| 目次 | 会長 挨 拶 2 「現代版画」考 - ごく私的な - |小林敬生 学会改 組 4 「大学版画学会から版画学会へ」- その経緯についての報告 - |小林敬生 新作通信 6 田中智美 / 佐藤妙子 / 湯浅克俊 / 高橋耕平 . 加納俊輔 / 鷲野佐知子 / 磯上尚江 / 岸 雪絵 / 豊泉綾乃 / 桐月沙樹 / 佐野広章 論文 16 『現象学の理念』を用いた版画と〈もの〉との考察|宮城正作 研究報告 26 「複数性再考 -13名の日本人版画家達」展企画を通じて|木村秀樹 "Redef ining the Multiple -13 Japanese Printmakers " 32 リトグラフでつくられた明治期の医学解 剖図|笠原健司 - 金沢大学資料館所蔵の医学教示図から - 38 社会連 携事業 における版 表現 制 作 の事例報告|生嶋順理 佐竹宏樹 アートラボはしもと「おハながらート・プロジェクト」 44 試論 なぜ、タイは版画が盛んなのか。|高浜利也 特 集「版」のイデア - 私の作法 52 凹版 私の技法 - 色彩銅版画 - |安藤真司 56 凸版 水性・油性摺りによる多色木版 - 版がみせる形 - |古谷博子 60 平版 - 石版を巡る、とりとめのない話 - |園山晴巳 報告 64 「版の時間 / Age of Prints」展について|倉地比沙支 67 シンポジウム「版の時間 /Age of Prints」について|長尾浩幸 68 「第 6 回大学版画展受賞者展」報告 - 第 36 回全国大学版画展受賞者による作品展 - |渋谷和良 69 「第 6 回大学版画展受賞者展」山形巡回報告 - 版画の断面 - 4 - |若月公平 71 「第 37 回全国大学版画展」報告|馬場 章 展評 73 「第 37 回全国大学版画展」展評|佐川美智子 第37回全国大学版 画展 町田市立国際版 画美術 館収 蔵賞受賞作品 74 受賞作品一覧 事務局報告 78 倉地比沙支 編集後記 79 若月公平 1 |会 長 挨 拶| 1974 年、吹 田 文 明 氏 の 呼 び か け に 駒 井 哲 郎 氏 らが 応え“ 大 学 版 画 研 究 会 ” が 発 足しました。 「版 「現代版画」考 −ごく私的な− 画の普及と啓蒙」「 版 画 教育の研 究と充 実」「 大 学 に版 画 専 攻 科 の設 立」を目標に掲げ ての出 発でし た。1963 年 東 京 芸 術 大 学 大 学 院に、ʼ 69 年 多摩 美 術 大 学 油 画 科 内に 版 画 専 攻 が 設 立されて各 美 術 大学版画学会会長 大 学に版 画 専 攻 が 生まれつつある中でのことです。 小林敬生 一方 で、ʼ 72 年、第 8 回 展 東 京 国 際 版 画ビエンナー レ展で高 松次 郎がゼロックス・コピーによる作品で 国 際 大 賞 を 受 賞して以 来、 「 版 画 概 念 の 拡 大 」と 「 領 域 」をめぐる議 論 が 沸 騰しつつあるという時 代 でもありました。 『 … 略、70 年代の「 版 画 概 念の拡 大 」により現代 版 画 は 現 代 美 術 の中に 解 消され たか に見 えるが、 それ は 概 念 上の話しであって、ʼ 80 年 代になると現 代 版 画はやはり近 代 版 画を継 承 するように版 画の 技 法と表 現の 改 革に突き進 み、遂には日本 独自の 版 画 世界を作り上げていく。その推 進力になったの が 70 年 代 からの 美 術 大 学 など で の版 画 教 育の充 実である。木 版 画、銅 版 画、リトグラフ、シルクスク リーンという 4 版 種の 技 法も次 第に確 立され… 略 …』 ( 松山龍 雄 /版 画芸 術、2012 年 No 158 号より) と松 山 氏も述 べているように 版 画 慨 念をめぐる論 争はともかくとして、現代 版 画の興 隆は大 学版 画 研 究会 ( ʻ 85 年より大 学 版 画 学 会と名 称 変 更 ) の活 動 と軌を一にしていると言って過言ではないでしょう。 1977 年「大 学に於ける版 画 教 育の成 果を検 証す る」を目的に全 国 大 学 版 画 展 が 大 阪フォルム画 廊 を舞 台に始まり、( 第 9 回 展 から丸の内 画 廊) ʼ 87 1944 年 年第 12 回展からは新しく開 館した町田市立 国際 版 島根県松江市に生まれる 画 美 術 館に会 場を移し、2012 年、第 37 回 展を 迎 1964 − 68 年 インターナショナルデザイン研 究 所(京都)に於 1988 年 1993 年 いて上野伊三郎・リチ夫妻等に指導を受ける えました。第 1 回 展では 18 校にすぎなかった参 加 昭和 62 年度優秀美術作品文化庁買上げ 校も、20 05 年第 30 回展では 6 4 校を数えるに至り 小林敬生−木口木版画 1977 ~ 92− 大 学 に於 ける版 画 教 育の充 実 ぶりが 窺 えます。学 (ギャラリー・ステーション刊) 会設 立当初の目的の一つ「 版 画 教育の研 究と充 実」 1993 −94 年 幻視−小林敬生木口木版画展−/ 東広島市立美術 は達 成されたと言えましょう。 ( 今 一つの目標であっ 館、志摩ミュージアム、和光ホール(銀座) た「版 画の普及と啓蒙」に関しては未だし…ですが) 2005 年 小 林 敬 生−木口木 版 画 1977 ~ 2004 −展 / 滋 賀 県立近代美術館、アロンディガ博物館(メキシコ) 2006 年 秋の褒章に於いて紫綬褒章を受章 松 山 氏は 創 作 版 画 以 降 1950 年 代までを括って 2007 年 第 13 回山口源大賞を受賞 近代 版 画と表現していると解 釈しますが、その近代 2011 年 小林敬生木口木版画全作品集(阿部出版刊) 版 画と現代 版 画の相異点は版に対 する認 識の差異 現在 多摩美術大学絵画学科教授 であると考えます。山本 鼎が「版 画」という用語を生 2 4 み出して以降 、日本の版 画 家は版という第 3 者の存 2012 年、第 37 回 全 国 大 学 版 画 展と同時に特 別 在 を何よりも重 要 視して来ました。( もの 派 の 代 表 企 画「 版の時 間/ A g e of pr i nt s」展が 女子 美アー 的作 家である李禹煥 氏も 「作 家にとって版 画の魅 力 ト・ミュージアムに於いて開 催されました。 《 この 特 は何といっても版という第 3 者 の 介在により、作 家 別 展 示は、浮世 絵 から始まった版 画の文 脈 性を踏 の主 観を越えた、より未 知なるものに出くわされる 襲し根 幹となる基 本 的 な版 種を軸にした版 画 表 現 可能 性 の 強い 作 画 だというところにある」— 李 禹 煥 だけでなく、ジャンルを横 断するような斬 新な応用 全 版 画 ( 1986 年 ) より—と述べている如く現 代 美 術 表現 、映 像や写真などを取り込み変化させるデジタ 作 家の中にも版の 介在 を重く受け止めている人 達 ル 表 現… 略 …など多様 化した版 画 表 現の紹 介を目 は存 在します ) 的とする》と企 画要旨に謳 われた如く、 ( “ 浮世 絵 か うた ら始まった版 画の文 脈…”という文 言には異 論 があ 4 4 4 欧 米 に於 ける “ Pr i nt m a k i n g ”と日本 の “ 版 画 ” りますが) 多 様 化する版 表 現 を若 い世代 がどの様 この差 異が日本 特 有の版 画 家を生み、その 特 殊 性 に捉え、いかに活 用し ( 作品として ) 具 現してみせる の中で 近代 版 画は発展を遂げたと云えるでしょう。 か、を検 証するに実にタイムリーな企 画と言えましょ ʼ 70 年代に入ると“ 版 = メディア ”という解 釈が日本 う。 (この 企 画 実 現のために力を尽くされた女子 美 術 の作 家にも拡がりを見せはじめ、“ 版 画の概 念 ” は 大 学 の方々と実 行 委員諸 氏に 衷 心 より敬 意を表し 多 様 化に向かいます。現 代 版 画は 創 作 版 画 が 主 張 ます) しかし、今 回の 企 画は 成 果 を云々するよりも した “ 版で 絵を描く” 即ち、版による絵 画 表 現に 拘 今 後に向かうための 出 発 点 と位 置 づけるのが 妥当 る人々と、版をメディア 或 はツールと捉 える人 達 が と思います。美 術思潮の 変 化とテクノロジーの 進 化 共 存し、更には版、あるいは Pr i nt を ( 独自に ) 翻 訳 が 版 表 現 にどう影 響 するの か 或 は何をもたらすの することによって意味づけ、映 像やインスタレーショ か、を検 証するためにも継 続が 不可欠である、と考 ンなどジャンルを 超 えた 表 現に向 かう作 家の出 現 えるからです。 など 様々な 貌 を持つに至りました。 私はこの 企 画に於ける“ギャラリー・トーク”と“シ 「 版 画 概 念 」や「 領 域 」といった問 題に関 する議 ンポジウム” が展覧会以上に重 要な意 味を持 つ、と 論はあるべきと思いますが、定義 づける必 要は感じ 期 待していました。出品 作 家の生の声から何が見え ません。アートは 時 代と共 に姿 を変 え、装 います、 てくるのか、彼らがどう版とむき合っているのか、あ 版 画も又…。私は「 概 念」や「 領 域 」は作 家個々の認 るいは版をどう解 釈しているのかを確かめ、作品か 識 の中にのみ 存 在 すると考えます。 「 作 家 が 版 画い ら読み 取れる( 私の)解 釈と彼らの意 図の間にどれ うたら版 画や」かって三 木哲夫 氏が 言い放ちました 程のズレがあるのかを知りたかったというのが正直 が、( 私は ) 至言と思います。多様 化する現況を考え なところです。今 回に関してはギャラリー・トークも ると、大 学に於ける版 画の立ち位 置も変化を余 儀な シンポジウムも、“ 生の声 ” を耳 にする事 が 出 来な くされましょう。その 教 育システムも今 迄を継 承 す かったのがいまだ心 残りです。出品 作 家も又消化 不 るだけではなく、より幅 広 い領 域 横 断のカリキュラ 良と考えているのではないでしょうか…。 ム編 成を整えるべきですが、同時に ” 版 画の原点 ” その 意 味 でも特 別 企 画 第 2 弾を期 待してやみませ 即ち版という第 3 者の存 在 意 義を ( 技 法 研 究を通し ん。 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 こ こ ろ こだわ ㋜ ㋟ ー ㋣ かお て ) 確 認する事を怠ってはならないと思っています。 しゅ は り 世阿弥の言う“ 守・破・離 ”の精神です。守があっ 2013 年 1 月 てこそ破が、離に至る…。それ 故に芸能が 芸 術の域 にまで昇華し得たのだと考えるならば、版 画 教育に 於いてもまた守があってこそ破 が 離に至ることが出 来ると云えましょう。 守 のない 破、離は “ 水 面を漂う浮 草 ” の如きものと 私には思えます。 3 |学 会 改 組| 誌の 発 行 だけに終 始している学 会 の現 状に疑 念 が うご 蠢 めいていましたから…。京 都からの帰 途、池田良 「大学版画学会から版画学会へ」 二 氏と学会の将 来 像を話し合い、 「 学会のあり方そ −その経 緯についての報告− のものを見 直 す」との意 見の 一 致をみました。木 村 氏の 提 案 が 私 達に学 会を再 考する切っ掛けを与え てくれたという事です。 ・2010 年 6 月、池田氏・有地 好 登 氏と私の意 見を集 大学版画学会会長 約した「 学 会 改 組・案 」を私 案として運 営 委員会に 小林敬生 提 出しました。審 議 の上 ( 新しく会 長に 就いた ) 池 田 氏を中心にした検 討 委 員会 の設 置 が 提 案され 、 学会の組 織 改革への歩みが 始まります。 ・2010 年 9 月以降 、池田会 長を中心に有地 好 登、東 谷武 美、生嶋 順理、小 林敬 生、馬場章をメンバーと する委員会で検 討を重ね、更に各地 域の 運 営 委員 の意見を反 映させた 〈 大 学版 画学会・改 組 案〉を策 定し、12 月の 総 会 議 事 録と共に全 会員に送 付、寄 2012 年 12 月、町田市立国際 版 画美 術 館での大 せられた意 見を検 討・修正した最 終 案を 2011 年 6 学 版 画 学 会 総 会に於いて、2013 年 4 月 1 日から版 月 ( 愛 知県立芸 術 大 学 で開 催された ) 運営 委員会・ 画 学 会として ( 新しく策 定され た会 則と共 に ) 再 出 総会に以下の内容で提出しました。 《 大 学版 画学会・改 組 案》 発する事を報 告いたしましたが、ここにあらためて 3 年 間にわたる学 会 改 組に関 する検 討の 経 緯を説 −冒頭略 − 明させていただきます。 今 一 度、版 画の 普及と啓 蒙を検 討し、若 手 作 家 の育 成と共 に ( 小 中 高 等 学 校 の ) 教 育 現 場 の底 上 大 学 版 画 学 会 は 全 国 大 学 版 画 展 を 柱 として げをはかるべきと考えます。更に、版 画 全 般の研 究・ 様 々な 実 績 を 積 み 重 ね、20 03 年 ~ 20 0 4 年「 版 検 証を行う“ 学会 ” を目指すために、大 学の教育現 画 年 03 - 0 4」として 国 際 版 画 シ ン ポ ジ ウム (i sp a 場 関 係 者を中心に構 成されている現 状 からの脱 皮 J A PA N 20 0 4 ) とその 関 連 企 画としての展 覧 会・シ をめざし、より幅 広く人材を求める必 要があります。 ンポジウムを 開 催し、“ 大 学 版 画 学 会 ” の 存 在 を 以 上の 観 点から学 会 の組 織そのものと事 業内容を 内外に知らしめました。大事 業の後の達 成 感と或る 検 討すべきと考えここに提 案するものです。 種の虚 脱 感から漸 く解放され 、次なる展 開を…とい ① 名称 う時期を迎えた、20 09 年 6 月、京都市立芸 術 大 学 大 学版 画学会を「版 画学会」と改 称する。 での大 学版 画学会 運営 委員会・総会に於いて (当時 ② 会員資格 会 長)木 村 秀 樹氏からの 提 案によって 2 つの小 委 大 学及び小・中・高等 学 校の教育関 係者にとどまら 員会 が 発足しました。① 版 画 技 法・表記に関する検 ず、学芸員、ジャーナリストからコレクターまで版 画 討 委員会、② 全 国 大 学版 画 展・特別企 画 検 討 委員 に関心のある人々の全てを有資格者とする。 会です。 ③事業 木 村氏には 大 学 版 画 学 会 が 学 会らしくあるため 学 会として必 要な事 業 を明 確にすると同 時 に実 行 には学 術的な 「現代 版 画の検 証 」が必 要である、と のために独 立した委員会を設ける。 の思いがあり、学 会 の主事 業 である全 国 大 学 版 画 Ⅰ . 全 国大 学版 画 展実 行委員会 ようや ねが 展ねがに新しい風を吹き込みたい、という強い希 い 「大 学に於ける教育の成 果を検 証するための主 が 相まって 2 つ の 小 委 員 会 の 提 案となったと私 は 事 業 」と位 置 づけ、更に受 賞 者 展 の 巡 回 展 及び 理 解しました。私の中にも、全 国 大 学 版 画 展と学会 関 連 企 画 の 拡 充 をは かる。( ピーク時 6 4 校 を数 4 えた参 加 校 が 減 少 傾 向にあることを重く受 け止 ・2011 年 12 月、運 営 委 員会・総 会 に於 いて版 画 学 め、地方 での普及活 動に力を注ぐ ) ※企 画・運営 会 への名称変 更 及び改 組 案 が 承 認され 、新たに提 は従 来 通り全 国大 学版 画 展 加盟校が 分担する。 出された会 則 案 は 議 事 録と共に全 会員に 送 付、会 員からの意 見を反 映させた 最 終 案を策 定し、次 期 Ⅱ . 版 画学会 誌 編 集委員会 総会で 審 議する事に決します。 学会員が 作品や学 術 論文などの研 究 成果を世 に問う舞 台としてより充 実させると共に論 文 査 読 ・2012 年 6 月、総会前日、会則 案 策 定のための臨 時 などを強化し質の向上をはかる。※将 来 的には研 運営 委員会 が 開 催されました。寄 せられた意見をも 究 者 が 主 導する編 集 委 員会 が のぞましいが、当 とに検 討、修正を加えた「 版 画 学 会 会則・案 」が翌 面は担当大 学を中心に編 集作 業に当る。 日の 総 会 に提 出され 、細 部にわたる質 議 を経て承 認を得、改 組の骨格は整いました。 Ⅲ . 版 画学 術研 究委員会 「技 法 表記 」に関する検 討を含め、歴 史 的資 料 ・2012 年 12 月、冒 頭 で 述 べました 如く、運 営 委 員 の収 集を通して「 現代 版 画」の現 在と未 来を検 証 会・総 会 で 学 会 改 組と会 則 が 再 度 確 認され 2013 する。当然、研 究 者 や学 芸員の見 識を必 要とする 年 4 月 1 日から版 画学会への移 行 が 決定しました。 ためその協力が 不可欠となる。 ・2010 年 か ら 計 6 回 の 総 会 を 経 ての 改 組 でした。 現 在、運営 委員会の 選出 規 定を含めた〈 運営 細 則〉 Ⅳ . 技 法・材料 研 究委員会 版 画の 普及と啓 蒙を再 認 識して教 育を中心に の策 定が 有地 好 登、生嶋 順理 両氏を中心にすすめ した普及活 動を行う。小・中・高等 学 校に於ける られています 6 月の 総 会 で 承 認を得た 上で、12 月 ( 美 術 の ) 授 業 時 間 の 削 減 などの 逆 風 に 立 ち向 には ( 選出 規 定にそって ) 新 運営 委員が 選出される かうため 各大 学 で 培 った研 究 成 果 を広く開 放し 予定です。 て、小・中・高の教員を対 象とした研 修 会に力を 注ぐ。 ( 版 画 教 育の 推 進 を目的として 新日 本 造 3 年 間に及ぶ 様々な議を経て「 版 画 学 会」は出発 形などと連 携した材料 研 究を進めると共にワーク する事になりましたが、その成 果 が 眼に見える形で ショップなどを開 催する ) 実 を 結 ぶには か なりの 時 間を要 するであろう事 は 覚 悟しております。“ 仏つくって魂 入 れず ”とならな Ⅴ. 特別企 画 検 討 委員会 多様 化する版 表 現の現 状を検 証する展 覧会 の いために私 達は身の丈にあった方 法 で 一歩 一歩を 企 画、国際 交 流 展、シンポジウムなどの 企 画を立 積み重ねるべきと考えます。 案、実 行する。 4 月 1 日以降 、( 今回の ) 改 組の眼目の一つである、 技 法・材 料 研 究委員会の委員長に渡 辺 達 正 氏 ( 多 Ⅵ . その他( その他 必 要な事 業) ※運営 委員会 各実 行委員会を有 効に機 能させ 摩 美 術 大 学 ) と、武 蔵 篤彦氏 ( 京都 精 華大 学 ) に就 るため、運 営 委 員 会を再 構 築 する。従 来 の 全 国 いていただく事といたしました。両 氏を中 心 により 大 学 版 画 展 運営のために組 織された運営 委員会 積 極 的に ( 小・中・高の ) 教 育現 場にある人 達のた を見直し、 ( 運営 委員 ) 選出規 定を策定する。 めの 研 修 会を開 催していきたいと考えております。 以 上を 実 行 するため の「 版 画 学 会・会 則 案 」を 本 年 8 月には北 海 道 士別市 教 育委員会の要 請もあ 2011 年 12 月の総会までに取りまとめる。 り、士別市内の小・中学 校の教員約 20 名を対 象と −以上− した研 修 会を開 催すべく渡 辺 達 正 氏を中心に準 備 をすすめております。 提 出された改 組 案をもとに審 議 がつくされ 、 〈版 「 版 画は日本の文化」とは( 元会 長) 中林忠良 氏 画学会〉への名称変更と改 組 案は承 認されますが、 の持 論 ですが、その文化を多くの人々に認めてもら 「 出 席会員の承 認だけでなく多くの欠 席会員の理 解 える努力を私 達は続けていく必 要があります。会員 を得るために時間をかけるべき」等の意見から議 事 諸 氏 のご 協 力をお 願 い申し上げ 報 告とさせ ていた 録と共に改 組 案を全 会員に送付し、 ( 意見を募った だきます。 上 )12 月の総会で再度 承 認を得ることになります。 2013 年 1 月 5 新作通信 多摩美術大学 田中智美 TANAK A Satomi 1986 埼玉県生まれ 2012 多摩美術大学大学院博士前期課程美術研究科絵画専攻版画領域修了 第 80 回記念 版画展〈 A 部門奨励賞〉 2012 年 10 月 5 日~ 10 月 19 日 東京都美術館 「 dim」 120 ×100 cm ディープエッチング、シルクスクリーン 私は、 「 対 象物との “ 距 離 ” について」、版のズレを通して模索します。 対 象物と私の距 離 や対 象物が 紙に刷り取られた時に感じる距 離 感など。版 画ならではの版を刷り重ねた時 に生じる微 妙なズレや、エディションを取った時に刷り上がりに出る些 細なズレなど。それは版 画における複 数 性 が 持っている同一 性の中に孕んでいる小さな差 異の問 題です。その版 画が 内包している差 異( ズレ)と 私が考えている距 離の認 識は、版を通して紙に刷り取られます。表現手法は、シルクスクリーンを数 版 重ねた 上に銅 版を重ねます。私は、製 版されたイメージが、版から紙へとイメージが 移った時の表 層を大 切に制作し ます。それは、紙には、一回一回 版をずらし重ねることで、版に起こされた角度の異なる対 象物のイメージが 重なり合い、製 版されたイメージからの差異が 表出するからです。紙に刷り取られた対 象物は、元の形 から変 容し、その輪 郭がぼやけてしまいます。観 照する距 離によって、遠くから見ると感じる対 象物の存 在 感が、作 品に近 づけば近 づくほど、そのものの存 在は薄 れ 、物 質としての点の集 積のみしか見ることが できません。刷 るパターンが 変わる時、その変化は瞬 間的かつ非 連 続的なものです。私は、その一 瞬を捉えたい。起こりうる パターン変化は、常に予測不可能であり、発 散 的なものでしかないのでしょうが。その対 象物から感じ取るこ とのできる様々な距 離 感を、版を通して紙に刷り取りたい。 6 新作通信 東北芸術工科大学 1980 新潟県生まれ 2005 東北芸術工科大学大学院芸術工学 研究科 修了 佐藤妙子 SATO Taeko 第 80 回記念 版画展〈準会員優秀賞( FF 賞)〉 2012 年 10 月 5 日~ 10 月 19 日 東京都美術館 「永日」 佐藤妙子展 2012 年 9 月 5 日~ 9 月 12 日/ 2012 年 10 月 10 日~ 10 月 20 日 84×46 cm 羊画廊(新潟)/ギャラリートモス(東京) エッチング、アクアチント 長らく作品のモチーフとしている「生命の循 環」 を主軸に据えながら、近作はとりわけ生き物たちの見せる儚 くも力強い、一 瞬の命の燦きにスポットを絞った視 点のものが 多くなりました。刹那の輝きの中に永 遠を見る という、この概 念 的な時 の意 識に対 するパラドックスを、作品の 持 つ視 覚 的 要素と、時 間を内包し得る銅 版 画の制作工程との関 係によって妥 結させてゆきます。 エッチングの作 業中、版 上で時 間は点や線に姿を変え重なり合います。その間、版と対 峙している自身の精 神は時 空を超え時 の移ろいすら忘れた所で 浮 遊しています。そして描 画の時 間という私にとっての久 遠の時 が、腐食により銅 版に集 約、刻印され 、物 質として有り続ける強い存 在 感を持 つ版 画となって立ち現れます。 モノとして作品が目の前に在る限り、 「 永 遠=刹那的に消えゆく儚いもの」という矛盾がそこにはないように思 われます。版 画は確かに版 上の時 間 旅行の足 跡を記 録し、証明してみせてくれるのです。同時にモチーフとな る物たちも油性インクの重みを伴い再び表出します。 私にとって銅 版 画 制作の醍 醐味は、タイムトンネルの 往 還に他ならないのかも知れません。 7 新作通信 武蔵野美術大学 1978 東京都生まれ 2005 Roya l College of A rt, M A Fine A rt Printma k ing 修了 湯浅克俊 YUASA Katsutoshi − Miraculous − 2012 年 11 月 9 日~ 2013 年 1 月 4 日 ISE Cultural Foundation, New York(アメリカ) 「 Pseudo mytholog y # 3」 243×488 cm 油性木版 2011 年 3 月 11 日に東 北 地 方を襲った大 震 災はまさに想定外 の出 来事だった。あれ から1年 半が 経 過して もなお多くの人 が 忘れ がたい恐 怖と次なる災 難の不安と共に日々を送っている。私が 震 災の一 報を耳にした のはドイツで 個 展 の設 営している真っ最中の時 だった。インターネットを通して津 波の映 像 が 幾 度と無く繰 り返し流され 、東 京電 力 福島原子力発電 所の様 子が ずっと報 道されていた。奇しくもその時展 示していた作 品には 報 道 で目にしたのと同じく津 波によって 横 たわった巨 大なタンカーがあった。その 作 品 のタイトルは “ Ps eudo my t holog y ”と名付けていた。日本 語に訳せば「 偽りの神 話」。まさに日本がこれまで行って来た原 子力政 策 がその言 葉 で 非 難されていた。元々この 作 品のシリーズはインターネットから得られる驚異 的 な自 然 現 象( 大 津 波や巨 大な台風 、火 山の噴 火など)をいかにして主体 的 疑 似体 験として得ることが可能かとい う問いから始まっている。私たちは全てを見ることは出 来ないし、何もかも経 験 することはできない。そんな 当たり前のことをインターネットや S NS は時々忘れさせてしまう。そこで 私は単なる1枚のインターネット上の 画 像を巨大に引き延ばし、ベニヤ板にイメージを転写し、数ヶ月かけて彫って行くことにした。そうすることに よって未 体 験の出 来事を個 人の出 来事として何か意 味を持 つことが できるのではないのかと考えていた。作 品の完 成から 2 ヶ月後に今回の大 震災と遭 遇した。その出会いは偶 然なのか 必 然なのかは分 からない。しか し、それは 「奇跡」と呼ぶしかないような出来事だった。 8 新作通信 京都市立芸術大学、成安造形大学 1983 大阪府生まれ 2010 京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科 修了 京都精華大学、成安造形大学 1977 京都府生まれ 2002 京都精華大学大学院芸術研究科 修了 加納俊輔 K ANO Shunsuke 高橋耕平 TAK AHASHI Kohei 高橋耕平《 moshi-moshi 》HD MOV IE 高橋耕平《 sight of the blinkingi 》 HD MOV IE 展示風景 : JIKK A 展示風景 : island MEDIUM 加納俊輔 加納俊輔 シリーズ《 WA R P TUNNEL 》 《 , specious notion 》 Type C print シリーズ《 layer of my labor》Type C print, 他 加納俊輔・高橋耕平 展 - パズルと反芻 “ Puzzle and Rumination”- 2012 年 9 月 1 日~ 30 日/ JIKK A:9 月 15 日~ 30 日 island MEDIUM(東京)/ NA Diff window gallery(東京 ) / JIKK A(東京) 「 パズルと反芻 “ P u z z le a nd R u m i n at ion ”」は、加納、高橋二人の制作に於ける手法 や態 度、モチーフや 被 写体に向けられる眼 差しを象徴 するタイトルです。 加 納は、同じ場 所、同じモチーフを複 数 回 撮 影し、撮 影 時 間を折り重ねるようにレイヤー 化した写 真を使っ た立体 物や、ユーモラスなコラージュセンスでフレーム内の重 力や 焦点を開 放させた写 真作品を制 作します。 一方高 橋は、それぞれが無関 係に写された複 数の写真イメージを、個 別にも全 体としても意 味 や関 連性が引 き起こる ( または無効 化する)様に構 成したり、ある現 象の反復 過 程を断片的にドキュメントしたもの、同じフ レーズを執 拗に繰り返し話す人の姿を編 集した映 像作品などを制作します。 二人は共にありふれた日常を注 意 深く眺め、そこに潜む可笑みを掬い出し、幾 度もの解 体と構 成を経るこ とでそれを強化し、独特な質へと導きたいと考えます。それは爽快な脱臼であり、リズミカルな反芻であり、パ ズルを組み上げる知的 快 楽である様に。 この展覧会は、作品を共作するのではなく、 「パズルと反芻」という言 葉のもとに二人 展を行うことで、互い の作 家の相違 点を探るとともに、新たな問 題や視 点を探るため作 家自らが 企 画したものです。展覧会は展 示 だけに留まらず、批評 家や作 家を招いた公 開トークの開 催、コンセプトブックの発売も行いました。 9 新作通信 多摩美術大学 1979 東京都生まれ 2008 多摩美術大学大学院博士前期課程美術研究科 修了 鷲野佐知子 WASHINO Sachiko 鷲野佐知子展 2012 年 9 月 15 日~ 9 月 29 日 かわかみ画廊 ( 東京 ) 「 freshly. 28」 60 ×91.5 ㎝ 木版 ( コラグラフ、水性凸版 ) 私は、人 間が生れてから日々生活していく中で、年 輪のように作られていく個性、おかれた環 境の中で変化 していく感 情、それが生々しくも輝いて愛おしく思えるその様を、植物を通じて表現している。 色 鮮 やかな花や 剥き出しの根、個 性的な葉や茎が 呼 吸し、生きていることを感じさせる。生々しく育ってい く植物を通して植物が 培う独特の時の流れを感じ、毎日違う日々の生活と重なる。 人 間は、窮屈で、耐え難い状況の中であっても、その環 境に身を移し、何かしらの希望をみつけ、最 善の方 向へと向かっていこうとする力強さや、一 生懸 命さがあり、そこが 輝きであり大きな魅 力に感じる。 また、植物は人 間のように、自分の本当の気 持ちを偽ったり、隠したりしないで、素直に表に表現する。 子 供 の頃は、純 粋で 無 邪気であり、感 情を隠すことなどしなかった。素 直に表 現する感 性は輝きに満ち溢れ ている。 Fre s h ly とは、 「 新 鮮で 輝いている」という意 味を込めている。 生きていく中で 経 験を重ね 培ってきた内面の美しさ、苦しみや楽しみ、本来ある素 直な感 情を植 物と重ね 合わせ、そこに見える生きた輝きと新 鮮な感 情を作品に閉じ込めておきたいという思いから制作している。 10 新作通信 沖縄県立芸術大学 1979 埼玉県生まれ 2005 沖縄県立芸術大学大学院修了 磯上尚江 ISOGAMI Hisae 画廊選抜 −磯上尚江版画作品展− 2012 年 9 月 24 日~ 9 月 29 日 表参道画廊 ( 東京 ) 「立ち上がる地層」 90 × 60 cm 水性木版、墨、胡粉、和紙 初めに展覧会 場である、表参 道 画 廊の立 地から今回のような展 示を考えていきました。 表参 道 画 廊は地下一階にあり、ギャラリーは無論ライティングで明るいのですが、 「地」の「 下」、自然光が入ら ない洞 窟は圧倒的な暗 闇です。夜の暗 闇とは全く異質の迫りくる漆黒。私はそれを十 年ほど 前に沖 縄で初め て体 験したのですが、その体 験 が 作品として自然に出てくる形となりました。 また、画 廊のある表参 道は、渋谷に向けて高 低差のある立 地で、遠くの高いはずのビルが 低く見えるような 都 会の浮 遊 感のある街 です。そのイメージも 「 地下」と対比させるように今 回 制 作しました。ただ大 切なのは、 頭の中のイメージでなく、出現した作品、作品そのものがイメージでなくてはならないと思っています。 11 新作通信 京都精華大学 岸 雪絵 KISHI Yukie 1981 京都府生まれ 2005 京都市立芸術大学大学院美術研究科 修士課程 絵画専攻版画修了 − the patched scene − 2012 年 10 月 9 日~ 10 月 14 日 GA LLERY 恵風(京都) 「 delta roof」 63×186 cm Lithograph 目の前に広がる景 色は、今ここにあるものと、記憶の景 色を重ね合わせ、新しいような、見慣れたような、 どこにもない意 識の光 景として認 識している。 日常にある風 景 や 物を切取り、集めた光 景を繋ぎ合わせ、描いたり、転写したり ... 再 構 成する行為を版を介しながら廻っていると、確 かにあるはずの 掴めそうで掴めない、頭の中のあいまい な意 識の光 景となっていく。 それは一見、 変哲もない景 色でありつつ、錯覚と記憶で継ぎ接ぎになったイメージ。 それを画面に浮かび上がらせようとしています。 12 新作通信 武蔵野美術大学 1981 埼玉県生まれ 2006 武蔵野美術大学大学院造形 研究科美術専攻版画コース修了 豊泉綾乃 TOYOIZUMI Ayano 豊泉綾乃展 −夏の日 Everyday of summer − 2012 年 9 月 26 日~ 10 月 1 日 A zabujuban Gallery(東京) 「夏の日 3」 23×20 cm エッチング、アクアチント、 メゾチント、雁皮刷り 今の私の生活の中で 制 作のためだけに手を動 か せる時 間はあまりない。それは制 作を軽んじているという ことではなく一人で生きているのではないということだ。作品は隙き間の時間に少しずつ作っている。 仕事をして食 扶 持を稼ぎ、明日のために体力と精神力をできるだけリセットしようと眠る。あたりまえの、地に 足のついた 「生活」こそが 私にとって最もリアルに感じることである。私はそのとき一番リアルに感じることすな わち 「日常の生活」をテーマに作っている。 私は天 才 ではないのでアートによる美しい幻想はピンとこない。ずっとアトリエに一人こもって集中し、生活 と制 作を遮 断するのも現 実 的 でないと感じる。詩人谷川俊 太 郎氏は詩人 永 瀬 清 子氏のことを「 妻であり母で あり農 婦であり勤め人であり、それらすべてでありつづけることによって詩人である」といっている。私はこのよ うにありたい。 ※「 永 瀬 清 子 詩 集(現 代 詩 文 庫)」思潮 社 研 究・解 説より 13 新作通信 京都市立芸術大学 1985 兵庫県生まれ 2011 京都市立芸術大学大学院美術研究科版画修了 桐月沙樹 KIRIZUKI Saki 「立ち上がる地層」 90 × 60 cm 展覧会名 水性木版、墨、胡粉、和紙 本文 「 temporary rooms」 − temporary rooms − 2012 年 8 月 30 日~ 10 月 2 日 こ豆や (京都) 70 ×70 cm 木版、紙 私は、物 事と物 事の間に興 味 があります、間と言うのは二つの地 点のちょうど 真 ん中という意 味ではなく、 間を行き交う様 子 や、流れのようなものです。 制作 では木 版の彫り進め技 法を使い、木目と画 像を同時に彫っています。 インクをのせて刷り上げた時、有 機 的な木目は画 像の定 着を阻み、木目はイメージの一 部となります。なにか 合 理 的でない方 法で両地 点を行き交うことで、二点の共 存 空間を見つけたいと考えています。 14 新作通信 桐生大学 1972 東京都生まれ 1999 多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻終了 佐野広章 SANO Hiroaki 佐野広章展 2012 年 6 月 25 日~ 6 月 30 日 養清堂画廊(東京) 「 From the great high garden」 140 ×70 cm 木版(水性凸版、油性凹版) 私は作品で、視 覚化できない「 情 景を取り巻く空 気、空間、気体の流 動、鼓 動の微 かな動き」を描くことで、 鑑 賞者 が主観を描く想像を与えたいと考えています。それは、新しい価 値に変化すると思われます。 木 版 画の「彫る、引っ掻く、磨く、擦る、剥が す」という行為を繰り返し、表面と内面をさらけだしたものを紙に 写し取ることで生まれる作品は、作 者の想像の限界を超えさせてくれる魅 力があります。 自己の作品を文学に例えるならば、小説ではなく、俳 句のような表 現であると思っています。余 計なものを 削ぎ 落とし、吟 味された数 秒を、主観を主 張 せずに表現したいと考えています。 15 |論 文| 1.背景と目的 1.1 背景 『 現 象学 の 理 念 』を 用いた版 画と 「 世 界 は 私の 意 識 の 表 象 でしかない。」このよう 〈もの 〉 との考察 1 な思 考 の方 法 は 独 我 論 といわれる。こうした価 値 観 は他 人の 存 在 を認めないどころか、物 理 的 な存 在 である〈 もの〉の存 在をも否定する。心 身 問 題を 2 扱う信 原 幸 弘( 1954 -)は、物 的 一 元 論 の 論 証 を 念 頭に置きながらも、次のように述べている。 筑波大学 宮城正作 じっさい、われ われにとって直 接 与えられてい るのは、意 識 へ の 現 れ だけ である。意 識 へ の 現れなら、われ われはその存 在を直 接、知るこ とが できる。しかし、意 識 への現れを超えた物 は、われ われ が たんに 現 れ の背 後に想 定した ものにすぎず、われ われはその存 在を直 接、知 ることはできない。[ 中 略・筆 者 ] たとえいっさ い物が 存 在しなくても、意 識への現れはまった く変わらないということが 論 理 的には可能であ 3 るように思われる 。 このように「〈 もの〉は直 接 的には知りえない」と いう主 張を主 軸に、現 代 でも独 我 論を決 定 的に否 4 定 することは困 難となっている 。しかし、私たちは 本当に 〈 もの〉の存 在を知りえないのだろうか。例え ば、筆 者には版 画 制 作 者 が「 版 画を作る」という行 為の中で、 〈もの〉の存 在を確 信しているように思わ れる。なぜなら、版 画 制作 者は実 際に 〈 もの〉の力や 性 質を借りることによって、版 画 制作 者自身の表 現 を確 かに行っていると思えるからだ。しかし、 「〈 も の〉は直 接 的には知りえない」とす れ ば、版 画 制 作 者はどのように 〈 もの〉の存 在を確 信しているのだろ うか。本 稿 ではこうした問 題 提 起のもと、哲学や 現 代思想の言 葉を借りることによって考察を進めてい きたい。 1. 2 目的 はじめに、本 稿 は「 版 画を作る」という行 為自体 に意 義を見出すことが目的 であり、換言すれば、作 品そのもの の 評 価 軸を 述 べるものではないという 2008 年 筑 波大 学 大 学院 修 士課 程芸 術研 究科 美 術 専 攻 修了 2010 年 東京都立高等学校教諭 付 け 親 である ハロルド・ロー ゼ ンバーグ( H a rold 2011 年 筑波大学大学院芸術系特任研究員 Rosenberg / 1906 -1978)は次のように述べてる。 ことを断っておく。アクション・ペインティングの名 16 美 学的なものに限定されている限り、 「 モダン・ 2 . 2『現象学の理念』で示される要旨 アート」の 趣 味 の官 僚 主 義 は、新しいアクショ では、本 節において『 現 象学の理 念 』で 示されて ン・ペ インティングにふくまれている人 間 的 な いる要旨を説 明していく。ただし、限られた紙 幅 の 5 体 験を把 握することはできない 。 ゆえ、本 稿を進めるうえで必 要最低限な内容に限っ て説明したい。 ロー ゼンバーグが アクション・ペ インティングに ついて言及した上記の一文は、 「 作品を作る」という 2 . 2 .1 主観と客観が如何に的中しうるか 行為一 般においても的を射 た記 述 であると考える。 『 現 象学 の 理 念 』の冒頭 で、フッサールは次のよ 確 かに、作 品そのものに対 する評 価 や 意 義を検 討 うに読 者に問いかけている。 することは重 要なことである。しかし、それだけでは 「 作品を作る」という行為に含まれている 「 人 間的な 事 象そのものに的 中 する認 識 の可能 性につい 体 験 」を見 逃してしまっている。もし、作品そのもの ての反省が 巻き込まれるいろいろな困惑。どの の評 価 から 「 作品を作る」という行為 の意 義 が 導 出 ようにして認 識はそれ自体に存 在する事 象との されるのならば、ある技 法に未 熟な者の「 作品を作 一致を確 認し、またそれらの事 象に 〈 的中〉しう る」という行為に含まれている 「人 間的な体 験 」をど るのであろうか?事 象 自 体 は わ れ わ れ の思 考 のように評 価すべきであろうか。本 稿 の目的は、版 の 働きやそれらを 規 整 する論 理 法 則にどのよ 画 技 法に対して未熟な者にも熟 達した者にも、共通 うに関与するのであろうか? 4 4 4 9 4 に存 在 する 「 版 画を作る」という行為自体 の意 義を 考察することにある。 ここでフッサールは、主 観と客 観という図式を前 4 4 4 4 4 4 提に、主 観のうちに 認 識した事 象 が 客 観 的に存 在 2 .フッサールの『現象学の理念』 2 .1『現象学の理念』 する事 象に 本当に的 中しうるのか、つまり、本当に 同じなのか、という疑 念を提 示している。この 疑 念 哲学・現代思想の言 葉を借りるとはいえ、その範 は 1.1 で 引 用した 信 原の言 葉 にも共 通した内 容 で 囲は 極めて広 い。論を効 率 的 に 進 めるためには 基 ある。また端 的に換言すれば、 「『 主観 - 客 観 』の一 軸となる考え方が 必 要である。よって本 稿 では、エ 致」の問 題ということもできる。 10 ドムント・フッサール( Edmund Husserl / 1859 - 1938)が 提唱した現 象学の考え方を参 考にしたい。 2 . 2 . 2 主観と客観自体を疑うこと 特にその中でもフッサールの初 期の考え方をまとめ このような哲学的な難 問を克 服するために、フッ 6 た『 現 象学 の 理 念 』で 示されている内 容 を中心に、 サールはまず 科 学 的 な思 考 が 前 提としている主 観 「版画を作る」という行為と結び付けて考察していく。 や客 観自体 が 疑わしいと主 張している。以下にその 『 現 象学 の 理 念 』はその名の 通り、フッサール が 点を述べたフッサールの言 葉を引用するが、この引 現 象学の根 本思想を初めて明らかにしたテキストと 用文中では主観や客 観という言 葉は見られず、術 語 7 して知られている 。フッサール のテキストは用いら も専 門的 である。そのため、フッサールが 主観や客 れる術 語 の 難しさから、その内 容 を的 確に 理 解す 観をどのように疑 問 視しているのかが理 解されにく ることは 容 易ではない。フッサール の 数あるテキス いと思われる。よって、引用文 後にフッサール が 述 トの中から、筆 者 が『 現 象学の理 念 』に絞ってその べている内容について補足して説明したい。 考え方を借りようとするのも、フッサールの難 解 な 考え方を広範 囲なテキストから引用すれば、必ず不 しかもその背 後では、認 識の能作、認 識の妥当 適 切な事 態 が 生じると懸 念した 為である。よって、 性の 要求あるいは 権 利 要求の意 味 、妥当的 認 フッサール の 生 涯 にわたる根 本 思 想 が、初めて 明 識と単 にそう僭 称 するに 過 ぎ ない 認 識とを区 確にされたといわれる 『 現 象学の理 念』に的を絞り、 別することの意 味などが 問 題になっているので 8 あり、同 様 に他 方 では 対 象 性 の 意 味も問 われ 極 力適 切にその考え方を利用していきたい 。 17 11 ているのである 。 という反 論( つまり、主 観 が 疑 問 視され れ ば 経 験 は成り立たないということ)である。しかし、 「 私はリ 4 4 4 4 4 4 4 4 引用文中の「 認 識 」とは「 主観のうちにある 認 識 」 ンゴを見ていないかもしれない」という疑問は、 「私 ということであり、つまり「 認 識 」という言 葉は主観 がリンゴを見ている」という体 験を前 提とした疑 問 12 である。その点において確かに疑問 者はまず、 「 私が を表している。 また「 能作」は「 機 能」 に 、「 妥当」は 13 19 「 疑いなく正しい」という意 味 に 解すことが できる。 リンゴを見ている」という体 験を直 観 によって把 捉 さらに「 対 象 性 」は、認 識 により対 象とされる事 物 している。よって、同 様にいくら「 見ている主体とし であるから客 観のことである。よってフッサールは、 ての私はいないかもしれない」と主 張したとしても、 「 主 観 や 客 観の 働きや、正 確さなどが 疑 わしい」と やはり、まず「 私」ということを直観 的に体 験、前 提 主 張しているといえる。 としていなけれ ばこのような疑 問も成り立ちえない そして、このように主観や客 観自体が 疑 問 視され のである。 れば、 「 主観 - 客 観 」一致の問 題自体、その問 題とし このようにフッサールは体 験していることのなか ての効力を失ってしまうと言えるのである。 に、決して疑いえない絶 対 的な所与(思考の働きに 20 先 立って与えられているもの)が あるとしているの 2 . 2 . 3 絶対に疑いえない意識体験 である。 フッサールはこのように主 観 や 客 観 の 存 在 を 無 効にした後に、主観や客 観に頼らず「 一切の疑 問を 2 . 2 . 4 内在 ただちに 氷 解 するほど 完 全な明 晰 性を備えて与え 前 段 階 で 説 明してき た自己 の 意 識 体 験 をフッ 14 られ」た存 在を明 示することで、新しい認 識の 仕方 サールは「 内 在 」と呼んでいる。また 2 . 2 . 3 の説 明 の出発点としようとしている。つまり、主観や客 観は では、内 在を「 見る」という知 覚 的 な状 況において 疑われようとも、何かほかに疑いえないものがある 説明したが、内在には想像 的な体 験も含まれる。 はずだと考えるのである。 このことを説明するために実 際にリンゴを想 像し てみる。すると、その 想 像され たリンゴのうちにも 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 「 赤さ」や「 丸さ」などを確 かに直 観することが でき あらゆる知的 体 験 および体 験 一 般は 、それが、 4 4 4 4 4 4 4 る。では、これら直 観された性 質を疑うことは可能 4 4 4 4 4 なのであろうか。現に「 赤さ」や「 丸さ」を直観してい 4 15 まさに体験されることによって、純粋直観と純粋 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 把 捉の対 象とされうるのであり、そしてこの直観 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 るのに、その 「赤さ」や 「丸さ」を直観していない かも のなかでは体験は絶対的所与性である。 しれないなどと疑うことはできるのだろうか。 上記のような疑 念は不可能なことに思える。もし、 ここで 述べられていることは、私たちが 何かを知 16 覚したり、想 像したりするという意 識 体 験 自体は疑 想 像 者 が「 赤さ」を直 観していないというのならば、 いえないということである。 それ は 本当に直 観していないだけのことである。も 例えば 「リンゴを見ている」という体 験を考えてみ し、上 記のような疑 念を抱く者 が いるならば、彼は 4 17 4 4 4 4 4 4 4 4 4 る。このとき「 本当にリンゴはあるのか」、 「 リンゴは ただ「赤さ」を直観しているのに、 「赤さ」を直観して 私に見えているように、ほか の人にも同 様に見えて いないと言い張っているに過ぎないのではないだろ いるのか」などと疑うことは可能である。しかしなが うか。 ら、このとき「 リンゴを見ている」という体 験自体は また次のような反 論、 「知覚された事 物は実 在し、 4 18 4 4 4 4 4 4 疑 いえない。そのリンゴが 実 在 していようと、いな 想 像され た事 物 は 実 在しない。よって 想 像され た かろうと、 「 リンゴを見ている」というまさにその体 験 事 物 は 直 観しえない。」などということも 不可 能 で 自体は疑いえないのである。 ある。実 在とは、自己の意 識 体 験( 内 在 )とは関 係 では、次のような反 論はどうであろうか。 「 私自身 なく、真 に存 在しているということである。よって、 の存 在を疑うことが できれば、 『リンゴを見ている』 2 . 2 . 3 で 説明したように、内 在のうちに直観された という体 験 自体も疑うことが できるのではないか」 ものだけが 不可疑 的 な絶 対 的 所与性なのであるか 18 28 ことは 難しいと思 われ る。よって、フッサール の 例 ら、知覚されたリンゴが 実 在しているなどということ 4 4 4 4 4 4 21 4 は前 提にできない のである。よって、知 覚されたリ が示している本質は変えずに、ここでは筆 者の言 葉 ンゴも、想像されたリンゴも、自己の意 識 体 験 であ で極 力平易に説明していきたい。 る内 在のうちに直 観されているという点で同じレベ 例えば「 赤い立方体」が目の前にあるとする。この 22 立 方 体 は 光 源 の 関 係で 各 面 の 明 度 が それ ぞ れ 異 ルなのである。 なっている。このとき、 「『 赤い立 方体』を見ている」 2 . 2 . 5 単一的所与性と類型的所与性 という体 験 から直 観 によって 絶 対 的 所与 性を取り 前段 階までにリンゴを例に、決して疑いようのな 出そうとすれ ば、まず 明度の違いによって生じる各 い明 晰なもの、つまり絶 対 的 所与性は「 内 在のうち 面のそれぞれ に異なった「 赤」を観 取 することが で に直観されているもの」とした。しかし、より厳 密に きる。この 実 的に観 取され た要 素 は 単一 的 所与 性 分類すると、この絶 対 的所与性は以下の2種 類に分 のことである。さらに私たちは、この 各 面の「 赤」と けることが できる。本 稿 ではこの2種 類を単一 的所 いう単一的所与性を用い構 成することによって、 「赤 23 24 29 25 与性 と類 型的所与性 と呼ぶことにする。 い立 方体」の「 赤い」という類 型 的 所与性を獲 得し 単一 的 所与性とは「 リンゴを見る」という知 覚 的 ているのである。 な内在性のうちに直観できる「赤さ」や「丸さ」、 「つ では、このような過 程で実 行された構 成とは、恣 や つ や」といった要 素である。また、そのような「 赤 意 的に行 われた構 成なのだろうか。もし、この構 成 26 さ」、 「 丸さ」、 「 つやつや」とした要素は、 「実的 な要 が 恣 意 的 ならば、ここで 獲 得される類 型 的 所与性 素」ともいえる。実 的とは、意 識 体 験 のうちに実 際 は不可疑的とは言えない。しかし、 「 赤い立方体」の に直 観によって見 出すことが できるもので、実はこ この「 赤い」という類 型 的 所与性 が 構 成される過 程 れまでの例に用いたリンゴという概 念は実的に見出 において、私たちは恣意的な要素 が入り込んでいる 4 4 4 4 4 4 4 4 すことが できない 内容である。何故なら、 「リンゴを ようには思えない のではないだろうか。むしろ、この 見る」という知 覚体 験において、実 際に直 観によっ ような構 成を疑うことの方が 恣意 的 であるとさえ思 て見 出すことが できるものとは、その「 赤さ」、 「丸 えるのではないだろか。よって、この「 赤い立 方体」 さ」「 、 つやつや」といった要素であり、リンゴの概 念 の 例のように、構 成が 明晰で不可疑的であれば、単 は実 的に見出したものではなく、そのような実 的な 一的所与性から構 成された類 型 的所与性は絶 対 的 4 4 27 要素から「構 成された意 味 」であるからだ。 所与性だといえる。 本 稿 ではリンゴ( の概 念・意 味)のように、直 観 同様に「赤い」、 「 丸い」、 「 つやつや」といった単 によって見出された実 的な要 素( =単一 的所与性 ) 一的所与性から、 「 リンゴ( の意 味)」という類 型的 から「 構 成された意 味」を、類 型 的所与性と呼ぶこ 所与性 が 明 晰 的に構 成されていると 「 確 信」できれ とにしたい。 ば、その「 リンゴ( の意 味)」は不可疑 的といえるの 30 である。 2 . 2 . 6 類型的所与性はどのように構成されるのか 実は類 型的所与性には不 確かなところがある。つ 2 . 2 .7 その他 まりそれは、単一的所与性からどのように類 型 的所 前 段 階 では 類 型 的 所与性 がどのように 構 成され 与性へと構 成されるか、ということである。このよう るのかを、フッサールの 例にならいつつ変 形を施し な構成が恣意的であれば、それは直感によって把 捉 て 説 明した。しかしながら、フッサール自身も認め されたものであるとは言えない。何故なら絶 対 的所 ているように、このような類 型的所与性の妥当 性が 与性には可疑的な要素があってはならないからだ。 どのような意 味にまで及 ぶのか については『 現 象学 このような問 題に対し、フッサールは『 現 象学 の の 理 念 』において 説 明することは断 念されている。 理 念 』において端 的 な 例で 答えている。しかし、そ よって 本 稿においても類 型 的 所与性に関 する説 明 の例はフッサール 特有の文章 表現の難 解さから、こ はここまでに留めておく。 こで直 接引用しても、その内容が十 分に理 解される また、内 在という言 葉と対 概 念となる超 越という 31 32 33 19 45 持 続させることが 重 要であると主 張している。 概 念 についても詳 述 すべきであるが、本 稿 では 紙 幅の関 係上、次の内容までに留めておく。すなわち、 3 . 2 操作対象としての 〈もの〉 超 越とは 「自己の意 識 体 験の『 実的』成素として『 内 34 4 4 4 4 在 的 』に知 覚され」ていない ものであり、すべての 35 版 画 制 作 者は「 版 画を作る」という行為の中で 多 36 「 事 物 」や「 他 者 の意 識 体 験に属するもの 」は 超 越 様な 〈もの〉と相対している。もちろん、それは 「版画 を作る」という行為だけに限ったことではないし、通 的といえる。 常の生活においても私たちは多様な 〈もの〉と接して 3 .版・画と『現象学の理念』 3 .1 モーリス・メルロ = ポンティと李禹煥 いる。しかし、私たちが 特に注 意を向けなけ れ ば、 46 李 が 述べるように〈もの〉を「 定められた概 念 」とし 47 前章では 『現 象学の理 念』で 示されている内容を て、または「 己の理 念の 凝 固 物 」として私たちは捉 概 括してきた。本 章 以降においては、前章で 示した えているに過ぎない。従って、メルロ = ポンティが 次 現 象 学 の思 考方 法と 「 版 画を作る」という行為とを のように 述 べることは 正 当な 主 張 のように 思 わ れ 結びつけて考察を行うが、次の二人のテキストを足 る。 掛かりとして論を進めていきたいと思う。 1人 目は、フッサ ール の思 想を 受 け 継ぎ な がら 科 学は物を巧みに操作するが、物に住みつくこ も、独自の解 釈を加えて現 象学を発展させていった とは断 念している。科 学は物の内 在 的 [ =観 念 モ ーリス・メルロ=ポンティ( M au r ic e Merle au- 的 ] モデルを作り上げ。そして指 数とか 変 数に、 Pont y / 1908 -1961 )、2人目は、そのメルロ=ポ それらの定 義 から許される範 囲の 変 換 操 作を ンティからも影 響を受け た李 禹 煥( リ・ウファン/ 与えるだけであって、現 実の世界とはほんの時 1936 -)である。 たまにしか顔を合 せない。 48 37 メル ロ=ポン ティは自 身 の 論 文「 目と 精 神 」に おいて、 「 見る」という知覚行為をデカルト的な視 覚 上記のことは科 学に限ったことはなく、 〈 もの〉と (「 主 観 - 客 観 」の構 図を用いた見かた)から、現 象 相対していると自覚する版 画 制作 者においても同じ 学 的 な視 覚へと転 換することを要求しており、特に ことである。制 作のなかで用いられるあらゆる道 具 ( 近 代 ) 画 家の 視 覚を称 賛している。また、その 最 は、版 画 制作 者のイメージ・観 念 を現前化 させるた たる画 家としてポール・セザンヌ( Pau l C ́e z a n ne / めの 操 作 対 象として 認 識されているだけであって、 49 38 50 〈 もの〉本来の多様な意 味や 質は排 除されるか、無 1839 -190 6 )を例 示しており 、後世におけるメルロ 39 視されている。 =ポンティの セ ザンヌ 論 に 対 する評 価 は 高 い。特 40 に現 象学 的に還 元 された空 間 がどのように生 起し 例えば、 「 木 版 画 技 法において使 用する丸 刀が錆 てくるかという分析は、セザンヌのみならずキュビズ び ている」という状 況を 考える。このとき版 画 制 作 41 ムの解 釈にも大きな示唆を与えるものである。 者の反 応としては、 「 版 木を彫るのに不 都 合である このメルロ = ポンティの考えに影 響を受け、 「 もの から、錆を落とさなけ れ ばならない」という操 作 的 派 」の 理 論 的 支 柱 であった李 禹 煥 は、彼の主著で な思 考 が 想 定される。このとき、鉄 が 錆 びるという 42 ある『 新 版 出 会いを求めて̶ 現 代 美 術 の始 原 』の 鉄 本 来 の 在り方は、版 画 制 作 者にとって 排 除 する 最 終章を「 出 会いの 現 象学 序 説 ̶ 新しい芸 術 論 の べき現 象であり、何らかの意 味を版 画 制作 者にもた 準 備のために―」と題している。彼はこのテキストの らすものではない。 中 で、現 象 学 に 基 づく思 想を一 面 では 評 価しつ つ また、塩化 第 二 鉄 溶 液は 銅 版 画の腐 蝕 液として 43 も、それらが「 意 識にウェイトを置きすぎる 」として 使 用され るが、銅 板を腐 蝕 するたびに溶 液 中には 批 判も行っている。また、表 現 者の「 作る」という意 沈 殿 物 が 溜り 、また 銅 板を腐 蝕させる機 能も徐々 51 44 識に対しても批 判 的 な 考えを示しており 、李は「 作 に低下していく。このような 現 象も自身のイメージ・ る」という表 現手段の代わりに、対 象や時 や場所の 観 念を現前化させようとする版 画 制作 者にとっては 構 造を見えるようにし、それら視 覚化された構 造を 単に排 除 や改善の対 象であって、メルロ = ポンティ 20 が 述べるような「 現 実の世界」に版 画 制作 者 が気を 現前化させることに対して不利 益となる、 「 錆び」と 留めることはない。 いう現 象は排 除されるべき対 象であるといえる。こ しかしながら一方 で、上 記のような行 動は正しい のとき 「錆び」という要素は版 画 制作 者にとって「 丸 ことのようにも思える。もし、版 画 制 作 者 が 版 画 作 刀」という意 味を構 成する実 的 な要 素とはなりえな 品を制 作 するにあたって、自身のイメージ・観 念に い 。何 故 なら「 錆 び」という現 象に内 在 する実 的 な 対して不 都 合なことを操作し、排 除や改善を行わな 要素は、それが 観 取される前に排 除されてしまうか ければ、どのように版 画 制作 者は版 画作品を 「 作る」 らである。しかし、この「錆び」という現 象も、 「 丸 刀」 ことが できるのだろうか。李 のテキストにおいては が 道 具で はなく〈 もの〉として「 現 実 の 世 界」に 現 「 作る」という行為( または観 念)自体を批 判的に捉 れている 徴 である。版 画 制 作 者 が 操 作 的 な思 考を えることによって、 〈もの〉や「 像」に対する操作的な いったん 停止し、 「錆び」という現 象を観 取すること 観 念主義を克 服しようとしている。 が できたならば、その意 味は「 錆 び」という現 象を しかし、本 稿では 「作る」という行為を諦めること 含まない「丸 刀①」に比べ、 「 丸 刀②」としてより豊か はしない。なぜなら、 《「 版 画を作る」という行為の中 な〈もの〉についての認 識を含むことになる。 には、 〈 もの〉の意 味や存 在を確 信するという重 要な 実は版 画 制作 者はこのような経 験を何度となくし 体 験 が 含まれている》からだ。実はこのことは 本 稿 ている。版 画 制作 者のある行為が 意図したとおりの の結 論 である。この結 論を導くために、もう一度『 現 結果を生じさせなかったとき、多くの場 合は操 作 的 象学の理 念』で示されている内容に立ち返って考察 な思 考によって排 除や改善を行う対 象となる。しか していきたい。 し、ある場 合には〈 もの〉が 版 画 制 作 者の操 作から 4 4 4 4 4 52 逸 脱して顕 示する 「 現 実の世界」の在り様を版 画 制 3 . 3〈もの〉の意味や存在を確信するという体験 作 者は観 取し、 〈 もの〉についての意 味を再 構 成する では、 『 現 象学の理 念 』にならって「 版 画を作る」 ことがある。また、ときには版 画 制 作 者は再 構 成さ という行為を現 象学 的に捉 えてみる。例えば「 版 画 れた 〈もの〉の意 味を自身の表現の中に活用しようと 制作 者 が 版 木を丸 刀で彫っている」という状況を考 試みるのである。 える。版 画 制作 者は注 意を向けさえすれば、木の硬 例えば、次のような状 況を想 定してみる。版 画 制 さや、匂い、丸 刀の刃の形 状、丸 刀が 版 木を削る音 作 者 が エッチング 技 法 を用いて銅 版 画を 制 作して などの実的な要素( =単一的所与性)を観 取するこ いる。この版 画 制 作 者は 銅 板を腐 蝕 液につけ たま とが できる。このことは、決して特異な経 験のように まそのことを忘れてしまい、翌日になってようやく気 は思えない。実 際、多くの版 画 制 作 者はこのような づき、腐蝕 液から銅 板を取り出してみた。すると、腐 経 験をしていると思われる。しかし、版 画 制 作 者に 蝕が過 度に進み、版 画 制作 者 が 今までの経 験 から とって版 画を制 作 するという行為がどこまでも操作 は想 定していなかったような 銅 板の 状 態 性 が 観 取 的であるならば、版 画 制作 者 が 観 取することのでき される。ある場 合にはもちろん 失 敗として排 除され ない実的な要素 が 他 方に存 在している。 るかもしれない。しかし、この版 画 制 作 者は自身の このことを 明らか にするために「 丸 刀」という質 イメージ・観 念 からは想定されえなかったその銅 板 感、または丸 刀が 版 木を削る音 や、その 視 覚 的 な の状 態に興 味を抱き、実 際に刷りを行い、インクが 様 子など を実 的 な要 素として 観 取 することが でき 紙に転 写された状 態の実 的 な要 素についても観 取 る。このような実的な要素から版 画 制作 者は 「 丸 刀」 した。このとき版 画 制作 者は腐蝕 液や 銅 板、場 合に の 類 型 的 所与性、つまり 「 構 成された意 味」を獲 得 よってはインクや 紙 、またはそれらの関 係 性を含む している。ここで、上 記 のように 構 成され た「 丸 刀」 〈 もの〉の意 味について再 構 成を行う準 備 が できて という意 味を 「 丸 刀①」と表記することにする。 いる。もし、版 画 制作 者 が〈もの〉の意 味を再 構 成し 次に、 「丸 刀」が錆びているという状況を考えてみ 4 4 4 4 たならば、再 構 成された〈もの〉の意 味を利用するこ 4 る。先 述したとおり、もし版 画 制 作 者に操 作 的な意 4 4 4 4 4 4 4 とで、新たな自身の表現を見出すかもしれない。 4 このとき重 要なのは、失 敗を経 験 する、というこ 思が 働いたならば 、版 画 制作 者のイメージ・観 念を 21 とではない。そのような状 況は一 例でしかない。重 画 制 作 者は自身 が〈 もの〉の意 味 や存 在をどのよう 要なのは〈 もの〉の実 的 な要 素を観 取 するというこ に構 成・確 信しているかについて無 頓 着なのではな とであり、そのことが 意 味を 「 構 成 /再 構 成」し、新 いだろうか( もしくは、言 葉にすることをためらって たな表現へと繋がるということである。もし、この版 いるように思える)。つまり、そのことが「 作る」とい 画 制 作 者 が 過 度に腐 蝕された銅 板を自身のイメー う行為 の 操 作 的 一 面を過 多に強 調しているにすぎ ジ・観 念にそぐわないからといって、実 的な要素に ない。 注 意を向けることなく操作的な思考によって排 除し よって、本 稿 では『 現 象学の理 念』の内容を拝 借 ていたならば、新たな表 現へとつながる上 記のよう することによって、李 の「 作る」という行為に対 する な連 動は生じないであろう。 批 判的な見かた からは異なる結 論を導きたい。つま 4 4 4 4 4 4 4 4 4 54 り、 《「版 画を作る」という行為の中には、 〈 もの〉の意 3 . 4〈 もの〉と「作る」という行為 味 や存 在を確 信 するという重 要な 体 験 が 含まれて しかし、前節のように考察してみると、 「 版 画を制 いる》ということであり、 「作る」という行為を放 棄し 作する」という行為自体が、 〈 もの〉の意 味を版 画 制 てはならないのである。 4 4 4 作 者自身の 表 現に結局は 還 元しようとしており、ど こまでも操 作 的な行為 のように感じられる。李はそ 3 . 5 版画と 〈もの〉と日常生活 うした循 環を断ち切るために「 作る」という行為を諦 本 章では 「版 画を作る」という行為と、 〈 もの〉の意 めようと決 意したのかもしれ ない。しかし、先 述し 味 や存 在との関 係を強 調して述 べてきた。しかし、 たとおり本 稿 ではそのような結 論は 取らない。私は 〈 もの〉の 意 味 や存 在 を確 信 することは「 版 画を作 版 画 制作 者 が「版 画を作る」という行為の中で、 〈も る」という行 為 に限られ たことではない。通 常の 生 の〉の意 味 が「 構 成 /再 構 成 」されているという過 活においても、私たちの身の周りには溢れんばかり 4 4 4 4 程を自覚 することが 重 要であると考えている。 「 もの の〈もの〉が 存 在している。よって、 「版 画を作る」と は直 接 的には知りえない」という言 葉の 通り、論 理 いう行為から離れた日常生活の中でも、 〈もの〉の意 的には人は〈もの〉の真 理には 到 達 できない。しか 味 や存 在を確 信 することは決して不可能なことでは し、フッサール が 示しているように絶 対 的に与えら ないだろう。 れた体 験 から、実的な要素をひとつひとつ観 取する しかし、ジャン・ボードリヤール( Jean Baudrillard/ 4 4 4 4 4 4 4 ことによって、個々の〈 もの〉の意 味を構 成し、さら 1929 -20 07 )が 考 察したように、社 会 が「 意 味より にそのように 獲 得されていった個 々の 類 型 的 所与 柔 軟 な記 号システムの中 」で「 記 号 間の差 異によっ 4 4 4 4 4 4 4 55 56 4 性の束が、 〈 もの〉一 般 の存 在を確 信 させるのではな てのみ価 値が 決められる体系 」であるならば、私た いだろうか。そのためには、版 画 制 作 者は「 作る」と ちは日常の生活において 〈もの〉を記号として捉えて いう行為を諦めてはならない。 いるにすぎないことになる。もし、私たちが 記号シス もし、版 画 制 作 者 が「 作る」ことを諦めてしまえ テムによって現 実 社会のあらゆる事 物を認 識してい ば、 〈もの〉と対 峙し、その実的要素を観 取する内在 るならば、 〈 もの〉が「現 実の世界」に顕 示する、その 的 体 験は失われてしまう。また、 〈 もの〉が 存 在する 物 理 的 状 態 性としての 在り様 を観 取 する機 会 は限 という確 信は、 〈 もの〉の 類 型 的所与性 が 体 験の 連 られていることになる 。少なくとも、私 たちの 身 の 続の中で 「構 成 /再 構 成」されることによって、より 周りにある多くの〈 もの〉が、人 間の観 念によって現 強 固になるのであって、決して知 識 から演 算される 前化され 、 「定められた概 念」としての人 工物である 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 57 53 ことではない 。 ということは、ボードリヤール の 考 察が 決して的 外 版 画 制 作 者は現に「 版 画を作る」という行為の中 れなものではないことを示している。 で、 〈 もの〉と多様な接 触を行っている。だからこそ、 このような状 況の中で、室伏 哲郎( 1930 -20 09 ) 4 4 4 無自覚 であっても版 画 制 作 者 は偶 然 に 生じた〈 も の次の言 葉は、版 画 制作 者 が〈 もの〉の意 味や存 在 の〉の新たな一面を観 取し、自身の表現の一 部とし について自覚 的になるべき根 本 的 な 理 由を 述 べて て 持 続させよう試 みるのである。しかし、多くの版 いるように思われる。 22 脚注 版 画は [ 中略・筆 者 ] 版を物 質世界と心 象世界 1)「主観的観念論によれば、真に存在するのはただ自我とその意識だ の 交 換 調 和 する 共 鳴 板( 感 応 媒 体)として止 けであって、それ以外の世界は(私の自我以外のすべての人々をも含め 揚することによって、各 種の制 約を持 つ制 作の て)客 観的には存 在せず、私の意識の所産にすぎぬことになる。これ はわれわれの常 識にそむく迷妄であるとはいえ、主観的観 念論 からの プロセスをも、逆に、それだけ選 択・凝 縮した 必 然的な帰 結 である。」粟田賢三・古 在由重 編『岩波 哲学 小辞 典』 自己実 現 もしくは表 現の方 策として生かす芸 術 岩波書店、 1979 年、 169 頁、【独我論】。 2)物的一元論とは世界を構成するすべての現 象、要素が、物的なも 58 ということもできる。 のに還 元できるという考え方。つまり、意 識 や意 思などといった精 神 的なものも物的なものに還 元できるとする見かた。現代では特に心の 働きを、脳の物理的な働きに還元することで論証しようとされている。 上 記で室伏 が 述べている版の 性 質から考察する 3)信原幸弘『意識の哲学』岩波書店、 2002 年、 22 頁。 ならば、 「 版 画を作る」という行為は「 物 質世界」と 4 )独我論に対する考察は、心脳問題を論点の中心として活発に議論 「 心 象世界」とを止 揚する行為であるといえる。よっ が 続いている。心脳問題についての歴史的 概略と論点をわかりやすく まとめた書 籍として、 村 田 純一 他『 岩波 講 座 哲学5 心/脳の哲学』 て、版 画 制 作 者 が〈もの〉の意 味 や存 在について注 飯田隆他編 岩波書店、2008 年、がある。特に、村田純一「展望 心 意を向けるということは、自身の表現 方 法の根 本 的 身問題の現 在」、金杉武司「第 1 章 第 3 節 心から脳へ ̶ 心的因果は な 問 題に直 面しているということに他ならない。ま 本当に成り立つのか?̶」)に詳しい。 5)ハロルド・ローゼンバーグ『新しいものの伝統』東 野芳明・中屋健 た、それは加えて通常の社会生活では記号として認 一訳、株式会社紀伊國屋書店、 1965 年、 35 頁。 識しがちな〈もの〉の存 在を、よりありありとした〈も 4 6)エドムント・フッサール『現 象学の理 念』ヴァルター・ビーメル編、 立松弘孝訳、株式会社みすず書房、1965 年。 4 の〉の状 態 性へと還 元する契 機 であるともいえるの 7 )「この『第 5 講義』でフッサールは、その後の彼の思索全体を規定 だ。 4 4 4 することとなったこれらの思想を初めて公 表したのである。これらの講 義で彼は現 象学的 還 元や意 識内での対 象の構成という根 本思想を明 4.今後の課題 晰に叙 述しているのである。」同上、 「編者序」、 3 頁。 しかし、では 油 絵 の 技 法 や 彫 塑の 技 法 など、他 示されている内容の理 解に特に役立てた。竹田青嗣 『完全読解フッサー 8)また、以下の竹田青嗣( 1947-)による書籍を『現 象学の理念』で ル『現象学の理念』』株式会社講談社、 2012 年。 の 表 現 技 法 においてはそのような 契 機 は見て取 れ 9)フッサール、前掲書、 11 頁。 ないのだろうか。この点を考察することは、 「 他の表 10)竹田、前掲書、 12 頁。 現 技 法とは異なり、版 画 技 法 独自の〈 もの〉の 確 信 11)フッサール、前掲書、 41 頁。 12)同上、 「 訳注」、148 頁には「認識の能作」について次の説明がある。 の 仕方を制 作 者に与える」という点を明らかにする 4 4 「認 識の能作という場 合は意味付与の働き、つまり志向的 対 象性の意 4 重 要な考察である。つまり、版 画 技 法の固有性 を詳 味を構成する機能と介してよかろう。」ただし、本文中では説明の簡略 化のために「認識の機能」という表現にとどめた。 述 する考察である。しかし、本 稿 では与えられた紙 13)引用文中の「妥当 性 」を、この箇所では「疑いなく正しい」とし 幅の中で、この点まで 考察することは残 念ながらで た。 参 考にした文 献 および 内 容としては竹 田、 前 掲 書、 69 頁で「 妥 きなかった。 当性」を「正当性、真理性」と示している箇所。栗田・古在 編、前掲 書、 148 頁、【妥当】の項目では「真 理を認 識した場 合、われ われが ただ、 〈 もの〉の性 質を多 分に利用する版 画 技 法 それを考えても考えなくても真 理だという確信を伴うが、このようにい が、版 画 制作 者に 〈もの〉の意 味や存 在をどのように つどこででも承認さるべきものだという、真 理その他の価値(倫理的、 もたらすか、ということを哲学や 現代思想の言 葉を 美 的など)に備 わる性 質をいう .」とある。また、廣 松渉 他 編『岩波 哲 学・思 想 事 典 』 株 式 会 社 岩 波 書 店、 1998 年、 1035 頁、【 妥 当 】 借りて多少なりとも考 察 できたことは、無 意 味なこ の項目では 「真理価値たる妥当は主観と独立で超時間的であるとした .」 とではなかったと思う。また、新たな考察 課 題 が 明 としている。竹田の「真 理性」を用いた場 合、この箇所での筆者の意 確になったことも決して不 幸 なことではない。今 後 図である平易な説明としては、まだ不十分であるという懸念があるので、 ここでは後者2書の「妥当」という言葉 がもつイデア的な性質を参 考 も残され た課 題について 継 続 的に考 察していきた にし、 「疑いなく正しい」という表現に置き換えた。 いと思う。 14 )フッサール、前掲書、 46 頁。 15)同上、 48 頁。また、傍点は訳書のまま。 16)以降の文中では、特に強調する意図がない場合以外は「意識体験」 のことを簡易に「体験」と表記する。 17 )リンゴを例とした説 明は、竹田、前 掲 書にも繰り返し出てくる( 85 頁、 99 頁、 133 頁など)。 また、 フッサ ールも「 赤 い 色 」 を 例と した説明を行っている(フッサール、前掲書、83 頁、88 頁など)。よっ て、ここではその2著を参照する場合に都合がよいので、リンゴを例と した説明を行うことにする。 23 18)「 実 在性は個 人の意 識のうちに観 念としてあるという意 味での 観 31)一 例としてフッサールは〈 丸い四 角の思 考〉を挙げて、 このよう 念 性に対立する語で、意識から独立に客 観的に存在すること . 従って な思考をどう捉えればよいのか、という疑問を提出している(フッサー 実在は誰にとっても同一な認識対象であるとともに、単なる外見、錯覚、 ル、前掲書、103 頁 -104 頁)。以下は筆者による説明を記す。例えば、 幻覚、虚構と区別される、事物の真の姿という意味を担っている .」栗田・ 私たちは「リンゴ」を想像することは可能であり、さらには想像された 古在、前掲書、 95 頁、【実在・実在性】。 内容から「リンゴ」の類型的所与性を構成することも可能である。例え 19)「直観とは認識論上の概 念で、その対 象をそれ自身記号 やシンボ ば「『リンゴ』は『ミカン』とは異なる」といった意味などである。では、 ルなど何物も媒介しないで直 接に把 握する認識を指す。すなわち対 象 「丸い四角」の場 合はどうであろうか。私たちは「丸い四角」という形 がそれ自身あるがままに直 接与えられる認識をいう。」木田元他編『現 状を心的に想像することはできない。しかし「『丸い四角』は『四角い 象学事典』株式会社弘文堂、 1994 年、 340 頁、【直観】。 星型』とは異なった形 状である」ということを明晰に述べることもでき 20)「 認 識に際して、 思 考の 働きに先だって前 提されるところの、 思 るのではないだろうか。つまり、フッサールのここでの大まかな疑問は、 考から導きだすことのできぬものは〈与えられている〉もの、所与とい 知覚的にも想像的にも表 象されえない内容を絶 対的所与性として確 保 われる .」栗田・古在、前掲書、114 頁、【所与】。 できるのか、ということである。 21)「〔本質考察においては〕 [ 中略・筆 者 ] 知覚の所与性に実 在とい 32) フッサール、 前 掲 書、「 第 5 講 義 」 において、 類 型 的 所与性の う特 徴を与えるものそのものは考察されないのである。」フッサール、 範囲を見極めることには大変な困難が生じていること、またそのような 前 掲 書、98 頁。また、[ 本質考察 ] とは、内在のうちに直観によって 困難を『現象学の理念』では示唆するまでにとどめておくことなどが述 絶対的所与性を見出すことを指す。 べられている。特に「最も広範囲の研 究 領域、認識による対 象性の諸 22)フッサール、前 掲 書、「絶 対 的所与性の 領 域 」、 48 頁および 97 様態の構成、認識と認識対象性の相関関係の問題」( 104 頁 -108 頁) 頁を参照。また、ここまでリンゴを例にあげて絶 対的所与性がどのよ に詳しい。 うに論 定されるかということ説明いているが、実はこの段階で「リンゴ 33)本 稿では知覚できる〈もの〉の範囲に限定して考察を進めるので、 は内在のうちに直観された絶 対的所与性である。」ということをいうに 以後の考察において大きな問題はない。 はまだ早い。しかし、平易な説明のために、あえてリンゴを例にここま 34 )木田元他編、前掲書、 329 頁、【超越/内在】。 で説明してきた。本当に上記のような考察ができるのは 2.2.6 の段階 35)同上。 を経てからである。 36)同上。 23)フッサール、前掲書、 75 頁。 37 )M・メルロ = ポンティ「目と精神」『目と精神』滝浦静雄・木田元 24 )「事 物が見えてくるとき、それは個々の個別的な対 象としてだけで 訳、株式会社みすず書房、 1966 、所収。 なく、ある程 度普 遍的なパターンをもったものとしても現出する . 事 物 38)同上、 284 頁 -288 頁に詳しい。 現出に認められるある程 度の普遍的なパターンをフッサールは〈類型〉 39) 岡 崎 乾 二 郎( 1955 -) はメルロ = ポンティのセザンヌに対 する考 と呼ぶ .」廣松他編、前掲書、 1701 頁、【類型】。 察を次のように評 価している。 「セザンヌの絵の異例性こそが、遠 近法 25)ただし、フッサールは『現象学の理念』において「単一的所与性」 をはじめとする美 術史 的な通 念に対 するさまざまな変更を要求してき という術語は用いているものの、 「類型的所与性」という術語は用いて た。そうした歴史をきちんとふまえてメルロ = ポンティは発言している いない。フッサールは「類 型的所与性」の内容にあたる表現を異なっ ので、一哲学者の考察を超えた、はるかに美術史や絵画をめぐる本質 たかたちで複 数 用いている。例えば、 「一 般 者」「一 般 的なもの」「類 的かつ見通しのきいた議論になっています。」 . 松浦寿夫・岡崎乾二郎 的なもの」 「スペチエス」など(竹田、前掲書、128 頁参照)。そのため、 『 絵 画の準 備を R E A DY FOR PA INTING! 』 株 式 会 社 朝日出 版社、 ここでは表記を統一し、本 稿での説明を平易に行うために「単一的所 2005 年、 266 頁。 与性」という術語にならって「類型的所与性」と表現する。 40)「事 実学と本質学はともに自然的態度において成立するが、現 象 26)「実的」という言葉が「実在」という言葉とは異なる意味であるこ 学的 還 元は、この自然的 態 度の根 本 的変更を通して、超 越 論 的主観 とに注意して読み進めて欲しい。また、実的の意味については本文中 性へと至る道、超 越 論 的 現 象学を可能にする方 法である .」廣 松 他、 で後述する。 前掲書、463 頁、 【現象学的還元】。端的に本 稿においては、本文 2.2 27 )竹田、前掲書、 105 頁、 106 頁を参照。 において説明した「主観 」や「客 観 」を前 提とせず、内在のうちに直 28)「 私 が 赤 の感 性 的 個 別 直 観を一ないし数 個もっているとしよう。 観される性質を観取しようとする方法と解してよい。 私は純粋内在だけに留意して、現 象学的還元の気構えをする。赤が超 41)「 セザンヌが 奥 行きを追 及している時、 彼はこの〈 存 在の 燃え拡 越的にどのようなものとして統 覚されていようと、たとえば 私の机 上の がり〉をこそ求めているのであり、したがって奥行きは〈空間〉のあら 吸取 紙などの赤として統覚されているとしても、ともかく赤が通常意味 ゆる様式のなかに、さらには〈形〉のなかにさえあるのだ。セザンヌは しているものを切り捨て、その上で私は純粋直感によって赤一般という やがて立 体派が繰り返すはずのことをすでに知っていた。」メルロ = ポ 思想の意 味を完 成するのである。 [ 中略・筆 者 ] そこでは個 別性その ンティ、前掲書、 286 頁。 ものはもはや思念されず、これとかあれとかではなく、赤一 般が思念 42)李禹煥『新版 出会いを求めて̶現代美術の始原』株式会社美術 出版社、 2000 年。 されているのである。」フッサール、前 掲書、 83 頁。また、84 頁にも 43)同上、 162 頁。ただしこの引用部分は、直 接的にはデカルトの思 「赤」を用いた例が示されている。この2例の解説については竹田、前 掲書、 141 頁 -147 頁に詳しい。 想に向けられた言葉である。 29)「実的な要素を直観によって見出すこと」を本 稿では「観 取する」 44 )同上、「認識から知覚へ̶高松次郎論̶」、 71 頁 -104 頁、参照。 と呼ぶことにする。 また、峯村敏明( 1936 -)は、 「もの派時 代の芸 術家が、つくる者とし 30)「フッサールの独創は、われわれの一切の『認知』『判断』『認識』 てではなく、見る存 在、観 想者としての立場で芸 術の問 題に対処して は、対 象の存 在と意味についての『確 信』であるが、この『確 信』の いた」 と考 察している( 峯村 敏 明 監 修『 もの派とポストもの派の展 開 妥当性には、決して恣意的ではない必然性な構 造を見出すことができ 1969 年以降 の日本の美 術』多摩 美 術 大 学・西武 美 術 館、 1987 年、 る、という洞察にある。一切の判断・認識は、たえず変化して流れゆく 「体 16 頁)。ただし、峯村は李の観 想者としての姿 勢に対し、「 1972 年か 験 流」 (=内在)から《構成》されつづける対象存在についての『確信』 らの 李禹煥の絵 画 制 作には当てはまらない。」(同上、 18 頁)とも付 だから、それは原理的に、 『体験 流』の変容に応じて変容する可能性 け加えている。よって、李は「表現者の『作る』という意識に対しては をもつ。」竹田、前掲書、 251 頁。 批判的な考えを示して」いるという筆者の考察は、より正確には李の『新 24 参考文献 版 出会いを求めて̶ 現代 美 術の始原』において述べられている内容 について言及するものである。 1. 海野弘・小倉正史『現代美術アールヌーヴォーからポストモダンまで』 45)李、前 掲 書、「出会いの現 象学序 説 ̶ 新しい芸 術 論の準 備のた 株式会社新曜社、 1988 年。 めに ̶」、 191 頁 -227 頁、参照。 2 . エドムント・フッサール『現 象学の理 念』ヴァルター・ビーメル 編、 46)李、前掲書、 9 頁。 立松弘孝訳、株式会社みすず書房、 1965 年。 47 )同上、 56 頁。 3 . エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超 越論的現 象学』 48)メルロ = ポンティ、前掲書、 253 頁。 細谷恒夫・木田元訳、中央 公論社、 1974 年。 49)「デカルト、ロック以来の用法 . われわれの意識の内容として与え 4 . エドムント・フッサール『イデーン Ⅰ - Ⅰ』渡 辺二 郎訳、株 式会社 られている、あらゆる(現実の、または空想上の)対象を指す .[ 中略・ みすず書房、 1979 年。 筆者 ] また概 念とも混用される .」栗田・古在、前掲書、46 - 47 頁、 【観 5 . エドムント・フッサール『デカルト的 省察』浜 鍋 辰二 訳、株 式会社 念】。 岩波書店、2001 年。 50)「 一 般 的には対 象をそこに現に存 在 するものとする働きをいう .」 6 . 木田元編『現代思想フォーカス 88 』株式会社新書館、2001 年。 廣 松 他 編、前 掲書、468 頁、【現前化】。 「目の前にあること。目の前 7. 木田元他編『現象学事典』株式会社弘文堂、 1994 年。 にあらわれること。」松村明他編『旺文社 国語辞典』株式会社旺文社、 8 . 粟田賢三・古在由重編『岩波 哲学 小辞典』岩波書店、1979 年。 1965 年、 374 頁、【現前】。 9. 暮 沢 剛 巳『 現 代 美 術 の キ ー ワ ード 100 』 株 式 会 社 筑 摩 書 房、 51)「薄めた塩化第二鉄 溶 液は茶 褐色で、液中の鉄イオンと版の銅イ 2009 年。 オンの交 換により腐蝕が進行する。次第に液はやや青味がかり、酸化 10 . C. グリーンバーグ『 グリーンバーグ 批 評 選 集 』 藤 枝 晃 雄 編 訳、 銅の沈殿 (カス)が刻線にたまり、腐蝕の進行をさまたげる」室伏哲郎 『版 2005 年。 画事典』東京書籍株式会社、 1985 年、 133 頁、【塩化第二鉄溶液】。 11. ジャン・ボードリヤール『《叢 書・ウニベルシタス 136》シミュラー 52)丸 刀の例に関して三 木哲夫 氏より「いささか 疑問がある」とのご クルとシミュレーション』竹原あき子訳、法政大学出版局、 1984 年。 意見を頂いた。確かに飛 躍的な説明が多く、要領を得ているとは言い 12 . 竹田青嗣『完全読解フッサール『現象学の理念』株式会社講談社、 難い。よって以下に補足し、本文での意図を極力明確にしておきたい。 2012 年。 この箇所の説明をより正確にするために、 「錆び」という現 象を記号的 13 . 中才敏 郎・美濃 正『知 識と実 在心と世界についての分析 哲学』世 に捉えるか、実的な要素として捉えるかという問題に置き換えて考えて 界思想社、 2008 年。 みる。何故なら「錆び→排除」という操作には、記号の働きが関係し 14 . ニコラス・ハンフリー『 赤を見る 感 覚の 進 化と意 識の存 在 理 由』 ているからである。記号的に捉えるとは、 「ある知覚可能なものを基 礎 柴田裕之訳、紀伊國屋書店、 2006 年。 にして、 それ 以 外 のあるものを 表す」( 廣 松 他 編、 前 掲 書、 306 頁、 15 . 信原幸弘『心の現代哲学』株式会社勁草書房、 1999 年。 【記号】)ことであり、 「〈知覚可能なもの〉が記号表現であり、 〈それ以 16 . 信原幸弘『意識の哲学』岩波書店、 2002 年。 外のあるもの〉が 意味である .」(同上)。つまり、本 文の丸 刀の例で 17. ハロルド・ローゼンバーグ『新しいものの伝統』東 野芳明・中屋健 は「錆び」という現象を記号表現とし、その意味は「排除(すべき対象)」 一訳、株式会社紀伊國屋書店、 1965 年。 となる。このことは、版 画制作者が「丸刀」を「版を彫るための道具」 18 . 廣松渉他編『岩波哲学・思想事典』株式会社岩波書店、1998 年。 と解するならば、その機能を考慮した場合、 「錆び→排除」という記号 19. 松浦寿夫・岡崎乾二郎『絵画の準備を READY FOR PAINTING!』 的な関係が成り立つことは自然なことのように思われる。しかし、この 株式会社朝日出版社、2005 年。 ような記号的な認識の仕方には、実的な要素を観取する働きが含まれ 20 . 松村明他編『旺文社 国語辞典』株式会社旺文社、1965 年。 ていないことに注 意を向けて欲しい( 前 掲 19 参 照)。第 2 章 でも概 4 4 4 21 . 峯村敏 明監修『もの派とポストもの派の展開 1969 年以降の日本 括してきたとおり、実的な要素(単一的所与性)から、意 味(類 型 的 の美術』多摩美術大学・西武美術 館、 1987 年。 所与性)が 構成されるのであるから、実的な要素を観取する過程のな 22 . 村 田 純 一 他『 岩 波 講 座 哲 学5 心/脳 の 哲 学』 飯 田 隆 他 編、 い記号的な認識には、意味の(再)構成を促す契機は含まれてはいな 岩波書店、 2008 年。 いのである。まとめると、 「錆び」という現 象を捉える際、操作的な意 23 . 室伏哲朗『版画事典』東京書籍株式会社、 1985 年。 思に起因する記号的な認識を停止し、実的な要素として捉えることで、 24 . M・メルロ = ポンティ『目と精神』滝 浦 静雄・木田元 訳、株 式会 新たな意味の構成を行うことが可能であるといえる。そして、再構成さ 社みすず書房、 1966 年。 れた「錆び」の意 味は、その意 味を構 成 要素として含む「丸 刀」の意 25 . 李禹煥『新版 出会いを求めて̶現代 美 術の始原』株 式会社 美 術 味をも拡充することが可能である。また、実的な要素を観取することが、 出版社、 2000 年。 版 画 制作 者の表現とどのように関わるのかについては、後 述 する「腐 26 . ルネ・デカルト『省察』山田弘明訳、筑摩書房、2006 年。 蝕液の例」で詳述する。 27. ルネ・デカルト『方法序説』山田弘明訳、筑摩書房、2010 年。 53)「単に知られているだけで、直観されていない実在から演算すると いうわけにはゆかないのである。直観は論証されたり演算されたりする ものではない。」フッサール、前掲書、 59 頁。 54 )前掲 44 。 55)ジャン・ボードリヤール『《叢書・ウニベルシタス 136》シミュラー クルとシミュレーション』竹原あき子訳、法政 大学出版 局、 1984 年、 3 頁。 56)木田元 編『現代思想フォーカス 88 』株式会社新書館、2001 年、 106 頁。 57 )直観とは「記号 やシンボル」などを介さない認 識であることに注 意して欲しい(前掲 19 参照)。また、 「 観取」については前掲 29 参照。 58)室伏、前掲書、 366 頁。 25 |研 究 報 告| ■はじめに 2012 年 1 月 20 日アメリカで、ある日本 現 代 版 画 展 「複数性再考−13名の日本人版画家達」展 企画を通じて が 開 幕した。 「 Redef ining t he Mu ltiple -13 Japa nese Printma kers」を展 覧 会 名とするこの 展 覧 会 は、テネ "Redefining the Multiple -13 Japanese Printmakers " シー州ノックスビル市にある、テネシー大 学 付属 美 術 館、 Ewing Ga ller y を最初の会 場として、2014年 春 まで全米各地を巡回する事になっている。 開 幕 初日の2月19日、レセプションが 開かれたが、 京都市立芸術大学 それに先立って私にスライドレクチャーの機会が与えら 木 村秀樹 れた。一 端ではあっても日本の現 代 版 画の現 況を、国 外の受け手に紹介する展覧会の企画構想に関わった者 として、日本の現 代 版 画の状 況に関する自分なりの認 識の整理と分析の必要に迫られた。 この研究報告は「Redefining the Multiple -13 Japan- ese Printmakers」実現までの経 緯と展覧会の内容の紹 介、そして「 Contempora r y Japa nese Printma k ing 」と 題したレクチャー原稿を下敷きに、現 代の版 画 表 現の 状況に対する若干の私/試見を記したものである。 Ewing Gallery の会場風景 / 床中央は小野耕石の作品 展覧会の概要 |展覧会 名| R e d e f i n i n g t he Mu lt iple - 13 Japa nese Printma kers |主 催| テネシー大学 |企 画| Sam Yates/ テネシー大学、美術建築学部 1988 年 グループ M A X I GR A PHIC A を設立 2004 年 ispa JA PA N 国際版画シンポジウム 実行委員長 付属美 術 館、ディレクター、教 授 木 村 秀 樹 / 画 家・版 画 家 京 都市立芸 術 大学教 授 2007 年 「関西現代版画史」編集委員 2008 年 大学版画学会 会長 |会 場| テネシー大学、 美術建築学部付属美術 館 2008 年 京都美術文化賞 受賞 2009 年 京都府文化賞 功労賞 受賞 2010 年 「PATinKyoto 京都版画トリエンナーレ」アドバイザー Ewing Galler y 及び Downtown Galler y( 以後 2014 年まで 全米各地を巡回) Ewing Galler y を第1会 場とし、 主に大作を展 示、 第2会 場 の Downtown Galler y では、第1会場のダイジェスト版として、 現在 中∼小作品を中心に展示した。 京都市立芸術大学教授 26 ht tp://w w w.uwosh.edu /apga l ler y/a l len _ priebe 4 )Foster Ga l ler y, T he Universit y of Wisconsin, E au- Cla ire 2012 年 11 月 1 日∼ 11 月 28 日 ht tp://w w w.uwec.edu /a r t /foster/ 5) A r t Mu seu m, T he Universit y of Wyoming 2013 年 3 月 16 日∼ 5 月 18 日 ht tp://w w w.uw yo.edu /a r t mu seu m / 6)Memoria l A r t Ga l ler y, T he Universit y of Roch- Downtown Ga ller y における展示 |会 期| 2012 年 1 月 20 日∼ 3 月 1 日 ester, Rochester, N Y 2014 年 1 月 18 日∼ 3 月 16 日 (テネシー大学の展示に関してのみ) |出 品 者| 天 野純治 / 大島成己 / 大西伸明 / ht tp://ma g.rochester.edu / 小野耕石 / 加納俊輔 / 木 村秀樹 / ■開催までの経緯 清野耕一 / 集治千晶 / 野嶋 革 / 発 端 は、私 の 友 人で あ る ボ ストン 在 住 の 画 家、 三宅砂 織 / 宮本承司 / 芳木麻 理 絵 / Con ley Hurris が、公用で来日中のテネシー大 学 付属 吉岡俊直 計 13 名( 50 音順) 美 術 館 の ディレクターである Sa m Yates 氏 にプ レ ゼ ンテーションの機 会を取り付けてくれたことに始まる。 2009 年1月であった。それを受け て私の活 動 母 体 の 一 つである M A X IGPA PH IC A の 一 連 の 実 績 や 80 年以降 近代 版 画の約 定に縛られ ないで自由に版 画 制 作 を深 めている人 たちの 活 動を中 心 に資 料と共 に 紹 介した。テネシー大 学 付属美 術 館では、過去に数 回日 本 関 連の展覧会 が 開 催された事もあり、偏見なく私の プレゼンテーションを受け入れてくれたように思えた。 展覧会の構想を具体化し、出品作 家の選考を進めるた め、再来日したい旨の連 絡が入った時、すでに1年以上 出品者の顔ぶれ / スライドの一コマから引用 が 経 過していた。正 直この 企 画は没になったと諦めか |展示作品| 各 作 家 2 点∼ 7 点、計 63 点を展 示。 けていた私は、突 然 の 連 絡 に驚いた。今 から思えば、 平面作品 4 6 点、立体作品 13 点、イン テネシー大 学が 持つ、いくつかの基 金からの協賛を取 スタレーション 3 点、映 像作品 1 点。 り付ける等、事前に万全の体制を整えるため時間が必要 |巡 回 地| だったのであろう。Sa m Yates 氏の 慎 重 な 進め方に 頭 1)Museu m of Fine A r ts at Georgia C ol lege, が下がる思いであった。2010 年 9 月、再来日した Sa m Mil ledgevil le, G A Yates 氏と共 に、作 家の 実 作 品を観る事 を目的に、京 2012 年 4 月 16 日∼ 5 月 11 日 都、大阪、名古屋、鎌 倉、東京に点在するスタジオ等を ht tp://w w w.gc su.edu /a r t /mofa.htm 巡った。幸いな事に研 修 のため来日中の、山 本 幸 一氏 2 )T he Heuser Ga l ler y, Brad ley Universit y, が 通 訳として同 行してくれた。山 本 氏は欧 米で 版 画 教 Peoria, IL 育を受け た後、現 在テネシー大 学 の版 画 専 攻 で准 教 2012 年 6 月 1 日∼ 8 月 30 日 授を勤めている。以 降、山本氏には、この企画推進の ht tp://sla ne.brad ley.edu /a r t /heu ser-a r t-center 様々な局面で重要な役割を果たして頂く事となった。 3)A l len Priebe Ga l ler y, T heUniversit y of 大学版 画学会誌 40 号に掲載された、展覧会検 討委 員会の 報 告にも伺えるように、 80 年以降 の日本 現 代 Wisconsin, Osh kosh 2012 年 9 月 12 日∼ 10 月 24 日 版画の制作現場は、素材、技法、形式、いずれを取って 27 みても、 「 多様 性」と呼ばざるを得ない状況下にある。そ ■ Contemporar y Japanese Printmaking のような状況を端 的に開 示すると同時に、その中で 一 日本の現代 版 画の状況をご 紹介するにあたって、ま 定の方 向 性、ないしは質を見 出せるような展 覧会を目 ずその前段階として日本の近代化以降の版 画の歴史を 指す事を前提に、地域的、世代的、技法的、バランスを 概観しようと思います。今回の展覧会「 Redef ining t he 加味した上で、 Sa m Yates 氏と検 討を重ね、最 終 的に Mu ltiple-13 Japa nese Printma kers」の 因って来 たる 上記13名の出品者を決定した。 背 景をご 紹 介した上で、その意 義を共 有できればと考 2013 年 1 月の開 幕に向けて、準 備 作 業 が 開 始され えるからです。 たが、作品の搬 送、広報 用出版物、カタログの制作、運 日本という国家は、近代化の過 程の中で2つの大き 営に関わる諸経費等、資金的には、ほぼ 100 %テネシー な事 件を経 験しました。 1つは1854年、アメリカと サイドに負っている。開催のきっかけを作った者の責任 の通商条 約の締 結、即ち開国です。この事 件は日本の として、せめて作品の搬 送費くらいは日本サイドで賄い 近代化の始まりと言えるかもしれません。 たいと考え、いくつかの基 金に援 助を依 頼したがかな もう一つは1945年、第二次 世界大戦の敗 北です。 わなかった。大変申し訳なく思うと同時に、企 画を見事 いずれの事 件も、それ以後の日本の文化や価値観を劇 に完遂してくれた、 Sa m Yates 氏はじめ、テネシー大学 的に変える役割を果たしました。従ってこれら2つの事 付 属 美 術 館 Ew ing Ga l ler y の関 係 各 位に、深く感 謝 件は、日本史 上の2つの変 換スイッチと言えるかも知れ する次第である。 ません。 ■レクチャーの基 本構想 ■版画史上の2つの事件 上 述したように、展覧会開幕に先 立って、スライドレ 視 線を美 術、とくに版画の歴史に移してみますとここ クチャーの機 会を与えられた。 「 版 画」に関する前 提を においても特 筆するべき 2 つの出来事が 存 在すると思 共 有しない国外の聴 衆に、この展覧会のコンセプトを、 います。1つは創作版画運 動の勃興、もう 1 つが版画 概 いかに正 確に伝え得るかという事が、引き受けるにあ 念の拡大論争です。そしてそれぞれが先のスイッチが切 たって最大の悩みであった。私の方策は少し遠回りにな り替わって以降の価値観の激変の中で興りました。 るかもしれないが、日本の近代化と近代 版 画の成立を ■創作版画運動 まず 述べ、1970 年 前 後に起こった、版 画 概 念 の 拡 大 1904 年、山 本 鼎という作 家 が 漁 夫と題した木 版 画 論争を転 換点として 80 年代以降の版 画制作の意義に を明 星という文 芸 雑 誌 上に発 表します。小さな木 版 画 繋げるというものである。以下に続く文章は、レクチャー ですが日本の近代版画の先便を告げる、非常に重要な の原稿を大幅に短 縮し、部分的に改 訂を加えたもので 作品と見なされています。この作品の発 表を 1 つの起点 ある。とは言え、基 本的には原稿のコピペ、すなわちコ として、後に創 作 版 画 運 動と呼ばれる流 れ が 形 づくら ラージュされた文 章 である。つながりの唐 突 感 や不自 れて行きます。 然さを、予めご容赦 頂ければ幸いである。 創作版画運 動の作家 達は「自画・自刻・自刷り」すな わち、自ら描いた下絵を元に自らが版を作り、自らが刷 るという、作家自らの手作業による一貫制作に、近代的 な版 画 制 作の原則を見出して行きます。彼 等にとって、 近 代 的 な自我 の 表 出を実 現する具 体 的 な方 法として 「自画・自刻・自刷り」という一貫制作があったのです。 概 括すると、創作版 画運 動とは、1 . 日本の版 画の 近代化 運 動、すなわち、西洋という先 進的な価値観 を学び、それを内面化する運 動であり、2 . 版 画を絵 画や彫 刻と比べても劣らない美 術/ Fine A r t であ る事を公 的に認めさせる、すなわち官展の受 理 を目 指した権 利獲 得 運 動であり、3 . 浮世絵版 画との決別で もありました。 スライドレクチャー会場 / 中央は Sam Yates 氏 28 ■オリジナル版画規定 見が 交わされましたが、今言える事は当時の認 識以上 1960 年、ウィーン、ユ ネスコ主 催 の 第3回 国 際 造 に、つまり単純に、技術やジャンルの拡大に収まる問題 形 芸 術会 議において、オリジナル版 画規 程が 採 択され ではなく、 「版画 概 念の拡大」が孕んでいた問題は大き ます。エディションナンバーと作 家自らによるサインの かったと言う事でしょう。なぜならば、この事 件「 版 画 明記を基 本要 件とするオリジナル版 画 規 定は、近代 版 概 念の拡大論争」は、それ以後の版画に止まらず、美 術 画の確 立を示す重 要な制度として、国際 的に共 有され にとって一つの分水嶺としての役割を果たしたかに見え る事となります。これが 一つの象徴 的な発火 点として、 るからです。 1960 年 代 の 世 界 的 な 版 画 ブームに 繋 が って 行 きま ■ Redefining the Multiple す。アメリカでは、プリントリバイバルと呼ばれる、版画 私は、日本の版 画の歴 史 上にある2つの事 件を、乱 工房の設 立と版 画制作の活 性化という現 象の重なりが 暴を覚悟で仮に平面的に対照化できるとすれば、創作 指摘できます。 版 画 運 動=近代 版 画、版 画 概 念の拡 大 論 争以降=ポ ■東京国際版画ビエンナーレ スト近 代 版 画 / Post modern print ma k ing という図 一方、日本 では、国 家的バックアップのもと 「 東 京国 式を導きだす事も出 来るのではないかと考えているの 際 版 画ビエンナーレ」が 開 催されます。東 京 国 立 近 代 ですが、ここではそれを前 提として頂いた上で、今回の 美 術 館 等 の主 催 によって、1957 年 から 1979 年まで、 展 覧 会、Redef ining t he Mu ltiple に話 題を移して行 22 年にわたって 11 回の展覧会を開催しました。この展 きたいと思います。 覧会は、その時点における国際的な版画の状況̶ 表現 すでにお察しのように、私はこの展覧会に出品してい の多様 性と地 域的 独自性 ̶を紹 介するに止まらず、最 る 13 名のアーティストは、版画 概 念の拡大論争以降の 新の表現としての版 画を鼓 舞し続けました。日本では、 流れの中で、拡 大 方向を肯 定的に捉えた者と、その末 第 6 回∼第 9 回、1968 年∼ 1974 年の時期を指して「現 裔、すなわちその成果を体 現するアーティストであると 代版画の黄金時 代」と、呼ぶ事もあります。日本の美 術 考えています。先に述べた、近代版画とポスト近代版画 にとって、また版 画にとって、まさに exciting な時 代で の対照で言うなら、ポスト近代版画を代表するアーティ あり、その内実を実質的に支え、版画という表現領域に ストと言い換える事ができます。 市民 権を与えた、この展覧会の貢 献は大きかったと言 出品者の平均年齢が 約 40 歳です。そして、出品者の えます。 年 齢 構 成は、最 年長の 64 歳、木 村 秀 樹 から、最 若 年 ■版画概念の拡大論争 in 現代版画の黄金時代 の 23 歳、宮本承司まで、40 年の隔たりをもっています。 先に、版 画の歴 史における 2 つの事 件を指 摘しまし 版 画 概 念の 拡 大 論 争 の目撃 者 世代 から、その世代に たが、もう 1 つの事件、 「 版画 概 念の拡大論争」というも 版 画を学んだ世代、そしてさらに 2 番目の世代に版 画 のが 起こったのも、現代 版 画の黄金 時 代と呼ばれる時 を学んだ世代、3 世代にわたるアーティストの作品群に 期の中でした。 よって、この展覧会は構成されている事になります。 「日本の版 画といえば浮世絵」というのは世界の通り 相場、共通認識です。たとえそのような地点からのアプ ローチではなくても、今回の展覧会は版 画の展覧会な のか?あるいは、なぜこの展覧会を版画の展覧会と言う 必 要があるのか?等、怪 訝に思われる方もおられると 思います。 年表 / スライドの 1 コマから引用 論 争にはいくつかの異なった争点が 含まれていまし 今回展示されている作品のほとんどが、エディション た。しかしあくまでも私見ですが、最重要な論点はそれ の明 記や自筆 のサインといった、近代 版 画のコンベン までの手 仕事を中心とした 創 作 的 版 画 制 作に写 真 技 ションからは自由であり、あるいは無関心です。ではそ 術 が 導入される事によって引き起こされる、近代 版 画 れ等の作品が、先祖 帰りよろしく、絵画や彫 刻といった そのものの、質的変 換をどう考えるか?と言う事だった 従 来のカテゴリーにすんなりと収まるのかといえば、そ と思われます。歓 迎と拒 絶、各々の立 場から様々な意 うとも思えません。ポストモダンが 言われた 80年代 29 以降、技法 や 形式や素材の特 性によって美 術をカテゴ も規 定 するといっても過 言 ではないでしょう。版 画 家 ライズする事の意味は希 薄になっていると思われます。 は、むしろその技法的制限を楽しんで来たとさえ言える しかし、では美 術作品はコンセプト、あるいはメデイア でしょう。銅 版 画やリトグラフや木 版 画等々、それぞれ という言 葉で 一元化する事で問 題 が 解 決するでしょう の版種による表現の歴 史の積み重ねは、結果的にそれ か? 確かに、その構えには一瞬状況の見晴らしが良く ぞれの版 種に適 応したイメージを固 定化したようにも なったと感じさせる効用はあるかも知れません。しかし 見えます。しかしここに来て、その固定観 念は完全に瓦 それにも、何か重要な見落としが生じるように思われて 解したと考えるのが正 解のようです。 なりません。 小 野 耕石の制 作における興 味は、シルクスクリーン 近代 版 画のコンベンションから自由になったにもか の通常の制作プロセスの中の、刷りのプロセスのみを、 かわらず、版 画であり続ける理由とは何か? この展覧 異常 なまでに拡 大 する事にあるか のようです。彼は点 会 のタイトル Redef ining t he Mu ltiple の 意 味 する所 の集 積としてのイメージをインクの色を変えつつ、ひた は、この問いの成立可能性を問う事、と言えるでしょう。 すら刷り重ねます。刷り重ねられたインクは盛り上がり、 この問いは、版画を形式の独自性(例えばエディショ 点はや が て突 起 状になり、作 品 の 全 体 像 は色の 付 い ン制)を消し去った後に現れるべき、すなわちその表現 た針 の集 合で出 来た絨 毯を思わせるに至ります。所 謂 の質に見いだされるべき独自性とは何かを問う事です。 シルクスクリーン作 品 のイメージからはほど遠い 作 品 (近代)版 画ではないにも関わらず、版 画としか言えな ですが、シルクスクリーンという技 法でしか造り出せな い表 現の質の抽出は困難かも知れませんが、私はとて かった作品でもあるという意味で、未見の世界を切り開 も興味深い試みだと思っています。 く試みと言えるでしょう。 ■4つの分類 芳木麻 理 絵もまた、シルクスクリーンの刷り重ねに制 今 回 の 展 覧 会 は、13 名 の 作 家 に よる、約 60 点 作時間の大半を費やしていますが、小野とは異なり、イ の 作 品 が 展 示 さ れて いま す。先 ほ ど、 Post modern ンクの重なりで3次 元の具 象 的なオブジェを造り出し print ma k ing と、仮に言葉を当て嵌めてみましたが、そ ます。主 題はアンティークのセラミックプレート、チョコ の内実の具体 的 現 れとしての多様 性の中にも、いくつ レート、ケーキシート、等多岐にわたります。実物そっく かの方向 性、あるいは特 質を指 摘できるように思えま りでありながら、インクの固まりでもある作品は、本 物 す。妥当性を持つか 否かの判断は皆さんにお任 せする と偽 物の間にまたがる境 界そのものを、独特の質感に として、試みとして4つの分類を想定してみました。 よって凝 縮化しているように思えます。 1 . 技法の自律・オートマチックな拡大 ■写真・映像性 2 . 写真・映 像性 絵 画と写真の関 係を歴 史 的に振り返り、検 証する展 3 . 伝統技術の再評 価 覧会が、世界 各地で開かれています。写真が、 80年 4 . 表面(皮膜性/触覚性) 以上です。 代以降、美 術の中心的なメディアとして定着した事の一 繰り返しますが、この分類は恣意的なものであり、完 つの証でしょう。 19世 紀に発見された像の定 着技 術 全なものでも、客 観 的なものでもありません。しかし日 であるにもかかわらず、長らく美 術と見なされなかった 本の現代の版 画状況が 持つ多様 性に、あえてこれらの 写真が美 術となるにあたって、最も重要な役割を果たし 分類を重ねて見る事で、逆に多様 性が 孕む豊かさへの た芸 術 動向が、ポップアートである事に反 対される向 導 線を提 供 できるのではないかと考えます。日本の現 きは少ないのではないでしょうか。先 の版 画 概 念の 拡 代 版 画を楽しむ為 の一つの目安、あるいはきっかけと 大論争も、実はポップアートを遠因とした出来事であっ 考えて頂ければ幸いです。 た事は間違いありません。 ■技法の自律・オートマチックな拡大 ところで 美 術としての写 真は、すなわち複 数 生 産 が ここで 私が 想定している作 家は、小野 耕石、芳木 麻 可能な美 術であり、従って写真は版 画の一種と断じて 理 絵、天 野 純 治といった作 家 達 です。版 画ほどその技 も間違いではないでしょう。 80 年代以降の写真とそ 術に制限される表 現 領 域も少ないのではないでしょう れ以前の写真との対比を、アナログとデジタルの対比に か? 技法的制約が、生み出されるイメージの内容さえ 還 元することは単 純にすぎる暴 挙 かも知 れませんが、 30 今日、美 術としての写真が、即コンピューティングプロセ メージの複 数 同時存 在、すなわち mu ltiplicit y が 近代 スとの接 続を意 味する事は否定できません。今 回出品 芸 術に対して持 つ射 程 距 離の大きさ、そして表 面とい している大 島成己、加 納 俊 輔の二人も、慎 重かつ巧妙 う存 在との関わりにおいてであろうと思われます。表面 に CG 、グラフィックアプリケーションを使用しています。 という概 念は、記号論的、構造 主義的文 脈においては、 大 島の作品は、一見普 通の風 景写 真を装いつつも、 関係そのもの、すなわち不過視の存在です。一方、視 覚 コンピュータ上における無数のレイヤーの調 整と積 層、 美 術において表面が 問 題となる時、それは両義 性とし 管理によって制作されています。彼の制作はペインター て現れます。すなわち、見えてはいるけれどもそれのみ や写 真 家の制 作とは 微 妙にずれており、かといって近 を取り出す事が出来ないような存在、それが表面という 代版画家の制作方 法とも異なっています。おそらく彼の 存 在です。ポップアートが 残した可能 性の中心ともいう 技 法 の核を表 現する言 葉として、レイヤリングという言 べきこの表面の問題は、それ以後コンセプチャルアート 葉が最もふさわしいのではないか、と考えています。 やメディア系に接 続されていった歴 史 的 経 緯はありま 三宅 砂 織は、京 都 市 立 芸 術 大 学 で 版 画を学びまし すが、一方あくまでも可視化する事にこだわり続けた領 たが、当初、数ある技 法の中で彼女の興 味を捉えたの 域、それが版 画ではないか? という思いを捨てきれま はリトグラフでした。少女と暴力を主 題に多くのリトグラ せん。版 画とは、版という媒 介によってイメージを造り フを発 表しましたが、近年、フィルム上に描いたドロー 出すシステムですが、表面と言う不可視の存 在を、触覚 イングをフォトグラムの技法で印画紙に焼き付ける、独 性に置き (読み)換える事によって、視 覚化する事を企む 自の方 法を編み出し、彼 女の作品は大きく進 展しまし システムでもあるように思われます。美 術の問題として、 た。彼女の写真に対するアプローチは、デジタル処理と 同時に版 画の問 題として、論じ続ける価 値のある主 題 はほど遠い、きわめてアナログなそれ 、すなわち手 仕事 であることは間違いがありません。 による一貫 制作 です。創作版 画の制作作 法が、写 真と ■おわりに 結びついた興 味深いサンプルと言えるかも知れません。 この展覧会の出品者の作品を通して、前 提を共 有し 写真と手 仕事の一種アイロニカルな邂 逅、そのような意 ない国 外 の聴 衆に、日本の現 代 版 画の現 況を紹 介す 味 で、 Post modern printma k ing というカテゴライズ るという特 殊 性と紙 面の制 限を考慮しても、極めて大 の証 左と言えるかも知れません。 雑 把な文章となってしまいました。また文中には仮説と ■伝統技術の再評価 は言え、乱暴な決めつけが含まれてもいます。どの章を この言 葉 でカテゴライズしたい作 家は、宮 本 承司で とってみても、再度の検 証と慎重な論 証が 必 要である す。今 回の展 覧会 の出 品 者 の中 で、最も若 い23歳の 事を痛感し、反省するところ大です。その事を重々承知 作 家 です。大 阪 芸大 で 浮世 絵 の刷り師 でもある作 家、 した上であえて言い訳をさせて頂けるなら、今の日本に 一 圓 達 夫に木 版 画を学びました。日本という国にとっ 80 年代以降の版 画制作に対して、仮に Post modern て、伝統的な印刷技術と言えばやはり木版画、それも水 printma k ing なりの言 葉をあてはめて特 化し再 考しよ 性 絵具の板目木版と言う事になります。さきほど日本の うという気 運は感じられない事、それどころか、ほとん 近代 版 画、すなわち創作版 画 運 動の意 義として、浮世 どは注目が及びもしないという状況に対するいらだちと 絵 版 画との決 別を指摘しましたが、日本の版 画が 近代 「日本の版画といえば浮世絵」 的なクリシェに身を任 せ 化するプロセスにおいて忘れ去られつつあった木 版 画 て、オリエンタリズムの増幅に加担する事だけは避けた が、ここに来て様々な形で復活しつつあるように思えま いという焦りが 筆 者 の中に存 在したことをご理 解 頂け す。宮 本承司に代表される若い木 版 画作 家はその特 徴 れば幸いです。 として、大仰 ではない、極めて自然なマナー( 自然 体) 参 考文 献 ・ 『反 美 学』 ハル・フォスター 編 室 井 尚 吉 岡 洋 翻 訳 勁 草 書房 198 7 年 で木 版 画と取り組 んでいます。浮世 絵との 復 縁は、21 ・ 『版 画の 19 70 年代 』 展 カタログ 渋 谷 区 立 松涛 美 術 館 19 9 6 年 ・ 『 版 画 芸 術』 9 7 号 阿部出 版 19 9 7 年 世 紀に至って静かにかつ確 実に起こっている事を実感 ・ 『世界 版 画 史 』 青木 茂 監 修 美 術出 版社 2 0 01 年 させられます。 ・ 『 版 画 事 典』 室伏 哲郎 著 東 京 書 籍 1985 年 ・ 『大 学 版 画 学 会 学 会 誌 』 4 0 号 2 010 年 ■表面(皮膜性/触覚性) ・ 「版画・尖ったアートへと」中谷至宏 Redef ining the Multiple カタログ 2012 年 現代美 術の中で、版 画が 批評性を持つとすれば、イ 31 |研 究 報 告| はじめに 金沢 大 学は平成 24 年度、創 基 150 年を迎えた。 リトグラフでつくられた明治期の 医学解剖図 これ は文 久 2 年( 1862 )の加 賀藩 種 痘 所を本 学 医 学 類( 旧医学 部)の起 源とするもので、同 時に金 沢 −金沢大学資 料館所蔵の医学 教 示図から− 大 学の歴 史 が 金沢における近代医学の歴 史と軌を 一にすることも物 語っている。 前身 校の医学部などで 使 用されていた教 材は 本 学 資 料 館 および 同 学 医 学 部 記 念 館 が 所 蔵して い 金沢大学 る。このうち資 料 館 収 蔵 庫 内の資 料 整理において、 笠原健司 明 治期に使 用されていた医学 教 示 図が 再 発 見され た。これらの多くは人体解剖図であり、ドイツなどか ら輸入されたものに加え、国内で明治 24 年( 1891) に作られた《 成醫 学 校 蔵 版 人体局所 解剖図》(以 下、《 成 醫 学 校 解 剖図》)も含まれていた。 《成醫学 校 解剖図》は全 58 点中 30 点で、掛 図の形式をとっ ており、文 字通り人体の各 所を解 剖した図となって いる (f ig.1) 。 f ig.1《 成醫 学 校 解剖図》 〈 第十五図〉 本 資 料 は、金 沢 大 学 医 学 部 の 前 身 校 である第 四 高 等 中 学 校 医 学 部( 1887 ~ 1894 )、第 四 高 等 学 校 医 学 部( 1894 ~ 1901 )、金 沢 医 学 専 門 学 校 ( 1901 ~ 1923 )、金 沢 医 科 大 学( 1923 ~ 1960 ) において、使 用されていたものと思われる。輸 入さ れたものも含めて資 料館 所蔵の医学図の多くはリト グラフで 作られており、唯 一 国内で 作られた《 成 醫 2004 年 金沢大学大学院教育学 研究科 修了 2007 年 スペイン留学( 2011 年まで) 学 校 解剖図》は明治 20 年代の我が 国のリトグラフ 現在 金沢大学資料館学芸担当 印刷術の質を知る上で好 例である。 32 《 成醫 学 校 解剖図》は版 画による図 版 集だったの か、一 枚 ず つ 独 立した 版 画 集 だったのか、その 形 式についてもわかっていない。現 在確 認できている ものはいずれも体 裁 が異なるためである。本 研 究 報 告は、この 《 成醫 学 校 解剖図》が 使われていた背 景、 図 版 集の体 裁 、版 画 技 法、印刷 所などについて、そ の 特 徴を明らかにするものである。なお、本 研 究 報 告 の図 版は 執 筆 者自身によって 撮 影したものであ るが、そうでないものは図 版出典を文 末に記した。 1. 医学図と医学教育 f ig.2「受講中の看護婦」 ( 大 正期) 医学図が 使 用されていた背 景を見て行く前に、ま ずは、本 研 究 報 告 における医 学 図、解 剖 図、教 示 前 身 校 で 所 蔵されていたもの か 特 定 できない。し 図、掛 図といった言 葉の定義を試みる。本 論 で使 用 かし、これらの図が収められていた木 箱には、学生 する 「医学図」は、筋肉図、解剖図、骨格 図、動・静 による解剖図の彩色されたデッサン 7 点が 含まれて 脈 図、局所 解剖図、人体 裁 断図などを包含し、より いた。すべてのデッサンに個 人 名が 付され おり、明 広義な用語である。また、教 示図、掛 図は医学図と 治期の第四 高等 学 校医学部の卒 業者名簿からこれ は異なり、教 育用材料における用語である。前者の らの人 物 は 特 定 できた 。これらの デッサンの 多く 方 がより広 義で、学 校 の 授 業において教 師 が 指 導 には動静 脈および神 経、筋肉組 織が 描かれており、 2 のために使 用する視 覚 教 材を指 す。掛 図は 教 示 図 《 成 醫 学 校 解 剖図》を参 考にして描いたものと思わ の中 で 壁 面あるいは黒 板など垂 直な面に掛けて使 れ る。このことから、この 解 剖 図は少なくとも第 四 用する視 覚 教 材 である。掛 図の 形 状は主に掛け 軸 高等 学 校医学部で使 用されていたといえる。 状に巻かれたものと厚紙などに裏 打ちされているも 教 示図は写 真スライドすら普及していなかった明 のの二 種 類 が あり、両 者に共 通 するのは壁 面に掛 治 期において 視 覚 教 材として 極めて重 要な役 割を けるために紐が取り付けられている点である。 担っていた違いない。その多くは主にドイツから輸 さて、医学図はどういった場面で使 用されていた 入された、あるいは持ち帰られたものである。現 在 のであろうか。明 治 34 年( 1901 )の 金 沢 医学 専 門 確 認され 、登 録されている医学図の総 数は 215 点、 学 校の授 業 時間割 には、生理学、病理学、薬 物学、 うち輸 入された版 画の医学 図は 50 点、国内で作ら 内科 学、外 科 学、眼科 学、産 科 学 婦人 科 学 等 々に れ たものは《 成 醫 学 校 解 剖 図 》の 30 点となってい 先んじて解 剖 学 が 記されている。同時 間 割からは、 る。リトグラフの医学 図は多 版 多 色のものと黒の 線 解剖学が主に一・二年 次に開 講されていたこともわ 画に手 彩色のものがある。215 点の中には手 書きの かり、医学を学ぶ上で基 礎的な分 野であったことが 教 示 図も非 常に多く、これらの 作 者は国 内の 絵 師 わかる。また、理 論に関しては一 年 次に行 われ 、実 によって描かれたものである。技 法 の内 訳 からみて 習は 二 年 次に行 われていた。前 後 の 年 次の時 間 割 も、 《 成醫 学 校 解剖図》は、 「国内」で作られた「 リト も可能なものは 参 照したが、小さな 違 いこそあれ 、 グラフ」の 解 剖 図という、非 常に稀な資 料であるこ ほとんど同 様 のカリキュラムが 組まれていた。医学 とがわかる。 1 図 教 示 図はこれらの 講 義を通して使われたはず で あるが、おそらく初 年 次の学生たちがはじめて解剖 2《 . 成醫学校解剖図》の旧蔵者と図版の体裁について にふれる時に活用されたに違いない。また、医学 解 金沢 大 学 所蔵《 成 醫 学 校 解 剖 図》の調 査に取り 剖 図 が 掛 図として 利 用されていた例も大 正 時 代 の かかった時期に、 「成醫 学 校」が現 在の東 京 慈 恵会 写真 (f ig. 2 ) から参照することが できる。 医科大 学( 以下、慈 恵 医 大 )の前身 校 であることが 実は《 成醫 学 校 解剖図》には蔵 書 印がなく、どの 判 明し、当 地 で 調 査を行った。慈 恵 医 大は明 治 14 33 年( 1881 )に高 木 兼 寛によって 設 立され た 成 医 会 形式 、材質等を述べる用語として用いる。 講 習所にはじまる医学 校 であり、明治 15 年には解 金沢 大 学 資 料 館 所蔵《 成醫 学 校 解剖図》は版 画 剖 実習 の 授 業 を行 っている。学 校 教 育における解 と説明書きが下地の紙に貼られ 、厚紙で裏 打ちされ 剖 学 の歴 史としては非 常に早い時 期の出 来 事 であ た、掛 図の 形態となっている。下地の紙は簀 の目の るが、この 学 問 の充 実 をは かるために解 剖 図 集を ある和 紙で、版 画と説明文の紙は洋紙であると判断 作成し、生徒に配 布したという事 実も極めて重 要で できる。裏 打ちは黄土 色の厚 紙でなされている。ま ある。 た、四 辺は 製 本 用と思われる茶 色の 紙で 補 強され 慈 恵医科大 学は貴重資 料を史 料室で 管 理してお ており、上 部にはハトメがはめられ 紐 が 通されてい り、 《 成醫 学 校 解剖図》もここに収められている。 る。これは現 存する 30 点全てに共通している。(f ig. 3 ) 慈 恵 医 大 は《 成 醫 学 校 解 剖 図 》を 2 点 所 蔵して い るため、便 宜 上、これらを《 成醫 学 校 解剖図・慈 恵 3 4 A 》、《 成醫 学 校 解剖図・慈 恵 B 》とする。ここでは、 金沢 大 学 資 料 館 所蔵および 慈 恵 医 大 所蔵の《 成 醫 学 校 解 剖 図》を、旧蔵 、体 裁の面から比 較を行い、 その特 徴を明らかにする。 旧蔵について fig.3 金沢大学資料館所蔵 《成醫学校解剖図》の上部に取り付けられた紐 金沢 大 学 資 料 館 所蔵《 成醫 学 校 解剖図》は既 述 した 通り、四 校 時 代 の蔵 書 印 が ない。移 管 元 が 金 慈 恵医大 所蔵の《 成醫 学 校 解剖図》は 2 点とも全 沢 大 学医学部(現医学 域)であるため、旧蔵 者は同 58 図 が そろっている。 《 成 醫 学 校 解 剖 図・慈 恵 A 》 学部となる。 (f ig. 4 ) は 右 開きではあるがくるみ 製 本の洋 綴じ本 で 一方、 《 成醫 学 校 解剖図・慈 恵 A 》、同 B は、共に ある。状 態は非 常に良く、紙 の 変 色も少ない。見 開 同じ寄贈者の名刺が貼られている。この人物は広島 きの左 側に説 明 書きが、右側に図 版 がそれぞれの の開 業医であり、慈 恵医 大卒 業の医学 博士である。 ページに貼付けられている。最後のページには奥付 名 刺 には マ ジックと思 わ れ る筆 跡 で「 寄 贈 原 色 も貼られている。 5 石 版 刷 解 剖 図 譜 小 生の 父 ● ● の所 持 品( 明 28 年)」とある。 「 明 28 年」は 明 治 28 年 であるは ず だ が、これ が 何を指すかは不明である。また、補 足で あるが、 A・B はそれぞれ慈 恵医大の登 録 時期が異 なり、別 所 に 収 蔵されていた可能 性 が 高い。 《成醫 学 校 解 剖 図》は、いずれももともとは個 人 蔵であっ たものしか見つかっていない。成医学 校が 学生のた めに参 考 図 集として 配 布したことを前 提とすると、 金 沢 大 学 資 料 館 蔵の《 成 醫 学 校 解 剖 図 》も、成 医 学 校 出 身 者 が 金 沢 にて第 四 高 等 学 校 医 学 部 に寄 贈したものとも考えられる。なお、成 医学 校 出 身の 医学部 教員の有無は現 在確 認できていない。 f ig.4《 成醫 学 校 解剖図・慈恵 A》の見開き 図版(集)の体裁について 一方、 《 成醫 学 校 解剖図・慈 恵 B 》(f ig.5 ) は非常に 続いて、金沢 大 学 資 料 館 所蔵と慈 恵医 大 所蔵の 珍しい 体 裁 で、蛇 腹 状に折られた紙に図 版 が 貼 付 《 成 醫 学 校 蔵 版 人体 局 所 解 剖 図 》の 体 裁につい けられている。中 央 部 には「 成 醫 学 校 蔵 版 實 地 て比 較を行う。ここで言う体 裁とは教 示図・製 本の 解 剖 圖 藤 田 和 太 郎」と書 かれた紙 が 貼られてい 34 る。現 在 確 認されている《 成 醫 学 校 解 剖 図》は 3 点 だが、いず れも体 裁 が まちまちである。しかし、版 画と説 明 書きの 紙のサイズは 3 点とも同じであるた め、オリジナルの体 裁は綴じられた本の体 裁をして いたわけではなく、ばらの図 版と説明文をなんらか 6 のケースに入れた状 態であったと仮 定される 。この 医学 図の所有者は、各々が用 途に合 わ せて図 版の 体 裁を変更している。非常に自由度の高い資 料とい えるが、美 術品と異なり、実 用性の高い図 版である ため、このような 使 われ方 が なされ たといえる。金 沢の旧制高 校 では掛 図に、慈 恵医 大の卒 業 生は洋 綴じ本として活 用したのである。ただ、高い 写 実 性 と正 確さを 兼 ね 備えた貴 重 な 図 版であったことは 確 かで、いずれの図 版もトリミングや 分 離 などはな されず、丁寧に再 構 成されている。 f ig. 6《成医学校解剖図》 〈 第一図〉 ( 部分) 図版 ている色はおそらく 5 色で、図 版の下地として薄い黄 (あるいは 黄 )、描 画 線 の黒、動 脈および 筋 肉 組 織 図版 などに赤、静 脈は青、皮 膚の内側あるいは脂肪 部分 に黄( 下地 の 色と同じ可 能 性もある)、そして 神 経 表紙 組 織 や皮 膚 表 面のハイライト部 分 の白である。黒、 赤、青にはリトチョークを、黄と白には解 墨のような 材 料を使って製 版している。例えば《 成醫 学 校 解 剖 図》の〈第三図〉を例 f ig.5《 成醫 学 校 解剖図・慈恵 B》の体裁と表 紙 (f ig. 7, 8 ) にとってみると、静 脈に 青 が、筋 肉 部 分に赤 が、細い 神 経 組 織と皮 膚のハ 3 . 版画技法 イライトに白、めくれ上 がった皮 膚の内 側に黄を用 で は、明 治 24 年 に 出 版 され たこの《 成 醫 学 校 いている。下地は f i g. 6 でも参 照できるが 支 持 体 の 解 剖 図》はどのような技 法 で つくられているのであ 色ではなく薄い黄である。 ろうか。図 版のイメージ サイズは 長 辺 33 . 2 c m 、短 辺 23 . 2 c m となっている。慈 恵 医 大 では「 縦 一尺 三 寸、横 一尺 」と説 明しているが センチに換 算すると 49 . 27c m × 約 37. 9 c m となり、ペーパー サイズ を指 す。図版番号および「東京京橋區元数 寄屋町泰錦堂 石印」は図の外に、 「 成醫 学 校 蔵 版 」は図の中に刷 られている。 (f ig. 6 ) これらは版の中に書 かれていると いうよりは活 版 印刷を組み合わせているとするほう 7 が 妥当であろう 。 横 位 置の図 版は 21 図、縦 位 置は 36 図となって おり、基 本 的には胴 体 部 分 や脚 部など 縦 構 図のも のは縦 位 置に、手の 平など表 裏の図が 必 要な場 合 f ig. 7《成醫学校解剖図》 〈 第三図〉 は左 右に並べて横位 置となっている。刷りに使われ 35 部の図〉(f ig.9 ) を比 較すると、前者は頭と首のバラン スに少々違 和感があるが、見事な複 写であるといえ る。エリスの図 版は支 持 体 の 紙 に皮 膚に 近 い 色 が 使 われており、ハイライトは白インクで 刷られてい る。 《 成 醫 学 校 解 剖図》にベースカラーとして薄い黄 が 使われているのは、エリスのオリジナル のコンセ プトをそのまま使 用する為の工夫であり、ハイライト も同様であるといえる。(f ig.10 ) f ig. 8《成医学校解剖図》 〈 第三図〉 ( 部分) 慈 恵 会 医 科 大 学 のホームページには「 エリス 氏 の 局 所 解 剖 図 の 着 色 石 版 刷 五 八 図( 縦 一 尺 三 寸、横 一尺を 泰 錦 堂の 精 巧な技 術 により複 写した もの)を成 醫 学 校 蔵 版として発 行し、学 生 の 参 考 8 に 供 し た。」とあ る。既 に 述 べ た が、一 尺 三 寸 は 49 . 27c m 、一 尺 は 約 37. 9 c m で あ る。こ れ は 紙 の サイズであるが、和 紙 サイズにこれと似たものはな い。イメージサイズを見ると縦 33 . 2 c m 、横 23 . 2 c m とな っており、和 紙 の サイズ で いう半 紙 版 24 . 2 × f ig. 9《成醫学校解剖図》 〈 第 21 図〉 ( 左 ) とエリス 〈顔面部の図〉 ( 右 ) 33 . 2 c m に近い。 《 成醫 学 校 解剖図》は 「エリス氏の」複 製を行った ものであるとされている。このエリスなる人物はイギ リスの解剖学者ジョージ・ヴァナー・エリス G e or g e Vi ner E l l i s( 1812 - 190 0 )のことで、彼の《 等 身 大 彩色 解剖図集》I l lu s t r at ion s of d i s s e c t ion s: i n a s er ie s of or i g i n a l c olore d pl ate s t he si z e of l i fe ( 1867 )が 複 製 のオリジナルとなっている。エリス f ig.10《成醫学校解剖図》 〈 第 21 図〉の部分 ( 左 ) と はイングランドのグロスタシャー、ミンスターワース エリス〈顔面部の図〉の部分 ( 右 ) で 生まれ 、カテドラル・グラマー・スクールなど で 学び、グロスタシャーのブチャナン 博士に弟 子入り 4 . 印刷について し、パリやベルリンでも学び、自国に戻った後はリ 《 成醫 学 校 解剖図》を印刷したのは図 像の右下に チャード・クワイン教 授のもとで 解剖学の実習助手 銘 が ある通り、泰 錦 堂 石印という石印 印 刷 所 であ となる。1850 年には解剖学の教 授の職を得、1877 る。 《 成 醫 学 校 解 剖 図・慈 恵 A 》に貼 付けられてい 年には名 誉 教 授となっている。 下絵自体はジョー る奥 付を見ると、住 所は「 東 京 京 橋 區 元 数 寄屋 町 ジ・ヘンリー・フォード ( 1809 - 1876 ) が 描 いてい 二丁目十三番 地 」とあり、これは現 在の 銀 座 五丁目 る。 《 等 身 大 彩 色 解 剖 図 集 》は 1882 年 に ニ ュー にあたる。責任者の名前は「 小島 長 蔵 」で、発 行 者 ヨークでも再 版されるほど好 評を得た。 は 「 東 京 芝區愛 宕 町二丁目十四番 地 成醫 学 校改メ エリスの図 版のうち、 《 成 醫 学 校 解 剖 図》と比 較 東 京 慈 恵 醫 院 醫 學 校 代 表者三宅宅 三」とある。成 する為に確 認できる図 版は多くないが、ベンジャミ 醫 学 校 および 東 京 慈 恵 醫 院 醫 學 校は 慈 恵 会 医 科 ン・A・リフキンによる『 人体 解 剖 図 人体の謎を探 大 学の前身校 であるが、成醫 学 校は明治 21 年から る 50 0 年史 』に掲 載されている図 版と比 較 すると 同 23 年までの 1 年 9 ヶ月ほどの 短い 期 間の名称 で 明 確になる。 《 成 醫 学 校 解 剖 図 》と、エリスの〈 顔 面 ある。 《 成 醫 学 校 解 剖 図 》の 発 行 年 は 明 治 24 年 で 9 10 36 図版出典 あるため、企 画・制 作の開 始 段 階 では成 醫 学 校 で あったが、発 行段 階 では東 京 慈 恵 醫 院 醫 學 校と名 f ig. 2 :「 受講中の看護婦」, 金沢大学資料館 . f ig. 9 右 : 注 10 , p. 290 . 称変更されていたため、図 版には成醫 学 校の名が、 奥 付には「 成 醫 学 校 改 メ東 京 慈 恵 醫 院 醫 學 校 」と 脚注 されたのである。 泰 錦堂石印は大日本 印刷の前身である東 京秀英 1)「 明 治 34 年 1 月以 降 授 業 時 間 割 」 資 料 番 号 200302101278 , 金沢大学資 料館 . 舎の石版部門として明治 18 年 ( 1885 ) より営 業して 2)「 明 治 38 年 5 月 ( 自明 治 25 年 至 明 治 43 年 ) 入 学 志 願 者 名 簿 いる。なお、秀英舎自体の創業は明治 9 年 ( 1876 ) 、 金 沢 医学 専 門 学 校 」 資 料 番 号 200302101285 , および「 明 治 21 年 11 ~大 正 10 年医学部生徒 増減一覧表」資 料 番号 200302101434 . 共 活 字 の 鋳 造 は 明 治 15 年 ( 1882 ) に 開 始して いる 。 に金沢大学資 料館 . 泰 錦 堂の設 立について、 『 大日本 印刷百三十 年史 』 3) 蔵 書 印:「 東 京 慈 恵 会 医 科 大 学 , 874 , 1991 , 11 . 1 , 医 学 情 報 セン で は、購 入 され た 石 板 は「 美 濃 判 の 石 版 石 7 枚、 ター史 料室」 「東京慈恵会医科大学 , 2272 , 98 . 3 . 31, 医学情報センター 4 ) 蔵書印 : 柾 版 の 石 版 石 12 枚、彫 刻 石 版 用 の 石 1 枚 を 備 え 12 史料室」 13 た。」として いる 。印 刷 機 、つまりプ レス 機 はこの 5) 個人情報のため公開しない。 6) 東 京 大 学 総 合 研 究 博 物 館「 学 問 のアル ケ オロジ ー」 展 の 図 録 後 の 明 治 21 年 4 月に英 国 製 四 六 四 截 判 掛 の印 刷 にも《 成醫 学 校 解剖図》が 掲載されているが、個人の所蔵の ( 1997 ) 14 機も導入しており 、 《 成醫 学 校 解剖図》はこの印刷 ため調査は不可能であった。 機あるいは初 期投 入された内国 製 手引石版 印刷 機 7 ) 泰 錦 堂石印は大日本 印刷の前身である秀 英 舎 の石印 部 門である が、この部門が できる前に活版 鋳 造 部門として製文 堂という機 関も立 で 印 刷され たのであろう。明 治 初 期には 大 政 官正 ち上げている。秀英舎は活版 鋳 造と石版印刷の技術を自社に持つこと 院 印 書局 や 陸 軍参 謀 本 部といった公 的 機 関 や、松 で効率的に印刷を行っていた。 8) 慈恵会医科大学 HP(URL:http://www.okabelab.jp/history/indx.ht 田緑 山、梅 村翠 山といった人物によっていくつかの ml)より . 優れた石版 画が 制作されていたが、明治 20 年代に 9) イングランド王 立外科医師会 HP 内の同医師会会員伝記の電子版 入っても印 刷 業 界では 稚 拙であったとされており、 Plarr's Lives of the Fellows. (http://livesonline.rcseng.ac.uk/biogs/E001608b. 石版による図 版の印刷 技 術 量あるいは技 術の向上 htm) 10) ベンジャミン・A・リフキン他著 , 松井貴子訳『人体解剖図 人体 15 が急 務 であったことは間 違 いなかったようである 。 の謎を探る 500 年史』 2007, 二見書房 . 泰 錦 堂 石印 の 設 立はこうした状 況を 受け たもので 11) 前述した《 成醫 学 校 解剖図》の図 版内の文 字はここで 述べた活 版印刷の会社、つまり製文堂で印刷された可能性が高い。 あり、 《 成醫 学 校 解剖図》を見る限り、明治 20 年代 12)『大日本印刷百三十年史』大日本印刷株式会社 , 2007, p. 22 . 13) ただし、島屋 政一 著『印刷文明史 第四 巻』( 1980 , 五月書房 .) にはその技 術力は非常に高くなっていたと言えるだ の 2436 ページでは、 「(前略)内國製手引石版印刷機二臺 及び美濃判、 ろう。 柾 版の石版石二十面を購入して石版部を置き、之を泰 錦堂と稱した。」 と記述されている。 おわりに 14 )『大日本印刷百三十年史』 , ibid. 15) 島屋 , ibid. 《 成 醫 学 校 解 剖 図 》は 模 写され た医学 図の 一 つ ではあるが、非 常に写 実 性 が 高く、写 真 前 夜の 実 用的 な図 版としては 極めて高い 技 術 が 使われてい る。明 治 20 年 代というと洋 紙 の 生 産も増 大し、新 聞の発 行 部 数もうなぎ上りであり、技術 革 新の時期 であった。本 資 料はそうした時 代のさまざまな技 術 力が 凝 縮された図 版といえる。M R I も C T スキャン もなかった時 代に、医学生たちはこの精 巧に作られ た解剖図に見 入っていたのではないだろうか。また、 森 鴎 外 の 例をとるまでもなく、この時期の解剖図は 美 術 の 分 野にも少なからず 影 響を与えたに違いな い。 37 |研 究 報 告| はじめに 本 研 究 報 告 は、2012 年 4 月 神 奈 川 県 相 模 原 市 に 社会連携事業における版表現制作の 開設された 「アートラボはしもと」における、東京造 形大 事例報告 学の社会 連 携事 業について、同大 学 教員の生嶋順理、 アートラボはしもと「おハながらート・プロジェクト」 佐竹 宏樹との共著によって執筆される。 第1部では生嶋が、産官学連 携としての施設「アート 東京造 形大学 ラボはしもと」設 立の経 緯及び運営の報告と、東京造 形 生嶋順理 大学の学部・大学院における専門を横断した新しい教 育 課 程について述べる。第 2 部では佐 竹 が、版 表 現を 東京造 形大学 用いた社会 連 携事 業の事 例として、本 施 設 企 画「 おハ 佐竹 宏樹 ながらート・プロジェクト」について、制作ドキュメント 及び 版 表 現を用いた社会 連 携 事 業の教 育 的 効 果につ いて報告する。 第 1 部 産官学連携美術施設「アートラボはしもと」 「 アートラボはしもと」は、JR横 浜 線 橋 本 駅 から徒 歩 10 分 程 度の距 離にある。大 型ショッピングセンター 「 アリオ橋 本」と高層マンションに隣 接し、その高層マ ンションの販 売 センターを再 利用した新しい美 術 施 設 である。所在する相模原市と近隣 4 つの美術系大学(多 摩美 術 大学、女子美 術 大学、桜 美林大学、東京造 形大 学)が運営に参 画し、将来の美 術 館 構想を具体化する 先 進 的、実 験 的な事 業を実 施することにより、美 術 館 運営に必 要な知 識 や 経 験を蓄 積するとともに、アート によるまちづくりを目指している。 施設の経緯 相模原市における美 術 館等の文化 施設の整 備は、市 左から:諏 訪 敦 彦( 東 京 造 形 大 学 学 長)、 五十嵐 威 暢( 多摩 美 術 大 民からの要望とともに相模 原市の施 策である相模 原市 学 学長)、加山俊夫(相模 原市長)、横山勝 樹(女子 美 術 大学 学長)、 総合 計 画の 早い段 階 から検 討されてきたことである。 大 越孝(桜 美林大学副学長)※敬 称略 2008 年 7 月、日本金 属工業 株 式会社の土地 提 供の申 し出により、その移転 跡地に美 術 館を建 設する構想が 生嶋順理 東京造 形大学造 形学部美術学科卒業 起こる。これ に伴い 相 模 原市 美 術 館 検 討 委員会 が 組 1987 年 東京芸術大学大学院美術研究科 修了 1986 , 88 , 91 年 クラコウ国際版画ビエンナーレ ポーランド 織されているが、美 術 館を整 備する構想の具体化と予 2008 09 年 和紙の様相 パリ、ブリュッセル、東京 現在 東京造 形大学教 授 1985 年 算の確 保には期間を要する事 態であった。美 術 館が 整 備されるまでの期間( 5 年間を予定)、その美 術 館構想 を実 験的に進めていくために、同用地に仮設としてあっ 佐竹宏樹 1996 年 東京造 形大学造 形学部美術学科卒業 1998 年 長崎大学大学院教育学 研究科 修了 2011 年 たマンションギャラリーを三菱 地 所 から無 償 で 譲り受 け( 2011 年 3 月)、改修工事の後、ここを拠 点として活 IN JAPAN 英国王立スコットランドアカデミー イギリス 動を始めていくことになる。そこには、先の美 術 館検 討 アーティストインレジデンス / 第 16 回セル ベイラビ 委員会からの提言 書 ( 2009 年 3 月)にある、美 術 大学 1 エンナーレ ポルトガル 2012 年 第 6 回ドウロ国際版画ビエンナーレ ポルトガル 現在 東京造 形大学特任准教 授 に囲まれた橋本 地区の特 性を活かした、美 術 大学との 連 携によるまちづくりが基 本方針となっている。 38 施設の概要 の維 持費は相模原市が負担し、それぞれの事業につい アートラボはしもとは、マンションギャラリーをそのま ては、主体となるものが負担する形態になっている。 ま再 利 用していることから、一 般 的な美 術 館やギャラ 施 設には学 芸員 1 名と美 術 専 門員 3 名がおり、展 示の リーのホワイトキューブ 的 展 示 空 間とは全く違う性 格 企 画や実 施を作 家と協 議しながら行っている。作品を の空 間を持っていることが 特 徴 的 である。大 開口の窓 展 示するだけでなく、どのように来 場 者 が 作 品と触れ と高い天 井 を持 つアトリウムやスタジオ、30 名ほどが 合うのか、来 場 者 が 参加できるワークショップや 講 演 定員のシアターや 会 議 室、作 業 室の 他、2 階には隣に 会などは事業企画の重要な部分でもある。 建 つ高 層マンションのモデルル ームが 3 軒並ぶ。絵 画 開設されて 1 年ほどが 経つが、その運営 方 法につい や立体、映 像やパフォーミングなどの展示活動もできる ては未だ模索中の部分 が大きい。市と大 学が 協同し事 が、モデルルームという日常の疑似 空間があることは、 業を進めていくことには多くの問 題 点がある。それは、 ここでの活動の可能性の幅を広げている。 地方自治体、教育法人、企 業体などの個々の目的や制 「アートラボはしもと」 所在地:神奈川県相模原市緑区大山町 1- 43 度、活動方 法の差異が大きいことによる。しかしながら 敷地面積 2 , 679. 82 平方メートル 建物面積 1, 772 . 64 平方メートル それぞれの場が 抱える閉塞した状況を経て、その経 験 2 ( 1 階:961 . 92 平方メートル、 2 階:810 . 72 平方メートル) から共 有できる考えが生まれていることも事 実である。 他 者の問 題と考えていた分 野にも目を向け、相互理 解 と協同への思考と活 動の必 要性は、このような美 術 活 動の場面でも現れているのである。 |これまでの主な開 催事 業| ・アートラボはしもと企画オープン記念事業「はじめましてアートラボ」 2012 年 5 月 3 日(木)∼ 6 月 24 日(日) ・東京造形大学付属美術館企画「人がいっぱい」 2012 年 7 月 6 日(金)∼ 7 月 22 日(日) ・アートラボはしもと第 6 期学生企画「ぞっこんの法則」 2012 年 8 月 4 日(土)∼ 8 月 26 日(日) ・アートラボはしもと企画 「風景観 見逃した世界・ここにある世界」 2012 年 9 月 8 日(土)∼ 9 月 23 日(日) ・アートラボはしもと企画 「ギャラクシーラブ 科学もアートも宇宙がスキ」 2012 年 10 月 18 日(木)∼ 11 月 25 日(日) ・東京造形大学大学院造形プロジェクト「 Resonance 共鳴」 2012 年 12 月 15 日(土)∼ 12 月 25 日(火) 東京造形大学の学部教育課程におけるハイブリッド科 目と大学院造形プロジェクト科目における専門性の領 域横断による教育について 東 京 造 形 大 学 が 2011 年 度 から開 講しているハイ 施設の運営 ブリッド科目は、領 域を横 断した学習 やさまざまな交 アートラボはしもとの開設に先立ち、2012 年 3 月、相 流を通して、新たな価値を創造することを目的とした科 模 原市と近 隣 4 つの大 学( 多摩 美 術 大 学、女 子 美 術 目群である。それまでの教養的あるいは初年 次教育的 大 学、桜 美 林 大 学、東 京 造 形 大 学)において、市と大 内容の総合教育ではなく、大学の各専 攻の専門性を軸 学が 相互に支 援協力を行う基 本 協定 書が 締結された。 として、学生が 各専 攻の 領 域を越えてその教員から専 この協定 書に基づき 「アートラボはしもと事業 推 進協議 門 的内 容を学べることに教 育の目的 がおかれている。 会」が 設 置され 、この施 設の事 業 計 画の 企 画・立 案、 従ってこのハイブリッド科目では、学科や専 攻、学年を 実 施 調 整、報 告などを行っている。事 前の協 議では予 越えて履修した学生と教 員が出会うことから新たな人 算運営が最も困難な問題 点であったが、現 在では施 設 の交 流 が 生まれている。また、大 学 院における造 形プ 39 ロジェクト科目では、大学の専門性を広く社会との連 携 に、当 施 設アトリウムガラス壁 面( W 16 の中で 実 践していく内 容を持っている。この 造 形プロ 紙で覆い、人物シルエットをステンシルで描 画する。ガ ジェクトでは、専 攻の区 別なく複 数の教 員が 複合 的に ラス越しに光が透 過され 、室内へはステンドグラスをイ 科目を担当し、履修する大 学院 生も専 攻と学 年の区別 メージした色 彩空間が現れ 、また日暮 れからは室内の はない。このような大学の取り組みは、今日の社会の変 ライトが屋 外へ、制作 進行のショーウインドーとしてイ 動に対応した社会 連 携を目指した領域 横断による学際 ンフォメーションされる。 化と専門の自己変革の必 要性から行われているもので モデルとなる 「家族像」の環境的背景は、かつての工 ある。 業地帯から開発に伴う大 型ショッピングセンター、高層 専門 領域を横 断し、さまざまな人の交流も生み出す マンション、公園など全てが新しい振興住宅地のバック ハイブリッド科目と、学 外での社会 連 携の活 動を行う グラウンドを内包している。社会 連 携を担う本プロジェ 造 形プロジェクトが 複合的に作用する。それは、大学と クトにおいては、アートによる「個人」 「家族」 「市民」を しての各 領 域の専 門 性を主軸としながら、その 領 域を 社会構 造とした「社会とのつながり」を見いだすことに 横 断することで生まれる新たな交 流 関 係を築き、本 学 命題がある。 の独自性を持った社会 連 携活動に展開していく。 「 この『 社 会とのつながり』をもう少し詳しくいうと、 本 学は「 アートラボはしもと」を拠 点とした社会 連 携 こんなことです。 『 自分 の身の回り以外にも見 知らぬ多 型の美 術 活 動を、相模 原市ならびに他 大 学と協同して 数の人々が 確かに生きていて、そして彼らもまた自分と 行う協定を締 結している。大 学が 社会との積 極 的 連 携 同じように喜んだり困ったりしながら生きている』、一言 を行う活動には、学内の専門 領域を横断した人の関係 でいえば、見知らぬ人々との共存感覚とでもいうべきも が必要となる。従って、ハイブリッド科目と造 形プロジェ の。」とは、哲学者、西研氏が 社会 学者、菅野仁 氏との クトの教育的効果が発揮されるのである。 対 談で 述べた社会とのつながりへの認 識であるが、氏 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 H 6 m )を和 4 3 は続けて「社会の存 在を信じ、そして社会が - 見知らぬ 人々との生活の条件が -より好ましいものであることを、 第 2 部 アートラボはしもとオープン記念事業「 はじめ 4 ましてアートラボ」における「 おハながらート・ やはり望んでいる。」と自身の活 動を振り返る。 「 一人ひ プロジェクト」の事例報告 とりが自分の社会像、つまり、 『自分と他者、自分と社会 展示概要 とはどのように関わっているか、また関わっていけばよ 本事 例報告「 おハながらート・プロジェクト」は、佐 いか』という見取り図を形 づくっていく必 要がある。」と 竹 宏樹が 相模 原市より制作要請を受け、東京造 形大学 いう氏の主張は、そのままアートに置き換えられないで との連 携を軸に展開するアートプロジェクトである。 あろうか。自分と他者、自分と社会との関わりをより好ま 施 設 近隣の児 童公園に集う子ども達、家族をモデル しいものであることを望む。アートはそういった 幸 福 5 「おハながらート・プロジェクト」館外からの夜景 40 な 理 想 像を見 取り図に描くこともできる。しかしコン セプトと作品が 不断の「場所」に従 属する事 象=サイト 4 4 4 4 4 4 4 4 スペシフィック・アートにおいては、一回性的且つ同時 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 間的な幾つかの共有「体験」が必要ではないだろうか。 プロセスの共 有( 共同制 作)と開 示( ワークショップ) はこれらサイトスペシフィックを満たす必 要十 分 条 件と して提示される。 本プロジェクトにおける制作プロセスは大きく二つに 版入れ替え 分けることが できる。ひとつは、会期オープンまでの人 物シルエット(ステンシル版)の作成、もうひとつはオー プンから定 期的に開 催のワークショップを通じた来場 者による作品参加である。プロセスを介して、制作者 (内 側)と鑑 賞者(外 側)の両面からアプローチ可能な「場 所」を創造することに、本プロジェクトの特 性がある。 制作プロセス プロジェクト遂行においては、本学教員の生嶋順理、 木下恵介 協力のもと、ハイブリッド科目教員・村 林基 、 松本三和、絵画専 攻 助手・西平 幸太をプロジェクト・メ 吹き付け ンバーに、 OB 、学生ボランティア・スタッフ(美 術・デ ザイン学 科を横 断した幅 広い専 攻 領域からプロジェク トに賛 同する学生有 志)を集い、延べ 100 名を越える 人材が 携わった。地元 業者協力で足場が 設 営され 、人 物シルエット(ステンシル版)の作成は、メンバー指導の 下、主に OB 、学生ボランティア・スタッフで行なわれた。 版 撤去 ワークショップ 会期中開 催のワークショップを通じて来場者は作品 制 作 へ 参加することが できる。来 場 者は折り紙による 紋切り型を作り、描かれた人物シルエットへコラージュ ステンシル版作成 していく。本プロジェクトにおいては、そこで暮らす人々 制作プロセス がモデルとなり、その家 族、友 人 が 作品制 作 へ自由に 1 . 足場設営、養生 2 . 和紙裁断、ガラス壁面貼り込み 3 . 原画制作、拡大コピー 4 . ステンシル版作成、切り回し 5 . 版貼り込み 6 . 1 層目(背景遊具)版 抜き、絵の具吹き付け、版戻し 7 . 2 層目(人物)版 抜き、絵の具吹き付け、版戻し 8 . 3 層目(近景人物)版 抜き、絵の具吹き付け、版 撤去 9 . 紋切りワークショップ開催 10 . 来場者作成の「花紋」を会場にコラージュしていく 参加できる。 計 9 回、約 100 名の来場者によって、ワークショップ 終了時には 600 枚を越える「花 紋」がコラージュされ 、 日に日に会場を彩っていった。 ワークショップで採 用した 「紋 切り型 」は、江 戸時 代 から継 承される日本の伝 統的な遊びで、紙を三つ、あ るいは五つに折って型 紙 通りに切り抜き、そっと広げ 41 ボランティア・スタッフの募 集に際しては、大 学を離 れ、それぞれの学生が主体的に活動に参加する機会と して、本プロジェクトのコンセプトを学内有 志へプレゼ ンテーションした。参 加は任 意 である旨、時 間 的 拘 束 は無いが、金 銭 的 対価あるいは単位は望まれない。そ れ にも関 わらず多くの OB 、学 生 が 本 プ ロジェクトに 携わった。参加の呼びかけを要約すると「新しくできる アートラボで、見たこともないものを一緒に作らないか」 紋切りワークショップ である。 「 見たこともないもの」を造るので、そのプロセ スもきっと「 見たこともない」ものになる。 「 一 緒に作ら ないか」といった、純粋で、誠 実な創造の動機に基づく。 では、アートにおけるボランティアリズムとはどのよう に機能するべきであろうか。 「花紋」貼り込み れば 美しい紋が現れる。現 在では紋に限らず自由なデ ザインを切り紙する「 切り絵」として、小 学 校 教育でも 有用な図工教 材として活 かされている。本ワークショッ 学内プレゼンテーション プ では、参加 者それぞれ が、自由なデザインで花を見 ボランティアの定 義としてしばしば自発 性、無 償 制、 立 てたオリジナルの 紋を作る。親 子でも、友 人 同士で 公共性が 3 原則として挙げられる。 も、何度でも、ワークショップ開催時はいつでも参加で 「 つまり、ボランティアとは『自らすすんで、ほかの人 き、完 成した「花 紋」は会 場の好きな「場所」へコラー や社会のために、見 返りをもとめないで行う活動』とい ジュすることが できる。館外からガラス壁面の人物 像の うことができる。」- 新谷弘子 中に、自ら作成した「花 紋」を探すのも楽しみのひとつ 社会 連 携事 業である本プロジェクトは、着想 段階か である。共同制作によるプロセスは、制作 者(内側)と らボランティアリズムに則って展 開されている。上記ボ 鑑 賞者( 外 側)の関 係を時に入れ 替え可能にし、創 造 ランティアの原則に従えば、プロジェクトの目的は公共 の「場所」を内外両面から立ち上げ、自らの手でサイト 性、つまり 「 ほかの人や社会のために」あるといえよう。 スペシフィックを補完する。 作 品は会期 終了と共に解 体され 、プロジェクトの 一 回 不 特 定多 数の人々が 交 差する環 境を作 品 化 する本 性が 約束される。とはいえ、その「社会」が理 想的で共 プロジェクトは、アートの生 成のプロセスをそこに暮ら 有できるか否かが、ボランティアとの共同制作と来場者 す人々と共 有することで、同時 代を共に生きる、お互い とのワークショップを有意 義にするための 最も重 要な の存在を尊重する関係性の在りようを示している。ワー 動 機に思われる。本プロジェクトにおける 「 家 族 像」の クショップを通じて、他 者に( あるいは隣人に、そして イメージは、地域的な「場所」が、アートを介することに 4 4 4 4 4 6 4 見知らぬ人々に) 「 花を贈る」行為には 幸福な メッセー よって理 想 的な「 社会とのつながり」のモデルとなり得 ジが込められている。 ることを望むものである。アートは「 幸福な 理 想像を 版表現を用いた社会連携事業における教育的効果 見取り図に描く」といった、社会に向けて有意義でポジ ここで、社会 連 携事業における学外の教育的効果に ティブな思想においてのみ、ボランティア足る条 件を満 ついて考察したい。 たすと考える。 42 それでは教 育 的 効 果についてはどうであろうか。 「ボ 性を発揮するシステム=「型 」の採 用であるともいえよ ランティアとは、何らかの具体 的な行 動を通してだけ、 う。最 終 的な表 現の着 地 点を相互了解し、個々のプロ 人と人とが 結びついていることである。それまで互いに セスにおいて専 門 性に 基づく技 術と発 想を活 かす。そ 知らなかった人が、共同で 新しい行動を実 現させてい れらは、ボランティアリズムに則った本プロジェクトに る。ここでは、人は、互いに『違う』部分を担うかたちで おいて、一回性的且つ同時間的な幾つかの共有「体験」 結 びついている。この 行 動は、その時点では、双 方に として見いだされ 、活かされる。 とってほかの何ものにも代えられない。・・・ボランティ アートによる人材育成とまちづくりを方針とする社会 アという関 係は、けっして蓄 積されるものではない。蓄 連 携の場である当施 設「アートラボはしもと」において、 積されるのはボランティアを通してひとりひとりが 得た 本プロジェクトは共同制作を通じた他者との連 動を、ま 4 7 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 経 験 である。」と述べるのは、社 会 学 者 の原田 隆司 氏 た本 学 内における教 員 - OB - 学 生の横 断 的ネットワー であるが、社会 連 携事業における教育的効果として、本 クをより強固にし、学外における教育的プログラムの可 事 例の「 場所」が 育むそれぞれの経 験、結びつきの関 能性を示唆するものとなった。本事例を経て今後さらな 係性は計り知れない。 「 見たこともないもの」を造りたい るネットワークへの展開が 期待される。 熱意によって支えられた現場は、活発で、時に壮絶な、 かけがえのない非日常的「経験」として共有される。 8 「 教 育は 惰 性 の 強い 制 度 である」と述 べる思 想 家、 内田樹氏の論を借りれば、 「 経験」が実効性を持つまで 4 4 4 4 4 に相当な時 間がかかる。本プロジェクトが 一 回 性 的且 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 つ同時 間 的な幾つかの共 有「 体 験 」が 必 要となる、と 前述する理由は、それらの教育的条件を最大限有効に 発 動する環 境、つまりアートの生 成する 「 場所」をわれ アトリウム内景 われ自らが創り上げるためにある。メンバー及び、スタッ フはそれぞれが人 格を尊 重し、専 門 性を提 示し、役 割 を分担し、ひとつの目標に向かって作業することが求め られる。共同制作は参加するスタッフによって流動的に 着地点を変える性質をも持ち合わせる。そのシステムを 構 築する際に版 画 制 作のプロセス=「 型 」といった枠 組みが 有用性を持って骨子になるのである。 菅野氏は「個々の具体的体験の領域を超えてシステマ 9 ティックに存在するもの」として機 械 文明=大 工場的現 館外からの夕暮れ 代の「社会」イメージについて述べている。工場的作業の 制作スタッフ 分業化は資本ベースの活動において合理性の点から欠く プロジェクトリーダー : 佐竹 宏樹 / 本 学 教員 : 生嶋 順理 . 木下恵介 . 村 林基 . 松本 三和 / 本学助手 : 木下直耶 . 青木豊 . 村上真之介 . 西平 幸太 /OB: 入 野陽 子 . 宮腰 ことができない。しかし、合 理性から細分化した専門性 梨実 . 山田梨恵 . 布 施なぎ / 学生 : 大平歩 . 西川太 貴 . 植木陽 香 . 増田奈緒 . 山田 は全体を俯瞰することができないシステムを逆説的に示 祐梨子 . 大川リサ . 河野ふみ . 川村景 . 田中茜 . 千葉敏子 . 深野宣孝 . 大杉 祥子 . 尾 形愛 . 加藤光希 . 亀川沙也乃 . 小林広季 . 奈 倉さき . 二井矢春奈 . 和田博敬 している。他方で、浮世絵に代表される水性多色摺り木 アートラボはしもとオープン記念事業「はじめましてアートラボ」 版画の「絵師」 「 彫り師」 「 摺り師」による職分、 「タイラー・ おハながらート・プロジェクト 会期:2012 年 5 月 3 日(木)∼ 6 月 24 日(日) グラフィックス」をはじめ、欧米型の版画工房、あるいは 主宰:相模原ロータリークラブ / 協賛:東京造 形大学校友会 / 協力 : (株)富史産 アンディ・ウォーホルの「ファクトリー」など、これら資本 参考文献 会場:アートラボはしもと / 時間:9 時∼ 17 時 / 休館日:水曜日 入場無料 業 . アワガミファクトリー . 東京造 形大学有志 1) 相模原市美術館検討委員会『相模原市の美術館にかかる提言書』、 2009 2 ) 相模原市公式ホームページ、アートラボはしもと、http://w w w.cit y.sagamihara. kanagawa.jp/index.html 、 2013 3 5 , 9 ) 西 研 / 菅 野 仁『 社 会 学 に で きること 』、 ちくま プ リマ ー 新 書、 2009、 p19, 29, 72 6 7 ) 原田隆司『ボランティアという人間関係』、世界思想社、2000 、 p 30 , 82 , 93 8 ) 内田樹『街場の教育論』、ミシマ社、2008 、 p10 ベースの活動においても、アートの制作現場は、その専 門性故に家内制手工業的分業を採用している。 家内制手工業的分業によるアートの制作現場にみら れる版 画 制作のプロセスとは、全 体を把 握し且つ専 門 43 |研 究 報 告| Ⅰ . 美術史としての背景 膨張する東南アジア/タイの美大事情 試 論 なぜ、タイは版画が盛んなのか。 タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、イ ンドネシア、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャン マー・・・。 武 蔵野美術大学 東 南 アジアと呼 ば れる地 域 に属している国 々で 高浜利也 は、近年の経済成長に伴って、美 術やそれを取り巻 く環 境も凄まじい勢いで 膨 張、展 開し始めている。 たとえば、シンガポールビエンナーレを軌 道に乗 せ たシンガポールでは、欧 米 の有力ギャラリストだけ でなく、中国、韓 国、そして日本など同じアジア圏内 からも多くのコマーシャルギャラリーの 進 出が 相 次 いでいる。つい先日も、小山 登 美 夫ギャラリー やミ ズマアートギャラリーが、政 府 が 肝 煎りでオープン させた新しいアート拠 点、 「 ギルマン・バラックス」に それ ぞれ 出 店を果 たす などホットな 話 題 に事 欠 か ない。以前、アメリカで一世を風 靡した版 画工 房「タ イラーグラフィックス」が、 S T PI としてシンガポー ルに 移 転して、再 出 発したこともそう遠くない昔 の ことだ。中 間 層 や 富 裕 層の 飛 躍 的 な 増 加 や、急 激 な中国マネーの流 入を背 景に、さらなるマーケット の拡大が予想されると同時に、需 給のバランスを担 うべき才 能ある若手アーティストたちの育 成、出 現 が すでに始まっているのである。右肩上がりのイン ドネシアやベトナムなどもいずれその嵐に飲み込ま れ 、近い将 来、美 術ブームが到来することは想像に 難くない。さらにその 先、政 治の 安 定を果たした後 の、ラオスやミャンマーなどの後 発 組も間 違いなく、 先 行する国々の軌 跡 を辿ることになるだろう。しか しながら、これらの動向はいずれも、ここ 10 年以内 に始まった、つい最 近の出来事である。東 南アジア シラパコーン大学正門(ナ・プラ・ラーンキャンパス) には ずっとそれ 以前 から、ゆっくりと、しかも着 実 1990 年 1998 年 に、近 現代 美 術を見事に開花させて、今もなお、世 武蔵野美術大学大学院修士課程修了 界に発 信し続けている国がある。それがタイだ。 シラパコーン大学・チュラロンコーン大学 客員 研究員 第 2 次 世 界 大 戦 を 通して 東 南 アジ ア 地 域 で 唯 (国際交流基金・ポーラ美術振興財団 98 ∼ 00) (日本財団 API アジアフェローシップ 05 ∼ 06) 一、植 民 地化を逃 れたタイはベトナム戦争前 後も周 2001 年 2006 年 2008 年 2013 年 VOCA 2001(上野の森美術館 VOCA 奨励賞) 京都版画トリエンナーレ(京都市美術館) な 経 済 発 展を 遂げ、一定の民 主 化を成 功させてき 現在 武蔵野美術大学教授 た国 である。もっとも、しばしば 繰り返されてきた 辺 諸 国の共産化が 進む中、また、内戦の続くカンボ 越後妻有アートトリエンナーレ ( 新潟県十日町市) ジアを尻目に自由 主 義 陣 営に留まりながら飛 躍 的 井出創太郎とのユニットで 落石計画 を開始 44 軍 主 導 のクーデターによる政 権 交 代 や 通 貨 危 機 、 シラパコーン大学/出発としての彫刻 度 重なる国内の政争、そしてタークシン元首 相の追 これら、美 術 系 学 部を擁 する大 学 の中 心となる 放 劇 に 始まった 現 在 の 国 内 を二分 する 騒 乱 など、 のがシラパコーン大 学 であるが、その歴 史に目を向 心 配 材 料 には事 欠 かないが、致 命 傷 には至ってい けてみると、まず、版 画学 科 の存 在感が 際立ってい ない。その恩 恵 は 20 0 0 年 代 に入ってや や 停 滞 を ることに気が 付く。美 術 学部に絵 画・彫 刻・版 画と 迎えつつも、 G DP の増大といった数 字の変化に比 いう 3 つの学 科を有する中で、そもそもなぜ、版 画 例して、人々の生活の 質の向上、とりわけ教 育環 境 なのか。その 理 由を探るべく、シラパコーン大 学 の の充 実といった、いわば、じわじわと浸 透 するよう 成り立ちや、その前後のさまざまな事情を紐 解くと、 な栄 養 分として隅々にまで 染みわたり、この国の根 少なくとも 1960 年代から 1990 年代 後半まで、カリ 幹 を潤してきたといってもよい。たとえば、大 学 に キュラムや設 備、講 師陣だけでなく政 治的なバラン おける美 術 教 育の 発 展を見 れ ば、その現 実を如 実 スにおいても学 内において常に版 画の 優 位 性 が 保 に物 語 って いる。1943 年 に 唯 一 の 国 立 美 術 大 学 たれ 、やが て同 様 の状 況が 他の大 学に拡 散しなが として創 設されたシラパコーン大 学は今 や、工学部 ら、タイ現 代 版 画 の 興 隆 につながった背 景 が 浮き や医学部など 7 学部を擁する総合大 学へと変 貌し、 上がってくる。 7, 0 0 0 人 近い学生が 在 籍しているほか、チュラロン コーン 大 学 や チェンマイ大 学、キングモンクット工 科大 学、シーナカリンウィロート大 学、コーンケン大 学、ブラパ大 学、ソンクラー大 学 などいくつか の主 要な国 公立の総合大 学にも美 術系 学部が 設 置され ている。一方 でバンコク大 学 などの私 立 大 学 でも、 美 術 教 育におけるカリキュラムの充 実等、水 準の高 さが目立 つ。また、ラチャパット大 学 など全 国に広 がる教育系大 学にも、遍く美 術を専 門的に学ぶカリ キュラムが用意されている。このように版 画 興 隆に 言及する以前から、国の素 地として大 学をはじめと する高 等 教 育 機 関における美 術 教 育そのものの 整 社会資本としての彫刻、メモリアル・ブリッジのラマ 1 世像 備、充 実が着実に果たされてきたのである。 今 から 70 年 ほど 前、国 王の 彫 像 や 戦 勝 記 念 塔 など、市中に建 つモニュメントの 鋳 造 技 術をタイ人 アーティストの卵たちに教 えるために、政 府 のお雇 い 外 国 人として来タイしたイタリア人、コッラード・ フェローチ( タイ名:シン・ピラスィー)によって創 立 され たの が シラパコーン 大 学 である。その 歴 史 は、いわば 社会 資本としての彫 刻を制作する担い手 の育 成 教 育 から始まったといってもよい。その 後、 タイ政 府の政 策的な後 押しもあり、絵 画( 油 画・タ イ画)学科や、デコラティブ・アートと称されるデザイ ン系を包 括する学 部も設 立され 、教 員配 置 や施 設 シラパコーン大学構内中庭のシン・ピラスィー像 などの環 境面でも、名実ともに美 術 大 学としての 体 創立記念日には献花が絶えない 裁 が 整った。そういった組 織の近代化のプロセスに おいてさえ、やはり、指 導 体 制の中心となっていた のは依 然として創立者シン・ピラスィー直 属の彫 刻 45 学 科だった。しかしながら、明治期の日本 同 様、ア 大 学にも当 然、版 画を履修 できるカリキュラムが 組 ジアにおけるモダニズム草 創期の常として彫 刻にし まれ 、シラパコーン大 学 で 学んだチャルード・ニム ても油 画にしても西欧 スタイルの追 随 がまず、至 上 サ マ ー の 教 え子たちが 教 員として 続 々と着 任して 命 題 にあって、タイ独自のオリジナリティーを持ち いった。つまり、シラパコーン 大 学 で 行 われていた ながら国 際 的な評 価、質をともなう作品や、それら 版 画 教 育の 雛 型が、人事とともにタイ全 土に拡 散、 を生み出すアーティストの出現は困難な状況であっ 普及したということである。このように、シラパコー た。そのような停 滞に風 穴を開けたのが、シン・ピ ン大 学における版 画学 科 設 立、つまり、チャルード・ ラスィーの愛 弟子で、彫 刻学 科 の学生であったチャ ニムサマーという人物の 登 場と活 躍、そして絶 大な ル ード・ニムサマーという若 い才 能の 登 場だった。 権 力 掌 握を契 機 に、タイにおける版 画 興 隆 の 幕 が 1929 年生まれ のチャル ード・ニムサマーはシラパ あがったのだ。 コーン大 学 ではじめて彫 刻学士 号を取得し、際立っ た成績で同世代の中で頭角を現してきたいわば、エ リート中のエリートである。卒 業 後も学 内に留まり 教 員となり、若 者を指 導する立 場となった彼は、や が てこの国の版 画のみならず、美 術そのものを語る 上で、欠く事の出来ないキーパーソンとなってゆく。 版画学科の開設/チャルード・ニムサマーをめぐって シラパコーン 大 学 において、版 画を専 門 に 履 修 チャルード・ニムサマー左: Print 7 1964 年 インタリオ(第 4 回東京国際版画ビエンナーレ外務大臣賞) できる学 科が 開 設されたのは、1966 年のことであ 右: Rura l Sculpture 4 1982 年 る。当時、すでに学内で絶 大な権 力を掌 握し、美 術 学 部 長として政 治 的 手 腕 を発 揮しながら様々な 改 革に取り組 んでいたチャルード・ニムサマーは、そ モダニズムの展開/版画による実践 の 一 環として独 立した 版 画 学 科 の 必 要 性を強く感 チャルード・ニムサマーが集中的に版 画 制作をお じていた。元々、シン・ピラスィーに彫 刻 学 科 の 学 こなっていた 1960 年代のタイでは、専 門的な版 画 生として指 導を受けた彼は、自らの制作において彫 制作用の備品など揃うはずもなく、自らの創意 工夫 刻にとどまらず、油 画、版 画と幅 広く制 作 活 動を展 で 試 行 錯 誤を繰り返しながら、表 現に 適した 技 法 開していたが、とりわけ 1960 年代は版 画 制 作に熱 や 道 具を開 発していかなけれ ばない環 境に置 かれ 心に取り組んでいた時期であった。ローマの美 術ア ていたことは、想 像 に難くない。この 状 況は、現 在 カデミーへの留学や、ニューヨークのプラット・グラ のタイにおいてもさほど変わってはおらず、アーティ フィックセンターでの 研 修を経て帰 国 後、本 格 的に ストの版 画 制 作 や、大 学 版 画 教 育の現 場でさえも、 版 画 制 作に打ち込むようになったチャルード・ニム 驚くほど素朴な道具や材料を用いながらも、瞠目に サマーは、ほぼ独学 で様々な版 画 技 法を身につけ、 値 する高 度な技 術 で 質の高い 作 品が 生み出されて 第 4 回 東 京 国 際 版 画ビエンナーレで外 務 大 臣賞を いる。松 脂を買うために中 華 街 の 漢 方 薬 屋を訪 ね 獲 得するまでに至る。他にも国 際 展で の 受 賞 が 重 歩き、木 版 用の版 木のために、旧市 街にある仏具・ なり、彼自身 が内外から一 気に注目を浴びることに 建 具屋街までトゥクトゥクを飛ばす。こういった回り よって、必 然的に学内において版 画の重 要性がより 道のプロセスで見聞きする風 景 や、体で感じる社会 一層、認 識されるところとなり、版 画 学 科 開 設の大 構 造のリアリティーそのものが、作品世界の奥 底に きな原動力となった。結果、タイでの版 画の存 在 感 色濃く反 映されているのが、タイ現代 版 画の大きな は日増しに大きくなってゆく。 特 徴となっている。油 画 や 彫 刻 がとりあえず、西 洋 その 後、波 状 的に各地に設 立の相 次いだ美 術 系 で 繰り広げられたモダニズムのあとをなぞる事から 46 スタートしているのに対し、版 画においては、材 料 うに声 高に叫 んでも、タイ版 画 の 真 実 は 浮 か び上 調 達 や 技 法 開 発を含めて、自分 達 で工夫しながら がってこないことである。あまり語られていないこ 体 得したものすべてがオリジナリティー、つまり、作 とだが、最も重 要なことは、彼が タイ版 画の祖 と 品の構 造的な強 度に直 結することになる。この強み よばれる存 在にもかかわらず、決して 版 画のプロ が 1960 年代以降 、国 際 舞台で外 国のアーティスト パー ではなかったという側 面だ。彫 刻から出 発し 達の 作 品と互 角に対 峙 できた大きな要 因ではなか たのち、かなりの質と量をともなった版 画 制 作を続 ろうか。 けながら、インスタレーション 制 作 やパフォーマン スも同時に、数多く行っている。おそらく、学生たち 残 念ながら本 流であったはずの彫 刻は、シン・ピ は版 画学 科で版 画を学びながら、日常の風 景として ラスィー亡き後、シラパコーン大 学という最 大の権 それらの 現 場 をつぶさに目撃してきたことだろう。 威の象徴、アカデミックの殻 がかえって足 枷となり、 実 際、今日のタイ現代 美 術の屋台骨を支えるインス その 一 歩 外 へと踏み 出す 機 会を失してしまった 部 タレーション系のアーティストたちの多くが、シラパ 分も否定 できない。たとえば、彫 刻が 国 家のための コーン 大 学 の 版 画 学 科 に出自をもつという事 実は 社会 資本を生み出す手段( 公共 事 業)として機 能し 見 逃せない。アランヤ・ラートチャムロンスックやス 得た頃は、それ 以 上の存 在 意 義 や歴 史性、批 評 性 ラシ・クソンウォン、ニパン・オラニウェスナ、そして を見 出す必 要は生じなかったであろう。しかし、タ カミン・ラーチャイプラサートなど、ベネチア・ビエ イ社 会 のなかでひと通りモニュメント制 作 等、イン ンナーレをはじめとする多くの国 際 舞台で 現 在、活 フラ整 備としての彫 刻 の 需 要 期 が 終 結し、純 粋 に 躍している一 線 級のタイ人アーティストたちの 多く 美 術としての自立を 鑑みる必 要 性に 迫られ たとき、 が、チャルード・ニムサマー門下の版 画 学 科から誕 どれ ほどの彫 刻 作 品がその 答えを見 出 せたかとい 生しているのだ。版 画の総 大 将が自ら、一歩引いた うと甚だ 疑 問 である。故モンティエン・ブンマーが ところで、事 態を相 対 化させながら、媒 体としての 1990 年代に登 場するまでの、かくも永き不 在が 多 版 画に真 摯に向き合っていたのである。コップの中 くの事 実を物 語っている。このように油 画や彫 刻に の嵐 に終 始しが ちな、内向きの 版 画ムラ など 決 代わって、版 画 学 科がシラパコーン大 学、すなわち してつくることなく、王 道を追 求 する正 統 的 な版 画 タイの 美 術 界 を 牽 引していったのだ。この 状 況は、 表 現 から、同 時 代 の 先 端 的 な 美 術に至るまで、幅 少なくとも 1980 年代 後半まで 続くことになる。 広 い人 材を輩 出しているタイの版 画の 懐 の深さや、 層の厚さから学 ぶべき点は少なからずある。このよ うに、彫 刻から版 画、そしてインスタレーションとい う展 開 モデル が、 版 画 のプ ロパーで はない 版 画 の祖 、チャルード・ニムサマーによって、かなり以 前から実 践され 、今日活 躍している世代に多大な影 響を与えたことは、タイの版 画の興 隆を検 証するう えで決して見 逃せない事 実である。 ヤナウィット・クンチャエトーン Paa -Sa-Nguan モノタイプ 2005 年 版画に出自を持つアーティストたちの作品展開例 タイ版画の真実/ “版画のプロパーではない版画の祖” ここで 注 意しなけ れ ば ならないのは、版 画 興 隆 ここまで、主にタイにおける版 画 興 隆の背 景を美 の立役 者としてのチャールズ・ニムサマーという人物 術史 的 視 点、つまり、モダニズム展 開のプロセスを の制 作上の業 績 や、政 治 的 手 腕 だけを偉人伝 のよ 検 証しながら考 察してきた。その 一方 で、タイ人の 47 特 質、気 質や社 会 構 造 の 特 性といった社 会 的 背 景 要と思われがちな版 画の制作工程で、意外とこの回 も、決して無 視できるものではない。 り道を含むタイ人の器用さが、有 効に作用している ように 思えてならない。特に、銅 版 画をはじめとす る金 属 板の加工などでは、こういった、 多様 で 曖 Ⅱ.社会的な背景 昧な計 画 性 がかえって、定石通りの段 取りや作 業 不思議な距離感をともなった器用さ/多様で曖昧 工 程では、絶 対ありえない 優 れ た画 面 効 果 を生み な計画性 出すことがあるのだ。つまり、どういう手順で、どん 石鹸 彫 刻、ミニチユア菓子、蝋 人 形、マッサージ、 な技 法 で、どういうふうに作ったのか 想 像もつかな ムエタイ・ ・・。観 光 旅 行 で見 聞きするだけ でも、 いような、 不思 議 な 超 絶 技 巧 がタイにはやたら タイの人々の驚 愕的な超 絶 技 巧を感じることは充分 多いということだ。私自身 が 幾 度となくそれを目撃 可能だ。しかし、長く住んでいると、さらにその先に している。 も見えてくるものがある。 この器用さという観 点をさらに突き詰めれ ば、仏 教 文 化 の中 で 培われ た伝 統 的 な 美 術 工 芸 分 野 で の 装 飾 技 術、特に螺 鈿 細 工などの細密で高度な素 材の加 工 技 術を、金 属 凹 版 画などの製 版 工 程に速 やかに転 用できたことも容易に推 測される。王宮や 寺院などに見られる、こうした美 術工芸品制作の技 法 的 な 素 地の 存 在も、版 画の 普及を考える上で見 逃すことのできない要 因だ。一方 で、仏 教 経 典や札 等の印刷技術 が、古来よりタイ社会に深く根 差した うえで、人々の 暮らしの中に自然に取り込まれてい たことも、ベーシックな版概 念 がより広く、容易に社 会に受け入れられた一因となったに違いない。 バンコク都内の建設工事現場。 日本とは随分異なる工法、段取りで作業が進んでいる。 オリジナルとコピー/イメージの拡散と所有形態 私 がシラパコーン 大 学 に滞 在 中、学 生 たちの 版 版 画の持つ複 数 性とマスプロダクト。ここにも、タ 画 制 作の指 導で 常々、感じていたことがある。それ イ社会の中に、版 画を無 理なく落とし込むことが可 は、タイ人の 持 つ 不思 議な距 離 感をともなった器 能なフォーマットが 存 在していたようだ。 用さ とも言える特 質 である。版 画 制作だけでなく、 街 中のビル 建 設 現 場 や、屋台料理の調 理の 過 程を 見ても同 様に感じられることだ。我々が器用さの基 準とは何かを考えた時、たとえば、難 度の高い課 題 を、如 何に無 駄なく最 短 距 離 で、より美しく完 璧に 仕 上げるかという洗 練され た作 業 工 程を思い 浮 か べるかも知れない。しかし、タイ人の器用さには、曖 昧な段 取りの中でいきなり、今、目の前にあるもの、 ありのままの 状 態 から作 業 が 始まり、多 少 の二 度 手 間 や、やり直しなどを繰り返しながら結 局、最後 に 帳 尻を合 わ せ て仕 上 がるというねじれ たプ ロセ プラ・クルアン (Phra K ruang ) と呼ばれるお守り スが 多く含まれる。これ が 不思 議な距 離 感をとも なった器 用さ を生み 出すもととなる。段 取りが 重 48 たとえばタイには プラ・クルアン と呼ばれるお 共有される空間/他者の気配 守りがある。バンコクのタクシーに乗ると必ずといっ 他 者 性、自分以外 の存 在 。ノイズ、共 有されるも ていいほどフロントガラスの周りに飾られているも の・・・。タイの日常 で 常に感じる、何かの 気 配の のであり、信 心 深いタイ人の多くの首には 必ずぶら ようなもののことだ。 下がっている、雛 型で 大 量に複 製された 粘 土 製 の 小さな 仏 像 のことである。シラパコーン 大 学 の 裏 手、ター・プラチャンの船 着場 へと抜ける道すがら、 プラ・クルアン を専 門に扱う店 が 軒を並べる一 大 マーケットがある。古くはスコータイ時 代の出 土 品と囁 か れ る何百万バーツもする国 宝 級 のもの か ら、一目で 大 量 生 産と分 かるような 粗 悪 品まで 文 字通り、玉石混 合の山の中から掘り出し物を求めて 日々、老 若男女 が 群がる興 味深い場所である。多く は徳を積んだ僧侶が、エディションを決めた上で 信 者に頒 布したものが 今 や、そのご 利 益 次 第 で 何百 倍、何千 倍ものプレミアムがつき、さらにそれらを鑑 当時、住んでいたアパートに隣接する空き地で深夜 2 時に繰り広げら れる歌謡ショー(スクンビット地区トンローソイ 8) 定 する専 門 家 や専 門 誌 が 登 場するなどマニアの 世 界へと変 貌した特 殊な世界だ。一 部 、投 機目的であ るにせよ、ほとんどの人たちは純 粋に仏 教への帰 依 タイに 暮らしていた時、日常生 活 の中 でタイ人の という深い 信 仰 心からそれらを所有 するのである。 持 つ 空 間 の 共 有 感 覚 が、版 画 制 作 で 感じる空 ただ、よく注 意して考えてみると、彼らが所有するの 間 意 識と極めて近いと思えたことが 幾 度となくあっ はあくまで複 製されたコピーであるという事 実に気 た。たとえば、生活 空間の中での音に対する許 容範 づく。雛 型としての、唯 一 無 二のオリジナル の 存 在 囲を例にとると分 かりやすい。ホテルの隣 室から聞 は、ほとんど省みられることはない。あくまで手に入 こえてくる大音 量のテレビやラジオ、音 楽、話し声だ れようとするのは、オリジナルという物 質の 存 在 で けでなく、アパートに隣 接した空き地で 最 低、月一 はなく、特 定のお守りの イメージの雛 型 、つまり 回は 繰り広げられる真 夜 中の映 画 大 会 やコンサー 自己を導いてくれる宗 教 性を帯びたアウラなのであ ト、カラオケなどの大音 量は、われ われ 異 邦人には る。それは、どれだけ大 量 生 産されても決して消滅 騒 音以外 のなにものでもなく、理 解に苦しむことが することはない。肌 身 離さず 常 時、そのイメージに 多い。また工事 現 場では、昼 夜 関 係なく 24 時 間 作 包まれることによって、人々は現世の功 徳を積むこ 業が 進行し、轟 音を響か せているし、電車(地下鉄・ とに邁 進し、来世の幸福を願う。 BT S など)やバスなどの 公共 空 間でさえ、人々はか まわず、携 帯電 話で会 話を楽しんでいる。地 方の長 版 画 の 所 有 形 態 は、誤 解 を 恐 れず に 極 論 す れ 距 離 バスに至ってはもう、お手上げ 状 態 だ。もちろ ば、タイ社会におけるこの プラ・クルアン の頒布、 ん、それを咎める人などいない。常に何かしらの騒 拡 散 状 況に酷 似している。同 一 作 品が 複 数 存 在 す 音、雑 音は付き纏うものであるというのが 常 識であ るにも関 わらず、それぞれ が オリジナルとしての 価 る。その是非はともかく、音に関していえば、生活し 値を有し、等しく歓びを共 有 することが できるので ていく上で、自分と他 者との空間の境 界がじつに曖 ある。このオリジナルとコピーのあり方は、現 実 社会 昧なのである。言い 換えれば、自己感覚の中に、常 におけるイメージの反復性、複 数 性の中で消滅する にノイズとしての 他 者 の 存 在、気 配 が入り込 み、そ どころか、ますます強 度を増すアウラの存 在をくっ れ から逃 れる手立 てが ないのだ。タイだけ でなく、 きりと浮かび上がらせている。 多くの東 南アジアの国にも言えることかも知れ ない が、あらゆる場 所 において空 間を完 全 に 遮 断し密 49 閉 するという概 念 は、一 部を除 いて 極 端 に希 薄 で この試 論 である。決して学 術 的な分析ではない。当 ある。つまり、基 本 的に空 間はみんなで共 有するも 時 の 記 憶を頼りに一 気に書 き上げ た私 見と言った のであり、その中に個のあり方を委 ねているような 方が適 切かもしれない。 感 覚 を強く覚 えるのである。昔 の日本 の 暮らしも、 そうであったというむきもあるかもしれ ないが、実 際、体 験してみると音 量 他、すべてが 別次 元という ことがわかるはずだ。 ノイズを媒 介に、自分以外の他 者と常に繋がって いるという空 間 の 共 有 感 覚。この 曖 昧 な 境 界こそ が、版 画 制作のプロセスで発生する他 者 性( つまり 版 画 制 作 での時 間 的、作 業 的な距 離 感とそれに起 因する画 面 効 果、たとえば 描 画、製 版、刷りという 作 業 工程を経ることによる回り道の中で、制作 者の 意 思以外の要素が、画面上に入り込む余 地の発生) 2006 年 9 月 19 日午後、発生した軍事クーデター。 占拠された政府庁舎にほど近いシラパコーン大学周辺にも の存 在が 抵 抗なく受け入れられ 、気質、国民 性にお 戦車が集結し、戒厳令が発令された。 いて版 画の興 隆を支えてきた理由のひとつとなって いると私は考えている。それは、工 房というパブリッ クな場での制 作( 作 業 上の相 互 扶 助的 側 面も含め 振り返って日本を俯瞰して/版画の立つ瀬、進む先 て)だけでなく、道 具や設 備の共 有という制 作 環 境 タイにおいても、例外なく急 速に浸 透 するデジタ 面への順 応についても等しく言えることである。 ル印刷技 術の革 新 や、多様 化する現 代 美 術 表 現の 展 開の渦 中にあって、版 画の 絶 対 的 な 優 位 性など 完 全に過 去 のものとなってしまった。それ が 抱える Ⅲ.まとめにかえて 今日的 課 題は、日本と全く同様の状況であるといっ バンコクの日々/私見としての試論 てもよい。一方 で、振り返って日本 を俯 瞰したとき まだまだ 書きたいことが山ほどあるが、紙 幅が尽 に、手 探りの闇の中に浮かび上 がる版 画の 未 来 の きてきた。今 後、さらに熟 考し、次の機 会に委 ねる 光 明も数 多くあるような 気 がしてならない。20 代、 ことにしよう。 30 代 の 若 い世 代 の台 頭は目覚 ましい。彼らが、さ まざまな歴 史を背 負うにしても、乗り越 えるにして 気 が つけば、1998 年に国 際 交 流 基 金 の 派 遣 で も、さらにはリセットするにしても、だ。先 人たちの 初めてタイを訪 れてから、3 度に亘る長 期 滞 在を繰 メチエの 蓄 積 や、その 所 在 を 珠 玉の 宝 石 箱ととる り返し、延べ 5 年近くバンコクで暮したことになる。 か、或 いは呪 縛 の 巣 窟、伏 魔 殿と捉 えるかは 本人 制 作以外にも、実に多くの出来事を経 験した。現 地 次 第であることは言うまでもない。これ から先 の時 の病 院で 妻は娘を出 産し、住んでいたアパートの火 間を見 据えることが 肝 要なのだ。今 回、タイ版 画の 事 騒 ぎや 軍 事クーデターにも遭 遇した。国 王の 在 展 開を見 通した事 で 私自身、この 先 の版 画 の立 つ 位 60 周 年 パレ ードも目 撃した。また、友 人、知 人 瀬、進む 先をしっかりと、当事 者としてこの目で見た との 付き合 いの中 で 多くの 冠 婚 葬 祭 にも立ち会 っ い 衝 動に 駆られ 始めている。少なくとも、その 寄る た。勿 論、作品もたくさん 作ったし、展覧会のため、 辺を探る嚆矢を放つことが、自分たちの世代の役回 日帰りで日本との 往 復を果たしたことも懐 かしい思 りであるという覚 悟 は 持ち合 わ せているつもりだ。 い出だ。こういった体 験を下敷きに、私がシラパコー 新 生した 版 画 学 会 がその 舞 台となる事 を 切に 願っ ン大 学を拠 点に見聞きした状況や、日々の照り返し ている。 の中 で 覚えた 版 画に 纏 わる雑 感をまとめたものが 50 |特 集| 「版の」イデア ‐ 私の作法 ‐ 凹版 私の 技 法 ‐ 色 彩 銅 版 画 ‐ 安藤 真司 / 個人会員 凸版 水性・油 性 摺りによる多色 木 版 ‐ 版 がみせる形 ‐ 古谷博子 / 多摩 美 術 大 学 平版 ‐ 石 版を巡る、とりとめのない話 ‐ 園山晴巳 / 日本大 学 版 画を標 榜する私たちにとって、版を介し作品を 成 立させる制 作 行為や思 考 態 度の原初は何処にあ るのか を探ることがこの 特 集 のささや かな 動 機 で す。版を存 在させる時、私たちは原 点に何を必 要と しているのだろうか。 求める表 層のバリエーションを満 たすための「 多 様な用法」として版を利 便 的に扱うのではなく、版 の原初=移す・写す・置 換 、等を 「多能的に作用」さ せようとする意 思が、版 画の広 範な展 開を望むとき 有 用な 思 考 ベクトルとなるので はないでしょうか。 版 画 のテクノロジー や 表 現 が 多 様 性をもって 横 へ の広がりを求めるという捉え方に加え、三次 元 的に 下方への初 期的必 然性の 確 認を果たし、 そのことで 上 方への 未 知 の広 がりをも望 めるのではと考えま す。 前号の「孔 版 」 「紙と版 」 「デジタルと版 」に続き、 今 号では「凹 版 」 「凸版」 「 平版 」を取り上げ、各氏の 版との関わりを紹 介することで、求める原点の端 緒 になればと願う次 第です。 編 集部 若月公 平 51 色彩の記憶 里 山と呼 ば れ る自然 豊 か な 土 地 で 育った私 は、 少 年 時 代 から大 の 釣りキチ少 年 でした。学 校 から 帰るとすぐさま、釣り竿と網を持って川や池に向か いました。釣り上げた魚や、網ですくったカニやエビ などの小 動 物の 鮮 や かな 色や手 触りを興 味 深く観 察しながら、一 匹ずつバケツに入 れていました。釣 りだけではなく、昆虫採集や季 節ごとに収 穫する野 草や木の実 。とにかく自然 の中を駆け巡り、生き物 を採る事が大 好きな少年でした。 苦 労して釣り上げたアマゴのパーマークと宝石を 散りばめたような 朱 点、漆 黒の甲虫たち、アゲハ蝶 の 黒い 縁 取りの中に 織り込まれ た黄 色や 橙 色、雑 木 林 の中 で 紫 色に熟したアケビと真っ赤 に色 づ い たカラスウリ。少 年 時 代の思い出は、色 彩豊かな自 然とそこに生きる生物たちと共にあります。 大 学 時 代に 銅 版 画と出 会 った私は、ごく自然 に花 や昆 虫などをモチーフとして選 んでいました。今 考 えてみると、大 人 になった 釣りキ チ少 年 の 底 流 に は、少 年 時 代を過ごした里 山での自然と付き合い、 自然を肌 身で感じた体 験 が、色濃く反 映されている と思います。 銅版画との出会い 大 学は油画専 攻に入学しましたが、どちらかと言 うと、油 画より鉛 筆 や ペン で 描 画 する事 の方 が 好 きでした。油絵の具と筆とキャンバスよりも,何か自 分に合った描 画素 材がないのか、探している時でも |凹 版| ありました。そんな大 学2年の時、エッチングと出会 いました。ニードルで 銅 版に描 画した時 のカリカリ 私の技法 −色彩銅版画− とした抵 抗 感が心地 良く、まさに探し求めている素 材 でした。エッチングはエングレーヴィングほど 熟 練を要しませんから、描 画に関しては、鉛 筆 やペン での延 長 線 上にあります。しかもドローイング では 安藤真司 決して表 現できない、腐蝕する事によってのみ生み だされる繊 細でしなやかな、そして時としては、くず れそうで 危うい 線を作り出すことが できます。エッ 1960 年 1987 年 1989 年 1989 94 年 2005 08 年 2010 11 年 岐阜県生まれ チングの 線に魅了された私は、それ 以 来ずっとエッ 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業 チングを中心に制作しています。 東京芸術大学大学院美術研究科修士修了 油 画 科 の友 達 は、刷らなけ れ ば 結 果 を見ること 東京芸術大学版画研究室助手 東京芸術大学非常勤講師 が できない版 画にもどかしさを感じていましたが、 文化庁在外研修員としてアメリカ滞在 私には 版を介した間 接 的 な 制 作 が 合 っているよう 52 です。ずっとキャンバスと対 峙していると、油 絵の具 をキャンバスの中でぐちゃぐちゃと、こねくりまわし て、いっこうに終わることが できませんでした。 また、腐蝕で作り出されたさまざまな凹を指で 触 れ 、確 認しながら描 画していく作 業は、まさにモチー フである植 物 などの 細 部を手で 触 れ 、肌で 感じな がら作 品 のイメージを作り上げ てゆく行為と、とて も良く似ています。モチーフとの直 接 対 話と同じで す。この銅 版 画の視 覚だけでなく触 覚 的な感覚が、 黒版のみの刷り 私をひきつける要因でもあります。 製版 実 際にモチーフを目の前に置き、グランドを塗っ た銅 版に直 接 ニードルで描 画していきます。構 図は 決めますが、しっかりとした下絵は作りません。植物 を描いていると、時 間と共に変化し枯 れて行く姿は どれも美しく、どの 瞬 間を描こうか 迷ってしまいま す。描き直す事も多々あり、修正しても描 画跡が 残っ てしまいますが、それを間 違 えとしないで 調 子とし て生 かすようにします。また下絵 を写さないため 形 〈完成〉黒版1版、色版2版、色雁皮紙コラージュ が 歪んでしまう事もありますが、それを失 敗とは思 わず、面白い形にしようと楽しみます。 刷り モチーフを見ながら描きますが、私はいつも自然 銅 版 画の多色 刷りには、1版の版で 色インクをつめ の中での記憶や、体 験したさまざまな場面との間を 分けする方 法と、色数 だけ版を作って重ねて刷る方 行ったり来たりしています。版作りの中で、この描 画 法と、凹 凸 版 刷りが あります。私は 黒 版を1版と色 に費やす時間が一番 長く、私には楽しい時間です。 版を1~ 2版 重ねて刷る方 法で 制作しています。 描 画した銅 版は腐蝕します。私は描 画しながら腐 蝕してゆく方 法 ではなく、おおかた 描 いてしまった 後、黒 ニスで止めながら腐 蝕します。その方が 描 画 に集 中 できるからです。エッチングの 描 画はドロー イングと違 い、ほぼ 均 一に強 弱なく描きます。私は 時 間をかけて腐蝕することで、銅 版 上で、時と共に 変 化してゆく生 物を再び 蘇らせるのです。一 通り腐 蝕が 終わったら試 刷りをして、何度か加筆します。 エッチングの工程が 完了したら、アクアチントで濃 淡の調子をつけます。私の作品には雨や風や水のイ メージを表現した作品が 多く、アクアチントは、まさ にイメージを具 現化するのに重 宝する技 法です。 黒 版 が 仕 上がったら、色 版の制 作に入ります。ア クアチント( スピットバイト)、ドライポイント、ルー レット、の技 法を中心に1∼2版作ります。色 版を刷 り、その上から黒 版を刷ります。 53 A . 三色三版刷りの場合 B. 二版+色雁皮紙コラージュの場合 それぞれの版にインクをつめて拭き取ります。色 銅 版 画の色 刷りの場 合、どうしても色 彩が 渋くな インクは 拭 き取り過ぎると色 が 濁ってしまうので、 り、少々ひかえめで目立たない色調になりがちです。 ウォーマーの上で版を温めながら、油 膜を残しぎみ 私のイメージにある自然 界 の 色 鮮 や かな生 物 たち に拭き取ります。 の色調とは、ほど遠いものに仕上がってしまいます。 色 版から刷ってゆき最後に黒 版を刷ります。1版 学 生 時 代、試 行 錯 誤 の末 、思いついたのは色 雁 ずつインクを乾 かしながら刷り重ねてゆく方が、そ 皮 紙を部 分 的にコラージュして刷る方 法 でした。当 れ ぞれ の 版の 様 子 を正 直に 刷り取 れ るので す が、 時は刷りの技 術 が 未 熟なため、色インクがどうして 私はインクが 混ざり合 った柔らかな 色 合 いが 好き も濁ってしまいました。それを解 消するために色 雁 なので、3版 連 続して刷ってしまいます。 皮 紙 の助けを借りたとも言えます。例えば、花 弁 の 部分に色を差したい場 合、あらかじめ染めておいた 色 雁 皮を花 弁 の 形 に切り抜き、色 版の上に並べて 部分的に雁 皮 紙 刷りを行い、さらにその上から黒 版 を刷り重 ねます。色 版と色 雁 皮 紙 の重 なり加 減 で、 アクセントにもなりますし、微 妙な中間 色を調 節す ることもできます。 この方 法で刷り始めて以来、少しずつ自分の色 彩 のイメージに近 づいてきたように思います。 1版目の刷り 切り抜いた色雁皮紙 2版目を重ね刷り ※色雁皮紙はコラージュする箇所の形に切り抜いておきます。 〈完成〉3版目を重ねた刷り 54 1. 色 雁 皮 紙コラージュ、2. 色 版、3. 黒 版の順 番 色彩銅版画の魅力 で刷り重ねます。 銅 版 画の王 道はやはり黒の 世 界 にあるのかとも 思います。一つの版 種の中で、これほど 様々な技 法 のある版 種は他にはなく、それぞれの技 法によって 作られた版は、それぞれ違った状 態でインクが 版に 溜まります。黒で刷 れ ば 版に溜まったインクのマチ エールを一 瞬にして明 確に見る事が できます。それ はまさに紙とインクによって組 成された銅 版そのも のの物 質的な表れかたです。私の作品でも、やはり 黒 版 が良い出 来でないと、いくら色 版を重ねても納 得のゆく仕上がりにはなってくれません。 手っ取り早く色を使いたいのなら、手 彩色をすれ ば 簡単で良いのですが、しかしそこには、銅 版 画 特 有の紙にインクがくい込 んだマチエールは存 在しま 1 . 色 雁 皮 紙コラージュ せん。色を単なる補 助 的 な役 割としては使 いたくな いのです。水彩 画の淡い色調とも、堅固な油絵のマ チエールとも違う、版 が 介在 することによって得る 事が できる、混ざり合い溶けあうような柔らかな 色 彩 銅 版 画のマチエールがそこにあります。 学 生 時 代 から色 彩に興 味 があった私には、黒一 色 の 作 品 は 数 点しか ありませんでした。眼 鏡 の 必 要もなく、気 力が 続く若 いうちに描けるだけ 描いて やろうと意気 込み、一時期、黒一 色の作品を作った こともありました。でも色 彩の魅 力からは、どうして も離 れることはできませんでした。自然を自分 のイ メージの 領 域として制 作していると、色 鮮 やかな生 2 . 色 版を重ねた刷り き物たちの 情 景 が 脳 裏に浮かび、色 彩 銅 版 画に挑 戦したくなってくるのです。 3 .〈完 成〉黒 版を重ねた刷り ※現在は、黒版1版+色版1~ 2版+色雁皮紙コラージュで制作する場 合が多いです。 55 「 人 」は、曖 昧さに目を背ける。本 来 曖 昧 な存 在 である 「 人 」は、曖 昧さに委 ねていたいと思うが、 それ を自 覚したり、他 者 に 認 識され ると背 を向け る。居心地のよい曖 昧な状況は、意 識されたとたん に、落ち着きの悪いものとなるからだ。だから人は、 曖 昧さを曖 昧なまま露呈されることに不安を感じ、 はっきりとした合 理 的 で明快な存 在、または状 態を 求めているのではないだろうか。 私は、大 学 で版 画を専 攻して、初めていろいろな 版 種 で 作 品を 制 作した時、さまざまなファクター、 すこしの条 件の違いで、その様 相を変化させてしま う木 版 画の中にこの曖 昧さを強く感じた。木 版 画は とても精 緻 な 技 法 で、印 刷 技 術 の 一 種として発 達 し、情 報 媒 体としての 役 割を担っていたことから、 曖 昧さとは対 極の存 在というイメージで捉えていた。 それ ゆえにそれ は 新 鮮 な 驚きであった。そして、 凸 版というシンプルな技 法なだけに、直 接 描く油 絵 やドローイングとは違い、版としての制約が 多く 「と ても不自由で 曖 昧な技 法」 それ が、私の 受けた木 版 画の印 象だった。その「 不自由さ」 と 「 曖 昧さ」の 中 で、どう向き合 っていくのだろうか …?そのこと が、私と木 版 画の出発点となった。 凸版とは |凸 版| 木 版 画は 基 本 的に凸 版である。凸 版とは 絵 の具 が 付く面が凸になっているという、非常に単 純明 快 水性・油性摺りによる多色木版 −版がみせる形− な技 法 である。つまり段 差をつけれ ばよいというこ とだ。段 差をつけるための道 具として彫 刻刀がある が、その 他、先 の尖ったものでひっかく、硬 質 なも ので 叩く、表 面を 焼 いて硬 い 繊 維 を浮き上 がらせ る、また 物 を貼り付 けるだけ でも容 易に 凹 凸をつ 多摩美術大学 くりだせる。版 材 が 木という加 工しやすい素 材 なの 古谷博子 で、 多くの方 法 で 簡 単 に凹 凸 のある版へと変 容 でき る。 そして、版自体がとても単 純なだけに版に運 ぶ絵 の具 の 量 や、刷 毛による絵 の具 ののばし方、また、 摺りの圧 力 加 減 でも和 紙 の 表 面に写し取られた色 1986 年 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業 1988 年 多摩美術大学大学院美術研究科修了 1990 年 平成 2 年度芸術家国内研修員 2008 年 第 7 回高知国際版画ビエンナーレ 準大賞 現在 多摩美術大学非常勤講師 にはその技術 がないし、 それを求めてもいなかった。 日本大学美術学部非常勤講師 ならばこの負の 性 質ともとれる版の 特 性を生かし、 相 や 形 は変 化してしまう。もちろん、浮 世 絵 の職 人 のような卓 越した彫りや摺りの技術 があれば、また 考え方も違っていたのかもしれ ないが、もちろん私 56 意図を持って曖 昧に、そして柔 軟に版から提 示され その上に水性 絵の具を摺り重ねていく工程だが、 たものを見つめ、 選 択しながら輪 郭を探して行こう 版の順番としては、 「油性インクで摺ったあとに水性 と考えた。 の 版を重 ねる?」と疑 問 に 思 われ るかもしれ ない。 油 性インクがついているところは、水性 絵の具が 浸 それでは 私の版と制 作 の実 際 について述 べたい 透しないと考えるのが 一 般 的な見 解だろう。私の制 と思う。 作 では、和 紙という素 材も助けになっていると思う が、バレンで和 紙に軽く摺って紙の繊 維が 残るよう 版と摺り にインクをつけているため( 点 状にインクがついて まず 版 木を 選 ぶことから制 作 が 始まる。それ は いる)、水性 絵の具を支 持 体に無 理なく浸 透させる 木には「 木目」があるからだ。木目は多くのものを想 ことが できる。油 性インクを最初に摺って、水性の 像させてくれるし、類 似性はあっても同じものは一 版を重ねるという工程 順により、版の重ね方( 回数・ つもない。生命 が 描く無 二の容 姿である。せっかく 色の選 択、等)でマチエールの見え方が 調 整できる 版 材に有 機 物 である木 材 を使うのだから、この自 のが、この方 法 の利点の一つである。また、油 性の 然 からの賜り物を利用したい。木目の模 様、また方 マチエールを 最下層にすることで、マチエール が 饒 向を見て版 木を選 択する。そして、そこからイメージ 舌にならず、水性 絵の具が 本来 持つ色の力、美しさ を膨らませていくのは、生の 痕 跡を辿るようで果て を損なわないと考えている。常 識 的にはやや亜 流と しない。 も見えるこの工 程が、あくまでも下地の 効 果として、 次に、大まかなイメージが 固まった段 階 で、モデ 私の表現には適していると思っている。 リングペーストやジェッソ、シェルマチエールなどを 使ってコラグラフの版をつくる。この版が 1 版目とな り油 性インクで摺るのだが、効 果としては油 絵 の下 地のようなものである。ストロークやドロッピングな ど、彫ることでは 得られ ないような 表 情 が、筆 やパ レットナイフ等を使って、自由自在につくりだしてい ける。この時、それぞれのマチールの高さに差があ ると、バレンで摺る時に均等に摺れないため、出来 上がった版は、サンドぺーパーなどで高さを均一に しておく必 要がある。 コラグラフに油性インクをのせる コラグラフの版をバレンで摺る モデリングペースト、ジェッソを使ってコラグラフの版を制作 57 2 版 目の 水 性 摺りの 版 は、マ チエール が 摺られ た画 面に、調 子を付けていく版である。調 子は下に 摺ってあるマチエールと重なったときの見え方 で 判 断したいので、出来るだけ形 が 限 定されないように 板 ぼかしや水性ウレタンニスを塗った版( 水性ウレ タンニスが 塗られたところは色が 付 かない)を使っ ている。この時、柔らかく調 子をつけていきたいと いう欲 求を持 つ。一 般に 木 版は 彫 刻 刀で 彫り込む ことよるエッジの 効いたシャープな 表 現をするには ↓ 適しているが、柔らかく表 現するには、摺りや 彫り 1 版目 コラグラフの版 方 など多くの 技 術 が 必 要 になってくる。しかし、水 性ウレタンニスを使 用する方 法なら、濃 度を変える ことによって版 面における絵 の具 の 浸 透 率 が 変わ り、ハーフトーンや柔らかな表 情、そして筆で描くよ うな調子も容易に表現できる。 以前はキッチリと版を彫って、エスキースの 通り に形 を決 めていた。しかし、前にも述べたように摺 り方 等 でいくらでも変 化してしまうなら、明 確 な 形 を排 除して 初めから曖 昧 に 進めて行こうと考えた。 そして摺り取られて浮かび上がる木目の 形や、版を 油性インクの白 摺り上がり 重ねることで 現 れた形 の面白さからイメージをさら に構 築し、3 版目以降 の版をどうすべきかを考えて いく制 作 方 法 へと変 動していった。そうすることに よって、エスキースから自由に解 放される手段を得 ることが できたと思う。 和紙に摺る 制 作していく中 で 支 持 体としての 和 紙 の 存 在は 大きい。それは、和 紙自体の持 つマテリアルの美し さが あるからだ。絵 の 具を付 けることで、汚してし ↓ まっているのかもしれないと罪 悪 感を抱くほどの存 在 感 。その美しさをできるだけ画 面の一 部 、という 2 版目 水性の版 2 版目 水性の版 より画 面に不可欠な要 素として大事 にしたい。それ は、絵の具の色の力を引き出すためにも必 要なこと だと考えている。 1 版目のコラグラフの版は、活 版インク、またはリ トインク等に体 質 顔 料 などを混 ぜた堅 めの 油 性イ ンクを使 用している。細 かいマチエールまで 残さず 摺り取れること、柔らかいインクは和 紙の繊 維をつ ぶしてしまうことから、インクは硬く粘り気があるも の が 好ましい。そして使 用している色は白 で、この 水性 絵の具(吉祥絵の具 素鼠)で 1 版目に重ねたところ 色を選 択した理由は、2 版目以降どんな色にでも対 58 応 できることと、そのまま白の色として見せることで 上りながら意 識的に 「踊り場」を設け、次へと登る明 和 紙 の白との 質の 違 いも表 現となるからだ。 ( この 確な足 取りをためらい、 「待 機 」する時間をつくり出 版の時、部分的にのせるインクの量を変えることで、 す ためのものだ。それ は、止まっているように見え 上に重 なる水 性 絵 の具 の 付き方も調 整 することが る水 鳥が、水 面下はで 激しく足を動 かしているよう できる) に、歩みはなくても思 考は足下を深くえぐっていく。 2 版目以 降 の水 性 の版は、同じ版で 水性 絵 の具 それは「ぼんやりとした、形にならないものを不明瞭 を薄く何層にも何層にも摺り重ねていく。摺るという なまま見 続ける」ことだと思う。そして、そこから浮 より和 紙を染めあげていくような作 業だ。紙の繊 維 き上がるものが、本当に存 在するか 否かは分 からな の中 で、色と色 が 重 なって和 紙と水性 絵 の具 が 一 いが、見 続けることが「版 」 と を繋ぐために必 「版 画」 体 化していく。これ は油 性インクにはない水性 絵 の 要な行為だと考えている。 具ならではの効果だ。 私は、 「 不自由で 曖 昧な技 法 」である木 版 画に、 重ねることによって色 が 提 示されていくが、同じ まだまだ 振り回されることばかりであるが、今 後も 版を用いても絵の具の量 や水分 量、重ねる回数、摺 この曖 昧さの中で、 「 踊り場」を自らつくり出してい り圧でも差 異が 生まれる。色を変え、版の順番も入 くつもりだ。それ は、内 在 する消 極 性の 発 露ともと れ 替えれば、無数の選 択が広がってくる。 られ が ちだが、私にとっては息を整えながらも、敢 この不安定で曖 昧な状況は、版というものの中で えて多くの障 壁と直 面する場であり、大きな決 断を あえて迂 路を通ることになるが、内 在 する思考 から 伴う場となるのかもしれ ない。そして「 踊り場」から 遠く離 れ 、深く掘り下げたイメージの 生 成を昇 華さ 次への一歩は幾 千 の 分 岐を越えた一歩になれ ばと せるためには必 要な行為だと思っている。 思っている。 とにかく明 確 な足 場もないこの「 踊り場」に静 か に委ねることが 私の版と版 画 制作となるのだろう。 油性インクでコラグラフの版を摺って、 その上に水性の版を重ねたところ(部分) 曖昧なるもの 版 画 は 油 絵 などと違 い、版という在 外 的 な要 素 の 介入 によって成 立してしまう表 現 方 法 であるた 風韻 № 2 木版 75 75 ㎝ ED15 2007 年 め、制約が 多く大 変不自由であると思う。 確 かに、その 不自由さが、他 律 的 な次 元に決 定 権を委 ねているというところに妙 味 があるようにも 思われるが、一歩 間違えれば 版と技術の中で、自律 を見 失う要因にもなるのではないだろうか? 私にとって曖 昧とは、階段の途中にある 「 踊り場」 のようなものかもしれない。それは、版という階段を 59 リトグラフを始めて飽きもせず、もう 40 年にもな る。また、ご 存じの方もおいでだろうが、プリンター の仕事も生 業として行っている。 年寄りの部 類に入った私に特に目新しいこともな いのだが、作 家と職 人の両 方の 作 法 を描 いてみた い。 読 者は専 門の人ばかりだから、今更リトグラフの 原理など必 要ない、また、リトほど 簡単な技 法もな い。油 で 描 いて、アラビアゴムを塗ったら版はほと んど 完 成 である。リトは 版 画じゃないとの 暴 論 を 吐く方もおいでだが、あなが ち間 違いではない。イ メージを 2 回なぞる事になる彫りも、デコ、ボコも無 い。原理を知ってしまえばこんな簡単な技 法もない のである。 そもそも私がリトグラフを始めたのは東 京造 形 大 学 在学中の 20 歳の時、自己 流で磨りガラスに油 で 描 いてアラビア糊を塗って、小さなゴムローラーで 油 絵の具を付け、エッチングプレス機で刷った事に よる。それ がリトグラフというものだと知るのは、1 年も後の 授 業によってで、そのときはもちろん見 事 にガラスはこなごなに割 れ 、 上 級 生に怒られ 挫 折し た。 私の 学 生 時 代は、学 生 運 動 の真っ最 中、誰も学 校に来ず、私 1 人に先 生 4 人という日もあった。その |平 版| うち学 校 閉 鎖になる。しかたなく下宿の隣 室の写 真 科 の 学 生にもらった写 真 機 を持って外 へ 出て 写し −石版を巡る、とりとめのない話− 始めた。そのまま写真 家にでもなろうかと思ったが、 現 像、焼き付 けという暗 室 プ ロセスが 好きなだけ で、明 室 で見る自分 の 写 真 はおもしろくなかった。 丁度その頃、馬場檮男先 生が 来てリトグラフの授 業 日本大学 を受け、スターだった池田満寿 夫 氏が 講 演に来たこ 園山晴巳 とで、吉原英 雄 氏の版 画の本を読みふけり、リトを 続けることになった。 振り返ると、学 生 時 代に写 真をやっていたのと、 1972 年 東京造形大学絵画科卒 1976 78 年 文化庁在外派遣芸術家研修員(仏、米)ゴー ドン工房、ディジョベール工房、アートリト工 房にて研修 2004 年 南天子画廊個展(東京) 技法 2011 年 国立深圳画院美術 館、武 漢美術 館、常熟美 術館個展(中国) 私の 作 品は 10 0 年 前の 技 法 で、全 然 新しくはな 2012 年 北京ビエンナーレ(中国美術館) その 後 の 摺りの 仕事が 私の 作 品に大きく関 わって いる。 い。これ は 文 化 庁 の 在 外 研 修 員として 25 歳 から 2 年 滞 在したパリの工 房 で 修 行したことで身 につい 和歌山、リュブリアナ、 台北、ガンランなど国際展受賞多数 現在 た。昔、日本 では 蛇 蝎 のごとく嫌われたクロモ石版 日本大学芸術学部非常勤講師 60 法で、どちらかといえば浮世 絵 版 画の考え方と近い 誠に筆 圧が 軽く、しかし、イメージが強靱なのが印 ゆえに、一面、創作版画の敵である。きっと研修地が 象的、また、解き墨の名手として印象深いのはサム・ アメリカあたりだとだいぶ違っていたかもしれない。 フランシス。サムは版 画のことも深く知っていて、 「こ 技 法 的には全てのリトグラフの技 法を、パリで 学 の版はいつ 整 面した?昨日か 1 週 間 前 か、1 ヶ月前 ぶことが 出 来た。学 ぶと言っても、プロの工 房なの か?墨 が 思ったところで止まらない。」と怒られ た。 で職 人として働いたに近い。色 彩 理 論 から石版、転 朝、いきなり私の工 房に来ることになり、おまけに、 写、作 家とのコラボレーション等 々、星の出ている すぐに制 作 するとは夢にも思わなかったので、慌て 朝 から星 の 出ている 夜 まで 死 ぬ ほど 働 いた ( 学 ん て出した版だったのを、見破られた。 ( 整面は大事。) だ ) 。この 紙 面 では伝えられ ないが、クロモ法 は 職 サム・フランシスはイメージそのまま即 興で墨 を 人芸であって一 般 的ではない。芸 術的でもない。 (日 ドリッピングするのかと思いきや、鉛 筆でアウトライ 本ではすでに廃れている技 法。) ンを引き構 図を取りながら、1 枚の 捨 て版を作り始 < 創 作 版 画 運 動 の原 点 刀画 の言 葉 が ある通 め、これを 5 版に 転 写せよと言 われ 驚 いた。3 種の り、乾 坤 一 擲 、刃物に命 が 宿るというサムライ精 神 濃 度の違う墨を作り、ゆっくりと、とてもアンフォル があって、これ には言 葉としては 抗 いが たい。例え メルとは 思えない 繊 細さでラビを作っていく。決し ばこの言 葉に照らし合 わ せてみると、ミュシャのよ て偶 然 ではない計 算ずくの 墨 の 濃 淡 だったのを思 うなリトはもってのほかとなるが、私にとってはやは い出す。しかし、試 刷りでは各 版の色 違いを試みて り軟弱と言われようともこっちの方が良い。そもそも みたり、部分盛りにしたりと、注 文がとにかく多かっ 彫って刷ってという力仕事にリトは無 縁で、ムナカタ た。パントングラビュール( 絵 描きにして版 画 家)の も良いが、しかしドラクロワやピカソのリトグラフが 作 家としても超一流だった。> 私は正直 好きである。要するに西洋かぶれ。> 捨 て 版 法 は 広く知られて いるの で 割 愛 するが、 「 トレース法」と混同されることも多い。紙に輪郭線 前述したクロモ法はフランス語で言えばカラーと いう意 味 だが、簡 単 に言えば 基 本 色による色 分 解 を刷って顔 料 をまぶして 新しい 版に 転 写してゆく。 法 で( 色 分 割とは 違う)、当 然 マケット( 下絵)が 必 1 枚から 2 版ほど作れる。これを繰り返すことで、寸 要。私の作品で言えば、撮 影したモチーフの写 真コ 分 違わない精密なあたり線 が 何枚 でも出来る。コロ ラージュ。そのままではないが、専 門 的に言うと捨 ムペーパーと言うのがあるが、これもこの 技 法から て版法を使う。 派 生したものの一つ。プラハのミュシャ美 術 館 で原 ロットリングによるイメージトレースから始める。 画 や下絵、捨 て版、コロムペーパーなどの下準 備の 情 熱 的且つ 生真 面目に描き続ける。後、 PS 版に焼 材料が展 示してあったが、どのような過 程と思考で き付け、捨 て版とする。大 昔は液体 解 墨を付けペン 作ったか 手に取るように分 かる。丁度、浮世 絵の最 で描いて転写した。 初の墨 版と同じでとても大 切な行 程である。 <思い出すのは、脇 田 和 氏、中 山 忠 彦氏 の版は フィルムに描いた輪郭線 版 描画中 61 描版 描 版は彫 版と同じで描き直しが出 来ない。よく消 して描けないのかと質 問があるが、彫ったのを元に 戻せないのと同じで やっぱり版 画には違いない。リ トはリトらしい版というものが ないのが 特 徴 で、何 がどのように描かれているかということに尽きる。 描 き終 わった 版 が、あまりに 素 晴らしい 時もあ る。特に細密のものは消すのが 惜しい。野田弘 志 氏 の石版は削るのが惜しく、2 年くらい眺めていたこと パリ・ディジョベール工房 もある。自分 の版でもよく描けたものは刷らない方 が いいと思うこともある。カラーにするのが 惜しく、 1 版 墨 刷りにしたことがある。最 近、学 生が 金 属 版 ではなく石 版を やりたいというの が 増えているが、 版そのものの美しさが見直されているのかもしれな い。 <ヨーロッパ、特にフランスでは金 属 版と言えば ジンク版のことで、アルミ版と言えば PS 版の事を指 す。 ( 日本 ではジンク版は消えつつあるが、私はジン ク版が大 好きだ。)パリ時 代でも石版はよほどの大 家のオーダーで 無いと使われなかったが、どちらに パリ・アートリト工房 しろ、石版マシーンで刷るので、安 全(破 損 )の為、 転 写 紙 で ジンクに 転 写して、刷 版を 作 ることが 多 そもそもリトの 道 具 は他の版 種に比べて少ない。 かった。ジンクの良さは反 応の良さと柔らかさにあ 油ズミとクレヨンが 主 で、どう使って描くか の問 題 り、刷りやすい。ジンクはそもそも専 門工 房用で、ボ になる。私のクレヨンは昔ながらのクレヨン№ 2 ∼ ザールなどの教育 機 関には石しか置いていない。週 № 4と油彩の使い古しの筆 。強くたたいたりパッショ に一 回ジンク版を抱えた研 磨屋さんがゴロワーズタ ンを版にぶつけたりと言った描き方はあまり必 要が バコをくわえて ムッシュアルミィ、ボンジュール! 無いし、また、良いとも思えない。版の目の深さを感 と届けに来 た。私 は作 家と相 談しな がら試 刷りを じながら、クレヨンをまっすぐ立て、表面を優しくな 完 成させるエッセイヤー 部 門だったので、版の善し ぜたり、腹を使ってグイと底まで降ろして、柔らかさ 悪しは重 要、うるさく注 文を出している内に顔 見 知 を出したり、ミストンプでゴシゴシこすったり、ジン りになった。1 色 刷ってはカフェで作 家とビールとタ クは当たりが 柔らかくてとても良い。アルミのコツコ バコで休 憩、また 2 色目、と 1 日平均 5 色くらい刷る ツとした冷たさと反 応の悪さは今でも好きになれな ので 帰りにはそうとう酩 酊状 態になるはずだがパリ い。 は乾 燥しているのか 全 然 酔わず、水代わりといった ところ。話 が 脱 線するが、パリの工 房は職 人世界で あり、高 卒で下働きになり、10 年 20 年修行をして 1 人 前になる。 何 で 学士様 が 刷りなんか やってるん だ? とよく言われた。言い返して私が、 なんで工 房にいるんだ? と聞くとウィンクしながら 金 が い いからヨ との 返事、そう、能 力があれ ば 職 人世界 でもとびきりの収 入が 得られた。> クレヨン/ミストンプでゴシゴシ 62 製版 で言えば 彫り進 み)ゆえに試 刷りも出 来ないし、エ アラビアゴムを塗ったらそれでおしまいと書 いた ディション分、全 部 刷っていかねば ならない。判 断 が、ジンク版はそれでもいいが、アルミ版や石版は、 を間 違えば全てがパアになるので、大 変なスリルが アラビアゴムに何かしらの酸を入れて反 応を強める ある。使う色は基 本 的に透明色なので、どの色から 必 要がある。どれをどのくらいで、どのように反 応さ 刷ってもほとんど 結果は同じ。と言っても、2 版くら せ れ ば良いかは人それぞれ にやり方 がある。私は、 い描きながら刷っていく。ここまで書いてきたのは、 アラビアゴム( 酸 入り)を塗 ってオシマイの 部 類 で 19 世 紀 末 からパリで 行 われている色 彩リトの本 流 ある。私の版はそのように対応するよう描いていて、 のやり方 で、全て合 理 的に考えられている。ル ーツ そしてすぐに刷る。いわゆる製 版行 程の後半を飛ば は浮世 絵 版 画のような気もする。 すのである。どうせ 製 版インクを 落として色 インク 色の中でもベージュはとても恐ろしい色で、単 独 で刷るくらいなら、最初から色インクで刷っても同じ では分 からないが、他の色と出会うととたんに牙を と考える。これもパリ時 代 の 1 日に何 色も刷って見 むく。ベージュを弱める色はないので、強すぎるとど せなくてはいけない 経 験 から来ている。ダメとなれ うにもならない。ベージュはなるべく後で。 ば 明日から来なくていい とクビになるのでこちら パリ時 代 から 38 年、職 人 たちとはずっと交 流 が も必 死 。今でも色を作るのは 速 い。版の成り立ちと 続く。それぞれの人 間の持っている技 術を取り入れ しては、黄系( レモン、ベージュ)、赤系(ローズ、バー たり、教 えたり。しかし普 通、パリはもちろん、イギ ミリオン)、青( セルリアン、ウルトラマリン)、紫と決 リス、シンガポールなどのプロの工 房は閉 鎖的 で自 まっていて、白い布のシリーズも実はそうで、薄いグ 由に見学 できるわけでもないのだが、どこに行って レーに見えているところは実は薄い 補色同士( ベー もプリンター達とはどこか職 人の匂いが 私にするの ジュに紫)の 掛 け合 わ せで 色 味を打ち消している。 か、すぐに友 達になれる。 派手な色のシリーズも基 本 的には同じである。 イギリスの著 名な版 画 家およびプリンターでもあ る、ロンドンのコーエンスタジオ代表のスタンレー・ ジョンズ氏もその 一人である。今 はケンブリッジに いるのでたまにしか 会えないが、会うと 1 日中でもリ トグラフの話にふけってしまう。 さて、自分 の 作 品についてのコメントが 全く抜け 落ちている。自分 の 作 品のコメントは昔 からしない 3 版そろって刷り開始 ことにしている。結 局 のところ、技 法 的には日本 で は 特 異であって参 考にならないだろう。しかし、特 異点のところに私の人 生と表現内容が 隠されている に違いない。 校正機 リトグラフは 女 房とは別れられても、プレス機 か ら別れられないので、プレス機の種 類によって技 法 は 制 約 され る。若 い 頃 持 っていたプ レス 機 で は今 の 技 法は出 来ない。今 使っているのは 校 正機 で、1 1 版刷りにした作品 色 刷ったら消して、2 度 3 度と使う版もある。 (木版 63 |報 告| を対 象とし、展 示プランを含めたファイル 公 募 の中 から審 査 員によって出 品 者を 選 出した学 会主 催 の 「版の時間/ Age of Prints」展について 展 覧 会 で あ る。 展 示 の 規 制をな るべく少なくし、 愛知県立芸術大学 / 版の時間実行委員長 従 来 の版 画 作 品 倉地比沙支 はもとより、イン スタレーション・ 立 体・ 連 作・ 映 像など、より自由度の高い展 示を可能とし、空 間 全 体を各自がプロデュースするコンセプトになってい る。選 考 後は、発 案から設 営まで展 示プランをもと に学会( 実 行委員会)、出品 作 家、美 術 館の三者の 連 携 の中 で 計 画された。同 時 期に、町 田 市 立 国 際 版 画 美 術 館 において 開 催され た 全 国 大 学 版 画 展 は、浮 世 絵 から始まった 版 画 の文 脈 性 を踏 襲し、 基 本 的 な 版 形 式( 4 版 種 )を基 軸 にした 学 生 作 品 の展 覧会であり、版 画 芸 術と版 画 教 育の啓 蒙 活 動 の一環として、その重 要な役 割を担っている事は既 知の 事 実 である。もう一方 で、ジャンルを横 断する 夏 から冬 へと向かう寒 暖 差 が 幸いし、例 年に無 ような版による応用表現 、映 像や写真を取り込み変 く鮮 や か な 紅 葉 の 葉も 落 ち 始 めた 12 月、女 子 美 化させるデジタル 表現 、ホワイトキューブのような既 アートミュージアムにおいて、 「 版の時 間 / A g e of 存 の 空 間に収まらないオルタナティブな 表 現など、 Pr i nt s」展が 開 催された。市民の憩いの場である公 版 概 念 の 拡 張 により多 様 化した 版 画 表 現 の 現 場 園に 隣 接し、静 かな 佇まいを見せる贅 沢な展 示 空 を、若 手 作 家を中心に紹 介し大 学 版 画 展と相 対 軸 間と充 実した設 備、有 能な 学 芸員に支 えられ た 運 で同時 開 催することで、より重 層的な今日の版 画の 営 母 体、バランスのとれ た研 究 機 関としての 美 術 現 況を世 の中に提 示 できるのではないかと考えた 館である。外 界の自然を遮 断する事 無く入り口から のである。 自然 光に満ちあふ れる 展 示 空 間 へと誘 わ れ 、 展覧会実施概要 天 井 高 のある左 右に広 |期 間| 2012 年 12 月 1 日(土)∼ 16 日( 日) がる展 示 室へと導 か れ |主 催|大 学版 画学会 / 版の時 間実 行委員会 る。13 名 +1組 の 作 家 |共 催|女子 美 術 大 学 による、そ れ ぞ れ の 特 |助 成|公益 財 団法人 朝日新 聞文化 財 団 性を存 分 に活 かした作 |開 催場所| Jo s h ibi A r t Mu s eu m 女子 美 品 群 が、その展 示 室に アートミュージアム 負け ないような存 在 感 入 館 者数 1170 名 を 示し、館 内 全 体 が 居 ギャラリートーク傍聴 者数 137 名 心 地の良い 違 和 感に包 シンポジウム傍聴 者数 188 名 まれていく。 オープニングレセプション参加者数 約 20 0 名 この 企 画は、版 画 分 野について研 究 及び創 作 活 ・審 査 員(ファイル 審 査 / 50 音順) 動している 20 代 後 半 から 40 歳までの若手 研 究 者 清水 穣(美 術 批評 家、同志 社 大 学 教 授) 64 滝 沢恭司( 町田市立国際 版 画美 術 館 学芸員) 位を付して選 出し、最 上 位 2 名は 無 条 件 で出 品 対 建畠晢(京 都市立芸 術 大 学 学長) 象 者として決 定 。3 名の審 査 員から推 薦された 3 位 ・出品 作 家( 50 音順) ∼ 15 位までの 13 名のうち、3 名の合計の上位者 か 阿部大 介 / 大 坂 秩 加 / 加 納 俊 輔 / 上村 洋一 / 岸 雪 絵 ら、審 査 員の意向を踏まえ、会 場の配置バランスを / 金 光男 / 構想計 画 所 / タイダ ヤシャレヴィチ / 鷹 野 考慮し 14 名が最 終決定された。 健 / 田口 健 太 / 堂 東 由 佳 / 水 野正 彦 / 芳 木 麻 里 絵 / ・展 示設 営 吉田ゆう 壁面 1 人 10 m 程 度 / 床面 1 人 一 辺 7 m 程 度 ・版の時間実 行委員会 ・展覧会記録 集 / 展覧会終了後2013年 3 月発刊予定 実 行委員長:倉 地 比 沙支 愛 知県立芸 術 大 学 実 行 委員( 50 音 順 ) :生 嶋 順 理 東 京 造 形 大 学 / 大 ほどよい 拡 散 光 のもと会 場 全 体を見 渡した印 象 島成己 京 都 嵯 峨芸 術 大 学 / 北 野裕之 京 都 精 華大 は、それぞれ の 作 家 が 主 張しながらも不思 議な 違 学 / 清 水 美 三子 女 子 美 術 大 学 / 長 尾 浩 幸 成 安 造 和 感と一 体 感を共 存させている。実 行 委 員の 大 島 形大学 氏の言 葉を借りれば、 「版 画 制作の現 場でみいださ ・作品紹介ギャラリートーク れ た 特 質 を、より特 化させる表 現 が 今日の 版の 多 出品 作 家 / 大島成己(コーディネーター) 様 性となっていると言えるだろう」の言 葉 通り、如 何 日時 / 12 月 2 日(日)13 : 0 0 ∼ 14 : 0 0 なく発 揮されている。以下は、出品 者のステイトメン 場所 / 女子 美アートミュージアム展 示室 トと会 場の作品を見て記した、私の個人 的な所見で ある。少々的外れな場 合はご容赦下さい。 ・熱 を加えれ ば 発 泡 するシルクスクリーンインクを 使 用し、服や床など 様々な対 象を型取りし虚像を創 り上げ発泡させる。物 質の内と外との境 界が 液 状化 し内 から何かが 蘇 生させるか のような 作 品を 制 作 する阿部大介。 ・シンポジウム『版の時間』 ・淡々とした「 日常」の中に垣 間 見える人 間の機 微、 日時 / 12 月 2 日(日) 14 : 0 0 ∼ 15 : 30 滑 稽 さや 不 恰 好さに 本 来 の人 が ありリトグラフに 場所 / 女子 美 術 大 学内 1011 スタジオ よってストーリーを見出す大 坂秩 加。 モデレーター / 長 尾浩幸(司会 進行) ・物 体 の 表 面 を 撮 影した 画 像 を 同 一 の 表 面 に 貼 出演者 / 金 光男 ( 出品 作 家) ・田口健 太 (出品 作 家) ・ 付、フェイクと実体の差 異から何かを読み 取らせよ 前 野智彦(出品 作 家 / 構想計 画 所) うと仕 掛け、どこか 冷 笑的な光を放つ加納 俊輔。 大島成己・倉 地 比 沙支 ・シルクスクリーンによって 摺られた音 符が モビー ・レセプションパーティ ル状に漂う。音 符 日時 / 12 月 2 日(日) 16 : 0 0 ∼ を分 断、再 構 成し 「 音 が見られ 、絵 場所 / 女子 美アートミュージアム ロビーラウンジ ・応 募 状況 画 が 聴こえる場」 応 募 総件 数 63 件 としての インスタ 地 域 別応 募 状況:関東 地区 31 件 / 中部 地区 9 件 レーションを目指 関西地区 21 件 / その他 2 件 す上村 洋一。 動 画 資 料 添 付 4 件 ・リトグラフ技 法を使 用し、日常の様々な事 物を解 グループ応 募 2 件 体、再 構 成することによって、不 確かで異質な景 色 ・審 査 に創り変える岸 雪 絵。 各審 査 員をファイルが 巡 回し集 計 選出方 法で行う。 ・蝋を塗られた支 持 体 面に摺られたシルクスクリー 各 審 査 員により、応 募 者 の中 から上位 15 名を、順 ンによる画 像 が、熱を加えることにより液 状化する。 65 物 質性とイメージの関 連を問い直そうとする金 光男。 当 初 は 大 学 版 画 展との 併 設 を目指していたが、 ・あるキーワードから始まった事 物を解 体し展 開し 学生 主体の展覧会である大 学 版 画 展の位 置 づけと なおすことで別の 何かに変 の若手 研 究 者の年齢 的 齟 齬、特 設 会 場を設けるこ 異させ、版プロセスに似た とによる学生 展 示スペースの減 少など、会員の同意 様 々なメディアを 通して再 が 得られず企 画自体を断 念 せざるを得ない 状 況に 構 築 する 構 想 計 画 所 ( 酒 陥った。しかし、女 子 美 術 大 学馬 場 先 生のご 提 案 井一有、前 野智彦、三田健 とご助力により、今回の実 現に至ったのである。 志 )。 開 催 が 決 定された時点で、検 討 委員会 の 4 名に ・質とイメージの 異 なった 東 京造 形 大学の生嶋 教 授、女子 美 術 大学の清水 教 方 法で得られたイメージが 授に加わってもらい、それぞれの分 野に精 通した特 重なり、不安 定な艶のある 別チームが 組まれ「版の時間」実行委員会とした。関 リアリティを生み出す 銅 版 東関西中部など広域にまたがり、効率の悪い運営を 連作のタイダ・ヤシャレビチ。 余 儀なくされる状況であるにもかかわらず、美 術 館・ ・時 間の喪 失と痕 跡をデジタル画 像の石膏刷りとい 出品作 家・実行委員の三者が連 携し、展覧会へと相 う方 法で 物 質に固 形 化する鷹 野 健 。 乗 的に結 実できたことは、非力な委員長を除き、三 ・ ネガの状 態 のドローイングから印画 紙に焼きつ 者の並々ならぬ功績 があったからに他ならない。 け、現 実と非 現 実の 狭 間にある不 穏な実 在を目指 シンポジウムの 際、モデ レーター の 長 尾 氏 から 「あなたは 版 画 家 で す か」と出 品 者 へ の 問 いに 対 す田口健 太 。 ・儚くもありシリアスでもある日常からくみ取った題 し、 ye s と no に分 かれたことは印 象 深い。仮に「 版 材を、メモを貼り付けるか のように反 復、連 鎖、拡 画 」と言う建 物と「 美 術 」と言う庭 園 が あると想 定 大 縮小などの版 的展 開を試みる堂 東由佳 。 し、大 雑 把 であるが 4 者 に分 けるとする。① 建 物 ・なにげない場面や事 物を撮 影収 集し、版やペイン ( 版 )の中 で 部 屋 の中の人 たちと深く関 わる人 。② ティングを介した方 法で、意 味を限 定しない 「別の何 建 物の中から庭 園( 美 術)を見つめている人 。③ 建 か」に置き換える。置 換の方 法は版 から起 因し、自 物 ( 版 ) の入口のドアに寄りかかり、半身は部屋、半 身さえもその対 象と考える水 野正 彦。 身はドアに立 つ人 。④ 庭 園 ( 美 術 ) からあえて建 物 ・20 0 回 以 上のシルクスクリーンインクの 摺り重 ね ( 版)を見ようとする人 。これらの立ち位 置の違いに により、レースなどの 擬 似 的な立体 物を創る。本 物 優 劣はない。しかし、この立ち位 置や視 点の違いや と似て非なる物が できあがり、実体の不 確かさや版 ズレを共 有 できる力を「 版 画 」が 持っていると考え のあり方を問う芳木 麻里 絵。 ている。それは非常に不安定で曖 昧なバランスであ ・嫌 悪 感 や 偏 見のある題 材( 鮫)と自身をデジタル るが、その厳 選され た 曖 昧さを保とうとする力 が、 手法によって合成し、嫌 悪性のある視 点から人 間を どこか 教 条 主 義 的 な視 点に落ち入りやすい美 術の 見つめようとした吉田ゆう。 スタンスにおいて、必 要であると信じたい。 版 概 念の 拡 張は、なにがしか 他の 領 域を侵 犯し 発 端 は、4 年 前に当 時 学 会 会 長であった 木 村 秀 ていることに繋がる。国 境であれば、侵 犯した途 端 樹 氏( 京 都 市 立 芸 術 大 学 教 授 )によって発 案され に標的になる訳だが、はたして版 画は侵犯し標的に た大 学 版 画 展 検 討 委 員会 が 出 発 点になっている。 されているのであろうか? また、逆に他ジャンル か 大 学 版 画 展の将 来 的なあり方を検 討 する独 立した ら版の 領 域 を侵 犯されているのだろうか? 今 回 彼 委員会であり、議 論を進めるうちに現 在のような骨 らの作品や 考え方に関わり、微 妙なバランス下での 子に行きついたのである。大 学版 画 展における意 義 臨 戦 度を教わった。 を再 確 認しながら、現 行 の展 覧会 が 大 学 の 教 育と 紙面の都 合上 短くなりましたが、今回の 企 画に対 研 究の 現 場、ひいては今日の版 画 表 現の 現 状の反 してご 支 援いただいた、美 術 館を始め全ての機 関、 映 度について、集中的に議 論された。 方々にこの場を借りて深くお礼申し上げます。 66 |報 告| は、 「 版 画」や「 版 」について狭 義な美 術のジャンル 別に対しての 意 識 ではなく、同 時 代 的 な 美 術 の中 シンポジウム「 版 の 時 間 Age of Prints」 で版 画 や版 から派 生した有 効 性や 特異性を活 かし について て自分 の制 作に引き寄 せる事で 独自な 表 現 が可能 になり、そのうえで 評 価される場があることに彼ら 成安 造 形大学 は期 待しているようであった。かつて盛 んだった 版 長尾浩幸 画の批 評 性は、写真や映 像 表現の当該 分 野に移 行 しつつある。このことは、美 術における版 画の 批 評 性をいかに取り戻し、活発な議 論の場にすることが 2012 年 12 月 2 日、女 子 美アートミュージアムス 求められていることだと考えられる。 タジオは、前日の総会に引き続き学会 関 係者の方々 出 演 者以 外 の展 覧 会に並 んだ作 品も、版と言う のほか、出版社や大 学関 係者、作 家、学生らで満席 媒 体を通した手 法 や版 から展 開されたものであり、 となっていた。シンポジウム出 演 者として、出 品 作 版 画作品のみならず、インスタレーション・立体・連 家から、金 光男氏、田口健 太 氏、前 野智彦氏の 3 名、 作・写真・映 像・音 響など、どれも意 欲的でより自由 企 画 者 側 から倉 地 比 沙支 氏、大 島 成己 氏、そして 度の高い作品展 示をしていた。これまで版 画 展でみ 私はモデレーターとして、司 会 進 行も務めることと られなかった作品とそれらが互いに関 係し合う会 場 なった。出演者の紹介後、展覧会 趣旨を踏まえなが では、版に対して思索に満ちた空 間となっていたこ ら、各自の版 画に関わる契 機 や 現 在の 作 品につい とを述べた。 てふれながら、版のもつ間 接 性や複 数 性、新しいメ 会 場からは、メディアに対 する意 識の違いによる ディアとして版の有 効 性について出品 者と共に討 論 作 家の構え方や版や版 画 表 現の展覧会のあり方な を行った。 どに対して質 疑 応 答がおこなわれ 、普段 から意 識し それぞれの作 家は、大 学 で専 門に版 画 教 育を受 ていなかった版 画の 未 来 像について考える貴 重 な けたのちアシスタントや講 師などを経 験しながら創 時 間となった。学会においても、版 画 教育の進 歩発 作 活 動している。70 年代 後半から、80 年代 後半生 達をはかるとともに、これ からを担う才 能を持った まれ の 彼らにとって版 画 教 育の中 で 何を学んでき 研 究 者 や作 家 達の更なる飛 躍を願っている。 たのか、そこで 学んだ 事は現 在の 作 品 や 創 作 活 動 にどのように繋がっているかといった質 問を投げか けた。それには 80 年代の状況と違い、様々なメディ ア 機 器を使 い画 像 処 理 や製 版をこなし、暗 室作 業 や 編 集 作 業の大 幅な改善によって作 品制 作にどの ような影 響を及ぼしているのか関心があったからで ある。もっとも想 定していたように、彼らにとっては もはや 特 別の出 来 事 でもなく、制 作 過 程 において 使 いやすく、日常 的になくてはならない道 具となっ ていることであった。手 技の面白さが 失われるかも 最後に、展覧会 開 催にあたってご尽力を頂いた女 しれないといったことも危惧するまでもなく、上手に 子 美 術 大 学 の馬 場 章 先 生をはじめ、女 子 美アート 使 い 分 けながら作 品 の 強 度を保っている。版 画 教 ミュージアムの関 係者の方々にはお世 話になったこ 育においてこれまで の 版 種 別 オーソドキシー の 確 と、学会員の皆 様 や出品 作 家の方々、とりわけ大 学 立と共 にメディアへの 柔 軟 な対 応 が 新 たな 造 形 教 版 画 展 の展 示 作 業とあわ せ 展 示 や 搬 出 作 業 で 学 育に繋がり、美 術の可能 性を広げてくれるのだろう。 生へ のご 指 導 を頂いた東 京 造 形 大 学 の 生 嶋 順 理 また、作 家の立 場でどのような意 識 で 版 画 制 作 先 生、女子 美 術 大 学の清 水美 三子 先 生には深く感 や 版による作 品 制 作 を行っているか の問いかけに 謝したい。 67 |報 告| 東 京展 出展 数:30 点、小作品 19 点 「第6回大学版画展受賞者展」報告 来 客 数: 14 日間で 20 6 名( 昨 年より 37 名減) 第 36 回全国大学版画展受賞者による作品展 販売(文 房堂が 担当) :小作品 3 点 (昨 年より 7 枚 減) 第 6 回になる大 学 版 画 展 受 賞者 展は 7 月 11 日よ り 7 月 24 日まで東 京 神 田の文 房堂ギャラリーで 開 明星 大学 催された。本 展の主旨は版 画表現の啓蒙と普及、特 渋谷和良 に新人である受 賞者たちの作品を紹介することにあ る。版 画普及活 動の場として歴 史のある文 房堂ギャ ラリーを無 償 でお借りして、上記の目的のもとで、受 賞作品、小作品の展 示・販売を行なった。今回は積 極 的に出 品 作 家のレセプションへの 参 加を教 員か ら促して頂いたこともあり、大 勢 の受 賞者 が 参加し 自己 紹 介も兼ねて、自作を説 明してもらい、それに 呼応するかたちで、個 別の講 評 会を行い好 評であっ た。大 学 間を超えての交 流になり得て、とても有意 義に思われた。また、受 賞者 が 講 評してもらいたい 教 員を選 んで、直 接いろいろなことを指 導して頂く 機 会にも恵まれたことも良い 事だと思う。小 林 敬 生 先 生が中心になり、東谷武 美 先 生、池田良二先 生、 大 沼 正昭 先 生、清 水美 三子 先 生、三井 田盛 一郎先 生、他 諸 先 生 方にも講 評 会で 受 賞者 へ適 切なご 指 展覧会要 導して頂き、開 催事務局より感謝申し上げたい。 |展覧会 名|第6回大 学版 画 展受 賞者展 |会期| 7 月 11 日 ( 水 ) ∼ 7 月 24 日 ( 火 ) レセプション 7 月 21 日(土)17: 0 0 ∼ 19 : 0 0 |会 場|文 房堂ギャラリー |主催|大 学版 画学会 /(株)文 房堂 |協力|明星 大 学 展 示 内 容:第 36 回 全 国 大 学 版 画 展 受 賞 者 30 名 全 員が 参 加し、受 賞作 品 又はそれ に準 ずる作 品 の 展 示、及び小品展は 19 名が 参加し開 催した。 出 品 者 名:倉 金 奈々子、日沼 亜 衣、竹 内 秀 実、小 林 文 香、茶 之 木 絵 理、岩 渕 彩 香、西 平 幸 太、藤 木 佑 里 恵、水 本 伸 樹、上 田 裕 子、増 田 奈 緒、 S a d at 搬入・展示・搬出 Moh a m m a d R a z au l 、遠山由恵、野 嶋 革 、 Va ler ie 昨 年はアクリルの重い作品があり展 示にてこずっ He len Sy p o s z 、佐 竹広弥 、瀧 本 友 里子、石橋 佑一 たが、今 年はギャラリーのエレベーターに乗らない 郎、田中智美、高橋 邦 彰、黒 澤 優 哉、瀧千 尋 、藤田 寸 法 の 作 品が あり、裏 の 非 常 階 段 からの 搬 入・搬 典子、前 橋 瞳、伊藤 学 美、河股由希、横内朝、本岡 出 作 業 を行なった。これも本人 が 考 慮 すべき事 柄 千 尋 、栗 棟 美 里、中村由姫 で、事 前に連 絡 や 作 家自身 が 来て責 任を持って立 68 「第 6 回大学版画展受賞者展」 山形巡回報告 ち会う事が必 要だった。また、展 示期間中に額 装の −版画の断面 -4− 不 備 で 壁 から落ちる作 品があり、事 前に指 導 教 員 が 安 全 性を確 認することも今後の課 題である。 展覧会の現状とこれからの改善点について 東北芸術工科大学 来 客 数 が 15 %ほど 減ったこと、作品の売り上げに 若月公平 ついても半 分以下となり、これ から何らかの改善 策 を考える必 要がある。具体 的にどのようにすべきか は分 からないが、来 客者に興 味深い内容を考えて、 マスメディアにプレスリリースをしてみてはどうか? また、大 学 機 関の版 画 教育のノウハウを十二分につ かって、小・中学生を対 象にイベントを企 画してはど うか?このような内 容 は展 示スペースを提 供して頂 いている文 房堂 側にも相 談して、より良い方向 性を 見いだして行きたい。 展覧会概要 |展覧会 名|版 画の断面 - 4 1 . 大 学版 画 展受 賞者展山形巡 回& 2 . 東 北 版 画 |会 期| 2012 年 9 月 26 日( 水 )∼ 10 月 6 日( 土 ) |会 場|東 北芸 術工科大 学 本館 7 Fギャラリー |主催|東 北芸 術工科大 学 大 学版 画学会 |協力|山形 大 学 / 宮城 教育大 学 / 東 北 生活文化 大 学 |展 示内容| 1 . 第 36 回大 学版 画 展受 賞作品又は受 賞者 新作 出品者 30 名 計 30 点 倉金 奈々子、日沼亜衣、竹内秀 実、小 林 文 香、茶之 木 絵 理、岩 渕 彩 香、西 平 幸 太、藤 木 佑 里 恵、水 本 伸 樹、上 田 裕 子、増 田 奈 緒、石 橋 佑 一 郎、 S a d at Moh a m m a d R a z au l 、 Va ler ie He len Sy p o s z 、遠 山由恵、佐竹広弥 、田中智美、瀧 本 友 里子、高橋 邦 彰、黒 澤 優 哉、藤田典子、伊藤 学 美、河股由希、横 内朝、野 嶋 革 、本岡千 尋 、瀧千 尋 、栗 棟 美 里、中村 由姫、前 橋 瞳(順不同) 2 . 東 北 版 画 東 北芸 術工科大 学 6 名 / 9 点 山形 大 学 4 名 / 12 点 宮城 教育大 学 4 名 / 4 点 東 北 生活文化 大 学 11 名 / 11 点 計 25 名 36 点 69 入場者数 392 名 |特別企 画 講 演会|「ニューヨークでの作 家 生活」 の 教 育システム、作 品 発 表 の 形 態、画 廊との 関 係 - 版 画と暮らして - 等、日本とは異なる制 作 者 の活 動 苦 労 話に参 加 者 |日時|10 月 5 日(金) 17:10 ∼ 18:30 の 53 名は 聞き入っていた。特 に生 活 面 では、ビザ |会 場|本館 7 階ギャラリー( 展 示会 場) の 関 係 から正 職 が 求められず アルバイト等 で 生 活 |講 師|石黒隆 宗氏 の糧を得ながら生活と制作との分 断を割り切らざる を得 ない 状 況は、今日の 経 済不 況下の日本 で 大 学 展覧会 開 催目的:一般市民へ若い作 家の現代 版 画 卒 業 後 制 作 する若 い 作 家たちが 直 面する困 難と同 紹介、 東 北の学生への作品制作上の啓蒙、 学生間、 様 であり、石黒氏のニューヨークでのご 苦 労とバイ 教員間の交 流 タリティは示唆に富むものであった。 本 展 は 大 学 版 画 展 受 賞 者 展 巡 回 作 品を中 心 に 山 形近 隣 4 大 学の学生作品の併 設 展 示による版 画 展 の 6 回目になる。毎 回の感 想であるが、ハツラツ とした受 賞作 品 の 発するエ ネルギーが 会 場に充 ち ている。作 者 が 各 々抱 える苦 悩 や主 張、美 意 識 が 張りつめた琴 線の上でなんとかバランスを取り 「版」 を介し紙 等に摺り取られた作品である 「 モノ」は、現 在を生きる彼らが爪 弾いた一音の 「コト」と鳴り今の 加え、 01 年 の 9 . 11 同 時 多 発 テロに 現下で 遭 遇さ 彼らの時 間としてそれらが 会 場に木 霊し、無 音のコ れ た状 況 のお 話 は、問 題 は異 なるにせよ東日本 大 ンサートホールに変 貌した。この印象は来場者 や搬 震 災も含め世 界で 起こる大事 件・災 害 は 私 たち制 入 搬出に携わった学生たちが 共に感じることと信じ 作 者に関 係なく振りかかるものであり、その現 実 社 たい。また、東 北の学生たちはその空 気と熱 気に触 会で芸 術を志 す 私たちが 何を考えるべきか 問われ れ 、自作を顧みて新たな創作意 欲にかられることで ていることを改めて認 識することであった。 あろうと望みたい。搬 入・陳列・搬出を通して他 者の 今後の計画 作 品を扱うこと、学 生 間の 交 流 促 進 等 の 教 育 的目 的も年 々成 果 を上げ、今 後もこの 企 画 継 続 意 味を 「版 画の断面」=受 賞作品による版 画の現 在の一 断 見出す結果と考える。 面を提 示 することの展 覧 会 開 催目的は回を重 ねる ことで 一応の成 果を納めたと判 断をする。次 回より 「 版 画の断層」と展覧会 名を改め新たな視 点でこの 巡 回 展を企 画 する計 画 である。当 年 度と暦 年の 受 賞作品との並 列展 示を行い版 表 現の時 間 的 断層の 在り様を提 示する予定である。 実務的事項 ・出品者 30 名の作品は、文房堂での展示終了後、業者 に委 託し本 校に移送。 会期まで保管。 本展会期終了後、 特別企画 会場写真を収 録した CD - ROM を同封し出品者へ個 特別企 画の講 演会では 92 年に明星 大 学を卒 業 後 別に返 送。 三 戸町 立 現 代 版 画 研 究 所で 3 年 勤 務され 98 年に ・A- 3 サイズチラシ 8 , 000 枚印刷 渡 米 、ニューヨーク滞 在 11 年 間の石黒 隆 宗氏をお ・チラシ同封案内 約 1 , 000 箇所発 送 招きし、ニューヨークでの作 家 生活のリアルな体 験 ・予算に関し をお話し頂いた。 作品送付(文房堂→芸工大→作者):学会 負担 研 修 先 T he A r t Students L ea g ue of New York チラシ印刷、発 送、その他経費:本学負担 70 |報 告| 「第 37 回全国大学版画展」報告 女子美術大学 馬場章 例 年 行 わ れて いる 公 開 講 座 は、学 会 特 別 企 画 展「 版の 時 間 」のシンポジウムが 女 子 美 術 大 学 美 術 館 で 催されるため開 催しませんでした。( 詳 細は p 6 4 ∼ p 67 に記載 ) 展 覧 会 開 催にあたりご尽力いただ いた各 係、担 第 37 回 全 国 大 学 版 画 展は、主 催:大 学 版 画 学 当校と役 割は以下の通りです。 会・町 田市 立 国 際 版 画 美 術 館、会 期:2012 年 12 月 1 日 ( 土 ) ∼ 12 月 16 日 ( 日 ) 、会 場:町 田 市 立 国 際 版 画 美 術 館 第1・第2企 画 展 示 室に於いて催さ れました。全 国の 美 術 大 学・教 育 系大 学・短 期 大 学・専 門学 校 53 校より 246 点の力作が出品されま した。学 生 作 品 販 売 は 参 加 校 43 校 から作 品 総 数 2619 点が出品され 、同美 術 館エントランス・ホール で 販 売 が 行なわれましたが、初日から多 数の 来 場 者で盛況を博していました。 大 学版 画学会 論文発 表が展覧会初日 14 時 30 分 より、同 美 術 館 講 堂にて行なわれました。発 表は、 ナ・フデ氏 ( 愛 知県 立 芸 術 大 学 美 術 研 究 科博士後 展示作業 担当校の学生・教員 期 課 程 修了 ) 論 文「 革 紙を 使 用した 水 性 木 版によ ポスター 制 作:町 田 市 立 国 際 版 画 美 術 館。ポス る版 画 表 現 」、湯浅 克俊 氏 ( 武 蔵 野 美 術 大 学 講 師 ) ター・DM 発 送 / 明 星 大 学 ( 4 名 ) 。学 生 作 品 販 売 論 文「 版 画よさようなら」の 2 つの 論 文 が、東 北 芸 担 当 校:女子 美 術 大 学 短 期 大 学部。搬 入:多摩 美 術 工 科 大 学 若月公 平 氏司 会 進 行 のもと発 表され 、 術 大 学・東 京藝 術 大 学・東 京造 形 大 学・日本大 学・ 多 数の学会員が 聴 講 致しました。 女子 美 術 大 学 ( 43 名 ) 。展 示:多摩 美 術 大 学・東 京 学 芸大 学・東 京藝 術 大 学・東 京造 形 大 学・日本大 学・武 蔵 野 美 術 大 学・和光 大 学・明星 大 学・女子 美 術 大 学 ( 77 名 ) 。撤去・搬出:多摩 美 術 大 学・東 京造 形 大 学・武 蔵 野 美 術 大 学・日本大 学・女子 美 術 大 学 ( 45 名 ) 。パーティー 係:創 形 美 術 学 校・東 京藝 術 大 学 ( 16 名 ) 。会 場当番・学生作品販売当番: 青山学院 女子 短 期大 学・白梅 学園 大 学・女子 美 術 大 学短 期大 学部・創 形 美 術 学 校・多摩 美 術 大 学・ 東海大 学・東 京学 芸大 学・東 京家 政 大 学・東 京藝 術 大 学・東 京造 形 大 学・東洋 美 術 学 校・日本大 学・ 論文発表風景 71 武 蔵 野 美 術 学園・武 蔵 野 美 術 大 学・明星 大 学・文 ました。アンケートをいただいた中から抽 選 で 5 名 化 学園 大 学・和光 大 学・女子 美 術 大 学 ( 112 名 ) 。 の方に学会員の版 画作品がプレゼントされました。 ( ) 内の数 字は教員と学生 総 数 です。 買い上げ収 蔵賞 ( 町田市立国際 版 画美 術 館収 蔵 ) は、展 覧会 初日の 会員投 票により以下の 30 名が 受 賞いたしました。 西村 沙由里 ( 東 北芸 術工科大 学 ) 、畠山美 樹 ( 筑 波 大 学 ) 、中村花 絵・中村美穂 ( 女子 美 術 大 学 ) 、市 野 悠・大 場 咲 子 ・上田 裕 子・谷口典央・増田奈 緒 ( 東 京造 形 大 学 ) 、長田奈 緒・横山麻 衣・邱 桂 欄 ( 東 京 藝 術 大 学 ) 、北 村 早 紀・千 島 麻 耶 ( 多 摩 美 術 大 学 ) 、赤 元 啓 護・安 齋 歩見・斉藤思帆・鈴 木 富美 子・ プレゼント作品展示風景 根 本佳 奈 ( 武 蔵 野 美 術 大 学 ) 、藤田典子・三浦 友 里・ 宮田真 有 ( 愛 知県立芸 術 大 学 ) 、武田典子 ( 大 阪 芸 プレゼント作品を寄贈して頂いた会員は、天 野 純治 術 大 学 ) 、伊 勢 村美 幸・伊藤 学 美・稲 端渚 ( 京都市 氏 ( 多摩 美 術 大 学・女子 美 術 大 学 ) 、海 老塚 耕一氏 立 芸 術 大 学 ) 、鳥 取 花 奈 ( 京 都 嵯 峨 芸 術 大 学 ) 、ニ ( 多摩 美 術 大 学 ) 、大 崎 のぶゆき氏 ( 愛 知県 立 芸 術 エト・アルベルト・平田彩乃 ( 京 都 精 華大 学 ) 、田島 大 学 ) 、大 西 伸 明 氏 ( 京 都 市 立 芸 術 大 学 ) 、菱 田 俊 恵美 ( 九 州産 業大 学 ) 。 子氏 ( 個人会員 ) です。 今後の展覧会 運営上の主な注 意事 項は以下の 通 りです。 業 者 委 託による搬 入 及び 搬 出 の日時 指 定の 徹 底。 担 当 校 以 外 の 出 品 校 へ の 搬 入・展 示 日の周 知 徹 底。搬 出 時 個 別 委 託 業 者 希望 校 業 者手 配の 徹 底。 出品 作 品リスト提 出 時 の 題 名と搬 入 時 の出品 票の 題 名 ( キャプションの 題 名 ) 同 一 化の 徹 底。大 作 の 収 蔵 作 品について収 蔵可能な大きさ・形 状 の取り 決めを検 討。 第 37 回 全 国 大 学 版 画 展 は、関 連 事業「 版 の 時 間」展と同時 開 催となり両展覧会とも盛況のうちに 終えることが でき、実り多い年度となりました。 2 年間の展覧会 運営にあたり、不慣れな運営による 数々の不 備をこの紙面をお借りしてお詫 び申し上げ るとともに、ご協力いただいた会員や学生の皆 様 方 のご理 解とご尽力に心から感謝申し上げます。 授賞式風景 観 客賞は、会期中の観 覧 者のアンケートによる投 票で西村 沙由里さん ( 東 北芸 術工科大 学 ) に決定し 72 |展 評| 「 若手アーティストの育成」を推 進している。大 学展 はまさにその先 駆けであり、町田市および版 画美 術 第 37 回全国大学版画展 展評 館 にとって大 切 な事 業 に発 展したといえるだろう。 だから私は大 学展を 「元 祖 」大 学連 携事 業と呼んで アピールすることにしている。 大 学 展 は今では毎 年 50 校 以 上 から 250 点を 超 町田市立国際版画美術 館 / 副館長・学芸員 える作品が出品されるようになった。毎年 続けてい 佐川美智子 ると、年度が 変わり参加者も入れ 替わっているにも かかわらず、展 示風 景に既 視 感を感じることがよく ある。去 年と同じ?い やい やそんな 訳 はないのに。 では大 学展は毎年、似たりよったりの没個性的な作 品が 展 示される退 屈な展 覧会なのか。全 体 的 な印 象だけで捉えてしまうとたしかにそうだろう。しかし 出品 者の多くは版 画 制作を学んでおそらく数年、院 町田市立国際 版 画美 術 館は 2012 年度、開 館 25 生 でも 10 年 に満 たない。つまりこの展 示には 学 生 周 年 を 迎 えた。一方、全 国 大 学 版 画 展( 以下「 大 が 版 画 制作と出会い、格 闘し、深めてゆく過 程がさ 学展」と表記)は当館よりもずっと長い歴 史 があり、 まざまなレベルで凝 縮されているのだ。やっと技 法 第 1 回は 1976 年にさかのぼる。私 が 大 学 展を初め を覚えた 段 階 から見 事 な技と創 造 力を見せてくれ て目にしたのは開 館 前の準 備 室 時 代、1985 ∼ 6 年 る力作まで、大 学 教育の成 果 発 表という観 点からす のことだったと記 憶している。町 田に版 画を専 門と ればその機 能を十 分果たしているといえよう。 する美 術 館が できることが 明らかとなり、大 学 版 画 また年ごとにある種の 共 通 要 素 が 感じられ 、創 学 会 側 から会 場を町 田に 移して開 催できないかと 作 行為というものが 時 代背景と無 縁ではないことを いうお話 があった。そこで当時 会 場だった都内の画 実 感させてもくれる。例えば 漫 画 やアニメーション 廊に見に行ったのだったと思う。その時すでに大 学 的イメージと ふきだし を思わせる言 葉ないし文 字 展は、画 廊では展 示しきれないほど多くの作品を抱 の導入 が見られる作 品が 複 数 見られた年もあった えており、広々した会 場を切望する事情 が理 解でき と記 憶している。今回は動 植物を取り上げた作品が た。 多いと感じた。それ はデ フォルメされ 、パーツに分 当 館 では開 館 年の 1987 年以 来 毎 年、大 学 展を 解され 、あるいは人 間と合 体して奇妙な生き物に変 開 催してきた。町田に会 場を移したばかりの頃は館 容し、不気味さやグロテスクさを漂わせる怪 物へと 側も大 学 側も全 ての面に不 慣 れで、混 沌と狂 騒 の 変 わる。これらの 作 品 群 には例にない 濃 密さが 漂 中で作 業が 行われていた気が する。朝、出勤したら い、人の視 線をひきつけ心をざわつか せる力を感じ 作 品が 額もろとも床に落ちていたなどという事 故も させるものがあった。その背 景には、未 曾 有の災害 日常 茶 飯 事だった。それ が 昨 今では 搬 入 から撤 去 に見 舞 われ た今 の日本 に生きる我 々に共 通 する不 まで 非 常にスムーズに行 われるようになり、トラブ 安感があるのかもしれない。 ルも少なくなっている。大 学 版 画 学 会 の 先 生 方の ごく日常 的なモチーフを連 鎖させたり重ねたりし 指 導力、組 織 力の賜 物であり、そのご尽力に心より て思 わ ぬ 効 果 をあげ ていた作 品も記 憶 に残 った。 感謝申し上げる次 第である。 藤田典子「 c h i ld ro om」 ( 愛 知県立芸 術 大 学)は幾 学 生によるオリジ ナル 作 品 販 売コーナ ー や、抽 重にも折り重なる布の 壁 が 美しいのだが、ちらりと 選 で 作 品 が 当たる観 客 賞 などといった 工夫とあい 見 える子どもの足 に気 付 いた 途 端、ホラー 映 画 め まって、大 学 展は市民にも着実にファンを増 やして く。宮田真 有「 L a mb C hop 」( 愛 知県立芸 術 大 学) きた。そして今 や 地 方自治 体 が「 大 学連 携 事 業」を もレース状 の 装 飾 要 素を動 物 の肉片に合 わ せると 重 視 する時 代となり、町 田 市 で は 市の方 針として いうミスマッチが面白く、その意外な効果が美しい 73 第 37 回 全 国 大 学 版 画 展 ようでいてグロテスクで記憶に残る。 町田市立国際版画美術館収蔵賞 技 法 的 な 側 面 で 注目される作 品にも毎 年、出 会 うことが できる。伊 藤 学 美「pi ne # 4( 」京 都市 立芸 術 大 学)は 実 直にドライポイントやル ーレットの 線 だ けを使って松を描いている。銅 版 画の原点のような 作品で、そこがかえって新 鮮にも思えた。また、いわ ば「 素 朴 派 」とも呼 びたい 作 品 群 にも毎 年 出 会う。 版 画にとっては 「 初 期衝 動」レベルと呼びたいような 朴 訥 な技 法 や 荒 削りな技 法 で 作られ た作 品だ。大 学ごとに技 法 的な習熟 度には大きな幅があるため、 ほとんど 初めて版 画を 制 作したのではないかと思 われる作 品まで が 一つの展 示 空 間に存 在 すること になる。技 術 的に未 熟であっても面白い作品という のは存 在しうるのだから、その 事をネガティヴに捉 東北芸術工科大学 西村沙由里 山越え える必 要はなく、既 述のとおりそれが大 学展の特 徴 180 180 cm 銅版画 の一つなのだ。 表 現 手 段 の 多 様 化 にともない、い わ ゆる 「版表 現 」の本 質や 役 割を問 い直 す 議 論 や 新 たなテクノ ロジーと版 画の関わりを探る試みは重 要さを増して いる。現 代 美 術のシーンにおいて、版 画 家という肩 書 きをもつ人々の 活 躍に疑 問 が 呈される時 代 が 到 来していることも否めない。1960 ∼ 70 年代に国 際 的 な 場で 賞 を取り、脚 光を浴 びた 版 画 家たちの活 躍も既 に 遠 い 過 去 の出 来 事 になった。しかし常日 頃、数百年も前の作品を扱っている筆 者のような人 東京造 形大学 上田裕子 間にとっては、そんな 数 十 年 単位の 栄 枯 盛 衰 はい すみか 92 72 cm リトグラフ つだって起こることであり、嘆いてみても始まらない とも思える。むろん過 去には、社会の変化や技術の 革 新 によって 衰 退し消え去 った美 術 のジャンルも 存 在する。逆に例えばメゾチントのように、消え去り そうになったかに見えて再度 息を吹き返す技 法もあ る。版 画の世界 の入り口に立ち、歩み 始めたばかり の若い人たちには、まずは版 画と正面から取り組ん で 欲しい。10 代 から指 導 者 層まで、版 画にかかわ る人口をこれほど多く擁する国も日本の他にないの ではないか。あらためて「 版 画 大 国」 という言 葉 が 実 東京造 形大学 大場咲子 感される。優れた作 家を輩出するに至る道は極めて daydream garden 80 150 cm 銅版画 厳しいが、その裾 野をなす若い世代の層が厚くなく ては 始まらない。大 学 版 画 展という発 表 の 場 が 今 後も次代を担う作 家の育成に生かされるよう念願し ている。また町 田市 立 国 際 版 画 美 術 館もその 一翼 を担うべく今後も努力してゆくべきだろう。 74 東京造 形大学 増田奈緒 風景の見方 東京造 形大学 市野悠 不知火 四 45 112 cm リトグラフ 50 100 cm 銅版画 東京造 形大学 谷口典央 知らない何処か 100 70 cm リトグラフ、その他 女子美術大学 中村美穂 女子美術大学 中村花絵 いただきますⅠ 会議中 60 .5 80 cm 木版画 90 90 cm シルクスクリーン 筑波大学 畠山美樹 Botanical Cosmos 87 115 cm シルクスクリーン 東京藝術大学 横山麻衣 パーティー 東京藝術大学 長田奈緒 79 100 cm リトグラフ 像 東京藝術大学 邱桂欄 心の風景 120 120 cm シルクスクリーン 59 90 cm 木版画 75 武蔵野美術大学 根本佳奈 dream 50 80 cm 銅版画 多摩美術大学 千島麻耶 ちぎれませんように 多摩美術大学 北村早紀 100 80 cm リトグラフ Give me My name ♯ 1 90 60 cm 木版画 武蔵野美術大学 赤本啓護 清らかな嘘 武蔵野美術大学 斉藤思帆 84 .1 118 .9 cm デジタルプリント bedroom 73 93 cm シルクスクリーン 武蔵野美術大学 安齋歩見 up-up- 170 160 cm リトグラフ 武蔵野美術大学 鈴木富美子 バスタブ 43 63 .5 cm リトグラフ 愛知県立芸術大学 藤田典子 child room 70 90 cm リトグラフ 76 愛知県立芸術大学 宮田真有 Lamb chop 50 80 cm シルクスクリーン 大阪芸術大学 武田典子 17 ヶ月 109. 6 158 .1cm シルクスクリーン 愛知県立芸術大学 三浦友里 だんだん遠くなる 京都市立芸術大学 伊藤学美 63 .5 54 .5 cm リトグラフ pine ♯ 4 100 70 cm 銅版画 九州産業大学 田島恵美 食事会 京都市立芸術大学 稲端 渚 京都市立芸術大学 伊勢村美幸 zipper-autumn 錦鯉 75 140 cm リトグラフ 60 86 cm リトグラフ 58 83 cm リトグラフ、シルクスクリーン 京都精華大学 平田彩乃 薄氷 91 91.5 cm 木版画 京都嵯峨芸術大学 鳥取花奈 溶けゆく 京都精華大学 ニエト アルベルト 120 90 cm 木版画 意識を有する 91 182 cm 木版画 77 事務局報告 めまぐるしい 1 年でした。学会事務局長と 「版の時 3 ∼4年を組 織の移 行期間とし、次年度の運営委 間」実 行委員長の 2 足のわらじを履き、関 係者に支 員び専門委員担当者を推挙、承認。 「 細則」につい えられながら、なんとかたどり着けた感があります。 て、次年度 末 始めまでに意見を集 約し、総会案内 おそらく、多くのミスが 出ているものの寛 容な関 係 時に送付、次年度の臨時総会の際に決議を検討。 者 や 会員の 皆 様 方の暖 かいご 支 援により、無 事 乗 3. 展覧会 報告第 第 37 回全 国大 学版 画 展 り切ることが できたのだと感 謝しています。学 会 や 展覧会事務局:馬場章 氏(女子 美 術 大 学) 学会 誌を支 援してくださった新日本造 形 様、この場 展 示 報告、 ポスター・DM 作成 及び発 送、 公 開セミ を借りてお礼申し上げます。選 抜 展にご協力いただ ナー・ワークショップについて いた文 房堂 様、ありがとうございます。また、展覧会 ・学芸員より観 客の質 疑に応 答できるよう、担当 や学会のために一年尽力してくださった町田市立 国 教員による当番 学生への指 導 要請 があった。 際 版 画 美 術 館 学 芸員の高木 幸 枝 様、お疲 れさまで ・目録の訂正 。 した。 ・次年度より大 学版 画 展 展覧会事務局を武 蔵 野 展 覧会 事 務局 や担 当 校の 皆 様、ご助力感 謝して 美 術 大 学が 担当する事が 承 認された。 います。今 年度 で事 務 局も終了しますが、この場を 4.第 37 回学生作品販売 報告 借りて深くお礼申し上げます。 小川正明氏(女子 美 術 大 学短 期大 学部) ・記 入漏れや、記 入 間違いによる問 題 が 発生して 事務局 長 倉 地 比 沙支 いる。各出品大 学 で再度確 認及び指 導を要請。 平成 24 年度定期総会議事録 ・業 務中の居眠り、業 務中の飲食 がないよう業 務について担当大 学 教員より指 導を要請。 |日時|平成 24 年 12 月 1 日(土) |場所|町田市立国際 版 画美 術 館 講 堂 5.大 学版 画 展受 賞者展( 文 房堂ギャラリー)報 告 |出席者| 97 名、委 任状 112 名、合計 209 名、会 渋谷和良 氏 欠 席のため ( 明星 大 学) 員総 数 355 名の過半 数を超え、総会は成立した。 代 理:事務局長倉地 ・会 長 挨 拶:小 林敬 生会 長 ・搬入時、エレベーターを使用できないサイズの作 品があったため、額 外寸を事前に確認することを ・平成 24 年度 運営 委員会の報 告(同日午前中) 検討。来場者が一般の方が多かった為か、許可な 報告 く無断で写真撮影する人が多く注意を促した。 ・次年度より大 学版 画 展受 賞者展を筑 波 大 学が 1. 会員の動向 担当することが 承 認された。 新入会員 9 名、移 動 1 名の承 認 。 新入会員: 6.大 学版 画 展受 賞者展 巡回展(山形) 山ぶきのり 専 門学 校 桑 沢デザイン研 究 所 「版 画の断面 - 4」報告 亀山知英 個人会員 若月公 平氏(東 北芸 術工科大 学) 松本三和 東 京造 形 大 学 ・陳 列、搬 出 時 の 他 作 家の 作 品 の 扱い、他 大 学 藤田道子 東 京造 形 大 学 生と共同の展 示作 業による学生間の交 流 、受 賞 原陽 子 東 京造 形 大 学 者 作 品 を間 近 に観ることなど 参 加 学 生には 得 右 澤康 之 美 学出版 主催 る経 験 が 多い機 会となった。 加納 俊輔 京都 嵯 峨芸 術 大 学 7.学会 誌 42 号 編 集 経 過 報告 石黒隆 宗 個人会員 学会 誌 編 集委員長 若月公 平氏 8. 「 版の時 間 - a g e of pr i nt i n g-」展について 小 林寿 一郎 新潟県立佐 渡中等 教育学 校 移 動:伊東 正悟 実 行委員・事務局長 倉 地 比 沙支 氏より報 告が 東 京造 形 大 学・常 葉 学園 大 学→常 葉 学園 大 学 行われ 、承 認された。 2.版 画学会(案) 9 .収 蔵 賞の投票方 法について 小 林敬 生会 長より報告がされた。 ・1 人 20 票( 1 大 学、最大 4 名の学生に投票) 78 編集後記 42 号 は、学 会 改 組により「 大 学 版 画 学 会」から 「 版 画 学 会」へと替わる狭 間に位 置する学 会 誌とな ります。今 号は昨 年度の活 動 報 告 等もあり 「大学版 画 学会 誌」の表 題を残す最後の号です。また、学会 誌の役 割を改めて考える時期でもあります。 畑 違いの話 題ですが、昨 年 i PS 細 胞 研 究がノー ベル賞 受 賞 対 象となりました。i PS 細 胞は人体の末 端 から取り出した 組 織 に4つの 遺 伝 子を導入し 培 養することで 受 精 卵と同 様 の万能に変 化 する細 胞 ( 誘 導 多 能 性 幹 細 胞 )となるもの。極 端 な 例 では、 取り出した 指 の 細 胞 に 4 つの 遺 伝 子を組み入 れて 出来た一つの細胞が心臓にも脳にも変容可能なわけ です。注目したい観点は、初期化による多能性の誘導。 版 画は洞 窟壁 画のネガティブハンドを端に発し、 紙と版の出 会いから様々な 発 展を経 過して現 在 で はデジタルの域にもその版の意 味を見出そうとして います。版 画は様々な技 法応用や概 念 が展 開され 、 あたかも一 体の人体の如く成長を遂げました。本 学 会においてもこれまで 大 学 等 の高 等 教 育 機 関での 版 画 教 育を主軸に行 われていた活 動内 容は、版 画 全 体を人体 に見 立 てた場 合、右 腕 や左 足に例える ことが できるでしょう。 本 学 会 が 新たに「 版 画 学 会」として歩み 始める活 動は、版 画の 基 幹になる版の 捉 え方や活 動の枠 組 み作りの 初 期 化を図り i PS 細 胞を多 能 的に変 容さ せ時間を掛け脳 や心臓へと導くことなのではないで しょうか。大 学のみならず各段 階の版 画 教育、学 術 研 究、技 法 研 究、評 論、版 画素 材、機 材 設備、作品 流 通、など広 範な 領 域 で版 画を考える連 動 意 識 が 築かれることを願うものです。そして、学会 誌のこれ からの役目は、i PS 細 胞 形成、初 期 化に必 要な 4 つ の遺伝 子を探索することのように思えます。 今 号も様々な深い内 容の原 稿をお寄 せいただき ました。お蔭 様 で 多 角的 な視 点から版 画の 核 を照 射 する学 会 誌となりました。各氏 多 忙な中、執 筆に 貴重なお時 間を費やしていただいたことに深く感 謝 いたします。また、編 集に携わって頂いた中村、平垣 内、八 木 、大 堀、各氏のご 苦 労に感謝します。 末 尾になりましたが、当初より学会 誌発 行にご理 解と助成をいただく新日本 造 形 株 式 会 社様 に深く 感謝を申し上げます。 若月公 平 79 大学版画学会学会誌第 42 号 発行日 2013 年 5 月 1 日 編集・発行 版画学会事務局 〒 192 - 0992 東京都八 王子市宇津貫町 1556 東京造 形大学 版表現準備室内 T EL:042 - 637- 8111(代) 内線 764 FA X:042 - 637- 8743 学会誌 編集委員 若月公平 中村 桂 子 平垣内清 八 木文子 大 堀恵子 新日本造形株式会社 構成・デザイン・レイアウト|中村 桂 子 若月公平 印刷|株 式会社大風印刷 〒 990 - 2338 山形市蔵王松ヶ丘 1-2 - 6 T EL:023 - 689 -1111 FA X:023 - 689 -1212 80
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