濃度評価指標 - 大気環境学会

-改善されない光化学大気汚染問題に我々はどのように対応するか-
濃度評価指標-植物への影響,生態系への影響を対象として
(財)電力中央研究所 河野吉久
1. 光化学オキシダントによる植物被害
光化学オキシダント(オゾン)による最も身近な植物被害としてアサガオの葉の壊死斑,ホウレンソウの
葉の白色斑などがある。これらは比較的高濃度のオゾンに遭遇した際に発現する典型的な急性症状であ
る。光化学オキシダント注意報が発令されるような場合には,これまでの知見により,指標植物とされてい
る植物に可視障害が発現するなどにより影響の程度,範囲を推定することは可能と考えられる。しかし,
可視障害などが発現するほどの濃度レベルではなくても,それが長時間継続した場合には,葉の老化の
促進や成長の抑制,収量の低下などの不可視障害が発現する。こちらは,栽培シーズンが終わり,モニ
タリングデータと植物側のデータを突き合わせたり,清浄空気区で栽培したものと比較してみなければ外
見に特に目立った異常はみられないことが多いため,慢性影響の程度を判別できない場合が多い。
平地におけるオゾン濃度の日変化パターンは,日中に濃度が高く夜間から夜明けに濃度が低下する。
一方,標高の高い山間地での観測結果によれば,日変化パターンはあるものの平地ほど濃度差が大きく
なく,山間地ではベースラインの濃度が高く,全般的にオゾンの暴露量は平地よりも多い傾向にある。ま
た,植物の葉が重なっていると太陽光に当たっている上側にある葉には可視障害が発現するが,日陰に
なった部分には可視障害の発現が見られず,可視障害の発現には光が必要であることが指摘されている。
一方で,樹木の成長量は昼間だけのオゾン暴露よりも 24 時間暴露の方が成長抑制は大きく,夜間のオゾ
ン暴露も影響するとの報告もある(Matyssek et al., 1995)。
2. 大気環境基準
欧州では 1992 年にオゾンの暫定クリティカルレベルとして 25ppb(7 時間平均値;9:00-16:00)が提言さ
れたが(Ashmore & Wilson, 1993),ほとんどの地域がこれを超えるとして見直しが行われ,1997 年に
作物や草地については 5 月~7 月の 3 ヶ月間の AOT40(40ppb を超えた部分の積算値;図-1)として 3ppmh,
森林については 10ppmh が暫定値として設定された
もとに算出されるが,植物の障害発現にはオゾンを吸
収することが前提になる。土壌水分が豊富で湿度が高
いと気孔は開き,乾燥すると気孔は閉じることから VPD
(Vapor Pressure Deficit)を指標にして,VPD の大小で
AOT40 が設定されるようになった。AOT40 は濃度デー
Ozone concentration (ppb)
140
(Fuhrer et al. 1997)。AOT40 は,オゾンの 1 時間値を
120
100
40ppb以上の積算ドース
80
(濃度 x 時間)
60
AOT40
40
(Accumulated
exposure Over a
Threshold of 40ppb)
20
0
0 4 8 12 16 20 0 4 8 12 16 20 0 4 8 12 16 20
Hour of day
タを基にして計算で求められるため,シンプルではあ
るが,オゾンの吸収量を反映していないため,最近は
図-1 AOT40 の算出方法
AOT40 に代わり,オゾンフラックをスベースにしたクリ
ティカルレベルの検討が行われるようになった(ICP Vegetation,2010)。
欧州の動向とは一線を画して米国では濃度ベースでの基準が議論されている。2007 年 7 月の EPA に
よる基準の見直しにより,primary standard はそれまでの 8 時間値(0.08ppm)から,8 時間値の最大値が
年間で 4 番目に高い値が 3 年間平均で 0.075ppmを超えないこと,また,secondary standard として日中
1
12 時間の W126(図-2 参照)を求め,その 3 ヶ月間
W126=O3×1/[1+4403×exp(-126×O3)]
の積算値が 3 年間平均で 7-20ppmh を超えないこと
が提言された(EPA, 2007)。最終的に secondary
standard は primary standard と同じ値となった(EPA,
2008)が,EPA は本年 1 月に,primary standard とし
て 8 時間値を 0.060-0.070ppm に,また secondary
standard として W126 を 7-15ppmh に強化した見直
し案を再提案した(EPA, 2010)。
日本では人の健康の保護及び生活環境の保全
のうえで維持されることが望ましい基準(環境
図-2 W126 算出方法
上式にオゾンの 1 時間値(ppm)を代入することで
W126 が算出される。図中の□は W126 の場合,+
は W95 の重みづけ関数曲線を示す。W は重みづ
け(Weighted)を表し,4403 と 126 は任意の正の
定 数 。 W126 で は 0.04ppm 以 下 は小さ め に ,
0.065ppm から重みづけが大きくになるようにし
て,0.10ppm 以上は 1 となる。(Lefohn, et al.,
1988; EPA, 2007)
基準)として光化学オキシダントについては,1 時
間値が 0.06ppm(60ppb)を超えないこととされてい
る。環境基準は,現に得られる限りの科学的知見
を基礎として定められているものであり,常に
新しい科学的知見の収集に努め,適切な科学的
判断が加えられていかなければならない,と規
定されている(環境基本法第三節環境基準第十
六条)。平成 21 年度の環境白書によれば,光化学オキシダントの環境基準達成状況は全測定局の
0.2%で,依然として極めて低い水準にある(環境省,2009)。越境大気汚染の影響の問題が顕在化する
中で,わが国も光化学オキシダントの環境基準の見直しとそのモニタリング手法の検討や評価方法が検
討され始めたところである。
3 オゾンの暴露指標とクリティカルレベル
米国や欧州では,野外に成育する植物を対象に広域にわたる可視障害調査や樹木の活力調査が定
期的に実施されているが,最近のわが国では,これに類似した調査は一部の自治体を除き,ほとんど実
施されていない。昭和 50 年代に関東の自治体が連携して実施してきたアサガオ調査時代には二酸化硫
黄のベースラインが比較的高かったことからオゾンとの複合影響が反映されていたことが推察される。しか
し,最近は二酸化硫黄の影響はほぼ無視できる状況になっていることから光化学オキシダント(オゾン)の
単独影響を再評価すべき時期にきていると考える。
植物のオゾン感受性を評価する指標として,1)可視障害の発現の有無あるいはその程度を指標にする,
2)対照と比較してどの程度成長が抑制されたのかを指標に評価する,3)収量の減収程度を指標に評価
するなどの例が考えられる。農作物の中でも葉菜類は,葉に可視障害が発現すると,葉が枯れあがり外
観上から市場価格が低下するため,結果的に収量が低下することになる。一方,穀類や根菜類などでは
葉に可視障害が発現しても収量が低下しないものもあることから,植物側の評価対象項目は種によっても,
成育段階のいつの時期を対象とするかによっても変わる。このため,地理的に特定の範囲を対象にして
影響評価を行う場合には事前に何を対象にしてどのような指標で評価を行うのかを十分議論する必要が
ある。
一方,オゾン側の暴露指標も濃度と吸収量をベースにした考え方がある。いずれの方式をとるのがベス
トあるいはベターかという議論をする前に,影響が発現する濃度,条件といった基本的に必要となる確か
2
な情報があるのかどうかといったことが重要である。高濃度短期暴露による可視障害の発現に関連したチ
ャンバー実験を除くと,常時変動しているオゾン濃度とその他の環境条件との組み合わせの中で経験的
な情報はあったとしても,誰でもどこでもオゾンの影響を再現できる信頼できる条件は意外と解明されてい
ない。
表-1 暴露実験結果から算出した樹種別の
オゾンのクリティカルレベル(河野,2006)
表-1は日本の森林を構
成する主要な樹種を対象
に 2 年間の暴露実験結果
をもとに AOT40 を算出した
樹種
(km 2 )
(%)
針葉樹
スギ・ヒノキ
スギ
ヒノキ
アカマツ
カラマツ
クロマツ
59,562
23.2
イプ別にみると感受性とさ
れる種の成長が 10%低下
AOT40
は 概 ね
17ppmh である。この数値を
基準にして 1 割程度の不確
実性を見込んで安全側に
クリティカルレベルを設定
すると過程すれば,日本の
森林全体に
占める割合
タイプ
結果である。それぞれのタ
す る
分布面積
落葉広葉樹 コナラ
ブナ
ミズナラ
シラカンバ
常緑広葉樹 シイ・カシ類
マテバシイ
シラカシ
スダジイ
O3
感受性
クリティカルレベル
AOT40 (ppm・h)
31,670
12,408
2,554
12.3
4.8
1.0
低
低
高
高
低
29,252
23,475
12,286
1,585
11.4
9.1
4.8
0.6
中
高
低
中
31.9
16.7
49.3
29.2
8,420
3.3
低
中
高
52.2
26.3
15.8
1,688
0.7
51.7
100<
16.3
17.0
62.0
AOT40: 4月~9月(6ヶ月間)における日照時(50W/m 2 以上)の積算値
クリティカルレベル: 成長が10%低下する値
森林植生に対するクリティ
カルレベルは AOT40 として 20ppmh が暫定値案として提案できる(河野,2006)。ここでは種間差異に着
目してクリティカルレベルを検討したが,同一種であっても遺伝的な系統や品種によっても種間差と同様
に大きな差異があることにも注意する必要がある(図-3)。図に示した水稲 5 品種の中では IR36 の傾きが
他の品種の約 2 倍であることから最もオゾンの影響を受けやすい品種であることが推察される。
2 項で記したように,米国では
W126 を用いた評価を採用する方向
16.0 にある。オゾン感受性のイネ品種を
14.0 対象に代表的なオゾン暴露指標と収
12.0 量との関係について検討した結果を
表-2 に示した。
ここで示した W126 は,AOT や
SUM 方 式 と 単 に 比 較 す る た め に
AOT と同様に算出したもので,EPA
が規定している方法で算出した数値
タカナリ
y = ‐0.0442x + 15.018
R² = 0.6706
個
体
当 10.0 た
り
の
8.0 精
籾
6.0 重
量
g
4.0 きらら397
y = ‐0.0317x + 12.303
R² = 0.6867
IR 36
y = ‐0.0649x + 11.789
R² = 0.9966
Kasalath
y = ‐0.0375x + 10.299
R² = 0.9853
LX
2.0 y = ‐0.0263x + 7.5904
R² = 0.9994
0.0 0
10
で比較したものではない。しかし,こ
の結果から,収量と相関が最も高い
暴露指標は日中の 12 時間平均値で
20
30
40
50
60
日平 均オゾン濃 度( ppb)
図-3 暴露試験期間中の日平均オゾン濃度とオゾン感受性水
稲品種の精籾収量との関係(河野,2009)
あり,平均濃度×時間数である
AOT0 であったことから,クリティカルレベルを算出・検討する際には複雑な計算をしなくて済む平均濃度
あるいは濃度×時間数で示される暴露量を用いれば良いと考える。
3
これまで,濃度をベースにした記
述をしてきた。ここ数年来,欧州
を中心に検討が進められている
フラックスベースの議論や濃度を
基準にした議論のどちらも,気孔
から取り込まれたオゾンの量に応
じて影響が発現することを前提
にしている。すなわち,可視障害
表-2 水稲品種“きらら 397”の収量とオゾン暴露指標との関係
Index
Mean
AOT 0 = SUM 00
AOT 20
AOT 30
AOT 40
SUM 60
W126
24h
0.783
0.774
0.749
0.722
0.680
0.612
0.629
15h
0.794
0.786
0.775
0.744
0.693
0.615
0.634
12h
0.797
0.788
0.780
0.753
0.701
0.617
0.638
8h
0.793
0.786
0.785
0.756
0.711
0.628
0.649
定植日から出穂日までの期間を対象に算出. 数値は R2 を示す.
15h: 05:00~19:59,12h: 06:00~17:59, 8h: 08:00~15:59
河野(2009)
の発現しやすい種や品種・系統
120 Relative top weight (% of CF)
は成長や収量も影響を受けるという前提に立って
いる。最近の水稲を対象にした暴露試験結果に
よると,可視害の発現程度と収量や地上部重量と
の関係はあまり明確ではないことが明らかになっ
てきた(図-4,Sawada & Kohno, 2009)。これらの
100 80 Sensitive
60 IR 74
40 RIL 46
RIL 76
20 Toleralnt / Enhanced ascorbic acid level
Very sensitive / Low ascorbic acid level
and Low activity of antioxidant enzyme
0 結果によれば,可視害発現をもとに解明されてき
0 20 40 60 80 100 120 Daytime Mean O 3 (12h, ppb)
た影響発現メカニズムがどこまで慢性影響にも適
用できるのか考える必要がある。また,濃度ベー
図-4 アスコルビン酸含量を異にする水稲に対す
るオゾン暴露の影響(河野,未発表)
感受性は可視障害発現の程度を指標にしたもの
スであれフラックスベースであれ,群落上層と群
落内のオゾンの濃度差分はすべて植物が吸収し
たものとみなしているが,吸収,吸着,分解の割合を解明する必要があるのではないかと考える。さらに,
オゾンの解毒機構あるいは解毒機構を支配する遺伝子の役割が解明された場合,反応をどのように影響
評価モデルに構築できるかなど,課題は山積み状態である。どんなに分子生物学的な解析が発展したと
しても,議論の基礎となる長期暴露試験結果の地道な蓄積が必要であることに疑問の余地はない。
参考文献
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prepared for the United Nations Economic Commission for Europe. Workshop on critical levels. March
23-26, 1992., Egham, U. K.
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EPA (2008) National Ambient Air Quality Standards for ozone, Final rule. Federal Register 73(60):16436-16514.
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75(11):2938-3052.
Fuhrer et al. (1997) Critical levels for ozone effects on vegetation in Europe. Environ. Pollut. 97(1-2):91-106.
ICP Vegetation (2010) Final minutes of 23rd ICP Vegetation Task Force Meeting, Feb. 2-4, Tervuren, Belgium.
Lefohn et al. (1988) A comparison of indices that describe the relationship between exposure to ozone and
reduction in the yield of agricultural crops. Atmos. Environ. 22(6):1229-1240.
Matyssek et al.(1995) Nighttime exposure to ozone reduces whole-plant production in Betula pendula. Tree
Physiol. 15:159-165.
Sawada,H., and Y. Kohno (2009) Differential ozone sensitivity of rice cultivars as indicated by visible injury
and grain yield. Plant Biology, 11(suppl.1):70-75.
河野 (2006) C-7 東アジアにおける酸性・酸化性物質の植生影響評価とクリティカルベル構築に関する研究
(平成 15-17 年度) 環境省地球環境研究総合推進費終了研究成果報告書.
河野(2009) A-0806 気温とオゾン濃度上昇が水稲の生産性におよぼす複合影響評価と適応方策に関する
研究,環境省地球環境研究総合推進費平成 20 年度中間成果報告書.
本報告は,環境省地球環境研究総合推進費課題 C-7(平成 15-17 年度)および A-0806(平成 20-21 年度)
成果の一部を中心にしてとりまとめたものである。
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