静脈血栓予防マニュアル

静脈血栓予防マニュアル
1.定義
2.肺血栓塞栓予防管理料について
3.発生因子
1)血流の停滞
2)血管内皮の障害
3)血液凝固能の亢進
4.リスクファクター
5.予防・実際
1)十分な水分補給
2)早期離床および積極的な運動
3)弾性ストッキング
4)間歇的空気圧迫装置
5)抗凝固療法
6)各種検査
資料
1)肺血栓塞栓症予防に関する診療計画書
2)身体拘束中の観察記録
3)弾性ストッキングの使用方法
4)弾性ストッキング(ファインサポート)のサイズ表
5)間歇的空気圧迫装置の使用方法
1.定義
・深部静脈血栓症(DVT:Deep Venous Thrombosis)
深部静脈(大腿静脈・膝窩静脈など、身体の深部にある静脈)に血栓がで
きた状態で、肺血栓塞栓症の主な原因。
・肺塞栓症(PE:Pulmonary Embolism)
塞栓子が静脈血流にのって肺動脈あるいはその分岐を閉塞し、肺循環障害
をきたした状態。
・肺梗塞症(PTE:Pulmonary Thromboembolism)
肺塞栓症の結果塞栓子によって末梢肺動脈が完全に閉塞し、肺組織の壊死
がおこった状態。
2.肺血栓塞栓症予防管理料について
診療報酬算定上、肺血栓塞栓症を発症する危険性が高く身体拘束が行わ
れている患者に対し、予防を目的として必要な機器や材料を用いて計画的
な医学管理を行った場合に、該当入院1回に限り算定する。(305点)
入院時リスクのある患者は、
「肺血栓塞栓症予防に関する診療計画書」を
作成する。該当しない患者は、カルテに計画書を保存しリスクが生じた時
に作成する。(資料1)
3.発生因子
何らかの要因により凝固系が働き、血管内で血栓が形成されると、線溶
系が作動して血栓を分解するように働く。このような凝固‐線溶系のバラ
ンスが崩れる状況になると、血栓形成が爆発的に促進される。血栓形成の
発生因子として、Virchow の三主徴(血流の停滞・血管内皮の障害・血液
凝固能の亢進)が挙げられる。
1)血流の停滞
長時間同一姿勢を続けることや下肢静脈瘤の存在(精神科領域では向精
神薬の投与による鎮静や身体拘束や昏迷状態など精神症状による無動)に
より血流が停滞すると、血小板からセロトニンが放出され血栓ができやす
くなる。
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2)血管内皮の障害
手術・留置カテーテル・外傷などによる直接的な障害、血液中の酸素飽
和度の低下、感染、栄養障害などがみられた場合、血管内皮に障害がおこ
る。血管内皮が障害されると血小板凝集がおこったり、内皮下組織から種々
の物質(サイトカイン等)が放出されたりして、血栓形成が始まる。
3)血液凝固能の亢進
血液凝固能が亢進する原因として、脱水・悪性腫瘍・手術・妊娠・心筋
梗塞・感染症などがある。また、先天性の凝固因子の異常である ATⅢ(ア
ンチトロンビンⅢ)欠損症、プロテイン C・プロテイン S 欠損症、後天性
の抗リン脂質抗体症候群などの血栓性素因も原因となる。
4.リスクファクター
前項で述べた発生因子に関わる要因やこれまでの当センターでの経験、
そして日本総合病院精神医学会 教育・研究委員会が編集した「静脈血栓
塞栓症予防指針」を踏まえたうえで、以下のようにリスクファクターを分
類した。
基本リスク
高リスク
身体拘束
増強
リスク
鎮静
脱水
肥満(BMI≧28)
喫煙
治療前の臥床傾向
パーキンソン症候群
向精神薬の内服
70歳以上の高齢者*
緊張病(症候群)
悪性症候群
静脈血栓塞栓症の既往
下肢静脈瘤
血栓性素因
手術の既往
下記以外の身体拘束
下記以外の鎮静
夜間自力体動のない患者
24時間以上の下肢を含む身体拘束
24時間以上の強い鎮静
(強い鎮静とは、ほとんど体動が見られない状態を
指す)
*:エビデンスとしては確立されていないが、当センターの経験上高齢の女性
はリスクが高いとされているため、注意が必要である。
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5.予防・実際
リスクレベルはリスクファクターを評価することにより決定する。予防対策は
リスクレベルに応じたものを的確に行う。再評価によってリスクレベルに変化
があれば、そのレベルに合った予防対策に変更する。
〈リスクレベル別予防対策〉
リスクレベル
全リスク共通
(①~⑤)
当センターにおける予防対策
十分な水分補給
基本リスク(①)
早期離床及び積極的な運動
基本リスク+
増強リスク(③)
弾性ストッキングあるいは間歇的空気圧迫装置
の使用
・弾性ストッキングあるいは間歇的空気圧迫装置の
使用
高リスク
・場合によっては抗凝固療法
(②・④・⑤) ・各種検査の施行(特に手術の既往がある患者につ
いてはD‐ダイマーを測定することが望ましい)
*弾性ストッキングと間歇的空気圧迫装置とでは、当センターでは弾性スト
ッキングを第1選択とする
1)十分な水分補給
体内の水分不足により血液が濃縮し血栓ができやすくなるため、十分な
水分補給が必要である。目安としては、
・補液の場合:2000ml/日(心不全や腎不全などがない場合)
・経口摂取の場合:1500ml/日
*ただし、発熱や発汗といった身体症状により補液量は調整が必要。
となる。身体拘束や隔離などにより、患者が自由に水分を摂ることができ
ない状態になりやすいこと、また精神症状により水分を摂りたがらない患
者もいるため、水分出納のチェックをこまめにおこなう必要がある。
2)早期離床および積極的な運動
(1)身体拘束の解除方法
①身体拘束中により下肢に深部静脈血栓ができていないかを症状・所見
にて観察する。
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〈症状・所見〉
・深部静脈血栓症:
下肢の発赤、疼痛、表在静脈拡張、Homan’s サイン(足関節の背屈
により腓腹部に疼痛が生じる)、Lowenberg のサイン(腓腹部をマン
シェットで加圧すると低圧で疼痛が生じる)など
・肺血栓塞栓症:
呼吸困難、喘鳴、血痰、発熱、胸痛、失神、ショック、動悸、冷汗、
頻脈、頻呼吸、頸静脈怒張、チアノーゼ、SpO2 低下など
〈観察方法〉
・モニターの使用
・バイタルサインの測定
・イン・アウトバランス
・身体拘束中の患者に対しては、当センター所定の「身体拘束中の観
察記録」を用いて、十分に観察を行う。
②身体拘束解除時に呼吸困難を訴えたり、急に失神発作をおこしたりし
た時は、肺血栓塞栓症を疑う。初回歩行時にはすぐに傍を離れず、様
子を観察する。またパルスオキシメーターの装着が望まれる。
③身体拘束解除後も、過鎮静であったり、ふらつきがあったりして寡動
状態であることもあるため十分な歩行が可能になるまで予防対策は継
続する。
臥床が長期化していた場合には、急な離床は肺血栓塞栓症を誘発しやす
いため、段階を追って離床への援助をおこなうようにする。
(2)積極的な運動
①体位変換
病状や身体拘束・鎮静により同一体位が続いてしまう、あるいは自力
体動がない場合においては、他動運動の一つとして有効な手段である。
②下肢の積極的な運動
ⅰ自動または他動運動
足関節の背屈と底屈を繰り返し行うことで、下肢の静脈還流を促す。
自動的に行うことが難しければ他動的に行う。
ⅱ下肢のマッサージ
下腿腓腹部を足首から膝にかけて、血液を絞り出すようなつもりで
力強くマッサージする。
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3)弾性ストッキング
下肢を圧迫し静脈の総断面積を減少させることにより、静脈の血流速度
を増加させ、下肢への静脈うっ滞を減少させる。
中枢側に向かって段階的に圧迫する力が弱くなるように作られており、
静脈逆流を予防し、静脈血が心臓へ循環しやすいようにする。
〈適応患者〉
・どのような患者にも使用可。
・高リスク症例では弾性ストッキングによる予防効果は明確ではない
ため、間歇的空気圧迫法の実施も検討する。
〈慎重使用〉
・動脈の血行障害
(閉塞性動脈硬化症、バージャー病など)
◎下肢の急性炎症
(皮膚化膿創、弾性ストッキングによる接触性皮膚炎・皮膚損傷など)
・うっ血性心不全
・自殺の可能性が高い
(上肢を拘束するなど、自殺企図の道具として使われない状況であれ
ば可)
*当センターでは、上記◎については禁忌扱いとしている。
〈使用方法〉
資料「弾性ストッキングの使用法」を参照。
〈使用上の注意点〉
使用の際に弾性ストッキングの端が丸まったり、途中にしわができ
たりしてその部位を圧迫することで、静脈還流の阻害や動脈血行障
害を引き起こす危険がある。また、皮膚の発赤や水疱、びらんなど
の皮膚損傷の可能性もあるため、適宜弾性ストッキングを外して足
趾の色調や疼痛など、下肢全体の皮膚状態を観察する。
4)間歇的空気圧迫装置
下肢にカフを巻き、機器を用いて空気を間歇的に送入して下肢をマッサ
ージすることで静脈うっ滞を減少させる。
能動的に静脈還流を促進させるため、弾性ストッキングよりも効果が高
い。
〈適応患者〉
・禁忌以外、どのような患者にも使用可。
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・高リスク症例にも有効。
〈禁忌〉
既に下肢の深部静脈血栓症がある場合
(血栓を遊離させてしまい、肺血栓塞栓症を引き起こす可能性があ
るため)
〈慎重使用〉
・動脈血行障害
・下肢の急性炎症
・うっ血性心不全
◎深部静脈血栓が疑われる場合
(下肢麻痺、長期臥床後、下肢腫脹や周囲径の左右差がある場合など)
*当センターでは、上記◎については禁忌扱いとしている。
〈使用上の注意点〉
カフの圧迫が強過ぎて、総腓骨神経麻痺やコンパートメント症候群に
ならないように注意が必要である。
5)抗凝固療法
抗凝固薬を皮下注射することで血液を固まりにくくし血栓形成を予防す
る方法。単独使用でも高リスク症例に有効であり、致死的肺血栓塞栓症
を含めた静脈血栓塞栓症のリスクを60~70%減少させるとも言われ
ている効果が高い方法であるが、一方で出血しやすいという副作用もあ
るため、他の方法と比較すると安全性の面では劣る。
当センターでは転倒に伴う出血リスクの観点から原則行わない。
しかし行う場合も稀にあるため実施方法や注意点について把握しておく
必要がある。
〈適応患者〉
・身体拘束中の患者
(特に動脈血行障害のある症例など、弾性ストッキングや間歇的空気
圧迫法などの理学的予防法が実施できない場合)
・過去に静脈血栓塞栓症の既往があるなど、リスクが著しく高い患者
(抗凝固療法と理学的予防法の併用が望ましい)
*過去に当センターで抗凝固療法を行った症例としては、精神運動興奮
や昏迷等で身体拘束を要し、かつ肥満という患者である。
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〈実施方法〉
当センターでは低用量未分画へパリン(一般名:へパリンナトリウム)
を用いる。低用量未分画へパリンは簡便であること・高リスク症例で
単独使用が可能であることが特徴である。
8時間あるいは12時間ごとに5000単位を皮下注射するという方
法が取られるが、医師の指示に従って投与する。
〈実施上の注意点〉
・禁忌に該当していないか確認する。
(禁忌については「肺血栓塞栓症予防に関する診療計画書」内の5.
各種予防対策における禁忌のチェック を参照)
・合併症の早期発見と対応が重要である。特に注意が必要なのは、出血
とへパリン起因性血小板減少症である。(下表を参照)
〈へパリンの主な合併症・副作用と対応〉
合併症・副作用
出血への対応
へパリン起因性
血小板減少症への
対応
・出血 ・へパリン起因性血小板減少症(Ⅰ型・Ⅱ型)
・皮下注射部位の局所皮膚過敏症
・骨粗鬆症 ・肝機能障害
①へパリンの投与中止
②出血源の検索および局所圧迫等
③へパリン拮抗薬の投与(生命を脅かす恐れがある場合、
硫酸プロタミン投与)
・Ⅰ型:自然回復するためへパリン投与の中止は不要
・Ⅱ型:投与を中止しない限り血小板は減少し続けるため
速やかに投与を中止し、代替抗凝固薬としてアル
ガトロバンの投与の検討
6)各種検査
高リスク症例、または肺血栓塞栓症の発症が疑わしい症例については、
以下の検査を行い、発症の早期発見に努める。
(1)血液検査
血算(WBC 上昇)、生化学(発症後10時間以内に CRP 上昇)、
D‐ダイマー(正常値:1.0ug/ml であれば発症はほぼ否定)、
血液ガス(pCO2 と pO2 の低下を認める)
*D‐ダイマーの測定は特に手術の既往がある患者に対しては推奨
する。(測定の目安は1週間に1回)
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(2)ECG12誘導
一般的には、第Ⅰ誘導で S 波、第Ⅲ誘導で Q 波と陰性 T 波を認める
ことが多い。代表的なのは、軽度の ST‐T 変化(ST 下降、陰性 T
波)で不完全右脚ブロックが見られることもある。
(3)胸部レントゲン
発症時に見られる所見として、
・肺動脈主幹部陰影の拡大(発症率約70%)
・片側、もしくは両側の横隔膜挙上(同約60%)
・心陰影の肥大(同約60%)
・少量の胸水(同約50%)
といったことが挙げられる。
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