「J.S.ミルおよびマルクスの機械論 ─補償説への考察をもとに─」 石 井 穣 要旨 J.S.ミルはリカードウ機械論の論理を踏襲する一方,商品への需要は労働需要とは別と して,機械導入に関する補償説に対する独自の批判を展開していた。にもかかわらずマルクス は,リカードウについては当初の補償説的な立場を撤回したことを高く評価する一方,J.S.ミ ルについては補償説論者の一人として批判の対象に挙げている。本稿では,マルクスがあえて J.S.ミルを補償説論者とみなした理由を検討する。まず J.S.ミルは機械導入による雇用排除の 可能性において,リカードウよりも結論が後退していることが認められる。また生活手段が存 在すれば,流動資本として機能し,雇用手段になること,そして再生産される生活手段量が増 加し,雇用が拡大しさえすれば労働者にとって利益となることを論じた点で,J.S.ミルは補償 説と見解を共有していた。後者の点はリカードウにも部分的に共通しており,マルクスの J.S. ミル批判についてはその政治的意図を指摘する見解もある。しかし本稿ではマルクスにとって J.S.ミルは古典派批判の文脈において理論的に乗り越えるべき存在であったことを指摘する。 キーワード J.S.ミル,マルクス,機械,雇用,補償説,流動資本,固定資本,賃金基金 はじめに 1.J.S.ミルにおける補償説批判 2.機械導入と雇用に関する J.S.ミルの結論 3.マルクスにおける補償説批判の論理 むすび た1)。そしてロンドンに亡命し経済学研究に本 はじめに 格的に取り組むにあたって,マルクスはほどな く『経済学原理』を読んでいたとされている。 マルクスと J.S.ミルは生まれた国こそ違うも マルクスは J.S.ミルにおけるブルジョワ経済 のの,ともに1 9世紀半ば以降のイギリスにおい 学者としての側面を批判するものの,たんなる て活躍した経済学者であった。両者の接点はこ 俗流経済学的弁護論として片づけることはでき れまで,あまり論じられてはいないが,マルク ないとみなしていた。マルクスは確かに J.S.ミ スの経済学的考察を理解するうえで,少なから ルを「無気力な折衷主義」 (Werke 23,2 1/訳 ぬ重要性を持つように思われる。J.S.ミルはマ ルクスの存在をどれほど気にかけていたかは不 明だが,マルクスの方は比較的早い段階から J. S.ミルの存在を知っていた。杉原(1 9 9 0,1 5 9) によれば,マルクスは J.S.ミル『経 済 学 試 論 集』 (Mill 1844)を1 8 4 0年代にすでに読んでい 1)マルクスが『経済学試論集』を読んでいたこ とは, 「ミル2世のわずかばかりの独創的な意 見は,彼の部厚の衒学的な大 著( 『経 済 学 原 理』 )にではなく,このうすい小冊子( 『経済 学試論集』 )にふくまれている」との記述から うかがえる(Marx 1953,5 1 0/訳 5 6 1) 。 ―1― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 2) 1 7) として批判してはいたが,私有財産制を歴 であったとすれば,マルクスと J.S.ミルとの理 史的に相対化し,社会主義思想に対して一定の 論的関係を再考せざるを得なくなるかもしれな 理解を示したことを知っており,J.S.ミルに対 い。もしマルクスによる J.S.ミル批判がこのよ して一定の評価を与えていたことまたもうかが うな意図に規定されていたとすれば,両者の理 3) い知ることができる 。 論的距離は実際よりも誇張されていたかもしれ だがこのことは,マルクスの思想のイギリス ないからである。 における普及を考える際,J.S.ミルが壁として マルクスと J.S.ミルとの理論的距離を探ろう 立ちふさがっていたことを意味する。イギリス とすれば,マルクスのなかで J.S.ミルは,経済 では1 8 6 0年代になると,沈滞していた労働運動 学者としていかなる存在と位置づけられていた が再び盛んとなるが,そこで大きな影響力を のか,検討する必要があろう。その一つの手が 持ったのは,マルクス的な革命論を前提とした かりとして,機械導入についての補償説4)に関 社会主義ではなく,J.S.ミルの漸進的改良主義 する,マルクスの J.S.ミルへの論評を取りあげ であった。J.S.ミルは,労働者階級に自らの思 ることができる。 想を普及させるため,自ら経済的負担でその著 J.S.ミルの経済学は,多くの点でリカードウ 作の廉価版を出すなど尽力していた。そして国 の経済学を下敷きにしており,機械論において 会議員の選挙に出馬するにあたって J.S.ミルは もそうであった。機械導入の影響に関する結論 ロンドンの労働者たちの信頼を勝ち取り,彼ら において,J.S.ミルはリカードウよりいくらか の支援を受けるにいたった。 後退したとされているが,同時にリカードウに マルクスは『資本論』をはじめとする後期の はない補償説に対する独自の批判もまた行って 著作のなかで,折にふれ J.S.ミルに対する批判 いる5)。にもかかわらず,マルクスはリカード を行っている。杉原(1 9 9 0,1 5 9)はこれらの 批判のうちに, 「ミルの経済学のうちに多くの 理論的な欠陥がふくまれていることを指摘する ことでその世間的権威をおとそうとする戦術的 意図」を読み取ることができるという。 マルクスによる J.S.ミル批判がを,世間的権 威をおとしめようとする政治的意図によるもの 2)以下,マルクスからの参照については,Marx −Engels Werkeか ら 行 い,そ の 際 に は Werke と略記し,その後の数字は,巻数を示すもの とする。 3)マルクスは J.S.ミルを「無気力な折衷主義」と する一方, 「当時なお科学的意義を主張し,支 配階級のただの詭弁家や追従者以上のもので あろうとした人々」 (Marx 1962,2 1/訳 1 7)と していた。また別の所では「J.S.ミルたちのよ うな人々は,彼らの古い経済学説と彼らの近 代的な傾向との矛盾のために非難されてよい としても,彼らを俗流経済学的弁護論者と混 同することは,まったく不当」 (Marx 1962, 6 3 8/訳 7 9 7)との評価もみられる。 4)この補償説とは機械導入はたとえ一時的に雇 用を減少させる と し て も 必 ず や そ れ と 同 じ か,もしくはそれ以上の雇用を労働者に補償 するという見解である。補償説に関する先駆 的研究としては,穂積(1 9 5 8)を挙げること ができる。そこでは補償説論者としてパッシィ (Passy) ,シ ャ プ タ ル(Chaptal) ,バ ス チ ア (Bastiat) ,セイ(Say)らが挙げられ(1 5) , 前3者についてやや詳しい考察がなされてい る。ただ補償説として最も洗練された議論を 展開したのは,マカロックであろう。マカロッ ク の 所 説 に つ い て は,McCulloch(1 8 2 1) , McCulloch(1 9 9 5) を参照。 5)J.S.ミルの機械論が,リカードウを基礎としつ つも,結論において後退しているとして,批 判的にとらえる研究として,Blaug(1 9 5 8,7 2/ 訳1 1 8),真実(1 9 5 9,1 5 5),富塚(1 9 6 5, 3 0 9) などがある。その一方で,J.S.ミルの機械論を それまでの考察の諸論点を要約し,明確に述 べたとして評価する向きもある。この点につ いては Berg(1 9 8 0,3 1 6) 。ただしベルグとい えども,J.S.ミルが当時の機械の問題に対する 論争を解決しえたとは考えていなかった ―2― 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 ウに対しては,当初の補償説の立場を後に撤回 て検討する。最後に結びでは,以上の考察をふ したとして高く評価する一方,J.S.ミルについ まえ,マルクスの経済学的考察における J.S.ミ ては,補償説論者の一人として批判の対象と位 ルの位置づけについて一応の結論を与えること 6) 置づけている 。 としたい。 そこで本稿では,マルクスが機械導入の影響 に関する J.S.ミルの考察を補償説と位置づけた 1.J.S.ミルにおける補償説批判 理由を検討する。そのうえで,マルクスは J.S. ミルの経済学をいかなる観点から批判したの J.S.ミルにおける,流動資本の固定資本への か,本稿から知りうる限りで判断を下したい。 転換による雇用減少の可能性,そして補償説批 以下本論の構成は次のとおりである。まず第 判を検討してゆくにあたり,まずは流動資本お 1節では,J.S.ミル『経済学原理』をもとに, よび固定資本についての定義を確認したい。そ その機械導入の影響に関する考察を取り扱う。 の上でリカードウに対する J.S.ミルの考察の特 流動資本の固定資本の転化と機械導入が労働者 徴を把握する。なお機械導入の影響に関するリ 階級に有害となる可能性,そして補償説に対す カードウの考察はすでに別稿(石井 2 0 1 2,第 る J.S.ミルの批判を検討する。第2節では,機 3章)にて検討したので,詳細はそちらに委ね 械導入の影響に対する J.S.ミルの総合的判断を ることとしたい。 みてゆく。増加した純所得からの蓄積を想定に J.S.ミルは,流動資本については「原料の買 入れた場合,機械導入の影響に対する J.S.ミル い入れ」および「賃銀の支払い」のために所有 の評価は違ったものになる。そこでの J.S.ミル 者の手を離れる資本,固定資本は道具,機械, の論理を逐一検討することとしたい。そして第 建物など生産過程にとどまり続けるものが該当 3節では,マルクス自身の考察をふまえ,J.S. するとしている。この説明では,流動資本とは ミルの機械論が補償説とみなされた理由につい 「手離され」 , 「所有者をかえる」ことによって 機能するものであるのに対して,固定資本とは (3 3 8)。この点の紹介は諸泉(2 0 1 4,1 8,3 7) を参照。 6)マルクスは「ジェームズ・ミル,マカロック, トレンズ,シーニア,ジョン・ステュアート・ ミル,等々の主張するところでは,労働者を 駆逐するすべての機械設備は,つねにそれと 同時に,また必然的に,それと同数の労働者 を働かせるのに十分な資本を遊離させる」と して,J.S.ミルを補償説論者に挙げている。そ の一方で,リカードウについては「最初はこ れと同じ見解をもっていたが,のちには,彼 を特徴づける科学的な不偏不党と真理愛とを も っ て,こ れ を 取 り 消 す こ と を 明 言 し た」 (Werke 23,4 6 1/訳 5 7 3)と し て 高 く 評 価 し ている。なおホランダーはマルクスの叙述に ついて,J.S.ミルの立場を著しく歪めているこ と,リカードウに対して与えられた評価がな ぜ,J.S.ミルやエリス(William Ellis)に与えら れ な か っ た の か 疑 問 視 し て い る(Hollander 1985,vol.1,386-7) 。 生産過程に「存置される」ことによってその効 果を生むものとされている(Mill 1976,9 1―2/ 訳 第1分冊,1 8 4) 。 マルクスが『資本論』第2部第2編第1 0章に おいて,スミスによる流動資本と固定資本につ いての説明で批判したように,このような説明 もまた,流動資本を「流通資本」 (商品資本+ 貨幣資本)と混同している。生産過程において 素材的な形態としては消滅し,所有者の手から 離れるという原材料の性質が,流通過程におい て所有者の手から離れることと混同されてい る7)。ちなみにマルクスにおいては,流動資本 9 7/訳 2 3 5―6,2 4 0を 参 照 7)Werke 24,1 9 2―3,1 のこと。マルクスによれば,スミスは生産過 程において原材料は労働対象として所有者の 手を離れる一方,流通過程においては商品資 本として所有者の手を離れ,別の生産者の生 ―3― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 と固定資本は,その価値が生産物に移転され, なわち永久に労働の維持および報酬にあてられ 回収される様式(資本の1回転で,その価値が 得なくなるところの,すべての改良についてま すべて回収されるか,もしくは複数の回転を要 た真である」 (Mill 1976,9 4/訳 第1分冊,1 8 8) するか)によって区別される。 資本の所有者の手を離れるか,そのもとに存 この流動資本の固定資本への転化による雇用 続するかという観点からなされた,J.S.ミルに 減少の導出は,リカードウが『経済学および課 よる流動資本と固定資本の定義は,スミスによ 税の原理』第3版第3 1章において論じたもの9) る定義を引き継いだものといえる。リカードウ をほぼ踏襲している。ただ具体的な説明におい においては,流動資本は労働力の維持・再生産 ては,J.S.ミル独自の考察もまた見られ る の に用いられる必需品を意味しており,原材料は で,以下その内容を確認しておきたい。J.S.ミ 規定から抜け落ちてしまっていた8)。だが J.S. ルはまず,流動資本を犠牲にした固定資本の増 ミルはスミスにならって,流動資本のうちに原 加の例証として, 「穀物2千クォターの資本」 材料もまた含めている。 によって,労働者を雇用し,農業を行う資本家 このような定義のうえで,J.S.ミルは,固定 を想定する。通常の生産活動においては,この 資本の増加が流動資本の犠牲によって行われる 2, 0 0 0クオーターの資本によって,年々2, 4 0 0ク 場合(流動資本の固定資本への転化が生じる場 オーターの穀物を生産すると想定される(利潤 合) ,少なくとも一時的には雇用に悪影響を与 率は2 0%とみなされている) 。 え,労働者階級にとっては不利になるというこ とを論じている。 いまこの資本家は,土地の永久的改良を行う ために,雇用している労働者の半数をこの事業 に振り向けるとされる。J.S.ミルによれば,こ 「およそ固定資本の増加が流動資本を犠牲に の時点では「労働者たちの状態には何ら変わり して行われる場合には,それは,すべて,少な がない」 。その理由は「ただ彼らの一部が従来 くとも一時的には,労働者たちの利益にとって 耕作,播種,刈り入れのために受けていた給与 有害であるという結論がでてくる。このこと と同じ給与を,土地に改良作業をなしたための は,ひとり機械について真であるばかりでな 給与とし て 受 け 取 る」 (Mill 1976,9 4/訳 第1 く,またおよそ資本が固定されるところの,す 分冊,1 8 8)だけであるから と 説 明 さ れ て い る。 産過程に入ると論じていたという。また生産 過程においては労働力も生産資本に含まれる が,労働力の担い手となる労働者はもちろん 商品として流通することはない。スミスは労 働力を流動資本に組み入れることができず, かわりに賃金で購入される生活手段を流動資 本 と し て 論 じ る に い た っ た と い う(Werke 24,2 0 9/訳 2 5 4) 。 6 4―6を 参 照 の こ と。マ 8)Werke 24,2 1 7―9/訳 2 ルクスによれば,リカードウは価値流通の様 式としては,原材料は賃金部分と同一視され るが,生産過程においては生産手段として固 定資本とともに労働力に対峙することから, いずれの側に組み入れることができず,考察 の対象外としてしまった。 しかし,この年度の終わりには,状況が変化 することが論じられている。というのも,その 年度に穀物の生産を実際に行ったのは,従来の 半数の労働者だけであり, 「彼の資本のうちわ ずか1千クォターだけが従来と同じように再生 産されたに過ぎない」ためとされている。その 結果,この資本家は,この半分の(流動)資本 によって, 「その翌年以後は毎年労働者のわず かに半数だけを雇傭し,以前の生活資料の分量 のわずか半分のみを彼らのあいだに分けるに過 ぎない」 (Mill 1976,9 4/訳 第1分冊,1 8 9) 。 9 1/訳 4 4 6―8)を参照。 9)Ricardo(1 9 5 1,3 8 8―3 ―4― 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 とはいえ,改良された土地が耕作に用いられ の何らかの源泉から取ってくるかしなければな 「減少せる労働の分量をもって,従前と同じよ らない」 。それゆえ「たとえこの農業家は彼自 うに2千4百クォターを生産する」場合には, 身の流動資本の不足を補ったとしても,社会の 「労働者の損失はただちに補填される」可能性 流動資本の崩壊口は回復されないままで残る」 がある,と J.S.ミルは指摘して い る。こ の 場 と い う こ と に な る(Mill 1976,9 5/訳 第1分 合,土地改良を行った資本家の利得は大幅に増 冊,1 9 0) 加(上 の 例 で は,1, 0 0 0ク オ ー タ ー の 資 本 に 以上のように J.S.ミルは農業における土地改 よって,2, 4 0 0クオーターの収穫を得るので, 良の場合を例にとり,流動資本の固定資本への 1, 4 0 0クオーターの純所得がある)し,その一 転化を論じている。ちなみにリカードウは,農 部が貯蓄され,資本の増加へとつながり,雇用 産物と必需品生産を兼務する資本家を想定して の拡大がもたらされる可能性が考えられる。 おり,J.S.ミルの考察はこの点で異なる。リカー かくいうものの,J.S.ミルは「実際はこのよ ドウにおいては流動資本の定義から原材料が抜 うにならないということも考えられる」として け落ち,直接に労働力の維持に用いられる資本 いる。この資本家にとっては,例えば1, 5 0 0ク 部分と見なされたが,J.S.ミルにおいては原材 オーターを生産としたとしても,従来よりも増 料も含まれていた。流動資本を労働力の維持に 加した純所得を手にすることができる(純所得 用いられる資本部分と同一視するには,原材料 は4 0 0クオーターから5 0 0クオーターに増加,利 が同時に労働者の消費手段となりうる農業(穀 潤率は2 0%から2 5%に上昇) 。それゆえこの資 物生産)を想定する必要があったと考えられ 本家が2, 4 0 0クオーターまで生産量を拡大させ る。実際,上記の例証では,流動資本は穀物量 る必然性はない。そうであれば「この改良は, (クォーター)によって表示されている。 彼にとってはきわめて利潤の多い改良となるの また土地改良を行った資本家が,排除された であるが,しかし労働者にとってはすこぶる不 労働者を再雇用しうるよう,生産を拡大したと 利な改良たりうる」というこ と に な る(Mill しても,社会全体として穀物の再生産量が減少 1976,9 5/訳 第1分冊,1 8 9) 。 しているために,別の生産部面で用いられてい さらに J.S.ミルは,土地改良後,農業資本家 る流動資本を流用せざるを得ないとの指摘も, がたとえ半数の労働者の雇用を維持しようとし J.S.ミルに独自なものである。この説明は,以 ても,雇用減少は避けられないとしている。J. 下のように,J.S.ミルの補償説批判の論 拠 と S.ミルによれば,この農業資本家は土地改良の なってゆく。 結果,1, 0 0 0クオーターの資本しか持っていな J.S.ミルは上記の例証の後,機械導入によっ い。にもかかわらず,2, 0 0 0クオーターの賃金 て一時的に雇用が減少するとしても,生産物価 支 払 い を し よ う と す れ ば,差 額1, 0 0 0ク オ ー 格の下落と実質所得の増加が,商品需要の増加 ターをどこからか持ってこなければならない。 をもたらし,ひいては雇用の拡大をもたらすと この1, 0 0 0クオーターの調達は,別の部面での する補償説への批判を展開している10)。補償説 資本1, 0 0 0クオーターの消失を意味するから, 社会全体として雇用水準は(一時的に)減少す るとしている。 すなわち J.S.ミルによれば, 「もし彼が従前 と同じ数の労働者を雇傭して同額の給料を支払 うものとすれば,彼はその不足を補うために1 千クオターを借り入れるか,あるいはそれを他 1 0)富塚(1 9 6 5)は,J.S.ミルの補償説批判につい て,リカードウの新機械論にはない特筆すべ き点として評価している。とりわけ「商品に 対する需要は労働に対する需要とはまったく 別のもの」とする命題によって,流動資本の 固定資本への転化という論理を補強し,補償 説を批判した点は, 「機械論に関するミルの最 ―5― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 によれば,機械導入は労働者に不利益をもたら たがって他の諸部門における生産および労働の すことはない,ということになるが,J.S.ミル 雇傭は,右の説の考えるところに反し,増加し はこのような結論に反対している。 ない」 (Mill 1976,9 7/訳 第1分冊,1 9 2) 「なるほど一部門から労働のための雇傭の機 会が取り去られるけれども,これとまったく相 さらに J.S.ミルは,機械導入にともなう商品 等しい分量の雇傭が他の諸部門において与えら の低廉化によって,需要が拡大するという見解 れる。なぜなら,特定の一商品が低廉となった にも疑問を呈している。商品の低廉化は確か とすれば,消費者は節約し,それをもって他の に,ある人々における需要の拡大をもたらすか ものの消費を増大させることができ,それに もしれないが,流動資本の固定資本への転化 よって他種の労働に対する需要を増加させるか と,社会全体としての雇用の減少が生じている らであると。この学説はもっともらしい学説で とすれば,上記のような実質所得の拡大による あるが……誤りを含んでいる。商品に対する需 商品需要の増加は,雇用減による需要の減少に 要は労働に対する需要とはまったく別物だから よって相殺されてしまう。すなわち「一部の消 9 2) である」 (Mill 1976,9 6―7/訳 第1分冊,1 費者たちの商品に対する需要は増加するであろ うが,それは他の人々,すなわち改良のために J.S.ミルによれば,機械の導入によって流動 資本の固定資本への転化が発生し,流動資本が 職を追われた労働者たちの需要の中止によって 相殺される」ということになる。 減少したのであれば,追加的雇用が形成される 以上の よ う に J.S.ミ ル は,リ カ ー ド ウ『原 ためにはすでに別の部門で用いられている流動 理』第3版第3 1章における,流動資本の固定資 資本をどこからか持ってくる必要が出てくる。 本への転化による雇用減少の論理を基本的に引 それゆえ,いくら商品に対する需要が拡大して き継ぐだけでなく,補償説に対するより踏み込 も,労働者を雇用すべき追加的資本が存在しな んだ批判もまた展開している。この限りでは, ければ,雇用は拡大しえない。J.S.ミルはこの J.S.ミルを補償説論者として取り扱うことは難 ことを「商品に対する需要は労働に対する需要 しいように見える。 とはまったく別物」という表現を用いて説明し ている。 その一方で,J.S.ミルは農業における土地改 良のケースを無媒介に産業一般における機械導 たとえ生産物の低廉化とともに需要が拡大し 入のケースに結びつけているという問題も見ら たとしても,このような流動資本の転用によっ れる。この点をふまえ,機械導入の影響につい て,機械が導入された産業での雇用回復(拡 て J.S.ミルの考察をさらに検討してゆくなら 大)が実現する限り,必ずどこかで雇用の減少 ば,事情は大きく変わってくる。次節では引き が発生する。かくして機械導入の結果として, 続き『経済学原理』第1部第6章の内容をもと 社会全体として雇用の減少は不可避となると J. に,この点を検討してゆくこととしたい。 S.ミルは論じている。 2.機械導入と雇用に関する J.S.ミルの 「他の品物をつくることは,そのための資本 結論 があるのでないかぎり,不可能である。そして 改良は,他の用途から若干の資本を吸収したこ 本節では,J.S.ミルの機械導入の影響に関す とはあっても,資本を解放したことはない。し る結論を検討するにあたり,流動資本の固定資 本の転化が生じる見込みについていかに論じて 大のメリット」 (2 7 9)とされている。 いたのか,確認しておくこととしたい。前節で ―6― 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 見たように,J.S.ミルは例証にあたり,農業資 能性に否定的な立場をとっている12)。 本における土地改良を取り上げていた。補償説 この点は,資本充溢論(富塚 1 9 6 5,3 0 2―9) 批判へと展開してゆく際,J.S.ミルは機械導入 との関連での機械についての考察とも関係があ 一般へと議論を広げているが,そこで理論的基 るように見える。この資本充溢論とは, 『経済 礎となっていたのは,やはり流動資本の固定資 学原理』第4編における利潤率の傾向的低下論 本の転化という論理であった。この J.S.ミルの において見られる議論であり,富塚氏の J.S.ミ 考察においては,農業資本に限定して取り扱わ ルの機械論研究における一つの特徴になってい れていたものが,無媒介に産業資本一般に拡張 る。富塚氏によれば,J.S.ミルは1 9世紀半ばの されるという,論理の飛躍が見られる。 イングランドでは資本蓄積の結果,利潤率は十 この論理の飛躍について,J.S.ミルがどこま 分に低い水準にあり,資本蓄積にとって最低限 で自覚していたか定かではないが,流動資本の 必要な率と「紙一重」であると考えていた。そ 固定資本への転化の現実的可能性に関する認識 してこのような「資本充溢論」を前提として, に影響を及ぼしていることは確かである。J.S. J.S.ミルは,機械導入は労働需要を減少させる ミルはさきの例証からほどなく, 「右に述べた 可能性はない,ということを強調している。 ような形における仮定は,まったく架空的」で すなわち,J.S.ミルによれば,イングランド あり,あてはまるとしても「せいぜい,耕地を のような「富裕な国」においては,年々の貯蓄 牧 場 に 転 換 す る と い う よ う な 場 合」 (Mill は巨額に上り,その運用先の開拓に苦労してい 1976,9 5/訳 第1分冊,1 8 9)のみであるとし る状況なので, 「資本輸出,または資本の不生 ている11)。 産的支出,あるいはまた資本の絶対的浪費」が このように J.S.ミルは産業資本一般について なされたとしても,賃金ファンドを減少させる 論じる場合には一転して,流動資本の固定資本 に至っていないと論じている。それゆえ,もと への転化の可能性はないとの立場をとってい もとこのように国外に持ち出されるか浪費され る。さらに農業資本についても,耕作地の牧地 る資本が,より生産的である機械導入に用いら への転換は「以前は実施されたことがしばしば れるのであれば,なおさら雇用を減少させる可 あるけれども,現代の農業家はこれを目して改 能性はないということになる13)。 良の逆だ と し て い る」 (Mill 1976,9 5/訳 第1 「流動資本の固定資本への転換というもの 分冊,1 8 9)というように,J.S.ミルの時代には もはや見られないとして,やはりその現実的可 1 1)なお後に,機械導入にともなう総生産物の減 少はあり得ないとして,リカードウ機械論に 対する批判を展開したヴィクセルもまた,総 生産物が減少しうる可能性として,労働節約 的な農業機械の導入もしくは耕作の放牧への 転換を挙げている。とはいえヴィクセルはこ のような事態が実際に生じることはあり得な いとの主張をさらに展開して い る(Wicksell 。ま た Blaug(1 9 7 8,/訳 第2分 1934,1 3 7―8) 冊,3 1 5)も,J.S.ミルにおいては,流動資 本 の固定資本への転化は「耕地を牧場へ転換す る場合以外にあてはまらないとして退けられ る」と論じている。 1 2)ただし J.S.ミルは,北部スコットランドとアイ ルランドにおいて,農業上の改良とともに総 生産物の減少が実際に生じたということを指 摘している。しかしこれはあくまで特殊な例 であり, 「現代科学による改良の成果は,どの 改良においても総生産物を増加させる」 (訳第 1分冊,1 9 3ページ)との立場を J.S.ミルは繰 り返している。 1 3)諸泉(2 0 1 4,3 2)もまた, 「ミルの機械論は, 機械の問題一般を取り扱うものではなく,特 殊に富裕化した国,ことにイギリスにおける 機械と蓄積ともの問題を取り扱った」として おり,過剰資本が存在する状況での考察であっ たことを指摘している。 ―7― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 は,鉄道によるものであるか,あるいは工場, つの特徴と考えることができる。 船舶,機械,運河,鉱山,灌漑排水工事による とはいえ,J.S.ミルは産業資本一般もしくは ものであるかを問わず,いずれも富裕な国にお 農業資本における機械導入の可能性を全く否定 いて総生産を減少させたり,労働にとっての就 してしまうわけではない。ここで J.S.ミルはリ 職口の数を減少させたりすることは必ずしもな カードウを踏襲して15),機械導入はすでに生産 い…このような資本の転形は生産上の改良であ において機能している資本においてなされるこ るという性質をもち,その生産上の改良は,流 とはなく,新たに追加され蓄積される資本にお 動資本を終極的に減少させるということをしな いてなされると論じている。その理由は,改良 いで,かえって流動資本増加の必要条件であ (機械の発明や技術進歩)は漸進的に行われる る」 (Mill 1976,7 4 4/訳 第4分冊,9 8) という点に求められる。機械の発明と普及は緩 やかであるために,その導入は限定的に,新た かくして J.S.ミルは,機械導入による雇用排 に蓄積される資本においてのみ(試験的に)な 除の可能性はないとしたうえで,人口増加率に されるというわけである。かくして J.S.ミルに 変化がなく,労働者がそれまでと同じ貨幣賃金 よれば,機械導入によってすでに存在する雇用 を獲得する限り,機械導入による生活資料の価 が削減されることはなく,追加資本によって新 格低下は,労働者階級にとっても利益をもたら たに形成される雇用のみが影響をこうむる。 すと主張するにいたる。 「すべてこれらの改良 は,従来と同じ貨幣賃銀をもって,労働者たち 「改良が突如として行われ,しかも経費も巨 の生活を向上させる。ただし生活を向上させる 大のものである場合には,固定される資本の多 というのは,もしも労働者たちがその増殖率を くは必然的に流動資本としてすでに使用されて 高 め な か っ た な ら ば,の こ と で あ る」 (Mill いる資金の中から供給されなければならないか 1976,7 4 4/訳 第4分冊,9 9) 。 ら,それは有害であろう。けれども,およそ生 以上の考察をもとに J.S.ミルは,当時のイギ 産上の改良というものはいつもきわめて徐々に リスをはじめとする先進資本主義国において 行われるものであり,現実の生産から流動資本 は,機械導入が労働者に不利益となる可能性は を引き出すことによって行われるというおと なく,むしろ「資本の蓄積が遅々としている は,ほとんど,あるいはまったくなく,それは 国」で機械が導入される場合には,流動資本の 年々の増加分を使って行われるものである」 減少によりまかなわれ,労働者階級にとって 9 4) (Mill 1976,9 7/訳 第1分冊,1 9 3―1 「極度に有害」で あ る と 主 張 し て い る(Mill さらに J.S.ミルは,すでに機能している流動 。 1976,7 4 2/訳 第4分冊,9 3―4) このように,機械導入による雇用排除の可能 資本の固定資本に転化が生じえない理由とし 性が途上国に特有の問題として片付けられてし て,資本をある用途から別の用途へと転換する まう14)点もまた,J.S.ミルにおける機械論の一 上での困難を指摘している。すなわち, 「従来 1 4)ただし J.S.ミルは,大規模な機械や改良が行わ れる条件として,所有権が十分に保証されて いること,産業的な進取の気性,そして旺盛 な蓄積欲が不可欠であるが, 「貧困または後進 的な国」ではそれらが欠如していると考えて いた。これらの国々では「大規模な高価な改 良は行われるものではない」とされ,機械導 入による雇用排除の可能性は否定的にとらえ られている(Mill 1976,9 7/訳第1分冊,1 9 4) 。 1 5)リカードウは機械の発明は「漸次的」である ことから, 「資本をその現用途から他に転用す る」ことはなく, 「貯蓄され蓄積された資本の 用途を決定する」としている(Ricardo 1951, 3 9 5/訳 4 5 3) 。 ―8― 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 ある方面に使用されてきた資本の一大部分を新 かくとして,これらの限界の一または両者をさ たな方面に転用することは種々の困難がある」 らに遠方へ後退せしめる傾向をもっている」 ために,固定資本の増加が「労働雇傭のための (Mill 1976,9 8/訳 第1分冊,1 9 6) 資源を侵す」ことはない,ということが論じら れている(Mill 1976,9 8/訳 第1分冊,1 9 5) 。 以上の J.S.ミルの考察をふまれば,機械導入 J.S.ミルによれば,ある特定の用途のために は新たに蓄積される資本においてのみ導入さ 利用されていた生産手段を,別の用途に適した れ,既存の雇用を浸食することはない。この認 ものへと変更するのは困難がともなう。これは 識にしたがえば,機械導入は資本蓄積にともな 流動資本の割合が高い部門から,固定資本の割 う追加的雇用の形成を遅らせるにすぎない。資 合が高い部門へと資本を移動する場合,および 本蓄積に対して労働需要の増加が遅れる,もし 同一部門であっても,既存の生産手段を新たな くは資本蓄積に対して労働需要は相対的には減 機械に置き換える場合にもあてはまるかもしれ 少するが,絶対的には増加してゆくという結論 ない。いずれにせよ,J.S.ミルは資本の用途変 にいたる。とはいえ,この結果として,もし労 更ともなう困難という点からも,流動資本を犠 働需要の増加が人口増加に対して遅れることに 牲にした固定資本の増加は現実的にはあり得な なれば,労働者の一部が就業困難な状態に陥る いと論じていることがわかる。 ことになる。 とはいえ特殊な場合として,機械が急速に普 だが J.S.ミルは,資本蓄積にともない機械導 及し既存の雇用を脅かす可能性もありうる。J. 入が進むとしても,流動資本に対する固定資本 S.ミルはこのような場合であっても,利潤の増 の割合が上昇 し て ゆ く こ と は あ り そ う に な 加および生産物の低廉化による実質所得の増大 い16),少 な く と も J.S.ミ ル の 時 代 に い た る ま により蓄積は促進され,やがて雇用は拡大する で,固定資本が流動資本に対して急速に増加し と論じている。その結果として J.S.ミルは,仮 た国はない,と論じている17)。 に機械導入は一時的に雇用削減をもたらすとし ても,蓄積の拡大によって雇用は拡大してゆく 「したがってただに固定資本の増加が流動資 と論じている。さらに J.S.ミルは,蓄積の促進 本を犠牲として行われる場合のみならず,また という点では,機械導入は土地の収穫逓減によ る利潤率の傾向的下落への阻止要因となるとし ており,この点からみても機械導入が雇用拡大 に貢献することは疑いえないとしている。 「生産上の改良というものは,たとえ一時は 総生産物を減少させることがあるとしても,蓄 積を増加させ,それによって結局はその生産物 を増大させる傾向をもっているが,この傾向 は,次のことが明らかになると,いっそう決定 的な性質をとる……資本の蓄積にも土地からの 生産増加にもともに明確な限界があって,ひと たびこの限界に到達すると,それ以上の生産の 増加は止まらなければならないが,ここに生産 上の改良は,それが及ぼすところの影響はとも 1 6)富塚(1 9 6 5,2 8 3)は,この点は「バートン= リカードゥ的な問題は,すべての解消し去る」 (2 8 3)ものであり, 「ミルの経済学のリカー ドゥに比しての明らかな後退」をもたらした として い る。ま た Blaug(1 9 9 7,1 8 1)で は, 「鉄道時代」 (Railway Age)に生きた人物とし ては, 「驚くべき叙述」と評している。 1 7)J.S.ミルは,機械導入により加工される原材料 の増加が,賃金支払いを圧迫する可能性に言 及している。これは流動資本の固定資本の転 化ではなく,同じ流動資本のなかで,原材料 部分と賃金支払部分との割合の変更を意味す る。とはいえ J.S.ミルは,新たな機械や技術は 一定量の生産物に必要な原材料を節約する作 用を持つことから,労働者がこのような形で 不利益を被ることはないとしている。ここで は,新たな生産技術は,労働節約的であるよ ―9― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 固定資本の増加がすこぶる大きくかつすみやか かくして J.S.ミルは,実際的結論において であるために,人口の増加と相応じきたれる流 は,機械などの固定資本の増加が労働者階級に 動資本の通常の増加を妨げるほどであるという 対して,一時的な損害を与える可能性について 場合でさえも,労働諸階級は損害を受けねばな も否定的な立場をとるにいたる。すなわち「生 らないが,しかし事実上からすれば,このよう 産上の改良が総体としての労働者階級に対して な場合はなかなか起こるものではない。なぜか 損害を与えることがあるとしても,それは,実 といえば,固定資本の増加の割合が流動資本の 地のうえでは,それが一時的な損害である場合 それよりも大きいというような国は,おそらく すら,しばしばあることだとは信じない」 (Mill ないからである」 (Mill 1976,9 6/訳 第1分冊, 1976,9 8/訳 第1分冊,1 9 3) 。 1 9 4) 前節で見たように J.S.ミルは,機械導入は流 動資本の固定資本への転化により雇用を排除す それでもなお,機械導入は労働需要の増加を ることを主張し,それをもとに補償説を批判し 人口増加に対して遅らせ,労働者に不利益をも ていた。だが本節でみたように J.S.ミルは現実 たらすことが,特殊な場合としてあるかもしれ 問題として,機械導入が雇用排除を通じて労働 ない。また機械が導入された部門によっては, 者階級に不利益をもたらす可能性をことごとく 個別的なケースとして,雇用排除が実際に生じ 否定してゆく。次節以降では,以上の点をふま るかもしれない。社会全体として雇用水準が増 え,マルクスが J.S.ミルを補償説論者ととらえ 加し,ひとたび排除された労働者が再雇用され た理由を検討してゆくこととしたい。 るとしても,それまでに労働者は不利益を被る かもしれない。そのような場合については,機 3.マルクスによる補償説批判の論理 械が雇用排除をもたらさないよう政府が何らか の緩和措置をとるか,もしくは救済策をとるの 本節では,マルクスによる補償説批判を検討 は当然であるとしている。すなわち J.S.ミルは し,J.S.ミルの考察が補償説として位置づけら 機械導入が万が一,労働者に何らかの不利益を れた理由を考察する。マルクスは『資本論』第 もたらすとしても,政策的な緩和措置,救済策 1部第4編第1 3章において,相対的剰余価値論 1 8) により対処可能と考えていた 。 の一環として「機械設備と大工業」について論 じている。その第6節においてマルクスは, りはむしろ資本節約的に作用することが示唆 されている。明示的な記述はないので推測の 域を出ないが,J.S.ミルは新技術の資本節約的 な性格が,機械設備にも及ぶ可能性も想定し, このような認識にいたったのかもしれない。 1 8)J.S.ミルは,機械導入が急速かつ広範に行わ れ, 「そのために労働を維持するための基金を 大いに蚕食する」場合には, 「国会 議 員 に と り,この急速な進行を緩和する方法をとる」 義務が生ずるという。また機械導入が「総体 としては雇傭の機会を減少させない」として も, 「ほとんど必ずある特定部門の労働者の雇 傭の機会はこれを奪う」ことから,一時的と はいえ不利益を被る労働者に対して,救済措 置がとられる必要があるとしている(Mill 「機械によって駆逐された労働者にかんする補 償説」と題して,補償説に対する批判を展開し ている。まずは同節におけるマルクスの補償説 理解を見ておきたい。 マルクスは補償説について,機械導入によっ てたとえ労働者の一部が解雇されるとしても, それと同時に労働者を雇用すべき資本もまた ― 10 ― 1 9 7 6,9 9/訳 第1分 冊,1 9 6−1 9 7) 。な お Blaug (1 9 7 8,/訳 3 1 6)は, 「新機械導入の私的決 定に直接干渉することを示唆する点で,ミル ほどにすすんだ人はだれもいなかった」とし て,この点 J.S.ミルの考察を評価している。 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 「遊離」しているために,ほどなく排除された を充用するための資本に転化させるとかいうよ 労働者は雇用を見いだす(補償される)という 6 3/ うに聞こえるのである」 (Werke 23,4 6 2―4 見解として説明している。補償説では機械導入 訳,5 7 4―5) による生産物価格の下落が実質所得を増加さ せ,機械が導入された部門もしくは別の部門に もちろん,生活手段が存在していても,労働 おける生産拡大,もしくは機械そのものの生産 者を雇用する資本として用いられるためには, によって,追加的雇用が形成されることを想定 しかるべき投資先がなければならない。この投 する。 資先が存在するためには,いずれかの部門で, ここでマルクスは,上記の「遊離」される資 追加の生産物需要が形成されなければならない 本とは,機械導入を行った個別資本において, が,補償説においては,機械導入による生産物 もともと労働者への賃金支払ために用いられて 価格の下落を通じた実質所得の増加によっても いた貨幣資本を指すわけではないことを指摘し たらされると考えられている。かくして補償説 ている。機械が導入される個別的資本において によれば,機械導入により労働者は一時的に排 は,賃金として支払われていた貨幣を節減する 除されるとしても,同じ部門もしくは別の部門 ことが,その導入の目的となっており,マルク における生産の拡大によって,その雇用は補償 スの言葉で言えば,可変資本の不変資本への転 されるため,その苦悩は一時的にすぎない(生 化が生じていることは疑いえない。 産物価格の下落によって労働者も消費者として マルクスによれば補償説の論拠は,労働力の 維持のために用いられる生活手段は社会におい の利益を得る)との結論が下される,とマルク スは論じている。 て依然として存在しており,遅かれ早かれ労働 者を雇用するための資本として用いられるとい 「この説によれば,1 5 0 0ポンドの価値の生活 う点にある。すでに生産されており,在庫もし 手段は,解雇された5 0人の壁紙労働者の労働に くは流通過程において存在している生活手段 よって価値増殖される資本だった。したがっ は,機械が導入されたからといって消失するわ て,この資本は,5 0人がひまをもらえばたちば けではない。補償説によれば,この余剰の生活 まち用がなくなって,この5 0人が再びそれを生 手段は,その所有者によって利益となるように 産的に消費することができるような新しい『投 運用されるはずであり,必ず何らかの形で追加 資』がみつかるまでは,落ち着くところもな 的雇用を形成することになる。 い。だから,おそかれ早かれ資本と労働者とが 再びいっしょにならなければならないのであ 「あの弁護論者たちも,このような資本の遊 り,そしてそうなればそこに補償があるのであ 離のことを言っているのではない…彼らが言う る。こういうわけで,機械によって駆逐される のは,遊離された労働者の生活手段のことであ 労働者の苦悩もこの世の富と同じように一時的 る。たとえば前記の例では,機械は,5 0人の労 なのである」 (Werke 23,4 6 3/訳 5 7 5) 働者を遊離させ…同時に彼らと1 5 0 0ポンドの価 値の生活手段との関連をなくし,こうしてこの このような想定のうえで,マルクスによる補 生活手段を『遊離させる』のだということは, 償説理解の特徴を挙げるとすれば,次のように 否定することはできない。つまり,機械は労働 なるだろう。第一に,機械が導入されたとして 者を生活手段から遊離させるという簡単な少し も,素材的な形態における生活手段は依然とし も新しくない事実が,経済学的には機械は生活 て存在しており,しかるべき投資先さえあれ 手段を労働者のために遊離させるとか,労働者 ば,必ずや追加的雇用を形成するという点であ ― 11 ― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 る。そして第二に,機械導入によりたとえ労働 者によって消費されなければならない必然性は 者の一部が排除されるとしても,その雇用が補 ない。機械導入により雇用が排除されれば,生 償されさえすれば,労働者は不利益を被ること 活手段に対する需要構成が変化し,それまで労 はない(むしろ生産物の低廉化によって利益を 働者により消費されていたものが資本家や地主 得る)という点である。 により追加的に消費されることも十分に考えら それでは上記の各論点に対するマルクスの批 れる20)。 判を検討してゆくこととしたい。まず第一の論 マルクスは,社会的富のうち労働者により消 点については,遊離された生活手段が資本とし 費される部分は,あらかじめ決まっており,た て用いられるための,しかるべき投資先は,機 とえ一時的に労働者から「遊離」されても,再 械導入による生産物の低廉化により保証される び労働者により消費されると考える立場を, とすれば,問題は次のように設定されうる。機 『資本論』第1部第7編第2 2章第5節「いわゆ 械導入がなされたとしても,社会に労働力の再 る労働財源」にて批判している。マルクスによ 生産に用いられるべき生活手段が存在している れば,この「労働財源」にもとづく見解では, 限り,雇用は補償されるかどうかということで 「可変資本の素材的存在,すなわち労働者に ある。 とって可変資本が表している生活手段量,また マルクスはこの点について,生活手段が直接 はいわゆる労働財源は,社会的富のうちの,自 に労働者を雇用する手段になるかのような説明 然の鎖で区切られていて越えることのできない に対して,批判を投げかけている。マルクスに 特殊部分」 (Werke 23,6 3 7/訳 7 9 5)と み な さ よれば,労働者に対して支払われるのは,貨幣 れる。この見解はもともとは,賃金を引き上げ 賃金であり,生活手段に対して労働者は購買者 ようとする労働者の団結に対して,弁護論的な として対峙する。それゆえ,雇用排除が生じれ 目的のために利用されたものである21)。しかし ば,労働者がそれまで形成していた生活手段に マルクスの補償説批判を考える際にも重要な示 対する需要はなくなる。もし国内もしくは国外 唆を与えるといえよう。 社会的富のうち可変資本を通じて消費される に,そのほかの需要者が存在しなければ,生活 手段の価格は下落し,その再生産規模は縮小す るということをマルクスは論じている19)。 このマルクスの批判を理解するにあたり,生 活手段に対する労働者以外の需用者の存在は, 決して小さくない意義を持っている。マルクス によれば,遊離された生活手段は引き続き労働 1 9)この点についてマルクスは『剰余価値学説史』 において,次のように述べている。 「解雇され た労働者が以前にこれらの物品にたいする需 要を形成していたかぎりでは,需要は減少し た…こ の 需 要 の 不 足 が 埋 め ら れ な い と す れ ば,価格低下が生ずる(または,価格低下で はなく,そのかわりに,市場により多くのも のが残余として次年度に持ち越されるはずで ある) 。また同時に,この物品が輸出品でなく て需要の不足が持続するとすれば,再生産の 減少が生ずる」 (Werke 26,5 6 5/訳 7 6 4) 2 0)マルクスは注1 9で引用した文章に続けて,雇 用排除が生じたとしても,収入からの消費拡 大によって,生活手段を生産する資本が減少 しない場合があることにも言及している。こ の場合には「より多くの肉類とか,より多く の商業用作物や高級食料品が生産され,小麦 はより少なく生産され,馬糧用の燕麦などは より多く生産され,またファスチアン綿布の ジャケットはより少なく,ブルジョア用の上 衣はより多く生産される等々ということにな る」 (Werke 26,5 6 5/訳 7 6 5)という。 2 1)マルクスによれば,このような「弁護論」を 提唱していた人物に,ベンサム,ジェームズ・ ミル,マルサス,マカロックを挙げている。J. S.ミルはこのような弁護論者とは分けて考え られているが,彼らの「古い経済学説」にと らわれていた点は批判されるべきとしている (Werke 23,6 3 8/訳 7 9 7) 。 ― 12 ― 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 部分は,容易に資本家や地主の収入により消費 し,この作用には,いわゆる補償説と共通な点 される部分に転化されうるし,逆のこともあり はなにもない」 (Werke 23,4 6 6/訳 5 7 9) 。とい 得る。補償説のように,社会に存在するかもし うのは,別の部門での雇用増加は,遊離された くは再生産される生活手段の量をもって雇用水 生活手段によりなされるのではなく, 「投下を 準に対応させようとする態度は,この「労働財 求 め る 新 し い 追 加 資 本 に よ っ て 行 わ れ る」 源」にもとづく見解に通じるものがある。そし (Werke 23,4 6 4/訳 5 7 6)と考えられているか て,流動資本の固定資本への転化によって,機 らである。 械導入による雇用排除を論じようとした,J.S. この意味では,結論としてかなり曖昧になっ ミルの見解にもこのような特徴を見て取ること ているとはいえ,流動資本の固定資本への転化 ができる。J.S.ミルはマルサス人口法則にした を論じた J.S.ミルは,補償説とは一線を画して がって,食料と労働人口とを直接に対峙させて いるといえるかもしれない。しかし,雇用拡大 い た だ け に,な お さ ら そ う で あ る と い え よ が労働者階級にとって持つ意味を考えたとき, 2 2) マルクスの立場と J.S.ミルの立場とでは大きな それでは,第二の論点,すなわち雇用水準が 相違がある。マルクスは,たとえ雇用水準が急 補償されさえすれば,労働者は機械導入から不 速に拡大するとしても,労働者階級の状態はむ 利益をこうむることはない(むしろ機械導入に しろ悪化しうると論じている。その理由は, よる生産物の低廉化により,消費者として利益 『資本論』第1部第7編第2 3章で展開される相 を得る)という点について,マルクスの批判を 対的過剰人口論24)において論究されるべきもの 考えてみたい。 なので,ここではマルクスが補償説批判との関 う 。 マルクスもまた機械導入が結果的に雇用を増 連で指摘している点を挙げるにとどめたい。 加させうることを認めているが,それは補償説 マルクスはまず第一に,排除された労働者お の論理によっ て で は な い こ と を 強 調 し て い よび年々新たに追加される労働力によって追加 る23)。マルクスは補償説を検討する際には,機 的労働需要が満たされる限り,抑圧的な労働条 械導入の効果のみに焦点をあてており,新たな 件が改善することはないという。排除された労 資本蓄積が雇用にもたらす影響とは区別してい 働者は生活のためにも,新たな雇用先を見つけ た。マルクスによれば, 「機械は,それが採用 る必要に迫られているので,労働条件をめぐっ される労働部門では必然的に労働者を駆逐する て,就業労働者と失業者との競争が起こる。こ が,それにもかかわらず,他の労働部門では雇 の競争による資本家と労働者との立場の格差 用の増加を呼び起こすことがありうる。しか は,労働者を過剰労働へと強いる強力な手段に なることをマルクスは示唆している。マルクス 2 2)J.S.ミルによるマルサス人口論への評価につい て は,Mill(1 9 7 6,1 5 6/訳 第1分 冊,1 9 5)を 参照。 2 3)穂 積(1 9 5 8) ,富 塚(1 9 6 5) ,中 村(1 9 8 7)な どの先行的諸研究では,機械導入による雇用 排除を否定した議論をまとめて補償説とみな してきたように思われる。しかしマルクスの 論理に限っていえば,機械導入の結果として 蓄積が促進され,雇用が増加するという想定 は厳密には補償説とは見なされない。機械導 入の一次的影響としての雇用と,追加的蓄積 による雇用の影響とが区別されている。 によれば,機械導入により排除された労働者が 再び雇用を得ることができたとしても,それで 「労働者階級のための補償」がなされるとは考 えることができない。むしろ, 「それとは反対 2 4)相対的過剰人口もしくは産業予備軍は,資本 のもとへの労働の実質的包摂を確保しつつ, 資本蓄積を可能にする社会的条件となってい ることは,すでに多くの論者により指摘され てきた。この点については,さしあたり富塚・ 5)を参照。 本間・服部編(1 9 8 5,2 6 4―7 ― 13 ― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 に,最も恐ろしいむちとして労働者にあたる」 益を被ることはないとの観点からも補償説の立 (Werke 23,4 6 4/訳 5 7 6)ことになる。 場を批判している。マルクスにとっては,追加 そして第二に,マルクスは機械導入により排 的な労働需要が機械により過剰化された労働力 除された労働者は,長期の分業労働により特定 と新たに追加される労働力により間に合う限り の労働能力に固定化されていたり,年齢的な要 は,劣 悪 な 労 働 条 件 を 改 善 に は つ な が ら な 因により,それまでの就業先よりも劣悪な労働 い26)。それ対して J.S.ミルは,雇用水準が拡大 条件のもとでしか再雇用を見いだすことができ する限り,たとえ一時的な雇用排除をもたらす ないことを指摘している。マルクスによれば, としても,機械導入は労働者階級にとって利益 雇用において優先されるのは,年々新たに追加 とする立場をとっていた。J.S.ミルにおけるこ される労働力であり,蓄積とともに形成される のような見通しもまた,マルクスにより補償説 相対的に条件のよい就業先は,彼らによって埋 的として批判されることになったといえよう。 2 5) められてしまう 。それゆえ,機械導入により 雇用を失った既存の労働者は,次の雇用先を見 むすび つけるまでに零落してしまい,結局は劣悪な労 これまで本稿では,マルクスはなぜ,リカー 働条件の雇用に落ち込んでゆくことが示唆され ドウに対しては補償説を撤回したとして高く評 ている。 価する一方,リカードウの機械論を基礎に展開 「この哀れな連中は…彼らの元の仕事の範囲 された J.S.ミルの考察については,補償説とし から出ればほとんど値うちがなくなるので,彼 て取り上げたのか検討してきた。本論での考察 らがはいれるのは,ただわずかばかりの低級 を簡単にまとめ,上記の理由について,結論を な,したがっていつでもあふれていて賃金の安 与えることとしたい。 い労働部門だけである。また,どの産業部門も J.S.ミルは『経済学原理』第1部第6章にお 年々新たな人間の流れを引き寄せ,この流れが いて機械導入の影響を考察した際,流動資本の その部門に規則的な補充や膨張のための人員を 犠牲において固定資本が増加しうる場合がある 供給する。これまで一定の産業部門で働いてい ことを認めていた。そして流動資本の減少する た労働者の一部分を機械が遊離させれば,この 場合を,総生産物が減少する場合に対応させる 補充人員も新たに分割されて他の諸労働部門に とともに,機械導入は労働者階級にとって有害 吸収されるのであるが,最初の犠牲者たちは過 となりうるとの見解は正しいとの主張を行って 渡期のあいだに大部分はおちぶれて萎縮してし いた。 まう」 (Werke 23,4 6 4/訳 5 7 6―7) この限りでは J.S.ミルの考察は,リカードウ 『原理』第3版第3 1章における考察をほぼ踏襲 以上のようにマルクスは,雇用が元の水準を している。その上で J.S.ミルは補償説への批判 維持するか拡大するのであれば,労働者は不利 2 5)『剰余価値学説史』では次のような記述がみ られる。 「新しい蓄積によって新たに開かれた 雇用分野を自分自身のものとして手に入れる のは、遊離された労働というよりはむしろ新 たな労働供給─増加する人口のうちで、それ に と っ て か わ る べ き 部 分─で あ る」 (Werke 1) 26,5 7 7/訳第2分冊,7 8―0 2 6)この点についてマルクスは、機械導入の「一 方の傾向は、労働者を街頭に投げ出し、人口 を過剰にさせるが、他方の傾向は、彼らを再 び吸収して、賃金奴隷制を絶対的に拡大する」 (Werke 26,5 7 6/訳 7 7 8)と 述 べ て い る。資 本制的な機械導入のもとでは、生産力発展は 労働者の敵対的性格を強め、労働条件をむし ろ悪化させることをマルクスは論じている。 ― 14 ― 「J.S.ミルおよびマルクスの機械論─補償説への考察をもとに─」 を行っていた。機械導入による商品価格の下落 また,機械導入によりひとたび排除された労 と実質所得の増加は,需要および生産の拡大を 働者の雇用が確保されれば,労働者に不利益は もたらし,当初排除された労働者を再雇用する 生じないと考えていた点もマルクスの批判する との見解に対して,商品需要は労働への需要で 所であった。マルクスは排除された労働者と新 はないと反論している。 規労働力によって労働需要が満たされる限り, とはいえ,J.S.ミルは機械導入による雇用排 除という点で,リカードウよりも後退した部分 労働者にとっては抑圧的な形での資本関係が拡 大再生産されるにすぎないと論じていた。 もある。まず第一に,J.S.ミルは流動資本を犠 以上のように,マルクスは J.S.ミルの考察を 牲にした固定資本の増加について,農業におけ 補償説とみなしたのは,機械導入による雇用排 る土地改良を例に説明している。さらに流動資 除という点で,リカードウよりも立場が後退し 本の固定資本への転化は,農地の牧地への転換 ていることに加え,素材的に把握された流動資 など特殊な場合のみ現実性を持つと説明してい 本が雇用手段になるとの立場,雇用水準が補償 た。第二に,J.S.ミルは,機械導入はしばしば されさえすれば労働者に不利益は生じないとす 資本節約的であり,労働節約的ではないとの立 る立場が見られることによる。 場から,資本蓄積にともなう固定資本の増加傾 機械導入についての補償説にかんする限りマ 向についても,否定的な立場をとっていた。か ルクスの J.S.ミル批判はその世間的権威をおと くして J.S.ミルは,機械導入が労働者階級に対 しめるためではなく理論的な克服を目的として して一時的に有害な影響を及ぼす可能性すら なされていることがわかる。同様に『資本論』 も,現実にはないと論じるにいたる。 をはじめとするその他のマルクスによる J.S.ミ このように J.S.ミルにおいては,機械による 労働排除の可能性を残していたリカードウより ル批判は,政治的意図では説明がつくものでは ない。 も立場が後退していることが,マルクスによ 相対的過剰人口論における労働の需要供給に り,排除説から補償説へと転換したと考えられ よる賃金率決定への批判,利潤率の傾向的低下 た理由の一端であることは確かであろう。だ 論における J.S.ミルとの形式的類似性と本質に が,マルクスが J.S.ミルの考察を補償説として おける克服の試み27),そして生産と分配との関 取り上げた理由はこれだけではない。 係,三位一体定式における批判28)を考えると, マルクスによれば補償説の論拠は,機械が導 入されても生活手段は残存しており,別の形で 労働者を雇用するために必ずや用いられるとい う点にあった。J.S.ミルは素材的に把握された 流動資本の再生産の縮小をもって雇用排除を論 じていたが,マルクスが『資本論』第1部第2 2 章第5節において批判した見解に通じる。 社会的富のうち生産的労働者の維持にあてら れる大きさは,流動資本としてあたかも自然的 に決まっているかのような考察が J.S.ミルには 見られる。しかし可変資本の収入への転化,も しくはその逆によって,社会的富のうち生産的 労働者の維持にあてられる部分は任意に変更さ れうるというのが,マルクスの見解であった。 2 7)『資本論』第1部第7編第2 3章で展開された, 賃金決定にかんする需要供給の法則への批判 では,J.S.ミルの賃金論が想定されていた点に ついては,石 井(2 0 1 2,第7章)を 参 照 の こ と。また,利潤率低下傾向についての J.S.ミル と マ ル ク ス と の 考 察 の 比 較 に つ い て は, Balassa (1 9 5 9 ), Shoul ( 1 9 6 5 ), Evans (1 9 8 9) ,石井(2 0 1 3)などを参照のこと。 2 8)マルクスは『資本論』第3部第7編「諸収 入 とそれらの源泉」 ,第5 1章「分配関係と生産関 係」において,J.S.ミルにおける生産と分配に ついての考察を批判している。マルクスは Mill (1 8 4 4)を参照しつつ, 「もっと教養のある, もっと批判的な意識は,分配関係の歴史的に 発展した性格を承認する」として評価するも ― 15 ― 経 済 経 営 研 究 所 年 報 第3 7集 マルクス経済学的考察の要諦ともいえる部分で Berg, M. 1980. The Machinery Question and J.S.ミル批判がなされていることがわかる。 the Making of Political Economy, Cam- マルクスは J.S.ミルを当時のイギリスにおけ bridge: Cambridge University Press. る政治的影響力という点で乗り越えようとした Duncun, G. 1977. Marx and Mill : two views of 可能性も否定はできないかもしれないが,それ social conflict and social harmony, Cam- 以上に J.S.ミルをブルジョワ経済学の総決算と bridge: Cambridge University Press. (pbk, して,学問的・理論的に克服すべき対象とみな originally published in 1973). していた。補償説批判において,J.S.ミルの名 Evan, M. 1989. John Stuart Mill and Karl Marx: 前があえて取り上げられたのも,このような態 Some Problems and Perspectives, History 度によるといえよう。だとすれば,J.S.ミルと の比較によるマルクス理論のさらなる解明の道 of Political Economy, 21(2): 273−98. Hollander, S. 1985, The Economics of John Stu- もまたありうるのではなかろうか。 art Mill , 2 vols., Oxford: Basil Blackwell. McCulloch, J. R. 1821. The Opinions of Messrs. 参考文献 Say, Sismondi, and Malthus, on Effects of Balassa, B. 1959. Karl Marx and John Stuart Mill, Machinery and Accumulation, Edinburgh Weltwirtschaftliches Archiv, 83(2): 147− 63. Review, 35: 102−23. McCulloch, J. R. 1995. 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