ドイツ国籍法の改正と政治的 - SOC

ドイツ国籍法の改正と政治的「公共空間」の展開 1998−99 年
―――ヘッセン州議会選挙に焦点を当てて―――
法政大学非常勤講師 清水聡
はじめに
1999 年 7 月 15 日、ドイツ社会民主党(以下、SPD)と、同盟 90・緑の党(以下、緑の党)
の連立によるシュレーダー政権(第一次)は、野党の自由民主党(以下、FDP)と共同し、「ド
イツ国籍法を改正する法律」を制定した(2000 年 1 月 1 日、施行)
。
シュレーダー政権(赤緑連立)により、1913 年 7 月 22 日に制定された「帝国籍・国籍法 Reichsund Staatsangehörigkeitsgesetz」
(以下、旧国籍法)は、
「国籍法 Staatsangehörigkeitsgesetz
(StAG)」へと改正され、ドイツの伝統的な血統主義の原則に、出生地主義の原則が加えられた。
国籍法改正の過程で、保守系勢力(キリスト教民主・社会同盟(以下、CDU/CSU)
)と、革新
系勢力(SPD)との間で、複雑な政治力学が作用した。二重国籍反対署名活動(CDU/CSU)
、ヘ
ッセン州議会選挙(SPD、緑の党の後退)の影響を受けて、シュレーダー政権は、それまでの「出
生地主義・二重国籍(一般的許容)
」の原則を、FDP の提案を受け入れる形で修正し、国籍法は、
「出生地主義・国籍選択モデル」を基礎として改正された。
以下では、保守系勢力と革新系勢力との間で、国籍法の改正をめぐり、どのような政治的な力
関係が作用したのか、とくに国籍法改正をめぐる論争と、二重国籍反対署名活動、さらにはその
影響を受けたヘッセン州議会選挙に焦点を当てて分析する。
1.
「国籍法 Staatsangehörigkeitsgesetz (StAG)」の分析
1999 年 5 月、国籍法改正案が可決されたことにより、2000 年 1 月から条件付きではあるが、
ドイツで生まれた外国人の間の子供にも国籍が与えられることになった。国籍法改正案が可決さ
れた 1999 年当時、ドイツ内に滞在する外国人は 730 万人(全ドイツ人口の 8.9%以上1)であり、
その数は他の西欧諸国をはるかに凌いでいた。国籍別内訳では、トルコ、約 205 万人、旧ユーゴ
スラヴィア、約 74 万人、イタリア、約 62 万人、ギリシア、約 36 万人、ポーランド、約 29 万人、
その他となっていた。したがって、外国人の「統合 Integration」問題は、保守系勢力にとって
も、革新系勢力にとっても、ドイツの「国内平和 innerer Frieden」をどのように整えるかとい
う観点から最重要政策の一つであった。
改正された国籍法と外国人法の要点を概観すると、
(1)国籍法の改正により、外国人の両親の
いずれか一方が、8 年間ドイツに合法的に居住し、滞在権あるいは 3 年前から無期限の滞在許可
を有する場合、ドイツで生まれた子供は、出生時に親の持つ国籍とともに、自動的にドイツ国籍
を取得する、とされた(国籍法§4(3)
)
。しかし、(2)新たにドイツ国籍を与えられた子供は、
18 歳から 23 歳の間に、親の国籍とドイツ国籍のどちらか一方の国籍を選択しなければならない
(国籍選択モデル:Optionsmodell)
(国籍法§29(1)−(5)
)
。また、
(3)国籍取得(帰化)の
請求権(帰化申請)の要件についても、それまで 15 年以上の滞在期間と規定されていたものが、
8 年以上の滞在と短縮され、帰化申請基準が緩和された(外国人法§85(1)
)2。
この法改正を主導したシリー内相(SPD)は、「改正法によってドイツ国籍法はヨーロッパ・
レベルへと高められ、社会平和が強化されるであろう3」と改革の成果を結論づけた。他方、シュ
レーダー政権の進める国籍法の改革に反対し続けたバイエルン州首相シュトイバー(CSU)は、
「国籍選択モデルによって外国人の子供のドイツ社会への統合は促進されず、むしろこの改正に
より、より多くの紛争が生じる可能性が高い4」と述べた。
国籍法の改正により、ドイツの法制史上はじめて、
「血統主義 Abstammungsprinzip」(”jus
sanguinis”)の原則に、
「出生地主義 Geburtsortsprinzip」
(”jus soli”)の原則が加えられた5。国
籍法改革に党を挙げて取り組んだ緑の党は、これを「世紀の改革 Jahrhundertreform」と位置づ
けた。しかし、その過程では「保守」対「革新」の政治力学が強く作用し、CDU/CSU が、国籍
法改正を反対するための署名活動を展開するにおよんで、政治的「公共空間」が、左右に分極化
する現象が起きた。以下、戦後ドイツにおける国籍法改正に関する「保守」と「革新」の基本的
立場、国籍法改正論争、ヘッセン州議会選挙、FDP の「国籍選択モデル」の順番に、国籍法改正
をめぐる論争の細部を分析する。
2.国籍法改正に関する「保守」と「革新」の基本的立場
国籍法の改正は、
「国家」の本質をどのようにとらえるか、という問題と密接に関連している。
保守系勢力は「国家」と「民族」の連結を維持することを重視し、革新系勢力は「国家」の本質
を「市民」へと転換していくことが重要であると考えた。この基本的立場を基礎として、外国人
問題への対応も整えられた。広渡清吾氏の研究を参考にすれば、
「人の流れ」に関する問題(とく
に、移住者(Aussiedler)
、難民(庇護希望者)
、移民化した外国人労働者とその家族の統合問題)
について、前者(保守)が、
「すでに定住化した外国人はドイツ社会に統合するが、これ以上の人
の流入・定着は拒否する」立場をとり、後者(革新)が、
「人の流れには戸を立てることはできず、
流れをコントロールすることこそが重要であり、ドイツ社会を開放してコントロールされた流
入・定住化」を進める政策を模索したとされる。SPD や保守系の一部の政治家・理論家は、ドイ
ツを「移民国」
(Einwanderungsland)と位置づけ、
「移住政策」
(Zuwanderungspolitik)を構
想した6。
この基本的対立の枠組みが、国籍法の改正に際にも先鋭化し、保守系勢力は、外国人のドイツ
社会への「統合」の最終段階に国籍を付与する法改正を目指し、革新系勢力は、
「統合」の最初の
段階で国籍を付与することが、ドイツの「国内平和」にとり重要であるとの立場を示した。
なお、本稿では、便宜上、CDU/CSU を「保守系勢力」
、SPD と緑の党を「革新系勢力」
、FDP
を「中道系勢力」と定義して、以下、議論を進める。無論、CDU と CSU との間にも外国人政策
(Ausländerpolitik)をめぐる微細なズレは存在する。また、SPD と緑の党との間にも同様に政
策をめぐるズレは存在する。さらに、1998−99 年当時、FDP は、CDU/CSU 寄りの政治スタン
スを採っていたが、本稿で議論するように、政策課題によっては、SPD と協調する局面も生じる。
したがって、政党の配置は、常に流動的である。しかし、本稿では、便宜上、図 1 の政党の配置
図を基礎として議論を進める。
図1
ドイツ連邦共和国における政党の配置図
「保守」←CSU――CDU――――FDP――――SPD[中道]―SPD[左派]―緑の党―→「革新」
[シュトイバー] [ショイブレ]
[シュレーダー] [ラフォンテーヌ] [フィッシャー]
[
]は 1998−99 年当時の代表的な政治家・党首。筆者作成。
3.国籍法改正論争―――政治的「公共空間」の分極化
3−1.シュレーダー政権と国籍法改正問題
1998 年、16 年間におよんだコール政権7は、総選挙での敗北により終焉し、SPD と緑の党の
連立によるシュレーダー政権が誕生した(表 1 を参照)
。戦後ドイツ史上初となる選挙による政
権交代により誕生したシュレーダー政権は、緑の党の政権参加、さらには「68 年世代」が政治の
中枢を占めたこと、等々、ドイツ政治史上、前例のない新しい時代の幕開けとなった。
表1
連邦議会選挙(1998 年)の結果(議席数)
SPD
CDU
CSU
緑の党
FDP
PDS
計
298
198
47
47
43
36
669
シュレーダー政権の時代(1998−2005 年)に、コソヴォ空爆、イラク戦争をめぐる米独関係
の悪化、EU の東方拡大、原子力発電所の廃棄、等々、ドイツ政府は重要な課題に次々と取り組
み、
伝統的なドイツの政治路線とは明らかに異なる政治成果を上げた。
そしてそのなかの一つに、
国籍法の改正問題は位置づけられる。
前述のように、シュレーダー政権のなかで国籍法改正に取り組んだのはシリー内相であった。
同内相は、国籍法を「現代化 Modernisierung」することで、ドイツが、現代的で、世界に開か
れた国となることを目指した。すなわち、出生地主義の導入と、二重国籍の一般的許容である。
他方、保守系勢力(CDU/CSU)
・中道系勢力(FDP)は、シュレーダー政権の進める国籍法改正
に正面から対立した。CDU/CSU は血統主義に固執し、FDP は二重国籍の一般的許容に反対した
(FDP 案:二重国籍は成年時まで許容)
。そして、国籍法の改正が具体的な政治テーマとなるに
およんで、CDU/CSU は、
「街頭政治」を政治戦略の基礎とした。
3−2.二重国籍反対署名活動
1999 年 1 月中旬、ヘッセン州 CDU は、同党の州首相候補であるコッホを中心に、二重国籍
(doppelte Staatsangehörigkeiten)に反対するための署名活動を開始した8。近藤潤三氏によれ
ば、街頭政治は、伝統的に左派政党の政治スタイルであり、保守政党として CDU/CSU は、
「街
頭からの政治的圧力に一貫して反対してきたが、国籍法改正を阻止するためにその姿勢を一転さ
せた9」とされる。署名活動は、
「街頭政治」といういわば「古い」政治スタイルであり、その手
法に伝統的に反対してきたにもかかわらず、CDU/CSU 指導部は、その政治戦略を推進した。
署名活動について、コッホは、CDU の立場は「過激ではない」と断言し、署名活動の成功の
可能性、そして「住民の多く」が CDU に味方している、と表明した。CDU は、ヘッセン州で 6
桁、連邦レベルで 7 桁の数字を確保できれば成功である、と署名活動の成功ラインを計算した10。
(最終的に、CDU/CSU は 500 万人の署名を集める。
)
他方、緑の党は、署名活動という政治スタイルを問題視し、コッホへの批判を展開した。ヘッ
セ ン州法 相プロ トニ ッツは 、コッ ホを、 ドイツに 住む外 国人を 「犯 罪的で あると 見な す
kriminalisieren」ことを試みている「反動主義者」であると批判した。他方、緑の党のフィッシ
ャー外相は、
「古めかしい国籍法」の改正は、ドイツをヨーロッパ化する上で、最も重要な改革で
あると、改革の必要性を強調した11。
署名活動への懸念は、FDP からも表明された。FDP は、CDU/CSU の署名活動が、外国人の
「統合」にそもそも根本的に批判的な立場の人々を、かえって刺激してしまうのではないか、と
懸念し、署名活動では「政治論争を埋め合わせることはできない」
、と表明した。その上で、FDP
は、シュレーダー政権の改革案に対して、FDP 独自の「国籍選択モデル」を対置することを主張
した12。
3−3.国籍法改正をめぐる「保守」と「革新」の構想
1999 年 1 月 13 日、シュレーダー政権は、国籍法の改正と、それに伴う外国人の「統合」のビ
ジョンを示した。シリー内相は、ドイツの法律に、ドイツで生まれた者はドイツ人であるという
前提の「領域原則 Territorialprinzip」を補足し、さらには国籍取得(帰化)
(Einbürgerung)の
要件を緩和することによって、
「国内平和」への寄与が果たされると述べた。内相は、移住(移民)
の増加が重要なのではなく、すでに長く連邦共和国に暮らした人々とその子供達が重要であると
論じた。
他方、野党の CDU/CSU も 1 月 13 日に独自の構想を提示した。CDU/CSU 連邦議会議員団副
議長リュトガースは、ドイツ国籍の唯一の取得方法は、ドイツ人の父母を持つ者がドイツ人であ
る、という血統主義である、と述べた。他方で、連邦共和国で生まれた外国出身の子供達には、
「国籍取得保証 Einbürgerungszusicherung」制度が作られ、この制度は、両親の国籍からの離
脱によって、自動的にドイツの国籍が取得できるものである、と述べた。CDU/CSU は、国籍の
取得は、
「統合」の最終段階との立場を、ここで改めて強調し、それは、二重国籍反対署名活動の
テクストにも、次のように盛り込まれた。―――ドイツに永続的に暮らしている外国人同胞の「統
合」は、将来にとって、そしてドイツの「国内平和」にとって非常に重要です。
「統合」は、他の
生活習慣(Lebensart)への寛容と、ドイツでの生活に慣れるための努力を必要とします。
CDU/CSU は連邦共和国に暮らす外国人と彼らの子供達において、
「統合」とドイツ国籍の取得
が容易になることを望みます。国籍取得は、ようやく、成功した「統合」の最後に可能となりま
す。
出生と同時に国籍(すなわち、ドイツ人と同じ権利)を付与することで、外国人のドイツ社会
への自覚的な「統合」を促進することを目指す SPD、緑の党、さらには FDP の立場に対し、
CDU/CSU は、出生と同時に「国籍取得保証」
(したがって、国籍ではない)を付与し、後に(成
年に達した際に)
、ドイツ国籍か、父母の国籍か、どちらかを選択する権利を付与することで、将
来のドイツ国籍の取得を保証する構想を提案した13。
3−4.政治的「公共空間」の分極化
CDU/CSU の激しい署名活動により、むしろ守勢に立たされた SPD・緑の党は、次第に、二重
国籍の導入と、国籍取得の緩和化とを分けて議論する方針へと、路線を変えていった。1999 年 1
月 14 日、シュレーダー首相は、政府の目標は、二重国籍の導入ではないことを断言し、目標は、
むしろ外国人の国籍取得(帰化)を容易にすることにある、と述べた14。また、緑の党の連邦議
会議員団議長ミュラーも、2 月 4 日、二重国籍の許容が改革の目標ではないことを指摘し、この
可能性は、円滑で迅速な国籍取得を達成する場合にのみ、開かれるべきである、と述べた15。
他方、CDU/CSU は、論争の焦点を、二重国籍の問題に絞り、署名活動と同時に、二重国籍の
導入によりもたらされる可能性のある、あらゆる懸念材料を炙り出すことで、ドイツ人(とくに
州議会選挙を目前に控えたヘッセン州のドイツ市民)の不安心理を煽った。
CDU/CSU 議員団法律顧問アンドレアス・シュミットは、二重国籍が許容された場合、ドイツ
に居住するトルコ人は、既存の政党と競合するような政党を創設することができるであろうと論
じた。さらにこの法的状況は、政党システムに持続的影響を与え、与野党伯仲の勢力状況の場合、
この国民的マイノリティの政党が、キャスティングボートを握る可能性がある、と指摘した。さ
らにシュミットは、トルコ系のドイツ国民の政党が組織された場合、二重国籍の許容によって、
トルコの内政問題の渦に、ドイツが不可避的に巻き込まれる可能性にも危惧を表明した。また、
シュミットは、トルコ人に適用されようとした二重国籍の問題は、他のマイノリティにも同権の
原則を基礎として適用される可能性があるとし、シンティ・ロマにも同様の権利を認める可能性
の問題について議論した16。
他方、緑の党は、国籍法改革に関する公的論争が、二重国籍の問題に集中し、それにより、歪
められた認識が生じていることに危機感を募らせた。緑の党は、ドイツの血統に由来する者がド
イツ人である、という従来の「血統の権利 Abstammungsrecht」に、ドイツ国籍の取得はドイツ
での出生と結びつけられる、という「出生の権利 Geburtsrecht」が補足されることこそが、決定
的な前進であると論じ、シュレーダー政権の改革は、外国人(Ausländer)を、国内居住者
(Inländer)にすることを目的としていると述べた。すなわち、国籍法の改正においては、「統
合構想 Integrationskonzept」こそが決定的に重要である、とされたのである17。
国籍法改正をめぐる国民的議論が沸騰するなかで、政治的「公共空間」は、保守系勢力の主張
と、革新系勢力の主張とに分極化し、これらの主張は盛んに報道され、また増幅された。このよ
うななか、1998 年の連邦議会選挙後、最初のシュレーダー政権への審判が、フランクフルト・ア
ム・マイン市をはじめ外国人多住都市を含むヘッセン州の州議会選挙において下されることとな
った。
4.ヘッセン州議会選挙
4−1.ヘッセン州議会選挙と CDU の躍進
ヘッセン州は、伝統的に SPD の拠点であった。歴代の州首相は、1946 年から、1987−91 年
の 4 年間を除き、全て SPD から輩出された18。しかし、国籍法改正論争が国民的テーマとなるな
かで、同州の政治勢力は、大きく入れ替わった。
1999 年 2 月 7 日、ヘッセン州議会選挙が実施された。CDU は 43.4%(1995 年:39.2%)を獲
得し、躍進した。SPD は 39.4%(38.0%)
、緑の党は 7.2%(11.2%)
、FDP は 5.1%(7.4%)であ
った。州議会の構成は、CDU が 50 議席、SPD が 46 議席、緑の党が 8 議席、FDP が 6 議席を
獲得した19。
この結果、
同州では CDU・FDP 連立政権が成立し、
署名活動を推進したコッホ
(CDU)
が州首相になった。
選挙結果に対し、バイエルン州首相シュトイバー(CSU)は、署名活動が、ヘッセンの CDU
に効果的な「動員効果 Mobilisierungseffekt」を与えたと見なし、ヘッセン州議会選挙を、
「ゲア
ハルト・シュレーダーにとって、最初の中間結果」であったと総括した20。
また、
『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は、ヘッセン州議会選挙を、次のように分析して
いる。すなわち二重国籍反対署名活動によって、CDU/CSU は、一方で忠実な CDU の支持者に
訴えかけ、他方でシュレーダー政権への不満を放出させることで、政党の垣根を越えた支持を集
めることに成功し、それはある種の「二段階ロケット」のようであった。CDU の二重国籍反対
署名活動に最も強く影響を受けたのは、労働者層であり、ヘッセン州では、質問を受けた人々の
61%が、
「二つのパスポート Doppelpaß」に反対し、労働者の場合、その割合は 82%であった。
労働者層は、外国人を、職場をめぐる競争相手と見なした可能性が高い21。
4−2.ヘッセン州議会選挙と連邦参議院
ヘッセン州議会選挙の結果、連邦参議院(Bundesrat)の勢力関係に変化が生じた。連邦参議
院(総数 69 票)において決議するためには、少なくとも 35 票の過半数が必要であり、
「SPD 系」
の政治勢力(SPD・緑の党・PDS)の後退により、法案(国籍法の改正)を通過させることが、
困難になったのである。
(図 2 を参照。
)
図2
ヘッセン州議会選挙後の連邦参議院の政治勢力
(SPD 系:総数 33 票)
SPD 単独政権(17 票)
ニーダーザクセン、ブランデンブルク、ザクセン・
アンハルト、ザールラント
赤緑連立政権(13 票)
ノルトライン・ヴェストファーレン、シュレースヴ
ィヒ・ホルシュタイン、ハンブルク
SPD・PDS 連立政権(3 票)
メクレンブクル・フォーアポンメルン
(FDP 系:総数 4 票)
SPD・FDP 連立政権(4 票)
ラインラント・プファルツ
(CDU 系:総数 32 票)
SPD・CDU 大連立政権(3 票)
ブレーメン
CDU・SPD 大連立政権(8 票)
ベルリン、テューリンゲン
CDU・FDP 連立政権(11 票)
バーデン・ヴュルテンベルク、ヘッセン
CDU 単独政権(4 票)
ザクセン
CSU 単独政権(6 票)
バイエルン
Die Frankfurter Allgemeine Zeitung für Deutschland (FAZ), 9. Februar 1999.を参考に作成。
「SPD 系」
、
「FDP
系」
、
「CDU 系」は、便宜上の名称である。国籍法改正に際し、
「SPD 系」は二重国籍の一般的許容(出生地主義
の導入)
、
「FDP 系」は「国籍選択モデル」
(出生地主義の導入)
、
「CDU 系」は「国籍取得保証」
(血統主義の死
守)を、それぞれ主要な改革方針として掲げている。なお、決議のためには少なくとも 35 票の過半数が必要であ
る。
発足後、間もないシュレーダー政権は危機に直面しつつあった。ヘッセン州議会選挙での後退
(ただし、SPD 自体の得票率は微増)
(2 月 7 日)
、政権内部での政治闘争とラフォンテーヌの辞
任表明(3 月 11 日:蔵相、党の役職、連邦議会議員を辞職22)
、さらに、泥沼化するコソヴォ紛
争と NATO の一員としてのドイツの空爆参加(3 月 24 日)
、これらの危機がこの時期に重なり合
ったのである。このような危機のなか、同政権は、国籍法の改正について、ある決断を下した。
それは、FDP が提案する構想の受容であった。
5.FDP の「国籍選択モデル」
シュレーダー政権は、国籍法の改正を実現するために、連邦参議院での勢力関係を分析し、ラ
インラント・プファルツ州の 4 票に着目した。同州は SPD と FDP の連立政権であり、FDP と
の協力関係が築ければ、
同州の 4 票を、
SPD 系の 33 票に加算することが可能であった。
CDU/CSU
が血統主義の原則に固執している以上、国籍法を改正するためには、FDP との協力関係を模索す
ることが現実的な選択肢であり、SPD・緑の党は、FDP との交渉を開始した。
SPD、緑の党、そして FDP は、1999 年 3 月 11 日、国籍法の改正に関して、FDP の「国籍選
択モデル」に沿う形で合意に達した。すなわち、合法的にドイツに居住している外国人の子供達
は、これまで持っている国籍に加えて、ドイツ国籍を獲得することが可能になり、23 歳の時点で、
彼らはそれらの国籍から一つの国籍を決定(選択)することになった。SPD と緑の党は、60 歳
以上、あるいは 30 年以上ドイツに暮らしている「第一世代」の外国人に、二つの国籍の可能性
を与えることを提案していたが、それらの提案は FDP によって拒否された。
緑の党は、FDP の提案に厳しく対応したが、最終的に、FDP の条件を受け入れた。すなわち、
「jus soli(出生地主義)
」が、今や、ドイツの法律に導入されることとなったため、
「国籍選択モ
デル」も、国籍法の「世紀の改革」である、と結論づけられたのである。
3 党による協議の結果、さらに、国籍取得(帰化)の請求権についても、それまでの法律では、
ドイツに滞在してから 15 年以上と規定されていたものが、新しい法案(SPD・緑の党・FDP)
では、8 年以上の滞在と短縮された。そしてそれに相応する前提として、語学の知識、憲法への
忠誠の表明、さらに刑法上の品行方正の必要性が加えられた23。
CDU/CSU は、引き続き「国籍取得保証 Einbürgerungszusicherung」制度の必要性を強調し、
SPD・緑の党・FDP の国籍法改正案に対立した24。ここでの対立軸は、
「出生地主義」の原則を
国籍取得の方法に導入するか否かであった。CDU/CSU は最後まで「血統主義」の原則に固執し
たが、連邦議会と、連邦参議院において、SPD・緑の党・FDP の政治勢力は、法案成立に必要な
相当数を十分に確保することに成功していた。国籍法改正案は、5 月 8 日、連邦議会(Bundestag)
を通過し(賛成 365、反対 184、棄権 39)25、5 月 21 日、連邦参議院で可決され、
「国籍法」は
成立した。
おわりに
国籍法改正過程で、保守系勢力と革新系勢力との間で激しい論争が生じた。保守系勢力は二重
国籍に関する法的・政治的問題点を詳細に指摘し、革新系勢力は国籍法改正に伴う政治的意義を
繰り返し強調した。しかし、CDU/CSU による二重国籍の反対をめぐる署名活動がドイツ全土で
開始されたことにより、国籍法改正をめぐる論争は、次の段階へ入った。すなわち、政党間の対
立の枠を越えて、国民的論争へと発展したのである。国籍法改正問題をめぐって、政治的「公共
空間」は左右に分極化し、ヘッセン州議会選挙を中心とした政治過程に大きな影響を与えた。連
邦参議院の政治勢力の構成が変化するなかで、シュレーダー政権は、FDP による「国籍選択モデ
ル」に打開の糸口を見出し、二重国籍の一般的許容を導入することには失敗したが、ドイツの国
籍法に、出生地主義の原則を加えることに成功した。
国籍をめぐる問題は、すべての国が、抱え込む問題であり、ドイツに特有な問題ではない。し
かし、ドイツに特異な条件も少なからず存在しており、それを整理することで、今後の研究課題
を次に指摘したい。
第一に、歴史学の視点である。1913 年以来、度重なる修正を経ながらも継続された旧国籍法の
意味について、ナチス時代、戦後ドイツ時代、等々、各時代との関連が説明されなければならな
い。例えば、戦後、東西ドイツが成立するにおよび、西ドイツは、ドイツ統一問題の視点からも、
血統主義の原則を基礎とした国籍法を必要とした26。1913 年に成立した旧国籍法が、それぞれの
時代にどのような意味で必要とされ、継続されるに至ったのか、厳密に調べられる必要がある。
第二に、ヨーロッパ統合との関連についてである。シュレーダー政権の閣僚が繰り返し述べた
ことは、ドイツの国籍法をヨーロッパ・レベルの国籍法へと機能を高めることであった。そして
このことは、宮島喬氏が指摘しているように、国籍をめぐる制度的特徴にも、
(西)ヨーロッパ諸
国において、ある種の接近、ないし比較可能性が読みとれるようになっている27、とされること
と関連があるように思われる。すなわち、ヨーロッパ統合が各国の法制度の調和にも強く作用し
ていると考えられるのである。その状況については、今後、国籍法の比較研究を通じて、調査・
分析されなければならないであろう。
第三に、
シュレーダー政権にとっての国籍法改正の意味についてである。
シュレーダー政権は、
コール政権時代からの「負の遺産」として、統一後のドイツが抱えこんだ「内的統一 innere
Einheit28」の問題に取り組むことを政権の最大の課題としながら、ドイツの「国家」の本質にか
かわる問題について、様々な領域から、独自の改革に取り組んだ。それは、進展するヨーロッパ
統合のなかで、ドイツのナショナリズムをどのように位置づけるかという問題であり、一方で「国
家」と「民族」との強い連結を断ち切り、他方で「国家」と「市民」との連結を強化していくこ
とを最大の課題としていた。これらの論理的帰結についても、改めて入念に議論されなければな
らない29。
国籍法の改正によるドイツ社会への影響については、連邦移民難民庁(Bundesamt für
Migration und Flüchtlinge)や連邦統計庁(Statistisches Bundesamt)を中心に様々な追跡調
査が進められている。
「移民国」としてのドイツの今後の行方は、引き続き注視されなければなら
ない30。
文献リスト
Ⅰ.日本語文献
・ 大野英二『ドイツ問題と民族問題』未來社、1994 年。
・ 久保山亮「ヨーロッパ統合とドイツの市民権:EU 構成国間での市民権政策の収斂とドイツの
国籍法・外国人法改正」
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(平成
10−11 年度文部省科学研究費補助金研究成果報告書、研究代表者・宮島喬)
、55−68 頁。
・ 近藤敦「移民政策と二重国籍の容認」
(ミニ・シンポジウム「国籍・市民権法の歴史的展開と
現代の機能」
)
『比較法研究』
、比較法学会、第 67 号、2005 年、127−132 頁。
・ 近藤潤三『統一ドイツの政治的展開』木鐸社、2004 年。
・ 近藤潤三『移民国としてのドイツ 社会統合と平行社会のゆくえ』木鐸社、2007 年。
・ 鈴木規子「ドイツ国籍法改正と EU 市民権に関する一考察」
『法学政治学論究』
、慶應義塾大
学大学院法学研究科内法学政治学論究刊行会、第 45 号、2000 年夏季号、237−264 頁。
・ 高橋秀寿「レイシズムとその社会的背景 ドイツにおける『外国人問題』と再帰的近代化」
(宮
島喬・梶田孝道編『国際社会 4 マイノリティと社会構造』所収)、東京大学出版会、2002
年、95−120 頁。
・ 広渡清吾『統一ドイツの法変動』有信堂、1996 年。
・ 広渡清吾「
『市民・市民社会』と『国民・国民国家』―法律家的覚書―」
(飯島紀昭・島田和
夫・広渡清吾編『市民法学の課題と展望』所収)
、日本評論社、2000 年、3−37 頁。
・ 広渡清吾「EU 市民権とドイツ国籍法」
(ミニ・シンポジウム「国籍・市民権法の歴史的展開
と現代の機能」
)
『比較法研究』
、比較法学会、第 67 号、2005 年、133−139 頁。
・ 福田善彦「ドイツの国籍法改正と二重国籍問題」
『国際経営論集』
、神奈川大学経営学部、2001
年 3 月、175-201 頁。
・ 宮島喬『ヨーロッパ市民の誕生―開かれたシティズンシップへ』岩波新書、2004 年。
・ 宮島喬『移民社会フランスの危機』岩波書店、2006 年。
・ 三好範英『戦後の「タブー」を清算するドイツ』亜紀書房、2004 年。
Ⅱ.欧語文献
・ Beauftragte der Bundesregierung für Migration, Flüchtlinge und Integration (Hrsg.) :
・
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・
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Daten-Fakten-Trends. Einbürgerung. Stand:2004, Berlin 2005.
Brubaker, Rogers : Citizenship and Nationhood in France and Germany, Cambridge 1992.
(ロジャース・ブルーベイカー著、佐藤成基、佐々木てる監訳『フランスとドイツの国籍と
ネーション 国籍形成の比較歴史社会学』明石書店、2005 年。
)
DER SPIEGEL
Die Frankfurter Allgemeine Zeitung für Deutschland (FAZ)
Hailbronner, Kay : Ausländerrecht: Europäische Entwicklung und deutsches Recht, in :
Aus Politik und Zeitgeschichte (B21/22), 21. Mai 1999.
Hailbronner, Kay / Günter Renner / unter Mitarbeit von Christine Kreuzer :
Staatsangehörigkeitsrecht, München 2001.
Hailbronner, Kay / Günter Renner / unter Mitarbeit von Marianne Wiedemann :
Staatsangehörigkeitsrecht, München 2005.
Herbert, Ulrich : Geschichte der Ausländerpolitik in Deutschland. Saisonarbeiter,
Zwangsarbeiter, Gastarbeiter, Flüchtlinge, München 2001.
Kissrow, Winfried : Ausländerrecht einschließlich Asyl- und Staatsangehörigkeitsrecht,
Stuttgart・Berlin・Köln 2000.
Schröder, Gerhard / Ulrich Wickert : Deutschland wird selbstbewußter, Stuttgart・Leipzig
2000.
Storz, Henning / Bernhard Wilmes : Die Reform Staatsangehörigkeitsrechts und das neue
Einbürgerungsrecht, (http://www.bpb.de/themen/OHCOPK.html).
Ziemske, Burkhard : Die deutsche Staatsangehörigkeit nach dem Grundgesetz, Berlin
1995.
Hailbronner, Kay : Ausländerrecht: Europäische Entwicklung und deutsches Recht, in :
Aus Politik und Zeitgeschichte (B21/22), 21. Mai 1999, S.3.
2 国籍法の全文は、Hailbronner, Kay / Günter Renner / unter Mitarbeit von Marianne
Wiedemann : Staatsangehörigkeitsrecht, München 2005, S.1015−1029.また、国籍法の解説は、
Kissrow, Winfried : Ausländerrecht einschließlich Asyl- und Staatsangehörigkeitsrecht,
Stuttgart・Berlin・Köln 2000, S.26−28./久保山亮「ヨーロッパ統合とドイツの市民権:EU
構成国間での市民権政策の収斂とドイツの国籍法・外国人法改正」
『ヨーロッパ統合下の西欧諸国
の移民と移民政策の調査研究』
(平成 10−11 年度文部省科学研究費補助金研究成果報告書、研究
代表者・宮島喬)
、55−68 頁。
3 Die Frankfurter Allgemeine Zeitung für Deutschland (以下、FAZ とする), 22. Mai 1999.
4 Ebd.
5 Storz, Henning / Bernhard Wilmes : Die Reform Staatsangehörigkeitsrechts und das neue
1
Einbürgerungsrecht, (http://www.bpb.de/themen/OHCOPK.html)
広渡清吾『統一ドイツの法変動』有信堂、1996 年、184−185 頁。
7 コール政権は、1982 年 10 月 13 日、四つの重点課題を伴った「緊急プログラム」を表明した。
すなわち、新規雇用の創出、社会政策、外交・安全保障政策、そして外国人政策(Ausländerpolitik)
である。コール政権の外国人政策の出発点は、
「ドイツは移民国ではない Deutschland ist kein
Einwanderungsland」という基本的立場の確認であり、三つの目標が設定された。すなわち、
(1)
ドイツで生活している外国人の「統合 Integration」
、
(2)帰国準備の促進(奨励)
(1983 年帰国
促進法)
、
(3)さらなる移住の阻止、である。ヘルベルトによれば、第一の「統合」政策につい
6
ては何の具体的な措置も合意されなかったのに対し、第二、第三の点は、より密接に遂行された
ことを、ここで、すでに、明確なシグナルとして分析することができる、とされる。Herbert,
Ulrich : Geschichte der Ausländerpolitik in Deutschland. Saisonarbeiter, Zwangsarbeiter,
Gastarbeiter, Flüchtlinge, München 2001, S.249-250.
8 FAZ, 14. Januar 1999.
9 近藤潤三『移民国としてのドイツ
社会統合と平行社会のゆくえ』木鐸社、2007 年、12−16
頁。
10 FAZ, 14. Januar 1999.
11
Ebd.
12
Ebd.
FAZ, 14. Januar 1999./FAZ, 16. März 1999.
14 FAZ, 15. Januar 1999.
15 FAZ, 5. Februar 1999.
16 Ebd.
17 Ebd.
18 FAZ, 7. Februar 1999.ヘッセン州の歴代の州首相は、クリティアン・シュトック(Christian
Stock, SPD:1946−50)/ゲオルグ・アウグスト・ツィン(Georg August Zinn, SPD:1950−
69)/アルベルト・オスヴァルト(Albert Osswald, SPD:1969−76)/ホルガー・ベルナー(Holger
Börner, SPD:1976−87)/ヴァルター・ヴァルマン(Walter Wallmann, CDU:1987−91)/
ハンス・アイヒェル(Hans Eichel, SPD:1991−99)/ローラント・コッホ(Roland Koch, CDU:
1999− )
。ヘッセン州のホームページを参考にした。
(http://www.stk.hessen.de/irj/HStK_Internet?cid=46ad9250893b77c69ee47bd4ad5bda08)
19 FAZ, 9. Februar 1999.
20 Ebd.
21 Ebd.
22 FAZ, 12. März 1999./FAZ, 15. März 1999.
23 FAZ, 12. März 1999.
24 FAZ, 16. März 1999.
25 FAZ, 8. Mai 1999.
26 Brubaker, Rogers : Citizenship and Nationhood in France and Germany, Cambridge 1992.
(ロジャース・ブルーベイカー著、佐藤成基、佐々木てる監訳『フランスとドイツの国籍とネー
ション 国籍形成の比較歴史社会学』明石書店、2005 年。
)
27 宮島喬『移民社会フランスの危機』岩波書店、2006 年、37−39 頁。
28 「内的統一 innere Einheit」とは、東西ドイツ国民間の経済的精神的一体感を意味する。すな
わち、東西ドイツ国民間の政治感覚の相違、旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域との間の経済格差
を背景としたドイツ国内の分裂状況を克服する模索である。詳しくは、Reißig, Rolf : Die
gespaltene Vereinigungsgesellschaft, Berlin 2000./Ritter, Gerhard A. : Über Deutschland:
Die Bundesrepublik in der deutschen Geschichte, München 1998.
29 国籍法と市民国家との関連、
さらには「憲法愛国主義」との関連の考察について、広渡清吾「
『市
民・市民社会』と『国民・国民国家』―法律家的覚書―」
(飯島紀昭・島田和夫・広渡清吾編『市
民法学の課題と展望』所収)
、日本評論社、2000 年、3−37 頁。/広渡清吾「EU 市民権とドイ
ツ国籍法」
(ミニ・シンポジウム「国籍・市民権法の歴史的展開と現代の機能」
)
『比較法研究』
、
比較法学会、第 67 号、2005 年、133−139 頁。
30 近藤、前掲書、33−64 頁。
13
(付記)
本稿の執筆にあたり、
法政大学社会学部の宮島喬教授から多大なるご教示を賜りました。
記してお礼申し上げます。