vol.59 ライフラインということ ・・ 斎藤 利郎いのちの電話を英語でライフラインとい う。いのちの綱という意味らしいが、ラインそのものは通信網とか糸という意味でも使 われる。 ライフラインということ 《斎藤 利郎》 17 年ほどまえのことである。知人が「斎藤に声をかけたらどうか」と、宮崎美千代氏 (当時運営委員、現山梨いのちの電話)に一言いってくれた。それが東京多摩いのち の電話との出会いであった。わたしが学生時代の 8 年間を過ごした飯田橋のキリスト 教会の建物のなかで、東京いのちの電話が 1971 年に開局したので、その存在は、わ たしにとっても珍しいのもではなかったが、まさかわたし自身がこの組織に加わるとは 思ってもみないことであった。 この彼女との出会いに、わたしは何かの因縁のようなものを感じる。知人に言われ て、彼女が最初に言ったことばは「斎藤は日本にいるのか」というものであったそうで ある。当時、わたしは、埼玉県飯能市にある中・高一貫教育の私立校に務めていたが、 神学校卒業後、復帰前の沖縄、アメリカ・イリノイ州のシカゴ、ドイツやスイスなどで根 無し草のような生活を送っていたのだから、そのように言われるのももっともであっ た。 いのちの電話を英語でライフラインという。いのちの綱という意味らしいが、ラインそ のものは通信網とか糸という意味でも使われる。彼女とわたしの出会いも、その糸を 手繰っていってみると 1960 年代の清里の清泉寮で行われた対人関係基礎訓練(当 時、感受性訓練とよばれていたが)で、また名古屋の南山短期大学の対人関係訓練 の夏季合宿で、一緒にトレーナーとして協働した仲間である。その彼女が、こんどは わたしを東京多摩いのちの電話の研修に加えてくれたのである。このでき事は、単に、 研修担当の一スタッフに加わったというだけではなく、わたしにとっては、わたしの世 界に新しいネット(糸)を広げるよろこびを与えてくれるのもとなった。それは、細い糸で あるかもしれないが、まさしくわたしのライフラインであったように思う。わたしは、いの ちの電話を通して旧友たちに出会い、また新しい友人たちや恩師をえて、新らしい活 力といのちを再生させることができた。 東京多摩いのちの電話の公的な機関紙で、このような個人的なことを述べるのは如 何なものか、とお叱りを受けるかもしれない。 それを承知で述べているのは、いのちの電話とかかわる人々には、ライフラインと は、二つの意味があるように、わたしには思われるからである。一つは、勿論、他者 のためにあるライフラインである。この「~のために」ということばは、何かおこがまし い響きをもっているけれども、少なくとも相談員たちには相応しいことばである。相談 員は、「電話をとる」ことによってライフラインという、誠に細い糸でコーラーのいもちと つなぎあう。コーラーが「もう死ぬしか道がないように思う」と告げれば、そのいのちを 支え、新しい道をともにみつけだそうと、相談員は、相手との関係のなかで苦闘する。 そこでは、本当に真摯な、ロジャーズが述べる「セラピスト(相談員)は、この関係のこ の時間において、正確に自己自身であり、こうした基本的な意味でセラピーのこの瞬 間において、ありのままの自己」(伊東博・村山正治訳;セラピーによるパーソナリティ 変化の必要にして十分な条件、ロジャーズ選集上、誠信書房、2002)であろうとする のである。それが使命であるとしても、それはとても困難なことである。アルバート・エ リスは、「効果的なセラピーにおける一つの主要な変化エージェンは、クライエントとセ ラピストの関係であるけれども、それがときには主要な変化エージェントではない、と いう無視できない証拠がある」と、5 項目をあげている。(Albert Ellis ; The main change agent in the effective psychotherapy,Ed.Colin Feltham,London,1999)けれども、相談員 の係わりは賞賛に値する感動である。いのちの電話は、たしかに、コーラーにとって のライフラインである。電話をかけることによって、自らのいのちを救うことができると すれば、それは、まさにコーラーにとって「いのちとかかわる電話」である。 そして、二つめは、当番をおえて家路につくまえに、この胸の内をだれかに聴いてほ しいと願う相談員の憔悴しきった肉体、あるいは傷ついた魂と関係することである。相 談員には、守秘義務がある。にもかかわらず、自分のいのちを相手のいのちとむすび あうことは、とても疲れることであり、自分が話したことばが相手の「いのち」を左右す るその責任のおもさに狼狽する。また、性的な電話やいやがらせなど、「こんな電話を なぜわたしはとらなければならないのか」と怒りが爆発しそうになるが、「相談員の側 から切ることはない」といういのちの電話の原則が自分をしばりつける。「やってられ ないよ!」と絶叫したい気持ちをどうするのか。 苦悩や怒り、叫び、そしてよろこびをわかちあう、陳腐なことばだが、「仲間(peer)」 が、そこにいる。それが東京多摩いのちの電話である。その仲間が、相談員のライフ ラインであると、わたしは感じる。相談員になろうと決めた動機は各自で異なる。子ど もにとられていた時間に余裕ができたから。自分の時間をもつことはすばらしいことだ が、いのちの電話は、余った時間でできるほど気楽なのものではない。カウンセリン グの研修を修了したが実践する場がないから。カウンセリングを学ぶことは、自分の 生活を豊かにするが、相手がみえない電話カウンセリングは、対面カウンセリングよ りむしろ難しい。わたしたちはみんなそれを実体験している。 己の魂の「ゆれ」を瞑想から悟りへと導く、中国の禅家の人々が伝承した『十牛図』 というのがある。(上田閑照・柳田聖山;十牛図ー自己の現象学、筑摩書房、1982)。 我と牛が一体となるような一人旅が魂の揺れを克服するというものであるが、凡夫の わたしには、仲間との細い糸の暖かさが救いとなる。相談員は、この仲間という新し いネット(糸)を自分のライフラインとして、他者といのちをつなぐのである。それなくし て相談員をつづけることは難しいように思う。新しい仲間と出会い、人生の恩師をえ、 新しい人生のでき事に挑戦しつづけていくことができるように思う。わたしは、この三 月で研修委員を辞退させていただいた。一応、定年と決めていた年齢である。最後に、 東京多摩いのちの電話の仲間たちに、こころからエールと送るとともに、ありがとうの 一言を残したい。 プロフィール: 斎藤 利郎 (さいとう としろう) 1935 年 北海道小樽市生まれ 1960 年 日本大学文学部卒 1964 年 日本ルーテル教団神学院卒 現 在 トシ家族療法研究所を設立し家族・個人カウンセリングと ホールファミリー・ケア協会講師 NPOシニア・ピア・カウンセラーの養成に関わる 武蔵野女子大学非常勤講師 東京多摩いのちの電話研修スタッフ 著 書 教えるってどんなこと 聖文舎 共 著 心の危機をとらえる 20 講 学陽書房 その他 論文多数
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