John Raskin(1819-1900) 文明批評家ラスキンの回顧 ――彼の唯心的

John Raskin(1819-1900)
文明批評家ラスキンの回顧
――彼の唯心的経済史観に学ぶ――(機関誌「世界国家」1949年5月号)
自然の奥に神の黙示
一九四九年一月二十日は、十九世紀の三大予言者の一人と称せられたジョン・ラスキンの五十年記念
日であった。唯物共産主義の盛んに唱えられる今日、精神主義的社会主義者であった彼を回顧すること
は無駄でないであろう。私がラスキンの書物を最初によんだのは、十七才の頃で、彼が世を去って間も
ない時であった。「胡麻と百合」という三つの論文を集めたものであったが、そのなかのセキスピアを
論じた文章は、豊かな文学批評として全く感心させられた。
それから後、「建築の七つの燈」や「近代画家論」をよみつゞけるうち、私は自然を見る目をラスキ
ンによってあけて貰った。それをよろこんで、ずっと後に「ヴォニスの石」を訳して世界大思想全の一
つとして世に問うた。
ラスキンは一八一七年に生れ、一八九九年に世を去ったが、彼の思想を大体年代順で簡単に回顧して
みよう。彼は最初、自然を深く研究して、自然の奥にある神の黙示をみつめた。その後、文明批評に傾
倒し、建築絵画等の芸術の奥にひめられている精神史を発見してくれた。ついで彼の四十才前後には、
フランス革命やリンコルンの奴隷解放などの社会的激動があったので、経済理論を創述して、社会批判
に発言権をもつに至った。経済論をかいた「至後者にも」は今よんでも、生きた力をもって迫って来る
のを感じる。多少順序をたてゝ、彼の自然観を瞑想し、唯物史観に対抗して精神史観を提唱した、彼の
足跡を辿ってみよう。
自然に現れた年限
彼はスコットランドの出身であるが、父がロンドンで酒屋をしていたので、ロンドンで育てられた。
彼の父はかなりな資産があったため、ジョンをいゝ学校に入れて貴族的に教育した。また父はジョンを
つれてヨーロッパ各地を旅行して見聞をひろめさせるために努力した。イタリーにもよく行き、古い絵
画をも観賞せしめた。彼も父母の心づかいに導かれて、好んで自然に接し、心より自然を愛し、すぐれ
た自然に対する感覚を持つようになった。
当時、英国は産業革命の時代で、機械文明の急激な発展が、都市生活を混惑させていた時なので、一
方においては、その反動として自然への憧憬が強く起っていた。バーンズやワーズワースのすぐれた英
文詩が特別な色彩を文学史に与えていた。ラスキンはオックスフォード大学で、在学中はあまり秀才と
いうのではなかった。けれども豊かな天分をもっていたので、建築に関する論文などを書いていた。
彼の文名を一躍高からしめた不朽の名著は、「近代画家論」で、十七年間もかかって書いた前後五巻
のものである。ラスキンは理髪屋で画家だったターナーの画を非常に愛した。ターナーの写実こそ真の
絵画であると感じたが、当時の批評家はターナーの画に対してははなはだしい悪口を加えた。余り可愛
想だと思ったので、ターナーの画を弁護して書いたのが、この「近代画家論」である。その二千頁にわ
たる大著のうちで。彼は近代の自然画を歴史的に研究し、これに鋭い心理的解剖を加えている。ターナ
ーの自然描写に至るまでの、近代画家をずっと年代的に論じてゐる。
たとえばターナーの「ヴェニスの曙」という、美しい港湾にうららかな太陽がのぼっている画がある。
それを弁護するために、十六世紀のルネッサンス時代から四百年順に、太陽の描き方がいかに変ってき
たかを詳細に研究している。太陽の色彩を初めはうすい色を用いたが、だんだん濃くなって来たことを、
こまかい差等をつけ、彼はフランス印象派がほとんど原色のまゝ色彩を画布に投げつけるに至った経路
を説明している。その精細な心理的解剖は、非常にすぐれた価値のあるものである。「近代画家論」は
こうした心理的な立場から自然を瞑想し得ないものにとっては、余り意味を感じられないかも知れない。
しかし、一散髪屋であった天才画家ターナーが見出した自然を弁明するために、ラスキンはヨーロッ
パ全体を旅行して見た美術館の絵画をくわしく研究して、自然を見るためには、たゞ表面に現われた自
然だけでなく。自然のうちに現されている神の姿を礼拝する気持でなければ、ほんとうのものに近づけ
るものでないと、勇敢に断定し、それを一つ一つ例証をあげて論じた。アルプス連峰の美、河川の美、
湖水の美などの一つ一つに数十頁も費して、いろいろと面白く述べている。
真実の自然と描写
山が美しいのは、無限曲線が何重にも重なっているからで、雨が描く線は、一秒間に三十二メートル
ずつに動く加速度が、山の傾斜面に無限曲線を加えるので一層美しさを加えるのであると彼は云う。そ
れが火山の場合には、逆に双曲線の美が生れるのだが、それを詳細に説いている。
ターナーが真面目一点ばりで、自然を見つめてこれを再現せんとした。それは必ずしも写実のみでな
く、真実の自然の姿を描写したのだった。自然の奥にひめられた精神を人の心によって溶かし、それを
再構成させたところに彼の絵画の真実さがあった。真面目でないものには、自然も真面目な姿をかくし
てしまう。再構成というのは、目で見たまゝをかいたのでなく、その奥にある美を捉えて描いたことを
指すのである。ターナーの有名な「橋」という画があるが、実地に調査してみると、実物には画の中に
ないきたないボロ家が橋の横にたっていた。その家を入れたのでは、橋の美が失われてしまうので、そ
れを省き、美しい部分だけを描いたのがターナーの「橋」である。真面目なターナーの心は、自然の美
だけを吸収したが、美だけを見出して再現したところに、彼の偉大な再構成があったのである。
これはわれらも学ばなければならない点である。素人は自然の表面だけを見て、無限の曲線を瞑想す
る力がない。それなら写真だけで充分である。けれども美しい心に対して、自然は美しい姿を現し、み
にくい心に対しては、みにくい姿しか現さない。それで美しい心の持主が、自然の奥にある美を吸収し
てこれを描いてくれる必要が起るのである。ターナーは自然を深く見つめ、自然の奥にあるものを雲に
よって捉え得た。そこに彼の偉大さがあったと激賞している。
ラスキンと日本アルプス
この自然観はラスキンを知った人を強く動かし、深い感化を与えずにはおかなかった。日本アルプス
を研究して、日本アルプスを今日あらしめるための功績を残した小島烏水氏は、銀行員であったが、ラ
スキンの書物を愛読していた。それで日本の自然美研究もラスキンに負うところが多いといわなければ
ならない。私もラスキンから非常に多く教えられた一人である。彼の著者はあまり心理学的であるため
に、初心者には少し理解できないかも知れない。しかし辛抱して数頁を何時間もかゝって、みっちり精
読するのでなければ、物にならぬであらう。
「近代画家論」は、名古屋高等学校の沢田教授が、第一、二巻を訳したのが日本に於ける最初であっ
た。御木本氏がその後に全部を訳して出版した。日本のように大自然に包まれた国土に住む者は、もう
一度「近代画家論」をよみ直して、自然を見る新しい力を持ってほしいものである。
神は手にて造りし宮に住み給わず、天地宇宙全体にいまして、霊とまことをもて拝すべきであること
を、ラスキンは一生の仕事として提唱した。「近代画家論」は自然を見る聖書とも称すべきもので、良
心も神の声を示すが、更に大自然を通して神の示しを受くべきことをはっきりと説いている。彼と同じ
ような精神によって、自然を通し神の姿を見出した者に、バーンズ、ウォーズウォース、ホイットマン、
シヤバンヌ等がある。
といって。ターナーは近代文明を離れて自然を見たのではない。彼のかいた「汽車」という絵には、
イギリスの平原を走っている最初の汽車がいきいきした姿をとゞめている。
私はターナーのたくさんの画を見たが、その描かれた線は、汽車の速いスピードを巧みに捉えている
ことでは、ターナーの汽車はよほど近代性を持っていると考えた。まことに達筆である。
神の衣裳としての自然
万葉集より大正昭和の文学に至るまで、日本人の感情として、その底を流れているものは、自然観賞
の心持である。古今和歌集もまた自我を没却して自然にしたることを教えている。俳文学でもやはり、
底を流れている精神は、自然に生き切ることである。それで日本古来の宗教文学を通じて培われたわれ
われの情緒も、ラスキンが教えた神を礼拝する気持で自然を見ることを忘れるならば、半分の価値もな
くなってしまうであろう。
旧的聖書のイザヤ書の言葉も、自然を通じて神をうたっており、エレミヤの預言も自然生活から来て
ゐるものが多い。またキリストの教訓も、「空の鳥」「野の百合」「朝やけ」「夕やけ」「野の耕作」
「ブドー園の物語」「牧場の羊」など、自然のうちにその真理を見出している。
自然科学といえば、すぐ唯物論的に考え、マルクス主義やレニン主義と結びつきやすいけれど、ラス
キンはそれと全く正反対に、自然の決定的な見方をせず、自然の奥に在る目的、選択、意味をはっきり
と見詰めた。当時の文豪トーマス・カーラウルの「衣裳哲学」の中に論じられている自然も、同じ立場
に立っていた。着物も、ただ寒いからきるばかりでなく、着物には一つの意匠があり、目的と選択と表
象のあることを論じ、自然にも同じように目的と選択と記号としての意味あることをラスキンは提唱し
た。彼は自然こそ神の深い顕現であり、黙示であることを強く説いた自然哲学者である。(一九四九年
五月号)
ヴェニスの石の精神
マルクスは機械が発展し始めた時代に、驚いた余り、歴史を決定的に考えて、「凡ての文明文化は、
その時代の唯物的生産の形式によって主として決定せられる」と論じた。それが彼の有名な唯物史観で
ある。この立場は唯心主義に立つ者とは、正反対の立場であって、唯物共産主義とキリスト教と一致す
るはずだという人もあるが、誤謬もはなはだしいといわなければならない。歴史が決定的であれば、宿
命的で進歩も発展もないはずである。目的性、撰択性、表徴性の三つがなければ、進歩が生れて来ない
から、唯物的決定論では真の史的発展は出現し得ないのである。
一〇九九年より一三六五年まで二百六十年間に、十字軍はヴェニスを基地として、聖地へと船出した。
そして東方との交通が盛んに行われたため、近代の資本主義が勃興するに至った。テーブルセット、ベ
ッド、オルガン、ピアノなど近代生活の基調をなすものはみなヴェニスから生れて来た。ラスキンの「ヴ
ェニスの石」は、そのヴェニスの文化史と建築物を詳細に研究して論じたものであるから、その文化史
を知らぬ者には、何もわからないであろう。
「ヴェニスの石」において、ラスキンはヴェニス文化の千年を次の四時期に区分している。
第一期
ビザンチン時代
第二期
ゴチック時代
第三期
ルネッサンス前期
第四期
ルネッサンス後期
ビザンチン時代には、ロマ帝国が東西に二分し、コンスタンチン大帝がロマ帝国をたてた。ビザンチ
ンの建築は、ロマの法廷の建て方を模倣したもので、円塔を上手に使い、(幾何学が発達していたため、
上下に巾のちがう矩形型を並べて)窓なども上の丸いアーチを用いた。ローマに今も残っている火星(マ
ーズ軍神)をまつる宮は、当時の面影を伝えているが、美しい建物である。イスタンブールにゆくと、
聖ソフィア聖堂などが、やはり同じ丸アーチ円塔で、七つの塔が非常に美しい。
そのビザンチン建築が、ヴェニスに来て第一期となったが、それは何等独創性のない貧困な模倣でし
かなかった。ラスキンは、建築は物的に決定されるものでなく、意匠でなければならないから、目的、
撰択、表徴を持った芸術でなければならない故、真似ただけでは駄目であると断定した。それで、たゞ
模倣をことゝしたヴェニスのビザンチン時代の建築は価値がないと論じたのである。
第二のゴチック時代は、二百余年にわたる敗戦の後、かなしみのどん底から、ゴス民族独特のものが
生れて出来あがったのである。ゴス人は森林の中に生活していたから、建築も森の木の枝を表象したも
のを基調としている。父や兄や夫や弟を追憶する余り、祈と涙をこめて記念碑や記念会堂を建てたので
あるから、財を惜まず、労働を惜まず、ひたすら信仰をもって建てたのだ。平坦なヨーロッパの平原に、
天にまで達するように高い尖塔をつくって、その信仰を表現した。そしてその塔の重力を支えるために、
長くて細い窓を多くつくり、何となく重苦しい感を持つようになった。そして内部の装飾は森を思わす
曲線を用いて、素朴な感じがしみでていた。
この一面田舎くさいゴチック建築をルネッサンス以後の近代人は馬鹿にしていたが、ラスキンはそこ
にゴス人特有の創造性があり、真実の美があることを再発見して、近代文化に大きな光明を与えたので
あった。フランス彫刻界の巨匠ロダンのかいた「フランスの聖堂」という書物を見ても、そのすぐれた
デッサンによって、建築としてフランスに於て最も美しい精神を保っているものは、ゴチック建築であ
ることがはっきりと示されている。私はそれをよんで新しくうたれたが、一読すべき価値があると思う。
ラスキンは、ゴチック建築は第一にその独創性のために、第二に奉献の気持のために美しいのだと唱
えた。それは儲や利益を全く念頭におかず、父や兄の戦死を記念するために、全然無報酬で働いた人々
によって建てられた。村々のギルド組合の人々が、自分の村の人々の死をいたんで、色々なものを無料
でさゝげた。塔の金具はどの村、窓の装飾はどの町、聖壇の彫刻はどの村というように、信仰をきそっ
て献納した。それだから一つ一つに変った独創的な心がちりばめられている。しかも退いて眺めると厚
い信仰によって結ばれた統一がちゃんととれている。見ておれば見ておるほど、面白い独創性と統一性
との調和がある。
その上、ゴチック建築は生命を非常に尊敬しており、建築中屋根から落ちて死んだような人は、その
姿が柱に刻み込まれている。人格の尊重、労働の奉仕、創作の意慾、芸術の美、設計の真理、それらが
完全に調和されてゴチック建築の美が生れた。従って信仰中心である。信仰を中心としない芸術は真の
芸術ではないとラスキンはいった。宗教芸術が彼の後に、大きな復興の気運を見せたのも偶然ではない。
唯物主義と独裁主義では、真の芸術は生れず、芸術性の没落以外に何物もないことが最近の歴史的事実
を通して明かに示されている。それでラスキンの芸術創作論は今も強い発言権をもっているのである。
ルネッサンスの時代になると、ギリシヤ文化への模倣がはいって来て、独創性が再び行衛(方)不明
となった。その時代のことを知るのには、英国の作家エリオットのかいた「ロモラ」という小説を読む
といゝ。二十年ほど前に、私はそれを訳して出版したが、その宗教小説は、ルネサンスの波に乗ってギ
リシヤ文化を軽薄な気持で模倣する。宗教と人格を無視している青年と、フロレンスの宗教改革者サボ
ナローラから強い感化をうけている、ロモラという女性との交渉を通して、サボナローラの性格と、当
時の時代とを巧みに描いている。
当時は、模倣と虚偽と闇とが横行していた。地中海の沿岸からあらゆるものを集めて、成金的な贅沢
さをもって美しい家を建てた。大理石でも、赤、青、黒、白、茶、鼠と何十種類というものが用いられ
ている。私もそれには驚いた。しかしそこに真実の美は見出されない。
ルネッサンスの前期は、まだいゝが、ルネッサンス後期になると、全くひどい。年がたつにつれて、
きたなくなる塔がゆがんでくる。きたなくてみられない。しかも修繕さえ出来ないのである。ラスキン
はかつてイタリーを旅した時に、雨の日サン・マルコ聖堂を訪れたが、その玄関にチントレットの有名
な壁画が、雨にぬれて黒くなっていた。大変惜しいと思ってよく見ると、屋根裏のセメントを塗ってし
っかり堅めておくべきところを、ごまかして手が抜いてあるために雨がもるのであった。
信仰を基礎とせず、金に任せて建てたものは、外観がいくら堂々としていても、労働と美とがしっく
り調和せず却ってちぐはぐな粗雑なものとなってしもう。千年に亙る建築を歴史的に研究すれば、その
建築史を通じて、精神の歴史がはっきりする。衣裳の奥に精神があるように、建築の奥にも精神がはっ
きり見える。建築は建築者の心によって上品にも下品にもなるものである。建築は、石とセメントと材
木と金具とだけで造るのではなく、これを用いる心が建てるのである。そこに目的撰択、意味の世界が
存している。美のために美の模倣をことゝしたルネッサンス建築は美その物さえ失ってしまった。ラス
キンはこの点を「ヴェニスの石」において、はっきりと教えた。
関東大震災の時、堂々たる姿を誇っていた丸ビル、郵船ビルなどの、窓という窓はみなひびがはいっ
てしまった。ところが、芝の増上寺や上野の寛永寺などはびくともしなかった。信仰によって建てたも
のは、時代の破壊に超越し、信仰をもたぬ建築はすぐやられてしもう。信仰を否定する唯物弁証法だけ
では、真の美と文明はあり得ない。ラスキンはその精神を明確に主張したのである。
唯心的経済史観とラスキン
芸術を論じ、建築を論じている間に、彼は一歩進んで経済を論じ、社会を論ずるに至った。従って彼
の経済論は、「近代画家論」や「ヴェニスの石」に於て発展して来た精神を重んずるもので、生命、芸
術、人格を中心として構成されている。唯物的に経済を研究することしか知らなかった当時の経済学界
においては、全く独創的な立論であった。なかでも有名なのは、「Untothislast」(至後者にも)で、マタ
イ伝二十章一節から二十節にあるキリストの譬話の解釈である。
ブドー園の持主が、朝早く一人の労働者を一デナリの賃金約束で雇った。正午にも午後にも夕方にも、
それぞれ一デナリずつの契約で労働者を雇った。そして夕方に賃金を渡す時に、みんなに一デナリずつ
を支払ったところ、朝から働いていた男が文句をいった。自分は朝から働きつゞけているのに、夕方か
らきて二、三十分しか働かぬ者と、同じ一デナリでは割が悪いという不足である。成程理窟の通った話
のようであるが、雇主は一デナリずつの約束をして、約束通り支払っているのだから少しも不正をして
いないとさとしたという譬話である。
これを論じ、労働の賃金は生命と人格の保全のために支払わるべきものである。労働者一人一人が生
きてゆけることゝ、幸福を与えられることゝが最も大切であるという真理がこゝに示されている。
それ以上を要求するのは贅沢であり、我儘である。今日最も注目されている社会保証法の真理をはっ
きりとラスキンは述べている。信仰を中心にしながら、最も科学的に論じ、科学的にキリスト教文学の
基礎をすえたのは、彼の非常な貢献である。この点に於ても彼が誠に偉大な学者であり、予言者であっ
たことは否定できない。
聖書の黙示録は、すぐれた一種の歴史哲学である。人間性の智と情と意とが極端に活躍して神への反
抗をつゞける状態が巧みに記されている。智識からいえば虚偽の宣伝をやかましくつゞける蛙があり、
情的には邪淫をあらわす蛇が盛んに働き、意志の方面では権力と暴力の表象である獣が猛威をふるって
あばれまくる。しかしこれらの三つのものが、どれほど発達しても、真の文明は進歩しない。堕落と破
壊と崩壊と混乱とがまき起るばかりである。
却って集団性をもつ、柔和な小羊が最後の勝利を得ることによって、初めて文明が進展する。その歴
史の経過を黙示録は、巧みに描いている。小羊が、蛙、蛇、獣、竜と数回も激しい戦を繰返えす。そし
て毎回の初めに小羊が神を礼拝し、礼拝が終ってから雄々しく戦をいどんでゆく。
その礼拝の一つ黙示録五章をみると、面白い記事がある。巻物があって、その裏と表とに文字がかゝ
れているけれど、封印がしてあって、開いてよむことが出来ない。大声が「巻物を開きてその封印を解
くにふさわしき者は誰ぞ」と叫んで、意味を知りたいと思ったが、天地のうちに誰一人といてくれる者
がなかった。それで悲しくなって泣いていると、長老の一人が「泣くな、みよユダの族の獅子、ダビデ
のひこばえ、すでに勝ちを得て巻物とその七つの封印とを開き得たり」といったと記してある。
これは歴史の発展にはその表徴の奥にある意味がある。ちょうど巻物がだんだん開かれてゆくように、
歴史は目的に向って意匠によって展開してゆくのである。しかしこれをよろこんで説明するものがなけ
れば、有限な人間には到底理解することができない。ラスキンは近代文化の歴史のうちに、はっきりと
自然と経済の世界において、物質の奥に深い精神的な意味のあることを示してくれた。キリストの心を
もって、自然を見る所に、真の美が発見せられ、手にて造らざれる自然にのみ、永遠の美のあることを
教えてくれた。またキリストの愛をもって、自分の心にうつった美を再構成しなければ、真の芸術も真
の経済も生れないことを主張した。これこそ巻物の封印を解いてくれた近代的天使の声である。
日本がもしこれに気づかず、奴隷根性に堕落し、唯物論に走って創造力を失ってしまえば、日本の文
化は枯死してしまう外はないであろう。ラスキンの記念の時を迎え、私は二十数年前イギリスを訪問し
た時、ラスキン大学を訪れ、エリザヴェス女王の泊られた部屋に寝させて貰ったことが思出される。ラ
スキン大学は、労働者の大学で、労働党出身の国会議員は皆こゝに学ぶ義務を負わされているというこ
とであった。それなら一般の大衆も労働党を信用するであろう。イギリスでは無責任な共産党の言葉に
は耳を傾けない。
日本では労働者の見識がまだ低いために、共産党員のいうことに、好奇心からついてゆく者もあるけ
れども、ラスキンの如く、歴史の巻物の封印をといてゆく者の声に従い、唯心論的に物を考えてゆき、
反省して新しい世界国家を建設してゆきたいものである。(一九四九年六・七月号)