J apanese tex t 2012年 春/夏号 日本語編 水の舞台から飛び降りたつもりで、スキューバダイビングに インタビュー 初挑戦したのだ。「水に入る前は吐き気を催すほど怖かった アーティスト・インタビュー けど、いったん中に入ると、徐々に恐怖心がおさまって、本 当にすばらしい気分になりました」 。自らを解放するこの経 験は、想像力をさらに刺激した。「水の流れを体験したこと Yuki Kasahara で、今度は動くイメージ、たとえばアニメーションに挑戦し ―恐怖感から生まれた絵画 たいと思っています」 。 撮影=藤本賢一 取材・文=ルーシー・バーミンガム 翻訳=竹林正子 ニューヨークでの長年のアーティスト活動を通じて、新た p.119 なことに挑戦する自信と自由を得た。日本と違いニューヨー アーティストはどこからインスピレーションを得るのだろう クでは、年齢が不利な条件にならないと感じている。「ニュー か?画家、Yuki Kasahara さんの場合、恐怖感と向き合い、 ヨークでは、あらゆる年代の人がアートを学びに学校に行く それを癒す答えを追求することが、作品を生み出している。 んです。何歳であっても、アーティストとして成功できる。 「私の絵は、自分の中の恐怖感や、夜に見た夢、子ども時 日本では難しいことですけどね」。競争が非常に厳しいとい 代の思い出から生まれるのですが、どうしてそうなるのか、 われるメイン州のスカウヒーガン絵画彫刻学校のアーティス 自分でも必死に考えてるんです」。 ト・イン・レジデンス(*アーティストをある土地に招聘し、 このベテラン画家の心象風景の主な源泉は、1960 年代 そこに滞在しながら作品制作をさせる事業)に 3 人目の日 の子ども時代の思い出だという。なかでも、いまだに意味 本人として Kasahara さんが選ばれたのは、40 歳のときだっ 深で理解しがたいイメージがあるそうだ。「子どもの頃、家 た。 族と海に行ったとき、私は父がいなくなったと思って、パニッ 2001 年にニューヨークに渡ってから、自国の文化を以前 クになったんです。宇宙人に誘拐されて、もう帰って来ない より深く理解し評価するようになった。「日本人としてのアイ んだと。父は海に泳ぎに行っただけだと母に説明されても、 デンティティをより強く感じています」と語る。 父が戻ってきたあとも、これは本物の父ではないのかもしれ 多くの日本人画家と同様に、彼女にとっても自然は本質的 ないという疑念を、2 年くらい抱いていました」 。後に、こ なテーマである。「政治的な意図はないけど、環境やエコロ れは自我のめざめだったのかと思ったが、この経験から ジーの重要性を表現したい」 。Kasahara さんの絵画様式は、 Kasahara さんは深海に魅了されると同時に、恐怖を抱くこと 日本と西洋の情緒を混ぜ合わせたものといえる。明るく色彩 となった。水中をテーマに、スキューバダイバーを配した絵 に富んだ西洋的感覚を備えながら、はっきりとした境界線で 画やスケッチのシリーズ作品を描きながら、この恐怖心を探 物語の場面を分割するかのような画面構成は、伝統的な大 求し続けている。「おそらく、子どもの頃、大好きだった数々 和絵に似ていなくもない。Kasahara さんが描くイメージは、 の SF 映画の影響も受けているんでしょうね」。 心の中をのぞく手がかりでありながら、鑑賞者が自らの物語 また、滑らかな第二の皮膚ともいうべきウェットスーツに を生み出すよう誘ってもくれる。 も惹きつけられているという。「ウェットスーツは人体の美し 「私の絵が、見る人にエネルギーと希望を与えてくれたらと さを見せるだけではなく、人体を保護してもいるんです」。 思っています。恐怖もいとわず、年齢も気にせず、新たな この視覚的メタファーのおかげで、水というテーマを掘り下 ことに挑戦しようというエネルギー。そして未来への希望、 げて探求することができ、また結果的に出発点である水へ この美しい世界を持続させようという希望を」。 の恐怖と向き合うことができたと感じている。去年の夏、清 Copyright - Sekai Bunka Publishing Inc. All rights reserved. Reproduction in whole or in part without permission is prohibited. Spring / Summer 2013 Vol. 31[ アーティスト・インタビュー ] 1 ワンダーランド―水中の宝石 でのスケジュールが埋まっていた。 3 月 14 日∼ 30 日 新妻さんの舞台デビューは、2003 年の日本版『レ・ミゼ べーネユナイテッド銀座サロン ラブル』のエポニーヌ役だった。しかし、彼女の歌と演技 東京都中央区銀座 3-12-11-6F が大躍進を遂げたのは、2004 年に日本版『ミス・サイゴン』 bene-bene.com のキム役を演じたときだろう。「このとき、ミュージカルに心 を奪われたんです。運命的なものを感じました」 。蝶々夫人 をもとにしたこの物語は、ベトナム戦争を舞台としているが、 新妻聖子 第二幕の舞台はバンコクに移る。新妻さんは、11 歳から 17 ―小さいけれど大出力 撮影=近藤誠司 ヘアメイク=フクマリエ スタイリング=吉田実穂 取材・文=ルーシー・バーミンガム 翻訳=竹林正子 p.120 歳まで家族と暮らしたバンコクで、父親が米兵と思われるベ トナム人のハーフの子どもたちと出会ったという。「だから、 物語の背景やキムの役柄をリアルに感じられたんです」。 新妻聖子さんは身長 156cm、体重 42kg と小柄ながら、フ バンコクのインターナショナル・スクールで過ごした時期 ランス系カナダ人の大歌手、セリーヌ・ディオンに匹敵する に、歌うことが大好きな両親と、その驚異的な声帯のおか 声域とパワーの持ち主。いわば 小さなセリーヌ・ディオン げで、才能は形づくられていった。意外なことだが、歌や演 だ。その上、役者でもある。その演技力もたいしたものだ。 「家 技の正式なトレーニングを受けたことはないという。「週末 族とバンコクに住んでいた 17 歳のとき、映画『タイタニック』 になると、両親と姉と一緒にカラオケに行って、7 時間ほど を見に行って、セリーヌの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・ 歌いまくりました」と彼女は言う。「両親が、バンコクでの オン』を聴いたんです。その曲を聴いて泣いてしまって、セ 経験と、声帯という 楽器 を授けてくれたんです。」 リーヌみたいな歌手になりたいと強く思ったんです」 。 また、忙しいスケジュールの中でも流暢な英語力を維持 現在 32 歳の新妻は、日本のトップクラスの歌手/女優と してきた。バンコクでは日本語能力を維持するため、日本 して、ミュージカルや映画、ソロ公演、テレビのテーマ曲、 文学の名作を読んでいたという。「大学受験のために帰国し CD などで賞賛を浴びている。「はっとするほど美しくて、驚 たら、同世代の若い人よりクラシックな日本語をしゃべって くほど努力家よ」と、東京を中心に活躍するディレクター/ いたので、驚きました」。これは、帰国後のカルチャーショッ プロデューサーのデボラ・デスノーは言う。「彼女の目はい クの中で奮闘していた新妻さんが直面した数々の驚きのひと ろんな感情を引き出すの。そういう女優は、日本にはあまり つだった。社交的で、物怖じしない彼女の率直な話し方は、 いないわね」。であるならば、国際派の経歴とメガ級の才能 最初は無礼だと受け止められたという。「日本人は思ってい を持つ新妻さんが、どうして海外ではほとんど無名なのかが ることを口にしないから」と、冷静に語る。 気になるところだ。 上智大学で国際関係法を専攻した新妻さんには、弁護士 実はそのチャンスはあったものの、運命が新妻さんを日 か政治家になりたいという大きな夢があった。国会で、イン 本にとどめていたようだ。「演出家のジョン・ケアードからブ ターンとしてひと夏を過ごしたほどだ。「すごく正義感が強 ロードウェイでの『レ・ミゼラブル』出演の誘いがあったの いので……なんらかの形で社会に貢献したいという気持ち ですが、就労ビザがなくて渡米できなかったんです」。2005 がずっとありました」。プラン・ジャパン(*途上国の子ども 年にはプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュから、 たちと地域開発を進める国際 NGO)、テーブルフォーツー(* イギリスでの『ミス・サイゴン』のキム役のオファーがあっ 途上国の子どもたちと食を分かち合う活動をする団体) 、国 たが、公演は 1 年半に及ぶもので、すでにその期間、日本 境なき医師団、捨てられた犬や猫を助けるリトルボートと Spring / Summer 2013 Vol. 31[ アーティスト・インタビュー ] 2 いった非営利団体でボランティア活動もしている。さらに、 まで行ったそうだ。小さいが大きな出力を持つ新妻さんは、 料金が高いために自分の舞台を見られない人がたくさんい 彼女のアイドルであるセリーヌにも大きな印象を残したこと ることも気にしている。「劇場のチケットは高いので、CD や は間違いない。どんな人にも、行く先々でいつも大きな印 映画やテレビの仕事を通じて、そういうファンの方々に接し 象を残しているのだから。 ていきたいと思っています」。 ほぼ 3 時間に及ぶ新妻さんのコンサートは、観客にとっ て極上の楽しみだ。ポップス、ジャズ、ミュージカル、オペラ、 さらにはプロのソングライターである姉のオリジナル曲ま で、その豪華なレパートリーを通じて、エネルギーを与えて ミュージカル『トゥモロー・モーニング』 www.tohostage.com/tomorrow/ 4 月 18 日∼ 24 日 シアタークリエ 東京都千代田区有楽町 1-2-1 くれる。親しみやすい魅力の持ち主である新妻さんは、ユー www.tohostage.com/theatre_crea/ モアあふれる率直な姿勢で、客席と自然に心を通わせる。 4 月 26 日∼ 27 日 ある公演では、セットした髪が緩んで髪飾りの花が落ちそう 中日劇場 になった際、スタイリストをステージに呼んで直してもらい、 愛知県名古屋市中区栄 4-1-1-9F ぎくしゃくしそうな場面を優雅に回避したこともある。 www.chunichi-theatre.com 心地よい客席との交流、そして歌と演技の才能は、第二 次世界大戦後の日本人に勇気と感動を与えた美空ひばり型 エンターテイナーへの回帰ともいえる。「私は美空ひばりさ んのスタイルを復活させたいんです」と言う。美空ひばりさ んはその貧しかった生い立ちも大衆の共感を呼んだ。「川の 流れのように」などの大ヒット曲は、永遠に多くの日本人の 心に刻まれている。 「 逸話 と大ヒット曲が、スターの条件でしょう?私もヒット 曲を出そうと頑張っているところです。それが、海外での成 功の近道にもなるし」。作曲家とのコラボレーションで道が 開けないかと考える新妻さんは、「デヴィッド・フォスターさ んと仕事をしたい」と打ち明ける。「それから、坂本龍一さ んとも」 。もしかしたら、カーネギー・ホール公演という夢 の実現に、セリーヌ・ディオンも手を貸してくれるかもしれ ない。 「初めてセリーヌの公演を見たのが、東京ドームの最前列 だったんです。ショーが終わって舞台を去ろうとする彼女に、 『セリーヌ、愛してる!』と大声で叫んだら、聞こえたようで、 彼女が立ち止まったんです。そして、振り返って私のところ まで握手しに来てくれて。感激でした」。 今年の初めも、ディオンさんの公演を見るためラスベガス Spring / Summer 2013 Vol. 31[ アーティスト・インタビュー ] 3
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