モンテッソーリ教育 第47号

ISSN 0913-4220
モンテッソーリ教育 第47号
巻頭言 次世代トレーナーへの期待 ................................................................ 松川和照 (1)
講 演
赤ちゃんの不思議―心の発達 .....................................................................開 一夫 (2)
子ども一人ひとりのおもいを受けとめるために ................................阿部真美子(14)
シンポジウム
子ども一人ひとりのおもいを受けとめる
第 1 シンポジスト 子どものニーズとおもいに応えるために .. ヴィタリ・ドメニコ
(23)
第 2 シンポジスト 環境に恋する子ども...........................................................相良敦子
(31)
第 3 シンポジスト 今日のモンテッソーリ教育とモンテッソーリ教師 .. 早田由美子
(37)
第 4 シンポジスト 未知との遭遇 ....................................................................松川和照
(49)
司会者としての報告 .........................................................................................甲斐仁子
(55)
論 文
モンテッソーリ教育における宗教と子ども .....................................前之園幸一郎(61)
「良い羊飼いのたとえ話」から出発する―モンテッソーリ教育法に基づく― ...... 江島正子(79)
モンテッソーリ教育における「知」と「行」―東洋思想からの考察―............... 瀧口 洋(98)
実践報告・事例報告
(113)
「モンテッソーリ教育の導入から10 年の軌跡」―表現活動の舞台で観られる子どもたちの成長の姿― ...本良裕子
「感覚」
「提示」の 3 点より.....小島 薫
(125)
モンテッソーリ教育に基づく音楽療法第 2 報―「観察」
教育エッセイ
モンテッソーリ教育を学んだ親たち―情報化社会における新たな試み ....田中昌子
(136)
ルーメル賞
第 2 回「ルーメル賞」授与 ..........................................................................江島正子
(149)
ラウンド・テーブル
1 実践に生かすためのモンテッソーリ教育の理論 ......... 松本静子・下條裕紀媛
(151)
2 教師の仕事について―5 つのテーマ― ............................. 赤羽惠子・島田美城
(157)
図書紹介
天野珠子著『あいじゅだよりⅡ』..................................................................岡田耕一
(162)
第 47 回全国大会参加報告 日本モンテッソーリ協会(学会)第 47 回全国大会報告 ....................... 栁澤ナオミ
(167)
大会を終えた今の想念 ...................................................................................松本良子
(169)
第 47 回全国大会ワークショップ報告 ..........................................................千葉和恵
(171)
支部報告 .............................................................................................................................(175)
教員養成コース報告 ..........................................................................................................(188)
事務局報告 ..........................................................................................................鈴木弘美
(197)
英文摘要 .............................................................................................................................(207)
編集後記 ................................................................................................................. 関 聡
(225)
2 0 1 4
日本モンテッソーリ協会
巻 頭 言
次世代トレーナーへの期待
松川 和照
(イクソス会理事長)
子ども子育て支援制度は長い間温存されている幼稚園・保育園の二本
立ての子ども制度で、子どもの視点で両者の一本化と言われている。保育
園は貧困救済制度で誕生し、公的機関中心に成長したものであるが、高度
成長期に急成長し、公的機関の補充の民間保育園が主役に躍り出て現在に
至っている。幼稚園は、幼児教育中心に成長してきている。この故に「子
どもの視点」と言っても、両者の視点は当然かみ合いがたい歴史的背景が
あろう。
しかし、この制度改定に先行して教員養成の改革は、制度引き締めと、
高レベルの学科課程の充実にと軸足を移している。教育機関の 4 年生大
学志向はその一端と言えよう。なぜならば、予測される少子化現象、高齢
者数の増加に対応する教員のハードルを高める目的にある。今後モンテッ
ソーリ教師は、さらに高い質が要求されるはずであろう。故に次世代教師
を育成するモンテッソーリ教授陣は、頂点に立つ集団であるべきと思う。
社会的にも、
同じく学位取得者が予想される。次世代のために日本モンテッ
ソーリ協会(学会)は取り組みを始めなければならないであろう。
「ロー
マは一日にして成らず」だからである。それなくして成熟したモンテッ
ソーリ教師の誕生は困難ではなかろうか。
日本のモンテッソーリ教育の普及はかけ声だけに終わってしまい、世の
荒波に飲み込まれてしまう危惧があろう。
モンテッソーリ教育は、高齢化社会の中に埋没し消滅してしまうような
教育ではなく、
「一人ひとりのおもいを受けとめる(第 47 回全国大会テー
マ)」ことのできうる愛の実践教育であり、グローバルな教育手段だから
である。
−1−
講 演
赤ちゃんの不思議―心の発達
開 一夫
(東京大学大学院総合文化研究科教授)
今日はコミュニケーションの発達を中心にお話ししたいと思います。
コミュニケーションというと、非常に一般的な言葉でして、一日の中で
コミュニケーションという言葉を聞かない日はおそらくないだろうと思い
ます。その起源というか、そのコミュニケーション能力の基盤となってい
るものが、お母さん、お父さん、おじいちゃんなど周りの大人と、生まれ
たばかりの赤ちゃんとの相互作用、あるいはやり取りではないかと考えて
おります。そして、それがコミュニケーション能力の形成に最も大切では
ないかということをお話ししようと思っています。
私の研究室で二年ぐらい前から始めているプロジェクトについても、
ちょっと専門的になりますが、後半でお話しさせてもらえれば、と思いま
す。
レジメに「教え、教えられる」とありますが、教えるということは教え
られるということと対になっています。一人で教えることはできませんし、
一人で教えられることもありません。当たり前と言えば当たり前ですが、
教える人がいて教えられる人がいるというのが本日のテーマです。それは
相互作用の一つの例となっております。
レジメにもありますが、教えるということと学習、学びとは切っても切
れない関係があるわけです。皆さまは就学前のお子さんたち、あるいは就
学後のお子さんたちを対象として日々、教えられているわけです。一人の
子どもがどうやって学習し、学ぶかということを考えると、幾つかの側面
があります。側面というよりも方法があります。例えば試行錯誤によって、
自力で学習することができます。今、私はパソコンを使っています。たく
さんのボタンがパソコンにはあります。2 〜 30 個のボタンがあるわけです。
一個一個メチャメチャにボタンを押していくと、パソコンの電源が入る場
合もあるかもしれませんし、入らない場合もあるかもしれません。学習と
いうのは子どもが一人でやるものだという思想をもって接していらっしゃ
る人もいるかもしれませんが、普通は試行錯誤による学習はおそろしく時
−2−
講演
間がかかる作業です。今パソコンの例を出しましたが、パソコンの使い方
を誰にも教わらず、またマニュアルも何も見ないで一人で学習するのは非
常に困難です。時間が非常にかかります。もう一つ、他人がやっているの
を観察して学習する方法がありますが、この場合は試行錯誤よりは少しは
ましです。試行錯誤によるよりも時間がかかりません。他人がどうやって
いるのか、その人がやっている行為を見て結果がどうなったかを逐一見て
いれば、それをまねすることによって学習することができます。
まだ幾つかありますが、こうした方法のことを、教師がいなくても自分
だけでできる学習と言います。これは本当はコンピュータサイエンス = 計
算機科学で機械に学習させるための用語なのですが、それから拝借して「教
師なし学習」と言います。
「教師なし学習」というのは、要は先生がいな
くても自力で学習できるという方法です。これと対をなす学習の方法とし
て「教師あり学習」というものがあります。
「教師あり学習」というのは
学習者と教師がペアになるわけです。先ほど申し上げた計算機科学の分野
では「教師あり学習」はもっと別の定義がされておりますが、ここでは学
習者と先生(教える方の人)がペアになって学習が進んでいく方法を「教
師あり学習」と言います。
実はいろいろな研究が現在も世界中でなされています。いろいろな賢い
動物がいます。チンパンジー、ゴリラ、イルカは結構賢いということを皆
さんご存じかもしれませんが、今言ったような「教師あり学習」ができる
のはヒトだけなのではないかと考えられています。それに対する反論も幾
つかあるのですが、ヒトが行っている、
「教える」という行為は非常にコ
ストがかかります。つまり、大変な時間も労力もかかる作業であるわけで
す。皆さんはこれを日々実感されていると思います。
ヒトは何をもってヒトたるのか、ということを長い間いろいろな人たち
が議論してきました。私はこういうことは専門ではないので、ウィキペディ
アを参考にさせてもらったのですが、今生きている人間である私たちはホ
モサピエンスと呼ばれ、それは、言語とか社会とか文化を持っている「知
恵ある人」「賢い人」を意味しています。一般的な定義から、その前段階
として直立歩行ができるようになった結果、両手がフリーになり、道具を
使ったり製作したりすることができるようになったのです。それからもう
ちょっと違った見方では、ホモルーデンス(人は遊ぶ存在である)という
−3−
言葉があります。こうした、ヒトの定義はたくさんあります。しかし、今
現在、私が最も有力だと考えている人を人たらしめていることは、先ほど
来申し上げているとおり、
「教え教えられることが可能になっている」こ
とです。つまり、
「教え教えられることが可能になっている動物」がヒト
なのではないかということです。それ以外の動物でも似たような現象はあ
りますが、人のように教え教えられるということはありません。
ちょっと難しいのですが、ハウザーという人が定義した、教えるという
ことの条件を紹介します。若干難しい言葉が並んでいます。
「個体Aがナイーブな―ナイーブというのは初学者という意味です―初
心者の個体Bと向き合って対峙している場合に限り示す行動である。」
これは先ほど来申し上げているとおり、誰か・何かを教えるというのは
相手が必要なのだということです。相手がないときに教えるということは
なかなかできないわけです。その教える方の個体の、ここが結構大切だと
思いますが、直接的な利益はないということです。たとえば、教えること
によって満腹になるというようなことはありません。間接的にはもちろん
あるとは思います。直接的な利益がない、あるいはある種のコストを払う
必要のある行動である、それが教えるという行動です。コストというのは
時間がかったり、労力が非常に費やされたり、という意味です。そして三
つ目、これが一番大切かもわかりませんが、教えている方、そして教えら
れている方を考えると、教えられている方は教えられたことによってある
知識、技能を教えられない場合よりも早く学習できる、あるいは効率よく
学習できる。こういうことがないと教えるということにならないのではな
いかと、この人たちは言っているわけです。
もっと強調して言うと、個体Aつまり教えている先生の行動なしでは、
教えることなしでは、教えられている方はその知識とかスキルが学習でき
ない、そういう場合に「教える」と言ってはどうでしょうか、というふう
に定義しています。一般的な定義ではありますが、この定義は参考になり
ます。当たり前なことですが、一生懸命教えても、Bが学習できない、何
の進歩もないということであれば教えているとは言えません。その基本と
なるのは最初に申し上げたとおり、相互作用です。先ほどの例でもありま
したが、「教える」という行為には、教える方と教えられる方の少なくと
も二つ以上の個体が必要です。必ずしも教える方が学校の先生とか幼稚園
−4−
講演
の先生というわけではありません。お母さん、お父さん、要は養育者が教
える方になるというのが一般的かもしれません。世界中見渡すと、先生が
一人いて複数人の子どもがいるという教育システムはもちろん先進国では
一般的で常識的にはなっていますが、まだまだそのようなシステムが整っ
ていない国がたくさんあります。それでも教えるということは非常に大切
になります。
「インタラクション」という言葉、これは教えるという言葉の上位の考
え方です。日々の生活の中で「見つめるということと見つめられるという
こと」、「話すということと聞くこと」
、
「触るということと触られること」
は対になっています。そのような一つとして「教えることと教えられると
いうこと」があると考えます。
生まれたばかりの小さな赤ちゃんでも、自分が見つめられていることに
敏感に反応することを示す研究があります。同じ人の写真でも一つは直視、
もう一つは横を向いているものを並べると、赤ちゃんは横を向いている方
よりも直視している写真を圧倒的に長くよく見ます。赤ちゃんは見られて
いるとよく見返します。こんなことは皆さん経験的にご存じかもしれませ
んが、生まれて間もない赤ちゃんでもこうした傾向を示します。普通だっ
たらまっすぐこっちを向いていたら次に何かをやるはずです。赤ちゃんの
場合はニッコリ笑ってくれたりお世話してくれたりとか、ということが考
えられます。横を向いているよりこちらを向いてくれていることは、相互
作用をこれからしますよ、という引き金(キューという言葉を使います)
です。これからやり取りを始めましょう、と言う時は相手の顔を見て、そ
れから何か始まるのが普通ではないでしょうか。
もう一度一般的な話を早めにしておきます。コミュニケーションにおけ
る条件、常識とは何かということです。先ほど来申し上げていますが、相
互作用ですから、コミュニケーションには必ず自分と相手が必要なわけで
す。相手がない所でコミュニケーションするのは非常に変な話です。後で
その例をお話しします。その相手は他者であり、自分ではないわけです。
加えて自分と他者を区別できていないといけない。他者は「物」であって
はいけない。当たり前のことです。次はちょっと難しくなりますが、
「コミュ
ニケーション」は非常に広い概念なので、手紙でも、メールでも最近だっ
たら LINE でもコミュニケーションが行われていると思います。しかし、
−5−
コミュニケーションが成立する前には、それが成立するには時間と空間を
共有していることが必要だと私は考えます。つまりその場にいて、その時
のその時間というのを両者、すなわち他者と自分が共有することが必要だ
と。もう一つは時間と空間を共有するだけでなくてコミュニケーションの
相手と私というのは相互に随伴的―これはどういうことかと言うと、自分
が相手に何か行動したら相手はそれに対して何か反応する、すなわち応答
的であることです。またその逆も然りですね。相手が何かしてきたときに
自分が反応する、そのためには時間と空間を一般的には共有してないとい
けないわけですけれども、時間と空間だけを共有していて、自らの働きに
他者が応答できるということが大切になってきます。私たちの研究室では、
これは大人でしたら当たり前すぎることかもしれませんが、赤ちゃんとい
うのはこういうことを常識としてもっているのだろうかということを調べ
ているわけです。
これから幾つか例を示します。(図 1)(図 2)
私自身が行った研究ではありませんが、レガスティという人の研究を紹
介します。ここに人がいます。カーテンがあります。この人はカーテン越
しに何かしゃべっているわけです。そしてカーテンがこちら側に引かれて
人間が出てきます。これは普通な状況だと思います。
「しゃべる」という
(図 1)「ホウキ」に話す?
−6−
講演
(図 2)各事象に対する「注視時間」を計測
行動に向けられている対象は人であるというのが当然です。乳児の研究の
方法はいろいろなやり方があると思うのですが、注視時間(基本的には何
か見てもらって、
そのイベントを注意して見ていられる時間の長さ)をデー
タとして使っています。レガスティたちがやったのも注視時間というのを
(測度と言いますが)
、データとして使ったわけです。人が出てくる、これ
だけやっていてもよく分からないので、それと比較対象としてカーテン越
しに同じように話しているのですが、カーテンがこっち側に引かれて「ホ
ウキ」
が出てくる。この場合はちょっと不思議ですね。赤ちゃんではなくて、
もし街中でこれと似たような状況を目撃した場合は非常に奇異です。最近
スマートフォンや携帯電話で、それらの機器を耳にあてないでヘッドフォ
ン、イヤフォンをつけて話している人を見かけるのですが、特に歩きなが
ら一人でしゃべっている人を見かけると気持ちが悪いですね。それはこの
状況と似たようなものです。そういう気持ち悪さ、私が感じているような
気持ち悪さと同じようなことを乳児が分かっているかどうかということを
レガスティは実験で確かめたわけです。
もう一つは同じような年頃の赤ちゃんたちに語りかけるのではなくて、
ほうき
箒で掃くような動作をする。話しかける、掃くという動作、その動作には
ターゲットがあって、それが人の場合と箒の場合では、それぞれペアが違
うはずです。赤ちゃんの研究で最近使われているほとんどの論文が採用し
−7−
ている注視時間法によると、何か話していてその相手が人間だというのは
当たり前なわけです。でも先ほどのスマホのインカムではないですが、何
か話していて「物」が出てくるのは非常におかしなわけです。そして赤ちゃ
んの注視は当たり前のことよりも不思議なことのほう、おかしな現象の方
を長く見る、と言われています。レガスティたちの結果をもってきたわけ
ですけれども、話しかけるという行為に対して人間が出てきた場合とオブ
ジェクト(箒)が出てきた場合とどちらの方を注視するかというのをグラ
フにしたものです。ご覧になって分かるとおり、人間が出てきた場合より
も箒が出てきた場合の方を長く注視するのです。これは 6 カ月の赤ちゃん
に行われた研究なのですけれども、6 カ月の赤ちゃんでも「物」に語りか
けるというのは何かおかしいぞ、というのが分かっているということを示
唆しています。これに対して箒で掃くような動作の場合は人間が出てきた
方が注視時間は長くなります。図のコントロールというのはどういうこと
かと言うと、話しかけるとか箒で掃くといった動作を見せないでいきなり
人間がいる場合、いきなり箒がある場合です、そもそも人間と箒でプレファ
レンスと言いますが注視時間が違うと意味がおかしくなってくるので、そ
れを調べるための条件を入れました。そうすると若干、人間の方が長く注
視されますが、統計的には差がないくらいの差でした。つまり 6 カ月の赤
ちゃんですら、話しかけるというターゲット、要はコミュニケーションの
相手が、話しかけるという行為のペアには必要なのだと分かっていると言
うことができます。
ここからが私たちが何年か前に行った研究です。
携帯電話の会社がもうすぐロボットを売り出すという計画があります。
ロボットというのは人が作ったものです。人の形に似ていますが、人工物
です。ロボットは先ほど行ったような実験で物として扱われるのか、すな
わち話しかけるターゲットとしておかしな対象なのか、そうではないのか
というのを学生さんたちと研究しました。その時使ったのはロボットらし
いロボットです。(図 3)
先ほど箒に話しかけたのと同様にカーテン越しにこの女性が話していま
す。そしてカーテンが反対側に引かれて人間が出てくる場合とロボットが
出てくる場合を赤ちゃんに見比べてもらいます。これをそっくりそのまま
やると先ほどの箒が出てきた場合と同じように赤ちゃんはロボットの方を
−8−
講演
(図 3)ロボットを使った実験
眺めて見るはずです。なぜなら話しかけるという行為のターゲットとして、
これは一見して全然人間ではないのでこちらの方が不思議なわけです。こ
のままだと面白くないので幾つかこの実験をやる前に赤ちゃんに一分足ら
ずのビデオを提示します。
例えば、次のような文言が言われます。
(ビデオ)こんにちは あそぼ なにする じゃんけん このロボットはよくできていて、全部プログラムで作り込んであり、人
と遊ぶというようなことをある程度の時間の範囲内だったらできるわけで
す。
もう一つのビデオでは人間が行っている動作はほぼ同じで、しゃべって
いるのも同じ、でもロボットはじっとしていて何も動かない、というのを
見せられるグループの赤ちゃんたちもいたわけです。つまり相互作用、先
ほど言っているやり取りがある条件と相互作用のない条件を比べたわけで
す。この人は何かこのロボットにやっていますが、何もじっとしていて動
かないわけです。動作はほぼ同じです。
二つのビデオを事前に別のグループの子に 1 分間見せて、相互作用のあ
るロボットとそうではないロボットを見た後にレガスティと同じ実験をし
ました。
−9−
実験の結果、事前に相互作用のあるビデオを見た赤ちゃんは人間とロ
ボットに注視時間の差がなかったことが分かりました。差がないというの
はどういう意味かというと、積極的に考えると相手がロボットでも人間で
も、もしインタラクティブな、つまりやり取りのあるビデオクリップを 1
分程度見ていれば、ロボットに話しかけるというのは人間と比べてそれほ
ど不思議ではないのだということを表しているということです。
ところが同じように人間がロボットに話しかけていて、ロボットがじっ
としている場合は、このコントロールと同じようにロボットに話しかける
のはやはりおかしいことだ、と赤ちゃんは分かっているのです。
幾つかこうした実験をやっていくと疑問があります。そもそもビデオを
見せている間に赤ちゃんは何を学習し、学んでいるのかということです。
一つ言えるのは互いに反応し合っているという状況が必要であるというこ
とです。ではそういう互いに反応し合っている相互随伴性というのをどう
やって検証していくかというと、例えば時間、間合い、その行為と反応の
仕方、いろいろな側面が考えられます。ですので、そもそもインタラクショ
ンあるいは相互作用、またはコミュニケーションという中身はどうあるべ
きか、中身というよりも、動作として音声としてどういうものがあれば赤
ちゃんは相互作用をしているのだというふうに考えるのでしょうか、とい
うことです。
最近、私が考えているのは今性と応答性に対して乳児は敏感であるとい
うことです。今性というのは今やり取りしていること。応答性というのは
自分がやったことに対して相手が応答しているということです。相手が応
答した結果、また自分が応答するというように、ループになっている、そ
のようになる条件が成立しているかどうかということに対して非常に敏感
であるということです。実は同じようなことを考えている人もずいぶん前
からいまして、エジンバラ大学のトレバーセンという人たちのグループは
次のような研究を行っています。
ダブルテレビと言いますが、お母さんと赤ちゃんは別の部屋にいて、そ
れぞれの部屋に一台のテレビを置きます。いわゆるテレビ会議のシステム
に似た環境をその当時作ったわけです。別の部屋なので直接インタラク
ションできません。ですが、ビデオを介在してインタラクションができる。
お母さんが何かしゃべると、赤ちゃん側のモニターにそれが反映されます。
− 10 −
講演
これとまったく反対に、赤ちゃんの映像も母親側のテレビに映ります。何
でこんなことをわざわざするかというと、直接コミュニケーションしてい
るところをいろいろな方法で研究しようとすると常に当たり前のことが起
こっているのですから、何がコミュニケーションで大切なのかを明らかに
するのが難しくなります。こういう環境を使えると、もちろんテレビを介
在してコミュニケーションするのは非常に不自然ですが、お母さんを一回
録画しておいて、録画したお母さんを赤ちゃんに見せるというようなこと
ができます。同じお母さんなのですが、
「今」やり取りしているお母さん、
ちょっと前のお母さん、つまり先ほど言った応答性のあるお母さん、応答
性のないお母さんとの差を明らかにできるわけです。実験の結果は、2 カ
月半のほぼ新生児に近い状態の赤ちゃんでも、ライブ、つまり今やり取り
しているお母さんと、録画したお母さんを区別ができるということを示唆
していました。その元になっているのはライブのお母さんのテレビ画面を
赤ちゃんはよく見るけれど、録画されたお母さんはよく見ない、録画され
ているお母さんよりもライブの方が笑顔の回数が多い。分析すると、どう
見てもライブのお母さんと録画のお母さんは区別できているのだ、という
ことを主張したわけです。
これは面白いので、私もこのやり方を拝借していろいろな研究をしまし
た。その一つが、時間的に遅れて反応するお母さんだと赤ちゃんはどう反
応するのかというものです。ここでは映像と音声を例えば 4 秒ずらす、2
秒ずらすという遅延映像を使いました。
初めのうちはライブ映像で相互作用しているので、赤ちゃんはお母さん
の呼びかけに笑顔で反応します。しかしお母さんの映像を 4 秒遅らせて赤
ちゃんの前の画面に映すと赤ちゃんは途端に反応しなくなります。これは
お母さんが自分の笑顔にすぐ反応してくれなかったり、目が合っても見つ
め返してくれなかったりする様子から、赤ちゃんが“へんだ”と感じたか
らかもしれません。
この間ワールドカップがあったわけですが、日本とブラジルでテレビ局
の人が現地にいるレポーターとやり取りしているとき、遅延があるととて
も気持ちが悪いです。音声でのやり取りが赤ちゃんとお母さんでもできる
のだったら、今ライブなのか遅れているのかというのは比較的簡単に調べ
ることができるのですが、基本的に赤ちゃんは、ちょっと笑ったりとか、
− 11 −
視線を向けたり向けなかったり、その程度のことしかやらないわけです。
でも、ちょっとした視線の合い方や合わなさの度合い、あるいは自分がニッ
コリ笑っているのにお母さんは全然それと関係なく話しかけるというのを
区別することができるわけです。
もう一度、最初のほうで申し上げたコミュニケーションの常識を整理さ
せていただきたいと思います。
まずコミュニケーションは、ものすごく当たり前のことかもしれません
が、相手が存在するのです。そしてその相手とコミュニケーションをとっ
ている自分は時間と空間を共有する必要があるわけです。先ほどのダブル
テレビの実験の場合は空間的には離れていますが時間の側面に光を当てて
研究が行われているのです。これに関連して、そもそも赤ちゃんというの
はなぜ、今やり取りしているということを理解できているのか、ちょっと
突き詰めて考えると、どうしてそんなことが分かるのかということが不思
議になってくるわけです。 今までお話ししたことをまとめると、ずいぶん小さなうちから今性、す
なわち今やり取りしているということ、今の自分ということに敏感なのだ
ということが分かっています。そういう今の自分、今のやり取りに敏感だ
からこそ随伴的な関係を築くことができるのではないかということです。
これはどういう意味があるのでしょうか、とよく聞かれます。今私たちの
研究室でやっているメインのテーマについて、これから時間のある限りお
話ししようと思います。
最初に戻ると、教え教えられるのは人間だけなのだと申し上げましたが、
世の中にはたくさんの知育教材、教育的な目的を達成するための教材があ
ります。
実は赤ちゃん向けの教材というものも売られていたりします。
とても小さな子どもに対するいろいろな教材が売られています。結構高
価な物もあります。これまでのたくさんの研究から、0 歳あるいは 1 歳向
けの英語教材というようなのはあまり意味がない、ということが示されて
います。そういうのを Media deficit とか、Video deficit(deficit というの
は欠点という意味です)と言うのです。大人はテレビを見ることによって、
外国語を一生懸命繰り返したりすると上手になる可能性はあるのですけれ
ども、例えば 1 歳前のお子さんには効果がうすいと言われています。そこ
− 12 −
講演
で私たちは視線を計測するアイトラッカーを使って「インタラクティブ」
に外国語を教えるプログラムを開発しました。これまで大人で行った実験
では、視線をモニターされながら学習する場合は、そうでない場合よりも
学習できた単語が多くなりました。
今後はこうしたシステムを小さな子どもにも試してみる予定です。 人は少なくても二人以上いないとコミュニケーションは成立しないの
だという思想のもとでお話しさせていただきました。要点は赤ちゃんのコ
ミュニケーション能力の発達には相互随伴的に応答的な環境が大切で、し
かも赤ちゃんはライブネス = 今性というのに非常に敏感であることが現在
までの研究で分かっていて、だからこそ相手と随伴的な関係を築けるので
はないかと考えます。
− 13 −
子ども一人ひとりのおもいを受けとめるために
―マリア・モンテッソーリ博士への質問
阿部 真美子
(聖徳大学児童学部教授)
モンテッソーリ教育と出会って早 50 年近くになります。この間たくさ
んの研究者や実践の先生方から教えを受けました。この場を借りて感謝を
申し上げます。
微力なわが身を考えると恥ずかしいのですが、高齢ですから、今私が感
じ考えていることをお話しさせていただく稀な機会と捉え、話させていた
だくことを決心しました。これからお話しするのはそんな内容となります。
どうぞお許しください。
Ⅰ.マリア・モンテッソーリ博士の業績
1)モンテッソーリ博士への質問
本大会テーマ「子ども一人ひとりのおもいを受けとめるために」はどう
したらよいのか? この質問をモンテッソーリ博士に質問すると、どのよ
うに答えるのだろうか。
Q.子ども一人ひとりのおもいを受けとめるために大事なことは何です
か?
A.子どもがおもい
(こころ)
を打ち明けたくなるような教師の存在です。
Q.そんな教師になるためにはどうすればいいですか?
A.日々愛情を込めたコミュニケーションを重ねること、子どもに寄り
添う・子どもと向き合う姿勢を保つこと、できるだけ子どものおも
いに気づこうという気持ちを持ちつづけることです。そうした関係
性の中で一人ひとりが持つ個性や願い、おもいを教えてもらえる機
会が増えていくことでしょう。言うまでもなく、そうしたことはど
んな教育方法にも共通に大事なことです。子どもは精神的な存在で
すから、温かいこころのつながりはこころを開く大事な環境です。
A.他方でモンテッソーリ教育では、
「構成された環境」において子ども
− 14 −
講演
の興味が引き出され、子ども一人ひとりの主体的な生活が展開され
る、という点が何よりも大事にされる必要があります。向き合うの
が教具だからこその自由があり、感覚を使うからこその刺激と「わ
かりやすさ」が、子どものこころの深いところで主体性を引き出し
ます。
モンテッソーリ教育が異年齢集団の保育形態であることで、日々の生活
の中で無意識的に吸収している刺激やモデルの存在が大きいはずです。い
つ子どもが気づくのか、いつ動きだすのか、それぞれの個性がありますの
で、期待しつつ待ちたいものです。
2)モンテッソーリ博士はどのように子どもを見たのか
もちろん以上は私の自問自答です。このように考えるようになったのに
は、学生さんの意見がきっかけで考えさせられたことにあります。一例を
挙げると、ある学生さん(モンテッソーリ教育の実践に入って日が浅く、
目下学生になって勉強中)のレポートで、モンテッソーリ教育に少し抵抗
感があること、他方でモンテッソーリ教育の実践の中で「子どもの内から
あふれるものの大きさに感動を覚えた。でもどう考えたら、どう対応した
らいいのか分からず、困った」とあったことです。
そこには、子どもの内からあふれるものへの関心より、子どもを教具活
動にひきつけようと懸命になっている教師の姿が強く印象づけられている
のを感じました。そんな教師の姿への抵抗感がモンテッソーリ教育を受け
入れるのを足踏みさせていることはないのだろうか? 子どもの内側に潜
むもの(こころ)に感動するモンテッソーリ教師であってはいけないのだ
ろうか? こんな疑念や問いが私の内に芽生えるようになったのです。
モンテッソーリ博士の子どもの発見の原点に戻ってみようと思いまし
た。
モンテッソーリ博士は、自由で主体的な生活を子どもに与え、観察する
ことによって、環境にかかわるさまざまな子どもの姿に触れ、感動してい
ます。「子どもの内からあふれるものの大きさに感動を覚えた」のだった
ろうと思います。
モンテッソーリ博士の持ち前の優れた感受性はすでによく知られていま
− 15 −
すが、では具体的にどんな子どもの姿に出会ったのでしょうか。事例を挙
げてみましょう。
①みすぼらしい身なりの母親の腕の中で、小さな色のついた紙片を握り
しめる 2 歳くらいの女児の姿から。
博士は固く握りしめた小さな手から女児のおもい―手の中の紙片が
女児にとって宝物である―を感じとる。
②ローマの公園で小さなバケツに砂をいっぱいにする・からっぽにする
という行為を繰り返している女児の姿から。
博士は女児の姿に精神活動を感じ取り、彼女がこころを満たしてい
る姿だと受け止める。
上記①②のような事例から博士は、大人の視点では無意味でも、子ども
の視点からは意味のある行為があることに気づきます。子どもが発達の秘
密を明かしていたのでした。
③フェンスの土台の細いスペースを身体を横にして歩くのを楽しむ姿から。
博士はフェンスが支えとなり、狭いスペースを歩くのが可能となっ
ていること、楽しみながら身体のバランスをとる練習になっているこ
とに気づく。
④壁面に取り付けられた棚が少し斜めになっていたため、その上に教具
を置くと音を立てて落としていたが、やがて子どもが、そっと注意深
く教具を置くようになった姿から。
博士は、子どもは少し難しいことに試行錯誤しながら取り組んでい
くうちに注意が集中するようになり、自分の動きをコントロールする
ようになるということに気づく。
⑤子どもは動いているうちに机を倒すことがあり、その時、ガタンと音
がする。だが繰り返すうちに倒さなくなる姿から。
博士は、子どもは間違った行為を音で知ること、試行錯誤の後に自
分の動きをコントロールするようになり、机を倒さなくなることに気
− 16 −
講演
づく。
上記③④⑤のような幾つもの事例から博士は、少し難しい課題を組み入
れた環境、間違った行為をすると子どもは、感覚で分かるサインが組み込
まれた環境に助けられて、楽しみながら、充実感を育てつつ自己教育・自
己発達することを見いだします。
博士の眼前で子どもに内在する発達の秘密を明かしてくれたのです。モ
ンテッソーリの子どもの発見と言われるものです。構成された環境もこう
した子どもから出発しています。
3)構成された環境の中心的要素―教具―
さて、2)で見たような子どもの自己発達・自己教育を引き出すために
考えられて作られたのが構成された環境であり、その中心要素が教具です。
教具の原型は障害児教育の先駆者、セガンの考案した一連の教具です。
さらに子どもの身近な生活や遊びからヒントを得ており、例えば茶色の階
段という教具、小さな掃除セット、衣服の着衣枠など多数あります。なか
には音感ベルや移動文字のように博士の愛弟子たちが加わって考案された
教具もあります。
モンテッソーリ博士の子どもの発見から考えると、構成された環境にお
ける主人公は子ども一人ひとりです。
そこでは子どもの自由と主体的生活が何より大切です。その主体性を発
揮する姿から学びのプロセスのイメージを描いてみることにします。
子どもがどうやったらいいのかよく考えなくても、あるいはよく知らな
くても、教具に触ることができます。子どもは感覚を楽しむことが好きで
す。教師のモデルをまねてやってみます。教具には応答性があり、正解か
不正解か分かるようになっています。不正解で何度でもやっているうちに
偶然に成功できる時がくるでしょう。一度成功した後、再び記憶を引き出
しながらやってみますが、すぐにはスムーズにいかないでしょう。でも前
よりは早く成功するはずです。この時やり方の再確認がなされます。間も
なくもっと早くできるようになるでしょう。このような学びのプロセスを
楽しむ姿は自己克服の姿です。こうして興味や忍耐心が持続します。その
− 17 −
分だけ達成感、自己肯定感が大きくなるでしょう。
4)環境の中心は教具ではなく子ども
モンテッソーリ教育というと目立つ教具に目がいきがちですが、教具は
環境であり、子どもを助けるモノです。モンテッソーリ博士は、教具につ
いて次のように語ったそうです。
飛行機は少し、車輪で地面を滑走してから離陸し、長い飛行に移りま
す。教具はこの短い滑走に当たるのです。…長い飛行は、子供がそれ
までに習得した新しい能力に当たるのです。同じ教具を繰り返し繰り
返し使用するのは、習得への一過程であって、ただ機械的に繰り返し
ているのでも、進まないで止まっているのでもないのです。それは飛
ぶための滑走なのです。教具は潜在的な力を引っぱり出すもので、
「そ
れ以上のことをするために私に頼りなさい」ということを意味するの
ではありません。
(マッケローニ著『モンテッソーリ博士との出会い』)
これは、教具への過度の期待と依存への博士の戒めの言葉と受け取れま
す。あくまでも教具は子どもに潜在する力を引き出すためのねらいがある
としているのです。
5)教師と子どもとの関係性
博士は、子どもが発達の秘密を明かす姿に期待し興味を寄せました。数
枚の子どもと一緒の写真を見ると、博士のゆったりとした温かいほほ笑み
のある態度が子どもを包み込んでいるように見えます。そこに子どもがこ
ころの秘密を打ち明けようとしたくなった鍵があると思えます。それは教
師と子どもとの関係を伝えているのではないでしょうか。
その原型を博士は、母子の関係に見いだしていたのだと私は考えていま
す。ごく初期の研究において博士は、母子のこころの絆をこだまのように
響き合う関係だとしています。(『教育学的人類学』)同様に教師と子どもの
関係もまた、こころを通わせ響き合うものと考えてよいでしょう。
子どものこころやモデルとしての教師の役割を支えるのは、精神的環境
− 18 −
講演
としての教師なのだと思います。ここがしっかりとするためには自らを内
省する教師である必要があります。そうあるためには、思い込みからの脱
却が必要です。このことにパンチを浴びせてくれる本に出会いました。
Ⅱ.
“The Tao”に触発されて
それが、
“The Tao of Montessori Reflections on Compassionate Teaching ”
という一冊の本です。著者はキャサリン・マックターマニィ(Catherine
McTamaney)
。熟練のモンテッソーリ教師で現在は大学で教鞭も執っている
人物です。この本は 81 のテーマで構成され、それぞれ短い文で、生きて
いる子どもと生きている教師を軸にしてきた実践者としての気づきがメッ
セージとして語られています。その中から少し取り出してみましょう。
●マニュアルは大事だが、それだけで子どもを助けることはできない。マ
ニュアルは経験を重ねてできあがったものである。しかしそれだけで子
どもを助けることはできない。それに頼り切ってはいないか?
マニュアルには習熟する必要があるが、その上で目の前の子ども一人
ひとりの継続的客観的観察が欠かせない。その際一人ひとりを個性的で
生きている人間として受けとめ、共感することである。そうすれば子ど
もへのバイアスが除かれる。
●教室なんて思いどおりにいくはずがない。予測したとおりに子どもが反
応しない、作業してくれない、教具の扱い方を教えたとおりにやらない
などということはしばしばあることである。このようなズレは当然ある。
観察データの解釈違いや課業計画の間違いだってないことではない。
●大人は内心では子どもを否定し、われわれと同じようになってほしいと
思っている。だからわれわれが気にいっている教具に子どもが興味を示
すとにっこりする。子どもに対してわれわれを案内者として見てほしい
と言っているが、われわれの思うように従わないと厳しく叱る。子ども
はよくこのことを感じ取っているのだ。
●棚にある教具で作業は継続しているわけではない。継続を支えているの
− 19 −
は教師の配慮で築かれる子どもとの強い関係性である。教師には二つの
義務がある。一つは子どもに従い、生活のための準備をさせること。二
つ目は子どもに対し応答的であり責任感をもつことである。
●教具の目的を理解し、同時に子どもをよく観察して導入のタイミングを
知ることである。美しい教具でいっぱいの教室がモンテッソーリ教育の
教室ではない。一人ひとりの子どもを思い浮かべて構成された環境を準
備して、はじめてモンテッソーリ教育の教室になる。モンテッソーリ教
師としての誇りは、新しい教具にあるのではなく、子どものニーズにか
なう教具にできたかどうかにある。
●教室は常にサプライズがある。期待どおりに進んでいくなどという日は
ないと言ってよい。あるはずがない。それが生きているということであ
る。
●モンテッソーリ教師は事前準備なしにクラス活動は続けられない。だが、
常にサプライズはある。予定を変更する精神的ゆとりをもっていれば、
偉大な冒険として寛容になれるはずである。
最後に彼女は、
「実践における案内役は、あなた自身です」
。
「あなたの
こころに耳を傾けてください」と言っています。この本を読んで実に多様
なモンテッソーリ教育の実践が存在するということを感じました。その意
味では一つ一つの実践がモンテッソーリ教育に依拠しながらも異なってい
ると言えます。だからこそ教師は、目の前の子どもへの責任を意識しなけ
ればならないのだと思います。
こんなふうに考えるうちに外国のある都市で見学したモンテッソーリ・
スクールのことを思い出しました。そこは「よく洗練された」プログラム
ということで、ある研究者が推薦してくれました。印象に強く残ったのは
教師が常にメモをとっていて、ニコリともせずほとんど口をきかないこと、
教室内は泣いている子どもの声以外はコトリとも音がしないこと、子ども
たちは実に静かに教具に取り組んでいたことです。これと異なる様子の活
発な子どもの姿が目立つ実践も幾つも見学しました。
− 20 −
講演
Ⅲ.終わりに
最後に、今の時代においてモンテッソーリ教育の役割を考える時、モン
テッソーリ教育の環境にあると考えます。つまりそこには今の時代には稀
な、要素の詰まった環境が用意されていると思います。
・大人の子どもへの権威(見えない無自覚な権威も含む)が極力除か
れるよう務めている。
・子どもの生命の力を大切にしている。
・子どもは大人と同じに一人の人間として尊重されている。
・子どもの一人ひとり違う個性が認められ尊重される。
・子どもは自由で主体的に生活できる。
・子どもは一人ひとりの仕方で自分を育てる仕事をしている。
・一人ひとりの今とともに、未来における学びと未来の生を支える力
が大切にされている。
このような環境がどこにあるでしょうか。このことをお子さんを預けて
いる保護者の方々に知ってほしいと思います。そういう意味では、
「モン
テッソーリ教育憲章」のプレートを掲げることもありうると思います。
環境というのは大人が想定する以上の要素を子どもに提供しているのだ
と思います。教師、さらに家庭、社会、文化もそうです。施設の中の環
境に目を向けると、小さな生命、季節の植物、給食室があれば食べ物を料
理する人の姿、食べ物の色や匂い。スペース、時間も大切な環境要素です。
そうした広い環境要素との脈絡の中で教具が提供されることになります。
子どもの実生活との連続性が意識されるべきでしょう。その上でモンテッ
ソーリ博士の次の言葉を忘れないようにしていただきたいと思います。
待ちましょう。そしていつも子どもが経験する喜びや困難を共に分け
合うよう心がけましょう。子どもは私たちの共感を必要としますし、
私たちは、
それに十分に喜んで答えなければいけません。子どものゆっ
くりとした進歩に限りない忍耐力をもちましょう。そして、彼が成功
したら、感激と喜びを見せましょう。
(マリア・モンテッソーリ著/平野他訳『モンテッソーリ 私のハンドブック』)
− 21 −
以上の概要は、長い間細々ながらモンテッソーリ教育論の研究に携わっ
てきた者として、しかも高齢になってしまった身として何か伝えたいとい
う思いで、モンテッソーリ博士の子どもの発見という原点に戻って考えを
述べたものです。うまくお伝えできなかったもどかしさを感じております。
− 22 −
シ
ン
ポ ジ
ウ
ム
子ども一人ひとりのおもいを受けとめる
子どものニーズとおもいに応えるために
第 1 シンポジスト
ヴィタリ・ドメニコ
(カトリック幟町教会主任司祭)
1.一人の人間として子どもを認める
(1)
モンテッソーリは 1951 年 10 月 31 日に小さな論文「忘れられた市民」
において「世界人権宣言」
(1948 年)を歓迎し、第二次世界大戦の体験の
後にその必要性を強調します。しかし彼女は、
「世界人権宣言」が子ども
の権利をわずかしか取り上げていないことを嘆いています。
モンテッソーリの願いは 1990 年に「子どもの権利条約」が国際条約と
して発効されることによって成就します。しかしその条約においてさえ、
子どもは「児童とは、18 歳未満のすべての者を言う」(第 1 条)と述べら
れているのみで、生まれる前の権利については何も認められていません。
あたかも胎児は、その後の子どもの命やその成長とは関係ないかのように
思われてしまいます。まるで子どもたちが天から降ってくるようなもので、
大人が好きなようにすることができると考えられているかのようです。そ
して、体内にいるその生命を生かすか死なせるかさえも、親つまり大人が
好きなように決めてよいようにも受け取れます。
「誕生の後の 9 カ月は母胎外期間としての胎内妊娠期間の延長であり、
(2)
その仕上げの時なのです」。
関連を持ったこの二つの時期によって誕生が完成されていくのです。胎
児には、人間になるためのすべてが整っています。それは人間の力、計画
によってではなく、胎児においてすべて作り上げられるのです。そのため
にモンテッソーリは子どもを人間の父と呼ぶのです。
カトリック教会は家族権利憲章の中で力強く次のように述べています。
「中絶は、人間の生命に対する基本的原理を直接に侵害する行為であ
(3)
る」。
「人間の尊厳を重視する以上、胎児を実験の材料として操作すること
(4)
は断じて許せない」。
「子供たちは、生まれる前も生まれてからも、特別の保護と援助を受
− 23 −
ける権利があり、同様に母親たちも、妊娠中から出産後、適当な時期
(5)
が来るまで、特別の保護と援助を受けなければならない」。
現代世界においては上記の考え方は普通ではないし、古臭いと思われる
かもしれません。ここにもモンテッソーリが指摘する子どもと大人の間の
戦いが現れます。邪魔になりそうな子どもを無視したり、あるいは片づけ
てしまう大人がいます。また彼らは、それを正当化するために胎児はまだ
人間ではないと言っています。それぞれの人間は、実際、大変大きな能力
を持ってこの世に生まれてくると認めなければ、大人中心の教育しかでき
ません。あるいは教育を education - e-ducere 引き出すこと、として考え
たら、本当の教育そのものができないとも言えるでしょう。
「子どもをつくり上げるのは決して私たちではありません。…私たち
大人が偏見をもって自分が新しい命のつくり主だと思ってしまいま
(6)
す」。
「教師の第一の務めは新しい命の人格を認め、それを尊重することに
(7)
ある」。
「それぞれの人間は驚くべき自己調整機能を持っているが、大事なと
ころで大人によって妨害され、きちんと機能しないことがたびたびあ
(8)
る」。
したがって教育は子どもの人格を認め、その豊かな命を援助するために
子どもをよく観察し、妨害になるものを取り除くことにあります。
先日、神戸で小学生の女の子の遺体が発見されました。このように若い
命が絶たれる事が最近あちこちで起きています。もし人間の命が最初の段
階から終わりの段階までどういう形であっても、たとえ認知症の方の命で
も、絶対に尊敬するべきものとして認められなければ、私たち人間はいろ
いろな理屈をつけて、それに対して勝手に振る舞うでしょう。
マリア・モンテッソーリは障害児の教育に積極的に関わっただけではな
く、彼らの教師の養成の仕事もしました。そして、障害児と他の子どもの
間には根本的な違いがないということを教えました。
このように幅広く生命を認めなければ、子どもに対して本当の教育をす
ることはできないでしょう。と言うのは、根本的に“教育は命への援助”
であり、一人の仲間として子どもを受け入れるということだからです。
− 24 −
シンポジウム
2.一人ひとりの仲間として子どもを迎え入れる
自然界では動物や昆虫などが、すべてを子どもや子孫のためにささげて
一生涯を過ごします。自然界は創造主が与えられた法則に従うので必ずそ
のようにしますが、人間は理性と意志を持っていますので、与えられた心
に時々従っていないのです。そのために人間の場合、大人と子どもの対立
が生じます。モンテッソーリはそれを闘いと呼んでいます。子どもたちが
素晴らしい能力を持っているだけではなく、それを発揮させるのにどうし
たらいいかをも示しております。よく観察すれば分かります。そのために
モンテッソーリは子どもを教師と呼んでいます。しかし、大人は自分の考
えと哲学を簡単に諦めないので、それを子どもに押しつけようとします。
「生まれたばかりの人間の赤ちゃんは、引き続き母親に支えられてい
ますが、もっと広くて、刺激のある、人間が実際に暮らす環境に参加
することができるのです。そうすることによって、子どもは、より多
(9)
くの刺激を受けて、自分の可能性を伸ばしていくことができます」。
「子どもの大きな脳は母体から出ることによって、外界からの刺激を
じかに吸収して、文字どおりもっと刺激的に自分を教育し続けていく
(10)
ことができるのです」。
言い換えれば、他の人間が周りにいなければ、子どもは持っている何億
の細胞を活用することができないのです。
「人の歩く様子を目にしたり、話されている言葉を耳にしたりする機
会を与えられないとしたら、いわゆる四足動物の運動能力の範囲を超
えることがないし、咽頭の器官を発声のための素晴らしい仕組みとし
(11)
て使うこともないでしょう」。
そのために、子どもは、素晴らしい潜在力を芽生えさせるために生活の
中でいろいろな人に出会い刺激を受けなければなりません。しかし、その
環境は子どもにとってますます悪くなってしまいました。もうすでにモン
テッソーリは 1951 年 10 月 31 日に次のように書いています。
「文明の発達でだんだん新しい体制によって、環境において大人の生
活がだいぶ良くなったのに、子どもに対して生活体制はますます悪く
なってしまいました。現代では子どもにとっては自然の中の生活も、
親と一緒に過ごす時間も短くなり、自由に動けるスペースが狭くなっ
(12)
て、大人の生活への参加が減っています」。
− 25 −
このモンテッソーリの予言的な言葉は、現代に子どもたちが置かれてい
る状況をよく表しています。生活への援助である教育は、まずその土台を
日常の生活の中に据えなければならないのです。現代の慌ただしい生活の
中で父親たちは子どもたちと過ごす時間が少なく、食事を一緒にする時間
がほとんどありません。さらにいろいろな国々で、同性の方同士の結婚が
認められて、子どもは二人の父、また二人の母を持つということも起こっ
ています。
「今日の社会において、父親の協力なしに、子どもの情緒や社会性の
発達を考えることはできません。子どもの人生のあらゆる時点で、父
親の存在は重要です。同じように、子どもにとって大事なことは、父
親が母親とどのような関係を持っているかということです。二人の関
係が落ち着いていて、調和のあるものであれば、子どもに対して、不
必要にベタベタしたり、いつも自分に引きつけておこうとはせずに、
(13)
大切に見守っていくことができます」。
大人と子どもの間の戦いは、現代のみならずいつの時代でも存在したよ
うです。自然界と違って私たち人間にとっては、子どもたちが邪魔になっ
ているようです。どうしても大人は、自分の生活や活動などを守ろうとし
ます。教会でも礼拝の時に「泣き部屋」を設けたり、どこか教会の隅で遊
ばせたりするのです。子どもたちは説教の内容が分からず、礼拝に参加で
きません。福音書に次のように書かれています。
「人々が幼子を連れて来て、イエスに手を触れていただこうとした。
ところが、弟子たちはその人々をたしなめた。イエスはこれを見て憤
り(indigne tulit)
、弟子たちに仰せになった。『そのままにしておけ。
幼子たちがわたしのもとに来るのを止めてはいけない。神の国は、こ
のような人たちのものだからである。あなたたちによく言っておく。
幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、けっしてそこに入る
ことはできない。
』そして、イエスは幼子たちを抱き、彼らの上に両
手を置いて祝福された」(マルコ 10・13−16)。
マルコは、イエスがひどく憤慨したのを示すために聖書ではめったに出
ていない表現(indigne tulit)を使っています。さらに他の箇所でイエス
は子どもについて次のように言います。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、
− 26 −
シンポジウム
決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子どもの
ようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」(マタイ 18・3−4)。
うるさい、分からないと思われる子どもは、かえって大人には模範にな
ります。モンテッソーリは、子どもを教師と呼んで、人間の素晴らしさを
気づかせる存在だと言っています。現代の社会の中では、大人の都合で、
子どもたちをできるだけ長く保育園や幼稚園などに送って自由に仕事や生
活をしたいという人たちが目立ちます。その結果、親子がほとんど生活を
一緒にしていないことになります。
子どもの教育の話になると、すぐに保育園や幼稚園を考えてしまいます
が、自然界にはそういった意味の施設はありません。確かにマリア・モン
テッソーリは教育についていろいろ考え、自分自身が子どもの家を世界中
に作りました。しかし彼女はあくまでも、子どもの命の支えと発達を考え
ていました。
そのために、1952 年に書いた論文の中で、子どもの教育について悪く
なった幾つかの要素を挙げています。その一つは、子どもが両親や大人と
過ごす時間が短くなったことです。幼児期は何を学ぶかが問題なのではな
く、持っている潜在能力を発揮させて、
「生き方」を学ぶ時です。自然界
と同じく大人の生き方を見て、それを見つけていく時なのです。
3.成長していくものとして子どもを支える
子どもの教育が命の援助として役割を果たすためには、子どもたちがで
きる限り自分で選択し、動き、考え、活動するということを目指さなけれ
ばなりません。
そのためにどうしても人的と物的な環境が必要とされています。動くス
ペースと領域がなければ、また教師から言われることをするだけでは、自
分が持っている力を発揮することはできません。このように子どもが振る
舞うためにはモンテッソーリが指摘したように、現代はその環境がますま
す悪くなってしまっています。
現代の社会は、子どもより大人を中心にして生活が組み立てられていま
す。したがって子どもたちが自由に動いたり選択したりすることができな
いし、子どもたち自身が考える機会も少なくなっています。結果として、
残念なことに、さらに子どもたちがいずれかの幼稚園や保育園や家の中に
− 27 −
閉じ込められてしまっています。
それに気がついた現代の商業社会は子どもたちを狙っています。それは
いろいろな商品を作って、子どもに役に立つものとして売りつけるのです。
かえってその商品は子どもたちに悪い影響を及ぼしています。ポケモンな
どのようなものを作っている会社は教育を全く考えていません。金儲けを
考えているのです。ゲームを作る会社は子どもたちにむしろ大きな害を与
えてしまいます。子どもの決められている能力は周りの刺激と経験によっ
て発達していきます。ゲームやテレビなどは「実際的な体験の大きな欠如
であるから」子どもの発達を妨げるだけではなく「心身に対する病理学的
(14)
な悪影響も」与える。
現代の消費文化の虜にならないように、かえって伝統的な家庭生活の中
で子どもたちがもっと大事にされなければなりません。特に、家族がそろっ
て食事をするのが大切だと思われます。そこは体を養うばかりではなく心
も豊かになる場です。おじいちゃんとおばあちゃんとがいれば、さらに家
庭の歴史にも触れる場になって、子どもにとって力強い場になるのです。
そうするためにはインスタント食品の誘惑に負けないで、やはり時間をか
けて食事を作り、それをいただく間は決してテレビを見ないことです。そ
うすることによって、食卓は子どもにも大人にも豊かな場になります。
「これらの対策に総合的に取り組むことで、食べ物、メディア、アウ
トドアの三つの分野で、子どもの日々の生活の質の向上に大きな影響
(15)
を与えるに違いない」。
モンテッソーリは子どもたちが育つ人的な環境の中で教師の大切な役割
をも指摘しています。彼らの“偉大な使命”を果たすために次のことを指
摘しています。
(16)
「古い服を脱ぎ捨て、新しい服を着るように」。
言い換えれば、過去において自分についてしまったものをふるい落して、
新しい目で子どもを見るということです。そうするためには忍耐をもって
子どもを観察して学ぶ必要があります。
教師は有名な人のまねをしたり、あるいは哲学者や有名教育者の教えに
従ったりしないで、どのように手助けできるかを子ども自身に学ばなければ
ならないとモンテッソーリは言っています。また彼女は、自分を「理想的
(17)
な教師や模範的な者として見てはいけないし、自分をまねてはいけない」
− 28 −
シンポジウム
と言っています。
現代の街は主に大人のためだけに構成された街です。したがって、子ど
もたちは犯罪の被害と隣り合わせで、自由に外に出られません。子どもも
親も安心して暮らすためには、どんなことよりも人の命が大切にされ、あ
らゆる手を尽くして命が守られなければなりません。
そのためには、子どもたちとその教育を最優先するべきで、それらを
経済と商売の的にしてはいけません。今年、ベネッセ関係の名簿にある何
千万人の子どもの名前が流されて商売に利用されてしまいました。また、
待機児童をなくすという理由で保育園の経営を民間に移行しようとする話
が横浜市に出ています。それは絶対に許すべきでありません。会社は主に
儲けを目指しています。教育は子どもの豊かな命と幸せを目指しています。
子どもの幸せを優先するならば、国は全体の責任者として、このことを許
してはいけないでしょう。
注
(1) M.Montessori, Vita dell ‘Infanzia’ O.N.M. 1952 /1(2000), pp.4-7.
(2) S. モンタナーロ『いのちのひみつ』KTC 中央出版、2003 年、48 頁。
(3) ヨハネ・パウロ二世「家庭」カトリック中央協議会、2005 年、189 頁。
(4) ヨハネ・パウロ二世「家庭」カトリック中央協議会、2005 年、189 頁。
(5) ヨハネ・パウロ二世「家庭」カトリック中央協議会、2005 年、189 頁。
(6) M. Montessori, Il bambino in famiglia( 家 庭 に お け る 子 ど も )
Garzanti. 1991, p.44.
(7) M. Montessori, Il bambino in famiglia( 家 庭 に お け る 子 ど も )
Garzanti. 1991, pp.44-45.
(8) S. モンタナーロ『いのちのひみつ』前掲書、16 頁。
(9) S. モンタナーロ『いのちのひみつ』前掲書、47 頁。
S. モンタナーロ『いのちのひみつ』前掲書、47 頁。
(10)
S. モンタナーロ『いのちのひみつ』前掲書、48 頁。
(11)
(12)
M.Montessori, Vita dell ‘Infanzia’ 前掲書、7 頁。
(13)
S. モンタナーロ『いのちのひみつ』前掲書、88 頁。
(14)
S. モンタナーロ「1998 年ワシントン国際モンテッソーリでの講演」。
− 29 −
(15)
J・B・ショア『子どもを狙え!』アスペクト、2005 年、299 頁。
(16)
M. Montessori, Il metodo del bambino e la formazione dell’uomo,
Ed. O. N. M. 2002, p.225.
M. Montessori, Il metodo del bambino e la formazione dell’uomo,
(17)
Ed. O. N. M. 2002, p.226.
− 30 −
シンポジウム
環境に恋する子ども
第 2 シンポジスト
相良 敦子
(長崎純心大学大学院教授)
序:
「おもい」とは
「おもい」という言葉の内実は、何でしょうか? 英語で、フランス語で、
イタリア語で、それに該当する単語はないように思えます。そこで私は、
モンテッソーリが子どもを語る時、二つの次元があることに注目したいと
思います。一つは、
理性の推論によって到達する真理。もう一つは、
「信じる」
という行為によって到達する真理。私は今回、
「おもい」という用語を後
者の次元で捉えて、私の提案を展開したいと思います。
モンテッソーリが生きた時代は、科学の急激な進展によって理性で捉え
る世界の絶対的優位性を主張する合理主義とキリスト教信仰理論が拮抗す
る時代でした。モンテッソーリが生まれる前年、1869 年の 12 月から第一
バチカン(第 20 回)公会議が開催され、この公会議の主要テーマは、「信
仰と理性」
についてでありました。そこで議論され明確にされたことは、
「二
様の認識系列」
、「超自然的真理に対する理性の役割」
、
「信仰と理性の相互
補助」
、
などでした。具体的には、
次のようなことです。
「原理と対象とによっ
て二様の認識系列がある。原理の点からは、自然的理性と神の信仰による
認識とである。対象の点からは、自然的理性によって知ることができるも
のの他に、神の啓示によってだけ知ることができ、信ずべきこととして与
えられる神の秘められた奥義がある。……信仰と理性との間に矛盾はあり
得ない。……信仰と理性とは相反するものだけではなく、相互に助け合う
ものである。……」
。このようなことが明言されなければならない時代背
景の真っただ中にモンテッソーリは生まれ、科学者として、信仰者として、
生きたのです。だから、彼女の著書や話の中には、
「理性的認識」と「信
ずる行為による認識」の二つの次元が織り交ざっています。
そこで私は、
「おもい」という定義しにくい言葉を、モンテッソーリが
「信じる」という次元で捉えた言葉と重ねて本シンポジウムのテーマにア
プローチしたいと思います。
− 31 −
1.恋する子ども
青年期に生涯の伴侶となる異性に対して激しい情熱が迸り出ます。この
激しい感受性と情熱を「恋」と呼びますが、幼児期の子どもも生涯に必要
な能力を獲得するために恋をします。一つは、自分を愛してくれる先生に
対し、もう一つは今必要な経験を可能にしてくれる環境に対し、全力で応
える情熱を燃やします。スタンディングは、「子どもは環境と恋仲になる」
と表現します。
2.恋の情熱
生物学者ド・フリースが発見した「敏感期」は、
他の研究者が発見した「臨
界期」
「発達課題」などと通じる事実です。ところがモンテッソーリは、
「敏
感期」の中に、「燃え上がる炎」のような生命力、愛をともなう情熱を見
たのでした。その情熱と愛を尊重するところにモンテッソーリ教育の特徴
があります。それは、当人だけが内面の奥深くに味わう幸せであり、他者
が介入することのできない厳粛な生命の神秘の出来事であることを強調し
ます。そのことを語るためにモンテッソーリは『幼児の秘密』の中で、次
の箇所を引用しています。
「見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽
きない。……モーセは言った。この不思議な光景を見届けよう。どうして
あの柴は燃え尽きないのだろう。……神は柴の間から声をかけられ、言わ
れた。
『ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っ
ている場所は聖なる土地だから』
」(出エジプト記 3・2−5)。モンテッソー
リは、
「敏感期」という生物学的事象の奥に土足で踏み込んではならない
生命の核心があることを語るために、科学的に論証できる言葉ではなく信
じる次元の言葉を使っています。
3.
「あなたは、どなたですか?」
モンテッソーリは、子どもが、自由意志で選び、自分の知性のリズムで
繰り返し、繰り返しながら集中し、集中した後に、その子の奥底に在った
本来の落ち着き、秩序、社会性、善良さなどが自ら立ち現れるという事実
に何度も出会いました。モンテッソーリの目前に現れたのは、今まで知ら
なかった「新しい子ども」でした。今まで見えていても、その子どもの正
体は見えていなかったのです。モンテッソーリが出会ったのは「未知の子
− 32 −
シンポジウム
ども」だったのです。だから、その前に額ずいて、
「あなたは、どなたで
すか?」と問わねばなりませんでした。そして、「それは、キリストに愛
された幼な子ではなかったでしょうか?」と『幼児の秘密』の中に書いて
います。「幼な子のようにならなければ天国に入れない」と言ったイエス
の言葉どおり、幼な子の中に真理があるのをモンテッソーリは見たのです。
そして、その真理の前にひれ伏したのでした。
世の中には、
「子どもは騒々しく、ものわかりが悪く、上手にできない
存在だ」と思っている人たちがいます。それに対してモンテッソーリは、
子どもは「自由意志で選び」→「自分の知性のリズムで繰り返し」→「繰
り返しながら集中し」→「全力を出し切った後、自分で終わる」という一
連の活動のサイクルを踏みしめると、その子どもの奥底に潜んでいた本来
の善さが自ら立ち現れるという事実を目撃しました。そして、次のように
言います。
「どんなに目の前の子どもたちが騒ぎ回り、無秩序で乱雑で手におえな
いように見えても、やがてその子の奥底から、あの素晴らしい子どもが現
れてくるのを信じなければなりません。そこにはいまだいないけれど、そ
の子の中にはもう一人の新しい子どもがいるのです。そこにはいまだいない
けれど、必ず現れる子どもの高い資質を信じ続けなければなりません」と。
大人が、「子ども一人ひとりのおもいを受けとめる」ためにとるべき基
本姿勢は、子どもの「自由意志」
「知性」を尊重することです。つまり、
自由意志を正しく使って自ら選び、知性を自分のリズムで働かせ、心ゆ
くまで活動できるような状況をまず整えることでありましょう。そして、
「自由選択」→「繰り返し」→「集中」→「新しい子ども」になっていく
ことを信じ、そのプロセスを子どもが自ら歩み抜くのを待つこと、であ
りましょう。
4.幼児の秘密 モンテッソーリは、
「教育の基本原則は、子どもと大人は南極と北極く
らい違うということを知ることです」と言いました。それは当たり前のこ
とのようですが、この当たり前の基本的なことを実は本当に理解していな
いので、大人は子どもを自分と同じように考えて無理な要求をします。そ
のことを蛙とおたまじゃくしの関係のたとえで話しました。
− 33 −
気の狂ったお母さん蛙が、小さなおたまじゃくしに「水から上がっ
て、新鮮な空気を吸い、緑の芝生の上で、体を休めてごらん。そうす
れば、みんな強く健康でかわいい蛙になれますよ。さあ、いっしょに
おいで。ママがいちばんよく知っているから」と言ったとします。こ
のおたまじゃくしは、従順であろうとすれば、まちがいなく死んでし
まいます。しかし、これが私たちの教育の仕方なのです。「ママ、ど
うしてなの?」とおたまじゃくしが聞くと、なぜ干渉してしまうかに
ついてゆっくり考えもしないで、
「ママがいちばんよく知っているか
らよ」と答え、子どもを放っておきます。
このたとえが示すように、大人は所詮子どもを本当に理解することがで
きないのに、そのことを認めないで、良き理解者であろうとし、理解者で
あると錯覚します。 E・M・スタンディングは、
『モンテソーリの発見』の中で次のように言っ
ています。
子どもの創造的知性の神秘に包まれた中心で、何が起きているかは、
子どもの秘密ですから、私たちもそれを尊重しなければなりません。
内面にある創造「センター」は、個人としての部分であり、そっくり
個人に属するものですから、一体そこで何が起きているかを私たちが
心配する必要はありません、と。
モンテッソーリ教育の新しさの本質は、
「運動」に着目したことですが、
スタンディングが運動理論の中で語る「中心と周辺」の原理を用いて、
「子
どものおもいを受けとめる」ことをさらに明確にしたいと思います。
子どもが動いているとき、
「動き」は周囲の大人が観察することのでき
るもので、それは「周辺」ですが、その「周辺」は目に見えない「中心」
と相互作用で動いているのです。でも、
「周辺で正当な活動が現れている
ということが分かっていれば、中心で何が起きているかを教師は知る必要
がありません。なぜなら中心は自然の秘密の一つであり、生命を秘かに創
り出す実験室の一つであるからです」とスタンディングは書いています
(『モンテソーリの発見』エンデルレ書店 336 ~ 339 頁)。
ほとんどの教育研究は、子どもの心の中でどのようなことが起こってい
るかに並々ならない関心を抱き、学ぶ子どもの心を知るさまざまの努力を
しています。そのことは素晴らしいのですが、モンテッソーリの子どもの
− 34 −
シンポジウム
見方には、それと基本的な違いがあります。教師は、子どもの内面の神秘
を究めたいという思いを捨てるべきだと、スタンディングは言います。
私が解釈するのは、モンテッソーリの子ども理解は、理性で証明できる
次元だけでなく、信じることで到達できる次元に目を向けていることです。
子どもが集中しているとき、その子どもの内面で何が起こっているか大人
は知る必要はない。その「中心」に入ってはならない。先に挙げた旧約聖
書に出てくる出来事、
「燃えるが燃え尽きない炎」を見たモーセが、それ
に魅かれて近づくと、炎の中から「近づいてはならない。足の履物を脱ぎ
なさい」という声がした、という場面をモンテッソーリが引用しているこ
とを、ここでもう一度取り上げたいと思います。子どもの中心の部分は秘
密の場所だから、土足で踏み込んではならない、履物を脱ぎ、そこに平伏
すしかないのです。そこは、
いちばん深いところにある「人格」の中核です。
この秘密を尊重することは「人格」に仕えることです。
「子どものおもい
を受け入れる」とは、私たちが立ち入ることのできない聖なる部分を信じ
ることではないでしょうか。
手放しで楽観的に信じるのではなく、
一方で・敏感期に対応した環境
・知性の展開を促す教材
・適切な空間(スペース)と時間、を整え、 他方で、それら周辺に接する「動き方」を ・正確に
・ゆっくり
・して見せる、ことが、
子どもの「中心」つまり「人格」に仕えることになります。
最初に述べたように、モンテッソーリが生まれた頃は、合理主義と信仰
の両者が拮抗し、理性と信仰の関係が問われていました。第一バチカン公
会議(1869 年 12 月~ 1870 年 10 月)では、
「理性」と「信仰」の明確な
位置づけが最優先課題とされるほどだったのです。(第一バチカン公会議
で定義された文書は、第二バチカン公会議(1962 ~ 1965)の文書の中に
継承されています)
。 理性と信仰の関係が問題となった時代に、科学者として、カトリック信
− 35 −
者として、生きたモンテッソーリの著書や話し方の中に二様の認識系列が
あり、自然的理性と信仰による認識の両者が平然と存在していたことは当
時としては当然なことだったと言えましょう。
子どもの「周辺」に関しては、自然的理性で捉えられる科学的根拠に基
づいたさまざまの配慮が具体的に整えられていますが、子どもの「中心」
に関しては、信じる行為で捉える真理が語られています。このような要素
を持つモンテッソーリ教育の実践の場で「子どものおもいを受けとめる」
と言う場合、私たちは、「信じる」という行為によってこそ捉えることの
できる内実があることを見逃してはならないのではないでしょうか。 − 36 −
シンポジウム
今日のモンテッソーリ教育とモンテッソーリ教師
第 3 シンポジスト
早田 由美子
(夙川学院短期大学教授)
一昨年より、日本における体罰や暴力的指導が大きく取り上げられてい
る。モンテッソーリ教育は、このような指導とは真逆のものであり、現在
よりいっそう私たちが学ぶ必要のある考え方である。
1.世界のモンテッソーリ教育事情
まず、世界のモンテッソーリ教育事情について概観する。1960 年代、
ユネスコによる幼児教育に関する調査では世界で最も影響を与えている
幼児教育と位置づけられた。現在、欧米だけではなく、アフリカやアジア、
南米にも広く広がっている。 インドではモンテッソーリが幼稚園の代名詞
(1)
となっており、ネパールでもモンテッソーリが大変な人気を博している。
近年はモンテッソーリの社会的活動や女性運動に関する実績の評価も進
んでいる。モンテッソーリに関する研究は世界中で積み重ねられ、論文の
数はこれまでに優に 15,000 編を数える。モンテッソーリ関連の論文の題
名のみが記されている百科事典大の大型本も出版されている。
(1)
「子どもの家」100 周年記念国際会議
モンテッソーリ教育の広がりは、ローマで 2007 年に開かれた子どもの
家 100 周年記念国際会議でも確認できた。日本からも 100 名以上の方が参
加された会議である。会議では、5 大陸を代表するパネリストが各国のモ
ンテッソーリ事情を話され、ウクライナからの報告もあった。席上、110
カ国 22,000 校でモンテッソーリ教育が行われていると紹介された。また、
モンテッソーリが、障害児や貧しい子どもや低い地位にあった女性など弱
者に対する問題意識を持ち、人間の解放家としての側面を持っていたこと
やモンテッソーリの平和と教育に関する思想も紹介された。南アフリカの
ケープタウンの保育者は、当地に 300 以上のモンテッソーリスクールがあ
るが、50% 以上の地域が貧困とエイズの害にさいなまれており、貧しい階
− 37 −
層の子どもは幼稚園や学校に通えず、学校に行きたくて学校の窓にしがみ
ついて中を見ていると報告された。
貧困層の子どもに長年教育を行っているメキシコの保育者は、移民、麻
薬、エイズ、そして女性の低い地位の問題を指摘し、このような状況を克
服するために必要なことは、
「集中力」
、
「人生の受容」、
「平和性」、
「喜び」、
「関
係性」であると定義し、そのためにモンテッソーリの方法が有効であると
訴えた。
特に南米やアフリカでは、モンテッソーリ教育が貧困層にとっても重要
な意味を持っているのがより鮮明になっていたように思われる。
会議に参加された方々のうち、スペインで学院経営の女性は、幼稚園か
ら中学までモンテッソーリの教育を導入していると話されていた。また、
ドイツのシスターはプロテスタントの多いドイツでもモンテッソーリ教育
が広く普及していると話された。活気にあふれる国際会議で時代を超え、
国を越えて、階層を越えて広がりを持つモンテッソーリの影響力の大きさ
を実感した。
モンテッソーリ教育は、もともと知的障害児の教育から始まり、スラム
の子ども(ローマ)
、低所得者の子ども(アメリカ)、ポルポト政権下のタ
イの難民キャンプの子どもにも適用された。また、誰からも見放されて自
傷行為の絶えなかったエイズ孤児もモンテッソーリ教育を受けて医師が驚
くほど生き生きし始めたという事例もある(ルーマニア)。障害や貧富の
差を問わず、100 年以上にわたって広く影響を与えている。
(2)台湾の「子どもの家」
先日訪問した台湾の園は、創立 50 周年を迎えた園で、30 年前からモン
テッソーリ教育を導入し、オリジナルな教材も多数作成されている。保育
室だけでなく廊下も自由に使用し、どの子どもも落ち着いて平穏な表情で
作業に取り組んでいた。最初の子どもの家の写真には寝転がって取り組む
子どもの姿もあるが、ここでも寝転がって取り組む子どももいた。一方、
正座して取り組む子どももいた。古代からの生物の進化を描いた壁面や天
体の変化が描かれた天井、昼夜で変わる壁面や園児のための午睡用ベッド
ルーム(4 階フロア全部)など設備の面も充実していたが、子どもたちの
穏やかで幸せそうな表情が印象的であった。
− 38 −
シンポジウム
(3)日本の教育問題
一方、現代の日本では、体罰、暴力、いじめ、そして、家庭では虐待、
子どもの貧困などの問題がある。2013 年は 7 万件以上の虐待件数を数え、
日本の相対的貧困率、特に子どもがいる現役世帯のうち大人が 1 人いる世
帯の相対的貧困率は OECD 加盟国 30 カ国中、最も高い。相対的貧困率と
は国民の平均所得の半分に満たない人の割合であり、2012 年度の貧困基
準は 122 万円である。それに満たない家庭が多くあるということである。
17 歳以下の子どもの貧困率は 2012 年 16.3% であり、過去最悪を更新した。
また、教育への公的支出が少ない。2010 年の日本の国内総生産(GDP)
に占める教育機関への公的支出の割合は 3.6% で、加盟国 30 カ国中、最下
位であった。最下位は 4 年連続である。その結果とも言えるが、
〈子ども
1 人あたりの保育室の面積〉の基準は、米、英、仏、独、スウェーデン、ニュー
ジーランド、日本の 7 カ国中、日本が最も低い。3 歳児以上の一人当たり
の面積はストックホルムの 3 分の 1 以下であり、0 歳児は一人当たりの面
(2)
積もストックホルム(7.5 ㎡)の 2 分の 1 以下の 3.3 ㎡である。
このように日本の子どもを取り巻く情況はあまりよくないことが分か
る。しかし、モンテッソーリの思想形成した時代のイタリアでも子どもを
取り巻く多くの問題が存在していた。
(4)モンテッソーリの問題意識
モンテッソーリの教育活動は社会的問題や社会的弱者に対する思いを基
盤にしている。特に、①障害児 ②性差別 ③下層の子ども(階層格差)に
ついての問題意識である。
①障害児の問題 20 世紀はじめイタリアでは、知的障害児は精神病院に入院させられて
いることが多く、遊び道具もない殺風景な部屋に閉じ込められて一日を過
ごしていた。発達を促したり、知的関心を呼び起こしたりするような刺激
はほとんど与えられていなかった。そのような中、モンテッソーリは、知
的障害児に教育の可能性を主張した。
②性差別の問題 女性が教育を受ける機会や賃金で差別される中、モンテッソーリは同一
労働、同一賃金を早期に主張した(1898 年)
。また、
「子どもの家」を「子
− 39 −
育ての共同化」や「社会化された家庭」と位置づけ、就労と家庭の両立を
支援しようとした。
③下層の子どもの問題 モンテッソーリは、下層の子どもが就労しながら通学することも多く、
仕事で疲れて注意力や理解力不足になり、学校では十分な力を発揮できず
教師に罵倒され罰せられるという悪循環の中に生きていることを指摘し
た。下層の子どもの学校での不利は「子どもの家」創設以前から継続的に
指摘している。「社会的悲惨の中で生きる者を見下げたり、罰したりする
(3)
ことは正しいであろうか」(1904 年)
と述べ、子どもの不利を教育の場
で個別に補償し、縮小することを提唱した。
まとめ
障害児、女性、そして階層の問題の認識がモンテッソーリの思想の根底
にある。ひと言で言えば、
「疎外の問題」である。そして、それを解決す
るものとして教育の重要性を認識した。
「子ども一人ひとりを受けとめる」
には子どもの背後にあるもの、家庭の問題や社会的背景をも受け止め、理
解する必要があるということではないかと考える。昨日、前之園会長も講
演で指摘された、モンテッソーリが持っていた、虐げられているものへの
救済という視点とも言える。この視点に基づいているからこそモンテッ
ソーリは今日もなお世界に広がっていると思われる。
2.モンテッソーリ教師の心得と準備
次に、
「子ども一人ひとりのおもいを受けとめる」教師とは、どのよう
な教師か、これはよく知られている内容だが、モンテッソーリの言葉から
原点に立ち返って探ってみたい。
(1)子どもをしっかり観る
①自由と観察
まず、モンテッソーリは「学校は子どもの自由で自然な表出(libere
(4)
manifestazioni naturali)を許さなければならない」、
「観察の教育学的
方法はその基礎として子どもの自由(libertà)がある。自由とは活動性
(5)
(attività)である」
と述べて、子どもが自由な活動をする中での観察を
− 40 −
シンポジウム
大事にした。
②子どもとの受容的な関係
また、「愛する人だけが、真にものを見る人なのである。また、そのよ
うな人だけが、子どものデリケートな心の動きを見ぬき、理解できるので
(6)
ある。子どもは、このような人の前では、真の本性を打ち明かします」。
このように述べて、子どもを愛情深く、受けとめながら観察することの大
事さを指摘している。大人でも自分を分かってくれようとする人の前では、
自分を出すことができるようになるものである。
(2)子どもの自発的活動を援助する
「われわれの教育方法の最大の勝利(最も良いところ)は子どもの自発
的進歩(progresso spontaneo = spontaneous progress)をもたらすこと
(7)
である」。
「幼児教育の目的は子どもに教養を与えるのではなく、知的、
精神的、身体的個性の自発的な発達(sviluppo spontaneo = spontaneous
(8)
developmemt)を援助することである」
と述べ、子どもの自発的な活動を
援助するという基本的な考え方を何度も示している。
そして、大人は「補助的な立場(un posto secondario)」、「子どもの生命
の追随者(seguace)
」
、
「援助者(aiuto)
」として子どもを理解しようと努
(9)
力する必要があるとした。
「教育者は、
生命(vita)を深く崇拝し、尊重し、
(10)
子どもの生命の正常な展開に対する生きた援助をしなければならない」、
「われわれが、従属的になっている子どもを導くことから一歩一歩身を引
き、われわれの影響から子どもを《自由》にしながら、そしてその子に合っ
た環境で発達のきっかけに出合わせることを用意して、その子自身の知性
(la sua propria intelligenza)を信頼して任せる。そうすると、その子の活
(11)
発な活動性ははっきりした行動となって展開する」
と述べ、子どもの自
発性と知性を信頼し、大人は一歩下がって援助する姿勢を示している。
『幼児の秘密』の中に次のようなエピソードがある。1 歳半くらいの子
どもが、たたんであるナプキンの山から一枚ずつ折り目を崩さないように
ナプキンを取り出し、部屋の反対側の隅に運んでおく作業を繰り返し、ナ
プキン運びが全部終わったら、また、一枚ずつ元の所に戻し、満足したと
(12)
いうものである。
子どもは「すでに自分なりの目的を持って活動」していると捉え、大人
− 41 −
の価値観では図れない子どもの目的や自発性を理解することの大事さをこ
の事例を通して示そうとしたと考えられる。
(3)環境を整備する
その上で積極的に環境を整備する。6 日の阿部真美子氏の講演では、子
どもを人間として尊重する場としての環境であり、ストレスの高い現代に
はまれな環境と位置づけられていた。その環境を六つの視点から整理して
みる。
①自発的活動を可能にする環境 「教育における子どもの自由に関する誤りは、適切な環境の準備をする
(13)
ことなしに、大人から仮の自立をさせようとする点にある」。
モンテッソーリは、このように述べて適切な環境の準備と子どもの自
由はセットになっていることを示している。その環境とは「自発的活動を
(14)
(15)
可能にする環境」、
「活動のための動機が豊富な環境」
であり、
「その
(16)
子に合った環境で発達のきっかけに出合わせることを用意」
(すること)
とされている。 そして、
「私たちは知的教具を用いて、知性を発達させるための作業能
力を与えるのである。しかし、この教具はいわば発端にすぎません。なぜ
なら、教具を用いて行う手先の作業は、子どもの知識を秩序づけ、正確な
(17)
知識を与え、
自主的な精神的活動に導いていくからである」
と考えている。
このように手先を用いて行う作業を中心に、子どもたちが自ら自発的に
行動できるような豊かな環境の整備が目指される。
②没頭できる環境
「
《動くことに自由な》子どもは動きながら自分を完成するのだが、動く
ことの中に知的な目的(scopo intelligente)を持っている。すなわち、《内
的パーソナリティを発展させることに自由な》子ども、一つの作業に長い
間没頭し 、 そのような基本的現象の上に立って自分を構成していく子ども
は、知的な目的に支えられ導かれる。知的な目的なしには、作業を続ける
(18)
ことも内面の形成も進歩も不可能となるであろう」、
「子どもの正常な本
性の発露を助長する最も重要なものは外界の任意の物である作業に心を集
(19)
中する活動である」
と述べ、没頭できる環境、集中できる環境の重要性
を示している。
− 42 −
シンポジウム
③内面的欲求と関わって創られた環境
「文化財は、言葉ではとうてい伝達できないものである。なぜなら、子
どもは、この文化財を体験によって得ているからである」
。
「文化財は、子
どもの精神に達する方法で、また、子どもが作業に深く没頭し、感動しう
る方法で、子どもの内面的欲求にかかわって創られたものでなければいけ
ません。子どもの関心は、自分を発見するという可能性のあるものにのみ
(20)
向けられます」
と述べている。
子どもが没頭でき、感動でき、内面的欲求を満たすことができ、自分を
発見できるような環境を作っていくということである。
④失敗の検証
「環境を構成するすべての対象物には、失敗を検証できるという共通の
特質があります。われわれは、子どもが単に衝動で行動するのではなく、
自分をよりよくしようと努めるものだと信頼しているので、適確な行動の
実現は、対象物の『失敗の検証』によって導かれるようにしている。子ど
もは世界の発見者となり、ますます徹底して、自分の発見したものを利用
(21)
しようとします」
と述べて、失敗を自ら検証できることを重視している。
⑤識別、選択、判断、注意、比較などを行える環境
「教具は物の相違を識別し、選択し、判断したり、訂正したりすること
へと導くのである。このようにして得られる成果は内面的《成長の原動力》
(22)
であるだけではなく、進歩への推進力となる」。
このように、識別、選択、比較、判断といった作業とそれに没頭するこ
とが成長、進歩の原動力であると捉える。
⑥感覚練習ができる環境
「感覚練習は自動練習(autoesercizio)であり、何度も繰り返されると、
(23)
子どもの心理的感覚的活動の完成に導く」、
「さまざまな感覚を個別に
訓練する子どもは、注意を集中し、精神活動を少しずつ発達させる。それ
は個々に準備された運動によって筋肉の活動を訓練するのと同じである。
これらの知的訓練によって単に心理的感覚的であるだけでなく、諸観念の
自発的連合、明確な知識から導かれる推論、そして、調和とバランスの取
れた知性への道を準備する 。 それらはあの知的爆発をもたらす導火線とな
(24)
る」
と述べている。
感覚練習を通して、知性への道が準備されるという考え方である。
− 43 −
〈集中現象〉
このように子どもを受けとめ、良い環境を整備した結果、子どもの集中
現象(concentrazione)が発見された。
注意力の集中現象(il fenomeno di polarizzazione dell'attenzione)につ
いてはいろいろな記述がある。よく取り上げられるのは、3 歳ぐらいの女
児が、木製の円柱差しに長さや太さの異なる円柱を入れたり出したりする
作業に熱中した事例である。
「女児は注意力を集中し始めると、モンテッソーリが試みに、その子を
椅子もろともテーブルに置いたり、側で他の子どもたちに合唱させたりし
ても熱心に仕事を続け、心ゆくまでこの作業を繰り返し(44 回)、終わる
(25)
と心からの満足感を表した」というものである。
また、集中した後の子どもの様子に関して、次のように感動的な子ども
の姿が記されている。
「突然、その子は作業を止め、澄んだ目をあげてうれしそうに、にっこ
り笑った。肩の荷が下りたように、まるで十分休息した後のように見えた。
その子は子どもたちが満ち足りた眠りから目覚めた時のように、にこにこ
(26)
していた。この時以来、……」。
「集中して仕事を終えた時の子どもはいつも、安らぎ、また心の奥底で
活力を与えられたかのように見える 。 子どもの特性のよりよい面が現れる
ので、心の中で隠れていた力を発揮する道が開かれたようである。そして
子どもはすべての人に心を開き(affabili)
、喜んで他人を助け、良くなり
たいという願いでいっぱいになる。
(中略)秩序の観念、性格や知的感情
的生命(vita intellettuale e sentimentale)の発達はすべてこの神秘的で隠
(27)
れた源泉から生じるのだということが明らかである」。
集中現象については、あまり紹介されていないが別の記載もある。
「子どもは簡単に深い隔絶の姿勢(un’attitudine di profondo isolamento)
になる。そして、自らの中に、力強く落ち着いた特性、周りを照らす愛情
を形成する。このような姿勢から、自己犠牲、規則正しい作業、従順、と
同時に生きる喜びが生まれる。それは岩場の中からほとばしる泉のように
清らかである。その周りで生活しているあらゆる子ども(creature)にとっ
(28)
ての助けとなり、喜びとなる」。
この姿を「深い隔絶」と称するのは、集中して自分の中で完結した姿を
− 44 −
シンポジウム
見せるからであるが、それで他を寄せつけないのではなく、自立している
からこそ周りを照らすような温かい愛情を形成することが示されている。
そして、このようにして発見された「真の建設的で活動的そしてダイナ
(29)
ミックなエネルギーは、数千年もの間、気がつかれないままであった」
と指摘している。
最初の「子どもの家」(2007 年筆者撮影)
モンテッソーリの子どもの発見は階層や性別、国籍を問わない多くの子
どもにとって共通に獲得しうる能力の発見であった。整備された環境の下
で、子どもを自由に活動させて、先入観なしに観察することによって子ど
もの知的能力や集中力は発見された。子どもを十分に受けとめながら、子
どもの社会的背景も理解しながら環境を整備することに努力したからこそ
世紀の発見がもたらされたと言えよう。 整備された環境は最初の
「子どもの家」
の環境にも反映されていた。また、
訪問した台湾の園では、教材教具をしまう工夫が凝らされた棚が設置され、
それによって各種の教材の整理が明確な形で行われ、「活動の動機が豊か
な環境」を支えていた。
終わりに 最後に、マハトマ・ガンジーがロンドンの「子どもの家」で出会った子
どもについて触れる。インドの独立を支え、非暴力を訴えたガンジーは、
− 45 −
1931 年にロンドンの「子どもの家」を訪問した。そこで、子どもたちの
様子に大きな衝撃を受け、その感想をガンジーは次のように述べている。
「ここロンドンで彼女と彼女の子どもたちに会うことを待ち望んでいた。
私にとっては、これらの子どもたちが静寂の徳(virtù del silenzio)へと
導かれるのを見るのは、言葉にならないほどの喜びである。その香り高い
平和(profumata pace)の中で、子どもは教師によるほんの少しの誘いに
応えて進む。そのリズミカルな動きを追うのは言葉にできないほどの喜び
(30)
である」
。
(1931 年)
「静寂の徳」へ導かれ、
「香り高い平和」の中で活動するこのような子ど
(31)
もの姿に影響を受け、ガンジーは後の思想形成をしている。
心の内側から平和性が育つ。そのような子どもの姿を見られるのは本当
に幸せなことであるが、もし見られないとしたら大きな損失である。見ら
れるのは、子どもを受けとめ、豊かな環境を整備した結果と言える。心の
奥底から平和に生きる人を育てたいものである。
注
(1) 南多恵子、大野典子「ネパールにおける保育、幼児教育の現状と課題
『京都光華女子大学 研究紀要』
-ポカラ市の事例調査を通して-」
第 51 号、2013 年。
(2) 定行まり子他「機能面に着目した保育所の環境・空間に係わる研究事
業 研究結果の概要」社会福祉法人全国社会福祉協議会、平成 21 年
3 月。
(3) Montessori, M.,“Influenza delle condizioni di famiglia sul livello
intellettuale degli scolari-Ricerche d ’ Igiene e Antropologia
Pedagogiche in rapporto all ’Educazione”in Rivista di filosofia e
scienza affine, Bologna, 1904, p.282.
(4) Montessori, M., Il metodo della pedagogia scientifica applicato
all ’ educazione infantile nelle case dei bambini,(Roma:Max
Bretschneider, 1909), p.15. M. モンテッソーリ『モンテッソーリ・
メソッド』阿部真美子、白川蓉子訳、明治図書、1974 年、18 頁 。
Ibid., p.63. 同上、71 頁 。
(5)
− 46 −
シンポジウム
(6) P. オスワルト、G. シュルツ - ベネシュ編『モンテッソーリ教育学の
根本思想-モンテッソーリの著作と活動から-』平野智美訳、エンデ
ルレ書店、1974 年、35 頁。
(7) Montessori, M., Il metodo,op.cit., p.180. M. モンテッソーリ『モンテッ
ソーリ・メソッド』前掲書、183 頁 。
(8) Ibid., p.182。 同上、185 頁。
(9) Montessori, M., Il segreto dell ’ infanzia,(Milano,Garzanti,1999
(1938)), p.100. モンテッソーリ著『幼児の秘密』中村勇訳、日本モ
ンテッソーリ教育綜合研究所、2004 年、103 頁。
(10)Montessori,M., Il metodo,op.cit., pp.75‐76. M. モンテッソーリ『モン
テッソーリ・メソッド』前掲書、85 頁 。
(11)Montessori,M., L’autoeducazione nelle scuole elementari, (Milano,
Garzanti, 1973 (1916)), pp.171-172.
(12)Ibid., p.112.
(13)Ibid., p.262.
(14)M ontessori, M., La scoperta del bambino,(Milano,Garzanti,1984
(1948)), p.50.
(15)Montessori, M., La mente del bambino,(Milano,Garzanti,1991(1949)),
op.cit., p.203.
(16)Montessori, M., L’autoeducazione , op.cit, pp.171-172.
(17)P. オスワルト、G. シュルツ - ベネシュ編、前掲書、33 〜 34 頁 。
Montessori, M., L’autoeducazione,op.cit., pp.171-172.
(18)
(19)Montessori, M., Il segreto , op.cit., p.189. M. モンテッソーリ著 鼓常
良訳『幼児の秘密』国土社、1981(1968)年、162 頁。
(20)P. オスワルト & G. シュルツ - ベネシュ編、前掲書、33 〜 34 頁。
(21)
同上。
(22)Montessori, M., L’autoeducazione, op.cit., pp.171-172.
(23)Montessori, M. Il metodo,op.cit., p.177. M. モンテッソーリ『モンテッ
ソーリ・メソッド』前掲書、180 頁 。
(24)Ibid., pp.360-361. 同上、287 頁 。
(25)Montessori, M., L’autoeducazione, op.cit., p.62.
(26)モンテッソーリ著夙川幼児教育研究所会『こども 教育の再建』エン
− 47 −
デルレ書店、1986 年、22 〜 23 頁。
(27)Montessori, M., Il bambino in famiglia,(Milano,Garzanti,1991), p.64.
(28)Montessori, M., La mente , op.cit., p.272.
(29)Ibid., p.3.
(30)Giovetti, P., Montessori, (Roma,Mediterranee,2009), p.81.
(31)拙稿「モンテッソーリとインド(1)-ガンジーの教育思想への影響
を中心に-」
『夙川学院短期大学 紀要』第 41 号、2012 年。
− 48 −
シンポジウム
未知との遭遇
第 4 シンポジスト
松川 和照
(イクソス会理事長)
序:モンテッソーリ教育との出会い(自己紹介)
私は、出身は北海道です。大学を卒業後、神学校に入学のために上京、
神学生 2 年目に牧師不在の大船ルーテル教会に派遣されました。1967 年
に保育園を開所、園長に就任しました。68 年 3 月に神学校を卒業し、同
教会の牧師に就任、2000 年に社会福祉法人イクソス会(神の子救い主
イエス・キリスト ΙΧΘΥΣ)を創設し、現在に至ります。
大船に着任後、間もなく児童福祉施設で聖書学校を開設しました。そこ
の副園長が、モンテッソーリ教育を学んでいて、同教育の素晴らしさを紹
介されました。
1.乳児から始まる宗教(倫理)の敏感期
保育園で乳児を観察した時、旧約聖書創世記 3 章の「罪を犯した後のア
ダムと女の姿」
(※ - 1)と同じ行為があることを発見しました。
乳児は誰にも教えられないのに、生まれながら知っていた出来事でした。
あまりにも彼らと同じ反応をしていたのでした。当然と言えば、当然です
が、私にはこの発見は誠に未知との遭遇でありました。
キリスト教では、
「原罪を有する肉は実罪を犯す。例外はいない」と言
われ、分かっていたのですが、幼い子どもの姿を目の当たりにした時、彼
らにどうしたら、人生の基である「善・悪」を伝えることができるのかと
考えさせられました。そのとき、
モンテッソーリの育児の中での敏感期(※
- 2)があることに気づいたのでした。
※-1
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。
アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主な
る神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなた
− 49 −
の足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わ
たしは裸ですから。
」神は言われた。
「お前が裸であると誰が告げたの
か。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
(創世記 3・8-11)
※-2
育児の中での敏感期
モンテッソーリは、新生児から始まる子どもを観察し、デ・フリー
スと同様の発見をした。そして、その時期を「敏感期」と名付けたの
である。この「敏感期」は、今日においても、子どもにかかわる保育
者にとって重要な幼児期の現象として注目されなければならない。
モンテッソーリの発見の意味は、新生児が生まれながらに、自らが
内発的に求める強い感受性を持っていることについてであった。この
感受性は、新生児が人として成長していくとき、肉体的な成長は言う
に及ばず、コミュニケーションの手段としての言動の発生や、話しこ
とば、読みことば、書きことばへの発達に大きく関係していく。
(
『モンテッソーリ教育用語事典』K. ルーメル監修「成長と敏感期」)
この発見は私の保育観をモンテッソーリ教育へと向かわせていきました。
2.教師の都合によらない保育
この頃、園児をめぐって一つの問題が起こりました。
それは、障害をもった子どもを引き受けた時でした。幼稚園でベテラン
と言われていた教師が、私どもの保育園で年長クラスを受け持っていまし
た。この教師は、
この子が多動性の障害で、
クラスをかき乱していると、常々
発言していました。園長は保育の使命として、そういう子どもにも配慮す
るべきと説得していましたが、卒園の準備ができないとこぼしていました。
とうとう 3 学期を迎えた頃、同教師は密かに親を呼び、事情を説明して、
自発的退園としていただいたのです。
このことを後で知った園長は、子どもの立場より保育者の都合で決める
保育(年齢別のクラス編成)のあり方に大きな疑問を抱きました。私たち
はもっと、
「子ども一人ひとりのおもいを受けとめる」の心をもって、教育・
− 50 −
シンポジウム
保育をしなければならないと決心したのであります。
3.祈りで始まる保育園
乳児には、長い一日の生活で両親に朝は「おはよう」の挨拶をするよう
に、世界の創造主である神に同様な挨拶を、と教師は教えていました。こ
れは 1967 年の保育園設立以来行ってきていました。ですから、幼い子ど
もたちはパパ、ママと単語を覚えるのと同様に「アーメン」の言葉も自然
に身に付いていました。
具体的には、言葉がよく発せられない時には教師が易しい言葉で祈り、
乳児はアーメンのみ、成長するにしたがって成文化した祈りを繰り返して
いくという形です。
また教師は、「よい事」
(善)
(※ - 3)のみを教えるのに細心の注意を
払います。また、1 〜 2 歳児になると「サークル」と名づけた簡単な礼拝
を行い、「よい」(善)ことの意味を伝えます。3 歳児以上は、毎朝、礼拝
室でイエスの生涯や旧約聖書物語の聖書物語を中心にした幼児礼拝を行っ
ています。3 年をかけて話しています。
ところが、どうしても創立以来の教師主導の保育には限界があることが
分かりました。
※-3
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、
誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
(ガラテヤの信徒への手紙 5・22-23)
4.モンテッソーリ教育の保育園へ
1971 年に、当保育園は 60 名定員から 150 名に大増員しました。あまり
にも乳児入園希望者が多かったからでした。この乳児定員の増加で、当保
育園の保育に大きな転換を迎えました。
開園当初は、0 ~ 1 歳(乳児)が 12 名でしたが、改増築後は、66 名と
大幅増になりました。ということは、今までの保育体制では対応できない
ことが分かり、根本から練り直すことになり、多人数の乳児を多人数の保
育者で組織的に取り組みました。
(※ - 4)
− 51 −
ここで、はじめて本格的に、乳児保育に取り組み、前述の乳児の宗教教
育の実現のために動き出しました。0 歳児の多くは、成長が早く日常生活
も繰り返しの連続であり、長時間保育園で過ごすなどの条件が整っていた
故に、毎日の食事やおやつの時などに保育者と一緒に手を合わせて祈るこ
とを学びます。この繰り返しが、日常の姿としてあり、1 歳児、2 歳児へ
と蓄積されていきました。もちろん 3 歳児になりますと毎日礼拝堂に集ま
り、30 〜 40 分の礼拝をします。
創造主の神への礼拝で 1 日が始まるのです。子どもたちには乳幼児期よ
りキリスト教の雰囲気の中で宗教(聖書に照らしての善悪の判断力)を学
んでいき、人生の礎を据えていきます。キリストによる隅の親石(マタイ
21・10)であります。
なぜなら、宗教教育は乳児から始め、年齢とともに深まっていくことが
分かりました。早期教育と呼ぶものでありました。
こうして、独自の宗教教育が熟成していきました。しかし、園長の意図
するものがモンテッソーリのそれと同じものであるか否かの確証はありま
せんでした。
一方、保育園職員は 2 ~ 3 名ずつ上智モンテッソーリコースに通学し、
保育園全体の職員体制を整えていき、宗教教育の一層の充実を図りました。
そこで私は、ルーメル先生にお会いしたのです。本当に長い間、ルー
メル先生にお世話になり、教えていただきました。よくカトリックの神
父とルーテル教会の牧師と、どこに接点があるのかと言われました。私
は確かに神学的な立場では、多少難しい面があるかと思います。しかし、
「子ども」の視点に立ちますとき、共通の場に立っていることを教えられ
ました。そして、保育者全体がそのことを認識していなければ(それが
モンテッソーリの神の平和だと思います)、子どもが正しくは育たない。
そしてまた、集中化現象も起きない(時間的なことがあるので理論的な
ことは全部避けますが)、教具への取り組む心も起きないと今でも信じて
います。
※-4
幼児の宗教教育
小さい子どもには、神の創造のわざに参与している側面がある。子
− 52 −
シンポジウム
どもは自然によって導かれ、自然の発達法則を内部に秘めている。0
歳~ 3 歳までの乳幼児は、周知の通り無意識的に環境を吸収する。こ
うした人間の傾向性は、宗教教育においても大きな意味を持つ。子ど
もは、
環境との強いかかわりあいの中で―モンテッソーリはこれを「環
境への愛」と呼ぶ―内的な衝動、自然の恵み、生命の基本的な感受性
によって宗教の感性を発達させる。
(
『モンテッソーリ教育用語事典』K. ルーメル監修「宗教教育」より一部抜粋)
5.モンテッソーリ教育の評価
コース学習人数の増加は、0 〜 2 歳児担当職員への配置につながります。
当然、礼拝だけでなく、副教材の提供、初期段階の日常生活、感覚教具
の提供がなされました。前述のごとく、保育園にはたっぷりと時間があり
ます。すると、子どもによって個人差はありますが、前述の宗教教育同様
に多くの子どもが自ら関心を示し、今日も教具に向かいます。
子どもに教えられることが多くありました。最も特徴的なことは、1 〜
2 歳で教具の提供を受けて成長した子どもたちは、3 〜 5 歳児になると、数、
言語、文化などに積極的な取り組みがあることが分かりました。
教師側から見ると、3 歳になって改めてモンテッソーリ教育に取り組も
うという構えた姿勢はなく、自然に進んでいく学習効果は大きいと信じて
います。
6.モンテッソーリ教師の養成
さらに 2000 年に待機児童解消に協力して新保育園を開設し、続けて 4
保育園を開園しましたので、モンテッソーリ教師の絶対数が不足し、かと
言って保育を打ち切って多数の職員が通学することは不可能でしたので、
モンテッソーリ教育の危機を感じました。
最終的にはモンテッソーリ教育の修了教師を組織的に養成しなければ
と、この 4 月から私たちの一保育園の保育室(ホール)を解放して、東
京モンテッソーリ教師養成所の先生方をお招きし、同カリキュラムで理論
コースを月に二回、そして夏には実践コースの特訓をやらせていただいて
います。そうして、なんとか多くのモンテッソーリ教師を養成しています。
− 53 −
7.平成 27 年度の新制度に向かってのモンテッソーリ教育
昭和 40 年代に幼稚園が学校教育の提唱する生涯教育に組み込まれ、幼
稚園から大学までの教育になりました。平成 27 年、子ども子育て三法に
基づき「子どもの視点」に立った新しい制度が始まろうとしています。
私たちは、子どもの立場に立った子どもの教育・保育を実践すべきであ
ると思います。もう大人の都合による時代は終わるべきだと思います。決
して古くはありませんが、1967 年に園長に就任以来の疑問ですが、どう
してもっと子どもの視点、換言すると、もっとモンテッソーリの視点に立っ
て保育をしないのかと思っていました。経営の問題があるかもしれません
が、子どもに最善のものを提供することが大人の義務・愛と思います。
ここで国が初めて、子どもの視点に立って考えていこうとしています。
幼稚園とか保育園という垣根を取り払い、新しい視点で日本という国も
やっと世界の仲間入りをする時代になってきたんだな、と私はうれしく
思っています。
ここに至るまで、いろいろな紆余曲折がありました。まだまだ分から
ない点、不備な点もあるでしょう。ですから、私は聞かれますと、「今ま
でとは違うのだよ」
、と答えます。狭い視野の中ではなく、神から頂いた、
そして神に預けられた子どもたちのために、
〈子ども一人ひとりのおもい
を受けとめる〉という今年のテーマはありがたいテーマだと思います。私
たちが率先してモンテッソーリ教育を通して応えていかなければ、日本の
将来は、そして日本の子どもたちは本当に救われないでしょう。幸せにな
れないでしょう。希望を持てないでしょう。それでは、モンテッソーリの
言う神の平和は子どもたちに実現しないと思います。
8.終わりに「未知との遭遇」
シンポジストとしてもモンテッソーリ教育に携わる者としても力不足の
松川でした。その上、文書として残すことが決まっていると教えられた時、
未知との遭遇として伝統的な年齢別保育から「子ども一人ひとりのおもい
を受けとめる」(第 47 回全国大会テーマ)モンテッソーリ教育が、日本、
これからの未来に向かう「未知との遭遇」をも意味しているものと勝手に
解釈しています。
− 54 −
シンポジウム
司会者としての報告
甲斐 仁子
(東洋英和女学院大学大学院教授)
学会テーマ「子ども一人ひとりのおもいを受けとめる」に即して、最終
日に企画されたシンポジウムは、本学会を締めくくるにふさわしい会員 4
名によって構成され、シンポジスト「一人ひとり」から提言がなされた。
シンポジウムの一般公開は、開催地の特色を考慮した学会初の試みであっ
た。開催地横浜は、待機児童ゼロを果たしたことで全国の注目を集めてお
り、多くの保育施設が存在する地域である。開催実行委員会においては、
質の高い乳幼児教育に向けたモンテッソーリ教育の意義を一般に知っても
らう必要性も指摘された。また、本学会未加入でモンテッソーリ教育を取
り入れている園の存在も確認されており、モンテッソーリ教育に関する学
びの場として提供する意義を見いだし、学会会員外対象の公開に至った経
緯がある。
「一人ひとり」について
今回のテーマは「一人ひとり」と表記されているが、別表記として「一
人一人」がある。表記「一人一人」は、現行「文部科学省 用字用語例」
に記載されている常用漢字表に準拠しており、文部科学省刊行物および地
方公共団体などの公用文において使用されている。また、NHK の『新用
字用語辞典』では「ひとりひとり〈一人一人〉
」とも記されている。日本
新聞協会出版の『新聞用語集』などでは「ひとりひとり」という表記も見
られる。教育界において個性化や多様化が重視されていった動向や経緯を
考慮すれば、同じ漢字を繰り返す「一人一人」から「一人ひとり」という
新たな表記が一般的に流用されるようになったことも理解できることでも
ある。
1987(昭和 62)年 8 月の臨時教育審議会答申の総括において、「個性重
視の原則」の確立が示された。
「画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個
人の尊厳、自由・規律、自己責任の原則」の確立である。この解釈において、
「一人一人の可能性を伸ばす」
「個性を生かす教育」
「自己実現」が注目され、
− 55 −
学校教育で扱われるようになっていった。1989(平成元)年度「我が国の
文教施策」では、初等中等教育の生涯学習の基盤を培う観点に立ち、幼児
児童生徒の一人一人の個性をより一層重視、個性の伸長を図り、多彩な才
能を育む異を目指した教育内容の改善充実が強調された。このような傾向
に伴って、自己教育力の育成の重視(思考力、判断力、表現力などの能力
育成を教育の基本に据えた創造性の基礎を培うための論理的思考力、創造
力、直感力の重視)
、児童生徒一人一人の個性教育が推進されてきた。
上記の動向を受け、保育・幼児教育内容にも「一人一人」の表記が見ら
れるようになる。
「園児一人一人」
「幼児一人一人」などの具体的表記は、
「幼稚園教育要領」では 7 カ所、
「保育所保育指針」では 40 カ所、さらに、
2014 年 4 月に施行された「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」で
は 24 カ所となっている。さらに、
これらの要領や指針において「一人一人」
が主語として表記された範疇を捉えると、主に以下の内容を挙げることが
できる。
・特性や発達、発達の課題、発達過程やその連続性
・行動の理解(主体的な活動、計画的環境構成、心身の発達の個人差)
・状況(生活の仕方・生活のリズム・生活の展開・在園時間・成育歴)
・健康状態、発育・発達状態の的確な把握、健康保持及び増進
・主体的な活動・自発性・探索意欲を高める
・一人一人を生かした集団の形成、自己発揮、個別的な計画作成
・興味や欲求を十分に満足させる適切な援助
・必要な体験の獲得・遊び
「おもいを受けとめる」について
「一人一人」の表記とは異なり、同じく本学会テーマ「おもいを受けと
める」の具体的表記は、「保育所保育指針」
「幼稚園教育要領」
「幼保連携
型認定こども園教育・保育要領」に見いだすことはできないが、関連づけ
て読み取れる箇所がある。具体的には、次のような箇所を挙げることがで
きる。「子どもの心身の発達および活動の実態などの個人差を踏まえると
ともに、一人一人の子どもの気持ちを受け止め、援助すること」
「園児一
人一人が安定感をもって過ごし、自分の気持ちを安心して表すことができ
るようにするとともに、周囲から主体として受け止められ主体として育ち、
− 56 −
シンポジウム
自分を肯定する気持ちが育まれていくようにし、心身の疲れが癒やされる
ようにする」
「一人一人の子ども(園児)の気持ちを受容し、共感しながら、
子ども(園児)との継続的な信頼関係を築いていく」「園児一人一人が安
心感と信頼観を持っていろいろな活動に取り組む体験を十分に積み重ねら
れるようにすること」
「園児(幼児)の主体的な活動が確保されるよう園
児一人一人の行動の理解と予想に基づき、計画的に環境を構成しなければ
ならない」「園児一人一人の活動の場面に応じて、さまざまな役割を果た
し、その活動を豊かにしなければならない」
「発達過程、一人一人の子ど
もの発達過程や心身の状態に応じた適切な援助および環境構成を行うこと
が重要である」という表記である。すなわち、
子どもの情緒、気持ちの受容、
共感、安心感と信頼観、行動の理解と予想、活動の把握、心身の状態の把
握と捉えることができる。
モンテッソーリ教育との類似点と相違点
「保育所保育指針」
「幼稚園教育要領」
「幼保連携型認定こども園教育・
保育要領」に見いだす「一人一人」
「おもいを受けとめる」をモンテッソー
リ教育的視点で捉えてみると、類似点と相違点を見いだすことができる。
子どもの主体性・自発性・自己発揮・発達の連続性・計画的環境構成・物
的空間的環境構成・教師の適切な援助・一人一人を生かした集団形成など
は、類似点と見なすことができる。また、前述した臨時教育審議会答申以
降、
学校教育において推進されてきた「個性重視」
「個人の尊厳」
「自由」
「自
己実現」
、さらに、「自己教育」に関連する論理的思考や創造力なども、モ
ンテッソーリ教育の要素と類似している。しかし、明らかに異なる点は、
「個
性」
「自由」
「自己実現」などの要素の定義が不明瞭であること、さらにそ
れらの要素が教育理論や教育方法において系統的に示されておらず、総合
的な思想や理論に基づいていないことである。モンテッソーリ教育におい
ては、個々の子どもの重要性・発達の法則・自由・自己教育などに関して、
特色ある教育的解説がなされており、教育理論や内容において、方法にお
いて系統性をもって示されていることである。環境の設定や教師の援助に
関しても、同様である。さらに、モンテッソーリ教育におけるそれらの要
素は、現代社会や教育界の動向に変化することはなく、異なる文化や社会
においても一貫している。著しく異なる点は、モンテッソーリ教育におけ
− 57 −
る要素は、形而上学的次元にまで至ることであろう。子どもの生命や発達
観、活動、環境などに関する概念は、深い思想に基づいている。わが国の
文部科学省が教育界で推進してきた個性・主体性・自己教育、さらに、告
示された要領や指針に示された子どもの生命や発達観などに関しては、一
貫した理論・哲学的視点を踏まえて論じられていないため、学校教育で推
進される場合にはそれぞれの要素が別個に解釈され、教育内容や方法にお
いても系統性を欠いた多様性を生じてしまったのではないだろうか。
シンポジストの紹介
上記のようなテーマに関する事柄を踏まえ、シンポジウムが展開された。
シンポジストの紹介は以下のとおりである。
第一シンポジストは、ヴィタリ・ドメニコ神父であった。聖イグナチオ
教会主任司祭、カトリック益田教会主任司祭を経て、現主任司祭を務める
のぼりまち
本年4月に世界遺産となった広島 幟 町 教会での平和のミサを終えて、駆
けつけてくださった。聖職者であるとともに、約 10 年にわたり信望愛学
園理事長を務め、モンテッソーリ教師養成コースに尽力されてこられた。
モンテッソーリ女史が提唱した世界平和を可能とする子どもたち、モン
テッソーリ教育現場・教師たちの良き理解者として、モンテッソーリ教育
を支え続けた人物である。子どもに対する真摯な教師のあるべき姿、世界
平和に向けてのモンテッソーリ教育の貢献について、熱意を込め語ってく
ださった。また、くしくもシンポジウム当日は、ヴィタリ・ドメニコ神父
の霊名である聖ドミニコの祝日であった。
第二のシンポジストは、現在長崎純心大学大学院教授相良敦子氏であっ
た。国立滋賀大学で学部教授・同大学院教授および大学付属幼稚園園長を
務める経歴の持ち主である。カトリック教育界およびモンテッソーリ教育
という限られた次元ではなく、国立・私立さらに多様な一般の乳幼児教育
全般を視野におき、モンテッソーリ教育の意義を説き続けている研究者で
ある。教育哲学者としての学識 ・ 鋭い見識を有する学者であり、他方、親
しみやすく温かい笑顔で、幼い子どもたち・現場教師および保護者に分か
りやすく語りかけ接する教育者でもある。
『ママ、ひとりでするのを手伝っ
てね! 』をはじめ、
『子どもは動きながら学ぶ』
『お母さんの「発見」
』な
どの著書を次々と出版し、一般の保護者にモンテッソーリ教育的視点から
− 58 −
シンポジウム
乳幼児教育の重要性を説いた功績は大きい。
第三のシンポジストは、夙川短期大学児童教育学科教授早田由美子氏
である。大阪外国語大学(現大阪大学)イタリア語学科卒業、お茶の水女
子大学博士課程人間文化研究科修了という経歴の持ち主であり、広義な研
究分野・視点から、モンテッソーリ教育研究を展開している。学術博士、
2005 年日本乳幼児教育学会にて荘司雅子賞を受賞している。代表著作と
しては、博士論文を加筆修正した『モンテッソーリ教育思想の形成過程―
「知的生命」の援助をめぐって―』(勁草書房、2003 年) がある。堪能なイ
タリア語を駆使しモンテッソーリ教育に関する原書を解読、思想哲学の神
髄に迫る期待の研究者である。今回は、
世界で繰り広げられるモンテッソー
リ教育の現状を画像で紹介するとともに、モンテッソーリ女史の著述内容
に触れ、教育思想の原点を学ぶ重要性を示した。
第四のシンポジストは、大会の実行委員長である松川和照牧師である。
社会福祉法人イクソス会理事長、日本ルーテル教団大船ルーテル教会など
の肩書きを有している。松川和照氏は 2,500 名参加の保育関連の全国大会
を開催するなど、横浜/神奈川県での保育界の重鎮である。大船ルーテル
保育園を含め、6 つの保育園の経営および保育に携わってこられた。厚生
大臣表彰、全国社会福祉協議会会長表彰など多くの受賞が物語っているよ
うに、全国保育協議会常任教義委員など一般保育界における貢献と評価は
高い。松川氏は神学生時代 1967 年に保育園を開設し園長となり、1973 年
にモンテッソーリ教育を導入、モンテッソーリ教育を実践して 41 年を迎
える。保育現場でのモンテッソーリ実践には教師が重要と考えた松川氏は、
茅ヶ崎学園吉見晴子前理事長の指導を受けた自らの体験を生かし、職員を
上智コースに通学させ、
2014 年 4 月には戸塚ルーテル保育園で「法人主催」
で東京コースと同じ授業内容を開始した。現在、コース修了生/就学職員
数は、100 名を超えている。
シンポジウム総括
限られた時間の中で、各シンポジストによる提言がなされ、フロアから
も質問が寄せられた。今回のシンポジウムの興味深い特徴二点を指摘でき
る。第一点は、モンテッソーリ教育思想・哲学に深く触れる子どもの捉え
方、モンテッソーリ女史の著述に基づいた提言が、各シンポジストからな
− 59 −
されたことであった。また、フロアからの質問内容も具体的保育・教育方
法ではなく、提言内容をさらに深く求めるものであった。すなわち、モン
テッソーリ教育の思想・モンテッソーリ女史の「子ども一人ひとり」の「お
もいを受けとめる」ことに関して、教育原理・思想に学ぶという姿勢が見
られたことである。第二点としては、本学会名誉会長であられたクラウス・
ルーメル神父と長年親交のあったプロテスタント・ルター派の松川牧師と、
カトリック司祭のヴィタリ神父の存在であった。子どもを捉え、保育・幼
児教育にモンテッソーリ教育の意義を見いだし、共に保育・教育現場で実
践に関与し、教師養成の必要性を認め、携わってこられた両氏であった。
今後、神学的な視点からモンテッソーリ教育に関して論じたい意向を松川
氏が示したことも含め、モンテッソーリ教育思想哲学の基本に立ち返るシ
ンポジウムで終始したことは興味深いことであった。
参考資料
内閣府・文部科学省・厚生労働省「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」
http://www.youho.go.jp/data2014/H26NMKkokuji1.pdf 2014 年 9 月
28 日閲覧。
文部科学省「臨時教育審議会の答申」http://www.mext.go.jp/b_menu/
hakusho/html/others/detail/1318297.htm 2014 年 9 月 28 日閲覧。
厚生労働省「保育所保育指針」http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/
hoiku04/pdf/hoiku04a.pdf 2014 年 9 月 28 日閲覧。
仙台市教育局学校教育部教育センター「用字・用語の表記例」(平成 22
年改訂常用漢字表準拠)平成 23 年 4 月 http://www.sendai-c.ed.jp/
hyouki/youjiyougoh23.pdf 2014 年 9 月 28 日閲覧。
文部科学省「幼稚園教育要領」http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/
new-cs/youryou/you/you.pdf 2014 年 9 月 28 日閲覧。
文部科学省「我が国の文教施策」
(平成元年度)http://www.mext.go.jp/b_
menu/hakusho/html/hpad198901/ 2014 年 9 月 28 日閲覧。
− 60 −
論 文
モンテッソーリ教育における宗教と子ども
前之園 幸一郎
(青山学院女子短期大学名誉教授)
はじめに
モンテッソーリはヴィア・ジュスティの「子どもの家」おいて、サン・
ロレンツォの「子どもの家」での成果を踏まえつつ、幼児の宗教教育とい
う新しい課題に取り組むことになった。そのきっかけとなったのはメッ
シーナの幼い孤児たちに起こった衝撃的な変化であった。ローマのジュス
ティ通り(Via Giusti)にある「マリアの宣教者フランシスコ修道会修道院
(Il Convento delle Suore Francescane Missionarie di Maria)」に 1910 年
に「子どもの家」が開設された。その開園と同時に、シチリアの港町メッ
シーナを中心に 1908 年に発生した大地震による幼い孤児たち 60 名がその
「子どもの家」に受け入れられた。想像を絶する悲惨な体験に打ちのめさ
れたその幼児たちの深刻な後遺症についての詳細が、モンテッソーリの著
書『幼児の秘密』に克明な記録として残されている。その中でモンテッソー
リは、特に子どもたちの予期しない劇的な精神的変化に注目している。そ
れは「霊的変化(un cambiamento spirituale)
」による「回心(conversione)」
であったと記されている。
モンテッソーリは子どもたちが環境から学ぶ学習を三つのレベルにおい
て考えている。まずは身体による感覚的なレベルにおける学習である。つ
いで頭脳による知・情・意のレベルにおける学習である。それに加えてモ
ンテッソーリは、さらに個々の人格の根底に存在する魂による霊的レベル
の学習にも着目したのである。
本論で、モンテッソーリ教育における宗教と子どもの問題を、1)
「マリ
アの宣教者フランシスコ修道会修道院」における「子どもの家」開設の背景、
2)
『モンテッソーリ・メソッド』の宗教観とバルセロナにおける幼児の宗教
教育、3)モンテッソーリの子ども観とキリスト教の観点から考察を行う。
なお、本論では、以下、ローマの街路の名称である「ジュスティ通り(Via
Giusti)」はヴィア・ジュスティと表記し、
「マリアの宣教者フランシスコ
修道会」は、大文字で FMM(Francescane Missionarie di Maria の大文字
− 61 −
による略称)と表記する。
1.「マリアの宣教者フランシスコ修道会修道院」における「子どもの家」
開設の背景
モンテッソーリ教育が世間の耳目を集めるにつれて、モンテッソーリは
この新しい教育法についての特別な教育と訓練を受けた教師の養成の必要
性を痛感し始めていた。彼女はその教師養成コース開催のための会場とし
て十分な条件を備えた施設をローマ市内に探し求めた。しかしそれは容易
ではなく、彼女の努力はことごとく暗礁に乗り上げていた。その困難な境
遇にあるモンテッソーリに援助の手を差し伸べたのが FMM 第二代修道会
会長マリ・ド・ラ・レダンプシオン(M. Marie de la Rèdemption, 18601917)である。マリ・ド・ラ・レダンプシオンとモンテッソーリの最初の
出会いは、1909 年 12 月のことだと思われる。
モンテッソーリは教師養成コースの計画と彼女が当面している窮状に
ついてマリ・ド・ラ・レダンプシオンに訴えた。その場の様子について
FMM の修道女マリア・イサベッラ(Maria Isabella)が証言を残している。
それによると、修道会会長マリ・ド・ラ・レダンプシオンは「その大きな
善意と知的な興味をもってモンテッソーリの話に耳を傾け、彼女の中にす
(1)
ぐれた知性に加えて真実を追求する大いなる心を見いだしていた」
。
会
長マリ・ド・ラ・レダンプシオンは即座にモンテッソーリに対して修道院
内の小礼拝堂(oratorio)として使われていた大きな部屋を講義のために、
修道院内の回廊(i chiostri)を教育実習のために新設される「子どもの家」
の子どもたちが自由に使用するように便宜をはかった。この証言を残した
修道女マリア・イザベッラは、ヴィア・ジュスティのモンテッソーリ・コー
スにおける最初の受講者たちの一人であり、後に米国へ派遣されて子ども
たちに奉仕し宣教活動に従事した。
モンテッソーリの教育活動に興味を抱き、彼女に好意を寄せた修道会会
長マリ・ド・ラ・レダンプシオンとはいかなる人物であったのだろうか。
彼女は 1884 年に FMM に入会し、1905 年に同修道会の会長に就任した。
修道会に入る以前は、小学校教員資格取得を目指して学び、その後、教師
として小さな子どもたちに接する生活を続けていた。しかしながら修道女
になってからは教育に専念する機会から遠ざかっていた。その主要な任務
− 62 −
論文
が、FMM の創立者マリ・ド・ラ・パッシオン(M. Marie de la Passion)
の傍ら近くにあって修道会の組織・運営の実務的な仕事に従事することで
あったからである。
モンテッソーリとの出会いは、彼女に子どもたちへの愛情を目覚めさ
せ、教育に対する情熱と関心を再びかきたてた。それがモンテッソーリの
計画に対する援助を決意させることになったと思われる。しかしそれに
先立ち、彼女はあらかじめフランシスコ会の「小さき兄弟会(Ordine dei
Frati Minori)
」の神父ラファエル・ドラルブル(P. Raphael Delarbre)に
書簡で相談を行っている。ちなみにドラルブル神父は初代修道会会長マリ・
ド・ラ・パッシオンの尊敬する霊的指導者でもあった。
1909 年 12 月 4 日付けの彼女の書簡には以下のように述べられている。
「ヴィア・ジュスティで行われる新しい事業が私どもに提案されておりま
す。そして、私どもは空間的には問題はありませんので、私はそれを受け
入れることに躊躇いたしておりません。あるカトリックの婦人たちの団体
が新しい科学的教育方法による幼児教育のモデル的学校の設立を望んでお
ります。その団体は、場所を、つまり大きな部屋だけを求めております。
ある女性の教授が、私たちの修道会の修道女たちのみならず、参加申し込
みを希望するローマ市内の修道女たちに教員養成を行うために来ることに
なっております…。この教育法は私たちの宣教活動にとても有効だと私は
考えます。カトリックの諸活動が受け入れられるためにすぐれた方法に頼
らなければならぬ今こそ、この方法は宣教活動を支えてくれることでしょ
(2)
う」。
この書簡に「あるカトリックの婦人たちの団体(Un comitato di dame
cattoliche) と あ る の は、
「 イ タ リ ア 女 性 全 国 委 員 会・ 教 育 部 会(La
sezione《Educazione》del Consiglio Nazionale delle Donne Italiane)の
(3)
ことである。
この団体は貴族ならびに社会上層の婦人たちからなるモン
テッソーリの一種の後援団体の役割を果たしていた。かつて上層階級の子
弟のためにピンチオの丘に有料の「子どもの家」の設立を計画実施したの
もこの団体であった。それにはイタリア王国の女王陛下マルゲリータ(la
Regina Margherita di Savòia, 1851-1926)も後援者にその名前を連ねていた。
1910 年 4 月 11 日にヴィア・ジュスティの「マリアの宣教者フランシス
コ修道会」本部の「カーサ・サンタ・エレーナ」
(Casa Santa Elena)に
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新しい「子どもの家」が開設された。そこにはモンテッソーリの指導のも
とに男女それぞれ 15 名からなる幼い子どもたちが受け入れられた。この
「子どもの家」は、教師養成コースの実習の場となることが予定されてい
た。そのコースの募集要項の文面は「女王陛下のご後援のもとに開催され
るモンテッソーリ法に基づく子どもの教育を行う教師養成のための理論お
(4)
よび実践の研究コース」と書かれていた。
教師養成コースは、上記の「子どもの家」の開設に先立って 1910 年 3
月 2 日に開始された。それは前期と後期からなる 8 カ月間のコースとされ、
講義は週三回開講された。また週 2 回
「子どもの家」で行われる実習は、ディ
プロマ取得希望者には必修科目とされていた。試験により前半の 4 カ月修
了者には初級ディプロマが、後半の 4 カ月の修了者には上級ディプロマが
授与された。ディプロマにはモンテッソーリ自身による署名がなされてい
(5)
た。
このコース参加者は一般人を含むイタリア人 100 名ほどであった。その
中には 12 名の FMM の修道女たちがいた。さらに外国人として米国人女
性約 150 名が参加した。国際的な宣教活動を行っている FMM の修道女た
ちは、このコースの教育を受けた後に世界各地に派遣された。そしてモン
テッソーリ教育の普及のために重要な役割を果たすことになる。
さて、モンテッソーリは修道院の敷地内部にある「子どもの家」での教
育をモンテッソーリ法による教育のみで行ってよいものかどうかについて
率直にマリ・ド・ラ・レダンプシオンに伺いを立てた。これに対しマリ・
ド・ラ・レダンプシオンは唯一の条件を付け加えた。その間の事情につい
て修道女マリア・イザベッラの次のような証言が残されている。修道会会
長による条件とは「幼い子どもたちの人間形成にカテキズムの教育を付け
加えることです。それはモンテッソーリ法をも豊かにするに違いありませ
ん。当初、モンテッソーリはこの要請に困惑させられていました。しかし、
熟慮を重ねた後に、彼女は多くの科学的な問題には通じていながら宗教を
まったくなおざりにしていたこと、しかし今は宗教の重要性を認識してい
(6)
ることを告白しています」。
モンテッソーリは科学万能の風潮の高まった実証主義の全盛時代に医学
を学んだ科学者であった。当時、学者に一般的に求められていた実証主義
的研究の姿勢は物質的レベルの客観主義に徹することにあった。そして彼
− 64 −
論文
女は、後に彼女自身で「生命の本質」
(l’essenza della vita)と呼ぶことに
(7)
なるものを見失いかねない危険に陥っていた。
しかしモンテッソーリは、
物質主義に徹することができなかった。彼女は科学が入りこむことのでき
ない世界の存在を信じていた。その霊的な世界と科学との結びつきについ
て考えるために、彼女は、1889 年 5 月 23 日に神智学協会の会員になって
いる。
神智学によれば、物質的な目に見える世界の彼方に、それとは異なる
別の現実が存在(l’esistenza di un’altro realtà, oltre a quella materiale e
visibile.)する。その隠された現実にこそ目を凝らさなければならない。
また世界に存在するすべての宗教は、唯一の神的真理の部分的断片を分か
ち持っているにすぎない。さらに神智学の原理によると、すべて存在する
ものは第一者(L’Uno)のもとに統べられている(tutto l’esisente procede
dall ’ Uno.)
。その第一者の起源は人間にとっては永遠の神秘のままである。
それにもかかわらず、その人間の最高の目的である第一者への帰還を果
たすべき行程を知ることは可能である。ただし、それは理性という手段に
よっては達せられない。第一者を目指す努力は、生命のすべての発露に対
する深い尊敬から出発して、知恵と愛を結び合わせ、すべて存在するもの
(8)
との調和を保ちながら生きる神秘的な体験を通してのみ可能となる。
この神智学は、モンテッソーリが批判的に受け入れている科学的実証主
義と彼女の内面において補完し合っていた。彼女の実証的な科学的姿勢と
精神的・霊的レベルの感性との統合の努力は、環境に対するまなざし、生
命に対する感覚、子どもが持つ創造的エネルギーへの柔軟な視点、魂の覚
醒への働きかけなど、モンテッソーリ教育に広く反映されている。
マリ・ド・ラ・レダンプシオンが好意をもって受け入れ、評価し、勇気
づけたのは、まさにモンテッソーリの上のような人間像であった。さらに
マリ・ド・ラ・レダンプシオンは、モンテッソーリが伝統的な公教要理を
彼女の教育法の中に取り入れることを受諾したことを喜んだ。
マリ・ド・ラ・レダンプシオンが、
「小さな兄弟会」のドラルブル神
父へ宛てた 1910 年 5 月 9 日の書簡には次のように述べられている。「モ
ンテッソーリならびに彼女の助手たちに宗教の授業を行うために、私は
修道女エリザベス(筆者注- M. Marie Elisabeth de l’Annonciation。ベルギー
出 身。1907 年 か ら 1915 年 ま で グ ロ ッ タ フ ェ ッ ラ ー タ の 修 練 院 の 教 師 で あ っ
− 65 −
た) を選ぶことにいたしました。彼女は最も教育のある修道女の一人で
あり、同時に最も明快な説明を行う者の一人です。… 私は彼女に神父
様(名称なし)のカテキズムと Guillois(不明)の解説に従って授業計
画を作成させるつもりです。その後で、彼女にそれを Herzog 神父(不
明)様に届けさせます。そして神父様のご判断に従って承認もしくは修
正をお願いするつもりです。エリザベスはグロッタフェッラータ(筆者
注- Grottaferrata には 1892 年から「マリアの宣教者フランシスコ会」会長の
第二の家、la Casa Santa Rosa di Viterbo が田園の新鮮な雰囲気の中に設置され
ていた。修練者たちを国際的に受け入れており、同時に震災や戦争によって引
き起こされる緊急の必要に備えてその門戸は常に開かれていた) に居住してお
ります。しかし、夕方週 2 回の授業がありますので、その当日にはグロッ
タフェッラータを午後 3 時頃に出かけて翌朝に帰ることができるでしょ
(9)
う。そうすれば彼女は修練者指導の務めを損なうことはないと存じます」。
マリ・ド・ラ・レダンプシオンは、その翌日再びドラルブル神父へ手紙
を書いている。
「今朝お目にかかるために Herzog 神父様をお訪ねいたしま
したがご不在でした。しかしその後マリ・ジァンーヌ修道女(筆者注- M.
Marie Jehanne。1911 年まで修道会会長の私設秘書を務めた)を神父様のところ
に伺わせました。神父様はすべての指導を行うことはできないが、私ども
の修道女の誰かによって指導を行うようにご助言を下さるとのことです。
そして神父様は時々ご説明やご指導のためにお出かけくださるそうです。
そのことをモンテッソーリに伝えました。彼女はとても喜び、まったく私
(10)
どもを愛し私どもに心を許しているように見受けられました」。
モンテッソーリ法に公教要理が取り入れられることになったとのニュー
スは、グロッタフェッラータの「聖バラの家新聞(il Giornale della Casa
Santa Rosa)
」にも掲載された。
「私どもに好意を寄せておられるモンテッ
ソーリ先生は、ローマで新しい教育方法の助けによって、子どもたちが楽
しみながら読み書きをおぼえる特別な活動を展開されております。彼女に
は助手として多くの若い女性たちがおりますが、その人々の公教要理の教
育はとてもなおざりにされておりました。モンテッソーリは修道会会長
に修道女のどなたかが彼女たちに公教要理の授業をしてくださるように
依頼なさいました。この困難な活動を上首尾にやりおおせるのに必要な
すべての力を持つエリザベス・デッラヌンチィアツィオーネ(Elisabeth
− 66 −
論文
dell’Annunciazione)が修道会会長から指名されて、アドリアーナ修道女と
(11)
ともにローマに出発します」。
同「修道院新聞」は、グロッタフェッラータの FMM 本部に受け入れら
れたメッシーナの子どもたちの近況についても報じている。これらの子ど
もたちもモンテッソーリ教育による保育を受けることになった。そして
孤児たちの世話に当たっていた修道女たちの一人であるマリア・カリタ
(Maria Carità)が、1910 年 5 月 23 日に彼女自身もモンテッソーリ教育を
学ぶためにローマに出発した。またモンテッソーリの助手の一人が、メッ
シーナの孤児たちに継続的にモンテッソーリ教育を行うためにグロッタ
(12)
フェッラータに長期滞在することになったことも報じられている。
モン
テッソーリ自身も何回にもわたってグロッタフェッラータを訪れた。そし
て 8 月の夏季休暇の後半はグロッタフェッラータの FMM 本部に滞在して、
モンテッソーリ教育に具体的にキリスト教的精神を受容するためにはどう
すべきかの研究に没頭した。
その成果は次のように明らかになった。
「1910 年 11 月にヴィア・ジュ
スティに『子どもの家』が再開されたとき、そこでの教育は具体的に明瞭
な宗教的進展を遂げていた。教育活動の始めと終わりに行われるお祈りに
加えて、モンテッソーリは、食事の前と終わりの言葉によるお祈り、修道女
たちによる聖書やカテキズムのお話などを加えさせた。モンテッソーリは子
どもたちがしだいに良心を発達させるように導き、毎日、その日に行った善
(13)
いこと悪いことに気づく習慣を子どもたちに育てるように仕向けた」。
モンテッソーリは FMM の修道女たちの積極的な協力によって支えられ
ていた。そしてさらにまた、彼女たちを通してモンテッソーリ教育は世界
各地に伝えられることになった。修道会会長の誠実な助言者の一人であっ
た修道女マリア・アントーニア(M. Maria Antonia)は、ヴィア・ジュスティ
の教師養成コースを修了して、その後、同コースの試験委員としてモンテッ
ソーリを支えた。
同様にヴィア・ジュスティの教師養成コースを修了した修道女マリア・
ヴェルジネッラ(M. Maria Verginella)は 1911 年に新しい FMM 設立の
ためミラノに移り、そこで「子どもの家」を開設した。その後、日本に派
遣された。日本におけるその後の彼女の消息について横浜市戸塚区にある
「マリアの宣教者フランシスコ修道会」の「聖母の園保育園」園長シスター
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武部明子氏がご教示くださった。それによると、マリア・ヴェルジネッラ
は 1918(大正 7)年に来日して熊本の修道院院長として活動した。しかし
3 年後の 1921 年には帰天している。彼女がモンテッソーリ教育を行った
かどうかは不明である。しかし、
『日本におけるマリアの宣教者フランシ
スコ修道会の歴史』によると、同修道会の人吉修道院では、1915 年 6 月
15 日に人吉幼稚園が開園され、25 名の幼児が受け入れられた。これは日
本で第 2 番目に古い創設になる幼稚園であり、
「モンテッソーリにもフレー
ベルにも偏らない教育方針」であったとされている。しかしながら「聖母
の園保育園」前園長シスター細井和子氏によると、人吉幼稚園には「円柱
さし」など古いモンテッソーリ教具が残されていた。シスター細井和子氏
ご本人から直接に、実際にそれを見たことがあるとの証言を得ることがで
きた。
修道会会長マリ・ド・ラ・レダンプシオンの信任が厚かった修道女マリア・
イザベッラ(M. Maria Isabella)は 1919 年に米国に派遣された。その他
の修道女たちも多くの国々に派遣され、モンテッソーリ教育による宣教活
(14)
動を行った。
モンテッソーリは、1912 年には突然にヴィア・ジュスティにおける活
動を停止している。彼女の母親レニルデの最初の脳卒中による緊急事態が
生じたためであるとも、反近代主義を掲げる保守派カトリック陣営からの
激しいモンテッソーリ教育批判によるとも言われている。その理由はよく
分からない。モンテッソーリは、ヴィア・ジュスティを去るにあたり、修
道会会長マリ・ド・ラ・レダンプシオンに感謝をこめて書いている。
「私
は不安定で責任に満ちた私の人生の計り知れない重荷を感じております。
(15)
しかし明るさと力強さに輝くあなたの友情は私の心の安息所です」。
モンテッソーリの 3 年間にも満たないヴィア・ジュスティでの「子ども
の家」の経験は、子どもと宗教についての彼女の問題意識を一段と深めて、
後にバルセロナにおける幼児の宗教教育の試みとして展開される。
2.
『モンテッソーリ・メソッド』の宗教観とバルセロナにおける宗教教育
モンテッソーリの宗教教育についての見解は、1909 年に出版された『子
どもの家における幼児教育に適用された科学的教育学の方法(Il Metodo
della Pedagogia Scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case
− 68 −
論文
dei Bambini)』(以下『モンテッソーリ・メソッド』と表記)に理論的に
述べられている。モンテッソーリによると、世界中に存在するあらゆる宗
教は文明とともに生まれた。それはすべての宗教が人間の本性(la umana
natura)に根源を持つからである。
モンテッソーリはこの観点に立ちながら、
「人間の中にある宗教的感情
をア・プリオリに否定するならば、そして人類から宗教的感情の教育を奪
い去るならば、子どもの中にある知識と知ることへの愛をア・プリオリに
否定したのと同様の教育学的誤りを犯すことになるだろう。そして子ども
たちを外見上しつけができたように見せるために、彼らを奴隷状態に陥る
(16)
ように仕向けた過ちを犯すことになるだろう」
と述べている。さらに、
宗教教育は大人になってから行われるものだと一般に考えられている。し
かしこれに対しても彼女はそれが大きな誤りだと述べている。あらゆる感
覚が敏感で教育可能な幼児期の重要な時期を無視することになるからだ。
そして宗教的な雰囲気に触れる機会を逸して大人になった人々は、しばし
ば道徳的な生き方における堕落と欠陥を示すことが多いとしている。
モンテッソーリは子どもの魂に目を向けた。幼い子どもの教育は、ただ
身体的なものだけに限られない。子どもも魂を持っている。その霊的生活
(la vita spirituale)は、あらゆる年齢において彼が人としての存在であり
続けることを見守り支えている。子どもはすぐれたモンテッソーリ教師の
援助のもとで規律を獲得しながら、
「崇高なる人間の魂」に達することが
(17)
できるのだ。
さらに「子どもの家」での経験を通してモンテッソーリは次のようにも
述べている。子どもたちが規律(disciplina)を確立する課題は、自由(la
libertà)と自立(l’indipendenza)を獲得する努力の中で達成される。同様
に、宗教に近づくためには、教え込みではなく子どもの内面から生じる良
(18)
心の自由の獲得を経なければならない。
モンテッソーリは幼児における宗教的敏感期(periodo sensitivo religioso)
の存在を子どもの観察を通して認識していた。
『子どもの発見』の中に 2 歳
になる女の子の言葉が紹介されている。その女の子は「子どもの家」に置
かれている幼児イエス像を見て、
「これはお人形さんじゃないわ(Questa
(19)
non è una bambola.)
」と言った。
モンテッソーリの子どもに対する観察のまなざしは冷徹な科学者の目を
− 69 −
通して注がれるとともに、同時にまた、慈しみに満ちた人間モンテッソー
リの目を通して注がれていた。彼女の科学者としての思想の根底には宗教
的原理が存在した。モンテッソーリは述べている。
「創造とそれを支える
摂理は神に属している。そして私たちには愛(la carità)と援助すること
(l’aiuto)が残されている。その観点に立って子どもを尊重する必要がある。
つまり、子どもたちが成長発達する過程で遭遇する無数の障害物から彼ら
を自由にし、彼らが生きることを援助することである。この原理が十分に
理解されるなら、子どもに対する大人の態度の根本的な変化が生じるに違
(20)
いない」
。
その子どもの生きることへの援助には子どもの魂への目配り
が当然ながら含まれていた。善いことと悪いことの識別の力が自然に生ま
れ育つ環境を準備することにモンテッソーリは意識的に努めた。
ヴィア・ジュスティの「子どもの家」における宗教教育の実践の経験は、
スペインのバルセロナにおいて具体的に深められることになる。『子ども
の発見』によると、モンテッソーリはバルセロナのモンテッソーリ・モデ
ル校で宗教教育を試みる機会が与えられた。バルセロナでは公立学校でカ
トリックの宗教教育が義務とされていたのである。モンテッソーリは、そ
(21)
の宗教教育の基礎をモンテッソーリ教育法に従って行った。
彼女が最初に着手したのが、環境を整えることであった。すなわち、彼
女は学校に「子どもの教会」
(Chiesa dei bambini)を作ったのである。そ
れは、幼い子どもたちの体の寸法に合わせた小さな信者たちのための空間
として作られた。小さな座席と祈祷台、大人の膝くらいの高さにある聖水
盤、季節に合わせてしばしば取り替えられる低い所に掲げられた聖画、キ
リストの降誕やエジプトへの脱出を表す小さな彫像など準備されていた。
また、実際に一人の司祭がいて、宗教について教え、ミサをささげた。こ
の簡素な小さな教会が作られ、小さな子どもたちが活動を始めるとすぐ
に、その理由は分からないが驚くべきモンテッソーリ教育法の成果が見ら
れた。すなわち、モンテッソーリによると、この教会は、モンテッソーリ
教育法が与えようと目指している教育の多くの目的そのものを包含してい
た。
例えば「静粛の練習」を見てみよう。これは、もともと子どもたちが自
分自身に精神を集中する訓練である。それがローソクの炎がゆらめく薄暗
い神の家という環境の中で内面的な精神の集中に変わった。どんな物音も
− 70 −
論文
立てずに静かに歩くこと、音を立てずに椅子を移動させること、きちんと
座席で立ったり座ったりすること、ベンチや居合わせる人々の間をぶつか
らずに歩くことが見られるようになった。さらに、花を活けるために水の
いっぱい入った花瓶を運んでいって祭壇の下へ置き、火のついたローソク
を手や衣服をよごさないように運ぶなど、壊れやすい物を手に持ってそれ
を壊さないように気をつけて運ぶことなどが日常的に行われるようになっ
た。これらは教室の壁の中で子どもたちが学習したことがらの繰り返しで
あり、またその応用であった。
モンテッソーリはシンボリックなものの持つ大きな意味に注目してい
る。「あらゆるものに興味を抱く子どもは、シンボリックで荘厳さをおび
て目の前に現れるものに一層注意深くなることに考慮が払われなければな
らない。最初は、ばらばらの事物、一つ一つの行為そのものが子どもの興
味を引く。祭壇、聖書、聖器、司祭の祭服、礼拝のさまざまなしぐさ、十
字架のしるし、跪拝礼、接吻などを思い浮かべるとよい。しかし、しだい
にそれらの事物の関連やそれらの背後に秘められている神秘的な意味が明
(22)
らかになってくる」。
モンテッソーリは、バルセロナでの宗教教育の成果をさらに深めながら、
(23)
その方法が「子どもの魂の生活のより奥深くに入り込み」、
教師がその
ミッションをよりよく果たす優れた機会を与え得るものだと確信した。そ
して、子どもに対する宗教教育をモンテッソーリ法の中に明確に取り入れ
たのである。
モンテッソーリの教育方法は、教皇ピオX世(在位、1903-1914)の「子
どもの聖体拝領に関する教皇令(Decreto sulla Comunione dei bambini)
」
(1910.8.8)の方針、すなわち、初聖体の拝領の年齢を 7 歳にまで早めて
行うという方針に従うものであった。そのためモンテッソーリの宗教教育
はカトリック的式典の典礼の側面に重きをおくことになった。彼女は書い
ている。「信仰の内容の荘厳なる表現である典礼は、カトリック教会の教
育方法と呼ぶことができる。教会は信者の耳から入る言葉という手段だけ
で教えることには満足していない。宗教的な多様な行為やシンボルを用い
て、それらを活力あるものに生き返らせ、人々が毎日典礼に参加できるよ
うにしている。…われわれは、以前は子どもたちを教会の外に引き止める
ように慣らされていた。したがって教育は、聖書のお話しを言葉で伝えた
− 71 −
り、キリスト教の教義をカテキズムの形で記憶させたり制約のある方法に頼っ
ていた。最も素晴らしい進歩は、聖書におけるさまざまな場面の色彩豊かな
(24)
イメージと言葉による授業が統一されるという進歩だと思われる」。
その後、
『子どものためのミサの説明(La santa messa spiegata ai
bambini)』の序文の中でモンテッソーリは次のように書いている。「子ど
もの宗教教育は、それが典礼にまで広げられたときに大きな前進を遂げた。
そして宗教的儀式を知的に理解するやり方を子どもに説明する努力が行わ
れるようになった。そのときから子どものためのミサ典書とミサにあずか
ることを彼らに教える方法が、宗教教育においてカテキズムの教育と同様
に重要な要素となった。教皇ピオ X 世の大改革以前にはカテキズムの説
(25)
明のみが、子どもが受ける唯一の教育であった。
バルセロナにおける子どもの宗教教育の実践を背景に、モンテッソー
リは多くの著作を著した。
『教会における子どもたち(I bambini viventi
nella Chiesa)
』
、
『子どものためのミサの説明(La Santa Messa spiegata
ai bambini)
』
、
『キリスト教徒の生活(La vita in Cristo)』(典礼暦年と
教会行事のやさしい図解)
、
『子どもたちのためのミサ典書への準備の手引
き(Manuale per la preparazione di un Messale per i bambini)』などで
ある。これらの著作は“I bambini viventi nella Chiesa La vita in Cristo
La Santa Messa”として一巻にまとめられ、1970 年に Garzanti 社から出
版された。
3.モンテッソーリの子ども観とキリスト教
モンテッソーリの子ども観は「自分一人でやれるように私を助けて
(26)
(Aiutami a fare da solo.)
」
に象徴的に述べられている。これは、彼女
によると援助者である大人に対して子どもが心の底から懸命に叫び訴えて
いる言葉だとされている。モンテッソーリは、すべての子どもはかけがえ
のない独自の人格の主体であり、尊厳に満ちた存在であると考えた。子ど
もにはそれぞれ主体的に成長発展する個性的な能力と可能性が自然から与
えられている。子どもは整えられた環境と適切な援助を通して、各自がそ
れぞれに独特の人格として自ら個性的な成長を遂げることができる。した
がって、決して「子どもは保護と助けのみを必要とする虚弱で無防備な存
(27)
在として考えられるべきではない」。
− 72 −
論文
しかるに伝統的教育においては、子どもの人格形成は不動(immobilità)
と沈黙(silenzio)を基本原理とする強制的な規律によって達成されるも
のだと考えられていた。モンテッソーリは、この伝統的な大人中心の権威
主義的教育に対して、それを徹底的に批判した。伝統的教育によると、優
れた教育とは教師の発する指図一つで子どもたちが教師の思いどおりに静
粛のうちに秩序正しく行動できることにあるとされていた。これを評して
モンテッソーリは、
「子どもたちは、あたかも死人ででもあるかのように
彼らの自然な人格的表現を抑圧されて、座席や学習机にピンでとめられた
(28)
蝶々のように釘付けにされている」
と述べた。
教育において規律は言うまでもなく重要である。しかしモンテッソーリ
の規律は大人による押しつけではなかった。それは子どもの自由を前提と
するものであった。子どもたちは、子どもの寸法に合わせた環境の中で自
発的で自由な自己活動を展開する。日々の活動を通して生活の中の規律や
秩序を学び、自立への歩みを積み重ねるのだ。モンテッソーリの規律の目
標は、集団の中で他者と協調し、調和しつつ自分自身を柔軟にコントロー
ルでき、自分自身の主人となることにおかれていた。すなわち、それは自
由と独立を基本とする主体的な活動によって生まれる規律であった。 モンテッソーリの子ども観は、子どもに対する限りない信頼に支えられ
ている。彼女は「子どもは人類にとっての希望であり、同時に明るい約
(29)
束である」
と述べている。今日の世界の混沌とした迷路の中で子どもは
私たち大人に行く手を指し示してくれる存在である。たえず「子どもはわ
(30)
れわれを取り囲んでいる暗闇に輝く灯火をもたらしてくれる」
信頼すべ
き存在なのだ。それゆえに「われわれは〈全能 onnipotente〉なる子ども
(31)
に期待を寄せなければならない」
。
普通は〈全能の神 Dio onnipotente〉
のように用いられる特別な形容詞「全能なる」を、モンテッソーリは子ど
もの形容詞として使用している。ここにも彼女の子ども観の特質を見るこ
とができるだろう。
(32)
モンテッソーリによると、
「子どもは愛が生まれ出る源泉だ」
とされ
ている。子どもの愛の力によって今日の社会の多くの無秩序と崩壊が食い
(33)
止められているのだと考えられている。さらに「子どもは愛の教師」
で
もある。子どものいる家庭ではそれぞれに愛の原理が満ちあふれている。
一人の赤ん坊の存在が周囲の大人たちに優しさの感情とほほ笑みをもたら
− 73 −
すことを思い起こすだけで十分である。子どもの存在が人々を結びつける。
そして彼女は、「自らを新たにする手助けをしてくれる子どもがいなけれ
(34)
ば、大人は堕落してしまうだろう」
とさえ述べている。
モンテッソーリは、愛の賛歌として有名な聖パウロの聖書の言葉、
「コ
リントの信徒への手紙 1」
(13・4-7)にも言及する。そして聖パウロの「愛
がなければ、すべては無に等しい」の言葉に続く、列挙された愛の特質に
注目する。そして「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢
せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨み
を抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える」(新共同訳『聖書』)などの愛の姿は、まさ
(35)
に子どもの本質そのものであるとしている。
モンテッソーリの子ども観の支柱をなしているのは、
「わたしの兄弟で
あるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなので
ある」(「マタイによる福音書」25・40、新共同訳『聖書』)の聖句であると思わ
れる。この聖句の中にモンテッソーリは忘れられた弱者としての子どもの
姿を読み取り、
「キリストが子どものいろいろなお姿のもとにすべての人々
(36)
をお助けくださっているのをわれわれは見るでしょう」
と述べているか
(37)
らである。彼女は、
「この人間の世界で最も宗教的な存在は子どもである」
と考えていた。
注
(1) Testimonianza di M. Maria Isabella FMM(Giuseppina Bieji),
AGFR(Archivio Generale F(mm) Roma の頭文字。
「マリアの宣教者
フランシスコ修道会ローマ本部資料館」を意味する。以後、AGFR
と略称する。同様に、AGFG は「マリアの宣教者フランシスコ修道
会グロッタフェッラータ本部資料館」を意味する。
引用は、《Maria Montessori incontra il Cattolicesimo dalle Suore
Francescane Missionarie di Maria》di Catherine Bazin FMM,
in la cura dell’anima in Maria Montessori l’educazione morale,
spirituale e religiosa dell’infanzia, a cura di Leonardo De Sanctis,
Fefe Editore, 2011, p.50.
− 74 −
論文
“la ascolta con la sua grande bontà e il suo intelligente interesse,
scoprendo in Maria Montessori un grande cuore alla ricerca della
verià, oltre che un’intelligenza uperiore”.
(2) Ibidem, p.50., AGFG, corrispondenza di M. M. de la Rédemption
con il P. Raphael Delarbre, 4 dicembre 1909.
“Ci viene proposta una nuova opera a Via Giusti e non esiterei ad
accettare, direi, se abbiamo spazio. Un comitato di dame cattoliche
vorrebbe installare una Scuola-infantile-modello con il nuovo
sistema (pedagogia scientifica). Ci chiedono il locale, soltanto una
grande sala. Una professoressa verrebbe per formare non solo le
nostre suore, ma le religiose di Roma che vorrebbero iscrirsi,(…)
Credo molto utile un insegnamento tecnico per le nostre opere
missionarie, le potrebbe favorire tanto, soprattutto adesso che
bisogna che le opera cattoliche, per essere acetate, siano superiori o
almeno equivalent in tutti i sistemi adottati”.
(3) Sante Bucci, Educazione dell’infanzia e pedagogia scientifica,
Bulzoni, 1990, p.137.
(4) Ibidem, p. 138. “sotto l’alto patronato di S. M. la Regina Madre
Corso di Studio Teorico e Pratico per Formare Maestre atte ad
educare fanciulli second il metodo Montessori”.
(5) Ibidem, pp.139-140.
(6) Op.cit., a cura di L. De Sanctis, p.51, Testimonianza di Maria
Isabella FMM.
“Quella di aggiungere l’insegnamento catechismo alla formazione
umana dei piccoli, il che non farebbe che arricchire questo metodo.
Maria Montessori è inizialmente turbato dalla richiesta, ma,
riprendendosi, confessa che, pur essendo ferrata in tante materie
scientifiche, aveva completamente trascurato la religione, della
quale tuttavia riconosceva l’importanza”.
(7) Marjan Schwegman, Maria Montessori, il Mulino, 1999, chap. 4. (8) Ibidem, Marjan Schwegman, pp.62-63.
(9) Op.cit., a cura di L. De Sanctis, p.53, AGFG, Lettera di M.Marie de
− 75 −
la Rèdemption al P. Raphael Delarbre OFM, 9 maggio 1910.
(10)Ibidem, a cura di L. De Sanctis, p. 53. AGFG, Lettera di M.Marie
de la Rèdemption al P. Raphael Delarbre OFM, 10 maggio 1910.
“Ho detto questo a Montessori che è molto contenta e che
decisamente sembra che ci ama e si avvicina a noi ”.
(11)Ibidem, a cura di L. De Sanctis, p. 53., Giornale della Casa Santa
Rosa, Grottaferrata, 16 maggio 1910.
(12)Ibidem, a cura di L. De Sanctis, p. 54.
(13)Ibidem, a cura di L. De Sanctis, p. 54. ,AGFR, Dossier Montessori,
Documento non firmato nè datato. (14)Ibidem, a cura di L. De Sanctis, p. 56.
(15)Ibidem, a cura di L. De Sanctis, p. 55.
“Io sento l’mmenso peso della mia vita incerta e piena di
responsabilità. Ma la sua amicizia rifulgente di luce e di forza è
come un porto pel mio cuore”.
(16)M. Montessori, Il Metodo della Pedagogia Scientifica applicato
all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, Edizione critica,
ONP, 2000, p.677.
(17)Ibidem, p.681, “la magnificenza dll’anima umana”.
(18)Ibidem, p.679, “Forse ugualmente, a traverso le conquiste di libertà
di pensiero e di coscienza, noi ci avviamo verso un grande trionfo
religioso”.
(19)M. Montessori, La scoperta del bambino, Garzanti, 1993, p.325.
(20)Op.cit., a cura di L. De Sanctis, p. 43.
“A Dio spetta la creazione e anche la Prrovidenza che la mantiene;
e a noi rimane la carità e l’aiuto. Bisogna dunque considerare il
bambino; liberarlo dagli innumerevoli ostacoli che incontra nel
suo sviluppo e aiutarlo a vivere. Compreso questo principio, deve
avvenire un profondo cambiamento nell’attitudine dell’adulto verso
il bambino”.
(21)Op.cit., La scoperta del bambino, p. 319, “l’educazione religiosa
secondo il mio metodo”.
− 76 −
論文
(22)
Ibidem, La scoperta del bambino, p.321.
“Or qui va tenuto presente che il bambino che si interessa ad
ogni cosa, più ancora è attento a tutto ciò che è simbolico e che gli
appare rivestito di maestà. Da principio sono oggetti distaccati, e
gli atti in se stessi che attirano la sua attenzione. L’altare, il libro,
i vasi sacri, i vestiti del sacerdote, i vari atti del culto, il segno di
croce, la genuflessione, il bacio. Ma a poco a poco si fa chiaro anche
il loro collegamento e il significato mistico che in essi si nasconde.”
(23)
Op.cit., a cura di L. De Sanctis, p.44.
“penetrare più addentro nella vita dell’anima del fanciullo”.
M. Montessori, I bambini viventi nella Chiesa, La vita in Cristo, La
(24)
Santa Messa, Garzanti, Milano, 1970, pp.11-12.
(25)
Ibidem, p.101.
(26)M. Montessori, Il bambino in famiglia, Garzanti, 1991, p.133. (27)
M . Montessori, Educazione e pace, Edizioni Opera Nazionale
Montessori, 2004. p.47. “Il bambino non va considerato come l’essere
debole e indifeso, che bisogno soltanto proteggere ed aiutare”. (28)
Op. cit., Il Metodo della Pedagogia Scientifica applicato all’educazione
infantile nelle Case dei Bambini, p. 88. “i fanciulli sono soffocati nelle
espressioni spontanee della loro personalità, come esseri morti; e
fissi sul posto rispettivo, sul banco-come farfalle infilate a uno
spillo”.
(29)
Op. cit., Educazione e pace, p. 41. “Il bambino costituisce insieme
una speranza ed una promessa per l’umanità”.
(30)
Ibidem, p. 131. “Il bambino ci porta la luce nelle tenebre che ci
circondano”. M. Montessori, Educazione per un mondo nuovo, Garzanti, 2000,
(31)
p.53. “dobbiamo guardare al bambino, che è onnipotente”.
(32)M. Montessori, La mente del bambino, Garzanti, 1992, p. 287. “Il
bambino è una sorgente d’amore”. (33)O p.cit., Educazione e pace, p.175. “il bambino è il maestro
dell’amore”. − 77 −
(34)
M. Montessori, Il segreto dell’infanzia, p.141. “Senza bambino che
l’aiuta a rinnnovarsi, l’uomo degenerebbe”.
(35)
Ibidem, La mente del bambino, p.293.
(36)
M. Montessori, Il segreto dell’infanzia, p.142. “vedremmo che Cristo
aiuta tutti gli uomini sotto le sembianze del bambino”.
(37)
Op. cit., Educazione e pace, p.175. “Noi possiamo dire: L’essere più
religioso nel mondo umano è il bambino”.
− 78 −
論文
「良い羊飼いのたとえ話」から出発する
―モンテッソーリ教育法に基づく―
江島 正子
(群馬医療福祉大学大学院教授)
序文
アメリカの雑誌『タイム』
(Time)は、1947 年 10 月 20 日付けで、世
界的に有名な教育学者マリア・モンテッソーリ(Maria Montessori, 18701952)が、インドのマドラス(Madras)近郊アジャール(Adyar)の神智
学協会本部の施設内で今もモンテッソーリ教員養成コースを続けていると
(1)
報道した。
1939 年 11 月、モンテッソーリは息子のマリオ(1898–1982)と共に、
インドでモンテッソーリ教員養成コースを開き、モンテッソーリ教育につ
いて講演するために渡印していたのである。
世界中で多くの著名人から深い友情を示されたモンテッソーリだが、
インドではアメダバードのシュレヤース財団(Shreyas Foundation;
Ambawadi, Amdavad 380 015 Gujarat India Tel.6601383 6601378 Res.
6449513)のレナ・サラバハイ(Leena Sarabhai)一族からも絶大な支援
を得ていた。しかし、モンテッソーリと息子マリオをインドへ実際に招待
(2)
したのは、神智学協会会長ジョージ・アルンデール(George Arundale)
であった。
モンテッソーリはアジャールの神智学協会本部敷地内に居住し、教員養
成コースを開催した。イタリアが 1940 年 6 月に第 2 次世界大戦に参戦す
ると、敵国人として拘束されて南部コダイカナール(Kodaikanal)に抑留
の身となった。シュレヤース財団のサララデヴィ・サラバハイ(Saraladevi
(3)
Sarabhai)
の努力で自由の身になり、再びアジャールの神智学協会のもと
で教員養成コースを開講、講演して、インドにおける子どもたちの教育向上
のために協力しながら、さらにモンテッソーリ教育の普及・発展へと導いた。
なお、神智学と言えば、1909 年夏、モンテッソーリが処女作『子どもの
家における幼児教育のための科学的教育法』
(Il Metodo della Pedagogia
Scientifica applicator all’educazione infantile nelle Case dei Bambini)
− 79 −
アリス・
フランチェッティ
(右)
ラ・モンテスカのフランチェッティ
男爵別邸
ラ・モンテスカのキャンプ場
モンテッソーリ宿泊所
たくさんの蔵書が並んだ図書室
空っぽの図書室(2003 年)
を執筆するために滞在し、そしてまた、最初のモンテッソーリ教員養成コー
スを開いた所はレオポルド・フランチェッティ男爵(Barone Leopoldo
Franchetti)の所有するチッタ・ディ・カステロ(Citta di Castello)近く
(4)
のラ・モンテスカ(La Montesca)
の別邸であったが、彼も、アメリカ
人の妻アリス・フランチェッティ(Alice Franchetti(旧姓 ホルガルテ
ン Hallgarten))男爵夫人(5)も、ニューヨーク時代に神智学協会の会員で
あったことは知られている。ラ・モンテスカ別邸の広い図書室の蔵書には
多くの神智学関連書があったと、第 33 回日本モンテッソーリ協会全国大
会(2000 年)で講演をされたドイツ・ヴュルツブルク大学、ヴィンフリッ
(6)
ト・ベーム(Winfried Böhm,1937-)
教授は説明された。2003 年には市
(7)
の図書館に移されたと聞く。
− 80 −
論文
第 2 次大戦後モンテッソーリはヨーロッパへ 1946 年に戻ったが、翌
年の 1947 年夏には再びインドに戻った。モンテッソーリがまだ無名の若
い頃、ロンドンで知り合い、意気投合したアン・ベザント(Annie Wood
Besant, 1847-1933)の名前のついたセンターで教員養成を再び開講した
り、モンテッソーリ・スクールをオープンさせたりした。冒頭の『タイム』
誌の記事はこの頃のことである。
モンテッソーリは、アジャールの有名な、ヒンズー教で、聖木とされる
シュロ(ベルガンボダイジュ)の巨木の木陰でよく授業をして、
「あなた
は神智学に改宗したのか?」と記者から質問されたという。
1952 年 5 月 6 日にモンテッソーリが他界したとき、マドラスの神智学
協会本部の発行する雑誌『神智学者』
(The Theosophist)に当時の神智
学協会会長 C. ジンナラダジャサァ(C.Jinaradajasa)が巻頭言‘On the
Watch-Tower’に、
「Dr. モンテッソーリは 1899 年 5 月 23 日に神智学協
会に入会した。事務局に入会申込書がある。いつまで会員であったかは分
(8)
からない」
と、モンテッソーリの死去に対する哀悼文を記している。
キャロリー・ウイルソン(Carolie Wilson)は、オーストラリアのシ
ドニー大学でモンテッソーリの博士論文を執筆するにあたり神智学本部の
(9)
事務所へ行った。そして、
「モンテッソーリは神智学協会の会員であった」
と著し、入会申込書を見たと、イギリス・ロンドン大学の History of
(10)
しか
Education Society, Bulletin No.36, Autumn 1985 に発表した。
し、日本モンテッソーリ協会第 3 代会長の上智大学のクラウス・ルーメル
(Klaus Luhmer SJ, 1916-2011)教授は、2004 年 1 月にチェンナイ(かつ
てのマドラス)の神智学協会の本部事務局でみずから調べたが、入会申込
書を見つけることはできなかったという。
モンテッソーリとインドの関連を示す資料は広島大学の中央図書館に所
(11)
蔵されている。
それは、モンテッソーリが 1941 年にアデレ・コスタ
ニョッキ(Adele Costa Gnocchi, 1883-1967)に宛てた往復書簡である。
その便箋のヘッドにはバチカンの、カトリック教会ローマ教皇の紋が印さ
れている。どうしてモンテッソーリがインド滞在中に教皇の紋のついた便
箋を使えたか分からないが、これは「あなたは神智学に改宗したのか?」
という問いに対して、
「わたしはモンテッソーリアンです」という回答と
何か関係があるように思える。
− 81 −
Ⅰ.
「良い羊飼い」の運動を推進するモンテッソーリアン
1.ハラルド・ルードヴィッヒ
第 2 次世界大戦後、1960 年代のわが国におけるモンテッソーリ教育リ
バイバルに大きな影響を与えたドイツの「モンテッソーリ協会」
(本部アー
ヘン)
(Montessori-Vereinigung E.V., Sitz Aachen)は機関誌『モンテッソー
リ』(Montessori;Zeitschrift für Montessori-Paedagogik)を発行してい
るが、2008 年に 2 回にわたってモンテッソーリの宗教教育に関する特集
号を出した。すなわち、第 1 号と第 2 号(Heft 1-2)に「特集 宗教教育
(12)
(13)
(Ⅰ)
」
と第 4 号(Heft 4)に「特集 宗教教育(Ⅱ)」
を出したのであ
る。その最初の方に、アムステルダムの国際モンテッソーリ協会(AMI;
Association Montessori Internationale)の理事や編集委員でもあったド
イツ・ミュンスター大学のハラルド・ルードヴィッヒ(Harald Ludwig,
1940-)教授が「モンテッソーリの宗教と教会への関連性」の論文を寄稿し、
冒頭で次のように述べる。
「1899 年(5 月 23 日 筆者)に神智学協会に入会し、しばらくは神智
学協会の会員であったと指摘されているが、しかしそれだけで彼女が
神智学的な世界観へはっきり転向したと証されている訳ではない。そ
の頃一方で、神智学はカトリック教会内で禁止されてはいなかった。
モンテッソーリが人生の後期(1939–1946)においてインド・マドラ
スの神智学協会の敷地内で生活をして、神智学協会の(インド国にお
いて教育を普及させようという)実際的な目的達成のためにモンテッ
ソーリが個人的に協力したとしても、それが別に会員であった証明に
(14)
はならない」。
このように H・ルードヴィッヒはパウル・オスワルト(Paul Oswald,
1914-1999)の学説を継続してモンテッソーリが、カトリック教育学を代
表する一人であると主張する。また、
ウルリッヒ・シュテーンベルク(Ulrich
Steenberg)も『モンテッソーリ』
(Montessori;46.Jg. 2008)第 4 号で
以下のように述べている。
「マリア・モンテッソーリはカトリック教会の伝統的信仰を持ってい
− 82 −
論文
たが、しかし同時に、開かれた人間として特徴づけることができるの
ではないか。彼女は、人間は宗教的な存在であることを出発点とし、
(15)
そしてキリスト教の啓示を信じていた」
と。
さらに、ギュンター・シュルツ- ベネシュ(Günter Schultz-Benesch,
1925-1997)は、モンテッソーリにとって「個人的な宗教や信仰は別に障害
になっていなかった。けれども、個人の国籍を拒むように、個人の宗教を
拒むようなことは決してなかった。どこでも可能な限り、
そしてできる限り、
聴衆者に対して心を配って、そこで妨げになっているものを取り除こうとし
(16)
ていた」
とモンテッソーリの生き方について解釈を加えるのである。
モンテッソーリはキャラヴァレの生家近くにあるゴチック式の聖マリ
ア(Santa Maria in Castagnola)カトリック教会で幼児洗礼を受けており、
40 歳の頃、毎朝ミサ聖祭に出席し、1910 年 11 月 10 日に彼女は A・マッ
ケローニ(Anna Maria Maccheroni)や A・フェデーリ(Anna Fedeli)や E・
バレリーニ
(Elisabetta Ballerini)
と 4 人で、
「聖母マリアを崇める修道女会」
を設立しようとして有期誓願(17) を立てている。しかし、計画は実現しな
かった。それは上記の H・ルードヴィッヒは「モンテッソーリ教育法はす
べての子どもに普遍的に根拠づけられた教育法なので、もしも宗教や教会
の枠にとらわれるようになっては、モンテッソーリ教育の普及と発展のた
(18)
めに障害になったであろう」
と述べている。当時モンテッソーリの霊的
指導者であったイエズス会士ピエトロ・タッキー・ヴェントゥーリ(Pietro
(19)
Tacchi Venturi, 1961-1951)
も同じように考えており、モンテッソーリ
教育は普遍的で、グローバルな教育法だから、国籍・人種・社会階層によっ
て、また一つの修道女会の枠にはめ込まない方が良いだろうというふうに
指導したという。
モンテッソーリはその当時フランシスコ会女子修道院のシスターたちと
親密な行き来があった。日本と同じようにイタリアは火山国で有名だが、
シシリー島で起こった大地震でメッシーナ市は壊滅状態になり、家族を
失った子どもたちがローマのジュスティ通り 12 番地(Via Giusti 12)の
フランシスコ会女子修道院(20)内にできたモンテッソーリの「子どもの家」
で過ごしたりしていたので、それでモンテッソーリはシスターたちと接し、
ジュスティ通り 12 番地へ頻繁に通っていたのである。
− 83 −
写真 上、ジュスティ通り 12 番地のフランシスコ会女子修道院の正面玄関
とその内部、特別に飾られた花が捧げられたシスターの写真
右下、1910 年頃のモンテッソーリとシスターと子どもたち
モンテッソーリは最終的に修道女会を創立することはなく、また数年後
にこの「子どもの家」も閉鎖されたが、1950 年の 80 歳でも、まだ教育に
(21)
従事する女子修道女会設立の夢を語っていたという。
2.
「良い羊飼い」カテキストの動きへ
モンテッソーリの「子どもの家」はどのような経緯を経て成立したの
であろうか。モンテッソーリは、まずフランスのイタール(Jean Marc
Gaspard Itard, 1774-1838)やセガン(Edouard Seguin, 1812-1880)か
らの精神医学的知見を基礎とし、それからイタリアの先人ロンブロー
ゾ(Cesare Lombroso, 1835-1909; 犯 罪 人 類 学 者 )
、 ケ ト レ(Adolphe
Quetelet, 1796-1874; 統 計 学 者 )
、 バ チ ェ ル リ(Guido Bacelli, 18321916; 外科医学者)
、ジュゼッペ・セルジー(Giuseppe Sergi, 1841-1936;
人類学者でモンテッソーリのローマ大学医学部指導教授)、ジョバン
ニー(Achille de Giovanni, 1838-1916; 形態学者)、モルセルリ(Enriko
Moruselli, 1852-1929; 心理分析学者)らの自然科学的・実証科学的知
− 84 −
論文
見に立って子どもを研究し、さらにペスタロッチ(Heinrich Pestalozzi,
1746-1827)やフレーベル(Friedrich Froebel, 1782-1852)の伝統的教育
(22)
学について研鑽を重ね、彼女独自の教育学的人間学を樹立させた。
「ホルメ」
「吸収する精神」
「敏感期」
「人間の傾向性」のような「内的教
師」によって、人間は自発的に自らの人間形成を行う。科学的に、適切に、
準備された環境構成は「教育的奇跡」を起こす。子どもを実証科学的に観
察しながら、自然科学と精神科学の両分野を含む科学的教育法を試みて、
1907 年マルシー通り 58 番地(Via dei Marsi 58)の「子どもの家」(Casa
dei Bambini)は教育の巡礼所になった。このモンテッソーリの新しい教育
法は、子どもの先天的に宿る、生き生きとした生命力(Vita)を探求し、
子どもの人格の均衡と調和のとれた、全面的な発達と完成を目指す生命へ
の援助(Aid to Life)なのである。したがって、もしも先天的に内在する
可能性、憧れとしての宗教心を涵養しなければ、モンテッソーリ教育の目
的である調和的全体的な人間形成、つまり生命への援助をするということ
と矛盾する。
人間としての最初の幼児期では、視覚・触覚・聴覚・味覚・嗅覚の五感
(23)
を磨く。感覚は世界と文化を征服するための鍵である。
幼児の発達は、
社会的にグローバルな視野に立つだけでなく、さらにコスミックの、宇宙
的な関心事と深く関わる。モンテッソーリは内的教師について語るが、内
的教師は子どもを自己実現させるもので、内的教師の導きにより、教具を
使って活動させる。保育現場では子どもの関心に最大の注意が払われなけ
ればならない。
1909 年、最初のイタリア語で行われた教員養成コースで、モンテッ
ソーリは幼児のため宗教教育について話している。また、彼女の処女
作『子どもの家における幼児教育のための科学的教育法』
(Metodo della
Pedagogia Scientifica appicato all’educatione infantile nelle Casa dei
Bambini; 英語訳『モンテッソーリ・メソッド』
;ドイツ語訳『子どもの
発見』)を読んだスペイン人のヴィンセント・ア・パウロ会のカスレラス
(Casulleras)神父はこのマルシー通り 58 番地の『子どもの家』を教会付
属の施設だと思い、
「私がカトリック信者であることは知られず、また聞
かれてもいないのに、私の方法の根底にはカトリックの精神があることを
(24)
見ぬかれました」
と述べている。
− 85 −
彼女の幼児への宗教教育の関心は、1910 年、教皇ピオ 10 世が人びとが
積極的に典礼、すなわちミサ聖祭にあずかり、ご聖体を拝領するようにと、
教皇教令を出したことにある。これはモンテッソーリの宗教教育にとって
大きな刺激になっている。この「人びと」に幼い子どもをも含める。20
世紀初頭の頃、現在の日本で言えば中学生の 14、15 歳の子どもが初聖体を
受けていたのを、7 歳くらいの子どもでも受けられるようにと勧めた、教
皇令であった。ヘレーネ・ヘルミング(Helene Helming,1888-1977)はピ
オ 10 世とモンテッソーリとの接点を『子供と教会生活』の「解説」の中
で以下のように記す。
「教育学上から、この教皇の望みに応えた最初の人々のうちのひとり
としてモンテッソーリ女史があげられます。女史は、バルセロナの有
名な試みによってこのことを実行したのです。教皇ピウス十世と同じ
ように、女史は、まだ反省力はなくても幼児期に子供の信仰心を開発
し保護し強化するということが、その子供の全生涯にとって根本的に
(25)
重要な意味を持つものであると考えていたのです」。
子どもを観察していると、その存在は深淵で高貴な宗教生活への人間的
な傾向性を持つことが分かった。モンテッソーリは教皇の典礼運動に積極
的に賛同した。このようにモンテッソーリの宗教教育はより小さい子ども
の初聖体準備教育と、それからピオ 10 世の教令による「人々を積極的に
典礼(ミサ)にあずかるように指導しよう」という言葉」が大きな契機に
(26)
なったのである。
1915 年にスペインのモンセラートで典礼の会議が開かれたとき、モン
テッソーリの代理として親友アンナ・マッケローニが出席し、
「典礼とそ
の教授法」
(Liturgy and Its Pedagogical Teaching)のテーマでキリスト教
の教義について解説する内容の講演を行った。
1916 年、モンテッソーリ教育法を幼児の典礼教育に適用させる試みを
バルセロナでより一層展開させ、子どもが生活しながら宗教に参加する宗
教教育を行う所(場所、教室)を「アトリウム」と呼んだ。アトリウムは、
幼い子どものための教具、家具、教材で、宗教教育のための環境構成を整
えた。子どもたちも、みずから環境構成に責任を持つ。例えば、お掃除す
− 86 −
論文
る、花を生けるなどで教会の信仰生活を目指すのである。モンテッソーリ
は子どもの宗教教育の敏感期を発見し、幼児期の子どもは「神さまと特別
に 」 親密に結ばれた関係にあるという。バルセロナの子どもたちは小麦の
種をまき、収穫してミサ用のパンを作り、ブドウも育てて、ミサ聖祭に用
いたりした。
1922 年、
『教会に生きる子どもたち』初版を発行。
1929 年、デンマークのエルシノーラで新教育学会(World Education
Fellowship(WEF)
; 旧称 New Education Fellowship)の第 1 回大会が
開催された際に、モンテッソーリは同時に、国際モンテッソーリ協会
(Association Montessori Internationale(AMI)
)を設立させた。
1931 年、
『キリストの生涯』を発行し、モンテッソーリは生きる意味を
説明。
1937 年、ロンドンの修道院で「宗教教育」について講演。この講演は
モンテッソーリ著 クラウス・ルーメル他共訳『子ども―社会―世界』ドン・
ボスコ社、1996 年、2012 年、46 〜 56 頁参照。
1939 年〜 1946 年、インド滞在中にカトリック教徒、ヒンズー教徒、イ
スラム教徒のための宗教教育コースを開催。
1946 年、フランス語の『宗教教育』刊行。
ロンドン・コースで「宗教教育」について講義。
(マリア・モンテッ
ソーリ著 クラウス・ルーメル他 共訳『子ども―社会―世界』前掲書
56 〜 69 頁)
。
1949 年、
『子どものミサ解説』
。
1951 年 5 月 18 日のロンドン世界会議で、モンテッソーリは幼児の宗教
教育について講演。
1952 年 5 月 6 日、
82 歳のお誕生日を眼前にしてオランダのノルドヴェー
クアーンゼーにて死去。
1954 年、モンテッソーリ教育法を用いた初聖体の準備教育は、ローマ
でモンテッソーリの生涯の親友アデレ・コスタニョッキー(Adele Costa
Gnocchi, 1883-1967)
、ヘブライ語学者・宗教学者ソフィア・カヴァレッティ
(Sofia Cavalletti,1917-2011)
、モンテッソーリの最後のコースの助手ジャ
ンナ・ゴビー(Giannan Gobbi,1919-2002)
、0 〜 3 歳児のモンテッソーリ
教育コースのトレーナーであるシルヴァーナ・Q. モンタナーロ(Silvana
− 87 −
Q. Montanaro)たちによって受け継がれた。初聖体の準備教育となり幼児
のための聖書のお話と典礼教育にモンテッソーリ教育法を適用した。この
宗教教育のセンター(アトリウム)の住所は Via Degli Orsini 34, 00186
Roma であった。週 1 回、午後に 2 時間で行われていた。
1957 年、ソフィア・カヴァレッティはローマで開催されたモンテッソー
リ国際会議で「宗教教育とモンテッソーリ教育」について講演した。彼女
によれば、神さまと子どもの関係は若い男女がお互いに惹かれ合う恋人同
士のようなものであるという。
1990 年の終わりや、2000 年はじめ頃において、カヴァレッティのアト
リウムでコース研修会が定期的に開催されて筆者はこれに参加した。
2011 年 8 月 23 日のカヴァレッティ死去後、彼女のアトリウムは閉鎖さ
れた。
現在、カヴァレッティの弟子たちは世界の各地で活動している。例え
ば、アメリカでは、The Catechesis of the Good Shepherd, P.O.Box 1084,
Oak Park, Illinois 60304 USA がある。2013 年には筆者はオランダ・ライ
デンの Herensingel 3, 2316 JS Leiden; www. catechesegoedeherder.nl +316-214 038 94 で開かれた 3 〜 6 歳児(レベルⅠ)のための宗教コースに
参加したりした。このグループの研修は英語で行われた。トレーナーはア
メリカ人リンダ・カイエル(Linda Kaiel)で、彼女のコースは 2014 年 10
月に 6 〜 9 歳児(レベルⅡ)が上記の同じアトリウムで開かれ、さらに
2015 年 2 月にも継続して開かれる。また 3 〜 6 歳児用のコースは、オー
ストリアのウィーンで(ドイツ語)で行われ、筆者は参加した。これの会
場は Atrium Pfarre St. Karl で、問い合わせ先は Lidia Trauttmansdorff,
0676/3119655 である。
「良い羊飼い」カテキストの活動内容は以下のとおりである。
3.3 〜 6 歳児のための活動(レべルⅠ)
3 〜 6 歳児のプログラム、すなわちレべルⅠとしては以下のような種類
の活動がある。
(1)準備の練習
A. 日常生活の練習の分野で
− 88 −
論文
①衣服を脱ぎ ハンガーに掛ける ②階段を上る ③ドアを開け、閉め
る ④じゅうたんの巻き伸ばし ⑤椅子を運ぶ ⑥注意深く聞くために
座る ⑦クッションを使う ⑧お盆を運ぶ ⑨ローソクの点滅 ⑩お花
を生ける ⑪お花の水替え ⑫汚れを洗う
B. 静粛の練習で
①静けさへ注意を向ける ②音楽に合わせて歩く、止まる ③線上歩行
④聞く練習 (2)聖書 (3)聖書の地理
① 地球儀のイスラエル ②イスラエルの 4 地域と重要な町 ③エルサ
レム
(4)予言 ①光の予言 ②イエス誕生の予言
(5)イエスの生活における出来事とその後 A. クリスマスとご公現の間の出来事 ①イエス誕生のお告げ ②マリアのエリサベト訪問 ③イエスの誕生 ④三人の博士の祈り ⑤神殿の出来事 ⑥エジプトへ逃亡 B. 復活祭と聖霊降臨祭の間の出来事 ①空っぽの墓 ②聖霊降臨 ③聖霊のお恵み
(6)たとえ話 A. 啓示のたとえ話 ①良い羊飼い ②見つけた羊 ③穀物のたとえ話 B. 神の国のたとえ話 ①天の国とからし種 ②天の国と真珠 ③天の国とパン種 ④畑の宝物
についてのたとえ話 ⑤自分で大きくなる国のたとえ話 (7)洗礼 ①光と白い服 ②水とことば ③ローソクのしるし ④水についての恵
みのジェスチャー ⑤聖油と香油
(8)ミサ聖祭 A. ミサへの準備
①祭壇 ②ミサの用度品 ③聖ひつ ④典礼の色 ⑤典礼カレンダー ⑥司祭服
− 89 −
B.「良い羊飼いの現存」
、
「司祭の使命を知る」
①手を洗う ②(ぶどう酒と水を混ぜる)奉献 ③聖霊が降ることを願
う ④パンとぶどう酒を高く掲げる ⑤平和のあいさつ ⑥最後の晩さ
ん ⑦聖体の中に良い羊飼いの現存 ⑧光の典礼など
モンテッソーリ教育法に基づく幼い子どものため宗教教育の特徴は、教
具が子どもサイズ、ミニサイズであること。アトリウムにワンセットが準
備されていること。教具相互に関連性があり、教具は魅惑的で、美的感覚
が備わり、子どもに「触ってね!」と誘うような要因を含んでいること。
もしも間違って活動したら、間違いの自己訂正がある。活動していると
ちょっと難しい箇所が一つあり、そこが夢中になって取り組む要因になっ
ており、集中現象を起こす。直接目的と、間接目的を教具は含む、などが
挙げられる。
Ⅱ.
「良い羊飼いのたとえ話」の活動
「良い羊飼いのたとえ話」の活動に使用する教具 カヴァレッティとヴァレンティナ
モンテッソーリ教育法を幼児の初聖体の準備教育のため、S・カヴァレッ
ティやG・ゴビーを中心に展開された宗教教育メソッドは、一般に「良い
羊飼い」のカテキスト運動と呼ばれる。このグループにおける幼児の中心
としている活動は、
「良い羊飼いのたとえ話」の活動で代表される。筆者
が 1982 年にローマのS・カヴァレッティのアトリウムへ行った時、彼女
は夏休みで泊まりに来ていた姪のヴァレンティナちゃんに提供の仕方を見
せてくれた。(写真 右上)それは以下のとおりである。
− 90 −
論文
年齢
2 歳半以上 個別またはグループ指導
教具
良い羊飼いと約 10 匹の羊の木製人形(二次元)
小さな青い本 囲いのついた円形の牧場
時期
随時 特に復活祭前
聖書の個所
ヨハネによる福音 10・1 - 10
提供教師はヨハネによる福音 10・1 - 10 の箇所を自分の
ことばで話す。
聖書の内容を忠実に、瞑想するように話す。
教師は「良い羊飼い」の教具箱を開ける。
教師は「良い羊飼いのたとえ話」の青い本を読む。
良い羊飼いと羊の木製人形を動かす。
注意点
教師は最初に良い羊飼いはイエスだと言う。
良い羊飼いは羊の名前を一匹一匹知っていて、それぞれ
の名前を呼ぶ。
羊はいつも良い羊飼いから呼ばれ、良い羊飼いの声を
知っているので、良い羊飼いのもとに集まる。
良い羊飼いは牧場の囲いの中から羊を外へ連れ出す。危
険から守る。
良い羊飼いは羊のため、身をささげる。羊は良い羊飼い
のもとに集まる。
良い羊飼いの声は力強く、羊は聞くことができる。最終
的に、羊は一カ所に集まる。
子どもの活動 幼児は良い羊飼いと羊の二次元の人形を動かす。
幼児は内的に瞑想する。
幼児は良い羊飼いと内的な関わり合い(恋愛関係にある
恋人同士のような結びつき)を持つ。
活動の展開
幼児は反復活動を行う。
聖書を読む。
小さい青い本を書き写す。
ぬり絵をする。
「良い羊飼いのたとえ話」の活動の自由画を描く。
− 91 −
興味点
幼児は羊が誰かを自然に発見する。
これは幼児にとって喜びと驚きの根源になる。
直接目的
聖書の「良い羊飼いのたとえ話」を知る。
「良い羊飼いのたとえ話」による生命の神秘を体験し、
その種をまく。
間接目的
幼児は基本的な信頼・愛・信仰の土台を築く。
子ども自身による内発的な道徳の芽ばえ。
神学的意味
良い羊飼いは神であり、イエスである。
良い羊飼いは羊一匹一匹の名前を知っている。
羊は良い羊飼いの声をいつも聞いて、慣れているので、
後について行く。
良い羊飼いは彼の羊たちの羊飼いである。最終的に、他
の羊たちも彼について行く。
「良い羊飼いのたとえ話」の活動を何回も繰り返した後、
「ミサ聖祭」の提供へ続く。カヴァレッティはヴァレン
ティナちゃんには、すぐ提供した。(写真 右下)
Ⅲ.ミサ聖祭
1.
「良い羊飼いの現存」2.
「司祭の使命を知る」の提供は次のとおり。
1.
「良い羊飼いの現存」
年齢 3 〜 6 歳
個別またはグループ指導
10 人の木製人像 カヴァレッティとヴァレンティナ
− 92 −
論文
教具
「良い羊飼いのたとえ話」の教具とテーブル 白いテーブルクロ
ス 良い羊飼い(白の木製人形)
約 10 人の木製人形
小さなパテナ 小さなカリス オレンジ色の小さい本
時期 随時「良い羊飼いのたとえ話」の活動後 聖書 ヨハネによる福音 10・1 - 10 と典礼
提供 1.イエスがご自分は「良い羊飼い」だとおっしゃったことや、
一匹一匹の羊の名前をご存じであることを思い起こす。
(教師
は良い羊飼いの教具を置く。)
2. 羊は良い羊飼いの声を聞き分け、知っていて、従う。
3. 良い羊飼いは羊にとっていちばん良いことをしてくださる。
4.良い羊飼いは羊と共に居る特別な時間と特別な場所を与えて
いる。
(教師は小さいテーブル(祭壇)と、その上に白いテーブルク
ロスを置く。)
5.(教師は祭壇を見ながら)
質問:特別な時間と特別な場所はど
こ?と子どもに尋ねる。
答え:ごミサのとき。
6.羊飼いは、いつもごミサのときに現存する。
(教師は祭壇の上
7.良い羊飼いは羊一匹一匹の名前を呼び、羊はその声を聞き、
に良い羊飼いの白い木製人形を置く。)
良い羊飼いの所に来る。
(羊の一匹一匹は 、 牧場から祭壇の周
りへ前進する。)
8.良い羊飼いは、もはやこれ(良い羊飼いの白い木製人形) で
はなく、
ここに居られる……
(教師は祭壇の上にパテナを置き)
パンの中に。
そして(カリスを置く) ぶどう酒の形で。
(教師は良い羊飼い
の白い木製人形を取り去る)。
9.良い羊飼いはパンとぶどう酒の形で現存(聖変化)しておら
れる。
10.良い羊飼いは、現在、私たちの身近におられる。
注意点良い知らせ――イエスはミサのとき、パンとぶどう酒の形で
− 93 −
現存する。
「良い羊飼いの現存」を具現化している。
ご聖体の秘跡は、
直接目的ミサ聖祭中、パンとぶどう酒の中に良い羊飼いが現存するこ
とを体験、理解する。
ミサ聖祭は特別な時間で、そこで良い羊飼いが羊と特別な関
係にある。
間接目的 聖書と典礼の一致。
共同体への導入。
礼拝式への積極的参加のお手伝い。
ミサは良い羊飼いが羊を一匹一匹の名前で呼び、パンとぶど
う酒の形でみずからをお与えになる時間と場所。
2.
「司祭の使命を知る」
「良い羊飼い」と「Ⅲ.ミサ聖祭 1.良い羊飼いの現存」のときに
教具
使用した教具
時期随時 「良い羊飼いのたとえ話」と「Ⅲ.ミサ聖祭 1.良い羊飼い
の現存」の活動後
直接目的 司祭の使命を認識する。
間接目的 司祭の特別な役割を明確化する。
司祭は私たちと同じ人間の一人である。
イエスはミサで、皆のために祭壇上でみずから現存する。
提供 11.子どもたちはすでに、誰が羊であるかを発見し、答えは私た
ち人間。
(羊を人間の木製人形に置き換える。その際、人間を羊の横に
置き、羊を牧場へ歩くようにして戻す……一匹の羊以外は。)
12.まだ羊一匹が残っている。誰なのか? 人間で、特別な使命を
持つ人。
(答え:司祭。司祭の木製人形を羊の木製人形と置き換え、そ
の羊も牧場へ戻す。)
13.司祭は特別な使命がある。彼はパンを取り、
(司祭の前にパン
をのせたパテナを持ち、別の手で小さい本を持って読む)。「こ
れはあなたがたのために わたされる わたしのからだであ
− 94 −
論文
る」。
14.
(小さなカリスを持ち、小さい本を読む)。「これは あなたが
15.こうしてイエスは、いつでも、どこでも、すべての人と共に
16.聖歌を歌う。
たのためにわたされる わたしのちである」。
おられる。
活動の展開 自由画を描く。
注意点 司祭は特別な使命がある。
司祭はイエスご自身が最後の晩さんで述べられたパンとぶどう
酒の聖別の言葉を繰り返して唱えている。
おわりに
「良い羊飼いのたとえ話」から出発する、このモンテッソーリ教育法に
よる宗教教育はカトリック教会以外にも適用されている。例えば、イタリ
アのアッシジで開かれた研修会にはアメリカ聖公会からのグループ参加者
が多かったことが思い出される。今年の第 47 回日本モンテッソーリ協会
(学会)全国大会(横浜みなとみらいパシフィコ会議センター)でも、実は「良
い羊飼い」カテキストから始まった内容は二つあった。その第一は、本内
容が「応用講座」で行われた。その第二は、
「研究発表」での「子どもと礼拝」
である。発表者はブラウネルのぞみ会員で、彼女は改革派の宣教師だとい
う。この改革派グループからは、
『ちいさな子どもたちと礼拝』という「良
い羊飼い」を土台にした出版物も発行されているが、それぞれに解釈は相
違があるようである。エキュメニズムの今日、さらなる発表が期待される
次第である。
注
(1)
, Time, 20. October, 1947, p.29. In:History
‘The First Progressive’
of Education Sience, Bulletin No.36 1985, p.52.
(2)Rita Kramer, Maria Montessori. A Biography. G.P.Putnam’s Sons.
New York, ISBN: 399-11304-5, p.342. 邦訳 平井久監訳『マリア・
モンテッソーリ 子どもへの愛と生涯』新曜社、1981 年、482 頁参照。
− 95 −
(3)Leena Sarabhai の母親である Saraladevi Sarabhai はインド・モ
ンテッソーリ協会副会長。彼女の写真は Association Montessori
Internationale, Maria Montessori; A Centenary Anthology 18701952. Amsterdam. 51 頁掲載。
モンテッソーリの孫の Renilde Montessori の E-mail、2004 年 2 月 1
日参照。
(4)Maria Luciana Buseghin, Cara Marietta… Lettere di Alice
Hallgarten Franchetti(1901-1911)
. Tela Umbra. 2002.
(5)カレンダー。 Leopoldo e Alice Franchetti Le Fatiche di Ercole
Associazione. 2003 Marzo.
(6)W. ベーム教授の日本モンテッソーリ協会第 33 回全国大会で行った
講演内容(邦文・独文)は『モンテッソーリ教育』第 33 号 2000 年
10 〜 30 頁に掲載されている。この 33 号には、モンテッソーリの孫
娘のレニルデ・モンテッソーリ女史の講演(邦文・英文)も 2 〜 9 頁
に掲載されている。
(7)2003 年 4 月、図書室は空っぽ。
‘On the Watch-Tower’in: The Theosophist. Edited by C.
(8)
Jjnarajadasa. July 1952. Vol.73, No.10. p.217.
(9)同上。
(10)
Carplie Wilson,‘Montessori was a Theosophist.’In: History of
Education Society. Bulletin No.36 1985, p.52. School of Educationa
Foundation and Policy l Studies. Institute of Education. University of
London, Dr. David Crock の 2002 年 1 月 30 日付書簡。 (11)
広島大学中央図書館 配架場所 中央図書館 特別資料室 登録番号
0100226945、請求記号 372/15-145。
Montessori. Zeitschrift für Montessori Pädagogik, Thema‘Reliöse
(12)
Erziehung(Ⅰ)
’
, 46. Jg., 2008, Heft 1-2, Montessori-Verein e.V. Sitz
Aachen.
(13)
Montessori. Zeitschrift für Montessori Pädagogik, Thema‘Religiöse
Erziehung(Ⅱ)
’
, 46. Jg., 2008, Heft 4, Montessori-Verein e.V. Sitz
Aachen.
(14)
Harald Ludwig,‘Maria Montessoris Verhältnis zu Religion und
− 96 −
論文
Kirche’
. In: Montessori. Zeitschrft für Montessori Pädagogik. Thema
‘Religiöse Erziehung(Ⅰ)
’
, a.a.O.,S.6.
(15)Urich Steenberg,‘Religiöse Erziehung in der Montessori Pädagogik’
,
in: Montessori. Zeitschrift für Montessori Pädagogik. Thema
‘Religiöse Erziehung(Ⅱ)
’
, a.a.O.,S.218.
(16)
Günter Schulz-Benesch,‘Über Montessoris persönliches Verhältnis
zu Religion und Kirche’in: Maria Montessori, Gott und das Kind.
Hrsg. u. eingeleitet von Günter Schultz-Benesch. Herder. Kl.
Schriften Maria Montessoris 4, 1995, S.193.
(17)
江島正子著『モンテッソーリ教育のこころ』学苑社、1993 年、1996 年、
58 頁。江島正子著『モンテッソーリの人間形成』関東学園大学研究
叢書 5、1993 年、118 頁も参照。
Harald Ludwig, a.a.O.,S.6.
(18)
(19)注(17)参照。
(20)
V ia Giusti 12 のフランシスコ会女子修道院(正式にはマリアの宣教
者フランシスコ修道会)とモンテッソーリとの関わりについては、前
之園幸一郎先生の第 47 回全国大会(横浜みなとみらいパシフィコ会
議センター)
の基礎講座で発表された。その内容は本誌第 47 号(61-78
頁)に掲載。
(21)
Günter Schulz-Benesch,a.a.O., S.198.
『モンテッソーリ教育』
(22)クラウス・ルーメル「モンテッソーリの人間学」
第 30 号、1997 年、61-69 頁。
マリア・モンテッソーリ著 クラウス・ルーメル他訳『モンテッソー
(23)
リ教育法―基礎理論』エンデルレ書店、1983 年、5 頁以降。 (24)
モンテッソーリ著 保田史郎訳『子供と教会生活』エンデルレ書店、
1966 年、9 頁。
ヘレーネ・ヘルミング「本書の解説―読者への手引き―」モンテッソー
(25)
リ著『子供と教会生活』同上、
1 頁。モンテッソーリ著 鼔常良訳『子
どもの発見』国土社、1971 年、1974 年、第 22 章も参照。
モンテッソーリ著『子供と教会生活』同上、10 頁。
(26)
− 97 −
モンテッソーリ教育における「知」と「行」
― 東洋思想からの考察―
瀧口 洋
(松蔭大学大学院教授)
1.緒言
「知」と「行」はともに現在広い意味で用いられている言葉であるので、
まず、本論文で用いる「知」と「行」の意味を明確に限定しなければなら
ない。現時点で用いられている言葉の意味を探るには広辞苑最新版が妥当
であると考える。
「知」とは、広辞苑(岩波書店)によれば、①しること、しらせること、
②しりあい、③よくしること、④つかさどること、⑤さとること、ちえ、
とあり、広範な意味を有するが、本論文の中での「知」は、知ることに意
味を限定するものであり、その結果「知識」を獲得することをも意味して
おり、ひと言で言えば、学ぶことを意味することとする。
イギリスの哲学者エイヤーは、
その著書『知識の問題』
(1956 年)の中で、
(1)
「知識」を以下のように定義している。
① P が真であることに S が確信を持っており、
② P が真であり、
③なおかつ、Pが真だということにSが確信をもつのは当然である
とあるが、この定義では、Pにはある文章が、また、Sには人の名前が
入ることになる。この定義において最も重要なことは、それが真であるこ
とであろう。なお、③は分かりにくいかもしれないが、信念の正当化であ
(1)
ると解釈できる。
一方、
「行」とは、同じく広辞苑によれば、①ゆくこと、すすむこと、②旅、
③おこなうこと、すること、ふるまい、などの広範な意味を有するが、本
論文の中の「行」は、知識を獲得するために行うこと、することにその意
味を限定するが、さらに、ここで得られた知識を実践してみる行動も包含
するものとする。
本論文では、幼児期にモンテッソーリ教育に出会った子どもはいかに学
び、いかに行動し、いかに知識を獲得していくか、東洋思想の視点から考
− 98 −
論文
察してみたい。
2.
「知」と「行」に関する東洋思想
(1)墨子における「知」と「行」
古代中国、春秋戦国時代の思想家、墨子(生没年不詳、紀元前 450–390
頃?)によれば、知は知覚本能であり、それによって事物を認知すること
(2)
である。
同じく墨子によれば、知識を獲得するには、
「親知」
、
「聞知」お
(3)
よび「説知」の 3 つの方法がある。
「親知」とは、自ら観察し、行動し、経験して、自ら知識を獲得するこ
とであり、
そこで得られた知識である。
「親知」の親は、中国語では本来、
「自
ら」
、
「自分から」の意味があるが、日本語でも、親展、親書、親告のごとく、
親には自分で直接に、自らの意味がある。
親知は幼児期でも可能であるばかりでなく、後述のごとく、これは幼児
が最も得意とする知の方法であり、学ぶことの基本であると著者は考える。
なお、親知については、後述の「自己教育」の項においても論ずるごとく、
モンテッソーリ教育における自己教育に通ずるものと考えている。
これに対して「聞知」は師友により伝授されて得られる知識であり、こ
(3)
れには書物から学んだ場合も含まれる。
学齢期前の幼児は、聞知を遂行
するには幼すぎて、一般的にはそれを実行することは困難である。
一方、「説知」は、想像、推測などにより、頭の中で考え出された知識
(3)
を意味する。
しかし、ここで得られた情報が単なる想像、推測にとどまり、
知識と言える段階にまで至るか否かいささか分かりにくいところがあろう。
しかし、説知は、現代的な視点で解釈するならば、すでに頭の中にある
知識を組み合わせて想像し、推測して、新しい説を構築し、できれば実証
して、それを自ら知りえたものとして公にするならば、それは創造であり、
研究の成果であると解釈しうる。したがって、説知は、親知、聞知を繰り
返し、多量の知識を蓄積した上に創造性を持つ個人にのみ許される知であ
ることになろう。
新しい知識を獲得していく過程は、墨子によれば、「慮」、「接」、「明」
(4)
の三段階に分けられる。
すなわち、慮は知識を求める状態を言い、その
ための認識能力を意味する。次に、知識を獲得するためには、その対象に
「接」しなければならないが、具体的には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅
− 99 −
覚の五感を駆使して接することになる。
しかし、感覚器官を通じて得た知識は初期的で、完全ではない。ここで
得られた知識を脳内で総合的に整理し、分析し、推論を加えて、はじめて
「明」の段階に至り、ここで、はじめてそれが本物の知識となる。
接の段階では、自らの感覚器官を働かせるためには、自らの行が必要な
場合も多く、後述の陶行知の項に述べるごとく、まずは行があってはじめ
て知に至るとの考え方が出てくるのは当然であろう。
(2)朱子における「知」と「行」
朱子(1130 ? –1200 ?)によれば、知と行について、ある事象に基づ
(5)
き考えるならば、知が先で、行は後であると説明されている。
ここでの
知は、当時であれば、中国の古典などを聞知で学ぶことを意味しており、
行は、得られた知識に基づく、あるいは、それに関連する行動、実行、実
施を意味するものと解釈しうる。
朱子によれば、知が至れば道理はわけもなく明確となり、楽々実行でき
(6)
るが、知っても行が伴わない場合は、知がまだ浅いからである。
また、
朱子によれば、知と行は分かれており、先後があるが、最終的には「知行
合一」に至る(6)と言う。
(7)
(3)王陽明における「知」と「行」
朱子の知行二分説、先知後行説、主知主義が長い間、人々の間で常識に
なっていた当時、
王陽明(1472–1528)の知行合一説はそれらのアンチテー
(8)
ゼとして提示された。
王陽明の語録である『伝習録』によれば,仮に、知っても行動に移さな
い人がいたとしたら、その人はよく知らないか、または、十分に理解して
(9)
いないかである。
王陽明は「知行合一」を唱えているが、ここでは、知と行を別々のもの
と認識した上で一つに合わせるという意味ではなく、もともと知と行は最
(8)
初から一体化しており、もともと分割できないという意味である。
また、
陽明学においては、知の段階で一瞬でも行を意識するならば、それは実行
したことであるとしている(8)が、この点が分かりにくいところでもある。
ちなみに、Internet USA で王陽明(Wang Yangming)を検索すると、
− 100 −
論文
知行合一の英語訳が出てくるが、それは“Knowledge implies practice.”
または、
“Awareness comes only through practice.”である。合理的な西洋
人の頭の中を通過すると、知行合一も分かりやすくなり、簡潔に表現され
ている。すなわち、西洋で通用している知行合一は、前述のごとく、第一
の英文には「知識には実践が包含される」とあるように、行動または実践
の伴わない知はあり得ないことになり、知と行は合一してはじめて知識と
なることを意味している。また、第二の英文の「実践を通してのみ認識さ
れる」も、単なる知だけでは認識には至らず、実践の重要性を示している。
(7)
(4)吉田松陰における「知」と「行」
吉田松陰(1830–1859)は、孟子講読の感想、批評、意見などを一書に
まとめた『講孟余話』を著したが、その萬章下の首章の中で「知」と「行」
(10)
について以下のごとく述べている。
すなわち、
「知と行は二つにして一つ、
一つにして二つ、
(中略)知先にして行後とせざれば、明らかならず。(中略)
知を以って先とせざるを得ず。
(中略)行を以って重しとせざるをえず」。
松陰の上述の言葉における「知」は学問すること、学ぶことを意味して
おり、「行」は学んだことの実践、行動を意味するものとして解釈すると
分かりやすい。
吉田松陰の講説は以下のように続く。
「知にして行を廃するは、真の知
にあらず、行にして知を廃するは、実の行にあらず。
(中略)知は行の本
(11)
たり。行は知の実たり」
。
思想家であり、情熱的な教育者であった吉田松陰は松下村塾で弟子たち
の知を磨くだけでなく、行も賦活化した結果、実行力が旺盛で、有能な人物、
高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、維新の人材が多数輩出した。
3.陶行知における「知」と「行」
陶行知(1891–1946)は近代中国における代表的な教育者であり、マリ
ア・モンテッソーリとほぼ同時代の人である。彼は幼い頃は私塾に通い、
儒家思想の影響を受け、王陽明の「知行合一」を信奉し、本名を捨てて陶
(10)
知行と改名し、
「知行合一」
、
「知行並進」の考えに立って教育を行った。
ちなみに、彼はアメリカに留学してデューイに師事し、一時日本に亡命し
(12)
たことがある。
− 101 −
陶知行は 43 歳の時、行を通して得た知こそ真の知識であることに気づ
き、
「行是知之始」と題する論文を発表し、
その中で、王陽明の「知是行之始、
行是知之成」に対して、陶行知は「行是知之始、知是行之成」と主張し、行、
すなわち行動の重要性を強調し、本人の名前も再び陶知行から陶行知に改
(12)
めた。
陶行知によれば、行と知の具体例として、子どもは手に火傷を負って初
めて火は熱いことを知り、手が凍えたら初めて雪が冷たいことを知り、飴
(12)
を口にしてそれが甘いことを知ることができることを挙げている。
これらの体験は、いずれも自ら行動して学んだ例であり、これらはいず
れも親知であろう。陶行知によれば、親知こそがすべて知識の根本であり、
聞知と説知も親知に根ざしてこそ、初めてその効力を発揮する(12)という。
彼は、行と知の関係について、さらに言葉をつないで、行動したら知識
を獲得することができ、知識を得たら、創造することができ、創造するこ
とができれば興味が湧く(12)と言う。
陶行知のこの言葉は、墨子のそれと組み合わせると以下のように解釈さ
れよう。すなわち、親知および聞知を重ねて十分な知識を獲得すれば、個
人の努力により創造が行われ、新しい説知を構築することができ、学問に
さらに関心を深めることとなろう。
「モンテッソーリ教育」における「知」と「行」
4.
前之園(13)によれば、マリア・モンテッソーリ(1870–1952)はローマ大
学医学部を卒業して精神科医になった(13)が、1907 年ローマの比較的貧し
い住民の多い地域に「こどもの家」を開設して、
ひたすら幼児の観察を行っ
(14)
た。
その結果、モンテッソーリは、まず、幼児が何かに集中した後、顕
著なる変化をもたらすことを見いだし、その協力者の女教師も幼児のその
変化を見ると天使が乗り移ったようであると表現している。これらの変化
を観察し続けた結果、モンテッソーリは、大きな興奮とともに、幼児に対
(14)
して尊敬の念を持つに至った。
モンテッソーリ教育には多くの特徴的な重要事項があるが、実際に幼児
に教育を行おうとする場合に、特に重要と思われる「自己教育」、
「敏感期」
および「吸収する心」の 3 項目を取り上げ、
前述の東洋思想の視点から「知」
と「行」について考察を加えていく。
− 102 −
論文
(1)自己教育(self-education)
行動を特定の目標に方向づけ、駆り立て、それを維持するのが動機であ
り、それで触発される過程が動機づけである。これは、一般的には、外発
的動機づけと内発的動機づけに分けることができよう。
外発的動機づけでは、行動が外的な報酬によって触発されるが、これは、
(15)
普通、賞罰の形で進行し、この場合に働くのは欠乏充足の欲求である。
外発的動機づけは、動物に芸を覚えさせる時に広く用いられてきたが、最
近でも、子どもの教育の場でもこれが広く採用されてきて、厳しい社会的
批判を受けている。
一方、内発的動機づけの源泉は、滝沢(15)によれば、
「成長への欲求」で
あることが以下のように明らかにされている。すなわち、幼児には「成長
への欲求」があり、これが幼児を支配しており、それに基づく行動は、自
らを完成させるための内的な生命の衝動の現れと見なされている。この行
動は、外的報酬に依存することなく、
「やりたいからやる」行動であり、
内発的動機づけによる行動であると見なされる。
この行動の中心となるのは知的好奇心である(15)と解釈される。すなわち、
幼児は自分の持ち合わせている知識,経験では処理しきれない新奇さ、意
外さ、あいまいさ、複雑さを環境の中に見いだすと、それを深く知りたい、
首尾一貫した仕方で理解したいという欲求に駆り立てられて、新しい知識、
経験を探索する行動を開始する(15)との解釈がなされている。
ここで言う「成長への欲求」に基づく、幼児の学びは、自ら学んだこと
には違いなく、前述の東洋思想で言う親知そのものであると解釈できよう。
親知を行おうとしている幼児は、
「成長への欲求」に基づきすでに内的
動機づけは完了しているので、東洋思想の項に述べたごとく、親知を実行
するための 3 つの段階のうちの最初のステップの「慮」、すなわち知識を
求めている状態には、すでに到達しているものと解釈され、さらにその幼
児自身の認識能力が十分に通用する教育内容が選択されるならば、幼児は
親知を実施する準備段階は完了しているものと解釈しうる。
親知は自ら学ぶことであるので、これは自己学習とも言えるが、これで
学んだ結果は自らを教育することでもある。自らを教育することは、モン
テッソーリ教育においては、自己教育または自己教育力と言う。しかし、
自己学習力と自己教育とは、どこがどう違うのか、いまだはっきりしてい
− 103 −
ない(16)のであれば、自己学習力と自己教育力とは同じであることになり、
親知は、幼児の自己教育とまったく同じであると考えることができよう。
モンテッソーリ教育において、自己教育とは、自分自身の発達のために、
何をしたらよいかを自ら感じて、環境の中にその対象を見つけだし、それ
(17)
を使って何かをやろうとする衝動をもつことと定義される。
この定義に
よれば、幼児は、自らに備わっている自己教育力により新しい知識を求め
る状態、すなわち、墨子の言う慮をすでに創りだしていることになろう。
自己教育の効果的実施を可能とするための必須条件は、活動選択の自由
が幼児に保障されていることであり、さらに自己教育実施のためには、幼
児の個別行動の保障も重要な条件であろう。
これらの条件は、自己教育力を高く保持し、慮を準備する上にきわめて
重要であり、これらの条件が整えば、幼児の慮の状態は乱されず、その状
態が保持されよう。これらの条件は、慮のみならず、接、明の段階にスムー
ズに移行してそれらを実施するためにもきわめて重要である。
このような状態で、幼児が何に取り組むかを自己決定することができる
ならば、自己教育力を高め、それを発揮するだけでなく、幼児の自己の確立、
形成にきわめて効果的であろう。
自己教育力は幼児に備わった潜在的能力であるとも言われる(15)が、後述
するごとく「敏感期」にある幼児が、
その「吸収する心」をもってさらに発達、
成長していくためには、この自己教育力に依存していくことになる。
ここで、自己教育においては知と行のうちどちらが先に起こされるのか、
この点について考察してみたい。
「モンテッソーリ下落合こどもの家」に
おいて、自己教育を実施中の幼児を著者自身が観察した結果、陶行知の指
摘と同様に、まず行があり、ついで知を獲得していくことは明らかであっ
た。
幼児がここで得た知識は、陶行知の項に述べたごとく、行を通して得た
知識であるので、これは幼児にとって真の知識であるに違いなく、これは
緒言で紹介した知識の定義(1)とあい通じるところである。
王陽明は、前述のごとく、知と行は最初から一体化しており、もともと
分割できないと指摘しているが、幼児の自己教育においても、行と知は同
時に起こるというのも現実的であり、強いて分ける必要はないとの考えが
出てきても不思議はない。
− 104 −
論文
(2)敏感期(sensitive period)
敏感期とは、あることに対して感受性が非常に高まる、ある限られた一
定期間のことである。敏感期はもともと生物学の分野ですでにド・フリー
ス(1846–1935)により使われた言葉であったが、モンテッソーリがこの
言葉を人間の発達の分野にも導入した(18)と言われている。
モンテッソーリ教育における、幼児の敏感期は以下のように定義され
(18)
る。
すなわち、発達の初期段階で、ある能力を獲得するために、身の周
りにある特定の要素をつかまえる感受性が特別に敏感になっている一定期
間のことである。ちなみに、幼児の敏感期は、一般に 2 歳から 6 歳ぐらい
までと言われ、それを過ぎると敏感期は消滅してしまい、もう二度と現れ
ることはない(18)と言われる。
敏感期にある幼児は、まず、秩序についてきわめて敏感になり、いつも
の順番、場所、ものの所有者、いつもしている習慣などに敏感になり、そ
(19)
れらをかたくなに守ろうとする。
したがって、この時期には、幼児に世
の中の習わし、礼儀、挨拶を覚えさせ、正しい習慣を身に付けさせる好機
であると言われている。
幼児は、体全体の運動にも敏感であり、言葉の読み書き、イントネーショ
ン、アクセントにも敏感で、数にも敏感であり、国語、外国語の習得の好
機であり、モンテッソーリ教具を用いれば抽象的な数の概念も体験的に理
解することができるようになる(18)と言う。
モンテッソーリ教育においては、幼児の特性に合わせて、日常生活の訓
練、感覚教育、国語教育、数の教育および文化教育の 5 科目に整理されて
(20)
いる。
なお、国語、数以外の教育、すなわち、地理、歴史などは文化科
目に入る。敏感期にある幼児は、五感(視、聴、触、嗅、味)にも敏感で
(20)
あり、
わずかな差異を見分ける能力を有し、モンテッソーリの教具を用
いる自己教育により、感覚の感受性を高め、洗練させることができると言
われる。
幼児が親知を行おうとすれば、前述のごとく、墨子が言う、親知を実行
するための 3 段階の最初のステップの「慮」は、「成長への欲求」に基づ
く内的動機づけにより整っていても、
親知は進行しない。その第二のステッ
プである「接」が不可欠である。
「接」の段階においては、学びの対象に対して、幼児はその五感を駆使
− 105 −
して、近づき,接して、多くの情報を脳に取り込むことになろう。この場
において、幼児は、その特に敏感な五感はきわめて効果的に活用されてい
るに違いない。敏感期にある幼児が示す優れた親知、すなわち、優れた自
己教育力は、前述のごとく幼児の特に強い内的動機づけとともに、接の段
階での、幼児の特に敏感な五感がもたらす効果によるものと推察する。
(3)吸収する心(absorbent mind)
吸収する心とは、乳幼児が自分の周囲の環境にあるものを無意識に吸収
(21)
して、周りに適応し、自分の人格を創っていく能力のことである。
(21)
これを理解するための要素は次の二点である。
すなわち、
・環境の中にあるものを無意識的に吸収する創造的な能力。
・自分をとりまく環境にあるものを利用して自分の精神体を創造する力。
ホルメ(horme)によって刺激されると、敏感期にある幼児は無意識の
うちに「吸収する心」を通して環境にある事柄を吸収する(22)と言われ、そ
の結果、周りに適応して、自分の人格を創っていく能力もつことになろう。
ちなみに、ホルメとは、強いエネルギーをもつ精神的な力、自らを成長、
(23)
発達させるために生まれながらに備わった力を意味する。
1)0 ~ 3 歳児の「吸収する心」
大人は何かを覚えようとすれば、意識して、意志を働かせて、自分を鼓
舞し、自分に強いて覚えることになろう。しかし、0 ~ 3 歳の幼児は、環
境からひっきりなしに印象を集めて、自分の意思とは無関係に、無意識の
うちにその印象を吸収してしまうことができる(24)と言う。このような無意
識での吸収は、一段と劣るのではなく、知性の一つのタイプである(24) と
言う。
幼児は誰も等しく文化を吸収する能力をもっており、吸収するのは文化
だけでなく、前述のごとく、幼児は自分の周囲の環境にあるものを吸収し
てしまう。幼児は特定の土地に住むだけで、その地域で通用する言葉を吸
収してしまい、それを母国語としてしまうことはよく知られている。
幼児は、上述のごとく、大人よりもなぜ早く習得できるのか、以下のよ
(24)
うに説明されている。
すなわち、10 人の集団の印象を記録し、記憶しよ
うとする時、大人は一人ずつ鉛筆で描き、続いてクレヨンで彩色していく
が、幼児は無意識のうちに 10 人を一度にカラーフィルムで瞬間的に撮影
− 106 −
論文
して、その印象を記録し、記憶してしまうと言う。
幼児の吸収の特徴は、楽しく遊びながら文法も単語も吸収でき、しかも、
(24)
それは疲れを知らぬ吸収である。
さらに言えば、幼児はどこにいても、
その地域の文化的習慣にも、因習にも、宗教にも適応し、それらを愛する
ようになる(24)と言う。
無意識的吸収の特徴はムネメとネブレにあり、ムネメ(mneme)は「記
(23)
憶素」と訳され、
特別の記憶力を意味し、これによりすべての印象や経
(23)
験を体内に保持することができる。
ネブレ(nebule)は「星雲」とも訳
(22)
され、
新生児の中にある、漠然とした潜在能力の集まりを意味しており、
(24)
これは環境に存在する言語や行動様式の習得に役立ち、
一生離れられな
い無意識的記憶となると言う。
2)3 ~ 6 歳児の「吸収する心」
3 ~ 6 歳になると、手を十分に使えるようになり、意識が芽生えてくる
ので、意識的に吸収できる時期である。また、この時期には何でも触りた
いとの抑えがたい衝動が出てきて、触覚に基づく感覚を発達させるだけで
なく、手を用いることにより脳を活性化することができる(21) と言う。モ
ンテッソーリは、手は心における意識をかき集める器官であると説明して
おり、カントは、手は外に出た脳髄である(21)と言う。
無意識のうちに印象を吸収する 0 ~ 3 歳児のためには、教師は環境を十
分に整備し、心を配り、愛情を注ぐだけで十分であるが、一方、意識的に
吸収できるようになった 3 ~ 6 歳児の場合には、それを意識した教師の援
助なしには幼児の発達は期待できないので、教師の意識的な働きかけ、援
助が求められる(21)ということになろう。
3)東洋思想からの考察
「吸収する心」で取り入れた大量のデータ、情報は、幼児の頭の中で相
互に組み合わされ、整理され、自己教育の成果として身に付いていくもの
と推察される。しかし、その際に、モンテッソーリ教育において、「吸収
する心」に関連して創出されたムネメ、ネブレ、ホルメが実在するか否か、
また、それらがどのように実際に関与するか、いまだ十分には説明されて
いない。
しかし、幼児が親知、すなわち自己教育をしようとして、慮、接と段階
を踏んでも、感覚器官を通じて得た知識は、前述のごとく、初期的で、完
− 107 −
全ではないと考えられ、幼児においても、ここで得られた知識は総合的に
整理され、分析され、推論が加えられて、墨子の言う「明」の段階に到達
させてから記憶されて、初めて真の知識になるものと推察される。
しかし、幼児の脳内において親知、すなわち自己教育結果が明の状態で
あるか否かはいまだ確証が得られていないが、幼児が自己教育の結果、前
述のごとく、素晴らしい成果を顕示するところを見ると、吸収した多くの
情報は、その脳内で明の状態に整理され、記憶されているに違いないと考
えざるを得ないであろう。
一方、陶行知によれば、前述のごとく、行が先にあり、その結果として
知が得られるとしている。幼児の親知、すなわち自己教育においてはどう
であろうか。この点について考えてみたい。
吸収する心のうち、特に 0 ~ 3 歳での無意識吸収においては、その環境
に身をおくという行動だけで多量のデータ、情報が勝手に吸収されて、そ
の後で得られたデータ情報に従い、幼児が行動できることを考え合わせる
と、ここでは知行の順であると言えよう。
一方、3 ~ 6 歳での意識的吸収においては、五感を働かせることも行動
であるとすれば、その行動の結果、知を獲得できるとすれば、行知の順で
あると言えよう。このことから、意識的行動をとれる 3 歳以上では、意識
的行動が知識獲得の推進力であると言えよう。
5.
「モンテッソーリこどもの家」における「知」と「行」
「モンテッソーリこどもの家」における教育活動において特徴的な「集
中現象」、および「モンテッソーリ教師による提示」における知と行につ
いてもここで考察を加えておく。
(1)集中現象
3 歳の女児は、モンテッソーリ教具の一つである「はめ込み円柱」に夢
中になって取り組み、周囲がうるさくしても、集中して 42 回も繰り返し
た(25)と伝えられている。
敏感期にある幼児が自分に適合した活動、行動に出会うと、内発的動機
づけに基づき、自己教育力を発揮して、きわめて熱心に、繰り返し、繰り
返し集中してそれに取り組むことになる。この現象は、
「モンテッソーリ
− 108 −
論文
下落合こどもの家」で、著者自身もたびたび観察し、検証している。
上述の「はめ込み円柱」の例のように、反復活動、反復行動にふける幼
児は、すべての注意力をその活動に集中し、外部の事柄が入り込めないよ
うに精神的な防波堤を築いて、その活動に集中しているにちがいない。こ
の集中現象により、身体的、精神的活動能力を一点集中することとなり、
一段と高い自己への変化を遂げることが可能となってこよう。
集中現象の後、幼児は安堵感、満足感、情緒安定、自信などにあふれて
いて、その結果、幼児の忍耐力が高まり、規律、秩序をよく守り、周囲の
人に親切になることも同こどもの家でもしばしば観察され、検証している。
幼児がこのようにきわめて熱心に学習に取り組むのは、ピアジェによれ
ば、その知的好奇心に基づいて学習し、そのこと自体が快適であるからで
(26)
あると説明されており、これは「機能的快」である。
一方、同じ学習活動を繰り返しつつ、集中現象の中にある幼児は、その
間、慮を持続させ、接を繰り返しているものと解釈される。幼児は接を繰
り返しても、繰り返しても、なかなかその先にある明に到達できず、前述
の 42 回の繰り返しも、明の状態を目指して努力をしている時間帯である
と解釈しうる。
成人であれば、慮を持ちつつ、接を行って、得られた初期的な知識を脳
内で総合的に整理し、分析し、推論を加えて「明」の段階に至らしめるの
は比較的容易であっても、幼児の場合、その幼さ故に整理、分析、推論は
比較的困難であり、明への段階への収まりが難しく、うまく収まるまで接
の行動を繰り返して、ついに明に至り、知を獲得し、一段と進歩し、満足
感をもって集中現象を終了するものと解釈される。
(2)モンテッソーリ教師による提供
「モンテッソーリこどもの家」における教師は、その教育環境の一部で
あり、その人的環境であると位置づけられている(27) ので、教師は、その
豊かな経験に基づき、子どもの自己教育に介入しすぎずに、
「一人ででき
るように手伝ってください」との幼児の望みをかなえるための適切な援助
をするという重要な役目を担っている。
モンテッソーリ教育法においては、教師による援助の方法の一つは、
「こ
どもの家」の教育の現場で、必要に応じて、幼児に対して提供(プレゼン
− 109 −
テーション)を行うことである。すなわち、教師は、幼児個人の主として
視覚にうったえ、補助的には聴覚などにもうったえながら教具を扱ってみ
せることになる。
この教師の提供は、言語中心の教授法とは明らかに異なり、墨子の言う
聞知ではなく、慮の状態の幼児の敏感な感覚にうったえ、幼児はその刺激
を基に自己教育を行い、新しい知識を得ることになる。いまだ聞知が苦手
な幼児は、教師による適切なる提供により、その敏感なる感覚を駆使し、
自ら学ぶことになるので、これは親知であり、自己教育である。
結論的には、モンテッソーリ教育では、上述のごとく、幼児の特性と能
力を生かして、最も適した、効果的な教授法を採用して、その教育を実施
しているものと考える。
しかし、ここで教師が留意すべきことは、幼児が獲得した知識が、前述
のごとき、真であることが必須であるので、常にそれを確認していくこと
が肝要であろう。もしも、真の知識(1)とは言いがたい場合には、速やかに
修正して再度提供を行わなければならない。
6.モンテッソーリ教育後の「知」と「行」
幼児期にモンテッソーリ教育を受け、十分に親知を行った後、幼児は成
長して学齢期を迎えることになる。この段階になると、教師の言語を用い
る指導を受けられるようになり、聞知が可能となる。聞知には、前述のご
とく、書籍を読んで学ぶことも含まれるので、自習を含む学校教育が効果
的に働き、多くの知識を効率よく蓄積していくことができるようになる。
親知、聞知を重ねた個人が、もし豊かな創造性を持ち合わせているなら
ば、獲得した、多方面の、多量の知識をその頭脳の中で組み合わせて、今
までにない新説を創造し、その説を実証し、提唱し、公にすることが可能
となれば、結果として、今までにない知識を身に付けることができる。こ
れはまさに創造であり、これこそ墨子が言う説知の極みであろう。
学齢期以後の聞知においては、その行動は受動的であり、原則的には、
いわゆる「行」は伴わないのが普通である。しかし、得られた知識をよ
り確実なものにするためには、学んだことを実践してみることを意味する
「行」は極めて効果的であり、知と行が相前後して実施されるならば、そ
れが「知行合一」であり、吉田松陰の教えに一歩近づくことになろう。
− 110 −
論文
現代社会においては、机上の勉学だけで満足する場合もあろうが、得ら
れた知識を社会において実践し、実現させていく努力が大切であろう。そ
の結果として、文化を深め、文明を発展させられるならば、人間社会の「持
続可能な発展」につながるものと期待される。 幼児教育の現場での観察、検証に協力してくれた「モンテッソーリ 下
落合こどもの家」の瀧口惠、伊藤千恵子、冨永和美の諸氏に感謝する。
参考文献
(1) 戸田山和久『知識の哲学』産業図書(株)、2002 年、4 頁。
(2) 山田琢『新釈漢文大系 51 墨子下』1987 年、441 頁。
(3) 但継紅「近代中国における「知行合一」
(1)―教育者陶行知の「知行
合一」論とその実践」
『松蔭大学紀要』第 17 巻、2014 年、98 頁。
(4) 墨 子 学 会 ホ ー ム ペ ー ジ(http://www.chinamozi.net/news view.
asp?id=1089)
「墨子の哲学観」
(但継紅の要訳による)。
(5) 朱子『朱子文集・語録抄』
(荒木見悟訳)世界の名著 19、中央公論社、
1978 年、174 頁。
(6)
同書、227 頁。
(7) 瀧口洋「
「知行合一」教育の実践に関する考察」
『松蔭大学紀要』第 15
巻、2012 年、1 〜 11 頁。
(8) 吉 田 公 平『 伝 習 録 陽 明 学 の 真 髄 』 タ チ バ ナ 教 養 文 庫、2010 年、
14 頁。
(9) 同書、107 〜 109 頁。
下 程勇吉『吉田松陰の人間学的研究』広池学園出版部、1988 年、
(10)
267 頁。
(11)
同書、268 頁。
(12)
(1)-教育者陶行知の「知行
但継紅「近代中国における「知行合一」
合一」論とその実践」
『松蔭大学紀要』第 17 巻、2014 年、95 〜 106 頁。
前之園幸一郎「モンテッソーリの人間像と子どもへのまなざし」
(13)
『モ
ンテッソーリ教育』第 45 号、2012 年、44 〜 65 頁。
(14)
『モ
前之園幸一郎「マリア・モンテッソーリにおける子ども観の転換 3」
ンテッソーリ教育』第 43 号、2010 年、45 〜 65 頁。
− 111 −
(15)
滝 沢 武 久「 発 達 心 理 学 の 立 場 」
『 モ ン テ ッ ソ ー リ 教 育 』 第 30 号、
1997 年、38 〜 44 頁。
(16)
藤 原元一「自己を形成しようとする子ども」『モンテッソーリ教育』
第 29 号、1996 年、18 〜 20 頁。
藤原元一「地球に生きる―科学的教育の発想に迫る―」
『モンテッソー
(17)
リ教育』第 28 号、1995 年、33 頁。
(18)永江誠司「脳科学から見えるモンテッソーリ教育の意義」
『モンテッ
ソーリ教育』第 45 号、2012 年、4 〜 14 頁。
相良敦子『おかあさんの「敏感期」』ネスコ、1994 年、58 頁。
(19)
同書、74 頁。
(20)
(21)
『モンテッソーリ教育用語辞典』学苑社、
クラウス・ルーメル(監修)
2006 年、61 〜 63 頁(藤原元一)
。
同書、237 〜 238 頁(オムリ慶子)
(22)
。
同書、208 頁(村松禎三)
(23)
。
同書、58 〜 60 頁(野村緑)
(24)
。
(25)
同書、121 〜 123 頁(ヨハネ・アルティリョ)。
(26)
『モンテッ
滝沢武久「ピアジェ教育理論を基にした幼児教育の在り方」
ソーリ教育』第 17 号、1984 年、10 〜 15 頁。
(27)藤原元一「幼児の現す内発性と環境とのかかわり―モンテッソーリの
立場から―」
『モンテッソーリ教育』第 30 号、1997 年、45 〜 53 頁。
− 112 −
実 践 報 告 ・ 事 例 報 告
「モンテッソーリ教育の導入から 10 年の軌跡」
―表現活動の舞台で観られる子どもたちの成長の姿―
本良 裕子
(旭たちばな幼稚園)
はじめに
モンテッソーリ教育を目指す現場は、さまざまな形態を持っている。
それぞれの園の特徴は、創立者の理念に基づいて、毎日の子どもたちと
の暮らしの中から生まれてくると言える。
0 〜 3 歳のコースの学びに《人間の子は、生まれたその時代と土地の子
となる》という興味深い言葉がある。幼稚園もこの特徴を持つように思え
る。同じ日本にあっても幼稚園や保育園は、国、県、市などからの行政指
導を受け、時代の変遷に影響されていく。その地域に存続しようとすれば、
その地域に期待される保育傾向をつぶさに感じ取りながら、各園は保育指
針に基づいて自園の特徴を活かす工夫が必要となる。私たちと園児との暮
らしがそこにある。
創設から 30 年を経過した既設の幼稚園が、新しい教育法の導入を目指
して大きく舵を切る…。常に予想外の現実にぶち当たる。導入に向かって
走り出したからには前進しかない。自園としてできる事は何か? 成すべ
き事は何か? 対応策を考える時、自園のこれまでの特色を生かしての変
容であったと思う。 当園紹介―『学校法人妙常学園 旭たちばな幼稚園』
(26 年度園児数 297 名)
神奈川県海老名市…県中央部に位置している。人口約 13 万。横浜から電
車で 30 分、新宿へ 50 分。
『宗教法人 妙常寺』を母体に保育園を隣接する。
仏教保育を指針とする。お寺を中央に階段右下に幼稚園、左手坂下に『社
会福祉法人たちばな保育園』がある。私たちは、日常的にこの三つの施設
が持つ環境〈施設・園庭・境内)を相互に活用し、保育活動を進めてきた。
Ⅰ.当園がモンテッソーリ教育の導入に至った経緯 1.スイスで出会った「モンテッソーリ教育」
モンテッソーリ教育の現場を初めて観る機会に恵まれたのは、平成 13
− 113 −
年 6 月のスイス、チューリッヒでの幼稚園見学の折であった。それは神奈
川県民間保育園協会による海外研修の訪問においてである。高台にある個
人住宅の外観、玄関を開けると 25 人ほどの子どもたち、お仕事の最中だっ
た。とても静かだった。(部屋の形に合わせて中央に連続して長方形に並
べられた机の連なりだったが、個人個人は熱心に自分の作業に向かってい
た)
。一瞬にして衝撃的な興味を持った。この後、向かい合ったテーブルは、
そのまま 2 人の子どもが準備したカップ入りのリンゴと人参での食卓風景
に変わった。光景が変わっても静かな室内に変化はなく、まずは、そのこ
とに驚いた。その後、階下の部屋でのリトミックの時間に移る。私は参観
の途中から「これは、自分の園でもすることができる!」直観的にそう感
じていた。
2.
『全国大会』で知った日本のモンテッソーリ教育の実際
スイス研修を終えた私は後日、同行した団長さんから、夏に日本モンテッ
ソーリ協会全国大会(第 26 回犬山大会)があるとの連絡をいただいた。
講義、ラウンド・テーブルにも参加し、3 日間を過ごした。先生方の生の
声も聴くことができた。そして興味の方向は、日本の教育現場の見学へ移
る。なぜなら、当園の職員は誰一人としてモンテッソーリ園の保育環境や
そこで展開されるお仕事、子どもたちの様子を知らない。スイスで観た私
の感想も伝わらない。仲間である当園の職員に現場を見せることが一番と
思い、他園への見学協力を求めた。
3.翌年平成 15 年 4 月、東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターへ
当時の私は、
「ともかく、学びたい」向学心だけである。その後の導入
に関して(いずれ直面してくることの全ては)まるで考えが及ばなかった。
正直、提供という形があることも知らずにセンターに入学した。初年度は
昼間生 3 名、夜間生 2 名が入学。当園と同じ小田急線沿線に、
「東京国際
モンテッソーリ教師トレーニングセンター」があったことも幸いした。園
からの車通学も可能、1 時間以内で通える距離である。これは、継続して
教師育成ができた大きな要因と思える。私も職員も保育経験の長いだけ、
教育理論や実践にはまり込んでいった。私は、そんな発見と面白さを園長
である夫に毎日話した。学生生活は寝る時間を削って宿題に取り組み、夜
− 114 −
実践報告・事例報告
中も早朝も勉強、そして語る。連日の熱心な報告に、30 年余り幼児教育
に接してきた夫が、
「来年度から、幼稚園から始めてほしい。いいことは
待たせることなく、
すぐに子どもたちにさせたい」。突然の園長宣言だった。
私は、来年と言われ戸惑った。すでに秋だったのである。
4.平成 16 年 4 月からの、幼稚園からの突然の導入を決めて
(当時の園児数 271 名 年齢別 11 クラスの編成。年長 5・年中 5・年少 1)。
保育園の少人数から始めようかくらいで、幼稚園からのスタートは想定
外だった。この時期から、次年度の準備を始める。年明けの卒業試験前の
大仕事である。私たち学生の 3 人は、必要となる大半の事はトレーニング
センターに通う往復の自動車内で決めた。
4 月を迎えるに当たって予想された決めるべき問題
・学年別の表示…虹(年長)
、月(年中)
、星(年少)とした。
・縦 割りクラスにする上での問題点…入園時に年齢混合になることを
伝えてない年長児は、混乱を避けるために残りの一年を年齢別編成
で残す。
・今の保育室をいかに使用するか…年中・年少、異年齢の混合クラスと
する。複数担任。クラス使用は従来の 1.5 倍確保、ロッカースペース
を設ける。
・教具、教材…購入を要する物、手作りで制作ができる物から進める。
・モ ンテッソーリ教育のお仕事の活動を…親しみやすくM活動と名付
けた。
・保護者への説明(新年度の募集 11/1 は終え、入園手続きは完了して
いた)。新学年度、4 月からモンテッソーリ教育という新しい保育内
容が加わることの『来年度入園の保護者説明会』を 1 月の始業式後、
すぐに伝達することを決めた。
Ⅱ.導入一年目の混乱と安定までの厳しい道 1.幼稚園内での、一年目の混乱 資格を持った教師はクラス数そろっていない。教具を扱えるようにクラ
ス担任を園内指導するしかなかった。教具は 4 月時点では 2 セットしかな
かった。
− 115 −
夏休み中に全クラスにそろえるよう、オランダヘ直接輸入に出かけるに
至った。
教具の買い付けに訪れた先では、製作現場の様子も見た。そこでは、教
具ごとに専門の担当者が単独で製作に携わっている姿があった。熟練の職
人さんの丹念な手作りの積み重ねで教具が出来上がっていく。教具に求め
られるのは精巧さのみでなく、教具ごとに目的を持った使命があることを
再認識した。
幼稚園が新しい教育法に進む一方で「何で、どうして? やらなくては
いけないか?」センターに通学を決める職員に対しても快く思わない職員
もいた。本人が今ある免許で十分と思っていれば、それ以上には更なる学
びは園側が願っても思うほどに効果が上がらない。園内では折々に学習会
も持っていたが、学生となって学ぶこととの差は大きく、水面下では職員
間の分裂も生じてくる。それでも毎日の保育を進めるために、不満を持っ
ているであろう職員への配慮もしながら、子どもたちの様子を観察して職
員間の統率に苦労を要した。
2.保護者の思い―導入されたことへの不満や無理解―地域からの声
「子どもたちにとって、良い保育を進めたい」と折にふれて語り、説明会、
園通信、と重ねていったが、新しい事への拒否反応は当然のようにあった。
新しい教育法は縦割りクラス、案の定、周囲からの不安の声も起こった。
・なじみのない縦割り年齢、上の年齢の子が下の子をいじめるのではな
いか?
・先生は、年長児に下の年齢の子どもの世話をさせている、手抜きじゃ
ないか。やっと教具や教材の整った環境の 2 学期以降の参観でも「う
ちの子はやってない」
「間違っていたのに先生は直してくれなかった」。
担任に向けられる批判や申し出も続いた。入園児数の減少は、園の評
判の低下とともに私たちの心を痛めた。毎年入園児数は減少、5 年目
では導入時より 50 名減となった。
しかし、このことが私たちのその後の大きなバネとなり、大きな跳躍に
つながった。
− 116 −
実践報告・事例報告
Ⅲ.再検討され、取り組んだ重点的課題 モンテッソーリ教師の育成・園児の家庭へのモンテッソーリ教育理解・地
域へ園情報の伝達
1.第一に考えたモンテッソーリ教師の育成(下表参照)
昼間生も月・金曜の午前中は園
に出勤して園の現況を見る。大き
な行事は一緒に取り組んだ。夜間
生 は 週 2 日 16 時 に は 園 を 出 た。
職員各自が共通の教育知識を持ち
内容を知れば「面白いはず、この
教育法に魅せられるはず」
、そう
信じ、園の業務に支障が出ない体
制で職務と並行して通える夜間生
を中心に毎年継続して育成した。
こ う し て 移 行 以 来 11 年 間 で 35
名の有資格者を育成した。
☆入学に際しての費用(学費)は園で用意した。自家用車通学の駐車場代
も園が負担。そして、有資格者となれば、さらに資格手当を加算した。セ
ンターの授業時間も職務時間として換算。実習も研修扱い。
(通学途中に生じる事象に関しては自己責任。教材、文具類も自己負担。)
− 117 −
2.在園児の家庭にモンテッソーリ教育の正しい理解を求めて
【マザーコース】
母親が園児と同じ教具を使い、お仕事を行いながら教師の解説を受ける。
教師は、各分野とプログラムの課程を説明し、お仕事ごとの目的なども
理解できるように配慮した。導入当時からも開いていたが、さらなる充実
と内容検討をしていった。園での活動、わが子のやっているお仕事が理解
できれば、家庭でも子どもとの関わり合いに活かされる。モンテッソーリ
教育の考え方が母親にも反映されると考えた。
【開催内容】
・学年別…1 学年につき 8 回 / 年間 1 回 90 分 自由参加(希望者)
年間を通じて、定期的に編成。
(園全体 24 回 / 年間) ・クラス担任も参加…少 しの時間でも加わり、保護者と会話できるよ
うにした。昼食前後の支障のない時間帯で(20
〜 30 分設定)クラスでのモンテッソーリ活動の
様子、現在取り組んでいる様子を伝えた。
・精勤賞と皆勤賞…7 年間で皆勤賞(8 回出席 159 名)精勤賞(6 回出
席 168 名)
モンテッソーリ教育に関連する数冊の本から希望する本を贈呈。
(コースは実践が主となるので、さらに確かな教育理論を伝えたいため)
・間接的結果→幼稚園への理解を深め、協力的な体制も生まれた→教材
作り。
3.地域の子育て支援「園遊会」内容の再検討と充実を図る
○園遊会…(入会無料、希望者は来園申し込み。0 歳~)従来からの組織
土曜日に開催、回数を増やす(毎月)園行事への参加も含まれる。
○園遊会便りの発行…会員に郵送(1 学期に 1 回)
幼稚園の教育内容を写真を多く掲載して解説。学期ごとの行事案内。
○公開保育…(H20.9 ~)電話での予約受付(年間 15 〜 18 回、1 回は
10 名)
少人数制にして、園長または副園長が園内を一緒に巡り、実際の子ど
もの環境と活動を観ながら細やかに個々の質問に応じる。
○未就園児クラス(チャッピークラス)で体験教室 (H25.9 ~)
− 118 −
実践報告・事例報告
就園前にモンテッソーリ教育の実態を見てもらう。親子で参加して、
体験から理解を深めた。
○
【ベビーマザーコース】
(H24.5 ~)
S . モンタナーロ先生の 8 日間の「親になるための準備講座(H15)」
を受講。
(後に教師資格を 1 〜 3 月開催の 2 年間で取得)保育園の低年齢児に
導入し、
今に至る。幼稚園入園前の年齢(0 〜 3 歳)の母親対象のコー
スは、日本の最近の社会状況から考察しても急ぐ必要があると痛感し
た。幼稚園には赤ちゃん連れの母親も多い。在園児家庭のみに限らず
乳幼児の育ちを学ぶ機会の提供は、幼稚園としての使命―モンテッ
ソーリ教育の神髄、子どもの発達を正しく捉えることが親にも子にも
大きな援助となるはず―である。開催場所はお寺の客殿を利用した。
理論も多く、筆記するための机を用意。同行の乳幼児には、同室内に
子どものスペースと保育士を準備した。
【開催内容】
参加者数…3 年間で 422 名(同行の子ども数 328 名)
・年齢別の内容…妊 娠 期 と 0 ~ 1 歳・1 ~ 2 歳・2 ~ 3 歳 1 回 90 分、
月 1 回の 3 カ月のコース(希望年齢の 1 回だけの参加
も可とした)
。
☆周囲から伝えられたモンテッソーリ教育を受けた園児たちの評価
小学校の一年生の授業参観での風景。
「ちゃんと前を向き、お話が聴け
ていたのは、うちの園の子たちだけだった…」
。卒園児の報告が幼保とも
に聞かれた。
園児は毎日のモンテッソーリ活動を続けて着実に成長していた。子どもた
ちへのうれしい感想もモンテッソーリ参観を重ねるごとに増えた。教師育成
は各クラスに有資格者を配置できるまでに至り、モンテッソーリ教育は園内
部と園児の家庭にうち解けていった。
Ⅳ.導入から 5 年、園児の環境造りは『園庭』に向かった
『森を作ろう!』園庭とお寺の敷地には高低差があった。急な坂は竹林、
ここに森を造る。園庭に接する場所に土を盛り上げ、丘にした。子どもた
− 119 −
ちは喜んで盛り上がった丘の上を駆け回って遊んだ。枕木製の階段、坂道。
子どもたちが踏み固めた所に樹木や草花も植えた。丘の下にはトンネル。
くの字の土管の内部には安全確保のために監視カメラを設置。トンネル内
の動きは 2 カ所のモニターを視て安全確保を図る。園庭に続く坂の上の森
の中、木々の間を子どもが走り回る。草花は季節ごとに豊かな彩色を見せ、
蝉は脱皮をし、ドングリも実を付ける。自然の営みを子どもたちは遊びな
がら発見した。池には鯉が泳ぎ、長い時間、じっと眺める子もいる。風が
流れ、木の葉が揺らぐ中で夢中で遊ぶ。
「子どもを自然の中に置きなさい」
。その言葉がよみがえる。
Ⅴ.従来からの行事、
「音楽会」
「おゆうぎ会」の扱い
最初に参加した日本モンテッソーリ協会(学会)でのラウンド・テーブ
ルでは、「お仕事の進行の妨げになる行事の存在」が話題に上がっていた。
一斉保育で、設立当時から当園は園の特色として、市の文化会館という
1,100 名収容の大ホールを利用して 2 つの行事を行っていた。行事を通じ
ての子どもたちの成長も見てきたし、劇場への出入りも幼児期から経験で
きることは素晴らしいことだと思って続けてきた。
《園児に本物を与える》
衣装も照明も劇場の舞台が最適な場所であった。
「導入が進むことで行事との両立に支障が出るのか?」不安があった。
そして考えた。私たちは援助者、園児を支えることが役目である。主役
は子どもたちなのだから援助者の都合でどうするかを決定することではな
い。そう判断して前に進んだ。子どもたち本人の様子を観て、これから先
は考えることにしよう。
− 120 −
実践報告・事例報告
表現活動の大きな行事をそのまま続けていった。どんな日もモンテッ
ソーリ活動は休むことなく、他の保育が入るには時間設定や担当する教師
側の調整をして進める。目的を持った時間割が組まれた。楽器を叩く、園
庭で遊ぶなど、まちまちな自主活動が園児の生活の中にあった。大切なこ
とは目的への段階とその吸収度を観察して、担任が常に子どもの状況を把
握していること。モンテッソーリ教育と舞台活動は、こうして両立した。
―表現活動の舞台で観られる子どもたちの成長の姿―
日々のモンテッソーリ教育の集積が舞台活動につながった。
音楽会…楽器アンサンブル(合奏)
楽器演奏も、熱心に最短時間で成果を見せ
た。気づけば《ひらがなの楽譜》を見てマリ
ンバを叩く。担当する楽器に必要な長い階名
を簡単に覚える。言語活動の延長である。歌
いながら演奏している。二階ホールにある大
きな楽器には朝早く登園して練習に励む子も
いる。
お友達と肩を並べて自主練習をする年長児、
ソーラン
この時間、森を駆け回る子もいる。外で遊べ
る時間帯も自分の意志で選択し行動する頼も
しい光景である。
最近の合奏曲
− 121 −
おゆうぎ会…クラスでの舞踊劇・年長児のバレエとおゆうぎ
舞踊劇はクラス《年少・年中・年長》で一つの作品を創る。ストーリー
に歌詞と曲がある。クラスの先生と子どもたちで踊りや小道具、構成や振
り付けを創っていく。絵本の中を子どもが演じていくのである。日本のお
とぎ話、創作童話、グリム童話、アンデルセン童話、中国、ロシア、アラ
ビア、のお話などである。
年長女児にはバレエ、男児には和物の踊り(袴や扇子の扱い)が加わる。
1.お稽古の鏡の前で、気づいたこと 【動きの提供】
ホールの壁一面に貼られた鏡の前、バレエは鏡に映る動きを見てもらう
ために振り付け指導は、園児と同じ向きをとる。自分の身体(筋肉)の動
きを決めていく。何回か繰り返すと鏡を見なくても「この辺りが自分の身
体にちょうどの位置」と意識できるようになる。言葉では教えきれない微
妙な緩やかな動きを子ども自身が鏡に映る見たままに吸収する。長い年月
続けてきた同じ稽古風景である。
2.会館大ホールで、―本舞台のテレビ画像― 【空間把握】
劇場の大舞台では、照明や音響
が 伴 う。 そ の 進 行 に は 台 本 が あ
り、舞台監督さんは舞台正面(観
客席から)をモニターテレビで確
認をしている。正面から見た映像
…舞踊劇も、踊りのどの場面でも、
舞台上で子どもたちは見事に散ら
舞台袖でのモニター TV(空間把握)
ばっている。踊りながらも上手に
位置がとれている。
数年前には、舞台の一方に寄り気味だったり、舞台使いが不均等な立ち
位置で踊ったりもあったのに、近年どのクラスもない。経験ある年中、年
長ではかたよりは見られない。曲の流れがある中でできることに感心する。
3.曲を聴き、舞台の明かりの中に飛び出して行く子ども達
舞台の両側は袖と呼ばれ、登場までの待機空間である。観客席からは知
− 122 −
実践報告・事例報告
り得ない子どもたちの姿が個々に見受けられる。袖と舞台の間には 4 枚の
黒い幕があり、両側(上手、下手で)に計 8 カ所、これに左右の花道があり、
合計 10 カ所の出入り口になる。舞踊劇の場合、お話の進行や脚色から出
入りの場所が決まる。緞帳が開いている時は、曲から音のきっかけをつか
み、ある時は一人、ある時は、先頭の子どもに続いて一群が舞台に出て行く。
子ども自身が、登場するきっかけを覚えて舞台が進む。こんな自主的な光
景が当初からあったわけではなく、ずいぶん変化してきたと思う。
様子を見ていると、年長児は一緒に出る年中や年少に優しく目を配って
いる。袖で待つ子どもは舞台上の演技をもよく見ている。袖幕の近くでも
明かりの中は舞台と同じで観客席から見えてしまうことも知った。光と陰
を理解したのである。劇場という場所で、いつもと同様に行動できる子ど
もたちに育った。大舞台の裏手の廊下では、
先生がいなくてもバレエシュー
ズを自分の番号を選んで履いている。舞台を終えれば、兼用なので次の人
のために台紙に書かれた番号の上に重ねてゴムを掛けて戻す。子ども自身
で行うこの出番前後の作業は入念である。
大舞台へ(両側 8 幕と花道)を使い分ける子どもたち
まとめ
私たちがモンテッソーリ教育を導入してから歩いた道は、前述のとおり
である。
つまり、第一には既存の園が新たな教育法を導入することは、既存の教
育法の否定となり地域の反発を受ける。そのため、地域の人々に対して、
新たな教育方法の啓蒙と理解を求める実践が必要である。第二に園内では、
− 123 −
教師の育成・備品購入などに必要な時間と経費が必要であり、さらに第三
として、新たな教育法に対して、教師間で起こる不信と戸惑いを払拭する
ための努力などが必要である。これら三つの問題は 10 年の歳月をかけて
徐々に改善されてきた。同時にモンテッソーリ教育を進める過程にあって
は、子どもたちは、私たちが進むべき次の課題や進路を気づかせてくれた。
そして、当園の伝統行事である音楽会やおゆうぎ会にも、自立と自律の成
長の姿を見せてくれている。導入からの年月、子どもたちに元気と勇気を
もらいながら、私たちは、モンテッソーリ教師に育てられた。
− 124 −
実践報告・事例報告
モンテッソーリ教育に基づく音楽療法第 2 報
―「観察」
「感覚」
「提示」の 3 点より
小島 薫
(みこころ子どもの家)
はじめに
モンテッソーリ教育に基づいて行っている筆者の音楽療法と、モンテッ
ソーリ教育との深い関連性について述べた前稿(1)では、1. 子どもの内発的
動機づけによる「やりたい」
「やってみたい」という気持ちを第一に配慮
したプログラムを組み実施していくこと、および 2. 観察、3. 環境(物的・
人的)について述べた。また、支援者の観察の姿勢について「見守る」「見
つける」
「見直す」
「見届ける」の 4 つに分類した。今回はそれに続く第 2
報として、特に「観察」
「感覚」
「提示」という 3 つのキーワードについて、
実践を通して述べ、その関係について考察する。本稿では、音楽療法で汎
用する用語に従い、音楽療法を Music Therapy(以下 MT. と略す)、音楽
療法の取り組みをセッション(S)
、S の活動項目をプログラム(P)、音
楽療法士をセラピスト(Th.)と表すこととする。
1.観察
モンテッソーリ教育は子どもの「観察」から始まり、その教育は構築さ
れていった。筆者の保育・リトミック・MT. のいずれの現場においても「観
察」は必須である。子どもと対峙する場面において、思い込みや既成概念
を介すると、その子ども像にゆがみが生じ、その時のありのままの姿を見
ることは難しい。本稿では観察の視点について考察をする。
1-1.子どもの「現象」とその「理由」とを観る
ケース 1. 母子通園施設 肢体不自由児 A 子(①受け入れ時 2 歳 ②エ
ピソード時 3 歳 以下これに従う)
集団 S において、挨拶、スキンシップ、身体部位への刺激、鈴輪(円座
して鈴が等間隔についた紐を振って鳴らす)の活動を行った後、鍵盤ハー
モニカで一人ずつ回る P を行った。一人 1 曲分という活動の区切りの目安
− 125 −
として、BGM 的に「きらきらぼし」を Moderate(中くらいの速さで)で
弾くよう伴奏者に指示した。鍵盤ハーモニカは、子どもの身体部位(拳骨、
掌、肘、腕、脚など)に接触させると音が出、音に伴い子どもに振動が伝
わる。Th. が吹き手を担うことで、音量や音の出るタイミングを調節する
ことが可能である。A 子は、初回 S で自分の番に泣き、それを見た母親も
困惑した表情になった。保育士による S の記録には「激しく泣く」とあっ
た。次の S で A 子は鍵盤に触り、その次の S では鍵盤を端から端までを
指で押して鳴らし、笑顔を見せた。
集団 S では、全体で行う P の中に、必ず Th. が個別に子どもに対応す
る活動を組み込んでいる。それは、①「集団であっても一人一人が大切で
ある」②「個別の場面では、集団とは違う一面を子どもが見せる」ためで
あり、③「子どもにも同席する保護者にも、
『only one』というメッセージ
を送る」目的もある。
現象とは、第 1 義に「観察されうるあらゆる事実」第 2 義に「自らを
あらわに現しているかぎりの事実(その背後に本体とか本質とかを考えな
(2)
い)」
とある。第 2 義にあるように、いかなる理由であれ、起こった事実
をそのまま受け止めることは大切である。このケースでは、まず「泣いた」
という事実から始まる。この時、親や保育士が「A 子はこの楽器が嫌なん
だ」
「この活動はやらない」
と決めてしまうことは早計である。だからと言っ
て、
「泣いた」ということのみでは、その後の傾向と対策が不足し、泣い
た子どもは報われない。その泣いた理由を、活動、楽器、S や Th. との関
係性(この場合は、A 子が施設に入所して初めての S だったこと)を想像
し、A 子の心身の状態・状況(前夜の睡眠不足、体調不良、退院明けなど)
の事由の情報を聴取する。逆にこれのみでは、大人は呪縛されたようにな
り、「どうして」と原因を探すことに執着しがちである。また、
「S に参加
するからには、(目に見える形で)活動をさせたい」という思いは、保護
者のみならず、保育士も陥りやすい心情である。そこからは子どもの姿が
消え、子どもの実態とはかけ離れたことを押しつけかねない。目に見える
現象の受容観察と、目には見えない現象の想像観察とは、二律背反のよう
でともに必要であり、その微妙なバランスが求められると考えている。
また、現象やその理由から、その子どもの過敏性や嫌悪感が明白な場合
も、その対象を未来永劫回避することは困難であることから、脱感作(ア
− 126 −
実践報告・事例報告
レルギー反応を軽減させるため、少量の抗原を投与し、過敏性を減弱させ
る方法)という視点を踏まえて、子どもが徐々に馴れていく環境を提供し、
少ない刺激から受け入れられるよう考慮している。 1-2.子どもの側から観る
ケース 2.ダウン症 B 子(① 1 歳 ② 2 歳)
母の家のニドクラス(1 歳時)で、筆者の親子リトミックを受けた B 子
は、体幹の安定による固視、注視が増え、Th. の差し出す楽器に手が伸び、
表情の表出が増えた 1 歳半より、母親の希望により個人 MT. を開始した。
S で、筆者が B 子にマラカス(いちごやバナナなどの形状のプラスチック
製で、幼い子どもの手で握れる大きさ)を手渡すと、B 子が受け取っては
投げた。母親は「最近、何でもポイポイ投げてしまう」と言った。そこで、
お手玉を用意し、B 子が投げるお手玉を Th. がハンドドラムで受け、
「♪
お手玉ポン! B ちゃんがポン!」と即興で歌を付けた。B 子が投げたお手
玉が、ハンドドラムに入って音が出ることで、投げた行為にレスポンスを
与え、投げることに意味づけをした。続いてお手玉を B 子から少し離れた
所に転々と置いた。因果関係を理解した B 子は、歌にのってハイハイをし
てお手玉を拾っては投げた。
「お尻のズリバイではないハイハイを、こん
なにしたのは初めて」と母親から聴取した。物を握るようになり、握った
物を離さない時期を経て、離せるようになり、投げることができ、B 子は
面白くて仕方ないといった様子で、何度も繰り返した。
子どもの現象を子どもの側から観ることにより、その仕組みを想像する
ことが肝要となる。子どもは、内発的動機づけによって突き動かされ、何
かを手にしたいという到達への知的好奇心によって運動を発動する。同時
に、自我的な意識の働きは、志向性を伴うことから、子どものすることに
は必ず意味がある。そして、それは発達の道筋に裏付けられている。親や
支援者が不都合なことでも、実は子どもにとっては、発達途上の集中現象
であるということが往々にしてある。現象を子どもの側から観ることで、
そこにはその後の P の発展のカギが隠されており、発達につながっていく。
1-3.子どもの周辺を観る
ケース 3.自閉症 C 子(① 3 歳 ② 4 歳)
− 127 −
歌のイラストと楽譜と歌詞とが載ったテキストを用いて、歌う活動を
行っていたところ、C 子がせわしく頁をめくり、
『いとまき』を選んで歌っ
た。母親から、「パニックになると、
『いとまき』を歌う」とあらかじめ聞
いていたため、保育園の様子を尋ねると「行事でやる太鼓の練習が頻繁に
ある」とのことだった。
このようなブームは良くも悪くも、突然現出し消失するものだが、対象
児の全てを把握できるわけではないことを支援者は自覚し、できるだけ対
象児の周辺事情について知っていることが必要であると考えている。
MT. では、アセスメントと呼ばれる、実態把握の情報収集のため、S 開
始前に保護者からの聴き取りを行う。これは、その子どもの背景を知るた
めであり、筆者は観察の一形態と考えている。成育歴・診断名などの個人
情報を預かる。「障害名が A であれば、対応は X」というような処方箋は
ないが、その障害の公約数的な特性をあらかじめ把握しておく必要がある。
それを基に対象児の実際や、重複障害であれば、障害のそれぞれの度合い
を、S で精査していくことになる。また障害によっては、S において注意
すべき留意点、危険回避の知識も重要である。障害はその子どもの一部で
あり、これまでの環境や歴史によって、育ちが大きく変わってくる。診断
の時期、診断に至るまでの経緯、家族構成(両親・兄弟・祖父母の存在)
、
生活リズム、園など集団での出来事、好みの物(電車・車・キャラクター・
歌など)
、現在困っていること、今後の希望(就学先・デイサービスの利
用など)について伺う。S 開始後に、子どもとのやりとりにより Th. との
信頼関係ができ、活動を継続していく中で、事前には知り得なかった情報
や、対象児の変化などを記録する(ランニングアセスメント)ことも大切
である。保護者とは、ノートやメールにより情報交換をしている。
1-4.子どもの心を観る
ケース 4.特別支援学級 脳性まひ D 子(① 2 歳 ② 5 歳 /6 歳)
D 子は、2 歳時に筆者による子どもの家の親子リトミックで、サーキッ
ト(道に見立て、床に置いた板の上を歌に合わせて歩き、各フレーズの終
わりに楽器を鳴らす活動)の P で、他児が歩行する所を、ハイハイでゴー
ルし、両腕を突き上げ歓喜の声を出した。同席していた親子から拍手が起
こった。その 2 年後年長になった D 子は、園で体操がある月曜日の登園拒
− 128 −
実践報告・事例報告
否をし始め、自分の身体は治らないのかと母親に質問した。そこで MT. の
S で、Th.(筆者)は右利きで左手は苦手であること(D 子は右まひ)を
伝えた。また、同学年の子どもと 3 人での鍵盤ハーモニカの合奏を提案し
た。数回の合同練習で、D 子は自ら左右の手の交互奏を行い、筆者主催の
コンサートのオープニングでそれを披露した。終了後から次回のコンサー
トを楽しみにする発言を繰り返すようになった。成長の過程で、D 子は実
年齢に見合う認識、プライドから葛藤し始めた。筆者との個人 MT. では、
大きい声で歌を歌い、よく笑い、積極的にイニシアチブを取る D 子が、園
では非常におとなしいことも聞き、それぞれにできることとできないこと
があることを伝えた。また分担奏をすることで、同学年に対して消極的に
なりがちな D 子に、
その垣根を払う(もしくは低くする)場面を設定した。
心の動きは、身体を動かすことも止めることもあり、叱咤激励すること
で解きほぐされることは少ない。自己肯定感を育む機会を援けるために、
対象児の心を観察し、その気持ちに寄り添い、陰から支えることが、支援
者の役目であると思う。
2.感覚
モンテッソーリ教育の大きな特徴に「敏感期」がある。筆者もまた、
これを知ることにより、子育ての無数の出来事に対する多くの疑問が晴
れた母親の一人である。佐々木は、子どもの見方として 5 項目を挙げ、
(3)
その 1 に「各敏感期には発達課題が準備されている」
としており、こ
れは観察において「感覚」が重要であることを示唆している。それぞれ
の敏感期には、およその指標はあるものの、子どもによって差異が見ら
れる。
2-1.初期感覚
支援者が感覚を理解する上で、本稿の 2-2 発達障害児、2-3 肢体不自由
児という子どもの障害素因による大別の前に、その分類を凌駕する見解と
して、初期感覚について考えたい。宇佐川は、
「外界からの情報は、必ず
(4)
感覚器官を用いて入力することになる」
ことから、初期感覚は「まず姿
勢を保持できること。次は、自分の動きを止めることができて、その後に
探索活動や操作活動が始まる」とし、
「この転換は、それほど容易ではない」
− 129 −
としている。揺れを感じる前庭覚、関節・筋肉への刺激を感じる固有覚も
見逃せない感覚である。子どもの発達は、
飛び越えては起こらないことから、
臨床においてこの理解の有無は、支援に大きな違いをもたらすと考えてい
る。さらに、発達がゆっくりであるほど感覚の統合は難しいため、対象児
がどの感覚を頼りに外界を認識しているか、支援者自身が対象児のどの感
覚を刺激しているかを意識した上での活動・曲・楽器の選択が必要である。
2-2.発達障害児
ケース 5.普通学級 高機能自閉症 E 男 (① 3 歳 ② 12 歳)
筆者と MT. と共に国語と算数にも取り組んだ E 男は、雨の描写の擬態
語「ぽつぽつ」に対してザーザー降りを描画した。言葉から受けるイメー
ジはかなり異なり、他者と確認し合うことは稀である。また、小学生向け
の学校生活の物語の読み取りで、登場人物のグループ分けを尋ねたところ、
一人の子どもが階段から突き落とされる場面や、数人のグループでその場
にいない友だちについての会話の詳細があるにもかかわらず、E 男は「書
いてないからわからない」と答えた。社会には、
暗黙の了解と呼ばれるルー
ルが多く存在するが、その理解が不得手ということは容易に予想される。
彼は 2 歳半で診断を受け、3 歳より筆者の個人 MT. を始め、小学 6 年まで
集団 MT. とモンテッソーリ教師による個別指導を受けた。現在、大学生
になりアルバイトを始めた E 男の成長過程は、早期からのかつ継続的支援
の喜ばしいモデルの一つと言える。対象児の感覚理解には、ニキリンコを
始めとする本人による述懐(5)も貴重な情報源である。
(6)
二俣は、
「
(その問題行動には)子ども自身に利益があるはずだ」
とし
ている。トイレの水が流れるノズルを回す、部屋の電気のスイッチのパチ
パチを繰り返す、というような大人からすると一見何の意味もない行動は、
その子どもの感覚のニードを満たす条件が考えられる。行動を制止するの
ではなく、それを活用した意味を持つ代替活動を子どもに提案することで、
子どもは新しいシフトを知る。同じような動きでありながら、その問題行
動は何らかの目的を持つ行動となり得る。
2-3.肢体不自由児
「運動というものは、意志をすべての繊維に伝えて、それを実現させる
− 130 −
実践報告・事例報告
(7)
(8)
役目」
「動く時は到達されるべき目的を持つはずの人間の自然な練習」
とある。肢体不自由児は、不随意運動も多く、自身の身体の部位を意志ど
おりに動かすことが困難であることから、独自の感覚の世界を築いている
と思われる。MT. の S では、楽器に触ろうと腕を伸ばす、強く握り込んだ
手を開く、Th. を見て歌に合わせて腕や足を動かすなど、日ごろは見せな
い運動をする。そして、自身が鳴らした楽器の音に反応しての笑顔、発声、
S 終了時に泣くなどの感情を表出する。その身体や情動の表れに、S を共
にする保護者、保育士など他のメンバーは、驚きや喜びを分かち合う。こ
れらは、媒体が音楽であることならではだと思う。この施設を卒業した肢
体不自由児の親子数組と、養護学校の先生、施設の保育士の会があり、筆
者はそこで活動のピアノ伴奏をしている。これは、Th. の意図した P によ
る MT. の時間ではないが、動きに合わせたピアノの即興演奏による BGM
で、同じ活動を一緒に行うということによって、その空間、時間に連帯感
が生まれると思う(参加者より伴奏の有無により会の雰囲気が全く違う、
という意見を拝受した)。重症心身障害児であれば、何か落ち着く、居心
地がいい、というような微かな、それでいて明らかな快感覚(9)が考えられ、
周囲には分かりづらいが、確かにある原始的なある種の幸福感を大切にし
ていきたい。
2-4.感覚の共有
障害児は、独自の感覚で得た現実を、過去の自身の感覚で積み上げた像
をもって照合し、それぞれの段階でズレを生じ、他者と共有することが困
難になると予想される。このような対象児に、音楽という枠組みを作り、
その中で分かりやすい形にした現実を提供する。同じ楽器を鳴らす、やり
とりをすることを通して、他者である Th.(筆者)と交流することで、
「こ
ういうものだよ」という共通の秩序をもつ。西は、
「同じ対象物に対して、
(10)
同じようなふるまいをすることで共同性を持つ」
としている。また「秩
序によって知覚を整理していくことで他の感覚も整備されていく」として
おり、モンテッソーリの示す「秩序の敏感期」が感覚受容の時期とほぼ同
時にあることにも合点がいく。Th. と信頼関係を築いた中で、子どもに知
覚体験の共有の場を設定し、他者と共有していく機会を提供したい。さら
に、西は「知覚には運動感覚と運動した予期の体系が伴っている」とし、
− 131 −
空間と時間との関連について言及している。これは、筆者の MT. において、
触覚・視覚・聴覚に関わる点であり、モンテッソーリの「運動」を伴う項
との整合性についても非常に興味深い。
3.提示
モンテッソーリ教育では、活動の始まりに「提示」を行う。分析された
提示は、身体の動かし方や動作の順序を分かりやすくする。その活動自体
の理解に加え、全体の見通し、繰り返しによる理解、小さなステップアップ、
子ども自身による誤りの訂正などをももたらす。また、子どもが「やって
みたい」と思うような魅力的な提示や、目の前の子どもに合う提示が求め
られる。MT. の S においても、
活動に際して Th. は「モデリング」を行う。
ケース 6.母子通園施設 肢体不自由児 F 子(① 2 歳 ② 2 歳)
S の始まりの挨拶にツリーチャイム(横木の下に長さが異なる数本の金
属の棒を吊り下げた楽器)を使っている。これは、小さな動きでもレスポ
ンスが得易く、動きとして、指(または身体の一部)で触る、手を差し出
す、肘を伸ばす、握る、離す、片手、両手、手を上下に動かす、手を左右
に動かす、などの種類がある。視線として、楽器を固視、注視、追視があり、
鳴らす際に Th. を見る、鳴らした後に母親を見るなどが観察される。F 子
は自分の番にはツリーチャイムに触れず、代わりに行った母親の様子を見
ていたが、自分の番が終わって、隣の子どもの時にはその様子を見ながら、
自分の手を動かした。F 子は、入園したてで、人や物に慎重で、身体の力
が入りやすいが、S の参加回数が増え、最近では足裏のタッピングや太鼓
を打ち鳴らす活動に、笑顔の伴う発声が表出されるようになった。
Th. の提示を見て、すぐには活動に移せない子どもにとって、周囲の子
どもや同席する母親も提示となる。実際に本人が活動をしなくとも、S の
場で見ていることで視線参加となり、やるかやらないかの選択の手がかり
となる。子どもに代わって母親が行った後で、子どもが笑顔を見せること
も多い。それが次の S につながる。活動している人を見ることが社会的学
習となること、脳科学では見た活動と本人の脳の同じ部分が賦活化される
(ミラーニューロンの働き)ことからも、提示の大切さが分かる。
ケース 7.特別支援学級での合奏の提示
合奏は、Th. が身体を動かす提示から始める。身体像の把握が苦手な対
− 132 −
実践報告・事例報告
象児も多いが、自分の身体を使って模倣することで、刺激が直接身体に入
力され記憶されやすい。この運動でリズムを把握すると、打楽器への移行
もスムーズである。また、楽器操作にも提示は欠かせない。カスタネット
のような比較的なじみのある楽器であっても、楽器を付ける方の手、ゴム
を入れる指、上になる色、片方の手の固定(両手とも動かすことがある)
の提示を行う。モンテッソーリの名称練習に従って、回数を重ねることで
子どもに定着する。さらに、メロディーのシール譜を使い(視覚支援)
、
ベルや音積み木(単音ずつになった木琴のようなもの)、トーンチャイム
などの合奏に発展させていく。
筆者がピアニストとして出向く MT. では、メインの Th. による提示が
なく、対象児が活動の仕方を戸惑う様子が見られることがあり、提示の必
要性を強く感じる。楽曲を、形式・リズムパターン・音列で分析し、順序
を考慮して提示する。活動を繰り返し積み上げていき、合奏を仕上げる。
できたことから次へ小さなステップを踏んでいく。これは、定型発達児の
リトミックにおいても同様である。
ケース 8.特別支援学級 高機能自閉症 G 男(① 4 歳 ② 14 歳)
G 男は、「運命(ベートーベン)
」
(アレンジ譜)を力強く弾き上げた後
に、筆者の提案した曲から「愛のあいさつ(エルガー)」(同上)を選び、
Th. の打鍵の提示に従い、徐々に柔らかい弾き方になった。追随して歌唱
に強弱がつくようになった。筋緊張が高く、身体の力の入れ具合の調整が
苦手な G 男に、力を強く入れて弾く(元々の彼の弾き方)→力を抜いて弾
く(力を加減する弾き方)という順序で提示し、G 男はそれを体得し、歌
唱にも応用したと考えられる。
ケース 9.特別支援学級 ダウン症 H 子(① 2 歳 ② 9 歳~ 12 歳)
H 子は、リコーダーの運指が苦手だったので、リコーダー裏面の左手親
指の穴に医療用のシールを貼り、穴をより小さくしクッション性をつけ、
押さえやすくした。Th. が H 子の横に座り、次の音の指の位置への移動を
早いタイミングで行い、使う指と動き、位置を提示した。リコーダーの穴
と自身の指との状態を確認できるよう、鏡を本児の正面に置いた。H 子は、
左手→右手の順にマスターし、6 年生時には行事にリコーダーで参加した。
提示はその場での活動を援けるだけでなく、対象児に見ることが習慣と
なって根付く。ケース 8、9 は、幼い頃からの「提示を見る」習慣がもた
− 133 −
らした結果であり、将来就労する際にも、作業のやり方をゆっくりじっくり
注意深く観ることができる力は、彼らの大きな財産になると確信している。
提示の際の言葉がけを必要最小限とし、動きと言葉を同時に与えないと
いうことも、筆者がモンテッソーリ教育で学んだ大きな点である。同時に
多くの情報を得ることに混乱しやすい対象児に対して、活動理解の大きな
助けになっていると思う。
4.結語
「観察」「感覚」
「提示」の 3 つは互いに作用しながら、子どもと支援者
との関係性を作っていく。子どもと相対する時に、その子どもをどう観る
か、つまり見立てによって環境設定が決まり、支援の方法は大きく変わる。
さまざまな角度からの観察が必要であり、子どもによって行動が選択実行
されていく認識が不可欠である。特に外には出にくい独自の感覚を観るこ
とで、その子どもにふさわしい環境整備と提示が行われることから、
「観
察」と「感覚」と「提示」とは密接な関係にある。支援者が子どもを観察
して、環境を用意し、子どもは環境を見、提示を見る。同時に提示をする
支援者を子どもが見、支援者が活動をする子どもを見て、次の環境を準備
する。このように「観察」は循環していく。S の最後に、戦闘ヒーロー物
の歌をリクエストし、筆者のピアノ伴奏で歌う養護学校中学 3 年自閉症男
子との MT がある。支援は、苦手な課題を行うという観点からだけでなく、
対象の相手が好きなことや喜ぶことを見つけて、楽しみを共有する時間を
過ごすことも、支援の大切な一面であると考えている。観察に基づく P に
よるその時点での変化を伴う子どもへの同時的な臨機応変な対応と、その
子どものそれまでの育ちにそった継時的な対応とのバランスがとれた対応
をしていきたいと思っている。
子どもに対する肯定的で控えめで丁寧な支援の姿勢は、モンテッソーリ
教師の心得に非常に端的に示されている。子どもの伸びる芽を発見する観
察、その子どもの歩む先へと整える環境の準備、その子どものためにカス
タマイズされた提示は、常に子どもへの愛情と敬意とに基づくものであ
る。一方、子どもはこれから育っていかんとする道のりで、外界を吸収し
ようとする「やってみたい」
「もっと知りたい」という興味・関心によって、
自身による選択と行動を起こし、環境を慈しみながら自分の中に取り込ん
− 134 −
実践報告・事例報告
でいく。そして、いかなる子どもも、発達にそった同じ系統の活動を連続
的に自発的に選択し、それを飽くまで繰り返す。その時、子どもは卓越し
た力を爆発させ、支援者である筆者にうれしい驚きをもたらす。その子ど
もから湧き出る強い探究心は、
「子どもの愛情は知性から出ていて、愛情
(11)
をこめてながめながら、構成します」。
「幼児の知性には隠れたものを見
のがさないのは、まさに愛情をもってながめ、決して冷淡に見ないから」
という『愛情の視力』という項を思い出させるものである。それに応える
べく、支援者が子どもの力を信じ、愛情をもって対峙する時、その子ども
との物語が生まれると思う。
引用文献
(1) 小島 薫 「モンテッソーリ教育に基づく音楽療法―その理念と手法」
『モンテッソーリ教育』第 45 号、2013 年、119 ~ 131 頁。
(2) 新村 出編 『広辞苑』岩波書店、1967 年、686 頁。
(3) 佐々木信一郎 「モンテッソーリ法の考え方と実践」加藤正仁・宮田
広善監修『発達支援学その理論と実践』協同医書出版社、2011 年、
121 ~ 131 頁。
(4) 宇佐川 浩 『感覚と運動の高次化からみた子ども理解』学苑社、
2007 年、83 頁。
(5) 岩永竜一郎・ニキリンコ・藤家寛子 『自閉っ子、こういう風にでき
てます!』花風社、2005 年。
『音楽で育てよう』春秋社、2011 年、34 頁。
(6) 二俣 泉 (7) マリア・モンテッソーリ著、鼓常良訳『幼児の秘密』、国土社、1968 年、
117 頁。
(8) マリア・モンテッソーリ著、鼓常良訳『子どもの発見』、国土社、
1971 年、100 頁。
(9) 高谷 清 『重い障害を生きるということ』岩波新書、2011 年。
(10)西 研 『感覚・知覚とは何か』佐藤幹夫編著『発達障害と感覚・知
覚の世界』
、日本評論社、2013 年、13 ~ 55 頁。
(11)マリア・モンテッソーリ著、鼓常良訳『幼児の秘密』、国土社、1968
年、121 頁。
− 135 −
教 育 エ ッ セ イ
モンテッソーリ教育を学んだ親たち
―情報化社会における新たな試み―
田中 昌子
(エンジェルズハウス研究所)
はじめに
モンテッソーリ教育を学んだ親たちが、子どもの良き援助者となってい
く道筋には、子どもの正常化と重なるところがあり、その事実は親教育の
必要性を改めて教えてくれるものです。モンテッソーリ教師はどんなに逸
脱した子どもの中にも、あのすばらしい子ども、新しい子どもが立ち現れ
てくることを信じるところから始めます。同様に、どんなに逸脱した親、
子どもを理解せずに邪魔をしたり、抑圧したりする親であっても、モンテッ
ソーリ教育を学べば、子どもの良き援助者に変わることができる、と信じ
るところから、親教育はスタートします。
子育て中の親たちにモンテッソーリ教育を紹介し、正しく理解してもら
うための勉強会「てんしのおうち」を主宰して 20 年以上になります。最
初は自宅と近隣で開いていましたが、限られた地域で限られた人数にしか
お伝えできませんでした。ちょうど時代は一気に IT 化が進み、情報伝達
手段が社会に大きな変革をもたらした頃でした。もっと多くの方にお伝え
する方法があるのではないかと模索し、IT 勉強会という新たな試みを始
めたのが 2003 年のことでした。
モンテッソーリ IT 勉強会の立ち上げから 10 年以上が経過し、その間に
寄せられたレポートは 10,000 通を超えました。その膨大なレポートから、
親たちがモンテッソーリ教育を学ぶ過程で変わっていく姿には、子ども
が変わっていく姿と驚くほど共通したものが見られることに気づいたので
す。
また、当時は存在しなかった facebook、twitter といった新しい情報伝
達手段が続々と生まれ、情報を受け取る手段も、パソコンからタブレット、
スマートフォンと多様化し、情報化社会は加速の一途をたどっています。
こうした現状において、いかにモンテッソーリ教育の有効性を発信してい
くべきか、今後の可能性についても考えてみたいと思います。
− 136 −
教育エッセイ
1.モンテッソーリ IT 勉強会とは
IT 勉強会は、モンテッソーリ教育を IT というツールを使って体系的に
学び、最終的には、親や子どもに関わる人がモンテッソーリの子どもの見
方と援け方を身に付け、家庭での良き援助者になってもらうことを目的と
しています。
IT 勉強会は、メール、テキスト資料、DVD の三つの要素から成り立っ
ています。子育てに悩める親たちは、いつも「子育て」というキーワード
をネット上で検索しています。それが当研究所のホームページにつながれ
ば、メールで入会申し込みができます。メールのもう一つの重要な役割は、
会員のサポートです。勉強会に参加している間は、回数制限はありますが、
レポートや質問をメールで送ると、アドバイスや返事が受け取れます。こ
うした双方向のやりとりは、書籍では得られないものであり、個人的な悩
みや疑問を逐次解決できる手段となっています。テキストや資料も、紙を
郵送するのではなく、メール添付、ダウンロードといった方法を使うこと
によって、経費を節約し会費を安く抑えることができています。DVD の
みは、郵送で毎月 1 回送られ、子育て中の親にとっては、在宅でいつでも
学べる、また何度でも見ることができる、という利点があります。レンタ
ルなので返却義務があることから、継続した学びが可能になっています。
わずか数名の会員からスタートした IT 勉強会でしたが、現在は 250 名
を超え、北海道から沖縄までほぼ全国から参加があります。またアメリカ、
イタリアはもちろん、タイ、チリなど海外からの参加も拡大の一途をたどっ
ています。参加者のほとんどは母親ですが、中には父親、祖母、独身者も
います。また、大部分は子どもをモンテッソーリ園に通わせたくとも通わ
せられずにいます。(表 1)
通わせることができない理由はまず、近くにない、あっても定員いっぱ
いで断られる、すなわち絶対数が不足していることが分かります。また、
表 1 モンテッソーリ IT 勉強会参加者の内訳
− 137 −
最近では働いている親が増えたため、幼稚園や子どもの家には通わせられ
ず、モンテッソーリ保育園はさらに少ないという事情から、通わせること
ができない割合は 8 年前に同じ調査をしたときよりも増えています。モン
テッソーリ保育園に入れないということから、最近の傾向として、3 歳未
満の子どもがいる親の参加が目立っています。またモンテッソーリ園は卒
園したけれどモンテッソーリ小学校には通えない、今後、家庭で何ができ
るのかという問い合わせも多く、3 歳未満と児童期の子どもがいる親への
援助が早急に必要であることを感じています。
2.モンテッソーリ教育を学んだ親たちに共通すること
各自が書くレポートというのは、一つ一つは個人的な体験や、私的な報
告ですが、長期間、膨大な量が蓄積されると、そこに共通項が浮かび上がっ
てくるものです。会員の第 1 回レポートからリストアップしたものを「学
ぶ前」
、2 年間学び終えた卒業レポートからリストアップしたものを「学
んだあと」とし、さらに、それを分類したものが、次の表です。(表 2)
ここに浮かび上がってくるのは親たちの対照的な姿です。
『モンテッソー
リ教育を受けた子どもたち-幼児期の経験と脳-』では、二種類の子ども
(1)
の存在が報告されていますが、
その後ろには、まさに二種類の親が存在
することが証明されるのではないでしょうか。
モンテッソーリ教育を学んだ親たちの共通項を①子どもの見方に関わる
こと、②子どもの援け方に関わること、③自分自身の生き方に関わること、
の三つに分類してみました。これを手がかりとして一つずつ見ていきたい
と思います。
①子どもの見方に関わること
観察、見守る、感動といった言葉に注目してみます。なぜこういう見方
ができるようになったのでしょうか。
(レポートは個人情報を省き、ほぼ原文のまま。以下同じ)
・
「子どもは、神様からの宿題をしている」という言葉は、当時 2 歳の「自
分でやりたい!」と毎日大騒ぎだった娘と戦っていた私の中に、すと
んと落ちました。教員だったが故に、教えよう、教えようとして口出
しばかりしていたと反省しました。
「あれは散らかしてるんでも、い
− 138 −
教育エッセイ
表 2 親がモンテッソーリ教育を学ぶ前と学んだあとの姿 比較と分類
学ぶ前
分類
学んだあと
・子どもにイライラしなくなった
・理想像を描いてあてはめようとする
・子どもをよく観察するようになった
・子どもは何もわからない、できないもの
・子どもには学びたい気持ちがあると知った
・子どものすること、なすことが困ったこと
・子どものすることすべては、今必要なこと
・あれもできない、これもダメ、と子どもを否定
的に見る
・他の子どもと比較して落ち込む
・大人が主導権を握らないでどうする?
・他の子より早く上手にできるようにしたい
①子どもの見方
・子どもにイライラする
・子どもの良いところをたくさん見つけられるよ
うになった
・他の子どもと比べなくなった
・主役は子ども、大人は脇役
・子どもの成長を見守る
・大人の都合が最優先
・子どもの今はかけがえのないもの
・魔の 2 歳児 いやいや期
・輝く 2 歳児 黄金の 2 歳児 秩序の敏感期
・こだわりやわがままに困り果てる
・自然のプログラム、神様からの宿題として捉え、
感動
・待つことを学び、余裕を持って接することがで
・早く早くとせかし、すぐに手出し口出しをする
・なんでもダメダメを連発する
・至れり尽くせりで、なんでもやってあげる
・本に従って無理やりさせようとする
・違う、違う、と否定して訂正する
・言葉がけがすべて、言葉で子どもを動かそうと
②子どもの援け方
・感情的に叱ったり怒鳴ったりする
きる
・怒らなくなった、
叱る必要がなくなった
・子どもがすることを妨げないようになった
・どうすれば自分でできるのかを工夫する
・必要な時期に適切な援助ができる
・正しいやり方を根気よく見せる
・教え方が変わり、具体的に何をすればよいか分
している
かった
・どう言葉がけすればよいのかわからない
・言葉ではなく、やって見せるようになった
・子育てが辛く子どもと二人きりの時間が耐えら
・子育てが楽しく一緒にいる時間が幸せ ③自分自身の生き方
れない
・子どもがわずらわしい
・自由な時間、自分の時間がないと嘆く
・一人でももてあましている
・子育てに不安がつきまとっている
・子育てに意義や喜びが見いだせない
・何を目標に子育てすればよいかわからない
・子どもがいとおしい(他の子どもも大切)
・親子の時間が貴重で無駄にはできない
・子どもをもっと産みたくなった(産んだ)
・子育てに自信が芽生えた
・子育てができて本当によかった
・子育ての軸を見つけた 子育ての柱ができた 子育ての指針(羅針盤)ができた ・情報が氾濫していて、いつも振り回されている
・心のよりどころを得た
・IQ を高くして頭の良い子に育てることが目的
・子どもの未来が平和であることを願う
2003 年 5 月~ 2013 年 7 月に提出されたレポート約 10000 通より抜粋
たずらしてるんでもない、宿題なんだ」そう思うと、子どもの行動の
一つ一つも、見て考えるのがおもしろくなりました。
(4 歳 6 カ月・女、2 歳 5 カ月・男の母)
親が子どもを見ていてイライラするのは、子どもがすることには意味が
− 139 −
ない、と思う時です。大人は穴を一日掘って翌日埋め戻す、また掘らせる
ことを繰り返すと発狂しますが、子どもは活動自体に目的があるのです。
モンテッソーリは小石を桶に入れる子どもと、いっぱいになったら帰ろう
(2)
とする乳母の例を用いて大人と子どもの目的の違いを説明しています。
それほどにこのことは大人にとって理解しがたいものであり、多くの方が
イライラの原因として記載しています。
・私がイライラしてしまう=無意味に見えてしまっていた運動がいか
に娘にとって「生きるために大切な仕事」だったかと思うとごめん
ね!!!!!っと叫びたくなりました。思い返せば、散歩に行けば
必ず溝ふたに石ころを入れるのに夢中になって進まないし、同じ場所
で必ず同じ草花を見て同じように反応して止まるし、輪ゴムを箱から
引っ張り出してグチャグチャにしたかと思うとまた入れるし…「あな
たはお仕事をしていたんだね。これからのお母さん、ちょっとずつ変
わると思うよ」と言いたいです。
(3 歳 1 カ月・女の母)
②子どもの援け方に関わること
次に、援助、具体的、教え方、やり方といった言葉に注目してみます。
大人の学び方は言語が主となるため、教える、すなわち言葉がけ、という
考えが先入観としてあります。特に最初のレポートは言葉がけに関する質
問ばかりです。
・自分でできるでしょう?といくら言ってもやろうとしません。こうい
うときには、なんと言ってうながせばよいのでしょう?
(3 歳 4 カ月・女の母)
・靴を履けないので癇癪を起こします。なんと声をかけてあげれば、癇
癪をおこさずにすむのかわかりません。教えてください。
(2 歳 1 カ月・男の母)
だからこそモンテッソーリの提示(提供)という方法に出会うと、親た
ちは衝撃を受けます。大人と子どもの学び方の違いに初めて気づかされる
からです。ただし、最初は疑問も多く寄せられます。「自分はモンテッソー
リ教育を受けてはいないが自然にできるようになった。それなのになぜ丁
寧に一つずつやって見せなければいけないのか。提示は不要なのでは」と
いうものです。
− 140 −
教育エッセイ
モンテッソーリが注目したのは、子どもは精密に順序だてて教えてもら
うことに惹き付けられるという点にあります。ベテランのモンテッソーリ
教師の提示は芸術のように美しく洗練されていて、子どもは「自分もあの
とおりにしてみたい」とあこがれます。また提示は、
「この子ができるよ
うになってほしい」という願いをこめてするものですから、たとえつたな
くとも、親が丁寧にやって見せることは、必ず子どもの心に伝わるのです。
・子どもが見ているということをいつも意識し、ゆっくりと丁寧な動作
を心がけ、もともとがさつなところも多かった自分の行動までいつの
まにか正されたようです。黙ってやり方を見せていたことは吸収も速
く、やり方もまったく同じ仕方、一人でできるようになったことを見
せに来た時の誇らしげな顔はいつ見ても抱きしめたくなるものです。
子どもは自分の成長に必要なものはちゃんと自分で分かっていて、必
要な時に、黙ってそっと指し示すだけでいいのだと思います。口やか
ましく違う違うと否定して訂正することも、無理強いしてさせること
もしなくなりました。
(4 歳 2 カ月・男の母 イギリス在住 モンテッソーリ園在園中)
モンテッソーリ教育の中にある子どもの見方と援け方を親たちが学んだ
ことは①と②から分かります。③を見ていく前に、どのように学んだのか
ということにも触れておきます。そこに、子どもの正常化と重なる部分が
見えてくるからです。子どもが変わる、すなわち正常化とは「それまで表
面化していた正常でないものが消え、子どもの内面に潜在していた正常な
(3)
心的性質が現れ出ること」
であり、以下の 4 段階を経て実現されるとさ
れています。
1、自由選択 2、仕事 3、集中 4、正常化(4)
親が変わっていく過程もこれと非常によく似ています。
第 1 段階、出発点はやはり自由選択です。子どもは敏感期に添って自分
で自由にお仕事を選びますが、子育て中の親はまさに子育ての敏感期にあ
ります。どのようなきっかけでモンテッソーリ教育を選んだのか、入会時
にアンケートを取っています。(図 1)8 年前の調査と同様、「相良敦子先
生の本」という答えが圧倒的で、多くの著書が子育て中の親に広く読まれ
ていることが分かります。また、今回「クーヨン」
(クレヨンハウス)と
いう雑誌名を挙げた人が多かったのは注目すべきことです。2010 年 3 月
− 141 −
(2009 年 9 月~ 2013 年 7 月参加者 636 人中有効回答数 551 人)
図 1 モンテッソーリ教育との出会い
の増刊号は丸ごと 1 冊モンテッソーリの充実した内容で、反響が大きかっ
たことを受け、2011 年 2 月には雑誌から書籍へと格上げになっています。
逆に 8 年たってもっと伸びるはずの IT 関連、ホームページや facebook な
どでの出会いが少ないことにも注目しなければなりません。これはモン
テッソーリ教育の有効な情報が、ネットの世界にまだまだ少ないことを示
唆しているものと思われます。
第 2 段階、子どもにとって重要なのは、遊びではなく仕事であると、モ
(5)
ンテッソーリは述べていますが、
子どもの仕事に相当するのが親の学び
と言えます。子どもが 1 回で仕事をやめてしまっては、集中現象に至るこ
とはありません。繰り返し、継続が次の段階への鍵ですが、親も 1 回だけ
に終わらず、繰り返し継続的に学ぶからこそ、少しずつ変わることができ
ます。
・この 2 年間毎月送られてくる勉強会は本当に励みになりました。つい
日々の雑事で、イライラしたりカッとなったり。本を読んだりしても、
時間がたつとつい忘れがちなので、2 年間毎月 DVD を見たり、テキ
ストやメモを見直すことで、少しずつ子どもに対する姿勢や見方が自
分の中にしみこんでいったように思います。
(5 歳 8 カ月・女、3 歳 6 カ月・女の母)
「しみこんでいった」という言葉に代弁されるように、モンテッソーリ
の理念というものは一朝一夕に身に付くものではありません。子育てをし
− 142 −
教育エッセイ
ながら学ぶというのは本当に大変ですが、多くの方がそれを自分のものに
して卒業されます。
第 3 段階で、子どもは正常化への大きなポイントである集中現象へと
入っていきますが、親たちの場合、大きなポイントとなるのは誤りの自己
訂正と言えるでしょう。モンテッソーリ教具の中には、他者からの指摘な
しに自分で自分の誤りに気づき訂正する、という要素が含まれています。
これが実は、親たちが学ぶ過程にもあてはまるのです。モンテッソーリ教
育を学んでみると、いかに自分の対応が誤っていたかということに自分で
気づき、自己訂正していく過程には、子どもの集中現象を見たときのよう
な感動を覚えます。
・私自身が、子どもの育つ力を信用していませんでした。教えてもその
とおりにはできないだろうし、教えるということすらしていない育児
でした。子どものさまざまな可能性を取り上げてイライラしていまし
た。賽の河原の鬼(6)のようですね。
(5 歳・男、3 歳・女の母)
・今まで、そうじゃないでしょ、とつい言ってばかりいて、そのたびに、
(子どもは)顔を真っ赤にして泣いて怒り、お互いに、険悪なムード
でした。できないわが子を責めていました。子どもの側に問題がある
わけでは無かったのですね。
(4 歳 11 カ月・男の母 モンテッソーリ園在園中)
子どもの逸脱状態の多くは、子ども自身に原因があるのではなく、環境
や大人の関わり方にあることが、モンテッソーリ教師にはよく見えてしま
います。そのため、親に直接的な指摘をしてしまいがちですが、それは反
発を招くことがあります。私も立ち上げ当初は、メールサポートをする際
によく失敗したものです。
「教えながら教えなさい。訂正しながら、では
(7)
ありません」
というモンテッソーリの言葉は、子どもだけではなく、親
に接するときにも当てはまるものです。
いよいよ第 4 段階です。親の見方、援け方が変われば、当然子どもが変
わります。子どもは、やった! できた!と満足感、達成感をもって仕事
を終えます。子どもの心が満たされ、穏やかになり、新しい子どもになる
時です。その正常化した子どもの姿に親が出会ったとき、絵空事や理想で
はない目の前の事実として、モンテッソーリ教育へのゆるぎない信頼が生
まれます。
− 143 −
・今まで、コントロールできず行き場がなかった子どもの有り余るエネ
ルギーの嵐に親子とも巻き込まれていましたが、ようやく建設的な出
口を用意してやれて、イキイキと自信に満ちた顔を見る機会が増えて
きました。「お仕事」後の顔は「誇らしさとうれしさが胸の中にある」
感じの時と「さらっと何でもないことをやり終えた」という 2 種類が
あるように感じます。また、それほど多くない話し言葉の中に、「で
きた」が出てくるようになりました。
(1 歳 11 カ月・男の母)
・子どもの正常化は親であれば誰もが願うことだと思います。しかし、
なかなか言うことを聞いてくれなかったり、物を投げたり泣きわめい
たりされると、こちらがおかしくなりそうなことがよくあります。と
ころが、本来の子どもが持っている素晴らしさを引き出す方法がモン
テッソーリ教育にはあるのだと聞いて、モンテッソーリ教育に出会っ
て本当によかったと思いました。モンテッソーリ教育は子どもだけで
はなく、私自身(親)も子どもと一緒に努力して成長し、子どもをよ
りよく理解し援助するという本来あるべき親の正常化にもたどり着く
のではないかと思いました。
(2 歳 1 カ月・男の母 モンテッソーリ園プレ在園中)
このように子どもの見方、援け方が変わり、正常化した親たちは、モン
テッソーリ教育を自分の子育てに生かすだけにとどまりません。
③自分自身の生き方に関わること
多くの親はモンテッソーリ教育を学んだことで、確実に生き方そのもの
が変わります。ネット上には、膨大な量の子育て情報が飛び交い、あっち
へふらふら、
こっちに飛びつき、
という状況に陥りがちです。でも、モンテッ
ソーリ教育をしっかりと学んだ親は一切ぶれなくなります。子育ての指針、
羅針盤、軸、あるいは柱など、いろいろな表現がレポートには並んでいます。
・何よりも育児、教育の指針となるものを自分の中で探していた時期に
出会ったのがモンテッソーリでした。親としての子どもの見方を得た
ような気になったのを覚えています。
(5 歳 5 カ月・男、6 カ月・女の母 モンテッソーリ園在園中)
・モンテッソーリ教育によって自分の子育ての軸を見つけました。初め
ての子育てで、子どもに最適な教育を与えてやりたいものの、情報が
− 144 −
教育エッセイ
氾濫する世の中で何をしたらいいのか全くわかりませんでした。とこ
ろがモンテッソーリ教育に出会ってから、子どもに何をしてやればい
いのかは子どもが教えてくれることを知りました。
(3 歳 8 カ月・女の母)
・育児にはルールがなく、それだけにいろいろな人のいろいろな考え方
があります。どれが正しいか、そうでないかは人それぞれで、それ故
に迷いも多くなります。ですが、私はモンテッソーリ教育という羅針
盤を手に入れることができました。自分が行くべき方向が分かるとい
う安心感と心強さと自信をモンテッソーリ教育から得ることができた
と思います。 (3 歳 11 カ月・男の母)
さらには、このように素晴らしい教育を他の人にも知らせたい、モンテッ
ソーリ教師になりたい、とモンテッソーリ教育に深く関わる生き方を選ぶ
人が現れたのです。実際にモンテッソーリ教師の資格を取って子どもの家
を開くなど、活躍する卒業生も 20 名以上にのぼり、どんどん増えています。
3.モンテッソーリ教育の中にある子育ての指針とは
モンテッソーリメソッドとモンテッソーリ教育は混同されがちですが、
(8)
『モンテッソーリ教育を受けた子どもたち』では使い分けられています。
モンテッソーリ教育というのは、その普遍的な理念を捉えれば誰もが実践
できるものですが、教具を買い揃え、家庭をモンテッソーリ園にすること
がモンテッソーリ教育ではありません。また、モンテッソーリ園に通い、
そこで教具に出会っているからお任せでよいものでもありません。では何
が大切なのでしょうか。IT 勉強会を通して、親たちが子育ての指針とし
て捉えたモンテッソーリ教育の普遍的な理念を確認すると、次のようなこ
とです。
1 つめは、子どもが主体、子どもが出発点ということです。一般的な考
えでは大人が主体であり、なにごとも大人の都合が優先され、大人の価値
観を押し付けようとしがちです。でも、モンテッソーリ教育をしっかり学
んだ親は、子どもを主体に考えられるので、子どもが主人公になれる環境
を整え、見守るのです。
・子どもは大人が導いていくものだと思っていましたが、モンテッソー
リ教育に出会い、主役は子どもであり、大人は脇役として、成長のお
− 145 −
手伝いをする存在なのだと知りました。子どもには自分がどう動くべ
きかがプログラムされているのだと思うと、大人にとっては汚れて濡
れて、片づけが面倒だと感じるようなことを全身全霊かけて行う子ど
もの姿に、敬意をもって静かに見守ることができるようになりました。
(5 歳 8 カ月・男、3 歳・男の母)
2 つめは、最終的な目的が子どもの人格の形成にあるということです。
多くの親の子育ての目的は、ともすると目の前の結果にあります。その証
拠にちょっとネットを開けば、IQ、天才児、お受験、といった文字が躍っ
ていて、まわりの親たちはそういったことに躍起になっています。でも、
モンテッソーリ教育を学んだ親は、もっと大きな目的、人格の形成という
ことをしっかりと見据え、惑わされず、今、子どもにとって何が必要かを
見極めることができるようになるのです。
・育児の土台を教えてくれたモンテッソーリ教育に出会え、感謝してい
ます。毎日の積み重ねが人間の人格を作りだしていく、子育てでは、
今という時間が大事だと痛感しています。
(3 歳 4 カ月・女の母 モンテッソーリ園在園中)
3 つめは、究極の目的が平和教育にあるということです。親子という関
係では、強者である親は弱者である子どもに対して、知らず知らず抑圧を
与えてしまいます。しつけや暴力、脅しや禁止、これらの外的動機づけで
育った子どもは、児童期や思春期になると、強者としてその矛先を、自分
を抑えつけてきた親や別の弱者に向けることがあります。恐ろしいことに
自分がどれほど子どもを抑圧しているのか、多くの親は気づいていません。
(9)
モンテッソーリも「大人と子どもとの争い」
と呼び、その愚かさを嘆い
ています。でも、親たちがモンテッソーリ教育を理解し実践すれば、抑圧
の代わりに正しい援助を与えることができるようになります。自立と自律
を促されてきた子どもは、内的動機づけにより、道徳心、自制心、やる気、
知的好奇心などが芽生え、自ら判断を下し、他人と調和する道を選びます。
このような子どもが新しい子どもであり、平和を生きる人となる、これが
モンテッソーリ教育の最も意義ある点であり、ここをすべての親が理解す
れば、モンテッソーリが望んだ平和社会の実現も夢ではないでしょう。
・モンテッソーリ教育を学び始めてから、私の中での「平和」に対する
思いは大きく変化しました。平和に対して、ただの傍観者であった自
− 146 −
教育エッセイ
分から、自らのこととしての平和を強く考えるようになりました。そ
の平和への一番身近な一歩が、家庭にあるのではないかと感じていま
す。この愛しい我が子のために、毎日笑顔あふれる日々にしてあげた
い、限りない愛情と敬意をもって接し、援助し、見守っていきたい、
そして、すべての生命を慈しむ心を娘と一緒に育んでいくことが、私
ができる平和への第一歩であると思っています。(6 歳・女の母)
4.情報化社会におけるモンテッソーリ教育の可能性
モンテッソーリ教育こそが平和への鍵を握っているならば、いかに多く
の親にモンテッソーリ教育と出会う機会を与えられるのか、またそれを正
しく学べる場を提供できるのか、が次の課題として浮かび上がってきます。
さきほどの調査にもありましたように、モンテッソーリ教育では、情報
化社会の新しいツールはまだまだ活用されていないようです。facebook、
twitter などは、
時には政治や国を動かすほど影響力があるツールですから、
モンテッソーリ教育界全体としても活用を考えるべき時期に来ているので
はないでしょうか。また blog もよく話題になりますが、日本最大の「に
ほんブログ村」には、モンテッソーリ教育というブログランキングがあり、
トップ 10 の半分以上を IT 勉強会の会員が占めています。モンテッソーリ
教師からも高い評価をいただいており、モンテッソーリ教育を学んだ親が、
こうした新しいツールを使って伝える側になっていることは注目に値しま
す。また、YouTube などの動画サイトでは、世界中のモンテッソーリ教育
の実践風景が誰でも見られるようになっています。ただし、ネット上には
怪しげなモンテッソーリ情報も氾濫しており、取捨選択能力もまた問われ
る時代となっていますので、ますます親たちに正しいモンテッソーリ教育
を伝えていく必要性を感じています。
以前は「十年ひと昔」でしたが、今は 3 年前のツールはもう古いと言わ
れる時代です。モンテッソーリ IT 勉強会も現在のシステムのままではす
でに学びたい親たちのニーズに対応しきれなくなっています。今後、シス
テムや形態は変わると思いますが、モンテッソーリの普遍的な理念は変わ
ることはありません。
1915 年、サンフランシスコの万国博覧会で、モンテッソーリは金賞を
受賞しました。ガラス張りのパビリオンを作り、その中で黙々とお仕事を
− 147 −
する子どもたちを見せ、人々を驚かせたのです。モンテッソーリがこの情
報化社会に生きていたら、どのような方法で自身の教育法を伝えようとす
るでしょうか。
おわりに
表 2 にあるモンテッソーリ教育を学ぶ前の姿はかつての自分自身の姿で
す。そんな私がモンテッソーリ教育に出会ったのは、もう 27 年前のこと
になります。モンテッソーリの理念を学べば子育てが 180 度変わる、それ
は自身の経験でもあり、勉強会に参加してくれた多くの会員から学ばせて
もらったことでもあります。この出会いに感謝し、これからも一人でも多
くの子どもがモンテッソーリ教育の恩恵を受けられるよう、親たちにこの
愛あふれるモンテッソーリ教育を、常に新しい試みを繰り返しながら伝え
ていきたいと思います。
注
(1) 相良敦子『モンテッソーリ教育を受けた子どもたち-幼児期の経験と
河出書房新社、2009 年、116 〜 120 頁。
脳-』
(2) M・モンテッソーリ 鼓常良訳『子どもの発見』国土社、1971 年、
346 〜 347 頁。
(3) 相良敦子『モンテッソーリ教育の理論概説』モンテッソーリ教育(理
論と実践)第 1 巻、学習研究社、1978 年、34 頁。
(4) 前掲書、『モンテッソーリ教育の理論概説』
、37 頁。
(5) M・モンテッソーリ 鼓常良訳『幼児の秘密』国土社、1968 年、143
頁、182 頁、224 頁。
(6) 同上、107 〜 108 頁にある日本の風習のたとえを紹介したことによる。
(7) E・M・スタンディング 佐藤幸枝訳『モンテソーリの発見』エンデ
ルレ書店、1975 年、312 〜 313 頁。
(8) 前掲書、『モンテッソーリ教育を受けた子どもたち』、185 〜 189 頁。
(9) P・オスワルト、G・シュルツ – ベネシュ編 小笠原道雄、髙祖敏明
訳『モンテッソーリ 平和と教育』エンデルレ書店、1975 年、22 頁。
− 148 −
ル ー メ ル 賞
第 2 回「ルーメル賞」授与
江島 正子
(日本モンテッソーリ協会(学会)
「ルーメル賞」選考委員会)
第 2 回「ルーメル賞」の経緯
「ルーメル賞」選考委員会が 2013 年 11 月 17 日(日)、上智大学内 SJ
ハウス パーラ 2 において開催されました。第 2 回「ルーメル賞」の選考
について話し合いの結果、わが国における戦後のモンテッソーリ教育リバ
イバル期から、モンテッソーリ教育に関わってこられた中国支部・下條裕
紀媛会員が第 2 回「ルーメル賞」に推薦され、2014 年 1 月 25 日(土)の
常任理事会、2014 年 8 月 5 日(火)の全国理事会にて承認されました。
授与式は、翌日の 6 日(水)
、日本モンテッソーリ協会(学会)第 37 全国
大会(横浜みなとみらいパシフィコ会議センター)の総会において行われ、
前之園幸一郎会長(理事長)から賞状と金一封が受賞者下條裕紀媛会員に
授与されました。
受賞者 下條裕紀媛 s.a.
受賞の理由
下條裕紀媛会員は、1965 年春、北九州の聖ヨゼフ幼稚園園長として幼
児教育に向き合ったときに初めて、モンテッソーリ教育を知るようになり
ました。
援助修道会会員として聖ヨゼフ幼稚園園長以外にも、大宮小百合幼稚園
園長、広島小百合幼稚園園長兼理事長の役職を担いながら、人間形成にお
いて幼児期の重要性を強く意識し、モンテッソーリ教育の実践分野で研鑽
を積まれました。
1960 年初頭、上智大学教育学科の教授陣が中心になって発足したモン
テッソーリ教育研究会に参加し、クラウス・ルーメル先生との親交も始ま
りました。九州モンテッソーリ教員養成コースを立ち上げた一人であり、
現在も広島・山口の「信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース」で、中
− 149 −
心になって積極的に活動し、モンテッソーリ教師の養成に多大な寄与と貢
献をなしておられます。長年にわたって日本モンテッソーリ協会(学会)
の理事として、学会の運営と発展に尽くされた業績は周知のとおりであり
ます。
現在、わが国の幼児教育において新制度へ変革が進められています。特
に、モンテッソーリ教育には、時代に即した保育、具体性に基づく教育メ
ソッドとして大きな期待が寄せられております。戦後のモンテッソーリ教
育のリバイバルの時期から、活躍された下條会員のこれまでのご苦労とご
功績は私たちモンテッソーリアンにとって、かけがえのない貴重な財産で
あります。故に「ルーメル賞」を授与することに決まりました。
− 150 −
ラ ウ ン ド・テ ー ブ ル
ラウンド・テーブル 1
実践に生かすためのモンテッソーリ教育の理論
松本 静子
(東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター)
下條 裕紀媛
(信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース)
このたびの大会では下條裕紀媛先生と共にラウンド・テーブル 1 を受け
持ち、短い時間ではあったがテーマに沿って参加者全員が互いの意見を述
べ合うという場で良い経験をさせていただいた。以下、その様子をご報告
させていただく。
設定されたテーマは下記の 5 つであった。
1.モンテッソーリ教育は人間形成の真の教育
2.モンテッソーリ教育の教師に求められているものとは何か?
3.教師の発見(教具と出会っている子どもの中に)
4.
「教える」ではなく、子どもの中から「引き出す」とは何か?
5.
「正常化」
「新しい人間」とはどのようなことか?
いずれもモンテッソーリ教育の理論の理解と実践において中軸となる内
容である。参加者の共通理解を深めるために最初に簡単なレクチャーを行
うことが最適だと考え、1 テーマ数分ずつのレクチャーの後、参加者同士
で意見を交換していただくことにした。
1.モンテッソーリ教育は人間形成の真の教育
モンテッソーリは生命の身体面、心理面、精神面の見地から人間の発達
を「発達の四段階」
によって表し、
概観している。
「発達の四段階」および、
「人
間の傾向性」の図(1)を使い、環境の準備、また精神面の発達を段階ごとに
紹介していった。
第一段階の 0 ~ 6 歳の子どもたちの要求を満たすために、教師は敏感期
の今に対応するだけでなく、現段階が次の段階へ影響することを理解した
上で環境を構成していく必要がある。子どもは整えられた環境内で自由に
− 151 −
活動することで自己構築を行っている。子どもの自然の生命の発達に寄り
添い、援助することは、やがて「未来を生きる」人間の形成を援助するモ
ンテッソーリ教育の本質だと言える。
「もし、教育が「生命の援助」であるならば、あるいは「人格が自立を達
成するために与えられる援助」であるならば、それはすべての発達段階に
(2)
おいて人間の身体的、精神的ニーズを基礎としたものであるはずです」。
2.モンテッソーリ教師に求められているものとは何か?
(3)
教師の仕事は教えることではなく「子どもを正常化へ導いていくこと」
とマリア・モンテッソーリが言っているように、教師は、次のようなこと
を意識することが大切である。
・子どもの仕事と大人の仕事の違いを認識する。
・子どもが自発的に繰り返す、という傾向性の意義を考える。
・子どもの仕事には労力の分割はできないということに気づく。
また、教師は自分自身についても準備が必要である。これについては『創
(4)
造する子供』
の 27 章を参照されたい。自己を見つめ、絶えず向上しよう
とする教師は生き生きとして、穏やかさや豊かな感性を備えるとともに、
鋭い観察力で子どもと自己を観察できる。こうした教師は養成される。養
成コースでの学びは教具の提供だけでなく、一人の人間の精神面の変革を
もたらす。「人々は養成コースが終わる頃には最初の頃より好ましい別の
人物に変わったと感じられました。
(中略)興味の還元を期待できる精神
面の投資をしたことを知りました。人生に新しい意味が生まれ豊かな実り
(5)
が約束されたからです」。
3.教師の発見(教具と出会っている子どもの中に)
観察と対応があらゆる発見に関係する。子どもがほんとうにやりたいこ
とに出会っている時には満ちたりた思いが見られる。モンテッソーリが自
発的調査・自発的進歩と呼んだ状態はクラスの担当教師だけが見ることが
できるものである。子どもが到達すべき目標に近づき、自発的活動に秩序
だった軌道が現れるとき、子どもは大きい喜びを感じる。それは敏感期の
要求や達成された生物としての大変強い喜びでもある。
子どもの活動に介入するのはさらなる自発的活動を進め、必要な知識を
− 152 −
ラウンド・テーブル
与える「時」を観察によって見極めるべきだが、縦割り保育での周囲のお
手本の中にも自己選択した活動を完成させる好機がある。こうした観察の
大切さを心に留めておきたい。子どもも自らの環境を広げ、征服していく
ために観察力を培うことが大切である。適時期の提供によって印象を整理
し、丁寧に言葉で概念を定着させることは、今後、身の回りに現れる新た
な物事に子ども自らが気づき、楽しみながら世界を探求していくことに役
立つ。言葉によって環境を切り拓いていく力を、附属園の年少児の書いた
日記を一例として紹介した。そこには年長児の活動の様子と自分の心の動
きの観察がつぶさに記されており、興味深い発見を参加者と共有した。
4.
「教える」ではなく、子どもの中から「引き出す」とは何か?
「子ども達の発展に関する限り、これは生きるか死ぬかのたたかいであ
るといっても言いすぎではない」
「自立への苦闘はより豊かな生のための
(6)
苦闘である」。
環境内の印象があらゆる感覚を通して伝わるという途方もない混沌の中
から子どもは自分の中に秩序のある世界を作り出さなければならない。絶
えず比較し、分類することにより、自分が得た経験や自分が試みた実験に
よって自分と環境の中のものの関係を認識していく。子どもの好奇心、活
動せずにいられないエネルギーと知力はこのためであり、3 歳までの無意識
的な吸収精神の間の十分な成果を挙げるために、われわれは子どもの生活
環境を整えていかなくてはならない。そのためには以下のことが大切であ
ろう。
・物事を発見する機会を与え、子どもが探究しようとするものに向かうの
を見守ること。
・無秩序に混沌として集められているものを整理づけられるように興味を
刺激し、新しい発見への道に子どもを導く。
教具の目的は秩序を創ることである。偉大な発見者とは、組織的に情報
を集め、体験を科学的に記録・分析し、古い事実に新しい事実を加え未知
を既知にする人たちである。モンテッソーリ教育を受けている子どもたち
も同じく、日々発見者になっていると言える。教具は正しい使い方を提供
されて使うことができる。教具を通して知らなかったことを発見しながら
理解する道が開かれる。
− 153 −
例えば、感覚教具は新しい印象を子どもに与えるより、むしろ、子ども
がすでに受けた印象に秩序を与えている。子どもの体験に秩序をもたらす
だけでなく、新たな宝物が何か、宇宙の謎を解く鍵のように示してくれる
ものである。
5.
「正常化」
「新しい人間」とはどのようなことか?
「正常化」とは
子どもは統一された個性を築き上げるために発達途上である。魂と肉体
の関係を完全なものとする、まさにその時なのである。子どもの中にある
成長エネルギーはその働きを止めることはない。しかし、それが正しく使
われないことが重なればこのエネルギーは失われこそしない代わりに精神
機能の不調や異状をもたらし、結果として逸脱を引き起こすのである。こ
れは幼児期の段階でさまざまな形となって表れる。例えば、かんしゃくを
起こす、反抗する、ごまかす、嘘をつく、意地悪、独占欲が強いなど。また、
他者への強い依存心、
執着心、
自分の創った想像の世界に浸るなど。マリア・
モンテッソーリは子どもが集中できないことこそ正常な状態から外れてい
るしるしであるとし、正常化とは人間の傾向と敏感期と吸収精神に対応す
る作業活動を自分で選び、その活動を長時間継続しているうちに培われる
心身の調和のとれた望ましい発達であり、同時にものごとに対する深い理
解力が増してくる状態だと言っている。
実際この状態を経験している子どもは静けさや秩序を保ち、知的集中力
が持続する、自己自身に必要なものを選べる、穏やかで自制心に富む、と
いう特徴がある。入園面接を長年行っているが、
ニドやインファントコミュ
ニティといったモンテッソーリの環境を経験してきた子どもたちは、何度
も繰り返したり、意欲的に次の活動へ向かう様子を示し、その活動に対す
る姿勢は驚くべきものがあると感じる。これは環境との信頼関係と自発的
作業の経験に起因するものであろう。
モンテッソーリが子どもの内面に脈打つリズムに畏敬の念を感じて述べ
た言葉を紹介したい。
「愛されていると感じている子どもは精力的にたく
さんの活動をします。努力することを恐れず、自然な規律を求めます。こ
(7)
うした子どもは準備すれば、成熟した時に新しい人となるでしょう」。
このさらに自立しようと苦闘し続ける生命をモンテッソーリは母なる愛情
− 154 −
ラウンド・テーブル
をこめて「新しい人間」と呼んだのであろう。
参加者の発表から( )内の数字は各テーマの番号に対応している。
(1)発達段階を知り、子どものステップを見逃さないよう心がけたい。
(2)子どもたちができるだけ自分の力でできるように見守る姿勢が大切。
(3)人的、物的両面から適切な環境によって子どもは集中する。教師は観
察から適切な環境を準備しなければならない。
(4)教えるのではなく、一緒に「どうしてだろう?」と話していると子ど
もから「○○だからだよ」と意見が出てくる。問いかけによって子ど
もの発見がある。
(5)個性の中に社会性のある平和な状態があることを信じる。正常化とは
自分になれた! 自分になるための真理、その子らしさに通じる。
反省
参加者は 80 名ほどであるとあらかじめ知らされていたが、それ以上の
多数の方がご参加くださり、学びを共有する時間を持つことができた。ス
タート時点ではテーマの発表とグループ確認、
テーマの内容の要約(30 分)、
各グループのディスカッション(40 分)
、
各グループの討議内容の発表(20
分)と企画していたが、テーマが 5 つあったこと、また、当日の会場セッ
ティングやグルーピングなどの影響もあり、活発な討議や発表には少々時
間が足りないと感じた。しかし、実践の中に理論を生かしていくことを共
に考える良い機会となったと思う。
(文責 松本静子)
参考文献
(1) マリア・モンテッソーリ「イタリア国内モンテッソーリコースの講義」
1950 年、ペルージア、未発表原稿。説明のための図。
(2) C a m i l l o G r a z z i n i “ T h e F o u r P l a n e s o f D e v e l o p m e n t ” ,
“Communications 2010 Special issue”, Association Montessori
Internationale, 2010.
(3)マリア・モンテッソーリ『子ども―社会―世界』クラウス・ルーメル、
− 155 −
江島正子共訳、ドン・ボスコ社、1997 年、26 頁。
(4)マリア・モンテッソーリ『創造する子供』武田正實訳、エンデルレ書店、
1975 年。第 27 章、273 頁。
E.M. スタンディング『モンテッソーリ教育の現場』佐藤幸枝訳、エ
(5)
ンデルレ書店、1977 年、Ⅶ頁。E. モーティマー・スタンディング「は
じめに…」
。
(6)
前掲書、21 〜 22 頁。
(7)
Maria Montessori “Have Faith in the Child”, “Communications”,
Association Montessori Internationale, 1965.4.
− 156 −
ラウンド・テーブル
ラウンド・テーブル 2
教師の仕事について ― 5 つのテーマ ―
コーディネーター 赤羽 惠子
(京都モンテッソーリ教師養成コース委員長)
島田 美城
(エリザベト音楽大学 准教授)
ラウンド・テーブルという方法は、一見教育的でないように思われがち
であるが、長年教員としていろいろな機会に使ってみて、とても素晴らし
い成果をもたらすものであると確信している。今回、多くの方がラウンド・
テーブルに参加してくださり、ますますその気持ちは強くなった。参加者
は、各自が選んだテーマに従って、意見や情報、自身の仕事のこと、自園
のことを惜しげもなく分かち合い、あまりにも白熱したため、話し合いの
時間の延長をお願いするほどであった。それぞれ多くのものを持ち帰られ
たのではないかと思われる。
ラウンド・テーブル 2 は募集の段階でモンテッソーリ教育に関わって 5
年以上という参加条件が設けられていたが、長年モンテッソーリ教育に関
わっているが故に感じたり、悩んだりすることを想定しつつ、あらかじめ
以下の 5 つのテーマを掲げておいた。結果、参加者は合計 60 名であった。
1.子ども一人ひとりのおもいを受けとめる保育のあり方
2.保護者対応と保護者支援
3.特別な支援を要する子どもとの関わり
4.モンテッソーリ教師の育成と園内研修のあり方
5.主任としての悩み
それぞれすでに申し込まれた時点で話し合いたいテーマを決めてこられ
ていると考え、まず、5 つのグループに分かれていただいたところ、それ
ぞれ十数名になったため、少人数でしっかり自分の意見を言うことができ
るよう、さらに 2 つに分かれた。第 5 のテーマのみ 1 グループとし、計 9
つのグループに分かれて、それぞれのテーマについて自己紹介の後に話し
合った。設定されていた時間は全部で 90 分であったが、説明や移動、発
− 157 −
表やまとめの時間を考えるとディスカッションの時間は実質 30 分しかな
く、延長せざるを得なかった。次回に向けての改善点だと考える。
各テーマについて各グループの代表者が発表したが、ここでは記録者の
話し合いの記録をもとにしながら、内容を簡単にまとめてみた。どれも興
味深く、アイデアに満ちた報告であったが、残念ながら、紙面の都合上割
愛し、幾つかの意見にまとめた。なお同一テーマの 2 グループ分の意見も
一つにまとめている。
1.子ども一人ひとりのおもいを受けとめる保育のあり方とは(8 名・6 名
グループ)
このテーマは本大会の総合テーマである「子ども一人ひとりのおもいを
受けとめる」から来たもので、モンテッソーリ教育の核心をつくテーマで
ある。
まず、子どものおもいを受けとめる環境作りが重要であるが、園によっ
ては「おしごと(モンテッソーリの教具を使用して活動している時間)」
の時間の設け方がさまざまで、おしごとをしてよい時間が短い園もある。
おしごとがまだ途中のまま横割り活動に移ることもたびたびあるが、その
ようなときには次の日にでも続きの活動を必ず守るようにしている。子ど
もは自分が選んだ活動を思い切りやらせてもらえることでその場が安心で
きる場になり、落ち着いてくる。そのために子どもに活動を始める前にお
しごとが終わる時間を知らせておくようにしたり、園児が集まる時にも、
集中している場合は無理にやめさせないようにしたりしているという園も
あった。子どもは一人ひとりが自分の力で伸びようとしていて、その気持
ちを受けとめるのがモンテッソーリ教育である。子どものその力(生命力)
を信じることが大切である。
2.保護者対応と保護者支援について(9 名・9 名グループ)
保護者からは、行事が少ないモンテッソーリ園の特徴に対して行事を
増やしてほしいとか、細かな要望も多いが、それらの要望に対していろい
ろな工夫を行い、保育に対する理解をもってもらうようにしている。例え
ば、入園時には初めに「保育においては行事がメインではなく、生活の延
− 158 −
ラウンド・テーブル
長上に行事がある」と伝えておき、各行事を行うときには保護者に分かり
やすく、その行事の意味や目的を伝えるようにしている。また、保護者
のためのモンテッソーリ教育や、子どもの理解のために参観の持ち方を
工夫したりしている。例えば、◎母親学級として一日保育参加と意見交換
◎お誕生日の子どもの保護者に来てもらい、みんなと一緒に食事をする
◎モンテッソーリ教育法理解のために小グループの保護者に教具の園での
提示の仕方を見せ、体験してもらう。◎月に一度希望する保護者との会を
設けて質問に答えている。教師が思っている以上に保護者は園での出来事
を知りたがっているなどの意見が出た。
また、信頼形成のために、子どもの様子をしっかりと保護者に伝えるこ
とができるように、成長の記録を取り、それをもとにケース会議を開き、
資料を保護者に見せるようにしている。
3.特別な支援を要する子どもとの関わりについて(8 名・8 名グループ)
子ども自身との教師の関わりについて、悩みとしては必ずクラスに数名
はなんらかの特別な支援を要する子どもがいるが、その内容はさまざまで、
多岐にわたり、一人で見るのは難しい。しかもそのことについては保育者
の養成機関(2 年制、4 年制)でもさっと触れるだけでほとんど学んでい
ない。今後カリキュラムの中に入れてほしい。まだ小さい時には症状がはっ
きりせず、診断もできておらず、把握が難しい。また、教師は適切な対応
を取ることが困難な場合もあり、集団生活を運営することが難しくなる場
合もある。
工夫としては、ある園では次年度の入園決定者の中から希望者に 7 回の
「慣らし保育」をしている。回数を重ねるうちに発達状態も見えてきてそ
の子に必要なものも分かるようになるし、保護者にも自分の子どもについ
て客観的に分かるようになってくる。この把握を次年度のクラス編成の参
考にする。また、そのようなクラスにはフリーのサポートが必要である。
難しいことの一つに、そのようなお子さんの保護者への対応もある。保
護者が障害を理解できず、受け入れられない、話が通じないと感じる教員
も多い。家庭で暴力的に対応していることが分かる場合もある。そのよう
な場合、障害支援センターにお願いし、専門家を招いて話をしていただい
たりした。
− 159 −
先生方の意見の中には、TV をつけっぱなしの育児や PC ゲームやスマー
トホンが出てきてから子どもの状態が明らかに違ってきたと考えている人
が多かった。中にはガラガラをスマホで写して赤ちゃんをあやしている人
がいたが、本物による活動に意味を見いだすモンテッソーリ教育とかけ離
れている現実があることが報告された。そのようにヴァーチャルな世界の
中で反応がおかしくなっている子どもたちに、何か具体的なものと出会わ
せてあげること、
それがモンテッソーリ教育だと考える。そしてそれによっ
て特別な支援が必要な子どもにも秩序感が出てくるなど、良い効果が認め
られるという声も多くあった。
4.モンテッソーリ教師の育成と園内研修の在り方(7 名・7 名グループ)
園内でディプロマを持っている人の割合もさまざまである。持っている
人が全くいない園もある。教員をモンテッソーリ教育を学ぶためのコース
に行かせるための園の費用の持ち方もさまざまである。コースにかかる費
用を全額出す園から、教員が全く自費でコースに行って何とかモンテッ
ソーリ教育の実施のための土台を作ろうと頑張っている園もある。園とし
ては教員をコースに出したり、研修に出すことは非常に費用がかかること
であり、経営上難しい時もある。またモンテッソーリ園は就職してもさら
に勉強しなければならないし、費用がかかると就職も敬遠されることが多
い。
園内で研修はディプロマを持っている人によって行われていることが多
い。しかしコースによって教具の提示方法の違いがあるので、園内でモン
テッソーリ教具を子どもに提示する際の方法について問題になることがあ
る。また、園内研修の時間をとることが難しいと感じている園が多い。月
に 1 回、または 2 回という回答が多く見られ、そこでは教具についてだけ
ではなく、本によってモンテッソーリ教育理論について読み合わせたり、
いま必要なことについてや先生方の悩みに応じて話し合いを持ったりして
いる。
また、職員の中にモンテッソーリ教具の使用方法だけでなく、モンテッ
ソーリ理論を下ろしていくのが難しいと感じている先生の声も多く、理論
が分からないと子どもに対して適切な対応が分からないので、それをどの
ように伝えるかという悩みもあった。 − 160 −
ラウンド・テーブル
5.主任としての悩み(6 名グループ)
ここでは園長や主任の方の悩みや工夫が語られた。例えば、週に 1 回、
会議のように集まり、新人教員の意見や知りたいと思うことを聞く時間を
作っている、それをもとに早い時期に新任研修を行うことやモンテッソー
リ教育の良さを伝えるようにしているという意見が出た。
また、職員間で「ありがとう」を言ったり、具体的に教員を褒めたりす
ることでコミュニケーションがよくなるので、教員に対しても肯定的な言
葉を使うようにしているとか、子どもと接するのと同じように職員同士も
信じ、認め、褒め合うようにしているという園があった。また、主任が勤
務体系や休日の取り方に気を配り、仕事を早く切り上げるような雰囲気づ
くりをすることで、仕事をしやすい環境を作ってあげるようにしていると
いう意見が出された。
発表のまとめとして、最後に赤羽先生から「長年現場にいた私には見
えてきたことがある」
「皆さん、何かあった時にすぐに子どもを叱ったり、
思いどおりにしようとしないで、子どもを知り、よく見て、まずありのま
まの子どもをしっかり受けとめましょう」と迫力に満ちたお話しがあった。
皆さんもこの言葉の中にモンテッソーリ教育の極意があると感銘し、熱気
に満ちた雰囲気の中で、このラウンド・テーブルが締めくくられた。
− 161 −
図 書 紹 介
天野珠子著
『あいじゅだよりⅡ』
岡田 耕一
(聖徳大学短期大学部教授)
モンテッソーリ教育を紹介・普及する新たな書籍が出版された。愛珠幼
稚園園長の天野珠子氏の執筆された『あいじゅだよりⅡ』である。本著は
二部構成となっている。第一部は、園長である著者が幼稚園の保護者に定
期的に配布しているおたより「あいじゅだより」をまとめたものである。
第二部は、「モンテッソーリ教育へのご案内」というテーマで、保育者用
月刊誌に掲載したモンテッソーリ教育の紹介を一部改訂してまとめたもの
である。 1.
「あいじゅだより」から
著者は、
「
「あいじゅだより」は、
日々の保育の様子や子育てのヒントなど、
そのとき子育てに役立ちそうな話題をエッセイ風に書いて親ごさんに配布
してきました」と述べられているように、37 編の保護者向けのお便りが
掲載されている。37 編のお便りに共通する特色は以下の 4 点である。
①幼稚園教育を保護者に分かりやすく紹介している
「あいじゅだより」を読んで最初に印象に残ったことは、幼稚園教育の
本質について、保護者に分かりやすく述べられていることである。言うま
でもなく、愛珠幼稚園はモンテッソーリ教育を実践する幼稚園であるが、
園長である著者は幼稚園教育要領に基づく教育(保育)をとても大切にさ
れている。それは教育要領の教育(保育)が、モンテッソーリ教育に通じ
るものがたくさんあるからである。
どの幼稚園も教育要領に基づく保育をしているが、教育要領の本質を捉
えながらも、実際の教育の内容・方法となるとあいまいになってしまうと
ころがある。ところが愛珠幼稚園では、教育要領とモンテッソーリ教育の
一致点を正確に捉えて幼稚園教育を実施されており、その成果が「あいじゅ
− 162 −
図書紹介
だより」の中で、分かりやすく、説得力のある内容として示されているの
である。保護者はいつも、幼稚園や保育所はどのような教育(保育)をし
ているのか知りたがっている。そのような保護者の気持ちを的確に捉えて、
幼稚園教育を紹介している。
②モンテッソーリ教育を保護者に分かりやすく紹介している
現在の日本の幼児教育界に確実に根付いているのはフレーベル教育とモ
ンテッソーリ教育であると言える。ところで両教育を比較したとき、一般
の保護者に知られているのはモンテッソーリ教育ではないだろうか。そし
て保護者の中には、モンテッソーリ教育を深く理解している人もいれば、
雑誌や新聞を読んで何となく興味を持っている人がいるなど、モンテッ
ソーリ教育に対する思いは実にさまざまである。
著者は「あいじゅだより」を通じて、子どもを幼稚園に通わせている保
護者に対して、敏感期、日常生活、教具、縦割り保育など、モンテッソー
リ教育の基本原理について、大変分かりやすく説明されている。そしてモ
ンテッソーリ教育を単に説明するだけでなく、幼稚園と家庭との連携を大
切にしながら、家庭でどのようにモンテッソーリ教育を実践したらよいか、
その方法についても分かりやすく述べているのである。
③学生にモンテッソーリ教育を的確に伝えることができる
私は現在、短期大学で保育者養成に携わっているが、学生が実習する幼
稚園や保育所でモンテッソーリ教育を行っている所がしばしば見られる。
そのような園では、学生に予習としてモンテッソーリ教育について学習し
ておくように伝えるケースが多い。学生も「保育原理」や「教育史」など
のテキストに掲載されているモンテッソーリ教育についての内容を自分で
読むのであるが、的確な理解には至らないことが多い。
また、私自身も学生にモンテッソーリ教育について聞かれたとき、何を
どこまで伝えたらよいか、戸惑うことが多い。そのような時、あらためて
モンテッソーリ教育の奥の深さを感じるのである。
ところで『あいじゅだよりⅡ』を読むと、愛珠幼稚園でのモンテッソー
リ教育実践のエピソードがたくさん紹介されており、これらは学生にモン
テッソーリ教育を具体的に伝えるための格好の教材であることに気づかさ
− 163 −
れたしだいである。モンテッソーリ教育を知るためのミニマル・エッセン
シャルズが詰まっていて、学生に何をどの程度まで教えるべきか、指針を
与えてくれるものである。
④モンテッソーリ教育を実践していない保育者も参考にできる
『あいじゅだよりⅡ』の 37 編の記事の中には、一般の幼稚園や保育所の
保育者が参考にできる内容も多く含まれている。その一例として、
「テー
マをもった保育活動」を挙げることができる。愛珠幼稚園では、毎年の保
育のテーマを決めて保育をすることになっているが、テーマの決め方がユ
ニークである。
「毎年のテーマは、
前々から特別計画しているものではなく、
その年に行われたり話題になっている事柄や偶然の機会、その年の子ども
たちの傾向などを加味して、夏休み明けぐらいまで模索して決定していき
ます」と言うように、一見すると決め方が大ざっぱに思えるが、実は保育
者が慎重に時間をかけて子どものことを考えながら決めていることが分かる。
「宇宙」
「乗り物」
「地球」
「生き物」
「世界の国旗」などがこれまでの主なテー
マとなっているが、どのようなテーマであっても、
「『知ること』への興味・
関心から、自ら探求しようとする内的エネルギー(意欲)
」を育てること
を目指している。保育にテーマを取り入れ、保育者が適切な援助をするこ
とで、子どもはテーマにふさわしい活動に夢中になり、集中し、テーマ活
動を極めつくす様子が生き生きと示されている。
2.
「モンテッソーリ教育へのご案内」から
第二部は、
「モンテッソーリ教育へのご案内」というテーマで、保育者
用月刊誌に掲載したモンテッソーリ教育の紹介を一部改訂してまとめたも
のである。モンテッソーリ教育の基本概念について、12 のテーマで紹介
されている。
①モンテッソーリ教育の原理を知るための分かりやすいテキストである
「あいじゅだより」でも、保護者を対象にしてモンテッソーリ教育を紹
介しているが、第二部では、モンテッソーリ教育を少し専門的に紹介して
いる。「少し専門的に」というのが、この第二部の特徴とも言えるだろう。
モンテッソーリ教育についての解説書は実に多い。しかしながら、どれも
− 164 −
図書紹介
詳細に解説されたものが多く、モンテッソーリ教育を初めて学ぶ保育者に
とっては、意外にも理解しづらいところがある。
著者は「専門書から読もうとせず、やさしい母親向けの本から読み始め
ることをお勧めします」と述べているように、この 12 のテーマで構成さ
れているモンテッソーリ教育の解説は、まさに専門書の前に読むべきテキ
ストと言えるだろう。50 ページ程度の分量であるが、初めてモンテッソー
リ教育を学習する保育者は、モンテッソーリ教育の基本原理について的確
に理解することができる。
②モンテッソーリ教育が一般の幼稚園や保育所の保育にヒントを与えてく
れる
12 のテーマは、どれもモンテッソーリ教育の基本原理に関わるテーマ
であるとともに、モンテッソーリ教育を実践していない保育者にとっても、
重要な保育テーマと言えるだろう。例えば「真の自由を育てる保育」
「子
どもを待てる保育者」
「縦割りの保育」
「子どものための環境構成」など、
モンテッソーリ教育をしていない保育者にとっても、保育の参考になるも
のばかりである。
私は、保育者の研修会で、さまざまな保育理論を学ぶことを勧めている。
そして、特定の理論のみに傾倒するのではなく、現在の自分の保育活動に
適切に取り入れて保育活動を発展させるようにも勧めている。私は、モン
テッソーリ教育を実践していない保育者にとって、モンテッソーリ教育を
学ぶことが、保育の知識・技術をさらに高めるための手立てとなると信じ
ていて、保育者の研修会でもそのことを主張している。12 のテーマに示
されている内容は、どれも保育者にとって保育の参考となるものである。
③モンテッソーリ教育の理想、一般の保育の理想について語っている
モンテッソーリ教育に関心のある保育者は大変多い。しかしながら、園
全体でモンテッソーリ教育システムを導入するかという問題になると、踏
みとどまってしまうだろう。そのような保育者、読者に対して著者は、次
のような助言を最後に示されている。
「一般園にモンテッソーリ教育を導入していく、あるいはモンテッソー
リ園が一般の優れた保育内容を導入する、どちらからでも歩み寄れたらと
− 165 −
願っております。明日の幼児教育の発展のために」。
この助言から明らかなように、著者は、自園での長年のモンテッソーリ
教育の実践を踏まえ、
モンテッソーリ教育の一層の発展のために一般園(モ
ンテッソーリ教育を実施していない園)の保育を大いに参考にしていく姿
勢を示されている。同様に、一般園の幼児教育の一層の発展のために、モ
ンテッソーリ教育をぜひ参考にすることを勧められている。
○最後に
『あいじゅだよりⅡ』の第一部は、愛珠幼稚園の保護者への「園だより」
であるとともに、保護者向けに示されたモンテッソーリ教育の入門書とも
言える。さらに、第二部「モンテッソーリ教育へのご案内」は保育者向け
に示されたモンテッソーリ教育の入門書と言える。どちらも入門書として、
大変分かりやすい内容でありながら、モンテッソーリ教育の哲学も感じ取
ることができる。そして、モンテッソーリ教育だけに縛られない、幼児教
育の書とも言えるものである。
学校法人天野学園 愛珠幼稚園
(〒156-0052 東京都世田谷区経堂 1-1-14)
2014 年 6 月 207 頁 定価 1,000 円
− 166 −
第 47 回 全 国 大 会 参 加 報 告
日本モンテッソーリ協会(学会)
第 47 回全国大会報告
栁澤 ナオミ
(つづきルーテル保育園)
前回の関東支部が担当した全国大会を何も知らないままに、まったく名
前も知られていない私が、実行委員会事務局を請け負うこととなりました。
8 月 6 日、7 日、8 日の 3 日間は、お天気も良く、アスファルトに照り
つける特有の暑さ?を体験いただけたのではないでしょうか。
1 日目の懇親会は、朝から強風で、
「ぷかりさん橋」からの出港は無理
だと言われてしまい、皆さんになんと申し開きしようかとお話しする言葉
が頭をグルグルと巡り、胃の痛む思いでおりました。が、ようやく 4 時半
の最終決定で OK が出た時には、体の力が抜けました。
2 日目は 24 コマの研究発表、ワークショップ、基礎・応用講座、新し
い試みのラウンド・テーブル、と盛りだくさんのスケジュールで、まさに
学びの一日となりました。
かなりお疲れになったと思います。
いちばんの心配は皆さんが使うパソコンがプロジェクターとつながるか
という点でした。その点は何とか大丈夫でしたが、コードがいまだ見つか
らない方がいらっしゃいます。
そして 3 日目。一般にも公開してのシンポジウム。シンポジストの先生
方お一人おひとりのお話が現代の私たちとモンテッソーリ教育とが密につ
ながったところでのお話となり、これからの私たちがどうあるべきかと問
われているように感じました。
今回、全国大会に携わるにあたり、一参加者としてではない関わりをさ
せていただき、改めて大先輩の先生方のご苦労を肌で感じました。支部ご
とに繰り返される毎年の事を、自分の支部だけで終わらせてしまわずに、
もっと連携していけたらとも感じました。
そうすることによって、もっと大会の内容について練って考える余裕が
− 167 −
生まれ、さらに充実した大会になるのではないかと思いました。
何も分からない私を一から導いてくださいました松本良子先生をはじめ
実行委員の先生方、今大会に関わってくださった諸先生方、そしてお手伝
い(ボランティアで呼びかけたにもかかわらず、たくさんの方々がお手伝
いを申し出てくださいました。
)の皆さん。
そして、参加してくださった皆さん。
皆さんの笑顔とお声かけに励まされ、務めさせていただきました。
不手際が多々ありましたこと、ここにお詫び申し上げます。
子ども一人ひとりのおもいをしっかりと受けとめ、次世代へ普遍的なモ
ンテッソーリの思いを私たちが共につないでいかなければならないと改め
て感じた大会でした。
本当にありがとうございました。
− 168 −
大会参加報告
大会を終えた今の想念
松本 良子
(日本モンテッソーリ協会(学会)第 47 回全国大会実行副委員長)
私の全国大会初参加は、昭和 47 年 8 月 27 日 9 時~ 17 時。上智大学に
於いて開催された第 5 回大会。次は第 8 回、昭和 50 年 7 月 27 日~ 8 月 1
日、会場は聖マリアンナ医科大学、故平塚益徳会長、坂本尭事務局長、後
援は学習研究社でした。第 9 回は期間が、7 月 27 日~ 29 日となった他は、
第 8 回と全く同じでした。
当時松戸市在住の身には毎年の参加はかなわず、次は第 11 回でした。
昭和 53 年 7 月 30 日 10 時~ 8 月 1 日 16 時 30 分、会場は上智大学、会長
は故クラウス・ルーメル先生、大会委員長は当時の協会事務局長平野智美
先生、協会事務局も上智大学に移り、第 25 回まで同様でした。
平成 4 年 7 月 30 日、広島国際会議場で行われた総会に於いて、平野智
美理事より会長宛に提出された「理事辞退願い」が、1 月 9 日の定例常任
理事会において受理された由。その結果、会則の一部変更。そして協会事
務局長・常任理事就任という重大事がまさかこの身に下ろうとは、露も知
らぬ状態でしたが、私の状況判断は、ルーメル会長という偉大な方を通し
ての「神のご命令」でした。
第 26 回大会実行委員会は、ルーメル会長・大会委員長の下、松本静子
先生、松本尚子先生や主に上智コース修了生の 17 名が委員と決まり、さっ
そく準備に取りかかりました。委員長はもっぱらモンテッソーリ教育法で
のご指導。有能人格者故山辺二郎氏の応援も得、委員一同の働きを、理事
や会員方に支援されて、平成 5 年 7 月 29 日~ 31 日、上智大学での開催に
至りました。こうした努力への報いは、近隣国からの参加者も加えた 860
名、会場満席の熱気でした!
以後 28・30・33 回をほとんど同メンバーで担当。委員の中から過負担
解消策は?との声も上がった平成 10 年の理事会、総会に於いて、支部会
員数と選挙理事数の是正が会則変更とともに決議され、関東支部内の東京
は東京支部となり、協会の支部数は 10 となりました。平成 8 年、この年、
日本学術会議第 17 期に初めて会員申請書を提出。以来 18・19 期と連続受
− 169 −
理され現在も会員です。第 35 回大会前日に常任理事会提案の国内コース
責任者第 1 回会議が開かれ、今年で 15 回です。第 37 回大会は、関東支部
単独担当初回。この時から上智大学借用不可となり、初めて幕張プリンス
ホテルで開催しました。前年私の支部長会議開催提案が承認されて、第 1
回会議を開催し、継続と担当支部長の司会役とを決定して今年は 11 回目
です。
翌年私は、今後大会は安定的継続により一層高水準充実内容であってほ
しい、との願による 2 提案をしました。それは、担当の 10 支部輪番制と、
規定作成による運用でした。規定案は満場一致で鷹觜・乾支部長に一任さ
れ総会の議を経て施行されました。
第 47 回大会は、想定・予想外の事実が多く生じました。まず、社会情
勢変化に伴う、快内諾済み会場の借用不可でしたが、委員長の裁量により
横浜での開催となりました。次は私の盲腸癌手術の緊急入院。委員の皆さ
まに多大なご迷惑をおかけしましたが、お支えにより何とか切り抜けるこ
とができました。他にも開催直前までさまざまな事がありましたが、
「ご
参加される皆さまに喜んでいただける大会にしたい」との熱意に天の味方
があり、困難の扉は次々開かれました。今大会は学会三要素の水準は高く、
何より 24 件・30 名の方々による研究発表には、
「理論・実践いずれもす
ばらしかった」と、賞賛の感想が多く寄せられました。今回係り担当者は
皆、参加費納入者です。全くの無料ご奉仕には、ただただ頭が下がるばか
りでした。委員長企画実働のアトラクション、クルージング懇親会も好評
で、特に現職子育て中保育士によるマリンバ演奏は、絶賛を浴び、心を込
めてのゴスペルソングは、皆さまを深く大きな感動で包み込み、良かった!
の声が飛び交いました。
モンテッソーリ教育は奥深く、まだまだ学ばねばなりませんが、ひと
まずここで多くの良き出会いを許された神様に心から感謝を申し上げまし
て、あふれるお励まし、お助けを下さった皆さまには衷心より深謝申し上
げます。本当にありがとうございました。
− 170 −
第 47 回全国大会ワークショップ報告
千葉 和恵
(東京モンテッソーリ教育研究所付属教員養成コース
指導支援事業ワークショップ担当理事)
「子ども一人ひとりのおもいを受けとめる」という大会テーマに沿い各領
域が幾つかの教具を紹介するということで準備をしました。
子どもが自分を形成する幼児期に一人ひとりの興味や関心、能力や特性
を踏まえ、科学的に考案されたモンテッソーリ教具を通して、子どもの育
ちたい、成長したいという願いを受けとめ、自分を生きる力を育むために
援助できる活動を選択し、紹介いたします。
8 月 7 日(木)
、大会の中日がワークショップの当日でした。
「横浜みなと
みらいパシフィコ会議センター」303 号室の会場前のフロアーからは快晴の
空の下、静かな海が広がり、素晴らしい眺望でした。
Ⅰ.
「日常生活の活動」
(9:00 〜 10:25)
担当:南郷治代・竹田恵・溝脇しのぶ
人格を形成する「核」とも言われる「静けさ」について考え、皆さまと
共に「静けさ」を味わい、子どもの内に見いだされた「静けさを愛する心」
を感じながら静粛遊びをいたしました。
紹介活動:子どもの環境にある身近なものを通して静粛遊びをする
くるみ
(遠い音、近い音、音あてゲーム、胡桃のゲーム)
アンケートより
★日常の生活の中で静かに耳をすますことで心が落ち着き、よく感じる
ことができました。
★静けさを愛する子どもたちの姿を大切にすることで平和が生まれる、
平和の種をまくことができるようにしていきたいです。
★日々のざわつきをリセットし、自分の内面を見つめコントロールする
力を身に付けたい。
− 171 −
Ⅱ.
「感覚」
(10:30 〜 12:00)
担当:堀田和子・千葉和恵・小川かおる
子どもはこの世界の環境を知る第一歩を感覚で捉えることから始め、次
第に考える知性へと結びつけていきます。子どもはその感覚器官を通して
環境と関わり合い、自然の中での原体験を土台にして、さらに感覚教具を
通して学んでいきます。今回は手を使って感じ取る「触覚」の教具を紹介
いたします。
紹介教具:つるつるざらざらの板 1・2(触覚板)
秘密袋 1―A.いろいろな実物、B.同材異形の実物、C.同
形異材の実物
秘密袋 2―A.豆類、B.たね類、C.穀類
アンケートより
★感覚とはよく感じること、よく見ること、よく聞くこと、よく触ること、
そして楽しむことで生活を豊かにすることを深く感じました。
★身近な自然物が教具になるのだと知って、びっくりしました。
★日常生活や数の世界、言語ともつながりがあることがよく分かりまし
た。
Ⅲ.
「数」
(13:00 〜 14:25)
担当:廣澤弓子・梅野芳子
子どもが数概念を体系的、論理的に学べるようにユニークな教具が考案
されました。
最初に紹介されるのは 1 から 10 までの基本的な数概念を獲得していく
中で特徴のある「0」に注目し、その紹介をいたします。
紹介教具:つむ棒箱・0 あそび
「0 あそび」の展開はフロアーから子ども役を招き、楽しみ
ました。
アンケートより
★ 0 を強調することで子どもを引きつけることができるのですね。実感
しました !
★分かりやすい実践を見せていただきました。子ども役を体験してみた
かったです。
− 172 −
大会参加報告
★数教育の在り方、原理の分かる関わり方を伝えてもらいました。
★論理的に物事を考えられる子どもを育てる教育なのですね。
(15:00 〜 16:30)
Ⅳ.「言語」
担当:天野珠子・伊藤千恵子・齊藤春美
日本の子どもたちが平がな文字の困難点を一つ一つ克服して文字を獲得
できるように、教材の工夫と提示を考える必要があります。今回は「移動
五十音」を子どものレベルに合わせてサブ教材(絵カード)を変化させな
がら提示できる方法を紹介いたします。
紹介教具:かな文字カードの箱Ⅰ「清音の箱」
かな文字カードの箱Ⅱ「不規則音の箱」
紹介教材:絵カード各種、言語のカード、小さい籠
アンケートより
「ことば」は文化、人格つくりの基本なので、丁寧に取り入れるべき
★
であることが大変よく分かりました。
★
「文字」となると勉強というあまりいいイメージはありませんでしたが、
教具、教材を利用することで進んで楽しく学べるのだと感じました。
★職場でよく話し合い、この方法を共有し、子どもたちによりよく進め
ていきたいです。
★手作り教材をたくさん見せていただき、ありがとうございました。
4 領域のワークショップの参加者は平均 60 〜 70 名でした。若い方から
年輩の方まで幅広く、皆さまがとても熱心に受講されました。
それぞれの分野全部に参加してくださった方が 15 名ほどいらっしゃい
ました。一日中お付き合いしてくださったことに感謝です。
アンケートより
★各領域からいろいろなお話が聞けて、とてもよかったです。それぞれ
の活動は違っても一貫して共有していたのが「平和を愛する子どもを
育てる」こと、子ども一人ひとりを認め、子どもの内面に秘められた
欲求(知りたい、探求したい、大きくなりたい)に答えていけるよう
環境を整えていくことが大切ですね。
★ワークショップはとても濃い内容でした。時があっという間の 90 分
− 173 −
でした。もっとじっくりお話が聞きたかったです。
★映像の大きなスクリーンで手元が見やすかった。
今回のワークショップでは各領域の提示の手元がよく見えるように、カ
メラでその映像をスクリーンに映すという作業を松本科学工業の松本氏が
一手に引き受けてくださいましたことは本当にありがたく、お礼申し上げ
ます。そして、大会本部の皆さまのご協力に深く感謝してワークショップ
の報告とさせていただきます。ありがとうございました。
− 174 −
支 部 報
告
北海道支部 支部長 前鼻 百合江
(宮の沢さくら保育園)
Ⅰ.活動報告
今年度は支部としての研修会は行いませんでしたので、会計のほうも支
出の動きはありませんでした。
新会員が増えたこと、今大会(47 回横浜大会)への会員発表者がいる
ことなど個々の進展が見られ、心強く思います。
次年度は会員間の情報交換および研修会 ( 講演など ) を企画したいと予
定しています。
Ⅱ.会計報告(平成 25 年 7 月 1 日~平成 26 年 6 月 30 日)
単位(円)
区分
収入の部
前年度繰越金
予算額
決算額
1,367,455
雑収入
計
摘要
326
預金利息
1,367,781
次年度繰越 1,367,781
以上
平成 26 年 7 月 1 日 上記のとおり相違ありません。
会計担当 城 由利子
− 175 −
東北支部
支部長 佐々木 信一郎
(こじか子どもの家)
平成 25 年度、震災復興は遅々として進みませんでしたが、子どもの成長・
発達はどんどん先に進みます。この子どもたちをどのように育み、よりよ
い発達を促すのかという重要な使命を果たすための一年でした。会員の皆
さまから頂きました義援金につきましては、東北 6 県の研修費に当てさせ
ていただきました。ありがとうございました。これからも、皆さまの温か
いご支援をよろしくお願いいたします。
Ⅰ.東北支部研修会
①第 38 回東北支部研修会を行いました。
日時:10 月 26 日( 土 )13:00 か ら 17:30 〜 27 日( 日 )9:00 か ら
15:15
主催・会場:一関藤保育園(会場:ベリーノホテル一関)
講師:松 本静子先生(東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセン
ター所長)
演題:
「モンテッソーリ教育を取り入れている園の心構え」
「スポンジを絞る」
「テーブルを洗う」感覚教育:
提供:日常生活の練習:
「触覚板」
「触覚板合わせ」
「赤い棒」数教育:
「数の棒」
「数字と玉」
「紡錘棒箱」
「数の記憶あそび」言語教育:
「移動五十音」「二色の
移動五十音」
参加園:25 園 参加人数:107 名
②モンテッソーリ教育研修会
日時:11 月 16 日(土)9:00 〜 12:00
主催・会場:こじか「子どもの家」発達支援センター(会場は同じ)
講師:小川直子先生(AMI 国際モンテッソーリトレーナー)
演題:
「モンテッソーリ教育の全体像」
参加園:3 園 参加人数:63 名
− 176 −
支部報告
Ⅱ.第 38 回支部研修会開催予定
平成 26 年 10 月 18 日(土)
、19 日(日)
平成 26 年度の主催園は、仙台白百合学園幼稚園です。講師は、松本静
子先生にお願いしています。
Ⅲ.平成 25 年度支部会計報告
(平成 25 年 8 月 1 日〜平成 26 年 7 月 31 日)
498,357( 平 成 24 年 度 末 残 高 ) + 109( 平 成 25 年 度 収 入 ) − 240,385
(平成 25 年度支出)= 258,081 円(次年度への繰越金)
内訳 現金……0 円 郵普貯……258,081 円
収入の部
科 目
受取利息配当金
合 計
金 額
109
109
科 目
交際費
金 額
34,440
内 訳
講師記念品及び花代
研修会費用
53,863
10 月 26・27 日研修会(於一関市)
研修費
郵便貯金利息
内 訳
支出の部
50,000
義援金分配 宮城県分聖ドミニコ学園幼稚園
前払費用
100,000
東北支部研修会開催費用 白百合幼稚園預け金
通信費
合 計
2,082
240,385
切手代
平成 26 年 6 月 12 日 上記のとおり相違ありません。
会 計 田川 悦子
平成 26 年 6 月 14 日、平成 25 年度の会計処理状況を監査しましたところ
適正に処理されていることを報告します。
会計監査 森本 幸子
− 177 −
関 東 支 部 支部長 松川 和照
(大船ルーテル保育園)
Ⅰ.活動報告
(1)第 47 回全国大会準備
H24 年度年間活動報告に引き続きの報告。
会場に予定していた青山学院短期大学が使用不可となったところに、
新支部長が初めて会合に出席し、知り合いがいたのでその場で「横浜パ
シフィコ」の予約ができました。
ただし、参加費の値上げが「苦悩の決断」だったが、全国大会の継続
を最優先にさせていただきました。
進めるにあたり、作成の継続性がなく、
(マニュアルやひな型などが
無い)一つ一つを一からの作成でやらなければならず、支部組織が弱
いことなど、今後の課題として考えていかねばならないのではないかと
思っているところであります。
この夏の全国大会の準備も着々と進んでおります。準備の会議は 13
回に及び、残すところあと 1 回となりました。
(2)支部活動 全国大会準備が全てです。
(3)研修会 東京支部との合同研修会。
11 月 16 日
(土)
新築フィートリッヂ緑が浜保育園施設見学会。
木造によるユニークな建物、至る所に子どもの視点での工夫がしてあ
り、
見る者の刺激となった有意義な会であった。参加者 25 名。
(25,000 円)
参加費用は東京支部と合同で会費の半額ずつをお礼として施設へ差し上
げた。
(4)会計引き継ぎ
前任者から通帳等の引き継ぎを受けたが、25 年度は申請書類不備で
使えず、研修会の発送メール便 165 通分 13,200 円のみが現金支出。
− 178 −
支部報告
Ⅱ.会計報告
前年度からの繰越金
495,927 円
内訳 貯金
471,591 円
手持ち金
24,336 円
115 円
26 年度 受取利息
通信費(研修会)
−13,200 円
482,842 円
研修会収支
±0 円
計 482,842 円
上記のとおり相違ありません。
平成 26 年 7 月 26 日 会計担当 栁澤ナオミ
− 179 −
東 京 支 部 支部長 江島 正子
(群馬医療福祉大学大学院)
Ⅰ.活動報告
1.施設見学研修会の開催
施設見学の研修会を関東支部と共催で行いました。
日時 平成 25 年
(2013 年)
11 月 16 日
(土)
10:00 − 13:00
会場 フィートリッヂ緑が浜保育園(園長 吉見 哲先生)
所在地 茅ヶ崎緑が浜 7–52
フィートリッヂ緑が浜保育園はこの 6 月に木造建築(木造 2 階建て)に
改造しました。園長(理事長)の吉見哲先生から興味深い改造の経緯につ
いて PPT を使って説明を受けました。それはスペインの建築家ガウディ
によるバルセロナのサグラダ・ファミリア
(世界遺産)を彷彿とさせます。
土曜日でしたので 1 クラスのみの保育が行われて、子どもたちの様子も見
ることができました。参加者は東京支部からは 11 名でした。
昼食の準備もしてくださった吉見先生とスタッフの皆さまに改めて感謝
を申し上げます。
2.講演会による研修会開催
講師 森 愛 先生(第 1 回「ルーメル賞」受賞者)
日時 平成 26 年
(2014 年)
2 月 22 日
(土)
13:00 − 15:30
会場 マダレナ・カノッサ幼稚園(園長 Sr. 加藤節子先生)
所在地 世田谷区桜上水 2–5–1
ルーメル賞の「ルーメル」は 30 年間、
日本モンテッソーリ協会の会長(理
事長)であられた故ルーメル名誉会長の名前に由来するのは周知のとおり
で、2013 年夏、第 44 回日本モンテッソーリ全国大会(「フェニックス・シー
ガイヤリゾート」宮崎)の総会において、講師の森愛先生が会長(理事長)
前之園幸一郎先生から、第 1 回「ルーメル賞」を授与されました。さて、
森先生の研修会の講演内容はモンテッソーリ教育と植物という視点からの
お話でした。特に、モンテッソーリのコスミック教育の中で、人が植物の
生命を追体験することによって、自らの生きることを幼児から高齢者まで
思考できるという分野の新アプローチの方法でした。とても面白く、興味
深い内容でした。参加者は 35 名でした。
− 180 −
支部報告
会場をご提供くださったマダレナ・カノッサ幼稚園が全面的にご協力く
ださり、受付、お茶とお菓子の準備、後片づけまで、いつでもスマイルで、
本当に快くご協力いただきました。Sr. 加藤園長先生をはじめ、天田副園
長先生、皆さまに感謝します。
Ⅱ.会計報告
(平成 25 年 7 月 1 日から平成 26 年 6 月 30 日まで)
(単位:円)
年月日
摘 要
収 入 支 出
25.10.7 Kinko’
s(研修会案内コピー)
14,529
10.7 ヤマト(研修会案内発送)
14,800
11.16 施設見学研修会参加費
12,500
11.16 寄付(施設)東京支部分
12,500
11.21 前年度繰越金
426,706
12.4 活動費
50,000
12.27 Kinko’
s(研修会案内コピー)
14,891
12.28 ヤマト(研修会案内発送)
14,080
26.2.22 研修会参加費
28,000
2.22 講師謝礼
10,000
2.22 講師交通費
31,860
6.24
合 計
517,206 112,660
次年度繰越金 404,546
(内訳:郵貯…404,546)
平成 26 年 6 月 24 日 上記のとおり相違ありません。
会計担当 窪谷麻理
お知らせ
来る 2017 年夏、日本モンテッソーリ協会(学会)創立 50 周年という節
目を迎えます。東京支部が準備中です。
日時 2017 年 8 月 8 日(火)
、9 日(水)、10 日(木)
会場 都市センターホテル(JR 四ツ谷)
会員の皆さまが、有意義に、楽しく、勉強できるアイデアがございまし
たら、積極的にお知らせくださると大変うれしく思います。
− 181 −
北 陸 支 部 支部長 板東 光子
(亀田平和の園保育園)
Ⅰ.活動報告
北陸支部は、地域が広範のために、今年度は福井を中心とする活動と新
潟を中心にする活動に分けて、研修を行った。
*福井を中心にした研修会 ① H26 年 1 月 19 日(日)午後 2 時〜 4 時
講演 「モンテッソーリ教育を受けた子どもたち」
講師 相良敦子
参加者 福井県 131 名、富山県 25 名
荒れる子どもたちとモンテッソーリ教育を受けた子どもたちとの比較や、
正常化された子どもたちの人格・生活・人間関係・学習能力の特徴と
前頭葉との関係をパワーポイントを使って分かりやすく解説。お話を聴
きながらモンテッソーリ教育を実践してきて間違いなかったとうれしく
思った。
(参加者の感想)
*福井を中心にした研修会 ② H25 年 10 月 1 日(火)
「安心して生活できる保育をめざして」
異年齢の中での 2 歳児の保育を考える
あわら市 白藤保育園にて 参加者 11 名
(福井での活動は京都コースの卒業生の『若葉会』の活動に参加させて
もらう)
*新潟を中心にした研修会 H26 年 4 月 12 日
(土)
「モンテッソーリ教育を考える」亀田平和の園の実践を映像で見ていた
だき、それをたたき台にして、参加者で討論。
参 加者 38 名 平和の園の保育室も開放し、環境についても参考にし
てもらう。
Ⅱ.会計報告
収入の部 前期繰越金
支出の部 福井での講演会支援金
新潟での研修会連絡費
次期繰越金
35,857 円
10,000 円
2,080 円
23,777 円
上記のとおり相違ありません。 H26 年 7 月 7 日 会計担当 山頭泰種
− 182 −
支部報告
中 部 支 部 支部長 森下 京子
(瑞穂子どもの家)
Ⅰ.活動報告
定例研修会、施設見学、講演会を以下のように実施いたしました。
「保、幼、小
7/13 日公開講座「モンテッソーリ教育導入の意義と方法」
の連携」
9/21 日第 86 回定例研修会 第 47 回全国大会参加報告会
11/9 日第 87 回定例研修会 モンテッソーリ教育施設見学会
1/11 日第 88 回定例研修会、講演会「家庭でのモンテッソーリ教育の取
り入れ方」深津高子先生
5/5 日講演会「幼児期の知的心理発達における秩序の重要性」他、Ms.
Lillan Bryan 先生
6/14 日 第 89 回定例研修会(新人研修)
Ⅱ.会計報告(平成 25 年 7 月 1 日から平成 26 年 6 月 30 日まで)
収入
研修参加費
7/13
2,000円×36名=72,000円
1,000円×4名=4,000円
9/21
1,500円×20名=30,000円
12/8
1,500円×17名=25,500円
11/9
1,000円×23名=23,000円
1/11
2,000円×60名=120,000円
5/5
3,500円×75名=262,500円
2,000円×2名=4,000円
6/14
1,500円×26名=39,000円
利子
105円
収入小計
554,605円
2012年度繰越金
816,767円
収入合計
1,371,372円
支出
会場費
41,000円
(お礼、
お祝いなど)
渉外費
46,959円
通信費
8,042円
事務費(コピー代など)
3,372円
講師謝礼
255,000円
講師交通費
26,840円
講師宿泊代
32,000円
(学生アルバイトなど)
人件費
23,000円
(愛知NPO団体会費) 10,000円
諸会費
支出小計
2013年度繰越金
支出合計
446,253円
925,119円
1,371,372円
以上の会計報告に相違ありません
平成 26 年 6 月 30 日 中部支部会計担当 村田 尚子
会計監査 酒井 教子
− 183 −
近 畿 支 部 支部長 瀧野 正三郎
(カトリック京都司教区)
Ⅰ.活動報告
平成 25 年(2013 年)
7 月 30 日の総会より、私が近畿支部長に就任致し
ました。今まで支部長をされていた相良敦子先生、ご苦労さまでした。こ
れにともない、近畿支部事務局は奈良カトリック幼稚園に置くことになり
ました。
平成 26 年(2014 年)
1 月 13 日に、奈良カトリック幼稚園で研修会と総
会を開催しました。
講演「知的生命の発見」
講師:早田由美子(夙川学院短期大学教授)
研究発表「モンテッソーリの宗教観」
発表者:瀧野正三郎(近畿支部長)
参加者:57 名
第 48 回全国大会準備のため、平成 24 年
(2012 年)
9 月 24 日に実行委員
会を立ち上げ、会場予約、プログラムの内容検討、講師の依頼、予算案作
成などと準備を進めています。今回は奈良で開催いたしますので、皆さん、
奮ってご参加ください。
Ⅱ.会計報告(平成 25 年 7 月 1 日から平成 26 年 6 月 30 日まで)
収入
支出
研修会費 500 円 ×55 名
協会より支援金
利子
前期繰越金(郵貯)
27,500
30,000
177
845,025
第 48 回全国大会準備金
研修会会場費
研修会講師謝礼
研修会雑費
印刷代
通信費
支部長印作成費用
次期繰越金(郵貯)
100,000
25,000
20,000
7,384
9,869
7,858
22,260
710,331
合計
902,702
合計
902,702
以上
平成 26 年 7 月 1 日 上記のとおり相違ありません。
会計担当 東 裕子
− 184 −
支部報告
中 国 支 部 支部長 島田 美城
(エリザベト音楽大学)
Ⅰ.活動報告
中国支部としまして 2014 年 6 月 14 日の午後、エリザベト音楽大学、ザ
ビエルホールにおきまして研修会を開催しました。今回はモンテッソーリ
教育の中の特に音楽教育の方法論について 4 名の講師の方にそれぞれの立
場から指導していただきました。
研修 1 「モンテッソーリ教育におけるリズム活動」
藤尾かの子・黒西希
研修 2 「声・ことば・うたの力 ―生きたコミュニケーションを見つめ、
子どもの生活とともに、ある実践を目指して―」 野萩万佑未
「もっとやりたい、きれいだね、ぴったりあったね ―感覚と
研修 3 運動を基盤にした演奏の展開―」
渡子かおり
モンテッソーリ教育オリジナルの音楽教育はモンテッソーリやその弟子
のマッケローニやバーネットによって考えられ、すでに実践されていた活
動や内容がありますが、なぜか日本にはうまく取り入れられてこなかった
という実態があります。今回はエリザベト音楽大学の卒業生の、モンテッ
ソーリの音楽分野を特に研究している方を集め、現在の到達点について発
表をしていただきましたが、今後もこの分野の研究と実践が進むことを期
待しています。
Ⅱ.会計報告(平成 25 年 7 月 1 日から平成 26 年 6 月 30 日まで)
年月日
H25.7.1
H25.9.9
H25.9.24
H26.3.26
H26.4.1
H26.5.8
H26.6.14
H26.6.14
摘要
繰越金
第 49 回全国大会 第 1 回実行委員会会合費
第 49 回全国大会 第 2 回実行委員会会合費
ご厚志(希望により匿名)
利子
研修会活動費(案内状郵送料等)
研修会活動費(会場使用料、講師交通費等)
研修会参加費(25 名)
収入
249,315
支出
22,680
1,735
200,000
58
6,388
62,675
合計
25,000
474,373
93,478
次年度繰越金 474,373 - 93,478 = 380,895
以上
平成 26 年 6 月 30 日 上記のとおり相違ありません。
会計担当 花岡 隆行
− 185 −
四 国 支 部 支部長 乾 盛夫
(鳴門幼稚園)
Ⅰ.活動報告
今年度は支部としての活動はしていない。と言っても、本協会の目的に沿っ
てその原理と実践の宣布の一端として、全日本私立幼稚園連合会が文科省に
応えている公益財団法人、全日本私立幼稚園幼児教育研究機構の 1 研究委員
(四国地区)として、その研究課題に共有されるべき文言を提供した。人の発
生・発達を説く人類学的教育観に基づいて共有すべきこととして、1.子ど
も一人ひとりと対応すること、2.子どもの体験が確実であるか、を挙げた。
実践研修の共有を進めて保育の質の向上を計る研究機構が「子どもが真ん中
Project」を実りある合議で応えていかれることを祈っている。
私たちは乳幼児の自由な=自然な発達が確保されていくために環境の状態
を準備していくことは百も承知している。各園が子どもと共に造り上げてい
る生活環境の状態をスタッフが総員で受けとめ、感謝と反省の研修を、喜び
をもって新たにしているところは、それが子どもたちからの貢献であること
が証明されていることになる。これは、言うまでもなく単なるイメージでは
なく、M. モンテッソーリが生涯求めていた、人類が子どもと共に果たす平和
への歩みであることを祈念していると思うのである。
Ⅱ.会計報告(平成 25 年 7 月 1 日から平成 26 年 6 月 30 日まで)
収入の部
利子
支出の部
163
前期繰越金
681,049
次期繰越金
681,212
合計
681,212
合計
681,212
平成 26 年 7 月 1 日 上記のとおり相違ありません。
会計担当 上田 宏次
− 186 −
支部報告
九 州 支 部 支部長 中尾 昌子
(八幡カトリック幼稚園)
Ⅰ.活動報告
昨年は、沖縄大会以来の九州支部での全国大会を宮崎の「フェニックス・
シーガイアリゾート」で行い、皆さまの温かいご協力のおかげで無事開催
できましたことを心から感謝いたしております。
九州地区は、広範囲で、なかなかまとまるのは難しい面もありますが、
子どもたちの幸せのため、一つになって研修を重ねていけるよう努力した
いと思います。
Ⅱ.会計報告(平成 25 年 7 月~平成 26 年 6 月)
収入の部
支出の部
次年へ繰越金
1,035,765
合 計
1,035,765
前年より繰越金
157,598
全国大会準備金戻入
500,000
全国大会より支部活動費
378,000
利子 2 件
合 計
167
1,035,765
以上
平成 26 年 7 月 23 日 上記のとおり相違ありません。
会計担当 小野 玲子
− 187 −
教 員 養 成 コ ー ス 報 告
NPO法人 東京モンテッソーリ教育研究所
付属教員養成コース
前之園 幸一郎
コース長 本コースは、上智モンテッソーリ教員養成コースを引き継ぎ、平成 18
年度より開設いたしました。前コース長クラウス・ルーメル先生の後任と
して、前之園幸一郎(青山学院女子短期大学名誉教授、現日本モンテッソー
リ協会会長理事長)がコース長として平成 24 年度より就任しています。
平成 26 年 3 月には第 7 期生 11 名の修了生を送り出しました。
平成 26 度は 9 期生 31 名・2 年次生 12 名
(内 2 名休学)が在籍しています。
平成 26 年度より戸塚分室を開講しました。各月 2 回 10:00 から 17:
30 の集中講議を 2 年間コースとして、東京の本校と同じカリキュラムに
て開講しています。
事務局およびコース教場
東京モンテッソーリ教育研究所
理事長 天野珠子
付属教員養成コースコース長 前之園幸一郎
主任 堀田和子
住所 〒 112 - 0012
東京都文京区小石川 2 丁目 17 番 41 号
富坂キリスト教センター 2 号館
連絡先 TEL (03)5805 - 6786
FAX (03)5805 - 6787
ホームページ http://www.montessori.or.jp/
平成 26 年 8 月 6 日~ 8 日
日本モンテッソーリ協会第 47 回全国大会で「横浜みなとみらいパシフィ
コ会議センター」にてワークショップを担当し、各領域の基本的な教具の
実技を紹介しました。
第 50 回全国大会でもワークショップを当コースで担当することとなり、
− 188 −
教員養成コース報告
今から楽しみにしています。
平成 26 年 8 月 30 日 第 6 回研修会開催
於 愛珠幼稚園
講師 当コース言語教育担当講師
当コース準拠の「砂文字」
・
「溝文字」の復習を中心に提示し、砂文字単
語のカード・溝文字の練習のための書き順カードを全員で作成しました。
平成 26 年 9 月 3 日 特別講義 1・2 年生合同
講師 北山 和子 先生
テーマ 「乳幼児の発達と援助」
モンテッソーリ教育 0 歳~ 3 歳の子どもたちを援助するための教具や環
境の映像、発達のタイムラインなどを紹介していただきました。基本に立
ち返って、人間関係や環境をよりよく整えてゆきたいと、日ごろの保育を
見直す良い機会となりました。
今後も講師一同、今までの歴史を引き継ぎ、この教育を後輩に伝えてゆ
く使命を担っていく努力を重ねてまいりたいと思っています。関係各位の
ご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、報告とさせていただきます。
− 189 −
東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター
松本 静子
所長 当センターでは 2014 年 3 月に 2 名の国際試験官をお迎えし、昼間部 39
期生 36 名、夜間部 31 期生 17 名が新たなモンテッソーリアンとして出発
いたしました。パメラ・ナン先生は 3 年前の震災直後の緊迫した状況での
試験官以来 2 度目、リン・ローレンス先生は事務局長として AMI(国際モ
ンテッソーリ協会)の中心となるお仕事をしていらっしゃいますが、多忙
極まる中を特別に試験官として来日してくださいました。
2014 年度は昼間部 40 期生 29 名、夜間部 1 年 33 期生 27 名、夜間部 2
年 32 期生 26 名、合計 82 名でコースがスタートしています。夜間部の現
在籍者は過去最高の 53 名です。
前回お知らせいたしましたように、センター隣接地に附属園マリア・モ
ンテッソーリ子どもの家が開設され、子育てをしながら学ぶお母さまたち
に優しい環境が整えられました。学生のお子さま以外にも、卒業生や近隣
のお子さまたちが徐々に集まり始め、学生の実習にも活用されています。
子ども、親、学生、教師、それぞれが共に育ち合うコミュニティーの実践
を今後も続けていきたいと思っています。
研修会報告および今後の日程
2014 年 3 月 国際試験官講演会(同窓会主催)
パメラ・ナン先生「社会の中で子どもが置かれている立場」
リン・ローレンス先生「子どもに従って 21 世紀に向かう」
5 月 関西大会 2 日間 7 月 第 31 回短期実践研修会(相模原) 3 日間
2 日間
10 月 東北大会(仙台)
2015 年 1 月 九州大会(鳥栖)
3 月 センター 40 周年の集い
パメラ・ナン先生講演会(同窓会主催)
40 周年記念国際試験官、
7 月 22 日
(水)~ 24 日
(金)
第 32 回短期実践研修会(相模女子大グリーンホール相模大野)
2015 年 4 月よりジュディ・オライオン先生の AМI 0 〜 3 歳教師養成コー
スが大阪にて開催されます。
− 190 −
教員養成コース報告
信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース
原田 豊己
主 任 下條 善子
委員長 今年度は 41 名の本科生を迎えました。経験豊かな方たちと男性 3 名を
含んだ楽しいグループです。毎朝のコーラスで祈りの心に一致することや、
子どもと共に学ぶ喜び、家庭の大切さ、子どもたちの心の平和の基礎創り
に同伴できる教師を目指しております。
卒業生の勉強会は、現場を中心にした学びをいたしました。特に、夏の
卒業生研修会では、総練習に参加した者、土曜日勉強会と称して実践理論
を深めた者、現場で観察の勉強をした者が、各々の勉強会から得たものを
15 分ずつ発表したことで、思いがけないほどお互いに勇気づけられたり、
自己訂正したりしました。さらに、本科生の時に苦労して作成したアルバ
ムの大切さを、卒業後 10 年たって再認識したという卒業生の発表もあり、
コーススタッフとしてもアルバム承認の仕事は貴重な援助であったと、う
れしい確認ができました。
次に、
「信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース」は、諸般の事情に
より
(学)信望愛学園としての活動を停止することになりましたので、平
成 27 年度から、
(学)小百合学園(理事長・下條善子)が「小百合学園広島
モンテッソーリ教師養成コース」として引き継ぐこととなりました。名称
のみの変更で、すべての内容は従前どおりで変更はありません。卒業生も
本科生も何の変化もなく進むことになり、スタッフ一同は心を新たに養成
コースとしての任務を果たすべく進みます。今後もよろしくご支援くださ
いますようお願いいたします。
2014 年度の活動は次のとおりです。
◎本科生:1 年次生 41 名、2 年次生 20 名
◎卒業生:31 名(2014 年 3 月 24 日卒業)
◎園長主任会:6 月 17、18 日 43 園、66 名
テーマ・・・認定こども園を見据えた職員養成
− 191 −
・
「今、幼稚園が問われています」
当コース委員長 原田豊己
・
「モンテッソーリ教育における幼児期の精神活動のねらい」
当コース主任 下條善子
・
「モンテッソーリ教育を生かす子ども園とは」
当コース委員 Sr. 下條裕紀媛
◎実習指導者研修会:5 月 27、28 日 13 園、19 名
テーマ・・・実習指導法の研究
◎卒業生のための勉強会
①卒業生研修会:8 月 20、21、22 日 191 名
テーマ・・・先輩の役割・後輩への責任Ⅵ
・被爆体験講話
広島平和文化センター
被爆体験証言者 井口健先生
「今、幼稚園が問われています」
当コース委員長 原田豊己
・
「子どもは何を求めているか」
当コース主任 下條善子
・
当コース専任 橋本眞由美
「3 歳未満児の目覚め・・」
・
・
「識別する心」
当コース委員 Fr. ヨハネ・アルティリョ
・
「平和は子どもから」
当コース委員 前田瑞枝
「モンテッソーリ教師の 20 年後の喜び」
・
当コース委員 Sr. 下條裕紀媛
・卒業生の発表 「担任として子どもから学んだこと」
「10 年たって感じるアルバムの大切さ」
「卒業生の勉強会に参加して」(6 名)
②土曜日勉強会
・理論グループ:
(継続組 4 月 26 日・10 月 11 日、14 名)
(新規組 5 月 24 日・9 月 20 日・11 月 22 日、22 名)
・観察グループ:2 日間 ×2 回、9 名
③総練習への参加:本科生の日程に準じて 23 名
◎講習会:日常(3 月 26、27 日)29 名、言語(3 月 28、29 日)35 名
感覚(7 月 29、30 日)39 名、数(7 月 31、8 月 1 日)27 名
◎スタッフ研修会:4 月 4、5 日 17 名参加
− 192 −
教員養成コース報告
九州幼児教育センター
モンテッソーリ教員養成コース報告
藤原 江理子
コース長 トレーニングコース開設 40 年を迎えて
九州幼児教育センター・トレーニングコースは、1974 年に日本モンテッ
ソーリ協会(学会)の承認を受け、2014 年に開設 40 年を迎えました。これ
もひとえに協会(学会)関係各位のご支援のおかげと心よりお礼申し上げ
ます。
11 月には、
トレーニングコース開設 40 周年記念として理論研修『モンテッ
ソーリ・フィールドチャレンジ』を開催しました。前之園会長と当コース設
立当初からスタッフを務めてくださった Sr. 下條裕紀媛先生を講師にお迎え
して、
「平和教育としてのモンテッソーリ」をテーマにご講演いただきました。
コースの課題と今後の取り組み
当コースを今後も継続していくためには、次の二点の課題が挙げられます。
①教員の養成を担う人材を育成する
②モンテッソーリ教育の多面的研究に取り組む
良い教員の養成のためには、教員を育てる側にも優れた人材を確保する
必要があります。養成者自身が子どもから学ぶ努力を惜しまないことは言
うまでもありません。さらに、乳幼児教育だけに留まらない広い視点でモ
ンテッソーリ教育を捉え、多面的な研究でこの教育の本質を追及し続ける
ことも、一層重要になるのではないかと考えています。
課題に取り組む一策として、コース授業前に補講を導入しました。コー
ス前日に二時間程度、教具や作業の背景にあるモンテッソーリの考えや工
夫について考察を行っています。実施後の効果の一つは、学生がこの教育
に前向きな興味を抱くようになったことです。もう一つの効果は、卒業生
も補講に参加するようになり、卒業後も学び続ける姿勢を参加者全員で共
有できていることです。
今後もより良い教員養成を目指して試行錯誤を重ね、真摯に歩みを進め
たいと思います。
− 193 −
京都モンテッソーリ教師養成コース
赤羽 惠子
主任 根岸 美奈子
委員長 京都コースは昨年度創立 40 周年を迎え、
新たな段階に入りました。昨年、
今年と、これから初めて園にモンテッソーリ教育を導入しようという決意
をもって、コースの門をたたかれる方が大変増えています。自園にはモン
テッソーリ教師の先輩もなく、教具もそろっていない中、伝統ある園の歴
史も大事にしながら、どのように導入できるか。教師養成コースが「子ど
もの良き理解者・援助者」となれる「真のモンテッソーリ教師の育成」と
いう重責を担っています。スタッフ一同、真摯に取り組みたいと思います。
2014 年京都コース主催、夏の講習会は下記のとおり行いました。
2014 年 7 月 20 日 ( 日 ) 全体会(京都平安ホテル)
・保護者支援―保護者とのより良い関係を築くために
:海道洋子(仁愛短期大学 福井県)
・リフレッシング・コンサート :フルート 伊藤公一 ピアノ 水野久美
・発達に課題のある子どもたちへの支援―関連機関や保護者との連携―
:徳田和子(峡南幼稚園、山梨県)
・わかば会(京都コース卒業生の会)総会
2014 年 7 月 21 日 ( 月祝 ) コース別研修(京都平安ホテル)
Aコース/モンテッソーリ教育の導入(管理者のための会)
―子ども自身が主体的に生活できる環境―
林田康子(大八保育園 岐阜県)
赤羽惠子(アドバイザー)
Bコース/ひとりひとりの育ちを大切にする 0、1、2 歳の保育
金本涼子(つぼみ保育園 福井県)
− 194 −
教員養成コース報告
C・Fコース/モンテッソーリ教育の宗教教育
―神様、いつもそばにいてくれてありがとう―
長谷川京子(大濠聖母幼稚園 福岡県)
Dコース/「行事を考える」
―いつもの保育パターンを大切にしながら、子ども主体の行事を―
板東光子ほか(亀田平和の園保育園 新潟県)
Eコース/実践報告 国分幼稚園の統合教育
―育ち合う子どもたち―
鈴木敬子(国分幼稚園 千葉県)
2014 年度 教師養成状況
1.専門コース(JAMディプロマコース)
2014 年 3 月 JAMディプロマ取得者 32 名
2014 年 4 月 新入学 1 年生 67 名、2 年生 56 名(編入生含む)
2.基礎コース(専門コース 1 年生の部分を下記会場で学ぶコース)
2014 年度 札幌・東京・福岡の各会場合計 58 名
以上
− 195 −
純心モンテッソーリ教員養成コ-ス
片岡 瑠美子
長崎純心大学 学長 本学のコ-スが開設したのは、2005
(平成 17)
年度であり、来年には早く
も 10 周年を迎えることになります。現在、モンテッソーリ教員資格取得希
望学生は、1 年生から 4 年生全体で 40 数名在籍し、熱心に学んでいます。
本学コ-スは人文学部児童保育学科に属し、授業科目は基礎理論科目
18 単位、基幹理論科目 4 単位、実践科目 14 単位、教育実習 6 単位、教具
アルバム、モンテッソーリ教育に関する論文および個々の試験以外にモン
テッソーリ教員資格試験を課しています。
今回は、これらの科目中の基幹理論科目について報告いたします。基幹
理論科目は、
大きく「モンテッソーリ教育学特論Ⅰ」2 単位、
「モンテッソー
リ教育学特論Ⅱ」
2 単位に分かれています。
「モンテッソーリ教育学特論Ⅰ」
は、学内の教員が、1 年生の前期にモンテッソーリ教育に関する基礎的理
論を 8 コマ(1 コマ 90 分)
、モンテッソーリ教育用語についての学生の研
究発表を 6 コマ、最後に教員が全体のまとめをしています。
「モンテッソーリ教育学特論Ⅱ」は、4 年間 24 コマを一サイクルとし、
4 名の著名な講師、前之園 幸一郎、下條 善子、相良 敦子、江島 正子(敬
称略)によって輪講形式で、
前期・後期に各 1 回土曜日に 3 コマずつ行われ、
学生はモンテッソーリ教育について専門的知識と実践的理論を深めていま
す。主な講義内容は、モンテッソーリの教育の原理、モンテッソーリの教
育思想、モンテッソーリの発達観、保育の場におけるモンテッソーリ教育、
モンテッソーリの児童観、モンテッソーリ教育の生理学的基礎、モンテッ
ソーリ教育の宗教教育、モンテッソーリの平和教育、その他となっていま
す。また、学生には、これらの講義についてレポートおよびノート提出を
求めています。学生のレポートによれば、諸先生の講義によって、モンテッ
ソーリ教師になる意志が強められ、時には迷っていたことが消え失せ、将
来への希望と確信を固めることができた、などが報告されています。
このように、「モンテッソーリ教育学特論Ⅱ」における恵まれた学びの
環境は、学生にとって、学問的にも人間的にも大きく成長する機会となっ
ています。
− 196 −
事 務 局 報 告
日本モンテッソーリ協会(学会)第 47 回全国大会
大会スケジュール(2014 年)
会場 横浜みなとみらいパシフィコ会議センター
8 月 6 日(水)
9:00
当日受付
9:30
開会式・オリエンテーション
10:00
基調講演「赤ちゃんの不思議-心の発達-」
講師:開 一夫 司会:前之園 幸一郎
11:30
昼食
13:00
特別講演「子ども一人ひとりのおもいを受けとめるために」
講師:阿部 真美子
-マリア・モンテッソーリ博士への質問- 司会:町田 明
14:30
コンサート 鵜飼 文子(ソプラノ)
渡辺 さなえ(マリンバ)
15:45
総会
17:00
懇親会(クルージング)
8 月 7 日(木)
講座
9:00
10:30
研究発表
ワークショップ
基礎講座 研 1 研 2 研 3 研 4 ①日常生活
「子どもの家」とモンテッソーリ
研5 研6 研7 研8
応用講座 モンテッソーリの宗教
②感覚
教育「良い羊飼いから出発する」 研 9 研 10 研 11 研 12
12:00
昼食
13:00
ラウンド・テーブル 1
14:30
ラウンド・テーブル 2
研 13 研 14 研 15 研 16 ③数
研 17 研 18 研 19 研 20
研 21 研 22 研 23 研 24
④言語
基礎講座 講師:前之園 幸一郎 司会:林 信二郎 応用講座 講師:江島 正子 司会:畑山 晴子
コーディネーター ラウンド・テーブル 1:松本 静子 下條裕紀媛 ラウンド・テーブル 2:赤羽 惠子 島田 美城
8 月 8 日(金)
9:00
シンポジウム「子ども一人ひとりのおもいを受けとめるために」
シンポジスト:ヴィタリ・ドメニコ 相良 敦子
早田 由美子 松川 和照
司会(コーディネーター)
:甲斐 仁子 11:00
閉会式
オプショナルツアー
− 197 −
第 47 回大会 研究発表者・司会者
研究
発表
No.
発表者
司会者
研究
発表
No.
発表者
司会者
1
藤尾 かの子
三浦 直樹
2
大森 久美子
高城 七瀬
3
森田 倫代
下田 俊郎
4
竹井 徳美
玉川 ひろ子
5
吉本 文子
松本 良子
6
小島 薫
森下 京子
7
野萩 万佑未
渡子 かおり
新粥 悦子
8
杉山 智
森田 秀憲
9
町田 育弥
武田 一子
10
佐々木信一郎
瀧野 正三郎
11
下條 裕紀媛
乾 盛夫
12
荒井 一郎
荒井 晶子
中尾 昌子
13
孫 秀萍
関 聡
14
岡本 明博
岡本 仁美
日木 安代
15
池田 和子
河田 敏子
16
上村 瑞枝
石田 直子
17
竹田 恵
野村 謡
18
鈴木 敬子
鈴木 晶子
戸村 理津子
19
平目 恵里子
前鼻 百合江
20
21
百枝義雄
河野知代
22
勝見 珠子
瀧口 恵
瀧口 洋
髙橋修人
23
本良裕子
前田れい子
24
高橋美恵
飯村静江
− 198 −
ブラウネルのぞみ 黒田 はる子
事務局報告
年間事業(事務局)報告並びに次年度計画書
平成 25(2013)年度事業報告
平成 26(2014)年度計画・予定(案)
平成 25 年
8月1日
平成 26 年
『モンテッソーリ教育』第 46 号作成開始 8 月 8 日
編集委員会
大会礼状発送
第 48 回全国大会準備開始=実行委員会
8 月上旬~
大会期間中納入会費・入退会者等の整理 中旬
「第 10 回支部長会議事録」
「第 14 回責任者
8 月中旬
『モンテッソーリ教育』第 47 号作成開始
編集委員会
第 47 回全国大会準備開始=実行委員会
8 月上旬
平成 26 年 6 月 30 日
大会礼状発送
大会期間中納入会費・入退会者等の整理
「第 11 回支部長会議事録」
「第 15 回コース
会議録」作成
責任者会議録」作成
会長名大会礼状発送
会長名大会礼状発送
入会者へ会員証等発送
8 月 21 日
「事務局だより」№ 8 作成開始
8 月 28 日
「支部長会議事録」「コース責任者
入会者へ会員証等発送
9 月上旬
「事務局だより」№ 9 作成開始
「支部長会議事録」「コース責任者
会議事録」
会議事録」
「全国理事会議事録」「総会議事録」
「全国理事会議事録」「総会議事録」
全理事・監事宛発送
全理事・監事宛発送
10 月 17 日 「事務局だより」№ 8 発行並びに
10 月中旬
会費請求を全会員宛発送開始
「事務局だより」№ 9 発行並びに
会費請求を全会員宛て発送
「会員名簿」作成のための調査開始
12 月 7 日
平成 25(2013) 年度中間決算報告書
12 月上旬
並びに会計監査資料を作成し監査
並びに会計監査資料を作成し監査
を受ける。
12 月 18 日
を受ける。
第Ⅰ回常任理事会開催通知を、
12 月下旬
常任理事監事宛発送
第Ⅰ回常任理事会開催通知を
常任理事監事宛発送
平成 26 年
1 月 25 日
平成 26(2014) 年度中間決算報告書
平成 27 年
第Ⅰ回常任理事会開催 於:岐部ホール 1 月 24 日
第 49 回全国大会提案=担当中国支部
第Ⅰ回常任理事会開催 於:岐部ホール
第 50 回全国大会提案東京支部
3月4日
上記議事録を全理事・監事宛発送
2 月中旬
上記議事録を全理事・監事宛発送
2月9日
第 2 回常任理事会開催通知を
3 月上旬
第Ⅱ回常任理事会開催通知を
常任理事、監事宛発送
常任理事、監事宛発送
4 月 26 日
第Ⅱ回常任理事会開催 於:岐部ホール 4 月 25 日
5 月中旬
『モンテッソーリ教育』第 46 号発行・発送 5 月上旬~
5 月 31 日
第Ⅱ回常任理事会議事録及び
下旬
全国理事会等の開催通知を発送
6 月 25 日
第Ⅱ回常任理事会開催 於:岐部ホール
上記議事録を全理事・監事宛発送
『モンテッソーリ教育』第 47 号発行・発送
全国理事会等開催通知発送
会員名簿の発行・発送
7 月中旬
平成 25(2013) 年度決算報告書並びに
7 月中旬
会計監査資料を作成し監査を受ける。
8月5日
第 11 回支部長会議・第 15 回コース
平成 26(2014) 年度決算報告書並びに
会計監査資料を作成し監査を受ける。
7 月 29 日
第 12 回支部長会議・第 16 回コース
責任者会議
責任者会議
全国理事会
全国理事会
第 3 回ルーメル・モンテッソーリ奨励基
金受賞者
第 4 回ルーメル・モンテッソーリ奨励基
金受賞者選考委員会①開催
選考委員会①開催
7 月 30 日~
第 48 回全国大会開催 8 月 6 日~
第 47 回全国大会開催 8月1日
於:ホテル日航奈良他
8月8日
於:パシフィコ横浜
8月1日
編集委員会開催
8月8日
編集委員会開催
*他に、編集委員会ならびにルーメル・モンテッソーリ奨励基金受賞者選考委員会は適宜開催の予定。
− 199 −
平成 25 年度決算書・平成 26 年度予算案
日本モンテッソーリ協会(学会)
(収入の部) 自:平成 25 年 7 月 1 日 至 : 平成 26 年 6 月 30 日 自 : 平成 26 年 7 月 1 日
至 : 平成 27 年 6 月 30 日
科目
25 年度予算 25 年度決算
摘要
26 年度予算
会費(個人)
3,000,000
3,265,000 5000×653(人)
3,000,000
会費(団体)
1,000,000
1,415,000 5000×283(口)
1,000,000
会費(維持)
570,000
560,000 10000×56(口)
550,000
入会金
100,000
126,000 2000×63(人)
100,000
会費計
4,670,000
5,366,000
4,650,000
寄付金
0
0
0
ディプロム代
300,000
270,000 3000×90
書籍代金
50,000
学会誌広告料
200,000
105,000 各コース、出版社より
大会準備金の返金
500,000
500,000 九州支部より
利子・利息
10,000
雑収入
JAM支援金
寄付金~支援金
までの小計
前年度繰越金
合計
0
800,000
1,860,000
46,364
9,636 ゆうちょ銀行、三井住友銀行
22,000 交通・宿泊費の返金
1,800,000 九州支部より
2,753,000
300,000
50,000
200,000
1,500,000
10,000
0
800,000
2,860,000
14,227,336 14,227,336 現金・普通預金・振替口座
15,027,375
30,527,074 30,527,074 定期預金
30,533,157
51,284,410 52,873,410
53,070,532
− 200 −
事務局報告
(支出の部)
科目
消耗品費
通信運搬費
HP費
交通・宿泊費
ルーメル・モンテッソーリ
奨励金
印刷製本費
25 年度予算 25 年度決算
摘要
26 年度予算案
80,000
34,527
80,000
400,000
207,801 ヤマト運輸(109403)
400,000
NTT(76178)
400,000
328,223 プロバイダー料金(28448)
550,000
契約更新料等(299775)
2,000,000 1,247,272 事務局員、理事会出席の理事
2,000,000
受賞者への賞金
400,000
人件費
賃貸料(含む管理費)
会議費
支部活動費
1,800,000
484,000
80,000
100,000
学会誌関連費
1,800,000
渉外費
70,000
会費
150,000
事務局だより(168000)
546,950
会員名簿(312984)
1,957,110 事務局、監事への謝礼
487,771 富坂キリスト教センター
70,072
80,000 東京、近畿
印刷費(1137694)
1,916,756 送料(112430)
委員会活動費(650000)
108,698
日本学術協力財団(50000)
149,999
AMI(99999)
10,606
5,607 三井住友銀行他
536
0
0
書籍支払金
50,000
手数料
7,000
税金
800
雑費
0
大会準備金
500,000
ルーメル・モンテッソーリ
300,000
160,950
奨励基金運営費
予備費
500,000
0
ルーメル・モンテッソーリ
10,000,000 10,000,000
奨励基金
支出小計
19,121,800 17,312,878
11,635,536 15,027,375 現金・普通預金・振替口座
次年度繰越金
20,527,074 20,533,157 定期預金
合計
51,284,410 52,873,410
150,000
400,000
1,800,000
543,084
80,000
100,000
1,800,000
100,000
150,000
50,000
7,000
800
0
500,000
150,000
500,000
10,000,000
19,360,884
13,176,491
20,533,157
53,070,532
( 単位=円)
平成 26 年 7 月 16 日 上記のとおり報告いたします。 事務局長 鈴木 弘美
㊞
平成 26 年8月5日 監査の結果、上記報告どおり相違ありません。
監事 ギュンタ ケルクマン ㊞
監事 山本 雅子 ㊞
− 201 −
平成 25 年度 日本モンテッソーリ協会学会 編集委員会年間収支決算書
(単位=円) 収 入
科 目
活動費
合 計
金 額
650,000 ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
⑪
650,000
支 出
科 目
人件費(委員長手当)
〃(アルバイト)
会場費
印刷費
通信費
交通費
接待費
宿泊費
消耗品費
委員会費
渉外費
合 計
金 額
35,000
373,830
0
6,058
62,370
39,920
0
0
72,864
50,613
9,345
650,000
上記のとおり相違ありません。
平成 26 年 6 月 20 日 編集委員長 江島 正子 ㊞
平成 26 年 7 月 15 日 監事 Franz-Josef Mohr ㊞
山本 雅子 ㊞
日本モンテッソーリ協会(学会)第 48 回全国大会のご案内
開催期間:平成 27 年 7 月 30 日(木)~ 8 月 1 日(土)
会 場:ホテル日航奈良 なら 100 年会館 奈良カトリック幼稚園(ワークショップ)
大会テーマ:未来への責任
大会内容:*基調講演(中村桂子 JT 生命誌研究館館長)
*特別講演(前之園幸一郎 日本モンテッソーリ協会(学会)会長(理事長)
青山学院女子短期大学名誉教授)
*基礎講座・応用講座 *研究発表 *ワークショップ *シンポジウム
*市民公開講座(託児所あり)
近畿支部担当の全国大会を奈良で開催することになりました。
子どもたちに託す未来に、どのように責任を果たせるか一緒に学びましょう。
担当支部:日本モンテッソーリ協会(学会)近畿支部
大会事務局:奈良カトリック幼稚園 〒 630-8213 奈良市登大路町 36-1
Tel 0742-22-4089 Fax 0742-26-3261
Email [email protected]
日本モンテッソーリ協会(学会)第 49 回全国大会 -予告-
開催期日:平成 28 年 8 月 8 日(月)~ 8 月 10 日(水)
会 場:リーガロイヤルホテル広島
大会テーマ:「子どもと平和」
(仮)
大会内容:基調講演・シンポジウム・研究発表 担当支部:中国支部
大会事務局:エリザベト音楽大学 〒 730-0016 広島市中区幟町 4-15
実行委員長:島田美城
Tel 082-225-8068(大学研究室)
Fax 082-555-3307(自宅)
Email [email protected]
− 202 −
事務局報告
日本モンテッソーリ協会(学会)役員
○印は常任理事(50 音順、下記役員の任期は平成 25 年 7 月 31 日~ 28 年 7 月 31 日)
役職
会員
番号
常任
理事
氏名
勤務先
会長(理事長)
2878
○
前之園 幸一郎
副会長(副理事長)
2594
○
ヴィタリ・ドメニコ カトリック幟町教会
副会長(副理事長)
2512
○
町田 明
恵泉幼稚園
事務局長
2327
鈴木 弘美
日本モンテッソーリ協会(学会)
理事
2570
赤羽 惠子
京都モンテッソーリ教師養成コース
理事
3714
阿部 真美子
聖徳大学
○
日本モンテッソーリ協会(学会)
理事
364
乾 盛夫
鳴門聖母幼稚園
理事
1921
○
江島 正子
群馬医療福祉大学大学院
理事
1994
○
甲斐 仁子
東洋英和女学院大学
理事
179
○
相良 敦子
理事
2131
理事
2369
理事
2892
理事
3088
理事
249
理事
3281
○
○
佐々木 信一郎
○
○
長崎純心大学大学院
(社福)聖母愛真会こじか子どもの家
島田 美城
エリザベト音楽大学
関 聡
久留米信愛女学院短期大学
瀧野 正三郎
カトリック京都司教区
中尾 昌子
八幡カトリック幼稚園
早田 由美子
夙川学院短期大学
下條 善子
(学)小百合学園広島モンテッソーリ教師養成コース
理事
3655
理事
2346
板東 光子
理事
2500
廣澤 弓子
東京モンテッソーリ教育研究所
理事
2579
藤原 江理子
九州幼児教育センター
理事
3324
前鼻 百合江
宮の沢さくら保育園
理事
3565
松川 和照
大船ルーテル保育園
亀田平和の園保育園
理事
1060
○
松本 静子
東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター
理事
1132
○
松本 良子
ブレーメン教育研究所
理事
2796
森下 京子
瑞穂子どもの家
理事
3709
吉武 久美子
長崎純心大学
監事
3642
ギュンタ ケルクマン 宗教法人「カトリックイエズス会」
監事
3083
山本 雅子
− 203 −
元上智大学
支部関係
支部
支部長氏名
(所属)
郵便番号
住所
上段 電話番号
下段 FAX番号
前鼻 百合江
□北海道
(宮の沢さくら保育園)
063 - 0034 札幌市西区西野 4 条 6 丁目 11-12
011 - 663 - 8118
011 - 663 - 8146
佐々木 信一郎
□東 北
(こじか子どもの家)
960 - 8068 福島市太田町 14-38-905
024 - 544 - 7135
024 - 544 - 7136
松川 和照
□関 東
247 - 0007 横浜市栄区小菅ヶ谷 2-26-3
(大船ルーテル保育園)
□東 京
江島 正子
162 - 0845 新宿区市谷本村町 2-15-308
(群馬医療福祉大学大学院)
板東 光子
□北 陸
951 - 8121 新潟市中央区水道町 2-808-105
(亀田平和の園保育園)
045 - 892 - 2366
045 - 892 - 7825
03 - 3260 - 3079
(電話と同様)
025-381-2015
(保)
025-381-8425
(保)
森下 京子
468 - 0007 名古屋市天白区植田本町 315
(モンテッソーリ瑞穂子どもの家)
052 - 717 - 7460
(電話と同様)
瀧野 正三郎
□近 畿
630 - 8213 奈良市登大路町 36 カトリック奈良教会
(カトリック京都司教区)
090 - 8207 - 1831
0742 - 26 - 5401
島田 美城
□中 国
(エリザベト音楽大学)
731 - 5134 広島市佐伯区海老山町 11-2-903
082 - 555 - 3307
(電話と同様)
乾 盛夫
□四 国
(鳴門聖母幼稚園)
772 - 0001 鳴門市撫養町黒崎字松島 208
088 - 685 - 0079
088 - 684 - 1530
□中 部
中尾 昌子
□九 州
805 - 0013 北九州市八幡東区昭和 3-5-1
(八幡カトリック幼稚園)
093 - 652 - 1006
093 - 652 - 1008
東北支部義援金報告(4)
平成 26 年 1 月 1 日から本日 9 月 4 日までの間に、義援金を集めることはでき
ませんでした。事務局の力のなさで、誠に申し訳ありません。
義援金の金額のご報告はできませんが、
「事務局だより」
(9 号)において、佐々
木東北支部長から、東北の近況についてのお話しをいただくことができました。
今後も、義援金の受付を継続いたしますので、ご協力をよろしくお願いいたします。
昨今異常気象による災害が頻繁に起こっています。
「平成 26 年 8 月豪雨」
では、
広島市安佐南区で、たくさんの方々が犠牲になりました。この場をお借りしてご
冥福をお祈りいたします。その他、竜巻や突風による被害も報道されています。
被害の詳細は分かりかねますが、どうぞ皆さま、ご無事でいらっしゃいますよう
祈念いたします。(平成 26 年 9 月 4 日)
東北支部への義援金は、下記の振替口座をご利用の上、ご送金ください。
郵便振替口座 00110 - 7 - 71777
− 204 −
事務局報告
1.入会者(平成 25 年 7 月 30 日~平成 26 年 6 月 30 日)
7 月 1 日以降にお手続きいただいた方は、平成 26 年度入会者として次号にてご紹介さ
せていただきます。
(以下、支部別、会員番号順)
支部
会員番号
氏名
支部
会員番号
氏名
関
3724
落合春奈
国
3753
原田明美
関
3725
加藤未樹
国
3754
藤井美紗子
関
3726
金井千賀子
国
3755
藤村知恵
関
3727
車古容子
国
3757
前田礼実
関
3728
張梨香
国
3761
保永章子
関
3729
戸田麻希子
九
3717
大串アヤ子
関
3731
向圭介
九
3719
藤原珠江
関
3763
町田育弥
九
3733
有田愛
関
3764
町田愛
九
3734
伊波はる菜
関
3766
稲葉美弥子
九
3735
上原結子
関
3767
小澤えみ子
九
3736
大谷雅代
東
3722
天田松代
九
3738
川路三由希
東
3723
李和貞
九
3741
金城美貴
東
3730
三浦直樹
九
3743
後藤麻衣
東
3745
柴田潔
九
3746
杉山沙蓉子
陸
3765
高橋悠
九
3748
田中彩香
中
3720
野々山ゆり
九
3751
二宮史織
中
3756
太箸万由佳
九
3758
溝部有香
中
3644
真野果奈美
九
3759
光武サチヨ
中
3646
仙石茉莉奈
九
3761
李愛未
畿
3718
村田奏子
九
3762
田場百合恵
畿
3721
大森一雄
団体
261
すばる保育園
畿
3737
大西恵
団体
252
大和郡山カトリック幼稚園
畿
3747
多田葉津紀
団体
263
Montemama,LLC
畿
3749
田中菜津葵
国
3732
阿部幸司
団体
264
国
3739
河村江里
ウィズチャイルド
さくらがおか
モンテッソーリスクール
国
3740
岸本彩
団体
265
藤保育園
国
3742
神部智美
団体
266
くるみ保育園
国
3744
佐々木紫帆
団体
267
そらのいえ保育園
国
3750
逵加代子
団体
269
かのん保育園
国
3752
橋本比呂美
団体
270
きらら保育園
− 205 −
2.退会者(平成 25 年 7 月 30 日~平成 26 年 6 月 30 日)
(以下、会員番号順)
お世話になりました。お元気で。
支部
会員番号
氏名
支部
会員番号
氏名
九
70
野田洋子
国
3458
黒岩朋子
九
908
三木厚子
国
3466
長沼侑里
畿
1293
小池良枝子
国
3467
中原江梨香
国
1348
弓立美千代
国
3472
松田みなみ
国
1824
中川修栄
国
3474
岸本安佐子
九
2370
小柳美代子
国
3475
松井幹世
畿
2467
聖和短期大学附属図書館
畿
3536
今井香里
九
2484
当間弘子
国
3542
植木千絵
国
2667
岡村博子
国
3550
内藤由香里
九
2733
福富はるみ
九
3562
宮城千登
畿
2765
上村公子
海
3564
東重満
国
2884
林基子
海
3576
品川ひろみ
畿
2928
高田順子
関
3582
田中絵梨加
東
2930
鶴田ヨシ子
関
3667
藤牧美帆
関
3062
菅沼麻畝子
団体
73
博多のびっこ幼稚園
関
3096
飯野有美子
維持
42
吉野幼稚園
陸
3191
田中キミイ
畿
3193
松村京子
関
3221
加藤正仁
関
3229
栗原明枝
国
3270
小林加代子
東
3272
墨田富美子
関
3431
柴田恵子
関
3434
高橋涼子
畿
3453
井上昌充
(海:北海道支部、北:東北支部、関:関東支部、東:東京支部、陸:北陸支部、
中:中部支部、畿:近畿支部、 四:四国支部、国:中国支部、九:九州支部)
− 206 −
英 文 摘 要
Religion and Children in Montessori Education
Koichiro Maenosono
(Professor Emeritus Aoyama Gakuin Women’s Junior College, Ph.D.)
As the miraculous change in the children at the “Children’s Home”
in San Lorenzo generated widespread interest, the Montessori
educational method became recognized internationally. However, for
further development and extension, the Montessori teachers who had
received special education and training needed to be nurtured. At that
point, Montessori had to act quickly to find an appropriate institution
and place in which to foster teachers’ skills. The person who lent her a
helping hand was M. Marie de la Redemption (1860-1917), the secondgeneration Mother Superior of the Convent of the Missionaries of Mary
of the Franciscan Order in Via Giusti. This Mother Superior provided
Montessori a place at the Order, with the one condition that she would
provide Catechism for the children. So Montessori was confronted
immediately with the task of including Christian education within
childhood education.
In this treatise, I will examine Religion and Children’s Issues in
Montessori Education from the following viewpoints: 1) the background
of the establishment of the “Children’s Home” at the Franciscan
Convent in Via Giusti, 2) the religious viewpoint of the “Montessori
Method” and early childhood Christian education in Barcelona, and 3)
Montessori’s view of children and Christianity.
− 207 −
Montessori Education and Catechesis
of the Good Shepherd
Masako Ejima
(Professor of Graduate School of Gunma University of Health and
Welfare, Ph.D.)
On the 6th of January in 1907, Maria Montessori (1870-1952) opened
the first Casa dei Bambini on Via dei Marsi 58, in Rome. It has become a
famous place of educational pilgrimage. On Easter Day in 1911, St. Pius
X sent a letter to Maria Montessori. The Pope recommended having ‘First
Communion’ when the child is close to 9-years old. He also admonished
the faithful and their children to receive Holy Communion frequently.
Maria Montessori was one of the active supporters of this decree from the
beginning.
When Maria Montessori died on May 6th in 1952, Janna Gobbi (119192002), Maria Montessori’s pupil, and Sofia Cavalleti (1917-2011) worked
together and opened an Atrium in Rome near the Vatican. There they
carried on the preparatory education for First Communion using the
Montessori education method. After the Second Vatican Council (19621964), they followed the reforms of the Catholic Church and further
developed this method. Their progressive work is reported all over the
world.
Even after Sofia Cavalleti’s death, the Montessori education method of
teaching religion to children is still expanding in the Atriums. In Japan,
some of the nurseries, kindergartens and Casa dei Bambini are following
the practice of the Atrium .
− 208 −
英文摘要
“Knowing” and “Acting” in the Montessori Education
Method and Ancient Oriental Ideas
Yo Takiguchi
(Professor, Graduate School, Shoin University, Ph.D.)
Key concepts in the Montessori education method are self-education,
sensitive period, absorbent mind, concentration phenomena, and
presentation by a Montessori teacher. Aspects of “knowing” and
“acting” these key concepts are discussed in view of the ideas of oriental
philosophers like Mozi, Zhuzi, Wang Yangming, Shoin Yoshida, and Tao
Xingzhi.
According to Mozi, a philosopher of ancient China, there are three
means to acquire new knowledge: learning by oneself, learning from a
teacher or colleague, and establishing a new theory by oneself on the
basis of a combination of various knowledge items accumulated in the
brain. The self-education of the Montessori method corresponds to the
first means proposed by Mozi, who also pointed out that “knowing”
consists of three steps, namely to seek new knowledge, to have contact
with the object to be known, and to aquire new knowledge by analysis and
speculation in the brain. Children in their sensitive period, having an
absorbent mind, can gather various and much information and knowledge
easily because of the marvelous second step provided by the receptivity
of their five senses. In addition, the concentration phenomena during
extremely many repetitions of the same Montessori teaching aid can be
understood as requirement for new knowledge, which would correspond
to the 3rd step of “knowing” as proposed by Mozi.
− 209 −
The Second ‘Luhmer Prize’ Presentation
Masako Ejima
(Chair of the Screening Committee, Japan Association Montessori, Ph.D.)
The presentation of the second “Luhmer Prize” was held on August
6, 2014, by the Japan Association Montessori during its 27th National
Conference. The winner of the Prize was Sr. Yukie Shimojo s.a.
Reasons for the award:
Sr. Yukie Shimojo first encountered Montessori education when she
started working as the director of St. Josef Kindergarten in Kita-Kyushu
in the spring of 1965.
As a member of the Auxiliatrices Sisters, she worked as director at
Omiya Shirayuri Kindergarten and as director and chairman of the board
of directors at Hiroshima Shirayuri Kindergarten. All those years of work
with infants confirmed to her the importance of an infant’s education as
preparation for becoming an adult, and she, consequently, pursuit her
study of Montessori education more profoundly in the practical field.
At the beginning of 1960, some of the professors from the Department
of Education of Sophia University began organising Montessori
education workshops. Sr. Shimojo enthusiastically attended them and
got acquainted with Father Klaus Luhmer S.J. She became one of the
founders of the Montessori Teacher Training course in Kyushu, and
she is still actively working as head at ‘Shinboai Gakuen Montessori
Teacher Training Course’ in Hiroshima and Yamaguchi. Her energetic
contribution towards Montessori teacher training is outstanding. She is
one of the board members of the Japan Association Montessori (Society),
and her administrative and developmental work for the Society is well
recognised by all members.
From the time of the Montessori education revival after the war,
Sr. Shimojo’s time-consuming work and achievement has become a beacon
for all Montessorians. For this she is awarded the ‘Luhmer Prize’ 2014.
− 210 −
モンテッソーリ教員養成コース
I. 日本モンテッソーリ協会(学会)公認モンテッソーリ教員養成コース
・NPO 法人東京モンテッソーリ教育研究所・付属教員養成コース
コース長 前之園 幸一郎
〒 112-0002 東京都文京区小石川 2 丁目 17 番 41 号
富坂キリスト教センター 2 号館内
☎ 03-5805-6786 / fax 03-5805-6787
http: //www.ti-montessori-e.main.jp/
・九州幼児教育センター・トレーニングコース
(モンテッソーリ教員養成コース)
所長 藤原 江理子
〒 811-3425 福岡県宗像市日の里 7-21-4
☎ 0940-36-7008 E-mail: [email protected]
http: //homepage4.nifty.com/ktcourse/
http: //hpm3.nifty.com/ktcourse/(携帯サイト)
・
(学)小百合学園広島モンテッソーリ教師養成コース
委員長 下條 善子
〒 735-0014 広島県安芸郡府中町柳ヶ丘 36-7
☎ 082-581-1337
・京都モンテッソーリ教師養成コース
委員長 赤羽 惠子
〒 612-0817 京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 17
☎ 075-641-8410(8280) E-mail: [email protected]
・純心モンテッソーリ教員養成コース
長崎純心大学人文学部 児童保育学科 学科長 吉武 久美子
〒 852-8558 長崎県長崎市三ツ山町 235
☎ 095-846-0084(代)
− 211 −
II. 国際モンテッソーリ協会公認モンテッソーリ教員養成コース
東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター
所長 松本 静子
〒 252-0301 神奈川県相模原市南区鵜野森 2-20-2
☎ 042-746-7933 E-mail: [email protected]
http: //www.geocities.jp/ami_tokyojp/
III. 日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成通信教育講座
〒 146-0083 東京都大田区千鳥 3-25-5 千鳥町ビル
☎ 03-5741-2270
E-mail: [email protected]
http: www.sainou.or.jp/montessori/
IV. うめだ・あけぼの治療教育職員養成所
〒 123-0851 東京都足立区梅田 7-19-23
☎ 03-3889-1700
− 212 −
日本モンテッソーリ協会(学会)会則
第1条(名 称)
本会は、日本モンテッソーリ協会 ( 学会 ) という。
第2条(事務局)
本会は事務局を〒 112-0002 東京都文京区小石川 2 - 17 - 41
富坂キリスト教センター 2 号館に置く。
第 3 条(目 的)
本会は、日本におけるモンテッソーリ教育研究者間の連携協同により、
モンテッソーリ教育原理と実践を研究し、その普及を図ることを目的と
する。
第 4 条(事 業)
本会は、前条の目的を達成するために次の事業を行う。
(1)モンテッソーリ教育法の実践及び普及。
(2)モンテッソーリ教育法の指導者の養成及びモンテッソーリ教員養
成コースの認定。
(3)日本モンテッソーリ協会(学会)全国大会の開催。
(4)モンテッソーリ教育の普及・発展を目的とする奨励金制度の設定。
(5)モンテッソーリ教育教材の研究作成及び普及。
(6)講演会、研修会及び研究発表会の開催。
(7)モンテッソーリ教育に関する印刷物の発行。
(8)海外諸国のモンテッソーリ協会との交流及び情報の交換。
(9)その他、必要な事項。
第 5 条(会 員)
1.本会の会員は、本会の目的に賛同して所定の入会手続きを経た個人
及び団体とする。
2.会員は本会則第 19 条に定める会費を納入しなければならない。
3.会員には本会発行の印刷物を配布する。
4.第 1 項に定める会員以外に、本会の運営水準を保つ賛助金出資者を、
維持会員という。
ただし、維持会員は、理事選挙の選挙権、被選挙権を持たない。
5.会員が次の各号の一に該当する場合には、その資格を失う。
(1)会員である個人が死亡、又は一身上の事由によるとき。
(2)会員である団体が消滅したとき。
(3)1年以上会費を納めないとき。
− 213 −
第6条(支 部)
1.本会は、会員の希望により、一定地域の中で、支部を設置すること
ができる。
2.支部の設置及び運営に関しては、理事会に申請し、理事会及び総会
の承認を得るものとする。
3.支部は、本会の理事選挙規定に則って理事及び支部長の選出を行う。
第7条(役 員)
本会に次の役員を置く。
名誉会長 1名
会 長(理事長) 1名
副 会 長(副理事長) 2名
常任理事 若干名
理 事 若干名
監 事 2名
顧 問 若干名
第 8 条(役員の職務)
役員の職務は次のとおりとする。
(1)名誉会長は、本会の活動理念に基づき、会長(理事長)に対して
意見を述べ、若しくはその諮問に答え、又は報告に徴すことがで
きる。
(2)会長は、本会を代表し理事長となり、本会を総督する。
(3)副会長(副理事長)は、会長(理事長)を補佐し、会長(理事長)
に事故ある時にその職務を代行する。
(4)常任理事は常任理事会を構成し、本会の常務を審議し、
職務を行う。
(5)理事は、理事会を構成し、本会の重要な事項を審議し、職務を行う。
(6)監事は本会の会計及び業務の執行状況を監査し、その結果を総会
に報告する。
(7)顧問は、会長(理事長)が委嘱し本会の諮問に応ずる。
第 9 条(役員の選出)
1.理事の選任は次のとおりとする。
(1)本会の定める選挙規定に従って各支部ごとに選出された者 13
名。
(2)各モンテッソーリ教員養成コースの代表者又はこれに代る者、
並びに事務局長。
(3)上記 1、2 号の理事によって推薦され、会長(理事長)の任命
− 214 −
による者、若干名。
2.会長(理事長)
、副会長(副理事長)、常任理事は、
理事の互選とする。
3.監事は、理事又は本会の職員以外の会員から会長(理事長)が推薦
し、委嘱する。理事又は本会職員をかねてはならない。
第 10 条(役員の任期)
役員の任期は 3 年とし再任を妨げない。
第 11 条(機 関)
1.本会は次の機関を置く。
(1)総 会
(2)理 事 会
(3)常任理事会
2.必要に応じて、各種委員会をおくことが出来る。
第 12 条(総 会)
1.総会は、本会の最高の議決機関であって全会員をもって構成する。
2.総会は、年一回以上会長(理事長)が招集する。
3.総会に議長を置き次の事項を議決する。
(1)事業計画及び予算
(2)事業報告及び決算
(3)会則の改正
(4)その他、本会が必要と認めた事項
第 13 条(理事会)
1.理事会は、理事をもって構成する。監事は、理事会に出席するもの
とする。
2.理事会は、総会に属する議事決定事項以外でこの会が必要とする重
要な事項を議決する。
ただし総会を開くいとまがない時は、総会に代わって議決すること
ができる。
3.理事会は会長(理事長)が招集する。
第 14 条(常任理事会)
1.常任理事会は理事の互選によって選ばれた者で構成する。監事は、
常任理事会に出席するものとする。
2.総会又は理事会を開くいとまのない時は、総会又は理事会に代わっ
て議決することができる。
3.常任理事会は会長(理事長)が招集する。
第 15 条(各種委員会)
1.本会は必要に応じて委員会を設置することができる。
− 215 −
2.委員会は理事 2 名以上が委員となり、当委員会の課題によって会員
の協力を求めて委員会を組織する。
3.委員会は経過、結論を理事会に報告するとともに、その目的を達成
したときは、これをすみやかに解散する。
第 16 条(表 決)
総会及び理事会と常任理事会の決議は出席者過半数の同意をもって決
し、可否同数のときは議又は会長(理事長)の決するところによる。
第 17 条(事務局)
本会の事務を処理するために事務局を置く。
2.事務局には次の職員を置く
(1)事務局長 1 名
(2)書 記 若干名
(3)会 計 1 名
3.前項第2号及び3号の事務局職員は常任理事会が委嘱する。
第 18 条(会計年度、帳簿等の保存および廃棄)
1.本会の会計年度は、毎年7月 1 日に始まり、翌年 6 月 30 日に終る。
2.本会の会計帳簿、伝票類は7年間保存する。
3.第2項の保存期間経過後の会計帳簿、伝票類は事務局長の決裁を得
て廃棄するものとする。
第 19 条(経 費)
(1)本会の経費は、入会金 2000 円、個人・団体年額 5000 円。入会金
不要の維持会費年額
一口 10,000 円、寄付金、その他の収入による。
(2)維持会費は、個人・施設とも一口以上、上限は定めない。
第 20 条(規 定)
(1)この会則に定めない事項で、本会の運営のために必要と考えられ
る規定(別表参照)は、理事会の議を経て総会で定めることがで
きる。
この会則に定めない事項で本会の運営のために必要と考えられる
規定(別表参考)は以下のとおり。
[別 表]
(1)選挙管理委員会規定
(2)理事選挙規定(投票要領は別にあり)
(3)編集委員会規定(投稿・査読に関する規定・要領は別にあり)
(4)支部規定
(5)モンテッソーリ教員免許取得証明書規定
− 216 −
(6)役員費用弁償内規
(7)日本モンテッソーリ協会(学会)の収支報告書における勘定科目
について
日本モンテッソーリ協会(学会)の収支報告書における勘定科目
は、平成 21 年度当協会収支報告書を基準に下表のように確定する。
(表は別にあり) (8)役員旅費規定
(9)日本モンテッソーリ協会(学会)ルーメル・モンテッソーリ奨励
基金規定
(10)全国大会 経費運用規定
[創 立]日本モンテッソーリ協会の創立年月日
昭和 43 年(1968 年)7 月 21 日
附 則
1.この会則は、昭和 43 年 4 月 1 日から施行する。
1.この会則は、平成 7 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 10 年 1 月 10 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 16 年 7 月 30 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 17 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 19 年 1 月 27 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 20 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 21 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 23 年 8 月 7 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 24 年 8 月 4 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 25 年 7 月 30 日から一部改正し、施行する。
1.この会則は、平成 26 年 8 月 6 日から一部改正し、施行する。
以上
− 217 −
日本モンテッソーリ協会(学会)
ルーメル・モンテッソーリ奨励基金規定
(主旨)
第 1 条 日本モンテッソーリ協会(学会)
(以下「本協会」という。は、
昭和 52(1977)
年から平成 19(2007)年まで本協会の会長(理事長)としてモンテッソーリ
教育の普及・発展に寄与されたクラウス・ルーメル師の多大な功績を記念し、
本協会会則第 4 条、第 4 号に基づき、
「ルーメル・モンテッソーリ奨励基金」
(以下、
「本基金」という。
)を設け、これに関する必要な事項を定める。
(目的)
第 2 条 モンテッソーリ教育の発展を期して、本基金の果実収入によってモン
テッソーリ教育の研究を奨励する。
2 毎年度若干名の対象者に「ルーメル・モンテッソーリ奨励金」
(以下「本
奨励金」という。)を給付する。
(本基金の財源)
第 3 条 本基金は、寄付者(本協会)が寄付金 1 千万円を財源として設定する。
(本基金の保有及び増加)
第 4 条 本基金は、銀行預金・金銭信託・その他安全確実な保有方法によりこれ
を保有する。
2 本基金の財源は、寄付金品・給付されない果実収入等をもって増加させ
る。
(本基金の管理運営)
第 5 条 本基金の保有管理運用は、本協会の常任理事会の指導により事務局が行
う。
2 本基金の管理運営のための必要経費は、本協会の予算によって負担する。
3 本基金の目的変更については、本協会の理事総数 3 分の 2 で議決する。
(本奨励金の給付額)
第 6 条 本奨励金を給付する額は、原則として、本基金の果実収入範囲内とする。
2 本奨励金給付額を本協会の予算によって増額することは妨げない。
(選考委員会)
第 7 条 本協会は、本奨励金の対象者を選ぶため、選考委員会を設置する。
2 選考業務に要する経費は、年度毎に予算化し、本協会の常任理事会の承
認を経るものとする。
(選考委員会の構成)
第 8 条 本協会の理事会の互選による 5 名以内の委員をもって、選考委員会を
− 218 −
構成する。
2 本協会の機関誌編集委員長は、職務上委員となる。
3 選考委員の任期は 2 年とし、再任を妨げない。
4 選考委員長は選考委員の互選による。
(本規定の改廃)
第 9 条 この規定の改廃は、本協会が解散、その他の理由で目的の遂行が不可能
になった場合に、本協会の理事会により決定される。
(付則)
この規定は、平成 24(2012)年 8 月 4 日より施行する。
− 219 −
『モンテッソーリ教育』第 48 号原稿募集
<論文、実践報告・事例報告>
内容……自由、分量……原稿用紙(400 字詰)25 枚以内(ヨコ書き)
<書評・海外情報>
分量……原稿用紙(400 字詰)10 枚程度(ヨコ書き)
<執筆要領>(論文、実践報告・事例報告)
『モンテッソーリ教育』への投稿は、次の規定に従うものとする。
1.論文のテーマは、モンテッソーリ教育に関する理論と実践についての研究、
およびモンテッソーリ研究に関連したものであること(未刊行のものに限る)
。
2.論文原稿は、ヨコ書きとし、次の点を厳守すること。
①本文は、図、表、注を合わせ、400 字詰原稿用紙 25 枚以内とすること。(た
だし、注および引用文献は、1 字 1 ますとする。算用数字と欧文は 2 字 1 ま
すとする)。パソコン使用の場合は 33 字 32 行の書式で 10,000 字以内。
②図、表は文中に挿入せず、別の用紙に貼付し、論文原稿には挿入すべき個所
を指定しておくこと。
③制限枚数をこえた場合は、書き直しを求めることがある。
3.原則として常用漢字、新かなづかいを使う。
4.注および引用文献は、原則として文中の該当個所の右肩に(1)
(2)として表
記しておいて、論文原稿の末尾にまとめる。
5.引用文献の記述の形式は、次のとおりである。
(1)紀尾一郎『モンテッソーリ教育学』エンデルレ書店、1995 年、30 〜 35 頁。
(2)藤井 勝『モンテッソーリ教育学の性格』、東京太郎編『モンテッソーリ
教育の理論』新教育学全集第 3 巻、西風社、1994 年、230 〜 236 頁。
(3)太田さゆり「モンテッソーリと新教育」
『ペスタロッチ学会紀要』第 5 巻、
1995 年、50 頁。
(4)Montessori, M., Das Spannungsfeld (Wien: Herder. 1979) pp. 33-40.
(5)Moller, A., “Models in a New Education”, in Merton R. K, (ed.), Sociology
Today (New York: Paulist Press, 1959), p.145.
(6)Newman S., “On the Montessori Tomorrow”. German Review 24 (1959),
p.750.
(7)Ibid., p. 779.
6.欧文摘要(200 語程度)およびその邦訳(400 字程度)を添付すること。
− 220 −
7. 原稿は 3 部(コピーでよい)提出すること。パソコン使用の場合は完成原
稿のほかにそのファイルを入れた CD-ROM(MS-DOS テキスト変換したもの)
を添付し、ディスクの表に使用機種名および氏名、ファイル名を記入すること。
なお、和文の句読点はテン(、)およびマル(。)を使用のこと。
<原稿締切>
2015 年 9 月末日(期日厳守)
<原稿提出先>
〒 112-0002
東京都文京区小石川 2―17―41
富坂キリスト教センター 2 号館
日本モンテッソーリ協会
『モンテッソーリ教育』編集委員会
編集委員長 江島正子
*原稿には勤務先、氏名(フリガナ付記)を記入してください。
*図版等で多額の出費を要する場合、執筆者に負担を求めることがあります。
*連続投稿はご遠慮ください。
*ディスクと一緒にハードコピー(出力紙)を添えてご提出ください。文字化け
が生じても、復元することができます。
*ソフトは、
Word(ウインドウズ、マッキントッシュ)や Excel をご使用ください。
その他のソフトをご使用の場合には、テキストファイルで保存したデータをご
用意ください。
*ディスクはケースに入れる等、破損を防ぐ工夫をお願いします。
− 221 −
『モンテッソーリ教育』論文投稿規定
『モンテッソーリ教育』における「論文・実践報告」については、以下の投稿規
定に従うものとする。
投稿資格 1)本学会会員
2)本学会会員と共同研究を行う者
3)特に編集委員会が認めた者
投稿原稿 1)投稿原稿は未発表のものに限る。また、他の学術雑誌に投稿予定
の論文は投稿することができない。
2)分量および書き方は、別に定める執筆要領による。
採否 1)投稿原稿は編集委員会で査読する。
2)査読結果により、所定期間内に旧原稿と修正個所を明記した文書
を添えて再提出する。旧原稿の返却後、期限内に再提出されない
場合は、期限切れにより原稿の撤回と見なされる。著者の都合に
より撤回する場合は、その旨を編集委員会に書面で連絡する。撤
回された原稿が再度提出された場合は、新投稿論文として扱う。
3)投稿者は査読結果に異議があるとき、編集委員会に書面により反
論を申し述べることができる。それに対して編集委員会は書面に
より回答する。
著作権 本誌の掲載文に関する著作権は原則として日本モンテッソーリ協会に
帰属する。したがって、本学会が必要とする場合は転載し、第三者か
ら本学会著作物等の複製あるいは転載に関する承諾の要請があり、本
学会において必要と認めた場合は、著作者に代わって承諾することが
できるものとする。また、編集委員会が本業務を代行する。
− 222 −
日本モンテッソーリ協会編集委員会規定
(目的・定義)
第 1 条 日本モンテッソーリ協会編集委員会(以下「委員会」という)は、会
則第 4 条第 5 号に則り設置され、学会誌『モンテッソーリ教育』の刊
行を目的とし、年 1 回発行する。
(使命)
第 2 条 本 誌はモンテッソーリ教育の理論と実践に関する研究、論文、実践、
書評、学会通信等、会員のモンテッソーリ教育研究活動に関連する記
事を記載する。
(構成)
第 3 条 本誌の編集には、理事会の委嘱を受けた委員から構成される委員会が
あたるものとする。
(任期)
第 4 条 編集委員の任期は 3 年とする。但し、再任を妨げない。
(委員長)
第 5 条 委員会には委員長 1 名をおく。委員長は委員の互選によって選出する
ものとする。
(幹事)
第 6 条 委員会の事務を円滑に行うため幹事若干名をおく。
(業務)
第 7 条 本誌各号の内容および投稿論文の掲載採否については、委員会の合議
によって決定する。
第 8 条 掲載を予定される原稿内容およびその他について、委員会が再考を求
めることができる。
第 9 条 図版等で多額の出費を要する場合、執筆者の負担を求めることがある。
第 10 条 執筆者による校正時の大幅な修正は、原則としてこれを認めないもの
とする。
付則 2006 年 8 月 9 日 施行
− 223 −
JAPAN ASSOCIATION MONTESSORI
Board
Koichiro Maenosono Ph. D.*(President)
Ryoko Matsumoto*
Domenico Vitali, S.J.*(Vice President)
Akira Machida*(Vice President)
Hiromi Suzuki (General Secretary)
Mamiko Abe*
Keiko Akabane
Mitsuko Bando
Masako Ejima Ph.D.*
Eriko Fujiwara
Toyoki Harada
Yumiko Hirosawa
Yumiko Hayata*
Morio Inui
Kimiko Kai*
Shizuko Matsumoto*
Yurie Maehana
Kazuteru Matsukawa
Kyoko Morishita
Masako Nakao
Atsuko Sagara*
Shinichiro Sasaki
Miki Shimada*
Satoshi Seki
Shozaburo Takino*
Kumiko Yoshitake
Auditors
Günther Kerkmann, S.J.
Masako Yamamoto
*member of the Executive Board
MONTESSORI EDUCATION
Editors
Masako Ejima Ph.D.*(Chief Editor)
Mamiko Abe*
Tamako Amano
Kumi Hamazaki
Yumiko Hayata
Shinjiro Hayashi*
Kimiko Kai*
Koichiro Maenosono Ph. D.*
Shizuko Matsumoto*
Yuriko Nohara
Koichi Okada*
Kiyoko Okuyama
Atsuko Sagara
Miki Shimada
Satoshi Seki
Hiromi Suzuki*
Domenico Vitali*
Proofreader (English)
Franz-Josef Mohr, S.J.
Secretaries
Yoshie Honda
Akemitsu Hoshijima
Kaori Hirotsu
Yoshiko Kono
Yoshiko Tanaka
*Executive Editors
− 224 −
編集後記
モンテッソーリは「平和のために教育を」において、次のように述べて
います。
人間は普通に考えられているよりは、すぐれているものです。
それどころか私は、人類はきわめて善良で慈愛に富んだものだと
考えております。けれども、この善意や慈悲深さは無意識のうち
に発揮されていますので、人類は自分が善良で慈悲の心に富んで
いることに気づかないのです。実際、人間同士の争いとか、相互
に理解し合う能力の欠如は、なにか表層的なものであると言って
よいのではないでしょうか。私たちがこの表層的なものを突き破
るなら、そこに人類史全体にわたる底知れぬ善意と献身が立ち現
れてくるのではないでしょうか。ただ、善意と犠牲の精神、これ
らを歴史はおおい隠していますし、人類はそれを無視しているの
です。 (『モンテッソーリ 平和と教育』より)
今、中東から世界に広がるテロの脅威は、モンテッソーリの言う「善意
と犠牲の精神がおおい隠された」
状況ではないでしょうか。晩年のモンテッ
ソーリは、「平和を実現するのは教育である」ことを何度も訴えています。
報復や制裁を考える前に、教育に目を向けること。それが今いちばん求め
られていることではないでしょうか。
『モンテッソーリ教育 第 47 号』をお届けいたします。
巻頭言・講演・シンポジウムは、
「一人ひとりのおもいを受けとめる」
というテーマで開催された第 47 回全国大会のまとめです。充実した三日
間を思い出しながら、あらためて勉強させていただきました。
モンテッソーリ教育の特徴の一つに理論と実践の統合があります。今回
も 4 編の論文と 2 編の実践報告が掲載され、教育エッセイも載せられてい
ます。第 2 回「ルーメル賞」は下條裕紀媛会員が受賞されました。下條会
員のモンテッソーリ教師養成における長年のご尽力に、あらためて感謝申
し上げます。そしてラウンド・テーブルや図書紹介、全国大会参加報告も
ぜひお読みください。
日本モンテッソーリ協会のアイデンティティーの一つが本誌です。会員
の皆さま、理論研究の会員も実践家の会員も、どうか奮ってご参加してく
ださい。今年は奈良でお会いしましょう。 (関 聡)
− 225 −
『モンテッソーリ教育』編集委員会
委員長 江島正子(群馬医療福祉大学大学院)
委 員 前之園幸一郎(日本モンテッソーリ協会)
ドメニコ・ヴィタ
リ(カトリック幟町教会)松本静子(東京国際モンテッソーリ
教師トレーニングセンター)
天野珠子(愛珠幼稚園)
阿部真
美子(聖徳大学)
岡田耕一(聖徳大学短期大学部)
奥山清子
(元ノートルダム清心女子大学)
甲斐仁子(東洋英和女学院大
学大学院研究科)
相良敦子(長崎純心大学大学院)
島田美城
(エリザベト音楽大学)
鈴木弘美(HYS 教育研究所)
関聡(久
留米信愛女学院短期大学)野原由利子(名古屋芸術大学)
林信
二郎(放送大学)
早田由美子(夙川学院短期大学)
濱㟢久美
(長崎純心大学)
欧文校閲 フランツ – ヨゼフ・モール(元上智大学)
幹 事 星島明光 本多ヨシヱ 廣津香織 河野佳子 田中代志子
2015 年 3 月 31 日 発行
発行所 日本モンテッソーリ協会編集委員会
URL: http://www.montessori-jp.org
日本モンテッソーリ協会事務局
〒 112-0002 東京都文京区小石川 2-17-41
富坂キリスト教センター 2 号館
Tel・Fax(03)3814-8308
郵便振替口座 00110-7-71777
代 表 会長 前之園幸一郎 『モンテッソーリ教育』編集委員会 江島正子
印 刷 (株)プリントボーイ
〒 157-0062 東京都世田谷区南烏山 6 丁目 24 番 13 号
TEL:03-3309-1861 FAX:03-5315-3414
© 日本モンテッソーリ協会
日本モンテッソーリ協会公認
東京モンテッソーリ教育研究所
付属
教員養成コース
日本における初めてのモンテッソーリ教員養成コ
ースとして昭和 45 年より活動してまいりました「上
智モンテッソーリ教員養成コース」を引き継ぎ、平成
18 年より「特定非営利活動法人東京モンテッソーリ
教育研究所」付属教員養成コース(コース長
園幸一郎)を開設いたしました。
本コースの特徴は、モンテッソーリ教育の教育理念
を基本として、現代の教育学、心理学の潮流をも視野
に入れながら、モンテッソーリ教育の理論と実践を調
和的に学ぶ点にあります。本コースは、モンテッソー
リにならって、「子どもの魂の中に眠っている人間を
呼び覚ます」ことのできる教師の養成を目指しています。
平成 28 年度第 11 期生を 11 月より募集いたします。
平成28年度第 11 期生募集 夏期実技研修会 募集定員: 25 名
テーマ: 数教育
選考日程: 平成 28 年 1 月 17 日(日)
日 時: 平成 27 年 8 月 29 日(土)
場
所: 富坂キリスト教センター
会 場: 世田谷聖母幼稚園(予定)
内
容: 小論文・面接
講 師: 当コース 数 担当講師
※ 詳細・入講案内は下記事務局までお
問い合わせください。
※ 理論の聴講を希望する方もお問い合
(廣澤弓子、梅野芳子)
※ 受講を希望する方は下記事務局まで
お問い合わせください。
わせください。
特定非営利活動法人 東京モンテッソーリ教育研究所 事務局
〒112-0002 東京都文京区小石川 2-17-41 富坂キリスト教センター2号館
TEL 0 3 - 5 8 0 5 - 6 7 8 6 FAX 0 3 - 5 8 0 5 - 6 7 8 7 URL http://montessori.or.jp/ E-mail [email protected] AMI(国際モンテッソーリ協会)公認
3~6歳コース(国際資格)
昼間部(1 年コース) 夜間部(2 年コース)
モンテッソーリ教育は
生命を援助する教育です。
「ひとりでできるようにてつだってください。」
という子どもの心からの要求に応えます。
モンテッソーリ教師は
子どもたちが活動をしながら自信や自己規律を育み、
人格を形成していくのを援助します。
このトレーニングコースでは
マリア・モンテッソーリ博士の児童心理学、教育理論、
実践を通して、人格形成期にある大切な幼児期の
子どもの発達を心身両面から援助する方法を探求
していきます。
●願書受付
*規定の履修条件を満たし、卒業試験に合格すれば国内外で
通用するディプロマ(国際資格)の取得が可能です。
2015 年 10 月 1 日~
●選考予定
日 時 2016 年1 月上旬
内 容 面接 ・小論文
●応募資格
(下記いずれかの資格保持者、または取得見込者)
大学卒、短期大学卒、専門学校卒の資格を持つ方、在学中の方
幼稚園教諭、保育士、各種教員資格、及び、これに準ずる資格を持つ方
AMI(国際モンテッソーリ協会)が認めた方
●見学随時受付
❏研修生募集❏
講義期間: 1 分野 3-4 週間 月・金 13:00-16:00、火~木 9:30-13:00
授業内容 各分野の理論と実践(アルバム製作、実習、レポート課題はありません)
開講予定 日常生活の練習・感覚教育 5 月~ 言語教育 9 月~ 数教育 10 月~
開講予定の 2 週間前までにお申込下さい。
❏夏期短期実践研修会❏
2015 年 7 月 22 日(水)~24 日(金)相模女子大学グリーンホール相模大野にて
すぐに活かせる実践と理論の研修会です。どなたでも参加できます。
東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター
〒252-0301 神奈川県相模原市南区鵜野森 2-20-2 (JR/小田急 町田駅 下車徒歩 12 分)
℡ 042-746-7933 FAX 042-741-9495
http://www.geocities.jp/ami_tokyojp/
日本モンテッソーリ協会公認 学校法人小百合学園
広島モンテッソーリ教師養成コース
(旧 学校法人信望愛学園 モンテッソーリ教師養成コース) 〔目的〕 子どもは自分自身を創造しながら明日の世界をつくっていく偉大な力を
もっています。この使命を確信する当コースは、“モンテッソーリ教育”の実践に
よる子どもの人格形成の援助に奉仕する教師の養成コースです。
本科生
〔入学資格〕 〔取得資格〕 ・幼稚園教諭、保育士資格取得者
日本モンテッソーリ協会(JAM)認定ディプロマ授与
・上記資格取得見込みの者
・小、中、高及び養護学校の教員資格取得者
・上記以外の者で当コース委員会で認めた者
〔履修期間と内容〕 ●第一年次
理論科目・実践科目の履修
日程:1ヵ月の中の1週間、1年で計 10 週
●第二年次
教本提出、集中講義、教育実習、
モンテッソーリ教師資格試験の受験
卒業生研修会
園長主任会
講習会
年1回、当コース卒業生が更に研鑽を積みます。
年1回、関係各園の園長先生と主任の先生が一緒に
職員養成などについて考えます。
各領域別に2日間ずつ。どなたでも参加できます。
〒735-0014 広島県安芸郡府中町柳ヶ丘 36-7
(学)小百合幼学園 広島モンテッソーリ教師養成コース事務局
TEL.FAX 082-581-1337 JAM(⽇日本モンテッソーリ協会)公認 京都モンテッソーリ教師養成コース 1973 年年創⽴立立以来、着実な歩みで実⼒力力ある教育者を世に送り出しています。 本コースの⽬目的は、 ⼦子どもの精神発達を正しく援助できる教師を養成することにあります。 ① こどもの要求について、幅広い理理解ができるように、 ② ⼈人格の創造者としてのこどもに対して、敬意を持てるように、 ③ こどもの魂の中の、⼩小さな、デリケートな、開きかかった ⽣生命の表現を読み取り理理解できるように 、 教育内容を通して、 こどもと新しい関係をつくり、新しいタイプの教師になれるよう 担当講師ならびにスタッフ⼀一同が援助いたします。 講師
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大学名誉教授、JAM
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専⾨門コース モンテッソーリ教師養成 養成期間 2 年年 講義:⽉月に⼀一度度の週末 ⾒見見学および参加実習:平⽇日 取得資格―JAM 認定モンテッソーリ教師ディプロマ(免許) 会場:京都モンテッソーリ教師養成コース附属「深草こどもの家」 *その他 基礎コース も札幌・東京・福岡にて⾏行行っています。 お問い合わせ
京都モンテッソーリ教師養成コース事務局まで
〒612-‐‑‒0817 京都市伏⾒見見区深草向ヶ原町 17 TEL:075-641-‐‑‒8280 / FAX:075-642-‐‑‒8588 Email:[email protected] URL: http://www.fukakusakodomonoie.com 日本モンテッソーリ協会公認
長崎純心大学
純心モンテッソーリ教員養成コース
長崎純心大学児童保育学科のモンテッソーリ教員養成
コースは日本モンテッソーリ協会から認可を受け平成
17(2005)年に設置されました。
本コースでは大学で学びながら卒業時に免許状を取得
することができます。卒業生はモンテッソーリ教育を
実践している幼稚園・保育園で広く活躍しています。
≪定員≫ 1 学年
20 名
≪授業科目≫
基礎理論科目・基幹理論科目・実践科目
・教育実習・教具アルバム作成・卒業論文
≪講師陣≫
下記の著名な講師および養成コース教員 9 名
前之園幸一郎 (日本モンテッソーリ協会理事長、会長・青山学院女子短期大学名誉教授)
下條善子 (本学客員教授・信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース主任)
相良敦子 (本学大学院教授・日本モンテッソーリ協会理事・エリザベト音楽大学客員教授)
江島正子 (群馬医療福祉大学大学院教授・日本モンテッソーリ協会常任理事・四谷モンテッソーリ研究所)
教育機関である大学の学科に設置された
日本で唯一のモンテッソーリ教員養成コースです
長崎純心大学
知恵のみちを歩み人と世界に奉仕する
- 知恵と奉仕 -
〒852­8558 長崎市三ツ山町 235 番地
TEL 095­846­0084 FAX 095­849­1894
http://www.n­junshin.ac.jp/univ/
よろこびの中に生きる
モンテッソーリ教育
松本静子【著】
四六判/本体 2500 円+税
子どもの中にある「生きる力、自ら育つ力」を見守り、助ける
本書は日本人初の国際モンテッソーリ協会(AMI)教師養成トレーナーであ
る著者が、幼児期の子どもをもつ両親、教師、そして全ての大人に向け、生
命に内在するエネルギーとは何か、子どもの生命衝動に従った環境のつくり
かた、子どもへの接しかた、そして、いのちをつないでいくよろこびに満ち
た生きかたについて語りかけます。
モンテッソーリ教育 モンテッソーリ
やさしい解説
藤原元一・桂子・江理子【著】
教育用語事典
K・ルーメル【監修】
A5 判/本体 2800 円+税
A5 判/本体 4000 円+税
世界中で実践されてい
るモンテッソーリ教育
を分かりやすく解説し
た、教師と保護者のた
めの手引き書。
モンテッソーリ教育の
キ ー ワ ー ド 約 100 語
を収録。カラー写真や
イラストを盛り込み、
理解をサポート。
モンテッソーリ教育の道
モンテッソーリ教育の精神
モンテッソーリの宗教教育
マリア・モンテッソーリと現代
K・ルーメル【編】A5 判/本体 2950 円+税
江島正子【著】四六判/本体 2400 円+税
国境のない教育者
モンテッソーリ教育
R・モンテッソーリ【著】 K・ルーメル / 江島正子【訳】
K・ルーメル【著】四六判/本体 2000 円+税
子ども・平和・教育
前之園幸一郎【著】A5 判/本体 2000 円+税
モンテッソーリアンと生きる
松本静子【著】
A5 判/本体 1942 円+税
四六判/本体 1200 円+税
東京都千代田区富士見 2-10-2
TEL 03-3263-3817
学苑社
http://www.gakuensha.co.jp/
FAX 03-3263-2410
(すべて本体価格の表示です)
国土社
モンテッソーリの一貫教育
児童期から思春期へ
55x85mm
松本科学工業有限会社
日本で唯一、
国際モンテッソーリ協会(AMI)公認の
教具教材の製造販売を行っています。
日本で唯一、国際モンテッソーリ協会(AMI)公認の教具教材と環境用具の研究・
開発・製作、販売を行っています。またモンテッソーリ教育の導入時の人的・
物的・環境の配慮、アドバイス、及びケアや国際モンテッソーリ教育の日本国
内での講演・講義・実践研究会、教員養成コース、他催し等のお手伝いもして
います。
〒579-8002 大阪府東大阪市池之端町8番16号
TEL 072-981-4875
FAX 072-986-0168
E-mail [email protected]
URL http://www.mk.-k..com/
プリントボーイは、印刷や印刷周辺で発生する、
さまざまなビジネスシーンを
サポートする貴社の社内印刷室です。
当社独自の商品、技術、サービスをご活用いただき、
さまざまなビジネスシーンにお役立てください。
営業販売部門
生産加工部門
●紀要・論集・テキストなど大学印刷物全般
●社内報、マニュアルなど各種ビジネス印刷物
●カタログ、パンフレットなど広告・宣伝印刷物
●デジタルカラー印刷機によるカラー印刷物
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お客様の多用なご要望にお応えするため、
ネットワークや専門家集団を組織しています
株式会社プリントボーイ
〒157-0062 東京都世田谷区南烏山6丁目24番13号 TEL:03-3309-1861 FAX:03-5315-3414
MONTESSORI EDUCATION No. 47 2014
Contents
Foreword: Our expectations of Next-Generation Montessori Teachers
…………………………………………………………………………… Kazuteru Matsukawa (1)
Lectures
Babies’ Mysteries – Their Development of Mind and Heart ……………… Kazuo Hiraki (2)
Catching Each Child’s Inner Thoughts ………………………………………… Mamiko Abe (14)
Symposium: Receiving and Accepting Each Childs Thoughts
1st Panelist Meeting Children’s Needs and Thoughts ……………… Domenico Vitali SJ (23)
2nd Panelist Children in Love with the Environment……………………… Atsuko Sagara (31)
3rd Panelist Montessori Education & Montessori Teachers Today …… Yumiko Hayata (37)
4th Panelist Encounters with the Unknown ……………………… Kazuteru Matsukawa (49)
Report by the Co-chairs of the Symposium …………………………………… Kimiko Kai (55)
Articles
Religion and Children in Montessori Education …………………… Koichiro Maenosono (61)
Montessori Education and Catechesis of the Good Shepherd ………………… Masako Ejima (79)
“Knowing” and “Acting” in the Montessori Education Method and Ancient Oriental Ideas
………………………………………………………………………………………Yo Takiguchi (98)
Practice and Case Report
Progress Report: Ten Years since the Introduction of Montessori Education
– Significant Children’s Development through Expressive Activities on Stage…Yuko Honryo (113)
Second Report on Music Therapy Based on Montessori Education –
‘Observation’, ’Sensation’ ’Presentation’ …………………………………… Kaoru Kojima (125)
Educational Essay
Parents who Learned Montessori Education – A New Attempt in an Information-Oriented Society
………………………………………………………………………………… Masako Tanaka (136)
Luhmer Prize
The second ‘Luhmer Prize’ Presentation ……………………………………Masako Ejima (149)
Round Table
1 Applying Montessori Theory to Practice ………… Shizuko Matsumoto/Yukie Shimojo (151)
2 Teachers’ Tasks – 5 Observations ……………………… Keiko Akabane/Miki Shimada (157)
Book Review
Tamako Amano, ‘Aiju-dayori II’
……………………………………………… Koichi Okada (162)
Report of the 47th JAM National Conference
The 47th JAM National Conference Report ………………………… Naomi Yanagisawa (167)
Some Thoughts after the National Conference ………………………… Ryoko Matsumoto (169)
Workshop Report………………………………………………………………… Kazue Chiba (171)
Report from Local Chapters ……………………………………………………………… (175)
Report from Training Courses …………………………………………………………… (188)
Report from the Office of JAM ………………………………………… Hiromi Suzuki (197)
English Resumes ………………………………………………………Franz-Josef Mohr SJ (207)
Afterword ……………………………………………………………………… Satoshi Seki (225)
JAPAN ASSOCIATION MONTESSORI