東京ジャーミイ金曜日のホトバ 2016 年 01 月 22 日 希望 ムスリムの皆様。信頼なるムスリムの皆様。本日は アッラーはしもべたちを信頼されているのです。アッ 希望について話してみたいと思います。アッラーは預 ラーはある意味、 「私はあなた方を信頼している。あな 言者達を通して人間に希望を教えられました。預言者 た方も私を信じなさい」と仰せられているのです。そ 達は、吉報をもたらす者として、そして警告者として してまた被造物を創造されていることは、その希望が 遣わされました。天国の吉報を伝え、地獄を警告しま 失われていないことを示すものです。だから、生まれ した。なぜなら希望と恐れは人間の本質にあるものだ てくる子供は皆、アッラーの、人間への希望を意味し からです。 ているのです。 預言者アーダムも、希望 恐れと希望は、人そのも を見出すことが必要でした。 のにおいてそうであるよう それを見出す為には、意志が に、人間の歴史においても揺 見出されることが必要でし るがない規律です。どちらか た。神は預言者アーダムに希 一つだけに傾くことは、個人 望を教えることを望まれ、そ にとっても集団にとっても のために、あのよく知られて 禁じられています。クルアー いるシナリオを構築された ンは次のように仰せられて のです。天国を、何も知らな います。 「われは人間の間に いまま消費するのではなく、 (種々の運命の)こんな日を 意識を持ってそれを獲得す 交互に授ける。 」 (イムラーン る人である必要があったからです。結果として彼は悔 家章第 140 節)これはなぜでしょうか?手に入れたも 悟し、意識を持った形で天国を獲得したのでした。意 のを過度に喜びすぎたり、失ったものを過度に嘆いた 志の発見が罪によってなされるのであれば、意志を持 りしないためです。 った罪は、無意識の善行よりも尊いものでしょう。だ 親愛なるムスリムの皆様。アッラーには一つの勘定 から木が地面の上にその身を伸ばしたとしても、善行 があり、知識があります。そしてそれは限りのないも を得ることはできないのです。なぜならそこには意志 のです。アッラーは皆を何かで、あるいは互いによっ がないからです。しかし人間は額を床につければ、そ て、試されているのです。大切なことは、私達が何に の瞬間はアッラーに最も近しい瞬間となるのです。ヒ よって、あるいは誰によって試されているのかを知る ジュラの際、洞窟で、「恐れるな、アブー・バクルよ。 ことです。考えてみてください。預言者ムハンマドは、 アッラーはわれわれと共におられる」と言われた際、 3 年間のボイコットの時期に、そしてマディーナ防衛の 預言者ムハンマドの内面世界に存在した希望を私達は 為に塹壕を掘っている間に、教友達にキスラとカイセ 知っています。ムスリムには希望を失うといったこと リの財宝と言う吉報を与えられました。心が病んでい は許されないし、そのような選択肢もないのです。そ た一部の人々は「私達はトイレにいくことすらできな れゆえ、絶望することは教えへの否定と見なされてい い、彼が話している内容はなんというものだろうか」 ます。 「アッラーの慈悲に絶望してはいけない」とクル と言っていたのでした。1258 年にバグダッドがモンゴ アーンは述べているのです。 (集団章第 53 節) ルによって占領された時にも、 「このウンマはもう終わ 親愛なるムスリムの皆様。信仰の意義の一つが、希 りだろう、このウンマの寿命もここまでだろう。 」と言 望です。なぜなら私達が信じるアッラーに何かできな った人々がいました。しかし約 200 年後には、アッラ いことがあると思っているのなら、完全にアッラーを ーは信者にイスタンブールの征服をも許されたのでし 信じていることにはならないからです。 た。だから、希望を失ってはいけません。かけらでは アッラーはクルアーンで、ご自身を信仰者と定義さ なく、全体を見てください。命すら投げ出すことのあ れています。アッラーは誰を信仰して信者となったの るこの信仰は、それ自体は決して失われず、命を失う でしょうか?そう、信仰のもう一つの意義は信頼です。 ことはないでしょう。
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