阪神国道杭瀬交通事故防止アーチ設置工事写真 今回紹介する写真は阪神国道・杭瀬に設置されていた交通事故防止アーチ※設置工事 の記録である。 戦後復興の過程で尼崎市の車両保有台数と通過車両台数は増加し、それにともなって 交通事故件数も増加の一途をたどっていく。なかでも阪神国道(現国道 2 号)は中央 部に国道電車が走り、片側 2 車線ずつの車両通行帯には自動車、二輪車、原付、自転 車があふれており、そんな国道が左門殿川を渡るために大きくカーブする杭瀬・左門殿 橋間は阪神国道随一の難所といわれていた。 昭和 29 年(1954)12 月 15 日、尼崎東警察署で兵庫県交通安全協会尼崎東支部、 尼崎東自動車運転者協会、尼崎東原動機付自転車協会の 3 団体の発会式が行なわれ、東 署管内の交通事故防止に向けて取り組むことになった。そこで東署と協会では、この難 所に交通安全標語を掲げた大アーチを設置して事故防止に役立てようとしたのである。 今日ではこの種の標語は横断歩道橋に掲示されることが多いが、歩道橋がなかったこ の当時は独立した門型の構造物を造っていた。すでに市内では昭和 27 年に伊丹市との 境界にあたる昆陽の里に同様のアーチが設置されている。杭瀬では、国道線の架線柱が アーチを支えるに充分な強度を持っているので、この柱を利用して横梁だけを追加する 工事が実施された。工費は 15 万円で、昭和 30 年 4 月 25 日に横梁を設置、同 5 月 2 日に完成した。上り車線に「事故夛し注意 !! 尼崎東自動車運轉者協会」、下り車線に「無 事故で今日も 兵庫縣交通安全協会尼崎東支部」の安全標語が掲示され、" 夜光塗料で 夜間もはっきり見える " と 5 月 3 日付の朝日新聞阪神版は伝えている。 アーチのその後は明らかではない。昭和 49 年の国土地理院撮影航空写真では梁の存 在が確認できるが、同 54 年撮影分ではないように見えるので、昭和 50 年の国道線廃 止で架線や架線柱と同時に撤去されたのではないかと考えられる。 1. 完成したアーチ、左門殿橋方向から西を望む。 設置工事ドキュメント 昭和 30 年 4 月 25 日深夜、国道電車の終電を見送ったあと作業が始まった。 2. まず、現場に運び込まれたトラス梁を 国道電車の軌道方向に配置する。 3. 上下の軌道間に仮柱を建て、この柱を 使って架線に干渉しないよう梁を吊り上 げる。 4. 架線より上に梁を吊り上げたら、国道 を跨ぐ方向に回転させ、既設の架線柱(国 道線第 659 号柱)に固定する。 5. 標語を吊り下げて完成。東、左門殿橋 方向を望む。梁は長さ 21 メートルで 8 メートルの高さに固定された。 出典 写真 1 ~ 5「阪神国道杭瀬交通安全標語 設置工事写真」 平成 25 年 8 月、古書店より購入。304-25 のメモ書きがあり、撮影日と推定 した。 写真 6 平成 25 年 9 月 18 日史料館撮影 注 ※構造力学でいうアーチ構造を持つもの ではないが、ここでは当時の報道に従っ た表現とする。 6. 現在の同地点。左手の第一敷島温泉の 煙突は当時から変わらない。
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