No2

第 12 回 都市デザインの手法 (4) 歴史的環境とその保存
都市デザイン
No.2 歴史的環境保存の拡大
3.近代洋風建築の保存
写真5 日本火災横浜ビル(元川崎
銀行横浜支店)
(1)意義
□明治・大正期の の足跡
・明治以後の の流入に関する生き証人( の象徴)
□質の高い建築デザイン
・ 建築 ⇒ 大学における近代建築教育
・西欧技術と日本 の融合(煉瓦・石造+和小屋など)
写真3 山邑邸(ヨドコウ迎賓館)
□都市のシンボル
・ 的な象徴性
(2)近代洋風建築の 指定:第1の手法
□文化財指定(国、県、市町村)
・ が原則(古い部材をできるだけ残す)
・ 年代等の特定は最低限必要
・ 年代、文化財指定 の確定
□文化財指定の裏にかくれていること
・持ち主の が必要
→ 文化財指定されていない建築も多い 例)東京駅
・建替え要望と保存運動
建替え要望 ←都心の一等地の 建築等
保存運動 ←望まれる「 保存」「 保存」
□明治洋風建築から大正・昭和初期へ
・昭和 35 年頃は明治期のみ(明治洋風建築)
・昭和 49 年 邸(F.L. ライト設計、大正 15 年)
・平成 9 年 館(昭和 9 年)→昭和初期の建築まで拡大
(3)近代洋風建築の :第2の手法
□ 保存(例:山邑邸)
・主たる 、 などはできるだけ残す
写真1、2 東京駅(上:建築当初、下:現在)
国内に現存する、ライトの数少ない作品のひとつ。大正時代
に山邑家別邸として建てられ、昭和22年にヨドコウが購入、
一時社員寮としても活用され、現在は迎賓館及びライトの展
示施設となっている。鉄筋コンクリート初の重要文化財指定
建築物。芦屋市内を一望できるロケーションは抜群で、この
立地条件を、ライトはとても気に入ったという。旧帝国ホテ
ルにも見られる、幾何学的な装飾模様が施された大谷石のファ
サードは必見である。
竣 工:1924 年(大正 13 年)
修 復:1988 年 11 月
設 計:フランク・ロイド・ライト+遠藤新
修復指導:文化庁文化財保護部
修復設計・監理:建築研究協会
所在地 :兵庫県芦屋市山手町
用 途:住宅(現在は展示施設)
構 造:鉄筋コンクリート造
規 模 地上 4 階
赤レンガの東京駅は 6 年半の歳月をかけて中央停車場とし
て建設され、大正 3 年 12 月 20 日に開業した。
中央停車場の設計は、当初、ドイツ人技師フランツ・バル
ツアーが担当し、明治 36 年に当時の建築界の第一人者辰野金
吾にバトンタッチされた。辰野は洋風建築に和風の屋根を載
せたバルツアーの東京駅案に対して「赤毛の島田髷」と評し
たが、平面計画はバルツアーの案を踏襲した。つまり、南か
ら乗車口、帝室口、市内電車口、降車口と配置された。
中央停車場は日露戦争の勝利を背景として、諸外国にも見
劣りしない威風堂々とした建築デザインが要求され、辰野は
留学時にイギリスで流行していた赤レンガに白い石を帯状に
配する華やかな様式を採用した。
第二次世界大戦で空襲を受けたことにより応急修理され、
当時のドームは屋根は角屋根に架け替えられ、3 階は撤去さ
れて2階建てとして昭和 22 年 3 月に完成した。
設 計 辰野 金吾
竣 工 1914 年
・ヨーロッパ諸国に多い 保存
・ 変更 → 建築基準法上の問題が生じる
(例)古い銀行 → 博物館( 多数の利用)
・平成8年 文化財 制度の導入
内部の改造は自由
の1/4以下の改変は届出不要
費の半額補助
□ 保存(例:日本火災横浜ビル)
・ 性、 性、建築基準 上の問題の解決
・ 不足の解決
・ただし、文化財 は困難 ← オリジナルな構造の改変
□ 保存(例:京都三井ビル)
・少しでも を残す(玄関付近の列柱など)
・
(例)入口の装飾だけを取り付ける:多少の配慮?!
□ 保存(例:お茶の水スクエア)
・1980 年代後半 の時代など
・古い に沿わせた建築など:建築的な手法の一
(4)近代洋風建築の 保存:第3の手法
□建築の構造
・ 建築は移築しやすい
・ 造、 造は移築しにくい
□ の再現
・ 社会の中で親しまれること
→ もともとの を移築場所の中に再現すること
・野外博物館: のある移築保存
昭和 58 年「北海道開拓の村」
写真 8 旧唐津銀行本店
明治期に石炭産業で栄えた唐津の中心街に位置する近代洋風建
築。唐津市出身で東京駅や日本銀行を手がけた近代建築学の第一人
者である辰野金吾に師事した田中実が設計した。辰野が唐津藩校時
代の同級生、大島小太郎・唐津銀行頭取の依頼を受け、田中に設計
を任せ、監修したという。田中が脱辰野的に行なった他の作品に比
べると、随所にイギリスのヴィクトリア様式の一つであるクイーン・
アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」が見られ、唐津出身であ
る辰野を意識して田中が設計に臨んだことが伺える。そういう意味
でも価値の高い近代建築である。
煉瓦造(一部木造)の地下1階、地上2階建て。1910 年 8 月に
着工し、1年7か月かけ完成。延べ床面積は 907 平方メートル。受
付カウンター前に立つ柱の上部は、ギリシャ・ローマ時代の建築様
式の一種・コリント式の華やかな装飾が施され、石炭を燃料とした
暖炉が備え付けられるなど、時代も感じさせる。外壁には当時の最
新建築材料だった煉瓦調のタイルを使用、重厚で優美に仕上げた。
1997 年 3 月まで佐賀銀行唐津支店として利用され、同年4月、
唐津市に寄贈された。
現在、国重要文化財を目指して保存修理工事(耐震改修を含む)
に着手。煉瓦造であることの価値をできるだけ保存するため、文化
財保護法に基づき3条申請によって建築基準法適用除外の処理をし
た上で、床(スラブ)に補強鉄骨を入れることによって耐震補強を
行なうことが計画されている。また、利活用のため、地階にはレス
トランが導入されるほか、別館を裏側に建ててガラスの廊下でつな
ぐ予定である。
設計:文化財保存技術協会九州支部+(株)三島設計事務所
写真4 明治生命館
明治生命館は、1934 年 ( 昭和 9 年 )3 月、3 年 7 ヵ月の
歳月をかけて竣工した。設計は当時の建築学会の重鎮で
あった東京美術学校 ( 現、東京芸術大学 ) 教授岡田信一郎。
古典主義様式の最高傑作として高く評価され、わが国近
代洋風建築の発展に寄与した代表的な建造物と言われて
る。1997 年 ( 平成 9 年 )5 月 29 日、文化財保護審議会の
答申によって、昭和の建造物として初めて国の重要文化
財に指定された。
竣 工 1934 年 ( 昭和 9 年 )
設 計 岡田信一郎
施 工 竹中工務店
写真6 京都三井ビル(旧三井銀行京都支店)
京都三井ビルは、建築家鈴木禎次が設計した石・煉瓦造り 2 階
建ての銀行建築(旧三井銀行京都支店)で、大正 3(1914) 年の
建築以来、この地で 68 年近く京都の街を見守ってきた。昭和
59 年に取り壊され京都三井ビルとして新築する際、旧建物の一
部分を組込む形で地下1階地上8階建てのビルとして建てられ
た。
建築主/三井不動産株式会社・室町殖産株式会社
構 造/SRC造
規 模/地下1階、地上8階
延床面積/ 23,918m2
完 成/昭和 59 年 9 月
改修工事工期/平成 11 年 1 月〜平成 15 年 5 月
当 初 は、 川 崎 銀 行 横 浜 支 店 で、 竣 工 は
1922 年(大正 11 年)。設計は、ドイツ
に学んだ建築家、矢部又吉。一見全くの
クラシックだが、隣の県立博物館と比べ
ると、窓の占める面積が大きい。
1989 年(平成1年)に、新しいビルがス
カートをはくような形で上部に建設され
た。横浜市認定の歴史建造物第1号。
設 計 矢部又吉 ( 旧)
日建設計(改
築)
竣 工 1922(旧)
1989(改築)
所在地
神奈川県横浜市中区弁天通5
−70
構造規模 鉄筋コンクリート造9階建
建築面積 約 620m2
写真7 お茶の水スクエア(旧主婦の友ビル)
主婦の友社ビルは、建築家ヴォーリズの設計で、大正
14年に竣工した。現在のビルは、昭和62年に建替
られたもので、設計は建築家磯崎新。旧ビルのイメー
ジを残し、さらに17階建ての新館を間にはさむ形で
奥に配置しており、「文脈保存」であるとされている。
旧本社屋外壁を修復保存する予定で計画されたが,工
事中に外壁が崩落し、結果的には原設計図を基に現状
にあわせて復元された。4層吹抜けのアートプラザを
内包する低層部は花崗岩,オフィス部分の高層部には
タイルが用いられた,外壁には、旧ビルの材料が使わ
れており、当時の雰囲気を良く残している。
さらに、ヴォーリズホールという音楽ホールがあり、
当時の面影を残している。
設 計 磯崎新アトリエ
施 工 大林組・日本国土開発 JV
建築年
1987 年
敷地面積 9,083m2 建築面積 3,659m2
延床面積 22,231m2
構造階数 SRC 造 地下 3 階 地上 13 階