第43回 音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ ~絵画とともに聴く古楽

~絵画とともに聴く古楽
須田 純一 (銀座本店)
▲ヴィオラ・オルガニスタ
第43回 音楽家レオナルド・ダ・ヴィンチ
「L Amore Mi Fa Sollazar(愛が私を慰める)
∼レオナルド・ダ・ヴィンチが設計した
楽器によるルネサンス音楽コンサート」
エドゥアルド・パニアグア&ムシカ・アンティグア
■CD:PN 1320 輸入盤オープンプライス 〈PNEUMA〉
万能の天才 レオナルド・ダ・ヴィンチ。実は、
彼が最初は画家ではなく、音楽家として名が
通っていたということを以前、
この連載でも触
れたことがあります
(第15回 二人の天才)
。重
複しますが、少し触れておきますと、フィレン
ツェのロレンツォ・デ・メディチが「リラの名手」
としてレオナルドをミラノに派遣したとか、
「美
しい声で歌が上手」
という記述が残っているそ
うです。
レオナルドとミラノで交流を持っていた
当 代 随 一 の 数 学 者として知られるルカ・パ
チョーリも、自らの著作の中で、
レオナルドのこ
とを「最も優れた画家、遠近法家、建築家、音楽
家」
と称賛しています。現在では、画家や万能
の天才として語られることの多いレオナルドで
すが、その デビュー は音楽家だったようです。
レオナルドはミラノの宮廷でゴンザーガ家に
仕え、結婚式や祭礼、パーティなどの演出家と
してヨーロッパ中に名を馳せていきます。大が
かりな機械仕掛けの舞台を作ったり、
自動演奏
オルガンを作ったり、そこでの劇やコンサート
などの出し物の監督をしたりと八面六臂の活
躍を見せていました。
まさに宮廷パーティの総
監督のような存在だったのです。当時の権力者
にとって、宮廷で催される豪華で大規模なパー
ティは政治的にも非常に重要な意味を持って
いました。自らの権力を誇る、いわばステイタ
ス・シンボルのようなものだったのです。そうし
た意味で総合演出家として様々なアイディアを
持ち、自ら舞台デザインから大道具小道具の
設計まで手掛け、音楽家としても優秀だったと
いうレオナルドは、時の権力者たちにとってな
んとしてでも欲しい人材だったのかもしれませ
ん。
さて、
こうした舞台に用いるためか、はたまた
自らの興味のためか、
レオナルドは様々な楽器
を考案し、それを手稿にスケッチとして残して
います。
このスケッチを基に、
レオナルド考案の
楽器を復元し、その当時の音楽を奏でるという
興味深い企画のディスクが登場しました。それ
が『L Amore Mi Fa Sollazar(愛が私を慰める)
∼レオナルド・ダ・ヴィンチが設計した楽器によ
るルネサンス音楽コンサート』です。中世の音
楽、特に「聖母マリアのカンティガ」などの中世
スペインの音楽をアラブの要素も取り入れて
録音を続けているエドゥアルド・パニアグアと
そのグループのムシカ・アンティグアによる演
奏です。
今回掲載したレオナルドのスケッチによる楽
器は、
ここで復元されその音を聴くことができ
ます。例えば紙製のオルガンは、抱えて歩きな
がら演奏できるよう軽量化されたオルガンで、
押しても引いても空気が送り込めるような送風
装置が考案されていて、演奏しながら歌えるよ
うにパイプは顔を避けるように斜めに取り付け
られています。実に凝った構造とデザインの楽
器です。
またヴィオラ・オルガニスタはいわゆる
弓で弾く鍵盤楽器で、内部にヴァイオリンのよ
うに弦が張られていて、外側に付いたハンドル
を回すことによって、内部の弓(回転弓)が回転
し、鍵盤を押し込むことによってその弓が弦に
あたり音が出るという仕組みになっています。
民族楽器として有名なハーディーガーディに
似た楽器と言えるでしょう。
こうしたレオナルド
考案の楽器とともに、各種笛、
リュート、
ビウエ
ラ、打楽器、そしてレオナルドが得意としたとい
うリラ・ダ・ブラッチョなどにより、
レオナルドと
同時代の作曲家の作品が歌われ、奏でられて
います。
ムシカ・アンティグアのメンバーは様々
な古楽器や民族楽器を自在に操る名手たちば
かりで、その演奏も大変生き生きとしたもので
あり、
レオナルドが弾き、歌い、聴いていた音楽
が時代を超えて目の前に甦ってくるかのようで
す。
さて、音楽家としてのレオナルド・ダ・ヴィン
チが大変有名だったことは疑いようのない事
実ですが、現在ではそのことはあまり知られて
いません。もちろん音楽の演奏は、絵画や彫
刻、建築などと違って残るものではありません。
それゆえということもあると思いますが、
レオナ
ルド自身が他の作曲家のように自ら作曲した
音楽を形にしていなかった、すなわち楽譜に書
き残していなかったからでもあるでしょう。
この
事実はレオナルドが即興演奏の名手であった
ことを示しているのかもしれません。それにし
てもそれほど音楽家として名高かったのであ
れば、なにかしらその形跡のようにレオナルド
作曲の作品が残っていてもおかしくはないの
ではないでしょうか。
もしかするとレオナルドは
音楽家としての自分は、あくまで自分を売り込
むための手段でしかなく、本職は画家だと考え
ていたのかもしれません。
さて、前述の紙製のオルガンやヴィオラ・オ
ルガニスタのようにレオナルドは機械仕掛けの
楽器を好んでいたようですが、
これらが実際に
▲紙製のオルガン
(レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿より楽器のスケッチ)
作られ、奏でられたのかはわかりません。戦車
やヘリコプターのような機械のスケッチは実際
には作られなかったようですし、
レオナルドの
豊かな想像力の産物だったのかもしれません
が、レオナルドと交流があったかもしれない
ジョスカン・デ・プレが作曲したというジョスカ
ンのファンタジーをはじめ、
ここに収録された
歌や舞曲などの音楽を聴いていると、
スケッチ
に残っている楽器以外にも多くの楽器が考案
され、使用されていたのかもしれないと思えて
きます。
どうやらレオナルドは、音楽そのものよ
りも、機械としての楽器に強い興味を抱いてい
たような気がしてなりません。それが自らの音
楽を楽譜に書き残さなかった理由かもしれま
せん。
これは完全な私見ですが、レオナルド・ダ・
ヴィンチの真筆とされる絵画(実は「モナ・リ
ザ」など完成作、
またはそれに準ずる作品はわ
ずか数点に過ぎません)からはあまり音楽を感
じることができません。
あまりにも作品として完
成され過ぎているために、音楽が入る余地が
ないように思えるのです。ヴァザーリが残した
記述によると、
「モナ・リザ」を描いていた時、
レ
オナルドはモデルが退屈しないように楽師を
雇い、歌やリュートでモデルを楽しませていた
ということですが、
この記述は創作であり、あく
までも逸話に過ぎません。少なくともあの ほほ
笑み は音楽を聴いていたからだという安易な
ものではないと思います。音楽の存在さえ許さ
ない閉じられた完璧な世界、それがレオナルド
の絵画なのだと思います。
ですからレオナルド
にとっての音楽は、絵画ほど自らの思想や理念
を表現する媒体として重要ではなかったのか
もしれません。それでも想像してしまいます。
も
しレオナルドが絵画と同じくらい自己の思想や
理念を込めた曲を書き残していたのなら、
と。
レオナルドの手稿は現在残されているもの
だけでも膨大な量ですが、実際に書かれたで
あろう3分の1程度だそうですし、
もしかする
と失われた3分の2の中に音楽関連の記述や
スケッチがあったのかもしれません。
レオナル
ド作曲の音楽の楽譜が残っていたなんてこと
も絶対ないとは言い切れないでしょう。
レオナ
ルド・ダ・ヴィンチは500年後の現代の私たち
もリアルタイムでわくわくさせてくれる、そんな
存在なのかもしれません。