鳩だ だよ より り 鳩 ︽敬称略︾ 祝 堅 信 6月 日︵日︶ フランシスカ 上 崎 清 美 ル カ 綱 本 一 希 神戸聖ヨハネ教会 ご 逝 去 6月 日︵土︶ マーガレット 岡 田 ミユリ 松江基督教会 6月 日︵日︶ マ リ ア 殿 村 賎 代 神戸聖ヨハネ教会 神 戸 伝 道 区 ア常務理事・神戸国際大学准教 授︶を 講 師 に 迎 え、﹁よ く わ か る! 認知症とこれからのケア﹂ のテーマで講演して頂いた。来 会者約 名。 山 陰 伝 道 区 ◎松江基督教会 5 月 日︵日︶、中 村 主 教 司 式のもと、当教会創立130周 年記念礼拝が行われた。また4 月から当教会の牧師に就任され た杉野達也司祭の牧師任命式も 行われた。山陰伝道区の各教会 からもお祝いに駆けつけて下さ り、 名 の 参 加 者 が 与 え ら れ、 共に神様に感謝する一時を持っ た。礼拝後には、ささやかな祝 会が催され、当教会の礎を築き 上げたバークレー・バックスト ン司祭にまつわるお話やミニコ ンサートが行われた。 神戸教区教役者修養会 6月 日︵火︶から 日︵木︶ まで、サントピア岡山総社を会 場にして、年に一度の教役者修 養会が開催された。 今回の教役者修養会には、ウ イリアムス神学館に館長として 出向している吉田雅人司祭をお 迎えし、管区礼拝委員会から配 布 さ れ た﹃﹁堅 信 前 の 陪 餐﹂を 巡るQ&A﹄について解説して 頂いた。 来年の管区総会で可決されれ ば、﹁堅 信 前 の 陪 餐﹂が 日 本 聖 公会においても実施される。今 回の講話を通して﹁堅信前の陪 餐﹂について理解を深めること ができた。 ︵杉野 記︶ 魂教会に集い、沖縄教区主催の 座主教と大田教区主教が北谷諸 全教区主教及び大韓聖公会の首 ら れ た こ と を 神 に 感 謝 し ま す。 ではなく、私たちに原爆が与え を 通 し て ア メ リ カ 国 民 に、﹁敵 この爆弾が使用できるように私 が っ て お り ま し た が、 では、私たちの祈りはどのよ 礼拝﹂に参加しました。高台に に 書 か れ て い る 通 り、﹁歴 史 を は、沖縄の人口を遙かに上回る うなものなのでしょうか。敵・ た ち を 導 い て く だ さ い︵注 2︶ ﹂ 振り返らない者は、同じことが 兵 隊 が ひ し め き 合 っ た 艦 船 が、 味方を選別してしまう傲慢、偏 ある諸魂教会礼拝堂西窓の向こ 起こされる時、それに加担する び っ し り と 海 面 を 覆 っ て お り、 見、差別、ねたみ、利己心を自 と祈り、原爆投下を正当化しま 人 生 を 歩 む︵注1︶ ﹂の で す。私 青々とした木々がそよぐ東窓の 分自身が抱いていることへの気 会ソウル教区オモニ聖歌隊と共 できたことでしょう。大韓聖公 する島民たちの姿を見ることが 神の前で明らかにすることなの 平 和 の 使 者 と し て 立 つ こ と を、 和解によってしか実現されない ︵注2︶ ︵神戸教区主教︶ His purposes. use it in His ways and for that He may guide us to our enemies; and we pray come to us, instead of to We thank God that it has to life through it again. remember history is bound the one who does not です。 り、のぞみがうばわれ、どうく つのなか、たえゆくいのち、す くいをもとめて、さけぶこえに、 主よ、あなたは、どこにおられ た ⋮ ⋮︵聖 歌 4 2 3 番・山 野 繁 子 司 祭 作 詞︶﹂を 歌 い、沖 縄 戦 犠牲者の霊魂の平安を神に祈り ました。 年前、広島への原爆投下が 私たちの祈り 無事終了した知らせを聞いたと き、トルーマン大統領はラジオ ︵注1︶ に 私 た ち は、﹁う み が 血 に そ ま した。 たちは、ビルケナウ収容所側に 向こうでは、猛烈な艦砲射撃に 年前 ある聖マリア教会礼拝堂で、収 うには、静かでのどかな海が広 ﹁沖 縄 慰 霊 の 日、戦 後 神の目的のため、御旨のままに、 18 年記念 16 づ き と 心 か ら の 懺 悔、そ し て、 日︵火︶、日本聖公会の 沖縄戦の悲惨 6月 70 教 籍 移 動 6月8日︵月︶ 柳 原 康 子 日本基督教団倉敷教会より 倉敷聖クリストファー教会へ 6月 日︵日︶ フランシスカ 上 崎 清 美 カトリックたかとり教会より 神戸聖ヨハネ教会へ 6月 日︵金︶ ミカエラ 竹 下 綺 羅 マ リ ア 竹 下 天留美 東京聖テモテ教会より 松江基督教会へ 6月 日︵土︶ マ ル コ 小 林 龍一郎 カトリック高槻教会より 洲本眞光教会へ 6月 日︵火︶ ミカエル 坂 井 充 仁 神戸聖ミカエル教会より 大阪聖パウロ教会へ 50 よって行き場を失い、右往左往 印 刷 所 1月 日︵日︶ ヒ ル ダ 釜 山 十二華 東京教区聖アンデレ教会より 呉信愛教会へ 5月9日︵土︶ プリスキラ 長 喜代子 神田キリスト教会より 呉信愛教会へ 6月1日︵月︶ バルナバ 島 田 圭 輔 モ ー セ 島 田 智 生 徳島インマヌエル教会より ◎教会委員会研修会 6 月 日︵土︶、神 戸 伝 道 区 の教会委員会研修会が神戸聖ミ カエル教会で開催。山陰伝道区 から瀬山会治司祭、井田省吾さ ん、西村典さんをお迎えし、山 陰伝道区の﹁山陰伝道区は一つ の教会﹂という取組についてお 聞きした。参加者 名。 ◎神戸昇天教会 6月7日︵日︶午後、バルナ バ伝道集会を開催。山口 宰師 ︵社 会 福 祉 法 人 光 朔 会 オ リ ン ピ 我秀一 聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂へ 発行責任者 容所犠牲者と世界の平和のため http://www.nskk.org/kobe/ ス・ドイツに反抗する者は人間 年前の動かしが ったのです。建物の入り口の壁 たい事実の証人となるためであ するという、 に、人間というのは英知を結集 の悪い存在を大量に殺すため や平和記念資料館と同様、都合 棄したのは、広島の原爆ドーム を徹底的に破壊することなく遺 ナチス・ドイツが、この場所 す。 たのは当然といえば当然なので いえるアウシュビッツが選ばれ 求され、ヨーロッパのへそとも 工場の設置と交通の利便性が要 るためには組織的かつ合理的な に基づき、大量の人間を抹殺す 主教 アンデレ 中 村 豊 日︵木︶、曇 天 の な か、 33 31 20 *10月の記念逝去教役者* に祈りを献げました。 平和の使者として立つ 5 月 神戸バイブル・ハウスのポーラ ンド巡礼者一行を乗せたバスは アウシュビッツに到着しまし た。受付を済ませた頃から雨が ぽつぽつと降りだし、収容所の 見学が開始されると本降りとな りました。まるで、絶望のどん 底に落とされた収容者の涙が私 たちに降り注ぎ、何かを訴えて いるかのようでした。 知恵を結集した殲滅作戦 ナチス・ドイツがヨーロッパ 70 逝去記念聖餐式 14 19 21 30 以下の存在であるという人間観 10月の教区関係教役者 45 70 各地に建てた収容所で、ユダヤ 人だけでも約600万人が命を 失いました。アーリア人種の優 越性を誇示し、ユダヤ人やナチ 文明堂印刷所 沖縄慰霊の日 戦後70年記念礼拝 * 9 月の記念逝去教役者* 21 TEL 078 (351)5469 FAX 078 (382)1095 23 日時 2015年9月3日 (木)午前10:30 場所 神戸聖ミカエル大聖堂 司式 主教 中村 豊 説教 司祭 藤井 尚人 27 キャサリン シ ェ パ ー ド 宣教師 ヨハンナ三 三 浦 す み 枝 伝道師 南 岡 七 重 伝道師 ミカエル 津 田 昌 男 司 祭 牛島 惣太郎 司 祭 ョ ウ ノア チ 司 祭 ヨハネ 坂 下 内 匠 司 祭 オーエン 國 弘 文 吾 執 事 ヒルダ ジ ャ ク ソ ン 宣教師 ミカエル 八代 斌助 主 教 永野 武二郎 司 祭 パウロ 河 合 良 隆 司 祭 アントニオ 嶋 田 克 己 執 事 ハロルド マクシェリー 司 祭 ペテロ 松 井 米 太 郎 主 教 サミュエル ヘーズレット 主 教 三 浦 光 子 伝道師 司 祭 オーガスチン 岡 上 典 夫 ペテロ 横 田 久 明 司 祭 ー レオノア リ 宣教師 藤 本 与 喜 司 祭 ルカ 加 藤 泰 秀 司 祭 バルナバ 長 門 一 二 三 司 祭 司祭 芳 日時 2015年10月1日 (木)午前10:30 場所 神戸聖ミカエル大聖堂 司式 主教 中村 豊 説教 司祭 杉野 達也 発行所 1日 1日 5日 5日 7日 7日 8日 9日 9日 10 日 14 日 14 日 14 日 15 日 16 日 16 日 21 日 21 日 24 日 28 日 29 日 31 日 31 日 神戸教区事務所 ドロシー 70 逝去記念聖餐式 14 2015年 8・9月号 ラザロ 緒 方 政 枝 上 西 八 枝 布 施 好 古 三 宅 福 恵 片山 民治郎 エ ビ ント ン エド ワ ー ズ マレー=ウォルトン 米 村 勇 雄 吉 田 照 子 グレッグ ソン 1日 3日 4日 9日 10 日 12 日 13 日 16 日 17 日 20 日 不明 伝道師 伝道師 執 事 伝道師 司 祭 主 教 宣教師 司 祭 司 祭 伝道師 宣教師 ステパノ ヘンリー レティシア ウイリアム アブラハム 14 11 9月の教区関係教役者 2015年8月1日 発行(4) 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ 第66巻第7号(通算607号) 2015年8月1日 発行 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ (1)第66巻第7号(通算607号) 沖縄の旅に参加して 司祭 ヨシュア 長田 吉史 今年の沖縄週間・沖縄の旅は 6月 日︵土︶から 日︵火︶の 年の年ということもあっ り、民家 棟をなぎ倒したあと、 たジェット機が操縦不能とな 石川市で嘉手納基地を飛び立っ ム と し て は、1 9 5 9 年 6 月、 が集まりました。主なプログラ て、各教区からたくさんの方々 後 間、開催されました。今年は戦 23 者 名︵小学生 名、一般住民 らその苦闘と献身に心を揺すぶ した。そして、現地で本物を見 本物を見る大切さをも痛感しま ョッキングでした。自分の目で は続いている﹂という言葉がシ 沖縄教区上原主教様の﹁沖縄戦 る こ と を 感 じ ま し た。何 よ り、 らない複雑な状況がたくさんあ 基地がなくなれば良いでは終わ にも背負っていること。そして 条約とその重さを沖縄がこんな れていること、そして、日米の と隣り合わせである状態に晒さ 活が、常にこんなに基地の危険 く和解のメッセージを伝えてお 中を巡回し、自らの体験に基づ 憶の癒し研究所﹂を設立、世界 スレー司祭は、1992年﹁記 ながらも九死に一生を得たラプ 攻撃を受け、両手と片目を失い パルトヘイト運動で手紙爆弾の 1990年南アフリカの反ア 祭が先般来日されました。 著者、マイケル・ラプスレー司 憶 の 癒 し﹄ ︵榊 原・吉 谷 訳︶の 本紙3月号で紹介された﹃記 ます。 ジに接していただきたいと思い りでも多くの方にそのメッセー が掲載されていますので、ひと ンデレ教会聖餐式での説教全文 で 見 ら れ ま す し、聖 YouTube 公会新聞7月号には東京の聖ア ラ プ ス レ ー 司 祭 の 軌 跡 は ました。 い翻訳者だと励ましてください な い に も か か わ ら ず︵!︶、よ んだ方で、日本語がおわかりで 際に大きく温かくウィットに富 りと、沖縄教区の兄弟姉妹の生 ていないがために、差別や偏見 られます。広島に癒されるべき この会のためご尽力くださっ ︶でした。でもそのみ言葉を といった二次問題が生じる危険 痛みの記憶を見ておられたので た広島復活教会の小林司祭、浜 られるとともに、独特のユーモ 実 ら せ る た め に は、﹁わ た し﹂ 性の高さを感じました。 しょう。聖公会神学院での公開 井姉はじめ信徒の皆さま、通訳 ラプスレー司祭を囲む会 の 平 和 で は な く、﹁キ リ ス ト﹂ この沖縄週間に参加するにあ 講演会の後、プライベートでの をつとめてくださったポーリー 主教や聖歌隊の皆さんをはじ 区の主教、そして大韓聖公会の り、最終日には日本聖公会各教 している辺野古地区へ行って祈 そして今、ますます緊張度を増 年生︶の講演をお聞きしました。 ているのか。この目で現地を見 か ら、﹁今、沖 縄 で 何 が 起 こ っ 地移転が注目を浴びていること であること、特に辺野古への基 今年は、戦後 に参加させて頂きました。 この度﹁沖縄週間・沖縄の旅﹂ 罪の赦しの祈りとキリストの平 に 叶 う よ う に、一 生 を か け て、 いと言葉と行いが、神様のみ心 しまいます。しかし、自分の思 んから、争いなどの罪を犯して 私たち人間は神様ではありませ 様のみ心﹂であるとのことです。 の平和とは何なのか。それは﹁神 て、感激のひとときを過ごしま いたり、親しくお話ししたりし 懇談でも、本にサインをいただ 約 会﹀の 交 わ り に 臨 ま れ ま し た。 イケル・ラプスレー司祭を囲む れた後、広島復活教会での︿マ 園を訪ね、被爆者のお話を聴か に平和記念資料館、平和記念公 ︵岡山聖オーガスチン教会信徒︶ し上げます。 ンさん、関係の皆さまに感謝申 柄に惹かれていたのですが、実 アとシャイなところのあるお人 の平和を求めることであること た り、念 頭 に お い て い た の が、 日 クララ 吉谷 かおる を、強く感じました。 ﹁主 の 平 和 と は 何 な の か﹂と い 広島訪問を希望され、6月 め、たくさんの方々と共に、 ﹁慰 たい﹂という気持ちから参加さ 和の宣教の努力を怠ってはなら 年を迎える年 霊の日﹂の礼拝に参列しました。 せて頂きました。 した。 マーガレット 上野 真実 交う人々、店員さん、関わった 人の参加者は、お話の後の 今年の聖句は﹃キリストの平和 ないと強く感じました。 日にかけて、神 も無い人々が囚人と呼ばれ、子 しみに溢れていました。何の罪 と人間の惨さにとても辛く、悲 人道的で卑劣な事があったのか 年前、実際にあんなにも非 で緑豊かなこの土地で、たった ウ収容所を訪れた事です。広大 りアウシュビッツ及びビルケナ 前述した中央広場とは別に収 必死に祈る事で精一杯でした。 殺 し た 死 の 壁 ⋮ そ れ ら を 見 て、 た餓死室、何千人もの人々を射 父が他の人を救う為に入れられ シミリアン・マリア・コルベ神 トイレ、ガス室、焼却炉、マク さです。又、収容施設やベッド、 思うと本当に言葉にならない辛 力をする事がこの悲劇を繰り返 なって物事を考え、理解する努 れ た 旅 で し た。相 手 の 立 場 に いるのか、考える機会が与えら 為に生き、何の為に生かされて る事は出来ません。自分が何の 歴史は知ろうとしない限り知 と改めて思いました。 るという事はとても重要な事だ て感じて、一歩踏み込んで考え 私は﹃記憶の癒し﹄翻訳中か ども、妊婦、身体に障がいのあ 容 所 の 中 に も 中 央 広 場 が あ り、 さない為にも重要だと思いま の る者、お年寄りの方々は働けな そこでは収容所生活の苦しみの 無 事 に 祈 り の 旅 が 出 来 た 事 す。心の底から戦争がなくなる す。 に、お世話になった多くの方々、 一つ、何時間にも及ぶ点呼の為 ここでは自ずと恐怖を感じて 祈りに覚えて下さった皆様に心 事を願います。 いたようで、体が重く頭痛がし、 ても無情にも殺されていった * * * を覚えました。我が子を必死に 者があり、この遺品を見て怒り しましたが、実際にこの目で見 て行く直前まで本や映画で勉強 るまでは殆ど無知でした。そし 私は正直このツアーに参加す * * * この旅で一番私が印象付けら 守り抜こうとした母の気持ちを た。 ポーランドの国民性について れ、伝えたいと思った事はやは ︵神戸聖ミカエル教会信徒︶ よりお礼を申し上げます。 るとこの日の残りの日程、何を 放心状態となり、思い返してみ 集合させられた場所でもありま ︵米子聖ニコラス教会信徒︶ プログラムの講演会で話を伺 日∼ 方々を見てもそう感じます。又、 世紀初頭ワルシャワに遷都す 食べたかなど記憶が殆どありま ル 城、中 央 広 場 を 訪 れ ま し た。 いとして殺されました。 方々の涙のように私達に語り掛 るまでは首都であった、最も歴 旅となりました。 中央広場では、沢山の飲食店や 収容所には、部屋一面の髪の けておられると思えてなりませ た。毎日色々な教会を訪れてミ せん。又、このツアー中晴天に ある礼拝では、どこかの国の 雑貨用品店、お花屋さん、観光 毛、眼鏡、義手義足、台所用品、 んでした。 史ある都市の一つであるクラク 方々と共に祈りを捧げ、言葉は 客を乗せた馬車も沢山走り、多 氏名や住所入りのトランク、壁 サをお捧げする事が出来、今後 違えどもミサの流れは同じなの く の 人 々 で 賑 わ っ て い ま し た。 全面に積まれた子どもの物も含 恵まれていましたが唯一この日 で 平 和 の 挨 拶 も 握 手 を 交 わ し、 しかし、大声を出して騒ぐ人が だけ雨が降り、それが生きたく 心が一つになって神様に向かっ む靴、それらにはすべてに所有 フでは、聖マリア教会、ヴァヴェ 60 いないように感じたのです。 の私の信仰生活において重要な ンド巡礼の旅へ行って参りまし 聖マリア教会の前で ている事に嬉しさを感じまし ヴァヴェル城 70 70 ポーランド巡礼の旅に参加して 5月 20 戸バイブルハウス主催のポーラ 11 は穏やかだと感じました。行き アウシュビッツ 17 神戸バイブルハウス主催 があなたがたの心を支配するよ クレメント 井熊 大輔 うことです。全ての人にとって 15 ったり、また基地を実際に見た 高政治さん︵当時宮森小学校5 者や遺族の証言集をまとめた久 の映画の脚本の元となった被害 す大惨事を伝える映画を見、そ 6 名︶、重 軽 傷 者 2 1 0 名 を 出 11 宮森小学校に墜落、炎上し、死 35 う に し な さ い﹄︵コ ロ サ イ 3・ 11 20 70 17 2015年8月1日 発行(2) 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ 第66巻第7号(通算607号) 2015年8月1日 発行 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ (3)第66巻第7号(通算607号) 沖縄の旅に参加して 司祭 ヨシュア 長田 吉史 今年の沖縄週間・沖縄の旅は 6月 日︵土︶から 日︵火︶の 年の年ということもあっ り、民家 棟をなぎ倒したあと、 たジェット機が操縦不能とな 石川市で嘉手納基地を飛び立っ ム と し て は、1 9 5 9 年 6 月、 が集まりました。主なプログラ て、各教区からたくさんの方々 後 間、開催されました。今年は戦 23 者 名︵小学生 名、一般住民 らその苦闘と献身に心を揺すぶ した。そして、現地で本物を見 本物を見る大切さをも痛感しま ョッキングでした。自分の目で は続いている﹂という言葉がシ 沖縄教区上原主教様の﹁沖縄戦 る こ と を 感 じ ま し た。何 よ り、 らない複雑な状況がたくさんあ 基地がなくなれば良いでは終わ にも背負っていること。そして 条約とその重さを沖縄がこんな れていること、そして、日米の と隣り合わせである状態に晒さ 活が、常にこんなに基地の危険 く和解のメッセージを伝えてお 中を巡回し、自らの体験に基づ 憶の癒し研究所﹂を設立、世界 スレー司祭は、1992年﹁記 ながらも九死に一生を得たラプ 攻撃を受け、両手と片目を失い パルトヘイト運動で手紙爆弾の 1990年南アフリカの反ア 祭が先般来日されました。 著者、マイケル・ラプスレー司 憶 の 癒 し﹄ ︵榊 原・吉 谷 訳︶の 本紙3月号で紹介された﹃記 ます。 ジに接していただきたいと思い りでも多くの方にそのメッセー が掲載されていますので、ひと ンデレ教会聖餐式での説教全文 で 見 ら れ ま す し、聖 YouTube 公会新聞7月号には東京の聖ア ラ プ ス レ ー 司 祭 の 軌 跡 は ました。 い翻訳者だと励ましてください な い に も か か わ ら ず︵!︶、よ んだ方で、日本語がおわかりで 際に大きく温かくウィットに富 りと、沖縄教区の兄弟姉妹の生 ていないがために、差別や偏見 られます。広島に癒されるべき この会のためご尽力くださっ ︶でした。でもそのみ言葉を といった二次問題が生じる危険 痛みの記憶を見ておられたので た広島復活教会の小林司祭、浜 られるとともに、独特のユーモ 実 ら せ る た め に は、﹁わ た し﹂ 性の高さを感じました。 しょう。聖公会神学院での公開 井姉はじめ信徒の皆さま、通訳 ラプスレー司祭を囲む会 の 平 和 で は な く、﹁キ リ ス ト﹂ この沖縄週間に参加するにあ 講演会の後、プライベートでの をつとめてくださったポーリー 主教や聖歌隊の皆さんをはじ 区の主教、そして大韓聖公会の り、最終日には日本聖公会各教 している辺野古地区へ行って祈 そして今、ますます緊張度を増 年生︶の講演をお聞きしました。 ているのか。この目で現地を見 か ら、﹁今、沖 縄 で 何 が 起 こ っ 地移転が注目を浴びていること であること、特に辺野古への基 今年は、戦後 に参加させて頂きました。 この度﹁沖縄週間・沖縄の旅﹂ 罪の赦しの祈りとキリストの平 に 叶 う よ う に、一 生 を か け て、 いと言葉と行いが、神様のみ心 しまいます。しかし、自分の思 んから、争いなどの罪を犯して 私たち人間は神様ではありませ 様のみ心﹂であるとのことです。 の平和とは何なのか。それは﹁神 て、感激のひとときを過ごしま いたり、親しくお話ししたりし 懇談でも、本にサインをいただ 約 会﹀の 交 わ り に 臨 ま れ ま し た。 イケル・ラプスレー司祭を囲む れた後、広島復活教会での︿マ 園を訪ね、被爆者のお話を聴か に平和記念資料館、平和記念公 ︵岡山聖オーガスチン教会信徒︶ し上げます。 ンさん、関係の皆さまに感謝申 柄に惹かれていたのですが、実 アとシャイなところのあるお人 の平和を求めることであること た り、念 頭 に お い て い た の が、 日 クララ 吉谷 かおる を、強く感じました。 ﹁主 の 平 和 と は 何 な の か﹂と い 広島訪問を希望され、6月 め、たくさんの方々と共に、 ﹁慰 たい﹂という気持ちから参加さ 和の宣教の努力を怠ってはなら 年を迎える年 霊の日﹂の礼拝に参列しました。 せて頂きました。 した。 マーガレット 上野 真実 交う人々、店員さん、関わった 人の参加者は、お話の後の 今年の聖句は﹃キリストの平和 ないと強く感じました。 日にかけて、神 も無い人々が囚人と呼ばれ、子 しみに溢れていました。何の罪 と人間の惨さにとても辛く、悲 人道的で卑劣な事があったのか 年前、実際にあんなにも非 で緑豊かなこの土地で、たった ウ収容所を訪れた事です。広大 りアウシュビッツ及びビルケナ 前述した中央広場とは別に収 必死に祈る事で精一杯でした。 殺 し た 死 の 壁 ⋮ そ れ ら を 見 て、 た餓死室、何千人もの人々を射 父が他の人を救う為に入れられ シミリアン・マリア・コルベ神 トイレ、ガス室、焼却炉、マク さです。又、収容施設やベッド、 思うと本当に言葉にならない辛 力をする事がこの悲劇を繰り返 なって物事を考え、理解する努 れ た 旅 で し た。相 手 の 立 場 に いるのか、考える機会が与えら 為に生き、何の為に生かされて る事は出来ません。自分が何の 歴史は知ろうとしない限り知 と改めて思いました。 るという事はとても重要な事だ て感じて、一歩踏み込んで考え 私は﹃記憶の癒し﹄翻訳中か ども、妊婦、身体に障がいのあ 容 所 の 中 に も 中 央 広 場 が あ り、 さない為にも重要だと思いま の る者、お年寄りの方々は働けな そこでは収容所生活の苦しみの 無 事 に 祈 り の 旅 が 出 来 た 事 す。心の底から戦争がなくなる す。 に、お世話になった多くの方々、 一つ、何時間にも及ぶ点呼の為 ここでは自ずと恐怖を感じて 祈りに覚えて下さった皆様に心 事を願います。 いたようで、体が重く頭痛がし、 ても無情にも殺されていった * * * を覚えました。我が子を必死に 者があり、この遺品を見て怒り しましたが、実際にこの目で見 て行く直前まで本や映画で勉強 るまでは殆ど無知でした。そし 私は正直このツアーに参加す * * * この旅で一番私が印象付けら 守り抜こうとした母の気持ちを た。 ポーランドの国民性について れ、伝えたいと思った事はやは ︵神戸聖ミカエル教会信徒︶ よりお礼を申し上げます。 るとこの日の残りの日程、何を 放心状態となり、思い返してみ 集合させられた場所でもありま ︵米子聖ニコラス教会信徒︶ プログラムの講演会で話を伺 日∼ 方々を見てもそう感じます。又、 世紀初頭ワルシャワに遷都す 食べたかなど記憶が殆どありま ル 城、中 央 広 場 を 訪 れ ま し た。 いとして殺されました。 方々の涙のように私達に語り掛 るまでは首都であった、最も歴 旅となりました。 中央広場では、沢山の飲食店や 収容所には、部屋一面の髪の けておられると思えてなりませ た。毎日色々な教会を訪れてミ せん。又、このツアー中晴天に ある礼拝では、どこかの国の 雑貨用品店、お花屋さん、観光 毛、眼鏡、義手義足、台所用品、 んでした。 史ある都市の一つであるクラク 方々と共に祈りを捧げ、言葉は 客を乗せた馬車も沢山走り、多 氏名や住所入りのトランク、壁 サをお捧げする事が出来、今後 違えどもミサの流れは同じなの く の 人 々 で 賑 わ っ て い ま し た。 全面に積まれた子どもの物も含 恵まれていましたが唯一この日 で 平 和 の 挨 拶 も 握 手 を 交 わ し、 しかし、大声を出して騒ぐ人が だけ雨が降り、それが生きたく 心が一つになって神様に向かっ む靴、それらにはすべてに所有 フでは、聖マリア教会、ヴァヴェ 60 いないように感じたのです。 の私の信仰生活において重要な ンド巡礼の旅へ行って参りまし 聖マリア教会の前で ている事に嬉しさを感じまし ヴァヴェル城 70 70 ポーランド巡礼の旅に参加して 5月 20 戸バイブルハウス主催のポーラ 11 は穏やかだと感じました。行き アウシュビッツ 17 神戸バイブルハウス主催 があなたがたの心を支配するよ クレメント 井熊 大輔 うことです。全ての人にとって 15 ったり、また基地を実際に見た 高政治さん︵当時宮森小学校5 者や遺族の証言集をまとめた久 の映画の脚本の元となった被害 す大惨事を伝える映画を見、そ 6 名︶、重 軽 傷 者 2 1 0 名 を 出 11 宮森小学校に墜落、炎上し、死 35 う に し な さ い﹄︵コ ロ サ イ 3・ 11 20 70 17 2015年8月1日 発行(2) 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ 第66巻第7号(通算607号) 2015年8月1日 発行 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ (3)第66巻第7号(通算607号) 鳩だ だよ より り 鳩 ︽敬称略︾ 祝 堅 信 6月 日︵日︶ フランシスカ 上 崎 清 美 ル カ 綱 本 一 希 神戸聖ヨハネ教会 ご 逝 去 6月 日︵土︶ マーガレット 岡 田 ミユリ 松江基督教会 6月 日︵日︶ マ リ ア 殿 村 賎 代 神戸聖ヨハネ教会 神 戸 伝 道 区 ア常務理事・神戸国際大学准教 授︶を 講 師 に 迎 え、﹁よ く わ か る! 認知症とこれからのケア﹂ のテーマで講演して頂いた。来 会者約 名。 山 陰 伝 道 区 ◎松江基督教会 5 月 日︵日︶、中 村 主 教 司 式のもと、当教会創立130周 年記念礼拝が行われた。また4 月から当教会の牧師に就任され た杉野達也司祭の牧師任命式も 行われた。山陰伝道区の各教会 からもお祝いに駆けつけて下さ り、 名 の 参 加 者 が 与 え ら れ、 共に神様に感謝する一時を持っ た。礼拝後には、ささやかな祝 会が催され、当教会の礎を築き 上げたバークレー・バックスト ン司祭にまつわるお話やミニコ ンサートが行われた。 神戸教区教役者修養会 6月 日︵火︶から 日︵木︶ まで、サントピア岡山総社を会 場にして、年に一度の教役者修 養会が開催された。 今回の教役者修養会には、ウ イリアムス神学館に館長として 出向している吉田雅人司祭をお 迎えし、管区礼拝委員会から配 布 さ れ た﹃﹁堅 信 前 の 陪 餐﹂を 巡るQ&A﹄について解説して 頂いた。 来年の管区総会で可決されれ ば、﹁堅 信 前 の 陪 餐﹂が 日 本 聖 公会においても実施される。今 回の講話を通して﹁堅信前の陪 餐﹂について理解を深めること ができた。 ︵杉野 記︶ 魂教会に集い、沖縄教区主催の 座主教と大田教区主教が北谷諸 全教区主教及び大韓聖公会の首 ら れ た こ と を 神 に 感 謝 し ま す。 ではなく、私たちに原爆が与え を 通 し て ア メ リ カ 国 民 に、﹁敵 この爆弾が使用できるように私 が っ て お り ま し た が、 では、私たちの祈りはどのよ 礼拝﹂に参加しました。高台に に 書 か れ て い る 通 り、﹁歴 史 を は、沖縄の人口を遙かに上回る うなものなのでしょうか。敵・ た ち を 導 い て く だ さ い︵注 2︶ ﹂ 振り返らない者は、同じことが 兵 隊 が ひ し め き 合 っ た 艦 船 が、 味方を選別してしまう傲慢、偏 ある諸魂教会礼拝堂西窓の向こ 起こされる時、それに加担する び っ し り と 海 面 を 覆 っ て お り、 見、差別、ねたみ、利己心を自 と祈り、原爆投下を正当化しま 人 生 を 歩 む︵注1︶ ﹂の で す。私 青々とした木々がそよぐ東窓の 分自身が抱いていることへの気 会ソウル教区オモニ聖歌隊と共 できたことでしょう。大韓聖公 する島民たちの姿を見ることが 神の前で明らかにすることなの 平 和 の 使 者 と し て 立 つ こ と を、 和解によってしか実現されない ︵注2︶ ︵神戸教区主教︶ His purposes. use it in His ways and for that He may guide us to our enemies; and we pray come to us, instead of to We thank God that it has to life through it again. remember history is bound the one who does not です。 り、のぞみがうばわれ、どうく つのなか、たえゆくいのち、す くいをもとめて、さけぶこえに、 主よ、あなたは、どこにおられ た ⋮ ⋮︵聖 歌 4 2 3 番・山 野 繁 子 司 祭 作 詞︶﹂を 歌 い、沖 縄 戦 犠牲者の霊魂の平安を神に祈り ました。 年前、広島への原爆投下が 私たちの祈り 無事終了した知らせを聞いたと き、トルーマン大統領はラジオ ︵注1︶ に 私 た ち は、﹁う み が 血 に そ ま した。 たちは、ビルケナウ収容所側に 向こうでは、猛烈な艦砲射撃に 年前 ある聖マリア教会礼拝堂で、収 うには、静かでのどかな海が広 ﹁沖 縄 慰 霊 の 日、戦 後 神の目的のため、御旨のままに、 18 年記念 16 づ き と 心 か ら の 懺 悔、そ し て、 日︵火︶、日本聖公会の 沖縄戦の悲惨 6月 70 教 籍 移 動 6月8日︵月︶ 柳 原 康 子 日本基督教団倉敷教会より 倉敷聖クリストファー教会へ 6月 日︵日︶ フランシスカ 上 崎 清 美 カトリックたかとり教会より 神戸聖ヨハネ教会へ 6月 日︵金︶ ミカエラ 竹 下 綺 羅 マ リ ア 竹 下 天留美 東京聖テモテ教会より 松江基督教会へ 6月 日︵土︶ マ ル コ 小 林 龍一郎 カトリック高槻教会より 洲本眞光教会へ 6月 日︵火︶ ミカエル 坂 井 充 仁 神戸聖ミカエル教会より 大阪聖パウロ教会へ 50 よって行き場を失い、右往左往 印 刷 所 1月 日︵日︶ ヒ ル ダ 釜 山 十二華 東京教区聖アンデレ教会より 呉信愛教会へ 5月9日︵土︶ プリスキラ 長 喜代子 神田キリスト教会より 呉信愛教会へ 6月1日︵月︶ バルナバ 島 田 圭 輔 モ ー セ 島 田 智 生 徳島インマヌエル教会より ◎教会委員会研修会 6 月 日︵土︶、神 戸 伝 道 区 の教会委員会研修会が神戸聖ミ カエル教会で開催。山陰伝道区 から瀬山会治司祭、井田省吾さ ん、西村典さんをお迎えし、山 陰伝道区の﹁山陰伝道区は一つ の教会﹂という取組についてお 聞きした。参加者 名。 ◎神戸昇天教会 6月7日︵日︶午後、バルナ バ伝道集会を開催。山口 宰師 ︵社 会 福 祉 法 人 光 朔 会 オ リ ン ピ 我秀一 聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂へ 発行責任者 容所犠牲者と世界の平和のため http://www.nskk.org/kobe/ ス・ドイツに反抗する者は人間 年前の動かしが ったのです。建物の入り口の壁 たい事実の証人となるためであ するという、 に、人間というのは英知を結集 の悪い存在を大量に殺すため や平和記念資料館と同様、都合 棄したのは、広島の原爆ドーム を徹底的に破壊することなく遺 ナチス・ドイツが、この場所 す。 たのは当然といえば当然なので いえるアウシュビッツが選ばれ 求され、ヨーロッパのへそとも 工場の設置と交通の利便性が要 るためには組織的かつ合理的な に基づき、大量の人間を抹殺す 主教 アンデレ 中 村 豊 日︵木︶、曇 天 の な か、 33 31 20 *10月の記念逝去教役者* に祈りを献げました。 平和の使者として立つ 5 月 神戸バイブル・ハウスのポーラ ンド巡礼者一行を乗せたバスは アウシュビッツに到着しまし た。受付を済ませた頃から雨が ぽつぽつと降りだし、収容所の 見学が開始されると本降りとな りました。まるで、絶望のどん 底に落とされた収容者の涙が私 たちに降り注ぎ、何かを訴えて いるかのようでした。 知恵を結集した殲滅作戦 ナチス・ドイツがヨーロッパ 70 逝去記念聖餐式 14 19 21 30 以下の存在であるという人間観 10月の教区関係教役者 45 70 各地に建てた収容所で、ユダヤ 人だけでも約600万人が命を 失いました。アーリア人種の優 越性を誇示し、ユダヤ人やナチ 文明堂印刷所 沖縄慰霊の日 戦後70年記念礼拝 * 9 月の記念逝去教役者* 21 TEL 078 (351)5469 FAX 078 (382)1095 23 日時 2015年9月3日 (木)午前10:30 場所 神戸聖ミカエル大聖堂 司式 主教 中村 豊 説教 司祭 藤井 尚人 27 キャサリン シ ェ パ ー ド 宣教師 ヨハンナ三 三 浦 す み 枝 伝道師 南 岡 七 重 伝道師 ミカエル 津 田 昌 男 司 祭 牛島 惣太郎 司 祭 ョ ウ ノア チ 司 祭 ヨハネ 坂 下 内 匠 司 祭 オーエン 國 弘 文 吾 執 事 ヒルダ ジ ャ ク ソ ン 宣教師 ミカエル 八代 斌助 主 教 永野 武二郎 司 祭 パウロ 河 合 良 隆 司 祭 アントニオ 嶋 田 克 己 執 事 ハロルド マクシェリー 司 祭 ペテロ 松 井 米 太 郎 主 教 サミュエル ヘーズレット 主 教 三 浦 光 子 伝道師 司 祭 オーガスチン 岡 上 典 夫 ペテロ 横 田 久 明 司 祭 ー レオノア リ 宣教師 藤 本 与 喜 司 祭 ルカ 加 藤 泰 秀 司 祭 バルナバ 長 門 一 二 三 司 祭 司祭 芳 日時 2015年10月1日 (木)午前10:30 場所 神戸聖ミカエル大聖堂 司式 主教 中村 豊 説教 司祭 杉野 達也 発行所 1日 1日 5日 5日 7日 7日 8日 9日 9日 10 日 14 日 14 日 14 日 15 日 16 日 16 日 21 日 21 日 24 日 28 日 29 日 31 日 31 日 神戸教区事務所 ドロシー 70 逝去記念聖餐式 14 2015年 8・9月号 ラザロ 緒 方 政 枝 上 西 八 枝 布 施 好 古 三 宅 福 恵 片山 民治郎 エ ビ ント ン エド ワ ー ズ マレー=ウォルトン 米 村 勇 雄 吉 田 照 子 グレッグ ソン 1日 3日 4日 9日 10 日 12 日 13 日 16 日 17 日 20 日 不明 伝道師 伝道師 執 事 伝道師 司 祭 主 教 宣教師 司 祭 司 祭 伝道師 宣教師 ステパノ ヘンリー レティシア ウイリアム アブラハム 14 11 9月の教区関係教役者 2015年8月1日 発行(4) 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ 第66巻第7号(通算607号) 2015年8月1日 発行 神 戸 教 区 報 ・ 神 の お と ず れ (1)第66巻第7号(通算607号)
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