けない
もん
め切ったままでは堪らず蒸れ返った熱気を扇風機でかき回し
設けられ、黒く煤汚
社寮は工場の二階に事務所と隣併せに
ぼこり
れ た ガ ラ ス 窓 を 開 け る と 他 工 場 の 屋 根 埃 が 降 っ て 来 る が、 締
おれ
のだが、次第に武が満男に話し掛ける事も少なくなった。満
で頑張るんやよ」誰にでもそう話すのだそうだ。
達のガンガンと鳴らす騒音を迷惑とも思わず歌い狂ってい
「暑いなー、堪らんな」と呻きながら夜は寝るのだ。疲れた
すす
る。そこへ武がコーラと菓子袋を手に外から帰って来た。二
書けずに終わってしまった。
人に使い走りにされていたのだ。満男もこの二人には散々な
身体はそれでも眠れた。
社寮に戻ると先輩寮生がエレキギターをテヶテヶテヶーと
鳴らしまくっている。加山雄三に夢中の広田と杉村は、自分
目に合っている。洗濯をすればこの二人が、「俺のも一緒に
擦り切れた畳の隙間に埃、崩れた菓子の粉がこびり付いてい
も な い 布 団 は ペ ッ タ リ と し て 部 屋 の 隅 に 折 っ て 寄 せ ら れ る。
うめ
洗っておけ」不服な顔をすれば胸ぐらを掴み、
「何や、その
名 古 屋 の 夏 の 朝 は、 す で に 登 り 切 っ た 太 陽 の 熱 で 噴 き 出 し
た汗の気持ち悪さに目が覚める。一度も陽に虫干しされる事
顔は? 先輩の言う事が聞けん言うんか」先輩風を吹かし満
男と武を手足の如く使うのだ。武は昼間は竹中工場長にド叱
ほこり
られ、寮に帰れば広田と杉村に都合よく使われる。此処に来
28
った。
「お父さん、じゃあ行って来まーす」山肌を風が抜け
めに思えた。満男は目を合わせず黙って頭を下げ工場に向か
られた。油に薄汚れた自分の姿を彼女の前に晒すのは酷く惨
い歯から掛けられる言葉は満男には衝撃的な程に眩しく感じ
色のネクタイが爽やかに引き立っている。女子高生の真っ白
とした目で挨拶をする。折り目立った白いセーラー服姿に紺
近隣の公立高校に通っている。「お早う」娘は満男にクリッ
の横に三階建ての住居が並んで建ち、そこの娘もこの春から
を下りて外に出ると丁度社長の娘に出会った。社長宅は工場
もせず、今朝も満男は乾いた喉に蛇口の水を流し込む。階段
ん知るか」はねつけて相手にもしない。それからは買い置き
が食べてしまっていた。誰に聞いても「タワケー、そんなも
聞いて、前日にパンを買い置いて棚に入れて置いたら他の者
この会社に来てからというもの朝御飯を食べる事が無かっ
た。入寮した日の最初の頃、満男はこの寮には朝食が無いと
下の工場に下りる。武も満男も他の寮生と同じである。
ゥー」と、黄色い歯をニヤつかせながら作業服を引っ掛け階
飯抜きのままに、始業間際に起きて顔も洗わず「オゥー」「ヨ
けのお粗末な物だ。給食設備が有るわけでもない。寮生は朝
る。福利厚生という観点がまるで無い町工場の社寮は寝るだ
図、設計、鋳造実習といった授業もある。昼の仕事にも関係
がら夜の教室に学ぶ仲間がいる。工業高校の機械科なので製
声を掛けてくれる。此処には同じ思いの仲間がいる。働きな
漕ぐ。「オハヨウ」上級生が下級生に「頑張ろうな」明るく
じる事無く、仕事を終えると鞄を自転車に括り付けペダルを
らと七夕祭りに行こうやんか」広田のそんな誘いかけにも応
そ ん な 定 時 制 高 校 な ん か 行 っ た か て し ょ う が な い や ん か、 俺
狂いだし、年長の青野は女のもとへ通い詰めている。「満男、
うなことを言っている。他の二人の寮生は決まってパチンコ
た。広田と杉村は武を従えて繁華街に七夕祭りを見に行くよ
噛んで真っ黒に汚れた軍手を腹立たしげにゴミ箱に放り投げ
る。指から血が滲んでいる。
「痛いなあ、チクショウ」唇を
拭えなかった。その日の作業を終え鋼線巻きのスイッチを切
男は自分の思いとは違った処に来てしまった。そんな思いを
は楽しい。新しい知識を得る事は自分が大きくなる事だ。満
るい自分になれたかも知れない。爽やかな朝を迎えたかも知
あの人達と同じ様に全日制の高校に行っておれば、もっと明
る。全日制と定時制の違いはあれ同じ高校生なのに。自分も
く社会はもうあの高校生達とは別な処に置かれてしまってい
い。はつらつとした娘の明るさが羨ましい。自分が生きて行
随 筆
短 歌
定型俳句
くく
自由律俳句
川 柳
四時限目の倫理社会の授業は定時制専任の飯島教諭であ
る生徒も前乗りな気分で授業に入る。
れない。行けるものなら昼の高校に進学したかった。学ぶ事
るような爽やかさを残し、真新しい皮靴の響きが遠くなって
するのでこういう授業には、日頃半開きの目でボーとしてい
評 論
詩
行くのが聞こえた。その娘を社長は満面の笑顔で見送る。
児童文学
満男はこの日、言葉にはならない重たい思いが抜けなかっ
た。社長の娘が通う高校はきっと楽しく学べる学校に違いな
小 説
29
浜松市民文芸 60 集
えら
あご
様 に 左 手 で す く い 上 げ た。 満 男 は い つ に も 増 し て 強 い 口 調 と
せられた。それは今朝、自分の胸を覆っていた何とも説明出
揺ぎ無い信念の塊の様な鰓の張った顎の教諭の言葉に吸い寄
る。戦地から復員し戦後の新しい民主主義国家を担って行く
少年達に希望と勇気を与えたいと、あえて定時制の専任教諭
いと社会とは言えない。では現実はどうか? 君達は労働に
よって生活を支えている。故に夜学という場所でしか高校教
ない。ある特定の人間のみが優遇されるとしたらそれは正し
「社会とは何か? それは一人一人の人間が構成している
共同体なのであり、全ての人は等しく尊重されなければなら
を説きあかす。
飯島教諭は黒板に丸を書いたり矢印を入れながら社会の意味
説明出来る言葉は浮かんでこない。目を白黒させていると、
ぞ?」と問う教師はいなかった。満男の頭にも社会の意味を
「社会とは何ぞや? 石田君。君の答えられる範囲で」満
男 は 戸 惑 っ た。 中 学 の 教 科 に 社 会 科 は あ る が「 社 会 と は 何
クで大きく書いた。そして生徒に質問する。
長い前髪を左手ですくい上げながら黒板に「社会」とチョー
人 間 社 会 の 真 の 幸 福 を 追 究 す る も の で な け れ ば 意 味 が な い。
んで行くその先に確かな希望をもつ事である。
『学門』とは
る。自分の中に確かな知識も会得することである。自分が歩
かし、それを乗り越えて前に進むには自分が強くなければな
ると社会は常に非情であり、厚い壁となって立ち塞がる。し
生 み 出 し て い る か ら で す。 馬 鹿 な 人 間 を 育 て る 事 に は 世 の 中
「世の中に対して何の問題意識を持とうとしない人間に
は、現代社会は楽かも知れない。それは馬鹿な人間をあえて
だ言葉であった。
彼の聴く者の耳を離さない言葉は更に続く。
いう話を聞かされる事は無かった。一人一人の胸に食い込ん
守谷校長ともちがう教師がこの教壇に立っていた。いつもの
来ぬ黒いモヤーとしたものだった様な気がする。松下教師や
おお
になったと言う。飯島教諭は彼独特の髪形で額の下まで覆う
育 を 受 け る 機 会 が 与 え ら れ な い。 こ れ は 社 会 の 歪 と も 言 え
『学問』とは知識を得る事のみならず、真理を探求し、誠実
ら な い。 強 く な る に は 世 の 中 を 見 る 確 か な 目 を 持 つ 事 で あ
は幾らでも手を貸す。しかし人間らしく正しく生きようとす
ダ ラ ー ン と し た 授 業 で は な い。 今 迄 知 り 合 っ た 大 人 か ら こ う
る。君達の両親が戦後の日本の復興へと汗水流し労働に勤し
を刻み、未来を共に語る事。私は教師として教壇に立っては
ひずみ
んできても、君達もまた精一杯働いてもその富は君達の下に
いるが、君達と一緒にこの日本の未来を希望を語り合う仲間
いそ
下りてはこない。しかしある人間には充分過ぎる程の贅沢三
とら
象として捉えるのではなく、背を向け逃げるのではなく変革
お
昧が赦される現実がある。豊かさや富が一部の人間にしか及
でもある。私が君達に望むのは日々の現実を嘆きや諦めの対
の対象として見る目を持てる人間になって欲しいという事な
ゆが
平な社会なのだ。私はその事に憤りを覚える」
ゆる
んでいないとしたら、それは真の豊かさならず、歪んだ不公
飯島教諭は厳しい目をし、眼鏡にかかった前髪をいつもの
30
行った時、そこには満男の村では目にする事の無い豊富な食
時期に充分食事が取れていない事への不安がある。商店街に
しっかり食べないと背丈も伸びないのかも)成長が図られる
名前で言われることの方が少ないのだ。(やっぱり朝ご飯も
も伸びてはいない。今朝も「おい、小僧」と先輩に呼ばれる。
も落ちていた。胸も肩も筋肉がやや細った感じだ。身長も何
体重と背丈を計った。田舎を出て来た時よりも体重は二キロ
お辞儀をする。二十円を払い更衣室で衣類を脱ぐ。ついでに
角屋で夕飯を済まし寮に戻り銭湯に行く。のれんをくぐる
と番台の叔母さんが眼鏡越しに「いらっしゃい」と愛想良く
別れた級友の顔が明るかった。
ではあるまい。「じゃあな、また明日。さようなら」校庭で
つほつとした熱い勇気を感じた。胸を熱くしたのは満男だけ
のだ」飯島教諭はキッパリと述べた。満男は身体の奥からほ
輝き、この夏の時期は烏帽子山から三丸山にかけて銀河の橋
空には星が無い。満男の田舎では夜空には無数の星が燦然と
成長を確認出来た事に繋がる。満男は空を眺めた。都会の夜
式の問題がやっと解けた。難問を解く力を持てた事は自分の
が解けて応用問題の答えを探し出す事が今日は出来た。化学
がしかの言葉を掛けて行く。昨日解けなかった数学の方程式
満男は社寮を抜け出し近くの公園のベンチの灯りの下で教
科書を開く。犬を連れて散歩する人やランニングする人が何
に彼等は恥じる事無く嵌っているのだ。
元はニンヤリしている。飯島教諭の言われた馬鹿な人間の道
ながら近づいて来て、わざとラーメンの汁をひっくり返し教
に杉村は必ず嫌がらせをしてくる。この前はラーメンを食べ
勉強してるのだ)と見せつけてると思われるのも辛い。それ
るしないはあくまで本人次第なのだが(俺はお前等と違って
はま
「もう遅いから、そろそろ帰りなさいよ」パトロールのお
巡りさんが立っていた。「こんな場所で勉強かね」見れば腕
つな
時計は十二時を廻っていた。「はい、もう帰ります」
(明日の
が架かる。
科 書 を 汚 し て し ま っ た。
「アッ、ワリィ」そう言いながら口
材が山程に有ったが、満男がそれを食する事は無い。
られてある。筋肉をいからせながら男達がザンブリと湯船に
工場街の銭湯は広くもない湯船に男達が身体をぶつける様
にして場所を取り合う。壁には富士山が描かれたタイルが張
浸かる。小柄の者は何となく端に追いやられ、大男達がザブ
テストは頑張ろう)満男は苦手な数学や化学式の問題が解け
定型俳句
自由律俳句
川 柳
た喜びを噛み締めた。
短 歌
のだ。
たちま
ザブ桶で湯を汲出し、出て行った後は忽ち湯が減ってしまう
詩
道路も建物も昼に温められた熱を、夜になってむんむんと
吐き出す工場街の裏路地を満男は社寮に向かう。鈍い半月の
随 筆
一学期の終わりには定時制も学期末のテストがある。広田
や杉村の騒がしい連中の居る部屋で勉強など到底出来ぬ。そ
評 論
光りに映し出される影だけが満男の後に付いて行く。
児童文学
れに自分だけが教科書を開くのは武にも遠慮がある。勉強す
小 説
31
浜松市民文芸 60 集
て『此れだけ貯金も貯まったよ』と親を喜ばせる様な帰り方
ける迄は親元に返らぬもんだ。帰る時はまとまった金を貯め
りたくなったかと親が心配するだけだ。大工だって年期が明
半年もならぬというのに帰ってどうするんだ。嫌になって戻
はな、錦の旗を飾って親元に帰るものだ。田舎から出て来て
社長の濁った目が剥き出しになった。「エエか、男という者
は実家に帰りたいのですが」勇気を出して言った。とたんに
見る。
(何を突然そんな事を)満男はこれは言わねばと「僕
と腰を落とし突き出した顎をしゃくり上げながら満男と武を
武と満男も初めてだから一緒に付いて来い」ソファーにでん
集め、
「広田や杉村は今年も俺ん処の別荘に一緒に行くが、
た。八月も十日になったその夜、永田社長は寮生を社長室に
ぬが彼らにくっ付いているうちに彼らと同じになってしまっ
言葉で広田や杉村等と話すようになり、何が面白いのか知ら
た。武は此処に来て数ヶ月しか経たぬのに名古屋弁交じりの
か最近は顔を合わせても互いに声を掛ける事もしなくなっ
八月の会社の盆休みは三日間あるとの張り紙がしてある。
満男は実家に帰れると胸を膨らませていた。武はどうするの
の笑顔が満男の心にいつまでも残った。
一学期が終わって明日から夏休みだ。「休みが終わったら
頑張って又、授業に来ような」校庭の灯りの下に別れた級友
がら眠った。
からな」扇風機を(強)にして暑さも涙も風に吹き飛ばしな
お前は未だ分からんかしらんが世の中はそんなに甘くはない
三沢勝次が満男に言った言葉がフッと思いだされた。「満男、
父や母、田舎で盆休みには会えるはずの友の顔も立体感の
無い一枚の絵になってしまった。村に戻って来た一つ年上の
人々だ。
保村の風景と真っ青な空だ。そしてそこに暮らす家族や村の
に描き出される故里は青い山並みに囲まれた茶畑の並ぶ大久
下教師から聞いた言葉は何で有ったのか? その夜、満男は
遠街から響き伝わる列車の汽笛を悲しく聞いた。満男の脳裏
持つ顔の裏表の余りの違いに満男は大きな衝撃を覚えた。松
端の石コロを拾ってやったとしか考えていないのだ)大人が
まった。(俺達は馬の骨以下なのか、社長は自分等の事を道
う解ったと思うので此れ位にして」それで何とかその場は収
は赤ら顔が増してくる。年長の青野先輩が「社長、満男もも
ないぞ。エエか、帰らせんぞ」声を荒げる度に永田という男
見てやってるからだろうが。生意気なことをこいてるんじゃ
拾ってやったと思ってるんだ。学校に行けるのも俺が面倒を
や永田社長は声を荒げた。
「 お 前、 誰 の 御 蔭 で 飯 を 食 っ て る
男は嫌であった。納得できぬと言う満男の表情を見るやいな
さえ赦さぬと言うのだろうか)此処の人間と付き合うのは満
をしろ」ギョロとした目がウムを言わせなかった。(この男
と思ってるんだ。お前らみたいな馬の骨にもならん奴を誰が
の頭の中は金でしかものを図れないのか。自分の娘には毎朝
そ
楽しい思い出は何も残らぬ寂しい八月が過ぎ、二学期が始
よ
学校への見送りを欠かさぬのに、他所の子には盆休みの帰省
32
で た ら め
(彼らに決して染まるまい)満男は固く決意をした。広田や
んけーヒャヒャヒャ」十八、九の若い者が出鱈目をし出すと
ろうか? 空いた机を見る度に満男は思う。製図の授業に遅
れて中村竜一が教室に入って来た。左手に包帯が巻かれてい
杉村とて九州の片田舎の出である。無垢な少年の体内に流れ
まり夜の教室に又灯りが燈る。何人かの生徒が来なくなって
た。教諭が心配して尋ねる。
る血液を荒んだなものに入れ替えてしまうのに些かの躊躇い
手が付けられぬ。満男が帰って来たのを知っても手を止めよ
「手をどうしたんや?」「やっちゃたんです」やったと言え
ば直ぐ解る。プレスで指を切断してしまう事なのだ。「どの
「満男」
その日を境にしてみ武の満男への態度が一変した。
と言う呼び名も「満っつー」と喧嘩調になり「タワケー、わ
うともしない。満男は武と顔が合うことを避けてそのまま銭
指や、何本や」聞く教諭も切なさ気である。「三本」竜一は
いや言ってるやーねえやい」名古屋弁に染まった荒い言葉遣
いた。定時制は卒業時迄に入学時の半数は辞めていくのだそ
力無く青い顔のまま答える。三日ばかり授業に来なかったか
いになっていった。部屋の隅にシンナーを吸う時に使った広
うだ。建築科三十五名、機械科九十五名。この中から誰と誰
ら、もしや辞めてしまったのかと満男は思っていたがそんな
田と杉村のビニール袋はかなり以前から放り出して有った
湯に逃げる様にして寮を後にした。あそこには若者らしい笑
不 幸 な 出 来 事 が あ っ た の だ。 ど ん な に 辛 く 思 い 悩 ん だ こ と
が、武のポケットに有るのを満男は見てしまった。道理で満
顔も語らいも無い。卑狼な毎日に浸った生活があるだけだ。
か。彼は留年生である。一年程学校から遠ざかっていたが中
男が学校から戻ると武がボーとしていることが有ったがシン
もしないのがこの世の中だ。
ためら
卒のままの自分には何の希望もこの先見出すのは出来ないと
ナーを吸っていたのだとその時知った。
(武はもう中学の時
の武ではない。満男にはもう友と呼べない人間になってしま
いささ
知り、又学校に戻る事にしたのだと。失意のどん底にありな
すさ
がら痛みを堪え今日の授業に来たのだ。
った)と思った。
川 柳
十月に入った頃の事だ。放課後のクラブ活動で部長である
四 年 生 の 守 山 さ ん か ら、
「 職 場 で 何 か 悩 ん で い る 事 と か、 会
自由律俳句
着けておらず真っ裸にされていた。武の両腕は紐で縛られ広
定型俳句
社に要望が有る時は先ずは此処に相談してみるといいよ」と
短 歌
一枚のビラを渡された。「労働相談は単一労組へ」と言う見
村が二人掛かりで武を押さえ付けていた。武は何一つ衣類を
こら
次の日の事、満男が学校を終え寮に戻るとそこにはおぞま
しいとしか言い様のない事が繰り広げられていた。広田と杉
が、そして幾人が辞めていくのだろう? 自分は残れるのだ
詩
田は首を羽交い絞めにし、杉村が「ヒャヒャヒャ」と気味悪
随 筆
い笑い声を上げながら武の陰部を手にして上下に動かしてい
評 論
出しに何か自分には必要な事が書かれていると思い素直に受
児童文学
るのだ。
「こいつ、小僧のくせに一人前にチンコ立ってるや
小 説
33
浜松市民文芸 60 集
からぬがこの紙に書かれている事が間違っている内容である
行ってこんな事をやってたのか」アカと言う言葉の意味も分
思ってりゃ、アカになんかになりやがってぇ。お前は学校へ
意外な方向に向いて行った。時々満男の鞄を誰かが中を開け
け取り、鞄の中に入れて社寮に帰った。だがその夜、事態は
たようにも感じていたが、教科書以外に別段不振な物が入っ
とは思えない。むしろ本当だと思う。満男は勇気を出した。
そして酒が入ると性格が荒くなる。濁った白目で満男を見る
相変わらず赤ら顔でソファにどっかりと腰を下ろしていた。
野の後ろに付いて行った。毎日晩酌をすると言う永田社長は
部屋に入るやいなや青野先輩が「満男、社長が呼んでいる
ぞ。直ぐ社長室に行け」何事かと思ったが言われるままに青
ながら社寮に戻った。
には背が伸びたと喜びはしゃぐ者もいる。寂しさを噛み締め
ま大人になってしまうのかと一抹の不安を覚えた。級友の中
も体重も満男には悲しいことに増えてはいなかった、このま
銭湯にいた。十六歳の誕生日を迎えたのに来る度に計る身長
の許に届けられていたのだ。そんな事は露にも知らず満男は
持ち帰った労働相談のビラがいつの間にか誰かの手から社長
は他者の人格権を蹂躙するものに他ならない。床に伏す満男
は労働法違反であり、学業の自由を奪う事、まして暴力行為
ぬのだ。中学を出たばかりの少年に八時間を越えて働かす事
国家として新しく再出発した事の意味を何ら理解してはおら
竹中工場長といいこの永田社長といい、戦後日本が民主主義
島教諭の授業の中での言葉が満男の折れそうな心を支えた。
っ飛んだ。鼻血が両穴からタラタラと流れ出て衣類が真っ赤
強烈な平手打ちに、小柄な満男の身体は事務机の向こうに吹
アカなんかに染まりやがってぇ」矢庭に満男の頬に張られた
エエかぁ、この労組というのはなぁ、アカの奴等がやる事だ。
た。「何だぁその態度はぁ、
餓鬼のくせに口答えする気かぁ。
かれていません」満男の返答が永田の怒りを更に掻き立て
れておいた物を誰が出したんですか。それに別に悪い事は書
ただ
そ し て 言 っ た の だ。
「 で も そ れ は 僕 の 私 物 で す。 鞄 の 中 に 入
や矢庭に形相が険しくなった。「何だ、このビラは」社長が
を睨みながら「親から預かったお前をアカにさせたとあっち
あえ
なかった。満男が銭湯に行っている間の事であった。満男が
ている訳では無いので「誰なのか」と敢て問い質すことはし
手にしていたのは鞄に入れておいた筈の物だ。「テメエはい
ゃ あ 俺 は 森 町 に 顔 向 け が 出 来 ん。 学 校 へ は 明 日 か ら 行 か せ
に染まった。(泣いてはいけない、今負けてはいけない)飯
つからアカになったぁ、これは誰に貰ったぁ」剥き出した目
おやじ
と怒声に満男はその場に棒立ちになった。まるで針金でも身
ん。今から俺がお前の学校に言ってきてやる」
そう豪語した。
はず
体に差し込まれた様に動けなかった。「誰に貰ったと聞いて
定時制高校に通わせてやると言っても会社から何の援助も
してくれた訳ではない。勉強机一つさえ無いのだ。親から預
む
るんだ」声が荒くなった。「上級生から貰いました」やっと
それだけを答えた。「この野郎、学校に行って勉強してると
34
校に車で駆けつけ職員室に怒鳴り込んだのだ。「お前の学校
後に満男が飯島教諭から聞いた事ではあるが、永田社長は
酔った勢いでそのまま青野や他の寮生を従えて満男の通う学
腕で殴り飛ばして来たに違いない。
では伍長で有ったと言う永田は当時も下級の者を何度もその
永田の頭の中は軍隊当時と何ら変わってはいないのだ。軍隊
ラスだと言う。兎に角下級兵士を平気で痛めつけると言う。
あり、その中でも最も苛めの酷いのが伍長や兵長、上等兵ク
戦地での思い出話が出るが軍隊の中で性質の悪いのが陸軍で
父が話していたのを横で聞いた事がある。村の会合には時々
配するという種類の人間がまだいたのだ。夕飯を食べながら
の中には自分の意に沿わぬ者は軍隊思想そのままに暴力で支
年に空腹のまま労働を科すのだ。戦後を成り上がって来た者
担をかけないからむしろ健康法だと寮生に説き、成長期の少
かっていると言いながら一日二食で朝飯は抜いた方が胃に負
島教諭に問う。満男は考える。そしてトボトボと歩いた。
僕は辛い事から逃げたんでしょうか?」満男は風に向かい飯
沢八朗の「ああ上野駅」を歌うのが聞こえて来る。「先生、
ぼこりを巻き上げ路上に溜まる枯れ葉を飛ばしなが
風が砂
ら吹き抜けて行く。工場街を抜けるとボロけたアパートや民
た。
ら武が無言のままに見ていた。それが満男と武の別れになっ
寮を抜け出た。自転車の荷台に鞄を縛り付けた。階段の上か
詰め込んだ。もう一つは学校の教科書の入った通学鞄を抱え
男は田舎から出て来る時に持って来たケースに自分の荷物を
何処へ?」武が聞く。「分からん、でも此処には居れん」満
れんようになった。今から部屋を出て行く」「出て行くって、
満男は出血した顔を押さえ部屋に戻った。其処に武が立っ
ていた。心配そうに満男を見る。「武、俺、もう此処には居
顔で忌々しくドアを蹴って帰ったそうだ。
いまいま
ではアカ教育をしてるのか。お前の処の生徒からこんなビラ
どれ程歩いたろうか。名古屋の中心を流れる堀川用水の橋
に来た。昼間でも川面は汚れ切って真っ黒である。港から運
随 筆
さま
短 歌
定型俳句
自由律俳句
ど
川 柳
こ
家が立ち並ぶ。赤提灯をぶら下げた居酒屋から酔った客が井
お
を貰ったと内の従業員が会社に持って来た物だ」さも鬼の首
ばれる木材が真っ黒に染まって浮いている。汚泥の溜まる川
ち
でも取ったかの様にそのビラを飯島教諭の顔にさっつけた。
た
主任教諭として一人最後まで職員室に残っていた飯島教諭は
底からプクプクとメタンガスの泡が浮かび、川端一帯は異臭
いじ
この無法者に対して一メートル八〇の長身から厳しい顔で睨
が覆う。底の見えぬ黒い川、さながら多くの人間が住むこの
評 論
すな
み毅然として永田の前に立った。「教育の場に泥酔状態でヤ
都会の様を映しているが如く。十一月に入り深まる秋の夜風
うち
クザまがいに乗り込んで来るとは不埒にも程がある。しかも
が「世間の風は冷たいだろう」とでも言うかの様に満男の首
わきま
時間も弁えず夜中に来るとは言語同断。教育に赤や白の色な
児童文学
つぶ
筋を撫で川面に吹いてゆく。川端沿いの道を何処行く当ても
詩
ど付いてはおらぬ」と撥ね付けた。永田は苦虫を潰した様な
小 説
35
浜松市民文芸 60 集
わしてしまったと思ったのか、「辛かったんだな。だがなあ、
た。しょぼくれた顔で係官の前にいる息子を見て苦労を背負
とは互いに思わなかったに違いない。父は満男を叱らなかっ
人として署に向かい満男に対面した。父子がこんな形で会う
連れられて来ていたが、会社に顔を出した父は直ぐ身元引受
とんで来た。満男は警ら中のお巡りさんに補導され警察署に
キュウコラレタシ)受取った家族は仰天し父が名古屋にすっ
し親元に電報を送った。(ムスコサンノユクエガフメイ、シ
面に戻った頭で満男が寮からい
翌日になって永田社長は素
なくなった事に「これはまずい」と考え警察に捜索願いを出
は泣いた。
ら外れ路上に飛び出したケースを抱え、顔を押し付けて満男
は少年の心を否応にも郷愁への想いに引きずり込む。荷台か
ベソをかいた。ピイーィー。夜空に響き伝わる列車の笛の音
俺、もうあそこには戻りたくない」田舎を離れ満男は初めて
男、
お前はどうしてそんな所にいるんだい」と聞く。「母さん、
照らす。その月に父や母の顔が重なる。そしてその母が「満
の重みにハンドルを取られ転倒する。満月に近い光が満男を
押しては立ち止まる。ボーとして目一杯に詰め込んだケース
かせた。
でこの都会で生きて行かなければ。満男はそう自分に言い聞
れないのだ。もう満男の居場所は村には無いのだ。自分の力
人兄弟の末子では一度村を出たならば親元に戻ることは赦さ
に切り開ける道があるかも知れない。山間に生まれ育った五
満男は何としても高校は続けたい。今のままでは自分は何
の価値も無い人間になってしまう。高校を卒業すればその先
父を見たのは満男にはそれが最後になった。
にして改札口に消えてゆく父の後ろ姿が随分小さく見えた。
で話が落ち着いた。父も安心して村に帰れるとホッとしたよ
になり、暫らくは守山先輩のアパートに同居させてもらう事
しを話した。仕事先は教諭が次の職場の世話をしてくれる事
あった。満男は父と教諭を尋ね、昨日あった出来事のあらま
た時は私の所に何時でも来なさい」飯島教諭の言葉が脳裏に
りながら「初めて新幹線に乗ったよ」と微笑むのだ。「困っ
りにも美味しくて満男は涙が出た。父はそんな息子に目をや
って食べたカツ丼は美味しかった。初めて食べるカツ丼は余
れた。「腹が減ってるだろう? 飯を食べるか? おごるよ」
父はそう言って食堂に入りカツ丼を注文した。父と向かい合
無く大きなケースを積んだ自転車を押しては立ち止まり、又
男はな、皆一人で生きて行かなきゃいかんだでな」そうポツ
それから一週間程で飯島教諭の世話で大和工業と言う織物
の染織機械の製作所に勤める事が出来た。そこには名工の卒
業生が働いていたのが縁で満男を受け入れてくれた。会社の
ひとたび
うだ。名古屋駅は何と人の多いことか。その中に埋もれる様
い つ
リと言った。
寮も在り此処は食堂も在り朝食も食べる事が出来る。田舎で
しらふ
署を出ると薄曇りの日差しは心なしか寒かった。父は上着
を掛けてくれ、会社にも顔を出し退職の手続きも済ましてく
36
がけやボール盤での穴あけ作業、フ
大和工業での仕事は鑢
ライス盤も扱う。竹中工場長の様な人間はこの工場にはいな
いものであるか彼の親の泣き顔がそれを教える。
にして生徒達の前で泣いた。息子を失った親がどんなにか辛
典を集め渡したお礼であった。それはもう顔をくちゃくちゃ
クラスにも挨拶に顔を見せた。僅かながらであるが仲間で香
を失った。九州から親が身柄を引き取りに来た際、機械科の
を終え自転車で寮に帰る途中、酒酔い運転の車に跳ねられ命
定時制に学ぶ少年達に悲しみや不幸は間を置かずして降り
掛かる。十二月に入った頃、建築科の生徒、久保山彰が授業
の一行が文の下りに書かれていた。
た。母の返事の中に「根分けしたカブは己れの土で生きよ」
その後の事を案じている家族に安心してくれとの手紙を出し
らした方が無難だぞとは言われていたと言うのだが。丸太下
ツイ仕事であったかもしれない。同じ仕事仲間からも荷を減
勢いを付け滑り出した橇に引きずられ支えきれずに橇の下敷
を山から橇で麓に下ろす仕事をしていた父は、急斜面に来て
父は村人達が駆け付けた時は既に事切れていたらしい。丸太
て行く。満男が家に着いた時はもう通夜の席になっていた。
ていた。其処から又二つの山を越えながら一時間以上は歩い
の瀬のバス停に着く。山合いの冬陽は早くに落ちて闇が迫っ
浜松駅に着くと飛び降りる様にして普通列車に乗り換え袋
井駅まで、其処からはバスに乗り換え一時間半は揺られて一
い。父の顔だけが脳裏にあった。
乗ったが速さも新しさも今の満男にそれを楽しむゆとりは無
待っててくれ)満男は心の中で叫び続けた。新幹線に初めて
たくなった父の遺体にしがみ付いていた。満男も溢れ出る涙
んかいね」背骨が抜けたみたいに腰折れて表情の無い顔で冷
きになってしまったのだ。人並みの体格を持たない父にはキ
少しずつでも仕事も覚え毎日の生活にも張りが出てきた午
後のこと、事務員が満男に電報が来ていると届けてくれた。
を拭き続けた。身内の手伝いで葬儀が執り行われ山の中腹に
わず
かった。それだけでも満男には嬉しい。寮にも空き部屋が一
ろしは危険な作業なのだ。
そり
つ有り満男は其処を学習用に使って良いと承諾も得る事が出
大久保村を離れ故郷への初めての帰省が父の葬儀になって
しまった。母は「私はこれからどうやって生きてったらいい
「チチキトク、スグカエレ」思いもよらぬ急報に何かをしよ
あ る 火 葬 場 で 父 は お 骨 に さ れ た。 冷 雨 に 濡 れ る 山 の 火 葬 場
やすり
来た。
うとしていた事を忘れてしまったほどだった。頭の中が白く
川 柳
なるとはこういう事なのだろう。(ついひと月前に会ったば
自由律俳句
に、煙突から立ち上る細い煙に満男の脳裏には署で会った時
おご
短 歌
定型俳句
かりなのに、ただ今はこうしてはいられない)止まっていた
詩
の 父 の 顔 が 浮 か ぶ。
「 父 さ ん 心 配 か け て 悪 か っ た ね。 あ の 時
随 筆
頭の思考が動き出し、事務所に内要を告げ満男は急いで駅に
評 論
カツ丼奢ってくれて有難う、とても美味しかったよ。俺、負
児童文学
向かった。(父さん、待っててくれ。俺、今行くから、父さん、
小 説
37
浜松市民文芸 60 集
けないで必ず高校を卒業するからね」煙は山の中腹を漂い細
たはずの武を気にしていた満男であった。
けてな」満男は溢れる涙を堪えた。泣いたらそのまま崩れて
ろうな。赦しておくれ。向こうに行っても身体だけは気を付
故をしたのかも知れん。お前も小さいできっと苦労したんだ
「お父も身体が小さいので苦労をした。それで無理をして事
た。
ん山道を先に下って行く。バス停に着いた時母が満男に言っ
初七日を終え満男は又名古屋に戻る事にした。一之瀬坂を
下る時、満男の荷物を母は「わしが持つ」と言い張りどんど
同級の友に会う楽しい時間は瞬く間に過ぎる。休みを終え
仕事も始まり三学期が開始した。伊吹きおろしが街通りを吹
っていた。
で。今のわしは畑が命だ」そう言って凍天の下に畑に鍬を振
見えたが、昨日には「先祖からの土地は荒らしちゃならんだ
いた。母は父を亡くし、力を落としたのか急に老いた様にも
れて「ノロノロなんかしてたら怒鳴られるもん」とこぼして
る現場に朝番、昼番、夜番の三交替勤務になり、仕事に追わ
にちがいない。紡績工場に就職して行った女子も蒸気に蒸れ
直ぐに冬休みになった。暮れには実家に帰省し夏に会う約
束であった村の級友にも会えた。皆それぞれに苦労があった
しまう様な気がした。「正月には帰って来るんだよ」そう言
しょなのか
い雨の中に消えた。
って母は微笑んだ。無理した笑顔だ。舗装もされていない林
きぬけ名古屋の冬は寒い。教室の中央に石油ストーブが一つ
そして満男は長栄企業にいた頃よりはかなり好転された状
況の中で働き、夜は定時制高校に通う生活を続ける。満男は
に手を振る母の姿があった。
たという知らせであった。報道によれば遺体は列車に轢かれ
機械科の丸山徹が名鉄線の堀田駅近くの線路で鉄道自殺をし
寺で節分の豆撒きが行われた翌日にクラスに悲報が入った。
掛け夜学の授業は行われる。凍える冬の夜は寂しく辛い。空
こら
道沿いにバスが来た。「うん。じゃ行くからな」満男も無理
用意されたがしんしんと寒さが襲う。机の下でブルブルと足
この頃になって分かった事がある。あの晩、寮を飛び出した
三つに引き裂かれていたと言う。授業の初めに教諭から丸山
かじか
が震える。教諭も教壇で震え立ち、生徒も悴む指に息を吹き
のは逃げたのではない。自分の身体の奥で(淀んだ中から抜
すすき
して笑顔をつくる。「発車オーライ」車掌嬢が笛を吹きバス
け出さなければいけない)きっとそんな意識が有ったのだ。
がクラス宛てに差し出した手紙が読まれた。今日の昼に郵便
つちぼこり
は土埃を巻き上げ走り出す。風に揺れる薄の穂の中にしきり
そして新しい自分の道を歩み出したのだと思えるのである。
えられ寂しい授業になった。葬儀は勤めていた会社の取り計
局を通して届いたと言う。彼の座っていた机に一輪の花が添
腹は侘しさを伴い何もかもが心細く感じられる。あちこちの
(武は今頃どうしているのか? あのままなのだろうか? いつか会える日があるだろうか?)心の何処かで友人であっ
38
た兄に、金の工面を頼めないかと手紙を出した。退院後は直
いう医師の話であった。困窮した満男は東京に就職して行っ
様な重量物を持ち運びする職種は当分は控えたほうが良いと
生活を余儀なくされ、職場を辞めることになった。鉄工場の
吊り上げる他ないという医者の判断で術後は一ヶ月余の入院
いうか体質的なもので腸を支える筋力が弱く、手術によって
満男の身にも様々な事が降りかかる。十八歳の二月に体調
を壊し、大腸の手術をする事になる。子供の頃からの病気と
にも積もるような雪だった。
かかる雪を払う。けれども悲しみまでは拭えない。満男の心
悲しいものか)雪は白く校庭を染めてゆく。満男は顔に降り
幾日か前には久保山もいた教室だった。(命とはかくも儚く
が残る教室を見た。たったの先週には丸山の顔もあり、その
寒い日が続いた。低気圧は岐阜に大雪を降らせ名古屋も幾
日かぶりの雪となった。授業が終わり、満男は校庭から灯り
川村に帰って行った。
立派な体格であった丸山徹は小さな骨壷に納まって富山県宮
らいで名古屋の寺を借りて行われ、一メートル七〇センチの
名鉄電車に轢かれて亡くなったのも痛ましい出来事であっ
足を失い義足になった仲間も一人いた。数学の服部老教諭が
を切断した者三名。亡くなった生徒二名。オートバイ事故で
合され、建築科も寂しいまでに生徒数が減った。プレスで指
三年目の秋が過ぎ、そして四年目の冬も終わりが来た。入
学当初二クラス有った機械科は三年生進級時に一クラスに統
った。
い聞かすのだ。最後に決めたのが早朝の牛乳配達の仕事であ
ちゃんと卒業すると父さんにも約束したんだ)と又自分に言
肩を叩くのはいつも飯島教諭の言葉だった。
(高校だけは卒
れない。他の者にはその悲しさが伝わらない。力無く落ちた
みの体格を持たぬこの少年だけにのしかかる苦悩なのかも知
して此れから先を生きて行けば良いのか)満男は迷う。人並
る都会の中で、何の得手も待たぬ自分の様な者がどのように
く る の だ っ た。 ポ キ ポ キ と 心 が 折 れ る。
(多くの人間が集ま
その質問の最後には決まって「うちではきついと思うので他
ではないか。就職面接の度に聞かれる「身長は幾つなの?」
卵」と言われて田舎を出て来たのはわずか三年程の前のこと
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
業しよう。今、投げ出したらこの先に歩いて行ける道は無い。
の仕事を考えた方が良いと思いますよ」そんな応えが返って
ぐに幾つかの就職面談に足を運んだが人並みの体格を持たぬ
た。それでもめげずに卒業迄残れた生徒は建築科十二名。機
はかな
満男はその場で断られた。田舎から出て来て何の伝手も持た
械科四十一名。最後の授業に飯島教諭は教壇に立ち、「君達
て
ぬ若造を世間は易々とは受け入れてはくれぬ。それも使って
は今日迄困難を乗り越え四年間を貫き通した誇り高き武士で
つ
役に立ちそうな者にしか採用の返事は聞かされぬ。「一生懸
随 筆
詩
命に頑張りますので働かして下さい」頭を下げて自分を使っ
評 論
ある。私は君達に心から敬意を表する。去って行った者もい
児童文学
てくれと知らぬ場所に行って知らぬ人間に頼み込む。「金の
小 説
39
浜松市民文芸 60 集
る。不幸にも命を失った仲間もいる。此れからも君達の行く
手には壁は幾つも立ちはだかる。だが逃げて何とする。諦め
て何とする。君達の未来は君達自信が切り開かなければ意味
が無いではないか。私も今日で君達と共にこの学校から去る
事になった。この教室から君達を含め志し高き勇気ある若者
すく
を送り出せた事は、戦地から戻り教師として生きて来た私の
述べた。
誇りとしたい」左手でいつもの様に前髪を掬い上げるとそう
満男達の学年を最後として名工定時制は廃止される事にな
る。生徒数の減少に伴い赤字経営を維持できないと理事会側
は既に三年前に新入生の受付を取り止めており、後輩のいな
い最後の卒業式になった。飯島教諭も教壇を下り、夜学の灯
は消えることになる。
壇上でスクッと立ち卒業証書を受ける仲間の輝いた顔は入
学時の幼さが消えた青年の顔であった。そして満男も「父さ
ん、俺やり通したよ。もう自分で歩いて行くから」そう眩い
た。
(中区)
40
[市民文芸賞]
メロンパン
阿 部 敏 広
い 訳 は し た く な い が、 息 子 は 仕 送 り だ け で は 足 り な い だ ろ
らなかったら就職するよ」といじらしい事を言っていた。
計の状況を気遣い受験前「お父さん、浪人はしないよ。受か
普通のサラリーマンにとっては家のローンと重なる、入学
金やこれから四年間の仕送りは大変だ。しかし彼の息子は家
仲のよかった同じ高校の堀内と東京の大学に通う事になっ
た。
勇二が大学に入ったのは1970年、まさに70年安保の
真っ只中である。
うに、できる限りの仕送りをしようと勇二は心に誓った。
う。しかし勉強の障害にならない程度のバイトだけで済むよ
勇二はその息子のためにも「有意義な大学生活を送らせた
い。自分の家が貧しかったために自分が学生時代経験した、
矢部勇二は息子の大学の入学手続きを済ませてホッとして
いた。
勉強どころではない生活だけは息子にさせたくない」という
川 柳
勇二の九州の田舎には国立大学はあったが当時は私立大学
はなかった。数学の苦手な勇二は必然私立に行くしかない。
自由律俳句
強い意識を持っている。
定型俳句
九州から見れば東京に比べ近い京都、大阪にも私立はある
が、勇二の田舎は東京志向が強く東京の大学を出て田舎に帰
短 歌
って来れば喜んで役場が雇ってくれるというような後進国で
詩
生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れなければならなかっ
た自分のような大学生活だけは息子には送らせたくないとも
随 筆
もあった。最初勇二は高三になったとき就職するつもりでい
評 論
思っている。
児童文学
自分が勉強に打ち込めなかったのは「バイトのせい」と言
小 説
41
浜松市民文芸 60 集
た。
父親を早くになくし母親が女手一つで三人の子を育てた。
勇二は長男だからと高校に行かせてもらえただけでも母親に
感謝していた。
勇二は勉強は嫌いではなかった。頭の隅の隅に大学という
二文字がとどまっていた。友人たちが大学進学といって放課
後、受験勉強のため嬉々として町の図書館へ向かうのを羨ま
「簡単ではないがおまえなら学校も推薦する。どうだ願書だ
けでも出しておくか?」
一瞬母親のことが浮かび勇二は躊躇ったが(どうせだめだ
ろう)と期待感もないような声で「よろしくお願いします」
と小さく言った。
夏休み前にその選抜試験を終わらせ、勇二の頭の中から一
端この事は記憶の中から消えた。
そして二学期の始まった九月初め、特別貸与奨学生合格の
吉報がもたらされたのだ。諸手を挙げて喜んでいいはずなの
しく眺めていた。しかし自分には関係のないことだと言い聞
かせ、彼らとは逆方向の道を足取り重く家路についていた。
とかの雑念がそれにブレーキをかけた。
「何ですかそれは?」
「どうだ、日本育英会の特別奨学金を受けてみないか」
す」
「行ければそれは行きたいですが家の家計では無理な話で
か」
ていない。
足立った勇二には、これは甘い考えであることに意識がいっ
い、生活を切り詰めバイトをすれば何とかなるだろうと浮き
これで入学金、授業料の手当ては出来たが生活費の仕送り
ま で は 当 然 望 む べ き こ と で は な か っ た。 夢 の 大 学 進 学 が 叶
たのか出世払いの金銭的な援助を申し出てくれた。
懇意にしている隣の歯科医が「これは誰もが受かる試験で
はない。栄誉なことだ」と言って、後日母親から相談を受け
ところが母親は大喜びでどんなことをしてでも大学に行か
せると顔を上気させていた。
だが勇二には母親にまた面倒かける、入学金はどうするのだ
五月に入ると意外な話が担任からもたらされた。日本育英
会の奨学金の話である。勇二の通う高校は進学校ではなかっ
たが数年来生徒の進学に力を入れるようになっていた。ある
日担任から、
「おまえは今、高校の一般貸与奨学生だな。その奨学生に門
「矢部、おまえは就職希望のようだが大学には行きたくない
戸 が 開 か れ て い て 特 別 奨 学 生 を 受 験 で き る ん だ。 支 給 が 月
我が家の家計の実態を考えれば本来ならば高校を卒業して
就職しなければならないのに、大学に行かせてもらう事だけ
でも親や隣の歯科医に感謝の気持ちでいっぱいだった。
二万円だからバイトをすれば通えるぞ」
この話を聞いたとき図書館に向かう嬉々とした友の姿が脳
裏に浮かんだ。「でもその試験は難しいんでしょ」
42
ものの通常の日はなかなかバイトがしたくても求人がなかっ
2ページのペラペラで求人数が少なく、しかも印刷ではなく
当時週一発行のアルバイトニュースなるものがあった。の
ちに大手就職情報誌へと発展していくのだがその頃はA4、
た。
日夜中の一時まで教科書と参考書とにらめっこだった。正月
ガリ版刷りという代物である。一度夜だけできる条件の良い
受験勉強開始のスタートが遅かったことが幸いした。友人
らは中だるみがきていて図書館でボーと過ごす時間も多かっ
も単なる日付が変わるだけの話で、雑煮を食べた時だけ正月
ウエイターのバイトが掲載されていた。三人の募集に百人余
ながら勇二は「ハガキなど来るわけがない」と妙な確信をも
との事だった。面接当日、自分の後に続く長い行列を見やり
た。勇二はスタートが遅かった分受験勉強に集中できた。毎
という気分を一瞬味わうことができた。
ようやく桜のつぼみが膨らみ始めた頃、夜行の急行に乗り
二十五時間かけて「母親に恩返し、故郷に錦を飾る」の思い
つほどだった。
その仕事の中で勇二は一生忘れないであろうバイトを経験す
しかし情報誌に載っていなくても肉体労働、危険な仕事は
先輩などの口コミで情報は得ることができた。口コミで得た
貿易商社を目指す経営学部の学生として授業は欠かさず出
ていた。勇二の頭の中にはこうして自分を無理しながら通わ
る事になる。
周りの革命を叫ぶ学生運動家が真面目に授業に出る勇二らを
すような冷気が冷たくまだ人通りも少ない。朝靄が足元を這
勇二ら三人は国鉄山の手線の高田馬場駅を降りた。大学の
先輩の情報でこの場所に来たのである。二月の早朝は頬を刺
勇二に味方してはくれない。70年安保の嵐が吹きまくり、
「日和見主義」と非難さえしていた。
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
友の堀内と後輩の早川に言葉少なに話しかける。
早稲田の学生が行き交う喧騒の時間までにはまだかなり間
がある。勇二は期待と不安のおももちで、横に並んで歩く親
うようにたなびきそこいらには空缶、ごみなどが散乱し昨日
の夜の繁華の名残があたり一面に漂っている。
事だという思いが強くあった。しかし世の中はそう簡単には
せてくれる母親に対し、最大の親孝行は「いい会社」に入る
田舎者にとってこの大都会の風物は何もかもが刺激的で希
望に満ち溢れ勉学の熱い思いを抱いて大学の門をくぐった。
で花の都東京へやって来た。
が並ぶという有様で「採用の方は後日ハガキを送付します」
この甲斐あって第一志望の大学に合格することができた。
詩
勇二はこの日本でほんとうに革命が起こせるとでも思って
るのかと苦々しい思いで彼らを眺めていた。勇二の通う大学
は封鎖こそなかったがそれでも授業の休講が増えていった。
児童文学
休講は歯軋りするほど口惜しかったがバイトができていい
やと自分自身をなだめ憤る気持ちを抑えていた。とは思った
小 説
43
浜松市民文芸 60 集
を斡旋しピンハネする事は法律で禁じられており、労働大臣
八千円!」と叫んでいる。いわゆる仕事の手配師である。人
皆一様のしわがれた声で声高に「四人だ。後四人だ。八千円!
る。あちこちに人の輪ができてその輪の中心にいる男たちが
西戸山公園は小さな公園であるが公園前の道路では人も起
きやらぬ早朝に仕事を探すたくさんの人でごったがえしてい
イトにはいつも不安がつきまとう。
日雇い、日払いのバイトを経験しているせいか、この種のバ
としているが今まで種々のバイトをして来た。過酷な危険な
休講の日勇二は堀内に誘われて今日一日の日雇い・肉体労
働のバイトを探しにこの街に来た。上京して一年近くなろう
今、朝靄の都会の中を三人が向かうのは高田馬場の駅近く
の西戸山公園である。
と早川に対して言い訳めいた先輩の意地を誇示した。
年下の早川に不安な心を見透かされたようで、勇二は「い
や心配しているわけではないよ。興味から聞いたまでだよ」
一つ歳下の早川も「勇二さん、心配する事はないですよ。
この僕だってやる気満々なんだから」といった。
る。俺たちにできない事はないよ」と答えた。
「どんな仕事をするんだろう」その問いかけに堀内は自信
たっぷりに「大丈夫さ。人間のやる事だ。誰だってやってい
まるで映画で見た終戦直後の様子とさほど変わらない。そ
の戸板を取り囲んで何人かが立ったまま、箸をせわしなく動
食欲をそそられるものではない。
煮たものが小皿に盛られて所狭しと並べられている。とても
る。その横には底の見えるような薄い味噌汁と何やら野菜を
の も あ り、 し か も そ れ は 白 く な く 麦 が た く さ ん 交 じ っ て い
された飯が並べられていた。中には欠けた茶碗に盛られたも
あたりを見回すとみかん箱を重ねた上に戸板を乗せた台を
人が取り囲んでいる。人垣の間から覗き込むとそれはまるで
理屈も入り込む余地はないのかもしれない。
る。その日の糧を得なければならない人たちに冷酷な法律も
じゃまになることがある。働いて金を必要とする者とそれを
はあったが彼らの言う搾取する者とされる者の非合理性は情
いものが若い勇二の心に残る。勇二は学生運動には批判的で
自分等はこれから危険と隣り合わせの汗にまみれるであろ
う労働を強いられる。なのに手配師の彼等は汗を流さず人を
キリしないものを感じる。
勇二ら三人にとって手配師が何をやろうと自分たちが生き
ていくためには関係のない話ではあるが、勇二には何かスッ
仏壇に供える追飯(おっぱん)のように茶碗にてんこ盛りに
斡旋しようとする者の間には利害関係はなく利益は一致す
報として理解できたから。しかし生きていくためには理屈は
集めるだけの仕事でピンはねして金を得る。何か釈然としな
の認可が必要なのであるが、もちろん彼等は認可など受けて
おらず、言ってみれば無認可の仕事である。
44
戸板から目を離し正面を向くと、長く連結された緑色の山
手線がゴオーとあたりの喧騒に覆いかぶさるように目の前を
た。
そのボーとした気分の中で同じ気分になっていたかもしれ
ない堀内が「あれを見ろよ。対照的だね」と声をかけ指差し
い気分になる。
今、歴史から切り取られたようなこの場所に立っていると
映像でしか知り得ないが昭和二十年にタイムスリップした暗
る。
目の前にはこの終戦直後のような光景が厳然と拡がってい
に終わり、今や日本は高度成長の真っ只中であるはずなのに
物心ついた頃は戦後も十年経っていたから食べ物は豊かでな
しい貧乏学生だが目の前のこの食事は喉を通りそうもない。
かしている。少なからず勇二はショックを受けた。自分も貧
「よーし男前の三人の青年、お前ら今日はついてるぞ!」と
この仕事に決めた。
躇する事なく堀内が手を挙げた。それに習って勇二も早川も
ツリで一万だ」とフーテンの寅さんのような口上に誘われ躊
をした手配師と視線がぶつかった。
す る と 向 こ う で 一 際 大 き く ダ ミ 声 か ら 吐 か れ る「 一 万
円!」という単語が耳に飛び込んで来た。駆け寄ると鋭い目
そばだてた。
勇二ら三人は仕事の内容は何でもよく日給の金額だけに耳を
この意見には早川も賛成した。あちこちで人の輪の中心か
ら「仕事は楽だ! 七千円! 五人だ、どうだ!」などとそ
れぞれの手配師が仕事の内容、
日給、必要人数を叫んでいる。
事でも日給が少しでも高いほうがいいんじゃないか」
「俺には分からないよ。まあ、おまえの言うようにどんな仕
かったにしろ食べるに事欠くことはなかった。戦争も遠い昔
通り過ぎた。開けた視界の線路の向こうには白い瀟洒なビル
意味不明の事を言ってダミ声をさらに荒げて「あそこのトラ
ックに乗ってくれ」と指さした。
手を上げ、ハツリの仕事の内容が何であるのか分らないまま
「おうちょうどいい、元気そうなそこの青年、後三人だ。ハ
が並んでいる。
乗り込む二トントラックの荷台にはすでに十数名が乗って
いる。勇二らが荷台に這い上がると二十いくつかの眼が一斉
あれも日本、目の前の戸板も日本、今日本が戦後の煤を払
って先進国に肩を並べようとする昭和四十五年の中の眼前に
に荷台に座っている。何を考えているのかトラックの中では
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
に勇二らをとらえた。見知らぬ者同士が今偶然向かい合わせ
はまだ確実に昭和二十年が残っていた。
誰も口を聞かない。見回すと勇二ら三人のような学生風は居
詩
勇二らはあちこちの人の輪の後ろから、輪の中心の手配師
が怒鳴る日当の金額に聞き耳を立てていた。
随 筆
「どうせ過ごす一日の長さは同じだ。ならば一円でも日当が
評 論
ず、労働者風の男たちばかりで中には五十を過ぎていそうな
児童文学
高い方がいい。勇二、どこに決める」と話しかけた堀内に、
小 説
45
浜松市民文芸 60 集
頭髪の薄くなっている者も交じっている。
の部屋を行き来をしていた。堀内の通う大学は封鎖され彼は
な錯覚にとらわれた。
連れていかれ厳しい労働に耐えかね船上で暴動が起きるよう
勇二はトラックに揺られながら目の前の光景にふと小林多
喜二の「蟹工船」が思い浮かんできた。勇二はこのまま港に
に閉じこもり二月の東京の寒さにじっと耐えている。
りと手で押さえ眼をつむっている者、それぞれが自分の世界
じっと下を向いたままの者、走り去る景色を見る事もなし
に眺めたり、あるいは風に帽子を飛ばされないようにしっか
手配師に集められた労働者が一日の糧を得るために、こう
して二月の寒風の中を背中を丸め何かにじっと耐えている。
った。
から満更でもないんじゃない。仕事は毎日あっていつでもい
た先輩が仕事は大変だけど日当がよくて日払いって言ってた
うなあ」とあきれ顔で言った。
「無責任な奴だなー、何をやるかもわからないで俺をよく誘
「で仕事の内容は?」
「俺もよく分らないんだ」勇二は、
「大変は大変だけど日当がすごくいいらしんだ。普通の仕事
とも冗談とも取れる事を言った。
勇二は「えっ、
二十四時間? 朝八時に始めたとして、昼、
夜の八時、夜中、そして朝。長いなー死なないか?」と本気
か?」
その堀内とは安いウイスキーをただ水で割っただけの黄色
い酒を飲み交わし将来の夢を話し合う事もある。ある日堀内
バイトに明け暮れていた。
勇二はクッションのない荷台で尻の痛さと戦いながら(あ
のバイトに比べれば何だってできるさ)と前に経験したその
トラックは早朝の静けさを突き破るように調子の悪いマフ
ラーからバリバリとエンジン音を轟かせ、表通りへと出て行
バイトの事を思い出していた。そしてもう一つこれとは対照
いらしい」
建付けの悪い硝子戸を開けると一応テーブルやロッカーが
包か、荷造りだな。これなら楽勝だな)と思った。
当日向かった先は品川の街はずれにある木造の二階家で小
さな看板には「(有)茂木梱包」と書かれている。勇二は(梱
生活費が底をついてきている勇二は日払いという言葉に魅
かれこのバイトを堀内とやる事にした。
「何でも日によって仕事の内容が違うらしいんだ。でもやっ
の倍くらいらしいんだ」
が こ う 切 り 出 し た。「 今 度 二 十 四 時 間 の バ イ ト を や ら な い
的なバイトも同時に思い出していた。
二つのバイトのうち、これに比べれば何だってできると思
った過酷なバイトとは……。
勇二は上京して堀内と部屋は違うが同じ三畳間のアパート
に住んでいた。通う大学はそれぞれ違うが同じ九州出身で高
校来のこの親友とはウマが合い、大学が休みの日にはお互い
46
た。
かないではないかと軽く心で反問し、用件を単刀直入に伝え
「何か?」には勇二は面食らった。ここに来る目的は一つし
か?」と言った。
た 五 十 代 と 思 わ れ る 女 性 が 顔 を 上 げ ニ コ リ と も せ ず「 何
あり事務所の体裁は整えている。うつむいて事務を執ってい
吹き出る汗と重労働に、仕事が始まって八時間ほど過ぎた
がこれがまだ十六時間も延々と続くのかとうんざりした。そ
ここでの仕事は、暑さと百キロを越す鉄材運びの重さと、
不眠二十四時間という時間の長さとの戦いだった。
はとてもできない仕事だと思った。
大学一年の勇二はこの人たちに尊敬の念を抱いた半面自分に
隆々の鉄鋼マンの姿だった。世の中の事をまだよく知らない
溶鉱炉の前で荒れ狂う炉の中の紅蓮の炎と闘っている筋骨
してあの事務の女性が言った「途中で帰らないでね」の意味
するとその事務の女性は最少必要言とも思える言葉で行く
先の住所が書かれた紙片を無言で手渡した。
がようやく分かった。
す る と さ き ほ ど の 監 督 者 が や っ て 来 て「 今 か ら 仮 眠 だ か
ら」と言った。勇二は瞬間「カミン」の意味が分らなかった。
そして謎めいた一言を言った「途中で帰らないでね」
その指定された住所に行って勇二は驚いた。「荷造り」と
思って下町の工場の段ボールの箱を思い描いていたものがそ
こは、段ボールとは縁遠い鉄を扱うK製鉄所川崎工場であっ
説明にはなかった会社側の急遽の配慮なのか夜中に二時間の
角の休憩所の数個の長椅子がある場所で、走ったのはその長
仮眠の指示が出た瞬間数人が走った。勇二は「おや?」と
思ったが仮眠場所に行って謎が解けた。仮眠場所は工場の一
仮眠という思わぬご褒美が与えられた。
明もないまま各班に分けられ、作業服を着た監督者に勇二ら
椅子を占有するためであった。長椅子を占有された勇二らは
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
長椅子を先取し横になった白髪のおやじさんを見やると
勇二は思った「競争社会で生きていくというのはこういう
事なのかなあ。人のことなど構っていられないんだ」と。
堀内が仰向けになりながら背中のゴツゴツした寝心地の悪
さにブツブツ言う「乞食だって段ボールの上に寝るぞ」
仕方なく地面に直接に寝た。
三人はいきなりだだっ広い熱気に包まれた溶鉱炉へと案内さ
正門の警備員に指示され向かった製鉄事務所にはすでに数
十人の若者から年配者までが集まっている。仕事の内容の説
た。
詩
れた。
八月の夏真っ只中で、工場の中にいるだけでも灼熱の暑さ
だった。
さらにそこには真っ赤な炎がいくつもとぐろを巻く巨大な
溶鉱炉が並んでいて、見ただけで汗が噴き出してくる。
児童文学
ここでの仕事は鉄材を運んだり、清掃の雑務だった。しか
し勇二はここで一つの感動を受けた。それは千何百度という
小 説
47
浜松市民文芸 60 集
六十を過ぎているように思える。横になって数分も経たない
のにすでに大きないびきをかいている。
そして同時に思い出していたこのK製鉄でのバイトと対照
的なもう一つのバイトとは……。それは夏の日の東京駅前丸
んだ! 押せ、押せ船腹にぶつかるぞ!」監督者の怒号と作
業者の沈黙が一体化し二時間に及ぶ作業を終えた。
担ぐのは大変な事であろう。憐れみをかける以外勇二にはど
ビル内の一流商社N商事の一部引っ越し作業であった。
そのおやじさんが仮眠の合図と共にここへ走ったのはここ
での仕事は初めてではないのであろう。あの歳で重い鉄骨を
うする事も出来ない。その寝顔に今は亡き父親の像を重ね、
平日なので社内では業務が行われていた。
て来る鋼板を十数人で押さえ置く位置を決め、この鋼板を幾
し船底の広さと鋼板の大きさが同じくらいで上から下ろされ
船はさほど大きくなく、工場で出来上がった五メートル四
方の二トンもの鋼板をクレーンで積み込む作業である。しか
だった。
事であった。
使い、表に止まっているトラックに積み込めばいいだけの仕
類の入れられたダンボールの箱を手押し車でエレベーターを
社内事務のためか女性社員が多く、まるで花園に迷い込ん
だようでカラフルな私服は花そのものであった。この花畑と
く私服であった。
室内は心地よい空調でコントロールされ快適な空間で男性
は白さがまぶしいワイシャツネクタイで、女性は制服ではな
ただ無事にこの仕事を終えてほしいと願うしかなかった。
夜が白々と明けてくると勇二らは作業場所が変わった。
ほとほと疲れていたので歩くだけの移動の時間がこの上な
い休憩時間に思えた。次の仕事は工場内の港に接岸された船
重にも重ねるのである。一歩間違えば鋼板と船壁に挟まれて
同じ八月で溶鉱炉の火を目の前にし、溢れる汗で肩に食い
込 む 鉄 材 を 運 ん だ 事 を 思 え ば、 ま る で 天 国 と 地 獄 の 差 で あ
に鋼板を積み込む作業である。これは危険きわまりないもの
しまう。
った。
意思を持たない人間以外の生き物のように思われた。クレー
学に通う勇二はこの二つの仕事を通して自分の将来を考えず
鉄、空調の効いた花畑内で物を運ぶN商事。就職のために大
K製鉄のバイトの後だっただけに二つのバイトの落差を考
え ず に い ら れ な か っ た。 灼 熱 の 中 で 地 面 に 寝 か さ れ る K 製
る。こちらの仕事は鼻歌さえ出てきそうなほど楽な仕事であ
錯覚するような中での勇二の仕事は単純な仕事であった。書
勇二は(命がけのバイトなんてあるのか)と心の中で反問
した。仮眠とはいえ地べたに寝、揺れる鋼板を必死に手で押
ンから降ろされてくる鋼板は意思をもった生き物のように勇
さえる自分が、社会の底辺を這いずり回る人間にも及ばない
二らに迫ってくる。監督者が叫ぶ「右、右! 何をやってる
48
にはいられなかった。
勇二の回想を振り切らせるかのように小声でトラックの荷
台の横にいる堀内が語りかけてきた。
「重苦しい雰囲気だねー」
ある。上から覗いてみるとかなりの深さがあって、底にはコ
ンクリートが打たれており、規則的に五十センチ四方の柱台
が並んでいる。
またトラックでどこかへ運ばれて行く。トラックのエンジン
田の小川町。そこで勇二ら三人だけ降ろされ、他の人たちは
押さえられて口を聞いたのは二言三言だった。着いたのは神
かかったであろうか、この間勇二ら三人は周りの重い空気に
と向かう手助けをするのであろう。現場へ着くまで三十分は
トラックは都内へと向かい、都心に近づくほどビルが上へ
上へと伸びている。今日の仕事は建築現場という。上へ上へ
浮かんだ。
が毎日だと辛いものがあるね」と勇二はK製鉄での事が頭に
迫感を感じる。今日一日このまるで所々水溜りのある地下牢
ルの地下に降り、周りを見回すと、四方を土の壁に囲まれ圧
勇二ら三人もそれに習って、忍者とはいかず普通の人にな
って恐る恐るそれぞれ慎重に下へ降りて行く。その三メート
で忍者のような身軽さではしごを伝って下へ降りていった。
に降りるから俺についてきてくれ」そう言って監督は、まる
対乗せないように、くれぐれも怪我のないように。じゃあ下
き上げる。荷崩れしないように材料はリフトの枠を超えて絶
らよく聞いてくれ。まず底にちらばってる材料や破片を一個
底一面に基礎工事の後の金属や木片の部材が散乱してい
る。監督が大きな声で説明を始める。「一度しか言わないか
ビルの基礎工事が終わり、この上に鉄筋が組まれビルが建
てられていくのであろう。
音を聞いて、事務所のプレハブ小屋の中から四十代の現場監
のような土の箱の中で仕事をするのかと思うと憂鬱になる。
「そうだねー、俺たちは今日一日だけだからいいけど、これ
督らしき人が胸をそらして近づき「おまえら三人か。サボら
監督の大きな指示の声でその感傷も軽く吹き飛ばされさっそ
所に集める。上からリフトを降ろすからそれに乗せて上へ引
ずにしっかり働けよ」と声をかけてきた。
く仕事を始める。
でもいいのであろう。要求されるのは三人の肉体的労働力の
いきなりのこのせりふでは先が思いやられる。お互いの自
己紹介もなく現場に案内された。ここでは名前なんかはどう
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
していた。勇二ら三人は黙々と腰をかがめ材料や破片を拾い
四角な空を見上げると今にも泣き出しそうな曇り空で、両
隣のビルが壁になり、なおいっそうこの地下壕を薄暗く圧迫
随 筆
供給であり、意志を持った個人は必要ないのであろうから。
評 論
集め、それを隅のリフトのところまで運び込んだ。指示され
児童文学
ここの建築現場とは十メートル四方位の穴が掘ってあり、
深さは三メートルほどでこれから建設するビルの地下部分で
小 説
49
浜松市民文芸 60 集
たとおりいっぱいにして下から叫ぶと、事務所にいる監督が
出て来てスイッチを入れ上へ引き上げる。
だ!」の一言が天使のささやきに聞こえた。時間になると地
下壕から開放された三人はプレハブの事務所に入っていっ
拾い集めた。それでもこの作業は三時間ほどで終わった。
り返しはまさに刑罰だと思った。水溜まりの中にある廃材も
世代に見える店員の娘さんがテーブルに一人座っていた労務
表通りに出、食堂を探した。○○食堂と書かれた一軒の大
衆食堂に入った。中は昼飯時で混雑していたが、勇二らと同
に戻ればいいんですね」と問いかけると、
顔も上げず一言「あ
監督は何やらしかめ面をして製図台で図面を作成してい
る。監督に「じゃあボクたち昼飯を食って来ます。一時まで
た。
監督の
「上へあがってこい!」と野太い声が頭上に響いた。
はしごを伝って上へあがると、監督から説明があったが次
はこの穴の四隅を削るらしい。パワーショベルで掘った穴だ
堀内が「これはまるで刑罰だな」話しかけるともなしにひ
とり言のようにつぶやくのを聞き、勇二もこの単純労働の繰
が機械(ショベル)では四隅が直角に削れないらしい。人力
者風の男に「お客さんカウンターの方に移って」と無理やり
押しやり、三人が座れるテーブルを確保してくれた。
あ」と言った。
でつるはしとスコップを使い削り取るとの事だ。
周りを見回すとネクタイをしたサラリーマンはいず、作業
着の工員風の者や、近くで現場の仕事をしているのか、勇二
これがハツリという事を勇二は初めて知った。勇二は小さ
な優越感を感じた。これだけ機械が進んだ世の中でも結局人
様の力が必要らしいことに。
をいっぱいにしていた。
び上へ引き上げる。
ネコ(手押し車)にすくいあげそれをリフトのところまで運
石が下に落ち、溜まったものを残り二人でスコップを使い、
「はあ?」と首をかしげたが勇二にはその意味が分かり笑い
その娘に「大盛りカレーライスライス」と言った。その娘は
に「席を、ありがとう」と言うと、娘はにっこり笑って首を
ていた。堀内は、注文を聞きに来て席を空けてくれた店の娘
勇二はまだわずか半日しか仕事をしていないのにまわりが
仲間のようで妙に安心感を覚えた。三人はとにかく腹が空い
らと同じように服は土に汚れている人たちでこの昼時の食堂
監督から仕事の手順、ゴンドラの操作方法やリフトの使い
方などの説明を受けた後、三人の内一人が命綱をつけ.ゴン
三十分もすると二月だというのに三人のそれぞれの額には
汗が光る。四隅のうちの一ヶ所が終わった頃ようやく待ちに
出した。後輩の早川は何の事か分からず「堀内さん、何です
ドラに乗り、つるはしを使い石まじりの壁を削る。削った土
待った昼飯が近づいた。三人にとって今日唯一の楽しみはこ
すぼめる。堀内が早速料理の注文をしたがギャグのつもりか
れ し か な い。 監 督 の「 あ と 十 分 し た ら 上 が っ て こ い。 昼 飯
50
娘は店中響き渡る声で大笑いし、中には何事かと勇二らの席
もんだ」ととぼけた顔で言った。箸が転がっても笑う年代の
「カレーライスの大盛りでは足りないから、カレーライス
と別にもう一つライスだよ。まあ、ラーメンライスみたいな
かそれは」と聞くと、堀内は、
ゃだめですよ。学生の本分はやっぱ勉強ですよ」
と言った時、
早川が口を挟み「ボクたちみたいにバイトに明け暮れていち
当優秀じゃないと無理だろうな」とため息まじりに言った。
ないよ。K製鉄だって下請けは別だろうけど社員となると相
方に勤めたいと思うだろうな」すると勇二は「簡単にN商事
言も口を聞かずせわしなくスプーンや箸を動かしていた。堀
当人は真っ赤な顔をしてうつむいていた。皆は食欲旺盛で一
スライス」と言った。周りの視線が集まったので、注文した
持って来て、周りに聞こえる声で「はい、大盛りカレーライ
休みがあっという間に終わり現場に戻り仕事を再開する。
しなければと思うがそう簡単には答えは出て来ない。短い昼
イト生活を続けていると大学に進学した意味がない。何とか
るのではないだろうか。このままズルズルと生活のためのバ
勇二は自問自答した。大学の勉強が思うように出来ない事
を「バイトをしなければ生活ができない」を隠れ蓑にしてい
勇二は二の句が告げなかった。
って言うけどうちの大学から、かつて就職したのは一人もい
に視線を向ける客もいた。
内の頼んだ大盛りカレーライスライスはこれを完食できるの
娘は調理場の方に戻ってその話をしたのかそこでも笑い声
が起こっていた。堀内の注文の品をその娘は両手で重そうに
かと思うほどの量だった。それを堀内は難なくたいらげ「満
った。残念ながらまた来れないのがこの日雇い仕事の宿命で
が浮いている。
そ れ か ら 一 時 間 ほ ど 経 っ た 頃、 勇 二 は 腰 が 痛 く な っ て き
た。他の二人も疲れの色が顔にはっきりと出ていて額には汗
をする。
ある。
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
と早川を促した。早川も同調しコンクリートの上に三人は
腰を下ろしあぐらをかいた。
給料が変わるわけではないしな。そうしよう、そうしよう」
勇二は「少し休もうよ」と二人に声をかけた。堀内が、
「そうだな。どうせ俺たちバイトだしな。いくら働いたって
あわただしく昼食を済ますと、堀内のギャグのお礼か娘は
店先まで来て「ありがとうございました。また来てね」と言
足」と一言った。
この地下壕の残りの三隅を削り取らなければならない。ツ
ルハシを振り下ろすがカキーンと石にぶつかり削るのに苦労
詩
残り三十分の昼休みを、現場そばの小さな神社の境内の石
段に座ってしばしの休息に息をついた。
勇二は二人にここへ来るトラックの荷台で思い出してい
た、二つのバイトについて話した。堀内は「K製鉄にN商事
児童文学
か。どちらも日本を代表する一流企業だね。誰しもN商事の
小 説
51
浜松市民文芸 60 集
三人の心を見透かしたように、
「この仕事はな、時間で請け負っているんだ。期日までに
仕上げにゃならん。基礎が終わらないと建築工事も始められ
スコップで土をすくう回数が増えた。しかし無情にも二月の
ここで三人の気持ちは完全に一つになり勇二もいつのまに
か腰の痛さも忘れ、ツルハシを持つ手に力が入った。早川も
ける。
時間までに完璧に仕上げようという達成意欲が仕事をどん
どんはかどらせた。運悪く四時を過ぎた頃から、泣き出しそ
ないんだ。学生だったらそのくらいの事は分かるだろ! だ
ったらアルバイトだからという甘い考えを捨てて真剣にやっ
笑うかのように降りかかってきた。
「おい! 五時までには仕上げようぜ」堀内が二人に声をか
うにしていた空からポツリ、
ポツリと冷たい雨が落ちて来た。
てくれ!」
冷たい雨は本降りになって来て、今までの三人の怠慢をあざ
十分ほど雑談を交わしていた時、上から監督の、
「お前ら! 何やっているんだ!」との怒号の雷が落ちた。
と苦り切った顔で怒鳴った。
監督が上から「おまえたち、もういい上がって来い。風邪
を引いちまうそ」と声をかけてきた。堀内は「どうする」と
三人は申し訳ない表情を浮かべて監督の正論に小さく
「は、はい」と返事をし持ち場に戻り、その後三人は一心不
乱に働いた。
限りなんだ。四隅を仕上げようぜ」と答えた。
勇二らに声をかけると、勇二は「後少しだ。この現場は今日
どうにか四隅のうちの一隅を残すだけになり仕事ははかど
った。
早川も「ボクもやる。仕事の証を残したいよ」と言う。
この仕事に対して最初のうちは早く時間が経てばいい、た
だやらされているという辛い気持ちが強かった。四隅を削っ
戻ってきて、その手には三人分のカッパが抱えられていた。
分かった!」と一言いって背を向けて去った。するとすぐに
下さい」と叫ぶと、監督は一瞬躊躇したようだったが「よし
堀 内 は 地 下 か ら 見 上 げ 監 督 に 向 か っ て「 監 督 さ ん! 後
三十分ですから。時間内には必ず仕上げますのでやらさせて
ていくうちに、このまま監督からダメな奴らとレッテルを貼
「おい、これを着ろ」と上から投げ下ろした。そのカッパを
仕事を進めていくうちに勇二は何か心の中に変化が現われ
てきた。
られたままで終わることに耐えられない気持ちが湧いてき
やっと残された一隅を削り終わり、最後の土石を上へ引き
上げ仕事は終了した。三人それぞれの気持ちの中にジワリと
三人は手早く身に着けると残された仕事に取り組んだ。
た。このことを二人に伝えた。
二人も同じような気持ちが芽生えてきていたのか、
「そうだ、よーし監督におお! と言わせてやるぞ」と三人
の気持ちが一つになった。
52
れて、ふくらんだ紙袋を手渡してくれた。
苦労さんだった。風邪引くなよ」と熱いお茶を運んで来てく
前で服を乾かし暖を取っていると、監督が近づいて来て「ご
に濡れそぼった体に暖かく心地よかった。三人がストーブの
所へと引き揚げ中に入るとストーブがあかあかと焚かれ、雨
やり切ったと言う充実感と達成感が沸き上がってきた。事務
と言ってB5のペラペラの用紙を渡された。
「どうしてですか?」くらいの同情を期待したのに、その女
たいんですけど」と小声で用件を伝えた。
大学の学生課へ行き休学届けを出した時、学生課の女性職
員に勇二はある種の緊張を持って「あのー、休学届けを出し
をした。
からない。勇二は答えを出した。一年間大学を休学する決断
賃金より千円多く入っていた。同時に封筒を開けた三人は思
でも食べなよ」と言って渡された日当の封筒の中には約束の
もなく予定以上の貯蓄ができた。一年後復学し、何とか一年
長期的なレストランの皿洗いをした。昼夜働いたので遊ぶ暇
こうして勇二は休学の一年をバイトに費やし学費を貯め
た。昼間は不定期的な肉体労働を含むバイトに費やし、夜は
さらに用紙を受理した事務職員の「このまま退学する人が
多いのよね」の一言にはぐうの音も出なかった。
勇二は一世一代のつもりの決断に、この事務職員のあまりに
も事務的な対応にがっかりを通り越し腹立たしささえ覚えた。
性事務職員から何の緊張もなしにまさに事務的に「どーぞ」
中を開けるとメロンパンがいくつも入っていた。勇二は監
督の意外な優しさに、とっさのお礼の言葉が詰まって出てこ
なかった。
監督はこの人も笑う事があるんだと思われるいかつい顔に
不釣合いな笑顔を見せて、「おまえたちを見直したよ。今ま
で学生のバイトはしようがないなと思っていたけど、これか
わず声をそろえて「監督さん!」と感謝の眼差しを向けて言
遅れで卒業し中堅の繊維メーカーの職を得た。
らは考えを改めなきゃならんな。帰りに何かあったかいもの
った。
それから二〇余年五十歳近くになった今、息子も自分と同
じ よ う に 大 学 の 門 を く ぐ る。 息 子 に は 遠 回 り は さ せ た く な
定型俳句
自由律俳句
川 柳
そう思うと息子への仕送りはこれからの自分への投資のよ
うにも思えた。そして心の中で(よし明日からもバリバリ働
短 歌
くぞ)と言って、入学手続きを終え息子がこれから四年通う
い。自分が不充分だった大学での学業に打ち込んで欲しい。
勇二はこの時初めてこの人と「人間としての心」が通じた
と感じた。
詩
確かにバイトの経験はある意味人生経験でもある。しかし
学業がおろそかになり単位も不足する。下手すれば留年とい
随 筆
うことにもなりかねない。食べるための生活に追われ、バイ
評 論
大学の門を足早に出て行った。
(中区)
児童文学
トに追われ、これでは何のために無理して大学に来たのか分
小 説
53
[入 選]
竹 中 敬 明
読んでいた。
「殿、島津の家を存続させるには、頭を下げるしかござらぬ」
義弘は説いたが、義久はどこまでも秀吉を侮っていた。
「何の、頼朝公以来続いた由緒ある当家が秀吉ごとき成り上
り者に頭が下げられるか」義久は降伏を先延ばした。
しかし、三月に入ると秀吉自ら二十万の大軍を持って攻め
寄せ、島津は豊臣の圧倒的な軍事力の前に屈服した。
平定し、そして九州平定に乗り出した。
全国統一を目指して勢いを増していた。秀吉は中国、四国を
このことで、島津家は義久と義弘の確執、家臣団同士の反
目、そして義弘の生涯に亘る苦難が始まった。そして、「秀
だ。
秀 吉 は 強 国 の 島 津 を 弱 体 化 す る た め、 当 主 の 義 久 に 薩 摩
国、弟の義弘に大隅国をあてがい、二人の当主体制を仕組ん
秀吉は剃髪して許しを乞うた当主義久の命は助けたが、島
津を薩摩、
大隅国と日向国の一部だけに押し込めてしまった。
二つの強者が九州の地で激突するのは時間の問題であっ
た。
吉ごときの言いなりになるか」義久の拗ね者みたいな抵抗も
始まった。
天 下 統 一 を 成 し 遂 げ た 秀 吉 は、 晩 年 に な る と 人 が 変 わ っ
た。常軌を逸するようになり、朝鮮、明を征覇する野望を持
ちはじめた。
島津家の当主義久と弟の義弘を中心とした評定は、保守的
で腰の重い義久と先を読み、
行動的な義弘とで意見は割れた。
次いで秀吉は朝鮮派遣軍の陣立てと全国の大名に石高に応
じた兵員を割当てた。
線拠点として名護屋城の築城を九州大名に命じた。
天正十九年(一五九一)八月、全国の大名に大陸征覇の大
号 令 を 発 し た。
「文禄の役」である。そして肥前の半島に前
義弘はこれまで九州に割拠する大名との戦で常に先鋒とな
り、これを打ち破ってきた猛将であるが、秀吉の巨大な力を
秀吉は弟の豊臣秀長を大将とする十五万の大軍を送り込ん
だ。
「薩摩のたわけ、わしの力を見せてやるわ」
え蹴ってしまった。
島津家の当主島津義久は秀吉の巨大な力を知らなかった。
むしろ侮り、高野山の木食上人による秀吉からの和睦交渉さ
天正十五年(一五八七)一月、戦国大名の島津は勢力を拡
大し、九州制覇が目前であった。一方、上方では豊臣秀吉が
孤 将
浜松市民文芸 60 集
54
派遣軍は一番隊から九番隊に編成され、九州大名の小西行
長が一番隊、同じく加藤清正が二番隊の主将となり、島津は
四番隊として一万の兵力が課せられた。
「父上は高齢でありましょう、それがしが代わってお役を承
ります」
連座の者を皮肉るように言ったが、義久はじめ家老たちは
能面のような顔をして押し黙ったままであった。
思っていたが、それは口にはできなかった。
島津の国元では義久、義弘と家老たちによる評定が開かれ
た。
「太閤様の料簡違いは迷惑千万なことよ」誰もが腹では
「父上だけを出すわけにはまいりません」
い、久保は残れ」
「朝鮮の戦はこれまでの戦と違って厳しいぞ、わし一人でよ
文禄元年(一五九二)正月、秀吉は朝鮮出兵に向け全大名
に名護屋城集結を命じた。
「当家にはそんな兵力は出せぬ、それにわしは五十九歳だ、
久保は兄義久の娘亀寿の婿となり、島津本家の跡取りとな
る身であるため、義弘は二人きりになった時に言った。
出陣はできぬ」義久は息まき、当主としての責任を拒んだ。
「緩々とやればよろしいのでは、そのうちに太閤の気が変わ
た。
太閤秀吉の命令が不条理と思ってもそれに逆らうことは島
津家の破滅になることを義弘は孤立しながらも懸命に説い
「殿、太閤様の軍役を果たさねば当家は取り潰されますぞ」
嘲笑しながら言う家老もいた。家老たちは内弁慶よろしく
銘銘が反対を言い募った。
「久保、この不様では太閤様から強いお咎めがあろう」久保
でございます」
「父上、島津家のために奉公しているのに何たる不様、無念
が先を競うがごとく次々と出港していくのに島津の船団は一
物資を乗せた船団の到着を待った。港では他の大名家の船団
るかも知れませぬぞ」
「朝鮮への出陣はそれがしが殿に代わって承ります」
「九州一の大名がこんな陣容では他家に笑われる、島津の旗
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
「丸に十字」の旗印を折り畳み、僅か二百程の兵員で、他家
は息まき、義弘は屈辱で身の置き場もなかった。
向に現れなかった。
他の大名家では当主自ら出陣していることを知る義弘だが
敢えて申し出た。義久より二つ下の五十七歳であった。大広
派遣軍の集結日と定められた文禄元年四月一日、義弘父子
は僅かな供回りと名護屋に着いた。そして国元からの兵員、
義弘は久保の孝養を嬉しく思いながらも、久保だけは朝鮮
に行かせたくなかった。久保は病を抱えていた。
詩
差物は仕舞え」義弘は命じた。
随 筆
間に重苦しい空気がよどみ、義久は鼻白んだ。
評 論
の船団から隠れるようにして朝鮮釜山に向け出航した。
児童文学
突如、大きな声が発せられた。義弘の嫡子久保であった。
その声は怒りを帯びていた。
小 説
55
浜松市民文芸 60 集
義弘父子は初めて見る朝鮮の風景を見ながら短く言葉を交
わした。
二十三日、名護屋城で秀吉が謁見した。秀吉は勝者気どりで
保は言った。
を制圧した。
その頃、朝鮮の島津隊は江原道から南下、六月二十九日に
慶尚道の要衝晋州城を攻略し、朝鮮南部の海岸地帯や巨済島
一方的な七か条の講和条件を示し、明皇帝の返書を求めた。
「何の、そちは島津家の大事な跡取り、そちこそ無事に戻ら
九月、巨済島在陣の久保の病が再発し、容態は日を追って
悪化した。
「父上にはお役目を果たされ、無事お帰り願わねば……」久
ねばならぬ」
を攻略して義弘はやっと面目を保つことができた。
破竹の勢いであった。島津隊も漢城から江原道に入り、要衝
日本の各隊は朝鮮軍を次々と撃破し、北上を続けた。五月
二日には小西隊、加藤隊が首都漢城を陥れるなど、日本軍は
同じ四番隊に属する毛利吉成らの部隊は既に北上してお
り、三千程の兵力になった島津隊はその後を追った。
国元の動きは全てが緩々としていたが、それでも兵員、物
資を乗せた船が四艘、五艘と釜山に入港するようになった。
「若殿、若殿」
義弘は人目を憚らずに泣いた。家臣たちも、
と地に伏して慟哭した。
ぬとは……」
「お前は、わしの唯一の生きがいであった、わしより先に死
久保は終に八日夜、息を引きとった。二十一歳の短い生涯
であった。その夜は漆黒の闇で、冷たい雨まで降っていた。
の声が陣所内に響き渡った。
保は寒々とした陣所の寝床で父を案じた。
「久保しっかりせよ、一緒に薩摩へ帰るのだ」叱咤する義弘
「父上のことが心配です、薩摩へ無事に帰られますよう」久
六月十五日、小西隊が平壌を陥落させたが、この頃になる
と朝鮮からの援軍要請に応じた明軍が南下し、各地で戦闘が
そして翌日、久保の後を追って三名の殉死が出た。久保は
皆が慕う仁将であった。
それは義弘にとって、朝鮮攻略より切実な大事であった。
激化してきた。
不幸は続いた。十二日、義弘の長女の婿である朝久が陣所
で病没した。
文禄二年(一五九三)一月、朝鮮、明連合軍に平壌が奪還
されると日本軍は守勢に立たされ、前線を首都漢城まで後退
させることになった。
義弘は天を仰いで血を吐くように叫んだ。
「朝久までがこの老いぼれを残して逝ってしまった、わしの
寿命を半分に削って二人に遣りたかった」
明 が 沈 惟 敬 を 代 表 と す る 使 節 団 を 日 本 に 派 遣 し、 五 月
しかし、明軍も日本軍の強さを知り、講和を持ちかけ、四
月から講和交渉が始まった。
56
た。
ぬ」我が子を思う義弘の心は、荒涼たる朝鮮の野をさ迷っ
を跡目にするだろう、どちらにせよわしは死んでも死にきれ
わしが先に死んだら忠恒の後ろ盾がなくなり、義久公は忠仍
「もし、忠恒が死んだら本家の跡継ぎは忠仍になる、もし、
若い忠恒は意気軒昂であったが、久保を亡くした義弘には
心配の種がまた一つ増えたに過ぎなかった。
に働いて見せます」
「父上、息災で何よりです、私が父上と兄上に代わって存分
に着いた。忠恒この時十八歳、朝鮮での初陣であった。
文禄三年(一五九四)三月、忠恒は秀吉から朝鮮出兵を命
ぜられ、七月、忠恒は三百余の兵を率い、巨済島の島津の陣
安を覚えながらも朝鮮の地では何もしてやれなかった。
しかし、義久は外孫に当たる忠仍も跡目に考えており、忠
恒の立場は不安定なものであった。義弘は忠恒の先行きに不
国元では久保の死を受け、義弘の次男忠恒が久保に代わっ
て亀寿の婿養子となり、島津本家の跡取りの立場になった。
義弘にとって最も恐れたことが現実となってしまった。義
弘は天を恨んだ。
騒動を考えると気分は重かった。
これらは当然のことながら豊臣政権に対する義久と義弘の
奉公度が勘案されたものであったが、義弘にとって兄の義久
た。
「太 閤 殿 下 の 思 召 し め し で ご ざ る 」 三 成 は 冷 や や か に 答 え
「三成殿、これは如何なることでござるか」
っていた。
ただ検地朱印状の島津家宛名が義弘とされていた。これは
島津家の代表者を義弘とするものであり、更に薩摩国の当主
あった。
義久、義弘ともに十万石をあてがわれ、検地に協力した筆
頭家老の伊集院幸侃も八万石があてがわれた。重畳なことで
石高は二十三万石から五十六万石に増加した。
文禄四年(一五九五)六月二十九日、義弘は大坂城に召し
だされ、三成から島津領検地朱印状が渡された。島津家の総
としなかった。
成の家臣団による検地に協力したが、島津の家臣団は領分が
を差し置く沙汰は驚きであり、国元で当然に起こるであろう
を以前の義久に替えて義弘とし、義久は大隅国に国替えとな
侵されると反対し、当主の義久も家臣団の反発を押さえよう
必要とし、巨済島在陣の義弘に帰国を命じた。義弘は石田三
朝鮮において激しい戦が続いているなか、文禄三年九月、
国元においては豊臣政権による島津領の検地が始まった。「太
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
家中の怨みが沸騰し、その矛先が豊臣政権と義弘、伊集院
国元では知行割がおこなわれた。総石高は増えたが、家臣
団の多くは石高が目減りし、所替となる者もいた。
閤検地」である。この検地は保守的な島津の家中を大きく揺
随 筆
さぶった。
評 論
児童文学
豊臣政権は難儀な島津領検地を実施するため義弘の協力を
小 説
57
浜松市民文芸 60 集
幸侃の二人に向けられた。
「義弘公はうまく立ち回って得をされた」
義弘に対して陰口が飛びかった。
「わしは自分の領分を増やすために検地に協力したのではな
い、検地に逆らったら島津家は取り潰される、それが何故分
からぬか」
義弘は天下の流れに背を向ける島津家中の頑迷さを嘆い
た。
島津家の表向きの当主は義弘となったが、家臣団の多くは
義久に従い、義弘に対しては面従腹背の態度を取った。
「義弘公、そなたが島津家の当主だから存分に仕置きすれば
よろしかろう」
兄の義久はそう言ったが、心底からではなかった。やっか
みがあった。
「何を申されますか、殿はこれまで通り島津家の当主でござ
る」
義弘は飽くまで兄を立てたが、家臣団は義弘に対して冷や
やかな視線を向けた。
「わしも皆と一緒に反対と言っておれば家中で嫌われること
朝鮮においては、朝鮮、明連合軍と民衆蜂起軍が勢力を増
し、更に朝鮮水軍が制海権を奪い、日本軍は陸海で苦戦に陥
っていた。
島 津 隊 も 巨 済 島 に 忠 恒、 加 徳 島 に 家 老 の 新 路 旅 庵 が 在 陣
し、食糧、弾薬が不足の中で戦を続けていた。
九月一日、明の使節沈惟敬が大坂城で秀吉に謁見、明皇帝
の返書をもたらした。
秀吉が期待したその返書は、七つの和議条件が一つも受入
れられず、更に、「汝を封じて日本国王と為す」の一文が秀
吉を激怒させた。
秀吉としては戦況が悪化しているので、何らかの名目さえ
立てば朝鮮からの撤退を考えていたが、これでは面目を失っ
てしまった。
怒りにまかせて朝鮮へ再度の出兵を命じた。
「慶長の役」である。
先の「文禄の役」で十五万の兵が出兵し、四万の兵が亡く
なり、日本の民も疲弊した。
に嫌われる者もおらねばならぬ」
たが、義弘は忠恒を早く薩摩へ帰したかった。
慶長二年(一五九七)二月、義弘は三百余の兵を率いて出
発、四月に加徳島の陣に着いた。逞しくなった忠恒が出迎え
秀吉はこの犠牲を省みず、自分の面子だけに拘った戦を再
び仕掛けた。
「世の中には損な役割もある」
朝鮮再出兵では、秀吉の甥小早川秀秋を総大将として左進
攻軍と右進攻軍に分け、今回は首都漢城の攻略より朝鮮南部
もない、しかしそれでは島津の家は存続できぬ、お家のため
義弘はそう自分に言い聞かせ、家中における孤独な戦に身
を置くしかなかった。
58
を制圧し、講和交渉を有利にしようとするものであった。
義弘は引導を渡すように忠恒に言った。
「この戦は死戦になる、捨て身の攻撃しか助からぬぞ」「父
軍はいなかった。
上、冥途へ逝く前に島津の強さを存分に見せやりまする」
島津隊は小西行長らと左軍に属し、全羅道、慶尚道の南岸
制圧に向かった。
慶長二年十月、島津隊は慶尚道の要衝泗川を制圧、戦略拠
点として泗川倭城を築城し、守備を固めた。同じ頃、右軍の
義弘、忠恒と島津の兵は皆、死を決した。
敵兵が蟻のように城壁に取り付き、城壁を次々と乗り越え
迫ってきた。
加藤清正らが守る蔚山倭城が三万の朝鮮、明連合軍に包囲さ
れ、極寒の中での籠城戦に陥った。
「まだ撃つな、もっと引き付けよ」
「まだでござるか」「もっと引き付けよ」
に日本軍に厭戦気分が一気に高まっていった。
秀吉の短慮から始まったこの度の戦、勝利も望めず、さり
とて撤退も出来ず、日本軍は泥沼にはまり込んだような戦を
「殿……」あちらこちらで催促が相次いだ。
「よーし、撃て」義弘の号令一下、満を持した島津の鉄砲が
強いられた。
轟然と火を吹いた。
ることになった。しかし、秘匿された秀吉の死が明、朝鮮側
かった。そして鋭い日本刀が威力を示した。
そこへ抜刀し、気負った島津の兵が城門の扉が半分も開か
れぬうちに喚声を上げて突撃していった。島津の勢いは激し
強力な一斉射撃に忽ち明、朝鮮軍の先鋒が崩れ、浮足だっ
た。
に知られ、明、朝鮮軍は、「一兵たりとも帰すな」と復讐の
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
明、朝鮮軍は大混乱に陥り、散を乱して敗走した。義弘も
忠 恒 も こ の 時 は 将 と し て の 身 を 忘 れ、 馬 を 駆 っ て 敵 を 追 っ
攻勢を強めていた。
秀吉の死を受けて徳川家康と前田利家は、朝鮮からの撤退
を決め、日本の各隊は十一月十五日に釜山に集結し、帰国す
見城で六十二歳の生涯を終えた。
この頃、日本では重大なことが起ころうとしていた。慶長
三年六月、太閤秀吉の体調が悪化し、八月十八日、秀吉は伏
島津の戦は、必殺の一撃で決めることを戦法としている。
義弘は間合いを計っていた。
「殿、まだですか」折敷いて鉄砲を構えた兵たちは急いた。
陥落寸前の慶長三年一月、毛利秀元、黒田長政らの援軍が
到着し、清正らは九死に一生を得た。この蔚山籠城戦を契機
詩
混乱した明、朝鮮軍に樺山久高が率いる騎馬隊が迂回して
背面攻撃をかけた。
十月一日、島津隊が守備する泗川倭城に明、朝鮮五万の大
軍が得物を狙う蛇のように静かに忍び寄っていた。
児童文学
義弘が率いる守備隊は僅か四千余、近くに援軍となる日本
小 説
59
浜松市民文芸 60 集
まった。
貫いた。これにより朝鮮、明の水軍は統制を失い、混乱が始
池になっていた。島津の圧倒的な強さを見せつけた「泗川の
た。二万を超す死体が累々と横たわり、大地は真っ赤な血の
戦」であった。
この機に乗じて小西らは順天城を脱出して巨済島にたどり
着くことが出来た。
「宗茂殿、貴公は命知らずの奇特な御仁でござるな」
ぐいしーまんず
石曼子」と呼び、その
これ以降、明、朝鮮軍は島津を「鬼
名を聞いただけで恐れ、
島津隊との戦を避けるようになった。
う少し歳を考えて戴かねば……」
「お聞分けのよいことで……」
三十一歳の宗茂が畏敬を込めて応じた。
「そうであった」
「何を申されますか、義弘様こそご老体に似合わず……、も
日本の各隊は、激しい追撃を受けながら釜山へと急いだ。
秀吉が生きていた時は、忠義を認められようと朝鮮への渡海
を競い、今や秀吉が亡くなると、早く厄病神から解放されよ
うと帰国を競った。
釜山から最も離れた位置にあった順天倭城に籠る小西行長
らの隊は逃げ遅れ、明、朝鮮軍によって陸と海上から包囲さ
れ全滅の危機に晒されていた。
助けに参ろう」
「宗茂殿、小西殿をこのまま見捨てては我らの武名が廃る、
かった。
う」忠恒は悔しがった。
「兄上や朝久殿はさぞかし日本へ帰国されたかったでしょ
を振り払うが如く遠ざかっていった。
山浦を出港した。船は順風を帆に受け、まるで朝鮮での悪夢
慶長三年(一五九八)十月二十四日、この日は快晴であっ
た。義弘、忠恒父子と甥の豊久らの島津勢は、日本に向け釜
二人は豪快に笑いあった。
これが朝鮮における最後の戦となったが、島津の兵は二千
にまで減っていた。
「いかにも、我ら鎮西の武士は命を惜しまぬもの、合力仕り
巨済島にやっと撤退したばかりの義弘や立花宗茂に急報が
もたらされた。他の隊は、我先と帰国を急ぎ、助ける隊はな
ます」
ったが、義弘は忸怩たる思いであった。そして異郷の土とな
「この戦、日本や朝鮮、明の多くの兵が死、朝鮮の民に大き
小西らの救出に向けて島津、立花の船隊は敵がひしめく順
天に向かった。露梁津の沖合で海上封鎖していた朝鮮、明の
った久保や朝久に後ろ髪を引かれる帰国となった。
七年に亘る朝鮮での戦は、日本の武将間に深い遺恨や対立
な被害をもたらした、無益な戦であった」口にこそ出さなか
船隊と激突、両軍入り乱れての海戦が七時間に及んだ。
宗茂は即座に応じた。義弘も宗茂も義将であった。
島津兵が放った一発の銃弾が朝鮮水軍の総帥李舜臣の胸を
60
をつくってしまった。
特に、加藤清正、福島正則らの武将と豊臣政権の吏僚石田
三成の対立は深刻であった。
秀吉亡き豊臣政権は忽ち不安定化し、そして最初の政変が
起こった。
それに伏見の薩摩屋敷には僅か二百程の手勢しかなく、こ
れでは伏見城留守居の大役は果たせそうもなかった。
義弘は国元の義久に兵を求めたが、義久は係わることを嫌
い、終ぞ兵を出さなかった。
「わしは因果な役を背負った」義弘は再び孤立の淵に立たさ
福島正則、黒田長政ら七武将が三成を襲撃する事件が発生し
「伯父御、本家は冷とうござる、ならばこの豊久がお力にな
付けて来た。
しかし、薩摩には義弘に心を寄せる者もいた。六月五日、
甥の佐土原城主である豊久が三百余の兵を率いて伏見に駆け
れた。
た。この事件は、大老の徳川家康が調停に乗り出し、三成の
慶長四年(一五九九)三月三日、豊臣政権の重鎮前田利家
が亡くなると、翌四日、それまで鳴りを潜めていた加藤清正、
奉行職解任、佐和山城蟄居の形で収束した。
「豊久、朝鮮の戦といい、この度のことといい老骨を助けて
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
き伏せ、次席大老の毛利輝元を盟主に担いで、
「内府公、太
一方、佐和山城に蟄居していた石田三成も家康打倒の好機
として動いた。増田長盛、名束正家、前田玄以の三奉行を説
六月十六日、徳川家康は豊臣公儀の名の下に加藤清正、福
島正則らの諸大名を率いて、会津の上杉討伐に向かった。
九州大名の小西行長は六千、立花宗茂は四千の兵を上方に
率いてきた。それに比べ島津の兵はあまりにも少なかった。
たなかった。
七 月 二 十 八 日、 義 弘 の 領 国 帖 佐 か ら 家 老 の 新 納 旅 庵 が
二百七十の兵を率いて来た。それでも義弘の兵力は千名に満
義弘は豊久の律儀に頭を垂れた。
り申す」
更に大きな事件が起こった。五大老の一人上杉景勝が国元
の会津に帰り、城の修復、国境の防備を強化していることが
くれるか、済まぬ」
詩
豊臣家に対する不穏な動きと咎められた。
慶長五年(一六〇〇)正月、筆頭大老の家康は景勝に対し
て上洛、釈明を求めたが、景勝は、「豊臣家に逆心など微塵
もなし」と応じようとしなかった。
豊臣公儀による上杉討伐の動きが進む中、伏見に居た義弘
は家康から呼び出された。
「待従殿(義弘)、身共は秀頼様に代わって上杉討伐に参ら
ねばならぬ、武勇の誉れ高い貴殿にこの伏見城を守って戴き
たい」
「御意、島津家の名にかけて」
児童文学
義弘はそうは言ったが心底からではなかった。争いの渦中
に取り込まれたくなかった。
小 説
61
浜松市民文芸 60 集
閤様の御定めに数々背かれ、秀頼さまを見捨てられた」とす
る家康弾劾状を全国の大名に発して挙兵を呼びかけた。
この呼びかけに畿内や西国の多くの大名が呼応し、続々と
大坂に集結した。その数は九万三千に及んだ。
長は三成側に味方した。
義弘は迷った。考えれば考える程、泥沼に沈んでいくよう
であり、大海に揺れる孤舟のように心は揺れた。
しかろう」
義弘は急使を出し、義久に島津家の去就を問うた。
「どちらに加担するかは、上方に居る其処許が決めるがよろ
「自分が家康公に味方しては亀寿や妻が成敗される」義弘は
になるには何より亀寿の安全を図らねばならないことであっ
た。嫡子忠恒が亀寿と縁組しており、忠恒が次の島津家当主
しかし、現実が義弘の去就を決めることとなった。大坂が
既に三成側の大軍によって制圧され、兄義久の娘亀寿と自分
義久は決めなかった。逃げたと言ってもよかった。義弘は
一人で、島津家の命運を担う重大な決断を迫られることにな
そう思い、迷いをふっ切った。
また、先の朝鮮「泗川の戦」で、島津隊が朝鮮、明の大軍
を撃破した戦果に対し家康公は、「島津待従殿の戦功、比類
反芻した。
雑であった。
義弘も西軍として攻撃に加わった。本来なら城方として戦
うはずであり、家康公との約束を反故にした義弘の胸中は複
七月十九日、三成らの西軍は上方における東軍の拠点であ
る伏見城への攻撃を開始した。
た。
の妻が大坂城内に人質として拘束されてしまったことであっ
った。
義弘と国元の義久にも家康弾劾状は届いた。
「二百八十万石の家康公に敵対することは、島津家を危うく
人生というものは、自分の意思とは関係なく、その時の流
れで決まってしまうこともあった。
する」
なきもの」と島津家に五万石の加増を決めてくれた。朝鮮の
「わしは家康公から伏見城の留守居を頼まれている」義弘は
役で加増に与ったのは島津家だけであった。
末、三成を先に討伐するため軍団を西に向け反転させた。
七月二十四日、会津に向けて進軍していた家康率いる上杉
討 伐 軍 の 元 に 三 成 挙 兵 の 報 が も た ら さ れ た。 家 康 は 軍 議 の
かった。
しかし、戦になれば義弘は躊躇するようなことはしなかっ
た。島津隊は寡兵ながらもその攻めは攻城軍の中で最も烈し
島津家は家康公に大恩があった。
一方、三成もこれまで島津家や自分のために何かと有利な
配慮をしてくれた、忠恒にも力になってくれた、三成にも恩
義があった。
朝鮮で共に死線を越えた宇喜多秀家公や立花宗茂、小西行
62
家康の嫡子秀忠も徳川譜代衆三万八千の主力軍を率いて江
戸を発ち、中山道を美濃に向かった。
日に美濃赤坂に進出して陣を築き、家康の到着を待った。
九月十二日、石田三成が兵六千を率いて美濃の大垣城に入
った。その後、伊勢路から西軍の主力となる宇喜多秀家、小
九月一日、家康は直属軍三万を率いて江戸を発ち、美濃に
向かった。
「義弘公の一大事、お助けせねば島津
義久の領地からも、
の名折れ」義弘を嫌いながらも島津一族の繋がりはあった。
無鉄砲な行動は、義弘を思う一途な気持ちがそうさせた。
一方、伏見城を陥落させた西軍の石田三成、宇喜多秀家、
小早川秀秋、毛利秀元、小西行長らの主力部隊も美濃に進出
西行長らの諸隊が入城し、城の内外は三万三千の兵で満ち溢
福島正則、池田輝政、細川忠興、黒田長政らの先鋒軍は、
八月二十三日に西軍の重要拠点の岐阜城を陥落させ、二十四
した。
からも義弘の家老長寿院盛淳が百二十人、福山地頭の山田有
翌十四日の早朝、島津の陣に汚れた二人の男が息急き切っ
て駆け込んで来た。中馬大蔵と長野勘左衛門であった。
栄が四十人を率いて到着した。この他にも合わせて二百五十
れた。義弘は一千程の兵と城外に陣を張った。この日、薩摩
義弘も千人に満たない兵を率いて同道したが、朝鮮出兵の
船出と同じように肩身の狭いものであった。
人が馳せ参じた。
への反発もあった。
「殿にお目通りを」薩摩から昼夜を駆け続け、やっとたどり
着いたのである。
髪と髭の境も分からぬ真っ黒な顔をした二人の男が頭を地
に擦りつけた。
「殿、不覚をとり、参じるのが遅れました」
向かった。この他にも船を借上げ、五人、六人と連れだって
「おう、おう、中馬と勘左衛門か、遠くから助けに来てくれ
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
薩摩侍の主君を思う気持ちはどこの家中より強かった。
「わしは忠義の家臣を持った」義弘は、今は千人の兵の来援
た か 」 義 弘 は 思 わ ず 床 几 か ら 立 ち 上 が り、 二 人 の 手 を 握 っ
出帆していった。
た。
義弘の領地帖佐では、「殿が難儀されている、お助けせね
ば……」家老の伊勢貞成が帖佐衆二百人を率い、船で上方に
ただ、義久は家臣がてんでに駆け付けることまで咎めなか
った。義勇兵である。
弁ができなくなる、それと義久には秀吉から冷遇されたこと
国元の義久も島津隊の寡勢は分かってはいた。しかし、島
津本家が兵を出すと旗幟が明かになり、三成側が負けたら抗
詩
薩摩の山奥から駆けつけた中馬大蔵と長野勘左衛門の二人
は船に乗り遅れてしまった。
「不覚なり、この上は殿の居られる所まで走り通すぞ」
児童文学
「おう、走らいでか」二人は槍を担いで走りだした。二人の
小 説
63
浜松市民文芸 60 集
に戦雲急を告げてきた。
十四日昼、美濃赤坂の陣に家康の存在を示す金扇馬標が立
った。家康本軍が到着したのである。美濃大垣の地は、一気
た。
千五百程の兵力しかない義弘にはそれ以上の発言力はなかっ
した。
外は月明かりがなく、雨まで降っていた。
「夜間、雨の中の兵の移動は下策でござる」義弘は再び建策
う深夜に、大きく迂回して進むことになった。
夕方、大垣城での軍議の席に三成の侍大将が駆け込んで来
た。
より嬉しかった。
「恐れながら、家康軍は大垣城を素通りして佐和山城を陥落
三成は大垣の西、伊吹山と養老山に囲まれた狭い地形の関
ヶ原での迎撃を唱えた。
え撃つ」
の地に集結した意味がなくなる、彼奴らより先に西に出て迎
これから戦というのに疲れきっていた。
西軍の全隊が布陣を終えたのは、十五日の朝四時頃であっ
た。夜間、
雨の中を泥まみれで四里の道を歩いた西軍の兵は、
構えた。
島津隊は、小西隊と三成隊の間で、少し奥に入った杉木立
を背にして、前備えに豊久の五百、本陣に義弘の千と二段に
翼の笹尾山に石田三成と主力が馬蹄形に布陣した。
「戦には戦機というものがある」三成は再び固執した。僅か
さ せ、 大 坂 に 向 か う つ も り 」 聞 き 込 ん だ こ と を 一 気 に 吐 い
西軍は、松尾山の小早川秀秋の隊を最右翼に、その隣に大
谷吉継、南天満山に宇喜多秀家、北天満山に小西行長、最左
た。
「三成殿、敵は我ら三万余の軍勢に背を向けて動くとは考え
急遽、作戦の練り直しが余議なくされた。
「家康にここを素通りされ、大坂に向かわれては、我ら美濃
られぬ」「家康は得意な野戦に持ち込む狙いではござらぬか」
「まずい、兵に勢いがない、開戦を出来るだけ遅らせるし
かない」義弘は呻いた。
た。軍議は関ヶ原へ移動し、そこで家康軍を迎え撃つことに
か」義弘は軍議で孤立しながら説いたが、三成は頑迷であっ
「物見を出して、敵の動きを探られてからでは如何でござる
三成の悪癖であった。
待つかのような勢いがあった。
を敷いた。東軍のどの隊も、獰猛な犬が首輪を解かれるのを
陣した。家康はそれより更に後方の桃配山に本陣と三万の兵
平忠吉、井伊長政らの隊、四万四千が西軍の五町ほど前に布
一方、夜を撤して得物を追う猟犬のように西軍を追ってき
た福島正則、黒田長政、細川忠興、加藤嘉明、藤堂高虎、松
戦に熟練した義弘が再考を促した。
「否、戦は先手必勝でござる」三成は自説を曲げなかった。
決した。そして関ヶ原への移動は、家康軍に察知されないよ
64
慶長五年(一六〇〇)九月十五日朝、関ヶ原は前夜からの
雨は上ったが、
一町先も見えない霧が一帯に立ち込めていた。
した。
戦うまで」豊久が応じた。
「伯父御、如何なる戦になろうと我らは島津の武名にかけて
た。
て決まる、この霧のように先が見えぬ」義弘は豊久に漏らし
「今日の戦、金吾中納言(小早川秀秋)がどう出るかによっ
た。
辺りは決戦前とは思えぬ静寂の空間があった。しかし、両
軍の兵は恐怖に耐え、鉄砲や槍を汗ばむほどに握り締めてい
えた。
れていった。
それでも西軍は持ち堪え、午前中は一進一退の戦況であっ
た。島津隊も奮戦したが、千五百の兵力では次第に押し込ま
いた。
既に七万五千が戦闘に入り、池田輝政、
これに対し東軍は、
浅野幸長、山内一豊らの隊二万六千が予備兵力として控えて
二万八千も全く動く気配はなかった。
宮 山 に 布 陣 し た 毛 利、 吉 川、 安 国 寺、 名 束、 長 曾 我 部 ら の
脇坂、小川、朽木、赤座らの諸隊二万五千は動かず、更に南
今、戦場で戦っているのは、西軍では宇喜多、石田、小西、
大谷、島津らの三万六千のみ、松尾山の小早川とその前方の
島津隊の強力な鉄砲隊が蹴散らした。その後も蟻が湧き出
るように島津の陣に群がってきたが、
島津の兵は押し戻した。
島津隊には、筒井定次、松平忠吉、井伊直政、本多忠勝の
率いる七千が押し寄せて来た。
午前八時、霧が少し晴れた頃、「ダーン」一発の銃声がそ
れまでの関ヶ原の静寂を破った。開戦までに時を稼ぎたい西
十万を超す東西両軍が対峙し、天下取りを賭け、或いは大
名家の存亡を賭け、そして全ての兵が命を賭けての決戦を迎
軍にとって早過ぎる銃声であった。
四千の兵で五万の朝鮮、
かって朝鮮「泗川の戦」において、
明軍を撃破した強さを持つ島津隊、
「 も し、 わ し の 下 に 五 千
の薩州兵がいたら……」義弘は歯ぎしりした。
合戦は正午頃、劇的な展開を見せた。松尾山に布陣してい
た小早川隊一万六千が突如寝返り、麓の大谷吉継の隊に襲い
川 柳
り、両軍から長槍をもった足軽集団が押し出した。
自由律俳句
かかった。
随 筆
定型俳句
「それ押せ、押し崩せ」「下がるな、前に出ろ」双方の足軽
評 論
短 歌
頭の怒号が響き渡った。
それにつられるかのように東西両軍の鉄砲が火を噴き、辺
り一帯が銃声と黒煙に覆われた。あちらこちらで喚声が上が
家康の四男松平忠吉と舅の井伊直正が率いる斥候隊が開戦
を仕掛けたのである。
詩
更にあろうことか、味方であるべき脇坂、小川、朽木、赤
座の隊まで寝返って大谷隊に攻め寄せてきた。裏工作が行わ
児童文学
一時、静寂であった関ヶ原の地は、今や喧騒な殺戮場と化
小 説
65
浜松市民文芸 60 集
れていた。
午前の戦で疲れていた大谷隊は、終に支えきれず崩壊し、
隣の小西隊も次第に友崩れになり、更に主力の宇喜多隊も浮
に活を求める以外に戦場離脱できぬと判断した。
「敵に後を見せては島津の武名が廃る、前に押し出す」前進
退却である。
「隊伍を離れるな」「皆、薩摩へ帰るぞ」「おぅー」義弘の下
馬上の義弘と豊久を三十騎の供回りが守り、二百程の兵が
火縄銃を背に負い、短槍を持って隊形を取った。
知に応えた島津の兵は、地獄から来た羅卒のような形相をし
足だって崩れ始めた。
残る笹尾山の三成隊へ手柄を立てようと東軍の全隊が群が
った。三成隊は、大筒を撃ち、最後まで奮戦したが、遂に三
義弘と豊久を戦場離脱させるために、長寿院盛淳と三百の
兵が島津本陣の馬標の元に残り、敵を引き付けた。
島津の黒い塊が東軍の真っ只中に突入していった。
「殿はもう遠くへ退かれたであろう、我らはここらが仕舞い
ていた。
成の陣も崩れた。
戦場には島津隊だけが孤立した状態で残っていた。前備え
の豊久が本陣に馬で駆けて来て、捲し立てた。
それがしが殿を仕る」
「伯父御、負け戦でござる、この場から早くお退き下され、
「わしは老骨、もう十分に生きた、豊久、そちこそ退け、わ
時じゃー」盛淳はそう言うと手勢を集めて討って出た。その
に返ったかのように東軍の諸隊が一斉に島津隊に襲いかかっ
突如、徳川の猛将、井伊直政が咆えた。
「島津義弘ぞ、敵なるぞ、一人残らず討ち取れ」その声に我
島津隊の「火に入る虫」のような意表を突く行動に、東軍
の諸隊は戸惑った。傍観する隊や道を開ける隊すらいた。
全力で駆けるでもなく、歩くでもない速さであったが、近
寄り難い凄みがあった。
いとぅー、えいとぅー」の低い掛け声が一団を包んでいた。
その頃、義弘、豊久の隊は東軍の奥深く入り込んでいた。
抜き身の長刀を肩にした大男の木脇祐秀が先頭に立ち、「え
後、暫くして島津本陣の馬標は倒れてしまった。
しがこの陣で最後まで戦う」
六十六歳の義弘が急ぎ応えた。
「伯父御には何としても薩摩へお戻り頂かねばなりませぬ、
ここで討死をされては島津の家は滅びます」
敵の喚声が近づき、切迫した時間の中で二人の遣り取りが
続いた。脇に居た家老の長寿院盛淳が割って入った。
「お二人とも島津の家にとって大切な御身、この場はそれが
しにお任せあれ」
っていた。
盛淳は本陣に残り、敵を一手に引き受けて討死する覚悟を
決めていた。義弘もここで座すれば島津隊は全滅すると分か
「盛淳、後を頼むぞ」そして義弘は、もう今となっては死中
66
怒号が飛び交った。島津の兵は血みどろになって突きかか
る敵を切崩し、切崩し、前へ、前へと突進した。
「殿をお守りせよ」「殿のお傍を離れるな」
「島津の首を取れ」「取り逃がすな」
た。
れ、絶命した。三十一歳、先のある若さであった。そして豊
義弘の陣羽織を着た豊久が大音声を上げ、太刀を振りかざ
して突っ込んでいった。
豊久と供回りの十三騎が馬首を変えた。
「我こそは、島津維新義弘なり」
「伯父御、どうかご無事で、今生のお別れでござる」
なり」
尽きると抜刀して斬り込んでいった。
人、五人と道の両脇の木陰に潜み、敵が迫ると銃撃し、弾が
間道の入口に松平忠吉と井伊直政の隊が迫って来た。一人
し か 通 れ な い 狭 い 山 道 は 島 津 隊 に 幸 い し た。 島 津 の 兵 は 三
朝鮮の戦で嫡子久保と娘婿の朝久を失い、再びこの戦で甥
の豊久を失い、義弘には逆縁の非運が付きまとっていた。
久の供回りも全員が討死した。
「豊久、許せ」義弘は声を絞った。豊久は四方から槍で突か
島津の隊は、斬られる者、落伍する者、それでも南へ走り
続けた。南へ進めば薩摩へ帰れる、そう信じて走り続けた。
家康の本陣からも見えた。床几に座った家康は傍らに控え
た家臣に問うた。
「あれはどこの隊か」「島津と思われます」
「ご嫡子忠吉公と井伊の隊が追撃いたしております」
「あれが武名の高き島津侍従か、我が本陣を横切るとは大旦
「手強いぞ、油断いたすな」家康が呻いた。
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
義弘は家臣が見つけた木こり小屋で身を横たえた。捨身の
作戦で戦場からの離脱はできたが、身代わりになった豊久や
くなっていた。
東軍の猛追が緩み、そして追撃は止んだ。
時刻は午後五時を過ぎ、辺りは暗くなり始めていた。美濃
の南端、駒野峠に至った頃には、山道は真っ暗で先が見えな
一発の銃弾が井伊直政の右肘を打ち砕き、松平忠吉も銃弾
により負傷した。
入れ替わり、
また入れ替わり、
島津の兵は捨身で道を塞いだ。
「きえぃー」薩摩示現流の叫び声が幾度も山にこだました。
詩
戦場の時刻は、午後三時を回っていた。
島津隊は敵の重囲を切崩し、やっと伊勢街道の入口、鳥頭
坂にたどり着いた。
先頭の豊久が馬上から叫んだ。
「このまま伊勢街道に出ては騎馬隊に掃討される、皆、あの
間道に入れ」指差した先に一本の急な狭い山道があった。
評 論
随 筆
また、豊久が義弘に向かって叫んだ。
「伯父御、それがしがここで防ぎ止めます、伯父御の陣羽織
を拝領下され」
児童文学
「早まるな、そちも一緒に来い」
小 説
67
浜松市民文芸 60 集
同じ九州大名の小西行長と共に百万石の大大名としての処遇
「もし、我が方が勝っていたら、意気揚々と帰れた、島津は
義弘は敗将として薩摩へ帰らねばならなかった。兄義久や
それに連なる家臣に対する負い目で足は重かった
七十人程に減ってしまった義弘一行は、夜明けを待って再
び動き出した。
のような長い一日は終わった。
道中、
苦難は続いた。何より飢えとの戦いが深刻であった。
七十人分の食べ物を賄うことは容易でなかった。食べ物を分
た。
「義経ならぬ義弘の都落ちだな」義弘は珍しく軽口をたたい
「殿、恐れ多いことです、お許しください」
外させ、義弘に百姓から得た野良着を着せ、破れ笠を被せ、
問うた。勿論、集落に入るときは用心が必要であった。
仕った西国の者、道に迷って難儀している」と名乗って道を
を得たであろう、天運が無かったのだ」義弘はそう考えるし
盛淳ら家臣のことを思うと寝付かれなかった。それでも悪夢
かなかった。
た。金子が無くなると、金や銀の太刀飾りを剥がして金子代
け て く れ る 農 家 も あ れ ば、 冷 や や か な 態 度 で 拒 む 村 も あ っ
隊列の真ん中に入れて歩かせた。
「殿、そのお姿では目立ちます、これを着てください」刀を
義弘一行の前には、薩摩への三百里の困難な道程と、それ
にも優る困難な任務があった。
わりにもした。
な任務であった。
亀寿らの救出は、関ヶ原の戦場離脱と同じくらい危険で困難
と帰っては兄義久や家臣に顔向けができない、義弘にとって
亀寿は嫡子忠恒の妻であり、亀寿を救出しなければ忠恒の
島津家当主の地位が危うくなる。自分たちだけが、おめおめ
「殿、蹴散らして押し通ります」
「よかろう」義弘もそれに
「恐らく落ち武者狩りの連中であろう」家老の山田有栄は驚
たむろしています」
「ご家老、この先の神社に槍や刀、鎌を持った五、六十人が
山道を先行していた大重平六と松下喜左衛門が息急き切っ
て戻ってきた。
そして当然、道中は安全ではなかった。
義弘一行は、人目を避けて近江側の山道を通り、大坂に出
ることに決めた。二人一組になった偵察組が先行し、村落や
応じた。
それは大坂で人質になっている兄義久の娘亀寿と自分の妻
を救出し、薩摩へ連れて帰ることであった。
農家に入っては道を問うた。少し距離を取って七、八人の警
隊伍を組み、神社の前を通り過ぎようとした時、「討ちも
らすな」
「一人も逃がすな」
くことなく、静かに言つた。
戒組が続き、更に距離を空けて義弘の本隊と続いた。
義弘の一行は、「我らは、関ヶ原の合戦に家康公にお味方
68
突然、背後から襲ってきた。落ち武者狩りの一団は、相手
が戦に手慣れた最強の島津隊と知らなかった。義弘一行は、
「誰が乗っているのか、どこへ行くのか」
「はい、手前ども主人の病の治療に湊町までまいります」
なかった。
忽ち四、
五人を斬り捨て、蹴散らしてしまった。
一団が持っていた槍や刀は、以前に襲った落ち武者から奪
い取った物であろう。
駕籠の中の義弘は刀を握りしめ、緊張の極にあった。義弘
には運があった。
道与が道案内に付けてくれた番頭が言葉巧みに話した。田
辺屋の名が入った駕籠のせいもあってか、それ以上の詮議は
戦になると侍が村人の田畑を荒らし、稲を勝手に刈取った
り、乱行をしてきたことへの仕返しでもあったのだろう。戦
その夜、義弘は無事に塩屋孫右衛門宅の蔵に身を潜めるこ
とができた。
し、身を隠す先として道与が商人仲間である堺の塩屋孫右衛
義弘は次に人質の亀寿たちへの連絡と薩摩に帰る船の手筈
をせねばならなかった。大坂屋敷の御用船を堺に回すことに
きた。家臣たちも銘々に大坂へ潜入した。
人の道与が何かと力を貸してくれ、大坂に潜り込むことがで
った。
豊後沖に近づいたところで黒田如水の水軍に見つかってしま
州に向けて帆を張った。瀬戸内の海路は穏やかであったが安
二十二日、大坂城から脱出した亀寿や義弘の妻、大坂に散
っていた家臣たちを収容し、島津の御用船と五艘の供船が九
二十日夕刻、義弘は駕籠に乗り堺に向かったが、堺は東軍
の厳重な警戒下にあった。
漕さを嘆いた。
「如水め、もう天下の勝負がついたのに、お前には惻隠の情
領国であった。
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
がないのか」義弘は、未だに手柄を立てようとする如水の阿
西軍の落ち武者に対する厳しい探索の網が張り巡らされ、
捕えられた者が毎日五人、十人と斬首されていた。
全ではなかった。東軍大名が探索の網を張っており、ついに
門を紹介してくれた。
五時間に及ぶ海戦となり、義弘側は二艘の船と七人の家臣
を失ってしまった。
九月十九日、義弘一行は大坂に近づいたが、直接入ること
は危険なため、住吉の島津家御用達商人田辺屋を頼った。主
国の世の習いとは言え、戦は人の心を荒ませた。
詩
九月二十九日、船は日向国細島の港に着いた。そして十月
一日、遂に薩摩の佐土原城下に入った。ここは、甥の豊久の
随 筆
義弘は、関ヶ原の戦場離脱と同じように敵の真っただ中に
飛び込んでいくことになった。
評 論
「豊久、無事に帰ったぞ」
児童文学
突如、義弘が乗った田辺屋の駕籠が呼び止められ、槍を持
った五、
六人に囲まれた。
小 説
69
浜松市民文芸 60 集
「若い者を死なせ、老いぼれが帰って来てしまった」義弘は
た。
義久が脇息から身を起こし、咳を一つしてから慇懃に口を
開いた。
断腸の思いであった。
「豊久様、着きましたぞ」「お国でござる」
に加担したことは不届きなり、きつく叱りおく」義弘は平伏
いた。
義久は本心ではなかったが、徳川方の処分から島津家を守
るため、そう言わざるを得なかった。義弘もそれは分かって
した。
「公(義弘)は、島津家当主の意思に反して石田三成の暴挙
帰国できた五十人の家臣たちは、佐土原の土を撫でて泣い
た。
十月三日昼、当主義久の居城である富隈城に着いた。九月
十五日に関ヶ原の戦場を離脱してから十九日ぶりの帰還であ
った。
義久と忠恒が城門まで迎えに出ていた。義久と義弘は、無
言で手を取りあった。
「義弘殿、島津が生き残るには、これから如何にしたらよい
そして義久の家臣たちも今度ばかりは勝手なことを言って
おれなくなった。
島津家は戦うか、恭順するか、今度ばかりは義久自身が決
めなければならなかった。
「義弘殿、よくぞ無事で帰られた」
義弘は戦に負けて帰ってきた負い目があり、義久も伏見や
関ヶ原の合戦に兵を送らなかった負い目があった。
「殿、面目次第もありません」
か」
てこれから徳川方から改易などの厳しい処分が下されるであ
となった。領地も没収となった。西軍に加担した大名に対し
今回の合戦で西軍の首謀者であった石田三成と小西行長、
安国寺恵慧は捕えられ、十月一日、京都六条河原で斬首の刑
「されば、徳川方は当面は毛利中納言との和睦交渉、その後
「それはどういう意味か」
……」
「 今 は、 国 境 の 防 備 を 固 め て、 時 を 稼 ぐ こ と が 肝 要 か と
二人きりになったとき義久が膝を寄せてきた。二人の間に
もう確執はなかった。
ろう。
かと……」
二人の会話はぎこちなかった。それ以上に周りにいた義久
の家臣たちは義弘を蔑んだ目で見ていた。
島津家に対しても徳川方から如何なる処分があるのか、島
津家は動揺した。
続けて義弘は重要なことを口にした。
に毛利家の処分に出るでしょう、当家の処分はその後になる
十月五日、城中の大広間に義久、義弘、忠恒と重職が詰め
70
「上洛の命があっても受けないことです」
義弘には先を読んだしたたかさがあった。
大坂城から退去した輝元に対し、厳しい処分が下った。毛
利家は百二十万石の領地を没収され、
三十万石に改易された。
徳川方から義久に上洛の命が下った。義久は病などを理由
に上洛しようとしなかった。
度重なる命令に従わない島津家に対し、業を煮やした徳川
方は、恭順した毛利輝元らに島津討伐の命を下した。
しかし、徳川方は直ぐに動くことはしなかった。否、動く
ことが出来なかった。
関ヶ原合戦に勝利はしたが、天下は未だ不安定であり、何
より朝鮮「泗川の戦」で見せた島津軍の強さ、それとこの度
の合戦における義弘らの命知らずの行動、徳川は島津と戦う
ことは容易ならざると警戒したのかもしれない。両者が睨み
あい、牽制し合い、三年の歳月が経過した。
終に島津家は本領安堵となった。そして義弘に対しても何
ら咎めがなかった。
その陰には島津の鉄砲に撃たれた家康の重臣、井伊直政が
義弘の武勇に感じ入って島津家存続のために奔走してくれた
こともあった。
直政は如水と違って義将であった。
義久は本領安堵の知らせを聞いたとき、義弘の朝鮮の役、
関ヶ原合戦における働きの意味を噛みしめた。そして家臣た
児童文学
評 論
随 筆
ちの義弘を見る目は畏敬に変わっていった。
小 説
詩
定型俳句
自由律俳句
川 柳
(北区)
桜島に蟄居していた義弘は、多くを語ることはなかった。
そして桜島も静かに佇んでいた。
短 歌
71
[入 選]
(翔太は真面目に自らの職業に邁進しておりました。
私は従い、協力し、つまり翔太の庇護の下、殆どといっても
いい程
何の生活上の苦労を知らず、平凡な日々を過ごしてまいりま
した。
ただあの日以来、伴侶のいない専業主婦というものは本当に
弱い存在であること、
自立という事に疎くなっていることを、初めて心の底から思
ただ、あなた様なら亡くなった主人・若かった頃の翔太の、
遠ざかってしまった時間の流れへの恐れを覚えながらも
旧姓「比嘉」というお名前にすがるような気持ちと
突然の手紙をお許しください。
吉川紗代子様
置を決めたい、
万分の一でも翔太を理解したい、自分の翔太に対する立ち位
︱翔太の遺した品物を一つ一つ確かめ、思い出していく事で
ることにしました。
まず何も手付かずであった翔太の部屋を整理する事から始め
それでも〈一人であっても生きなければ〉と思い
い知らされました)
心の中を少しでもお教えいただけるだろうと信じ、
そうでもしない限り
亡くなった直後は茫然自失の私でした。
その事が今まで以上に理解できる思いなのです。
またその姿を振り返ってみて、女として、
長い間一緒に生活をして、夫の様々な振る舞いの中から、
奇妙であると思われるかも知れませんが
妻であった私がそう申し上げることは唐突・愚か・
翔太は本当にあなた様を愛していました。
古い机と亡くなる前に購入したスタンド、後は
の本棚、
学生時代に集めた哲学・文学を中心とした二棹のスチール製
二階の六畳の和室には結婚した際購入した白い洋服ダンス、
翔太は部屋を飾ることに無頓着でした。
亡くなってから三ヶ月後の事︱遅い秋の午後でした。
た。
自分のこれからを考えることは出来ない︱そう思ったのでし
愚かさと恥を忍んでこの手紙を認めています。
内 山 文 久
ある手記と手紙
ジルに寄せて
浜松市民文芸 60 集
72
引き出しの底にB4版の角のやや丸まったノートを見つけま
いくうちに、
更に古い腕時計、ミュージック&ボイスレコーダーと納めて
入れていき、
私は用意していた厚紙のやや大きな和紙箱にそれらの品物を
以前乗車していた何台かの車の鍵などが置かれていました。
ター、
私は静かに机の右上の引き出しを開けました。
—
古い鍵付きの引き出しの手前には、お気に入りの煙草とライ
弱い日差しを浴び茶色に光っていました。
一枚板のシンプルな机で、昔ながらのニスと膠で処理され、
唯一の形見といっていいものでした。
亡父が翔太の為、知り合いの職人に依頼して作ったという、
学した際、
なかでも古い机は私と結婚するずっと前、翔太が中学校に入
いるだけでした。
本人の趣味・ルアー釣りのロッドが二〜三本鴨居に掛かって
した。
そして妹のいない私にとっては妹が突然出来たような状態で
女の子のいないシンディ家の人々にとっては愛娘、
(二つ年下のあなたは小柄で可愛くて、
七十年代の陽気なアメリカ生活を大いに楽しみましたね。
て、語学だけではなく、
近くの大きなスーパーマーケットに買い物に出かけたりし
海岸のサンタクルーズにドライブしながら泳ぎに行ったり、
立公園に出かけたり、
夫妻の優しく寛大なもてなしの中、
同じシンディさんの家でしたね。
ームステイ、
私が高校三年生の夏、サンフランシスコ郊外での一ヶ月のホ
たね。
紗代子さん︱あなたと私は偶然にもアメリカでお会いしまし
た。
あなたが翔太とお付き合いしていたことを知ったことでし
あなたはとても明るく行動的で聡明、
私達はシンディさんの子供達とも仲良くなって、ヨセミテ国
した。
表紙に(カイエ・プルミエ)
英会話も得意で羨ましかったことを思い出します。
1981
と書かれていま
同じ部屋で夜の更けるのも忘れて沢山お話しましたね)
1979
した。
︱あのステイは今も私の素晴らしい思い出になっています。
私が二十歳、翔太が二十六歳の時からのものでした。
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
あの人が亡くなった事は報道等でご存じのことかと思いま
随 筆
読み進むにつれて驚いたことがありました。
評 論
す。
児童文学
私が紗代子さんを存じ上げていたと同時に、
小 説
73
−
浜松市民文芸 60 集
︱子供の二人は既に独立し、それぞれ仕事をしておりました
慎ましやかではありますが生活しているのが実状です。
に就職が出来、
幸いなことに、唯一私の趣味であった刺繍を通して今の会社
夢中で友人を伝手に職探しに奔走しました。
(何とかしなければ)と思わざるを得ない状況に
それでも生活はしなければなりません。
やっと通夜・葬儀を済ませることが出来たという有様でした。
て、
親戚、主人の親、私の親、様々な人にお手伝いしていただい
社関係の方々、
歳位でしたから)
(確かあの頃は二十八歳位が男性の結婚年齢・女性が二十五
翔太がなかなか結婚しないという事・三十歳になった事
私が二十四歳、翔太が三十歳の時でした。
翔太とは見合い結婚で結ばれました。
後ろから私のお腹を抱え一緒に滑ったのを覚えています。
そう言って私の手を引っ張って滑り台の下から途中までいき
「少しずつ滑ろう」
ハラハラしているだけの私にただ一回だけ
滑って来ていました。
翔ちゃんは「見てて」と言ってザーッと上の方から勢いよく
業がみつかりません。
当 然 滑 る こ と が で き ず、
「翔ちゃん滑って!」という以外言
リート製で
ので、
突然の事で、それこそ多大なご迷惑をおかけした、主人の会
文字どおり(独りで生きる)事になりました。
そこには長さ十mほどの急傾斜の滑り台がありました。
園でした。
︱今はもう整地されて昔の面影が無くなっている︱ 牛山公
場所は当時の、里山の林といってもいい程の無造作な遊び場
時々近くの公園で一緒に遊ぶことがありました。
親同士が仕事仲間、家も近所だったこともあり、
でした。
私が最初に翔太に会ったのは、私が六歳、翔太が十二歳の時
畢竟子供の頃の話題から始まり、先程の牛山公園の話になり
お見合いといっても幼馴染みでしたので、
います。
やや太い眉と大きくそれでも優しい瞳は昔のままだったと思
たが、
すっかり大人の風貌、子供の頃と違って眼鏡を掛けていまし
再会したのは十八年ぶりでした。
翔太が中学に入ってから、私も小学生、疎遠になり
た。
親が心配するなか、私の名が挙がって、お見合いしたのでし
六歳の私にとってみればとてつもなく大きな恐ろしいコンク
74
(一緒に滑って上手くいったら、
(初め私がわんわん泣いて滑るのを渋った事)
︱翔太はよく覚えていました︱
ました。
活も変わっていた、
あなたが愛されていたように私が愛されていれば、私達の生
当の所なのです。
嫉妬に似た感情でとらえていたことも、正直に申し上げて本
お付き合いを羨ましくも、
-
一人で夢中で滑り台を駆けのぼり何回もトライした事)
翔太もあんな風な最後にはならなかったかもしれないと思っ
1981
ています。
1979
(翔太が上から滑って来て途中で失敗しゴロゴロと堕ちてい
カイエ・プルミエ くのを、
本人はとても痛いのに私がげらげら笑っていた事)
翔太の家の事も解かっていましたし、本人に会って
自然に話し合えたこともあり、安心できる人と思い、
・ 10pm
0202
当然の事だが、再び留年ということになった。
その春のお見合いから三ヶ月で結納、
半年で挙式というスピードで結婚しました。
︱自分では解りすぎているのだ。
あ
まだ「現実の生活」に入って行く勇気がまるでない。
恐怖と拒否感・罪悪感を覚える。
「現実の生活」に入り浸っている自分を想像すると
あ
も
それを拒否し
(一度でも無意識のうちに「仕事」を始めてしまった自分が、
、 、 、
翌年九月長男が生まれました。
定型俳句
自由律俳句
川 柳
モラトリアムとして再度学生生活を始めたのだからという理
短 歌
由で……)
それからは、子育てを初め家事と生活に追われ二人の子供の
慌ただしく出産の準備・出産に追われる中、
結婚して三ヶ月ほどで私の妊娠が解かり、
浜松から東京に出て友達のいない状況に戸惑うばかり、しか
小さなマンシヨンでした。
部屋とキッチン・バストイレ付のみという
新居は翔太の仕事先東京・練馬区の二間つづきの
詩
母親として
随 筆
夢中で生きてきたように思われます。
評 論
︱つまり「自己」をはじめ他人・世界に対して今もなお、う
児童文学
︱思えば翔太との恋愛期間はほとんどなく、あなたと翔太の
小 説
75
浜松市民文芸 60 集
じうじとしている、
超軟弱な俺がまだ此処に居続けているということだ。
アジア、特に中国、
韓国の影響が文化的には強くあるからね」
「 そ れ は そ う な ん で す け れ ど、 で も 言 葉 は 琉 球 語 と 言 っ て
一週間前に上京したばかりの女子だ。
沖縄の首里高校を卒業し
僕の横に座ったのは比嘉紗代子さんという、この三月、
淡いピンクのブラウスに白いスカート姿で
大学近く、御茶ノ水駅前の居酒屋に繰り出した。
部長の挨拶それに各々の自己紹介があってから、
例年のごとく、夕方四時部室で簡単な初会合
肌はやや焼けていたがその小柄ながら、ややふくよかな身体
い睫毛、
化粧もまだおぼつかないが、きりりとした眉、大きな瞳と長
とは違って
濃く太目で艶やかな長い黒髪、はっきりとした顔立ち、美形
面に見た。
僕達はにこにこと笑い合った。その時初めて紗代子さんを正
「そうでしょう?」
東北弁との対局・南島弁と感じている位なんですが」
「なるほど、なかなか興味深い発言だ」
も、私は
「上田です」
からは
・ 11am
0414
昨日、研究会で新入生歓迎会があった。
「比嘉です」
、
と挨拶を交わした後、
、
煌めく南国の光と海の匂いが弾けていた。
、
隣のメンバーに話しかけられたため、それ以上話す機会がな
もう少し話そうと思ったのだが彼女が
かった。
初めてですね。」
「沖縄の人でこの史学研究会に入ったのは過去五年間で君が
と僕が直截に言うと、彼女はにこにこ笑いながら、
・ 10pm
0506
今日は古代の照葉樹林帯の動向について何人かから意見が出
ところだ。
恒例の交わし酒で僕は強か酔ってしまい、今、目を覚ました
「あっそうなんですか、史学研というのはなかなか(渋い)
ですからね……」
「それに内地の歴史と沖縄の歴史はあまり、比較され云々さ
れていないから
沖縄人は積極的に日本史に入って行けないのかも……」
「確かに、古くから日本とのつながりは深いとはいえ、東南
76
た。
○稲作中心の意見︱柳田國男の田の神・山の神を連想する
・ 1030pm
1104
午後遅くの授業を終えて友達と暫く話してから御茶ノ水の駅
無数の僕が僕に向かって笑いかける
何だ、そんな事だったのか!
に向かって歩いていると
○自然採集︱自然栽培︱焼畑農業と後発の稲作による融合と
○海人による交易に基づく情報の拡散
ニコライ堂の前で、後ろから軽く何度か肩を叩かれ振り返る
改良
大雑把に言えばこの三点だったかと思う。
と、
水色のワンピースに紺のカーディガンを羽織った比嘉君がい
た。
街路樹の銀杏が色づき始めた夕日の中、微かに揺れる長い髪
と笑顔がそこにあった。
「お帰りですか」
「うん中央線で高円寺までね」
「知らなかった! 私中野なの、でも駅から遠いんです」
「僕も、高円寺からはバスで五駅ぐらいあるかな」
僕達は電車の中でそれぞれの吊革に掴まりながらとりとめの
「同じ路線だったんですね。じゃあ、一緒に帰りましょうか」
ない話をした。
「あのう、送ってくれません?」
新宿を過ぎた頃彼女が、ぽつりと言った。
それ以上の事を望まないのです」
︱比嘉君の意見だった。
上級生の質問に対する意見だったとはいえ、心に残った。
僕にとって
皆のやや鳥瞰的な意見に対して、彼女の生活からの切り口は
のんびりと一日一日家族と共に静かに生活できれば
島の生活はそこに辿り着いて、住み慣れればそれでいいの
です。
それは根菜である芋類と魚であったと、私は思います。
︱「自給自足」︱どういった形であれ
ですからその前には人々は主に何を食していたか、
われています。
「沖縄で米作が本格的に行われていたのは平安時代以降と言
それより気になった意見が一つあった。
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
「いいけど、どうして?」
随 筆
「さっきも話したんですけれど、家が駅からかなり遠くて、
評 論
どこからともなく風が吹いている?
児童文学
地下水が滲みだす?
小 説
77
浜松市民文芸 60 集
怖いんです」
す」
「商店街を過ぎると殆んど住宅地で道路も狭くて暗いんで
「いいよ、お送りしましよう、
アーケードの煌めく光の中
僕はこれからここを何度も通り過ぎる二人の事を想ってい
た。
を右に折れて
僕達は中野駅北口を出、サンモールのアーケードを抜けた所
「上田さんは、焼畑に興味あるって言うけど、具体的にはど
比嘉さんが
店で待ち合わせた。
・ 11pm
1118
今日で三回目の紗代子さんとの帰宅︱「白十字」という喫茶
比嘉紗代子︱僕は彼女を守ることにした。
狭い路地を並んで歩いていった。
君の視点・(生活から世界を見る)にあやかって」
「よかった」
確かに一〇メートル間隔程に街灯がついているとはいえ、
ういう事?」
と聞いてきたので僕は
女性一人では恐怖感を持ってもおかしくはない暗みだった。
「暗いでしょう?」
「多分焼畑農耕が始まる前は自然農耕だったしその前は採集
でもどの時点から焼畑になったのか、
それは自然発生的なのだろうけれど、地勢的なものなのか
イモが主食で
また稲作とどう関連しているのか、その辺かな」
「例えば、焼畑文化のポリネシアの島々ではヤムイモ・タロ
だった、
「入学して最近までは帰りが気にならなかったんだけれど」
と通っただけで
「確かに暗いね、これじゃあ男の僕だって何かが前をひょい
どきっとするかな」
「じゃあ、これからお願いしようかな、もし遅くなって帰ろ
うとした時
でもインドネシアでは完全に米文化なのに、焼畑も行って
米が主食としての概念がないんだ。
「どうぞご自由に」
上田さんに連絡して、よかったら一緒に帰ってもらう事︱
いいですか?」
「いいんですか、嬉しい」
でそれぞれの
」
いる。
「時間と空間の流れと広がりその中で人々が知恵と力と勇気
彼女のアパートの前まで送って行って僕は中野の駅に戻って
行った。
78
つまみを右手に軽く握って僕を上目づかいに見つめる
薄手の白いウェッジウッドのコーヒーのカップ、
「ふふ・上田さんって面白いひと」
「そうそれなんだよ、ひとの原動力っていうのはね」
生存を維持していたことは確かだと思うけど」と答えた。
「知恵と力と勇気︱なんか漫画の主人公ジェッターみたい」
といって、ダッフルコートのポケットから手を抜き、軽く腰
「良いよ、どうぞ」
思いがけない言葉だったが、僕は平静を繕って、
「寒い。あのう、腕組んでもいいですか?」
「大丈夫?」
「寒い」
彼女の家近く人通りのない路地で紗代子さんが言つた。
彼女に、無表情を装いながらドキドキしていた。
︱心底好きになったのだ︱「いじいじ」していてもしょうが
ている。
何も考える気がしない中、確実に紗代子さんの事を思い続け
悪寒がする。
・ 10am
1210
今日は風邪気味で授業をさぼった。横になっている。頭痛と
「まいったな、とんだお転婆さんだ」
彼女の笑顔が見える︱
る。
僕の左の腕、肩から脇腹に彼女の横顔と髪、身体が軽く触れ
「あったかい」
腕を絡ませてきた。
に手を当て
ない。
「どうして? 良いじやないですか、あったかいもの」
︱僕達は付き合うことになったのだ。
・ 11pm
1217
それは偶然の事だった。
いった。
驚いたように、僕を上目づかいに見、紗代子さんがぽつりと
「どうして?」
スをした。
と き
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
僕はそう言って彼女の方に身体を向け、少し屈んでそっとキ
今しがた家に帰ってきたものの落ち着かない、眠れない。
「初めて見た瞬間、好きになったんだ」
「俺ね」
彼女が掴みやすいように構えると、すぐさま紗代子さんは両
思い切って打ち明けてしまおうか……少し元気が出たか……
詩
それは本当に偶然の事だった。
随 筆
今日も紗代子さんを送って行った。
評 論
僕たちはそのまま、寄り添いながら歩いていった。
児童文学
今年一番の寒波がやってきた夕方、
小 説
79
浜松市民文芸 60 集
なけなしのバイト代で買い求めた インチのポータブルテレ
1980 0102 11pm
大晦日から元日にかけて僕らはずっとふたりでいた。
僕達は狭いアパートの中で激しくキスを交わした。
クリスマスということもあって近くの洋菓子屋から小さなシ
・ 11pm
1225
昨日紗代子が僕の部屋に来た。
ョートケーキ二つ、
ティを開催した。
それぞれ柊の飾りと小さなローソクを貰い、ささやかなパー
感じていた。
NHKの紅白を映したまま布団の中でお互いの肌の温もりを
ビで
十一時四十五分︱テレビで
皆は全体から物を見ようとばかりしている。でもそれは真
実じゃあない
ポンと一言、
皆にまとめを暗示させるってどういう事なの」
「それは、視点が君と同じって事だよ。例えば
だった。
しようと……
した。
京都知恩院の除夜の鐘が鳴って僕たちはそろそろと着替えを
君が言ったようにその地方の誰それが、他の誰それとどう
関係しているか
いた。
それから地下鉄に乗って東京タワーに向かった。
︱紗代はずっと僕のコートの内側にいて、背中に手を廻して
電車の中、原宿駅前、境内、どこも溢れんばかりの人の群れ
元旦には特別電車があって、それに乗って明治神宮に初詣を
どう生きているか、それがその地域のどの部分と繋がって
いるのか
少しお腹が減ったので、開いていたタワー近くの牛丼の松屋
で食事を済ませ、
展望台で初日の出をまっていた。
「じゃあ、私のどこが好きになったの」
江戸川、江東、中央、港、それぞれの区の風景が次第に鈍色
東京湾の水面を囲むよう、晴海ふ頭をはじめとする埋立地、
此処も同世代を初め、ぎっしりと人が溢れていた。
「そんな事、全部だよ」
っきりと了解するって事」
「そう、そこに居る人間の息遣いが感じられると、人は、は
と?」
どのぐらいの広がりがあるのかってことさ」
「要するに現実的でないと物事ははっきりしないってこ
でも議論の中で
「二浪二越年の四年生、一番年齢が上なのに部長でもない、
14
80
「ううん、房総半島の向こうから」
「ニライカナイから昇って来たのかな」
「見えた。モワモワと溶けたお日様」
「見えた?」
伸ばした両手を僕の肩に乗せ背を立ち上げていた。
背中におんぶされていた紗代は僕よりも早く歓声を上げ、
わあーという歓声と共に大拍手が起こった。
めた瞬間、
少し厚く長く垂れこめた雲の上からじわじわと初日が登り始
に光りはじめ、
を獲得した
僕はそう言って二人レジに向かい支払いを済ませ、お目当て
「いいね、紗代は原色似合うね」
紗代がはにかみながら私に見せ「これにする」と言った。
赤い花弁と黄色の花芯のアレンジされた黒いエナメル靴を
今流行の靴屋ミハマで
現していた。
それぞれの専門店の個性的な建物が続いて、新しい横浜を表
柔らかな曲線を利用した舗道と
元町は街全体が新しくオシャレになったようで、
横浜港、港の見える丘公園、元町と歩いた。
1980
0818
〈見つけてしまった〉
にこにこ顔の紗代の手を取りその店を出た。
「はは、確かに」
曙光が僕と紗代を照らしている。
信じられない、こんなことがあるのだろうか
大勢の人混みの中で、これから来るだろう喜びを二人とも思
っている。
立ち去ろう、あのざわめく街の中に、憔悴する僕の身体を沈
僕はもうここには居てはいけない。
︱知らない間に僕は紗代を裏切っているのだ。
0520 pm10
新しい靴が欲しいと紗代が言ったので今日は横浜に行った。
定型俳句
自由律俳句
川 柳
めていこう。
短 歌
奴等はきつと僕の足裏を千枚通しの先で激しく突き刺すのだ
、 、
元町に行こうとして京浜急行で、桜木町で降りたのだが、
念はものの数ではない︱
︱強く突き動かされることが全てであり、君の今の思考・概
詩
時間もあるし、天気も良いので歩いて行くことにした。
随 筆
途中馬車道の洋菓子店でシュークリームと紅茶で休憩してか
評 論
から、
児童文学
ら、
小 説
81
浜松市民文芸 60 集
幻に満ち、澄みきった広さ、モラトリアムよ!
それでもいい(さようなら)だ。
途中破り捨てられた頁もあります。
ここで記述は終わっていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
︱僕は僕だけを不幸にする自由を行使できるのだ。
ただ、紗代に自ら不幸と思わせるのは忍びない。
︱僕はもう語らないだろう、ありきたりの真実を基本に、
僕はギャッと悲鳴を上げ、
何処と構わずのたうち回るだろう。
ダラダラと蘊蓄を述べることを︱
何故なのかは知る由もありません。
とはいえこれが僕に課せられた課題なのだとして「前進」し
彼等と歩調を合わせていくのが難しいということなのだ。
︱これは象徴的な事で、生きるのが不器用な僕にとって、
大きな声で発声する事がとても恥ずかしく嫌だった。
されて
営業に配属が決まり、「接客七大用語」を唱和・とくに指名
1981
0415
就職し、二週間の研修が終わった。
あなたの本籍の住所に連絡を取らせて頂き、
事情を申し上げ、
ホームステイのころ頂いたあなたからの葉書から
ただそれでも本当の事を知りたくなって、
二十年以上連れ添った私には微かながら解かっていました。
決して立ち入らせないような翔太なりの自負があった事は
そこには子供達を含め私にも、
翔太には自分だけの空間・場所があって、
て、
ただ翔太があのような死を自ら選んでしまったことについ
よう。
手紙とノートを送らせて頂きました。
上田弓子様
ご両親から教えて頂いたこの住所宛に
「前進」? 何処へ……
︱どういう事だ。僕はふわふわと漂っている。居心地は良く
も悪くもない︱
貴女のお手紙と翔太さんのノートを拝見させていただきまし
た。
体が震えました。
感慨に
1981
0525
紗代はもう僕のところには来ないだろう。
別れを告げた。
僕は彼女から離れて生活する事に決めたのだ。
正直のところ驚きばかりが先に立ち、何とも言いようのない
紗代を僕は愛している︱どうしようもなく愛している。
82
お話しさせて頂ければよろしいかと思うのですが、もうすで
きる
翔太さんのことについて貴女から頂いたお気持ちをお返しで
別離による孤独感はありましたが……
確かにもう翔太さんを愛することができないという悲しみと
ませんでした。
それがどんな理由だったのかはっきりとは申せません。
私達は確かに愛し合いながら別れてしまいました。
という事でした。
のか︱
︱私は翔太さんにとって本当に愛さねばならない存在だった
それは貴女が抱いていた思いと同じ
状況に置かれていたのではないかと思えるからです。
同じような
あの頃の私と翔太さんと、結婚されて過ごした貴女は殆んど
ました。
ただ何故か貴女の事が他人事のように思われない感覚を持ち
正直なところ自信を持ってお話しできるか解かりません。
ますので
三十年以上も経っていますし、記憶も不確かなところがあり
続けてきた印象と同様
当時の翔太さんは愛する事には貪欲でしたが、貴女様の抱き
遠ざかるひと︱そうあの人はそういうひとなんだ……〉
えず近づき
あのひとはいつも私の近くにそっと寄り添う人ではない・絶
うに……
まるで惹かれあう異邦人のよう、会った刹那を惜しむかのよ
私たちは求め合う……
私が遠ざけようとすると、幼児の様に纏わり付いてくる。
私の想いなんかそっちのけで違う事に魅了されている。
でも近づこうとするとチャーは遠くに行ってしまっている。
チャーは優しい。
チャーは私を求め愛してくれる。
堪らなくあなたが恋しいと身体も心も思っている。
〈チャーとはもう会わない。
その頃の日記に私はこう書いていました。
に
というより今思い起こせばあの頃の翔太さんにとって
所有する事には無頓着でした
川 柳
(私にとっては奇異ではありましたが)
自由律俳句
愛し愛されている事以上に
定型俳句
子供なんです︱といえばそれまでなのかもしれませんが、い
短 歌
つも何かに
詩
(別れること)そのこと自体が目的であったようにも思われ
随 筆
ます。
評 論
取り憑かれたように動き回っていました。
児童文学
これまた不思議なことですがその時、私自身には後悔はあり
小 説
83
浜松市民文芸 60 集
た。
全く新しい価値を創り上げて行こうとするもののようでし
「それはよく解かっている、ただそれが本当なのか確信は全
あの人の求めるものは世間的な名声・財産・幸福ではなかっ
た事は確かです。
(背理的に生き抜くこと)だったのだろうと思います。
なんと申し上げていいのか、
今の私の精一杯の表現で言えば、
思われました。
それはとても困難な事、保ち続けるには極めて厳しいことと
私も気づいていました。
貴女様の言われた通りあの人には独特の世界観があった事は
︱でも途轍もなく私には優しかったのです。
いました。
この人は世の中の流れからは弾き飛ばされる類の人間だと思
素朴で純粋といえば聞こえはいいのでしょうが、
何故何故何故を繰り返す状態・拒否反応を示している︱
周りとのありふれたコミュニケーションに疲れ、
︱気の小さい、それでいて激しやすい子供が
私はこう考えました。あの人は病気なのだ。
かといって私を蔑んでもいませんでした。
を持っていました。
している。
弓子様が言われた通り、とある空間にあの人がいてウロウロ
と誰かに囁かれてしまうんだ」
なのだ︱
︱これらは何もかもが見たことのないと言うより初めての事
るような……
鍵さえ持てない二股の細い足の爪で微かに壁の隅を齧ってい
できないイメージ
「自分がカフカの甲虫となって、部屋の錠前を開けることが
そんな気持ちになるんだ」
ったような
もうずっと遠くに行ってしまうような、まるで会っていなか
のに
「僕はね、時々気が狂う程怖くなるんだ。紗代がここにいる
時々こんなことも言うのでした。
した。
「言葉がその謎の原因だし、解決の糸口だ」とも言っていま
そう言った言い回しが翔太さんの常でした。
、
ただ透き通った瞳をして、何かを〈発見〉しようとしていま
くない」
それはあらゆる事柄の中から新たに自らの個体を磨き上げて
そのことに対して私はどうにもならないのだと……
、
した。
いくこと、
私達が真実と思い慣れ親しんでいる事にいつも訝しげな感覚
今ある私達の既知なるものを咀嚼しつつ、次元を変えて、
84
ただそれからは翔太さんの思い出が残ったというのではな
私達は別々の道を歩みました。
南は遠州灘、北は南アルプスが広がっていたと思うのです。
そこからは恐らく東は富士、西は浜名湖を抜けて湖西連峰、
たそうです。
隣の病棟の最上階・五階の食堂から数人のひとの確認があっ
数分の間ぼんやりと翔太は晴れ渡った景色を眺めていたと
く、
市街地から離れた三方原の聖隷病院に入院しておりました。
ただ入院が必至であるとの医師からの勧めで
た。
本人も私もお互いそのことについて話そうとはしませんでし
それも「かなり進んだ状態」でしたが
ました。
実は翔太は亡くなる直前、医師から喉頭ガンと宣告されてい
ただただ感謝しています。
事に
それだけにこのお手紙は嬉しく、あなたのお気持ちを頂いた
返事が返されることはないのではと思ってもいました。
もう翔太の事に触れたくはないとあなたが思われ、
恥ずかしいお話ですが私自身
お手紙本当に有難う御座いました。
紗代子様
さらに書くことにも障害が出てきたことも
声が出なくなったことは大きな衝撃であったと思います。
あの人にとって
表現する事が無用でありかつ重要であることに執着していた
いのです。
︱私は(此処ではない此処)を求めて彼は旅立ったと思いた
と
あなたの言われた「言葉」への翔太の想いを重ね合わせます
す。
絶えず背理的に? 生きようとした翔太にとって
それは最後の抵抗ともいうべき行動であったように思われま
うに
今となっては殆ど何も解かりませんがあなたのおっしゃるよ
屋上から飛び立ったそうです。
翔太は急に両手を水平に翳しゆっくりと羽振りの仕草をして
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
私達は本当に眼の前にあるものに安心感を抱き、あるいは抱
あの人の生きる悲しみを増幅したと思うのです。
見上げれば宇宙に通ずる、限りのない青空︱
私自身、世界を見る目が変わっていったことは確かでした。
詩
翔太は病院の屋上にいて何を思っていたのでしょう。
児童文学
︱あの夏の日、病院の屋上・普段は立ち入り禁止のヘリポー
トに何故か居て
小 説
85
浜松市民文芸 60 集
︱
既知のものの中で住まう事に現実を感じ、真実観を抱くこと
︱例えば都市生活に象徴されるように、人々の創りあげた
その上でおたがいの意志を疎通し社会を創っています。
そんな感懐もいたします。
しかし病気をきっかけとして、その限界を越してしまった︱
しれません。
翻って言えばそうすることで翔太は自らを守り通したのかも
今思えば翔太はそのことを熟知していたように思います。
のです。
(完全なる逃避・慰戯)だったのではないかとさえ私は思う
しかしそれは本当の事なのでしょうか。
今思えば(すみません繰り返してしまって)
こうとし
奇しくもあなたに翔太が囁いていた現実感が、
、 、
更に怖れとおののきを持って本人に圧倒的に迫り続けていた
、 、
間接的に翔太は私に(お前を生きろ)と言っていたのではな
、 、
凡庸な私には自らの五感を通してしか「もの」は感じられま
いかとも思います。
ようなのです。
せん。
でも今思えば翔太の仕事への没頭は単なる(仕事好き)では
ん。
世間の人から見れば安直にそう思われる症状かもしれませ
「精神病」
直に触れることのできないものでありました。
それはあなたと同様、個人として
少しはあの人の気持ちは解っていましたものの、
などということは全く未体験の事なのです。
が現れる)
(私が感じられるもの以外にそれぞれの中で全く違ったもの
温もりのある箸の手触り、口にする味噌汁の熱さと味わい︱
という絶対的感覚が迫ってくる時があります。
(ただただ一切は過ぎ去ってゆきます)
ものとして
確かに私というありふれた一人の人間にも捉えどころのない
それは恐怖でさえあることを)
あること、
それは今までの自分を引き離し分解・破壊してしまう恐れが
事、
(自分自身の思いがけなかった状況を瞬時に把握してしまう
きっとためらいを感じていたのではないかと思います。
翔太もそれを私に面と向かって言うことに
しかし私には結局それが解からなかったのです。
︱ありふれた風景、聞こえる街の音、夕餉の匂い、
なく
86
それがあの人にとって、とても悲しく思えたのだろうと思い
と
そう言った絶対感を妻である私が絶えず目の当たりにするこ
豊かな胸、しなやかな両腕へ、そして首から顔に向かって
身に付けた薄く軽い肌着を
まるで白くきめ細やかな肌をした若い女が、
(闇に染み込んでいく)
たら
昨日、主人の背広を形見にとクリーニングに出そうとしまし
追伸
な位置︱
︱そこはここであり、今日であり昨日であり未来であるよう
更に点となり限りなく零に向かう
糸巻機の紡ぐ回転方向とは逆方向に細分化され
身体は一枚一枚スライスされ、更に
ゆっくりと脱ぎ捨て裸身となっていくように、
ます。
内側のポケットの中に私と二人の子供に宛てた走り書きがあ
(完全な凝固ともいえるし、無時間・無空間の永遠ともいえ
る)
夥しい暗みと共にその隙間から漏れ来る光の中
森の中にいる
現れては消えていく(限りない唯一)の絶え間ない生命の
ただし、そこは留まっているだけの場所ではない
そこで永遠にすべてのものと出会い続ける
そこに全てのものが収釼している。
素足の裏から土と枯草の混じった温かさが伝わってくる
横溢する世界・〈個別の全世界〉なのだ
そこに待っている人達がいる
尾根近くにある磐座を目指して……
とっても幸せだったんだよ
とても仲のいい(家族)だったんだよ
弓子・統・佳子よ、決して嘆いてはいけない
纏わり付く下草と虫達を気にもせず登って行く
︱父母をはじめ、もう此処には居ない人たち
自由律俳句
つまりごく普通の家族だったんだよ
定型俳句
しかし子供のひとりひとりが生まれ
短 歌
川 柳
藪の中にいる鳥の囀りや獣の息遣い・声
弓子へ・子供達へ
りました。
詩
それと共に今いる周りの全ての人達だ︱
随 筆
(闇が包む)
評 論
それぞれの意識を持ち始めることによって
児童文学
ひとはよくこう言うけれどその感覚は皆無だ
小 説
87
浜松市民文芸 60 集
(それはそれで良い事なのだ)
それゆえ行動を起こしてみようと決めたのだ
れないのだから
(中区)
翔太
なぜなら、そうすることは(全き死)に通じているのかもし
︱それぞれが(独り)であることは特別であると知ることだ
そこからもはや(家族)が壊れ始める
から
これでいい ありがとう また会おう
それぞれを始めること︱多くの人々はそう思ってはいないだ
ろうが
個別のアスペクトを無意識的に表現し始める可能性が現れる
からだ︱
お前たちと一緒にいる時間はもう殆んどないだろう
病がそれを教えてくれた
(だからといって断然、死を表現する事しかできなくなる状
態で
お前たちと向いあう事を拒絶したいのだ)
もうこの背広を着ることはないだろう
此処に居た事の証として背広に事寄せして
この断片を君達に送る
もう決して独りだった若い頃の様に不幸ではない
幸せでさえある
ただ身体が言う事を聞かなくなる前に
森の磐座に向かっている︱
もう十年も存えることができたなら、
おまえ達にゆっくり、とりとめのない昔話として
とてつもない物語を告げることができただろうに
そこにたどり着くことはおそらく不可能だろう
88
[入 選]
遼遠なるエンピレオ
白 井 聖 郎
荒涼とした岩漠が広がっていた。
光のない黒い景色だけが続くが、女には岩の形や丘陵など
がはっきりと見えていた。見えてはいたが、自分が今どこに
たすら、駆けていた。
行き先は、とりあえずは川なのだ。自分はその川を渡りた
くて仕方がなかったのだと、女ははっきりとわかっている。
な ぜ 川 へ 向 か っ て い る の か、 川 の 向 こ う で 何 を す る の か
は、知らない。ただ、渡ればいいのだ。
蜂や虻に刺されている者を多く見かけた。よく見ると、か
なりの者が刺されている。女には蜂すら寄りつかない。思わ
ず立ち止まってしまった。
刺されているからといって、誰も声を発することはない。
振り払うことも逃げ惑うこともしていない。ひたすら刺され
周りを見ると、夥しい数の人間が、ゆっくりと彷徨いなが
ら歩いている。騒ぎ立てる者はいなく、物音すら響かない。
が見たところ少ない。自分には、それがなかった。それ以外
がぶら下がっている者が多く、ぶら下がっていない者のほう
女はまた走りはじめた。川は、まだ先だ。
追い抜く人たちの後ろ姿は、全員が一緒だった。前から見
た姿もほとんど同じである。へその下、脚の付け根に妙な物
ているだけだった。
統制はとれていなく、走っている者や、立ち止まっている者、
いるのかは、わかっていなかった。
座り込んでいる者もいる。全体としては、一定の方向に動き
に、違いはわからない。背丈の違いは若干あるにせよ、全員
が複製品のように見える。きっと、自分もそうなのだろう。
滅亡の民。
定型俳句
自由律俳句
川 柳
そんな言葉が、ふと浮かんだ。浮かんだだけで、特に何か
を思い出すことはない。
短 歌
自分の考えていることが、うまく表現できなかった。錯綜
としているわけではないが、思考も感情も、別段蠢いている
川に向かって進んでいる。それだけは、女にもわかってい
た。
は流れている。
詩
前方から、静かに流れる川の水の音が聞えてきた。
随 筆
わけでもない。
評 論
女は、まだまだ見えないほど先にある川を、誰かと渡ろう
としていたことを、ぼんやりと思い出した。誰かは思い出せ
児童文学
女はわけもわからないまま、川に向かって走りはじめた。
楽しいだとか苦しいだとか、そんな感情もないまま、ただひ
小 説
89
浜松市民文芸 60 集
ないし、そもそもなぜ川を渡ろうとしているのかも、いまい
ちわからないままだった。
人が増えてきたので走るのをやめて、歩きはじめた。川が
近くなってきたのかもしれない。辺りを見渡す限り、誰かと
連れ添って複数人でいる者はいない。皆それぞれが、見えな
い何かに導かれるように、勝手に動いている。
一人の人間が、女のほうを見ていた。女はそのまま素通り
をした。誰もが同じように見えるので、気にすることはなか
った。
憂いの都。
先ほどとは違う言葉が、脳裏をよぎった。
いったい、自分は何者で、どこへ向かおうとしているのか。
少しずつだが、考えられるようになってきた。
走ってきた荒野を振り返ってみた。何もない、黒い景色だ
けがある。遠くに、巨大な門のようなものが見えた。まとま
ていて、無愛想に何かぶつぶつと言っている。
老人が舟で向こう岸へ連れて行ってくれるようだ。
「へへへっ、銭のある奴からだ」
老人は人をまるでごみ屑のように、舟に乗せられるだけ詰
め込んで、行ってしまった。
金を持っていないことに女は気付いた。川を渡りたい一心
だったが、すぐには渡れそうもなかった。川岸にいる人の数
は底知れない。
永遠の苦患。
また、馴染みのない言葉が頭の中に去来した。
永い時間を、ここで費やすことになるのだろうか。早く、
対岸へ行きたかった。
何があるのかわからない対岸。誰かと、行きたかったはず
の対岸。
老人はぼそぼそと言っては、舟を出してまた戻ってくる。
老人が戻ってきた。そしてまた人を詰め込んでいく。
「へへへっ、この地の最近の見所は、そうだな」
てとれた。
「名所はいくらでもあるが、イエス・キリストを裏切った
ユダがいることだな。へへへっ」
りのない群衆は、その門から川へと向かって来ているのが見
あの門は何なのだろう。女はしばらく考えてみたが、よく
わからなかった。女自身、あの門をくぐってきたのかどうか
対岸へ早く行きたい気持ちがある一方で、女は老人が呟い
ているひとり言のような言葉に、耳を傾けていた。
か名の知れた奴らだ」
「カエサルを裏切った、ブルータスも同じ場所にいる。へ
っ、まぁ二人とも、まだ新参者の類だが、この地でもなかな
を覚えていなかった。
川は、黒い水をたたえ、滔々と流れている。渡し守がいる
ようだ。
自分を含め、川べぼりろにいる人たちとは違う人種だと一目で
わかる。櫂を持ち襤褸を腰にまとった老人だった。目は光っ
90
聞いたことのある名前がいくつか出てきた。
老人の話には、
女は少しずつ思い出してきた。自分にも、名前があるはず
なのだ。そしてこの地はおそらく、死者の集う地のはずだっ
た。河畔にいる群衆は皆、一様の顔をしている。
「へへっ、当のカエサルは、このアケローン川を渡ったす
ぐの辺獄にいる。地獄の第一層だ。立派な行いをしたのかも
どれ程の死者が永い間この地にいるのか気になってしまっ
た。広大という言葉では言い表せないほどの場所なのだろう
か。
眠るのだろうか、空腹にならないのだろうか。女は、とり
とめのないことを考えてしまった。
一番知りたいことは、自分の名前と、どうしてこの川を渡
ろうとしているのかと、誰と渡ろうとしていたのかだった。
相変わらず何かを言い続けている。
カロンと名乗る老人は、
しれないが、洗礼を受けていないからな。だがまぁ、裁かれ
ることはない。ソクラテスも同様だ」
今いる場所から正反対の所に、煉獄山と呼ばれる台形をし
た山があるらしい。麓には大地が二つあり、入口にはやはり
門があり、色の異なる三段の階段を上るようだ。
カロンは、この地のガイド役も兼任しているのだろうか。
女は、思わず苦笑してしまった。喜怒哀楽の表情は、顔に表
れるのだろうか。いまのところ皆が、マネキンのように同じ
顔をしていて、何の抑揚もなく、いるだけだ。
老人特有のただの繰りごとなのか、カロンは舟に人を乗せ
るときには必ず何かを話していく。見る限り、特定の話し相
は、天国に一番近い場所のようだ。山頂から昇天し、天国へ
煉獄山には、第一冠から第七冠まであるようで、そこで高
慢や嫉妬、憤怒などの七つの大罪を清められるらしい。山頂
手はいなさそうだ。
かった。ただ、三途の川だと思っていた川の名が、アケロー
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
ただ、自分が何者なのかを知る手がかりが欲しくて、女は
向かうようだが、もはや説明が多すぎて女にはよくわからな
ン川と呼ばれていた。
やはり自分は、死後の世界にいるようだった。しかし女は、
自分が死んでいることを知ったところで、何も思うことはな
冥府。
「ちなみに、わしの名前はカロン。へへへっ、まぁ、冥府
では名前なんざ、あろうがなかろうがどうでもいいことよ」
老人は手際よく舟に人を詰め込んでいく。金を持っていよ
うが持っていまいが、
老人はそれほど関係ない様子ではある。
「銭のある奴からだ。辺獄を過ぎると、ミーノスのくそ野
郎が裁きを入れてお前らの行き先を決めてくれる。へへっ」
そう言うと、老人はまた大儀そうに舟を出し、しばらくし
て戻ってきた。
詩
かった。地図かガイドブックをくれ、と思ってしまった。
随 筆
老人は返事がないのを知りながら呟き続け、ひたすら川を
往復している。
評 論
児童文学
キリストを裏切ったユダが新参者ということは、いったい
小 説
91
浜松市民文芸 60 集
カロンの言葉を出来るだけ聞くようにしていた。まるで、学
へ、思い違いかもしれねぇ」
「天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていないはず
女は退屈になりそうだった。ここでは寝たり食べたり、そ
んなことはあるのだろうか。
である」と、誰かが書いたらしい言葉を、人から聞いたこと
校の授業だった。
地獄の世界は、第一圏から第九圏まであり、中ほどにある
ディーテの街を境に、比較的軽い罪と重い罪の領域に分けら
カロンは、アケローン川を越えてからの構造を順番に喋り
だしていった。まるで、水先案内人だ。
自死。女は、何かがひっかかった。思い出せそうで、まだ
思い出せなかった。
がある。書いた人は、確か自死をしたと聞いている。
れている。
「裏切り者の地獄、コキュートスは第九圏。氷地獄だ。四
つに区分けされる最奥のジュデッカにユダはいる。ルチフェ
ロの馬鹿が、ユダを噛み締めている。へへへっ、銀貨三十枚
で、このざまだ」
た。もし全員が言葉の意味をわかっているとしたら、これは
皆が皆、カロンの言っていることを聞いているとは思わな
いが、そもそも、言葉の意味がわかるのかが疑問になってき
画期的なのではないか。生前、言語は無数にあったはずだ。
カロンは、同僚と思われる人物らに対して悪態をついてい
る。この男は、死なないのだろうか、と思ってしまった。
「あらゆる宗派の異端者は第六圏だ。へへっ。教祖様に会
えて幸せだろ。まぁ、いまさら誰が誰だかわからねえが、火
女はふと思い出した。
地球上に、統一された言語はなかった。
焔に包まれるんだな」
無愛想だが、カロンは上機嫌で話し続けている。どうやら
この百年で地獄に来る者が激増しているらしい。
れらは全てあの門に書かれていた言葉だ。そしてもう一つ思
ったが、理解できた。滅亡の民、憂いの都、永遠の苦患。そ
門に、何か文字が書かれていた。ということは、自分はあ
の門をくぐってきた。少なくとも、知っている言語ではなか
そう言ってカロンはまた向こう岸へ行ってしまった。金に
うるさいが、仕事熱心な男のようだ。裁きを入れるミーノス
い出した。
「異端者の教祖が救われる方法が一つだけあるが」
という男も、いまは忙しいのだろう。人手は足りているのだ
そんな文章があったはずだ。その言葉は、全員が読んでい
る。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
ろうか。女は、なんとなく考えてしまった。
「へへへっ、何の話だったかな。そうそう、教祖だ。信者
が全員死ねば、その火焔からは抜けられる。何百年か前だっ
たか、マニ教の教祖もそうやって抜け出して行ったなぁ。へ
92
歩、舟に近づいてきている。
女は、靄を晴らすように、少しずつ記憶を手繰り寄せてい
った。ただ、後方から押し寄せる人だかりの圧力で、一歩一
カロンが向こう岸から戻って来る。誰かと行きたかった対
岸へ、女は一人で行くことになりそうだった。
女は、はっきりと思い出した。
自分は、自殺をしたのだ。
カロンに左腕を掴まれた。氷のように冷たい手だったが、
自分の手も特に温かいわけではなく冷たい。
「第七圏の第二の環は、自殺者の森だ。へへっ、この中に
もいるだろう?」
カロンが、第四圏の地獄について話している。吝嗇と浪費
の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る
らしい。
その場所では言葉を発することができるのか。少なくとも
今この場所では、声は出ない。
「自ら命を絶った者は、肉体なんざいらねえっていうこと
だろ、そこで樹木と化し、ハルピュイアの不潔女に、葉を啄
カロンに櫂で叩かれながら、舟に押し込まれた。
まれる。へへっ。近頃は手狭になってきてな、いい樹木に育
言葉を発せるというのなら、第六圏にいる異端の教祖たち
に、論争をさせてみたらいい。そんなことを女は考えてしま
った。この地は都合よく統一言語で統制されている可能性が
たねえらしいぜ」
は「円」と呼ぶようだ。イスラム教の開祖のムハンマドは、
ばれることのなかった名前。
女は、その言葉で、自分の名前を思い出せた。いろいろな
ことを、思い出せた。好きだった名前、しかし、親からも呼
樹木。
第八圏の第九のマーレボルジェで、体を裂き切られて内臓を
評 論
随 筆
神谷を、探さなくては。
定型俳句
カロンが笑っていた。
短 歌
自由律俳句
川 柳
楓は自分の上に積み重なっていく人々を力づくで押しのけ
た。
た。
自分の名前は、楓だ。そして、一人の男が名前で呼んでく
れた。その、神谷という男と、シベリアで心中をしたのだっ
ボルジェ」と呼ばれる十の振り分けがあり、第九圏の区分け
カロンの話は第七圏になるところだ。第七圏には「環」と
呼ばれる三つの振り分けがあるらしい。第八圏には「マーレ
ある。
詩
露出しているようなことは、先ほどカロンが嬉しそうに喋っ
ていた。
この一往復が済んだら、女は舟に積まれそうだった。金は
持っていないが、カロンは手当たり次第に舟に押しやってい
る。
児童文学
第七圏の第一の環は、隣人の身体や財産を損なった者が、
煮えたぎった血の川に漬けられるという。
小 説
93
浜松市民文芸 60 集
「へへへっ。記憶を取り戻した死に損ないか。いいぜ行っ
ても。足掻けるのは今だけだが、門を通り過ぎた時点で、希
望なんざ、どこにもねえんだよ。この川に再び引き寄せられ
はまた新たな肉体をもらっているのかもしれない。
神谷が好きそうな話かもしれないが、楓には難しいという
か、興味のないことだった。
の男とはまたいずれ、地獄のどこかで行き会えるかもしれな
だったのだろう。根拠はないが、神谷ではなかった。目の前
楓のほうを見ている男を見つけた。しかし、神谷ではない
と直感した。誰かはわからないが、たぶん、生前は知り合い
楓は舟から飛び降りた。神谷は、どこにいるのだ。先に行
ってしまったのか、まだ近くにいるのか。楓にはわからなか
る。へへっ」
った。まだ門をくぐっていないという可能性もある。
かった。
いが、どうでもいいことだった。いまはただ、神谷を探した
先 ほ ど、 一 人 の 男 が 楓 の ほ う を 見 て い た こ と を 思 い 出 し
た。あれが神谷だったのかもしれない。楓のほうを見ている
雪の中で死にたいという、望みが叶えられた。神谷には感
謝の気持ちしかなかった。正直なところ、一緒に死んでほし
てが一律だった。
ことができなかった。国籍も人種も関係なく、この地では全
男を探してみた。
いと話を持ちかけたときに、神谷が心中してくれるとは思っ
楓は川沿いを俳徊しながら、門のほうへと歩みを進めた。
生い茂る木々の葉を見るように、人の群れに差異を見つける
てもいなかった。
いじめ、親との不仲、親の離婚、楓を引きとった父親の再
婚、父親の失踪、継母の再婚。再婚相手の男からの暴行。世
神谷を探すことはできないかもしれない。それは仕方のな
いことだった。
記憶が蘇ったが、一時のことかもしれなかった。すぐに消
えていってしまうのかもしれないし、ずっと残るのかもしれ
ない。楓にはよくわからない。
方だった。
自己憐憫あるいは自己陶酔。そんなものがあったのかは、
わからない。ただ、消えるように死にたかった。それに、神
そして神谷と、出会った。神谷は楓の自傷行為も服薬も援
助交際も、受け入れてくれた。
界の狭かった高校生の楓には、耐えがたい環境だった。
思考はできても、肉体は生前の物とは違った。胸も脚も自
分が知っている体ではなかった。自分で切りつけた両腕の傷
谷が付きあってくれた。
精神安定剤や睡眠薬を酒と一緒に大量服薬をして、そのま
ま、極寒の大地で眠るように人生を終えた。満足のいく死に
痕もなくなっている。
未練も、後悔もなかった。ないつもりだった。今では全て
体はシベリアの地に残してきた。霊魂のみがあり、地獄で
94
が懐かしい。望み通り死ねたのだ。
獄があるというのなら、神谷も天国ではなくて地獄に来てい
とうとう門のそばまで来てしまった。神谷は見つからなか
った。先へ行ってしまったのだろうか。自殺した者が行く地
地獄の門が近づいてきた。楓だけが、流れに逆らって歩い
ている。蜂に刺されている者はやはり大勢いる。
るはずだ。それともまた別の世界に行っているのかもしれな
い。何があっても不思議ではない。
川 ま で 引 き 返 そ う と 思 っ た が、 楓 は 門 を く ぐ る 人 々 を 見
て、思い直した。
門をくぐる前の群衆は、それぞれ皮膚の色も髪の色も背丈
も体つきも、皆違っている。おそらく、生前の姿なのかもし
れない。それが、門をくぐると一様に、彫刻の量産品のよう
っくりだ。
に変わってしまっているのだ。
ひょっとしたら、門をくぐる前の神谷なら、見分けがつく
かもしれない。楓はそう考え、門から離れるのをやめようと
思った。
しばらく、神谷を待ってみることにした。
神谷を見つけられたとして、どうすべきなのかを。一緒に
アケローン川を渡るべきなのかどうかを。
楓はしかし、悩んでいた。
には、神谷はたくさん考えることがあるのかもしれない。
「死」について、生前、楓は大して考えたことはなかった。
ただ、生きている日々がつらかっただけなのだ。「一切の希
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
雪の日に死にたい。眠るように、消えるように死にたい。
そんな、生前の唯一ともいえる希望は、叶えられた。だから
望を捨てよ」という言葉を思い出しても、何とも思わなかっ
楓には、皮肉や疑問しか浮かばない。まずガイドブックが
欲しかった。
た。なぜなら、
生きているときから希望などなかったからだ。
ものは死ねばわかる。神谷はそう言っていた。こっちの世界
死ねばわかる。神谷がよくそう言っていた。死後の世界が
あるのかないのか、あるとしたらどんな世界なのか。そんな
楓はどうでもいいことを考えてしまった。
もしれない。
物が見当たらないことだ。となると必然、食べ物はないのか
違いがあるとすれば、光がない暗闇の世界なのに、はっき
りと物の識別ができることだった。そして、人間以外に動植
のだろう。異次元の世界なのかもしれないが、環境は地球そ
人を乗せた舟が浮くほどの浮力もある。水質も地球と同じな
環境だった。空気はある。火と氷があるほどの温度差があり、
蜂が飛んでいる。川が流れている。カロンが言うには、氷
地獄がある。火焔もある。木も育つ。まるで、地球と同様の
詩
楓は天を見上げた。ただ、黒かった。星も月も、雲もない。
しかし川はある。雨は降るのだろうか。雲はどこかにあるの
評 論
だろうか。そんなことをまた考えてしまう自分に、苦笑した。
児童文学
不思議な世界だった。
小 説
95
浜松市民文芸 60 集
よくわからなくなってきた。神谷が考えて行動したことな
ので、楓が考えることではないのかもしれなかった。
い。
しかし、神谷はどうなのだろう。そんなことを考えてしま
っている自分がいるのだ。神谷は、楓の心中願望に、応えて
ただ、楓は、自身の生前の願いが叶えられたから、それで
よかったのだ。
いま楓の気持ちは、非常に満たされている。
くれた。家族全員が事故で死亡して、一人になってしまって
いた神谷は、親族から財産を狙われ、自棄を起こしていた。
死ぬ前日、神谷と過ごした夜。最期の夜だから、という思
いはあった。ホテルで酒を飲み、見ず知らずの他の客たちと
とだった。死にきれなかったのかもしれないのだ。
って対岸へ行けばいい。門に現れなかったら、仕方のないこ
思い悩むのを、やめた。神谷がもし川を渡っていればそれ
はそれでよしとして、もし門をくぐって来たら一緒に川を渡
盛り上がり、楽しかった。あんなに笑えたのは、何年振りか
そして無為に日々を送っていた。
だった。そして神谷と初めてセックスをした。お互いに、恋
楓は、神谷を待つことにした。カロンが言う、いずれ川に
引き寄せられるのなら、それまでは待ってみることにした。
楓自身も自暴自棄になっていたのと、生きるための金欲し
さに、体を売っていた。そして初めて、金目当てではなく、
いうほど密接ではないが、それに近い感情はあった。
創造主の神がいたとして、なぜこんなにも人が地獄へ来る
のか。失敗品の大量生産ではないか。改良しないのか。
門には大量の人が流れてくる。笑えてきた。
愛という感情はないまま、しかし、同情とも違い、仲間、と
抱かれたくて、抱きたくて、心から神谷を求めた。
か。それはそれで、莫大な数になる。どれほど大きな世界な
キリストを裏切ったユダが新参者としているということ
は、 罪 の あ る 人 類 の 全 て が こ の 地 獄 に い る こ と な の だ ろ う
友だちなんていなかった。夢も希望も、何も持てなかった。
ごみ屑のような人生だと思い続けていた。体を売って稼いだ
のか知れない。
説、死後の世界が各々語られ、人口調整をしているのかもし
金は、
日本を発つ前に、寄付をしてきた。汚れた金だったが、
未練も後悔もなかったはずなのに、楽しかった最期の夜を
終え、非常に満たされた楓はしかし、生きることに対して、
れない。
それでも、欲しがる人がいてくれるはずだった。
名残惜しく思えてしまったのも事実だった。
一万人。一万人数えて神谷が来なかったら川へ戻ることに
した。
だからなのか。楓は一つの答えを思いついた。死後の世界
が手狭にならないように、それぞれの国や宗教で、神話や伝
神谷も同じはずだった。とすると、死にたいという楓のわ
がままに、神谷はただ付き合ってくれただけなのかもしれな
96
日本人ではないが東アジアの人種、五人目は白人の女、六人
そ う 思 い 数 え は じ め た。 一 人 目 は 金 髪 を し た 背 の 高 い 白
人、二人目は髭を生やした黒人、三人目は黒人、四人目は、
神谷は他の群れと同じように、淡々と歩いてくる。神谷が
立ち止まり、門に書かれている言葉を見上げて読んでいた。
たはずだ。目を見開いたはずだ。
そして、楓は一点を見て、驚いた。一〇四六番目に、神谷
がいたのだ。生身の体だったのなら、間違いなく鳥肌が立っ
私に気付いて。
再び歩きはじめた神谷が、三歩目で、楓のほうを見た。あ
と五歩くらいで門を通過する。目と目が合った。神谷が首を
楓は、切望した。
目は南米系の女。
いろいろな人がいた。この世界こそ、人種のるつぼに違い
なかった。争いは起きないのだろうか。
ひねりながら右足を出したが、次の左足で、歩みを止めた。
やパリのエトワール凱旋門よりも、地獄の門を通過する人は
百人を数えるのにそれほど時間はかからなかった。誰も、
楓のことを気にすることなく、門を通って行く。浅草の雷門
多そうだ。
何かに狼狽するように、辺りを見回し、そして流れに逆らう
ように、門に寄り添う楓の前へ来た。何秒か見つめ合った。
取り返して。
神谷が門をくぐって来たら、それはそれで嬉しいことで、
二人で対岸へ行ける。歩みを止めて戻っていくのなら、寂し
声の出ない楓が、咄嗟に思いついた言葉だった。
煉獄へ向かって清められる者、天国へ昇る者、それぞれを、
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
して、心中をした。楓のほうが先に息を引き取ったようだ。
一緒に死んでくれませんか、と神谷に望みを賭けた。それ
は、本気だった。それもいいな、と神谷は答えてくれた。そ
神谷には、最後の一瞬でいいので、自棄でもなく無為でも
ない、冷静な自我を取り返してほしかった。
楓は、門をくぐってあちら側には行けないのだ。
この数歩で、全てが決まる。
くもあるがそれも嬉しいことだった。
り、死ねば誰もがここを通るのだろうか。地獄に落ちる者、
煉獄山の山頂が天国に一番近く、そこから昇天して天国へ
向かうのだと、カロンが言っていたことを思い出した。つま
三百人を超えた所で、一万人数えるのは多すぎるかもしれ
ないと思ってしまった。その間に、日本人を三人見かけた。
詩
ミーノスが振り分けているのだろうか。
信者が全て滅亡すれば、教祖は自身が落ちたその地獄から
は抜けられるともカロンは言っていた。服役期間のようなも
のがあるのなら、それが済んだらその地獄からは抜けられる
のかもしれない。そうして少しずつ進んでいくのかもしれな
かった。
児童文学
千人を超えた。時間がどれほどたっているのかはわからな
い。人の流れは絶えることがない。
小 説
97
浜松市民文芸 60 集
死に急ぐかのように、神谷は一緒に死んでくれた。
それだけで楓の気持ちは、非常に満たされていた。
だからもう、この先へは一人で行けるのだ。
神谷は立ち止まったまま、身動きひとつしていない。他の
人たちは、神谷と楓を避けるようにして、門を通り過ぎて行
二人の間に流れる沈黙は、長いのか短いのかわからない。
ただ、生前もたまに会ってはいたが、何をするわけでもなく
二人で一緒にいるだけだった。話をするときもあれば、何も
せずに時間だけが流れているときもあった。お互いに沈黙は
それほど気にはしていなかった。
お願い、生きて。
祈りにも似た気持ちだった。
けるように人が歩いていたのを思い出した。そのとき楓は神
く。神谷と初めて出会った日も、地下鉄の改札口で二人を避
谷に対して、狂ったように叫んでいたのだ。
不思議なものだった。生きているときは二人で一緒に死に
たくて、死んだら死んだで、何とか生き延びてほしくなり、
しかし、何となく寂寥感を抱いてしまった。
これで、よかったのだ。楓は、脱力して思わずしゃがみこ
んでしまった。
神谷は、息を吹き返したのかもしれない。死ななかったの
かもしれない。そう思った。
門を見上げた。黒い岩でできたような重々しい門だ。
群衆は相変わらず無表情に門を通って行く。
楓 は 周 囲 を 見 回 し た が、 神 谷 は ど こ に も 見 あ た ら な か っ
た。何度も何度も、
探してしまった。何事もないかのように、
と、その場から消えてしまった。
神谷がうつむいたが、数秒ほどして顔を上げた。そして神
谷 が 口 を 開 い て 何 か を 言 お う と し た 瞬 間 に、 い き な り 忽 然
神谷と出会えて、幸せな最期を迎えることができた。
楓は、
しかし神谷は、どうだったのだろう。楓の道連れになっただ
けなのではないか。そう思えてならなかった。生きていると
きはそんなことを考えるゆとりはなかった。
しかしいまは、違う。神谷には生きてほしかった。
自分勝手なのはわかっている。人生から逃避した楓が言う
のも滑稽だ。それでもしかし、それがいまの偽りない本音だ
った。
生きて。
楓は、神谷に願った。
人に寄りすがってでもいいから。何としても、生きて。
の感情は。
もう少しだけでもいいから。ひっそりと命がけでもいいか
ら。生きて。私のことは、もう気にしないでいいから。他の
楓は必死だった。死んでいるのに、生前以上に必死になる
ほどの気持ちを抱くのは初めてだった。
楓は立ち上がり、再び川へと歩きはじめた。
そしてまた一人きりになると急に寂しくなる。何なのだ、こ
神谷を見つめた。
98
花が綺麗だと思えたのはいつ以来のことだろう。死んでか
らも、いい思い出ができた。そんなことを考えた。
のまま脚を進めた。
ほど神々しい輝きを見せていた。楓は両手で薔薇を取り、そ
何気なく上を見上げると、何もない天から、白い薔薇が一
輪だけ舞い落ちてきた。それはこの漆黒の世界の中で異様な
は、傷つきながらも、誰かに癒され満たされながら、生きて
舟は対岸へと進んだ。
神谷と渡りたかった川は、結局一人で渡ることになった。
しかし、これでよかったのだ。やり残したことはなかった。
何か、特別な花なのかもしれない。
カロンが楓を舟に押し込んだ。最初に積み込まれたときは
櫂で叩かれながらだったが、今回は小突かれる程度だった。
いくしかないのだ。
神谷への感謝の気持ちは生前に伝えてある。優しすぎる神谷
この地において、感情や記憶は、いつまで残るのかはわか
らない。
いつか、本当にいつか神谷に再び会えたとしても、このま
ま地獄かもしれない。その先の世界かもしれない。会えたと
楓は再び、何もない漆黒の天を見上げた。神谷と見たシベ
リアの空が、どんな様子だったのか、うまく思い出せなかっ
川 柳
(中区)
た。
自由律俳句
ころで、お互いに存在を忘れたままかもしれない。それでも
随 筆
定型俳句
よかった。
評 論
短 歌
対岸が、近付いてきた。
闇の中にか細く響いていた。
軋む櫂の音と川の水音だけが、
詩
生き残った神谷は、苦しむことになるのだろう。生きるに
せよ死に向かうにせよ、それはもう、神谷次第なのだ。
川の音が聞えてきた。
群衆をすり抜けて行った。舟に乗ることに躊躇いはなかっ
た。楓を見たカロンが口元だけ動かして鼻で嗤ったようだっ
たが、白い花を見ると、かなり驚いた表情に変わった。
「おまえ、どこでその花を拾った?」
カロンに訊かれたが、声の発することのできない楓は、天
を見上げただけだった。
児童文学
「ふん、まあいい。こんな場所にも、天上の薔薇がたまに
落ちてくる。この先ずっと、何があっても、それを失くすん
じゃねえぞ」
小 説
99
浜松市民文芸 60 集
小説選評
竹 腰 幸 夫
本年度応募作は十八編。かつて主力とも言えた歴史ものは
三編と減少(昨年度は四編)。一方、定年退職者を書き手と
し た 自 伝・ 身 辺 に 題 材 を と っ た 作 品 が 多 く な っ て き た よ う
だ。今回は他に児童文学ジャンルとも思われるファンタジー
が一編あった。前回も述べたことだが、身近に題材をとった
場合、作者の意図は十分理解できるものの、小説として読者
の共感を得るためには、単なる「説明」でなく、その感動を
「描写」
することを心掛けていただきたいということである。
作品は読者があってはじめて成り立つものだということ。
読者は理屈で解ることよりも心に沁みてくるものを求める。
表現し難い「思い」をどうにかして伝えるために、説明でな
くどう表現するか。その懸命な営みが作品の力となるのだ。
『節分』 京都壬生寺の狂言「節分」を観ながら、一生を振
り返る。二度目の母と父との隙間に揺れた幼時。肺病で死ん
だ産みの母への父の愛。祖母の思い。その父に後妻として嫁
い だ 二 度 目 の 母 の 複 雑 な 息 遣 い。 織 り な す 心 模 様 は、 狂 言
「節分」の描く世界と重なって「私」の心に甦る。人と人と
の繋がりの哀しみをしみじみとした筆で描いた。節分の思い
出と狂言の重ねの工夫が生きて引き寄せられた。
『孤将』 秀吉による、九州征伐、朝鮮出兵、そして関ヶ原
の合戦に至る戦国時代末期を生き抜いた島津義弘の一代記。
この時代に活躍する多くの著名な武将をあえて背景に退け、
九州の果、弱小島津藩主に焦点を当てて、時代と権力に翻弄
されながらも己を見失わない孤独の武将を描いた。ただ長編
のモチーフたるべき大量の材料を全部盛り込むのはいかが
か。
『夜学の灯』 東京オリンピック開催に沸く日本。森町の山
里の中学を卒業し、名古屋の鉄工場に就職した主人公。夜間
高校に通えるという誘いに引かれた。しかし、上司の過酷な
扱い、同僚のいじめ、社長の無理解などに傷つき転職。困難
を乗り越え父との約束であった卒業を四年後にかちとる。
自伝かと思われるが、経済成長を謳われた日本社会の底辺
で、唇をきつく噛みながら必死の青春を生きた人々の記録は
胸を打つ。
『メロンパン』 この作品も右と同じく昭和 年ごろ、地方
から上京した学生のほとんどがアルバイトを強いられた時代
の話。過酷な条件の日払いのバイトのなかであっても、その
仕事に必死に取り組むことで生まれる雇用主と学生との共
感、信頼の姿を描く。
『ジルに寄せて』
自殺した夫、残された妻はその理由を求
めて夫のかつての恋人に手紙を送る。その返事、さらに後に
発見される夫の遺書によって、漠然としたその理由が示され
る。構想は面白い。しかし手紙文だからとしても、行分けの
恣意性は、三人それぞれの個性を無視して独善。残念。題名
の意味も不明のままだった。
『梅雨のあと』
定年後の生活。犬を連れての散歩。かつて
自分を裏切った職場の同僚に出会う。青春時代の恋人、そし
て五歳で死んだ息子に出会う。現実と幻想がないまぜの散歩
である。文章は読ませる。もう少し書き込んでほしかった。
その他『恋騒曲』は周囲と上手に溶け合えない個性どうし
の青春物語。限られた層の読者には受容されるか。若い魂の
揺 れ の 描 写 に は 力 を 感 じ た。
『遼遠なるエンピレオ』は、心
中を遂げた女が「地獄の門」で彼を待つ。自分のために一緒
に死んで呉れた男に現世へ帰れと見つめる。ダンテの『神曲』
を思わせる背景の構想を面白く感じた。
45
100
選 後 評
柳 本 宗 春
十八作品と、非常に多い応募でした。ただ「小説」になっ
ていないものも見受けられます。ご自分の見聞、経験、知識
などを、たとえ主人公を立てて記したとしても、それだけで
は「小説」になりません。読者を惹きつける構成と描写を考
えていただきたいと思います。
それぞれ一言ずつですが、感想を申し上げます。
児童文学
評 論
随 筆
「別れ橋」
「私」の人物像をもっと
ドラマはしっかりとしている。 はっきりさせるとさらに良くなるのではないか。
「酔芙蓉」
よくある題材なので、独自性を出さないと魅力が出ない。
「苦しさ乗り越え今の喜び」
体験記を越えて、小説とすることを目指してほしい。
「節分」
ドラマチックな構成とさりげない描写のもたらすリアリテ
ィのバランスが良い。
「二俣城夢幻」
内容は興味深いが、設定を納得させる描写にはなっていな
い。
「歌は友達」
人物の関係性に不自然さを感じてしまう。
発想は面白いが、
「孤将」
小 説
詩
魅力的な話。ただ長い歴史を五〇枚に納めたために、筋を
追うだけになっているところが多いのが惜しい。
「三方原の戦い」
よく知られた話なので、三人の足軽をもっと活かしてほし
い。
「恋騒曲」
視点を変える語りが、共感を呼びにくくしているように思
う。
「愛のかたち」
少々分かりにくいが、不思議な魅力がある。
「モスクワ異聞『アンナ・パブリノヴァの思いで』」
面白い内容が含まれるが、盛り込みすぎて散漫になってい
る。
「梅雨のあと」
もう少し長く書いてみてはどうだろうか。
光る描写がある。
「ジルに寄せて」
文体がしっかりとしている。読者の共感をさらに得られる
ような工夫をするともっとよくなるだろう。
「遼遠なるエンピレオ」
幻想的な物語だからこそ、現実性を出すための字数はもっ
と必要になるのではないか。
「夜学の灯」
作者の実体験であろうか。それが自伝にはならず、小説と
しての構成を持っており、描写力にも確かなものを感じた。
「メロンパン」
面白かった。ドラマ性があり、リアリティを感じる。「稼
ぐためだけ」の仕事との対比をはっきり出すとさらに良い。
「守りたいもの」
良いフレーズもあるが、文体、描写、内容、分量がちぐは
ぐ。
「思い出さんありがとう」
定型俳句
自由律俳句
川 柳
旅と思い出の記録。小説としての評価は難しい。
短 歌
101
児童文学
[市民文芸賞]
健太は恵理の髪の毛をちょっとひっぱって、にこりと笑い
ました。
「やーい。茶色の毛」
咲きだしたばかりの桜の花をぼんやり見ていると、健太が
駆け寄ってきました。
「桜の花、まだ少ししか咲いてないのね」
小学校からの帰り道、恵理は、桜並木を一人で歩いていま
した。
「今度来た転校生、ちょっとかっこいいね」
と笑顔で話しかけました。すると健太は嬉しそうにうなず
きました。
「何か分からないことがあったら言ってね」
た。隣りの席に座った健太に、恵理は、
になってすぐに、恵理のクラスにきた転校生です。東京から
恵理は、その声に立ち止まると、そっと振り返りました。
健太が大きく手を振っています。杉山健太は、小学校六年生
生 﨑 美 雪
「やめて。なんでいじわるするの?」
「私、子供じゃないわ。六年生になったんだし。もう大人よ」
恵理は、わざとそっけなく言いました。
「恵理にはわからないのね。まだ子供だものね」
きた健太は、白いシャツのよく似合う、都会的な男の子でし
「いいだろ」
恵理は健太をにらみつけて走り出しました。
「待って、恵理!」
健太がまた手を伸ばしてきます。
「もう、やめてったら」
休み時間に、由美子が恵理の耳元でささやきました。
「え? そうかな?」
春の贈り物
浜松市民文芸 60 集
102
「そうよ」
「恋?」
「ふーん。だったら恵理ちゃん、恋したことあるの?」
桜の木の下で、恵理は、ふーっと一度深呼吸すると、ゆっ
くりと健太のほうへ歩いていきました。
かりする健太のことが、恵理はよくわからないでいました。
せんでした。けれど、恵理の髪の毛をひっぱっていじわるば
由美子はそう言うと、窓のそばで話している女の子たちの
輪の中にはいっていきました。
「内緒」
由美子が真面目な顔で恵理を見つめました。
「由美ちゃんは、恋したことあるの?」
「ごめん。でもさ、僕、その茶色の髪の毛、いいと思うよ。
健太は、恵理の悲しそうな顔を見ると、あわてて言いまし
た。
毛のことをからかわれていて、ずっといやだったの」
「健太君、私……クラスの男の子たちからもこの茶色の髪の
外国の女の子みたいだね」
それを聞いた恵理は、泣きだしそうになりました。
「私、もしかして、ほんとはお父さんとお母さんの子供じゃ
ないのかな……」
はあわてて、
いつも心のどこかで思っていた事を、健太に話した時、恵
理の目からは涙があふれでてきました。恵理の涙を見た健太
すると、追いかけてくるように、うしろから健太の声がし
ました。
「ごめん、変なこと言って。この髪に何か秘密があるのかも
評 論
随 筆
ているかもしれない」
定型俳句
「どんなふうに?」
短 歌
自由律俳句
川 柳
「うん。でもね、お父さんはちょっと外国人みたいな顔をし
首をかしげる恵理に、
健太は真面目な顔でこう言いました。
「恵理のお父さんとお母さんは、二人とも日本人なの?」
しれないね。泣かないで」
「君の髪の毛って、なんで茶色なの?」
「秘密って?」
急に恥ずかしくなった恵理は、健太に背を向けました。
「ねえ」
理の視線に気がついた健太が、恵理を見て手をふります。
恵理は、転校生の健太をそっと見ました。健太は、教室の
うしろのほうで、男の子たちと楽しそうに話しています。恵
(恋って、どんな気持ちなのかしら?)
詩
振り返ると、健太が恵理のすぐそばに立っていました。恵
理は驚いて、とっさに、
「知らないわ」
と、怒った調子で返事をしてしまいました。
健太が、恵理の髪の毛をふわりとなぜました。恵理の胸は
ドキドキと鳴り始めました。(この気持ち、何かしら)
児童文学
その日から、恵理は健太のことが気になってしかたありま
小 説
103
浜松市民文芸 60 集
「ねえ、恵理。どうして君の髪が茶色なのか、君がどんなふ
じゃなくて、どちらかというと青い瞳で……」
「肌の色が白くて、髪の毛は黒いんだけど。目の色がまっ黒
恵理は、洋服ダンスをあけると、お気に入りの小花模様の
ワ ン ピ ー ス を 選 ん で 着 ま し た。 そ れ か ら、 茶 色 の 髪 の 毛 を ブ
「いいお天気」
光がさしこみました。
りたいわ」
「私が生まれた時のこと? 茶色の髪の秘密? うん! 知
と、鏡の前に立って、にっこりと笑ってみました。
ラ シ で き れ い に と か し て、 紺 色 の リ ボ ン の 髪 留 め を つ け る
うに生まれてきたのかを知りたくないかい?」
「そうだ、今度恵理の家に遊びに行ってもいいかな」
「え?」
「もうすぐ中学校の入学式だろ。ぼくもだけど、中学生は、
てるのね」
「おはよう、恵理ちゃん。あら、今日はなんだかおしゃれし
新 聞 を 読 ん で い た お 父 さ ん が 顔 を あ げ て、 恵 理 に 笑 い か け
ました。
「おはよう、恵理」
「健太くん、
来てくれるかな? 約束わすれてないかしら?」
ちょっと心配しながら階段をおりて、一階のリビングに行
くと、
「一緒に探そう、恵理の秘密を」
大人への階段の第一歩だよね。中学生になる前に、恵理の本
健太の大きな瞳がきらきらと輝きました。健太に見つめら
れて、恵理の胸はドキドキと鳴っています。
当のルーツを知っといたほうがいいと思うんだ」
トーストののったお皿をテーブルにならべながら、お母さ
んが言いました。恵理は、ちょっと困ったような顔をして、
「おはよう。えっと、今日、学校のお友達が家に遊びにくる
健太は真剣な顔で恵理を見ました。
「どんな私かを? 知りたいわ。よくわからないまま生きて
いくなんて、私、いやだわ」
「あら、そうなの。誰がくるの?」
「恵理にいいお友達がいてよかったな」
だったのよ」
恵理はとっさにうそをついてしまいました。
「そう、よかったわ。一人でお留守番させてしまうの、心配
「幸子ちゃんよ」
の」
恵理は、心のなかにあるもやもやしたものをすっきりとさ
せたいと思いました。
「健太君、明日家に来れるかしら? お父さんとお母さんが
用事で出かけて、私は家でお留守番なの」
恵理は、健太と一緒なら、きっと何か見つけられるかもし
れない。なぜだか不思議にそう思ったのです。
次の日の朝、恵理の部屋の窓から、あたたかなおひさまの
104
キをだしておいてあげるわね」
「テーブルの上に、お友達と食べるようにチョコレートケー
お父さんが黒ぶちの四角いめがねをちょっとずらして、恵
理を見ました。
恵 理 が 健 太 を 案 内 し て、 二 人 は、 リ ビ ン グ の ソ フ ァ に 並 ん
ですわると、だまりこんでしまいました。コチコチカチカチ、
「リビングにどうぞ」
健太は、わざとおどけた調子でそう言うと、家にはいりま
した。
「幸子ちゃんによろしく。じゃあ、いってきます」
朝食を食べ終えると、お父さんとお母さんは、
「何かあったら電話してちょうだいね」
「うん」
「ほんと? お母さん、ありがとう」
「あたたかい紅茶をいれてあげるといいわ」
最初に声をだしたのは、健太でした。
「昨日のことだけど」
「あのさ」
掛け時計の音が部屋のなかに響きます。
「うそついてごめんなさい。でも、仕方がないの。今日は、
かでつぶやきました。
「魔法って? どんな?」
「見ててごらん」
健太が真面目な顔で恵理を見つめます。
「魔法を使おう」
私にとって、とても大切な日になるのだから」
健太は立ち上がると、白いカーテンをさっとひきました。
部屋が暗くなりました。
「何がはじまるの?」
「恵理、いいかい? 今から恵理の秘密を解くための魔法を
かけるよ。魔法の言葉は、
『涙』だよ」
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
健太がそう言った瞬間、白いカーテンに大きな映像が映し
「涙?」
「こんにちは」
「そうだよ。君が、あの時流した涙が、ぼくの心を動かした
恵理はスリッパの音をパタパタとさせながら、玄関へ行き
ました。そして、そおっとドアを開けました。
ピンポーンと玄関のベルの音がしました。
「はあい!」
と言って、二人一緒に車に乗ってでかけていきました。恵
理は、家の窓から車の走って行くのを見送りながら、心のな
「 私 の 秘 密 の こ と ね。 ど う や っ て 探 せ ば い い の? 健 太 く
ん、もしかしたら私の秘密、何か知ってるんじゃないの?」
詩
んだ。な、み、だ!」
随 筆
白いシャツに紺色のズボンをはいた健太が、にっこり笑っ
て立っていました。
評 論
「こんにちは、いらっしゃい。どうぞ、あがって」
児童文学
「おじゃましまーす」
小 説
105
浜松市民文芸 60 集
映画のワンシーンのようでした。
良さそうに、ならんで歩いています。それはまるで、外国の
と、つばのある白い帽子をかぶった長い黒髪の女の人が、仲
の立派な建物。茶色の髪をキチンと分けて、背広を着た紳士
霧のかかった灰色の空、レンガ造りの家、2階建ての赤い
バスが走っています。石の橋のむこうには、時計台と石造り
行ったばかりでいないんだよ。でも、せっかく来てくれたん
したが、すぐにおだやかな調子でこう言いました。
恵理のクラスメートが突然、しかも男の子一人で恵理に会
いに来るなんて、お父さんはちょっと驚いたような顔をしま
す」
「こんにちは。ぼく、恵理さんのクラスメートの杉山健太で
とを……。
かった。そのかわりに君のお父さんが玄関にでてきたんだ」
「ここは、外国?」
だから、家にあがりなさい」
出されました。恵理はだまったまま、じっとその映像を見つ
恵理は、目をぱちくりしてカーテンに映った景色を見つめ
ました。健太は、楽しそうに笑うと、膝の上にのせた八ミリ
健太は、その時のことを思い返しました。思い切って、は
じめて恵理の家へ行って、玄関のベルを鳴らした日曜日のこ
カメラをゆびさしました。
「はい」
めました。
「ほら、これ。映写機だよ」
「やあ、こんにちは。今、恵理はお母さんと一緒に買い物に
「それ、どうしたの?」
健太は、お父さんについて、応接間にはいりました。
「さあここに座って話をしようか」
「君のお父さんから預かっていたんだよ」
二人はソファにならんでこしかけました。しばらく健太は
だまっていましたが、思い切って質問してみました。
「私のお父さんから?」
「うん」
「あの……ぼく、知りたいことがあるんです。恵理さんの髪
「ぼく、恵理ちゃんのことが好きなんです」
健太は真面目な顔をして考え込みました。それから、思い
ついたように顔をあげて言いました。
お父さんは、すぐに返事をしませんでした。
「どうして、
君はそんなに恵理のことを知りたがるんだい?」
の毛はどうして茶色なんですか?」
「どういうことなの?」
恵理が不思議そうな顔で健太を見ると、健太は、ゆっくり
と話し始めました。
「だまっていたけど、ぼく、先週の日曜日、恵理の家に来た
んだ」
「え? ここへ?」
「うん。でもね、君はお母さんと買い物に行っていて、いな
106
健太は、とっさにでてきた自分の言葉に、自分でもびっく
りしました。
てくれたんだよ」
健太はちょっとはずかしそうに頬を赤くしました。
「そうかい」
に話しかけられた時からです」
「えーと。たぶん、転校してきたその日、初めて恵理ちゃん
「はははは。そうかい。いつからなんだい?」
「はい」
「そうだよ」
健太がささやきました。
「私のお父さん?」
恵理が目をこらして見ていると、
「小さい頃の君のお父さんだよ」
「この男の子、誰かしら」
ています。
白いベンチにこしかけて、楽しそうに笑いながら男の子を見
芝生の庭で、小さな男の子が駆け回っています。そのそば
で、さっき見た茶色の髪の外国の男の人と黒い髪の女の人が
白いカーテンに映っていた映像が、ぱっとかわりました。
お父さんはうれしそうな顔で健太を見ました。
「あの、恵理さんの髪がどうして茶色なのか秘密を教えてく
「それは、ほんとうかい?」
れませんか?」
「でも、ここ、外国でしょ?」
「そう。イギリスのロンドンという街だよ」
「さっきの石造りの大きな立派な建物は、国会議事堂だよ。
ような気持ちになりました。
恵理は、ロンドンが、イギリスの首都だということは知っ
ていたけれど。なんだか自分が、不思議な世界に迷い込んだ
「桜の花ですか? はい、大好きです」
「そうかい。うれしいな。ぼくも桜の花が、とても好きなん
時計台は、ビックベンっていうんだ」
川 柳
健太が、ちょっと得意げに言いました。
「映像に映っている男の子は、恵理のお父さん。それから、
自由律俳句
君は、子供のころのぼくによく似ているね。さあ、いいもの
定型俳句
そばにいるこの二人は、お父さんの、お父さんとお母さん。
短 歌
つまり、恵理のおじいちゃんとおばあちゃん」
お父さんは、遠くを見つめるような目をしました。
「健太君。君の真剣な瞳。正直なところ。まっすぐな気持ち。
だよ」
「健太君。君は、桜の花が好きかい?」
真剣な顔で聞く健太に、お父さんはちょっと考えてからこ
う言いました。
詩
を見せてあげよう」
随 筆
「そう言うと君のお父さんは、この映写機の映像を、僕に見
評 論
「私のおじいちゃんはイギリス人で、私にもイギリス人の血
児童文学
せてくれたんだ。それから、お父さんの子供のころの話をし
小 説
107
浜松市民文芸 60 集
「いいのよ。私、この茶色の髪の毛のことが好きになれそう
恵理の目からは涙があふれでてきました。
「君の髪の事をからかったりしてごめんね」
ああ、これで私の茶色の髪の毛の秘密がやっと解けたわ」
「だから、私の髪の毛は、外国の女の子みたいに茶色なのね。
「その通り」
が混じっている……」
「うん。私たち二人だけの秘密ね」
二人だけの秘密にしよう」
「ねえ恵理ちゃん、今日この部屋で、この映像を見たことは
二人は、お菓子を食べながら、あたたかい紅茶を飲みまし
た。白いカーテンには、さっき見たイギリス、ロンドンの映
「はい、紅茶もどうぞ」
そそぎました。
像がまだはっきりと映っています。
よ」
「恵理ちゃん。ちょっと来て」
今日は、中学校の入学式です。恵理は、中学一年生になり
ます。
あたたかな春の風が吹きました。
(何てかわいい笑顔なんだろう)
「よかった。ぼく……ほんとは、転校して初めて恵理を見て
玄関からお母さんの呼ぶ声がしました。
「はあい」
恵理は、自分の髪の毛に手をやると、うれしそうに微笑み
ました。
好きになっちゃったんだ。君、一番最初に、ぼくに話しかけ
てくれただろう。ぼくは恵理の気をひきたくて、わざとあん
恵理と健太は、じっと見つめあったまま、また、だまりこ
んでしまいました。ボーンボーンボーンと、時計が三時を知
……」
「 ま あ …… 私 も、 健 太 く ん を 初 め て 見 た と き か ら ず っ と
「私に?」
りました。
お母さんは、大きな薄茶色の包みを恵理に見せました。包
みには、黒いマジックペンで、
「高岡恵理さま」と書いてあ
「郵便屋さんがこれを届けてくれたの」
恵理が階段をおりていくと、お母さんがなんだか不思議そ
うな顔をして立っています。
ないじわるしてたんだよ」
らせました。
と書いてあるから、外国からの航空便よ」
Japan
ら来たのか、どこからきたのかわからないのよ。 Air mail to
「ええ。でもね、差出人の名前も住所も書いてなくて、誰か
「そうだわ。おやつがあるのよ。一緒に食べましょう」
恵理は立ち上がると、カウンターの上から、チョコレート
ケーキののったお皿を持ってきてテーブルに置きました。そ
れから、紅茶のパックを白いティーカップにいれて、お湯を
108
「なんだかいいにおいがするわ」
けてみました。
そ う 言 う と お 母 さ ん は、 恵 理 に 薄 茶 色 の 包 み を 渡 し ま し
た。恵理は、不思議そうな顔をして、包みを自分の顔に近付
んとおばあちゃんからなのね」
「まあ。この贈り物は、イギリスで暮らしているおじいちゃ
じいちゃん、おばあちゃんより」
「テディーベアね」
「かわいい熊さん」
包みのなかからでてきたのは、茶色い毛をした大きな熊の
ぬいぐるみでした。
恵理は、そおっと、包み紙を開けてみました。
「まあ」
「うん!」
お母さんも顔を近づけました。
「ほんとね。いいにおい。恵理ちゃん、あけてごらんなさい」
「そうね」
話そう」
「ああ。恵理も、もう中学生になるんだ。ちょうどいいから
「お父さん、話してもいいかしら?」
ほんとのことを、お母さんとお父さんからちゃんと聞きた
かったのです。お母さんは、ちょっと困った顔をしてお父さ
でいるの?」
「わたしのおじいちゃんとおばあちゃんは、イギリスに住ん
「恵理ちゃん、今年中学校に入学するのね。おめでとう。お
「そお?」
お母さんが小さな声でそう言ったのを、恵理は聞きのがし
ませんでした。恵理は思い切って聞きました。
「テディーベア?」
んを見ました。
「そう。外国の熊のぬいぐるみよ」
人。二人は、イギリスのロンドンという街に住んでいるのよ」
川 柳
こんどはお父さんが、まじめな顔で話し始めました。
「恵理、
お父さんはそのロンドンという街で生まれたんだよ」
自由律俳句
ないいにおい」
定型俳句
あの映像に映っていた男の子を思い浮かべました。
恵理は、
「子供のころに、恵理のおばあちゃんが父さんに写真を見せ
短 歌
てくれたんだ。夜空に、大きなまん丸のお月さまが浮かんで
テディーベアの首には金色のリボンがついています。
「あらっ。赤いハートを持っているわ。チョコレートみたい
「へえ。
この熊さんも私とおんなじ茶色の毛をしているのね」
お母さんが話し始めました。
「 恵 理 の お じ い ち ゃ ん は イ ギ リ ス 人。 お ば あ ち ゃ ん は 日 本
詩
恵理は、テディーベアが両手にもっている赤いハートをつ
まみだしました。ぱらり、白い紙のカードが床におちました。
随 筆
恵理は、急いでそれを拾うと、カードに書いてある言葉を読
評 論
いて、その月の光を浴びた満開の桜の木の下で、少女のころ
児童文学
んでみました。
小 説
109
浜松市民文芸 60 集
も見てみたいって思ったんだよ。それから日本語の勉強もし
で父さんは、日本という国へ行って、日本の桜を、どうして
て。そう、ちょうど僕のお母さんみたいだなと思った。それ
ったんだ。日本の桜は、ロンドンの桜よりも柔らかで優しく
でも、その写真に写っていた桜は、とても美しくて神秘的だ
「いいや。ロンドンでも桜の花が咲いている場所はあるよ。
「ロンドンには桜の木がないの?」
のぼくのお母さんが微笑んで立っている写真だよ」
けてあげたらどうかしら」
「よかったわね、恵理ちゃん。この熊さんに素敵な名前をつ
ろうね」
ゃんからの贈り物だよ。きっと二人とも恵理に会いたいんだ
「このテディーベアは、イギリスのおじいちゃんとおばあち
恵理は、自分がちょっとだけ大人になれたような気持ちが
してうれしくなりました。
父さん」
「そうだったの。本当のことを話してくれてありがとう。お
「家出したの?」
「くおーん」
と 言 っ て、 テ デ ィ ー ベ ア の ロ ン を し っ か り と 両 手 で 抱 く
と、赤ちゃんをあやすように、優しくゆらしました。
恵理は、ちょっと考えてから、
「ロンドンの熊さんだから、ロンにしましょう」
「うん」
たんだよ。でもね」
お父さんはちょっとさみしそうな顔をしました。
「おじいちゃんとおばあちゃんは、ぼくが日本の大学へ行く
ことに賛成してくれなかったんだ。お父さんは、おじいちゃ
「ああ。日本に来て、お母さんに会って結婚したけれど、イ
んたちとけんかして、
一人でイギリスから日本に来たんだよ」
ギリスには帰らなかった」
テディベアのロンがうれしそうになきました。
「あらっ? 手紙がもう一枚入っていたわ」
家族みんなでロンドンへいらっしゃいね』って書いてあっ
い赤ちゃんが生まれて、わたしたちもうれしいです。いつか
真と手紙をロンドンの親たちに送ったんだよ。そのあとすぐ
「いいや。恵理が生まれた時に、恵理と一緒に写っている写
恵理ちゃん、もっと大きくなったらイギリスへ遊びにおいで
撮って、ロンドンへ送ってください。楽しみにしています。
『恵理ちゃんの入学式には、桜の木の下で家族一緒に写真を
「ほんと? なんて書いてあるの?」
恵理がのぞきこみます。手紙には、こんなことが書いてあ
りました。
お母さんが封筒から白い便せんをとりだしました。
「じゃあ、けんかしたままなの?」
た。
恵理のおかげで、おじいちゃんたちと仲直りできたんだ。
に、二人から手紙が届いたよ。『結婚おめでとう。可愛らし
恵理には、大きくなったら話そうと思っていたんだよ」
110
ね。待っています。ロンドンのおじいちゃん、おばあちゃん
お父さんとお母さんもならんで桜の花を見上げました。
「恵理ちゃん。おはよう」
「ほんと、きれいね」
恵理は急いで駆け寄って行きました。
「桜の花、綺麗に咲いたね」
むこうから健太が手を振りながら走ってきました。
「おはよう、健太君」
より』
「私、いつか、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに、イギ
リスのロンドンへ行ってみたいわ。テディベアのロンも一緒
にね」
「そうね。いつか行けるといいわね」
「健太君も一緒に行ってくれるといいな」
「ほんと? よかったね。それで、ぼくたち二人の秘密はま
もってくれたよね」
お父さんとお母さんからも聞けたわ」
「ええ。健太君、このあいだはありがとう。私の秘密のこと、
「うん」
「もちろん。一緒にイギリスの映像を見たことは、言わなか
恵理ちゃんの好きな男の子ね」
恵理は、鏡にむかって茶色の髪をきれいにとかしました。
お母さんが鏡の中で微笑んでいます。
「さあ、そろそろ出かける時間だぞ」
「よかった」
「健太君?
お父さんが二人に声をかけました。
「あら、ほんとね」
健太は、どうしてもそのことを、恵理と二人だけの秘密に
しておきたかったのです。
ったわよ」
お母さんがあわててハンドバックを持ちました。
「よし、行こう。今日はよく晴れているな。きっと桜が綺麗
「ねえ健太君、私、いつかおじいちゃんとおばあちゃんのい
恵理は、ちょっとはずかしそうにうつむいてから、パッと
顔をあげて健太を見つめました。
るイギリスのロンドンに行こうと思うの。それでね……」
「健太君も一緒に行ってくれるといいな」
短 歌
定型俳句
行こう。約束だよ」
満開にさいていました。薄桃色の小さな花びらが、恵理とお
随 筆
川 柳
父さん、お母さんの頭の上で、ひらひらと風に舞いました。
評 論
自由律俳句
健太も、恵理の顔をまっすぐに見つめて言いました。
「うん、行こう。大きくなったら、いつか一緒にロンドンへ
恵理は、お父さんとお母さんと一緒に、中学校へ向かって
歩いて行きました。お父さんが言ったとおりに桜並木の桜は
に咲いているだろうね」
詩
「わあ、きれい」
児童文学
恵理は、立ち止まって桜の花を見つめました。
「きれいだなあ」
小 説
111
浜松市民文芸 60 集
ました。
恵理と健太は、笑顔で指きりしました。恵理の茶色の髪の
毛がふわりと風になびいて、桜の花びらがひらひら舞い落ち
「うん。約束ね」
一緒におじいちゃん、おばあちゃんに会いにロンドンへ遊び
っと大きくなったら、この写真に写っている友達の健太君と
ありがとうございました。名前はロンと付けました。大切に
します。ちょうど、中学入学の記念になりました。私は、も
「ちょうどいい。この桜の木の下で、みんなで写真を撮ろう。
に行こうと思っています。待っていてね。 恵理より」
(中区)
さあ、ならんで。健太君もね」
お父さんがそう言ってカメラをかまえると、
「お撮りしましょうか?」
通りがかりのおじさんが、
お父さんに声を掛けてきました。
「お願いします」
お父さん、お母さん、恵理、健太。四人は桜の木の下にな
らびました。
「はい、笑って」
おじさんの呼び掛ける声で、四人はにっこり笑いました。
それから何日かして、写真が現像されてきました。満開の
桜の木の下で、みんなが笑って写っています。
「きれいに撮れてるな」
お父さんが言うと、お母さんが微笑みます。
「恵理ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんにお手紙を書い
てね。写真と一緒にロンドンへ送りましょう」
「うん」
恵理は、水色の便せんに黒いボールペンでこんな風に書き
ました。
「おじいちゃん、おばあちゃん。可愛いテディベアの贈り物、
112
児童文学
[市民文芸賞]
かなた
ゃんの八十七才の、お誕生日のお祝いに、にがお絵をかいて
「うわーっ、ほんとう、うれしいな。このあいだ、おばあち
縄のおばあちゃんから、小包が届いたのよ」
「おかえりなさい。ちょうどよかった。空向のところに、沖
「ただいまー」
ぼくが、学校から帰ると、母さんは台所で小包を開こうと
していた。
えしきいているって母さんが、電話で話していたけど、ほん
ありがとうね。それから、おばあが送ってあげたエイサー
のCD、空向ちゃんが、とっても気にいってくれて、くりか
にかざってるよ。
じょうずなんだね。額を買ってきて、絵を入れて、げんかん
と、涙がでてしもうて。空向ちゃんは、本当に絵をかくのが
にっこり笑っている顔をかいてくれてありがとう。みている
空向のひとり旅
送ってあげたんだよ」
だ。こんど、ホテルでエイサーのショウがあるんで、おいで。
宮島ひでこ
ぼくは、わくわくしながら、母さんといっしょに小包をほ
どいた。
きっと、たのしくなるよ。おばあは、もう年だから、いつ、
どうなるかわからん。
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
と う は、 本 物 の 音 楽 や 踊 り を み せ て あ げ た い と 思 っ て る ん
「空向ちゃん、おばあに、そっくりのにがお絵ありがとう。
手紙がそえてあった。ぼくは、さっそく封筒をとりだすと、
詩
しりと箱いっぱ
ぼくの大すきな紅いものクッキーが、ずかっ
なた
いにならんでいる。そして、その上に「空向ちゃんへ」と、
評 論
随 筆
少しでも元気なうちに、空向ちゃんといっしょに、エイサ
ーをみたいと思っているよ。
児童文学
大きな声で母さんに読んできかせた。
小 説
113
浜松市民文芸 60 集
おばあちゃんは、昔から伝わる沖縄の歌や踊りを見せたい
と思っているのよ。
から出た名前だって。
史のある音楽なんだよ。エイサーとはね、おはやしのことば
きに、三味線や、太鼓をならし、若い人たちが踊り歩いた歴
CDのエイサーは、沖縄に昔から伝わっている、盆踊りのと
「空向、行ってらっしゃいよ。おばあちゃんが送ってくれた
おばあは、返事をまってるからね。
父さん、母さんによろしくね。おばあより」
母さんは、沖縄で、ひとりでくらしているおばあちゃんか
らの手紙を、読みかえしながら、
三味線のような楽器をならしたり、太鼓をたたいたり、歌
ったりして、踊るんだよ。
ひとりで、沖縄へいらっしゃい。
と、やさしく声をかけてくれた。ぼくは、少しほっとして、
「はい、ありがとうございます」
「心配しなくて、いいですよ」
と顔を、交互に見くらべている。ぼくは、背が小さいのでう
母さんとふたり、電車を乗りかえて、名古屋の空港へ早め
に着いた。手続きのとき、受けつけの人は、ぼくの生年月日
父さんの明るい声は、ぼくに大きな勇気を与えてくれた。
とってすばらしい旅になるよ。行ってらっしゃい」
すると、父さんの明るい声が、かえってきた。
「母さんから、きいているよ。よかったね。きっと、空向に
母さんは読みあげながら、ひとつ、ひとつたしかめた。
「わすれものないよ、完ぺき」
へのおみやげ……」
母さんは、持ち物検査の入り口までくると、
「ここから先は、案内して下さる人に頼んであげるからね」
と言って、航空券をうけとった。
つむいていると、そばにいた係りの女の人が、
ぼくは、仕事で北海道へ出張している父さんへ電話をかけ
てみた。
もうすぐ、空向は五年生になるし、ひとりでおばあちゃん
がくらしている沖縄へ行けると思うよ」
ぼくは、だんだん沖縄へ行ってみたくなった。そして、C
Dできいているエイサーの本物と会いたくなった。
出発を待つ人たちが、長椅子に腰かけている。目の前の椅子
と、帰っていった。ぼくは、さっきまでの、うきうきした
かんじが消えて、少し不安な気持ちになってきたけれど、係
は、だんだんと、乗客でいっぱいになった。
カレンダーをチェックすると、一月末の日曜日と、学校の
休みの日を利用して、ひとり旅ができることになった。
いよいよ沖縄行きの朝。
「わすれ物ない? 航空券、お金、洗面具、ボールペン、メ
モ帳、おばあちゃんの住所をかいたもの、ケイタイ、カメラ、
りの人に言われた通り、搭乗口の方へむかった。沖縄行きの
着替え、シャツ、くつ下、ハンカチ、タオル、おばあちゃん
114
「なんとなく、こころぼそいなぁ……」そう思うと、涙が出
機内では、
客室乗務員のやさしい笑顔に、
うれしくなった。
ぼくは、
窓側なので、
外がよく見える。耳をすませていると、
気の人たちと同じように、先に案内されることになった。
ろしくね」
「ああ、よかった。ポンタ、いっしょに沖縄へ行こうね。よ
いたのに、ぼくは、すっかり忘れていた。
一年前に亡くなった愛犬ポンタそっくりのキーホルダー。
皮細工でできていて、いつも大切なお守りとして持ち歩いて
飛行機のエンジンが、音を少したてはじめた。シートベル
トの確認と、非常口の場所や酸素マスクの使い方など説明が
いろいろな話し声が、きこえてくる。
でね」
「お盆のうちあわせに、みんなで集まるんだよ。親せき一同
ね」
「観光に行くんだ」
「日本で、いちばん早咲きの桜が見たくて」
そうになった。
なにげなく、いつものくせで、上着のポケットに、手を入
れてみる。
ぼくは、大切なキーホルダーのポンタを、ほほにあてて、
小さな声で話しかけた。
つづいた。
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
と、こたえたので、ぼくも「同じ、アップルジュース」と
「冷たい、アップルジュースをお願いします」
しばらくすると、客室乗務員のお姉さんが飲み物を配りは
じめた。ぼくの、となりにすわっているおばさんが、
名古屋の町や、港が小さく遠のいていく。そして、雲の海
の中を飛んでいるようだ。
ぼくは、ポンタのキーホルダーを、ずーっと、にぎりしめ
ていた。
ぼくの胸は、どきどきしてくる。
「もういちど、元気がでる歌と、踊りのエイサーが見たくて
「だいじょうぶだよ、ぼくがついているからさ、ワン、ワン、
「あれ、何だ? ああ、そうだ、ポンタのお守りだ」
エイサー、ワン、ワン……」
詩
やがて、ものすごいゴーッという騒音をたてながら、飛行
機は上昇しはじめた。
エイサーのリズムが、ポンタの鳴き声といっしょになって
きこえてきた。
ぼくは、元気がでてきた。
そして、目をとじて、ポンタとのたのしかった想い出をふ
りかえっていた。
十分ほどたっただろうか。
搭乗のアナウンスが、きこえてきた。
「沖縄行きのみなさま、お待たせしました」
児童文学
搭乗口の前には、乗客の列ができている。ぼくは、ひとり
旅の子供なので、お年寄りや赤ちゃん、足や腰が悪い人、病
小 説
115
浜松市民文芸 60 集
言ってしまった。ぼくがほしかったのは本当は、オレンジジ
「まもなく、沖縄、那覇空港へ到着いたします。シートベル
機内アナウンスで、目がさめた。
トを、今いちど確認して下さいますように……」
波立つような雲海の中を、飛行機は、着陸体制に入った。
目の前の窓にうつる霧のような雲たちは、すーっと、遠く
へ去っていく。
島々が、近づいてきた。
海上を、だこうする。
海の中へと、機体がかたむく。
遠い島々が、雲と雲のあいだに見える。
ートベルトを、しっかり締めてくださいませ」
「霧のかんけいで、ゆれていますが、御心配いりません。シ
が見えてきた。アナウンスが、ふたたびながれる。
空と海のあいだを、走り去っていく雲の群れ。消えてはあ
らわれ、あらわれては消え去っていく。やがて、遠くに、島
ュースだったのに。
次に、配られたのは、あめ玉だった。黒糖、ヨーグルト、
レモンの味。
「たくさん、もらっていいですよ」
やさしいお姉さんの言葉に、うれしくなって、両手いっぱ
いもらってしまった。
口の中で、黒糖の味がとけていく。
外は、果てしない雲の海である。
「あの雲の上をあるけたらなぁ、魔ほうでとべたら……、お
もしろいだろうなぁ……」
頭の中に、マンガや、テレビでみたキャラクターがうかん
できた。
まぶしいほどの光の中に、ひろがる雲のじゅうたん。うす
むらさきの雲の重なりは、光の中のオアシスのようだ。
エンジンが、静かになった。
ぼくは、深呼吸して外をながめた。
目の前の島が、沖縄なんだ。
るマントを着ている自分を思いうかべる。
ぼくは、魔ほうのつえのような、小さな枝に乗り、雲の海
の中を、とびまわっている……。羽根のような、きらきら光
雲の原っぱには、七色にかがやく虹の橋もかかり、ピンク
やブルーの花も咲きほこっている。そして、金色の光につつ
まれた水のような雲が、ゆっくりとゆれている。
たくさんの建物の上空を、飛行機は、海の方へ飛び、川を
越え、道路にそって近づき、橋や川、公園の上をこえた。
家々や、田んぼ、道、川……。
機体が、水平になった。
海の色は、ぼくの大すきなエメラルドグリーン。ポツ、ポ
ツと浮かんでいる白い船は、まるで、ボタンのようだ。
雲海の中のふしぎな空想に、つつまれながら、ぼくは、雲
をながめているうちに、うとうとと眠りこんでしまったらし
い。
116
「那覇空港へ到着いたしました。おつかれさまでした……」
カチャ、カチャと乗客のシートベルトをはずす音が、機内
に、はずんできこえる。
にあるポンタのお守りは、汗でしめっていた。
はじめてのひとり旅、ぼくは、三十一番ゲートで、エンジ
ンが止まるまで、夢の世界にいるようだった。ぼくの手の中
飛行機は、水平をたもちながら、十三時五十五分、沖縄の
那覇空港に着陸した。
「きれいだなぁ」今まで、見たことのないみどり色の海。
りしてたんだぁ」
おじさんは、ぼくが来るのを、たのしみにしていたという。
車の中でかけてくれたCDは、太鼓やリズムが、エイサー
の、ぼくがいつもきいている曲だった。
ぞー」
「あとで、エイサーのショーを見にいこうね。びっくりする
名古屋空港は寒かったのに、那覇空港は、あたたかく感じ
る。コートをぬいで車にのった。車から見える木々は、いき
ふたりとも、電話の声が大きい。
うしろの席のおばあちゃんも、
そう言って、歌いはじめた。
手踊りしたり、手をたたいたり、かけ声をかけたりして、お
「おじさんも、若い頃、太鼓をたたいて、踊ったり、歌った
いきと緑色をし、草花たちも、赤やピンクであざやかだ。
客室乗務員の笑顔に見送られ、ぼくは、空港の係りのお姉
さんに、手をつながれて、おばあちゃんが待っている出口の
じさんの歌にあわせている。ぼくは、ふたりを見て、笑って
方へとむかった。「メンソーレ」とかいてあるポスターが、
あちらこちらにかざってある。「メンソーレ」というのは、「い
二十分ほどで、おばあちゃんの家に着いた。二階だての小
さな家、海辺に近い丘の上にある。白い壁は、色あせていた
しまった。
が、庭の草花は元気そう。
おばあちゃんは、顔いっぱいに、ほほえんでぼくをだきし
めてくれた。げんかんのかべには、ぼくが送ったおばあちゃ
「メンソーレ(いらっしゃいませ)
、中に入んなさいよ」
の人にお礼を言って、とぶように走っていった。
「ううん、大きくなった。よう、きたさぁ」
車を運転して来てくれたおじさんは、赤ちゃんだったころ
のぼくを知っていて、
「よう、きたね、えらかった、よかったね」
三年ぶりに会うおばあちゃんは、出口のところで、ハンカ
チをたてにふって、にこにこ顔で立っていた。ぼくは、係り
らっしゃいませ」という意味らしい。
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
んのにがお絵が、白い額に入れて飾ってあった。
随 筆
うれしそうに、ぼくの顔をなでている。
評 論
目の前で、ほほえんでいるおばあちゃんに、そっくりなの
で、ぼくは、なんだかおかしくなって笑ってしまった。する
児童文学
空港の駐車場で、まず、母さんに無事着いたことを電話で
報告した。おばあちゃんとおじさんも同じ電話で話をした。
小 説
117
浜松市民文芸 60 集
うれしいよ。よくきたね」
「ありがとう、いい絵をかいてくれて、おばあ、ほんとうに
と、おばあちゃんは、ぼくをだいてくれながら、
話しながら、おばあちゃんのほほにつたわる涙を見ている
うちに、ぼくは、悲しい気持ちでいっぱいになった。
手をふりながら、洞くつの奥の方へ帰っていった。
きらめないで、命は、大切にな……」
洞くつの近くからきこえてくる音色。よく見ると遠くの泉
のそばの石に腰かけ、五十過ぎのおじさんが、蛇皮線をだき
「誰だろう、こんなところで蛇皮線の音……」
ともなく、エイサーのメロディが、きこえてきた。
の中で、身をひそめじーっとしていたときのこと。どこから
おばあちゃんは、体が固まってしまいそうであった。洞くつ
たち、たおれている人たち、不安とおそろしさで、十九才の
う。
「ドーン」と、なりつづいている砲弾の音。負傷した人
水が飲めるよろこびに、みんなの顔が少し元気になったとい
には泉がかくれるようにわいていた。「ああ、たすかった」
くつ。そのそばに、大きなガジュマルの木が根をはり、近く
たちと、戦場をにげながら、必死のおもいでたどり着いた洞
おばあちゃんが、十九才のとき(六十八年前)、沖縄は、
アメリカ軍との戦いで、多くの人々が亡くなった。同じ村人
「おばあちゃん、ぼく、自分の名前、大すきだよ。いい名前
遠い空の向こうという意味だ。
ぼくの名前を
「空向」
ってつけたという。かなたというのは、
れてくらしているけど、つづいている空や海にむかって、み
沖縄の青い海と、空の向こうには、ひとり娘の母さんがい
る。どこまでも、ひろがっている海や空。母さんとは、はな
考えてくれたという。
ぼくの名前は、おばあちゃんと、亡くなったおじいちゃんが、
のときから、今までの写真や、家族の写真が飾ってあった。
紅茶のおかわりをしながら、あちら、こちら飾ってある写
真にうれしくなった。台所、居間、廊下に、ぼくが赤ちゃん
話をきいてくれた。
になって、「よかったね……」と、うなずきながら、ぼくの
とを、おばあちゃんに話した。おばあちゃんは、にこにこ顔
ぼくは、沖縄名物のお菓子と紅茶をいただきながらおばあ
ちゃんが、ゆっくりと語る想い出ばなしをきいていた。
かかえている。おばあちゃんは音色に、みちびかれるように、
〝ガンバレー〟
そして、初めてエイサーのCDをきいた時、
と、はげましのメッセージに思えてたのしくなった自分のこ
おじさんのエイサーにききいっていた。おばあちゃんに気づ
だと思ってる。ありがとう」
じゃびせん
いたおじさんは、
ぼくは、居間から窓をあけ、空や海をながめた。青かった
海は、いつのまにか夕陽が、
オレンジ色に染めはじめている。
んなが幸せであるように、祈っているよ、そんな気持ちで、
「わしの蛇皮線を、きいてくれてありがとう。いつか、平和
な日が、かならずやってくる。生きのびていきなさいよ。あ
118
らいいんだろう。そう思いながら、車の後部座席にすわった。
セットし、うっすらとお化粧もしている。ぼくは、どうした
お じ さ ん が、 少 し お し ゃ れ な 洋 服 を 身 に つ け て や っ て き
た。おばあちゃんも、うすむらさきの洋服に着替えて、髪を
「さあ、行こうか」
めた。
幕が上がり、明るい照明の中で、化粧をしてはちまきをし
た、お兄さん三人が、小さな太鼓をたたきながら、踊りはじ
なった。
リズミカルな曲に、かけ声が変わり、竹ぶえ、口ぶえ。
「イヤサッサー、ハイヤー、イヤサッサー……」
三線(蛇皮線)をひく、お兄さんも化粧してうしろの方に
いる。
五分ほどで、ホテルに着いた。
「沖縄の料理が、いっぱいあるから、すきな飲み物も、フル
ーツだってあるよ。バイキングっていうらしいけど……」
と踊りつづける。
舞台の上では、十名ぐらいのお兄さん、お姉さんたちが、次々
舞台で、歌っているお姉さんたちも、体をふりながらにこ
にこしている。
おばあちゃんは、舞台に一番近い中央の場所に、ぼくをす
わらせると、舞台から、離れたところに、ならべられたお料
「そい、そい、そい……、ハイ、ハイ、ハイ……。ヨイ、ヨ
おばあちゃんは、杖もなしに、しっかり歩ける。十階だて
のホテルの二階で、食事とエイサーのショーが行われるとい
理をとりにむかった。ぼくも、順番に白いお皿をもらうと、
イ、ハイヤー、ハイヤー、イヤサッサー、ウー、ウー、トウ、
ぼくは、自然と手拍子をしたくなった。
大きな太鼓も、会場いっぱいに、曲にあわせてなりひびいた。
ゴーヤチャンプルや、肉、魚、もずく酢など自分のすきなも
トウ……。イヤサッサー……」
ながれるような、かけ声がつづく。静かな曲と、はげしい
曲がくりかえされる。ぼくは、三線(蛇皮線)のメロディに
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
歌、お兄ちゃんやお姉ちゃんたちの舞台にひろがっている元
おじさんは、今にも踊りそうに、体ぜんたいで調子をとっ
て、時々、目をつむってきいている。ぼくは、このリズム、
あわせて、いつのまにか首をふり、体をゆすっていた。おば
プだけがおかれた。
さんしん
あちゃんも、くちずさんでいる。
一時間ほどで、ほとんどの人が食事を終え、テーブルの上
には、かわいい照明のランプのような灯りと、飲み物のコッ
のをえらんだ。
う。
詩
食事をしていた会場は、照明がだんだん暗くなった。
「おばあちゃん、これから始まるんだね」
「そうよ、よかったね」
児童文学
線(蛇皮線)の
おじさんは、舞台の裏からきこえてくる三
音に、手拍子をあわせている。会場が、太鼓の音で、静かに
小 説
119
浜松市民文芸 60 集
汗びっしょりで、一生けんめい踊って、歌って、みんなに
元気を与えているんだ。
気いっぱいの楽しい顔は、ずっと覚えていよう、そう思った。
れていた。おばあちゃんはそっとささやいた。
大きなかけ声。みんなは、しあわせいっぱいの笑顔でつつま
ぼくはエイサーを見にきて、本当によかったと思った。
「エイサー、エイサー、イヤサッサー、ハイ、ハイ……」と、
った。
おばあちゃんも、生きててよかった。
「ハーイヤ、イヤー、イヤサッサー」
ほんとに、ありがとう」
(中区)
「空向ちゃん、ひとりで沖縄に来れてよかったね。
十曲ほど、終ったところで、テーブルに、カスタネットの
よ う な 楽 器 が く ば ら れ、 エ イ サ ー の ク ラ イ マ ッ ク ス と な っ
かけ声も、ここちよい。
た。会場のお客さんと出演者のみんなで、踊って、歌って、
楽しもうというコーナーだ。まず、舞台に踊りたい人はあが
って下さいとのことで、ぼくは、おばあちゃんの顔を見た。
うれしそうで、もう舞台の方をむいている。おじさんも「行
こうかね」と、言いながら舞台にむかった。ぼくは、ちょっ
と 前 ま で 踊 り た か っ た の に、 い ざ と な る と は ず か し く な っ
て、しりごみをしていたら、お化粧したお兄ちゃんが、ぼく
に手をさしだして、
「おいで、ぼく、見に来てくれてありがとう。おばあちゃん
ときたの?」
元気な声で、ぼくをさそってくれた。おばあちゃんも、ゆ
っくり、ぼくと手をつないで舞台にのぼった。
最初に、手踊りの指導があり、輪になって二十名ほどのお
客さんが、舞台の上で踊った。みんな、楽しそうだ。ぼくは、
おばあちゃんのうしろから、まねして踊った。三線(蛇皮線)、
太鼓、竹笛、口笛、鈴、そして会場に配られた楽器、それぞ
れが、元気なお兄さん、お姉さんたちの歌声にのって輪にな
120
[入 選]
阿蘇の少女
本線の列車を待った。汽車を待つ人たちでホームはごった返
している。
しばらくすると右手より白煙を空高く吹き上げて、グワシ
ュシュ、グワシュシュとぼくが今まで見たことのない黒光り
する、巨大な鉄のかたまりが線路に、シュシュシューと蒸気
を吹き出し近づいて来る。汽車がホームの端にかかると、こ
ー、「危ないぞ! そこどけ、
そこどけ!」
とばかりに鳴らし、
その轟音にぼくは思わず耳をふさいだ。ぼくは父親に、
「あ
れまた聞いた事のない爆音のような汽笛をグゥオー、グゥオ
ぼくは炭鉱の町で生まれた。町の面積の半分を占める巨大
な炭鉱があって天にも届くような二本の高い煙突から夜でも
阿 部 敏 広
白い煙を吹き出している。父親はこの炭鉱に勤め建築の仕事
んだよ」ぼくは小さく口を動かし、「デゴイチ」と復唱する。
ん! これ止まらないの!」と思わず叫ぶと、D は鉄輪と
線路がきしみあうギギギーというブレーキ音をさらに高くし
目の前をぼくがかぶった帽子を吹き飛ばすような勢いで、
親汽車がかすめて行き思わず帽子を手で押さえ、
「とうちゃ
しょ。川で泳いじゃだめだって」とお母さんに怒られていた。
がいつも見る田舎の駅の蒸気機関車は二両編成だが、このD
て、はるか前方で親汽車は止まった。それもそのはず、ぼく
は十両編成である。しかもぼくたち親子はホームの最後尾
いう。
ということで、ぼくをその阿蘇の町に連れていってくれると
んで、十両の最後尾までホームに納めるためには親汽車がず
に立っていたから、先頭の親汽車が勢い良くホームに突っ込
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
汽車が止まったその瞬間、父親は何を思ったのか、「俊、
っと先で止まる。したがって、
「止まるのか?」と思われる
スピードで目の前を通過するのは無理もない。
四年生の五月の連休に、しばらくぶりに父親は里帰りをする
父親は熊本県の阿蘇山のふもとの農家が実家で、若いころ
炭鉱の仕事をするためにこの町にやって来た。ぼくが小学校
のだから白いパンツはすぐ茶色に染まり、
「あれだけ言ったで
たちはコーヒー川と呼んでいる。夏になるとこの川で泳ぐも
ぼくの家の前を幅三十メートルほどの川が流れているが、
炭鉱で石炭を洗う水をこの川に流すため水の色は黒色でぼく
をしている。
れは何ね? あれと比べるとうちの田舎の駅に来る蒸気機関
車はおもちゃみたいだね」と聞くと、「あれはD って言う
詩
51
51
ぼくは初めて乗る蒸気機関車の旅に、遠足の何倍もの楽し
みでその日まで寝つきの悪い夜をいくつも過ごした。川向う
児童文学
の小さな駅から汽車に乗り、途中二つの駅で乗り換え鹿児島
小 説
121
51
浜松市民文芸 60 集
窓から入れ!」とぼくを後ろから押しやり、勢いよく人ごみ
いながら、
「汽車は止まってるから、煙は入って来ないのになー」と言
た。ぼくは戻って来た父親の顔を見ると安心感からか思わず
ぼくは父親が戻る時間を長く感じたが、それは不安な気持
ちだったからそう感じたのであろうが実際はわずか数分だっ
ぼくはまたあの赤鬼が戻って来て、「何や、空いとるじゃ
ないか」と言われそうな小さな恐怖におびえていた。
席を確保した。それにしても父親が戻って来るのが遅い。
子は当然混む三等車に乗り込み、体を張って何とか二人分の
当時客車は二等車と三等車に分かれていて、今で言うグリ
ーンと普通車の違いであるが、お金持ちでもないぼくたち親
と、自分たちの陣地を守るように叫んだ。
ぼくは、「空いてないです」と小さく叫んで、ガバッと横
のリュックに体をうつぶせ、「お父さんが後から来ます!」
とるか!」と怒鳴るように言った。
るで赤鬼みたいな赤ら顔のおじさんが、「坊主、そこは空い
花畑のようで、しかも真ん中に仕切りが設けられている。こ
赤いウインナー、黄色い卵焼き、緑の野菜とまるで小さなお
それに引き換え、今、目の前にある駅弁は麦はどこにも見
当たらず、すべてまぶしいくらいの白く光るごはんだった。
って食べる。
司よりさらに押してご飯を詰めているので、はしが通らず、
りないといけないとの親心でこれでもかとばかりに、押し寿
隅っこに押しやられている。それに、母親の善意からか、足
と、麦が混じった真っ白でないごはんの真ん中に、デッカイ
ら持たされるのは、ドカベンのアルミの箱で、フタを開ける
べる駅弁のフタを期待に胸をふくらませながらも恐る恐るそ
渡された駅弁は両手に余る大きさでそれを膝の上に乗せ、
それこそ宝物の箱を開けるように、ぼくは生まれて初めて食
と言って、大事そうに抱えた二つの折り詰めの一つをぼく
に、「ほら、食べろ」と言って渡してくれた。
「腹へっただろ、ほら駅弁だ。うまいぞー」
を押しのけ、客車の開いている窓からぼくを押し込んだ。
リュックをぼくの横に置いて、「席を取られんようにな、
後で行くからの」と言い放って、父親はその場を離れた。
涙ぐみそうになり、指で目を押さえ、「煙が目に入っちゃっ
れらのおかずが隅っこに押しやられるどころか、ごはんのお
やがて入り口から、並んでいた人たちがドドドーとなだれ
込んで来た。その中の一人がそばに来て、ぼくから見ればま
た」と言いわけした。
はんが五対五であった。フタの内側に付いたごはん粒を一つ
かわりがいるではないかと思われるほどの量で、おかず対ご
仕方なく力を込めて二本のはしをしっかりにぎり一口大に切
梅干の日の丸弁当。おかずは申し訳程度にごはんに押されて
っと開けた。フタを開けて見て驚いた。弁当と言えば母親か
父親はぼくの泣きそうになっていた表情を見てとったの
か、
122
「お父さん、これは何?」「ロースハムだ」ぼくはそれをつ
ふとおかずを眺めると、見慣れないピンク色した丸い肉片
らしきものがある。
かげで、一粒残らずていねいに手でつまんで口に入れた。
なあかん。茶碗にまだごはん粒が残っとるやろ」の教育のお
一つていねいに、祖母の食事どきの、「お百姓さんに感謝せ
飽きもせずおもしろくながめていた。
どん伸びるように飛んで行き、はるか遠くで一本になるのを
ぼくはしっかりと手すりを握りしめ、太陽の光を反射して銀
び降りられるのである。むろんそんなことは考えもしないが
ず、くさりが渡されているだけで、飛び降りようと思えば飛
た。
今まで立っている乗客もいたが最後に乗り換えた汽車はゆ
ったりとしていて、ぼくたち親子は四人席を二人で占領でき
って食べろ」
豆なの」との次々のコメントに、父親は、「もういいから黙
ねー」煮豆を口に運び、「これも甘くておいしいねー、何の
ドーンと叩いて見せた。
っとらんから。後はここに入っとるから」と言って、腹巻を
なるかくらいは分る。不安顔をしているぼくに向かって父親
ぼくはサイフは後ろポケットなどには入れず大事にズボン
の横ポケットに奥深くしまっていたから。財布がないとどう
ぼくはいつも父親が長サイフをズボンの後ろポケットにさ
しているのが気になっていた。
「やられたあの時だ!」
「あっ! サイフがない!」まわりの人たちは何事かと父親
を見た。
をやり叫んだ。
色の輝く二本のレールが、どこまでも真っ直ぐに後ろへどん
まんで口に入れると今まで口にしたことのないその上品な味
よかったのはここまでで席に戻って来たときである。父親
が席に座ろうとし何気なく左手をズボンの後ろポケットに手
に思わず、「おいしいねー!」と言った。
二両編成の汽車は五月のどこまでも続く青い空の下、緑の
稲穂の田園地帯をシュッシュッと切り分けて進んで行った。
「けど、あのサイフはもったいないな。会社でもらった本革
片手ではしが使えるご飯のやわらかさに余分な力を使うこ
となく、卵焼きを口に入れ、「おいしかねー、家のとは違う
ぼくは後ろに飛ぶ景色を飽きもせずじっと眺めていた。何と
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
のいいやつだったからのー」と言うと、何事かと一瞬驚いた
は、「心配せんでもいいよ、中身は駅弁買ったおつりしか入
も言えない、
心が青空に吸い込まれて行きそうな気分だった。
まわりの人たちはクスクスと笑っていた。
詩
ところがぼくの平和な心持ちを冷ますような小さな事件が
起きた。父親に、「汽車の一番後ろに行ってみるか」と言わ
児童文学
れ 最 後 尾 に 行 っ た。 そ こ は ド ア な ど と い う も の は 付 い て い
小 説
123
浜松市民文芸 60 集
で行く。阿蘇中岳から立ち上る白煙に負けまいと、煙突から
いよいよぼくたちの乗った汽車は、大阿蘇の外輪の中へ、
阿蘇連山に呼びかけるように「ピー!」と汽笛を鳴らし進ん
かった駅弁のことが頭にあったので、申し訳ないがありがた
好きやろ」と食べ物攻勢で、ぼくにとってはまだあのおいし
食べよ!」と盛んに勧めた。さらに、「今日の夜はカレーばい、
と迎えた家族が口々にはやし立てた。大きなテーブルの上
の器には、こぼれんばかりにお菓子が盛られて、「食べよ、
後で父親から聞いた話だが、「跡取り息子のいないこの家で
煙を吐き出してはいるが、中岳の白煙に比べればそれは小さ
は、男の子がほしくてしょうがないんだよ」だからみんなが
な綿菓子のようであったろう。空の上から見れば、あまりに
いよいよ終点の高森駅に着いた。大きな炭鉱のあるにぎや
かなぼくの町とは違い、はるか遠くの山々に囲まれたこの高
迷惑と思ってしまった。
森はのどかな町であった。ぼくの町も都会ではないのに、「こ
ぼくにかまったのかと思った。
も広大な外輪山の中の大平原を、まるでアリが連なってノコ
こは田舎だねー」と、東京の人に言わせれば、「どっちもど
ここで一騒動が持ち上がった。お姉ちゃんが夕食のカレー
に大根を入れると言ってきかないのである。母親は、「百合
この父親の実家の家族構成は、ぼくの父の兄夫婦、その親
夫婦、そして小学校六年生になる一人娘の五人家族である。
っち」の一言をぼくは父親に投げかけた。しかし父親は愛す
子、カレーに大根を入れるバカはないやろもー、ジャガイモ
ノコとはって行っているようにも見えたであろう。
るこの町の出身だから、「駅は町の外れだ、町中に行けばに
父親の実家に着くと、今か今かと待っていた家の人たちが
どっと玄関に押し寄せて来て、「よー帰って来たねー」「なつ
られなかった。
ばかりで、この町ににぎやかな場所があるとはとうてい信じ
「畑に大根取りに行こ、表で待ってて」と言う。ぼくは、
「カ
ところがその必要もなかったようでどこでどう決着したの
か、お姉ちゃんはぼくに、
助ける心の準備をしていた。
お姉ちゃんがぼくに意見を求めたら、「カレーに大根? 日
本じゃ、そげん事せんばい」と言おうと、ぼくはお母さんを
このやり取りを聞いていてぼくは、お姉ちゃんの方がおか
しいと思った。ぼくの家でもカレーに大根は入れない。もし
も人参もあるから、もう何もいらんよ」
ぎやかだぞー」とすぐバレるうそを言った。
駅から阿蘇連山が隠れるほどの背の高いススキの若草の中
の砂利道を、ぼくたち親子は歩いて行く。三百六十度視界が
開けた農道に出た時、ぼくはぐるりとまわりを見渡した。ど
かしかねー」
レーに大根? カレーに大根?」と首を傾げてぶつぶつと言
こまでも続く緑の平原と黒い屋根が所々に点在するのを見る
「こん子が息子ねー、よか男やねー、さあ上がって上がって」
124
ら一頭の大きな茶色の毛の馬を引き出して来た。
ぱいだったが、そのうち楽しささえ覚えてきた。もう少し早
砂利道を過ぎると草原に乗り入れ、もう一むち入れるとサ
ブローは速足で駆けた。ぼくは乗ったばかりは恐怖心でいっ
いながら表で待っていると、お姉ちゃんが何と、裏庭の方か
「私が世話してる可愛がってる馬よ。サブローっていうの」
手に、さらに力が入った。
はそのための口実だったようである。
ってキョトンとしていた。
猫に似てるの?」と言うと、お姉ちゃんは、
「ん?」とうな
お姉ちゃんはむちで指し示しながら、「あれが中岳、右が
高岳、そしてあの奇妙な形をしたのが根子岳」と説明する。
遠くにそびえる阿蘇連山を望み、見渡す限りの緑の大草原
の中、お姉ちゃんはサブローを止めた。
く走っても大丈夫とばかりにお姉ちゃんの腰にしがみつく両
自分の田舎では見た事もない馬の出現に驚き、ぼくはその
場にへたり込んだと言えばうそになるが、そのぐらいの気持
ちで腰を引いた。そしてお姉ちゃんは、「さ、大根取りに行こ」
といとも簡単に言う。どうやらお姉ちゃんはこの馬を自慢し
ぼくが口を半開きにして呆然としていると、出産に際し男
の子であってくれよと親たちの期待を一心に受けたが、図ら
たかったようで、他の材料がそろっていたのでカレーに大根
ずも乙女であったこのお姉ちゃんは、ぼくから見れば充分男
「 俊 ち ゃ ん、 し っ か り つ か ま っ と
そ し て お 姉 ち ゃ ん は、
き!」と声をかけ、「よー!」といきなり叫ぶと同時に、先
ない。もう実家に帰ると言っても、朝早く起きはるか遠くこ
馬の出現、馬に押し上げられる」もうぼくは何が何だか分ら
いきなりそのお兄ちゃん、いやお姉ちゃんはぼくの後ろに
回り、
抱きかかえ、押し上げ馬の背に上げた。「カレーに大根、
なくただもう目をつむって、命をこの今日会ったばかりのこ
上体をお姉ちゃんの背中に押し付けた。ぼくは生きた心地は
た。ぼくはさらにお姉ちゃんの腰に回した両手に力を入れ、
ほどと違う強いむちを入れたかと思うとサブローは駆け出し
のお姉ちゃんに預けるしかなかった。
ぼくから見れば猛スピードに感じたが、お姉ちゃんは加減
してるようで、
川 柳
きんさい」と言って、サブローに一むちを入れた。ぼくは馬
自由律俳句
「もっと早く走ろうか」などととんでもないことを言った。
随 筆
定型俳句
の背から初めて見る高すぎる高さと、馬の背骨が尻に当たる
評 論
短 歌
乗心地の悪さに生きた心地はしなかった。
お姉ちゃんは慣れた様子で裸馬にまたがり、
「サブローに振り落とされんように、しっかり私に掴まっと
こまで来たことを思うと、この少女に従うしかなかった。
ぼくは、
「根子岳」と聞かされて「猫岳」と取って、「どこが
過ぎるほどであった。
詩
「 や め て 下 さ い! ぼ く を 殺 す 気 で す か 」 と 横 腹 を つ ね る
と、「あいたたた」と言って、たづなを絞ってスピードをゆ
児童文学
サブローは駆けることなくゆったりとかっ歩していった。
小 説
125
浜松市民文芸 60 集
「いっせーの」の掛け声で、大根はいとも簡単にスポット抜
胸をぴったりつけて大根を引き抜くのを手伝った。
ない。するとお姉ちゃんはぼくの背中越しに両手をまわし、
われ挑戦したものの、腰を落として引っ張るが中々引き抜け
葉っぱを両手でつかんで引っ張ればいいのよ。簡単よ」と言
っていいのか分らない。ぼくがもたもたしていると、「青い
「さあ、俊ちゃん大根を引き抜いて」と言われたが、どうや
思った。
畑に降りると、ぼくの田舎はお米中心の農業で、やれ人参
畑、さつまいも畑、大根畑と広がる農地を初めて見て珍しく
根掘ろか」と言った。
ーを制止させた。そしてお姉ちゃんは涼しい声で、「さ、大
ったら、
「俊ちゃんそこに座り」ぼくはこづかいでもくれるのかと思
んが、
もうだいぶ夜も遅くなったのでぼくたちはおやすみのあい
さつにおとなたちのところへ行くと真っ赤な顔をした叔父さ
「そんなばかな、父ちゃんはもう帰りの切符を買ってるよ」
ことが起きると出とるよ」
「俊ちゃんはこの家の子になりなさい。そうしないと不吉な
「どうしたの?」
と言う。
お姉ちゃんはしばらくカードを見つめて右手をほほにあてて
「占いをし
7並べやばば抜きをしたが突然お姉ちゃんが、
てあげる」と言ってカードを繰り、
ていねいに並べていった。
るめた。しばらく行って、「ドウドウドウ」と言ってサブロ
け、その反動でぼくたちはその姿勢のままもんどり打って後
「俊ちゃんなあ、うちは跡取りの男の子がおらんやろ。百合
いいなずけ
「うーん」とうなっていたが、
「俊ちゃん、これは困ったよ」
ろへひっくり返ってしまった。
た。
がされ大きな大根一本ぶらさげて道草をしながら帰っていっ
感じて顔が赤くなるのが分った。ぼくはまたサブローにまた
さらに叔父さんが、「なあ、百合子いいだろ」と言ったら
お姉ちゃんは黙ってただニコニコしていた。
た。
こと)。ぼくは自分でも顔が真っ赤になっているのがわかっ
ぼくは意味が分らないのできょとんとしていると叔母さん
が説明してくれた(おとなになったら結婚をする約束をする
子を許婚にしてくれんか」
この夜はぼくの父親を迎えた一家は大盛り上がりで、いつ
果てるかも分らない宴会は続いた。大人のざわめきに入って
次の朝、朝食でぼくは驚いたことがある。それは生卵が一
人一個付いていたことである。ぼくは思わず、「一人一個?」
「俊ちゃん! 重かー。大根から手を離しー」と耳元で訴え
ていたが、ぼくは今まで感じたことのない、膨らみを背中に
いけないぼくとお姉ちゃんは隣の部屋でトランプ遊びをし
た。
126
ないのである。それほどぼくの田舎では卵は貴重だった。
りはしょうゆかけごはんに近い。そうしないと三人では足り
どのしょうゆを加えて、もうおおよそ卵かけごはんと言うよ
である。そのままだと量が少なく味も薄いので、多すぎるほ
なくたまにで、しかもその一個を兄弟三人で分けて食べるの
と聞いた。ぼくの家では生卵一個を、それも毎日あるのでは
「俊ちゃん、似合う?」と聞かれたが似合うとしか答えよう
親に向かって、
た。お姉ちゃんもつるしている白いブラウスを持って来て父
ブラウスが掛けられているコーナーに行って真剣に選んでい
ある洋品店に入った。ぼくはシャツを買ってもらえる喜び
に、シャツの棚に目がくぎづけになっていた。お姉ちゃんは
らく歩いて表通りに出ると小さな商店街があった。
貧しい話を不思議そうに聞いていた。お姉ちゃんは、「そん
ぼくの父親が事情を説明すると、この一家にとっては裏の
とり小屋から持ってくればいいだけの話なので、よその町の
別れの日、朝食は静かだった。ぼくはしょうゆの足りない
卵かけごはんに不服だったが食欲のなさはそれだけが理由だ
がないのではないかと思った。
「叔父さん、わたしこれがいい」と言って両手で胸に当て、
それでいつもの習慣でぼくがしょうゆをドボドボと入れた
ものだから、まわりの皆は、
「あー!」と声に出して叫んだ。
なもんは食べれんよ」とぼくからおわんを取って自分のを渡
けではないようだった。叔母さんがお姉ちゃんに、
出た。
て三人で田んぼのあぜ道を抜けて行くと、見たような場所に
半年以上あるのにもう新しい服とは、気持ちをウキウキさせ
た。
と思うぐらいだから。それきりお姉ちゃんは戻ってこなかっ
くには妹も弟もいる。それでもぼくはお姉ちゃんが欲しいな
お姉ちゃんはカチャンとはしを投げて隣の部屋に行ってし
まった。今のお姉ちゃんの気持ちが分るような気がする。ぼ
「さびしくなるね。百合子はまた一人ぼっちだよ」この一言
してくれた。
がいけなかった。
「ここは昨日、大根を掘った畑じゃないの」と気付いた。昨
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
姉ちゃんの姿はなかった。駅の待合室でぼくは何度も入り口
日あれだけ二十分、三十分、馬で駆けて行った大根畑がお姉
るものは年に一度の正月と決まっているのに、正月までまだ
ぼくはこの日うれしい事があった。父親がぼくとお姉ちゃ
んに着るものを買ってやると言ってくれたことだ。新しく着
詩
食事を済ますとぼくたちはバタバタと帰りの準備をして駅
へと出かけた。家族みんなが見送りについてきてくれたがお
随 筆
ちゃんの家からわずか数分の所に広がっていた。
評 論
の方に目をやった。汽車がホームに滑り込んで来てもお姉ち
児童文学
ぼくは大きくため息をついたが、お姉ちゃんの馬に乗せて
あげたい歓迎の優しい気持ちには思いいたらなかった。しば
小 説
127
浜松市民文芸 60 集
してって」と言って、デッキに立つぼくに折りたたんだ白い
汽車が出発の汽笛をボーと鳴らしたとき、叔母さんが、
「あっいけない忘れるところだった。百合子が俊ちゃんに渡
ゃんは姿を見せなかった。
という気がした。
駆け巡ったことが、まるで夢の中の出来事ではなかったのか
きりと見えなくなっていった。麓の草原をお姉ちゃんと馬で
に中岳からいつものように白い噴煙が立ち昇っていた。目頭
(中区)
汽車はさらにスピードを増し、お姉ちゃんとサブローが後
ろに追いやられるようにだんだん小さくなっていった。もう
両手を上げてわっかを作って何か叫んでいるようだった。
えてお姉ちゃんも大きく手を振ってくれ、サブローをとめて
を心配した両親から、早く結婚するように、毎日、うるさく
ところが、最近、親子ゲンカが絶えなくなってきました。
もうすぐ三十歳になる達彦が、いつまでも一人身でいること
いながらも両親と親子三人で仲良く暮らしていました。
浜名湖のほとりの細江の村に、達彦という男が住んでいま
した。浜名湖に出て魚や貝を獲り、家の前の畑を耕し、貧し
むらまつたえみ
猫のお嫁さん
[入 選]
が熱くなってきて、その阿蘇の山々がだんだんぼやけてはっ
はがきのようなものを渡してくれた。叔母さんたちに別れを
告げ席に戻った。汽車がゆっくりと動き出したとき渡された
紙片を静かに開くと、そこには文字は無く、馬で闊歩したあ
の草原に咲いていた、白いれんげ草の押し花が挟まれてあっ
た。
汽車が徐々にスピードを上げようとしたとき目の前に座る
父親が汽車の後方を指差して、「あれー!」とすっとんきょ
うな声を出した。
ぼくは指された方を振り返った。ぼくがそこに目にしたも
のは線路と平行している道をあのサブローにまたがりこの汽
その姿が見えなくなってしまうと、ふともうお姉ちゃんとは
いわれるようになったからです。
車を追ってくるお姉ちゃんの姿だった。ぼくは窓から身を乗
二度と会うことはないんじゃないかという寂しい気持ちにな
毎日のように、親が近所の人や知り合いに頼んで、気の進
まない縁談話を押し付けてくるので、
うんざりしていました。
り出し紙片をしっかりと握った手を大きく振った。これに応
った。
遠くに目をやると阿蘇連山が連なって何事もなかったよう
128
そんなある日、とうとう達彦は父親からの一言に怒って、
家を飛び出してしまいました。
できるのでした。
暑くてたまらなかった夏も過ぎ、さわやかな秋の空が広が
っていました。この場所に来て、潮風に当たっているだけで
も心地よくなり、一時、嫌なことも辛いことも忘れることが
せっかく親が良い話を持ってきてやっても、言うことを聞
かないなら、たまには浜松の町にでも出かけて、自分で嫁さ
んになってくれそうな娘を探してくればどうだと、きつく言
浜松は大きな町なので、人もたくさん住んでいました。け
れど、ここまでなら、まだ我慢できたのに、さらに、
猫になりたいよ」
「ちえっ、猫のやつは、のんきそうで良いなあ……。おれも
遠くにノラ猫が何匹か集まって、のんびりとくつろいでい
るのが見えました。
「隣の茂作も、引佐の順平も、ちゃんと自分で、浜松で嫁さ
われてしまったのです。
んを見つけてきたそうじゃないか。二人とも偉いもんだ」
と、よりによって隣に住む幼馴染の茂作や、隣村の引佐に
住む従兄弟の順平まで引き合いにだされたのが癪でした。
「そうだよ、達彦。早く、わたしも安心させておくれ」
母親まで言ってきました。
「ちえっ、うるさいなあ、もうー」
「あちゃあ……」
自分の変身に焦っていると、
「やったあー、大成功だあー」
いつの間にか、目の前に目なれない男が立っていて、嬉し
そうに叫んでいるではありませんか。達彦は、とっさに身構
川 柳
えましたが、自分は、すっかり四つん這いの猫の体勢になっ
自由律俳句
達彦にすれば、茂作の嫁も順平の嫁も、ちんちくりんで、
ちっとも美人でも可愛いくもありません。なのに、そんなふ
定型俳句
ていました。
短 歌
「おい、そう、慌てるなよ。わしは神さまじゃ」
ふだんは優しい達彦でしたが、流石に今日ばかりは、つい
つい声を荒げて、きつく言い返してしまいました。
達彦は、いきなり自分の手足が猫に変わっているので、慌
てました。
そう呟いた瞬間、
思いがけないことが起こりました。
ふと、
「あれれれえぇー。おっ、おれが猫になっちゃてるぞ」
詩
うに言われると余計に腹立だしくなってくるのでした。
随 筆
「あぁー、おもしろくない」
評 論
浜名湖の砂浜に来て、松の木陰に寝そべって、空を見上げ
ながらボヤきました。ここは普段からお気に入りの場所でし
児童文学
目の前の男が言いました。
「えっ? 神さまだって……」
自分の姿が、いきなり猫に変わってしまったり、神さまだ
た。
小 説
129
浜松市民文芸 60 集
訳じゃないですよ。おいらには年老いた両親もいるんですか
戻してください。猫になりたいだなんて、本気で思っていた
「わかりましたよ。わかりましたから、早く元の人間の姿に
の見事に成功したというのです。
いと言っているのを聞いて、早速、呪文を試してみたら、物
神さまだという男は、得意そうに胸を張りました。さっき
から気晴らしに浜名湖を散策していると、達彦が猫になりた
ついに神さまとしてやっていく自信がついたよ」
したためしが一度もなかったんじゃ。だけど、今日、これで
「わしは、まだまだ駆け出しで、これまで自分の呪文が成功
す。
なんていう変な男が突然あらわれて、達彦は面食うばかりで
達彦が頭を抱えていると、
「だって、わたくし、まだまだ見習いだもんで……」
「ああぁー、なんてことだよ。トホホ……」
神さまは、汗をたらたら流しながら、呪文を唱え続けてい
ます。でもダメでした。
ててよ」
の。今に元に戻してあげますから、ちょ、ちょっとだけ待っ
利き方ですか。そんなボロカスに言わなくてもいいじゃない
な神さまだなあ」
神さまは首をかしげて冷や汗をかき始めました。
「なっ、なんですって。いい加減にしてくださいよ、無責任
かないよ」
「あれれれえ、おかしいなあ……。今度は、呪文がうまくい
なっ、なんと神さままで頭を抱えこみ、今度は弱気な言い
訳をしだしました。
「とととっ、達彦どん。神さまに向かって、なんちゅう口の
ら」
「達彦どん。申し訳ない。もう一度、今から、すぐに呪文の
小言を言われ続けてはいても、そこはやっぱり親思いの達
彦 で し た。 猫 は の ん き そ う で 良 い な あ と 言 っ て は み た も の
の、本当に猫になってしまうと困ります。
両親が心配することだろうかと思うと、
胸が痛くなりました。
悲しい気分のまま日も暮れてきて、とぼとぼと家路につき
ました。自分がいなくなってしまったら、どんなに年老いた
こうして、とうとう達彦は、この日、人間の姿には戻れま
せんでした。
勉強をし直すから、ちょっとだけ待ってて」
「わかりました。じゃあ、すぐに元に戻しましょう」
神さまは、なにやら、
「 ム ニ ャ ム ニ ャ ……、 う 〜 ん、 ム ニ ャ ム ニ ャ ム ニ ャ ム ニ ャ
……」
と、両手をさすったり揉んだりしながら、ブツブツと呪文
を唱え始めました。
「うんっ?」
だが達彦の姿は猫のままです。
130
い声になっていました。
家に着くと玄関が閉まっていたので、庭先にまわり、「に
ゃおー」と、家の中に向かって声をあげました。自然に悲し
次の日から達彦は、「名無しの権兵衛だから名まえはゴン
にしよう」という父親の提案で、ゴンとよばれるようになっ
の中で、ボヤきました。
「それにしても、人懐こい猫だなあ」
その隙に、ひょいっと達彦は、家の中に上がり込みました。
「ありゃまあ、よほど淋しかったんだね」
いろりの脇に座っていた、父親の方を振り向いて言いまし
た。
と、声をかけてくれ、そして、
「かわいい猫が来てますよ」
「おやおや、ひとりぼっちで淋しいのかい」
何度かくり返し叫んでいると、母親がようやく気付いて雨
戸を開け、顔を出してくれました。
のは最高の気分でした。
朝、昼、夜を問わず、気が向いた時に、自由気ままに、外
に出かけました。特に月明かりのきれいな夜に、外を出歩く
ん、まんざらでもない気分になってきました。
しかし、いざ猫になってみると、何時までもゆっくりと寝
ていられるし、エサも何時でも好きな時に好きなだけ食べら
なくなってしまったので仕方がありません。
て、猫として両親に飼われることになりました。人間に戻れ
そうこうしているうちに、このまま猫のままでも良いかも
知れないと、ちょっぴり思うようにもなってきました。
「こらー」と追いかけられても、ひょっいと
見 つ か っ て、
身軽に体をかわし、「あかんべえー」と、逃げました。
れました。それに漁も畑仕事もやらなくて済むので、だんだ
「ほんとうですね」
「ああ、あんなバカ息子なんか帰ってこなくていいよ。もし
母が心配そうに言ってくれたので、注意深く耳をそばたて
ていると、父は、
「それにしても達彦は帰って来ませんねえ」
……」とは言っても通じません。
母と、父が言いました。
「当たり前だろう。おいらは、あんたたちの息子なんだから
たまに隣の茂作の家や、引佐に住む従兄弟の順平の家にま
で出かけて、
一寸した悪戯を仕掛けるのも楽しいことでした。
詩
定型俳句
せ、熱心に拝んでいました。
短 歌
自由律俳句
川 柳
ところが、それから暫くして、だんだん父親に元気がなく
なってきました。ある時、神棚に深々と頭を下げて手を合わ
随 筆
帰ってこなかったら、代わりにこいつを可愛がってやろう」
評 論
「あぁー、神さま。どうかお願いです。うちの大事な一人息
児童文学
なんて言いました。
「ちぇ、そんなにボロカスに言わなくたっていいだろう」心
小 説
131
浜松市民文芸 60 集
父親が自分のことを、本当は心から心配してくれているこ
とを改めて知りました。
その親心だったんです」
しうるさく言い過ぎました。でも、あの子のためを思ってこ
子の達彦が、早く戻って来るようにしてください。わしも少
やりたいと思っていたところなんだよ。で、この際だから、
この前から、何度もお願いされててねえ……。なんとかして
神さまは、達彦の顔をのぞきこみながら、にこりと微笑ん
で言いました。
コがいるんですよ」
ぼやきながら神さまが姿をあらわしました。
「もう一寸だけ待っててよ。今、一生懸命、勉強していると
何回も言わないでよ」
すると、
「おい達彦どん、そんな大きな声で、見習い、見習いなんて、
文の勉強、ちゃんと、はかどっていますか。見習いの……」
いよ」
「なっ、何が大丈夫ですか。勝手なことを言わないでくださ
入る筈ですから大丈夫。明日、引き合わせますから、必ず、
「ミミさんは器量よしの可愛いコです。きっと一目見て気に
見習いの神さまは、達彦をどうしても人間に戻せる自信が
なくなったので、メス猫を押し付けて、猫のまま我慢させよ
「ちょ ちょと待ってください。冗談はやめてくださいよ。
ミミさんって猫でしょう」
ちょうど達彦どんが良いかなあ……って、思って」
「そのミミさんから、すてきな彼氏ができますようにって、
「やっぱり早く人間に戻らないと……」
そう思い直した達彦は、夜になって、この前、神さまと出
会った湖岸の松林のところへ行って、
大きな声で叫びました。
「見習いの神さま、おいらの親父も心配しています。だから
ころなんだから」
達彦は怒って言い返しましたが、神さまは、一方的にそう
告げると、ぷいっと姿を消してしまいました。
早く元に戻してもらわないと困ります。見習いの神さま、呪
神さまは、こう言い訳した後、
「ところで達彦どん。一つ、ここで、わしの願いも聞いてく
「トホホ……」
にはメス猫がいます。
仕方がないので、翌日、再び例の場所に行ってみると、す
でに神さまは姿をあらわして笑顔で待ち受けていました。横
またここへ来てください」
うとしているのでしょうか。
れないか」
でした。
と、逆に、とんでもないことを言ってきました。勝手に猫
にされた上に、頼みごとまでされるとは、思いもよりません
「実はですねえ。ミミさんって、ものすごく可愛い猫の女の
132
「それじゃあ、おふたりさん、あとは仲良くね。わしは、お
その猫の女のコは、達彦と顔を合わせるなり、ポッと顔を
赤らめて、ぴょこんと頭を下げてきました。
「はじめまして。わたしがミミです」
告げてきました。
「必ず明日、例の場所に、ミミといっしょに来てほしい」と
それから暫くたったある晩のことです。夢うつつの中に、
あの見習いの神さまが姿をあらわしてきて、
は紛れる思いだったのでしょう。
「今度は何事だろう」
邪魔ですから、これにて失礼します」
神さまはそう言うと、さっさと、すうーっと、姿を消して
しまいました。
翌日、ミミとつれだって出かけてみると、神さまが、にこ
にこ顔で、ふたりを出迎えてくれました。
と、達彦もひどいことは言えなくなって、
ミミの方は、達彦を一目見た時から、いっぺんに気に入っ
てくれたようです。そんないじらしい仕草のミミを見ている
そうにうつむいたままでした。
姿に戻りました。
唱え続けているうちに、達彦の身体が、すっかり元の人間の
ニャ……、えぇ〜いやー、サー、サー、カーッ」
一生懸命勉強したから、今度こそしっかり呪文が叶う筈だ
と言うのです。そして、
「達彦どん。しばらく悪かったな。今日こそ人間に戻してや
「ちょ、ちょっと、待ってください」
るからな」
「おいらは飼い主から、ゴンって呼ばれているんだ……」
そして神さまは、立て続けに、
「この際だから、ミミも人間にしてしまうことにした。そう
自由律俳句
川 柳
呪文を唱え続けると、
こう言って、達彦にウムも言わせず、
今度はミミが、若い女の人に変身しました。
随 筆
定型俳句
それからゴンとミミは、すぐに仲良くなって、すっかりお
似合いの恋人同士みたいになりました。家にも連れて行って
評 論
短 歌
可愛いメス猫たったミミは、人間になっても、それはそれ
は目元がきりっとした美しい娘になっていました。
すればミミは、おまえの素晴らしいお嫁さんになるだろう」
「えぇ〜い、むにゃむにゃむにゃむにゃー。ムニャムニャム
と、挨拶をして、自分は元は人間だったことも、今に人間
に戻るつもりだとも言えなくなってしまいました。
まだと呆れながら、ミミはと見ると、ミミは、まだ恥ずかし
達彦は慌てて叫びましたが、神さまは姿を隠してしまった
まま、もう姿をあらわしませんでした。困った見習いの神さ
詩
一緒に住むようになりました。
児童文学
父も母も家の中が、にぎやかになると喜んでくれました。
一人息子の達彦の姿が見えなくなった淋しさも、これで少し
小 説
133
浜松市民文芸 60 集
「達彦や、帰ってきてくれたのか」
「まるで天女みたいだ」
彦の綺麗なお嫁さんを見る度に、
(北区)
と、誉め、羨ましがったり悔しがったりしていましたとさ。
「あんなきれいな女は見たことがない」
すっかり人間の姿に戻った達彦が家に帰ると、両親は涙を
流して喜びました。しかも、ここらでは見たこともないよう
な、きれいな娘を連れています。
「そうか、そうか。これまでどこかに、お嫁さんを探しに行
ってたんだね」
達彦は、めでたくミミと正式な夫婦になり、年老いた両親
も大喜びでした。
ところで、見習いの神さまのせいで、達彦がしばらく猫に
させられて、ゴンだったという話には、両親は心底、驚いて
いました。
また、ミミが人間に変身したことも飛び上がるほど驚きま
した。でも、おめでたいことだったので、両親も神さまに感
謝して喜びました。
お嫁さんになったミミは、美しいだけではなく、よく働き、
そして達彦の両親のことも大事にしてくれました。
そして何よりも、これをきっかけに神さまと友だちになれ
たので、達彦たちは、ずっと一生安泰、しあわせに暮らすこ
とができたのでした。
初めは頼りない見習いだった神さまも、どんどん修行をつ
んで、立派な神様になりましたからね……。
達彦は、思いがけず、大きな大きな幸運を手に入れたので
した。
隣の家に住む幼馴染の茂作や、引佐の従兄弟の順平は、達
134
恵理はそのことを通して健太に、淡い恋心を抱き始める。
そして、ロンドンでイギリス人の父親と日本人の母親から生
い毛の熊のぬいぐるみテディペアが届く。恵理は、桜の花の
児童文 学 選 評
れた恵理の父が、少年のころ、桜の咲く日本に憧れて家出し
下で健太と一緒に両親たちと記念写真を撮って、ロンドンの
たことを知る。自分の出生の秘密を知った恵理のところに、
「浜松市民文芸」が 周年を迎える。あらためて敬意を表
したい。
「浜松市民文芸」の中で「児童文学」は後発ではあ
祖父母に贈る。成長する少女の心理が、みごとに描かれてい
那 須 田 稔
るが、実は大正十三年から始まった浜松地方の文化伝統のル
る。
ロンドンの祖父母から、中学入学のお祝いの贈りものー茶色
ーツ「土のいろ」運動の創始者であった飯尾哲爾さんが、浜
かなた
話を一般市民、児童・学生から募集、受賞した大賞作品を出
民謡おどりエイサーを見る旅である。沖縄に飛行機で着くま
もうすぐ小学五年生になるという少年の空向は、沖縄に住
むおばあさんのところに、生まれてはじめて出かける。沖縄
向のひとり旅」
市民文芸賞「空
版、学校、公共施設に寄付し続けてきたことは、全国的に見
でのはらはらした気持ちや、おばあさんに出あった喜びが生
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
小学四年生の「ぼく」が父につれられて父の実家がある阿
蘇山のふもとにでかけ、そこで出あった男まさりの二歳上の
入選「阿蘇の少女」
沖縄の心・エイサーを通して祖母への愛を深めていくこの
物語は、いのちの連帯を描いた感動作である。
のメロディの話に共鳴する空向の描写は美しい。
き生きと描かれていく。とくに、まだ十九才の少女だったお
てもすばらしい児童文学運動だと評価していい。
ばあさんの、沖縄戦での不安と恐怖を慰めてくれたエイサー
さらに浜松市に本社をおく株式会社遠鉄ストアが、今年度
をふくむ実に二十二年もの間、童話大賞事業を展開、創作童
読み聞かせを続けていたことを思い出す。
松子供協会をつくり、子どもたちに創作童話や郷土の伝説の
詩
したがってこの地域の児童文学の歩みは、実に大正・昭和・
平成と続く長い歴史の中にあるといっていいだろう。
ところで今回寄せられた児童文学作品は、いずれも、豊な
感性にうらうちされた佳作ぞろいで選定に悩まされた。
市民文芸賞「春の贈り物」
児童文学
小学六年生の少女恵理は、自分の茶色い髪に悩んでいた。
その茶色い髪の謎を転校生の健太によって解き明かされてい
く。
小 説
135
60
浜松市民文芸 60 集
少女との交友をとおして、異性への心のときめきを生き生き
と描く。逞しく生きる少女が魅力的。阿蘇の大きな自然描写
がよくストーリーに溶け混んでいる。
入選「猫のお嫁さん」
親の縁談話に反抗して飛び出した若者が、神さまによって
猫にされたが、神さまの術が未熟のためにいつまでたっても
人間に戻してもらえず、あきらめるところが面白い。最後に
熟達した神さまの術によって、可愛い雌猫とともに人間とな
なりめでたく夫婦になる愉快な話。
残念ながら選には入らなかったが、「アッちゃんの一日」
は、お母さんを手つだって洗濯ものを干すはずだったアッち
ゃんが、自分のブラウスや、父親のシャツたちとつい楽しく
おしゃべりをしてしまうほほえましい作品であったことを付
記しておく。
136
評 論
[市民文芸賞]
更新されゆくもの―写真とは何か―
か」と変えたところでそれに的確な解答を出すことは大変な
を持っている。この疑問をさらに簡略化して、「写真とは何
といった類いの問題にあるような素朴ながら表現し難い性質
疑問は、「時間とはなんであるか」や「真実とはなんであるか」
には、いくつもの障壁を超えていかなければならない。この
からの写真とは何か。しかし、この素朴な疑問に答えるため
昨夏、愛知県美術館で「これからの写真展」と題された展
示会が行われた。この展示会の主題はいたって明確だ。これ
わ な け れ ば な ら な い。 こ れ が こ の 展 示 会 を 本 論 の 始 ま り に 据
異なる独自性を持っている。そのため、われわれは写真が手
にくさがあり、それは芸術一般が抱えているようなそれとは
心を抱いていない。写真というメディアそのものにその語り
うことだ。本論は、写真が属するアートワールドなどには関
ての写真といった視点から考察を始めているのではないとい
し て お き た い 点 が あ る。 そ れ は、 わ れ わ れ の 試 み は 芸 術 と し
ことで、最終的な帰結を導き出したい。はじめにひとつ留意
することから入り、その後に写真が抱える諸問題に言及する
影 山 虎 徹
作業となるであろう。
えた点である。展示会鑑賞ガイドには、以下のような目指す
はじまりの疑問
写真とは、その語りにくさに身を置く媒体である。写真は、
語られることを拒む媒体であり、何かを語ろうとすると、そ
べき進路が書かれている。
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
の届く範囲の中においてこの問題に対する何らかの帰結を行
す こ と を 狙 い と す る。 そ の た め に、 こ の 展 示 会 の 試 み を 考 察
の内容はすぐにそこに写っているもの(被写体)に場所を奪
詩
われ、
被写体に対しての言説を繰り返すことになる。本論は、
児童文学
そのような写真の語りにくさに身を置き、写真の特質を見出
小 説
137
浜松市民文芸 60 集
この展覧会では写真を一面的な見方から解放することを
田村友一郎が作るカメラ・オブスキュラでは、写真は「歴
史上の事実/幻視者の妄想」ではない。
/被写体か」ではない。
印画紙以外に印刷された加納俊輔の写真は「二次元の作り
物/三次元の現実」ではない。
目的としています。「写真は芸術か否か」。これらイエス
かノーかを問うような問いから写真を自由にすること
で、 写 真 の こ れ か ら が 見 え て く る の で は な い で し ょ う
か。
(展示会鑑賞ガイド)
場所や時間が分からない写真、映像をみせる川内倫子にと
って写真は「静止画/動画」ではない。
鉱山を発破する瞬間を撮った畠山直哉の写真は「機械によ
る記録か/芸術表現か」ではない。
を導き出している。とりあえず、それらを列挙してみよう。
れ、様々な二項対立を否定するかたちで、
「これからの写真」
「これからの写真」もしくは、その解答の糸口として挙げら
この展示会には、日本の写真家9名の写真が展示されてい
る。これらの写真家たちのそれぞれの作品は、
はそれらが気持ち良い程きっぱりと切り捨てられている。こ
井卓の写真に見るそれ)、いわゆる写真の定義と考えられて
に賛同できないもの(川内倫子の写真に見るそれ)もあるが、
たい。この二項対立の否定が提案するもののなかには、一概
備えているものだという提案をしていることを確認しておき
されるものではなく、写真とはこのような二項の性質を兼ね
写真をめぐる二項対立
どこにでもあるスポンジを撮った鈴木崇の写真は「何が写
っているか/どう見えるか」ではない。
とではなく、これらの二項対立がすべて否定されているとい
それぞれの二項対立に関する否定は、それぞれ挙げられた
二項を否定しうるものではない。この二項のどちらかに分類
過去の物品を撮った新井卓の写真は「過去か/現在か」で
はない。
次のように語る。
な発想を導く可能性があると考え、(中略)この写真の
写真の定義できなさこそ、一元的な語り口を退け複眼的
うことにある。その理由を愛知県美術館学芸員の中村史子は
こで重要なことは、ひとつひとつの二項対立の是非を問うこ
きたもの(木村友紀の写真に見るそれ)も見られる。ここで
これまで写真メディアの特質であると思われてきたもの(新
被災地にいる人々を撮った田代一倫の写真は「大災害とい
う非日常か/普通の日常か」ではない。
木村友紀が展示する誰かが撮った用途不明の写真は「過去
のイメージか/今、出会うイメージか」ではない。
写真家と被写体がともに写る鷹野隆大の写真は「写真家か
138
多義性、定義できなさをむしろ「写真」という概念の可
塑性と見なし積極的に価値を見いだすことはできないだ
バルトによる対立構造は、争いを起こさせどちらかひとつ
を選びとるものでは決してない。この対立の働きは「つねに
写真における優れた論考を書いたロラン・バルトが使用して
るように思われる。ここで行われている二項対立の否定は、
てここに何の生産性もないと言ってしまうことは、軽率すぎ
この展示は始まりから終わりまでわれわれに同じこと(写
真の「定義できなさ」)を伝えているのだが、だからと言っ
の終わりにあるものは、この写真の「定義できなさ」である。
ここでは、写真の「定義できなさ」を肯定的に捉えようと
する姿勢がうかがえる。本展示の出発点でもあり、その導き
な活動なのである(バルト、2006)。バルトの思想は、
に関係するゆえに「中性」を生み出すことは、熱烈で情熱的
ののことを指す。それは構造を崩壊させる活動であり、強度
であり、正確に言えば、パラディグムから逃れるすべてのも
とは、潜在的な二項対立であるパラディグムの裏をかくもの
とは、二項における第三項を生み出すのではない。「中性」
れるもののことをバルトは、「中性(Le Neutre)」
新たな関係を生成させることを企図している。この生み出さ
ろうか(中村、2014、13)
いたそれに近似している。バルトの二項対立について同じく
暫定的で、いつでも訂正、流動化、圧縮を受け入れるもの」
写真に関する重要な理論を展開したスーザン・ソンタグは次
自身が好んで用いた二項対立、そこから発生する「中性」の
としての能力であった、どんなものでもそれ自身と対立
ったのは、生々とした二項対立を呼び出すアフォリスト
バルトが所有していた諸々の手段の中で一番の基本とな
なコードとして存在する。しかし、その「コードのなさ」ゆ
のないメッセージ」であり、それ本来としては純粋な外示的
あるものだからである。バルトによると、写真とは「コード
ら、写真は二項対立の崩壊の先にある生成こそ、その本質が
な 彼 が 晩 年 興 味 を 惹 か れ て い た の は 写 真 で あ っ た。 な ぜ な
川 柳
項にあるいはそれ自身の二つの在り方に分断され、次に
自由律俳句
は一方の項が他方の項に対置されて、思いがけない関係
定型俳句
えに制作段階、鑑賞段階で制作者の意図に合わせたコード、
短 歌
鑑賞者の読み取りに合わせた共示的なコードが付け加えら
概念と同じように常に流動的で柔軟なものであったが、そん
という言葉で表現をしている。確認しておくが、
この
「中性」
(ソンタグ、
106)
なのだ。バルトの使用する二項対立は、
のように言う。
詩
を生むことになった。(中略)バルトが分類を持ち出す
随 筆
のは事態を開かれたままにしておくためなのだ(ソンタ
評 論
れ、写真は神話的になってしまう(バルト、2007)。そ
児童文学
グ、104│106)
小 説
139
浜松市民文芸 60 集
この付け加えられるコードが新たに生み出されてきた。そし
ろう。写真をめぐる環境が変化した今日の状況においては、
のうちの代表的な共示的コードが、「芸術的批評コード」だ
う段階を踏むこととなり、例えばバルトが唱えた写真のノエ
により光電変換、量子化、コンピュータによる情報処理とい
は、光ではなくデータを通してのものとなった。デジタル化
)〉
)の確
証性は疑われるものとなった。写真のデジタル化問題は、多
t
マ(〈それは・かつて・あった(
a・a・
て、それは同時にそのことから新たな二項対立が生み出され
相違が見られる。飯沢耕太郎は、デジタル写真はもはや写真
ではないという考えからデジタル写真を「デジグラフィ(d
6)
、バルトは被写体の存在が光という媒質に取って代わり
は 写 真 を イ コ ン 的 な 性 質 を 持 つ と 言 い ( パ ー ス 、1 9 8
より現前されるものとされており、この点を指摘してパース
ろう。写真は、これまで光の痕跡が印画紙に写されることに
とりわけ大きな影響を生んだものはデジタル写真の誕生であ
のごとく行われるようになっていく。写真技術の発展の中で
いう行為はわれわれの身体が持ち合わせている機能であるか
て出かけるという意識を持つ必要もなくなり、写真を撮ると
帯電話にカメラ機能が搭載されるようになるとカメラを持っ
れ写真撮影がより一般市民にとって身近になった。さらに携
1981年に富士フィルムからインスタントカメラが発売さ
新たな二項対立を生んでしまう大きな要因に、われわれを
取り巻く写真技術そのものの変化があげられる。日本では、
テムが成り立っているため、デジタル写真の物理的な関係は
的・光学的変換システムにおいて保たれた規則的な変換シス
哲学者である荒金直人はこの問題に対して、光電変換、量
子 化、 コ ン ピ ュ ー タ に よ る 情 報 処 理 と い う 段 階 の 中 に 科 学
が切断されるとみるか否かという点にある。
真などのアナログな写真の中で保持されていた物理的な連鎖
相違であり、とりわけここで問題となっているのは、銀塩写
とデジタル写真もアナログ写真の一部であるという考え方の
タル写真は既にアナログ写真とは別のものであるという立場
ジタル/アナログ写真」と呼ぶべきであると言う。このデジ
る(港千尋、2001)。よって港は、デジタル写真を「デ
も、「デジタル」画像なるものは存在しないという立場をと
もそもデジタル的な操作(演算)を経て再構成されたとして
グ的な手段によって出力される必要があり、したがって、そ
egigraphy)
」 と 呼 ぼ う と す る( 飯 沢 耕 太 郎、
鑑賞者に触れにやってくると言った(バルト、1985)。
2 0 0 4)
。一方で、港千尋は一切の画像は物質的にアナロ
しかし、デジタル化されることにより写真と鑑賞者との交流
写真技術の変貌
ることを示している。それらを再び洗い出すことによって、
é
くの写真批評家により取り上げられており、そこには意見の
é
現在写真を取り巻く諸問題を整理することができるだろう。
Ç
140
影後、自由にレタッチやトリミングするといった加工に関す
れよりも画像の利用に関して大きな影響を与えた。それは撮
デジタル化という問題は画像生成過程に関してではなく、そ
ことはないと言うことが可能であろう。実を言うと、写真の
撮られようとアナログで撮られようと写真の本質を覆される
る根本的な部分はこのことにある。暫定的には、デジタルで
ることによって経験するためであり、写真のノエマにかかわ
金、2009)。これは、被写体の過去の存在を鑑賞者が観
的 な つ な が り を 鑑 賞 者 が 実 感 で き る こ と で あ る と い う( 荒
つながりよりも重要なことは、写真を観た結果として、物理
保たれる、と指摘している。さらに、荒金によると物理的な
ていく。しかし、これらは当時、写真作品としては認められ
撮影した写真をアルバムにおさめて愉しむような習慣ができ
でも日常の出来事や親しい人を撮影することが可能になり、
しかし、コダック社が現在のインスタントカメラを先取り
するようなロールフィルムを発明したことにより、一般市民
余裕のある上流階級しか写真を愉しむことができなかった。
写真の歴史を振り返ると、その草創期においては写真機の
設備や費用の問題から設備の整ったプロの写真家や経済的に
いるように思われる。
環境の変化は、写真の「作品化」という意識の変化を生んで
なった。このような写真技術、ならびに写真の公開をめぐる
真との差別化を図ろうとする行為も一般的に行われるように
うな事態は、1960年代を境に急転していく。
ておらず、あくまで個人的な愉しみに過ぎなかった。このよ
る問題や写真の流用に関する問題である。
SNSによる写真への影響
フスキーが見出し、MoMAに展示したのだ。このことから
めたファミリー写真を、ニューヨーク近代美術館(以下 M
oMA)の写真部門ディレクターであったジョン・シャーカ
ブルジョワ階級に属していたアマチュア写真家ジャック=
アンリ・ラルティーグが身の回りの日常や家族友人を撮りた
は、美術館やギャラリーなどに展示されることで他者への発
今まで個人的な記録とされてきた「私写真」の魅力が発見さ
今日、この問題が顕著に表れているのがSNS(ソーシャ
ル・ネットワーキング・サービス)の場であろう。これまで
表が行われてきた写真は、SNSにより世界中の不特定多数
れ、その後の写真家の作品にも個人的な対象を撮った「私写
川 柳
の他者に対し写真を公開することが可能となった。例えば、
自由律俳句
近年日本の女子校生を中心に盛り上がりをみせた「マカンコ
定型俳句
真」が多く見られるようになる。ラルティーグが、写真を撮
短 歌
る際にそれを作品化することを意図していたのかどうか定か
詩
ウサッポウ」写真は、世界中に広まり海外でもこれを真似て
随 筆
撮影されるムーブメントが起こった。この撮影→公開という
評 論
ではないが、彼の写真がMoMAに展示され、彼の死後も大
児童文学
流れが確立されると写真加工なども積極的に行われ、他の写
小 説
141
浜松市民文芸 60 集
たこと、
「複製品がそれぞれ特殊な状況のもとにある受け手
れる。これは、ベンヤミンがアウラの消滅と同時に語ってい
界の中で残り続けるという循環の顕著な表われであると思わ
このことは、写真を撮り、写真を不特定多数の他者に公開
し、それが撮影者から一人歩きし(ネット上という仮想)世
なった。
ハ」写真や「ハリー・ポッター」写真なども撮られることと
が生まれた。そして、この循環の中で枝葉ができ「カメハメ
れ、さらにそれが模倣され撮影され公開され……という循環
れ る 写 真 が 撮 ら れ た。 そ れ ら の 写 真 は 再 び ネ ッ ト に 公 開 さ
先ほど挙げた「マカンコウサッポウ」写真についてもう一
度取り上げてみよう。写真の公開後、世界中でそれが模倣さ
ること→公開することといった流れを一般化した。
しかし、SNSによる写真をめぐる環境の変化は、写真を撮
写真」
とは、親しい間柄だけで愉しむものだったからである。
ことは予想していなかったと思われる。なぜなら、以前は「私
2013年に東京都写真美術館で展示会が行われた)になる
勢 の 人 に 写 真 を 見 ら れ る こ と( 記 憶 に 新 し い も の で 言 う と
性の出現により崩されることになるだろう。
見出させた。しかしながら、やがてこの二項対立も「中立」
新たな二項対立(
「他者との共有か/個人的な思い出か」
)を
です」への変化)。この撮影における意識の変化は、写真に
る。(なんのために写真を撮るのですか? ︱︱「この先そ
れを見て愉しむためです」から、
「撮った写真を見せるため
心的な広がりを見せ、次なる「作品化」を生むという点であ
たせたことにあると思われる。そして、この「作品化」が遠
SNSが写真に与えた重要性は、不特定多数の人に見せる
という意味で写真を「作品化」するという意識を撮影者に持
のことである)。
ことを前提として撮影が行われるという撮影者の意識レベル
れが果たして、作品と呼ぶにふさわしいものかどうかはここ
写真を「作品」として扱うことができるようになった。
(そ
誰かに見せることを前提に写真を撮るという意味であらゆる
を個々人がどの程度持っているのかは分からないが、それは
を生んでいるのだ。そこから生まれた「作品化」という意識
で写真を撮ってみようという行動を起こさせるまでの現前性
写真は、コードの誕生→二項対立の成立→二項対立の崩壊
→別のものの生成といったものの反復を繰り返す。ある意味
写真の語りにくさ
では重要でない。ここで問題としているのは、誰かに見せる
のほうに近づけることによって、一種のアクチュアリティを
生み」
(ベンヤミン、1999、15)出すことが起こるとい
う複製技術時代の芸術作品の系譜をクラウド場において実現
していることに他ならない。つまり、アウラが消滅している
が(
「マカンコウサッポウ」写真のオリジナルなどさして問
題にならないし、そこにアウラはないだろう)、受容者の側
142
でも写真と被写体との強力な密着性から始まり、結論部で再
される。同じように、バルトの代表的な写真論『明るい部屋』
きなさ」から始まり、その「定義できなさ」が結論として出
であるとも言える。本展示会のその図録でも写真の「定義で
写真を語るということもそのような反復の中に身を置くこと
ではこれが、写真メディアの持つ特質かもしれない。そして、
る。バルトは、このことを次のようにまとめている。
れわれの前に現れるということを忘れてはならないのであ
(これは、先に触れた光の問題から言うことができる)、わ
いうことだ。つまり、この「過去の現実」が直接的に示され
つてそこにあった〉リンゴについて語らなければいけないと
るときに、再認におけるリンゴについて語るのではなく、
〈か
いることも確認できる。(「何ということだ! 最初の一瞥で
わかることを明らかにするために、一冊の本をそっくり充て
かれる何年も前から別の著作においてバルト自身が言及して
エマであるとした〈それはかつてあった〉も、この著作が書
に か か わ る と い う こ と で あ る。 現 象 学 的 観 点 か ら 見 れ
事実確認性は対象そのものにかかわるのではなく、時間
は、分析の正しい道ではない。重要なのは写真がある事
写真が類同的であるかコード化されているかを問うこと
度その問題が繰り返される。更に言えば、バルトが写真のノ
るというのか」(バルト、1985))。
= 再 現 の 能 力 を 上 ま わ っ て い る の で あ る( バ ル ト 、
い。われわれが写真を見たときに目にするものは、写真その
つてそこにあった〉が〈いまはここにない〉ということを同
の前に何かが存在したという事実が重要なのだ。そして、〈か
つまり、極論を言えば、写真に写っているものが何かとい
うことが重要なのではなく、過去のある時点においてカメラ
ば、
「写真」においては、確実性を証明する能力が表象
実確認能力をもっているということであり、「写真」の
最後に、改めてその写真の語りにくさがどこから来るのか
を考えてみよう。それは、われわれが気軽に触れておいた点、
1985)
ものではなく被写体の形象である。写真が被写体に関して共
時に示す「時間の圧縮」こそが写真のもつ驚きなのである。
川 柳
同自然体であるということが語りを写真から被写体へ移項さ
自由律俳句
せてしまうことの原因として挙げられる。写真について語る
定型俳句
このことは、最終的に何を意味するか。それは、写真を見る
短 歌
ことが個別的なものを見るということを意味している。リン
る た め、 わ れ わ れ は 写 真 そ の も の を 常 に 見 る こ と が で き な
写体の密着性に由来するものである。この密着性は強力であ
写真の言説が被写体に奪われてしまうというような写真と被
詩
際に被写体を避けて通ることはできないのだが、ここで重要
随 筆
な点は写真の中の被写体ということを忘れてはならないとい
評 論
ゴの写真を見たときに、われわれが目にするものは、リンゴ
児童文学
うことにある。例えば、リンゴが写っている写真に対して語
小 説
143
浜松市民文芸 60 集
て形成されたパラディクムは、もはや写真の特質を捉えはし
される個別的な被写体を見る。そのとき一般的な概念によっ
写真の語りにくさは、一般的に語り共有することの不可能
な個別的な体験が根底にある。われわれは写真によって証明
である。
的なものを目撃したという体験こそが本来的な写真体験なの
的なものに還元される。そして、この時間を飛び越えて個別
実性を証明する写真にとって、そこに写るリンゴは必ず個別
いミメーシスだからである。光を媒質にし、時間において確
この世に存在しないリンゴであり、実際に現実のものではな
たとしても描かれたリンゴは画家の筆跡によって表象された
見ることができない。なぜなら、どれほど精確に描かれてい
合、事情は異なる。描かれたリンゴであれば後者のリンゴは
にカメラの前にあったリンゴである。これが絵画であった場
こそが写真本来の在り方ではないだろうか。
う。写真は全てを受け入れ、常に更新を行う。そして、これ
行う特定的ではない暫定的なものとしての写真であるだろ
環境や言説の影響を受け「いつでも訂正、流動化、圧縮」を
る。この展示会が目指す方向にある写真とは、自身をめぐる
である。
それは、
一般的な概念により固定されることにより、
度に壊し、自身の新たな可能性を導き出すことができるから
ことである、と。なぜなら、写真は生まれた二項対立をその
味で写真が二項対立を生むことは、写真自身にとって幸せな
準備段階として二項対立の成立が不可欠なのであり、ある意
とができる。関係の崩壊から別のものを生むためには、その
質を更新していく。このことは、逆説的に次のように言うこ
の生成という過程を踏むことによって写真のメディア的な特
対立を生むメディアである。しかし、それと同時に二項対立
ここまで写真を語る上での困難さと、写真を取り巻く言説
の発生を確認した。写真は自身の持つ性質ゆえに多くの二項
一般から導き出される概念ではなく、まさに過去のある瞬間
ないだろう。なぜなら、それらはすでに概念として固定され
るため、写真につきまとう二項対立は、それ自身の個別性に
い。写真には、そのような一般化には還元できない性質があ
荒金直人 2009 『写真の存在論―ロラン・バルト『明
○引用・参考文献
そこから逃れ出ている個別的な写真を見出だす行為なのであ
た二項のみを対象とするからである。写真の持つ個別性は、
より必ず崩壊されていくのである。
るい部屋』の思想』
慶応義塾大学出版会
飯沢耕太郎 2000 『私写真論』
筑摩書房
本来そのような一般化される概念に当てはめることはできな
結びにかえて
飯沢耕太郎 2004 『デジグラフィ―デジタルは写真を
殺すのか?』
中央公論新社
144
ヴァルター・ベンヤミン 1999 『複製技術時代の芸術』
(佐々木基一訳) 晶文社
スーザン・ソンタグ 2009 『書くこと、ロラン・バル
トについて』(富山太佳夫訳) みすず書房
チャールズ・サンダース・パース 1986 『記号学』(内
田種臣訳) 勁草書房
中村史子 2014 「光源はいくつもある―写真の多義性
をめぐって―」『これからの写真 Photography
Will Be』
7・19
港千尋 2001 『第三の眼―デジタル時代の想像力』
廣
済堂出版
ロラン・バルト 1985 『明るい部屋 写真についての
覚書』
(花輪光訳) みすず書房
ロラン・バルト 2005 「写真のメッセージ」
『映像の
児童文学
評 論
随 筆
(南区)
修辞学』
(蓮實重彦他訳) 筑摩書房 49・81
ロラン・バルト 2006 『〈中性〉について』(塚本昌則
訳) 筑摩書房
小 説
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
145
[市民文芸賞]
やまのうえの お く ら
上憶良
中 谷 節 三
くだら
わ
に
済から王仁
第わ十に五き代し応神天皇の十六(二八五)年の時、百
『論語』十巻、『千字文』一巻を献上
(和爾𠮷帰)が来朝し、
得し、始めて文字あり」と。
中国の史書『隨書倭国伝』に、「倭国には文字無し、たゞ
木を刻み、縄を結ぶなり。仏法を敬す。百済に於て仏経を求
した。
のも万葉集そのものであり、そこに万葉集の原点が存在する
民の古代の世は平和で幸福であった」という幻想を打破った
と思う。
『論語』は中国の経書で、孔子の言行や、弟子たちとの対
話 を 記 し た も の で あ る。
『千字文』は二百五十句の四言古記
やまと
和)には文字が無かった。古代人の生活は、
古代の日本(大
地形や気候に左右されることが多く、漁労、狩猟中心の生活
東省の名家出身)の筆跡を集字したものとの説もある。自然
から成る一千字の書。王羲之(四世紀の中国の書の神様。山
し
から稲作農耕へと変っていった。人々は神々が自然を支配し
現象から人倫道徳に至る百般の知識用語を集録。これらが日
かわちのおびと
あ ち の お み
われる。百済より帰化し飛鳥地方に居住した。
あすか
で東文氏がある。彼らは東漢の分かれた阿知便主の子孫とい
ふみのおびと
がやがて男女の言葉の韻律の歌謡として成長し、足を踏みな
れ ばしり
やまとのおび
本語の漢字の基礎となった。
唐の民間行事の由来より伝来した。
やまとふみ
らしての「歌垣(宇多我岐)」へとなった。
ら
首の祖先となり、後世の 西 首 氏で河内地方に定
王仁は文
着し、わが国政府の記録に関する業務を司った。西首と並ん
あ
40
日を節日となし、この節会を踏歌(阿良礼走)という。隨・
ふみうた
大宝元(七〇一)年春正月(文武天皇)大極殿に御わしま
して朝を受けたまふ(踏歌節会の宴)。(雜令 )に正月十六
おう ぎ
ていると考え、収穫期には神前に供えて神事を行った。それ
万葉集は「上は天皇から、下は農民まで作歌する純朴雄渾
な歌集で、その世界はまことの心で貫ぬかれていて、一君万
序(漢字と仏教)
山
浜松市民文芸 60 集
146
在の天理市辺りで育ったらしい。この時の遣唐使は七〇二年
の侍医憶仁の子で四才であった。縁あって粟田氏の族領、現
の六六三年、白村江の戦いで滅亡した百済よりの亡命帰化人
まかみのはら
き
3
いでま
3
3
かはしま み
こ
作歌の内容より、仏教関係に関与していたのではないかと私
渡唐、二年後の七〇四年に眞人と共に憶良も帰朝した。憶良
席であった。万葉学者︱中西進氏︱によると、憶良は天智朝
巻を献る。
明天皇十三(五五二)年冬、十月に百済の聖
第二十九代ま欽
だ
し ゃ か ほとけ かねのみはたひとはしら はたきながさそこら きょうろんそこらの
明王、人を遣して釋迦仏の金銅像一軀・幡蓋若干・経論若干
この時、四十五才。彼の前半生は一切不明であるが、後年の
かむなづき
(この条は仏教伝来の記事として有名である)
は考える。在唐時、唐の知識人との交際で多くの物を学び、
ま き た て まつ
仏教は前五世紀の始め、インドの釈迦が始めた宗教哲学。
(人間苦悩の解決方法を教える)前漢、東晋を経て、高句麗、
多数の漢籍書、仏典などを持ち帰った。
しゃか
百済など朝鮮半島に入った北方仏教〔大乗仏教︱一切衆生 し つ う ぶ っ しょう
悉有仏性(生きとし生きるもの全てに仏性がある)〕である。
みのり
な
むく
いっさいしゅうじょう
日本へは六世紀に伝った。
何時であったであろう。
(唐より帰国
憶良の最初の作歌は
時の︱いざこども︱は除いて)
ぼだい
ぼんのう
菩提を成辨す。(煩悩を去って仏道に悟入すること、または
「此の法は周公・孔子も尚知りたまふこと能はず。(儒教に
いざないむくい
な
すなわ
すぐれ
対する仏教の優位を主張)福徳果報を生し、乃至ち無上たる
仏果を得て浄土に往生すること)」
を は り だ
やすま
伊の国に幸す時に、川島皇子の作らす歌
紀ある
いは「山上憶良作る」といふ
或
た む け くさいく よ
○ 白浪の浜松が枝の手向草幾代までにか
経ぬらむ (三四)
年の
あすか
小墾田の家(奈良県明日香村の一帯)に安置せまつる。向
はら
ぐ わんこうじ
きよ
はら
原(元興寺)の家を淨め捨いて寺とす。
鳥の眞神原
短 歌
3
3
ながつき
定型俳句
3
元興寺は、崇峻元(五八八)年、蘇我馬子が飛
に建てたわが国最初の寺。
山上の歌一首
○ 白波の浜松の木の手向草幾代までにか
経ぬらむ (一七一六)
年は
やまのうえのおくら
随 筆
けんとうしつせつし
右の一首或いは曰はく、川島皇子の作りませる歌なりとい
へり
む
あ わ た の あそ み ま ひ と
山上憶良
しよく に ほ ん き
憶良」の名を史書に初見するのは、『続日本記』(以
「山し上
よくき
下『続記』とする)の巻第二︱文武天皇の大宝元(七〇一)
月、持統天皇の紀伊行幸があった。
持統四(六九〇)年の九
その時、従駕した川島皇子の作という(
『書記』
)眞面目に考
ひのと と り
す。
」以下随員の中の最後に「尤位山於憶良を少録」とある
評 論
川 柳
年 春 正 月 二 十 三 日 丁 酉 に「 粟 田 朝 臣 真 人 を 遣 唐 執 節 使 と
児童文学
自由律俳句
えれば、これでは誰の作だか不明である。憶良は史上にまだ
詩
のが最初である。少録は大録と共に遣唐使の書記で少録は次
小 説
147
(一)
(九)
浜松市民文芸 60 集
き
現れておらず、紀伊の国に行く筈はない。前述のように大宝
こ
元(七〇一)年、遣唐使少録として指命された時が初めてで
ある。
ありまの み
ひつぎのみこ なかの
第三十六代孝德天皇の遺兒、有間皇子は斉明四(六五八)
年十一月、紀の湯の坂で、謀られて無実の罪で絞殺された。
おおえの み
こ
みづか
と
のたま
十九才であった。『書記』では次のように記す。〔皇太子(中
あめ
あかえ
大 兄 皇 子、 の ち の 天 智 天 皇 ) 親 ら 有 間 皇 子 に 問 い て 曰 は く
なんのゆえ みかどかたふ
おのれもは
し
「何故か謀反けむとするか」と「天(中大兄)と赤兄(蘇我)
と知らむ。吾全ら解らず」ともうす〕有間皇子を謀反人とし
て中大兄皇子と蘇我赤兄が皇位継承問題で仕組んだ謀略事件
であった。
こ の 事 件 は 多 く の 世 人 の 同 情 を 呼 び、 四 十 年 後 の 大 宝
(七〇四)年間で結び松を通じて皇子を追募している。
挽 歌 いた
有間皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首
い わしろ
代の浜松が枝を 引き結び
岩
も
いひ
くさまくら
ま幸くあらば また帰り見む(一四一)
げ
飯を 草枕
家なれば 筍に盛しる
い
は
も
(一四二)
にしあれば 椎の葉に盛る な旅
が の い み き お き ま ろ
かな
○長忌寸意吉麻呂 結び松を見て哀咽しふる歌二首 (略)
や ま の うえのおくらおみ
○山上憶良臣が追和の歌一首
翔り あり通ひつつ 見らめども
あ まかけ
天
人こそ知らね 松は知るらむ(一四五)
ひつぎ ひ
くだり
き
いでま
右の件の歌どもは 柩を挽く時に作るところにあらずとい
うた こころ
なずら
へども 歌の意を准擬ふ。
この故に挽歌の類に戴す。
かのとうし
○柿本人麻呂の歌
丑に、紀伊の国に幸す時に、結び松を見る歌一
大宝元年辛
柿本朝臣人麻呂歌集が中に出ず(後人の追和である)
の ち み
きみ
むす
いわしろ
首
後見むと 君が結べる 岩代の
こ ま つ
小松がうれを またも見むかも(一四六)
憶良、遣唐使より帰朝の年、慶雲元(七〇四)年に四十五
才、晩年の歌にくりひろげられる個性は、最も早いこの初作
の歌にすでに息づいているということが感じられる。
(万葉集注釈︱伊藤博)
万葉集巻五
万葉集巻五は、極めて特異な一巻である。
○巻一は持統万葉といわれ、歌人三十数名〔舒明(六二九︱
六四一)辺りから始まる〕
○巻二は元明万葉といわれ、歌人四十名、和銅五(七一二)
年まで。
○巻三は天平十六(七四三)年まで、七十名。
○巻四は元正万葉といわれ、天平十七(七四四)年の歌で終
り、八十名の作者を数える。
148
ところが巻五は、その趣を一変して太宰師(大宰府長官)
おおとものたびとまえつきみ つくしのみちのくにつかさ
大伴旅人郷と築前国守(今の福岡県知事)山上憶良二人の個
終る三十数名の作者。
○巻六は養老七(七二三)年より、天平十七(七四四)年で
麻を植えて布を織り、粟、麦、そばなどを栽培した。農村の
ネ以外の雜穀の占める割合が高かった。桑を植え、
蚕を飼い、
の収穫だけでは一年間の主食すら賄えられなかったから、イ
三六〇歩)、女はその三分の二であった。口分田が支給され
な る と 口 分 田 が 支 給 さ れ た。 一 人 当 り 男 は 二 反( 一 反 は
たん
人的歌巻と言える。神亀五(七二八)年から始まり、天平五
九八%は貧戸であった。租に加え更に庸(労働)調(布)な
し
めぐ
あつ
ある
つと
やさ
よう
かいこ
つぎ
(後略)
」
られている。農民達が作者だと言っても、字も知らず、紙も
は名前もわから
貧窮にあえぐ農民ではあったが、巻十四に
あづまうた
ない無名の東国の農民の歌が全二三〇首「東歌」として集め
山上憶良 頓首謹上
天平四(七三二)年の訃
しと恥しと思えども
○世の中を厭
とり
にしあらねば
飛び立ちかねつ鳥
う
しなければならない人間苦として訴えてはいるが、この現実
さきもり
どを押しつけられ、国司による郡司、里長を手先としての雜
あわ
ると租(税金の納入が収穫量の約三%)が課された。口分田
そ
( 七 三 三 ) 年 で 終 る 五 年 間 の 歌 巻 で あ る。 憶 良 の は、 長 歌
役、更に東国よりの防人の徴発などの負担は朝廷を支へ、こ
ぞくぐん
だざいのさち
十一首、短歌五十首を数える。
れが日本の律令国家の国民(農民)の姿であった。
おもむき
憶良が築前国守として任地におもむいたのは神亀三
(七二六)年であった。和銅七(七一四)年正月に從五位下
ところ
み
こりょう
及臣に叙せらている。(『続紀』)以後位階の動きは卒するま
の任にあった憶良に、
農民の姿は
『貧窮問答歌』
「築前国守」
の中で「すべなきものか、世の中の道」と、この窮状は除去
おみ
で無かった。国守の任務は、戸令に次のように規定されてい
ひと
とくしつ
ふうぞく
る。
およ
しようきやう
としごと
から逃れることは出来なかった。
あき
くる
すす
大化の改新(六四五年)は、中国の律令制度にならった公
地公民制に基く、中央集権的支配体制を打ち建てようとした
定型俳句
自由律俳句
川 柳
無い彼等が部落での収穫などの集まりで歌われる民衆歌が伝
短 歌
わったものであろう。
ものであったが、天武元(六七二)年の壬甲の乱などの曲折
母慈、兄友、弟恭、子孝)を喩し、農耕を勧め務めしめよ。
さと
に効察し)百姓の憂へ苦しぶ所を知り、敦くは五教(父義、
うれ
し)
、詳らかに政刑の得失を察(政教及び刑罰の良否を詳細
くにのかみ
凡 そ 国 守 は、 年 毎 に 一 た び 属 郡 に 巡 り 行 い て、 風 俗 を
「
み
ひゃくねん
と
しゆづ
ろく
えんおう
をさ
さいばん
ふせい
たゞ
見、百年を問ひ、囚徒を録し、冤桂を理め(裁判の不正を正
詩
を経て大宝元(七〇一)年大宝律令の制定までに多くの日時
随 筆
を要した。
評 論
農民の間によろこびの歌は少く、なげきやもだえが多いの
児童文学
律令国家の戸籍は六年に一度登録されるので、六才以上に
小 説
149
浜松市民文芸 60 集
聞
へ
はやし
な
た
も、彼等の境遇を考え、男女間の相聞の歌が多いのも当然の
相
き
ことであろう。
あらたま
玉の伎倍の林に 汝を立てて
○ 麁ゆ
い
さきた
行きかつまして 寝て先立たね(三三五三)
き へ びと
ふすま わた
○ 伎倍人の まだら衾に綿さはだ
い
いも
をどこ
(三三五四)
入りなよしもの 妹が小床に あらたま
右の二首は遠江の歌(麁玉は浜北区)
「東歌」の成立は天平十七(七四五)年。
中の傑作として名高い歌。
「東歌い」
ね つ
わ
て
こよい
す
す
ろ
搗けば かかる我が手を 今宵もか
○ 稲
との
わくい
なげ
の若子が取りて 嘆かむ (三四五九)
殿
ち
き
そ
へ
ど
も
さむき よ
す
ら
を
わ
れ
よ
り
も
まづしきひとの
貧 窮 問 答 歌 一首并せて短歌
か ぜ ま じり あめ ふ る よ の
あめまじり ゆき ふ る よ は
風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波
かたしお を とり つ づ し ろ ひ かす ゆ さけ
す べ も な く
さむくし あ れ ば
爲部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒
ひ て
し は ぶ か ひ
はな び し び し に
し か と あ ら
う
ご と
宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毗之毗之尓 志可登阿良
ぬ
ひ げ か き なで て
あ れ を お き て
ひと は あ ら じ と
ほ こ ろ
農 比宣可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂
へ ど
さむくし あ れ ば あさぶすまひき か が ふ り
ぬの か た ぎぬ
あ り の こ
倍騰 寒之安礼婆 麻被引可賀布利 布可多衣 安里能許
と
し
と
い
へ
ど
あ
が
た
め
は
さく や
な
り
ぬ
る
ひ
等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 ちちはは は
うゑこゆ ら む
め こ ども は
こひ て なく ら む
このとき は
い か
父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞弖泣良牟 此時波 伊可
に し つ つ か
なが よ は わ た る
尓之都々可 汝代者和多流
ろ
呂之等伊倍杼 安我多米波 狹也奈里奴流 日
ひ
比
あめつち は
天地者
つき は
あ か し と い へ ど
あ が
た め
は
てり や た
ま
は ぬ
ひとみな
月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻婆奴 人皆
あの み や し か る わ く ら ば に ひ と と は あ る を ひ と
か
可 吾耳也 之可流 和久良婆尓 比等々波吾流乎 比等
な み に
あ れ も なれるを
わた も な き
奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎
ぬのかたぎぬ の
み る の ご と
わ わ け さ が れ る
か か ふ の み
かた
布肩衣乃 美留乃基等 和々気佐我礼流 可々布能尾 肩
に うちかけ
ふ せ い ほ の
亦打懸 布勢伊保能
ま げ い ほ の うち に
ひたつち に
わらときしき て
麻宣伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而
ちちはは は まくら の か た に
め こ ど も は
ぬ
か
く
ば か
り
父母波 枕乃可多尓 妻子等母波
あし の かた に かこみ い て
うれへさまよふ
足乃方尓 囲居而 憂 吟
か ま ど に は
ほ け ふ き た て ず
こ し き に は
く も の す か き
可麻度柔播 火気布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎
て
いひかしく こと も わ す れ て
弖 飯炊 事毛和須礼提
ぬ え どり の
の ど よ ひ をる に
い と の き て
奴延鳥乃 能抒予比居尓 伊等乃伎提
みじかきものを はし き る と
いへるがごとく しもをとる
短物乎 端伎流等 云之如 楚取
さ
と おさ が こ え は
ね や ど ま で
き たちよば ひ
う
し と
や さ
し と
お
も へ
ど も
)
五十戸良我許惠波 寝屋度麻弖 来立呼比奴 可久婆可里
す べ な き も の か
よのなか の みち
(八九二)
須部奈伎物能可 世間乃道 よのなか を
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍抒母
とびたち か ね つ
とり に し あ ら ね ば
飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆 八
( 九三
山上憶良頓首謹上
かぜあめ
(前記文を和訳してみる。
)
そで
風雨にまじって雪の降る夜は、寒くして仕方が無いので、
かたしお
かすじる
せき
堅塩や糟汁をすすったりして、しきりに咳こみ、ひげをかき
しをありったけ着重ねるのだが、自分よりもっと貧しい人の
撫でては、それでも寒いので、麻ぶとんをひっかぶり、袖無
150
父母は、さぞかしひもじく寒がり、妻子は物をせがんで泣い
ひ つき
ているであろう。いったいどのようにしてこの世をしのいで
あめつち
いるのか。
地は広いというが、私のためには狭いのか。日月は明る
天
いというが、照ってはくれぬのか。人並みに働いているのに、
じ あいぶん
からの天平四(七三二)年の作と思われる。
ちん あ
にわらを敷き、父母は私の枕の方に、妻子は足の方に互いに
し(毎日読経し自ら罪過を現して悔い改めること)また天地
する心を抱いたことがない。だから仏・法・僧の三宝を礼拜
①ひそかに考えて見るに、私は生れてこの方、みずから修
業して善行を積もうとする志を持ち、ついで悪事をなそうと
沈
痾自哀文 山上憶良 作
「万葉集」中の漢文最大の長篇。
(千二百字余り)重い病気
のために自ら悲しむ文。
うめき合ったり、かまどには火の気も無く、ひいひい悲鳴を
の諸神を敬い重んじて一夜たりとも拜むことを怠ったことは
綿も無いボロを肩にかけ、つぶれたような家の中で、地べた
あげている。それなのに里長は寝屋にまでやって来てわめき
この「貧窮問答歌」は山上憶良を代表する歌として最も良
く知られているものの一つである。働いても働いても追っか
うとすると、足を引きずるロバのようだ。(㊟憶良の病は現
立とうとすると、翼の折れた鳥のようだし、杖を賴りに歩こ
病になってから十余年を経た。今年七十四才、髪も白髪が
交り、筋肉も痩せ力も衰えた。天井から吊した布にすがって
さとおさ
立てている。世の中を生きていくということは、こんなにも
ない。私はどんな罪過を犯した報いでこんな重い病に襲われ
けてくるものは貧窮でしかない農民のあえぎが生き生きと記
み ろく ぼ さつ
されている。この窮亡を極めた農民の姿は、たびたびの領内
しゃ か にょらい
在の関節リュマチらしい。全身の関節に痛みとハレをなし、
じ
巡察と通じて国守としての憶良の眼に映じた農民の現実に基
しゃく
徐々に進行して動けなくなってしまふ。
『釈注』伊藤博)
うそ
・慈(釈迦如来と弥勒菩薩)の
②ひそかに思ひ見るに、釈
示敎は、三帰(仏・法・僧に帰依することをいう)と五戒(殺
は
た。極貧者を救済し得なかったことを愧じた。(そのことは
定型俳句
川 柳
生、盗み、男女間、嘘、酒)とを広く説いて仏法世界を感化
随 筆
自由律俳句
した。
とら
評 論
短 歌
後述の辞世の歌に込められている)治められる人々の立場に
訴 え て は い る が、 こ の 現 実 か ら 逃 が れ る こ と は 出 来 な か っ
る。この窮状は除去しなければならない人間苦であることを
づ い た も の で あ ろ う。 憶 良 は 支 配 者 側 の 先 端 に 立 つ 人 で あ
ることになったのか。
辛く処置なきものなのか。
詩
近づいた視点から把え直した憶良の力作の一つである。最後
児童文学
の反歌に肩書きが無いので、国守を辞めて帰京(奈良)して
小 説
151
浜松市民文芸 60 集
み ろく ぶつ
木造(金泥塗)
出山釈迦如来立像
しゅっせん しゃ か にょ らい りゅうぞう
弥勒仏
撮影・小川光三(飛鳥園)
・3センチ 奈良国立博物館
96
141 センチ 運慶作 (奈良)興福寺
周・孔(周公・孔子・儒敎)の垂訓は三綱(君臣・父子・
天婦の道)五敎(父は義、母は慈、兄は友、弟は順、子は孝)
を広く述べて国家を整えた。
しょうじゃひつめつ
仏教と儒教とは教学の手段こそ違っているが、人生の悟り
を開く要諦はたゞ一つであることを思ひ知るのである。
こ ら
いた
者必滅の道理を悟ることはむつかしい。悟ろうとしても
生
悟れない。
けいねんしん く
③老身に病を重ね、経年辛苦し、兒等を思ふに及る歌七首
(長一首 短七首)
う
つら
いた
きず
からしお
たまきはる うちの限りは(仏典には人間の壽命は百二十
も
年だという)平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なく
もあらむを
世の中の 厭けく辛けく いとのきて 痛き瘡には辛塩を
そゝ
うま に
うわ に う
注くちうがごとく ますますも 重き馬荷に 表荷打つと やまい
いふことのごと 若いにてある 我が身の上に 病をと
くわ
ひる
なげ
いき
あ
へてあれば 昼はも 嘆かひ暮し 夜はも息づま明かし
加
としなが
や
つきかさ
うれ
年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことこと
おも
さ
ばえ
さわ
う つ
は 死ななと思へど 五月蠅なす 騒ぐこどもを 宇都てて
こころ もや
は 死には知らず 見つつあれば 心は燃しぬ かにかくに
ね
(八九七)
思ひわずらひ 音のみし泣かゆ 152
かわべのあそ
ぬぐ
刻苦勉励の才月であった。
た
定型俳句
は
はは
せて短歌
のち
よ
みこと
自由律俳句
右の二首は、山上憶良臣が作る歌に追
短 歌
ぼ
こころつく
川 柳
立つべし 後の世に
まきすらつをは
名をかし
ひと
た
つ
き継ぐ人も 語り継ぐがね
(四一六五)
聞
お
こた
いて和ふ。天平勝宝
な
(四一六四)
に取り佩き あしびきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心
さわ
のち
よ
かた
つ
な
障らず 後の世の 語り継ぐべき 名を立つべしも
実の 父の命 ははそ葉の 母の命おおらかに心盡
うちの
おも
こ
むな
して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空しくある
あづさゆみ すえ ふ
おこ
なげ や も
ち ひろ い
つるぎ た ち
こし
べき梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし剣大刀 腰
と
は
や
みね ふ
こ
こころ
み ち 併
ち みこと
あわ
には、
大伴家持の追和歌が巻十九に見える。
憶良の辞世のふ歌
る
はむことを願ふ歌一首
勇士の名を振
やかもち
を吐露して後事を八束に託したものと思われる。彼の一生は
の貧窮を赦うことが出来なかったこと」に対する慙愧の思ひ
すく
と説かれた中の「名を立てることが出来なかったこと、農民
を行ひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終りなり」
あらわ
記させられたので、今でもはっきり覚えている)身を立て道
ふ
教師ではなかったかと思われている。
なみだ
随 筆
しんないはっぷ
(九〇三)
短歌六首のうち最後の歌 かず
たぐい
『孝経』
(儒教の根本聖典)に「身体髪膚之を父母に受く、
あえ
き そん
はじ
敢て毀損せざるは孝の始め也。(この部分、戦前小学校で暗
よろづよに
をは
評 論
詩
たまき 数にもあらぬ 身にはあれど
しちつ
とせ
千年にもがと 思ほゆるかな
い
つちのえいぬ
去にし神亀二(七二五)年に作る。たゞし類をもちとの故
に、さらにここに戴す。
ひのえさる ついたち
天平五
(七三三)
年の六月丙申の朔にして三日 戊 戌 に作る。
むなしくあるべき
の歌 天平五(七三三)年
辞お世
み
ちん あ
も
山上臣憶良 沈痾の時の歌 一首
おのこ や
あそ か や つか
士也母 空な応は有
万代尓
かたりつぐべき
た て ず し て
続可 名著不立之而 (九七八)
語
こと ば
の一首、山上臣憶良の沈痾の時に藤原朝臣八束、河辺朝
か右
あづま と
や
さま
と
臣 東 人を使わして病める狀と問はしむ。
こた
ここに憶良臣報ふる語己畢る。しまらくありて涕を拭ひ、
かなしみ
う た
非嘆して比の歌を口吟ふ。
に記したのではなく、口ずさんだ。)
(紙
や つか
ふささき
束は藤原房前(参議正三位。不比等の第二子、天平九年
八
没)
の第三子で、正三位中務郷兼中衛大將という地位にあり、
児童文学
この時十九才であった。憶良七十四才、年少時の八束の家庭
小 説
153
浜松市民文芸 60 集
すいこ
あと
「日本挽歌」が続き、憶良文学の出発点はこの時、
この後、
神器五(七二八)年から始まり、辞世の歌の天平五(七三三)
二(七五〇)年の晩春三月、出拳(公の稲を春に貸し秋に利
年までの五年間の大成を終る。
のち
息をつけて返済させる勧農のための行政行爲)のために出か
たびと
かな
いだ
おおとものすくねやかもち
みかづき
人の眉引き 思はゆるかも
巻六(九九四)
伴宿禰家持が初月の歌一首
ふ大 さ
み か づ き
振り放けて 三日月見れば 一目見し
ひと
まゆ ひ
おも
憶良の退場と共に家持が登場する。年代の明らかな最初の
歌は、天平五(七三三)年の十六才の時である。
けた村で詠んだもので、憶良辞世の年より十七年後の事であ
る。
家持は、神器五(七二八)年十才の時、父旅人の大宰府長
おおとものいらつめ
官の任に伴い、築紫に母大伴女郎と共に向った。大伴家は皇
ひたすら ほうしん
室守護の名族であった。母は異郷の水になじまず、半年程し
て他界した。父旅人は悲しみて、永に崩心の悲しびを懐き断
膓の涙を流した。
○旅人の妻の喪に対する追善供養の哀悼文
○貧窮問答歌
世の中は 空しきものと 知る時し
いよよますます 悲しかりけり
みかづき
この三つの歌は、巻五の底本となった憶良歌巻である。そ
れを受けついだのは大伴家持であった。当時十六才の家持で
○沈痾自哀文
(七九三)
神亀五年六月二十三日 も披露さ
この作は、当時築前国守の任にあった山上憶良やに
まとうた
れたらしい。憶良はこれに刺戟されて、漢詩文と倭歌を並べ
し しょう
た長大な詩文を追善供養として捧げた。
まぬか
たづ
きた
大伴宿禰家持 作る。 (四五一六)
右の一首は、守 新しき 年の始めの 初春よの
ごと
事
今日降る雪の
いやしけ吉
かみ
天平宝宇三(七五九)年の春の正月の一日に、因幡の国の
ちよう
あへ
こくぐん
つかさら
うたげ
庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首
いなば
良には大伴家の血に対する信頼があったと思われる。その信
はあったが(前出のように既に初月の歌を初作している)憶
ゆい
あ
でいたん
ほうじょう
ゆいまだいじ
生(地、水、火、風すべての存在を形成す
けだし聞く、四
むな
る)の起滅は夢のみな空しきがごとく、三界(色、欲、無欲)
いだ
とど
頼が報はれて「憶良歌巻」は万葉集巻五の基本資料となって、
か
憶良の異色ある人生が永遠に伝えられることになった。
まきょう
へうる
の漂流は環の息まらぬがごとし。このゆゑに、維摩大士(維
これへ
しゃかのうじん
摩経の主人公。出家しないで仏の真理を得た人)も方丈に在
ぜ んしつ
くる
こくあん
の苦しびを免れたまふことなしと。故に知りぬ、二聖の至極
りて染疾の患を懐くことあり。釈迦能人も双林に坐して泥洹
たれ
いうことを。(以下略)
すら、三千世界に誰かよく黒闇の捜ね來ることを逃れむ、と
神器五年七月二十一日
154
持統朝初期(六九〇年)頃から、右の家持悼尾の歌を以て
凡そ百余年の歴史を持つ万葉集は、現代に生きる知の宝庫と
評 論
随 筆
〃 〃 (中区)
〃 岩波書房 笠間書院 講談社 吉川弘文館
集英社 言える。 (完)
(参考図書)
○伊藤 博 万葉集釈注(文庫)
巻一、
二、五、六、十四、十九、二十 ○中西 進 万葉集事典(文庫) ○稲田耕二 山上憶良 ○土井清民 〃 児童文学
○辰巳正明
〃(日本歌人選) ○「日本思想大系」 『律令』 ○「日本古典文学大系」 『日本書紀(下)』
○「新日本古典文学大系」 『続日本紀(一)』
小 説
[入 選]
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
出世すべきかも理解していないのに、容易に世に出て行ける
くと浅はかにも思っていた。そして、自分は何をもって立身
れる。世の中のことなど知らないのに、自分の思うように動
七歳の女の子と思えない激しい上昇志向を内に秘めた父の
自慢の子供であり、学校の先生は秘蔵っ子のように扱ってく
れていた。
るのかと思うと、いてもたってもいられない焦燥感にとらわ
七歳の頃すでに絵草紙などを読み登場人物の英雄豪傑や仁
侠義人たちに心酔し、自分はこのまま何もせずに一生を終え
明治二十六年八月九日の日記「塵之中」で一葉は概略次の
ように記している。二十二歳の頃である。
十津川郷士
(一葉日記より)
波風の
ありもあらずも
何かせん
詩
155
浜松市民文芸 60 集
うに忌み嫌っていた、と言う。
る姿をなんと浅ましいことだろうと思われ、金銭を塵芥のよ
ものと考えていた。そして世の大人たちが利欲にのみ狂奔す
流を楽しんでいる夢見る乙女であったであろう。この頃が一
の歌会に出席した彼女は師の中島歌子や裕福な友人たちに囲
解釈をし、問題点について論じ合ったりし始める。毎週二回
同僚に伊東夏子、田中みの子がいた。古今集を互いに読んで
まれて、いにしえの平安京に遊ぶ公達たちや姫君たちとの交
皮肉なことに、その忌み嫌った金銭で二十四才という若さ
で夭折するあいだ、苦しめられるのである。
た。歌は女の嗜みと、父が奨めてくれたからである。
門人は新政府の高官や旧幕臣や富裕な商人たちの子弟であっ
門人千人と言われた歌塾中島歌子の「萩の舎」に入門する。
の子供時代とでもいえようか。明治十九年十四歳の時、盛時
しかった、と述懐している。この頃までは中流の下位の家庭
つかず、はっきり意思表示ができなかったのは、死ぬほど悲
どちらがよいかと父に聞かれるが、自分では幼すぎて判断が
は、
その才能を認め、もう少し学校へ通わせるが良いと言い、
当時神田淡路町に住んでいた一葉は、針仕事や洗張りを小
脇に抱えて、新橋まで歩いている。往復約三里の道のりであ
を見て、夏子との婚約を一方的に破棄したといわれる。
亡くなった。しかし、婚約していた渋谷三郎は樋口家の破産
て、知人の孫である渋谷三郎に夏子と結婚するよう依頼して
町へ引っ越す。父は自分の健康状態の定かでないことを案じ
すが、二年を経ずして破産状態になり、芝高輪から神田淡路
級役人になったが、この年警視庁を辞し、新規事業に乗り出
い、八丁堀同心となるほどの努力家であり、明治新政府の下
明治二十一年、一葉十六歳のときである。樋口家の家督を
一葉樋口夏子が相続、戸主になる。父は幕末、武士の株を買
葉にとって、生涯で最も幸せな時期であったと思われる。
新年の初歌会にはその弟子たちが目の覚めるように着飾っ
た姿で、小石川安藤坂下の写真館に集まり、それを見た往来
る。
十二歳のとき小学校を退学、母は女子は針仕事でも覚え家
事 手 伝 い を し た ほ う が 将 来 の た め に 良 い と 言 い、 父 の 則 義
の人々は「なんとまぁ美しい!」と感嘆の声を上げて、見つ
しなかった。母と妹の邦子の三人で本郷区菊坂町でどうにか
めたという。
裕福ではない一葉はそれでも親から譲られた着物をありが
たく着て、歌では負けないぞと、心に誓ってその初歌会に出
三人で住める借家を探し、そこに転居する。暮らし向きは、
「萩の舎」の中島歌子が案じて、一葉
明治二十三年には、
を自宅に住まわせ女学校の教師にと骨折ってくれたが、成功
席した。
て、若干十八歳の若い娘が直面する生活は毎日の暮らし向き
針 仕 事 と 洗 い 張 り が 主 た る 生 計 で あ る。 父 の 死 後 一 年 に し
この頃から紫式部や清少納言といった平安時代の文学に親
しみはじめ、和歌を本格的に習い始める。姉弟子に田辺龍子、
156
明治二十四年四月十五日のことである。まるで夢心地にな
る一葉の吐息のような息遣いが聞こえてきそうな日記が、後
かにこえ給へばまことに見上げる様になん……」
子もなつくべきこそ覚ゆれ、丈は世の人にすぐれて高く肉豊
「色いと白く面おだやかに少し笑み給えるさま誠に三歳の童
は、一目で彼女が半井桃水に惹かれた様子が描かれている。
半井桃水は当時「東京朝日」の小説記者であり一葉十九、
初 め て、 妹 邦 子 の 友 人 の 紹 介 で 半 井 桃 水 を 訪 ね た 日 の 日 記
一葉は妹の友人である野々宮菊子の友人を通じて、その兄
である半井桃水に小説の指導を依頼していたのが実現する。
ことに刺激されたからである。
花圃のペンネームで小説『藪の鶯』を発表して、評価を得た
明治二十四年、十九歳になった一月、一葉は小説の執筆で
生計を立てることを決心する。中島歌塾の姉弟子田辺龍子が
のことに占められることになる。
懸命にその噂の事実無根と身の潔白を人々に弁明するも、
其処には一葉の一途な気持ちを容認できる環境はなかった。
樋口家の相続上の戸主であれば結婚はできない身であり、
婿養子として迎えるしかない立場である。
れに親戚にも汚名が掛ってくる不名誉さである。
恋、樋口家の戸主である娘がと誹られる浮名は、母や妹、そ
の板挟みである。超えてはならない矩、超えねば成就しない
れざるを得ない状態に追い込まれてしまう。義理と友情と恩
しかし、師半井桃水との関係が、歌塾「萩の舎」の姉弟子
や同僚達から非難されるに及んで、涙を飲んで恩師半井と別
ある。
には同じ本郷町菊坂町内へ移転する。半井桃水が近くの西片
改進新聞に桃水の推薦で連載することになる。そして、五月
この間、桃水たちの同人雑誌「武蔵野」に『闇桜』を三月
に、四月に『たま欅』を発表している。また、『別れ霜』を
が代わって小説を見てあげようと言われた。
明治二十年代の東京も、文明開化といい、自由恋愛の新思想
のり
町へ移ってきたので、少しはましな借家へと引っ越したので
世、恋日記と謂われる所以である。
頬を染めながら筆を走らせる一葉の姿は切ない乙女の恋ご
ころを伝えてやまない。
も、古い観念が厳然と存在していた。
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
る。一葉は憤然として桃水宅へ赴き、今後は歌塾の方が多忙
が文学界の先駆的な若い文士たちによって説かれてはいて
それからの一葉は小説の原稿を持って、半井桃水を訪問、
その指導を受けながら、懸命に小説の試作を行う。
詩
「樋口一葉君は僕の妻だ」と、半井桃水が誰かに吹聴した
という噂が人の口の端に乗ったのが原因だったと、日記にあ
随 筆
しかし頻繁に半井邸を訪う若い娘の姿がやがて一葉の想像
もしなかったスキャンダルへと発展していく。
評 論
になる為、頻繁に訪問できない旨を伝える。母と相談したと
児童文学
その年明治二十五年の正月、歌塾に出席した折に歌の師中
島歌子から桃水との交際についての心得を教えられ、わたし
小 説
157
浜松市民文芸 60 集
あるが、さすが見事な身の処し方である。
かし、一葉は辞退している。何を今更という気持ちと樋口家
なみ風のありもあらずも何かせん
一葉のふねのうきよ也けり
の将来を案じてそれを望んだ父との約束を反故にしておきな
がら、という思いもあったであろう。
あわぬ今よりしのばるゝ哉
いとどしくつらかりぬべき別路を
しかし胸中察して余りある。その日、自宅を出る折に、詠
んだのが左の歌である。
右はその日、詠んだ歌である。
ような自分が、世間の波風が立とうが立つまいが、ただ翻弄
でくる。何ができると言うんでしょうかね、一枚の木の葉の
一葉は短い生涯に五千首に近い和歌を詠んでいる。その日
の気持ちを淡々と筆にする彼女の気持にある憂き世が浮かん
不本意な、まるで生木を裂かれるような別離である。
実に、
一葉の最初にして最後の恋は遂に終わってしまう。知り合っ
今日を限りとおもひ定めてうしのもとをとはんといふ日よ
める、と前置きしている。
て一年と二ヶ月という一炊の夢のごとき短さである。
記している。
と、自戒する姿がある。余程悔しかったのであろうが、そう
六月に別れた。後々、瓜田に履を入れず、李下に冠を正さず
得させている一葉は悲しい。十九の春に知り合い、二十歳の
吉原遊郭に一直線に続く街道筋である。嫖客を乗せた車馬の
明治二十六年下谷の大音寺町へ引越す。逼迫する家計のや
りくりの為に、小間物店を開く決心をする。
大通りにでれば、
ものである。と、感慨を書いている。
まや、判事補で月給五十円という。人の有為転変は分からぬ
ども取り立てて出来が良かったわけでもなかった。それがい
思えば、渋谷三郎と初めて会ったのは彼女がまだ十四歳の
時である。婚約者の相手は服装もそんなによくなく、勉強な
されているだけなのに。
明治二十五年八月、父が存命のおり、婚約したが樋口家の
資産内容を知って婚約を破棄したといわれていた渋谷三郎が
後に、述懐しているのは、恋というものは誰しも一生に一
度、闇夜に出会う魔物のようなものである。そう、自分を納
突然訪れる。
提灯が行き交い午前一時まで往来し、午前三時には帰宅する
た。
客を乗せた車が街道を往来する文字道りの遊興の巷であっ
一葉二十歳の時である。
新潟県の検事補にまで出世した彼はすでに一葉が雑誌に登
場しつつあることを知り、人を介して求婚してきていた。し
158
銭や二銭の買い物では、身を粉にしての忙しさではあるが、
と追い込まれていく。正月には百人ぐらいの子供がくるが一
小説修行も放棄して、自分は仕入れ、妹の邦子は店番、母
は家事とそれぞれが仕事を分担しての生活はますます貧困へ
たというから現代では、考えられない作品にたいする気迫が
の作品を暗記しており、それを互いに声に出して、語り合っ
を二人して、口唱し合ったとある。驚くなかれ、彼等は、そ
口一葉の『たけくらべ』
『にごりえ』
『十三夜』
『おおつごもり』
る斎藤緑雨と後にドイツ文学者になる上村清延の二人が、樋
儲けは少ない。
と語り始めるのであるから、恐ろしいばかりの博覧強記とで
「廻れば大門の見返りの柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に灯
火うつる三階の騒ぎも手に取る如く(たけくらべ)、……云々
感じられる。
女相場師として起業したいと借金を申し込んだ。二十三歳の
もいうしかない。好きな作品はそれほど幾度も読まれたとい
明治二十七年二月に、大胆不敵にも久佐賀義孝という易者
にして観相家である相場師を、単身で偽名を使って訪問し、
女が単身で一面識もない人物に借金のために乗り込むのであ
うことである。
『闇桜』と『雪の日』とか、といった通俗的で戯作的で甘い
この明治二十六年から二十七年にかけて移り住んだ場所こ
そが、
彼女が今まで書いてきたエチュード的な作品、例えば、
した結果である。
仕事などで親子三人が生活するほうがまだましであると相談
同年の五月には、以前住んでいた本郷区の丸山福山町へ引
越し、再び、小説家を目指す生活に戻る。元の洗い張りや針
一葉を訪問した緑雨が単刀直入に、
いので会いたいと手紙で申しこんでくる。
斉 藤 緑 雨 が 一 葉 を 最 初 に 訪 れ た の は、 明 治 二 十 九 年 五 月
二十四日である。そのなかで緑雨が一葉の作品の批評をした
っている。
上眉山、島崎藤村、幸田露伴も、最晩年には尾崎紅葉にも会
くなるに従い、その訪問客が増える。斉藤緑雨、上田敏、川
そんな文学仲間たちが本郷菊坂丸山町の一葉の家を訪れて
くる。馬場孤蝶、平田禿木、戸川秋骨、村上浪六が。文名高
作品から完全に脱皮する極めて重要な転換点となる。
川 柳
「(にごりえ)については、熱涙の溢れる思いで書いたので
しょう、
(お力)についてはそれも冷笑しながらですか、そ
定型俳句
一葉はどちらとも言わない。
短 歌
自由律俳句
れとも熱涙をこめてですか?」と訊く。
この九佐賀義孝には最終的に月十五円で妾にならぬかと、
申し込まれる。一葉は峻拒して、返事を書く。
る。その度胸たるやなまなかなものではない。
詩
新しく若い文学を目指す仲間との交流が次第に増えはじ
め、彼女の創作活動に影響を与えはじめた。「文學界」の同
随 筆
人たちである。
評 論
児童文学
山本夏彦著作の『無想庵物語』で、当時若手の小説家であ
小 説
159
浜松市民文芸 60 集
「わたくしは調子で書いています」と答える。
「いや、冷笑しながら書いたんでしょう、いや、熱涙を拭
って書いたんでしょうか、いや、冷笑をもって書いたに違い
ない」
そして、「(たけくらべ)については、一葉さん、はじめの
部分と後の部分では書き方が違ってきていますね、そうでし
ょう。どうしてですか」
「それは分かりません」
と緑雨の舌鋒鋭い質問攻めに、明確に答えていない。
「筆の赴くままにですか」と皮肉る。それに対して、一葉
は笑みを浮かべるのみである。
叔父を救うために身を呈した結果、自身は罪に問われても致
し方ない、が、叔父には累の及ばないようにしなければと思
った時、お峰は舌を噛み切って死ぬる覚悟を決めた。
それが己の宿命と思った時に、彼女は涙もみせずに、再び、
大晦日の与えられた下働きの仕事をはじめる。
作者はそこで、熱くなった胸を落ち着けるように筆を休め
たに違いない。
その裕福な商家に居候する放蕩跡取り息子を配して、娘の
一部始終を見せていた。明確にそうだとは述べていないが、
そのドラ息子が置き手紙に、「残っていた金子もすべて頂戴
した」とさらりと、書いて、
「その後のこと知りたや」と、
借金の支払いに奉公先から金を借りてくれないかと依頼され
説は、唯一の親戚で奉公先の紹介者である叔父から、年末の
めたが最後の終止符に迷ったのだ。
のではなかろうか。熱涙をぬぐいながら、否、冷静に書き始
「その後のこと知りたや」という曖昧な表現でこの小説を
終えざるを得なかった彼女の心の底には、ためらいがあった
素知らぬ気に筆を擱いた。
た(お峰)が、大晦日までにはなんとか女将さんに頼んでみ
明治二十七年十二月三十日の文学界に『大つごもり』を発
表した。
『大つごもり』とは、大晦日のことである。この小
るからと約束する。前々から、女将さんに借金を頼んでいた
言える筆致で脱稿する。
その後に立て続けに書かれた代表作『にごりえ』や『十三
夜』には、それぞれの結末には一切の躊躇もなく、非情とも
しかし、この作品こそが一葉をして過去の甘い戯作者的な
主題から大きく、
飛躍させる極めて意義のあるものとなった。
立て続けに発表される一葉の作品の中で唯一彼女らしから
ぬこのエンディングが、その涙の跡だったに違いない。
のにそんな話は聞いていないように、大晦日の多忙さに紛れ
ているなか、伯父の子供が約束通りにお金を貰いに(お峰)
を訪ねてくる。お峰は使いの子供を待たせたまま、女将さん
もいない家で、途方にくれる。そして、とうとう、その家か
ら金銭を盗んで、
待たしてある子供に手渡して帰してしまう。
罪の呵責と自責の念に懊悩するがもう、如何ともし難い己
の罪から逃れることのできない現実に立ちすくむ。困窮する
160
明治二十八年九月に「文芸倶楽部」に発表された『にごり
え 』 が 俄 然、 世 人 の 注 目 す る と こ ろ と な る。 同 年 十 二 月 の
が、優れた職人と褒められる腕は確かだったが、母親が結核
話をし、父親は足を踏みはずして不自由になった身体だった
身を沈めながら生きて来るはずがない。祖父の学問のできた
『十三夜』が「文芸倶楽部」に発表される。
主人公は、(菊の井)の(お力)という客あしらいの巧み
なこの界隈では知られた女である。売れっ子であろうから我
うのない彼女たちの姿を書き上げていく。
を冷徹な眼差しで見詰めながら、何処からも誰からも救いよ
は永遠に成就しないことを暗示している。束の間、お力が望
の結城とお力の間に、お互い通いあうモノがあっても、それ
結城が、お力に、唐突に、「お前は出世を望むな!」と一
瞬突き放した物言いをしたとき、お力の身の躱すセリフがこ
あったと、思ったかもしれない。
お力にとって結城は、望んではいけないけれど、この境遇
から引き上げてくれる良人かもと、瞬時夢見た唯一の相手で
で亡くなると一年も経たずして同じ結核で死んでしまう。
儘でもあるが、菊の井にとっては金の卵である。時おり、身
んだこの方ならばと、思ったそれを、結城はサラリと打ち払
『にごりえ』に於いては、一葉のモチーフは一貫して世の
中からは一段も二段も低い地位に置かれた私娼たちの生き様
成りの卑しい土方風の男が(お力)を訪ねてくるが、追い返
して、お力と昔の情夫だったがお力に入れあげた揚げ句、零
に於いても成就できない関係しか残されていない厳しい男と
今でも、そっと顔を見せるお力が零落させた布団屋の源七
を容赦なく追い返してしまう立場と逆である。いずれの場合
った瞬間である。
落して、女房と子供の三人と細々と暮らす源七という土方を
女の現実があるのみである。
『十三夜』以上に非情である。
この小説の終わり方は、
人生の毎日を良人の実家に隷属的な形で生きて行くことを余
或る日嫁ぎ先を去り実家に戻った(お関)
『十三夜』では、
は、好まざる良人のもとへ戻っていくが、その先の短くない
その結城はお力に身の上話を促すが、応じる気配は見せる
が、容易に言わない。しかし、或る日、お力は約束した日に
儀なくされるであろう。それも子供の為、実家の老いた両親
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
お関を、少女時代に夢見たタバコ屋のおかみさんになって
の為、生涯暗いトンネルを生き続けねばならない。
評 論
自分の身の上話を語る。菊の井の二階で盂蘭盆を前にして結
結城朝之助は自称官員だが、土日以外に遊びにくる身分は
不明である。
している男が絡む。
そんなある日、結城朝之助という客をお力が店に招じてく
る。
『にごりえ』の筋はこの人物を狂言回しの役柄のように
している。
詩
城と差しつ差されつの、二人きりの長いお力の語る身の上話
児童文学
は、哀れにも悲惨である。そうでなければ、なんで此処まで
小 説
161
浜松市民文芸 60 集
けくらべ』を執筆しながら、この本郷丸山福山町界隈にあっ
つごもり』を発表してから、約一年の間に、『十三夜』、『た
『にごりえ』は明治二十八年九月に「文芸倶楽部」に発表
している。一葉、若干二十三歳である。明治二十七年末に『大
上であったか定かに書いていない。無残な最期である。
分も腹かっさばいて自殺した。無理心中であったか、合意の
お盆の過ぎたころ、お力を背後から袈裟斬りに即死させ、自
『にごりえ』のお力に布団屋の財産を注ぎ込んで零落した
源七は、十年連れ添った働き者の女房と一人息子を離縁し、
りに照らされた現実は厳しい。それを、描いた。
が待っている。満月ほどではないが、十三夜の月夜の薄明か
る。そして、今から戻って行くお関には針の筵のような敷居
コ屋の好きだった相手は、今、お関の乗る人力車を引いてい
店先に座る自分を回顧させたのは、束の間である。そのタバ
思うこと成りも成らずもこの年は
って、今年の暮れは寂しいものになってしまった。
「去年の暮は、一厘一毛の商売に追われて忙しく、今年は
三十円のお金を借りるはずだったのがすっかり当て違いとな
気が付いたら明治二十八年の正月である。
も、原稿料が予定通り入らないので貸してもらえない。
不足して村上浪六に借金を申し込んでいたが、年末まで待つ
葉一家は貧困であった。明治二十七年の秋ごろから生活費が
あれば、今日まで、我が国にかくも才能ある女流作家の不在
『にごりえ』が発表されるやこの若い女流小説家の才気に
世間は騒然となった。式部、納言以来の才媛と称する批評も
る画期的な作品である。
ごりえ』は、女流小説家として近代小説を確立させたといえ
い環境に置かれた、しかも、およそ実現不可能な世界への脱
婦や貧しい女たちの姿である。自分独りの力では脱出できな
せていた。
に熱く、筆は音もなく原稿用紙の上を急かれるように疾駆さ
の弱い女性や子供にスポットライトを当てながら、思いは常
一葉はその社会の不条理を声高に叫ばす、数編の作品に、
その社会の矛盾や貧困に苦しんでいるが、必死に生きる市井
はなんたることかと、論じる雑誌もでる。この頃ですら、一
た銘酒屋という曖昧宿の私娼たちが働く姿を書いた。
大つごもりになりにけるかな
と、詠んでいる」と、日記にある。
出を夢みながら、藻掻く姿に共感しつつも、如何ともし難い
彼女のモチーフは、金に縛られて身動きのとれないそれぞ
れの宿世という因縁に縛られながらも、懸命に生きていた娼
この現実を、胸に込上げてくる熱いものを噛み締めながら書
この厳然と存在した格差や性差別から抜け出る道はなかっ
た。しかしその不条理を一葉は感じていたが故に、それを筆
にしたのである。その象徴的な作品では『にごりえ』の「お
いたに違いない。一葉は主人公や登場人物に対する距離はあ
くまで作家の姿勢を崩していない。実に、客観的であった。
『大つごもり』は、彼女の小説を劇的に変化させたが、『に
162
なかば
から病に臥すようになるにつれて、それが
明治二十九年央
肺結核と分かると当然のことながら人々の訪問は急速に激減
力」であり、『十三夜』の「お関」であり、『たけくらべ』の
「美登利」の姿であった。
同年十一月二十三日に没す。
だろうか。日本伝統の感受性である、「もののあわれ」である。
示唆している。そこに、「あわれ」を描いていたのではない
吉や正太郎たちはそのまま大人になっていく姿をさり気なく
いえる、下町への郷愁ノスタルジーではなかったか? 加え
て、この特殊な遊郭という環境にあって、美登利や信如や長
樋口一葉日記 高橋和彦(完全現代語訳)
漱石とその時代 江藤淳著 新潮選書刊(一巻から五巻)
参考にした本
若干二十四歳。惜しみても余りある才媛の夭折であった。
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
夢想庵物語 山本夏彦著 文春文庫
(中区)
退廃礼賛 島田雅彦著 読売新聞社
にごりえ・たけくらべ 新潮文庫
樋口一葉日記(抄)雪の日
していく。七月には筆を持つこともできなくなる。
森鴎外が『たけくらべ』の詩的な叙情性を絶賛したとある。
一葉がこの作品で語りたかったのは、日本のカルチャーと
詩
それが共感を呼ぶのである。
これから大人になっていく無邪気な子供たちは確実にその
特殊な環境に順応させられていく今の姿に、万感の思いを抱
いてエールを送ったのだ。それこそが、普遍性のある共感を
人々に与えたのである。
その流麗で濃やかな筆遣いは一葉独自の資質からくる当然
な傾向であり、短くも若い頃に読んだ王朝文学から学んだも
のに相違ないと思われる。彼女のエチュード時代の数作は、
西鶴や絵双紙からの影響が色濃く投影されていたが、創作が
進むにつれて、擬古文と言文一致という明治初期から日本文
学の主流というべき文体を進めながら、次第に一葉は雅文を
加えた独特の流麗でリズミカルな筆致が截然としてくる。表
現の方法としては、却って、窮屈で容易でない雅文的擬古文
評 論
を駆使して、彼女の写実的な小説が一葉でしか写しえない世
児童文学
界へと突き進んでいく。
小 説
163
浜松市民文芸 60 集
評 論 選 評
中西美沙子
論文を読むということは、恣意的なものを去って虚心にな
ることで成立すると考えます。情緒や思い込みから文章を論
ずるのは、書いた人への配慮を欠くことになるからです。書
かれた作品に対して厳密であらねば、
といつも心に期します。
更新されゆくもの―写真とは何か―
年に数回、東京恵比寿にある「東京都写真美術館」を訪ね
ます。報道写真や過去の写真家の作品を「見る」という「小
さな欲望」が、私を誘うからです。視覚メディアの中でも写
真が持っている「意味の強要」と「不意に現れようとする世
界」の狭間に身を置くことが楽しくもあるからです。
『更新されゆくもの―写真とは何か―』は、愛知県美術館
の「 こ れ か ら の 写 真 展 」 に つ い て の 疑 問 を 仲 立 ち に し た 論
です。展示されている9人の日本人写真家の作品には「二項
対立」
(例えば「機械による記録か/芸術表現か」など)を、
否定するようなキャプションがつけられていることがこの論
から窺えます。序論が本論と少し乖離しているのが気になり
ますが、
「読み解くこと」の上に「書く」という修練を積ま
れるのも大事です。美術館の理念から論をなすのではなく「写
真とは、その語りにくさに身を置く媒体である」という言葉
から文章を起こすのも一つの方法かもしれません。
「二項対立」の否定によって写真の可能性を探ることに、
筆者は疑問を呈しています。その考えはロラン・バルトやス
ーザン・ソンタグの写真論の影響であることは否めません。
バルトは二項対立から生まれるものが「中性」であるといっ
ていますが、その「中性」が孕んでいるものは「パラダイム
からの崩壊」であるとも論じています。その「コードのない
メッセージ」についての論考を深めることで、「これからの
写真展」という「緩い写真論」へのアンチテーゼとなるので
は な い で し ょ う か。
「写真とは何か」、「これからの写真」と
いう写真への問いかけは、必然的にアポリアなものになりド
グマに落ちでしまうのでは、と考えます。バルトが優れてい
るのは、写真というメディアに纏わりつく「言葉の罠(コー
ド)」を巧みに使い、「コードのないメッセージ」へと誘うと
ころです。引用と引用で言葉は成立します。ですがその引用
と引用との間にある「未だ現れない言葉」を起立させる営み
も、魅力ある写真論になると考えます。
山上憶良
多くの人が抱いている万葉集への思いがあります。「一君
万民の古代の世は平和で幸福であった」という万葉集へのス
テレオタイプ的な思いを、筆者は「そのような幻想を打破っ
たのも万葉集そのものである」と述べています。このような
見解は、私たちに不意打ちのような印象をあたえます。丁寧
に万葉集を読めばわかることですが、「万葉調」というある
種の大らかな世界に人は無意識に惹かれがちです。
憶良の出自から儒教、そして仏教という憶良にとって重要
164
なことが平明に書かれています。そこから窺えるのは「詠う
こと」の必然が、憶良には強くあったのだということです。
「生きること」は苦しみの連続である、そのことを詠うこと
で憶良は冷静に現実を見つめているのだと筆者はいっている
ようです。とくに憶良の「貧窮問答」には関心があるようで、
読んでいて「今の時代」とどこか重なる印象を受けました。
憶良の「貧窮問答」を主軸にして「人間の弱さ」や「儚い
望み」が縦糸として語られ、現代の私たちの在りようが横糸
のように丁寧に織られています。私などは憶良の時代よりも
今の時代の方がどこか貧しいとすら覚えます。
筆者は憶良の全体を掴もうとしていますが、「貧窮問答」
を中心にして憶良の思いと「幻想の打破」を描いた方が明確
になったのではと思いました。「幻想の打破」を深く突き詰
めた論を再び読めたらと期待しています。
波風のありもあらずも何かせん(一葉日記より)
児童文学
評 論
随 筆
評論に関わる人間としては、様々なジャンルのものを読む
ことが楽しみです。一葉について改めて知ったことが多々あ
り、興味深く読ませて頂きました。一葉の気性の強さや小説
への関心、男性への仄かな恋慕などが平易に書かれており、
一葉の本を再び読んでみたいという思いがわきました。
この論の眼目は「文体の変化」です。一葉が情緒的な文体
をさり、なぜリアリティーのある小説を書くようになったか
を筆者は描こうとしています。江戸の名残のある場所。そこ
に登場する人物たちは時代に翻弄された人たちでもありま
す。一葉はある意味でフローベルのように登場人物を写実的
小 説
詩
に描き始めます。風俗という器の中に住む人間を、意識して
情感を排した文体にしています。筆者の眼目が適切に表現さ
れているとは思えないのが残念です。その理由は初期の文体
と後期の文体の違いを、時代背景などを絡めた説明に終始し
ているからではないでしょうか。一葉の文体の変化は、一葉
の文章の中にしかありません。
地球誕生から四十六億年
定型俳句
自由律俳句
川 柳
ふと生命の誕生という不可思議を想うことがあります。言
葉の誕生と「言葉を記す」という人間の進歩も生命の誕生が
あったからだと考えるからです。そして
「人はどこからきて、
どこへゆくのか」と途方にくれることもあります。
投稿された作品を読んで惹かれるところは沢山ありまし
た。しかし論として考えるとどうしても「論点」というもの
が見えてきません。魅力的な資料を「どのように論点とする
か」がないからだと思われます。
「論」は究極的にいえば「自
分の考えを論ずる」ことになります。「生命の危機」
、「命を
守るために」などの「自己の論点」を設定しなくてはなりま
せん。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読むと「生命の危
機」とそれに対する「人間の希望」が見えてきます。目の前
にあることに疑問を持ち、一つの道を指し示すのが「論」な
のかもしれません。筆者の文章を読むと「生命の誕生」に対
して憧れのようなものを感じます。その思いが「一つの論」
になることを願っています。
短 歌
165
随 筆
[市民文芸賞]
実はもう一つ、忘れられない供物があ
る。梅干しだ。かみさんは梅干しが大好
きで、いつも大きな瓶にびっしり詰まっ
ていた。梅が無くては夜も日も明けなか
った。だからお供えのご飯には、いつも
梅干しが乗っかっている。毎日のことな
ので瓶は底を突いたが、大丈夫。梅の漬
け方も「お父さんの料理帳」にしっかり
書かれている。牡丹餅も梅干しも心配無
ーストをこってりまぶせば極上の牡丹餅
ら煮込む。粒々のご飯の団子に小豆のペ
くと焦げるので、小まめにかき混ぜなが
糖を入れて、水をたっぷり注ぐ。気を抜
先ず、瑞々しい小豆を一昼夜水に浸し
てふやかす。それから深い鍋に小豆と砂
かなか難儀だ。
飯は擂粉木でこねれば済むが、小豆はな
盆 が 近 づ く と、 牡 丹 餅 の 準 備 を す
お
る。かみさんのレシピで作る。もち米ご
煎 じ る と、 素 晴 ら し い ど く だ み 茶 に な
り取って乾燥する。細かく刻んで炒めて
を咲かせる。梅雨が明けると、枝葉を刈
すく育って、庭先で純白の可愛らしい花
の習いだ。かみさんが植えた幼芽がすく
丹餅はどくだみ茶と食べるのが、我が家
ナスでこしらえる牛に添えて供える。牡
牡丹餅は自慢のおもてなしで、かみさ
んの初盆からずっと続いている。菜園の
く旨い。
た。その分、小豆の妙味があふれてすご
て、かみさんは砂糖を思い切り少なくし
が、銀河の彼方から我が家がはっきり見
ポーチュラカの庭で迎え火を焚いて霊
魂 を 迎 え る。 い つ も 狼 煙 み た い に な る
かに綺麗な花飾りだ。
が、かみさんが羨ましい。それほど爽や
りで飾ってくれる。自分で言うのも妙だ
になった鉢が、きらきらと鮮やかな色取
意して仏壇を彩る。太陽を浴びて絶好調
にしてお盆を迎える。数個の鉢植えを用
木で殖やして、庭に虹が舞い降りたよう
かみさんは庭の草花が大好きだったの
で、厳冬でも花が絶えないようにしてい
は季節限定だが、他はいつでも作れる。
用だ。払底することはない。どくだみ茶
になる。
る。かみさん伝授の健康茶である。必ず
大 庭 拓 郎
かみさんも大好きだったので何か嬉し
い こ と が あ る と、 い つ も 牡 丹 餅 に な っ
牡丹餅と一緒にお供えする。
る。夏場はポーチュラカの花園だ。挿し
た。甘辛両党でぱくぱく食べる私を案じ
牡 丹 餅
浜松市民文芸 60 集
166
い思い出を溢れさせてくれる。今日は薄
かな大地に根付いて、色とりどりに楽し
も狭苦しい鉢ではかわいそうだ。まろや
壇が見える庭先に植えてやる。いつまで
母の日には、息子と孫が霊前に鉢植え
のバラを飾ってくれる。数日すると、仏
の癒されて和やかな気持ちになる。
らう。深紅の宇宙電話みたいで、ほのぼ
丹餅と歌って、切ない胸の内を聞いても
がないが、実に切ない。淋しくなると牡
たっぷりと焚く。天上界の掟だから仕方
追悼歌である。送り火など大嫌いだが、
き心に」の三曲だ。小林旭の歌と自作の
そして牡丹餅 を頬張りながら十八番を
熱唱する。「玲瓏歌」と「独り旅」と「熱
を誉めてもらう。
が好きな果物と手料理だ。自慢のご馳走
り火の日は海苔巻きとリンゴ。かみさん
ご飯とブドウ。翌日は雑炊とミカン。送
は違うご馳走になる。迎え火の日は混ぜ
えるようにする。お盆は、普段のご飯と
葺きの家も田んぼも茶の間に敷かれた筵
何から何まで子供時代とそっくりだ。茅
が続いている。今度の「花子とアン」は、
今朝も朝ドラで盛り上がった。いつも
二人で見ていたので、ずっと楽しい習慣
に添えられる。
煮付けも人気メニューだ。いつもご馳走
は爺ちゃんだ。かみさんの秘伝でぱりっ
めるのは息子たち一家の担当で、焼くの
やの大騒ぎ。ひき肉と野菜を包んでまる
鳥風の肉もある。ギョーザはてんやわん
具材は、すべて手作りだ。卵焼きや焼き
葉や海苔に包んで食べる。刺し身以外の
時は手巻き寿司だ。かみさん伝授で、大
うだ。表彰状をもらったなどの目出度い
も忙しい部活との調整に苦労しているよ
れこれやりくりしてやって来る。孫たち
牡丹餅と暮らすようになっても、わが
家の伝統は脈々と続いている。みんなあ
ぱい聞いてもらった。
活けて供えたい。今年も楽しい話をいっ
仲間が加わるので、ぐっと大きな花瓶に
そんなえも言われぬ風情がある。
で、
確かに存在すると思う。牡丹餅には、
牡丹餅を肴にした晩酌もなかなか乙
だ。 か み さ ん は こ の 世 に は 居 な い だ け
ので喜んでいるに違いない。
な 短 歌 も 登 場 す る の で、 す っ か り は ま っ
イ ム ト ン ネ ル に 迷 い 込 ん だ よ う だ。 好 き
顔をした着物姿は生き写しで、まるでタ
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
(南区)
てしまった。かみさんも歌が好きだった
紅色のバラを植えた。一緒に真っ赤なバ
随 筆
と焼き上げる。具沢山の味噌汁と野菜の
ラを植えた孫も高校一年生になった。黄
評 論
も全く同じである。垢まみれで真っ黒い
児童文学
色いバラの子は中学生だ。来年は新しい
小 説
167
たのである。
ったので、おもしろくてたまらなくなっ
プしたアレンジで自由に弾けるようにな
ぼオリジナル通りか、更にグレードアッ
近年、インターネットのお陰で、昔懐
かしい洋楽のエレキギターの名曲が、ほ
れた。
が長生き出来るだらあ」と、嫌味を言わ
わらず能天気だねえ。あんたみたいな人
四 年 遅 れ で 今 年 還 暦 の 女 房 か ら、「 相 変
日々、暇を見つけてはエレキギターを
弾いて一人悦に入っていると、小生より
通りか、もしくはそれに準ずる譜面を入
外の、それらの楽曲の完全なオリジナル
前は、幾らお金を出してもクラッシク以
なら続々と公開されている。そもそも以
問題で難しいのか一つも無いが、古い物
からである。流石に最新の物は著作権の
璧な譜面を、無償で提供してくれている
うと、誰かがネット上に惜し気も無く完
それにしても、何故、それらの曲がい
とも簡単に弾けるようになったのかとい
浸ることが出来る。
してきて、弾きながら自然に自己陶酔に
きの箇所では、一転、気分が一気に高揚
出そうになるし、その対極にある超速弾
の痛みに耐えながらも、感極まって涙が
思いきり音を伸ばす部分では心地良い指
る。チョーキングというテクニックで、
く と こ ろ が、 た ま ら な く 魅 力 の 曲 で あ
かせた後、一転、超速弾きに移行してい
何れも「ぎゅぎゅうぅう〜〜ん」と、
ギターの弦を思いきりしならせ、鳴(泣)
アの「パリの散歩道」などである。
めから電子音である。
が、エレキギターの場合は、そもそも初
深みの無い薄っぺらい物になってしまう
どうせ基礎のデッサン力の無い者が、
いきなりピカソの絵を真似ても、所詮、
った次第である。
くりコピーして堪能することが可能にな
小 生 の よ う な 六 四 歳 の ジ ジ イ で も、 そ っ
こうなると、すっかり種明かしをされ
てしまったマジックではないが、今更、
らでもアップされているのだ。
の本人が実際に演奏している動画まで幾
まで、完璧に起こしてあるばかりか、当
力がない限り解析不能な即興部分の音符
(?)とはいえ、かなり高度な感覚と聴
曖 昧 だ っ た。 そ れ が 今 は 古 い 物 に 限 る
おおよその主旋律はその通りでも、細
かい間奏などの部分は省略か、あっても
の問題だったのではないだろうか……。
営業妨害になってしまう(?)のが一番
自分が、そういう販売ルートを知らな
かっただけのことなのかも知れないが、
音 楽 に 使 用 し て い て 話 題 に な っ た、 ム ー
例えば、サンタナの「哀愁のヨーロッ
パ」や、最近、ソチ冬季五輪のフィギュ
繊細な生のクラシックギターでは、よ
[市民文芸賞]
アスケートで、日本男子史上初の金メダ
手するのは、まず不可能だった。
松 田 健
★
多分、著作権のこともさることながら、
ルを獲得した羽生選手が、演技のバック
エレキと草むしり
浜松市民文芸 60 集
168
なす能力があるかの如く、ますます調子
ーどころか、パソコンまで重宝に使いこ
そ ん な こ ん な で「 ネ ッ ト は 便 利 だ ね
え」などと、まるで自分にはエレキギタ
状態となった。
……と、これもすぐに『目からうろこ』
っ た の で、 な 〜 ん だ、 そ う い う こ と か
これも音符付きの理論と解説、実演とあ
信じ諦めていたが、ネット上に、やはり
ートも以前なら天性のものに違いないと
にマスターできるようになった。ビブラ
ま た 蛇 足 だ が、 や は り ネ ッ ト の お 陰
で、ビブラートの歌唱方法もいとも簡単
は思っている。
★
えば、プロもアマチュアもないと自分で
で、ある程度のレベルにさえ達してしま
ーなどの効果も利用して誤魔化せるの
が元から人工的なエレキは、エフェクタ
にまでは達しないが、その点、音源自体
ほど卓越した技量がないとプロ並みの域
とにもかくにも種さえ蒔いておけば、
勝手に育つ……という有難い御託もあっ
の中が混乱してきた。
溢れ出てくる情報を、知れば知るほど頭
は……害虫対策には……と、次から次と
ところが、まず最初に石灰を撒いて酸
性の土壌をアルカリ性に変え……から始
そ笑んでいた。
これなら簡単に出来そうだ……と、ほく
すると案の定、家庭菜園に関するサイ
トだって、あるわあるわで、しめしめ、
で調べ始めた。
あ、やってやろうじゃないかと、ネット
科目だと、その気になって、早速、じゃ
年金生活者に、家庭菜園は、まさに必須
スも十分にあった。郊外の田舎暮らしの
たっぷりと広く、畑をやるだけのスペー
むむっ 言われてみれば、たしかにガ
ッテン。それに我が家は幸い裏庭だけは
ら」と、ガツンと言われた。
で 検 索 す り ゃ あ、 簡 単 に 学 習 で き る だ
あったら家庭菜園でもやりなよ。ネット
また間の悪いことに、元ピアノとエレ
クトーンの講師をしていた女房に向かっ
た。
く活用しきれないことも露呈してしまっ
そ し て 結 局、 せ っ か く の ネ ッ ト 情 報
も、自分の好きなこと以外は、全く上手
れてしまうのだった。
難 し い の か ね え、 っ た く。 余 計 な こ と に
たには、こういう『屁』でもないことが
これで、めでたしめでたしで済めば良
か っ た の だ が、
「 う 〜 ん。 な ん で、 あ ん
に上がるようになった。
も簡単にものの見事に実り、連日、食卓
冷ややかに静観していたが、これがいと
た。小生は、何じゃい、それは? と、
女曰く『五十日いんげん』なる代物だっ
めてしまった。まず手始めの野菜は、彼
の花は育てていたが、さっさと自分で始
こ う し て、 も た も た し て い る う ち に 業
を 煮 や し た 女 房 の 方 が、 以 前 か ら 観 賞 用
た。
とは出来ないとパニックになってしまっ
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
は夢中になるくせに」と、ため息を吐か
に乗ってほざいていたら、ある日、女房
随 筆
まり、堆肥と肥料の割合は……畝の高さ
から「あんた、ギターで遊んでたって一
て、「 人 間 に は 得 意、 不 得 意 っ て も の が
評 論
たが、自分には、とてもこんな面倒なこ
児童文学
銭の得にもならんだでねえ。そんな暇が
小 説
169
浜松市民文芸 60 集
あるだで。俺は野菜は作れんけど、その
代りギターのテクニックは凄いら」みた
いな言い訳も通用しないのだった。それ
ど こ ろ か、「 ふ ん っ 子 ど も の 頃、 落 ち
こぼれの男の子でも弾いてたでねえ」
と、まるでエレキのごときは不良でも出
来るぐらいの感覚なのだ。
[市民文芸賞]
ゆう
地球という、ひとつの惑星が細胞ある
いは単体の生物としたら?
宇宙という、ひとつの世界が細胞ある
いは単体の生物としたら?
あ、蚊が鳴くぐらいの迫力しかないね」
発)が起こると膨張をはじめた。ガスや
のとされていたが、ビッグ・バン(大爆
子どもの頃、宇宙は風船にたとえられ
ていた。宇宙のはじまりは卵のようなも
へ。
とも大きなものの、さらに大きなところ
いものの、さらに小さなところへ。もっ
鏡 の よ う に 連 鎖 す る 構 造。 も っ と も 小 さ
槽 を 見 つ め る 何 か の 生 物。 ま る で 合 わ せ
ふ
浮 遊
水槽の中をふわふわと浮遊するクラゲ
たち。その中に地球のような世界が広が
っている。宇宙のような広大な世界が広
と、小バカにされている。嘘でも冗談に
塵から星や青雲、銀河やブラック・ホー
さくら珠ゞ音
でも
「あんた凄いじゃん。惚れ直したわ」
ル。いろいろなものが生まれて、現在も
がる。外側から水槽を見つめる人間。水
なんて、誉めてもらえたためしは無い。
風船はふわふわと空中を漂っている。
風船の外には大気が。そして、さらに上
小生は一応、クラシックギターも弾け
るが、これはこれで「あんたの演奏じゃ
そこに野菜作りまで先を越されてしま
った。
ふくらみ続けている。風船のように。
も、自宅周りに蔓延(はびこ)る雑草の
以来、不本意ながら小生は、野菜作り
が 出 来 な い 代 わ り に、 来 る 日 も 来 る 日
ような単細胞生物と、生物をかたちづく
の類似性と相関性について。アメーバの
いて考えていた。マクロとミクロの世界
十年前、わたしは想像した。いや、も
っと昔、子どもの頃からずっと宇宙につ
されて、まったく別の次元を彷徨う。幾
「目」と思考部位が重力や視力から解放
マクロやミクロの世界に思いを馳せる
と き、 精 神 は 物 理 的 な 身 体 を 離 れ る。
の果てのその先や、決して肉眼で見るこ
が。銀河系が。そして宇宙が。
空 に は 地 球 の バ リ ア が。 さ ら に 太 陽 系
『草むしり係』となったのだった。トホ
世代かけても辿り着けないであろう宇宙
★
ホ……。
っている細胞との類似性・相関性につい
(北区)
て。
170
へと潰れて映る。ゆらめく光。だんだん
の動き。上空へ行くほど点から線へ、面
りになって、またたく。幹線道路や電車
家に灯った明かり。その集合体がかたま
すと渋谷や世田谷が光っている。小さな
たのび太のよう。上空へ向かう。見下ろ
ワンルームの部屋を見下ろし、宙に浮
いた視線はタケコプターを頭の上につけ
うに、思考が独り歩きを始める。
体離脱した精神が宙に浮く。……かのよ
い。心の中で空を見つめる。すると、幽
ようが雷が轟いていようが構いやしな
る。……心の中で。現実の空が曇ってい
つまらないことで躓いて膝を抱えて丸
く な っ て い る よ う な と き、 空 を 見 上 げ
も羽ばたいていくから。
の彼方へと飛翔し、どこまでもどこまで
ふとモニターを見つめる手の動きに気
をとられて現実に戻ってくる。心は境界
とができない電子や素粒子の世界へと。
た。
火星の間にも小惑星ベルトが広がってい
小惑星が散らばっている。ああ、地球と
星、冥王星を過ぎると太陽の光も遠く、
グを見たいと思いつつ、先を急ぐ。海王
から水平線に半円形の帯状に架かるリン
地上から空を仰いで、虹のように水平線
垂直に輪がついている。これは天王星の
んの衛星の脇をすり抜けて輪に囲まれた
きすぎる木星の縞模様を眺める。たくさ
を従えた火星を横目に、惑星にしては大
手にある小さな衛星フォボスとダイモス
ど、遠く水星や金星もあるはずだ。行く
球、巨大な太陽。見えるはずはないけれ
く の を 目 に す る こ と が で き る。 月 と 地
ここまで来ると地球の半球を見渡せ
る。そして、昼と夜の境目が移動してい
と大地と海洋を包んでいる。
と、地球のまわりに白い大気が薄っすら
か に 浮 か ん で い る。 軌 道 上 に 辿 り 着 く
にはアジア大陸と半島が闇の中からほの
にわたしたちの太陽系がある。
ど)銀河が見えてきた。あの光の渦の中
ぎ る。( 通 り 過 ぎ て い る の は 自 分 だ け れ
宇宙の果てに背を向けて。たくさんの
ガスや星雲、ブラック・ホールが通り過
逆回転の始まりだ。
さ あ、 カ ー テ ン の 向 こ う 側 に は 何 が 待
っている?
ころ。
辿 り 着 く。「 宇 宙 の 果 て 」 と 呼 ば れ る と
ぎ、原初の宇宙が残っているところへと
ンドロメダの大星雲をとっくに通り過
ているようなのに見惚れているうちにア
り、ガスのなかに何かの形が模様を描い
ていく。流れていく闇の色を背景にした
な銀河までがスピードを上げて通り過ぎ
すこしずれたところにあって、その広大
く 太 陽 系 の 小 さ な 光 は、 銀 河 の 中 心 か ら
随 筆
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
見え
——
てきた。冥王星から海王星、天王星、衛
わたし
水槽から、金魚が一匹飛び跳ねた。
景 色。 銀 河 と 銀 河 が ぶ つ か っ て 重 な っ た
上昇スピードが上がり東京湾と関東平野
星群を従えた大きすぎる土星と木星、地
評 論
土星に行き着く。天王星は地軸に対して
が、さらに、ところどころに雲がかかっ
いつの間にか太陽系が小さくなってい
る。瞬く間に銀河の光の渦にのまれてい
児童文学
た夜の日本列島が足元に見える。向こう
小 説
171
浜松市民文芸 60 集
球に似た小さな星・火星、小惑星帯、そ
して、太陽が大きく見えてくる。目の前
にある青い星。地球だ。月に「さような
ら」を言って大気圏に突入する。夜の日
本列島。関東平野。渋谷と世田谷。見え
[入 選]
十円玉 「どうしたの」
と聞いても何も言わない。目には涙が
溢 れ て い る。 喉 に 何 か 詰 ま っ て い る ら し
く右手で押さえている。母はじきに帰る
と言ったのになかなか帰ってこない。背
中を叩いてもだめ。水も受けつけない。
そうして、キーボードの前にふっと舞
い戻る。ちょっとした宇宙旅行。ちっぽ
ノースリーブの綿のワンピースを着てい
ラ ン ニ ン グ シ ャ ツ に 半 ズ ボ ン 姿 で、 私 は
私には二人の弟がいる。四つ下と七つ
下である。その日は暑かった。上の弟は
車を呼ぶのだが、母はおぶって連れてい
上の弟のことを話すと母は驚いてすぐ
病 院 に 連 れ て い っ た。 今 な ら す ぐ に 救 急
ょりになって帰ってきた。
い。そうこうするうちに、母が汗びっし
時間が止まってしまったようで私も泣き
けな悩みは吹き飛んでいる。ちっぽけな
た。母がミシンをかけて作ったものだっ
った。家で待っている間、ずっと心細か
中 村 淳 子
自分。でも、地球や宇宙の次元では無風
た。下の弟も薄着で静かに昼寝をしてい
わたしの部屋の窓だ。
——
みたいなものなのかもしれない。ちょっ
た。
てきた。
と肩の力が抜け、気が楽になる。心の宇
った。私がそばにいれば良かったのに。
たくなったが泣いている訳にはいかな
宙旅行。
「じきに帰ってくるから頼んちゃ」
(浜北区)
ンドン叩くような音がした。何だろうと
とうとしていた。しばらくすると床をド
下の弟の方に行って寝ころんだ。少しう
あ き た の で 弟 は 他 の 遊 び を 始 め た。 私 は
弟と絵本を読んでいた。そのうち絵本に
てきます。心配せんで、大丈夫や」
「御飯や芋などを食べたら、そのうち出
だ。医者に、
金属だったのではっきり映っていたそう
ビ ー 玉 な ど が 詰 ま っ た と 思 っ て い た が、
夕方になって、母と弟は帰ってきた。
病 院 で レ ン ト ゲ ン を 撮 っ た そ う だ。 母 は
何を飲み込んでしまったのだろう。
急いで行ってみると、静かに遊んでいた
と言われたとか。
と母に言われて、帰ってくるまで二人
をみることになった。低学年の私は上の
はずの上の弟が苦しんでいる。
172
大人になったら、上の弟は私より背が
高くなり優しくて力持ちになった。会う
が出てきて良かったと思うだけだった。
感じなかった。弟の喉に詰まっていた物
つもは臭いと思う便の匂いが全く臭いと
ったかはわからない。不思議なことにい
だ。誰も見ていないのでどうしてそうな
だった。十円玉を飲み込んでしまったの
でつまんで出した。それは一個の十円玉
方に何か固い物があるらしい。母が割箸
と言った。弟はスルッと便を出した。
洗面器にカチッと音が響いた。便の下の
「今日だけ、ここに出していいよ」
と言ったら、母は風呂場から金属の洗
面器を持ってきた。
「うんこ出たいよ」
て、
母は夕飯の仕度をした。さつまいもも
茹でた。弟はたっぷり食べた。夜になっ
「もしかしたら、父が……」
た。
四 月 十 四 日 午 後 十 時 頃、 電 話 が 鳴 っ
た。娘が出た。下の弟の嫁さんからだっ
た。
をみてからという事で帰省するのをやめ
くれたので少し安心した。しばらく様子
で気がかりだった。弟が大丈夫と言って
と答えた。脳梗塞を二度、三度と繰り
返せばどんどん悪くなると聞いていたの
から不死身だよ。来んでもいいちゃ」
と聞いたら、上の弟は、
「姉ちゃん、大丈夫。お父さんのことだ
「お父さんのお見舞に行こうか」
とが気になって、
から電話があって初めて知った。父のこ
師が見守ってくれたそうだ。私は上の弟
し様子をみようということで施設内の医
だ。十一日の朝、また異常が起きた。少
の で、 そ の 日 の う ち に 戻 っ て き た そ う
よ。近くだから車で送ってあげっちゃ」
「 毎 月、 施 設 で 床 屋 を や っ て い る ん で す
い介護施設から一時外出できたのが嬉し
父 は 上 気 嫌 に な っ た。 外 出 す る こ と も な
もらった。髭も剃ってもらった。すると、
出して父を床屋に連れていくことにし
私は何も伝えられなかった。外出届けを
弟 の こ と を ど う 伝 え た ら い い の だ ろ う。
あ と い う 状 態 で 記 憶 が と ん で い る。 上 の
父は会う度に、老いが進んでいる。昔
の話をしても、そんなこともあったかな
介護施設に向かった。
駅に着いたら、先ず荷物を預けて、父の
が決まり、十六日に出発した。特急列車
は眠れなかった。十五日に葬儀の段取り
かった。間違いであってほしい。その晩
と。三月に電話で話したとき、上の弟
は元気な声だったのに……。信じられな
日連絡します」
です。詳しいことがわかったら、また明
定型俳句
自由律俳句
川 柳
かったようだ。床屋の主は、
た。ぼさぼさの白髪をすっきりと整えて
の窓からは、名残りの桜が見えた。富山
といつもほっとした。母が亡くなった後
と思って出たら、
「 あ の う、 今 日 の 午 後、 お 兄 さ ん が
こ
は、離れていても家族の要であった。
……。亡くなられました。勤務中の交通
詩
短 歌
今年三月十日に、実家の父が軽い脳梗
塞を起こした。救急車で介護施設から病
随 筆
とおっしゃった。私たちはご厚意をあり
評 論
事故だそうです。私も先程聞いたばかり
児童文学
院に運ばれた。意識がはっきりしてきた
小 説
173
浜松市民文芸 60 集
した。父は俯いたまま車椅子に乗り施設
にずっと見つめていた。最後のお別れを
った。父は棺の中の弟の顔を何も言わず
て、亡くなった弟と対面させることにな
十八日の告別式の朝早く父を迎えにいっ
う の で は と 考 え た。 話 し 合 い の 結 果、
したらショックを受けて変になってしま
しておいた方がいいと。私は迷った。話
から話した方がいいと言う。下の弟も話
ないけどどうしてる」と聞かれたら困る
に 行 っ た 折 に、「 こ の 頃、 兄 ち ゃ ん が 来
べきか悩んだ。下の弟の嫁さんは、施設
がたく受けた。父に上の弟の死を伝える
た弟の声が今も残っている。元気で明る
は忘れられない。私の耳には三月に話し
三人姉弟の中で一番元気だった弟の思
い出が数多くある。何故か十円玉のこと
ある。
いけない。私も父に会いに行くつもりで
とお願いしてあった。父のことはこれ
から下の弟と嫁さんを頼りにしなければ
を見にいってやってね」
「忙しいかもしれんけど、お父さんの顔
会社で働いていた上の弟に、
通夜と告別式で私の知らない弟の顔を
多くの方から教えていただいた。地元の
一度も審判をせずに逝ってしまった。
うだ。昨年、審判の資格を取ったのに、
ました。中身は、誕生日のケーキだとい
の分もありますから」と、箱を差し出し
ので、これを食べさせて下さい。他の人
いきなり「今日はおっかさんの誕生日な
S さ ん の 息 子 さ ん が、 大 き な 箱 を か か
えて扉の前に立っていました。開けると
がら玄間に急ぎます。
早朝、ホームの玄間チャイムが鳴りま
した。忙しい時間帯の来客。少し焦りな
業後、就職してからまたレスリングを始
んでいきました。
「 あ り が と う ご ざ い ま す 」 と 御 礼 を 言
うまもなく、すぐ背中を向け車に乗り込
鈴木やす子
めたのだった。そんな話を全く聞いてい
よ ほ ど、 急 い で い た の で し ょ う 。 ほ の
かなキンモクセイの香りをかき回すよう
うことです。
空 箱
[入 選]
まで送ってもらった。
い五十六才の声である。
なかったので私は驚いた。弟がレスリン
に、車のエンジンの音が遠のいていきま
(南区)
告別式の会場の入口に上の弟の小さな
遺影が置かれた。その周りに、優勝カッ
グ大会の一般の部に毎回出場していたと
した。
プやメダルが飾られた。弟は高校時代レ
は。オリンピック代表選考会に出たとい
スリング部に入っていた。専門学校を卒
う元選手の人に負けて悔しがっていたそ
174
朝 食 が 終 っ て か ら、 S さ ん の と こ ろ
へ、ケーキの箱を持っていきました。朝
に。何だいね」
「 忙 し い た っ て、 顔 ぐ ら い 見 せ れ る の
「仕事前でとても忙しそうでしたよ」
たのに帰ったの……」と。
ケーキの箱を受け取ったSさん。箱に
目 を 向 け た も の の、 ま ず、「 あ れ ぇ、 来
てきたことを伝えたのです。
「さっきの箱、あったら欲しいよぉー」
夕方、Sさんが膝をかばい、足を引き
ずるようにして台所にやってきました。
が流れていきました。
静かなホールにも、和やかな温かい空気
の方々の表情もほぐれてきます。普段、
ます。黙々と、ケーキを食べていた周囲
「へぇ、食べられるの」と一口パクリ。
「うまい」と大きな声が、ホールに響き
「 S さ ん、 そ れ は 食 べ ら れ ま す よ。 チ
ョコレートです」と声をかけました。
ました。
その記憶が、一日でも長く保たれるよ
う願いつつ、私はSさんの部屋を後にし
として飾られているようでした。
ホームの入居者にとって、家族の来訪
は 何 よ り も 嬉 し い も の で す。 そ れ な の
と。早速、ケーキの箱を包み直し、リ
ボンを掛けてSさんに渡しました。
をつまみ上げ、不思議そうに眺めていま
に、顔も見せずに帰っていったなんて。
彼女は、包みを受け取るとまるで赤ち
ゃんを抱くように、愛おしそうに抱えて
それは、Sさんにとっては、ただの空
箱ではないのです。その箱を眺めては、
一層、淋しさが募ります。Sさんの切
なさが胸に迫まってきました。
戻っていきました。その背中が、朝見送
す。
少し、間があき、ケーキの箱を見つめ
て い た S さ ん は、「 で も、 あ り が た い で
った息子さんの背中に似ているように見
の早い時間に、息子さんがケーキを持っ
す」と、きっぱり言いました。淋しさを
短 歌
自由律俳句
ることでしょう。
定型俳句
川 柳
(中区)
息子さんについていろいろな思いを寄せ
振り切り、自分自身に言い聞かせるよう
えてきます。キンモクセイの香りが、漂
ってくるように思えました。
な言葉。
詩
次の日、Sさんの部屋を訪ねると、タ
ンスの上にケーキの箱が置かれていま
ケーキは、その日のおやつとして入居
者の方々と一緒に頂きました。Sさんに
随 筆
は、添えられていたメッセージプレート
評 論
す。置いてあるというより、大切な宝箱
児童文学
をのせて、渡しました。彼女はプレート
小 説
175
夫婦二人暮らしのクローゼットの中身
は、主人対私=一対四の比率になってい
が窮屈になってきた。
衣装もちの私は、二階の和室と洋室に
二間ほどのクローゼットを別注した。
結婚して十年ずっとマンション住まい
で、初めて念願の一軒家を手に入れた。
をした。
今の家へ越して二年が経ち、秋晴れの
休日、
衣替えついでに服や鞄の「断捨離」
どうしても外に着ていけない服もあった
売り場でときめいても、家の鏡の前で
着てみると、なにかしっくりこなくて、
たくさんの断捨離本を読んで、もちろ
んアタマでは理解している。
モノを増やさないためには捨てればい
い。
る。
服が増えていくもうひとつの理由、そ
れは私が『捨てられない女』だからであ
坐禅会の講話で聴いた『足るを知らざ
る者は餓鬼である』
の言葉が耳にイタい。
輝かせ、
複数買いをしてしまう私がいる。
なきゃソンソンとばかりに売り場で目を
かき立てられると、行かなきゃ損、買わ
そして、お客様感謝デーやバースデー
特典などお得情報のハガキで購買意欲を
とばかりに、カード払いでさっさと会
計を済ませてしまっている。
がイメージできれば、
「コレは先行自己投資だ」
「この服を着て仕事をしている自分」
おかげで山積みの約七割、四十五リッ
トルのごみ袋に七袋の服たちと別れを告
切り替えた。
め く 』 か『 と き め か な い 』 か の 選 択 肢 に
私もそろそろ四〇代の半ば、ここで心
機一転、仕事やライフスタイルを一度リ
そうになった。
き れ、 物 言 わ ぬ 洋 服 た ち に 押 し つ ぶ さ れ
で も 今 日 こ そ は、 と 覚 悟 を 決 め 、 八 畳
の 和 室 に 服 を 全 部 集 め、 積 み 上 げ て 服 山
うによみがえってきてしまう。
ていて、まるでアルバムをめくるかのよ
それでも、服を見れば、一着一着に買
った瞬間のトキメキやその服を着て会っ
だから『捨てる』タイミングが大切な
のだ。
よれて、くたびれてくる。
[入 選]
る。
りする。
入居したばかりの頃は、スペースに余
裕があったのに、最近は服を取り出すの
かとうまさこ
こんなに増えてしまう理由はふたつあ
る。
どんなに気に入った服でも、いつかは
そこで『まだ使える』か『使えない』
取捨選択から、断捨離本に習って『とき
セットしたい衝動にかられた。
足の踏み場もないほどの量に、我なが
らよくこんなにもため込んだものだとあ
をつくってみた。
た 人、 そ の と き の 出 来 事 や 感 情 が つ ま っ
ひとつに私が『服を買い過ぎること』
人前で話をする仕事柄、
断捨離
浜松市民文芸 60 集
176
げることができ、スッキリした。
分を手に入れる儀式なのだ。
それともブランド販売コーナーの片隅
にあったように、ショーケースに飾られ
は、わたしだけだろうか……。
倍もエネルギーがかかる作業になるの
買う時に抱いたトキメキの代償に、モ
ノを手放すことがこんなに心苦しく、何
た他の高価な品とは別に外に出され、中
裁断してパーツ利用でもするのだろう
か?
古品のサンプルとしてたくさんの人に手
すると今度は、長年愛用していた仕事
鞄をふいに手放したくなった。
司会者としてデビューして十五年、雨
の日も猛暑の日も、うまくできなくて肩
に触れられてしまうのだろうか?
川 柳
(中区)
を落とした日も、達成感で喜びを感じた
いそうになったが、ぐっとこらえた。
日も、私のそばにいてくれた鞄。
あっちこっちキズだらけで、とくに底
の四角は擦り減り、疲れきっている。
もしこの鞄をもう一度持ち帰ってしま
ったら、きっと私は一生この鞄を捨てら
まるで自分が、そうされるかのように
感じて、苦しくなってきた。
取っ手の革部は、私の手脂で味のある
アメ色のツヤがでて、私とその鞄だけが
れないだろう。
いつもは中に入っている書類に集中し
ていたが、あらためてその鞄だけをじっ
知っている歴史を物語っている。
代わりに鞄にそっと手をのせて、
『ありがとう』
短 歌
自由律俳句
くりながめてみた。
そして、見れば見るほど、今の私自身
の映し鏡に思えてくる。
と小さな声でつぶやくと、胸にアツい
ものがこみあげてきた。
詩
での生き方をみなおし、新しい空間と自
随 筆
定型俳句
年季の入った鞄がこの先どんな道をた
どるのか、思わず店員さんに尋ねてしま
『 捨 て ら れ な い 』 性 分 な の で、 迷 惑 と
思いつつ、他のモノと一緒にリサイクル
そういえば、
断捨離本に書いてあった。
『片づけは、人生にカタをつけること』
評 論
私のキャリアとともに同じ時代を過ご
し て き た モ ノ た ち を 手 放 す こ と は、 今 ま
ショップに持っていった。
引き取ってもらえるだけかと思った
が、わずかな値段が付いた。
児童文学
この状態のままで転売できると思えな
い。
小 説
177
浜松市民文芸 60 集
[入 選]
白い割烹着
中津川久子
五十数年前の話だ。ふたりの姉が次々
と亡くなった。病名は定かではない。末
「うん、いいよ」
夕 べ か ら 知 恵 を 絞 っ た 案 だ け に、 あ っ
さりオーケーを貰うと心底ほっとしたも
絶句している父母を何度も見たと、き
ょうだいたちが口を揃える。また、自分
たちの結婚がいとこ同士であったこと
のだ。しかし、そのコースは遠回りにな
い。
下校後も苦しい言いわけをして家に寄
せつけないでいた。これも続くはずがな
るので、二日として続かなかった。
を、ひどく責めていたという。
せて口から泡を吹く。何度居合わせても
ドターン。静かな朝の空気を破って、
姉のてんかん発作だ。全身を激しく震わ
怖い光景だった。
「このごろ、ひさこちゃん家で遊んでな
父母は懸命に手を尽くしたと聞いてい
る。当時はまだ、外国にでも行くような
ことだ。
まされたのは、所かまわず奇声を上げる
ふたりは同じ病いであった。脳障害、
てんかん発作、視力低下。家族が一番悩
ところであろう。
ない。反面、肩の荷がおりたのも正直な
減ってしまった。両親の落胆は計り知れ
たように思う。七人きょうだいが一気に
ゃいでみたり、声高に話しかけたりして
だ。奇声を聞かれまいと、むやみにはし
のため、同級生を待つ場所であったから
通りまで筒抜けである。私にとって、
こ の 瞬 間 は 身 の 縮 ま る 思 い が し た。 登 校
ある朝、こんどは奇声が始まった。
「あー、ぐわー」
で比較的応じやすかった。
が、しばらく寝かせておけばおさまるの
もなく起きるので周囲をびっくりさせる
父が大声を上げると兄が飛んでくる。
母が床の用意に走る。てんかんは前ぶれ
らんといかんよ」
「あんたは、姉ちゃんの分まで幸せにな
両親は、
きょうだいたちの縁談を憂いだ。
た。脳の病いともなると、なお深刻だ。
世間に隠し通すという村の体質もあっ
と、よしのちゃんにまくし立てられて
勝ち目はなかった。
まり」
なっちゃんが言えば、
「そうよ、そうよ。ひさこちゃん家に決
いね」
「やーい、足を持て足を」
思いで東京の病院を尋ねたという。開頭
その場を繕う。
母の口ぐせになった。
っ子の私に詳しいことは告げられなかっ
手術まで試みたが、あの頃の医学では分
「明日はなっちゃん家へ迎えに行くね。
皮 肉 に も、 隣 家 衆 が 揃 っ て か ら 奇 声 が
我が家が寄り合いの宿に当たった日
は、家族みなに緊張が走る。家の悩みは
からなかったようだ。
たまには違う道から行こっ」
ち
「よりにもよって、ふたりとも……」
178
箱は底が抜ける寸前だった。両親はこん
[入 選]
を吹いてやると身体を振って喜んでくれ
始まるのには泣かされた。母と兄は、姉
る。ほとんど見えなくなっていた姉の手
市の区画整理の話は二十年も前からあ
った。中心居住区の道路や建物を壊して
な姉を心配しつつも野良仕事に明け暮れ
をとり、ダンスの真似をしてやると、声
新しい街づくりをするという。壮大な事
ていた。
寄り合いの席についていた父が、険し
い表情で奥の部屋にきた。
を立てて笑ってくれた。喜んでくれるの
を進めて来るそうだ。すでに遠くの町か
の顔に布団を被せたり、口を覆ったりと
「やいー、もうちょっと何とかならんか
が嬉しくて毎日遊んだ。
ら じ わ じ わ と 波 が 押 し 寄 せ て き て い た。
心を鬼にする。私は、ただおろおろする
や」
それから間もなくのこと。学校から帰
ると、北側に面した薄暗い勝手場に母の
だが、どうせ「お役所仕事」という先入
もうちょっと、と言う父とて為す術が
無いことは重々承知である。奇声が漏れ
姿があった。白い割烹着をつけた母の背
老 人
に違いない。裏方も同じだ。力ずくで押
は震えているようにも見える。何かが違
観で、まだまだ先の話だと忘れかけてい
四年生になった私は、十五歳の姉を楽
しませるのがうまくなった。ハーモニカ
さえつけられている姉は一層暴れた。兄
た。すると市の職員が補償費などの話に
ばかりだ。
の指示で私も加わる。ごめんね、ごめん
う。そもそも、この時間に母が居ること
訪れたり、何度か説明会があったと思う
間もなくバタバタと現実になった。
業である。何区画にも分けて順番に工事
志 賀 幸 一
ねと詫びながら力を入れるのであった。
自体がおかしい。真っ新な割烹着にも察
聞こえる中での談笑は針のむしろだった
風邪で学校を休んでいた日、隣の部屋
からパチパチと音がしてきた。飛び起き
ちいさく声をかけた。
「おかえり、姉ちゃんが……死んだの」
しがつく。
てみると、姉が火鉢の中の燃えている炭
を炭箱に移しているではないか。炭箱に
た。私たちは追い立てられるようについ
老 人 は 引 っ 越 し な ど し た く な い。 市 の
職員にダダをこねたが無駄なあがきだっ
なぜ? は聞いてはいけないような気
がして、割烹着の端をぎゅっと握りしめ
は新しい炭がたくさん入っていたからた
定型俳句
自由律俳句
川 柳
て一年半後には新しく整備された土地へ
っ越した。六階の2LDKである。そし
まらない。すでに畳の焦げくさい匂いが
短 歌
(南区)
目と鼻の先の九階建てのマンションへ引
詩
ていた。
評 論
随 筆
漂っている。
「姉ちゃん、何をしてるのっ」
児童文学
とっさに炭箱を土間に放り投げた。炭
小 説
179
浜松市民文芸 60 集
贈したのだが、これが大きな後悔の種に
なって、思案のすえに近くの図書館へ寄
た。二千冊の蔵書は始末に困るお荷物と
入りきれないので別の町に貸倉庫を借り
そうとうな量である。狭いマンションに
長い年月に蓄積された家財は、ガラク
タが多くて処分に苦労した。残った分も
まらせるものがあった。
と恋しさがわきあがって、ふいに胸をつ
く住んだものだ。跡形もなくなってみる
継ぎ足ししてきた家だった。六十年もよ
がバラックの建売りを買って、建て増し
さな水たまりをつくっていた。終戦後父
っていた部屋のあたりに、昨日の雨が小
が家の跡地が見える。私が書斎として使
した。マンションの高いベランダからわ
とにかく、あっというまに私の家も近
所の家も消滅した。広大な原っぱが出現
細いかぎりである。
んとかしてくれると言ってくれたが、心
家は建たない。息子が銀行から借りてな
くなった。市からのわずかな補償費では
新居を建てるかどうかしなければならな
苦しみだった。腰も足もしびれるように
昇るときはちょっと大袈裟に言えば死の
車には乗れるのだが、歩くときや階段を
のですべて私が一人でやった。車や自転
所関係は妻がいやがって行ってくれない
税務署などへの書類手続き……とくに役
への家財の搬入、蔵書の処分、法務局、
の時期に、家の解体、引っ越し、貸倉庫
がる時はかなり苦痛である。そんな最悪
ートルも歩けないし、座っていて立ち上
くもないが、脊柱間狭窄症は痛い。百メ
くて転移もないという。だから痛くも痒
えらい騒ぎだったが、さいわい癌は小さ
検査用のカプセルに何度も入れられたり
入 院 し て 尻 の 穴 に 指 を つ っ こ ま れ た り、
っと吐き出された感じだ。癌の方は一日
けられた。まるで溜まっていたものがど
癌、同時に脊柱間狭窄症と追い打ちをか
さしている。するとその半年後に前立腺
治らないという、その医者の目薬を毎日
んできた。緑内障だそうだ。ぜったいに
私は医者にかかったことがないのが自
慢だったが、一年前に左目がとつぜん霞
ら元気を奪っていった。
き勝手をしてきた人間は好き勝手に死ぬ
がらその準備などなにもしていない。「好
きしている。いつ死んでもいいと思いな
真面目に思っていた。すでに五年も長生
子は七十歳くらいで天罰が下るだろうと
私は七十歳で死ぬはずだった。品行方
正 の 父 が 八 十 七 歳 で 死 ん だ か ら、 不 良 息
罰が下ったのだ。
っちこっちの憎しみが積もりつもって天
りして妻にも息子にも苦労をかけた。あ
ような錯覚で、そういう男は女にもてた
ンブルにのめりこんだり、貧乏が美徳の
っ て く る。 気 ま ぐ れ に 旅 に 出 た り 、 ギ ャ
説 書 き に 熱 中 し た。 泥 酔 し て 真 夜 中 に 帰
き勝手なことをしてきた。飯も食わず小
いころから無頼派の作家にあこがれて好
会社勤めはなんとか無事にこなしてき
たが、家庭のほうはおろそかだった。若
(ああ、とうとう天罰が下った!)
じめになってきてため息がでた。
ずかしくもない爺さんだが、だんだんみ
目で見て通った。まぁ、見られたって恥
痛 い。 コ ン ク リ ー ト の 階 段 へ 腰 を か け て
休んでいると、通りがかりの職員が変な
なった。日がたつにつれて少しずつ私か
180
かな死を願うばかりだ。K氏の真意はわ
できない。せめて神妙に服従してゆるや
る。天罰とわかっているから誰も抵抗は
のように布団から乗り出して悶え死にす
肉体の醜さに堪え、ひどい人は豊臣秀吉
の悲しみに堪え、修理する痛みに堪え、
生きたまま肉体を壊してゆく。老人はそ
ろでなんの罰にもならない。それよりも
でもいいと思っている老人を殺したとこ
つまり天罰、即、死ではない。いつ死ん
さまざまな恐怖が浮かびあがってくる。
だ。
「 天 罰 」 を「 怖 い 」 に 置 き 換 え る と
私は臆病で「怖い」と言えなかっただけ
葉である。詩人ならではの度量である。
は驚いたが、これは意外に勇気のいる言
言 っ て き た。「 怖 い 」 と は な ん だ と 最 初
だ と 言 い、「 ぼ く は 死 ぬ こ と が 怖 い 」 と
手に死ぬのはそれはたいへん贅沢な願望
言ってある。そのK氏は手紙で、好き勝
のである」と、粋がって詩人のK氏には
し て も こ こ 五、六 年 は な に も 書 い て い な
の老人のほとんどはなにもしない。私に
うやく周囲を見回したのだ。年金暮らし
思えばこの区画整理事業は、私に「老
人」を自覚させるためのものだった。よ
邪魔な存在である。
自分を感じた。労働の現場に老人はただ
私はふと、場違いなところに立っている
車もなにも通らない。この閑寂な空間で
浮雲が二つ。正午の休憩時であたりに
人影はない。新しいアスファルト道路は
におんぶした人である。
人が住めるとしたらそれは子供の資金力
ある。銀行は老人には金を貸さない。老
見によれば、出てゆくのはたぶん老人で
って郊外に出るしかない。私の独断と偏
だ。家を建てる資金がなければ土地を売
すでに空地の売買が行われているそう
平地のままの空間もかなりある。噂では
中のもの、すでに入居者のいる家、まだ
許可の下りた人たちの区画である。建築
にやら愉快になって笑いたくなった。
昼食を終えた職人たちがぽつぽつと持
ち場へ戻ってきた。初秋の空は青い。な
神が苦笑いするのを見たいものだ。
(書いて書いて、ある日、頓死!)
いいだろうと思った。
た、一つぐらいあっかんべーをしたって
しかし、今まであまのじゃくで生きてき
帰 る つ も り で ペ ダ ル を 踏 み な が ら「 天
罰」のことを考えた。神が「堪えよ」と
……。
るかもしれない。体力が続けばの話だが
のが、醒めた眼と時間のある今なら書け
ある。血気盛んな時期に書けなかったも
のころ書こうとして書けなかったネタが
千編を越す応募の中で最終選考に残っ
たこともあった。四十歳半ばだった。そ
(むかしはずいぶん頑張ったなぁ)
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
(中区)
言 う な ら 従 う ふ り を す る し か あ る ま い。
からないが、死と真剣に向き合えば「怖
い。もの忘れがひどいとか、眼がどうと
随 筆
かいろいろ理由はある。書けば死ぬとど
い」に尽きる。
評 論
こかで思ったからだ。
児童文学
自転車でのろのろと近くの建築現場を
まわってみた。私たちより一期早く建築
小 説
181
浜松市民文芸 60 集
上って笑った。だって出会ってからまだ
た。紳士は初め驚いたようすだったが、
うと、城内のベンチまで引っ張って行っ
戦争体験の話はとても興味があるの
だ。こんなチャンスはめったにないだろ
かせてください!」
「あなたは特攻隊の生き残り? 話を聞
た。
と呟くように言った。私の耳がピンと
立つ。夢中で紳士の腕をつかんでしまっ
ですから」
て回ったものです。……私は特攻隊上り
ったのです」
た。N中、N商、女子工芸。私はN商だ
「あの頃の中学は市内に三つだけだっ
私は足踏みして叫んだ。彼は淡々と続
ける。
「え、新潟? 私も新潟出身ですよ」
に……」
はまだ新潟の、旧制中学の身であったの
「 戦 争 は ま っ た く む ご い も の で す。 自 分
選 ば れ た。 そ こ で 神 経 が マ ヒ す る よ う な
である。彼は仲間と二人、死体処理係に
[入 選]
一時間しかたっていないのである。もち
それでも少しずつ心を開いて私の質問に
吉 岡 良 子
その日もお城に立って一日ガイド、そ
ろそろ終りが近付いた黄昏どきだった。
ひとときだ。
の身にとって、さびしさから解放される
私は月に一度、お城のガイドをしてい
る。歴史の案内は難しいが、ひとり暮し
作らなければならない状態になった。
ちが乗るであろう戦闘機も、自分たちで
ら戦闘に出て行ってしまう。今度自分た
なった。ゼロ戦を組み立てていた隊員す
隊員はどんどん出撃して行き、帰らなく
に耐える日々。戦争が激しくなるにつれ
「二番、三番もいけますけれど」
賑やかになった。
私が歌い出すと紳士はすぐさまそれに加
歌えるどころではない。私は普段ぼん
や り し て い る が、 昔 の 記 憶 力 は 抜 群 だ 。
「そんなら君、
母校の校歌を歌えるかね」
調子のよすぎる展開に、彼は疑わしそ
うに言った。
「結婚しようか」と言われて、私はとび
私はひとりの老紳士に声をかける。今か
八月、舞鶴で軍鑑が撃沈された。惨憺
たる被害で日本軍は動揺する。しかしこ
作業を続けているうちに終戦になった。
ろん冗談だから笑うしかないけれど、こ
んな好意的なロマンチックな言葉を耳に
答えてくれた。
夢のような
したのは何十年ぶりのことだろう。
また私は足踏みして叫ぶ。
「私もN商出身ですよう! 戦後男女共
ら天守閣へ上るのですかと聞くと、
れが紳士の生死をかけた出来事だったの
わ り、 狭 い お 城 の 中 は 二 人 の 歌 声 で 急 に
学になったんです」
「もう上は見てきました。何度も来てい
十五歳のとき海軍に入り、特攻隊のメ
ンバーになる。上官からの暴力と、飢え
ますから案内は結構ですよ。方々よく見
182
と言うと彼は、
「もういい、もういい」
と感激のようすで、泣かんばかりにな
った。
うのはいやだ。……だからお茶飲み相手
か。夫のときのように、またお葬式とい
してみても時間は限られているではない
ない。
た り、 ち ょ っ と 慰 め て く だ さ っ た に 違 い
彼は三年前に奥様を亡くしたが、無宗
教の家族葬にしたという。私も十年前に
話、自分たちの家族の話などをした。
て、喫茶店へ移動する。そこでは故郷の
ちょうど定刻になり当番も終了する。
二人はあれこれ言いながら公園を歩い
「また、きっとお会いしましょうね」
い時間のうち私はそう決めた。
夢のような出会いは今日一日のことと
して、きれいさっぱりお別れしよう。短
る。
の立つことはご無用という感じも受け
活 の 管 理 を 一 手 に 引 き 受 け て い て、 波 風
という言葉につながったのである。二
人は同時に笑ったが、次にはため息が出
「あなた、大好きです」
顔を見て、また胸をつかれる。
短 歌
自由律俳句
まなのだった。
定型俳句
川 柳
(南区)
る。私の胸の奥は何日たっても温かいま
あれから忘れようとはしてみるもの
の、 時 折 似 た 人 を 見 か け る と ハ ッ と す
頭の中は駆引でいっぱいにな
のお友達でいいではないか……友達? 恋 人?
る。
「君、何時にここを終りますか。話し足
りないから外でお茶を飲みながら続きを
やろう」
お金のある人のようで、八ヶ岳に山荘
をもっていると言った。しかし話の中で
夫を無宗教で送ったと言うと、彼は「そ
てしまった。もっと早い時期に出会って
は、しっかり者のご子息たちが財産や生
うですか」と大きな声を出して、
ということになった。
「私たちは気が合うね。結婚しようか」
とあてのない約束をして別れの場をに
ごす。紳士は握手の右手を出した。その
いればよかったのに。
ふたりともそう言い合ったような気が
したからである。彼八十六歳、私六十八
詩
歳。この日の出会いは格別の、極上のも
随 筆
私は想像する。こんなに打ちとけて好
意を示してくれる人だけれど、いかんせ
評 論
のだったろう。神様がさびしい老人をふ
児童文学
んお年寄である。このままお付き合いを
小 説
183
浜松市民文芸 60 集
は私より二十歳年下。毎年の年賀状のや
この女性は、私が浜松で洋裁教室を始
めた時の、最初の生徒さんである。年齢
ながら言った。
生、私のお母さんになって」と涙を流し
も姉も亡くなり一人だけになったの。先
ー元気だった? どうしたの?」と言っ
て 抱 き し め て あ げ た。「 わ た し ね、 両 親
生!」 と 言 っ て 抱 き つ い て 来 た。「 あ ら
一 階 へ 降 り て い く と 一 人 の 女 性 が「 先
博多での三年間はあっという間に過
ぎ、十年前に浜松で花の博覧会が開催さ
て食べると言っては皆で食卓を囲んだ。
露し合い、これが美味しい、これは初め
してきた人たち。お互いの郷土料理を披
さんは私と同じように全国各地から転勤
会を何回となく楽しんだ。なにしろ生徒
始めた。博多でも料理教室のような昼食
さんが集まり、午前と午後に分けて教え
開いた。三十代の奥さんたち十人の生徒
なった。その博多の官舎内で洋裁教室を
その後、私が四十七歳の時に主人が博
多へ転勤となり、私も一緒に行くことに
賑やかで楽しかった。
ように皆で昼食を作って食べた。それは
ていた。お昼になるとまるで料理教室の
順調で七人の生徒さんが通って来てくれ
に長男が生まれた。あの頃は洋裁教室も
幼稚園の年少と年中だった。その四年後
もともとは名古屋の出身で、洋裁教室
へ通って来ていた当時、二人の娘さんは
生活とのこと。
内科の医院へ車で連れて行って」とお願
母さんになってあげるから、毎月二回の
さて最初に「お母さんになって」と言
ってきた浜松の生徒さんのこと。私は
「お
こでも「お母さんになって」である。
れしいです」と手紙に書いてあった。こ
た。この手袋、先生に喜んで貰えたらう
び ま し た。 と て も 幸 せ な 気 分 に な れ ま し
き、先生を母だと思ってプレゼントを選
ださい。今日は久しぶりにデパートへ行
ました。先生、私のお母さんになってく
のです。その楽しみもなくなってしまい
ートで買い物をしてプレゼントをしたも
気だった頃には、母の日や父の日にデパ
止 め 用 の 素 敵 な 手 袋 と 手 紙。「 主 人 と 私
今年の母の日には、博多の消印が押さ
れ た 小 包 が 届 い た。 開 け て み る と 日 焼 け
していますという人もいる。
る。皆さんお元気で、まだミシンを動か
たちとは現在も年賀状の交流が続いてい
す る こ と も で き た。 こ の 博 多 の 生 徒 さ ん
の生徒さん二人のはからいで、博多の五
西 尾 わ さ
昨年春、桜のつぼみがまだ固い頃のこ
と で あ る。「 西 尾 さ ん、 面 会 の 方 が 来 て
います」と事務所からコールがあった。
の両親が亡くなり寂しいです。両親が元
人と私、合計八人が神戸のホテルで再会
りとりだけで、最近は会うこともなかっ
れた時には博多から三人の生徒さんが会
[入 選]
た。部屋へ通してお話を聞くと、娘さん
いに来てくれた。またある時は神戸在住
二人は結婚し、長男は名古屋で就職して
私のお母さんになって
いると言う。現在はご主人と二人だけの
184
いした。すると「もちろんよ。車の中で
先生と、いえお母さんとたっぷりお話が
できてストレス解消!」と大喜びしてく
れた。
本当に何が幸せを運んでくるかわから
ない。私は長女長男次男と三人の子宝に
恵まれて、さらにまた二人の生徒さんが
私 の 娘 に な っ た。 あ り が た い こ と で あ
る。今後は五人の子供たちを守り守られ
児童文学
評 論
(西区)
ながら、楽しい人生を送りたいと思って
いる。
小 説
[入 選]
不思議な一日
山 田 知 明
の道路を南へと運転し始めた。
「 や い や い、 少 し 霧 が 出 て き た ぞ 」 そ れ
でライトを点灯し、
ゆっくりと走らせた。
し か し、 二 つ 目 の 信 号 を 過 ぎ た 頃 か
ら、霧が濃くなり前がほとんど見えなく
なってしまった。
「おかしい、何か様子が変だ」
前の車は何も見えないし、自分の車が
宙 に 浮 く 様 な 感 じ が し た。 窓 の 外 の 霧 は
る。
ま る で 生 き 物 の 様 だ。 右 に 左 に 自 由 に 動
三ヶ月前に会社を退職した友人が、笠
井の小さな織物工場で住込みで働き始め
「なかなか家に着かない」
私が二十歳を少し越えた頃の出来事だ
った。
ていた。私は、彼に会う為に、時々日曜
夕方六時になっていた。
夢中になってしまい、時計を見るともう
て彼と話し込んでいた。私たちは、話に
笠井の町中の小さな工場の前に車を止め
その日は曇り空ではあったが、いつも
の 様 に 午 後 か ら 笠 井 街 道 を 北 に 向 か い、
かってしまった様だ。
誰かが、私を別の世界へ引き込もうと
しているみたいだ。まるで、催眠術にか
「どうしよう、体が思う様に動かない」
うもない不安が襲ってきた。
いている。もう、三十分以上も走ってい
日を利用してそこへ行っていた。
ハンドルを握る手は脂汗で一杯にな
り、背中も冷汗をかいている。どうしよ
「おい木村、今日はもう遅いからそろそ
車の窓を開けて風を入れようとした
が、灰色の霧がそうっと入ってくるので
川 柳
はないかと、恐くなり止めてしまった。
自由律俳句
ろ帰るよ」
定型俳句
「そうだな、気をつけて帰れよ」
短 歌
アクセルを踏むとスピードは上がり、
詩
彼と別れて、私は自宅へ向かういつも
随 筆
185
浜松市民文芸 60 集
見回すと、何とそこは友人と別れた町中
探る様にそうっと外に出てみた。辺りを
を必至で探し、何とか見つけて、足から
う」私は、恐る恐る車の停車出来る場所
「そうだ、一度車を止めて外に出てみよ
どうしてよいか分からない」
不 安 が 自 分 を 襲 っ た。「 困 っ た 困 っ た、
自分は大の男なのに、この時ばかりは
泣きたくなってきた。どうしようもない
違いなく車は動いている。
積算計は確かに距離を加算している。間
も腑に落ちないでいる。
その後は、きわめて平凡な日常が続い
ているが、あの日だけはどう考えても今
「まさか私が、
こんな経験をするなんて」
で 道 に 迷 っ て し ま っ た の で あ ろ う か?
するあまり、うっかりして霧の恐怖の中
の「気をつけて帰れよ」との言葉を気に
ったのではなかろうか。それとも、木村
それから数日間その日の事を振り返っ
て考えてみると、自分は『狐憑き』に遭
事が出来た。
やれやれとんだ一日だった。
宅へと運転して、今度は無事に家へ帰る
[入 選]
忘れられない人
石 山 武
平成二十四年七月七日、A市の老人施
設に入所している御婦人のTさんに電話
をする。
「あれ! 石山さんこんにちは!」
いつもと変らぬ元気な声にほっとす
る。一年ほど前から毎月一度は電話をし
ていたが、七月七日はTさんが米寿を迎
「Tさん、お誕生日おめでとうございま
(中区)
の小さな工場の前であり、しかもその時
と同じ位置、全く同じ場所に車が停車し
す」
えたのに合せて電話をした。
タバコを一本取り出し、火をつけてゆ
っくりと吹かした。暫くすると、少しず
ていた。
つ霧が薄くなってきた。
る な ん て 石 山 さ ん し か い な い わ よ。 本 当
ていてくれたの! 八十八だなんて嬉し
い齢じゃないけど、こうして電話をくれ
「いや! 石山さん、私の誕生日を覚え
て座っているのが分かった。この後、霧
よく見ると、右手側面にはお稲荷さん
があり、手前には狐の銅像が向かい合っ
はすっかり晴れてしまった。
わ。ありがとうね」
何 度 の「 あ り が と う 」 も 涙 声 と な り そ
に あ り が と う ね。 と っ て も 嬉 し か っ た
結局、何処をどう走ったのかは分から
なかった。又暫く車の中で休んだ後、「こ
んな事ってあるのかな」と思いつつ、自
186
中で気の合った静岡県内の男性四人、女
席します」
との連絡後は出席しなくなる。
集 ま り に は 必 ず 出 席 し た T さ ん だ が、
数 年 後 に は、「 体 力 に 自 信 が 無 い か ら 欠
に嬉しかった。
人だから」と、言ってくれたときは本当
米寿の誕生日から翌月の八月末に電話
したときには、
になる。
何時も必ず言ってくれる此の一言に、
来月もまた電話をしてやらにゃ! の気
よ」
をくれるなんて石山さんしかいないわ
の声に熱いものが込み上げてきた。
性五人が「N会」という親睦会を作って
同時に私は、月一回は必ず手紙を出す
ことにした。
この手紙作戦もTさんから、
「私も内臓は何処も悪くないけどね! つ
から八年が過ぎていた。
「石山さん、私も手紙を書くのも大変だ
ただ腰痛がひどくてね! もうそれも長
いものだから腰さえ良くなればね!」
なんか吹飛ばして頑張って下さいよ」
いつもと変らぬ元気な声のTさんに、
「まだまだ米寿を迎えたばかりだで腰痛
い
メンバーのSさんが営む居酒屋で、年
に何度か集まっては日中から飲み会を開
から、F記の投稿も辞めることにしまし
T さ ん は、「 静 岡 F 記 」 の 名 前 で 年 に
二回発行している投稿本の仲間だ。その
いた。
チェンジする。
こうして月末になると必ず電話をかけ
るのが定番になる。
た」と、手紙を頂いてからは電話作戦に
年輩の方が多く、私は貴重な若手?
社会的にも地位のある人たちだが、上か
ら目線の人は無く、無一物の私にも気軽
に声をかけてくれるのが楽しくて欠席す
A市に住んでいたが、ご主人を亡くさ
れてから、浜松在住の息子さんと同居す
Tさんは眼鏡をかけた細身で小柄な、
品のよいご婦人であった。
嬉しそうなTさんの顔が、受話器を通
して鮮明に浮かんで私のほうが嬉しくな
ね! でも嬉しい。手紙と違って石山さ
んの声が聴けるもの」
く れ る な ん て、 石 山 さ ん 本 当 に 悪 い わ
「それでも、八十八にもなっちゃ! ハ
ハハ」
るが、二年余で再びA市に戻り施設に入
った。
ることは無かった。
初めての電話は「まさか」と思ったの
か、「 お 忙 し い の に、 わ ざ わ ざ お 電 話 を
所したと、これまでのことを初対面のと
定型俳句
自由律俳句
川 柳
月 が 変 っ て 十 月 二 十 三 日 の こ と、 い つ
ものように施設に電話をかける。
何とも気になりながら受話器を置いた。
ところが、九月はいつもと違って声も
小 さ く、 弱 音 ば か り を 口 に す る T さ ん が
笑い声で答えてくれたのが嬉しくてお
もわず「ニンマリ」となる。
きから話してくれた。
「Tさんは外泊中で現在は施設に居ませ
短 歌
こうして月末になると、必ず電話をか
けるのが定番に、たった一本の電話に、
詩
ビールが大好きで、飲むと無口から冗
舌へと一転する能天気の話も良く聴いて
随 筆
ん。」
評 論
「こうして、毎月かかさず心配して電話
児童文学
く れ て、
「 石 山 さ ん は、 私 の 弟 み た い な
小 説
187
浜松市民文芸 60 集
電話番号を教えてくれと言われたのが気
いつもと違って、職員の木で鼻をくく
ったような応待、それなのに何故か私の
このときTさんは胃ガンと言ったが、
息子さんから膵臓ガンの末期と聞かされ
そっと言った妻の一言が忘れられな
い。
「石山さん、私はどうしてここに居るの
でしょうね、どうしてか私にはわからな
その息子さんから再び連絡が来たの
は、八日後のこと。
ていた。
との報せに頭の中が真っ白になった。
そ れ か ら 二 日 後 の こ と、 再 び 息 子 さ ん
か ら、「 明 け 方 に 母 が 亡 く な り ま し た 」
Tさんの言葉に、妻と顔を合わせてし
まう。
いのよ」
「母は、浜松の病院に転院しました。S
にかかった。
「母は施設を退所しまして、現在はA市
それは十一月七日のこと、私たちがお
見舞いに行って僅か二日後の訃報に妻
想いを引きずったまま迎えた其の日の
夜、浜松在住の息子さんから、
内のF病院へ入院してもう施設には戻り
町 の N 病 院 で 6 階 が 病 室 で す 」 と、 場 所
から病室の番号まで教えてくれた。
「お父さん、Tさんはお父さんが来てく
疑う。すでにベッドから起き上がること
れるのを待っていたみたいに逝っちゃっ
が、
十一月五日、再び妻と市内のN病院へ
行く。
たね」
ません」
まるで他人事のように、淡々と話す声
に私は言葉を失ったが、病院の所在地だ
けは確認、その三日後、妻とF病院へと
そこには見る影も無くやせ細ったTさ
んの姿、僅か一週間ばかりでと我が目を
「石山さん何! 来てくれたの浜松から
でしょ、あんな遠い所から。それに奥さ
も出来ぬ状態。
「Tさん、石山だよ! わかるよね!」
行く。
んまで来てくれて本当にいつもありがと
「Tさん、わかるかね!」
何度も、何度も声をかけていたら、
「 石 山 さ ん 来 て く れ た、 奥 さ ん ま で い つ
すよ」
「ああ! わかるよY君だったね!」
「違いますよ、Tさん石山です、石山で
とう」
も 一 緒 に、 本 当 に あ り が と う ね、 あ り が
葬 儀 も 二 人 で 出 席 す る。 私 は 棺 の T さ
んを見て涙が止まらないまま、
うね」
じっと私の顔を見てから小さな声で、
「石山さん、奥さんとは初めてよね。奥
久しぶりに再会したTさんの目には涙
が、
さん本当にありがとう、ありがとうね」
T さ ん が 逝 っ て 丸 二 年 が 過 ぎ た。 私 の
いつもの優しいTさんの言葉が浮かん
だ。
涙声で何度も言ってくれるTさんに、
「お父さん、来てやって本当によかった
「ああ! 石山さんね、
ごめんなさいね」
いつものTさんに戻ってほっとする
も、
ね」
188
机には、老人施設の電話番号を書いたメ
モが置いたままである。
八年余の短い交流ではあったが、私に
は「忘れられない人」だ。
児童文学
評 論
(東区)
M会も、Tさんを含めて三人の方が不
帰の人となり現在では集まりも開かれる
ことは無い。
小 説
[入 選]
新聞配達の四季
の所、町の中に有る温泉施設で我慢して
いる。
旅を誘う折込広告を見るのが好きで、
あ れ こ れ 見 て は、 行 っ た 気 に な っ て い
る。折込み広告で行った気になるには、
風は天敵みたいなものだが、雨を心待ち
新聞配達をしている。今年も台風の進
路を気にしながら配達している。雨や台
ビールが一番だ。
なる。時空を越えるには、湯上がりの生
思えば明日が来る。昨日を思えば昨日に
想像力だけあれば充分だ。
にしている人たちもいるので、雨をそう
周 東 利 信
邪険に出来ない。台風一過、秋の到来も
宇宙で、地球上で、人間社会で大切な
ことは順番だ。季節の順番は特に守って
さわやかな風に裸の心で向きあえば、
旅行への思いはつのるばかりだ。明日を
早いようで、すでに秋風が吹き始めた。
いが。
袖にするか迷うことが多い。六十六歳、
る。季節の変り目は、長袖にするか、半
配達を始める頃には、丁度良くなってい
の生き方を示唆しているようでおもしろ
私の住んでいる浜松では、気の早い桜
が予想を裏切って咲き始める。早く咲け
れしい。
春が来ればまず桜の開花が待たれる。
新聞には開花予想の桜前線が載るのでう
欲 し い。 誰 に た の め ば い い の か わ か ら な
私 の 仕 事 は、 季 節 を 肌 で 感 じ ら れ る
が、着る物の選択が難しい。六年の経験
身体のあちこちに痛みを感じ始めた。
い。
で、家から店まで行く時、少し寒い方が、
新聞には、月に一度休刊日が有り、日
曜日の朝刊を配達すると月曜日の夕刊ま
定型俳句
自由律俳句
川 柳
ば、それだけ早く散ってしまうのに、人
で 時 間 が あ く の で、 こ の 時 間 を 利 用 し
短 歌
空気が暖かくなって来るとホコリが空
詩
て、日帰りの温泉地を探しているが、今
随 筆
189
浜松市民文芸 60 集
が唄っていた「花の首かざり」。
ける。若い頃、タイガースの加橋かつみ
道端で成長不良の線の細いポピーを見か
で特に好きなのは、ヒナゲシ(ポピー)、
団地の生け垣はドウダンツツジ。春の花
拳を上げて怒を現わす。私の家の近くの
る。コブシは正義感が強く、白く咲いて
肩にポットリ椿だった」という句があ
花の対抗意識、山頭火の句に「風吹いて
らしい。木蓮の花びらの裏表。椿と山茶
ウゲ。バラには人の名前をつけてもいい
多さには驚く。何処からか香るジンチョ
れてはならない。チューリップの種類の
目を引く。スイセンの清楚に咲く姿を忘
る。スミレの仲間は可愛い、小さいのに
ているので、目を楽しませてもらってい
家が多く、必ず花壇が有り、手入れされ
い。私が配っている地域は、敷地の広い
るほど色とりどりの花が咲くのはうれし
ながらの生活になる。それを帳消しにす
中を舞うようになって鼻をムズムズさせ
の原料になると聞いたことがある。
ジサイ、灌仏会に釈迦の像にそそぐ甘茶
木かと思っていたが偶然らしい。ガクア
紅い花が咲いていて、仏教に関係のある
い。サルスベリ、子供の頃、お寺の庭に
は、人には言えない苦労をしたに違いな
して心はアザミ、日本の風土に根づくに
からの帰化植物のタカサゴユリ、白い顔
腕 を 思 わ せ る 茎 を 持 つ ア マ リ リ ス。 台 湾
たことがない、きっと一刻者。妻の二の
原にはカワラナデシコ。万年青の花を見
サビの世界が出来る。静岡の阿倍川の川
壁 を 作 っ て テ ッ セ ン を 這 わ せ る と、 ワ ビ
良 く 合 う テ ッ セ ン( ク レ マ チ ス )
、竹で
される、きっと昆虫たちの飛行場。竹と
出がある。芙蓉の花の大きさには驚ろか
ナ、落下傘のように飛ばして遊んだ思い
クラ。花の根元の蜜をなめたオシロイバ
よくみる。絨毯のように地を這うシバザ
に入る最後の日、生徒が持って帰る姿を
賀の千代女の有名な句。小学校の夏休み
「朝顔につるべ取られてもらい水」
、加
も う 一 誌 は、 自 由 律 俳 句 誌「 層 雲 」
。こ
る。私の知っているホトトギスは、百年
る。ホトトギスという花がある。鳥もい
る。三葉なので、白ツメ草と良く似てい
モ ク セ イ。 う ち の 庭 に オ キ ザ リ ス が あ
風が吹けば、何処からともなく香るキン
守ってくれると思えば一層いとおしい。
は、私達の悲しみの伝わる場所にいて見
咲いているのを見かける。身近にいるの
岸花は、土手で群生していたり、畦道に
がなければウコンと間違えてしまう。彼
ってくれた菊人形。カンナと言えば、花
は、子供の頃、父が浅草へ見に連れて行
せ い に こ ち ら を 見 る。 菊 で 思 い 出 す の
秋といえばいやでもセンチメンタルに
なってくる。代表的な花コスモス、いっ
の間、この話ばかりしていた。
映画を見て感動したらしくて、しばらく
ソフィアローレンの「ヒマワリ」という
リには強い思い入れがある。私の母が、
日常生活になってしまう。それにヒマワ
の 泡 が あ ふ れ 出 て い る よ う で は、 だ る い
必要だ。私のように、頭の中からビール
以上続いた俳句の文芸誌。蛇足ながら、
夏 の 花 で は、 ヒ マ ワ リ を 尊 敬 し て い
る。暑いなかひたすら咲くには、摂生が
「 夏 が 来 れ ば 思 い 出 す ……」 こ ん な 歌
を口ずさむ夏。むっとする空気の中をポ
ンポンで走るのは疲れる。
190
の二冊。フジバカマ、秋の七草の一つで、
く終って早く家に帰ろう。
明りが花に見える。外灯は道しるべ。早
(東区)
新聞を取ってくれている家のお婆さんに
もらって、うちの庭に移植した。新聞に
感謝している。それからサルビア、平成
二二年十月二三日(土)、朝日新聞の「う
たの旅人」というページに「サルビアの
花」を作曲した「早川義夫」の記事があ
ったので、スクラップしている。
[入 選]
誘惑に負けた日
恩 田 恭 子
昭和十年、日本は戦争へ戦争へと国民
一丸となって突き進んでいく時代に私は
冬になると、風景はさびしくなる。人
景のない風景は冬の下僕。その中で、大
ってみたい。
ば何でも手に入った。そして貧しい人は
価格」
。山持ちのお代様は山の木を売れ
厳しくなった。そこで生まれたのが「闇
「欲しがりません、
「ぜいたくは敵だ」
勝つまでは」そういったスローガンが流
生まれた。
根は頑張っている。葉なのか花なのかわ
ますます苦しくなっていった。
私は、ジャズボーカル同好会に入って
いて、今回の課題曲が「枯葉」。今の所、
からないハボタン。今はないがヤマハの
発表会の予定はないが、いつか人前で唄
工場の生垣に使われていたピラカンサ、
そ の こ ろ 私 は 小 学 一 年 生、 時 代 は い よ
いよ戦争に突入、世の中はますます厳し
評 論
定型俳句
自由律俳句
川 柳
で 細 い 山 道 を 歩 い て 帰 っ た。 そ の 帰 り
私の家は山奥にあり学校からは片道約
四キロメートル、途中からはいつも一人
してしまった。
れ、自給自足が叫ばれ食糧難はいよいよ
時期になると、オレンジ色の塀になる。
短 歌
ツワブキがキク科の植物とは知らなかっ
詩
くなっていった。そんな中、私は泥棒を
随 筆
た。
それぞれに思い入れのある花に癒され
ながらの新聞配達。花を愛でるのが単純
な仕事を楽しくする秘訣だ。
児童文学
寒さに震えながらの配達。この時期は
小 説
191
浜松市民文芸 60 集
でもそれは人の物を盗むということ。
誰かが来るかもしれない。どこかで見て
(とりたい、食べたい)
その日も私はその小さなイチゴを眺め
ていた。
を食べたいと常々思っていた。
いる。私はこの小さなイチゴ(桑の実)
「とってくれ」と言わんばかりに実って
ゴ、そのイチゴが手の届く所にたくさん
わに実った桑の実はまるで小さなイチ
すかせている、そんな時代だった。たわ
時は食糧難で誰もが二十四時間おなかを
それを眺めるのが日課になっていた。当
色をかえ、とてもきれいであった。私は
の実は青から赤へ、赤から紫へと日毎に
木があり、たわわに実がついていた。そ
った。道端にたった一本だが大きな桑の
道、私が毎日楽しみにしていることがあ
「全然食べないもん。しらんもん」
「そんなことはないよ。食べたでしょ」
と言った。
「食べん。絶対に食べん」
ら」
「ヤアコはあそこの桑の実を食べてきた
「おかえり」とこちらを見た母は即座に
「ただいま」平静を装う私に、
た。
その思いをかき消すようにして家に帰っ
な 思 い が 頭 の 中 で ぐ る ぐ る 回 っ た。 私 は
だ 」 っ て 言 わ れ る か も し れ な い と、 そ ん
「 ヤ ア コ ち ゃ ん は 桑 の 実 を と っ た。 泥 棒
んなにこのことが広がって、
んだ、大泥棒だ。明日学校へ行ったらみ
た。私の頭の中は、人の物をとった、盗
られ急いで沢の水で口をすすぎ吐き出し
と思ったのはほんの一瞬。私は大変な
ことをしてしまったという後悔の念に駆
(甘かった。おいしかった)
突然、母が、
「ヤアコ、きょうはどうかしたか?」
か、そう思っていた。
みたい。何とかして休むことはできない
言われる。どうしよう。明日は学校を休
またもや心の中がむしゃくしゃした。
顔を洗って拭いても心は晴れなかった。
い」
私は母に揺り起こされた。
「いい加減に起きて顔を洗ってきなさ
せ小学校一年生である。
に、いつの間にか眠ってしまった。なに
と心の中で渦を巻き混乱しているうち
この時初めて〝死ぬこと〟を考えた。
〝泥棒〟と〝死〟という二つの言葉が頭
いんだ)
う私は生きてはいられない。死ぬしかな
(ああ、もう私は泥棒になったんだ。も
った。
ついていたのだ。口をすすいで吐き出し
かめ、私は手を伸ばし実をとった。そし
「どうして?」
明日は学校へ行くとみんなに泥棒だって
たことでそれを忘れることにしたはずだ
いるかもしれない。
母は笑いながら、
「鏡を見てきてごらん」そう言った。
「なんにもしゃべらんじゃん。きょう先
私はついに誘惑に負けた。右を見て左
を見て後ろも見て、誰もいないことを確
鏡を見た私はびっくりした。顔中が紫
色になっていたのだ。袖口で拭ったのが
て口の中へ放り込むと一目散に駆け出し
た。
192
かんし、悪いことをしたら謝らなきゃい
「だけどねヤアコ、人の物をとってはい
「いや、いや、いやだ。絶対にいやだ」
ら、一緒に謝りに行こう」
こ う。 あ の 桑 は 永 田 さ ん の 家 の 木 だ か
らお母ちゃんと一緒に永田さんの家へ行
がね、いいことを教えてあげる。これか
っただねえ。つらかったね。お母ちゃん
か。どうもそうだと思ったよ。食べたか
「 そ う か、 ヤ ア コ は 桑 の 実 を 食 べ た だ
私は涙をボロボロ流して、桑の実を食
べたことを白状した。
ん。言うと楽になるで」そう言った。
それから母は、私のそばへ寄って、
「 ヤ ア コ、 な に が あ っ た か 言 っ て ご ら
何を言っても私の気持ちは母にはわか
ってもらえないだろうと思っていた。
「知らん」
ね」そう言ってくれた。私は母の後ろで
心配しないで明日元気に学校へ行きない
かんよ。きょうのことはもういいから、
うこれからは人の物をとって食べてはい
「とって食べたものは仕方がないが、も
ではなかったからだ。
か、正直後悔の気持ちが大きく味どころ
私は黙って下を向いていた。
(桑の実なんてうまいもんか)という
だか? うまかったか?」
「ヤアコちゃん、桑の実をとって食べた
ばあさんに謝り、頼んでくれた。
勘弁してやってください」そう言ってお
すよ。申し訳ありませんでした。どうか
実をとったってうちへきて白状したんで
「きょう学校帰りにヤアコがお宅の桑の
が代弁してくれた。
永田さんの家は少し遠かった。勇気を
出して家の中に入った。黙っていると母
私はこっくり頷いて母の後についてい
った。
た。
ても大泥棒にならなくて本当によかっ
一生消えることはないようだ。それにし
私が子育ての頃、ふと思い出すことが
あった。やはりこのことは私の心の中に
何年もの間、その桑の木を見るたびに
心が痛んだ。そして、私が故郷を離れて
とができた。
して翌日はいつものように学校へ行くこ
とつぶやいた。ようやくほっとした。そ
私は心の中で(お母ちゃん、
ありがとう)
て く れ た。 母 の 手 は と て も 温 か か っ た 。
おばあさんのやさしい声がうれしかっ
た。帰り道、母は私の手をしっかり握っ
定型俳句
自由律俳句
川 柳
(天竜区)
何年かののち、
その木はなくなっていた。
「いいんだよ。もう忘れなさいね」
「堪忍してね」と謝った。
見て勇気を出し、小さな声で、
かん。桑の実だって永田さんがいつ採ろ
生に何か怒られた?」
うかって楽しみに待っていたかもしらん
こっくり頷いた。
短 歌
「本当に申し訳ないねえ」
詩
よ。だから謝りに行って心をすっきりさ
随 筆
せると明日学校へ楽に行けるからね」母
評 論
母は深く頭を下げた。私はそんな母を
児童文学
はそう言うのだった。
小 説
193
浜松市民文芸 60 集
随 筆 講 評
たかはたけいこ
『潮目が変わった』と書いたのは二年前だ。
今年の応募作品は更にテーマと質もあがった。何より一遍
あたりの文章量が多く、実に読み応えのある今回の応募作品
群だった。描かれているテーマも多様で、日本社会は確実に
変わっているなと感じた。
とりわけ社会的に「高齢者」と呼ばれるようになった団塊
の世代の作品群に共鳴した。どう生きるか、どう死ぬのか。
どんな状況であれ、常に人間は自分の生と死と向かい合っ
て生きていることに変わりはない。
日本は戦後七十年を迎える。まさに戦争を知らない世代が
社会の大半を占めている。
だからこそ文字の力を私は信じたい。戦争が私たちに残し
たもの、戦後の高度成長時代にもたらした価値観。
文芸賞
牡丹餅
見送った『かみさん』のレシピで牡丹餅を作る筆者がいる。
牡丹餅だけはない。生活のところどころに『かみさん』は現
れて、菜園で、庭で筆者と家族と共に今も生きている。
ふと思う。人の死はなんなのか? 呼吸が止まり、骨にな
り存在しなくなったら、それがその人の死なのか。否、相手
の心の中に生き続ける限り、その人は死んでいない。
夫婦のあり方、死のとらえ方を考えさせられる作品だ。
エレキと草むしり
団塊の世代が高齢者の仲間入りをした。日本の高度成長期
を駆け抜けて、最前線で戦ってきた世代だ。同時に終戦後の
新しい若者文化を享受した世代でもある。
筆者はじいさんだと開き直りながらも、インターネットを
使いこなし、エレキギターをかき鳴らす。新しい爺さん像が
この作品にはある。
浮遊
の 居 場 所 を 定 め る こ と が で き な い。 わ か っ て い る の は 私 が
無限だと教えられている宇宙の向こうに何があるのか? 宇宙全体が無限という分母がないものだから、私たちは自分
浜松市という公の文芸賞だからこそ、私はこの冊子におさ
められるものは、その時代に書くべくして書かれた、市民の
今、ここにいることだけ。筆者は考える。私はどこにいる?
その時、生きている人にしか書けない文章がある。
生活史であって欲しいのだ。
どんな風にいる? 答えは筆者もまた、そこに確かにいるこ
194
メキと手放す時の心苦しさはなんだろうかと。
し方。暗く重いテーマなのに筆者の筆が軽いので、読者は物
白い割烹着
てんかんの病を持ったふたりの姉がなくなった場面から、
筆者の回想は始まる。特殊な病ゆえの偏見や、家庭内での接
とだ。
入選
十円玉
筆者と二人の弟の思い出を軸に、時代と家族が描かれてい
る。大人になってそれぞれの家庭を持っても、なお続く、家
語に吸い込まれていく。そして物語は母親の真っ白な割烹着
消費大国になった現代日本の側面が浮かび上がる。
族の絆。順番に来るはずの老いや死が弟の死によって、乱さ
によって、ふいに途切れる。
老人
続きや真相を知りたいと思う一方で、これが筆者の意図的
なものなら、巧みな書き手である。
届ける息子と玄関まで来ているのに、なぜ会って帰らないの
穏やかな老後を過ごすはずの「我が家」が市の区画整理に
よって、奪われてしまうところからストーリーは始まる。
ケーキの空き箱を大事に部屋に飾るSさん。
誕生日の翌日、
老いること、生きること、介護することを考えさせられる
作品に仕上がった。
高度成長はたくさんのモノを私たちにもたらした。一生、
かかっても着れない服を現代人はタンスのなかに持ってい
夢のような
す。「老人で生きていくぜ」と言わんばかりに。
そして、頭では理解していた「老人」に自身がなってしま
っ た こ と を 知 る。 筆 者 は 自 転 車 を 強 く こ い で 未 来 へ 走 り 出
る。筆者はため込んだ衣服を処分していく。服の処分が終わ
評 論
随 筆
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
先輩、後輩だとわかる。さらにふたりとも互いの伴侶を亡く
偶然、声をかけた老人は特攻隊あがりだというので、筆者
は興味を持ち、話を聞く。やがて、老人と筆者は同じ高校の
断捨離
筆者は仮住まいのマンションに引っ越しして、今までと、
これからを考える。
だと感じる母親と筆者。
老 人 施 設 で 働 く 筆 者 が 描 く、 主 人 公 S さ ん の 誕 生 日 の 一
日。母親の誕生日に施設で暮らす人たちの分までのケーキを
空箱
れる。それでも筆者の家族は生きていく。たくましい作品。
詩
った時、バッグ類も処分したくなり、愛用していた鞄を持ち
出して過去の自分と仕事に向き合う。
児童文学
すべての処分が終わった時、筆者は考える。買う時のトキ
小 説
195
浜松市民文芸 60 集
老人は筆者に「結婚しようか」と持ちかける。その唐突な
申し出に筆者は現実に引き戻され、老人と別れるのだが、筆
して独身であることもわかる。
き、とうとう亡くなってしまう。そうしてTさんは忘れられ
そ の ま ま 続 い て い く が、 T さ ん は ゆ っ く り と 壊 れ 始 め て い
が、温かで確かなものだ。施設に入った当初は手紙でのやり
新聞配達の四季
還暦を過ぎた筆者は新聞配達をしている。四季の移ろいに
筆者の人生の今までと、これからが重なる。なにより筆者は
ない人として筆者の心のなかで生き続けている。
とりだったのが、月に一度の電話に変わる。ふたりの交流は
者はまだ夢の続きにいる。すおなでしなやかな作品。
私のお母さんになって
まっすぐに景色を観、風と光を感じている。まるで、新聞配
筆者は若い頃、洋裁教室を開催していて、多くの生徒さん
と出会った。その交流は教室を閉鎖した後の今日まで続いて
いる。
「お母さんになって」と思わせる人間性こそが、筆者
秀逸な一遍である。
けれど、最後はこう締めくくられている。早く終わって、
早く家に帰ろう。
達という早朝の仕事を楽しむかのように。
そのものの魅力だ。
お腹を痛めて産んだ子供だけが、子供ではない。読者に勇
気を与える一遍に仕上がった。
不思議な一日
実を食べてしまう。
昭和十年生まれの筆者は、戦争のさなかで育った。食べ物
に事欠く暮らしのなかで、学校からの帰路、よその家の桑の
誘惑に負けた日
異変に気づいた筆者は車を停めて、外に出てみる。ゆっく
りと霧が晴れてきて、筆者は出発地点にいて、そこにお稲荷
霧がかかり始めた道を車を走らせる。走っても走っても先
は見えない。車全体が宙に浮く感じがする。
さんを見つける。
食べた直後に後悔をするが、帰宅して、母親に桑の実を盗
み食いしたことを告白する。
た。
母は筆者を連れて、桑の所有者の家に謝りにいく。良い母
親に育てられた子供は良い母親になる。そう感じた作品だっ
本当に体験した人にしか書けないリアリティがある作品に
仕上がった。
忘れられない人
投稿本仲間のTさんと筆者のつながりは、淡々としている
196
詩
[市民文芸賞]
幾重にも重なった紙との対面の繰り返し
何度も何度も
剥がした先に見えたもの
今にも崩れ落ちそうな儚さ
熱く強い想いを重ねていくと
まるで違う色姿に変わってしまう
本来あった色はすっぽり隠れ
川 柳
それは、何百年も前に生きた絵師の息遣いと気迫
重ねるとはなんと奥深いのだろう
破れそうな薄紙を丁寧に貼り
大切なものを壊さぬよう閉じ込める
薄衣のような紙に
はかなくも清らかな想いは散って
重ねる
竹内としみ
無機質なピンセットをそっと当て
厚く色の濃いものを重ねると
ゆっくりはがしていく
重ねるむずかしさ
重ねる愛おしさ
そんなことを一幅の掛け軸の秘密の中に思う
込める思いは
自由律俳句
重ねることにより守られていく
定型俳句
色あせぬ思いは
短 歌
遠い彼方のおぼろな時間
繊細な手の動きに息を呑む
そこに見る静かな闘い
テレビの小さな画面の中
それは気の遠くなる作業
漆黒の情念の渦に襲われる
詩
何枚も何枚も
随 筆
それを、そっと包みこむ一幅の掛け軸
評 論
誰をも強く揺り動かすことだろう
児童文学
沈黙の修復作業が続く
小 説
197
浜松市民文芸 60 集
いつのまにか、私は
今にも切れそうな糸のごと
時間のベールを凝視し微かに揺れ
冷たく光るメタルの先端にいた
(中区)
[市民文芸賞]
こだま
谺
天秤棒で肥を担いで
父が笹の生い茂った坂の細道を
山の畑へ向う
北 野 幸 子
母と子供の私が鍬を担いで後へ続く
戦時の食糧難時代
提灯花と呼ばれた螢袋が
この辺りに咲いていた
その花摘むな 雨が降る
どこかで呼んでる亡母の声
野茨が切なく匂う山路
さるとりいばらの刺に邪魔されながら
百姓は嫌いだ
親の後ろ姿を見る度に思った
日がな一日休む間もなく不如意に暮しながらそれでも母はよ
く〈二宮金次郎〉のうたをうたって教えてくれた
198
今でも終りまで歌うことができる
私は二人の子供に何を教えてあげただろうか
エッサ、エッサと!
子供心にも只ごとならむ適意のようなものを抱きながら登っ
たこの山道
しかし
過去はなつかしいものに美化されていく
森羅万象すべて純粋に
夕焼の空の向うには何があるのだろう
夢見たむかし
彼方に続く山の稜線
あの辺りがあの世とこの世の境目か
[市民文芸賞]
祈る
〈神〉とは何か を知りたくて
吉野の山を訪れた
自由律俳句
川 柳
辻 上 隆 明
暮らしの中に樹木がある のではない
樹木の中に暮らしがある
原郷 への旅
古い神の在す
父母兄妹の若やいだ顔ぶれ
みんな山の向うへ行ってしまった
信仰の源 への旅
怨霊を利益に転じる
人を神と祭る その前の
まして軍神なんぞを祭る前の
「馬鹿あ」と呼びかければ「何だとお」と
山彦がからむ
ずっとずっと古い神の社を
定型俳句
健やかな韻律を奏でる森
短 歌
不協和音のよどんだ森
たのかあ」谺が返ってきた
或る漫画のジョークに思い出し笑いをしていたら「どうかし
山に向って「オーイ」と呼べば「オーイ」と答える
詩
六月の夕映え
随 筆
太陽が昔と変らない
評 論
快哉と心痛の交錯する道中だった
児童文学
山の窪みへ沈んでいく (東区)
小 説
199
浜松市民文芸 60 集
新しい家々の集まっている
村落へ出た 川上村
行政的につくられた集落だ
亡くなった人たちへの追悼の念を
在り方への反省へとつなげたい
〈在る〉ことの不思議を思い
すぐ下流にダム湖がある
蜩が鳴きわたっていく
内なる森を
掌を合わせ〈祈る〉
謙虚であれ と戒める……
村道が水中に入り込んでいる
側を流れる川は深く
水底には旧い家々が沈んでいる
神社さえ移された
「天下万民の幸福のため」という
万民の幸福 現世利益をうたっている
〈水の神〉が山の中腹に移されたのだ
本能だけでは生きられず
〈神〉を必要とした人間
人間が産んだ〈神〉
それは 風土が産んだ〈神〉だ
近年「自然災害」が続いている
地震も台風も火山噴火も
地球が生きている証
「災害」は人間の論理
〈神〉を忘れた人間の罰
畏れ敬うことを忘れた……
(中区)
200
[入 選]
偶感・時Ⅱ
浅 井 常 義
小春日和の中多くの仲間たちに交じり青い空を漠然と眺め
ていました。
先ほどまでは多くの見物者の足に踏みつけられ悲鳴を上げ
ていたのに誰も気づいてはくれませんでした。
僅かばかり前には、私の着飾った姿は人目を惹き気取った
姿に感嘆の声を上げてくれたのに、今はただ悲しさだけに支
配されているのです。
過ぎ去った日の思い出は、暖かな日差しと、柔らかな風に
愛撫されながら好奇心に満ちて、思考能力を一点に絞り込み
静かに芽生える日を待ち望んでいました。
今日は、小枝を揺らす風に情熱を燃やして、愛する人の手
で摘み取ってくれるのを心待ちにしているのです。
児童文学
評 論
随 筆
この美しい姿を焼きつけ、愛読書に栞として何時までも大
切に使い続けてほしいのです。
小 説
詩
今の盛りを逃せば美しい色は次第にくすみ摘み取られたと
してもすぐ捨てられだけのことでしょう。
たとえ苦しくとも、散る事さえ儘ならず哀れな姿を晒し孤
独感に苛まされながら朽ち果てる日を待ち続ける事は御免こ
うむりたいのです。
今日まで精一杯根を張り、花を咲かせ、実も結び、後継ぎ
まで育ちもう充分だと、枯れ葉になった今になって考え始め
たのです。
もう構わずに散るべき時に、静かに散って行きたいと思い
始めたのです。
散る自由を奪って守ってくれたとしても、所詮残り時間は
知れたものだからです。
「仲間
木枯らしの吹き溜まりに、私を見つけてくれたら、
たちと仲よく暮らして淋しくないから心配などしなくて良い
よ」と伝えてほしい。
定型俳句
自由律俳句
川 柳
(中区)
ふる里の自然を思い出しながら大地の下でいつまでも思い
出の中に生き続けていけたら良いのですからと思っているの
です。
短 歌
201
[入 選]
大 庭 拓 郎
(南区)
確かに存在すると思う。受け継ぎしドクダミ茶を入れて飲み
妻に供える朝のひととき。
[入 選]
自分へ
あんたは、すぐ周りを気にするね。
加藤貴代美
わが家の風物詩、亡き妻の秘伝だ。
あんたは、すぐグズグズ言うね。
みんなから好かれるなんて無理だよ。
ドクダミ茶と梅干しはわが家の伝統になった。
書いてくれてある。
かみさんが梅の漬け方をノートに
優しくて、素直だから。
でも、あんた、少しは、いいとこあるよ。
だから、疲れてしまうんだよ。
背伸びばかりする私。
ドクターだって、言ったじゃない。
かみさんはこの世に居ないだけで、
瓶も底を突いたが大丈夫。
祥月命日にも梅干しをご飯に添えるので、
お盆には必ず好物の梅干しと一緒に供える。
えも言われぬドクダミ茶になる。
細かく刻んで炒めて煎じると、
刈り取って乾燥する。
健やかに育った。梅雨が明けると枝葉を
庭のドクダミ、かみさんが植えた幼芽が
ドクダミ茶
浜松市民文芸 60 集
202
そういう長所を活かして、周りの人を、救っていこうよ。
悲劇のヒロインは、もうやめるよ。
だけど、みんな苦労しながら、生きている
こんな私が、一番、幸せ
[入 選]
匂い立つ
(中区)
さくら珠ゞ音
少しずつ成長しながら、生きていくよ。
気持ちが、よく分かるよね。
仲間はずれにあったこと。
悪口を言われたこと。
こころの病になったこと。
離婚したこと。
いろいろ経験したじゃない。
壊れたこともあったよね。
でも、何とか今までやってきた。
頑張ってきたよね。
その経験を活かして、今度は、私が聞いてあげよう。
死にたい時も、いっぱいあったよね。
自殺未遂も何回もしたよね。
でも、死ねなかった。
短 歌
定型俳句
それは散るとき 散り始め
さくらの花の 花びらのように
花びらが 薔薇の香りを漂わせ
クラッシック・ローズの薫り高いかぐわしさに身を包まれる
生きる使命があると、周りは言ってくれる。
随 筆
川 柳
さんざん迷惑をかけても、離れていかない友達。
評 論
自由律俳句
とき
詩
みんないい子ばかりだ。
だから今、生きているんだよね。
私の人生、楽しい時より、苦しい時が多かった。
児童文学
自分が、この世で一番、不幸だと思っていた。
小 説
203
!!
浜松市民文芸 60 集
はらりはらりと はらはらと はらはらはらはら はらはら
と
散って零れて降り積もる
夜の静けさのあいだで
[入 選]
ひとりごと
す
どうして教えてくれなかったのですか
夜が深まるほどに 濃厚な香りが強くなっていき
息が止まりそうなほどに
呼吸ができなくなるほどに
おいしい物がいっぱいあり
みんな若く しなやかで
うたうことも知っていました
私たちは
出口が無かったことを
暖かい場所に
この暗い
闇に覆われた世界に 香り立つ
視覚を奪われたためにより一層に 匂い立つ
青い夜が降ってくる
香りで呼吸器を塞がれてしまう
はらはら
心通う友があり
はらりはらりと はらはらと はらはらはらはら
と
光のない部屋でも
痛みをもたずに暮らしていました
散って零れて降り積もる
(浜北区)
私自身が光だったのです
○月×日
涼しい風に吹かれたくなりました
よそのおばさんの
み
れ
204
棘あることばが
今も私は生きています
体は無くなったけれど
あなたのこころの中に
殺してくれた
見つけて
聞きたくなりました
でも
ふくらんで
中味がなくて
自分でも認識できない物体になった
私の出口は
どこにも無かった
かなしみが
私を目覚めさせ
余分なものを燃やしつづけ
残った私は
どこにも留まらない
万物を雲のように出現と消滅を続けて
(西区)
川 柳
髙 柳 龍 夫
明るい光が降りそそぎ
絶えず見えない秒針が
時の流れは一方向
あなたの叫び声で
定型俳句
あらゆる変化における必須要素
が時間
短 歌
自由律俳句
やっと分かりました
詩
満足の時
[入 選]
無かったのです
随 筆
岩さえ刻み取っては海へと運ぶ
いったい何なのだろう
私は
評 論
プランターの底の
児童文学
なめくじだったのです
小 説
205
浜松市民文芸 60 集
海と陸と血液のマダラ模様
惑星表面に生じる不均一
拡散一方の宇宙の乱雑さ
脈動のリズムが響き渡れば
贅を尽くした宴に飽きるまで
あまりの豊饒にあまりの誤解
ヒイラギの小枝を刺したイワシの頭
幸運の矢と不運の矢
幾たび繰り返した光の昼と闇の夜
心も躍る時
今日は特別
生真面目に虚空を回る太陽までが
西のかなたに沈むのは
偶然の重なりと
一度限りの試行に挑む
時の流れに生きる者たちは
今生一番のうれしさに
伝えられて感じられて
時空を越えた智恵の謎
ささやかながら今更ながら
調和の保持と同様に確からしい
自らの寿命に拘束されながら
満足の時
気持のよい新たな始まり
秩序を再生一新
成長の過程にある限り生命は
まばゆく白く輝く時間
幾多の障害を乗り越えて
這い泳ぎ走り飛ぶ
歌い叫び踊るなどなど
あらゆる動作における必須要素
が時間
時と共に肉体が浴びる
(西区)
206
[入 選]
からまつの葉は金の粒
滝 澤 幸 一
高い木は切られて
その一面は空が開けていた
あれは夢なんかじゃない
濃紺の高い空から
金色の光が
しばらくは
きらきらきらきら
なにかわからず
あれは夢なんかじゃない
濃紺の高い空に
それはからまつの紅葉が
夢心地だった
二人の娘を連れて
短 歌
定型俳句
からまつの葉は金の粒だった
天に放たれて
青空に泳ぐスターダスト
中学生と小学生の
きらきらきらきら
詩
ただ天を仰いでいただけ
随 筆
金の粒が降り注いだ日
評 論
日帰りで出掛けた 美ヶ原
十月の末だったと思う
有料道路の入り口までの
急な坂道はからまつの紅葉
金色、そして赤黄金色
この色はからまつだけのもの
つづら折りの坂の途中に
児童文学
湧水の出る処があった
小 説
自由律俳句
(北区)
川 柳
207
[入 選]
どっちがいいのと
天使と悪魔が
きいてくる
選べないなら
手を放せばいい
黒でも
体中から流れてきた
楽しい音が
つないだ手から
天使と手をつないだら
過去の出来事が流れていく
まるで映画のように
目の前がセピア色になった
つないだ手がまっくろになって
悪魔と手をつないだら
手を差し出してきた
私にそういって
一緒に手をつなごうよ
舞い降りた
天使と悪魔が手をつないで
天使と悪魔が冷やかしている
雲のすき間から
届かない
その手の音には
泳いでも
泳いでも
冷やかしている
手をたたいて私を
ここまでおいでと
遠くの岸から誰かが
溺れてもがいていた
現実という海の中で
気がつけば
つかんでみな
君自身の手で
白でもないのなら
目の前が未来に向かい
手の鳴る方へ
さあ
笑顔でいっぱい
中 田 智 美
手 ―ライフ―
浜松市民文芸 60 集
(中区)
208
[入 選]
言葉の流れ
たものがあると
「事故る」事故に遭う
「パニクる」慌ててパニックになる
甘く優しい言葉は聞かず過ぎてきた
穏やかな話振りは耳に優しく心地よい
会話する言葉に人柄が見えてくる様に思う
日々を送りたい
短 歌
定型俳句
川 柳
(中区)
「告る」愛を告白する 若い世代に浸透してる 耳にひびく
感じがよくないと思う
常日頃略した言葉を使ってる若者が
さてどんな言葉で伝えたであろうか
これ「チンして」
会社の面接の時はどんな言葉だったろうか
中 村 弘 枝
電子レンヂのボタンを回してはい出来上り
此の頃若い人達の会話が
字は体を表すと聞くが
簡略したことばでわかりにくい
年を重ねて衰えてくるも
随 筆
昭和生れの教育を思い出して
国語に関する世論調査で
評 論
自由律俳句
会話と態度にも気をつけてゆったりと
ごく当り前に今も通用してる
誰が初めに使った言葉だろうか
詩
「タクる」タクシーに乗ること 余り聞いたことがない
「お茶する」喫茶店などに入る 使われているこれはスマー
トさがあってよいと思う
世間を渡ってずるがしこくなるを意味する
「世間ずれ」を半分の人が世の中の考えから外れていると誤
まって理解している
「サボる」多く使われている
文化庁は短かい言葉で効率的に相手に意味を伝えられる表現
児童文学
で日本語特徴的な造語のひとつで、すぐ廃れるものと定着し
小 説
209
[入 選]
何も
何も想えない
黄泉の国からのお迎えが 脳裏に
霞んで見えるだけだ
苦しみは人生のピークを越し
苦しみ抜いたご褒美に
与えられる死……
涙は流れたのだろうか
海水に溶けた涙は、……真水になる……
瞬時に涙となる
瞳の奥で操作され
脳に届いた悲しさが
静か
静かだ︱︱
そこだけ、しょっぱくない海
サメが涙を流しながら通り過ぎる
海の底……
部屋の中に居たはずなのに
『命は閉じ込められ
3
限界灘を越えられず
静かです
3
windowもopenされないまま
目を閉じて clause eye ―︱』
心は砕け散り
意識は朦朧となり
海底から汲み上げられた
今、貴方の飲んでいる水は
耳は機能されず
3
息は絶え絶えとなり
とめどなく涙がこぼれ落ちてくる
水気の多い女は すぐに涙をこぼす
どこに溜められていたのかと思うほど
ヒメ巴勢里
〜セウォル号沈 没 に 想 い を 馳 せ て 〜
水気の多い女の涙
浜松市民文芸 60 集
210
憂いを含んだ家々の明かりがところどころ
ポッポッと灯っているのが見える
夜が誘うその先には
ウォーターかもしれない
水気の多い女は
さ迷い出た真夜中の蚯蚓は
そして―︱
かすかに耳に聞える深夜の歌がある
今は叶わぬ夢が融けて
ぼんやり照らすと
豆電球の明りが部屋の中を
かの女の夢が今も醒めずに静かに眠る
それはそれは
……しょっぱい涙
[入 選]
己の水分を土に絡ませながら
黙々と地面を掘り返し……
足のない身体を引摺りながら
蚯蚓の這い回った跡は
翌朝みれば
跡
窓の外は
ひとりだけの世界を歌っている
払うひまなき涙のように
くねくねと曲がり、意味もなく
自由律俳句
ただ芝生の上に悔恨の泥を残すばかりだ
定型俳句
はらはらと舞い落ちる枯葉を
短 歌
淋しい冷たい雨が芝生を濡らす
松 永 真 一
水を欲しがり、ひたすら涙を流す
(中区)
詩
跡は……その跡は誰にも見向きもされない
随 筆
︱―やがて
評 論
夢の跡……心の跡、跡、跡
児童文学
暗く疲れた街路灯がポツンと点り
小 説
(西区)
川 柳
211
浜松市民文芸 60 集
詩 選 評
埋 田 昇 二
詩の言葉は美しい日本語で書かなければなりません。美しい
日本語とは美辞麗句を連ねることではありません。それは詩の
戦時の食糧難時代、天秤棒で肥を担いで山の畑へ向かう父と
山道を登りながら二宮金次郎の歌を唄って教えてくれた母。今
は作者も年老いて「父母兄弟の若やいだ顔ぶれ」も「みんな山
の 向 こ う へ 行 っ て し ま っ た 」。 そ し て「 オ ー イ 」 と 呼 び か け る
とやまびこが空しく帰ってくる。老いた年の寂しさがそくそく
と伝わってくる。
下さい。それが「詩」であるためには詩的な発想がなければな
を込めて書かなければなりません。あなた自身の言葉で書いて
せる。
う。作者は風土が産んだ「内なる森」の神に向かって掌を合わ
か ら 移 さ れ て い る。 神 を 忘 れ た 人 間 に 向 か っ て 自 然 災 害 が 襲
「 神 」 と は 何 か を 知 り た く て 信 仰 の 源、 吉 野 の 山 を 訪 れ る。
しかし、そこには不協和音のよどんだ森があって神社さえ水底
第三位「祈る」
り ま せ ん。 詩 的 発 想 と は 見 な れ た 風 景 の な か に 自 分 で も 気 が 付
香りを壊してしまいます。一つ一つの言葉を石を刻むように心
かなかった新しい発見がなければなりません。それを新しいイ
メージに書き移さなければなりません。そのときあなたの詩は
せた時も、盛りを過ぎて、孤独にさいなまれるときもある。生
。美ケ原のから
そ の 他、 亡 き 妻 の 秘 伝 だ っ た「 ド ク ダ ミ 茶 」
ま つ 林 の 紅 葉 に 金 の 粒 を み た「 か ら ま つ の 葉 は 金 の 粒 」、 蚯 蚓
の 思 い 出 に 生 き 続 け る「 偶 感・ 時 Ⅱ 」。 ナ メ ク ジ の さ び し さ を
新鮮な言葉として生き生きと甦ることができるでしょう。
絵画の修復作業といってもいろいろあるらしい。一幅の掛け
軸とあるから日本画の修復のことだろう。作品はその繊細な作
うたった「ひとりごと」。薔薇のかおりをたたえる「匂い立つ」。
の 這 い ま わ っ た 跡 に 悔 恨 の 泥 を 見 詰 め る「 跡 」、 近 頃 若 者 の 間
業について作業するものの気迫、熱く強い想い、はかなくも清
時 の 流 れ の 変 幻 を 詠 っ た「 満 足 の 時 」。 セ ウ ォ ル 号 の 沈 没 に 想
に よ く 使 わ れ る「 お 茶 す る 」
「事故る」など簡略語に時代の流
ら か な 想 い を 丹 念 に 描 い て い る。 作 業 の 奥 深 さ が 伝 わ っ て く
い を 寄 せ て「 水 気 の 多 い 女 の 涙 」 な ど の 作 品 が 印 象 に 残 り ま し
第一位「重ねる」
る。 末 尾 の 四 行 は 作 業 を 凝 視 す る 作 者 の 息 遣 い を 感 じ さ せ て 見
た。
市民文芸賞
事な表現だ。
れ を か ん じ る「 言 葉 の 流 れ 」。 人 の 生 涯 に は 華 や か に 花 を 咲 か
第二位「谺」
212
短 歌
[市民文芸賞]
東区
中 村 弘 枝
飯 田 裕 子
ま
土屋香代子
つ
中区
松浦ふみ子
勤め上げた亡夫の工場巡り行く音と匂いに逢いたくなりて 中区
短 歌
ビリビリと引き裂く音に癒されるそんな私は歪んでいるか 中区
詩
猛暑地点赤く塗られて放映さる焼き海老のごと日本列島 上の句をつぶやきながら皿洗う泡の中より結句が生まる 息かけて眼鏡のレンズ拭きており見えてるようにて見えぬ向こう側
柿の種ばかり食む君とピーナツの好きな私と炬燵にふたり 拗ねてゐるだけかも知れずみそ汁の開かない浅蜊つつついてみる この夜も腹巻をして寅さんのやうなあなたが隣に眠る 鈴 木 和 子
随 筆
川 柳
評 論
自由律俳句
中区
児童文学
定型俳句
とおき島グアムに果てし兵あまた悼みて見つむ瑠璃色の海 野ざらしの日本の戦車赤茶けるその小さきに乗りし兵らよ 明けそむる海よりかかる大き虹底に眠れる伯父も見ませり 小 説
213
浜松市民文芸 60 集
中区
石原新一郎
まどさんを心に招く春の空やぎさんのあとを
ざうさんがゆく
南区
赤 堀 「父さんが困っているから持って行く」父の
手袋母の柩に
中区
金 原 あ い
は は
物置に折りたたまれし車椅子今年の桜亡母と
視ている
[入 選]
南区
大 庭 拓 郎
夢かとも思いし妻が留守電に話し掛けくる人
の言葉で
せ
妻在りし頃のごと急くゆうまぐれ灯のなき家
の待ちいるのみを
浜北区
松 島 良 一
イヤリング夏の陽浴びて揺れている君の目見
れず我が目も揺れる
進
南区
太 田 静 子
ころころと転がる丸い錠剤の行く手追いかく
四つのまなこ
玄関に履物にぎわう三世代遠慮しながら置く
老いの靴
214
中区
小笠原靖子
常温の酒を好みし夫の逝く酔芙蓉白く開かぬ
未明
大声で喧嘩せしこと覚えなく共にし五十年後
悔の一つ
磐田市
鈴 木 敏 文
轟音が一瞬やみて堕ちていく都市の真中のブ
ラックホールへ
カプリッチオ
風孕み舞い上がりたるレジ袋狂想曲の旋律を
刻む
置き去りにした日常を横目にし吾は蒼穹の鯨
とならん
児童文学
評 論
随 筆
中区
清 水 紫 津
月ながめ紫式部源氏書きベートーベンは月光
を弾く
小 説
詩
子
南区
堀 内 独 行
亡き妻の腕ぬき借りて草むしり傍目一人も心
はふたり
中区
柳 光
出張のひとりの夜半を伝え来る夫の声を母の
ごと聞く
東区
北 島 は な
早朝の部屋にミントの花もちて訪ねてくれし
友ありがたし
定型俳句
自由律俳句
川 柳
山 本 勝 彦
中区 刈り取られ路肩にかわきゆく草の放つ香りに
行く足とめる
クレーンのブームはたかく目をひきて六十五
度の角度うつくし
高遠の囲み屋敷の座敷牢非在の人の題目聞こ
ゆ
短 歌
215
浜松市民文芸 60 集
西区
河 合 和 子
ち ち
張り替えし障子の明かりにくつろげり義父の
法要明日に控えて
中区
知久とみゑ
雲をよみ風よみ光をよみとりて暦を知らない
雪虫が飛ぶ
中区
鳥井美代子
朝毎に散歩の犬と出合いあり太郎も居たり花
ちゃんも居る
中区
髙 橋 紘 一
愚痴言わぬ人に憧れときたまに愚痴こぼし合
う友ぞまたよき
中区
浜 美 乃 里
自らの歌に送られ演歌歌手あっぱれと言ふほ
か無き最後
東区
内 藤 雅 子
平凡な日々を送れる倖せを思い知りたり年重
ねきて
浜北区
岩 城 悦 子
コスモスの薄紫は我に似て少し虚しき心持ち
けり
西区
新谷三江子
くち
眉をひき唇に紅さししやんとして九十二歳今
日を明るく
216
修
中区
飯尾八重子
公けの支援を受けて在宅す此の幸せや長月に
入る
中区
遠 山 長 春
黄落の桜大樹の裸形より古武士の如き風霜滲
む
天竜区
太 田 初 恵
恙なく職退きし子に労ひの作務衣縫ひたし手
許あやしも
西区
柴 田 好きだった「月の砂漠」を亡き妻が歌ってく
るか今日盆初日
川 柳
幸
自由律俳句
南区
内 山 智 康
底深き黒部の谷に轟きあげダムの放流一気に
走る
随 筆
定型俳句
中区
髙 橋 一人居の兄が電話に出るまでのコールの長さ
不安が募る
評 論
短 歌
東区
浦 部 敬 子
きびきびと笛の合図で組みあがりピラミッド
の子等青空に立つ
児童文学
詩
東区
村 木 幸 子
スローモーションの如く動けるウマオイを家
内に見たり睦月の十日
小 説
217
浜松市民文芸 60 集
南区
袴 田 成 子
年重ね姿形も瓜二つ盃くみ交す夫と義弟
中区
幸田健太郎
朝靄にすっくと並ぶ冬木立清楚な乙女の立ち
いる姿
西区
柴田千賀子
秋立ちて稲穂出揃い時を待つ田を渡りゆく風
の道あり
中区
宮 本 惠 司
柊の剪りたる小枝落ち続くわだかまり一つつ
かへたるまま
東区
岡 本 久 榮
笛の音に合わせる太鼓の撥の先見事に揃ふ遠
州大念佛
西区
脇 本 淳 子
黒雲の端金色に輝きて明けゆく今日は重陽の
節句
西区
松 永 真 一
鳴く時に鳴けなくなった不如帰出さぬ淚が心
に溜まる
南区
白 井 忠 宏
難病に苦しむ母の床擦れに昼夕走り寝返りを
さす
218
中区
渥 美 佳 子
水田に波紋も立てず白鳥よ喜寿の我等も同じ
くらしぞ
旭
中区
中 山 手を掛けて咲かせし牡丹の来年を卒寿過ぎた
る君たんたんと言ふ
定型俳句
自由律俳句
和
川 柳
中区
平 野 蟠り若蔥切る幅定まらず妻の入院一人の朝食
短 歌
東区
鈴 木 壽 子
う た
葦の絵に舫ひ舟の短歌詠み上げて父の遺しし
軸を掛け替ふ
庭職人の鋏の音も心地よく響きて穏やかに短
日暮るる
詩
南区
中 村 淳 子
弟の死を老父に告ぐべきか別れのときは明日
にせまれり
随 筆
中区
冨永さか江
おこ
今年から田植をせぬと零しつつ耕されし田の
畦ぬる老人
評 論
西区
伊 藤 友 治
ターミナルのフェンス頼りに白杖をコツコツ
突きて行く子見送る
児童文学
北区
滝 澤 幸 一
「早咲きの山茶花ですか」この歳はあっとい
う間に季節過ぎゆく
小 説
219
浜松市民文芸 60 集
西区
河 合 秀 雄
移つろうる四季を愛して世を渡る波乱万丈世
の中なれど
浜北区
川島百合子
する墨の香りただよう六畳間背すじ伸ばして
清書に向う
中区
岡 本 蓉 子
𠀋のびてまぶしき孫と散歩する金木犀の香り
を受けて
南区
井浪マリヱ
ページ繰る去年の今日の日記帳文面同じ暮ら
しがそこに
北区
大石みつ江
まだ先と思ひてをりし夫の老ひ子らと認めて
寂しさの増す
中区
戸田田鶴子
晩学の手習い今日も正座して心静かに青墨を
する
中区
新田えいみ
戒名も位牌もいらぬわが骨は深きなじみの湖
畔に撒かれよ
献体の後は宇宙遊泳すわれを解してくれぬか
人ら
東区
北野 幸子
競り市で父のもとめし大皿に千草を盛りて月
の出を待つ
220
中区
江 川 冬 子
益軒の養生訓を回し読み老々介護の日がな一
日
川 柳
西区
犬塚賢治郎
林道が閉ざされし夜のもみじ風呂からまつ林
に星が溢れる
自由律俳句
南区
杉 山 勝 治
妻に手を取られて登る老いの坂つらくもあれ
ば楽しくもあり
定型俳句
北区
山 口 久 代
待ち針や象牙のへらが眠りいる針箱あけてお
手玉を縫う
短 歌
子
詩
東区
かたみ 森 脇 幸 子
扇子手に待合室に和みゐる媼ら互に絵柄見せ
合ふ
随 筆
中区
荻 恵
歳月を重ねてもなほ捨てられず子離れできぬ
思い出の品
評 論
東区
長浜フミ子
菊薫る二十二名の出席者十八歳は年重ね古希
児童文学
中区
内 田 一 郎
ひろすけの絵本読み終えそっと閉じあおおに
こ
偲ぶ教室の児童ら
小 説
221
浜松市民文芸 60 集
ぼ
中区
倉 見 藤 子
観月会十六夜の月煌々と二胡の調べをしみじ
みと聴く
中区
安 藤 圭 子
凧祭の街に来たれば若者の群れて近づく雪駄
の足音
北区
伊 藤 美 代
王羲之の九月の課題千字文検定せまる試練の
今宵
中区
今 駒 隆 次
ろうたけ
﨟長た電話の主のやさし声心洗はる秋の夜長
に
中区
宮 地 政 子
七月だ貴方のいない七夕にゆかたを出して思
いにふける
中区
吉 野 正 子
さよさよと木香ばらが葉をゆらし夕影の庭
たゞ静かなり
北区
山 田 文 好
日没や輪郭だけがくっきりとまるみも尖りも
あり山沈む
浜北区
と
ん
霜月や山に帰れり田の神は十六団子供えてま
つる
222
川 柳
栖
中区
花
信
花びらをマニキュアみたいと爪にのせはしゃ
ぐ妻はことし還暦
自由律俳句
浜北区
平 野 早 苗
歩けない悲しみよりも明日への希望もたらす
立てる喜び
定型俳句
北区
清 水 孜 郎
色艶のサクランボにぞ負けないで老人会で行
く妻を送る
短 歌
中区
髙畑かづ子
つ ま
四年前故夫が求めし野ぼたんが紫紺の花を山
ほど咲かす
詩
中区
手 塚 み よ
露店より残り一脚の椅子を買う脇に抱えて持
ちくれし君
随 筆
中区
江 間 治 子
花柄が裏にある傘いつかさす日もありなんと
旅に持ちゆく
評 論
中区
内 山 文 久
馥郁たる香りが好きで今日も練る老いらが作
るわがやのブレッド
児童文学
東区
宮 澤 秀 子
近況を余白に埋め賀状書く友との距離の細く
長くと
小 説
223
浜松市民文芸 60 集
天竜区
恩 田 恭 子
この著者にわが人生を織り込みて傘寿の喜び
家族で祝う
北区
加 藤 久 子
孫諭す語り口調で夫の声覗いてみれば猫を相
手に
中区
鴇 多 切られたる五ミリの西瓜食べ易く母の一口美
味しい笑顔に
健
中区
畔 柳 晴 康
老い二人朝飯抜きの検診も医師の笑顔で空腹
覚ゆ
西区
近 藤 茂 樹
早朝を駆けいく若人の息白く「お早う」の声
湖上をわたる
中区
坂 東 茂 子
わ れ の 住 む 高 台 に け ふ も 開 院 あ り「 聖 隷 村 」
の風のざわめき
東区
寒 風 澤 毅
合唱は「健康のため」言いつつも評価気にな
る市民のつどい
中区
和久田俊文
そっと墓石のちらし見る君と僕冬の縁側日だ
まりの中
224
川 柳
進
中区
織 田 惠 子
婿殿の博士号を称ふれば娘への感謝を彼は言
ひたり
自由律俳句
南区
加 賀 の 女
お帰りと赤くまばたく留守番電話君かとプッ
シュ利廻りの誘い
定型俳句
西区
渥 美 駿河路や画面一杯富士の山薫り高きに橘咲け
り
短 歌
西区
伊 藤 米 子
このごろは貴方の時計に合わせつつ「そうね
いいよ」と繰り返し言う
詩
中区
前 田 道 夫
父の日に米寿を祝いセーターを贈りくれたり
二人の娘
随 筆
南区
水川あきら
ガン闘病半年を経て退院す友より歩ける飯が
食えると
評 論
浜北区
すずきとしやす
雨のなかひとつの傘により添へば初めてそろ
へし歩巾をせばめ
児童文学
中区
髙 山 紀 惠
レクダンスシニア仲間でペア組む気持も弾む
きよしのズンドコ
小 説
225
浜松市民文芸 60 集
南区
鈴 木 芳 子
敬老会はずむ会話よ人並みに補聴器の耳そば
たてて聴く
中区
金取三千子
年一度祭りダンスの友に逢ひ名を確めて認知
度を知る
北区
平 井 要 子
夕暮れの主の居ないアトリエは閑散としてコ
オロギの声
中区
木 下 文 子
天を向き青き莢実はつきてをり初めて植ゑし
私の空豆
北区
古谷聰一郎
弟の真摯な忠告に奮い立つ何年ぶりかの朝日
が眩し
南区
太田あき子
さわやかな秋風背にうけ種を播く実り多かれ
とそっと土かけ
中区
藤 田 淑 子
突然に孫が見舞いに現われて目頭おさえ花束
受ける
北区
出 原 依 美
出産し子の一歳の誕生日成長感じ親になりけ
り
226
中区
石 黒 以前見た老後破壊○番組は我が身なるやと十
月の空
實
諭
中区
石 渡 今はもう使うことなき睾丸は脚の間にさがり
おりたり
次
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
る
東区
森 安
親しげに声かけて来る其の人を思い出せずに
咄嗟の会釈
女
浜北区
さくら珠ゞ音
朝の陽に映える水打つ蓮の花首を伸ばして光
を受けて
随 筆
北区
あ
ひ
人生の山谷越えし我なれど出会えぬ神の御心
なりぬ
東区
介 護 マ ン
ありがとう心の中で思っても気付いてほしい
私のサイン
評 論
詩
中区
仲 村 正 男
てとてとと喇叭鳴らして馬車が来る松の並木
の東海道を
児童文学
中区
飛
天
と
夏まつり後ろ姿に恋すれば浴衣の君は外つ国
の人
小 説
227
浜松市民文芸 60 集
浜北区
石 川 き く
よわい
夢のよう齢百歳祝いうけ感謝かんしゃを峰栄
会に
浜北区
竹内オリエ
ベル鳴りて遠く住む子の声久し夏の連休家族
でゆくと
南区
鈴木美代子
天眼鏡を頭にかけて湯に浸るやうやく見つけ
し読書の時間
228
短 歌 選 評
児童文学
村 木 道 彦
評 論
随 筆
実体験であれ虚構であれ、作者の心的な必然性によって表
現されたものには、リアリティーが宿る。そのリアリティー
の深さがポイント。
第一席から順に次の五名の方が本年度の市民文芸賞。
飯田 裕子
つ ま
・勤め上げた亡夫の工場巡り行く音と匂いに逢いたくなりて
職場の余韻がいつもそのまま家庭に持ちこまれていたのだ。
「音と匂いに逢いたくなりて」が秀逸。哀切な相聞歌。
中村 弘枝
・猛暑地点赤く塗られて放映さる焼き海老のごと日本列島
・上の句をつぶやきながら皿洗う泡の中より結句が生まる
・息かけて眼鏡のレンズ拭きており見えてるようにて見えぬ
向こう側
一首目や二首目の自由闊達な詠み方はこの方独自のもの。
だから三首目の「見えてるようにて見えぬ向こう側」も、単
に視力の問題ではあるまい。見えているようで実は何も見え
ていないのが私たちの現実なのである。
土屋香代子
・ビリビリと引き裂く音に癒されるそんな私は歪んでいるか
作者を襲ったトラウマの激しさがうかがわれる。どんなト
ラウマかは、わからないが、真っ向からみずからのトラウマ
と対峙するということは、だれにでもできることではないの
である。
小 説
詩
定型俳句
自由律俳句
川 柳
松浦ふみ子
・柿の種ばかり食む君とピーナツの好きな私と炬燵にふたり
・拗ねてゐるだけかもしれずみそ汁の開かない浅蜊つつつい
てみる
・この夜も腹巻をして寅さんのやうなあなたが隣に眠る
三首とも何げない日常の風景だが、その日常のひとこまひ
とこまが愛着を持って語られているところに心惹かれる。
鈴木 和子
・とおき島グアムに果てし兵あまた悼みて見つむ瑠璃色の海
・野ざらしの日本の戦車赤茶けるその小さきに乗りし兵らよ
・明けそむる海よりかかる大き虹底に眠れる伯父も見ませり
生活の日常を大切に生きていくつつましさが前の作者の作
品とすれば、現在の安穏な生活を担保しているのは、七十年
前の無数の戦没者たちの存在だった。彼らの犠牲なくして現
在はないのである。
入選作の中から順に紙幅の許す四人の方を挙げる。
石原新一郎
・まどさんを心に招く春の空やぎさんのあとをざうさんがゆ
く
大庭 拓郎
・夢かとも思いし妻が留守電に話し掛けくる人の言葉で
せ
・妻在りし頃のごと急くゆうまぐれ灯のなき家の待ちいるの
みを
太田 静子
・ころころと転がる丸い錠剤の行く手追いかく四つのまなこ
・玄関に履物にぎわう三世代遠慮しながら置く老いの靴
金原 あい
は は
・物置に折りたたまれし車椅子今年の桜亡母と視ている
短 歌
229
浜松市民文芸 60 集
定型俳句
[市民文芸賞]
秒針の位置確かむる原爆忌 刀豆の鉈十丁をつるしたり
白鳥にときに鯨に秋の雲
水底まで西日わが髪匂ひけり
どしや降りの雨を力に牛蛙
西区
石 橋 朝 子
安間あい子
山本ふさ子
松 本 重 延
北区
成 瀬 喜 義
東区
浜北区
西区
230
霜柱踏めば氷河の崩る音 働きし手首の太く根深汁
露けしや埴輪は口を丸く開け
評 論
蟷螂の斧振り上げし面構へ
児童文学
七五三の髪型同じ姉妹
小 説
随 筆
詩
短 歌
南区
東区
中区
平 野 道 子
渡辺きぬ代
宮 澤 秀 子
伊 藤 斉
自由律俳句
川 柳
鈴 木 利 久
東区
天竜区
定型俳句
231
*
*
は市民文芸賞
松 本 重 延
北区
*
[入 選] 浜北区
冬薔薇身近に人の老いにけり
*
目覚めたる応挙の虎や春の霜
白鳥にときに鯨に秋の雲
すつきりと骨の残りし秋刀魚かな
どこまでも青き空なり新松子
豊かなる土偶の臀や大花野
赤まんま咲きて昔の手毬唄
秒針の位置確かむる原爆忌
胡麻爆ずや地球の軌道狂はざり
山本ふさ子
星空や青松虫の闇いくつ
見てゐても見てゐなくても笹鳴す
東区
水底まで西日わが髪匂ひけり 青鷺の西向くばかり何を待つ
新しき本のカバーも十二月
西区
刀豆の鉈十丁をつるしたり 紺青の花凛とあり沖縄忌
*
浜松市民文芸 60 集
安間あい子
石 橋 朝 子
232
東区
*
成 瀬 喜 義
働きし手首の太く根深汁
*
*
西区
忘るるは生くる力ぞ昭和の日
どしや降りの雨を力に牛蛙
日々褒めて褒めて小さきなすびかな
斉
青空を蹴つて風追ふ鯉のぼり
藤 竹皮を脱ぐ生粋の山育ち
*
やはらかき風かさねをり萩の花
中区
霜柱踏めば氷河の崩る音 鬼門より一直線に初燕
定型俳句
死者生者いずこに目見ゆ原爆忌
短 歌
宮 澤 秀 子
川 柳
渡辺きぬ代
自由律俳句
南区
露けしや埴輪は口を丸く開け 釘を打つ柱がなくて油照
伊
詩
百幹の竹のざわめき春疾風
随 筆
羽抜鶏蹴爪に深き傷のあと
評 論
ほほえめる円空仏の秋思かな
児童文学
銀杏散る闇深ければ闇に散る
小 説
233
*
東区
平 野 道 子
中区
ひと言が別れの予感すみれ咲く
少年のはじける笑顔ソーダ水
蟷螂の斧振り上げし面構へ
髪を梳く母の目差雛の日
あめんぼう越すに越されぬ水輪かな
ごきぶりを奴らとさらり呼びにけり
中区
ふるさとの風も馳走よ夏座敷
鈴 木 利 久
荘厳な楽の音宙に月今宵
天竜区
今日の風今日の形に川柳
音立てて少年林檎丸かじり
跳ぶ鰡の見ゆる浜辺の停留所
「燕の巣アリ」駅舎の中の注意書
学童の株高く刈る早稲田かな
今日生命終へる建屋や枇杷の花
七五三の髪型同じ姉妹 かつと日の当りて割れし通草の実
*
浜松市民文芸 60 集
澤 木 幸 子
鈴木由紀子
234
中区
雲水の大きな足来青葉風
貝殻の散り敷く埠頭法師蝉
高層ビル越ゆる鴎や今朝の秋
柿紅葉小さな町の文化展
中区
桜咲く音のたしかやピアニッシモ
攩網の青のとびこむ濁り鮒
街角は落葉のロンド此処彼処
児童文学
評 論
またひとつ繕ひの増ゆ白障子
小 説
吉 野 民 子
中 村 瑞 枝
随 筆
詩
北区
他人には見せぬ仕草や初鏡
母逝きてふるさと遠し小豆粥
薫風や背筋伸ばせし鼓笛隊
東区
熟年の吹くハーモニカ麦の秋
親子にも気遣ひのあり青山椒
伝統の曳家の技法花は実に
中区
二段づつ上る少年風薫る
山門に郵便ポスト燕来る
定型俳句
石垣の隙間に揺れる冬菫
短 歌
山 口 英 男
田中美保子
川 柳
大 倉 照 二
自由律俳句
235
浜松市民文芸 60 集
和 田 有 彦
西区
喜寿祝う共に歩みし春の宴
友見舞い帰りし夜道春おぼろ
中区
天つ日のまぶた穏やか甘茶仏
健歩なる今の幸せ更衣
母逝きて残せし庭にカンナ咲く
大 田 勝 子
夜目に浮く念仏をどり酣や
南区
南区
キラキラとパンパスグラス風を呼ぶ
百才の母の微睡む花の昼
春愁や窓辺に置きし砂時計
南区
花も葉も色鮮かに金盞花
旭
籾焼きの燻る野良着や軒の風
野 蝉止んで静かに季節移りゆく
平
干し物の白を横切る赤とんぼ
海鳴りや花辣韮の濃紫
中区
落雁やゆっくり解ける夏の夕
目薬の一滴沁みて冬迫る
借本を返せぬ儘に夏が過ぎ
菊の香や義経凛と立ちており
清 水 康 成
白 井 忠 宏
坪井いち子
236
中区
野 田 正 次
浜北区
夢の中マーラー聞こゆ夏の朝
夏空に水尾を曳くごとジェット雲
余生なお凛と生きたや鉦叩
名月や子に手解きす五七五
豆撒に一斉に伸ぶ千の腕
進
西区 秋深む独りボタンの掛け違ひ
菊日和スキンシツプの抱つこかな
南区
二階より枝ごと枇杷をもぎとりて
茶柱を立てて川根の新茶かな
中区
実石榴の弾ける朝の微熱かな
日向ぼこ泣き声大き育ちゆく
短 歌
定型俳句
橋本まさや
浅 井 裕 子
川 柳
長谷川絹代
自由律俳句
海と山越えて届きぬ豆の餅
中区
水の秋掬ふ両手の生命線
白 井 宜 子
廃材の由来碑からむ烏瓜
赤
堀 詩
直向にゆく我に添い道おしえ
随 筆
秋夕べしみじみと聴くレイクエム
評 論
店先の光る一群初秋刀魚
児童文学
実柘榴の味を吐きつくし爆しけり
小 説
237
浜松市民文芸 60 集
横
田 照
中区
偉大なる日の出を拝す明の春
初蛙上棟式へ参加せり
中区
白菜の新漬サクッと朝ごはん
夏木立見上げる空は万華鏡
蟬が鳴く蟬が鳴いてる生きてをり
西区
暁闇のポンとはちすの花の声
薄氷の下に早くも蝌蚪の紐
東区
雨の日は雨の雫のむかご採る
ひそやかに庭の一隅藤袴
能勢亜沙里
清流で洗ふ笊鍋芋煮会
きらきらと枯木に宿る雫かな
どんぐりが賞品森の地図探し
中区
一月の雲両岸を分かちけり
噴水の沈黙長き真昼かな
伊 藤 久 子
鰯雲臥してはじめて見ゆるもの
ハンカチの折目正しや傘雨の忌
南区
雲の峰ゆづれぬ事のありにけり
子を誉めてほめて茶の花日和かな
今井千代子
柴 田 弘 子
松江佐千子
238
中区
秋深し土偶微かに笑みてをり
何事の不思議なけれど白き秋
黒葛原千惠子
冬麗の木の香かぐわし新社
小六月終日壷を眺めをり
南区
大鳥居人さまざまの伊勢参り
冬の空命新たに千木そびえ
勝 田 洋 子
南区
墨の香をひとり遊ばせ白障子
中区
納棺の終りし部屋に蟬の声
南区
ふんはりと着地のきまり朴落葉
俎板のわずかに痩せし花の冷
林 田 昭 子
弟を負う母のねんねこ村祭り
汗の子のからだ丸ごと爆ぜにけり
ほむらたつ畑一面の鶏頭花
中区
千代紙に折りし駿馬のお年玉
詩
短 歌
定型俳句
池 谷 俊 枝
中津川久子
川 柳
鈴 木 秀 子
自由律俳句
やんぞうこんぞうてのひらのあつくなり
随 筆
ごん狐童話の里の曼珠沙華
評 論
整ひし蝦芋の土拭ふなり
児童文学
手作りの無患子の数珠なじみけり
小 説
239
浜松市民文芸 60 集
東区
民宿のことりともせず羽抜鶏
鈴 木 千 寿
中区
不可解なピカソの顔や福笑
勤行の和音乱るる冬立つ日
手庇の翁の笑顔返り花
中区
ほんたうのもの視る眼鏡冬銀河
内 山 恭 子
黒髪の笑ひごゑ満つ花野かな
北区
春近し穴に蠢く虫のあり
待春の赤土に沁む朝の雨
はしゃぎ合いどんぐりごまで遊ぶ子ら
三日ぶり晴れて入江の春の鴨
過ぎし日の波音聞こゆ桜貝
中区
紅葉散る車に描くアートかな
水 野 健 一
ポツポツと灯る入江の秋時雨
郵便夫たたずんでゐる桜坂
南区
夏が来て僕の自転車オープンカー
枯れ木立内に秘めたる生命かな
恵方巻福を呼びこめ心にも
鈴虫は別れの歌を唄っている
伴 周
子
永 田 惠 子
小 川 惠 子
240
藤 田 節 子
西区
童歌ふと口ずさむ月夜かな
蝌蚪の紐あまたの命抱きけり
南区
瑠璃色の蜥蜴の尻尾切るなかれ
蓑虫と思はぬ力比べかな
ゆつくりとなおゆつくりと日脚伸ぶ
西区
「はい」と立つ入学式の胸の花
定型俳句
西区
初場所やザンバラ髪の力士燃ゆ
落款が斜めに押され春の雨
西区
雲の峰山ふところに暮す母
鈴 木 智 子
菜の花や百万本の淡路島
ゆるやかな風に乗りたる赤トンボ
西区
奥殿の神灯ゆらす淑気かな
短 歌
髙柳とき子
谷 野 重 夫
川 柳
加 藤 新 惠
自由律俳句
ふり向きてくるりと廻す日傘かな
今年米五穀としたる朝餉かな
野中芙美子
詩
丹念に包丁を研ぐ梅雨晴間
随 筆
貼り替えし障子に和紙の香りあり
評 論
神前に寒九の水の香はしき
児童文学
噴水のドレミファとなる高さかな
小 説
241
浜松市民文芸 60 集
川 瀬 慶 子
西区
言ひし悔い言はざりし悔い冬の星
紅梅の咲きて天地の気息かな
西区
母が書くカタカナ文字や原爆忌
晩秋の色を奏でるサキソフォン
紫陽花の藍より日暮れ始まりぬ
東区
緑陰に開く植物図鑑かな
漆畑美知子
微笑を優しく包み雛納め
中区
木道の歩幅それぞれ草紅葉
秋気澄む十重の山の端際立ちて
走り蕎麦打ちて自慢の道具かな
北区
ゆるるもの大事だいじと枯野道
神社への裏道山茶花日和かな
鈴 木 浩 子
すつぽりと赤子抱かるる小春かな
芋虫や葉脈主脈残しをり
東区
年用意尻餅ついてしまひけり
大根の肩みな白く白なりき
陽春の骨董市の阿修羅像
ゆづりはや子らの無限の可能性
山 﨑 暁 子
本 樫 優 子
松原美千代
242
守屋三千夫
東区
母の味探してけふも大根煮る
陽を集め人を集めて菊の鉢
東区
花茣蓙の古びて畦に敷かれおり
花筏くぐりて鯉の欠伸かな
冬将軍早くも攻めて来たりけり
西区
春うららペダル軽やか通学路
ふわふわと蝶には蝶の花選び
南区
棒稲架や夕日赤々染めにける
短 歌
定型俳句
名 倉 栄 梨
坂 田 松 枝
川 柳
大 平 悦 子
自由律俳句
中区
クリスマスローズ無難に慎ましく
無患子や父の爪切る音かたし
岩 城 悦 子
手折りたる枯蓮の実の音をたて
打ち止めの大鼓惜しむや在祭
関取の鬢の毛筋の涼かり
浜北区
高々と皇帝ダリア華やぎぬ
金原はるゑ
詩
春眠や母とか父も現れて
随 筆
通草の実母のもんぺの縞模様
評 論
初出社あの母さんの卵焼き
児童文学
天上も地上もひとつ彼岸花
小 説
243
浜松市民文芸 60 集
東区
華やかに風と踊るや枯芒
この山もこの山もまた紅葉かな
鰯雲風の流れのままにゆく
北区
紅葉散る急流に乗り見え隠れ
春爛漫身体丸ごと投げ出して
中区
ひとひ 水無月や今日も事なく一日暮る
此の夏は老化の辛苦今ぞ知る
東区
月に濡れ水底めけるビルの街
味噌汁の香に起されし朝寝かな
ひ
る
藤田八重子
あ
飯尾八重子
飯 田 裕 子
西区
闇夜よりぬつと飛び出す黄金虫
送り火に一人念仏唱へけり
中区
初午や古老の役目背を伸ばす
三才児えいつと真似し春の畑
西区
大揺れの大根畑誰も来ず
夜更けて大根の葉のさんざめく
北区
赤とんぼ見上げる空を染めにけり
軒先のすだれ客待ちゆれにけり
池 谷 和 廣
川 染
池 野 靜 子
石
伊藤アツ子
244
中区
大地に買ふ太き大根土つけて
西区
残菊や夕日やさしく包みをり
焼き鮎の姿美し塩加減
南区
捨てがたき紅葉の栞智恵子抄
法要の席は六人秋時雨
赤い羽根回覧板に添えられて
中区
亡き父の横顔に似た鰯雲
児童文学
評 論
かるた取りかの人の手の下に置く
小 説
伊藤サト江
伊藤しずゑ
井浪マリヱ
今 駒 隆 次
随 筆
詩
東区
椎の実の黒光りして神の杜
神の杜冬の蟷螂逃げもせず
岩 﨑 陽 子
岩 﨑 良 一
岩 崎 芳 子
川 柳
右 﨑 容 子
自由律俳句
西区
春落葉踏めば師の忌の近きこと
柊の香を遠きとも近きとも
西区
百二歳颯爽と行く梅雨の朝
老鶯や拙なき声に応へけり
中区
萩の道風の吹き抜く宿場町
定型俳句
赤い羽根募金に立ちし金釦
短 歌
245
浜松市民文芸 60 集
中区
玻璃戸より黒猫覗く夢二の忌
朝霧や異国を歩むやうに行く
梅 原 栄 子
大 石 澄 夫
南区
草笛の音色に暫し一休み
冬瓜を好まぬ人の多いこと
中区
大村千鶴子
太 田 静 子
岡 本 久 榮
大 屋 智 代
緑さす店頭に積む新刊書
西区
これからは花と語らうしのぶ草
陽光の桜吹雪に融けるわれ
中区
這ひ這ひの素足ピンクに踏ん張つて
太田沙知子
散る桜吹き寄せられて池の端
西区
啓蟄や手芸道具のこまごまと
師の葉書傑作満載夏だより
東区
おでん鍋昆布の結びめ浮き沈み
ふるさとの棚田の稲穂輝やきぬ
東区
つばめ来る聖教信者現わるる
桜鯛朝一番に届きけり
太田しげり
夏座敷花の香りもつれてくる
246
中区
バス停にひとりたたずむ白目傘
秋深しさてさて誰と話そうか
中区
ヒマワリが大きく咲いて元気湧く
ウォーキングどの道行くも彼岸花
中区
ジャスミンの香に包まれる昼さがり
黴匂う思い出つまる文庫本
評 論
西区
ぶらんこに揺られつ語る友の恋
児童文学
朝霧の中を飛び立つ鳥の影
小 説
岡本美智子
岡 本 蓉 子
小楠惠津子
小 楠 よ し
随 筆
詩
西区
酒蔵の匂ひ満ちくる薄暑かな
小野田みさ子
小 野 一 子
刑 部 末 松
川 柳
影 山 ふ み
自由律俳句
ゴンドラの行き交ふ湖上秋深む
東区
長藤に包まれている車椅子
園児等の電車ごっこや春隣
中区
休耕田蒲の穂絮が風に舞ふ
恥ぢらひて螢袋は上向かず
南区
早朝に祭の花火ドンとなり
定型俳句
黄葉の眞唯中に二羽のはと
短 歌
247
浜松市民文芸 60 集
中区
竹筒に古歌を記せり楠若葉
俥屋も慌てし京の大夕立
加 藤 和 子
金取ミチ子
西区
菜の花や潮の香りの伊良湖岬
咲き乱る自生朝顔垣覆ふ
中区
江戸だんすでんと座つた夫婦雛
東区
秋ともし師の遺稿集夜もすがら
中区
ひよんの笛吹きて宮司は神送る
濃く淡く夕日に光る青田波
勇壮に蒼穹泳ぐ初子凧
中区
来し方をあれこれ偲ぶ夜長かな
川 島 泰 子
加 茂 隆 司
蒼天に声だけ残す雲雀かな
指先の匂える春の草摘めば
中区
秋の日や飾り戸棚の古人形
初盆や祭壇横の走馬灯
中区
銃痕を残す遺跡も草萌ゆる
啓蟄や改訂版の時刻表
川瀬まさゑ
北 村 友 秀
切 畠 正 子
倉 見 藤 子
248
中区
黒南風が緑のカーテン揺らしけり
蚊遣り火の細き煙がそつと立つ
中区
嫁が君七十年の我が住居
山里の美しき夕日や次郎柿
中区
水無月の篠突く雨となりにけり
評 論
栗の実の毬を飛び出す昨日今日
西区
春夕焼昭和の街に昭和の子
児童文学
水草を素直に梳す春の水
小 説
畔 柳 晴 康
斉 藤 て る
斉藤三重子
佐久間優子
随 筆
詩
西区
黄葉して山は己をたのしめり
鳥たちのみな真顔なる枯野かな
南区
さしば渡る孤高の影をおとしつつ
母よりも命ながらへ冬銀河
西区
啄むは日のさす片方実千両
恙なき日々の続きに梅を漬け
佐 藤 政 晴
佐原智洲子
柴田ミドリ
川 柳
清 水 孜 郎
自由律俳句
北区
初鍛冶の爆ぜる火花や子等の散る
定型俳句
空を切る接木ナイフの青刃文
短 歌
249
浜松市民文芸 60 集
西区
雪の間の松雪草の力かな
岩肌の割れ目に流る泉かな
南区
清水よ志江
下 位 満 雄
西区
紫陽花に降る雨が好き彩が好き
山また山初秋の旅や水清し
西区
青田径赤いバイクが走り去る
北区
額重しルオーの道化春ともし
手廂や富士に重なる守り柿
新村あや子
懐しき故郷味わう麦とろろ
新蕎麦や五臓六腑をおどろかす
西区
廃校の空に揺れてる橒の実
カラカラと缶の転げし夏の果て
東区
凩をものともせずに児ら走る
磨崖仏紅葉の衣纏ふかな
西区
日向ぼこ見上げる空の蒼さかな
石蕗の花ここらが松の廊下跡
新村ふみ子
ハンカチを握りしめたる別れかな
村 幸
新村八千代
新
鈴 木 章 子
鈴 木 惠 子
250
東区
碑に翅をやすめし秋の蝶
一つ一つ過去となりゆく除夜の鐘
西区
連衆の和気藹藹と初句会
一分を捌く百歳青き踏む
中区
赤とんぼ山羊の背中に羽やすめ
評 論
蟋蟀の髭の先まで鳴いてをり
西区
畳紙新たに母の単衣かな
児童文学
盆休珍しき顔揃ひけり
小 説
幸
子
鈴 木 節 子
平 髙 橋 紘 一
高 橋 久 子
随 筆
詩
産卵の亀の涙や夏の夜
南区
早春賦歌へば和する人のあり
中区
寒波にも春告げ鳥は声を張る
どくだみの抜くもためらふ白十字
北区
浜名湖の夕陽や全て黄金色
稲雀田ごとの味を知りおるや
西区
楪や振袖似合ふ歳となり
定型俳句
髙 林 佑 治
髙 山 紀 惠
滝 澤 幸 一
川 柳
竹 内 定 八
自由律俳句
せせらぎを辿れば小さき泉かな
短 歌
251
浜松市民文芸 60 集
浜北区
立秋や母さんと呼ぶ嫁愛し
核家族揃いて嬉し在祭
竹内オリエ
竹 下 勝 子
竹山すず子
竹 平 和 枝
田中ハツエ
田 中 瑞 穂
西区
スカイビル街染まりたり秋の暮
一瞬の光翡翠見せて消ゆ
西区
春挨払ひ眼鏡をかけなほす
懐かしき土用蜆の母の味
西区
青田風少女の髪とたはむれて
懐手蕎麦屋に並ぶ顔見知り
日溜りは光に春の化粧かな
西区
中区
さら
真新なる脚絆おつけや初大師
竹 田 道 廣
竹田たみ子
嬰児の俄に立ちて竹の秋
蒲団干すいつもの家の同じ刻
中区
水温む沈める鯉の紅ほのと
五十年続く糠床茄子の色
中区
泡沫も生れてこその春の風
蟷螂が一期一会のとき謀る
252
西区
盆の墓母から先に参りたる
文化の日老眼鏡を新調す
北区
民話聞く豊かにありて去年今年
「見廻り」と菊一輪の駐在所
中区
雲切れて赤銅色の月出で来
評 論
母隠るそれでも山は紅葉燃ゆ
北区
春近し池の水面の動き初め
児童文学
雨蛙草木の色へ身をかくす
小 説
田 中 安 夫
辻 村 榮 市
土屋香代子
鶴 見 佳 子
随 筆
詩
中区
打ち水に擬態の雀ほめそやす
蟷螂のずっしり腹はなまめかし
中区
ゆつくりと葉も鑑賞の菊花展
「宇治十帖」源氏の君の春愁ひ
中区
稲刈りし田圃一変そぞろ寒
秋深し皇帝ダリア高見より
西区
日溜りの頬をなでゆく春の風
定型俳句
手 塚 み よ
多 健
寺 田 久 子
鴇
川 柳
徳 田 五 男
自由律俳句
葉の裏に潜む毛虫に刺されけり
短 歌
253
浜松市民文芸 60 集
西区
のびのびと風に波打つ青田かな
喝采の猿の甚平姿かな
徳 増 貴 子
利 徳 春 花
中区
根津権現お狐様は春見つむ
遠映えの赤きカンナの自己主張
東区
近隣の恵みで夕食なすきゅうり
東区
ふきの葉の苦味楽しむ庭の幸
南区
コスモスの花と戯る園児たち
戸田田鶴子
友よりの誘いの食事ふぐ雑炊
もも
電線と刈田に群れる百の鳩
中区
道祖神一直線に曼珠沙華
春便り野菜の種を買いに行く
西区
背伸びして届かぬ高さ枇杷熟れる
風鈴を吊ししばらく窓開ける
中区
己が影踏めば音する寒さかな
抱つこして咲く向日葵と背くらべ
戸 田 幸 良
富士見えて何かたのしき冬帽子
鳥井美代子
内 藤 雅 子
長浜フミ子
中 村 節 子
254
東区
行き先は気ままに揺れて野分なり
七夕や書ききれぬほど願いごと
西区
目隠しを解かれ雛の息もらす
凪を待つ漁師に暗き冬の海
中区
風のように早起きをして彼岸花
あるがまま送る余生や目刺焼く
中区
避難タワー見上げる先の小判草
児童文学
評 論
それぞれに河原の石の雪帽子
小 説
名 倉 太 郎
西 尾 わ さ
錦 織 祥 山
二 𣘺 記 久
随 筆
詩
西区
菜の花や昔ながらの喫茶店
千の風千のコスモス踊らせる
西区
稜線と浜名大橋秋夕焼け
一掬い湯気の白さよ名残の茶
中区
去りし人雪の深さを知らせけり
野 嶋 蔦 子
ぶ
恵
野 田 俊 枝
の
川 柳
野 又 惠 子
自由律俳句
名も知らぬ町に忘れしイヤリング
中区
桜蕊降る三成のいくさ跡
定型俳句
初護摩や僧若くして声凛凛し
短 歌
255
浜松市民文芸 60 集
中区
庭狭しみどりみどりのみどりの日
石佛の優しき微笑菊日和
中区
青い山脈口ついて出づ柿若葉
西区
早苗田や下校の子等の高き声
ふたとせ
手術痕二年越せり花うらら
四方より富士を見歩き去年今年
中区
母の日や母の笑顔が宝物
少年の竹籠になく秋の虫
袴田香代子
浜 美 乃 里
浜 名 湖 人
藤 本 幸 子
西区
「あつあつ」とお手玉のごと石焼芋
おちよぼ口に手を添へ笑ふ七五三
中区
千木高く檜うるはし伊勢の春
秋時雨高塀内の木工所
西区
墓参せず言訳はせず曼珠沙華
向日葵や反戦絵本読み聞かす
南区
台風の予報インクを充填す
鶺鴒の足元に寄る日和かな
松本憲資郎
松 本 賢 蔵
松本みつ子
水 川 放 鮎
256
祭笛少年の額汗光る
中区
少年の手足伸びたり夏休
南区
このあたり土筆出でしと杖の先
父の日や渡米写真のセピア色
西区
複眼に世の中透かすおにやんま
吹く風に身を委ねたる枯蟷螂
中区
金婚は感謝と祈り春の風
児童文学
評 論
サックスのひびきの中に秋を聴く
小 説
宮 本 惠 司
八 木 裕 子
八 木 若 代
山上アサ子
随 筆
詩
山 口 久 江
宏
西区
春塵やお地蔵さんも目を細む
馥郁と楤の芽かほる母の里
下 山下いさみ
自由律俳句
川 柳
山 下 昌 代
山
中区
丸裸なりし大地を冬耕す
冬耕す己の影を砕きては
中区
滅多見ぬ夜空に大き月の座す
木蓮の白きに朝の息かける
西区
百日紅綿菓子のごと風に揺れ
定型俳句
向日葵や十本並び同じ向き
短 歌
257
浜松市民文芸 60 集
西区
にぎやかな子等の歓声日脚伸ぶ
大きめの服着てにつこり入学式
中区
山下美惠子
山 田 知 明
浜北区
荒荒しきキャタピラ跡の刈田かな
冬うらら池に逆さの金閣寺
𠮷 田 昭 治
和久田しづ江
和久田俊文
西区
小波をたてて田植機走りけり
中区
柿の実の色染め直す夕陽かな
母採りし初茄子光る夜の膳
山本晏規子
人生の卒業できぬ道がある
和久田りつ子
西区
園児らの送り迎えや蝉の声
誰がために時節巡るぞ鉦叩き
西区
緑より彩の始まる七変化
はとバスに大東京の秋一日
横井弥一郎
蝉時雨命の賛歌と思ひけり
西区
霧晴れて遠き湖ひかりけり
夏姿凛凛しき君の下駄の音
螇蚸追ふ猫の姿やいとをかし
258
西区
蝉時雨境内株隙ボール追う
渥
美 進
西区
子等はしやぐ庭のプールや跳ねる水
伊 熊 保 子
中区
中区
浮く雲にかささぎ集い刈田あと
石 塚 茂 雄
東区
来し方を恙がなく過ぎ冬に入る
山寺や夏鶯のこだま聞く
西区
しだれ梅見ると見ざるとそつと咲く
河 合 秀 雄
川 合 泰 子
河村あさゑ
小
百
合
佐 野 朋 旦
南区
青空に親子で泳ぐこいのぼり
中区
金子眞美子
川 柳
郎
自由律俳句
太
定型俳句
正
短 歌
加 茂 桂 一
随 筆
南区
あかねいろ夕陽に映える田植かな
虫時雨今が盛りと夜の湖畔
詩
北区
大木たけの
プレゼントカーネーションにほほ寄せし
評 論
浜北区
花街道絵にして見舞い友来たる
児童文学
北区
秋の日や一句拾ひに野に出づる
小 説
259
浜松市民文芸 60 集
中区
夕凪やグラスの中に星の川
北区
はらはらと散り初めたりな大銀杏
南区
思い出す幼き頃のわらび摘み
永 井 真 澄
火
中
知
不
北区
蛍火は三ツ子に還る魔法かな
寿
鈴 木 信 一
中 村 弘 枝
村 鈴木彦次郎
名倉みつゑ
西 尾 淳 子
北区
卒業式名前呼ばるる前に立ち
北区
功
野 末 法 子
鰯雲大漁旗の港町
中区
生海苔の箸よりとろり香り落つ
山 子
北区
コスモスの風に耐えたる底力
髙林よ志子
髙
竜
浜北区
新入りの介護士一人秋浅し
東区
中区
つがい鳥庭のゆずらを踊り喰う
天
終電の音まだ聞こゆ冬の雨
東区
運動会あちらこちらに親の顔
260
北区
紅梅のひとひら毎に母浮ぶ
野 末 初 江
西区
言葉なき蓮華も歌う今朝の春
松 本 緑
松 永 真 一
こ
宮 地 政 子
さ
中区
青時雨捨つるに惜しき皿ひとつ
袴 田 雅 夫
南区
裾分けのナスを配りて絆でき
栖
夏暖簾新しくして心広く
中区
み
信
詩
しん
西区
自分史を鈴虫聞いてペン進む
子
川 柳
明
村松津也子
女
自由律俳句
東区
虫の音に移ろう季節知らさるる
天
定型俳句
飛
短 歌
森 詩
藤 田 淑 子
随 筆
南区
刈り終へてわづかに匂ふ落穂かな
晴
花
中区
早起きの蝉より先に野良仕事
西区
年賀状乏しき友の一枚が
評 論
中区
初ぞらやあき地にひびく羽根の音
児童文学
中区
台風の過ぐるを待ちて手を合す
小 説
261
浜松市民文芸 60 集
中区
山 下 静 子
山 田 文 好
一服の和を重ねしや夏座敷
北区
三日月や星二つ侍る朝ぼらけ
山 中 伸 夫
中区
長月の水面肴に月見酒
262
定型俳 句 選 評
児童文学
九鬼あきゑ
評 論
随 筆
本年度の応募者は二二四名。十七文字の小宇宙を輝かせる
作品にも出会うことができ嬉しかった。最終的には、次の十
句を第六十集の市民文芸賞に推薦することにした。
松本 重延
・秒針の位置確かむる原爆忌 昭和二十年八月六日、広島市に世界最初の原子爆弾が落と
された。第二次世界大戦後の日本人にとっての原点、忘れて
はならぬ日である。掲句「秒針の位置確かむる」が眼目。こ
の日の臨場感を見事に捉えている。己の生きてきた時代を表
現するのもまた俳句である。
山本ふさ子
・刀豆の鉈十丁を吊したり 莢が鉈の形をしていることからこの名がついた。三十センチ
以上はあろうと言う「刀豆」を見たことがあるが、この句のよ
うに十丁も吊されていたら相当なインパクトがあったことだろ
う。刀豆を徹底写生することによりその存在感を出した。
安間あい子
・白鳥にときに鯨に秋の雲 立原道造の「雲」と言う詩を読んで、空をゆく雲を見るの
が好きになった。実に楽しい時間だ。この人もそのお一人か。
白鳥のような雲が来たかと思うと、何と鯨のような雲が迫っ
て来るではないか。作者の驚きが素直に伝わってきた。
石橋 朝子
・水底まで西日わが髪匂ひけり 強烈な夏の西日は、やりきれない暑さを覚えるものだ。掲
句はその西日が水底まで届いていると言う。「わが髪匂ひけ
り」
との取り合わせが効いている。清婉にして美妙なる一句。
小 説
詩
成瀬 喜義
・どしや降りの雨を力に牛蛙 「牛蛙」のあのグロテスクな姿態と太い声は、それだけで
迫力は在るというもの。その上「どしやぶりの雨」をしつら
えたこの感覚の良さ。この句の牛蛙の存在感は見事である。
伊藤 斉
・霜柱踏めば氷河の崩る音 嘗て、木曽山中で数十センチにも及ぶ霜柱に出くわしたこ
とがある。この句からその時の景が甦って来るのを覚えた。
「霜柱」を踏んだ時の実感がこの一本気な叙法をとらせたの
だろう。面白い。
宮沢 秀子
・働きし手首の太く根深汁 健全実直な庶民の暮らしが背後にある。働き者の手首が鮮
やかに見えて来る。こういう質朴な詠みぶりも、また俳句な
のだ。生活感覚の効いた一句。
渡辺きぬ代
・露けしや埴輪は口を丸く開け 「埴輪」の前に立つと、何故か懐かしさと優しさを覚える。
思わず微笑みを誘われた一句。「露けしや」の季語もいい。
平野 道子
・蟷螂の斧振り上げし面構へ 「蟷螂」が斧振り上げた一瞬を、写実の目は見逃さなかっ
た。対象をしっかり見ることから、この句は生まれた。
鈴木 利久
・七五三の髪型同じ姉妹 同じ髪型をした初々しい姉妹。やはり、姉妹は何をするに
も同じと言うのも一つの真理だ。更なる詩精神の追求を!
定型俳句
自由律俳句
川 柳
本年度も良質な作品に出会えたことを感謝したい。俳句は
短い詩型だが、それをバネに時空を超えた広い世界も詠むこ
とが出来る。俳句に親しみ、遊んで見て下さい。応募の際は
今一度誤字がないかどうか確認を! ご健吟を祈ります。
短 歌
263
浜松市民文芸 60 集
自由律俳句
[市民文芸賞]
穂先風に揺れ止まるに止まれず赤蜻蛉 媚びまとうそのバラの無口を溺愛す
送られてまた送ってゆく夕日の町
東区
中区
東区
飯 田 邦 弘
代
河村かずみ
賀
264
子等の自転車を冬の夕暮れが追いかけていく
添うて三十一年コスモス色の風を歩く
天竜区
伊 藤 有 美
ティータイムの空が湖面に拡がっていく
雨のけはい木犀のオレンジ色の花ふる
雪つもる窓辺の少女おしゃべりのインコ
人魚のように泳ぐ冬の銀河
北区
鈴 木 章 子
氷雨ふってウインドーのマネキンのほほえみ
[入 選]
夕暮れ、雨が杉林に突き刺さっていく
川 柳
石 田 珠 柳
自由律俳句
通り雨幾何学模様の糸キラリ
定型俳句
湖西市
浜北区
木 俣 史 朗
フリー切符のぶらり感無人駅に茜とぶ
梅雨晴れ間洗濯物がおしくらまんじゅう
短 歌
畦道に鎌置いて蟷螂の老い重ね見る
ごと
詩
どっちが笑う向日葵とお日様にらめっこ
とうろう
評 論
随 筆
ビル街の更地蟷螂の落ち武者の如潜む
児童文学
立冬の日の黄蝶なぜか一日なごみ飛ぶ
小 説
265
浜松市民文芸 60 集
皮袋両耳で風を聞く
中区
枯れた心に十三夜の月がやさしい
染みこんだ時間で動いている
中区
冷たい雨傘に受け会いたい人がある
空蝉が風に向って畏まる
伊藤千代子
来世などいらないと夜が泣く
南区
そう、この角度で言葉が入ってくる
一つ一つと灯が消えて月天心
中区
誰も来ない此の坂道落葉だけ動く
金田眞代子
錆びた月やり残している思い
竹 田 道 廣
戸 田 幸 良
中区
中 谷 則 子
落葉カラコロ輪になって踊る夕暮れの十字路
一つ一つが秋無縁佛数千体
嘉 山 春 夫
息を呑む卵を宿したカマキリの凝視
寒空の下ダミ声のカラスが鳴いている
中区
あおむけの蝉が飛び立った白い日差し
その一言が言い出せない雨に揺れるコスモス
昼弁当狛犬よこ向く青葉雨
猫じゃらし香雨にしげる黒塀の立つ
266
南区
この下に弟のいない春の空
弟の電話の声だけ残っている
静けさにかっこうの鳴く朝の納骨
中区
台風一過ゆったりとシュウメイギク
角曲り白梅はどこまで薫るのか
青春の棘抜けた還暦の秋
評 論
中 村 淳 子
宮 司 も と
随 筆
東区
宮 本 卓 郎
人の気も知らないで止まったままのブランコ
朝陽も欠伸してる休日の秒針
児童文学
胸の錨そのままにさて今日の予定
小 説
詩
東区
飯 田 邦 弘
いざな
雨が誘う山肌の移り変りに摩る手の甲
銀杏も頂から落ち葉になって風の波
賀
鈴
自由律俳句
代
好
川 柳
木 南区
大 庭 拓 郎
足そろえ立つ白鷺はたまゆら人の顔して
身の内の何かが折れて星座がきれい
東区
通り雨無数の波紋を池の秋
もの足りなさそれもいい秋風に恋をする
中区
薪能夜のしじまを引裂く鼓
定型俳句
木洩れ陽が心の底を透かし見る
短 歌
267
浜松市民文芸 60 集
東区
周 東 利 信
頑張るほど強く吹く風はるかなオリオン
中区
今日もまた無事の一日春灯ともる
ら
風鈴の今日も鳴らずに日が暮れゆく
そ
カシオペアが宇宙に季節を越えた高さにある
鴨の群の動くともない位置
戸田田鶴子
外山喜代子
東区
内 藤 雅 子
お羽黒トンボなつかしむ我にまといて飛べり
浜北区
竹内オリエ
鏡に満月映して想い出してるあなたを
思い出の想いとなる十三夜
中区
風鈴の音色ぼやけて朝靄に溶けた
今年は半分しか咲かない桜は古木
浜北区
痛み抱え子供のようにすねる秋風
「空しい」と声に出したら言葉が砕けた
南区
凌霄花空をぐんぐん手繰り寄せてる
土屋香代子
中区
土 屋 忠 勝
台風来て電線のうなり鳴く風の交差路
観覧車かたかた夕日つまんでく
中津川久子
夕暮の公園にブランコが風に押されてまだ揺れている
268
浜北区
幾重にも反物ころがす春の海
蔓のあちこちにホルンの朝顔ひらく
橋本まさや
西区
浜 名 湖 人
青春の山懐かしくリュック負う二人旅
孫を待つ正月を待つ金木犀の香る庭
中区
ヒメ巴勢里
舞台は回る水玉白地ワンピースぐるり薔薇
死の現場散らばる薔薇のコサージュ
評 論
随 筆
中区
藤本ち江子
白い曼珠沙華の中亡母の背が見えて蔭れて
児童文学
病窓に三日月が覗く只今夢の苑内散歩中
小 説
詩
南区
水
取れない場所のあけびを見付けた記憶
彰
飯 田 裕 子
川 東区
入相秋の音色で湯街染めてる
岩 城 悦 子
墓のみを残し故郷遠く去り
浜北区
水溜りに煙草の火消す背に冬日
自由律俳句
川 柳
河村かずみ
南区
太 田 静 子
ほうれん草に交りたる愛嬌ほどの水菜二株
定型俳句
中区
多色迷宮の深紅の薔薇へラブソング
短 歌
269
浜松市民文芸 60 集
純
東区
手 塚 全 代
ねぐらに帰るカラス一羽わたしも一人
南区
鶴
冷酒は熱い女𤏐酒は薄い女落ち葉舞う
澤 健
市
彼岸花燃えて己を主張する
寺
多 倉 見 藤 子
中区
畔 柳 晴 康
すすき活け今宵も月を相手のひとり酒
中区
ミシンの音も師走の階段を下りる
鴇
南区
白 井 忠 宏
世界中異常気象の手の平に大雨に打つ手なし
中区
還暦過ぎ気づきの山々日々新た
中区
西区
鈴木あい子
着物に合わせて帯を見立てる今日の茶席
髙 鳥 謙 三
長浜フミ子
東区
間違い電話気になる秋の気配
中区
蝶が生れる庭は辻が花だよ
笑顔で濯ぐ秋晴れの庭に妻
中区
錦 織 祥 山
敬
竹
中 北区
コスモスの背丈越す畑泳ぐ
270
中区
今日はわたしだけの祝日わが誕生日
原 川 泰 弘
浜 美 乃 里
中区
袴田香代子
こ
絵手紙に「喰わす娘ありと」茄子描く
北区
十二月お悔み欄がやけに気になる
中区
宮 地 政 子
朝露の散歩夫婦元気よく会話の声が時間教える
評 論
随 筆
渡 辺 憲 三
中区
山内久美子
ワイングラスは二つ揃えて聖夜の青い灯
児童文学
中区
山頭火が味わった水の味が手にある
小 説
詩
短 歌
定型俳句
自由律俳句
川 柳
271
浜松市民文芸 60 集
自由 律 俳 句 選 評
鶴 田 育 久
今年の投句者六十二名と前年度より若干増えましたが、投
句五句全て定型俳句のものがかなりありました。市民文芸に
は、定型俳句という歴とした部門もありますので、今回はそ
れらは選外といたしました。ただし、その中でも秀作と思わ
れる作品は採り上げることにしました。
予選句二十句を挙げます。(○印二次予選句)
痛み抱え子供のようにすねる秋風
○幾重にも反物ころがす春の海
雪つもる窓辺の少女おしゃべりのインコ
寒空の下ダミ声のカラスが鳴いている
あおむけの蝉が飛び立った白い日差し
通り雨幾何学模様の糸キラリ
○どっちが笑う向日葵とお日様にらめっこ
フリー切符のぶらり感無人駅に茜とぶ
今日もまた無事の一日春灯ともる
一つ一つと灯が消えて月天心
○観覧車かたかた夕日つまんでく
○送られてまた送ってゆく夕日の町
○子等の自転車を冬の夕暮れが追いかけていく
添うて三十一年コスモス色の風を歩く
○穂先風に揺れ止まるに止まれず赤蜻蛉
いざな
○雨が誘う山肌の移り変りに摩る手の甲
○人の気も知らないで止まったままのブランコ
間違い電話気になる秋の気配
センチメンタル
○媚びまとうそのバラの無口を溺愛す
○冷たい雨傘に受け会いたい人がある
慎重熟慮の結果、次の三句を市民文芸賞に推します。
穂先風に揺れ止まるに止まれず赤蜻蛉
作者は、対象を実に細やかに的確に捉えています。特に穂
先が風に揺れ、止まるに止まれないトンボを、むしろ作者の
方が焦れったい思いで見ている様子がうかがえて佳句。郷愁
に似た少年の頃へ誘ってくれるようです。
媚びまとうそのバラの無口を溺愛す
この句バラの無口で生きています。一般にバラと云えば赤
い色、オペラのカルメンの唇に咥えた花(原作では黄色いア
カシア)などを連想するものです。この句の場合、そんな華
やかなイメージとは真逆に無口を溺愛すという逆説的な見方
がポイントです。作者の強いナルシズムを感じます。
送られてまた送ってゆく夕日の町
旧き良き時代の青春抒情ドラマを彷彿する句です。
夕日を背に帰りを送りながら、仲々別れ惜しく、又こちら
の 方 へ 話 し な が ら 戻 っ て 来 た り も し た、 そ ん な 若 い 頃 の
感 傷 が無性に恋しく思い出されます。如何にも女性らしい
想いです。この感情は幾つになつても褪せることはありませ
ん。
〈幾重にも…〉春の海がのたりではなく、反
次 位 と し て、
物転がすというところが面白い。〈どちらが…〉どちらも丸
顔の向日葵とお日様のにらめっこがとてもユーモラスです。
〈子等の…〉夕暮れが追いかけていくに詩情をみます。〈冷
たい雨…〉傘に受けてというフレーズで会いたいという気持
が倍加されます。
272
川 柳
[市民文芸賞]
中区
北区
ボタンかけ違えてからの隙間風 定型俳句
西区
揺れ動く心鏡に見透かされ
評 論
短 歌
東区
詩
随 筆
行間へ懺悔ふつふつ古日記
児童文学
春風に誘われ蝶になってみる
小 説
山 口 英 男
馬渕よし子
竹山惠一郎
川 柳
竹 平 和 枝
自由律俳句
273
浜松市民文芸 60 集
[入 選]
いい予感するから紅の色を変え
中区
控え目な花へ重ねた亡母の顔
折り鶴へ願いをこめて息を吹く
孫の夢詰めたボールがよく弾む
竹山惠一郎
自己主張過ぎて群れには馴染めない
目覚しへ罪を被せて切り抜ける
東区
躊躇する背中を温い手に押され
封印の秘密を喋りだす背中
日溜りに過去の話が寄ってくる
北区
歩を譲るただそれだけで虹が立つ
そっけない言葉の裏に温かさ
新調の靴へ背筋が伸びてくる
田 中 恵 子
温かい言葉がそっと背中押す
若い芽をしっかり伸ばすほめ上手
北区
躓いた石に文句をぶつけてる
年輪がやさしく包むもの忘れ
馬渕よし子
山 口 英 男
274
浅 井 常 義
北区
やる気満ち希望を語る教育者
奥山の新緑揺れる鯉の群れ
中区
決め兼ねた夢に迷いの万華鏡
立ち位置に迷うピエロの夢舞台
図書館に夕闇迫るペンの音
浜北区
愛も込め夏バテ防ぐ野菜食
伊 熊 靖 子
子等帰り食卓静か箸二膳
里芋の味が恋しく鍬を打つ
中区
亡き母の鋏わたしの手に馴染む
庭草に鎌の切れ味聞いて見る
南区
定型俳句
百年の束の間でした母の路
短 歌
東区
此の指の続くかぎりの毛糸玉
内 山 敏 子
母ひとり子等へ遠慮の過疎に住む
明日咲かす花に大地の暖かさ
詩
体調の信号きっとあったはず
随 筆
ジーパンに馴染んで作法知らぬ足
評 論
ひまわりの重い頭を下げて秋
児童文学
リストラへ師走の風が突き刺さる
小 説
木 覚
加 藤 典 男
鈴
川 柳
鈴木千代見
自由律俳句
275
浜松市民文芸 60 集
木 均
中区
肩先を二人濡らしてかばう傘
床に入り今日をほっこり温める
鈴
ストレスを溜めずパワーにして使う
病室で眠る母の手爪を切る
西区
戻れない位置で振り向き想う事
以上でも以下でもないと言う保身
東区
いくつもの波乗り越えて夫婦箸
髙 橋 紘 一
神様のような顔して内視鏡
常識がはじき出されている政治
中区
あまたあるボヤキを聞いた壁の穴
人生の残りゲームに持つ不安
躓いた石に痛さを聞いてみる
東区
レジに来て実感したる消費税
無駄かかえ思考回路のショートする
為 水 義 郎
しなやかな御手に溢れる弥陀の慈悲
捨て切れぬしがらみに身を縛られる
西区
自分史に書き尽くせない妻の愛
幽玄の能映し出す火の帳
鶴見芙佐子
中 村 雅 俊
宮 澤 秀 子
276
東区
終活の講座で皆がメモを執る
難病に教えられつゝ今を生き
大災害自然の威力思い知る
湖西市
止まり木に兜を脱いだ顔と顔
デパ地下へ四季折々のグルメ旅
南区
いらいらにポリポリ食べる落花生
児童文学
評 論
犬猫に癒されながら老いを生く
小 説
村松津也子
石 田 珠 柳
太 田 静 子
随 筆
詩
東区
子育ての良薬となる誉め言葉
母さんの料理で育つ子の味覚
中区
逆境が人を育てて丸くなり
ものぐさのひと日健康取り戾す
中区
愚痴止めて笑顔に替えて花咲かす
歳とれど欲はまだあり腕まくる
中区
八十路ともなれば時計は速回り
定型俳句
木 村 民 江
倉 見 藤 子
畔 柳 晴 康
川 柳
斉藤三重子
自由律俳句
八十路すぎ誤植の目立つメール増え
短 歌
277
浜松市民文芸 60 集
西区
秋という空の高さに背伸びする
柴
田 修
西区
伝えてと言わず広がる狭い村
おお欠伸してからそっとまわり見る
竹川美智子
竹 平 和 枝
ふる里の絵を書いてみる秋の空
西区
椋鳥に戸袋取られ待つ巣立ち
鈴木すみ子
東区
義歯はずす顔は正味の歳を言う
子等走る北風小僧追越して
北区
快癒して光の中で深呼吸
博
祈ることおぼえこの世の手を洗う
橋 辻 村 榮 市
髙
戸田田鶴子
中区
おさな児の握りこぶしに有る未来
電線に音符のような寒雀
中区
ジャズの音本堂に満つ山の寺
釣り糸に来し方映し水面揺れ
西区
喋らせて笑顔うなずく聞き上手
度の合わぬ眼鏡で春を眺めおり
髙 柳 龍 夫
ここまでは運よく無事を積み重ね
278
中区
物忘れ互に笑うところてん
水打って昼寝の中にある安堵
南区
移りゆく四季が楽しい散歩道
隠し味口じゃ言えない匙加減
中区
気のきいた会話楽しむ老い二膳
生きざまを見せつけられた蝉の骸
東区
あちこちに抱える病日ごと増え
児童文学
評 論
今ここにいることだけでする感謝
小 説
戸 田 幸 良
中 田 俊 次
中 村 禎 次
名 倉 太 郎
随 筆
詩
中区
スマホ見て外の景色を見ぬ旅路
老いの背をじっと見守る天守閣
東区
経験のさすがと思う義母の知恵
強面の思いもよらぬ鈴の声
中区
病み臥せば心尽しに重い箸
沼 田 壽 美
船 木 正 子
馬 渕 征 矟
川 柳
宮 地 政 子
自由律俳句
難病もこれも我がもの今日を生き
中区
若い頃言えない礼が今いえる
定型俳句
人生の廻り道して今がある
短 歌
279
浜松市民文芸 60 集
東区
前向きに生きて明日が見えてくる
リハビリの叱咤に耐えてする感謝
美 進
守屋三千夫
渥
南区
故郷は姥捨山に老い二人
大 庭 拓 郎
岡 本 蓉 子
中区
ウォーキング銀の穂なびく大すすき
西区
小
中区
ネガティブな私を笑う昼の月
左富士製紙の煙に霞けり
東区
良いと聞きぎっしり詰まる予定帳
加藤貴代美
和
中区
振り込めと親に言っても失業中
北 村 友 秀
野 飯 田 裕 子
有 本 千 明
東区
日向ぼこ昭和時代を一くさり
中区
金取ミチ子
もみじの手しわがれた手とハイタッチ
岩 城 悦 子
中区
運動会親子そろってVサイン
伊 熊 保 子
中区
優しさに薬の如き効き目あり
浜北区
唐黍の爆け人生やり直す
280
南区
雨多し降らねばそれも愚痴の種
東区
痛快だまだ動けます笑えます
中区
手をつなぎ駆ける渚が光ってる
南区
からだ
ドクターの笑顔で身体軽くなり
髙
功
白 井 忠 宏
柴 田 良 治
小 島 保 行
久 保 静 子
南区
恵方巻味わいながら願いこめ
東区
よく転ぶまあよくころぶ年になり
中区
デイケアの窓越し母はもういない
中区
マスコミに思考ずるずる引きずられ
中区
肩腰に湿布を張って輪に踊る
中区
かくれんぼここにいるよと孫が言い
永 井 真 澄
内 藤 雅 子
戸 塚 忠 道
寺 田 久 子
手 塚 美 誉
土屋香代子
山 中区
子は親を親は孫まで思い遣り
髙 山 紀 惠
川 柳
中区
証拠なし事実は夫に寄り切られ
自由律俳句
仲 川 昌 一
定型俳句
中区
妻の手を引いたつもりが引かれてた
随 筆
短 歌
竹内オリエ
評 論
詩
浜北区
児童文学
闘病の暮らし終れば世の春だ
小 説
281
浜松市民文芸 60 集
南区
中津川久子
西区
限りある生命を笑う花と木は
顔の皺棚にあずけて試着室
さ
彰
こ
松 永 真 一
み
川 南区
日向ぼこ話題持病の愚痴ばかり
夢
水
野 末 法 子
中区
孫に手をひかれる様に宮参り
宏
橋本まさや
下 山
旭
中区
過疎の村消えて本籍何処へ行く
野 堀内まさ江
平
浜 美 乃 里
西区
近頃は想定外が多すぎる
中区
中 村 弘 枝
何するもヨイショで始むデイサービス
北区
鯉のぼり大口あけて邪気流す
浜北区
余白こそ人生埋める堪え所
中区
浄土へは片道切符皆同じ
中区
死ぬ事を恐れるものが河豚を食う
東区
宅配に鉛筆なめて母の文
282
川柳 選 評
今 田 久 帆
評 論
随 筆
今 年 は 昨 年 よ り 応 募 者 が 八 名 増 え、 八 八 名 の 四 二 八 句 の 中 か
ら私の心を捉えた二〇句を市民文芸賞予選句として候補に挙
げ、熟考した上で、四句を市民文芸賞とさせていただきました。
川 柳 は リ ズ ム や 間 と 深 い 関 係 が あ り、 流 れ が い い と、 そ の 詩
の世界がパッと眼前に広がり開けてきます。間をうまく使うと、
余 韻 が 残 り、 そ の 情 景 を 思 い 浮 か べ た り、 内 容 を 考 え た り す る
機 会 を 持 つ こ と が で き ま す。 五 七 五 の リ ズ ム に 乗 せ る こ と に よ
り、 内 容 が 読 む 者 の 心 に 突 き 刺 さ り、 心 に 残 る だ け で は な く、
そ の 情 景 が 読 む 者 の 前 に 広 が っ て い き ま す。 書 き 終 え た 後、 自
分 で 声 に 出 し て み る と 詩 の 流 れ が よ く わ か り ま す。 流 れ が 悪 い
と 景 色 が 途 切 れ て し ま い ま す。 中 七 を 中 八 に し た り、 下 五 と 字
余 り に し た り す る と リ ズ ム が 崩 れ、 リ ズ ム が 重 く な っ て し ま い
ま す の で、 そ れ ら は 上 五 へ 持 っ て い っ た り し て、 リ ズ ム を 工 夫
し て み ま し ょ う。 川 柳 に は 季 語 も 切 れ 字 も あ り ま せ ん の で、
五七五のリズムを大切にすることがまず第一歩です。
市民文芸賞予選句
児童文学
立ち位置に迷うピエロの夢舞台
秋という空の高さに背伸びする
難病に教えられつゝ今を生き
止まり木に兜を脱いだ顔と顔
亡き母の鋏わたしの手に馴染む
しなやかな御手に溢れる弥陀の慈悲
ネガティブな私を笑う昼の月
小 説
詩
定型俳句
自由律俳句
川 柳
戻れない位置で振り向き想う事
病室で眠る母の手爪を切る
デイケアの窓越し母はもういない
年輪がやさしく包むもの忘れ
躓いた石に痛さを聞いてみる
逆境が人を育てて丸くなり
スマホ見て外の景色を見ぬ旅路
捨て切れぬしがらみに身を縛られる
前向きに生きて明日が見えてくる
市民文芸賞
◎ボタンかけ違えてからの隙間風
ボ タ ン を し っ か り 締 め て い る 時 は 隙 間 風 も 入 ら ず 暖 か い が、
いざボタンを掛け違えると隙間風が入ってきて寒い思いをす
る。 そ れ と 同 じ よ う に、 日 常 に お い て も 手 順 が 狂 う と、 物 事 が
進まずいやな思いをすることになる。
◎揺れ動く心境に見透かされ
毎 日 見 つ め て い る 鏡 は 普 段 と 違 う 表 情 が あ る と、 そ れ を し っ
か り 映 し 出 す。 ま し て 心 が 揺 れ 動 い て い る と、 そ れ が 表 情 と し
ても映し出され、自分で自覚することになる。
◎行間へ懺悔ふつふつ古日記
昔 書 い た 古 日 記 を 読 み 返 し て み る と、 そ の 日 の 行 事 ば か り で
な く、 自 分 の し た 事 に 対 す る 後 悔 の 念 が 行 間 か ら 読 み 取 れ、 一
日一日を真剣に生きていた姿が浮かび上がってきた。
◎春風に誘われ蝶になってみる
春 は 木 々 が 芽 吹 き、 生 命 が 躍 動 し、 新 し い 命 の 誕 生 を い ろ い
ろ な 所 で 見 か け る 季 節 で あ る。 そ ん な 春 を 蝶 に な っ て 自 由 に 舞
い、思い切り謳歌すると、心に新たな風が吹き込んでくる。
短 歌
283
浜松市芸術祭
集作品募集要項
市民の文芸活動の向上と普及を図るため、創作された文芸作品
(未発表)
を募集して、
「浜松市民文芸」
﹃浜松市民文芸﹄
第
第 集を編集・発行します。
浜松市
二 発 行 一 趣 旨
61
部 門
小説(戯曲を含む)
詩(漢詩を除く)
評論
定型俳句
枚数等
(一人)
部 門
児童文学
枚数等(一人)
枚以内(一編)
短歌
随筆
行以内(一編)
句以内
自由律俳句
首以内
枚以内(一編)
枚以内(一編)
枚以内(一編)
句以内
句以内
選者の氏名は、平成二十七年七月配布(予定)の「浜松市民文芸」第 集の作品募集要項に記載します。
平成二十七年九月一日(火)から十一月二十日(金)まで。
(必着)
(二〇字×二〇行・縦書き)A4判でも結構です。
※ ワープロ・パソコン原稿
を使用してください。
※ 原稿用紙はB4判四〇〇字詰め、縦書き)
川柳
7 30
5 50 25 50
5
5
61
六 選 者 七 募集期間 5
公益財団法人浜松市文化振興財団 浜松文芸館
三 編
集
浜松市内に在住・在勤・在学されている人(ただし、中学生以下は除く)
四 応募資格 五 募集部門及び応募原稿 61
284
八 応募上の注意 ①
応募作品は、本人の創作で未発表のものに限ります。他のコンクール及び同人誌・結社等へ投稿した
作品は応募できません。
② 部門ごとに、規定の応募票(コピー可)を必ず添付してください。応募票付き募集要項は、浜松文芸館、
市役所文化政策課、
市内の協働センター・図書館等の公共施設で入手できます。
浜松市文化振興財団、
浜松文芸館ホームページからも印刷できます。
③ 応募原稿の書き方については、募集要項の「応募原稿の書き方」
をご覧ください。
④ 応募時に、選考結果通知のための返信用の定形封筒に自分の住所・氏名を書き、 円切手を貼って、
「浜松市民文芸」として一部統一させていただくことがあります。
ことについては、
⑧ 右記の規定や注意に反する作品・判読しにくい作品は、失格になることがあります。
⑥ 応募原稿は必ず清書したものを提出してください。
⑦ 作品掲載にあたって、清書原稿を活字にします。文字遣い・句読点・ルビ・符号など表記に関わる
作品に添えて出してください。
⑤ 難読の語、特殊な語、地名・人名などの固有名詞、歴史的な事柄などにはふりがなを付けてください。
82
⑨ 応募原稿は、返却いたしません。
(必要な方は事前にコピーをおとり願います)
九 発
表 選考結果は、応募時に提出された返信用封筒で平成二十八年二月初旬までにお知らせします。
市民文芸賞及び入選の作品は、平成二十八年三月発行予定の第 集に掲載いたします。
十 表 彰
十一そ の 他
61
市民文芸賞の方には、平成二十八年三月の表彰式で賞状と記念品を贈ります。
「浜松市民文芸」第 集を一部贈呈いたします。
市民文芸賞及び入選の方には、
購入される場合は、一部五〇〇円です。
〈提出及びお問い合わせ先〉 浜松文芸館
〒四三〇ー〇九一六 浜松市中区早馬町二ー一 クリエート浜松内 ☎〇五三ー四五三ー三九三三
285
61
題名
キリトリ線
部
門
名 称
所在地
受付番号
歳
枚
原稿枚数(ページ数)
男 ・ 女
電 話 番 号
(市外在住の方は必ず記入を)勤務先または通学先
(平成 27 年 11 月 20 日現在)
年齢
小説・児童文学・評論・随筆・詩を投稿される方は記入してください
題名は、原稿用紙1枚目の右欄外にも、同じように記入してください
「浜松市民文芸」第61 集応募票(短歌・定型俳句の場合は、部門欄の《旧かな・新かな》のいずれかに◎を)
小 説・児 童 文 学・評 論・随 筆・詩・
・
短 歌・定 型 俳 句《 旧 か な・新 か な 》
自 由 律 俳 句・川 柳
〒
受付月日
( 部 門 に1 箇 所○ を お 付 けください )
ふりがな
氏 名
ふりがな
発表名
ペンネーム
住 所
文芸館使用欄
編 集 後 記
春 の 便 り が 各 地 か ら 届 き 始 め る こ の 時 季、 今 年 も 多 く の
方々の熱意に支えられ、「浜松市民文芸」第六十集が発刊の
運びに至りましたことをまずもってお礼申し上げます。
今年度、「浜松市民文芸」も第六十集。長い歴史を刻み、
人間の年齢で言えば「還暦」を迎えました。
「浜松市民文芸」第一集は、昭和三十一年三月二十五日、
全六十四ページの冊子として当時の浜松市教育委員会社会
教育課により編集・発行されました。
第 一 集 の あ と が き「 編 集 を 終 え て 」 に よ る と、 浜 松 市 芸
術祭の一部門として、広く一般から文芸作品の募集を行い、
このうち優秀なものを選出し、年間一冊の「浜松市民文芸」
に 初 め て ま と め た と さ れ て い ま す。 ま た、 第 一 集 に 寄 せ ら
れ た 作 品 は、 創 作 二 四、 評 論 五、 詩 七 一、 短 歌 二 八 八、 俳
句三九九点であったと記されています。
今回投稿いただいた作品総数は、二、四八三点、投稿者数
は 延 べ 五 九 三 人 で し た。 全 体 的 に は、 投 稿 者 数・ 作 品 数 と
も に 昨 年 を 若 干 上 回 る 数 字 で し た。 ま た、 最 も 若 い 投 稿 者
は 十 五 歳、 最 高 齢 は 百 歳 の 方 で し た。 長 年 投 稿 を 続 け て 下
さ っ て い る 方 も 数 多 く 見 ら れ ま す が、 新 し い 方 の 投 稿 も 増
えうれしく思います。
今 年 度 の 特 徴 の 一 つ と し て、 ど の ジ ャ ン ル に お い て も 描
か れ て い る テ ー マ が 多 様 で、 読 み 応 え の あ る 作 品 が 多 か っ
た こ と が あ げ ら れ ま す。 今 と い う 時 代 の 中 で 生 き る 自 分 や
家 族、 多 く の 人 た ち、 自 然 や 様 々 な 出 来 事 を じ っ く り と 見
つ め、 ど の 作 品 も、 作 者 の 思 い が 自 分 の 言 葉 で 見 事 に 表 現
されていました。
今 後 と も こ の「 浜 松 市 民 文 芸 」 が、 市 民 の 皆 様 の、 文 芸
作 品 発 表 の 場 と し て 活 用 さ れ、 充 実・ 発 展 し て い く こ と を
願っております。
「浜松市民文芸」の発行にあたりまして、投稿者・
最後に、
選 者・ 関 係 機 関 の 皆 様 方 の 御 理 解、 御 協 力 に 厚 く お 礼 申 し
上げます。
集
浜松文芸館 館長 溝口 玄
浜
松 市 民 文 芸 第
印 刷 杉森印刷株式会社
平成二十七年三月十四日 発 行
発 行 浜松市
編
集 (公財)浜松市文化振興財団
浜 松 文 芸 館
〒四三二ー八〇一四
浜松市中区鹿谷町一一ー二
☎〇五三ー四七一ー五二一一
60
浜松市民文芸
第六十集
発行日
平成二十七年三月十四日
編集・︵公財︶浜松市文化振興財団 浜松文芸館
浜松市中区鹿谷町
0
電話
11̶2
053̶471̶5211