オペラからドラマへ - ヴェルディの中期の三大傑作における革新性 Tsuneo Obata I 19 世紀のイタリア・オペラの変化 ロッシーニ(1792-1868) ベッリーニ(1801-1835) ドニゼッティ(1797-1848) ヴェルディ(1813-1901) 18 世紀的なオペラ・ブッファからの脱皮。装飾歌唱の美。 メロディによるロマン主義的感情表現。レトリックからの解放。 劇的な状況の設定と表現、リアリズムの追求。 同時代性の重視。ベッリーニ、ドニゼッティの路線を踏襲し「音楽とドラマ の融合」を達成。 II ヴェルディのオペラと物語の原作 題名 初演年 ドラマの原作者 原作の国籍 1 《オベルト サンボニファーチョ伯爵》 1839 不明 2 《一日だけの王様》 1840 デュヴァル 仏 3 《ナブコドノゾール》 1842 アセニ = ブルジョワ&コルニ 仏 4 《第一次十字軍のロンバルド人》 1843 T.グロッシ 5 《エルナーニ》 1844 ユーゴー 6 《二人のフォスカリ》 1844 バイロン 7 《ジョヴァンナ・ダルコ》 1845 シラー 8 《アルツィラ》 1845 ヴォルテール 9 《アッティラ》 1846 ヴェルナー 10 《マクベス》 1847 シェイクスピア 11 《群盗》 1847 シラー 12 《海賊》 1848 バイロン 13 《レニャーノの戦い》 1849 メリ 14 《ルイーザ・ミッレル》 1849 シラー 15 《スティッフェーリオ》 1850 スーヴェストル&ブルジョア 仏 16 《リゴレット》 1851 ユーゴー 仏 17 《イル・トロヴァトーレ》 1853 G.グティエレス 18 《ラ・トラヴィアータ》(椿姫) 1853 A. デュマ・フィス 仏 19 《シチリア島の晩鐘》 1855 スクリーブ 仏 20 《シモン・ボッカネグラ》 1857 G.グティエレス 21 《仮面舞踏会》 1859 スクリーブ 22 《運命の力》 1862 デ・サーヴェドラ&シラー 独 23 《ドン・カルロス》 1867 シラー 独 24 《アイーダ》 1871 デュ・ロークル 25 《オテッロ》 1887 シェイクスピア 英 26 《ファルスタッフ》 1893 シェイクスピア 英 1 伊 伊 仏 英 独 仏 独 英 独 英 仏 独 西 西 仏 西 仏 III 中期の三大傑作の特色 (革新性と大衆性と...) ①題材の異常性 題材はもはや教訓ではない。ロマン主義時代にふさわしく、異常な状況における人間のあふれ出る情熱 や心理を描いた果てにカタルシスが来る。イタリア文学は未発達であり、フランスのドラマから大きな影 響を受ける。高貴で崇高な精神活動に限らず、あらゆる人間の精神活動(愛、欲望など)に音楽のエネル ギーを求める。 《リゴレット》 - せむしの道化 《イル・トロヴァトーレ》 - ジプシーの老婆 《ラ・トラヴィアータ》 - 高級娼婦(同時代) テーマ 呪いと復讐 テーマ 世代を超えた復讐 テーマ 自己犠牲 ②登場人物の強烈な個性 《リゴレット》 リゴレット - 道化、社会への憎悪、悪人、父性愛 ジルダ - 善、純粋、愛の目覚め、自己犠牲 公爵 - 絶対君主、放蕩者、楽天的 《イル・トロヴァトーレ》 アズチェーナ - ジプシーの老婆、呪い、母性愛 マンリーコ - 勇者、孤独、厭世的 伯爵 - 強い嫉妬、 レオノーラ - 強い愛、自己犠牲 《ラ・トラヴィアータ》 ヴィオレッタ - 娼婦、愛の目覚め、自己犠牲 アルフレード - 盲目の恋、激情 ジェルモン - 家族への愛、利己的、社会通念の象徴 ③ドラマの明快さ(ヴェルディ流の三角関係) テノール 《リゴレット》 《イル・トロヴァトーレ》 《ラ・トラヴィアータ》 ソプラノ 公爵 マンリーコ(弟) アルフレード(息子) ジルダ(娘) レオノーラ ヴィオレッタ バリトン リゴレット(父) ルーナ伯爵(兄) ジェルモン(父) ④形式の打破 ・ 「シェーナ → カンタービレ → 経過部 → カバレッタ」のような形はまだ残っているが、それはドラマの必然性がある ところに限られる。例えば《リゴレット》ではジルダのアリア「慕わしい人の名は」にはカバレッタがなく、コーダ で男声合唱がからむ。第2幕の父娘の二重唱にはカバレッタがあるが、この激しいカバレッタはドラマ展開の要に なっている。 《ラ・トラヴィアータ》第1幕フィナーレにある典型的な大アリア「ああ、それはあの人なのかしら Ah forse lui」にもゆるぎない劇的必然性がある。 ・シェーナを積極的に拡大し、歌の部分以上の表現力を持たせる。そのために、シェーナや経過部と曲の部分との境目 が明瞭でなくなる。《リゴレット》の朗唱「おれたちは同じだ Pari siamo」や、《ラ・トラヴィアータ》の「アルフ レード、私を愛してね Amami Alfredo」が生み出す表現の幅の広さや感情の豊かさは1曲のアリアに匹敵する。 ・オーケストラの他にバンダや舞台上の弦楽合奏などを利用し、立体的な音楽世界を生み出す。典型的な例は《リゴ レット》の導入曲。《ラ・トラヴィアータ》の奥から聞こえるワルツの効果。 ・ 《ラ・トラヴィアータ》第2幕のソプラノ・バリトンの二重唱は長大で、曲調が自由に次々に変化する。その間、一つ の感情が歌われるのではなく、ドラマは会話のように進行する。(後の《オテッロ》やヴェリズモ・オペラの手法の 芽生え) 2 IV ヴェルディ語録 《リゴレット》 […]公爵は絶対に放蕩者であるべきです。そうでなければ、娘が隠れ家から外出することをトリボレット がなぜあれほど恐れるのか説明がつきません。そうでなければ、この物語は成り立ちません。公爵はどう して最終幕で、一人で遠い居酒屋に行くのでしょう。招待されたわけでもなく、愛人と待ち合わせるわけ でもないのに? 袋を除外した理由がわかりません。袋が警察にどんな差し障りがあったというのでしょ う? 効果があるかどうか心配だと? しかし言わせていただきますが、なぜ私以上に彼らはそんなこと を知りたがるのでしょうか。誰にマエストロの役ができるのでしょう。誰にこれには効果があるがあれに はないと言えるのでしょうか。 […]袋をやめてしまうと、トリボレットが死体に向かって、稲妻がそれが 自分の娘だとわかるまで半時間もしゃべることはできなくなります。さらにはトリボレットが醜いせむし ではなくされてしまいました!! いったいどんな理由で? せむしが歌うなんてと誰かが言うのでしょ う! なぜいけないのです? 効果はあるのかと? わかりません。でも私にわからないのですから、繰 り返しますが、この変更を命じた人間にだってわかるわけがありません。外観はかたわでちっぽけでも、 内面は情熱的で愛にあふれているこの人物を舞台に乗せることが、私には本当に素晴らしいことに思えま す。私はまさにこの人物のあらゆる資質とその独特の風貌ゆえに、この題材を選んだのです。もしその特 色を除かれてしまったらもう音楽を付けられません。こちらの物語にも同じ音符を付けられるではないか と言われても、そんな理屈は理解できないと申し上げます。率直に申し上げますと、美しい音楽も醜い音 楽も、私はそれを漫然と書いているのではなく、そこにひとつの性格を与えようとしているのです。要す るに、独創的で力強い物語が、ありきたりの、熱のないものになってしまったのです。 [1850 年 12 月 6 日、フェニーチェ劇場総裁マルザーリ宛の手紙] […]長い経験のおかげで、劇場における効果について私がいつも考えてきたことは確かなもになっていま す。もっとも初期には勇気がなくてそれを部分的にしか明らかにできませんでした。 (例えば 10 年前の私 なら《リゴレット》を作曲するようなリスクは冒さなかったでしょう。) わが国のオペラにはひどく単調 であるという欠点があります。今なら私は《ナブッコ》や《フォスカリ》といった類いの題材でオペラを書 くことを断るでしょう。非常に興味深い場面はあっても、多様性がないのです。心にふれる琴線があって も一本だけ。それが素晴らしいものであっても、いつも同じなのです。 […]私が今までに作曲したなかで は、劇的効果の点からみて最良の題材は《リゴレット》だと思います。そこには快活でもあり悲劇的でもあ るじつに多様な状況があります。すべての事件が軽やかな放蕩者である公爵という人物から生まれる̶̶ リゴレットの恐怖も、ジルダの情熱も、すべてがそこから生まれ、素晴らしく劇的な多くの場面を作り出 すのです。その一つが四重唱ですが、劇的効果からみれば、あれはイタリア・オペラが誇る最高の場面の一 つであり続けるでしょう。 [1853 年 4 月 22 日、友人アントーニオ・ソンマ宛の手紙] 《イル・トロヴァトーレ》 […]もしこのドラマを気に入っているのであれば、私に理屈を言わないでください。これをあなたに提案 したのは、ここから素晴らしく効果的な場面を、とりわけ何か斬新で奇抜なものを見せてくれるような気 がしたからです。もし私の意見に納得できないなら、なぜ他の題材を提案しないのです?[…]曲の配分に ついては、音楽を付けられる詩を出してくれるのなら、どんな形式であろうとどんな配列であろうと、私 は構いません。むしろ斬新で奇妙であるものほど私は満足です。もしオペラのなかにカヴァティーナ、二 重唱、三重唱、合唱、フィナーレといったものがなくて、オペラ全体が(たとえて言えば)一つの曲でしか ないようであっても、私はそれが合理的で正しいと思うでしょう。そんなわけですから、もしこのオペラ の冒頭部分から合唱(すべてのオペラは合唱から始まるんですよね)とレオノーラのカヴァティーナを取 り去っていきなりトロヴァトーレの歌で始め、最初の 2 幕を1幕にまとめてしまえばいいんですよ。そう しないと、舞台転換付きでこんなにぶつ切れの小曲ばかりだと、オペラというよりコンサートで歌うアリ アみたいになってしまいます。 […] [1851 年4月 4 日、台本作者サルヴァトーレ・カンマラーノ宛の手紙] 3 《ラ・トラヴィアータ》 […]私がほしい台本は、斬新で、壮大で、立派で、変化があって、大胆なもの……形式が極限まで大胆で 新しく、それでいて音楽をつけやすいものなのです。もし、こう書いたのはロマーニやカンマラーノがこ う書いたからなんです、なんて言われてしまったら、私たちはもう理解し合えません。まさにあの偉大な 詩人たちがそう書いたからこそ、私は違うものを書いてほしいのです。ヴェネーツィアには『椿をもつ女』 を作曲します。題名はたぶん《トラヴィアータ》 [道を外れた女]になるでしょう。現代物です。他の人だっ たら衣装だとか、時代だとか、その他のごまんとあるくだらない心配事のせいで手を出さなかったでしょ う。でも私は大喜びでそれをやるのです。舞台にせむしを登場させると提案したら、みんな口々に反対し ました。それでも私は《リゴレット》を書いて幸せだったのです[…]。 [1853 年 1 月 1 日、友人デ・サンクティス宛の手紙] 《ラ・トラヴィアータ》は大失敗でした。もっと悪いことには、人が笑ったのです。しかし、どうしろとい うのです? 私は動揺していません。私が間違っているのか、それとも彼らが間違っているのか? 私は 《ラ・トラヴィアータ》の最終評価が昨日のものだとは思いません。彼らはまた見直すでしょう……そして どうなりますか! ともかく、親愛なるマリアーニさん、ひとまず失敗を喫したのですよ。 [1853 年 3 月 7 日、指揮者アンジェロ・マリアーニ宛の手紙] […]いくつかの理由でローマに行くつもりがありません。第一の理由は興行師がケチだからです。第2 の理由は検閲がドラマの意味を壊してしまったからです。《ラ・トラヴィアータ》を純真無垢にしてしまっ た。よくやってくれましたよ! すべての状況とすべての性格が損なわれました。娼婦は娼婦じゃなきゃ いけないんです。夜なのに太陽が輝いたらもうそこは夜ではありません。つまりなんにもわかっちゃいな いんです![…] [1854 年 2 月、友人ヴィンチェンツォ・ルッカルディ宛の手紙] […] 《ラ・トラヴィアータ》についてもう一言、書きます。あなたは第2幕が他の幕より弱いと思われるの ですね! それは間違いです。第2幕は第1幕よりよくできています。第3幕は他のどの幕よりよくでき ていますし、そうでなければなりません。ただ役柄にふさわしい 2 人の歌手で上演してほしいのです。そ うすれば、あなたが長いと感じる第2幕の二重唱が、じつは素晴らしく効果的であることがわかるでしょ う。内容的には私が書いたほかのあらゆる二重唱と同じようにすぐれ、形式と感情表現の面ではどれより もすぐれているのです! アンダンテの「プロヴァンスの海と陸」を歌える歌手であなたに聴いてもらったら、私がバリトンのため に書いた最高のカンタービレであることがわかるでしょうに! フィナーレの全部、とりわけ賭け事の場 面を私が演出できたら、おそらくあなたは考えを変えるでしょう。[…] [1855 年 2 月 17 日、友人チェーザレ・デ・サンクティス宛の手紙] V 推薦 DVD 《リゴレット》 シャイー指揮、ポネル演出、パヴァロッティ、グルベローヴァ、ヴィクセル他(映画版) ヴィオッティ指揮、ヌッチ、ムーラ他(アレーナ・ディ・ヴェローナ 2001) 《イル・トロヴァトーレ》 レヴァイン指揮、パヴァロッティ、マルトン他(メトロポリタン歌劇場 1988) 《ラ・トラヴィアータ》 レヴァイン指揮、ゼッフィレッリ演出、ストラータス、ドミンゴ他(映画版) カンパネッラ指揮、ディアツ演出、デヴィーア、フィリアノーティ他(ラ・ヴォーチェ 2006) 4
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