アジア経済危機と日系企業1

— 2000 年度 COE 研究プロジェクト —
アジア経済危機と日系企業1
中島隆信2
丸山士行3
篠崎美貴4
2002 年 1 月 7 日
1 本論文は、文部省大型研究プロジェクト( Center of Excellence: COE 、研究代表者慶應義塾大学経済
学部吉野直行教授)の援助のもとに行われた調査研究結果の一部をまとめたものである。その間、日本貿
易振興会( JETRO )タイおよび香港事務所、ならびにインド ネシア、マレーシア、タイ、香港そして中国
深セン・東莞地区の日系企業の現地法人を訪れ 、インタビューと工場見学等で職員の方々にはたいへんお
世話になった。また、タイ・チュラロンコーン大学パイトーン・クライポンサク助教授にはタイ訪問中、
資料収集などでご協力いただいた。ここに深く感謝したい。もちろん 、本論文に残る誤りはすべて著者ら
の理解不足によるものであることをお断りしておきたい。
2 慶應義塾大学商学部、アジア経済危機担当。
3 慶應義塾大学大学院、アジア経済危機と直接投資担当。
4 慶應義塾大学大学院、ケーススタデ ィ担当。
目次
1 はじめに
1
2 アジア経済危機
2
2.1
2.2
何が起きたのか . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
2
2.1.1
通貨危機 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
2
2.1.2
金融危機 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
2
2.1.3
景気後退 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
4
誰が悪いのか . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
4
2.2.1
貸す方が悪いのか借りる方が悪いのか
. . . . . . . . . . . . . . . . . . .
5
2.2.2
制度に関する問題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
7
2.3 どのように対処したのか . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
9
危機の経済モデル . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
11
2.4
3 アジア経済危機と直接投資 — 最近の研究動向に関するサーベイ
3.1
3.2
3.3
14
アジア危機が FDI にもたらした影響の実態 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
15
3.1.1
アジア危機の影響の多様な側面 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
15
3.1.2
危機後の FDI の動向に関する議論 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
17
3.1.3
マクロ統計から見た影響の実態 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
18
3.1.4
アンケート調査から見た影響の実態 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
20
政策的視点からの考察 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
25
3.2.1
アジア危機に対して FDI が持つ意味
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
25
3.2.2
FDI と政策をめぐ って . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
27
まとめと展望 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
30
4 ケーススタディ
31
4.1
タイの直接投資受け入れの状況 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
32
4.2
ヒヤリング調査 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
33
4.3
理論・実証分析との整合性 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
40
5 むすびにかえて
41
1 はじめに
1997 年 7 月のバーツ切り下げに端を発するアジア経済危機からすでに丸 3 年半が経過した。
その間、混乱したアジア経済の状況をめぐって多くの人々が様々なことを発言し 、議論し 、論評
し 、そして分析してきた。
「石の上にも 3 年」という諺があるが 、3 年くらい経つと漸く問題の
本質が見えだしてくるのかも知れない。
経済現象の場合、実際のビジネスや生活の場にいる人々にとっては体験そのものであり、政策
担当者にとっては何とか手を打たねばならない相手であり、そして経済学の研究者にとっては分
析対象であるというように、置かれている立場によって見方が変わってくる。そして、現象に関
心を持つ人々も概ねこれと同じ順番で移ってくるようである。アジア経済危機に関する一般受
けしない経済学の専門的な論文は今後次々と出始めてくるであろう。そして最後に登場するのが
データのアベイラビ リティによって制約を受ける実証研究であり、おそらく危機から 5 年後の
2002 年あたりから分析が本格化するのではないだろうか。
本論文の第一の目的は、上述のような背景のもとでこれまで発表されてきたアジア経済危機に
関する数々の論文および書籍を概観し 、危機の原因と対策に関する議論の整理を行うことであ
る。われわれの研究グループは次年度から独自の分析を開始する予定でいるが 、その際に問題
意識をより明確化する意味でも、研究サーベイを行う必要性を感じている。第二の目的は、昨年
の COE プロジェクト発足以来、延べ 3 回にわたって行われた現地調査の結果をもとに、日系企
業がアジア経済危機をどのように迎え、対処し 、乗り切ってきたかをケース・スタディーとして
明らかにすることである。われわれは危機を実際に体験していないので 、第三者として冷静な
分析ができる反面、実態に符合しない机上の空論を展開してしまうという危険に晒されている。
その意味からも、危機の経験者であるアジア諸国における日系企業の現場担当の方々から伺った
逸話の数々を経済分析の側面から捉え直しておくことは実際の分析に入る前の準備作業としてき
わめて重要である。
本論文の構成は以下のようになっている。第 2 節はアジア経済危機に関する研究論文のサーベ
イである。そこでは危機発生の原因、危機への対処、今後の見通しという 3 点から諸説の整理を
行う。第 3 節では、はじめにアジアにおける直接投資と経済危機との関係について現地調査結果
を織り交ぜて理論的にサーベイし 、次の第 4 節では 、日系企業へのインタビューに基づくケー
ス・スタデ ィーを行う。そして、第 5 節で本論文のむすびが示される。
1
2 アジア経済危機
2.1 何が起きたのか
2.1.1
通貨危機
原因を究明する前に、まずアジア経済危機とは何だったのかを整理しておこう。今回の危機の
呼び名に関しては、通貨危機、金融危機、経済危機と文献によってさまざまである。これは混乱
を招くので、本論文では、通貨暴落、国内金融システムの崩壊、そして国内景気後退の 3 つの現
象の総称としてアジア経済危機を定義する。通貨危機とはアジア諸国通貨の為替レートの暴落、
そして金融危機とはアジア諸国でのバブル崩壊による不良債権問題と定義する。
通貨危機のスタートは一般には 1997 年 7 月のタイ・バーツのレート切り下げだと言われる。
それまでタイは、米ド ル約 8 割のシェアからなるバスケット・ペッグ制というバーツとド ルの
事実上の固定為替相場制を採用し 、1 ドル 25 バーツ前後で 10 年来安定したレートを維持してき
た。ところが 、1997 年 5 月になると海外の投機家によるバーツの売り浴びせを受け、市場レー
トが徐々に下がり始めた。これを受けてタイ・中央銀行( Bank of Thailand: BOT )は徹底した市
場介入を行い、相場の維持に一度は成功した。しかし 、依然としてバーツの売り圧力が弱まらな
い上に、5 月の介入で外貨準備を使い果たしてしまったため結局相場を支えきれず、ついに 7 月
2 日タイ政府はバーツのフロート制移行に踏み切った。バーツはその後も値下がりを続け、1998
年 1 月には 1 ドル 55 バーツの最安値となった。
このバーツに対する為替投機は直ちにフィリピン・ペソ、マレーシア・リンギ 、インドネシア・
ルピアへ伝染し 、1997 年 10 月初旬までにこれら通貨のレートは約 30%程度の下落を見た。韓
国・ウォンはそれらより少し遅れて 10 月下旬から 2 か月近くの間に 30%超の急落を示した。こ
うしてバーツ、ペソ、リンギ 、ウォンは最悪でも 40%程度の下落で何とか留まったものの、イン
ド ネシア・ルピアだけは 1997 年 12 月からさらにもう一段の奈落が待ち受けていた。結局、ル
ピアは通貨危機の前より 80%近い暴落を経験するに至った。一方、他のアジア諸国である香港、
台湾、シンガポールの各通貨については 、カレンシーボード 制を採る香港を別格とすれば 、10
〜20%程度の下落に留まり、為替レート自体の変動は比較的小幅となった。
2.1.2
金融危機
通貨危機に見舞われたアジア諸国における金融システムには、1997 年 7 月のバーツ暴落以前
からすでに問題があったとされている。その意味では、危機という言い方は適切ではないかもし
2
れない。むしろ金融システムに何らかの特異性があり、それが通貨危機に伴って危機として表面
化したというべきであろう。
アジアの新興工業国に共通する金融システムの第一の特徴は 1990 年代に入ってから大幅に増
加した海外からの資金流入である。IMF の International Capital Markets によれば 、通貨危機に
見舞われたタイ、韓国、インド ネシア、マレーシア、フィリピン( 危機 5 カ国)への民間資金の
純流入は 1990 年の 250 億ドルから増え続け、危機直前の 1996 年には 700 億ドル近くにまで達し
ていた。これは 5 カ国の GDP 総額の 6%以上に相当する金額である。とりわけ、タイでは他の
アジア諸国に先駆け、1993 年にオフショア市場( Bangkok International Banking Facility: BIBF )
を創設し 、資本自由化を本格的に推進した。本来のオフショア市場はその名の通り、非居住者同
、、
士が 沿岸で金融取引を行うものであり、いわば外対外の取引が主流である。しかし 、タイ政府は
BIBF に海外からの調達資金をタイ国内の金融機関に貸し付けるといういわゆるアウト・イン取
引を認めたため、BIBF がタイへの海外資金流入の窓口のような役割を果たすようになった。
このように大量の資本が新興市場へ流入した背景としては、需要と供給両サイドにそれぞれ要
因がある。まず、需要サイドの理由としては、新興工業諸国では概ねドルとの安定した交換レー
トを維持すべく、通貨のドル・ペッグ制が敷かれていたため、銀行および国内企業は通貨リスク
を負うことなく海外からの低金利融資を受けることができた点があげられる。一方、供給サイド
の要因としては、日本も含め、金融システムが間接金融から直接金融へ移行する流れの中で先進
諸国の銀行が融資先を探していたこと、さらに、国際決済銀行の自己資本比率規制( BIS 規制)
によって貸出金資産のリスク・ウェイトを低くする必要があった海外の銀行にとって、東アジア
の銀行への信用供与は利ざやが高く魅力的であったことが指摘されている。1
第二の特徴は金融システムにおける銀行の果たす役割が急速に拡大した点である。世界銀行の
World Development Indicators より銀行部門による信用供与額の対 GDP 比率を見ると、1980 年か
ら 1996 年までの 16 年間において、タイでは 60%から 140% 、マレーシアでは 40%から 140% 、
インド ネシアでは 10%から 50%と大幅に増加している。この結果として、企業金融に占める銀
行借り入れのウェイトは高まり、間接金融依存型の資金調達が浸透していくことになるのであ
る。2
1 BIS 規制のもとでは、銀行への信用供与は他の貸出先に比べてリスク・ウェイトを低く算定することができた。
ここに記した供給サイド の要因は、国宗浩三編 [35] の第 2 章「アジア危機の本質、教訓と国際金融協力」67 ページ
より引用したものである。
2 1996 年時の債務・株式比率を見ると、韓国の 350%を筆頭に 、タイ 240% 、インド ネシア 180%と高い数値を示
している。もっとも日本も 200%を超える比率であり、ほぼ 100%に等しいアメリカを大きく上回っている。
3
そして第三の特徴は、銀行のバランスシート上での資産および負債に関する期間構造のミス・
マッチである。前述のオフショア市場などを経由して流入した海外からのポートフォリオ投資は
基本的に短期資金である一方、そうした資金の運用先は主として事業向けの中長期貸出であった。
この 3 つの特徴は通貨危機の発生と共に金融システムの不全をもたらすことになる。海外から
タイに流入した資本が通貨危機の発生とともに流出すると、それがバーツ・レートの下落につな
がる。そしてそれがさらなる資本流出を誘発する。この資金流出と為替減価は銀行部門のバラン
スシートに決定的なダ メージを与える。まず、負債項目である海外からの短期資本が流出すると
運用資金の回収(流動化)が要請される。これは長期投資プロジェクトの中止と担保物件の投げ
売りをもたらすから、投資財の価格を下落させることになり、バランスシートにおける資産の収
縮につながる。次に、銀行の調達資金がドル建ての場合、アジア諸国通貨の暴落により、銀行部
門における自国通貨ベースでの負債額が膨張し 、利払い負担を高めるとともにバランスシートを
悪化させることになる。こうして金融危機が引き起こされる。
2.1.3
景気後退
通貨危機と金融危機はアジア諸国の景気にも深刻な影響を及ぼした。表 1 には危機 5 カ国につ
いて、実質 GDP 、実質民間最終消費支出、実質国内総資本形成の 1986 年から 1996 年までの 10
年間の年平均成長率と 1997 年から 1998 年にかけての成長率が示されている。危機前の 10 年間
はきわめて良好なマクロ指標のパフォーマンスを示してきた 5 カ国が危機後の 1 年で軒並み大幅
なマイナス成長を経験したことがわかる。とりわけマクロの投資に相当する資本形成の危機前後
での劇的な変化が特徴的である。先に述べた金融危機の影響が企業の投資行動に大きな影響を与
えた様子が見て取れる。
次に、株価に関しては、IMF の World Economic Outlook によると、1996 年初の水準と比べて
1998 年の株価はタイとインド ネシアでおよそ 10 分の 1 、マレーシアで 7 分の 1 、韓国とフィリ
ピンで 5 分の 1 である。これらの数値は、通貨危機および金融危機が実体経済面へも深刻な打撃
を与え、最終的には総合的な経済危機へとつながっていったことを示すものといえる。
2.2 誰が悪いのか
何か事件や問題が起きると、人間はその犯人探しから分析を始めるのが常である。通常の人々
の興味は犯人が特定されると冷めてしまう。しかし 、経済学の研究では誰が悪いのかを定めるこ
4
表 1: 危機前後でのマクロ経済指標成長率の変化
実質 GDP
1986-1996∗ 1996-1997
インド ネシア
韓国
タイ
マレーシア
フィリピン
7.4 %
7.9 %
9.0 %
8.2 %
3.6 %
実質民間最終消費支出
1986-1996∗ 1996-1997
-14.2 %
-6.0 %
-9.9 %
-7.8 %
-0.5 %
6.6 %
8.0 %
8.2 %
8.2 %
4.0 %
-2.2 %
-10.1 %
-20.7 %
-17.4 %
3.4 %
実質国内総資本形成
1986-1996∗ 1996-1997
10.1 %
11.3 %
13.9 %
14.2 %
7.7 %
-59.4 %
-48.8 %
-38.5 %
-56.0 %
-18.8 %
∗ 年平均成長率
と自体が本質的な目的ではない。重要なことは誰が悪さをしたかを知った上で、次になぜそのよ
うな悪さをしたかを明らかにすることである。そして、さらに論理を遡っていくと、最後にその
ような悪さを誘発するしくみがなぜ作られたかという疑問に到達するのである。
2.2.1
貸す方が悪いのか借りる方が悪いのか
通貨危機が発生し 、それが金融危機、経済危機へと深化していく段階ではじめに巻き起こった
議論は、借りる側の危機 5 カ国と貸す側の海外投資家のどちらに責任があるかというものであっ
た。現在では、P. クルーグマンの定義に基づき、前者はファンダ メンタルズ論、後者はパニック
論と呼ばれている。
ファンダ メンタルズ論によると、危機の原因はアジア諸国経済の構造上の問題である。日下
部-堀本 [36] は、 金融のグローバル化と資本流入、 投資ブーム、 為替レートのド ルへの固
定、 輸出の伸び悩み、 金融セクターの不良債権の急増、 企業セクターの脆弱性、の 6 つを
指摘する。ファンダ メンタルズ論に関してはどの文献でも大抵これら 6 要素で言い尽くされてい
る。 については 2.1 節ですでに述べた。 は Krugman[32] や Young[65] が指摘したようなアジ
ア地域における低い投資収益率と生産性伸び率という基本的問題に加え、経済危機直前には海
外からの投資資金が経常収支の改善を生まない不動産関連への投資へ集中的に行われた点など
が指摘される。 は実質上のドル・ペッグ制によりド ル高・円安局面ではアジア通貨が日本に対
する競争力を失ったこと、さらにいわゆる国際金融のトリレンマ(固定相場制、金融政策の自由
度、資本の自由化の 3 制度は両立しない)により為替レート維持のために政策の手足を縛られた
ことである。 についてはドル・ペッグ制の影響に加え、海外からの直接投資が輸入量を減らす
5
方向ではなく、むしろノックダウン方式の導入や高価な部品の輸入を通じて経常収支を赤字化さ
せる働きをしたというものである。 は 2.1 節で述べた間接金融に偏った金融システムの問題と
ドル建て負債が通貨危機で膨張した点である。 は Wade-Veneroso[61] でも指摘されている低い
自己資本比率と未発達なコーポレート・ガバナンスの問題を意味している。また、 と に共通
する問題としては 、韓国の財閥やインド ネシアの大統領の親族ならびに側近と関係する企業グ
ループに代表されるいわゆるクローニー・キャピタリズム(仲間うちでのなれ合い資本主義)の
存在が指摘される。
しかし 、ファンダ メンタルズ論に対しては反論もある。荒巻 [2] は、危機に見舞われたアジア
諸国における危機以前の経済パフォーマンスは良好であり、これらの国の経済構造自体に危機を
引き起こす要因が内在していたとは見なせないと指摘する。その根拠として、 高い経済成長
の継続、 インフレ率の低さ、 貯蓄率の高さ、 健全な財政状況という 4 つの要素をあげてい
る。これが今回のアジア経済危機と 1980 年代に中南米で見られたような従来の経済危機と大き
く異なる点であり、経済構造が悪いからとは一概に言い切れない理由なのである。
借りる側に問題がないのであれば、貸す側に問題があったとするのがパニック論である。Radelet-
Sachs[50] はパニック論の根拠として投資家のとる行動そのものがパニックを自発的に引き起こ
3
その考えの基本は、 すべての投
すという自己実現モデル( self-fulfilling model )を引用した。
資家は基本的にアジア諸国への投資には悲観的予測を立てているため、 一旦、流動性の不足が
発生すると誰もアジア諸国へ追加融資を行うことはなく、 国際金融システムには「最終的な貸
し手( lender of last resort )」が存在しないために投資家の悲観的予測は益々ふくれあがり、 貸
し手は借り手に対して長期的には収益を生むはずの投資プロジェクトについても流動化を要求
し 、 それが担保価値の下落を通じて金融パニックへとつながる、というものである。
極端なパニック論として有名なのがマレーシア・マハティール首相による先進資本主義悪玉説
である。この考え方は、アジア諸国経済に構造的問題は存在せず、経済危機は先進国の「ごろつ
き投資家」が利益優先で操る短期資本によってもたらされた混乱と見なすものである。しかし 、
この悪玉説の背後には、経済学に基づく仮説というよりも、1999 年に行われたマレーシア総選
挙を睨んでの政治的意図が多分に含まれていたと解釈するのが妥当であろう。
ファンダ メンタルズ論をさらにもう一段掘り下げると、なぜアジア諸国に構造上の問題が存在
したかという疑問が生じるであろう。それについては、進藤 [51] の第 2 章で指摘されているよ
うに、アジア諸国の経済発展が従来型のいわゆる雁行モデルタイプではないことと関連があると
3 モデルについての説明は 2.4 を参照。
6
考えられている。4 雁行モデルとプロダ クト・サイクル仮説を結びつけると、発展途上国は先進
国の技術に追随していくことにより、経済発展の段階を踏んでいくことになる。しかし 、アジア
諸国の経済発展が雁行モデルにあてはまらないということは、経済発展の基本的段階を踏んでい
ないことになるわけであり、唐沢 [24] が指摘するようなアジア諸国の構造上の欠陥、すなわち
脆弱な産業構造、インフラ整備の遅れ、市場ルールの未発達、そして深刻な環境汚染という成長
のボトルネック拡大につながるのである。
2.2.2
制度に関する問題
ファンダ メンタルズ論にせよパニック論にせよその原因をさらに突き詰めていくと、そのよう
な構造上の問題なりパニックなりが発生したより基本的な問題を考える必要がある。それがアジ
ア諸国や先進国の経済の仕組み、すなわち制度に関する考察である。
経済危機が発生した当時の制度としてしばしば槍玉に挙げられるのが 、危機に見舞われた国
で採用されていたドル・ペッグ制と呼ばれる為替制度の問題である。すでに 2.1 節で述べたよう
に、ドル・ペッグ制はしばしばドル高時に円や元にタイする競争力を失わせ、貿易赤字の拡大を
もたらす形で危機の原因と指摘されている。しかし 、より重要な問題としてはそうした為替制度
自体に問題があったのではなく、その運営の仕方に問題があったという考え方がある。経済学の
理論が教えるように、運営の方法を誤らなければ為替制度は変動制でも固定制でも実体経済面に
は同じ均衡をもたらすからである。
Fane-McLeod[12] はタイとインド ネシアが自国の為替制度と整合的な政策をとらなかったこと
が危機の原因だと述べている。すなわち、国際金融のト リレンマ理論に基づけば 、固定為替制
度に固執したタイでは国内金融政策を放棄すべきであり、変動相場制に直ちに移行したインドネ
シアでは国内金融政策を優先させるべきであったにもかかわらず、両国とも逆の政策を行ってし
まったというのである。Tsurumi[58] では、為替レートと消費者物価指数の動きに注目し 、タイ
においては固定為替制度のもとで長期均衡である購買力平価の方向とは逆向きの為替政策がと
られ 、それが危機の原因になったと指摘している。
一方、Katz[25] や Wade-Veneroso[61] は発展途上国の制度運営のみに欠陥があったのではない
と指摘する。為替制度とならんで危機の原因と見なされるアジア諸国の制度として間接金融を
4 雁行モデルとは赤松要が戦前に提唱した経済発展モデルであり、一羽の雁が飛び立つと次々と雁が水面を離れて
いくように、アジアの発展段階においても日本という雁が飛び立つと、韓国、台湾、シンガポール、マレーシアとい
うように次々と他国が追随して経済のテイクオフを果たすというものである。
7
中心とする金融システムがある。すでに述べたとおり、タイでは銀行やノンバンクなどの金融
仲介システムが崩壊したことが金融危機を経済危機へと拡大させたと考えられている。しかし 、
Wade-Veneroso[61] によれば 、成長の源泉を家計からの貯蓄に多く依存する日本をはじめとする
アジア諸国においては、間接金融は最も適した金融システムだとされる。投資リスクを基本的に
嫌う家計貯蓄は銀行を経由し 、政府の保護の下、安全に企業へと回されるのである。取り付け騒
ぎなどのパニック対する脆弱性を持つ間接金融においては、こうした銀行、企業、政府の三位一
体の協力関係はクローニー・キャピタリズムではなく、安全な制度運営の方法ということになる
のである。Katz[25] は韓国における財閥の存在もこうした間接金融システムを安全に運営させる
ための一環として解釈すべきであると述べている。したがって、彼らによれば 、真の問題はこう
した伝統的アジアモデルにアメリカを中心とする先進国の資本主義制度を持ち込んだことにあ
るというのである。ショックに対して弱さを持つ間接金融システムに資本の自由化をいきなり持
ち込めば 、国際金融市場での資金の流れの変化による金利の変動の影響が直接、銀行や企業のバ
ランスシートを直撃し 、実体経済への影響を増幅する結果となるのである。
なぜ相互に不整合な制度を組み合わせたのだろうか。Johnson[21] によれば 、アジア経済危機
はアメリカ合衆国が自国の利益のためにアジア諸国を搾取( exploit )した結果であるという。そ
の内容は、 ドル・ペッグ制がドル高を通じて輸出競争力の低下をもたらしたこと、 海外直接
投資は現地労働者の賃金を上昇させる働きをせず、国内市場の拡大を阻害したこと、 東西冷戦
の終結によりアメリカにとってアジア諸国の経済発展をサポートするインセンティブがなくなっ
たことの 3 つからなり、こうした先進国の都合だけでアジア政策を行ったことが制度の不整合を
生み、アジア経済危機の遠因になったと述べている。また、Bhagwati[3] は、ウォール街とアメ
リカ議会からなるコンプレックス(複合体)による資本移動自由主義信奉の蔓延が経済危機の原
因だと指摘する。経済学の上からも、リカード の比較優位論やヘクシャー・オリーンの貿易モデ
ルによって財市場に関する自由貿易は理論的なバックグラウンドを有しているのに対して、資本
の自由化に関してはそれが世界の資源配分の面で望ましい結果をもたらすという結論はこれまで
のところ得られていない。それにも関わらず、ウォール街は自分の利益を増やすことを目的に、
自由化こそが全体の利益につながるという議論をロビー活動によってアメリカ議会さらにはアジ
ア諸国の政治家に信じ込ませたというのである。
自由化は時代の流れだと言われる。しかし 、日本においても、間接金融主体の金融システムが
金融の自由化という流れの中でバブル経済を迎えたことにより、バブル崩壊後の深刻な金融危機
8
が生じたことは記憶に新しい。5 誰が悪いかと言えば 、危機を引き起こした本人が悪いのだろう。
また、バブルを引き起こした当事者が悪いのだろう。しかし 、議論がそれだけに留まっていては
次に同じような状況になったとき、適切な対処法を見出すことは困難になるであろう。
2.3 どのように対処したのか
アジア経済危機を深刻なものとした原因として、はじめの通貨危機が生じたときの対処の仕方
がまずかったという説がある。この節では危機への対処法に関する問題をとりあげる。
通貨危機が発生し 自力での通貨防衛が不可能になると、IMF による救援活動が開始される。
IMF の基本的な処方箋は、国際基金からの融資と同時に要請される 2 本立ての政策実行、すな
わち経済の引き締めによるアブソープションの削減と金融の引き締めによるインフレの沈静化で
ある。前者からは引き締めによる経常収支の改善効果が期待され 、後者からは金利上昇と物価の
安定によって為替レートの下落を押しとどめる効果が期待される。そして為替レートはフロート
化される。
今回のアジア経済危機への対処に関して評価が分かれる理由は、これまで中南米などで見られ
た経済危機とは状況が異なるからである。この点に関して、たとえば 、Wade-Veneroso[61] は 、
1980 年代に生起したラテン・アメリカの経済危機では国家( 政府)が潰れて企業が生き残った
のに対し 、1997 年以降のアジア経済危機では企業が潰れて国家( 政府)が生き残ったと述べて
いる。危機前におけるアジア諸国のマクロ経済指標は概ね良好であったことを考えれば 、従来の
危機への対処法をそのままアジア諸国に持ち込むことは適切とはいえないことになるのである。
荒巻 [2] 、Katz[25] など IMF の処方箋の誤りを指摘する文献では概ねこの点の不適切さを問題と
している。
従来の経済危機は国家(政府)が野放図な支出拡張と貨幣発行を行った結果、貿易赤字の拡大
とハイパー・インフレが進行し 、通貨の信認が失われ為替レートの暴落を生むというプロセスで
あった。したがって、IMF の処方箋はそれなりに当を得ており、有効と見られてきた。しかし 、
1997 年以降のアジア通貨危機では、どの国も財政は健全な状態であり、激しいインフレは起き
ていなかった。6 したがって、財政と金融の引き締めは通貨危機を沈静化するのに効果がないば
かりか、通貨暴落によって負債が拡大した銀行および企業のバランスシートをさらに悪化させ、
5この点に関する詳しい議論は、Hoshi-Kashyap[19] および Nakajima[38] を参照。
6 World Bank による World Development Indicators によると、タイ、フィリピン、マレーシア、韓国、インド ネシア
の 1994 年から 1996 年までの年平均インフレ率はそれぞれ 5.6% 、8.5% 、4.2% 、5.2% 、8.6%であり、財政収支の対
GDP 比率は 2.3% 、0.6% 、3.0% 、0.2% 、1.4%とすべて黒字になっている。
9
金融危機を増幅させることになったのである。
そうした批判に対し 、当事者である IMF やアメリカ政府は、緊縮財政や金融引き締め政策は
アジア諸国の経済構造を改革し 、市場の信認を得ることが目的であると説明する。これは、IMF
がアジア経済危機の原因に関してファンダ メンタルズ論に準拠していたことを物語るものであ
る。したがって、パニック論を主張する J. サックスが IMF による処方箋を誤りだと指摘するの
は当然のことである。
、、、、
日下部-堀本 [36] は、今回の危機対応の難しさは通貨危機と金融危機が重なった複合危機とい
う性質にあると指摘する。ドル・ペッグ制がもたらす輸出競争力の低下によりアジア諸国の景気
に翳りが見え始めたとき、すなわち景気後退局面において通貨危機が生じた場合、為替防衛の
ための財政と金融の引き締めは景気後退に拍車をかけることになる。しかし 、為替レートの暴
落には歯止めをかけなければ通貨の国際的信認を失うことになる。日下部-堀本 [36] は、こうし
た場合の対処の仕方として、
「・
・
・複合危機の下では、マクロ政策は、対外的な調整が終わった
後、なるべく速やかに需要創出の方向に向かわなければならない」と述べ、まず為替レートの暴
落を止めるために引き締め政策を行い、その後、緩和政策に切り替えることが望ましいとしてい
る。一方、荒巻 [2] は、危機に対してはまずパニックを抑制することが第一であるとした上で、
財政は景気に対する不安感を払拭するために拡張的に運営されるべきであり、金融は利上げが為
替レート維持に関して効果がないことが判った時点で「遅滞なく引き下げ、実体経済への悪影響
を回避することが適当である」と述べている。
IMF 型の処方箋に従わなかった国(地域)としてマレーシアと香港がある。マレーシアでは首
相のマハティール氏が今回の経済危機の原因を自らの構造問題にあるとは考えておらず、専ら海
外の投資家による野放図な投資行動の結果だと宣言していたので、危機への対応もその線に沿っ
たものとなった。近藤他 [29] によれば 、危機に対するマレーシア政府の対応は、 通貨危機の
広がりを抑制した資本流入規制、 不良債権拡大を阻止した不動産融資規制、 金融機関の健全
性強化、 産業政策における規制、の 4 点に整理される。これらはすべて政府による経済活動へ
の規制を強化することによって危機の広がりを抑えることを目的としたものである。こうした方
向についての大方の評価は、規制の強化は急場凌ぎの方策としてその有効性はある程度存在す
るものの、市場の信認を失墜させるという副作用を有しているため長期化させるべきではない
というものである。むしろ、資本移動規制の方法として流入や流出をダ イレ クトに差し止める
ような直接的な規制ではなく、課税による間接的な手段が適切だとする意見がある。その一例が
10
J. トービンによって提唱された外国為替取引に対して世界一律の税を課すといういわゆるトービ
ン・タックスである。この税方式では取引を行うたびに課税されるので為替取引を頻繁に行う短
期資本の動きを抑制する効果がある。しかし 、これには国宗編 [35] のように、外交資本への依
存度が高いアメリカの承認を得ることがまず困難であるという指摘もある。
一方、香港は為替政策に関して厳格なカレンシー・ボード 制をとることによって通貨危機を乗
り切ろうとした。カレンシー・ボード 制とは、自国通貨の外貨(米ドル)に対する交換レートを
固定した上で、外貨( 米ドル)準備の 100%の裏付けを以て自国の貨幣供給量を設定するという
ものであり、いわば外貨(米ドル)本位制に準ずる固定為替相場制である。この制度は、厳格に
維持されれば自動的に野放図な財政拡張や金融緩和を抑制することになるため、経済システムの
安定を保証する効果をもつ反面、自国の財政・金融政策の手足を縛ることにつながるというマイ
ナス面も有している。香港政府は通貨価値の安定を最優先課題とし 、為替市場への直接介入と香
港中央銀行からの香港ドル借入に対する高金利政策によって為替レートの維持に成功した。その
一方で、レート維持の反作用として株価や地価の暴落など 香港経済に対する悪影響がもたらさ
れた。しかし 、香港は外貨準備を豊富に有している上に、深セン経済特区など 隣接する中国本土
に将来性ある製造基地が控えていることから、実体経済に対する不安感はそれほど 存在しない。
こうした余裕がカレンシー・ボード 制に基づく為替の安定をまず優先させ得たと考えられよう。
2.4 危機の経済モデル
経済危機のメカニズムを解明する経済モデルはこれまで数多く提示されてきたが 、アジア経
済危機が発生する以前については、Eichengreen-Rose-Wyplosz[11] により第一世代モデルと第二
世代モデルと 2 種類に分類されてきた。Krugman[31] および Flood-Garber[13] に代表される第一
世代モデルとは 、ある国において固定為替相場制のもとで拡大した財政赤字を貨幣発行によっ
て埋め続けているうちに、外貨準備が危機的な状況まで縮小した時点で投資家がキャピタルロ
スを避けるために一斉に投機的通貨攻撃を開始するというものである。経済ファンダ メンタル
ズが要請する為替レートと実際のレートの間に生じたギャップが危機が発生させるという意味か
ら、で言及したファンダ メンタルズ論のモデル化に相当するものである。一方、第二世代モデル
は Obstfeld[48][49] に代表されるもので、通貨投機が起こるか起こらないかは政府の制度維持コ
ストと投機家の予想に依存して決まると考えるモデルである。固定為替相場制下にある政府は、
レートを維持するためには金利を高めに設定しておかなければならない。これは景気に対してマ
11
イナスの影響を与えるのでコストと考えられる。一方、投資家にとっては、市場参加者の数が増
えれば増えるほど 少ない投資額で攻撃をしかけることができ、さらに政府の固定相場制の維持コ
ストが大きくなれば通貨攻撃のコストが下がるので攻撃がしやすくなる。このような状況におい
てなんらかのショックが生じたとしよう。このとき多くの投機家が政府の相場維持コストは大き
いと予想すれば 、一斉に通貨攻撃をしかけ、またそうなると政府の相場維持コストは実際に大き
くなるので通貨危機が発生することになる。
こうしたモデルはアジア危機以前に発表されたものであり、説明の対象は中南米やロシアにお
いて生じた通貨危機である。今回のアジア通貨危機が生じたとき、経済学者はまず過去の遺産を
活用し 、第一世代と第二世代のど ちらによって危機のメカニズムが説明可能かを考えたのであ
る。これが 2.1 節で述べたファンダ メンタルズ論とパニック論に相当する。しかし 、2.3 節で述
べたように、今回のアジア通貨危機は従来の危機とは性質を異にすることが次第に明らかになっ
てきた。たとえば 、Krugman[33] は、アジア経済のマクロ・パフォーマンスは第一世代モデルが
想定しているような深刻な状況にはなく、また第二世代モデルが前提とするように政府が固定相
場制を放棄するインセンティブを有していたとも考えにくいと指摘している。こうした動きに
伴って、危機を説明する経済モデルも従来とは異なるバージョンの第三世代モデルの開発へと移
行していったのである。
第三世代モデルは、Krugman[34] の分類では銀行(間接金融)システムを危機のコアだとする
考えに基づくものである。Krugman[33] では、金融仲介サービスを行う銀行が政府の債務保証を
担保にキャピタルゲインを当て込んだ不動産関連のリスキーな投資に資金をつぎ込んでバブルを
発生させた結果、そのバブルがはじけたとき資産価格の負の連鎖が生じて一気に金融システムの
不全を起こすというプロセスがモデル化されている。Corsetti-Pesenti-Roubini[9] はそこから一歩
進んで、政府の債務保証は隠れた補助金すなわち財政支出であるとみなし 、表面的には健全に見
えるアジア諸国の財政も潜在的には巨額の赤字体質であったとするモラル・ハザード モデルに基
づくファンダ メンタルズ論を展開した。一方、Chang-Velasco[7] は、国内の金融自由化と海外か
、、、、、
らの短期資金の導入によって銀行が外的ショックに対する抵抗力を失った結果として 自己実現的
に危機が発生するメカニズムをモデル化した。7 そこでは、アジア諸国における投資プロジェク
トに対して基本的に悲観的見方を持つ海外投資家がわずかのショックで資金を流動化させ、それ
7 自己実現的危機モデルは Chang-Velasco[7] で最初に登場したのではない。オリジナルは Diamond-Dybvig[10]
による銀行取り付けのモデルであり、1994 年から 1995 年にかけてメキシコで発生した通貨危機を説明する際に
Calvo-Mendoza[5]、Eichengreen-Rose-Wyplosz[11] 、Kaminsky-Reinhart[23] などがそれを応用している。
12
が連鎖的な銀行への取り付けを招いて金融システム不全を生じさせると同時に進行中の投資プロ
ジェクトの中断によって実物経済に影響を与える一方、固定相場制下にある政府が最終的な貸し
手として銀行救済に乗り出すため金融緩和を通じて通貨危機を併発する。こうして通貨、金融、
そして実物経済の危機が同時に発生するのである。
最近では、こうした第三世代モデルの現実妥当性に対しても疑問を投げかける第四世代モデル
が登場してきている。そのひとつは、Krugman[34] である。Krugman[34] は、自分もかつて提唱
者の一人であったモラル・ハザード モデルについて、海外投資家からの預金についてははじめか
ら銀行に対して政府による債務保証など存在せず、またリスキーな不動産投資もバブルが崩壊し
た結果としてリスキーだと認識されたいわば事後的判断であって事前には銀行も含めて誰もリス
キーだとは考えていなかったと述べ、アジア危機が生じた状況をうまく説明していないと断じ
ている。また、自己実現モデルについても、預金の引き出しによって実際の投資プロジェクトが
完成を待たずに流動化されて不況を招くという例はそれほど 多く見られたわけではなく、より影
響力のあるルートは通貨の暴落によって外貨建てで資金調達をしていた企業の借金が膨れあがっ
たことであるとし 、現実妥当性に欠けると指摘している。こうした従来モデルの批判を展開した
上で、Krugman[34] は、Diamond-Dybvig モデルの一部変更バージョンとして、悲観的見通しを
持つ海外投資家が資金の引き上げを開始して自己実現的に通貨危機が生じ 始めるとそれがド ル
建て負債を抱える企業のバランスシートの悪化すなわち資産の減少を生み、次いで投資の減退、
生産量の縮小へと連鎖が起きて本格的な資本逃避をもたらすプロセスを叙述している。
第四世代モデルのもう一つは、Caballero-Krishnamurthy[4] である。彼らはアジア諸国の企業
が資金を借り入れる際に差し出される担保制約に着目し 、国内金融機関から借り入れる場合の
担保(国内担保)と海外金融機関から借り入れる場合の担保(国際担保)という 2 種類の制約間
の相互依存関係をモデル化することによって、通貨危機と金融危機の発生メカニズムを併せて
説明した。彼らのモデルでは、国際担保は輸出業者の外貨収入であり、国内企業は銀行に国内担
保を差し出すことによって外国資本の借入が可能となる。このとき、金融システムが未発達な国
( 間接金融重視の国)では、担保価値に見合った貸し出ししか行わないため、なんらかのモーメ
ント(たとえば地価下落)によって国内担保価値が下がると、投資プロジェクトを遂行するため
に十分な貸し出しが行われなくなり投資収益が下がる。これは輸出業者・銀行を通じて国内企
業に貸し出されている外国資本の収益率の下落を意味するから、国際担保の価値までが下落し 、
結果的には担保価値に対する過剰な借り入れ( overborrowing)の問題となって、資本逃避と通
13
貨危機が発生する。ここでの問題の原因は、実際の投資収益率が下がったわけでもないのに国内
担保価値が下がっただけで海外借り入れが有効に活用されなくなるという内から外への外部効
果( externality)である。したがって、外部効果を少なくするような金融システムの制度整備を
行うことが危機回避の方策ということになる。
以上のように、危機の経済モデルは過去の遺産を活用しつつも、アジア危機の現実を踏まえた
より具体的なモデルへと進化してきている。今後、危機以降のデータが揃ってくれば 、実証分析
によるモデル説明力のチェックを通してアジア経済危機の原因が明らかにされていくであろう。
3 アジア経済危機と直接投資 — 最近の研究動向に関するサーベイ
アジア通貨危機は国際資本移動に未曾有の影響を及ぼした。世界全体の途上国への資本流入は
1990 年には 310 億ドルであったのが 、1996 年には 2400 億ドルに達していた。そして、1994 −
1996 年の期間、アジアへの資本移動が他の途上国への資本移動を凌駕するようになっていた。そ
のような状況で発生したアジア通貨危機による国際資本移動への影響は 1994 年に生じたメキシ
コの通貨危機とは較べものにならないほど 大きいものであった。その様な流れの中で、国際資本
移動の一形態である海外直接投資(以下、FDI )もそれまでにない水準に達していた。
FDI はそれまでのアジア諸国の経済成長の原動力の一つとして大きな役割を担ってきていた。
この FDI がアジア危機からどの様なダ メージを受けたのであろうか。また、同じ資本流入の中で
も短資・ポートフォリオ投資といわれる資本は急速に引き上げることでアジア危機を深刻化させ
たが、FDI はアジア危機に対してどの様な意味を持っていたのか。また、今後の回復過程でどの
様な意味を持つのか。さらにアジア危機を経て、FDI をめぐ る政策はどのように変化したのか。
過去最大の水準に達していた FDI を直撃したアジア危機をめぐり、上の一連の問題に答えるの
は非常に興味深いことであろう。しかし 、それらに関する研究は始まったばかりであり、現在、
叙述的・論説的な分析から精緻な理論的基礎を持った分析への過渡期にあると考えられる。これ
は、精緻な分析に耐えうるアジア危機後の統計データが利用可能になるまでのタイムラグのため
8
現在利用可能なアジア危機に関す
である。今後、このような一連の分析が本格化するに際し 、
る研究と、アジア危機以前の有用な先行研究をサーベイし主な論点について整理しておくことは
有意義なものと思われる。
続く 3.1 節では、FDI がアジア危機から受けた影響という点に焦点を絞って主な調査・研究を
8 今回取り上げることはできなかったが 、NBER や旧経済企画庁などによる各種コンファレンスではアジア危機の
影響についての実証分析が少なからず報告されはじめている。
14
整理する。マクロの FDI フローの数値から見た FDI の動向をまとめた上で、個別のアンケート
調査を主体に個別企業がどの様な影響を受けたのかをまとめる。これに対し 、3.2 節では政策的
な視点から FDI に関する論点を整理する。まず、途上国経済における FDI の意義を通貨・経済
危機との絡みでまとめる。FDI は通貨危機やその回復過程に対してどのように寄与したのか、ど
のような種類の FDI が望ましいのか、などである。続いて、FDI をめぐる経済政策について議論
し 、FDI を誘致するためにどの様な政策が求められているのかという点について議論する。3.1
節では最新の動向を追った叙述的・論説的な調査・研究が主となるのに対し 、3.2 節ではアジア
危機以前のデータを用いた理論的枠組みのしっかりした先行研究を中心にまとめることになる。
最後の 3.3 節では、本稿の要旨に若干のコメントを加え結びとする。
3.1 アジア危機が FDI にもたらした影響の実態
3.1.1 アジア危機の影響の多様な側面
いわゆるアジア危機が、その端緒となった通貨危機のみならずそこから始まった信用不安、景
気の低迷や政情不安などの様々な側面を持ちあわせていることと同様に、FDI に対するアジア危
機の影響も様々な経路を通じてもたらされることとなった。さらにその中には FDI にとって望
ましい影響も少なからずあったことは重要な点である。まずアジア危機の影響の実態の検討に先
立ち、ど のような影響が理論的に想定され うるのかということについて整理しておくことにし
たい。
FDI に対するアジア危機の様々な影響について述べられているものとしては石川 [20],KreininAbe-Plummer[30], UN[59] があげられるが 、主なものを要因別にまとめたのが表 2 である。
現地通貨の為替レートの下落を要因とする影響としては、まず現地の生産要素価格の下落が考
えられる。これは資本財、中間財、労働のいかんを問わず、現地で調達する生産要素の相対価格
が低下することである。現地調達比率の高い企業ほどこの恩恵を受ける。逆のこととして、現地
調達比率の低い企業は中間財の輸入コストとの上昇を被ることになる。次に、為替レートの下落
は輸出競争力を向上させる。輸出比率の高い企業ほどこの恩恵を享受する。また、M&A を含む
新規投資のコストを安くする効果もある。これらのように 、為替レートの下落は FDI にとって
は望ましい状況をもたらすことが多いが、投資済の資産価値の減少が担保価値の減少という形で
資金調達を難しくするというマイナスの効果もある。為替差益・差損のように恩恵を受ける場合
と損害を被る場合と両方ありえる効果もある。
15
表 2: 経済危機が対内直接投資に与える影響
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通貨危機以前の為替制度はド ルペッグ制が主流であり、そのもとでの通貨の安定性は FDI に
とっても望ましいものであった。しかし通貨危機を受けてドルペッグ制は放棄され 、為替レート
は大幅に切り下がり、為替の変動幅は格段に大きくなったため、為替リスクの管理の強化が課題
となった。具体的には、先物予約、資金管理の一元化、ネッティングの採用、現地通貨建て借り
入れの増加、輸出増加による外貨建収入の増加などの対応策があげられる。なお、マレーシアは
逆に 1998 年 9 月に固定相場制に移行し 、為替リスクが解消された。
経済の混乱・景気低迷に伴う現地市場の縮小は FDI にもっとも大きなダ メージを与えるもの
の一つである。国内市場依存度が高いほどこのダ メージは大きいといえる。また、この影響は国
内市場のみならず、近隣国市場の縮小についても同様であり、輸出志向型企業でもアジア域内の
市場をターゲットとしている場合にはこの影響を受ける可能性も充分に考えられる。
金融不安による貸し渋りの発生も FDI にとってはマイナスである。具体的には金利引き上げ、
新規貸出・貸出増加の拒否、担保条件の厳格化などである。また、景気後退に伴う株価の低迷は
為替レート下落の効果と相まって M&A を容易にする。現地市場の縮小や金融不安は、FDI の経
16
営パートナーの体力低下につながる。FDI のような親企業からの資金援助が期待できないためで
ある。
危機以前の旺盛な直接投資のテンポに対し突然の不況は稼働率を下げ償却費負担を重くする。
また、突然の不況は雇用情勢をも悪化させる。労働市場が買い手市場になるという点では、FDI
にとって有利な状況と言えるが、逆に治安の悪化や、ひどい場合には政情不安に結びつくなどネ
ガティブな要素も大きい。
危機に対して各国政府がとる様々な施策も投資環境に大きな変化をもたらす。金融引き締め
のようにマイナスの効果を持つものもあるが、市場の整備や投資の促進策が主流であり、FDI に
とっては望ましいものが多いと考えられる。FDI 関連の政策の内容とその実態については後に再
度取り上げることにする。
以上のように FDI に対する危機の影響は実に様々な形であらわれるが 、必ずしも FDI にとっ
て不利なものばかりでなく、有利なものも同程度存在することが分かる。次に FDI が受けた影
響の実態について検討を加えるが、それにあたり上の様々な影響の中のどれが大きく寄与したの
かという視点を持ちながら分析を加えることが肝要である。9
3.1.2
危機後の FDI の動向に関する議論
危機による FDI へのダ メージがどれほどであったかは、1998 年から活発な調査と議論が繰り広
げられてきた。特に当初の楽観論と悲観論の隔たりは大きいものであった。為替差損や現地市場
の低迷による大打撃のニュースがしばしば見受けられた一方、楽観的な見方も少なくなかった。
アジア危機の FDI への影響に関する先駆的な調査として、国際商業会議所( ICC )と UNCTAD
(国際連合貿易開発会議)が日米欧の主要企業に対して 1998 年初頭に行った合同調査がある。こ
の内容が UN[59] に解説されているが、それによるとアジア危機にもかかわらず直接投資戦略を
「アジア向け直接投資がアジア危
変更しないもしくは拡張すると答えた企業が 88 %にものぼり、
機以降も増勢を保ち続ける」と結論づけている。以下では複数の調査結果をまとめ新しい統計を
利用することで実態の把握を目指すとともに、このような対称的な見解がどの様な論拠を背景に
なされてきたのかを検証したい。まずマクロの統計をもとに、FDI 全体のボリュームがどの様に
推移してきたかを検討し 、続いて企業ごとの視点から行われた調査を元に、よりマイクロな視点
でどの様な企業・国・業種が大きな被害を受けたのかといった点について検討する。
9 以下では上の各々の効果の実態についてすべて列挙することはできないが 、石川 [20] によくまとめられているの
で参照されたい。
17
図 1: アジア各国・地域への日本企業の投資額( 認可ベース)
2000 年の数字はインド ネシアが 1〜10 月、台湾、タイ、韓国が 1〜11 月。単位はタイのみバーツ。タイ投資委員会
など 、各国資料より作成
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3.1.3 マクロ統計から見た影響の実態
直接投資に関するマクロ統計はその視点により様々なものが存在するが、受け入れ国側から見
た認可ベースの統計が速報性もあるため一般的である。本文執筆時点での最新の値を用いて作成
したのが図 1 である。それによると、まず危機以降のタイとインドネシアにおける日本企業によ
る直接投資の大きな落ち込みが顕著である。台湾では影響は比較的軽微であり、韓国では増加し
ていることが分かる。この表からは国によって差はあるものの危機による直接投資の減速が確か
に見受けられ 、98,99 年当時に悲観論が台頭したことも理解できる。
しかしながら、危機国に於ける FDI の全体像を把握するためにはこの表は一面的であり、理
解を歪める危険性がある。このことは次の二つの理由による。まず日本からの FDI と欧米から
の FDI の動向に顕著な差が生じている点である。危機以降、日本からの FDI は先行投資の一巡、
円安基調、国内経済の低迷などの理由で先細りとなった一方で、欧米企業は外貨建てで見た投資
コストの低下、業績の好調、アジア地域への出遅れを背景に FDI を活発化させてきたという事
情がある。このため、日本からの FDI の動きと日本以外の FDI を含んだ動きとど ちらを見るか
18
で見方が大きく異なることになる。日本企業を主体とした統計・調査に楽観的な見解が少ないの
10
はこの点に負うところが大きい。
今ひとつの問題点は認可ベースという点である。認可ベースの統計は速報性にまさるものの、
投資が実行される時点とのタイムラグがある、 認可された投資が 100 %とは限らない、
M&A や増資が対象外、といった点で実態とかけ離れた統計となる可能性がある。特に、今回の
アジア危機のように大きな経済変動があった場合には実際との乖離が大きくなる可能性が大き
いと思われる。その点をおさえた上で先行指標として用いるべきであり、正確なフローを把握す
るためには国際収支ベースで見る必要がある。下に見るとおり FDI に関する規制緩和につれて
M&A や増資は順調に増加しており、この点を指摘する文献( 例えば Alburo[1] など )は楽観的
な見通しを述べている。
マクロの FDI の統計を観察し解説を加えた文献は多数存在する。JETRO のものや国連のもの
が代表的であるが 、ここでは石川 [20] を取り上げたい。そこでは新しい統計値を用い、アジア
各国や日本企業固有の事情も適宜指摘しながら、FDI の動向が手際よくまとめられている。ここ
ではその中から主要な点を要約することにしたい。
まず各国別に見ていくと、日本企業の FDI が認可ベースで大きく減少したタイであるが、欧米
からの投資は活発に継続されている。98 年にはヨーロッパの、99 年にはアメリカの FDI 認可額
は大きくふくらんだ。このため世界全体で見たタイへの FDI はそれほど 大きく減少してはいな
11
99 年まで投資額は上昇基調にあることが分かる。
い。それどころか国際収支ベースで見ると、
98 年は国際収支ベースでは過去最高の投資流入額を記録し 、99 年は 98 に較べ若干減りはした
もの、それでも 97 年に較べればかなり高い水準にある。認可ベースの統計には反映されない欧
米企業による金融部門への M&A や日系企業による増資が大きな要因となっている。また、外資
規制の緩和による 100 %外資企業や M&A の増加が顕著である。
マレーシアは認可ベースで見ても国際収支ベースで見てもゆるやかな下落基調であるが、その
中で日本企業の下落の厳しさは突出している。マレーシアの特徴は 1998 年 9 月に固定相場制と
資本取引規制が導入されたことであり、他の国々の流れと逆行している。このため直接投資の減
少が懸念されている。
インド ネシアは一部の業種や地域を除いては急落を続けている。これは認可ベース、国際収支
10 アジア地域に対する直接投資主体としては華人企業も大きな役割を果たしている。木下 [27] は、華人企業は日本
企業と同様に大きな被害を被ったこと、しかし今後も重要な直接投資主体として活発な活動を続けるという見通しを
述べている。
11ドルベース。
19
ベースのいかんを問わず、また日本と欧米の別を問わないものであり、アジア危機国の中でも突
出した低迷を記録している。相次いだ暴動・騒乱などの治安の悪化や政情不安が大きな要因と言
える。
フィリピンでは緩やかな下落傾向が続いている。ただし M&A の拡大は顕著である。韓国は 96
年以降、日欧米を問わず増勢を強めている。外資による株式取得制限の撤廃や M&A 規制の緩和
により M&A が増えており、国際収支ベースで見ても増加傾向は強い。以上の検討を踏まえアジ
ア危機以降の FDI フローの特徴として次の 4 点を指摘してまとめとしたい。第一に、アジア危
機による影響は大まかに見る限り、大きく FDI が減少したのはインド ネシアだけであり、その
他の国においては FDI フローに関する限りダ メージは軽微あるいは順調な伸びを示していると
言って差し支えない。
第二に、この中では認可ベースの統計には含まれない増資や M&A による効果が大きい。特に
M&A は近年急増している。M&A は韓国、タイで急激な上昇が見られ、またその他の国でも活
発な水準にある。
第三に、日本の停滞に対して欧米の活発な投資姿勢があげられる。第四に、積極的な外資規制
の緩和が危機以降も FDI を活発化させている点も見逃せない。マレーシアは規制を強化した数
少ない例であるが 、FDI は減少傾向を示している。
ここまでは石川 [20] を中心にまとめてきたが、それ以降の動向はど うなっているのだろうか。
前出の図 1 は直近の日本企業の動向も示している。それによると 2000 年のアジアへの日本企業
の投資は急速に回復している。タイで四倍近く急増しているほか、減速の著しかったインド ネシ
アでも三倍近い急増がみられることが特徴的である。2001 年 1 月 8 日の日経新聞には同様の表
が「日本企業、アジア投資回復」という見出しと共に掲載された。それによると「通貨危機後の
混乱が収束したと見て、低コストの労働力に着目したIT(情報技術)製品、部品などの工場建
設が活発になった」と報じられている。現地市場の縮小などアジア危機の影響はまだ無くなった
とは言えないが、マクロの FDI フローに関する限り順調な回復ぶりが見えてくる。
3.1.4 アンケート 調査から見た影響の実態
1998 年をピークにアジア危機の影響を探るべく FDI 企業へのアンケート調査が盛んに行われ
た。ここではそれらの中から主なものを概観することで、前節で述べられた FDI の動向をより
マイクロな視点から確認すると共に、様々な業種や企業形態の中でどの様な企業がどの様な影響
20
表 3: FDI とアジア危機に関する主なアンケート 調査
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を被ったのかという点についても検証を行う。表 2 は今回引用した主なアンケート調査である。
まずアジア危機・アジア地域に限らず日本の製造業企業の FDI に関するものとして、開発金
融研究所・国際協力銀行(旧海外投資研究所・日本輸出入銀行)によって毎年実施されているア
ンケート調査がある。西山他 [46]、鏑木他 [22] に報告されている 1998 年度、1999 年度の 2 回の
調査についてはアジア危機に関する調査項目をも持っているのが特徴である。1998 年度の調査
の要旨は以下のようなものであった。
1. 98 年度海外投融資見込額は 23.4 %の減少で 5 年ぶりの減少に転じた。
2. 特に落ち込みが激しいの中堅・中小企業( 51.9 %減)
。
3. 中期的に見た場合( 3 年程度)、FDI の意欲は低い。理由としては、それまでの活発な投資
の後の一巡感、ASEAN 諸国を中心としたマーケットの縮小懸念、現地通貨の先行き不透明
感、日本の景気低迷による親企業の業績不振。
4. 中期的に有望な投資先としては、回答の上位 10 カ国中 7 カ国がアジア。依然としてアジア
を有望と見る向きが多いが 、他方で欧州、米州への関心度が高まったことも観察された。
5. アジア危機の影響については、ASEAN に拠点を持つ回答企業の 8 割がマイナスの影響を受
けている、としている。現地市場志向型の進出拠点で特に悪影響が大きく、輸出シフトもス
ムーズに進んでいない。また、信用収縮の影響を被った企業は 46 %と、資金調達面でもア
ジア危機の影響は大きい。
6. 中長期的な見通しとしては、
「重要投資先ではあるものの状況次第では生産体制の再編もあ
りうる」と回答した企業が 42 %をしめた。
1999 年度の調査の要旨は以下のようである。
21
1. 99 年度海外投融資見込額は 18.3 %の減少と、前年に引き続いての減少。減少の主な理由
は「海外生産・販売拠点の設立が一巡したこと」であった。
2. 減少は続いているもの、
「撤退」といった後ろ向きな姿勢を持つケースはほとんど 無く、中
期的な海外事業への取り組みは今まで同様に積極的。
3. ASEAN4 +韓国については、経済危機以前の水準を超えるのは販売面では 2002 年頃、収益
面では 2004 年頃になるとの見通し 。
4. 5 カ国に於ける業種別の見通しでは、化学、繊維が良好。自動車組立、一般機械は厳しい。
5. 国別ではインド ネシアの低迷が懸念されるが、回復の見通しはある。
6. 5 カ国に於ける、今後の投資戦略は引き続き現状維持もしくは積極的。
以上のようにアジア危機の厳しい影響も見受けられるが、長期的なアジアへの期待は強い。ま
た、1998 年度調査と較べ 1999 年度調査では弱気な見通しが後退したように読みとれる。2000 年
度版の調査の結果が 2001 年初頭にも発表されるが、前節で図 1 に見たとおり、2000 年に入り早
くも日本企業のアジア投資は急速な回復を見せており、日本企業がどの様な判断の上で投資の拡
大に至ったのかという点で、2000 年度の調査が注目される。
次にアジア危機に限定したアンケート調査を検討する。先駆的な調査としては、前出の国際商
工会議所とUNCTADの合同調査があげられる。この調査報告の論調が既述のように楽観的で
あったことについて、手島 [55] はこの合同調査の回答企業 200 社のうち、日本企業は 20 社だけ
であった点を指摘して、欧米企業と日本企業の受けた影響の差がアジア危機に対する認識の差に
なっている可能性を示唆している。これを受けて日本企業に対してアンケート調査を行ったのが
手島 [54] である。
手島 [54] では 1998 年の 5〜7 月にかけて、日本の主要製造業企業を対象に調査を行い 21 業種、
157 社から回答を得た。対象国は NIEs4,ASEAN4,中国、ヴェトナムの 10 カ国である。
まずアジア危機が日系現地法人の売上・収益に及ぼした影響についてであるが 、98 年度の見
通しはアジア危機以前に対して、売上が 88.5 %、収益が 81.7 %となっており( 単純平均)、
アジア危機による打撃が如実に現れている。単純平均ではなく、日本国内の売上高を重みとした
加重平均値を作ると、売上で 73.9 %、収益で 64.1 %となり、大企業ほど甚大な打撃を被って
いることが分かる。国別には、タイ、インド ネシア、韓国で落ち込みが大きく、フィリピン、香
港、シンガポール、マレーシアで若干の落ち込み、中国、台湾は逆に伸びている。業種別には自
動車組立、自動車部品、電機組立の落ち込みが大きく、化学、電機部品などにおけるダ メージは
22
軽微であった。今後、回復を見込む企業がほとんどであり、3〜5 年の範囲でアジア危機以前の
水準を上回れる見通しを持つ企業が多いが 、大企業、インドネシア、自動車関連などで見通しが
厳しくなっている。今後の FDI の見通しについても、ばらつきこそ小さいものの、売上・収益と
同様の傾向である。
企業のタイプと危機の影響の関係を分析するため、輸出比率及び現地調達比率に関しても調査
が行われた。輸出比率が高い国はシンガポール、香港、マレーシア。輸出比率が低い国は韓国、
フィリピン、台湾となっている。業種で見ると輸出比率の高いのが電機・電子部品、低いのが自
動車部品、自動車組立。以上の結果は輸出比率が高い企業ほどアジア危機の影響を受けにくい
という仮説に対応したものとなっている。台湾は輸出比率は低いものの、アジア危機の影響が軽
微で国内市場の収縮の程度が小さかったため、売上の減少にはつながらなかったものと考えられ
る。アジア危機を受けて輸出比率を高めていく傾向が強まっているが、この傾向は大企業、イン
ドネシア、タイといったところで強くなっている。現地調達比率に関しては、現地調達比率が高
いことと売上・収益の変化が必ずしも結びつかず、理論の予想通りにはなっていない。これは自
動車産業で現地調達率が高いことからも分かるように、概して現地調達比率の高い企業は国内市
場依存的であり、また同時に、アジア危機の影響は生産コストの面からよりも国内市場の不振を
通してより強く現れたことによると考えられる。
資金調達は安定しているが、アジアの金融・為替制度の脆弱性を背景に先行きに対する見通し
は厳しい。M&A については、既にかなりの程度の直接投資が進んでいることもあって、水準・
見通しともに低くなっている。
投資先としての将来性に関するアンケートでは、積極的な回答が目立つ。政情安定化や地域の
統合市場発展への期待が大きい。見通しが厳しい国は韓国。資金調達や労働コストについても厳
しい見方となっている。
ここまでのアンケート調査は投資元の親企業に対するものであったが、日本貿易振興会( JETRO )
[41] は現地法人への調査である。1998 年の調査は 11〜12 月にタイ、マレーシア、シンガポール、
インド ネシア、フィリピン、ベトナム、インド、韓国、中国( 北京、上海、大連、華南、香港)
の日系製造業 5,380 社を対象に実施され 1,794 社から回答を得た。ASEAN5 カ国と韓国につ
いての結果を以下にまとめる。アジア危機により経営上マイナスの影響を受けた企業の割合は
ASEAN で 62.4 %、韓国で 65.6 %であった。その主な理由は原材料調達コストの上昇、国内
の販売低迷、アジア地域での販売低迷、外貨建て債務の負担増など 。韓国では金融不安の影響も
23
大きい。マイナスの回答の割合がもっとも大きかったのはシンガポール( 85.2 %)であった。
シンガポールではほとんどの企業が輸出志向型であり、アジア地域の需要の縮小と相対的な価格
競争力の低下が主な理由であった。業種としては輸送用機械、輸送用機械部品、鉄鋼、一般機械
などでマイナスの影響が大きかった。
他方、経営上プラスの影響を受けた企業は ASEAN で 19.1 %、韓国で 18 %存在した。主な
理由は輸出競争力の強化であった。その他の理由としては従業員確保が容易になった点、為替差
益、投資コストの減少など 。プラスの回答がもっとも多い国はタイであった( 25.5 %)。業種
としては、精密機械、衣服繊維製品、電機電子製品、食品。97 年の営業損益と 98 年の見通しに
ついても国別、業種別に詳細に見ることができるが、共通する点としては輸送用機械、輸送用機
械部品、鉄鋼など国内市場依存型産業の業績の悪化と、食品、繊維など 輸出型産業のパフォーマ
ンスの良さがあげられる。雇用面でも日本人、現地人ともに調整が進んでいる。現地調達比率・
輸出比率は上昇傾向である。
経営上の問題点を見ると、危機以前に最大の問題だった賃金・労務に関する問題が低下。国内
市場、為替関係、日本の景気に関するものが多くなった。インド ネシアでは政治的不安定も問題
になっている。今後の事業展開については「現状維持」がもっとも多く、
「規模拡大」がついで
多い。
「規模縮小」
・
「撤退」は少ない。
アンケート調査ではないが 、日本興業銀行産業調査部 [45] はアジアに進出している日本の主
要 8 業種12について業種別の詳細なケーススタディを行っている。打撃の深刻さについて詳細に
展開がなされており悲観的な見方が中心であるが、輸出中心の三業種(家電、半導体、食品)に
ついてはダ メージはないかむしろ好影響だったとも述べてある。
以上の一連の調査を踏まえ重要な点をまとめることにする。まず、平均的に見ると日本企業は
アジア危機から短期的な打撃を受けたと言える。手島 [54] にあるように日系企業は単純平均で
10 %以上の売上減少、20 %近い収益の減少に直面した。これは見通しであるため、事態の沈静
化と共に実績は好転した可能性は高いが、規模の大きなところはより大きな打撃を受けているた
め、加重平均も考えればやはり日系企業のダ メージは明らかであった。
回答企業による回復見通しについては、危機直後こそ弱気な姿勢が目立ったもののアジアの
将来性に対する期待は揺るぎ無く、前節の検討結果とも整合的なものであった。また、日系企業
が単純平均で 10 %以上の売上・収益の減少を見た一方で、日本貿易振興会( JETRO )[41] によ
るとアジア危機によってマイナスの影響を受けた企業は 60 %代に留まっており、アジア危機が
12 自動車、鉄鋼、セメント、石油化学、家電、半導体、食品、通信
24
FDI に与えた影響の多様性が改めて浮き彫りになってくる。この多様性は国別・業種別の分析か
らも明らかであった。様々な影響がありえることは理論的な予測通りであったが、特に業種別の
影響の差違については輸出比率によりかなりの程度の説明が可能であり理論的な予想通りの結
果となった。現地調達比率による効果は輸出比率のそれに較べればさほど 大きくないことも分
かった。これは、輸出比率の大小には国内市場の縮小と輸出競争力の増加という二つの両極端の
効果がかかわってくるためと考えられる。
他方で、国別の影響の大小については興味深い結果もあった。手島 [54] による国別の売上・収
益の動向については輸出比率と整合的な結果だったが 、日本貿易振興会( JETRO )[41] によれ
ば 、アジア危機の打撃が少なかったとされるシンガポールで「危機によりマイナスの影響を受
けた」とする回答企業の割合がもっとも多く、逆に、
「危機によりプラスの影響を受けた」とす
る回答企業の割合がもっとも多かったのは、アジア危機の打撃のもっとも大きいとされる国の一
つ、タイであった。このパラド クスに対する一つの説明は、シンガポールの日系企業はほとんど
が輸出志向型という状況であったところに、アジア危機の影響が他国の市場縮小という形でのみ
現れたため、薄く広くマイナスの効果がもたらされたというものである。また、アジア危機の影
響を強く受けたタイでは国内市場の収縮も通貨下落も劇的な形で現れたため、大打撃を受けた企
業が多い一方で多大なメリットを享受した企業も多かったのではなかろうか。このこともアジア
危機の FDI への影響が多様な側面を持っていることを示している。
3.2 政策的視点からの考察
前節ではアジア通貨・経済危機が FDI に対して及ぼした影響について整理を行った。この節
では、政策的視点から FDI とはどのようなものであるのか、ど うしていくべきなのかという点
について先行研究をサーベイしたい。以下、この節の前半では FDI が通貨・経済危機下の現地国
にどの様なインパクトを及ぼすのかという点についてまとめてみたい。それを踏まえ後半では、
どのような政策が望ましいのかについて論点を整理することにする。
3.2.1 アジア危機に対して FDI が持つ意味
FDI の成長に於ける重要性は一般に認識され 、新興市場の各国政府はこぞって外資導入を促進
する政策をとってきたが 、アジア危機との関連でも FDI の積極的な意義が論じられることが多
い。その議論は大きく二つに分けられ 、第一に 、FDI はアジア危機の影響を軽減したというも
25
の、第二に、FDI はアジア危機からの回復を助けるというものである。データの利用可能性など
の点から考えて、アジア危機について本格的な実証研究が出てくるのはもう少し時間がかかる
が、ここではいくつかの手がかりになる先行研究をまとめたい。
FDI がアジア危機の影響を軽減したというのはその資本の性質に着目した議論である。通貨危
機は急速な民間資本移動により通貨が大きく変動し金融危機につながっていくことが特徴であ
るが 、資本流出の速度はその資本のタイプによって異なり、直接投資がもっとも流出しにくい。
もちろん、生産拠点の所有権なり会社の支配権なりを売却することは可能だが流動性が低く、急
ぎの撤退は大きな損失をもたらす。他方、それ以外の投資は債券や株式などのポートフォリオ投
資、及び銀行借り入れ等であるが 、ポートフォリオ投資は大きな市場のある国では直ちに売却
することが容易である。銀行借り入れ等も短期の満期のものは資金移動がかなり速いと言える。
このため FDI の比率の高さは通貨危機に対する経済の耐性を示していると言えるのである。実
際、資本流入に占める FDI の比率の高かったマレーシア、中国はアジア危機の影響は軽微であっ
たし 、FDI の比率の小さかった韓国、タイ、フィリピンなどでは深刻な影響を受けた。
この点に関する実証研究は多くはないが 、Chuhan-Quiros-Popper[8] は、15 カ国において流入
した資本フローを種類別に分析した。そしてそれぞれの資本フローは全く異なった動きをする
ことを示し 、特に短資は当該国や近隣国の経済状況に敏感に反応し 、直接投資はもっとも安定的
であることを指摘した。Frankel-Rose[14] は通貨危機の発生確率について分析した。新興市場の
100 カ国以上について 1971 年から 1992 年のパネルデータを作成し 、通貨危機を名目為替レート
の激しい変化( 25 %以上)と定義した上で、プロビットモデルを推計し通貨危機の発生確率を
分析した。債務の構成、債務の水準、内外のマクロ変数などを説明要因としている。危機の起き
る確率の高いケースとして、成長率の低い場合、債務の増加率の高い場合、国外利子率が高い場
合などに加え、債務に占める直接投資の割合が低い場合が指摘された。
このように危機の発生局面および進行局面において FDI が防波堤になるという指摘は、今回の
アジア危機国を比較してみても、先行研究の結果を見てみても妥当であるように思われる。それ
では、アジア危機後の回復過程において FDI はどの様な役割を果たすのであろうか。深尾-細谷
[17] は通貨・経済危機の景気悪化および貿易収支の悪化や海外資本の撤収による対外均衡の悪化
といった状況下において、多国籍企業は
親会社の援助が得られる、 生産物が高い国際競争力
を持つ、 撤退にはサンクコストの放棄を伴う、という理由のため、危機後の回復過程でも積極
的な役割が期待できると指摘している。先行研究としては、FDI と途上国経済の成長との関係を
26
論じた研究が広く行われている。論文数は相当な数に上るためここでのサーベイは割愛するが 、
アジアを対象に実証を行い先行研究についても若干まとめている近年の文献として Zhang[66]、
Chang-Luh[6] をあげておきたい。
危機後の回復過程における FDI を分析したものとしては深尾-細谷 [17] がある。彼らは途上国
での過去の通貨危機における日系現地法人の行動を分析した。現地法人の生産活動を計る指標と
して従業者数を用い、理論モデルでは製品差別化された一種類の財を生産する生産者による最適
労働投入量の決定を考察しそれに基づき実証分析を行っている。実証分析には海外事業活動期本
調査・動向調査の個表データおよび IMF によるマクロデータを用いた。1986 年〜1994 年の間に
ついて日系の製造業の現地法人についてのパネルデータを作成し 、また、通貨危機を
対ド ル
レートが対前年比 20 %以上減価、 減価速度が対前年比 10 %以上加速、 過去三年間に上の
, で定義される通貨危機が起きていない、という三つの条件を満たすケースとして定義し 、
その結果特定された 16 の通貨危機を分析対象とした。実証分析の結果、実質為替レートの下落
が大幅な場合や、またホスト国の開放度が低下するような場合に現地法人の雇用はより大幅に減
少することが観察された。他方で、輸出比率の高い現地法人は実質為替レートの下落によりむし
ろ雇用を増やすことが観察された。
この観察結果は、アジア危機やその政策が FDI に及ぼす影響という視点に限らず、現地経済
に FDI が与える影響という視点からも興味深い結果となっている。彼らはこの分析の後で、今回
のアジア危機についても簡易なデータを用いて同様の傾向を指摘している。そこでは輸出比率の
高い電機産業などで雇用が増加し 、現地販売率の高い輸送機械産業で雇用の減少が著しいといっ
た点を指摘しており、輸出比率の高い FDI は通貨危機後の回復過程で貴重な役割を果たすとい
う結論を得ている。
3.2.2
FDI と政策をめぐって
アジア危機は単なる通貨・経済危機にとど まらず、アジア危機諸国の各種の政策に大きな変革
をもたらすものとなった。直接投資関連政策やその他の FDI に影響する政策が大きく変更され
た国も少なくない。木村 [26] はアジア危機後の貿易・直接投資関連政策についてまとめている
が、その中で危機以前のそれらの政策が必ずしも自由化の一点張りではなく様々な規制を巧妙に
組み合わせたものであった点を指摘したうえで次のように述べている。
今回のアジア経済危機は、単に東アジア諸国の経済パフォーマンスに甚大な影響を
27
与えたのみならず、開発過程における政府の役割についても根本的な見直しをせま
るものとなった。それまで「東アジアの奇跡」の源泉として賞賛されてきた政府の
役割のかなりの部分は、むしろ実害をもたらすものとして否定されてしまった。政
府の積極的な市場介入や緊密な政府と民間の関係は、IMF =世銀によって主導され
た経済改革のなかで、むしろ非効率を生み、社会正義にも反するものとして、非難
される場面も生じた。また、危機によって最も大きな被害を受けた産業が幼稚産業
保護政策を受けていた自動車産業などであったことも、それまでの政府施策に疑問
符を投げかけるものとなった。
特に、直接投資にも触れて次のように述べている。
危機収拾の過程で、対内直接投資によって入ってきていた外資系企業の役割が再認
識されたことも大きい。
(中略)危機による混乱から一刻も早く立ち直って外資系企
業を逃さないようにしたいとの動機は、相当強く働いていた。
・
・
・結果として東アジ
ア諸国は、経済危機を契機に、貿易政策、直接投資関連政策とも自由化を加速させ
る方向に政策転換を行った。
直接投資に関する政策は大きく二つに大別される。参入制限・参入形態に関するものと、参
入後の活動についての規制である。参入に関するものとしては、参入可能な業種の規制、出資
比率の制限、M&A 規制などがある。大半の国では参入可能な業種は規制されており、参入可能
な場合も出資比率がそれぞれ規制されている場合が多い。タイでは地区別の外資規制も見られ
た。参入後の活動に関するものとしては、ローカルコンテント、輸出、貿易均衡、国内販売、雇
用、技術移転、などに関するものがある。外国人労働者に関する規制や海外送金に関する規制、
撤退を制限する規制なども含まれる。ASEAN 諸国の直接投資関連政策については The ASEAN
Secretariat[56]、日本貿易振興会 [44] によくまとめられている。
アジア危機は、それまでの直接投資関連政策の自由化の流れをさらに加速させる一つの契機と
なった。13 タイ、インド ネシア、韓国の三ヶ国については IMF・世銀の支援パッケージの一環と
して自由化を求められたという側面もあるが、この三ヶ国に限らず、マレーシア、フィリピンと
いった他の危機国や、危機に直接影響されなかった台湾や中国も自由化の動きを加速させた点を
13 直接投資が危機の再発を防ぎ 、回復過程を助け、成長に寄与することはここまで述べてきたとおりであり自由化
による直接投資促進政策の裏付けであるが 、木村 [26] は、経済危機においてなぜ保護主義的政策ではなく開放政策
へ向かったのか 、という視点から議論を行っており興味深い。
28
見ると、アジア危機は決定的な契機になったといわざるを得ないようである。危機以降の各国の
行った直接投資関連政策の規制緩和は広範にわたる大胆なものであった。詳細は日本貿易振興会
[40]、日本貿易振興会 [44]、若松 [62] などにまとめられている。
ど のような FDI をいかにして誘致するべきか 、という問題に示唆を与えるような先行研究は
必ずしも多くはないが 、いろいろな視点から分析が行われており興味深い。前節で紹介した深
尾-細谷 [17] は輸出比率の高い企業は通貨危機下において経済を安定化させる機能をもっている
ことを観察し 、途上国にとっては貿易障壁を高くし現地販売率の高い現地法人の立地を促すより
も、自由貿易の促進により自国の比較優位を利用する輸出基地型の現地法人を誘致した方が通
貨危機に対する経済の抵抗力を強め望ましい、と結論を導いている。Siripaisalpirat-Hoshino[52]
は日本からタイへの FDI のデータを用いて、100 %外資の現地法人と合弁会社のパフォーマンス
について分析を行っている。その結果、企業固有の優位性 (firm-specific advantage) を持っている
企業ほど 、出資比率が高い方が良いパフォーマンスを出せるという結論を導いている。その他に
も Li-Guisinger[37], Woodcock et al.[63], Nitsch et al.[47] などが出資形態とそのパフォーマンスと
の分析を行っており、概して出資比率の高い方がパフォーマンスが良好であるという結論を得て
いる。
FDI を誘致するにあたり、FDI の動機付けや投資先国選択についての研究も示唆を持つ。Kreinin
et al.[30] は日本企業の直接投資の動機付けをマイクロデータを用いて分析し 、動機付けは多岐に
渡りばらついているが 、
「地域市場におけるシェアの確保」が最も有力な動機であったと結論し
ている。投資先国の決定要因に関する分析は数多く行われているが、日本企業に関するものとし
ては深尾-程 [15]、深尾-岳 [16]、浦田-河井 [60] などがあげられる。いずれも為替レートなどの
マクロ経済の安定性、政治的安定性のような「カントリーリスク」、賃金水準などが投資先の決
定において重要であるとしている。浦田-河井 [60] は教育水準や市場規模の大きさの重要性も確
認している。深尾-程 [15] は、投資先国が大国の場合には貿易障壁が直接投資を誘発する効果は
大きいという仮説を示唆する結果を一部の業種で得ている。
その他にも様々な視点から多数の分析が行われているが近年の研究の中から興味深いものをい
くつか取り上げたい。Harris-Schmitt[18] は戦略的輸出政策と直接投資の関係に注目した理論分
析である。2 国モデルを用いて分析し 、政策が戦略的輸出促進政策に変わると、中間財について
輸入障壁を設けていない場合には対内直接投資は減り、障壁が高い場合には対内直接投資は増え
るという結果を導いている。このことは、前の深尾-程 [15] の結果と併せ、状況次第では貿易の
29
自由化が FDI を減らす可能性がありえることを示しており興味深い。
Smarzynska-Wei[53] は政治腐敗が FDI に及ぼす影響についての実証分析である。旧東側諸国
を主とした企業レベルのデータを用いた分析を行い、腐敗の度合いが多いほど FDI を減らし 、さ
らに FDI に占める合弁企業の比率を増やすという結果を得ている。
Thompson-Poon[57] は日米欧の ASEAN 諸国に直接投資を行っている多国籍企業から直接集め
られたデータを用い、規制緩和と直接投資の関係について分析を行った。結果、どの企業もアジ
ア危機が引き金になった産業政策の改革が好ましい方向に進むことを期待しており、また改革に
期待がもてるほど FDI 環境の好転を確信しているという結果を得ており、途上国は直接投資を
確保し持続的な回復・発展を遂げるために改革を早急かつ充分に実行する必要があると結論づけ
ている。
前節で述べた手島 [54] の日系企業へのアンケート調査の結果によれば 、回答企業がアジアを
有望視する理由の一つに「アジア全域での統合市場への発展期待」がある。アジアという広い地
域規模での安定的な国際通貨制度の構築や地域内での投資・貿易の一層の自由化推進による市場
統合といった国際市場インフラは国際公共財に他ならない。アジアにおけるその整備は欧州、米
州に較べ進んでいるとは言えず、FDI 誘致という観点からもその整備が強く望まれている。
3.3 まとめと展望
本稿ではアジア通貨・経済危機とアジアへの FDI との関係についてサーベイを行った。まず、
FDI が危機によってど の様な影響を受けたかについて見ると、単純平均値では売上が 10 %強、
収益が 20 %弱の減少ということで明らかなマイナスの影響が見受けられたが、マクロの FDI フ
ローを国際収支ベースで見た場合には、インドネシアを除き大きな落ち込みは見受けらず、さら
に 2000 年度以降の急速な回復が見込まれている。他方で、国別あるいは企業別に見ると危機の
影響の多様さが明らかになった。危機の影響は国内・地域市場の収縮と現地通貨の大幅な下落の
二つを主軸として様々な経路で波及する。その結果、該当国・企業の輸出比率などによって影響
は大きく異なり、中には大きな恩恵を受けた企業もあった。
次に FDI の存在が現地国経済にどの様な効果を持つのかという視点から先行研究を概観した。
FDI は通貨・経済危機の発生可能性を低める効果があり、回復過程においても雇用を増やすなど
経済を安定化させる可能性があり、その後の経済成長にも大きな重要な効果を持つ。
さらに、FDI に関連する政策を種類毎にまとめ、それらがアジア危機を契機にさらなる自由化
30
局面にはいったことを議論した。ど のような FDI をどの様に誘致できるかについては様々な角
度から先行研究を紹介した。輸出志向型 FDI は通貨危機下では経済を安定化させる効果があり、
関税障壁を設けて国内市場志向型の FDI を誘致するような保護主義的政策よりも輸出基地型の
FDI を誘致するような政策が求められる。また、外資の出資比率の高い企業でパフォーマンスが
すぐれていることも観察され、出資規制の緩和・撤廃も一層の進展が必要である。政治の安定、
腐敗の少なさ、さらなる改革の実施、地域市場の統合とインフラ整備などに対しては企業の強い
期待があった。
以上が今回のサーベイのまとめである。冒頭にも書いたとおり、アジア危機に関する実証分析
が本格的に出始めるのはこれからである。各種の統計が出そろうことにより、今までの研究では
充分になされてこなかった、ミクロ経済学的基礎に基づいた経済理論を持つ実証分析が出てくる
ことが期待される。危機下での企業の対応などは先行研究もほとんど 無いので興味深い主題であ
る。急増する M&A をめぐ る実証研究もこれからに期待したい。アジア経済はアジア危機の影響
による停滞から脱却しつつあるようである。一部の統計指標は危機以前の水準を上回りさらなる
成長局面に入りつつあることを示している。しかし 、アジア危機は単に「失われた数年間」をも
たらしたわけではない。アジア危機は確実に一つの大きな契機となったのである。貿易や FDI を
めぐ る自由化・規制緩和の動きは後戻りできない速度で進行しはじめた。さらなる FDI 投資や
M&A の急増などの結果を待ち受けているものはさらなる競争である。手島 [54] 手島-1999 も主
張するように、競争の激化は望ましいことである一方、新たな格差につながりうる。競争とは、
アジアと非アジアの FDI 投資先としての競争であり、アジア諸国の間の競争であり、日本の FDI
と欧米の FDI の間の競争である。そのような競争を控えていながら、多額の債務を抱え息も絶
え絶えの地場の中小企業、バブルの中で過剰な直接投資を行った一部の日系企業、危機からの
回復で取り残された感のあるインドネシアなど 、バブル崩壊の傷跡は今なお深い。FDI のリスト
ラ、不良債権処理、社会インフラ、市場インフラの整備などを迅速に行い、バブルの債務を清算
しこれからのグローバルな競争環境に備えることが重要である。それがなしえてはじめてアジア
危機が FDI に及ぼした影響をポジティブに評価できるであろう。
4 ケーススタディ
この節では、まずタイの直接投資受け入れ状況の概況を報告し 、つづいて現地日系企業のヒア
リングで得た情報をまとめる。われわれが訪問したのは輸送器機産業( 2 社)、電子・電機器機
31
表 4: BOI 認可企業の輸出指向型企業比率
™™
Tõ
Ç
ãÄ
Ö
%º
Ç
ãÄ
Ö
%º
1995
1997
1998
1999
43.3
36.7
60.8
65.0
62.8
49.1
34.2
62.7
70.7
61.7
35.6
27.9
64.5
73.6
63.6
30.6
28.4
43.1
53.0
65.6
2000
14.3
30.1
38.2
84.5
66.6
18.1
43.6
67.5
82.0
64.1
15.1
13.7
87.7
91.8
72.7
15.4
8.8
20.6
76.3
81.9
産業( 2 社)、建設業( 1 社)の計 5 社である。
4.1 タイの直接投資受け入れの状況
BOI 投資認可統計によると 2000 年上半期のタイへの投資認可額は 771 億 1300 万バーツ( 352
件)で対前年比 0.5%(金額ベース)であった。近年の特徴の 1 つとして輸出指向型投資が多い
ということがあげられる。表 4 は BOI 認可企業の輸出指向型企業比率を件数ベースと金額ベー
スで時系列で示している。
BOI 認可企業のうち輸出指向型企業の比率は件数ベースで 62.8%( 2000 年上半期)であった。
タイへの直接投資は従来、内需向けが大多数であった。1995 年時点の世界全体の値で、輸出指
向型は件数ベースで全体の 4 割強、金額ベースでは 15%弱である。日本のバブル崩壊、アジア
危機、それに対応した政府の規制緩和の影響を受けたことなどがその理由として考えられる。と
りわけアジア危機の影響でタイ国内の内需の冷え込みにより内需指向型が減ったこととレートの
改善によって輸出指向型が増えたことが大きく影響している。輸出指向型企業比率を時系列でみ
るとタイバーツが急落した年( 1997 年)に 36.7%だったが、翌年( 1998 年)には 60.8%と急激
に増加していることが示すとおりである。BOI の規制緩和政策とは WTO の影響による輸出比率
の規制撤廃、local contents 規制の撤廃、ゾーンによる差別化の緩和などである。14
14 投資企業はその工場の場所により製品の税率などが異なる。これは BOI が地方分散を政策の柱としてきたこと
から、バンコクから離れるほど 恩典が大きかった。このため3つのゾーンのうち、最もバンコクから遠い第 3 ゾーン
への投資が最も多かったが、近年の規制緩和により近郊への投資が増加している。この規制緩和は、既存の直接投資
企業から強い反発をうけている。
32
日本からの投資は 423 億 3100 万バーツ( 2000 年上半期)、投資総額の 54.9%に相当する。件
数ベースでも 115 件と第 1 位である。この傾向は近年( 1995 年から 2000 年)変化はない。金額
面で日本に次ぐのが米国である。またマレーシア、シンガポール、台湾も投資上位国である。近
年顕著なのは台湾で、電子部品を中心に拡大している。
日本のタイへの進出は 1980 年代後半にピークであった。1990 年代半ば 、再び多くの日本企業
が進出したが、これはバブル崩壊と円高が背景になっている。総じて、撤退は極めて少なく、ほ
とんどの企業は「長期的には重要不可欠な拠点」ととらえている。これはアジア危機でダ メージ
をうけた企業も含まれるように見受けられる。(小林 [28])
日本の投資の特徴として以下の 2 点があげられる。すなわち投資規模が小型化していること、
新規投資比率が減少していることである。前者については 、とりわけ内需むけを中心として世
界的な傾向である。2000 年上半期のデータで 5000 万バーツ以下の投資が全体の 33%をしめて
いる。件数あたり平均投資額でみてみると、1995 年、世界の平均額はおよそ 7.1 億バーツであっ
た。2000 年上半期では 2.2 億バーツと 、5 年前の 31%に減少している。一方、日本の平均額は
1995 年、7.14 億バーツであったが、2000 年には 3.7 億バーツに減少している。新規投資比率は
1995 年、件数ベースで 53.6%であったが、2000 年上半期には 33%にまで減少している。2000 年
上半期の 10 億バーツ以上の大型プロジェクトでは投資額が最も多いプロジェクトは新規である
が、第 2 位から第 6 位のプロジェクトはすべて拡張投資となっている。
4.2 ヒヤリング調査
ここでは産業別に市場の状況・経済危機の影響を簡単に整理し 、各企業のヒアリング調査結果
をまとめる。各企業は以下の質問事項に基づいてインタビューに応じている。15
1. 進出動機・企業グループ内での位置づけ
• なぜ進出先としてタイを選んだか。
• 海外子会社の進出動機は何であったか。
• 資本比率はどのように設定されているか。
• 進出に際し 、どのような現地政府の支援・制約が伴っていたか。
15 インタビューをアレンジしてくださった JETRO 助川成也氏、インタビューに応じてくださった AUTO ALLIANCE
社の絹屋博氏、THAI SUMMIT MITSUBA 社の高木敏幸氏、KANG YONG ELECTRIC PUBLIC 社の大野敏幸氏、そ
して THAI OBAYASHI 社の鈴木克博氏に記して感謝したい。
33
• 海外子会社は企業全体の中でどのように位置づけられているか。
2. 活動状況
• 海外子会社の主たる経済活動は何か
• 仕入れ・売り上げ・雇用の現状はど うか
• 仕入元・売上先のおおよその内訳はど うなっているか
• 各職種の雇用状況・技術移転状況はど うなっているか
• 各種物的インフラの状況はど うか
• 活動に際し 、現地政府からはどのような支援・制約が付与されているか
• 現地法人として今後の戦略はあるか
3. 経済一般
• 雇用状況に何らかの変化はみられるか
• 貴社におけるバンコクでの凄惨の位置づけをどのように考えているか
• タイ経済全体の現状・将来の見通しをどのように分析しているか
4. 特にアジア経済危機について
• アジア経済危機はある程度予測できたか
• アジア経済危機の前はバブル経済であるという実感はあったか
• アジア経済危機前後で上記の活動状況に変化が生じたか
• アジア経済危機およびそれに対する政府施策の影響を受けたか
• アジア経済危機に対してどのような対策をとったか
• アジア経済危機再発の可能性があるとすればどのように対応するか
以上の項目に基づいた事例研究を輸送機械、電気・電子機器、建設業の順に紹介しよう。
A. 運輸・輸送器機産業
はじめにタイの自動車市場の概況をまとめよう。タイはアジアのデトロイトと呼ばれるほど 、
多くの自動車メーカーが集積している。日系企業ではトヨタ、ホンダ、三菱、いすゞ 、日産、欧
米系は Ford(マツダと合弁)、GM 、BMW, ルノー(日産と合弁)、メルセデス各社が現地工場の
34
生産を行なっている。ピックアップトラック市場では、タイは米国に次いで大きい。 これは税
制面で優遇されているので乗用車に比して安価であることによる。同市場の国内生産シェア第 1
位はトヨタの 23% 、三菱( 22% )、オートアライアンス( FORD とマツダの合弁:19% )となっ
ている。
また、他に生産している国がほとんど 無いところで、国としてピックアップトラックに特化し
たため、輸出の競争力も付いた。輸出シェアは三菱が 40%で最も大きく、次いでオートアライ
アンスの 36%である。トヨタ、ホンダ、日産、いすゞは 1 割かそれ以下である。トヨタ以下は今
まで国内向けだけで十分に潤ってきたので、輸出のシェアは小さい。
生産台数に関しては 1997 年までずっと上昇基調だったが 、経済危機以降、激減した。通貨危
機の影響で輸出志向型の生産が増加したが、部品調達を日本で行なっていたため、コストダウン
が難しいからである。JETRO[42] によると原材料・部品の調達先の傾向として日本から輸入して
いると回答した企業は 32.8%となっている。これは進出国で調達すると回答した 37.6%に次いで
大きい。同調査は輸送用機械を製造している企業の 42.5%は、その部品の半分以上を日本から輸
入しているという結果も得ている。ここで部品メーカーについて少し言及しておこう。部品メー
カーの進出は 1980 年代後半に多く、これは 1988 年以降エンジンの国産化率の上昇が義務づけ
られたことで一層加速されている。アッセンブラーの増産要求に応じて、それらと直接取引を行
なう一次サプライヤーの数が増加した。部品の需要は一次サプライヤーが特定のアッセンブラー
に依存すれば経営が成り立つほどは大きくない。
(小林 [28] )したがってタイでは日本でみられ
るような系列は基本的には存在しない。したがって部品メーカーの進出に際して、取引先である
自動車メーカーからは何の補償もなく、すべてが自己責任による16 。部品メーカーには現地企業
もあるが 、品質は悪く、日本メーカーの海外進出に伴う進出が目立つ17 。
タイにおける自動車の生産はアジア危機の影響で一時的に減少したが 、1999 年ごろから回復
しつつある。米国の好景気に支えられた輸出向け生産が増加したこと、VAT の引き下げ、金利低
下により国内需要の回復が理由である。国内需要の回復は中・高所得者層によるといわれるが 、
最近の石油価格の上昇も影響を及ぼしている。
16 その結果、日本でのマツダ系は進出していない。後述するオートアライアンス社はマツダと FORD の合弁企業で
ある。
17 小林 [28] によるとピックアップトラックの一次サプライヤー( 直接アッセンブラーと取引がある部品サプライ
ヤー)の主力は日系企業か技術提携したローカル企業である。
35
タイサミット ミツバ
同社はホンダ、三菱、川崎を中心として自動車部品の取引を行なっている。1993 年に設立さ
れ、1995 年より操業を開始した。本田からの要請によりタイに進出し 、タイサミット社をパー
トナーにしている。技術をもっているが、設備のない日本側(ミツバ社)と設備をもっているが
技術のないタイ側(サミット社)との条件が合った。出資比率はタイが 51% 、日本が 49%となっ
ている。
自動車に用いるモーターを主として生産活動を行なっている。進出当初は原材料をすべて日本
から輸入していたが、最近は 3 割程度を現地で調達している。現地調達率が3割程度となってい
るのは、製品の品質維持のためである。
通貨危機により多額の為替差損が発生した。輸入資材を円ベースで後払いで行なっていたた
め、未払い残額が為替差損になってしまったためである。9000 万バーツのロスを日本の親会社
と取引のあった銀行から借り、残りは 5 年分割で償却している。これはタイ政府が特例として是
認した。ただし 、危機の時に、偶然日本国内の制作部門をタイへシフトしてきていたので、売り
上げ・従業員についてはアジア危機のときも拡大を続けた。
タイサミット社では輸入が多かったこともあって、危機の影響は甚大であった。そこで大規模
なリストラを行ない、危機をのりきった。
自動車部品は 1999 年頃から回復してきており、実質上は黒字になるほどの利潤のリザーブが
出来てきた。
今後もし 、再び経済危機がおこったときの対策として、決済をバーツ建てにする、輸出を増加
させる、現地調達率を上げるなどを考えている。タイは自動車産業の裾野が広く、生産拠点とし
てとても有望と考えているので撤退は考えていない。
現在、自動車部品産業においても競争が激化している。競争相手は他の日系企業に限らず、欧
米系の自動車メーカーの進出に伴って進出してきた( 欧米系の)部品メーカーも含まれる。
、数の確
今後は欧米系を含む、多くのメイカーへの部品供給を狙う(アメリカ BIG 3も含む)
保によるコストダウン 、技術移転を積極的に行う戦略である。
オート アライアンス
同社は自動車のアッセンブリーをメインに行なっている。1995 年、マツダと Ford との合弁で
設立された。資本金 50 億バーツ、設立当初はタイ人スタッフ 700 人、マツダから 170 人、フォー
36
ドから 15 人を雇用している。18
生産は輸出むけの自動車がメインになっている。当初は、国内向けと輸出向けを半々で生産す
る計画だったが、進出時期が通貨危機のときであったので、そのの影響で国内向けはまったく売
れなかったことによる。製品はピックアップトラックがメインだが、乗用車も生産している。ラ
ヨーン工場のキャパシティは完成車 10 万台、CKD3.5 万台、従業員は 2300 人である。
通貨危機時にはまだ立ち上げ途中だったため、被害は小さかった。しかし 、部品輸入をはじめ
ていたので、多少の為替差損は発生した。それで現地調達の必要性を認識した。現在の部品の現
地調達はピックアップトラック用で 75% 、乗用車は 35%である。日系企業から 67% 、純タイ企
業から 28%。その他は欧米系の現地企業から調達している。輸入する部品については日本から
輸入している。今後の見通しとしては国内需要は遅かれ早かれ回復するとみているので、タイ向
けのシェアを増やし 、当初前提通り国内・輸出を半々にする。
B. 電気・電子機器メーカー
電気・電子機器産業は輸出比率 70%以上の企業の割合が多い産業である。JETRO の調べでは
63.4%となっている。するとバーツ急落による影響は比較的小さかったと推測できる。以下では
家電製品製造業、精密機器製造業のインタビューをまとめる。家電製品製造業はローカル企業に
加えて欧米系( phillips 社など )の企業とも競合している。
カンヨン電機
同社は扇風機、冷蔵庫など家電製品を供給している。1964 年に現地合弁という形で設立され、
資本金 2 億 2000 万バーツ、従業員数 1200 人の企業である。技術開発は基本的に日本で開発し 、
それをタイに輸入する方法がとられているが、今後は現地でも開発を行なう予定にしている。
国内むけをメインに生産活動を行ない、そのための資金として外資系の銀行からドル建てや円
建てで融資をうけていたので通貨危機の影響は大きかった。家電製品は他の日系企業や韓国の
企業との競争が激しかったが、危機により需要が縮小したのである。危機から 3 年経た現在でも
国内の市況は未だ回復しているとはいえない。また、消費者は従来はブランド 志向であったが、
現在は安価であることが優先されている。
18 借入金は 100 億バーツで 、輸出入銀行や現地銀行から借入れている。近年の雇用者数はタイ人 2300 人、マツダ
から 16 人、フォードから 4 人で、マネージメント面にすぐれているフォードはファイナンス部門等を担当し 、技術
面にすぐれたマツダはオペレーション部門を担当している。
37
そこでとくに日本むけの輸出を拡大することにした。学生・単身赴任者むけの小さな冷蔵庫や
扇風機の日本での生産を一部タイにシフトしたのである。バーツ安であるために、輸出は順調に
増加し 、結果として通貨危機を乗り切ることができた。
短期的には輸出の増加で潤ったが、長期的には国内経済が回復しないと難しいと担当者はみて
いる。消費者の志向は高品質、高価格から低価格にシフトしている現況を考慮すれば部品を現地
で調達する比率を現在の 85%以上に上昇させる必要があるかもしれない。
Nippon Super Precision
同社はハードディスクのモーターを生産している。世界のシェアは 70%である。1995 年に設
立され 、資本金 5000 万バーツ、雇用者数 300 名。株式保有は日本スーパー工業が 100%である。
現在、タイ人スタッフ 400 人、日本人 6 人が雇用されている。工場の年間キャパシティは1億
5000 万程度となっている。タイへの進出は主要な取引会社(日本電算)の進出に伴うものであ
るが 、取引に関しての保障はなかったという。
部品の調達は親会社からまとめて円で買って日本から輸入する。危機のときは親会社が円建て
でローンし 、為替の負担をした。
C. 建設業
Thai Obayashi Corporation LTD.
同社は資本金 1000 万バーツ、雇用者数 500 人( 1995 年 12 月)規模で 1974 年に設立されてい
る。大林組とローカル企業でそれぞれ 49% 、51%の株式を保有している。他の日系メーカーのタ
イ進出とともに進出している。活動は基本的にインフラの建設である。たとえばゴルフ場、ホテ
ル建設がこれにあたる。その他に本社(大林組)の下請けもしている。アジア経済危機前のバブ
ル期に十分な設備投資をしてしまったので、バブルがはじけた現在は需要は少ない。最近ではメ
ンテナンスやリノベーションにも力を入れている。
建設業ではローカル企業との競争が激し くなっている。日系の建設会社はローカル企業に比
して高度な技術を持っており、工期を守るという点で有利であるが地下鉄建設、川の中の作業な
ど 、ごく一部を除いて高度な技術的を必要としないので、ローカル企業が低価格を提示できると
いう意味で競争力を持ちつつある。
雇用はローカルスタッフ 518 人及び日本人スタッフ 40 人である。日本人は基本的に管理職で
38
ある。ローカル企業との低コスト競争に際して、賃金の高い日本人よりローカルスタッフを増や
す方向にある。
アジア危機はこの産業の日系企業にもローカル企業にもさまざまな影響を与えた。危機後、コ
ストダウンへの要求が高まり、低品質であるにしても低価格を提示できるローカル企業への需要
は増加した。一方、高品質高価格の日系企業には厳しい状況となっている。しかし 、日系企業は
ローカル企業より信用が高いので、より多額の融資を受けることができる。近年では両者はコラ
ボレートする傾向にある。
通貨危機により外資がひきあげた後の未完成の建物を多くみる。ローカル企業は前払いで仕事
を行なうので、資金を使い果たすと次に入ってくるまでそのままにしておくのである。したがっ
て資金の焦げつきはない。日系企業が手がけたものについては資金がないからといってそのまま
になっている例はない。これは日系は入札の時点で慎重に調査するためである。
以上のヒアリング調査から特にアジア危機に関する点を以下にまとめる。
第 1 に危機の影響は業種間で多様であることである。運輸・輸送機器部門に分類されるタイサ
ミットミツバでは輸入資材を円建て、後払いで行なっていたため多額の為替差損が生じた。オー
トアライアンスでは進出の歴史が浅く、経済危機の際には立ち上げ途中であったため被害は小さ
かった。しかし第2節の各種アンケート調査も示すとおり、自動車およびその部品部門は原材料
の現地調達率が低いので大きな為替差損を被った企業が多かった。電子・電気機機部門に分類さ
れるカンヨン電機では生産活動に必要な資金として日本円を含む外貨建ての融資がダ メージを
与えた。ハードディスクのモーターを生産する日本スーパープレシジョンでは部品調達を日本で
行っていた分のダ メージを被った。建設業のタイオオバヤシでは需要の低下から、本来のインフ
ラ建設に加えてメンテナンスやリノベーションも行っている。
アジア危機の影響の第 2 点としてあげられるのは原料・部品の輸入を外貨建てで行なっていた
分がダ メージをうけた点が共通している。とりわけ危機の直前に後払いで購入した分は急激な暴
落に直面して甚大な為替差損が発生した。
第 3 には国内市場依存型の業種に対するダ メージが大きいことである。バブルがはじけて国内
市場が縮小したことに加えて、消費傾向がブランド 志向から低価格(品質は問わない)のものを
好む傾向に変化したこともその一因となるであろう。このことはカンヨン電機、タイサミットミ
ツバの担当者も指摘している。
各企業の直面している課題はコストダウンである。そこで彼らは現地調達率を上げる努力をす
39
ると述べている。問題は日本で生産される部品は高品質であるのに対して、ローカル企業が生産
する部品は低品質であるのでコストダウンと品質維持のバランスをとるのが難しいことである。
4.3 理論・実証分析との整合性
第 3 節にまとめられている理論的帰結をわれわれのヒアリング調査は支持するのであろうか。
以上にあげた各ポイントについて検討する。
第 3 節では理論とアンケート調査から得るアジア危機の影響は国別あるいは企業別に見た場合
の多様性を述べている。アジア危機の影響について、理論から推測される点として為替レートの
下落による影響、ドルペック制の廃止、経済の混乱・景気低迷に伴う現地(および近隣諸国の)
市場の縮小などをあげたうえで、アンケート調査より業種別の影響の差違については輸出比率に
よりかなりの程度の説明が可能であることを見出している。
現地通貨の大幅な下落は現地生産要素価格の下落をも意味し 、したがって部品の現地調達率が
低い企業は相対的にコストが高くなる。経済危機は原材料などの現地調達の重要性を認識させた
ということは、各企業とも(危機の時に立ち上げ途中であった企業でさえも)述べていたことで
ある。
理論から推測される点として現地通貨の下落は輸出競争力を高めることがあげられる。した
がって輸出志向型の企業はそれほど 影響を受けなかったという仮説がなりたつ。事実、第 3 節で
述べた日本興行銀行によるアンケート調査によると、輸出比率の高い家電、半導体、食料品部門
はダ メージが少ないことを示している。われわれがインタビューを行なったカンヨン電機では自
社製品を日本に輸出することで、危機によるダ メージから回復したと述べている。
同社は国内向けの製品を多く供給していたために甚大なダ メージを受けたことである。JETRO
のアンケート調査によると国内市場依存型である輸送用機械、輸送用機械部品、鉄鋼は経済危
機のマイナスの影響をうけている。これらは経済の混乱・景気低迷に伴う市場の縮小が原因であ
ろう。
また同調査によると、自国通貨が下落したシンガポールのように輸出指向型の企業が多くある
国でもマイナスの影響を受けていると感じている。これはタイを含む、近隣諸国の市場も縮小し
ているため、それらへの依存度が高いほどダ メージが大きいからと分析している。
小林 [28] では通貨危機により日系企業は深刻な事態にありながら撤退を考えない日本企業に
ついて、JETRO[43] をもとにまとめている。アンケート回答企業のうち、生産拠点を撤退した
40
と答えたのは 2 社のみであり、生産規模を縮小したのは 20 社に留まっていることを報告したう
えで、全体的には状況をみながら対策を考慮していることがうかがえる、と結んでいる。また、
われわれがインタビューを行った企業へ撤退について聞いたところ、撤退は考えていないという
回答を得ている。1つには産業によって回復基調であることに加え、第 3 節でみたように直接投
資はその他の投資に比べて安定的であることを示しているのかもしれない。
5 むすびにかえて
以上、本論文ではアジア経済危機について、マクロ経済、直接投資、そして日系企業という 3
面より主として過去の研究をサーベイするという方向から接近を試みた。
第 2 節で述べたように、アジア経済危機は通貨危機、金融危機、そして景気後退がほぼ同時期
に起こったものである。その背後に何らかの制度的、構造的な問題があるとすれば 、それは今回
の危機に見舞われた諸国だけの問題ではなく、バブル期以降の日本経済にも関わりのあることで
ある。なぜなら、Hoshi-Kashyap[19] が示すように、バブル期の日本は、貸出市場と預金市場にお
ける非対称な自由化プロセスのもとで、優良企業の銀行借入が減少する一方、消費者からは大量
の預金が銀行へ流入している状況にあった。自由化の流れは従来型の間接金融からオープンな市
場型の直接金融への移行という銀行行動の変革を促がすものであったが、バブル経済の発生が銀
行に対し時代の流れに逆行する行動をとらせた。すなわち、不動産バブルは格好の貸し出し増加
のチャンスとなってしまい、そこに飛びついた結果、バブル崩壊後の深刻な金融危機へとつながっ
たのである。当時の問題は金融市場にのみあったのではない。Nakajima-Nakamura-Yoshioka[39]
では、バブル期における日本の製造業(鉄鋼と輸送用機械)の生産性は決して高いものだったと
はいえず、むしろインプットの増加によって成長がもたらされただけであったことが示されてい
る。経済危機前夜、アジア諸国の実物経済の生産性がどのような状況であったかについて未だ確
たる実証結果は存在しない。しかし 、不動産バブルが香港やタイで生じていたことは周知の事実
であることを考えれば 、日本においてバブル崩壊前に観察された状況は経済危機前夜のアジア諸
国に共通する部分が多い。ひとつ大きく違うのは、日本は貿易黒字の持続により豊富な対外債権
と外貨準備が存在していたために、通貨投機の対象とはならなかった点である。以上述べたよう
な観点から、われわれはアジア経済危機を対岸の火事として見過ごすことはできない。
加えて、われわれがアジア経済危機に注目するのは、アジア・システムとも呼ぶべき国家が国
民に代わってリスクをとるタイプの経済システムがグローバルな市場化の流れの中でどのように
41
対応していくべきかという大きな問題に直面しているからに他ならない。これまで行政の手厚い
保護を受けてきた金融業界を筆頭とするいわゆる国内規制産業は、グローバル市場において自ら
リスクをとる新たなシステム構築へ向けてのリストラクチャリングに必死である。グローバリ
ゼーションは確かに企業とって国境を意味のないものにしていくが、一方、依然として為替レー
トは各国経済のパフォーマンスから影響を受け、それが企業行動に影響を与えていることも事実
である。インフレや失業という問題も国境内での経済問題であり、国家レベルで解決すべき問題
である。しかし 、資本は証券投資や直接投資という形で世界中を飛び回り、一国の経済状態を瞬
時に返るだけの力を持っているのである。中国珠江周辺における経済特区のここ 10 数年の変わ
りようは自国の資本蓄積力だけでは到底達成できないものである。一方、インド ネシアやタイで
巻き起こった通貨危機と資本逃避はこれらの国の経済状態を瞬く間に暗転させるだけの威力を示
したのである。
以上のことから、日本にとってアジア経済危機は単なる危機以上の意味を持つと考えるべきで
ある。Yergin-Stanislaw[64] がいうように、われわれは市場の力によってあらゆる経済への介入
がねじ伏せられる時代を迎えようとしているのだろうか。こうした中で日本がどのような経済シ
ステムをとるべきかが今問われているといえよう。
42
参考文献
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