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トウェインと家 (和栗)
家のドアを開けないで
和栗
了(Ryo WAGURI)
Connecticut 州 Hartford に Mark Twain が建てた家があります。Edward Tuckerman
Potter (1831-1904)によって設計・建築されたこの家は、家や家庭が象徴するものについ
ての Twain の考えをある程度反映していると考えられます。 1 Twain はこの家に 1874 年
から 91 年まで住みました。この間に出版された主な作品には、 The Adventures of Tom
Sawyer(1876 年出版)、 A Tramp Abroad(1880 年出版)、 The Prince and the Pauper
(1882 年出版)、Life on the Mississippi( 1883 年出版)、Adventures of Huckleberry Finn
(1884 年出版)、A Connecticut Yankee in King Arthur’s Court(1889 年出版)などがあ
ります。ここは今日 Mark Twain House and Museum として保存されています。これを
ここでは Twain House と呼ぶことにします。
Twain House にはいくつかの特徴があります。まず、この家は左右対称構造になってい
ません。“Victorian [High] Gothic style”と言われる様式だそうです。次に、正面玄関が東
側を向いています。第三に、今日の基準からみて全体的に小ぶりな家です。Missouri 州
Florida の Twain が生まれた家も、Hannibal で少年時代を過ごした家も、現代の家より
も少し小さいものです。これらの特徴はそれぞれに意味のあることだと考えられますが、
ここでは Twain House のドアについて考察します。
Twain House は 2 階から上が家族の居住空間になっており、Twain 夫妻の寝室や子供部
屋と客間などが 2 階にあります。ちなみに客間は 1 階と 3 階にもあります。3 階にはビリ
ヤードルームもあります。
まず、Twain 夫妻の寝室には五つのドアがあります。しかも大きさが統一されていませ
ん。基本的に四角形の部屋に五つドアがあること自体が不思議です。これに対して、元奴
隷 で 黒 人 の 執 事 の 部 屋 に は ド ア が 一 つ し か あ り ま せ ん 。 Twain House の Executive
Director、Jeffery L. Nichols によると、それは普通(common)だそうです。つまり、使
用人は仕事を命じられるという一つの立場しかもっていないのでドアは一つなのです。そ
れに対して主人たる Twain は、親であり、作家であり、夫であり、余暇を楽しむものであ
り、主人なのですから、それだけのドアが必要だというのです。
次に Twain House では玄関のドアから主人の部屋までの距離が長いのです。Florida の
家も Hannibal の家も玄関のドアと居住空間とが区別できません。それほど小さな家です。
これに対し、Twain House では玄関ドアから Twain 本人までの距離がかなりあります。
この家では正面玄関を入るとホールの奥に立派な階段があり、階段の下に訪問者が名刺を
入れる皿のようなものが置かれています。訪問者はその皿に名刺を入れ、使用人が取り次
ぐことになっています。そして主人たる Twain か Olivia が出てくるのです。
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この手順は後にもうひとつ複雑になります。1881 年に Farmington Avenue に面した台
所と使用人部屋が増改築され、使用人達の部屋の窓から Farmington Avenue をやって来
る大抵の訪問者を特定できるようになりました。つまり使用人が窓から訪問者を見定め、
通話チューブで Twain に訪問者が誰かを知らせ、その後で訪問者が玄関に入り名刺を置い
ていくのです。そこで初めて訪問者を認めたような顔をして使用人は主人に取り次いだの
です。Twain House はそれほど訪問者に注意を払う構造になっています。
訪問者への威圧感という点でもこの家はよく考えられています。訪問者は主人との会見
を許されると、階段の下か 1 階の応接室で待たされます。そこで階段の上、2 階か 3 階の
階段の手すりから主人が訪問者の名前を呼ぶことが出来ます。訪問者は階段の上を見上げ
ることになります。あるいは主人は勝手口に続く階段をそっと降りて、正面玄関から入り、
訪問者を背後から驚かすこともできます。もちろん居留守を使うこともできます。何も知
らない訪問者にとってはなんともいやなつくりの家です。詐欺師やいかがわしい慈善運動
家はこの正面玄関での対応で機先を制されてしまうでしょう。このような構造から、一家
の主人が家族を守るという考えが Twain House には表現されていると解釈できます。
家が家族を守るものであり、玄関ドアがその最も大切な役割を果たすという考えを表明
した作品を Twain はいくつも書いています。例えば、Twain は家のドアを開けることへの
恐怖を繰り返し書いています。“Canvasser’s Tale” (1876 年、 Atlantic Monthly 12 月号
掲載)は「こだま」
(“echo”)を売り歩く詐欺師の話です。この小作品の語り手が家のドア
を開けなければ語り手は被害に遭わなかったはずです。 The Adventures of Tom Sawyer
の Injun Joe は Dr. Robinson の父親の家の勝手口から Dr. Robinson によって追い払われ
たこと、彼の父親によって浮浪者として投獄されたことを根に持って、Dr. Robinson に復
讐しました。 Adventures of Huckleberry Finn では、Huck は Shepherdson 家のもので
はないという理由だけで Grangerford 家で歓迎されています。Phelps 農場では、Huck は
玄関の前で 15 頭の犬に追われています。 No. 44, The Mysterious Stranger (死後出版)
の No. 44 はなかなかドアから中に入れてもらえません。玄関から家に入るか入らないかと
いう行為が、Twain の作品ではしばしば非常に重要な意味を持っているのです。
言うまでもなく、家の内と外を明確に区別する文化的伝統があり、ドアを通って家の中
に導かれることは歓迎を意味します。Twain のドアに関する表現は単に文化的伝統を超え
たものを持っています。詐欺師に近い人物達がしばしば Twain の家のドアを叩いたようで
す。避雷針や非常警報装置等の売り込みがあり、慈善団体を名乗る者も来ました。さらに、
Twain が母親の思い出を綴った文章“Jane Lampton Clemens” (1890 年執筆、死後出版)
では、家の入口に仁王立ちする母親の姿が賞賛されています。彼女は村の鼻つまみ者を玄
関で諭しました。 Adventures of Huckleberry Finn の Widow Douglas の家の戸口を守る
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のは屈強な黒人奴隷の Jim です。彼が Huck と一緒に未亡人の家、女性が住む家を守って
いる意味は深いのです。つまり、Twain の作品に描かれる玄関ドアは、道徳的な倫理的な
大切なものを守るという意味さえ持っているのです。
誰がどのような思想をもって戸口を守るかによって、その家の盛衰が決まります。少な
くともそうした事実を Twain は理解し作品化しています。“The Story of Grand Mamie,
the Child-Missionary” (1868 年執筆、死後出版)ではキリスト教侵礼派(Baptist)に
心酔した少女 Mamie が戸口に立ち、おじの Wagner 一家を破滅させています。例えば、
1,000 ドル返しにやって来た人に対して、Mamie は「地上に富を築こうとせずに天に富を
築きましょう」と諭し、追い返します。1,000 ドルを回収できない Wagner 夫妻は家を差
し押さえられるという皮肉な結果に陥ります。玄関口という象徴的な描かれ方をしていま
すが、家を誰が守るかによってその家の盛衰は決まるのです。Mamie は Twain の兄 Orion
Clemens を連想させます。
Twain House に戻ります。Twain House は今日でいう核家族が住むための家です。
Twain にとって「家族」(“family”)とは Olivia Clemens との間で築いた、夫婦とその子
供達からなるものを指していたと考えられます。というのは、この家には 1874 年入居当
時まだ生きていた母親 Jane Lampton Clemens 用の部屋も 1865 年以降未亡人となった姉
Pamela A. Moffett 用の部屋も無いからです。確かに、入居当初 Twain は母親を招待する
つもりで 2 階の客間を「母さんの部屋」(“Mam’s room”)と呼んでいました。しかし母親
がこの家に住むことはありませんでした。Twain が New York 州 Fredonia に住む Pamela
を訪問することはあっても、Pamela が Hartford にやって来ることはほとんど無かったよ
うです。兄の Orion 夫妻との同居は考慮もされなかったのでしょう。母親や姉は Twain
にとって守るべき「家族」ではなかったのです。兄 Orion 夫妻は当然この中に入りません
でした。母親や兄、姉、さらにその子供たちや親戚達に対して Twain は金銭的援助や就職
の世話をしました。しかし彼らは Twain が自らの家の中で守るべき「家族」ではなかった
のです。こうした Twain の家族観は Twain House の構造に表されているのです。Twain
House には 1 階と 3 階にも客間があります。住居も兼ねたかなり大きな馬屋もあります。
つ まり、 敷地 の広さ の点 でも部 屋数 の面 でも、 母親 と姉、 場合 によ っては 兄夫 妻と、
Hartford で一緒に生活することは可能だったはずですが、実現しませんでした。Twain に
とって「家族」とは今日の核家族を意味したのです。
Twain のこのような家族観を解くカギは、家出にあります。Twain の作品には少年の家
出、特に母親的存在から離れていく少年の姿が何度も描かれています。The Adventures of
Tom Sawyer では Tom Sawyer は Aunt Polly に叱責されて家を出ます。彼は森の中で海
賊になることを夢み、さらに Tom の家出は Jackson’s Island での冒険に発展します。
Adventures of Huckleberry Finn では Huck Finn が Miss Watson の厳しい躾に耐えかね
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て Widow Douglass の家を飛び出します。The Prince and the Pauper でも Tom Canty は
家庭を捨てていますし、No. 44, The Mysterious Stranger でも August Feldner は Katrina
のもとを去っています。生前未刊行作品からもう一つ、 “Huck Finn and Tom Sawyer
Among The Indians” (1884 年執筆)でも Tom と Huck は Aunt Polly のもとから姿を消し
ます。何れの場合も少年達は何らかの形で女性の保護者との和解を経験しますが、少年達
は自分が育った家を一度は出て行くのです。これはまぎれもなくひとつの家からの離脱、
それもかなり衝撃的離脱です。
Twain は 1853 年 6 月、17 歳の時に家出しました。この時彼はニューヨーク市まで行き、
そこで植字工として働いています。この時の経験が Twain に少年の家出を何度も書かせた
と考えられます。この家出の理由は兄 Orion との確執だと考えられていますが、作品から
見る限り母親 Jane Clemens との関係が Twain を家出させたと考えられます。Twain が家
出した理由は本当は何だったのかという議論は別の機会に論じるとして、Twain は自分が
生まれ育った家庭から自らの意志で離れていったのです。そしてこの時の Clemens 家は母
親と兄が中心でした。つまり 1853 年の Twain の家出は母親と兄が象徴するものを否定す
る行為だったのです。このことが彼の家族観を決定づけたと言えるでしょう。Twain が家
をつくる時、母親と兄夫妻との同居を考慮しなかったであろうことは当然です。
Twain は 1868 年 12 月 23 日、クリスマスの直前に、自らが育った家庭からの離別と新
しい家庭を創りたいとする強い願望を、婚約者 Olivia Langdon に伝えています。少し長
いのですが引用します:
You shall never know the chill that comes upon me when sometimes when I feel
that long absence has made me a stranger in my own home—(not that I ever seem
a stranger to my mother & sister & my brother, for their love knows no change, no
modification [)]—but then I see them talking delight in things that are new to me,
and which I do not comprehend or take an interest in; I see them heart-&-heart
with people I do not know, & who are nothing to me; so I can only look in upon
their world without entering; & I turn me away with a dull, aching consciousness
that long exile has lost to me that haven of rest, that pillow of weariness, that
refuge from care, & trouble & pain, that type & symbol of heaven, Home—& then,
away down in my heart of hearts I yearn for the days that are gone & the
phantoms of the olden times!—for the faces that are vanished; for the forms I loved
to see; for the voices that were music to my ear; for the restless feet that have gone
out into the darkness, to return no more forever!
(To Olivia L. Langdon, 23 and 24 December 1868.
L2, 345)
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トウェインと家 (和栗)
ここでの Twain の目的はこのような強い家庭喪失感を表現することで Olivia へ一層求愛
することです。
その目的以上に面白いのは、家族内で共有される知識あるいは記憶を失ったと Twain が
告白していることです。つまり家出は家族内で蓄積される記憶を共有できなくなるのです。
さらに、家を捨てることは故郷を喪失することになり、ここでも記憶の共有が途切れるの
です。
かつて家族と共有できていた記憶を自らの家出によって失ったと Twain は痛感しまし
た。1853 年 17 歳で家出し New York の大都会で働いた Twain は、家出したことを悔やみ、
懺 悔し、 寂しさに耐 え、 苦悩 したことは 明らか です。 さ らに彼 の寂寥感 は 1861 年に
Hannibal を去ることで故郷の人々と分かち合えた過去を失ったという喪失感に拡大しま
した。過去あるいは記憶によってしか自己の存在を証明できないとすれば、Twain は「失
った」自己を回復するために回顧的・自伝的小説を書いたと解釈できます。回顧的と解釈
される作品を挙げると、 The Adventures of Tom Sawyer 、 Adventures of Huckleberry
Finn 、Life on the Mississippi などだけでなく、晩年の No. 44, The Mysterious Stranger 、
“Villagers of 1840-3”、“Jane Lampton Clemens”、“Autobiography”など、彼が記憶と過
去に執着し続けていたことは明らかです。家出によって一度は家庭を捨てた Twain だから
こそ、家庭を求め、家を作り、記憶を求めたと言えるでしょう。
物書きとしての Twain の出発点は彼の家出にあったと主張したいと考えます。彼にとっ
て家出の経験は生涯悩み続けた思い出でした。だからこそ、Twain は何度も少年の家出を
繰り返し作品化し、手紙を置いて出たことが書かれているのです。家出と置き手紙との問
題も別に論じますが、Twain の作家としての大きな出発点のひとつは、家出だったのです。
Twain が家出した時に玄関から出て行ったかどうか不明ですが、ドアを開けたことが作家
としての誕生と個人的苦悩の始まりだったのです。
Abbreviation
L2
Mark Twain’s Letters Volume 2: 1867-1868.
Richard Bucci eds.
Smith, Harriet Elinor and
Berkeley, California: University of California Press, 1990.
トウェインと家 (和栗)
資料 1 Hartford の Mark Twain House の見取り図
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トウェインと家 (和栗)
資料 2
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Florida, Missouri の生家
資料 3 Hannibal, Missouri の家
この家の設計図は Twain 夫妻も見ていただろうし、細かな注文もしたはずである。具体
的な細かなことは Charles E. Perkins が調整した。Twain 一家は 1874 年 9 月 19 日に未
完成のこの家に入居した。1881 年には台所が増改築された。
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