C:fiVŠš‚å−w−wŁñ icohu

レイチェル・アーナンド・
テイラ一夫人研究
西
中
D.
H.
ロレンス C1885-1930)
善
弘
は, レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人 (1876一 1960) にあ てて,自分の 人生の重大時局の 時代に,すなわ
ち, 1910年 9 月 30 日から 12月 3 日にかけて, 8 通の書簡のうち 7 通を書い
ている。 書簡の初出は , 1956年であ る。 ロレンスは,その 当時, ロンドン
郊覚のクロイドンにあ るデ
ちなみに,
p
イ
ヴィドソン通り 小学校で教鞭をとっていた。
レンスにとって 最後の定職となるこの 正式の教職は , 1908年
10月 以来のことであ った。 ロレンスは,最初の 詩 数編を 1909年 11月に『 イ
ングリッシュ・リヴ ュ刊 誌に発表していた。 そのときすでに 彼はこの評
論誌の編集長ラガード・マドックス・ヒューファー
の愛人ヴァイオレット・ハント
C1866 ∼ 1942)
C1873∼ 1939) や ,そ
と知合いになっていた。
ロ
レンスの処女長編小説『白孔雀』は ,それ以前にハイネマン 社によって受
理されていた。 もっともその 小説が日の目を 見るのは, mgl1年 1 月になっ
てからであ るが。
1910 年の春,たぶん 3 月 10 日に, フォード・マド ,クス・ヒューファー
は, クロイドンで 教師として 2 年目を迎えた 新進作家ロレンスを 連れて,
ハムステッドのア 一子スト・リース (1859- 946) 夫妻の自宅で 催された
丁
一
テイ
様々な詩人たちの 夕食会に出かけた。 ロレンスは,その 席で スコ " トラン
ド
人で女流詩人のレイチェル・アーナンド・ティラ
一に出会った。 ロレソ
ス は, ヒューファ一によって 編集されていたⅡイソ グりッシヱ
ー
p
』
・リヴ ユ
誌 掲載の彼女の 詩 (1909年 10月 発行の同誌参照 ) に敬服していたのだ。
レンスのエッセイに 記録された夫人についての 彼による正確な 素描が示
すところによれば ,
( というのは, このロレンスの 正確さは,ティラ 一夫
人の姪であ るルイーズ・アーナンドによって 確認、
されているから ) P レン
スは,夫人の 詩に個人的な 感銘をうげたように ,夫人の人柄にも 感銘をう
天理大学学報
58
けたのだ。 夫人は,女流詩人が 本来そうであ るすべてを具えていたという
その高い教養のあ る気品 さ ,
ラファエロ両派的な 美貌, p マンティックな
詩に深く心をひかれ ,その年の秋に ,同地のクロイドン 文学クラブで 現代
の詩人に関する 講演を頼まれたとき ,
p レンスは,夫人について 語ること
をそのテーマに 選んだほどであ る。 p レンスが, リース氏のパーティ 以来,
テイラ一夫人に 会っていなかったことは ,
p レンスの書簡から 明白であ る。
1876 年に スコ ,トランド北東部のアバディー ン に生まれたレイチ , ル
・
アーナンドは ,東部のダンディー 高校の古典語の 主任教師, アレグザンダ
ー・テイラーと 1901年に結婚した。 1910年までに夫人の 夫が精神病に 罹っ
たために, 2 人 は別居せざるをえなくなった。 夫人は, p ソ ドンのチェル
シ一でただ
人で暮らしていた。 書評を書いたり ,著作料によって ,控え
1
目な生計を立てていた。 それまでに夫人は ,
3 冊の詩集を上梓していた。
1904 年に 詩集
@ 。 , 1909年に『,,ぅと
ブドウの 水 』を出版していた。 そし
ズコ
圧 ポ
て 1910 年 9 月に最新本の『フィア メツタ の日課
々ガ
@
た。 文
,沖
りソゥン
学
@
イン
協
コ
が田
会のクロイドン 支部が ロレソス に「或る現代の 詩人」
という題名で 講演をするように 求めてきた 時 ,
テイラ一について 話しましょう ,
ツト
一連のソネット
, ソ
と
レイチェル…アーナ
p レンスは答え ,
ソド
・
彼 ほこの一連の ソ不
をちょっと読んでみせたのであ る。
夫人のそのほかの 書物には, r イタリア文芸復興の 諸相』 (1923),
アメッ
タ
『フィ
の終焉』 (1923), 『フィレンツ,の人 レオナルド』 (1927), F ダン
バーとその時代』 (1931), r文芸復興のフランス』 (1949) があ る。 しかし
ながら,それらは ,
p レンス と 夫人との短い 交際と文通の 時期からすれば ,
忙なはだ及ばないものと 考えられよう。
夫人は, リチャード・オールディントン
. H.
ロレンス
(1892
∼ 1962)
の研究書『 D.
条件付きの天才の 肖像』 (アメリカ版, 1950)
のために
ロレンスの思い 出をいくらかあ てがわれた。 それによって (本来,夫人の
友人才 一 ルディントンにあ てた手紙の形式で 書かれた ), 夫人はこれらの
書簡からの夫人の 記憶を新たに 回復させたであ ろうことは疑いもない。 夫
人の記憶に
ょ
れば, P レンスがお茶に 招かれて,自分自身を 一部始終語っ
たという。 それも, ェ ディプ ヌ、 ・コンプレックスという ,精神分析手上,
異性の親に対して 子供がいだく 無意識的な性的願望がまだ 平凡なこととな
59
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
つていない時分にであ る。夫人は, ロレンスがほんとうに 誠意をこめて 喋
っているようにみえたと 思った, と述べている。 夫人はロレンスのことを
約 40 年後に,
「勿論,彼がお茶にみえた 時 , 自分の身の上話をすっかりされました。
が,真っ先に話しだされたことは ,自分の母は 自分にとって 大きな意味を
もった人間であ った, ということでした。
ス はあ
まだエディプス・コンプレ ,ク
りふれた常套語となってはいなかったので ,その点では 彼は本当に
本心からのもののように 見 うけられました。 彼に集中したり ,彼にへつら
ったり,彼の 情動に働きかけ
ろ
ことによって ,母親はなにか
病自 りで有機目り
な絵のようなものを 固めてしまわれたのです。 母親が父親のことで 耐え忍
んできたことへの 償いを,彼は 母親にしてあ げようとしたのです。 ところ
がエ ,リー,
, リアムは
Q 臥はそれは, ュアリエ ルでもあ
ったと居、いま
す) 彼を勇気づ け,彼に力をかし ,彼のためにいかなることをも 辞さない
でやりました。 彼は,リアムにたいする 負い目のことで 不安になるのでし
たが, ,リアムはヴァイオレ ,
田舎者めいてみえたことを ,
ト
・ハントのあの気高い世界ではいささか
彼は 疑いもなく感じたのです。 ヴァイオレッ
トの回想の本のどこかで ,私は,当時必ず
富裕階級の食事にはあ てがわれ
た一揃いの銀の 食器のことでロレンスが 歩人どぎまぎした 話が,なにかさ
もしい当て付けとして 出ているのにぶつかったことがあ りました。
「彼は怖るべき俗物でした,明らかに 下品な男でした ,それでもこの 著
い 時代にはげなげなところがあ
りました, 自分の道を発見しょうとして 実
にいじらしく 努めていました。 彼は突然笑い 出して, F あ あ,ばくはたぶ
ん親父と同様に 酒で命をとられるでしょうよ。 』と言っていました。 彼が
大いなる感情の カと ,表現力とを 具えておられたことは 明らかです。 (だ
が 彼はまだ 1 冊も本を出していなかったことを 記憶しておいて 下さい 力
私の感じからすれば , 彼は ,天才の存在が 常に個性のなかに 引き起こすあ
らゆる欠点にもかかわらず ,おそらく天才なのかもしれない ,
しかし彼は
あ まりにもひどく 神経質で落着きがないので ,感銘を与えないうちに 駄目
になってしまうであ ろう, ということでした。 私は間違っていました
( D
『
と記述している。
レンス
条件付きの天才の 肖像
コ
口
第 2 部)
天理大学学報
60
もしロレンスが 夫人にお茶の 席で自分の話をすっかりしていたならば
12月
3
,
日付げの書簡のなかで ,彼は夫人ヰこその
話を繰り返し 述べたかもし
れない。 確かにこの書簡は ,
ロレンスの全書簡のなかで 最も重要なものの
うちの一通であ るといえる。 フロイトのいわゆるエディプス・コンプレッ
クス と ,それから脱出しようとする 必死の努力 @こついてのおよそ 率直な分
析 として。 ここには『息子と 恋人』において 虚構のうえで 記録された現実
の苦悩があ る。 ロレンスは, フロイトの手 助 げによらないで ,
自分の苦境
を理解したのだ。
1910 年の夏期に ,
p レンスは第 2 の長編『侵入者』を 書きあ げていた。
これらの書簡が 書き出される 頃 には,彼は第
8
3
の長編に手をつげていた。
月下旬に叔母 宅 へおもむき,そこで 療養していた 彼の母の病気が 重いこ
とに驚 惜した。 その同じ月の 初旬には早々, ロレンスに作品を 書くよう激
励した ジ ,シー・ チ ,インバース ,彼に対する 愛をめぐ
っ
てロレンス夫人
がきわめて用心深かったジェシー・ チ ,イソバーズ (1887 ∼ 1944,
の;
ュ
第7信
アリエル,そして『息子と 恋人コ の ,リアムという 女性の原型 ),
この女性との 婚約をロレンスは 解消していた。 だが, ジェシ ー との婚約の
完全な解消は , 11 月 中旬頃 までかかった。 まもなく, ロレンスは, ジェシ
一に手紙を書いて ,彼が 2 人の関係を絶望視していることと 自分の取る行
動を彼女に理解してもらおうとした。
ロレンスは,
自分が勤めるクフイドンの 教壇に
9
月になって戻った。 だ
が週末にほ頻繁に 帰省した。 10 月 18 日にハイネマン 社の編集人であ るシド
ニー・ S
. ポーリング C1862-1923)
クフリート物語』㎝ 侵入者
コ
にあ てて,第二の 長編小説, r ジー
のはじめの表題 ) の原稿がポーリンバのとこ
ろにあ ることを聞いてうれしく ,大変安心したこと ,
説 『ポール・モ
レル』
ロレンスの第三の 小
ぴ息子と恋人ロのもとの 題名 ) を非常に興味深く 構
想し,その8 分のⅠばかりを 書きあ げたことを,書き 送っている。 また,
ポーリングに ,大変病気が 重い母親に見せてやるために ,
正刷を出来るだ け急ぐよ
う
『白孔雀コの 校
に促した。
ロレンスは 11 月 23 日頃に生まれ故郷のイーストウ , ドに戻り,母が亡く
なるまでその 日その日を一緒に 過ごした。 12 月 2 日にポーリングは ,
ンスに処女小説の 新刊見本を一部送付してきた。 その翌日,
ロレ
ロレンスは
61
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
1903年以来知り合いであ ったルイ,・バロウズ (1888∼ 1962) に求婚した。
彼は,数時間後にテイラ 一夫人に書いた 注目すべき書簡のなかで ,自分の
求婚について 詳細に話している。 しかもこの件について ,
月
5 日にA.
W. マクラウ
ド
p レンスは, 12
(1885一 1956) にあ てたすばらしい 書簡のな
かで再度触れている。 ルイ・バロ ウズは,イルキストンで 教鞭をとって
い
た 。 彼女は, 「キンギ。ソウ」,「車中の
接吻」,「婚約者の手」といったい
く
縮 かめロレンスの 詩にイソスピレーショ
ソ
を与え,長編小説『 虹 』のヒ
ロイン,・アーシュラの原型と目される 女性でその肉体的特徴のあ る部分を
提供した。 狂乱する発作のような 求婚 は, 1910年の 12月 3 日になされるや
いなや 1912 年 2
口
,
月
4
日には解消され ,
ロレンス と
ルイの会合は 同年 2 月 12
をもって終止符が 打たれた。 1gm2 年 2 月 12 日づけ の ヱ ドワード・ガーネ
ト
C1868
一 1937)
あ ての書簡に, この時の逢引きの 状況が如実に 記され
ているので参照せられたい。
第 8 信は,一連のテイラ 一夫人あ ての書簡にとって , 言わば漁村物であ
る。ずっとあ とに・なって
, 『迷える乙女』に対してエジソバラ 大学の ジェ
イムズ・テイト・ブラック 記念賞を獲得する 際に,テイラ 一夫人がはたし
た役割にロレンスが 感謝の意を表するために 書かれたものであ る。 きわめ
てディケンズ 調 なこの小説は ,
Ⅱ ス
・
ホ 一トンの叛逆』 という題名で
lgm2 年に書きはじめられた。 イタリアのガルニャー / で 200 頁ほど書いた
のち, ロレソス は『姉妹』 e最終的に『 虹 』と『恋する 女たち』になる 予
定の物語 ) を書きはじめるために ,それを中断していた。
1914年以来バヴ
ァリアにあ ったその原稿は , 1920 年になってすぐシチリア 島のタオル,一
々の地に送られ,そこで ロレ シスは『迷える 乙女』として
完壁に執筆し 直
した。 1920 年 11 月に出版されたこの 小説 忙, 1907 年のクリスマス 懸賞小説。
募集の当選を 途いて,
・既述したように ,
ときまでⅤ
こ,
ロレソス の生涯で唯一の
公式な賞を授与された。
ロレンスはテイラ 一夫人に関する 論文を読んだ。 この
p レンスは, 『インバリ,シュ・ ノブ上一』誌の姉編の 詩
と
ニフィアメッタ の日課』を読んでいた。 彼はそこでレイチェル・アーナン
ド・テイラⅠに 1910年 9 月 30 日に手紙を書いて ,
2
せたり,夫人が 出版した以双の 詩集 2 冊について問
は , 10月 lR 国土曜日に会いにくるよ
・・
う
に戸
人の出会いを 思い出さ
う
てみた。 返事に夫人
レンスを家に 招いた。 その場で
天理大学学報
62
ロレンスは,講演のために 夫人の身の上に 関する材料を 集め,あわせて大
人の『青き
@ ムス
集"』を一冊借りた。
ボ
同じ晩にロレンスは , 若い建築家でレイチェ
ル・アーナンド・テイラ 一の親友であ るエードリアン・ベリントン
∼ 1923)
(1886
にも会った。 エードリアンは ,彼のもつ『バラ とフドウ の水 』を
p レンスに 借 すことを承諾した。
その論文発表が ,
この文通の書面のはじまりであ る。 「レイチェル・ア
ーナンド,テイラー」の 論文は, 11月中頃 ( おそらく 17 日の木曜日に ) ク
ロイドンで述べられた。 ただし ク コイドンでの 講演の正確な 日付は定か
ではない。 しかし, もしテイラ一夫人あ ての書簡 (第 6 宿 ) が 11月 15 日づ
け でまちがいがなければ ,講演はそのときまでに 行なわれなかったであ
う
ろ
。 ロレンスが べ リントンから 借りた本を講演の 翌日返却したと 仮定すれ
ば,講演の日付は 11月 17 日木曜日がおおかたもっともらしい。
ロレンスがクロイドンで 在職していた 期間 (1908 ∼ 1912) に指導主事を
勤め,みずからも 文学クラブで 講演したことのあ るスチュアート・
バートソン C1866∼ 1933) の回想によれば
@ネイ
,,
ョ
A
.p
,このときの ロレソス の発音の
,
抑 揚は,バラー
ド
,オラトリオ 歌手のクララ・ バ,ト (1873 ∼ 1936)
うな最低女声音のそれであ
よ
った。
「ロレンスによる前置きのことばには 特徴があ り,彼は,人間の
肉体上
の容ばうと土地の 自然の景観に 取りつかれていました。
「彼は他人がただ見るものだけを 感じるようでした。 彼には肉体的な 特
色を伝える神秘的な 力が具わっていて ,その読者は彼自身の反応に 気づき
ました」,ということであ る。
年 かさの幾分もったいぶったスコットランド 人, ロバートソンが ,そう
言っているこの 演説は,神経質そうだが 大変落ち着いて ,表情豊かな
シ
ワン
スによって情熱を 込められて真摯に 続 げられた。
「首尾よく成功しました。 クロイドンの 人たちは,その 詩歌がそれ以上
のものではないとしても ,非常に挑発的であ ることがわかったよ
う
にみえ
る。彼らは, この空想的で 退廃的なたわいのない 詩を持ち出したことで ,
ばくにがなりたてた。 しかし,彼らはその 詩の魔力に魅せられたので , ば
くは笑ってしまった。 長らくばくがその 木を借りて持ってはいなかったで
しょうね」と ,
ロレンスは, 1910 年 11 月 18 日金曜日づ け の エ ードリアン・
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
63
ベリントンにあ てた書簡で述べている。
とにかく, ロレンスの講演は ,彼が母と過ごすためにイーストウッドに
戻ってくる以前の 11 月のいつかであ った。 レイチ, ル ・アーナンド・テイ
ラーとその詩にたいするロレンスの 態度は,だが結局,夫人があ とで取り
上げる 1932年に,その論文を 再読した時に ,夫人を立腹させた。 それほど
すごく皮肉に 満ちたものであ った。 けれども, ロレンスが夫人の 人間性と
その著多 な韻文の両面に 魅惑的な美しさを 感じていたことは 事実であ る。
夫人は ,
p レンスが信頼して 打ち明けることのできる 年上の女性であ った。
夫人あてのロレンスの 書簡は, この点と線を 継続するものであ る。
p レンスは, とりわけ,夫人のⅡフィアメッ
ト
タ
の日課
] のなかの夢みるなの 考えに偶然遭遇した。 それを彼は,
一連の ソネッ
1 年後に,
『侵入者』を修正するようになった 時に,ヘレナというタイプの 女性の概
念に影響を及ばすことになるのであ る。
「ヘレナは,
ロ
のところで情熱を 消耗してしまう 例のⅡ夢みる 女コの 類
いだった。 彼女の欲情は ,実際の接吻で 成就された。 その 人は ,激しい炎
となって, 彼 なを通してシーグマンド ヘ ,
シーグマンドから 彼女へと注が
れた。火が下火になった ,すると彼女は 自分が力無くだらりとなっている
感じがした。 彼女には男のもつ 血の明るさといきしきした 生気がなかった。
男の胸にもたれたまま ,あの類いまれな べッド で,眠りに入って ,そこで
無意識のまま 気絶するのは ,
どんなにかすばらしいことであ るかと夢みて
いた。 彼女はシーグマンドの 胸に身動きしないでもたれながら ,
どきどき
と鼓動する彼の 心臓の音に耳をすましていた。
彼女にとって , 夢は常に現実以上に 真実の響きをもっていた。 シーグマ
ンドをめぐる 夢は彼女にとっては ,
シーグマンド 自身よりも重大な 意味が
あ った。 彼は彼女の夢みている 男よりつまらない 人間かもしれない ,
はたぶん事実そうなのかもしれないが。
これ
しかし,現実の 男にたいして 彼女
はたいへん残酷であ った。
彼はしっかりと 彼女を抱きしめた。 彼の愛はその 血のなかに溶けこみ ,
彼の血は彼なを 求めて奔流した。 彼の夢はその 血の花であ った。 彼女の夢
はそれに比べると 超然としており 非人間的であ った。幾世紀にもわたって ,
或るタイプの 女は人間性のなかの『動物』を 拒絶し続けてきた ,そしてづ
天理大学学報
64
いに今では女の 夢は抽象的となり ,空想であふれ,その血は 流れを遮られ ,
女の親切な行為は 残酷さでいっぱい.になっているⅡ
ぴ侵入者』第 4 章 )
タ
の日課一一一連の
考
レイチヱル ・アーナンド・テイラ 一作ロフィアメッ
沈
するが,
黙す
思で
てる
め
っ て
手@
巾ゴ白
こ上
神り
0 人
とに
る以
あれ
ほ,方@
方伯
﹁ す
。ま
るい
いて
てし
ねね
ま表
合さ
ソネッ Ⅱの序文にほ ,女性性をめぐる 二つの大いなる 伝統のあ いだの 特
知
られざる神々に 仕える侍者とか 巫女とか慧眼の 女性を示しています。 」こ
の女性世の原型のなかに ,
ロレンスは 彼 独自の直観をいっそう 確信させる
声明を見けだしていった。 これらの概念は ,
『侵入者 からずっとのちの
コ
作品の中に浸透し 充満してゆくのであ る。
相当訂正されたロレンス 自筆の講演原稿 (全 8 頁 ) は , 今なお残されて
いる。 これまで, ロレンス自身が ,それを出版しようとした 形跡はないよ
うであ る。 その原稿は,そのほかの 書類といっしょに ,
イ
グ (1887 一 1948) によって保存されていた。
p レンスの妹のエ
「レイチェル・アーナンド
・テイラー」は , エイグ・ロレンスとその 夫のスチュアート・.ゲルダー共
編のかたちで ,
ェ
Ⅱ若い目の戸レンツォコ に収録されて 1931 年にフィレンツ
にあ る ジュゼッペ ・オリオーリ (1884 ∼ 1942)
番として初めて 上梓された。 また,それは ,
圧
のル ンガルノ.叢書の
第8
不死鳥 第 2 巻 コに 再度 採;
録された。 しかし レイチェル・アーナンド・テイラ 一による険悪な 行為
のもとで,その エ ,セイは,
1932 年 11 月に印刷されたイギリスのセッカ
一
版 , 『若い時分のD. H. ロレンス』からは 削除された。 そのかわりに
「アドルフ」という物語がその中にさし 込まれている。
本稿においては ,ロレンス文学の 情緒的,内的生活の 自伝の解明に 貴重
な手がかりとなると 考えられるテイラ 一夫人 こ関する情報をケンブリッジ
ヰ
版の全集をもとに 提供したい。 第 1 部てはロレンスからレイチ , ル ・アー
ナンド・テイラ 一夫人にあ てた 8 通の重要な書簡,第 2 部ではロレンスの
講演原稿「レイチ , ル ・アーナンド ,テイラー」がそれであ る。 これらを
紹介することによって ,
p レンス と テイラ一夫人の 間の事情がわれわれの
国において率直につまびらかになるものとかたく
信じて疑わない。
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
なお,初訳の 括弧内の 2 行にわたる注釈は ,
65
p レンスの原注ではなく
筆者の訳注 ( もしくは援用 ) であ ることを 断わっておきたい。
I
第 1宿
クロイド ソ ,アディスカム ,
コルワース通り 12 番地
1910 年 9 月 30
親愛なるテイラ 一夫人,
イ
ば
/ @/
ノ
/=
アノ
ウ
ソ
= / /
イ
ョ
くたちの「文学協会」が
日
一 そのクラブは 平凡なクロイドンの
中流階級の人々,たいがいはラファエロ 前 派の面影が残っている 婦人たち
から成る
「或る現代の詩人」という 題名で講演をするようにばくに 依
頼してきました。
『レイチェル・アーナンド・テイラ 一について話しましょう』とばくは
言いました。
『恐れ入りますが,その語はどう 綴りますか』と 聞かれました。
ば くは一連の『フィ ァメ,タ
(彼女の綴りすら 言うことができません )
「これは
』
を受け取りました。 ば くはそのひとつづぎの 詩に感心しています。 ばくに
あ なたのような 技巧があ ったらあ りがたいと思います。
表 清めない深遠なる 冥界であ る」
(1909)
収録,
@u
ア
( 仮
・
ー し乍
ノ
の
ブ
レロ
ノソ
ト不
)
ば くは散文に専念しなければなりません。 どうか, もしあ なたに十分度胸
があ るなら,だれかにばくの 小説『白孔雀コを 購入するよう 勧めて下さい
一一その小説をハイネマンは 直ちに出版します。 一一
( ちょっぴり宣伝 カ
なお要件の核心に 触れることにしよう。 ば くは『フィアメッ タ
』
C深遠
な火 ) を手に入れただけです。 もし F,, ぅと ブドゥの 水』を借りることが
できなければ ,買います ( これは暮らしが 貧しいからです ,ばくの高5
こ
とを信じて下さい ) 。 でも別に,それより 前の詩集 は あ りませんか ?
そ
れはなくてはなりませんか
?
ケ
まくに貸してもらえないですか ?
こらい 5 老婦人たちは ,あなたのことを 詳しくばくに 述べさせることを
天理大学学報
66
望んでいるものですが ,ばくはそんな 説明はしません。
が本来そうであ
る
ば くは,女流詩人
ように,上層大気圏覚に 出さないであ いまいにしておく
つもりです。
あ なたは,ばくに 会いにきてほしいと
さらなかったのですか ?
仰いました。 なぜあ なたはそうな
でもその適切な 質問には答えないで 下さい。
ば くはいつも弁解する 以上に弁解されるほうが 尻込みしてしまいます。
ば くは文学会には 一つもはいったことはあ りません
ソ
ドンでは,幾月も幾月も
ほんとうに,
ロ
,メソバ一になったことはまったくあ りません
でした。 ば くは成功しておりません。
それでも,成功していないというこ
とで,ばくはへたばってしまいます。
ばくのざっくばらんなところ
(遠回しな言い 方 ) は,お嫌いですか、 ?
ワ
敬具
D.
リース夫人 (デント社の
ェ
H.
ロレンス
メ、
プリマン叢書など
古典ものの主幹編纂者でジャーナリ
トのァ
の家でばくに 出会ったことを 覚えていますか ?
圭き
「馬で去った騎士たちはどこにいるのか
第2倍
クロイドン,アディスカム
コルワース通り 12 番地
1910 年 10 月 3
日
親愛なるテイラ 一夫人,
お手紙をまさに 拝受いたしました。 ば くはひどくみじめな 気持でいまし
た。あ なたは,鈍痛を激しくさせる
断腸の思いを 余分にばくに
味わわせてい
るだけです。ば くはあなたにとても 同情します。ば くは,あなたの細かい 変
わった筆跡を 見るだけで,共感して 身が縮み上がります。 1 回 1 シル 6 ペ
ソス
で耐えながら 裸体美をポーズを 取って見せている「,
平手笹男惣雙穿更
T 像) を心をこめて
口像」
(i 拐は由
演じようとすれば , そ 5 思っただけでも
うんざりして ,赤むけした 神経過敏となって ,ぞっとします。ぼくは,あ
なたが皮肉という 悪臭のする軟膏を 使って今までに 自分自身を厚く 塗りつ
ぶしてこられておられるのはよいと 思います。 あ なたのいう「芸術の
(1910)
」参照。収録, ) は,二重です一 初めは産みの 苦しみ,
み 」「夢見る女たちのあ
フィアメッ
タ の日課と書 き
丁
コ
苦し
67
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
それから恥じ 入る苦しみ。
ば くは土曜日には 行くことができません。 ばくの母は
1 人の親以覚に 持ったことはけっしてあ りません
そしてばくは
癌で重症です。
母を
見舞いに中部地方まで 再度出向かなければなりません。 そこは人手が 加え
られていないところです
自然のままにしておいてほしいものです。
でも,ばくに来るよ
願っておられるとはご 親切さまです。 ぼくが来週,
う
あ るいはさ来週のうちに 行ってよいか 返事を下さい。 繊細な感受性のあ
る
ひとかどの人を 揺り動かせることほ , とても心地よい 感じです。 ( ばくの
言うことは筋が 通っていますか
ば くはしらふの 状態から 1 度合酔って
はいませんか ?) でもひとが身をさらされて 横たわり,しかも
震えるよう
に印刷になって ,あるいは粗暴な 出版業者たちに ,非難を受ける 恐れのあ
るときに,物のわかった 穏やかなひとの 暖かい両手に 触れられるのは 心地
よいものです。
あ なたの処女出版の 木 (膵ぜ舞に辞義糞土
) を下さるなんて
,ばくに親切に
しすぎないように。 もしも世界が 優しい好意を 好意の乱暴と 混同させなか
ったら,ひとはその 世界をみてもっとうまく 笑
う
ことができるのに。
さあ,手紙を書くのはここまでにしょう。 すぐそばにからのグラスを 置
いて,真夜中にかけて 書き続ければ ,世間の笑い 者というさらし 台にさら
されるのは当然です。
でも,ほどなくあ なたに会いにいってよいか 言って下さい。
敬具
D.
H
ロレンス
第3倍
クロイド ソ ,
アディスカム ,
コルワース通り 12 番地
1910 年 10 月 12 日
親愛なるテイラ 一夫人,
本当にあ なたは親切です a 。 ば くは土曜日 7 時かっきりに 参ります。 ハ
力
ムステッド滞在によって ,あなたが活気づかれることをお 祈りします。 土
曜日の夜お会いするためにそちらに 上京します。
ぼくがとてもみじめであ るのは真実です。 苦しみだけで 薄い絹糸をばく
天理大学学報
68
は見いだせません。 また残酷さも 冷たく澄んだダイヤモンドもあ りません
『フィアメッ
タ
の日課』に収録された「危難」としるされた
題名の詩に「それ
以来苦しみの
薄
い 絹糸からⅠ私たちの
悲しい肉体の
仮面が紡がれる」という
言及が,また「条件」としる
さ
、
。
無蓋曹笘窩繭あ
Ⅰ きこ豪芭探 f き舌誓圭鯉妄岳
母宮 荒 笠菅
ナ彗㌍笘喜牡ぷ臆生芳ダ
) ただ赤
色で ,手ざわりのとてもあ らい醜悪なものをひく
よ
うに切るなわがあ
りま
す。 生は芸術とは 掛け離れたところにあ って, とても残酷だと 思います。
そしてぼくは 生がちょっとぼくを 解放してくれたらよいと 願います。
けれどもぼくは 土曜日には陰気でいることのないよう 約束します。 陽気
ぼくは内部ですごく 病んでいま
でいることは ,ばくには当然のことです。
す。
あ なたの詩の数篇から 出るばくの
う
めき声をあ なたに終りまであ げさせ
ら
てあ げたい。 そ すれば ば くは泣き叫ぶ 代わりに, 自分自身に向かって 笑
う
えそうです。
さ
D.
H.
p レンス
第4倍
ハムステッド ,
アードウィッ
ク
通り, ヒルクレスト
1910 年 10 同 lf 日
親愛なるテイラ 一夫人,
ばくは,あなたが『,,
ヲと ブドゥの 水 』をばくに惜して 下さるかどうか
尋ねるのを忘れてしまいました。 ばくのことをず
う
ず
ぅ
しく
り
るさくせが
むやつだとお 思いでしょう。
ば くは,あ なたに会いに 行くのは気に 入っていました。 ぼくがくるのを
あ なたが好ましいと 思っておられるかどうかは ,別問題です。あ なたの沈
黙した,茶目っ 気のあ る意地の悪い 振舞は,ばくの 手に負えません。 万一
それがヴァイオレット・ハントであ れば,ばくは軽妙なことを 言
が (原文どおり ), そして万一それがエリザベス・マーチンデイル
三え
;
了る嚢
老妻) であ れば,
う
のです
(:87
㌃
ばくは優しく 上品でいるのですが。 だがあ
なたが,おりおり ,頭のてっへんに 黄色い皮肉な 考え方をぶらさげ ,ほと
んど不可視のアルコールのようにゆっくり ,柔らかく燃焼すると ,ばくは,
人 のつ いた麦 わらのように ,ぱちぱち昔をたてて 燃えるのです。 ば くはや
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
69
かいものであ ったのではないですか。 もしそうなら ,二度とばくに 頼ま
っ
ないで下さい。 だが, Fバ テとブザウ の水 』は,どうかばくに惜 して下さい。
こんな紙で勘弁して 下さい。 飾りのついた 印刷した用紙をぱくは 使い尽
くしました
私信用の便筆を 手に入れることができます。 そしてばくは ,
ロレンスは,
赤 ブドウ酒がはいった 従姉妹らし
苧 姿勢公兜与苧ギ
三芳
ド
母 万の伯母,エレ
ンとソ,ン
・リチ
廿
・ステインズ 夫妻の娘,従姉妹
ヱ セルとその 夫
は革雙努挽申らヌ
象 品品 嶌金毬 弔 とま
・
ギ 二
% お巌
召
。品嬉し維 ")0 食
ァァ
後の仮眠を妨げたくあ りません。
敬具
D.
H.
ロレンス
第5倍
クロイドン, アディスカム ,
コルワース通り ¥m 番地
1910 年 1n 同 26
日
親愛なるテイラ 一夫人,
建築家としての
資格を賦
今朝,エードリアン・ べ リントン氏 (珪 ,プール大学より
され,建築のなかで
一流の制作
室と連想さ
:1、品革驚宙や甘鍍下柴串
牡
目蓋
ドウ
の水
』
塁妾佼
% 高専 桶お教軽目荏窩茎荒閂ヂし
) からい うとブ
1 部を拝受いたしました。 あ なたのアパートでばくを 紹介して
いただいたのは 彼でしたか ?
ば くは『, ぐう
タ
と
本を貸して下さって 恐縮至極です。
ブドウのホコを 気に入っています 一一でも T フィアメッ
』ほどではあ りません。前者は,精華そのもので ,ぼくをひきつげ , ち
ょっと変わっていて , しかも入念なのです。 けれどもその 詩集はどちらか
と言えば,初産のまえに 女性が作る赤子の 衣服に似ています。 つまりそれ
らは,けっしてすり 切れてはいないということです。 要するに「着馴れる
同じで,馴れ。
,
(シ斬,イクスピ
らしい名誉はやって
@ 『マクベス
来たが,
俺 着着馴れない着物と
幕S@@@
第れない着物と
3 場の " ンク,
の台詞,
までは身につかない」
って来たが,
同じで,
馴れ
ァ
「
五品かりということです。
ャ
Ⅰ
ゥ
こ 五で 亜毘
ひと は刺激のあ る筆触にあ こがれるも
のです。
でもばくはあ なたの母音の 配置は気に入りません。 その配列
は十分感情的ではない
ィ
ソ
知性に訴えすぎてだめです。 熟考すれば, スウ
バーソふうのすぐれた 協和音音楽を 構成できます。 でも詩編の感動が
流れるように 動くシェークスピアふうのほ れ ぼれする母音の 美しさを組み
立てることはけっしてできません。
天理大学学報
70
月並みでしょうね。 ば くなら「芸術家の 心に響くこと」は 絶対に書かなか
ったでしょう
その主題は傲慢です。
ば くが愚鈍であ れば,許して 下さい。 ば くはアフィアメッ タコ
いっそう気に 入っています。
のほうが;
そして「あ と書き」はとても 好
「疑俳」
感 がもてます。
でもどうしてあ なたは精神と 肉体をばらばらにするのをやめないのです
5%
か㌣点ふも ㍑㌶:糊雙ソ幾鮭僅 義士 針叛 官使ぶ笘毘穏は脇売袈 渤駄だ野お丁
ユ 朋と ?
ば くは,自分自身のなかで ,あるいはだれの 魂においても ,
メ
一方のものをいま 一方のものと 区別することはできません。
長い時間を要して ,ばくはあなたの残りの 手紙に返事してきました。 今
週はばくは相当疲れてきました。 来週ばくはまた 家に帰ろうと 思います。
お体は よろしいでしょうね ?
田舎のブナの 樹木は,バフ・オ
一ピント
ソ品種のめんどりの 羽毛同様,オレンジ 色でおおわれています。
それらを
あ なたは見に出かけるべきです。
アナ
プ
ヴ イーダ アセー アソ
さようなら
D.
H.
ロレンス
第6倍
ノーウ " ド S.
サウス
ソく
Ⅱ 濯互
;日
E.,
デイヴィッドソン 通り男子小学校
講演をした
この書簡
は,11p月 レンスがレイ
lR日頃 以前の日付でなければならないし
チヱル ・アーナ ソド ・テイラ
,
笹七 % 葦毛 牡提馨目世
㌣ず
早サ ヴ午茗 な ぢ族寮携ぬ簡笠
茎長客楚茗苫
・
親愛なるテイラ 一夫人,
ばくは,自分が 思
う
ことを述べるのに 無器用すぎないことを
す。 あ なたの韻文にばくが 押しつげた衣服の
りに古めかしいたとえであ るのは確かです
彼は気まぐれな 魂をまと
う
」
願っていま
直 愉 については,それがあ ま
「
気 むずかしい詩のなかに
そしてばく自身についていえば ,
くの詩を経験という 鼓動する形式に 短く切り詰めるのはいつも
ば
至難であ る
ことは分かっています。 ばくの言わんとしたことは , レ,うとブドウのホコ
における詩の 数 編が ,あなたが自己を 自分自身のなかに 隠してしまい , つ
レイ
チヱル ・アーナ
ソド ・テイラ一夫人
研,3%
71
ぎにそれとは異なる 夢想をした諸体験をうまく 合わせる よう作り出したと
みえることです。 その結果,詩は 経験とい 5 ものが よ しとする理由が 何も
ないところまで 引き立てられ 人為的に弄りまわされたよらに 思われるので
す。 だが,ばくは,ばくの意見を 引き伸ばすことで ,事態を紛糾させてい
るだけの ようです。
本当に,あなたはばくを 当惑させます
しかもばくはいつも 性急すぎ
る。 それでもぼくがあ なたの詩を心からもっとも 賞賛しているのは 確かで
す。 ば くはあなたを現代の 詩人のなかで 最高に位させたいと 考えます。 お
そらく過言ではあ りません。 クロイド ソ の人たちにたいして ,一一その人
たちは本当に 全部が老いた 婦人というわけではなくて ,おおかたは 教育を
受けた人々なのです
ばくはあ なたのことを 立派であ るという以外には
何もないと主張して 言います。 ば くが述べた意見を ,ばくは過去にいだい
でもばくが述べなかったことが 多
ていましたし ,現在もかたいています。
ければ多いだけ ,ばくがいだいている 部分が重要であ るということです。
ご
承知のように ,ばくの母は , 2 週間しかもたないと 医者は言っていま
㏄ ,O リディア・
享年58歳。
@ 。 。 しかもそのことに 間違いはあ りません。 ば くたちは大いなる 恋人 ど
す
う
しでした。 そのときばくは 6 年越しの婚約をちょうど 破棄しました。 そ
れもいたって 不面目に
ばくは 自
分の恋愛問題をいちばん 滑稽に,いちばん 気を狂わせる ようにだめにしま
した。 そういうわ け でばくの時代ははなはだしく 歪められてきたので ,ぼ
くは不愉快です。
療養院 にあ なたが入院しなければならないとは ,とても遺憾に 存じます。
待つというのは , 陰う つなことです。 ば くはあなたが元気になって 生き生
きして出てこられることを 心待ちにしています
あ なたが重苦しいほう
がよいと望まれないかぎり。 ばくの言っていることをしまっておかないで
下さい。 ばくの言葉が 気にさわらないように。
敬具
D.
けれどもばくは『フィアメッ
す。
タ
H.
ロレンス
』の牧編の詩がいちばん 気に入っていま
・天理大学学報
72
第7倍
イーストウッド ,
ノッティンガムシャコ
リン・クロフト
1910 年 12 月 3
日
親愛なるテイラ 一夫人,
ばくにはあ なたの所在が 分かりませんでした。
ばくに手紙を 書いて下さって 嬉しく思います。 これで 10 日間ずっと家にい
ます。 ばくの母親は ,いままさに死にかかっています。 今日ぼくはレスタ
ー へ行ってぎました。 9 時半まで帰宅しませんでした。 それから走って 2
階に上って行きました。 あ あ母はひどく衰弱していました。
痛みがぶり返していました。
F えっ,お母さん ,苦しいのですか ?
F いまは苦しくはないのよ
』
ええ疲れたの
ょ
』と母はぼくの 耳にほと・ん
ど聞こえないような 声を出して 坤 きました。 今晩母が死んでくれたほうが
ばくにはいいのです。
ばくの 妹 とばくは病人の 看護という看護を 手を尽くしてしています。 ば
くの妹はわずか 22歳です。 何時間も何時間も 2 階で坐って見守っていると ,
ばくがロンドンにいることが 本当であ れ・ばどんなによかったかしれないと
思、 います。 それ以来ばくは 死んでしまったような 気がします。 そしてそれ
は古 い, 夢のような生です。
あ なたにあ りのままを言います。 ばくの母は善良な , 古い市民出身の 聡
明で,皮肉にも 繊細な性格の 女でした。 自分より身分の 下の男と結婚しま
男でした。
した。 ばくの父は黒い 髪の毛をして ,赤ら顔で,馬鹿笑いをする
彼は坑夫です。 陽気な多血質のたちで ,暖かくて元気いっぱいですが ,
らつきやすい 男なのです。 ぼくの母が
よ
ぐ
く言っていたとおり ,信条を欠い
ているのです。 父は母を編 し 母に嘘をつきました。 母から軽蔑されてい
ました
飲んだくれでした。
ふたりの結婚生活は ,ひとつの 血 なまぐさい,肉欲の 闘いでした。 ば
く
は自分の父を 憎みながら生まれました。 物心がつく年ごろから ,父に体を
触られると,恐怖で 身震いしました。 ば くが生まれる 前から父はとても
よ
くない人間でした。
これがばくとばくの 母との言わば 絆 みたいなものです。 ば くたちは, 子
レイチ,
ル ・アーナンド・テイラ
一夫人研究
73
としてまた母親として 愛しあ いましたが,それはまるで 夫婦の愛で互いに
愛しあ いました。 ぱ くらほ本能的に互 、. 、 に分かりあ いました。 母は 伯母に
いいました
ばくのことを。
F でもあ の子だけは違ってたわ。 あ の子はあ たしの一部だったような 気が
するの ょ 0』
そしてこれこそ 真相なのです。 ばくらは一心同体で , お互いにとても 敏感
でしたから,言葉などすこしも 要りませんでした。 それはかなり 恐ろしい
ことで,あ る点で,ばくという 人間を異常にしてしまいました。
こうした特異な 魂の融合は (誇張とは考えないでください ) 生涯げっ
て 2 度と起こらないと 思います
し
自然だとは思えません。 これが起こる
と, 自分自身からはるか 遠くまで意識を 広げていく ように思われ,そして
理解するのです @ 愛に よ る以外だれも「理解」は 得られないと 思います。
いまばくの母 は危篤の状態にあ りまず。それで は くはもうどりなっている
のか全然分かりません。
ば くは,今日レスター へ行ってぎました。 いつもぼくに 暖かくしてくれ
・
イ
一
た幸せな 1 日のように
よく自
暗 #1
・
ていた或る
, 、 娘
7 (ィル
ル
キストンの教員養成所の
[ル イり " ロゥ ズ 。 ル同期生であ
イと ロレンスは
った。, ハァム
@ ムい
ついに求婚してしまいました。 ロス リイとクォ
一ン の間の汽車のなかで ,前もって心の 準備をすることもなく (後に
レンス第
7 信の 3
呂
ぎ ㌃ 乙ニ斉圧甘蔓
簡をまれ
繍ヒ目 でじ
日
3..7
、 ふ宙詣鸞7 百 お轟僖石毛 罷在窩簗摂モ
矯謬ま苧ポ笘こ
して結局認めてくれたことが
と,
母が言下に許さないと
答えたものの
明るみに出されている。
, 30秒 ぐらい 。 彼女ほ ク ォ一 ンに住んでいま
ず 。 彼女のことを 考えると,ばくは 一種の暖かい 光を放散されたような 幸
福感に浸れます
彼女は大きくて 髪は黒く , 美しい娘です。 その車両に
はほかに 5 人乗っていました。 そのときばくは 母のことを居、うと
もし
もいつかあ なたがシャンペン 酒席グラスの 半球形の部分に 手をおいて, 握
り締め,
も
う
少しでそれを 押し砕きそうになって ,
に流れ 抜 げそりになると 思
とです
う
とすれば
ブドウ酒がすっかり 指
それがばくが 心の中で感じるこ
ちょうどシャンペン 酒席グラスみたいに。 暖かい幸せと 押しつ
ぶされるみじめさのあ いだに対立するものはあ りません。でも一方はばく
の胸のなかに 集結し,他方は 拡散
ばく 然と 充満しています。
、 ュアリエルは,ぼくが交わりを絶った 娘です。 彼女はばくを 気も狂わん
天理大学学報
74
ばかりに愛し ,ばくの魂を求めています。 ば くは彼女にたいして 残酷で,ひ
どい仕打ちをしました。 けれど, どうしてなのか
よ
く分かりませんでした。
だれひとりばくの 魂を得ることはできません。 ばくの母がそれを 得てい
るのです,そしてだれひとりそれを 再び得ることはできないのです。 だれ
ひとりばくの 自我そのもののなかへ 再び入って,空気のようにばくを 呼吸
することはできないのです。 ば くがこの時期に 唐突すぎるといわないで 下
さい
よく分かっています。 ルイは
ばくは彼女と 結婚したいのですが
できれば母の 葬儀の翌日にでも
彼 なほばくを飲み
ほ しばくを所有
しようなどとはけっしてしないでしょ
ノトノ
しかしその愛は ,
こまやかで,暖かく ,健やかな,自然な変 なのです
彼女はジェイソ・エアそづくりのタイプで
ュアりエ ルです一一彼女はたとえば
,
は あ りません。 そのタイプは
ローダ・フレ ,
ンク。
ミ
ショージ・メレ
ディス (1828
一
彼女はばくの 血のなかに両手を 突っこんでぼくの 魂をさぐるような 真似は
決してしないでしょう。 ばくに,歯をくいしばるような 不愉快にさせ 身震
いさせ逃げ出させるような 真似はけっしてしないでしょう。
はこの場にふさわしくやってのけました
ば くは父の顔を 考えています
う
しかも残酷に
ば
つ
く
今夜。
父は石炭の燃え 殻みたいです。 それは
ひどく恐ろしい ,不幸な結婚です。
昨日,母のためにⅡ孔雀』の 校正刷りを一部ばくあ てに送ってぎました。
母はそれをちょっと 見ました。 その本の出版は 春までかかろでしょう (こ又
窩軽留ぢ器寛実
謂は毘荒籠甑壕吉丸ズメ
伶ま
・
屋装ヂ, )。
ぎ桂篆珪且
鶴見葛あ寺笹偉侶芹ぢ
ばく があ なたに関する 講演をしたときのあ の集会について 今度お話しし
ます。 とても興奮させられました。 ば くは聴衆を赤熱状態にまで 引っぱ
上げました
り
そしてばくは 笑いました。
いくらか快方に 向かっておられますか ?
気分がいいとはあ なたは
仰 りませんが。 丈夫になってきているとばくに 告げて下さい。 それからあ
なたとばくはそんなに 慌ててやり直すこともあ りません
少なくとも,
あ なたはばくに 左右されることはあ りません。
おやすみなさい。
D.
H.
p レンス
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
75
第8倍
アメリカ,
ニュー
メキシコ, タオス
1922 年 9 月 21
日
へ,
親愛なるレイチェル・アーナンド・テイラー
勿論ばくはあ なたのことを 忘れてはおりません 一一「馬で去った 騎士た
ちはどこにいるのか」も 覚えていますし
だれかが大声で 話せば,陶磁
器にひびが入りそうなささやかな 停い晩 さん会のことも 思い起こします。
むろん『フィアメッ
タ
』の 詩
「私たちはそのバさ とまっすぐに 伸びた
) もまた覚えています。
とにかくエディンバラ 大学の記俳賞にたいしてお 礼申し上げます。 もっ
ともばくには ,あなたがばくのことを 心配して賞を 与えてくれたのほ 分か
っていますが (議豆毛
丸ま・
賞そ Ⅰ古金眩了 ㎡糸弓甲堅二瓦宮子
ジズ こぎ
捷腰苦
克捷号 夏セ デ
乙ゐ晶月脊奈劣
笛生 コ )。 あ なたはこれまで 幾度も死を経験されました。
てそのたびに『フィ ァメッタコ がこれまで
よ
そし
りはかなく,微妙に 燃える 炎
のようにみえます。 ぱくはどうかと 言えば,死を 受け入れるごとに 自信が
ついてずっと 積極的になります。 さあ あ なたは
夜 みえる狐火
そし
てその燐光のなかでばくも 沼地のぬかるみにはさって 吠えています。 その
ためにくは,ばくたちは 異なる存在に 変わるのです。 ええ,そうです。ば
くは,あ なたが『 亀 』を読んで笑
う
とはかない炎が 輝いてみえる , と思い
ます。 その矢の光に 照らして見れば ,その詩はばくには 上出来すぎる 喜劇
詩です。
でもばくは 生 衝動についてはこれ 以上述べないことにします。 そしてば
くは,あ なたの頼みになる 綱がか細いかもしれないけれど ,それでもこの
世界で確かな 心のよりどころがあ ることを願っています。
D.
H.
ロレンス
天理大学学報
76
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サ
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ロレンスの手蹟
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
77
TI
講演原稿
「レイチェル・アーナンド・テイラー」
レイチェル・アーナンド・テイラ 一夫人は,講演とか 論文のための 成果と
して摘み取られるにはまだ 熟してはいない 果実です。 夫人ほ,せいぜい 30
歳 そこそこの若さです。 結婚はされたが ,夫君は夫人を 残して去られまし
た (穿軍窩理臭
Ⅱに 誇覇但塗雙便
秀麗ア 皇ス荒
54%至まニ%
お
ニ至
巴 。 夫人はチ ,ルシ
一に住み,オックスフォードのギルバート・マレー 教授
(て : ニア
メ
オ"しど
;
りをした。 ) を訪問され,もの 悲しい独特なやり 方で ,大ぜいの文人につ
いて思いもようない 風刺的なことを 口に言い表わされます。 これは, した
手紙のやり
と
がって,あなたがた
ヤこ
差し出され,
ぅ
さんくさそうに 受け取られ,それほ
どよくよく考えたり 味わうこともしないまま ,警戒して味をみると 吐き出
される,そんな 未熟で青いくだものなのです。 未熟だが生気あ る詩人の詩
を正しく鑑賞することはとうていあ りえません。 好意的な批評の 時間と直
射日光によって ,ちょうど白 ブドウ酒や西洋スモモのように ,青二才は日
干しにしなければいけません。 人1 を加えないなさのままの 樹液は, 取り
除く必要があ ります。そ すれば詩人のもつ 永遠の味わいのあ る詩歌が ,
う
詩人のなかの 暫時的な要素によって 隠ぺいされることもなく 汚されること
もなく現出します。 そうではあ りませんか ?
意見でほ,女流詩人としてはこれは
テイラ一夫人は ,それでも,ばくの
上 望みようがない 人物です。 外観は , 全くロセッティ 風 (ラファ ヱ ロ前涼運動
の 結社創立者の
代表
サ摯了 Ⅱ 釜ニ
三羽ダ免 姦曲濤 美歩臆セ )
で,ほっそりして ,特に容姿はすらっとし
て美しい。 大 へん ふさふ さした見事な 赤みがかった 頭髪 (又セ,テ
。 の お 気に
りの モデルで
,の
ちに彼の妻になった
一か は豊かな赤い
髪をしていた。
りジイ ・シッ
。 ) が 目の上Ⅴこ かぶさって,そこに 投じられた 暖
かい影から見つめる 目があ ります。ほんのりとした 色合いの膚をして ,深
紅色で小さく 引き締まった
口
。 胸には大きな 浮彫りの突起があ って珍しい
彫刻を
刻は- ど 」した魔女のフローチ
,
。
(げスコット
, ぉ 守りとして
ラソド では女の魔法使いにたしする
よく 身に付げられた
ブ " 一チ。
庭ょ )
が付いてあ る素朴な黒っぱい 服 0 さらにまた,ほのかな 正当な光輝のあ
る
天理大学学報
78
長く白い けだるそうな両手。 女流詩人に申しぶんのないものです。
夫人は,スコットランドの 女性です。 子供の時には 孤独を感じて 育て ろ
れたせいで,聖書や 千夜一夜物語,それからもっとのちには , マロリー 原
作のアーサー 正物語を読んで 生活しました。 夫人が受けたしつげは , 力ル
ビン主義的ではあ りませんでした (大家族の一員であ
ったので,夫人は
幼時寂しくは
なかった。 夫人の父親は
急進的であ
ったが,家族
。
塔螢許ぢ
下す苦色広美ズ
ま 手笘苫韮誓穿
諸芸毛管
衰濤曹
手裏 方金目
菅穏営韮わ舜卍ヂ
) 夫人
は,いっさいを 自分自身にゆだ Q て,
力
自分で選んでロマンチストの 素質を
伸ばされました。 夫人は世間から 切り離れて生活を 送られました。 それで
もなお,今なお 引っ込みがちなままでいる 魂のなかにイチイの 水 (イチイの
木は ,死
ヒ志、
毒雀宅戻
坤ぎ七色
ヒⅠ
罪巧ニ㌍免戸蕉乙あ
点 りⅠ 蒜王お堅蟻笘募窩
二 ) で暗くなった
庭を胸にいだき ,その体験を 昇華させて香気を 放っておられます。
それに,これは 夫人の価値です。 写実主義の恐怖時代に 興奮してたぶん
満足した世間に 対して,夫人はロマンスの 旗を掲げて,
シ
ターソ やビ オー
ルといった弦楽器の 音楽を鳴らされます。 夫人は中世風です。 い にしえの
ロ合
遊 詩人と同様に 異教的で, しかも空想的です。 夫人はオ一ヵ
コレット
ッ
サンとニ
「フランス南東部,
Ⅰの散文物語。 また,この物語に
コバンスにおいて
登場する伝説上の
13世紀初期に書かれた
主人公と女主人公。
韻文まじ。) の仲間
プ
に属しそのほかの 相手とは交わられません。
lW04 年に上梓されたテイラ
一夫人の
詩集の第 1 冊目は 1904年に出版されました (『詩集』は
4 項目に分類されていた。
、 詩集り。詩歌の題名に 傾聴して
る真孟品荏兵忘弐堤
悪お墓表芸新雪客Ⅱ
鰹昌亡苧
# お5
みて下さい。
p マンス
花嫁,甘美な 歌,女王,ヘロデ
ア の歌,アーサー 王の歌,
リ
ソ グステッドの 騎士。
敬謙な詩一一鞭打 苦行,初期キリスト 教徒,宇宙の バラ, 見せかげでない
芸術愛好家。
愛の歌一一貴婦人にとって 恋は愚かなもの ,花の聖母マリア ,不滅の時間。
夢想一一睡眠をとる 宿 Y白前。
ばくほ 恋歌を 4 編読んでみます。 テイラ一夫人から 頂いた本のなかに ,
最初の恋歌に 反して,干からびた 谷の ュリ の姿を発見しました。 それを 女
流 作家が見落としていたことほ 明白です。 夫人は皮肉なロマンチストであ
ったので,火の 中にそれをくべてしまったのでしょう。
しかし, ここに ュ
レイチェル・アーナンド・テイラ
一夫人研究
リ
79
の花粉で黄色いよごれのついたその 1 編があ ります。 「欲望」という詩
・
(夜の闇が昼の
の魂は穣しそ
光を呼び出す
5 で,専横で
よう
かて
に 優しい」。
, 愛する人
) がそうです。
,
。
C73頁 )
それは恋歌のなかで 最初のものです。 2 番目の恋歌は「降伏」という
詩
です (80 頁 ) 一一
3 番目の恋歌は ,回顧的な詩で ,
「まだ実現されていない」という 題名で
の 詩において魂は
,苦悩
サ ,そして4 番目 は 「放棄」という語 Ciも ちた試練をげる。 ) です。
ティラ一夫人の 結婚生活についての 物語がそこに 存在していることは 明白
ぅ
です。
女流詩人の胸が 張り裂けたことは ,言うまでもあ りません。
「過度に愛されることほど ,苦痛なことはあ りません」とばくは 夫人に
話しました。
「そ
う
, もっとやっかいな 苦痛の種がひとつあ りますわ」と 夫人は答え
ました。
「それではそれは何ですか ? 」とばくは寺 #a ました。
「愛することですわ」と 夫人ほ,大変物静かに 言いました。
しかし,男であ れ女であ れ詩人にとって 失意のうちにおちこむことは ,
ど
ちらかと言えば 有益なことです。 そうなると, こわれやすいガラス ひ んの
珍しい純良な 蒸留酒は,読者に対しては 実に興味ぶかく ,作者にとっては
とても心を慰める 韻文という小さなはね 跡を飛散させることになります。
失望することによって 人生に色が付げられることは 本当です。
テイラ一夫人は ,昨年出版した 2 冊目の詩集, 「バラと ブドウの 水
」
の
なかに,夫人が 大事にしまっておかれた 恋の体験をこばして ,詩の飛沫を
作られます。 しかしそれらの 飛沫は,粗野で 肝をつぶすような 殺伐とした
したたりでほあ りません。鮮紅色であ ったり,金色であ ったり, 海緑色を
しています。 テイラ一夫人ほ「血の 出る思いの胸のなかの 虚飾」 (?ごフ兄ド
8%)
77%
サ気豊廿 ぷ目兜皓鱗翼巳ぜ ィ弩雙 夫人こ 某ら 、マ 憶膳笘薔巳摂と
とⅡ秋思
ガ
なづ くらい, まず残忍な光の 明るい ちに皮肉にもそれを 進展させ,つぎ
緩
Ⅰ
う
に慈しむようにその 虚飾を引き上げて 薄暗い場所に 離して, 自分の魔術を
かけられます。 その別た 場所で,夫人はそのうえにかけた 魔法に息を吹
き
かげ,微妙な 光をそのうえに 通して, 夢 と空想で作り 事を仕組み,それか
らその虚飾を 再流出させられます。
天理大学学報
80
「バラと ブドウの 水 」は, 1904年の「j寺携良
@ 」よりはるかにすぐれたで
ポ
です。 目がさめるよ
う
き
ムズ
ふっくらとした 甘
に美しく,ぜいたくな 作品です。
実 で有望な蕾が , 豊かにここには 脹らんでいて ,ついには深紅色の 花びら
がもの
う
げに,人が通り 過ぎる時に , 腰をかすめるみたいです。 しかも正
面 では,白い花が 寄りかかって
人の胸に触れそうになります。 美感に訴え
るあ らゆる色が 沢 m あ ります。それでも,感覚において 全く抽象 りで非個
自
人的であ
って,ちっとも 肉感的ではあ
りません。人がそれに撲きるのは
たとえばシュトラウスの 音楽であ る「エレクトラ」 (由轟毯: 雙 ㌍ 零
5 』 こ 三八 ぎ
6%
ピ挙 し 宙趨恩簾あ
若露悪 亡 二
,
% 強資望
% L 見 豆蔦公繍 二しう トちヨ笘奄竜だ
甲行
了
「
る。 ) のなにがしかの 一部に飽きるのと 同様です。 詩の技術においてはあ
っぱれな業績ですが ,感情 訴えるところが 不十分です。
ヰこ
テイラ一夫人は , まことに, きわめて繊細な 詩の職人です。 なおその上
に,夫人は韻律や 律動を本格的に 操ることができます。 夫人は当世風な 締
りなさを少しも 許さず,叙情詩の 結末まで同一の 詩 節の形を失いません。
ば くはこの詩形をさらに 時間をかけて 批評したく思います。
けれども, 「バラと ブドウの 水 」の詩に振り 向いて見ましょう。 この詩
にはそれほど 伝記上の要素を 認められません。 大部分の詩 は ,それと見分
けのつかない 経験から変形させられてあ ります。真に新しい語調は ,母性
にまつわる特色です。 女流芸術家が 出てくる場合に ,なぜ母性であ ること
の意味を示さないで ,ばくたちがロンドンのテートギヤ
チリ 一で鑑賞する
ような馬か ビーナスの女神かかわいい 子供たちの絵を 描くか,あるいはシ
ヤーロット・ブロンテやジョージ・エリオットのように
題を取り扱うのか ,ばくは往々不思議に 思います。
,求愛とか恋愛問
テイラ一夫人には 母 @
の響 ぎのあ る筆触が窺えます。 「深紅色をした 4 名の ビ オール奏者」 ( 了三
表題はこの物語
詩の各節の終りで
口前派調のバラードで
折返しになっている。
) の詩を朗読します。
さて今度は, 「結実の歌 alo月の母に捧げる )」です。
ばくの母が
秋にばくを出産した 時,その点に 言及したであ ろうことをばくは 知りませ
ん。
周到な用意で 書かれた佳作 は,
「復活の音楽」です。 その詩が「バラ
と
ブドウの 水 」の詩集の巻頭を 飾っていることは 重要です。
その詩が出されたのは ,昨年でした。今年は ,
「フィアメッタ
の日課」
レイチ,
ル ・アーナンド・テイラ
一夫人研究
81
という一連のソネットが 上梓されました。 シェークスピア 形式で 61 の ソネ
ット
から成り立っています。 これらのほかに ,夢みる女たちの 序詩,夢み
る。 。 @
。 " る。日日 "
@ )@
る。
、 " 、。
トで
丁 フィアメッ
は なくスタンザであ
タ の日課コ
の 取初と取後の
「序文」は散文で
@詩編であ
一
圭
日かれた別置ぎであ
とちらの詩も
ょ
/ドンナネッ
序文のなかで
テイラ一夫人は ,女性忙は2 つの伝統一一すなわち 聖母のタイプと 夢みる
女 0 タイプがあ ると述べています。 後者は常に芸術家タイプですが ,前者
は 決してそうではあ りません。
そのことは,なぜ 女流芸術家が 母性と
いうものを歌わないかの 説明になると 想像できます。 テイラ一夫人は 今日
の夢みる女を 代表しています。 もっぱら母親らしくなく 女性という女性が
参政権拡張論者か政治改革論者であ る時に,夫人は 自分の立場にあ って ほ
とんど類のない 女性です。 テイラ一夫人は 過去の生活と 自分自身について
きわめて夢中になって 夢想しはじめ ,必ずしも啓示的ではない 象徴のなか
で自分の夢想を 語りはじめました。 夫人の教義は , 秘教的です。 夫人が
使 象徴は,象徴が 自然に表わしているものを 示しません。 つまり夫人の
う
象徴は,象徴主義というあ のケルト及びフラ ンスの形式 (三ま 老 義夫若さ吏リ
ケルト云々は
,アイルランドの
, グエ 詩人,
ルレイW.
ヌ, ランボⅠマラルメなどの
B. イェー ツ のことを暗にさしているのだろう。
作品を読破している。
ロレンス は ボードレール
と
従姉妹の関係にあ ります。象徴主義に
ょ
れば,
「
x ニ熱情のあ おり 風,
Y 二 魂の愛に対する 思慕, とすると,
いまや 灰 かに白い花弁のあ る Y は
思いを焦がす
X
の接吻を
青ざめた大気の 上を入かに誘 うリ
テイラ一夫人は 考え抜いて同じ 工夫をされました。
「それ以来苦しみの薄い絹糸から
私たちの悲しい 肉体の仮面が
-,。 紡がれる 口
べ
苦しみの薄い 絹糸は , 穿った表現に 値するかもしれないが ,ばくにとって
そのことは意味があ りません。
ではあ りますが,ばくは「夢みる 女たちの序詩」を 朗読します。
この詩
は終始必ずや 忘れられないものです。
参政権拡張論者や女医からすれば ,なんという 女性,なんという 修道女
であ りましょう。 夫人はあ えてこ
う
いう
事を吹き込まれます。
しかしティラ 一夫人は,なおさら 大胆です。 「夢みる安 たちのあ と書き」
天理大学学報
82
に耳を貸して下さい。
う 筆名を使った。
1910 年10 月 29 日発行の同誌に , 「ブル夫人」による 最初の記事が
掲載された。
40 頁にわたる週刊誌であ
る。 それほ現在では
消滅したコラムであ
るが, 「メアリ
これは別冊で
る
。
適合する。
を読む場合に 熟考したり,再考
どちらにしても
ブル」とし
ぅ 編集指示のもとで
コ レンスの言及に 拡大されてい
たりするためには ,
だがこれらは
し
とても重要な 詩です。
ブイァメソタ ではあ
りません。 それらは夫人の 信念です。
夫人の特質は ,綿密に夫人の 詩に近づきになれば ,心理学的小説と 同様 か ,
あ るい ほ それ以上に辿っていくことがずっと 面白いソネットのなか
ヰこ
窺え
ます。第 18 番, 1 編だけを朗読します。
これらのソネットの 数 編は ,とても見事な 詩です。 それらは,「開 げた道
路 」,帝国の途轍もない韻文 (ぎ 晃ヱ
イスフィールド
(r878-1967) 詩作「チュー
の道」, E.V.
メ
リ
ル 一ヵ ス
(1868@938)
に
ょ
詩集「開けた
道路」,ラドヤード・キブリンバ
(1865-1936) 詩作「退場
曲 」, A. C. ベン
栄光の土地」参照。
p レソス が 1908 年に受けた教員免許状
取
ソソ (1862-1925) 詩作「希望と
る
縄勢簿臆鱈
二万型
笘隻お嚢棄億俺鰯甘経
草色 菅ド教
りの時代において
ぶものです。
,別格に立ち 並