Carlo Cinzburg, Il Formaggio ei vermi: il cosmo di un mugnaio del`500

英文学 H 松田隆美担当
Carlo Cinzburg, Il Formaggio e i vermi: il cosmo di un mugnaio del
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500 (Torino, 1976) /
カルロ・ギンズブルク 『チーズとうじ虫−16世紀の一粉挽屋の世界像』杉山光信訳
(みすず書房、1984)pp.83-84
先ず初めに、どのようにしてメノッキオがこれらの書物を手にすることができたかを見
ることにしよう。
かれが自分で手に入れていたことを私たちが確実に知っている唯一の書物は、「私がヴ
ェネツィアで2スウで買いました」と言っている『聖書の略述記』である。…フォレス
ティの『年代記補遺』はトマソ・メロ・デ・マルミンスからメノッキオに贈られたもの
である。11の書物のうちの6冊、つまり半分以上にあたる残りの書物はかれが借りた
ものであった。この数字は重要なもので、この小さな農村において、相互に書物を貸借
しあうことによって、かれらの財政的な資力の狭隘さという障害をのりこえさせる読者
たちのネットワークがあったことを垣間見させる。それゆえ『聖母のロザリオ』は、1
567年にメノッキオがアルバに追放されていたあいだに、アンナ・デ・チェコという
ある女性がかれに貸したものであった。…『マンデヴィルの旅行記』はモンテレアレの
礼拝堂を守っている司祭のアンドレア・ビオニマから、5年か6年前に借りたもので、
この司祭はマニアゴで「公証人所有のいく百もの書物」をかきまわしているうちに、た
またま見つけたものであった。…このように盛んな書物の貸借は、(予想されるであろ
うように)たんに聖職者に関係しているだけでなく、女性にも関係していた。
Robert Mandrou, De la culture populaire aux 17e et 18e siècles (Paris, 1975) / ロベー
ル・マンドルー『民衆本の世界−17・18世紀フランスの民衆文化』二宮・長谷川訳
(人文書院、1988)p.48
ニコラ・ウドーなる人物が、まさに17世紀初頭、消耗した活字と古くなった版木を
使って、少ない費用で民衆向けの書物を出版しようと計画した。コントや、16世紀の
間にすでに書きかえられていた中世の物語(『ユオン・ド・ボルドー』とか『エモンの
4人の息子』など)、また、いくつかの聖人伝−聖アウグスティヌス、聖ロック、聖カ
トリーヌ、聖バルブ−といった類がそれである。テクストは植字工によって、模倣とい
うかいわば単純化されて、著者名もなく、表題と版元だけが記されて出版されたのであ
った。この着想は、結構の成功を収め、彼が1632年に歿したときには、刊行点数は
百点を数えるまでになっていた。
英文学 H 松田隆美担当
近世ヨーロッパの主要な書物生産地
Simon Bening の工房による、欄外装飾
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