Victory Baptist Church 勝利バプテスト教会 The New Testament Teaches Love 新約聖書が教える愛 ジョン・R・ハイムズ著 By John R. Himes, MA 第1課 神は愛です 1ヨハネ4:7∼12 初めに 神の愛は本物です。神、イエス・キリストは、愛する方だけではなく、愛 そのものです。 I 神は愛そのものである。(8節) A 神には愛があるだけではなく、神は愛です! B 「愛は神です」ではなく、「神は愛です。」 C 神は愛の源です。アガペの愛は神から出ます。 II 神の愛は賜物を与える。(9∼10節) A その賜物とは、イエス・キリストご自身です。(ヨハ3:16) B キリストという賜物は人を救います。 「信じる人は救われる。」 (マル16:16, 使徒16:31) III A B C 神は愛をさせてくださる。(11∼12節) 神の愛によって、人は互いに愛し合います。 クリスチャンの互いの愛は、神の愛を証明します。(ヨハ13:35) 例話 竜巻を信じなければ、竜巻の後、その破壊を見れば、信じるで しょう。同様に、クリスチャンの愛は神の愛を証明します。 最後に ①信者――神の愛で、他の信者を愛していますか。祈っていますか。 ②未信者――神の愛を受け入れませんか。 -1- 第2課 自然的な愛 ローマ書12:10 ス ト ル ゲ 初めに ギリシャ語では、!"#$%& とは、自然的な愛です。ギリシャ語の新約聖書で は、熟語だけですが、大事な単語です。ストルゲ愛は家族の間の愛、両親の子どもに対 する愛、兄弟愛です。 I ストルゲ愛で互いに愛しましょう。(ロマ12:10) フ ィ ロ ス ト ル ゲ A この箇所では、ストルゲ愛は熟語 '()#!"#$%#* です。自然の愛と友情の愛は 合体しています。 B 教会は聖書の中で家族のようです。(1テモ5:1∼2) 1 女性は母親、姉妹です。(ロマ16:1, 13∼14) 2 男性は父親、兄弟です。(レビ19:32) C イエスを信じると、大きな家族に入ります。(マル10:28∼30) II ストルゲ愛のない者はいます 。(ロマ1:28∼31,2テモ3:2∼3) ア ス ト ル ゲ A この単語は +!"#$%#*、「ストルゲ愛はなし」という意味です。 B 新約聖書に2回あり、新改訳聖書では「情け知らず」と翻訳されています。 C ローマ書1:28∼32、特に31節 1 人間の堕落を教える箇所です。 2 神が造った自然的な人間のあり方を捨てては、非常に悪い罪です。 3 同性愛は、この一つです。(ロマ1:26∼27) D 2テモテ書3:1∼4,特に3節 1 「最後の日」、すなわち今の時代に、自然愛のない者は増えます。 2 テモテで、用法は複数です。両親の愛も兄弟愛もない者の事です。 最後に ①この教会の皆は、家族であるといつも思ってください。 ②自分の兄弟、姉妹の皆のために祈っていますか。 -2- 第3課 エロスの愛は何ですか 1ヨハネ4:7∼12 ) 古代ギリシャ語では、エロス( ,$#*) と言う愛は、恋愛の意味で、特に体に 関する愛でした。古代ギリシャ語の辞書によると、この意味です――( 1) love, desire ( 2) Eros, the god of love ( Liddell-Scott の辞書) 。聖書に決して出ない単語ですが、旧約聖 書の箴言とソロモンの雅歌は、詩の形で結婚の体に関する愛を説明します。 新約聖書では、体の愛に関する箇所は、だいたい罪を警告する箇所です。新約聖書で は、夫妻の愛はいつもアガペ、またフィロスの愛です。なぜなら、ギリシャ人はエロス と言う偶像の神を拝んでいました。ギリシャのエロスという神は、ローマの神話の神々 では、キューピッドと言う偶像の神になりました。 では、クリスチャンとして、このエロスに対する態度は正しいですか。 初めに が か I エロスの気持ちは結婚の準備のためです(雅歌8:4∼7) A 結婚の準備だけとして、恋愛を考えるべきです。(4節) B とても強い感情ですから、気をつけなければなりません。(6節) C エロスの体の関係は結婚まで待つべきです。(1コリ7:1) II エロスの実行は結婚のためです(1コリ7:1∼5) A 赤ちゃんを造るためですから、エロスは決して遊びではありません。 B 結婚の中で、エロスはすばらしいものです。(ヘブ13:4) C ですから、クリスチャンは心を守るべきです。(箴言4:23) III A B エロスの罪から身を避けましょう(ガラテヤ5:19∼21,特に19) こんな罪があります――不品行(姦淫)、汚れ(広い意味)、好色 エロスで遊んでは、非常に危険です。(箴言6:32,7:7∼10,22∼ 27) 1 エロスで遊ぶと、人生をだめにします。(箴言6:23∼26) 2 エロスで結婚している相手を選べば、深い罪です。(箴言6:27∼29) 最後に エロスの罪を犯さないように、今、祈りましょう。 -3- 第4課 友情の愛は何ですか ヨハネ伝15:12∼17 フィロス フィレオ 初めに 友情とは、ギリシャ語では、名詞は '()#* で、友人への愛の動詞は '(),- で す。この類の愛のテーマは、「共に」という言葉です。友人は、同類の趣味や興味を持っ ています。学校なら、同じ部活かも知れません。会社なら、同じ趣味を持って、いっし ょにゴルフやテニスをします。 友情の愛は、深い愛もあれば、軽い愛もあります。友情の愛は大勢に対してできない 愛です。では、イエスの御言葉で友情の愛を勉強しましょう。 I 友人は忠実です 。(12∼13節) A イエスは私たちを決して捨てられない。(マタ28:18∼20,ヨハ6: 37,ヘブ13:5) B 真の友人は死ぬまでの友人です。(箴言17:17,18:24) C 真の友人は、困ったときに、助けてくれる。(箴言27:10) II 友人は同じ心を持っています。(14∼15節) A 弟子たちはイエスのように父なる神を愛していた。(ヨハ15:9~10) B 弟子たちはイエスのようにイスラエルを愛していた。(マタ10:5~7) C "Friends are one soul in two bodies."「友人とは、体二つにいる、たましい一つ である。」 III A B C 友人を選ぶことができます。(16∼17節) イエスは弟子たちの中で、特にこの12人を使徒として選ばれた。(ルカ6: 13) 同様に、私たちは友人を選ぶ。(マル5:19) ヨナタンはダビデを友人として選んだ。(1サム18:1∼3,20:30) 最後に ①友人はクリスチャンですか。ではなければ、救いを祈りましょう。 ②クリスチャンの友人たちのために、毎日祈っていますか。 -4- 第5課 神のアガペ愛 1ヨハネ4:7∼12 初めに 新約聖書の中、神の愛はほとんどいつも「アガペ 」というギリシャ語です 。 ア ガ ペ ア ガ パ オ 世界中の教会はこれを専門語として使っています。名詞: +%+.&. 動詞:+%+.+-. 形容詞 ア ガ ペ ト ス :+%+.&"#*。 聖書以外、一世紀のギリシャ語でほとんど用法されていなかったのです 。 が か 七十人訳のギリシャ語の旧約聖書では、ソロモンの雅歌で、男女の本物の愛のために使 われました。(2:4∼5,8:6∼7,など) では、神のアガペ愛はどういう愛ですか。 I 決心する愛です(ロマ9:25) A 神の愛は気持ちではなく、決心です。見にくい人をも愛します。 B 信じる者は救いのために選ばれています。(2ペテ1:10) II 与える愛です(ロマ8:31∼32) A わがままの愛は本物の愛ではありません。 B 神の愛は良い物だけ下さいます。( ヤコ1:17,ヨハ3:16) III A B IV 犠牲する愛です(ロマ5:8) この愛は神のもっとも大事なものを犠牲されました。 アガペは、人のもっとも深い愛より深い愛です。(ヨハ15:13) 条件なしの愛です(ロマ8:38∼39) A 神のアガペ愛は人間の条件や状態に関係ありません。 B 人間の愛は離婚、訴え、けんかなどで消えます。しかし、アガペ愛は決して 終わりません。(1コリ13:8) 最後に 神の愛を受け入れたことがありますか。答えますか。 -5- 第6課 愛がないといけません 1コリント13:1∼3 初めに 誰でも、愛は大切であると認めるでしょう。しかし、どこまで大事ですか。 この箇所によると、愛は人間のもっとも大切なものです。愛がなければ、人生の意味も ありません。 I 愛なしのコミュニケーション(1節) A 言語は頭だけの才能です。心は冷たくても、コミュニケーションはできます。 ですから、霊的に危険です。(1コリ8:1) B どらやシンバルだけでは、音楽になりません。(詩篇150編) C 愛のあるコミュニケーションは重要です。(箴言27:9) D 例話 現代はまさにコミュニケーションの時代です――電話、電報、携帯、 メール。インターネットで、何でもすぐ研究ができます。しかし、愛が段々 珍しくなっている時代です。 II 愛なしの宗教(2節) A 正しい宗教は預言、知識、信仰だけではありません。 B 新約聖書の「宗教」とは使徒(25:19,26:5)とヤコブ(1:26∼ 27)だけに言われています。愛がなければ、宗教の意味はゼロです。 C 真の宗教は神をも人々をも愛しています。(マタ22:37∼40,1ヨハ4 :20∼21) III A B C 愛なしの犠牲(3節) 愛がなければ、すべてを犠牲して、福祉をしても無意味です。福祉は愛の一つ であろうと思っても、心の動機は愛ですか。(ヘブ4:12) 愛がなければ、体を犠牲して、正しい立場のために死んでも、無意味です。 目的は神に対する愛でないなら、だめです。(ユダ1:21) 例話 ジャンヌ・ダルクの人生を考えてください。戦争で神に仕えていると 思って、英国の捕虜になり、結局、体を犠牲しました。母国フランスへの愛 はあったのに、神と隣人に対する愛はありましたか。 最後に 心の中で考えてください。あなたにとって、愛は大事ですか。 -6- 第7課 愛のわざ 1コリント13:4∼5 初めに アガペ愛は気持ち、または感情ではありません。アガペ愛は行ないを通し てあらわされています。この箇所はその愛の行ないをこまかく教えています。さて、私 たちはどこまでアガペ愛を行なっているでしょうか。 I 「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。」 A 寛容とは、やさしい態度です。人の心を理解する態度です。 B 親切とは、その態度を実行する行ないです。(ルカ6:35) C 寛容と親切がある人は、ねたみません。(エペ4:31∼32) II 「愛は自慢せず、高慢になりません。」 A アガペ愛には、プライドがありません。 B イエスと同様に、他人を自分より大事にします。(ピリ2:1∼8) III A B IV 「礼儀に反することをせず、」 アガペ愛はいつも礼儀正しいです。"Politeness is love in small things." このギリシャ語の言語は、「みっともない事をする」という意味がある。 (「ギリシャ語小辞典」、織田昭編) 「自分の利益を求めず」 A アガペ愛は決してわがまま、または自己中心ではありません。 B この時代には、自分を愛する人は多いです。(2テモテ3:1∼5) V 「怒らず」――罪に対して怒っても、罪人を愛すべきです。神は罪人の私たちを愛 しておられます。(ロマ5:8,ヨハ3:16) VI 「人のした悪を思わず」 A これは母親の愛に似ています。子供の罪をすべて赦します。 B 神は私たちの罪を忘れてくださいます。(詩篇103:10∼14) 最後に アガペ愛の態度も、行ないもありますか。この章を実行していますか。 -7- 第8課 愛の行ない 1コリント13:6 初めに アガペ愛は何を喜びますか。何でも喜んではいけません。「不正を喜ばずに 真理を喜びます。」 I 「不正を喜ばずに」 A アガペ愛は罪を悲しみますが、アガペがない人は罪を喜びます。 B それだけではなく、アガペ愛は罪を笑い物にしません。(箴言14:9)しか し、この社会は罪を笑い、喜んでいます。 1 ロトの義理の息子たちはそうでした。(創世19:14,28) 2 イスラエルは神の預言者を笑い物にしました。(2歴代36:16) 3 イスラエルの敵はネヘミヤをあざけりました。(ネヘ4:1) 4 イエスを十字架につけた人たちはイエスを笑い物にしました。(ルカ 22:63) あなど C 「神は 侮 られるような方ではありません。」(ガラ6:7) II 「真理を喜びます。」 A 真理は不正の反対です。 1 真理は神から来ます。 2 愛は真理を語ります。(エペ4:15) 3 ですから、アガペ愛があれば、真理を喜びます。 B 聖書は真理の御言葉です。(2テモ2:15) C イエスご自身は真理です。(ヨハ14:6) D ですから、アガペ愛をする人は、必ずイエスと聖書を愛しています。 最後に アガペ愛の喜びは何ですか。聖書の真理と、真理であるイエスです。あなたは 何を喜んでいますか。 -8- 第9課 愛の態度 1コリント13:7 初めに この節は愛の正しい態度を教えています。それは怒り、コントロール、高 慢ではなく、やさしい希望の態度です。自分の態度はどうですか。 I 「すべてをがまんし」 A この「すべて」とは何ですか。愛する人のすべて(臭い、汚れている洋服、な ど)です。罪さえも我慢するときもあります。(箴言10:12) B がまんしなくてもいいものがあります。 1 悪(ロマ12:21)――とても悪い罪です。 2 悪い者たち(黙示2:2,マタ17:17) II 「すべてを信じ」 A もちろん、悪い方を信じるわけではありません。(箴言14:15) B 神のなさるわざを信じましょう。(エレ33:3) C 愛する人の言葉を信じましょう。(箴言17:17,27:6と9) III A B IV 「すべてを期待し」 苦難の中、神のわざを待ち望みましょう。(ロマ8:28) 愛する人の心の中で、神のなさる良い働きを待ち望みましょう。(ピリ1:6) 「すべてを耐え忍びます」 A 神のわざを待って、今の状態を堪え忍びましょう。(創世50:20) B 今見て、考えると、愛する人の将来は暗いかも知れません。しかし、今の状態 を堪え忍び、神の御心を祈りましょう。(マタ6:10) 最後に 自分の愛を神の基準に比べましょう。 -9- 第10課 愛の勝利 1コリント13:8∼10 初めに この世のすべては真に不完全です。私たちも不完全です。完全になりたく ありませんか。罪のないものになりたいではありませんか。愛しか、完全になる方法は ありません。そして、完全はこの世でなく、天国でです。 I 耐える事のない愛(8節前半) A 愛は永遠です。今の人生で、愛によって行われた業は永遠に残ります。 1 親切(マタ10:42)と他の奉仕(ロマ14:10∼13) 2 救霊獲得(ダニ12:3) B この世の耐えるものを求めずに、神の御心を求めるべきです。(ヨハ6:27) II すたれるもの(8節後半) A パウロは三つの霊的な賜物を12:8∼10より引用しています。 1 預言――天国では預言する必要はなくなります。(12節後半) 2 異言――天国には、完全な言語があるでしょう 。(1節)しかし、人間の 言語はすべてすたれます。(黙示21:1) 3 知識――知識の賜物は教会のため、信者の成長のためです。 B 人間からのものも、すたれます。人間の知識は現代増えていますが(ダニ12 :4)、永久的ではありません。(1コリ1:20∼21) III A B 完全なもの(9∼10節) この世では、私たちは少ししか、霊的なことを知りません。 天国では、今想像ができない、色々すばらしいことを知るようになります。 (1コリ2:9∼10,イザ64:4) 1 神ご自身を知るようになります。(ヘブ8:10∼11) 2 自分のすべてを知るようになります。(12節) 3 イエス・キリストをもっと知るようになります。(ピリ3:8∼10) 最後に 自分の人生の目的は愛であるかどうか、自らを吟味しましょう。 - 10 - 第11課 愛の勝利 1コリント13:11∼13 初めに この箇所は愛の説明を続きますから、前後関係によって解釈すべきです。 従って、子どもの例話も、鏡の例話も愛についてです。正しく解釈しましょう。 I 成長していない愛(11節) ネイピオス A 子どもの状態(/&.(#* ――このギリシャ語は幼子の意味です。) 1 子どもとして話すこと――遊び、くだらない言葉、わがまま 2 子どもとして考えること――自己中心 3 子どもとして論じること――非論理的、理解力が足りない B 成長したクリスチャンは、 1 霊的な話しをします(1コリ2:14∼16) 2 献身します(ロマ12:1∼2) 3 イエスの事を伝えます。(ヘブ13:20~21,マル16:15) II 未知の愛(12節) A 「鏡にぼんやり映るものを見ています。」 1 コリント市の鏡は有名でした。 2 当時の鏡は金属製で、ぼんやりに写っていました。 3 この世の信者はまだ未知です。(1コリ2:9) B 天国でイエスに会います。(出エジ33:11,ヨブ19:26) C そして、天国で完全に自分を知るようになり、罪の性質を失います。(エレ 17:9,1ヨハ3:2) III A B C 永遠の愛(13節) 信仰は永遠のものを生じます。(1テモ6:12) 永遠のものがきたとき、希望はなくなります。(ロマ8:24) 愛は永遠です。(ユダ21節) 最後に 神を愛し、隣人を愛する事を、クリスチャン生活の第1にしていますか。 - 11 - 第12課 神の友は誰ですか 伝道者4:7∼12 初めに 友人はすばらしいものです。友達を一人も持っていない人は非常にかわい そうでしょう。 聖書の中、いろいろな人物は神に親しいといわれています。 1 エノク(創世5:22) 2 アブラハム(2歴代20:7,ヤコ2:23,4:4) 3 モーセ(出エジ33:11,申命34:10) 4 ダニエル(ダニ9:23,10:11と19) 5 使徒ヨハネ(ヨハ19:26,20:2,21:7と20) I 信じて行なうこと(ヤコ2:21∼23) A 信じるだけでは足りません。 B 旧約聖書では、アブラハムだけが神の友です。 C アブラハムは信じて従いました。(ヨハ15:13∼15) II 世の敵になること(ヤコ4:4) A 世とは、この制度です:お金、名誉、快楽 B 二人の主人に仕えられません。(マタ6:24) III A B C 神に近寄ること(ヤコ4:8) 真の友達はいつも愛しています。(箴言17:17) 王の友達は心の清さを愛します。(箴言22:11) イエスは待っておられます。(黙示3:20) 最後に 神の友達になっていますか。 - 12 - The New Testament Teaches Love 新約聖書が教える愛 著者 ジ ョ ン ハ イ ム ズ John R. Himes By John R. Himes JAPAN 2013年 1951年アメリカのオクラホマ州に生まれる。テネシー・テンプル大学、1976 年卒業。大学院に、テンプル・バプテスト神学セミナリーに1年、マラナタ・バプテス ト聖書大学院を聖書研究修士号で2005年卒業。1981年に宣教師として来日。東 京日本語学校1983年卒業。横浜市の喜びバプテスト教会(元港南台バプテスト教会) の開拓と牧会。1996年に、北海道に引っ越し、旭川市の勝利バプテスト教会を開拓 と牧会。HBRI(北海道聖書研究学院)の学院長を勤める。著者に、The Making of a Soul Winner (Sword of the Lord, 1978年) 、 「恵みか律法か−ガラテヤ人への手紙の注解書」 (1994年) 、Christian Philosophy of Self Defense ( GMAU, 1999年)「誰でもできる 伝道」( 2002年)などある。 発行者 勝利バプテスト教会 旭川市旭神1条5丁目5の15、〒078−8371 ℡ (0166)66−2008 - 13 -
© Copyright 2024 Paperzz