島根の枯山水の庭いろ いろ 「庭園文化研究分科会」 武 田 隆 司 1 . はじ めに 平成25年度から 3カ 年、 石見地方の庭園を 視察し た 。 石見地方の庭はそ れま でに 見 た 出雲地方の比較的定型化し た も のと 異なり 、 様々な形式のも のがあっ た が、 特に 印 象に 残っ た のは、 「 石の庭」 であっ た 。 平成26年度に 見た 重森三例玲作の村上氏庭園 、 小河氏庭園、 平成27年度に 見た大麻山神社庭園や江津の小川氏庭園、 ど の庭も 非公 開であっ た り 、 大き く 紹介さ れて いなかっ たり と 一般的に はあま り 知ら れて いないも のの、 そ れぞれの庭の「 石」 に は特徴があり 、 見る 者の目を 引く も のであっ た 。 ま た 益田市の医光寺、 万福寺等画聖雪舟作と さ れる 庭も そ の石組が高く 評価さ れて いる 。 こ の中でも 小河氏庭園や大麻山神社庭園は「 枯山水」 と 呼ばれる 水を 使わない様式の 庭園である が、 そ れぞれ趣を 異に し た 庭であっ た 。 ま た 、 過去に 訪れた 出雲地方の「 出雲流の庭」 も 基本的に は「 枯山水」 である が、 ひと く く り に はでき そ う に ない。 「 庭石」 は「 水」 、 「 庭木」 、 「 景物」 ( 灯ろ う 、 手水鉢等) と と も に 日本庭園 を 構成する 4 大要素のひと つ と さ れる が、 こ の「 庭石」 と 「 敷き 砂」 を 活かし た 作庭 様式が「 枯山水」 である 。 県内に も いく つ かの枯山水様式の庭が存在し て おり 、 こ れ ら に つ いて 注目し た 。 2 . 枯山水の歴史と 形式 日本庭園は大き く 池泉庭園と 枯山水に 分類さ れる 。 枯山水は一般的に は水の ない 庭と 解さ れて いる 。 日本の庭は四方を 海に 囲ま れて いる 関係上、 海の景を 再現する こ と に 力を 入れら れて いた こ と から 、 池を 作り 、 島を 浮かべる こ と が基本と さ れて き た 。 し かし 立地的に 水を 引き 入れる こ と が難し い場合、 水を 象徴的に 表すこ と が求めら れ た 。 古く は平安時代に 発生し 、 本格的に は室町時代に 確立さ れた と さ れて いる 。 平安 時代以降、 建物の前庭は儀式に 利用でき る よ う 砂が敷かれた 広場であり 、 そ の背後に 池泉を 中心と し た 庭がつ く ら れて いた が、 室町以降はそ の広場で儀式が行われなく な っ た た め、 庭と し て 観賞に 利用さ れる 空間と なっ た 。 竜安寺石庭( 京都市) 大仙院庭園( 京都市) -43- 室町時代の最も 代表的な枯山水の庭は京都の竜安寺である 。 方丈の前庭を 長方形に 土塀で囲い、 白砂の広場に 石を 配し た も のである 。 こ れに 対し て 水墨山水画の影響を 受けた のが大仙院庭園であり 、 枯れ滝や蓬莱山を 表現し た 立体的な枯山水庭園と さ れ る 。 こ れ以降の枯山水庭園はこ の二つ の様式を 手本に し た と 言われて いる 。 江戸時代以降の枯山水庭園は、 正方形や長方形の地割り にと ら われず、 自然風の敷 地の地割り のも のが増え て き た 反面、 自然の風景を 具象的に 表現する 傾向があり 、 当 初の抽象性、 象徴性が弱ま っ て き た と さ れる 。 ま た 明治以降も こ のよ う な傾向は続き 、 各地の実業家の敷地や別邸など に つ く ら れた大規模な庭園や庶民の庭に 至る ま で、 池 泉を 備え た 庭が大半を 占めて き た 。 昭和に なり 一般庶民も 庭を 設ける よ う に なる と と も に 、 敷地や経済的な制約に よ り 枯山水が見直さ れる よ う に なっ て き た と 言われる 。 ※枯山水の年表( 流れ) 時 代 平安時代∼ 枯山水の状況 代表的な庭 日本初の庭園書「 作庭記」 に「 枯山水」 と いう 言葉。 毛越寺庭園( 岩手) 鎌倉時代 庭園の一部の野筋や山畔に設けら れた自然写実的な様式 西芳寺庭園( 京都) 室町時代 京都の禅宗寺院の庭を 中心に発達を と げる 。 平面構成の庭 竜安寺庭園( 京都) 江戸時代 明治∼大正 昭和 が多く 、 象徴的な様式。 山水画の影響も 受ける 。 大仙院庭園( 京都) 自由な地割り によ る 自然的景観を 導入。 枯れ池が確立。 南禅寺方丈( 京都) 象徴性から 具象性の表現へ移行。 築山、 枯滝、 枯流等。 楽々園庭園( 滋賀) 実業家によ る 大規模な池泉庭園。 自然主義的の台頭によ り 麟祥院庭園( 京都) 枯山水が激減。 武学流庭園。 出雲流庭園。 鳴海氏庭園( 青森) 一般大衆に小庭園が浸透。 古庭園、 枯山水への回顧。 東福寺方丈( 京都) 新たな庭園デザイ ン の動き ( 重森三玲等) 小河氏庭園( 島根) 枯山水の庭に は下表のよ う に いく つ かの形式がある と さ れる 。 分 類 平庭式枯山水 準平庭式枯山水 枯池式枯山水 枯流れ式枯山水 築山式枯山水 特 徴 事 例 ほ と ん ど 平ら な 敷地に 造ら れた も 龍安寺方丈南庭( 京都市) 、 円通寺庭 の。 園( 京都市) 等 枯山水平庭式の 一部に 低い 築山など 金地院庭園( 京都) 、 大徳寺本坊方丈 が付属する 様式 庭( 京都市) 等 水を 用いないで枯池を 造っ たも の 徳島城表御殿庭園( 徳島市) ( 写実的な池泉式と 象徴式あり ) 退蔵院方丈西庭( 京都市) 等 水の 流れを 白砂や小石敷き に よ っ て 大仙院書院庭園( 京都) 象徴し た枯流れを 主体と する 南宗寺庭園( 堺) 等 築山に 傾斜地を 生かし て 枯滝石組や 天龍寺( 京都市) 、 枯流れを 造っ たも の 西芳寺( 京都市) 等 -44- 3 . 島根に ある 枯山水と そ の特徴 島根県に はど のく ら いの枯山水庭園がある のであろ う か。 本分科会の宇野氏の平成 25 年度レ ポート の「 島根の庭園リ ス ト 」 を も と に そ の他の書籍資料も 加味し て 、 県 内の庭園を 分類し て みる 。 安来、 奥出 松江、 玉湯 出雲、 斐川 大田、 江津, 浜田, 雲、 雲南等 宍道、 八束 大社、 平田 温泉津 益田, 津和野 枯山水庭園 5 6 20 池泉庭園 8 10 5 複合型の庭 3 2 1 路地( 茶庭) 2 3 1 不明 計 18 21 3 島根県内 7 38 12 38 6 6 1 2 28 5 3 19 91 県内の主要な庭 91 庭のう ち 、 枯山水の庭は 38 庭と 約 4 割を 占めて いる 。 地域的に 見れば、 出雲、 平田、 斐川地域が極端に 多いが、 こ れら のほと んど ( 16 箇所) が出 雲流庭園である 。 過去のレ ポート でも 紹介し た よ う に 、 出雲流の庭の特徴は、 定型の 敷地に 敷き 砂と 飛び石を 主体と し た 枯山水の平庭であり 、 松平不昧公の影響で茶道の 要素を 持ち 合わせて いる こ と である 。 こ のよ う に 県内の枯山水庭園は、 特に 出雲地方 では出雲流の庭に 代表さ れる 。 そ れで はこ の 他に はど のよ う なタ イ プ の 枯山水が見ら れる の で あろ う か 。 前述の 枯山水の形式に 基づき 、 年代別に 分類し て みた 。 分 類 平庭式 庭数 江戸以前 16 江戸時代 明治∼大正 昭和 勝部氏、 一畑薬師 原鹿豪農屋敷、 財 絲原諒氏、 島根県 枯山水 本坊、 康國寺、 本 間氏 庁、 蓬莱吉日庵、 石橋家、 石橋酒 皆美館、 秋上氏、 造、 秦氏、 願楽寺 小河氏 ( 出雲) 、 椿氏 準平庭式 9 枯山水 鰐淵寺是心院、 鰐 築 地 松 民 家 淵寺旧浄観院、 木 A, B, C、 雪舟の郷記 佐本陣記念館、 布 念館( 八景園) 野氏、 山本氏 枯池式 3 雲樹寺 さ ぎ の 湯荘、 松江 歴史館 枯山水 枯流れ式 3 枯山水 本高見家 広江氏、 出雲文化 ( 平庭式の要素) 伝承館( 平庭式の 要素) 築山式 3 大麻山神社 安楽寺 ( 平安末?) 枯山水 不明 乗光寺 4 大日堂、 手銭記念館、 阿弥陀寺、 明光寺 ※下線は出雲流庭園と さ れる も の、 網掛けは寺院等の庭園 -45- 全体的に は平庭式と 準平庭式が 25 庭と 6 割以上を 占め、 枯れ池式、 枯流れ式、 築 山式と いっ た 様式は合わせて 9 庭で、 県内では少数派と いえ る 。 平庭式を 見る と 、 16 庭の内 11 庭が出雲流庭園と いわれる 様式の庭で、 島根県を 代 表する 枯山水の庭と いっ て よ いだ ろ う 。 枯流れ式の内、 本高見家、 出雲文化伝承館に つ いて も 、 平庭式の中に 枯流れがある も のであり 、 主役は平庭の枯山水部である 。 そ の他、 島根県庁の庭、 小河氏庭園等昭和以降に 重森三玲、 完途ら に よ っ て 作庭さ れ た 新し いデザイ ン の庭が含ま れる 。 ま た 出雲市の願楽寺の庭は、 寺院の庭特有の枯山 水で、 円通寺、 聚光院等の要素が見ら れる と さ れる 数少ない庭のひと つ である 。 現在 はやや荒れた 風情である が、 刈り 込等の樹木に よ り 隠れて いる 石組の見せ方に よ っ て は県内でも 貴重な寺院の平庭式枯れ山水と し て 光が当た る かも し れない。 小河氏庭園( 益田市) 出雲文化伝承館庭園( 出雲市) 枯山水式の 庭は、 瞑想や座禅の 場に ふ さ わし い造景と し て 、 室町時代の 禅宗寺院 を 中心に 発達を 遂げた が、 当時は京都のみでつ く ら れ、 地方に ま では波及し なかっ た と いわれて いる 。 県内の禅宗寺院( 臨済宗、 曹洞宗、 黄檗宗) の庭は 11 あり 、 枯山 水式 4 に 対し て 池泉式7 と なる 。 ま た 枯山水の寺院庭園 13 庭のう ち 禅宗の庭は 4 庭 であり 、 枯山水=禅宗の庭と し て 島根に 伝搬し て き た と いう わけではなさ そ う である 。 準平庭式の庭につ いて も 出雲流の庭が過半を 占めて いる 。 こ の中に含ま れる 簸川平 野の築地松民家の庭は、 比較的小さ な面積の庭に 奥行き 感を 出すた めに 庭の背後に 築 山を つ いた も のである 。 鰐淵寺の 2 庭は、 山畔を 活用し た 築山式に 近い形態で、 江戸 時代中期以降の寺院の書院前の庭と し て 典型的なも のと さ れ、 県内では比較的珍し い 様式の庭である が、 すでに 建物はなく なり 、 庭は荒廃し て わずかに 石組を 残すに 至っ て いる のは残念である 。 築地松民家の庭( 斐川) 鰐淵寺是心院庭園跡( 平田) -46- 枯池式と 枯流れ式は区分が難し い部分も ある が、 出雲流庭園の場合は、 手前の敷き 砂と 飛び石の空間が主役と なり 、 枯れ池や流れはそ の背景と し て 見せて いる よ う に 思 われる 。 一方、 雲樹寺は枯れ池を 主役と し て背景のサツ キの刈り 込みの山畔を 見せる 庭であり 、 さ ぎの湯荘は敷き 砂そ のも のを 流れと し て 表現し て いる 庭である 。 築山式枯山水庭園は、 県内の主要な庭では 3 庭し か確認でき て おら ず、 貴重なタ イ プ のも のと いえ る 。 歴史的に は室町以前の枯山水が確立さ れる 前と 江戸期中期以降の 寺院に 見ら れる 様式と さ れる 。 県内の 3 庭も 作庭時期が大き く 異なっ て いる 。 最も 作 庭時期が古いのが乗光寺( 東出雲) である 。 平安末期に 富田城を 築いた 平是清が作庭 し た と いわれて おり 、 こ れが事実なら ば県内でも 最も 古い庭と なる 。 平安期から 鎌倉 初期ま での 山畔や野筋を 活用し て 石を 組んで い く 枯山水の 方式で ある 。 大麻山神社 ( 浜田市) の作庭は江戸初期と いわれて いる 。 室町以降の正方形や長方形の平地を ベ ース と し た 庭から 、 こ の時代に なっ て 出現し た 自然の敷地を 活用し 自由に レ イ ア ウ ト する 様式の枯山水のひと つ と し て 紹介さ れている 。 自然の山畔を 利用し て 近辺から 採 取し た 巨石に よ る 力強い 石組は、 庭園書等で も 高い 評価を 得て い る 。 安楽寺( 浜田 市) は昭和 56 年に でき た 新し い庭園である 。 日本庭園研究家の第一人者と も いえ る 森蘊( も り ・ おさ む) 作庭と のこ と 。 裏手の山の斜面を 利用し て 形成さ れ、 そ の中央 に 石のみで形作ら れた 枯滝が庭全体を 貫いている 。 森氏は枯流れ式枯山水でも 有名な 南宗寺の修復に も 参加し て おり 、 桃山時代特有の枯滝、 枯流れの要素を 入れた も のか も し れない。 こ れも ま た 貴重な庭と いえ そ う である 。 大麻山神社庭園( 浜田市) 乗光寺( 東出雲) 以上のよ う に 、 県内の枯山水庭園は平庭式、 準平庭式が主流で、 そ れら の多く が出 雲流庭園に 属すも のである 。 ま た 、 数は少ないも のの平安期から から 江戸期ま での様 式を 持つ 、 枯池式や築山式の貴重な庭も 見ら れる 。 ま た 、 枯山水庭園は室町時代の竜安寺庭園や大仙院庭園のよ う な象徴性の高い様式 と 、 江戸期以降の築山や枯れ池等を 設けて 自然を 表現し た 具象性の高い庭がある と さ れる 。 一般的に は平庭式や準平庭式は象徴性が高く 、 枯池式、 枯流れ式、 築山式がよ り 具象的で象徴性が低いと さ れて いる 。 象徴性の高い庭の代表は小河庭園であろ う 。 「 永遠のモ ダ ン 」 と 表さ れる 重森三玲の独特の抽象デザイ ン の庭である 。 そ れでは同 じ 平庭の代表格である 出雲流庭園はど う であろ う 。 出雲流庭園の大き な特徴は敷き 砂 に 置かれた 飛び石の造形美と いわれる 。 三玲の庭ほど の象徴性は高く ないよ う に みえ -47- る が、 そ れは敷き 砂空間の背景に 樹木のス ク リ ーン があっ た り 、 手前に 茶道の要素の 灯ろ う やつ く ばいがあっ た り する から であろ う 。 やはり 全国各地に ある 自然を 縮小し た よ う な具象性の高い庭園と 比べる と 出雲流庭園の創造性、 独創性の高さ を 改めて 感 じ てし まう 。 <出雲流庭園の敷き 砂と 飛石に よ る 造形> 原鹿豪農屋敷庭園( 斐川) 6 . おわり に 本高見家庭園( 斐川) 枯山水庭園のこ れから 今年の 11月に 出雲市の鰐淵寺境内が文化財審議会の答申に よ り 、 平成28年に は正 式に 国の史跡に 指定さ れる こ と と なっ た 。 鰐淵寺境内に は少なく と も 4つ の 庭があっ た と さ れ、 そ の内の 2庭は前述の枯山水庭園である 。 昨年の紅葉の時期の訪れた 際、 美し い紅葉の中に 廃墟と 化し た 是心院の庭に残さ れた 石組を 確認する こ と ができ た 。 史跡指定に と も ない今後調査、 復元等が行われる こ と に なる のであろ う が、 昭和50年 の小口氏、 戸田氏に よ る 調査でも 是心院の石組や築山の形態は確認さ れて おり 、 復元 も 容易なのではないか。 樹木は変わる が、 石は変わら ない。 築山の下草を 取り 除き 、 敷き 砂を 行う だ けでも 十分に 観賞に 堪え る 枯山水に なる と 思われる 。 加え て 旧浄観院 、 旧等樹寺の復元と 本坊庭園の一般公開を 行う こ と に よ り 、 紅葉時期以外の鰐淵寺の 新た な魅力づく り に なる も のと 思われる 。 そ の他に も 、 文化庁で「 近代の庭園・ 公園に 関する 調査研究報告書( 平成24年) 」 に おいて 、 名勝、 登録記念物に 加え て 、 保護措置を 検討する べき 庭園と し て 、 県内 でも 皆美館庭園、 島根県庁庭園、 ホテ ル宍道湖庭園、 出雲市立図書館庭園、 小河家庭 園、 等の枯山水庭園を 掲載し て いる 。 ま た 報告書では、 島根県の枯山水庭園の代表格 でも ある 出雲流庭園に つ いて も 、 「 津軽、 出雲等の特定の地域に 集中し て 分布し 、 独 特の意匠、 構造を 示す庭園群に つ いて は、 芸術上、 学術上の価値を 有する も のを 群と し て 保護し て いく 視点が重要である 。 」 と し て いる 。 こ のよ う に 枯山水の庭を と っ て も 、 県内に は全国に 誇れる 貴重な庭が多く 残っ て いる 。 定番の足立美術館や由志園だ けではなく 、 庭の宝庫と いっ て も 良いと 思われる 。 観光立県と し て 、 こ れら の庭を 文化性の高い地域資源と し て 光を 当て 、 保護、 活用 を 図っ て 行く こ と が必要である と 、 特に 廃れて いく 庭など に 出会う と 改めて 感じ て し まう 。 <参考文献> 「 枯山水」 ( 2008) : 重森三玲 -48-
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