序章 - 宇佐市

第2次
宇佐海軍航空隊跡
保存整備計画書
宇佐市教育委員会
目次
序章
1.宇佐海軍航空隊の歴史 ················································ 1
2.宇佐海軍航空隊跡の特徴 ·············································· 2
第1章
計画の背景と目的
1.計画の背景 ······················································· 3〜5
(1)上位計画と関連計画
(2)現在までの主な取組
(3)保存整備の必要性
2.第2次宇佐海軍航空隊跡保存整備計画の目的···························· 6
(1)目的
(2)位置づけ
(3)計画範囲
(4)保存整備の対象
(5)関連計画との関係
第2章
遺構の現況
1.遺構について ····················································· 7〜8
(1)対象遺構
(2)対象遺構の分布図
2.遺構の現況 ······················································ 9〜37
第3章
保存整備の方針と計画
1.保存整備の方針 ····················································· 38
(1)基本方針
(2)遺構の整備
(3)遺構の活用
2.保存整備の計画 ················································· 39〜55
(1)段階的保存整備
(2)対象遺構の整備内容と時期
(3)短期整備遺構の整備イメージ
(4)短期整備遺構の整備スケジュールと概算事業費
資料
1.遺構整備事例 ··················································· 56〜61
2.取組の経過 ····················································· 62〜64
3.宇佐海軍航空隊跡整備計画検討委員会 ····························· 65〜66
序章
1.宇佐海軍航空隊の歴史
宇佐海軍航空隊は、昭和14年10月1日、実用機を用いた訓練を担当する練習航空
隊として開隊した。隊では、艦上攻撃機による魚雷の投下や艦上爆撃機による急降下爆
撃などの攻撃訓練、目標のない海上で飛行するための航法訓練といった実戦に向けて
の訓練を行なった。多くの航空機搭乗員が宇佐航空隊を卒業したことから、
「艦攻・艦
爆のメッカ」とも呼ばれている。
昭和16年10月には、航空母艦「翔鶴」
・
「瑞鶴」艦上攻撃隊の攻撃訓練基地として
ハワイ方面作戦で重要な役割を果たした。昭和20年2月になると、宇佐空でも神風特
別攻撃隊(特攻隊)が編成される一方で、第721海軍航空隊をはじめとする各地の部
隊が多数進出し、3月1日をもって実戦部隊となった。
同年3月18日には、米軍艦載機による最初の空襲を受ける。さらに4月21日に
は、30機の米軍機B29による初空襲で基地及び周辺地域は壊滅状態となり、航空隊
員で約320人の犠牲者が記録されている。
同年5月に解隊したが、終戦まで西海海軍航空隊宇佐基地であったため、度重なる空
襲を受けている。
●宇佐海軍航空隊のあゆみ
昭和 14(1939)年 10 月
1日
昭和 16(1941)年 10 月
7日
昭和 18(1943)年
7月
9日
昭和 20(1945)年
2 月 11 日
艦上攻撃機・艦上爆撃機の練習航空隊として宇佐郡柳ヶ浦村(現宇佐
市)に開隊する。
ハワイ真珠湾攻撃に参加する航空母艦「翔鶴」
・
「瑞鶴」の艦上攻撃隊
が宇佐空で訓練を開始する。
12 月 8 日 太平洋戦争が始まる。
12 月 28 日 真珠湾攻撃などに参加した飛行隊の一部が宇佐空に帰隊する。
2月
3月
4月
4月
5月
8月
勤労奉仕隊により掩体壕が造られ始める。
人間爆弾「桜花」を吊り下げて出撃する「一式陸上攻撃機」約 30 機
(第 721 海軍航空隊:通称神雷部隊)が宮崎基地から宇佐空へ移動する。
16 日 練習連合航空総隊司令長官から宇佐空に 110 人の特攻訓練が命令され
る。
18 日 米軍艦載機による宇佐への最初の空襲を受け、14 名の犠牲者が出る。
6 日 第 1 八幡護皇隊艦攻隊・艦爆隊が沖縄方面へ特攻出撃する。
(以後、5 月 11 日までの特攻で 81 機 154 人が戦死する。
)
21 日 米軍機B29 の空襲で約 320 人の航空隊員が犠牲となる。
5 日 宇佐空が解隊し、西海海軍航空隊宇佐基地となる。
15 日 終戦。
※「宇佐空」は宇佐海軍航空隊の略称
-1-
2.宇佐海軍航空隊跡の特徴
(1)全般的な特徴
宇佐海軍航空隊跡は、航空隊の司令部や格納庫等の主要な施設が置かれた柳ヶ浦地
区からおよそ半径2キロメートル圏内にほとんどの遺構が集中している。遺構によっ
ては、農機具倉庫として現在でも使用されていることや、国有地あるいは市有地の中に
所在したことで開発をまぬがれ、原型を留めた状態で現在に残されている。こうした状
態の戦争遺構が密集している状況は、全国的に見ても稀であり、宇佐海軍航空隊跡の最
大の特徴である。
(2)歴史的な特徴
落下傘整備所やエンジン調整場、宮熊沖の標的などは、宇佐海軍航空隊が本来担った
練習航空隊としての役割を果たすための施設であり、開隊当初から終戦まで航空隊の
中にあり続けた数少ない遺構である。
航空隊の滑走路と隣接する城井地区や畑田地区などには、現在でも11基の掩体壕
が残されている。この様に多くの掩体壕が残る場所は全国的にも珍しく、水田や住宅地
の中に点在する掩体壕により独特の景観が形成されている。また、南北に伸びるフラワ
ーロード2号線は滑走路跡に建設されており、当時の情景が偲ばれる。
昭和20年3月以降、米軍による空襲で航空隊とその周辺は壊滅的な被害を受けた。
爆弾池や柳ヶ浦小学校の塀、落下傘整備所の壁などに残された空襲の傷痕は、
「我がま
ちも戦場であった」歴史を今に伝えている。
市内に残る数々の遺構からは、宇佐海軍航空隊の開隊から前線基地化、終戦という歴
史の流れをたどることができる。これは各時期の戦争遺構が残る宇佐ならではの特徴
である。
(3)地域的な特徴
地域的な特徴としては、戦争遺構を活用した地域住民による取組が挙げられる。毎年
5月には代表的な遺構をめぐり、子どもたちによる遺構ガイドを聞く「平和ウォーク」、
8月には戦没者の慰霊を目的とする「平和のともしび」など地域と市民団体と行政が相
互に連携して、平和をテーマとした活動が継続して行われている。また、市内の小中学
校においても、それぞれ特色を持った活発な平和学習が行われている。これらの活動を
通して、航空隊があったことが幅広い世代に周知されており、戦争遺構が地域の中に根
づいているのも大きな特徴である。
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