6階 研修室にお集まり下さい

無実の死刑囚・元プロボクサー 袴田巌さんを救おう!
第 20 号
2006 年 6 月 30 日
袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会
424-0006 静岡市清水区石川本町 16-18
電話:0543-66-2468
郵便振替口座:番号 00890-7-185276
FAX:0543-66-2475
名称:清水・静岡袴田巌救援会
ホームページアドレス: http://hakamada2.exblog.jp/
ホームページ(ブログ)のアドレスが変わりました。注意して下さい!!
無実の死刑囚・元プロボクサー 袴田 巌さんを救い出そう!
事件発生 40 年、 最高裁は一日も早く再審開始を!
至新静岡
清水テルサ
新清水駅
午後 1 時 30 分
至 沼津
清水駅
至 三保
清水マリンロード
清水 IC
日時:6月25日 (日)
審清水駅
午後1時30分~
会場:清水テルサ 6 階研修室
隣の有料駐車場をご利用下
さい。
JR清水駅 東口 徒歩5分
静鉄 新清水駅
徒歩7分
6階 研修室にお集まり下さい
-1-
1972 年 2 月 7 日 袴田さんの手紙から
拝啓 皆様御元気で御暮らしのことと御喜び申し上げます
さて 前回の公判二月一日に誠と鮮やかとしか、たとえようのな
い 小澤先生の尋問音域はあたかも高く 又 低く 音楽の最高
の音感を身に付け 自らも音韻を楽しみながら 裁判所初め
検事 勿論小生も真ったくドラマの主役が 本番に磨き上げられ
た演技を自信たっぷりで公開している 美しく爽かで 且 あく
まで知的な先生の容貌と 尋問の滑らかさに その余韻に公判廷
は終始酔っている状態を おぼろげながら感じたのでございま
す。 小澤先生の尋問の鋭さによって 証人の口が滑る刹那
先生の持つ有利な意図を 大飛躍させる感 いや技術と言うべき
だろう
・・・・後略・・・・ (原文のママ)
「弁護活動を通して長期裁判を検証する」
講 演: 小澤 優一 弁護士(袴田事件弁護団)
今回講師としてきて頂く袴田事件弁護団・小澤優一弁護士は、静岡地裁での死刑判決
(1968 年 9 月 11 日)後、東京高裁での控訴審から、袴田さんの弁護を引き受けてこられまし
た。 袴田さんの手紙によると、1969 年 10 月 15 日からになります。
したがって、弁護団の中では、東京高裁での装着実験に立ち会われた経験がおありです。
袴田さんも小澤先生を信頼し、冒頭に紹介した内容の手紙を家族に送っています。
この集会では, 袴田さんの弁護人となってから、事件の印象、袴田さんの様子、控訴審で
の審理(1969 年から 1976 年 5 月まで)の内容、特に、5 点の衣類に関しての攻防などの話が
伺えたらと思います。
そして、控訴審判決(1976 年 5 月 18 日)と一昨年 8 月 27 日の高裁の棄却決定の両方を
経験された立場として、高裁の判断に関する考え、感想など、述べてもらえたらと、思ってお
ります。
また、長期間の弁護活動の中から、なぜ、このような長期間になってしまったのか、再審
-2-
制度あるいは現在の裁判所の姿勢、この裁判で最も主張したいこと。そして、私たち支援者
に訴えたいこと、協力してもらいたいこと。など、伺いたいと思います。
「巌さんの無実を信じつづけて40年」
座談会:袴田秀子さん(巌さんの姉) 小川秀世 弁護士(袴田事件弁護団)
・・・5点の衣類が発見された時、警察がきて
「下着や洋服など何か巌に買ってやったものあるか?」などと尋ねられたが、
「母親のほうがよく知っているはず」と答えた・・・・・・・
弁護団・小川秀世弁護士に、袴田さんのこと、警察の捜査のことなど、座談会の形で、
事件当時、地裁での公判、東京高裁での裁判、死刑確定、東京拘置所などの様子を伺い
ます。
「事件発生 40 年 改めて事件を検証する」
講 演: 山本 徹美 さん(「袴田事件」著者)
皆さんがご存じの「袴田事件」の著者。
1992 年 1 月 1 日からスポーツニッポン
に「拳は血ぬられていたか?!」というタ
イトルで連載開始。 その後 1993 年に悠思
社より単行本「袴田事件」として出版。
2004 年には新風舎より文庫本として刊行。
文庫本では、弁護団の小川秀世弁護士が解
説をしています。
今回の講演会では、「袴田事件」との関
わり中心に、 新聞・テレビとは違ったか
たちで、『事実』を扱ってきた立場から見
た、この事件が語られるのではないでしょ
うか。
新風舎文庫「袴田事件」より
-3-
- 無実の袴田巌さん救おう -
代表
楳田 民夫
あらためてみなさんに訴えます
ぜひ、6 月 25 日の集会にご参加下さい!
私たち市民の一人ひとりの力が、
裁判所を動かすことが出来るのです。
1966 年 6 月 30 日、静岡市清水区横砂で起きた事件の犯人とされた、袴田巌さん
は誤った裁判により 1968 年静岡地裁で死刑判決を受け、1980 年最高裁で死刑が確
定しました。 袴田さんは裁判のやり直しを請求しました。
1970 年代後半から、袴田さんへの支援活動が始まり、1981 年には、日本弁護士
連合会、人権擁護委員会、再審部会の中に袴田事件委員会(弁護団)が結成され
今日まで再審を求め活動してきました。
袴田さんは 1984 年 12 月 24 日獄中で洗礼を受けました。そして、1987 年 1 月 21
日、日本カトリック信徒使徒職委員会は袴田さん支援を決定。同年 2 月 4 日、日本基
督教団社会委員会も袴田さん支援を決定しました。その後日本ボクシング協会も全
面支援を決定しております。
1980 年代には、東京と郷里の浜北市(現在は浜松市) そして、事件が発生した地
元の清水(現在は静岡市)に市民の救援団体が生まれ、国会議員にも再審開始に向
けた活動して頂いております。 また、作家は本を出版することで、新聞報道やテレビ
報道も、事件の謎と袴田さんの死刑判決に疑問をなげかけています。
しかし、現在なお再審請求は棄却され、袴田さん獄中での苦難の日々はついに 40
年になります。年齢も 70 歳になりました。残された時間がもう少ししかありません。
袴田さんは死刑の恐怖から精神を病み面会をしなくなりました。弁護士が苦労をし
て病状の診断を東京拘置所や裁判所に依頼していますが、外部の者には健康状態
すら知ることすら出来ない状態になっています。 先進国であるはずの日本にこんな
ひどい事が許されて良いのでしょうか。
袴田巌さんへ下された死刑判決には、政治的あるいは思想的背景もありません。
単に裁判官が証拠の判断を誤っただけです。そればかりか、「限りなく無実に近い」
と感じつつも、過去の先輩裁判官たちが下した判決のミスを正し、無実の人を救おう
とする勇気のある裁判官がいない、とも言えるのです。
どうか袴田さんの苦難と雪冤の真実に眼を向けて下さい。
-4-
7月例会は
JR清水
7 月 1 日(土) 午後 7 時~
清水辻公民館
清水辻公民館で
海
テーマ:集会のまとめ
「横浜事件」ビデオ学習
「清水テルサ」
ぜひ、ご参加下さい!
報
JR清水駅東口から徒歩5分
告
東京拘置所へ、
最高裁判所へ
事務局長
山崎 俊樹
5 月 22 日
5 月 22 日午後、東京拘置所に行く。 もちろん、袴田さんとの面会のためだ。
面会申し込み番号 196 番 でしばらく待っていたら、電光掲示板に 8 階面会室の表示とア
ナウンス。
“会える”と思っていなかったので、びっくりして、急いで面会室に向うエレベーターへ。 し
かし、その前の金属探知器で引っかかった。もう一度検査を受けていたら、検査を見ている
刑務官のそばの内線電話が鳴る
・・・・推測「196 番は通したか」
「今ここにいます」 ・・・この返事はそばで聞く。
推測「間違いだと伝えてくれ」
「わかりました」 ・・・この返事もそばで聞く。
間違いです
刑務官が私に向かって
「面会の呼び出しは間違いです」
「何故?」
「わかりません、間違いだとのことです」「待合室に戻って下さい」
結局、待合室で待っていたら、放送で呼び出され
「本人が会いたくないとのことです」と言われ、面会申し込み番号用紙を回収されてしま
った。
待合室で待っている間に、袴田さん本人に、現金の差し入れを行ってくる。 その際、「本
人が受け取らない場合も有りますよ」、と言われたが、「今まで現金は受け取っているはず
-5-
だ」と、言って差し入れをお願いしてきた。
受け取らない場合は、連絡をくれるとのことだったが、今日現在連絡がないので、おそらく
現金は受け取っていると思う。
6月1日
6 月 1 日は、早朝から最高
裁判所へ。 午前 8 時 30 分過
ぎより西門前で“最高裁は一
日も早い再審開始を!”とい
う情宣活動。 袴田秀子さん、
岡島、小川(央)弁護士を初め
総勢 11 名。 静岡からは 4 名
の参加。
西門前では、すでに JR 争
議団に一団が宣伝カーを使
い情宣活動を行っていた。
私たちもマイクを準備していったが、JR 争議団の宣伝カーのマイクをお借りして、共同して
一時間ほど情宣を行った。
ほとんどが最高裁の職員で、ビラの受け取りも良く、600枚ほどのチラシが配布できた。
(ただし、重複配布がかなり)
SBS静岡放送、静岡朝日テレビの取材も並行して行われた。SBS静岡放送では、当日夕
方のニュースでその様子が放映された。
情宣活動後、最高裁に向けては、私たち支援者に直接最高裁裁判官や調査官が会うこ
とはないが、直接最高裁に要請することは可能だから、積極的に取り組んだらとのアドバイ
スを JR 争議団からいただいた。そのアドバイスを元に、参加者で最高裁への直接要請に向
けて、「上申書」への取り組みを行うことを相談した。
漫画は真実に迫れるか! 裁判官の誤りを暴けるか!
テ ン
劇画“袴田事件”
10
カウントは聞こえない!
構成 : 袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会・岡本なおき
絵 : 岡本なおき
申し訳ありません。
-6-
今号は休載します
「横浜事件」 緊急ビデオ上映会 報告
会員 A
過日、標記の会合に参加した。 内容の概略は以下の通り。
☆
『横浜事件を生きて』上映
☆
2006 年 2 月 9 日不当判決となった再審裁判に関するドキュメント 上映
☆
新たな治安維持法「共謀罪」を廃案にするための提起
☆
その他討議、質疑、意見
ビデオドキュメント『横浜事件を生きて』(VHS58 分)は、1990 年に製作された作品である。横
浜事件の再審支援集会では時折上映されていたかと記憶しているが、最初から最後まで通
しで観たのは今回が初めてだった。まずは、 当該作品の紹介文を転載する。この紹介文が
書かれたのは、おそらく作品が制作された 1990 年当時だと思う。それから、 16 年を経た今日
の日本社会の現状を見つめつつ、 この紹介文を読んで欲しい。
【以下、紹介文】
ビデオドキュメント「横浜事件に生きて」は、 横浜事件の真相を多くの方々に知っていただ
き、再審裁判に勝利するために企画・制作されました。 再審原 告団の一人である元中央公
論の木村亨さんのたたかいを中心に、 事件の現場を訪れ、当時の資料をひもとき、 数少な
くなった事件関係者の生々しい証言を集めた 貴重な記録です。
事件の背景は敗戦の色をおおうべくもない絶望の時代、 1942~45 年です。 横浜事件と
は国家権力・特高警察がリベラルな 「中央公論」や「改造」などをつぶすために事実無根の
「日本共産党再建準備会」をデッチあげ、 治安維持法違反でジャーナリストトや研究者など
80 余名の 人達を逮捕し、 拷問を加えた、史上類を見ない言論弾圧事件です。 実に凄惨な
拷問の結果、 4 人が獄死し、1 人が出獄後に亡くなりました。
1986 年、 横浜事件の元被告・遺族 9 名が、権力犯罪を糾弾し、 国の謝罪と補償を求めて、
横浜地裁に再審の申し立てを行いました。 しかし、 横浜地裁、続く東京高裁でも棄却され、
現在最高裁で争われています。
ビデオでは、 人権が国家の名によって奪われ、 踏みにじられる様子がまざまざと描かれ
ています。 そして、 横浜事件が決して過去のものでないことを訴えています。拷問の特高警
察はのうのうと生きのびています。 その罪は今だ、問われていません。 私達の周りで権力
による人権侵害が多数起っています。
まさに「特高警察はまだ生きている」のです。
【以上、紹介文】
ビデオでは、 生前の木村亨さんが当時の様子などを語っていた。 拷問に遭い、 気絶を繰
り返し、 生きては帰れないのだと諦めたこともあると語っていた。 また、 弾圧され迫害され
-7-
た人々に共通する訴えをしていた。 すなわち、「人権は闘い獲るものである」と・・・。
夫を逮捕された女性の話だったと思うが、 警察と次のようなやり取りをしたことを語ってい
た。
女性「(夫が)何をしたんですか?」
警察「何もしていません。戦争に反対する思想を持っているからです。」
その他、 気に留まった事柄を紹介しておく。
○ 神奈川県警察特高は、 治安維持法による検挙実績を挙げていなかった。 そこで、無理
に事件をデッチ上げた
○ 戦後、 特高 3 名に有罪判決が下ったが、サンフランシスコ講和条約締結に関係する恩
赦によって、 その 3 名は入獄しなかった
○ 裁判所は、進駐軍に調査されることを恐れて、 裁判関係の書類を焼却してしまった
○ 内務省官僚として弾圧の指揮にあたった唐沢が、 戦後、岸内閣で法務大臣となった
このビデオを観ると、 つくづく日本は改善されない社会であることが分かる。 役所は、 自
己に都合の悪いものは隠蔽し廃棄する。 責任ある立場の者が責任を取らないどころか、
のうのうと重要な公職に就く。 警察は、法律ができればその実績を挙げようとデッチ上げを
行う。
「共謀罪」ができたらどうなるかは火を見るよりも明らかである。なぜなら、「特高警察はまだ
生きている」のだから。
以
上
裁判官を納得させるための努力を !
事務局長
山崎 俊樹
「判決主文の言い渡しが後回しになりました」
O事務所のKさんからの連絡である。 最悪の決定か・・・そんな思いで地裁に向かった。
6 月 12 日、すでに県内の方はご存じだと思うが、昨年 1 月に発生した健康食品販売会社
従業員 2 名を殺したとして静岡地裁で公判が開かれていた K 被告の判決公判があった。
判決は死刑を回避し無期懲役としたが、主文後回しの連絡を受けたとき、すっかり死刑
判決が下されるものとばかり思っていた。
裁判長は一昨年棄却決定の竹花裁判官
-8-
この裁判の裁判長は竹花俊徳裁判官。一
が行われた。 その報道を元に警察が袴
昨年、8 月 27 日の即時抗告棄却決定時の
田さんを逮捕し、長時間の取り調べで、犯
裁判官である。そして、袴田事件弁護団の
人に仕立て上げていった。 マスコミ関係
X弁護士が主任弁護人をつとめており、捜
者にはきつい表現かもしれないが、いわば
査取り調べ段階から、現在の警察捜査の
マスコミと警察が協力して袴田さんを犯人
あり方が問われる問題を含んだもので、裁
に仕立て上げていった面もある。
判そのものの興味より、私は大きく二つの
しかし、今回のこの事件の報道は、40
問題と死刑判決か否か、に興味を持って
年前と比較すれば明らかに客観的 で淡々
いた。
と事実の経過が報道されていた。もちろん、
警察(検察)もかなり確証を持った内容しか
発表しなかった面もある。また公判の報道
内容も取材記者個人的な感情を込めるこ
とのない報道がなされていたと思う。(一部
の社を除けば・・・無実 18 号“裁判長の涙”
参照)
次に興味があったのは任意での取り調
判決後の記者会見で
べに関 しての公務執行妨害が成り立つか
一つは報道機関の報道姿勢である。40
否かである。
年 前の袴田さんの場合は捜査段階から警
察の「袴田が犯人だ」という意図のリーク
を元に、袴田さんを犯人と決めつけた報道
公務は違法、傷害は正当防衛、器物損壊は緊急避難
高橋被告は、任意でしかも深夜まで、
ものが壊れ、警察官が怪我をした。最初
延々11 時間の取り調べに応じている。任
の逮捕が「公務執行妨害」の容疑である。
意で 11 時間という時間が長いか短いか。
任意聴取段階での長時間の聴取・・・実
この問題は昨年 9 月、当会が主催した松
際は取り調べが正当かどうか。 実はこの
本サリン事件の被害者河野義行さんの講
任意聴取の違法性をめぐって警 察を訴え
演にもある(無実 16 号 P.9 “講演要旨”参
た民事訴訟では敗訴している。
照)が、社会的・常識的には長時間だろう。
しかし、今回の判決では「(任意の取り
深夜0時過ぎ・・・K被告は、任意の取り
調べ)公務は違法だから公務執行妨害罪
調べで「もう帰る」と席を立ちS警察署の取
は成立しない」「(警察官 1 名に傷を負わせ
調室から出ようとした。しかし、それを阻
た)傷害は正当防衛、(椅子を壊した)器物
止・・・任意だから本来なら出来ないは
損壊は緊急避難が成り立つ」として無罪に
ず・・・しようとした警察官ともみ合いになり、
なった点だ。
警察の“取り調べ”に可視化を!
-9-
この無罪は、今後の警察の取り調べ
方法、任意捜査のあり方に大きな影響を
与えるものと思う。 なぜなら、裁判員制度
の導入をめぐって、捜査段階、任意での事
情聴取での取り調べの可視化が制度的に
も全くなされておらず、ある意味で警察・検
察の「やりたい放題」になっている現実が
あるからだ。
先頃、検察官の取り調べだけでは、そ
裁判員制度についての看板(静岡地裁前)
の検察官の裁量で一部の取り調べの録
名の強引な取り調べの違法性が明らかに
画を行うことが決まったが、警察の 取り調
なったことである。だから、今回の判決を
べでは、警察そのものがいっさい可視化に
契機に、「任意」の聴取が文字通り、任意
取り組む姿勢すら見せていない。
で行われるよう私たち市民の監視が求め
今回の判決では、いわゆる任意という
られているのでないだろうか。
裁判官に事実を解明させるための努力をしなければ
最後に、死刑判決を回避した点である。
被害者遺族にとっては感情的には不満
K被告とは何の関係もない、何の罪もない
が残る判決内容だと思うが、今回の判決
人を二人も殺しているのだから、遺族の気
は裁判官がよく吟味した結果だったと思
持ちを思うなら、殺しても飽き足らないとい
う。
う感情は私にも充分理解出来る。
袴田さんの再審請求でも、裁判官にしっ
死刑制度の存否はともかく、今回の判
かり吟味させる努力を私たちは怠ってはな
決では、彼の生育歴・生育環境を充分評
らない。 具体的には裁判官の心証を動か
価している。これは、彼の生育環境に関し
す新証拠の提出である。 弁護団には早
て、両親の対応などの、栃木地裁小山支
急に奮起をお願いし、 同時に私たちも全
部での出張尋問がなされた時点で明らか
力でそれぞれの課題に取り組みたい。
になった。 つまり、出張尋問を実現させた、
実は、6 月 8 日に弁護団会議が東京で
弁護人の力量・姿勢、公判の持ち方など
行われ、 の帰途はX弁護士と一緒だった。
で、判決内容に大きな影響を与える点だ。
静岡駅到着後、私は自宅に帰ったがX弁
もちろん不満な点もある。全く関係のない
護士は刑事事件の依頼人に面会するた
それも初対面の人を二人も殺す心理状態
め、それからF警察署とS中央署に回ると
は、正直言って解明されたとは言えない。
いう。40 年前に袴田さんに同様の対応が
人を殺す人間の心理状態などもっと解明
されていたら、もっと違った結果が出たの
してもらいたかった。
ではないだろうか。(了)
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