低解像度版 - 日本生態心理学会

日本生態心理学会第6回研究大会 予稿
(2016 年 9 月 3-4 日開催 北海学園大学)
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 17 - 18
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
乳児の歩行の発達と部屋のレイアウト
─ 移動の終わり方とゴール─
Development of Infant Walking and Layouts of the Home:
Goals and Ends of the Locomotion
西尾
学際情報学府)1
千尋(東京大学大学院
本研究では 2 名の乳児(女児 A, 男児 B)について生後約 10 ヶ月から歩行開始後 3 ヶ月が経過するまでの間,
月 2 回約 1 時間の観察を行い,移動手段(ハイハイ,つたい歩き,歩行,その他)と滞在中の姿勢(座位,四つ
這い,しゃがみ,立位)について分類を行った.その上で,移動手段の変化を A と B それぞれについて各観察
日における移動手段の合計時間で示し,さらにひとつの移動の終わり方についての分類を,Cole ら(2016)を参
照して行った.2 名ともに歩行を開始した後はハイハイがほぼ見られなくなり,移動合計時間がそれまでに比較
して大幅に増加した.両者ともに家族,物,家具や部屋の構造体といった目的地に到達する移動が移動の停止,
同じ場所内での移動,転倒,抱き上げられる等の目的地のない移動を上回った.
Keywords:
1
移動の発達, 部屋の環境, 行為のゴール
目的と背景
歩行開始後 3 ヶ月が経過するまでの間,月 2 回約 1 時間の日
常生活の様子を室内に固定したビデオカメラにて撮影した.
ハイハイから歩行に移行しつつある乳児が遂行する移動と
撮影した映像から 30 分を抜粋し,まず ELAN を用いて移動
いうタスクは,部屋という生活の場所の意味の探索と密接に
手段(ハイハイ,つたい歩き,歩行,その他)と滞在中の姿
関係している.本研究では歩行を開始した乳児が何に到達し
勢(座位,四つ這い,しゃがみ,立位)について分類を行っ
て移動を終了するのかを実際の養育環境における観察におい
た.その上で,移動手段の変化を A と B それぞれについて各
て明らかにする.
観察日における移動手段の合計時間で示した.
著者ら(2015)は 1 名の乳児について歩行開始から 3 ヶ月
さらに,ひとつの移動の終わり方についての分類を,Cole
間の観察を行い,実際に養育されている部屋の中のどこに滞
ら(2015)を参考にして行った.Cole らは一回のまとまった
在し,どのような経路で歩行するのかを部屋の間取り図を用
歩行の最終地点をゴールありとなしに大きく分けており,ゴ
いて示した.その結果,移動の前後で乳児がいる場所は,ソ
ールありには母,物,段差が含まれ,ゴールなしは元々手が
ファーの前やテレビ,棚の前など特定の偏りが生じていた.
届く物の周囲での移動(in Place),明確なゴールのない移動
その中でも滞在場所とそこで行う行為の性質を観察したとこ
(traveling),転倒や抱き上げられるといった制御不可能な終了
ろ,自ら動かすことが出来ない物(付着対象)の周辺ではそ
で構成される.ここでは,Cole らの分類 にならった上で「家
の対象に手をかけたり表面の探索を行うなどを立位で行って
族(家族のリーチの中に入る)
,物,家具や部屋の構造体,移
おり,それらに囲まれた部屋の中央にある開けた場所では座
動の停止(注視先あり/なし),同じ場所内での移動,転倒,
って遊離物を触るなどの行為が見られた.
抱き上げられる」の 8 項目を設けた.
これらの結果を踏まえると,部屋の中で滞在する場所に偏
りがあるのであれば,乳児はなんらかの物に対して特定的に
移動をおこなっていっているはずである.乳児の滞在場所は
3
結果
3.1
移動モードの変化と移動合計時間
ランダムに部屋中に広がってはいない.この偏りをもたらし
Fig.1 に主な移動手段が歩行となった週を 0 週とした A,B
ていると考えられる移動の到達地点が何であるのかを明らか
の移動手段の変化と移動合計時間を示す。女児 A の観察は生
にするため,新たに 2 名の乳児の観察を行った.
後 10 ヶ月から 14 ヶ月までおこない,生後 11 ヶ月の-4 週か
ら短い自立歩行が現れ始めた。短い歩行が観察された前後で
2
方法
2 名の乳児(女児 A, 男児 B)について生後約 10 ヶ月から
は 2 週間毎の通常の撮影の 6 日後にも撮影を行った。0 週で
歩行がハイハイの時間を大きく上回り,全観察期間の中で最
1
Chihiro NISHIO (Graduate school of Interdisciplinary Information Studies, University of Tokyo):
[email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
18
C. Nishino
も長い間(30 分間のうち約 10 分間)
,歩行を行っていた。そ
れ以上の移動を阻むドアやパーティションの前でその場に留
の後はハイハイ,伝い歩きともにほぼ見られなくなり,その
まって母親の様子を観察する,出てくるまで物で遊びながら
後の移動はほぼ歩行によって行われるようになった。
待つと言った行為が現れた.
男児 B の観察は生後 11 ヶ月から 18 ヶ月までおこない,生
後 15 ヶ月から短い自立歩行が現れ始めた。生後 11 ヶ月の-18
(A)女児 A
週の時点で伝い歩きを多く行っており,自立歩行開始前の観
察期間が長くなったため,ここでは-10 週と-6 週から1回ず
つのデータを掲載する。また,+2 週に体調を崩したため 1 回
分の撮影が出来なかったが,一週ずらして撮影しその後は定
期的な観察を継続した。-10 週の段階でつたい歩きはハイハ
イの合計時間を上回っていた。-4 週に最初の短い自立歩行が
観察され,-2 週には歩行の合計時間がハイハイの合計時間を
(B)男児 B
超したが,依然としてつたい歩きが移動時間のうちで最も長
かった。生後 16 ヶ月の 0 週にはハイハイがほぼ見られなくな
り,つたい歩きの時間も急激に減って,主な移動方法が歩行
へと変化した。
(A)女児 A
Figure 2
4
移動の終わり方
考察
2 名ともに歩行を開始した後はハイハイがほぼ見られなく
なり,移動合計時間がそれまでに比較して増加した.A はハ
(B)男児 B
イハイがつたい歩きの時間を上回ることはなかったが,B は
つたい歩きがハイハイの合計時間より多く,期間も長かった.
これは移動の終わり方の分類にも反映されており,B は手が
届く物の周辺での移動が歩行獲得前後ともに観察された.移
動の発達は部屋の中のどこで何をどのような姿勢で行うかと
いう習慣の獲得と結びついており,それには個々が好む行為
の傾向に併せ,つかまることが出来る程度の高さの家具がど
のように配置されているかということを反映していると言え
る.
Figure 1
移動モードの変化と移動合計時間
引用文献
Cole, W. G., Robinson, S. R., & Adolph, K. E.
(2016). Bouts of
steps: The organization of infant exploration. Developmental
3.2
移動の終わり方
Fig.2 に A と B の移動の終わり方を示す.
両者ともに家族,
物,家具や部屋の構造体といった目的地に到達する移動が移
動の停止(注視先あり/なし),同じ場所内での移動,転倒,
抱き上げられる等の目的地のない移動を上回った.
動かせない物への到達は両者とも歩行獲得後に増加し,そ
Psychobiology, 58, 341-354.
西尾千尋・青山慶・佐々木正人 (2015). 乳児の歩行の発達に
おける部屋の環境資源 認知科学 Vol.22 No.1.
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 19 - 21
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
子守帯と母子のふるまいの関係
The Relationship between Baby Carriers and Behavior of Mother and Child
園田
正世(東京大学大学院学際情報学府)1
日本の多くの地域で行われてきた乳幼児をおんぶすることは, 運搬のみならずあやしやなぐさめなどの保育の
要素も含んだ, 労働と子育てを両立できる方法である. 近年では背中でのおんぶではなく体の前面で抱く親子が
増えてきた. 母子が抱き合うとお互いが環境となり,子守帯を使えば更にそれを布や紐が取り巻く幾重もの入れ
子状になる.本研究では母と子が子守帯を用いて抱いた状態で歩行や動作課題を行い,母のふるまいの差を検討
した.子守帯には多様な種類があるが,あらかじめ道具としての構造を設計されたベルト付き抱っこひもと布を
母子に巻き付けることで密着を安定させる布製抱っこひもを用いた.歩行では母が装着した抱っこひもによって
姿勢が変化することで,腕の動作への制約に影響を及ぼした.動作課題では子の安定性と子の相対位置により母
の課題遂行動作に違いが見られた.
Keywords:
抱き,歩行,子守帯,ふるまい,母子
先行研究ではダミー人形と子守帯を用いたおんぶ時の
1
研究の概要
姿勢や,抱っこ時の歩幅を調査したものがある(松岡・岩
乳幼児を抱いたりおぶって過ごすことは,日本では普遍
脇&滝下, 2012:犬飼, 1998)
.しかし育児未経験者とダミー
的な育児行為である.それぞれの民族が抱きやおんぶのた
人形の組み合わせでは,母子全体の様相や関わり合いとい
めにどのような道具を用いているかは人類学等において
った発達等に関連すると考えられるやりとりがどのよう
検討されている(川田, 2011)
.日本人の多くが長い過去に
になされているのかは検討できない.
おいて行っていた「おんぶ」は保育と運搬を同時に行える,
生活において効率的な方法であった(上, 1991)
.しかし日
2
研究の目的
本では 1980 年代後半より急速におんぶから胸の前に抱く
本研究では実際の母子が生活のなかで繰り返すような
「だっこ」に変化していった(だっこ派のお母さん増えて
自然な状況下において,2 種類の子守帯を使用して歩行す
ます, 1987)ことに伴い,多様な子守帯が市販されるよう
る歩行課題と, ペットボトルの水をコップに注いで飲む
になっていった(0 歳からの子育てバイブル:AERA with
という動作課題を設定した.本発表ではその間の母のふる
baby(ウィズベビー)2008 年夏号, 2008)
.
まいに焦点をあて,母の姿勢及び動作やコミュニケーショ
近年では多くの母子が子守帯を日常的に使用している
が,使用者の体型や使用環境は様々である.西洋の子守帯
ンに子守帯がどのような制約をあたえているかを観察デ
ータから明らかにする.
は子の運搬のために使用するものであったが,日本におい
ては古来のおんぶと同様に保育行為も兼ねて使用する養
3
方法
育者が少なくない.子守帯による抱っこは子育てにおいて
子守帯による制御がどのようになされているかを確認
日々行う行為であるにもかかわらず,それらを装着したと
するために,市販されている数種類の子守帯を用いて母子
きの母子の姿勢やふるまいについてはこれまでほとんど
に装着し,立位姿勢を撮影した後(Figure 1)、以下の実
議論されてこなかった.
験を行った.一般的に構造化され形づくられた子守帯の方
そこで本研究では,数種類の市販子守帯を装着した時の
母のふるまいに着目し,抱っこ時の子に対するかかわりあ
が布製抱っこひもに比べて装着が簡便であるが, 統制を
図るために被験者への装着はいずれも熟達者が行った.
いの実態把握をすることとした.
“行動は姿勢と運動からなっている”が(ギブソン, 1974),
母のふるまいを制御する要素が包囲する周囲の環境だけ
でなく, 子や子守帯もまた母の行動を制御する.
3.1
歩行実験
歩行実験では母が 2 種類
(Soft Structure Carrier : SSC / 布
製抱っこひも : リングスリング)の子守帯を用いて子を
1 Masayo Sonoda (Graduate School of Interdisciplinary Information Studies
The University of Tokyo): [email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
20
M. Sonoda
抱き,ペアになった被験者らと自由に会話をしながら 3
分間歩行した様子をビデオカメラで撮影した(Figure 2).
3 分間を 180 の場面に分割し,母が子をどのような姿勢で
抱えるのか,左右の手がどのようにふるまうのかを場面ご
とに計測した.
Figure 3 課題動作実験
3.3
被験者
初めて子育てをしている生後2カ月児の母とその子.計
10 組にて実施した.動作分析はそのうちの9組を対象と
した.
4
結果
歩行時の母の抱き姿勢は子守帯による違いが見られた.
SSC では背筋を伸ばす姿勢が多く,手のひらだけを子にふ
れるような軽い接触が多く見られた.スリングでは腕全体
で包み込むような姿勢をとる被験者が多くなった.
水飲みの動作課題では素手の抱きでの課題遂行が最も
Figure 1 立位姿勢(上段)SSC、(下段)スリング
時間を要した.その他の子守帯 3 種類では平均遂行時間に
は大きな差はなかったが,取り扱う対象物に要する時間の
割合に差が見られた.
4.1
歩行実験の結果
2 種類の子守帯での歩行場面では SSC 装着時は背筋を
伸ばして立位・歩行する被験者が多く,その結果, 手のひ
らだけを子に接触させるふるまいが 42.3%と最も多く見
られた.スリングでは腕全体で包み込むような抱き姿勢を
とる被験者が 47.6%にみられ,タッピングが 20.9%に生起
した.
(Table 1)
Table 1 歩行時における母の接触のしかた
Figure 2 歩行実験
SSC
3.2
課題動作実験
動作課題では被験者は上記 2 種類の子守帯の他に,素手
のみとスリングよりも更に単純な道具として布一枚の兵
触れない
1413
スリング
合計
期待値
カイ二乗=233.067
χ2(3)=233.07 , p<.01
1633
3046
1523
軽い接触
1524
1049
2573
1286.5
タッピング さする・なでる
400
263
752
1152
576
166
429
214.5
合計
3600
3600
7200
児帯を装着し,ペットボトルの水をコップに移し替えて飲
むという課題を提示した.椅子を引いてから水飲みの動作
を終え,椅子に手を掛けるまでにかかった時間計測を行い
対象物の取り扱いにかかる時間を分析した(Figure 3).
4.2
課題動作実験の結果
素手の抱きと3種類の子守帯でペットボトルの水を飲
む実験では生後2カ月児で定頚前であることからも頭部
を固定しにくい素手の課題遂行で 32.3 秒ともっとも時間
子守帯と母子のふるまいの関係
を要した.椅子やボトルを扱う時間が比較的長くなった.
(Figure 4)
上笙一郎(1991).
日本子育て物語 育児の社会史
21
筑摩書
房
分散分析では被験者による影響が子守帯に対して違い
があることが却下された.
だっこ派のお母さん増えてます
新聞
一方,子守帯の影響は, 観測された分散比が F 境界値よ
pp.17.
0 歳からの子育てバイブル:Aera with baby(ウィズベビー)
2008 年夏号
りも大きいため違いがある.
(Table 2)
(1987,10 月 17 日). 朝日
(2008). 東京:朝日新聞出版
エドワード・リード(著)境敦史・河野哲也(訳) (2004).
ギブソン心理学論集―直接知覚論の根拠
松岡知子・岩脇陽子&滝下幸恵
(2012). 抱っこ・おんぶ
による歩行時の Toe clearance の変化
大学看護学科紀要
犬飼博子
勁草書房.
京都府立医科
22,51-56.
(1998). 子どもの「運搬」における身体的負担
日本家政学会誌
49(11), 1233-1239.
Figure 4 水飲み課題での平均時間比較
変動
自 度
分散
観測された分散比
P-値
界
由
Table 2 水飲み課題での分散二元配置結果
変動要因
F境 値
行(被験者)
114.9408219
7
16.42011741
1.208223785
0.341300787
2.487577704
列{子守帯)
誤差
386.2162344
285.3961906
3
21
128.7387448
13.59029479
9.47284417
0.000370479
3.072466986
合計
786.5532469
31
5
考察
歩行ではいずれの子守帯を用いても子に触れたりタッ
ピングをするなどの軽い接触は全体の約半数にみられた
が,触れるだけの接触かタッピングといったより積極的な
あやし行為かは子守帯の違いによって有意差が見られた.
母が子守帯を装着して姿勢が変化することにより,腕の動
作への制約に影響を及ぼす.それによって接触やあやしな
どへの子への関わりが限定されることがある.
動作課題においては全て子守帯使用時は両手が使用可
能であるが,子の相対位置により母の動作に相違があるこ
とがわかった.
抱くという行為において,構造化された子守帯は装着し
ている親のふるまいを制限することがあり,抱き姿勢の自
由度が高い布製抱っこひもでは子の親に対する相対位置
により親の作業に影響があることがわかった.
引用文献
川田順造
(2011).
からの発想―
ヒトの全体像を求めて―身体とモノ
年報人類学研究
第1号
南山大学
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 22 - 25
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
腹臥位における運動の分岐と合流
Divergence and Convergence of Movement in Prone Posture
山本
尚樹(立教大学現代心理学部)1
1 名の乳児を対象に,寝返りを始めてから四つ這いの移動を始まるまでの発達プロセスを縦断的に観察した.
寝返りをした後の腹臥位に見られる運動パターンを質的に記述し,寝返りの始まった 5 ヶ月後半から四つ這いで
の移動の始まる 8 ヶ月後半まで,約 2 週間ごとに運動パターンのヴァリエーションの特徴をまとめていった.結
果,様々な運動のヴァリエーションが分岐,部分的に合流しながら現れていき,それらが合流していくことで四
つ這いでの移動が始まっていたことが示された.この結果は,ヴァリエーションが運動発達に関わることを具体
的に示すものと考えられる.
Keywords:
乳児期
縦断的研究
運動発達
なった乳児がどのように四つ這いでの移動を始めるのか,5
1
問題と目的
ヶ月後半から,8 ヶ月後半までの間を観察することにした.
腹臥位での運動パターンのヴァリエーションに焦点を当て,
乳児は腹臥位で腹這い,高這い,ピボットなど様々な運動
パターンのヴァリエーションを示すことが知られている.
出来るだけ詳細に検討するために,対象児が寝返りをした後
Thelen & Smith(1994)はヴァリエーションが発達の源泉にな
の様子を観察し,そこで見られる運動パターンのヴァリエー
っていると主張しているが,腹臥位に様々な運動のヴァリエ
ションを質的に記述し,特定した.また,その時の周囲との
ーションが観察されるという事実はどのような発達的意義を
関わりも合わせて記述した.腹臥位の姿勢で乳児は様々に体
具体的に持っているのだろうか.
を動かし,運動パターンも次々に変わっていくため,それら
Goldfield(1995)は乳児の四つ這いでの移動が,定位,推
も全て記述することにした.背臥位,側臥位,お座りなど,
進力,舵取りという環境に対する 3 つの機能が複合した運動
別の姿勢を取った時にはそこで記述を中断し,寝返りをした
であることを指摘している.この指摘から,四つ這いの移動
後に再び運動パターンの記述を行うことにした.
は単一の動きが発達的に変化したものというよりは,環境に
運動パターンや周囲とのかかわりの記述データは各月齢の
対する複数の機能的な動きが発達的に変化したものと考えら
15 日目までを前半,16 日目からを後半とし,約 2 週間ごとに
れる.それだけでなく,Goldfield は腹臥位での運動のヴァリ
整理した.
エーションが多く観察された乳児ほど,四つ這いでの移動を
早く始めていたことを示している.
3
結果
このことから,腹臥位での運動のヴァリエーションが四つ
観察された運動パターンのヴァリエーションのすべてを全
這いでの移動の開始に発達的な関連を持つと考えられるが,
て示すのは誌面の都合からも困難なので,ここでは各時期に
Goldfield の研究は統計的な分析に終わっている.そのため運
観察された運動パターンの特徴をまとめていく.
動のヴァリエーションと四つ這いの移動の開始の具体的な関
連性については見えてこない.
そこで,本研究では 1 名の乳児の腹臥位での運動発達を縦
断的に観察することで,腹臥位での運動のヴァリエーション
5 ヶ月後半
あった.
どのように四つ這いでの移動に具体的に関わるのか,検討し
た.
5 ヶ月後半に観察された寝返りは 12 回,寝返り
後に観察された腹臥位での運動パターンは全部で 14 種類で
頭部が下がり,ぐずったり泣いたりする様子が観察された
が,頭部を持ち上げ,前方や左右を見る様子も観察された.
また,両腕の前腕,もしくは両手で上体を支え,前方や左右
2
方法
を見る様子が観察された.片手をつきつつ,もう一方の腕は
観察対象は1名の乳児で,対象となる乳児の日常生活の様
前腕を床につけるといった,両腕の非対称的な運動パターン
子を養育者が撮影した映像資料を用いた.映像資料では,5
から上体を支えることもあった(Figure 1)
.また,両腕を横
ヶ月 18 日から寝返りが観察され始めた.また,四肢の協調し
に広げ,両脚を屈曲し腰部を持ち上げることもあったが,こ
た動きによる四つ這いでの移動は 8 ヶ月 18 日目に観察された.
の時Kは下の方を見ていた(Figure 2)
.対象児が自分で背臥
そこで,本研究では寝返りにより自ら腹臥位になれるように
位に戻る様子は観察されなかった.
1
Naoki Yamamoto(Rikkyo university): [email protected]
腹臥位における運動の分岐と合流
23
ことがあり,この時期から,自分で背臥位に戻るようになっ
ていた.
Figure 1
Figure 2
6 ヶ月前半 寝返りは 3 回観察され,その後に観察された運
Figure 4
Figure 5
動パターンは 5 種類であった.
頭部を下げる,頭部を持ち上げる,上体を持ち上げる様子
が観察されたが,運動パターンは 5 ヶ月後半に観察されたも
7 ヶ月前半
8 回の寝返りが観察され,36 種類とさらに多様
な運動パターンが観察された.
のと同じであることが多かった.ただ,両腕で上体を支えて
腕で上体を支え頭を持ち上げる様子がこれまでと同様に観
いるときに,上体を左右に揺する様子が観察された(Figure
察されたが,片方の腕で上体を支持し,もう一方の手を横に
3).また,頭部を下げ,腰部を持ち上げる様子が観察された
伸ばしてつき直すことがあった.他にも,上体を支持しなが
が,この時,両脚をただ屈曲するだけでなく,両脚を交互に
らも両手で床を押して少し後退する様子などが観察された
屈曲・伸展していた.この時期も,対象児が自分で背臥位に
(Figure 6)
.
戻る様子は観察されなかった.
また,
6 ヶ月後半では十分体が持ち上がっていなかったが,
この時期には上体,腰部をともにしっかりと持ち上げた四つ
這いの姿勢が何度も観察された.一般にイメージされるよう
な,両腕の前腕,もしくは両手をついて上体を支え,両脚を
屈曲して腰部を持ち上げる運動パターンもあれば(Figure 7),
右前腕,左手をついて上体を支持する,片足で腰部を持ち上
げるといった,上肢,下肢の非対称的な運動パターンも観察
Figure 3
された.こうした非対称的な運動パターンでは,ソファーに
体を預け,四つ這いの姿勢を維持していることもあった.ま
6 ヶ月後半
9 回の寝返りが観察され,30 種類と多くの運動
パターンが観察された.
片腕で上体を支えて頭を持ち上げ,もう片方の腕を伸ばし
ておもちゃなどにリーチングをおこなっていた(Figure 4).
上体の支持における上肢の非対称形の運動パターン,もしく
た,四つ這いの姿勢で両脚を繰り返し屈曲・伸展して腰部を
上げ下げしたり,左脚を伸展して足をつっぱり大きく腰部を
持ち上げたりすることもあった.
また,養育者が背臥位に戻すこともあったが,引き続き自
分で背臥位に戻る様子が観察された.
は片腕を上げる様子は,5 ヶ月後半にも観察されたが,この
時期には片方の腕で上体をしっかりと支持してリーチングす
ることが可能になっている.また,このように片腕で上体を
支持し,もう一方の腕を前に伸ばすだけでなく,それらの運
動パターンを左右交互に行うことで右側にピボットをする様
子が観察された(Figure 5)
.
また,頭部を下げ腰部を持ち上げる際に左脚のみを屈曲・
Figure 6
伸展して持ち上げる様子が観察された.また,両脚を屈曲・
Figure 7
伸展しつつ腰部を持ち上げ,左手をついて左半身を持ち上げ
る様子が観察された.これとやや似ているが,右前腕,左手
7 ヶ月後半
で上体を支えつつ,左脚を屈曲して腰部を持ち上げる様子が
ンについても,54 種類と非常に多く観察された.
寝返りが 16 回観察され,寝返り後の運動パター
観察された.これまで,上体が持ち上がるか腰部が持ち上が
上体を持ち上げる姿勢では,おもちゃなどを操作する様子
るか,どちらかであったのが,ここでは両方を持ち上げてお
が多々観察された.例えば,両方の前腕で上体を支える運動
り,四つ這いへの過渡的な姿勢のようにも見える.
パターンでは,両肘をついて手を自由に動かし,紐やリモコ
また,右腕で体を支持しながら,左脚を屈曲して支え,体
ンを掴んでいた.また,片方の肘をついて上体を支え,もう
を右に倒していた.そのまま倒れていくことで背臥位に戻る
一方の腕を自由に動かし両手で紐を扱うこともあった
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
24
N. Yamamoto
(Figure 8)
.逆に,両手をついている場合は,もっぱら周囲
げる運動パターンは,6 ヶ月前半,6 ヶ月後半にも観察されて
を見回すだけであった.この時期には肘をついて上体を支え
いたが,その時前方には進んでいなかった.この 8 ヶ月前半
ることで両手を用いて対象を操作するようになっていた.ま
では前に進むだけの力が足についてきているようであった.
た,それまでピボットは右方向のものしか観察されていなか
四つ這いの姿勢では,四つ這いのまま両脚を伸展して突っ
ったが,左方向へのピボットも観察された.片方の腕で上体
張ったり,片脚を屈曲して前に出したりしながら,もう片方
を支えつつ,後ろに手を引いて手をつき直すこともあった.
の足を伸展して突っ張るなどの様子が観察された.特に,右
頭部を下げて腰部のみを持ち上げる姿勢,体を右,左に倒
手を前に出しながら,それとは反対側の左脚を屈曲して前に
す動きについては,目立って異なる運動パターンは観察され
出す様子も観察され,上肢と下肢が連動するような運動パタ
なかった.
ーンも観察された.しかし,これらの四つ這いの姿勢での運
四つ這いの姿勢では目新しい運動パターンがいくつか観
動パターンのうち,前に進んでいるのは一種類だけであった
察された.まず,四つ這いの姿勢で体を前後に揺する,ロッ
(Figure 10).一方、この時期は上体を持ち上げる姿勢では
キングが観察された.また,7 ヶ月前半では,片方は前腕,
脚の動きを伴いながら前に進む様々な運動パターンが観察さ
片方は手をつくといった非対称的な腕の運動パターンが観察
れた.運動パターンの生起回数を出しているわけではないの
されたが,この 7 ヶ月後半では四つ這いの姿勢で,片方の腕
で厳密な比較にはならないが,四つ這いで姿勢を維持しなが
で体を支持しつつ,もう一方の腕を上げ前に伸ばすなどの様
ら前に進むことは不得手であるように思われる.それと同様
子が観察された.この時,上げている腕と対側の脚を上げる
に,高這いの姿勢も観察され,この時両脚を交互に屈曲・伸
様子や,脚を同時に突っ張るなどして少し前に進む様子も観
展していたが,前に進んではいなかった.
察されている.また,四つ這いの姿勢で交互に脚を屈曲・伸
また,この時期には自ら座位になる様子が観察された.運
展する様子も観察されている.この時期には四つ這いの姿勢
動パターンとしては,四つ這い,高這いの姿勢から腰を右,
を維持しつつ,両脚,もしくは腕と脚を協調させて動かすよ
もしくは左の後方に落としていくというものであった
うになっていた.また,四つ這いの姿勢からさらに両脚をつ
(Figure 11).このように座位を取るという運動パターンは,
っぱり腰をあげ高這いの姿勢を取る様子も観察された
この乳児の場合,四つ這い,高這いの姿勢の派生形として現
(Figure 9)
.
れていた.
Figure 10
Figure 8
Figure 9
8 ヶ月後半
Figure 11
2 回の寝返りが観察され,6 種類の運動パターン
が観察された.四つ這いの姿勢では,右手で養育者の脚を掴
5 回の寝返りが観察され,35 種類の運動パター
みながら,左脚を前に出していき,左手を上げ脚を掴み,掴
ンが観察された.頭部が下がっている時に,片脚を屈曲した
まり立ちをする様子が観察された(Figure 12).また,四つ
り,伸展して足を突っ張ったり,両脚を交互に屈曲・伸展す
這いの姿勢のままで,片方の腕を前に伸ばしながら同時に反
る様子が観察された.これらの動作から少しではあるが,前
対側の脚を前に出すという,上肢と下肢が連動し,かつ腰部
に進むこともあった.
が持ち上がったままで前方へ移動する様子が観察された
8 ヶ月前半
上体を持ち上げている時にも,体を前に出すように両腕で
床を押さえながら,片脚をつっぱり少し前に進んでいたこと
(Figure 13).また,四つ這いの姿勢から腰を左後ろに落と
し座位になる様子も観察された.
があった.また,片方の腕で上体を支え,もう一方の腕を前
に出しながら,片脚を屈曲してもう一方の脚を伸展して足を
突っ張り,前に進むことがあった.これらは上肢と下肢の動
きが協働した運動パターンと言える.他にも,片方の腕で上
体を支えつつ,もう一方の腕を上げたり手をつき直したりす
る様子や,ピボットも観察された.
両脚を交互に屈曲・伸展して突っ張る動作は,頭部を下げ
腰部を持ち上げている体勢でも観察され,少し前方に進むこ
とがあった.両脚を交互に屈曲・伸展して腰部だけを持ち上
Figure 12
Figure 13
腹臥位における運動の分岐と合流
4
考察
ここまで,寝返りを始めた乳児の腹臥位での運動パターン
のヴァリエーションと,その変化を縦断的に追っていき,四
つ這いでの移動やお座りが始まるまでの過程を見てきた.
様々なヴァリエーションが観察されたが,それらのヴァリ
エーションは以前に観察された運動パターンと類似しつつも
変化しており,発達的な繋がりがあると考えられる.例えば,
6 ヶ月後半に観察されたリーチング,ピボットは 5 ヶ月後半
に観察された非対称的な腕の上体支持との類似性が認められ
る,といった具合である.他にも,両足で支持面を押さえ腰
を持ち上げる態勢について言えば,5 ヶ月後半では両足を同
25
察されたが,これらはただ運動の形態的な違いがあるだけで
なく,それぞれが異なる環境との関わりを持っている.例え
ば,上体支持によって視野を確保し周囲を見回す,リーチン
グで手近なものを把持する,ピボットでさらに大きく周囲を
見回す,などである.そうした様々な環境の探索のヴァリエ
ーションにたいして,おもちゃなどの対象物の配置などはど
のような関係になっているのであろうか.こうした,運動の
ヴァリエーションの分岐と合流を取り囲む環境を明らかにし
ていくことも,今後の課題となる.
引用文献
時に屈曲していたのに対して,6 ヶ月前半では両足を交互に
Goldfield, E. C. 1995 Emergent Forms: Origins and Early
屈曲・伸展するようになり,6 ヶ月後半では片足を屈曲して
Development of Human Action and Perception. New York:
腰を持ち上げるようになっていた.こうして運動パターンが
変化するとともに,変化する以前の運動パターンも観察され
ることがあり,運動パターンは次々に分岐していた.
運動パターンは分岐するだけでなく,合流することもあっ
Oxford University Press.
A dynamic systems
approach to the development of cognition and action.
Thelen, E., & Smith, L.B.
1994
Cambridge, MA: MIT Press.
た.例えば,6 ヶ月後半では上体と腰を持ち上げる四つ這い
の萌芽的な姿勢が観察されているが,この時の動作は 5 ヶ月
後半に観察された腕による非対称的な上体支持の動きと,6
ヶ月後半に観察された片足で腰を持ち上げる動きが組み合わ
さったものであった.その後,7 ヶ月前半以降,四つ這いの
姿勢が観察されるようになるが,この四つ這いの姿勢も,ロ
ッキングや高這いの姿勢などの様々な運動パターンへと分岐
していく.また,四つ這いや高這いの姿勢から腰を落とすこ
とで自分でお座りの姿勢を取るようになっており,今回の対
象児の場合,自発的なお座りは四つ這いの姿勢から分岐して
いた.
8 ヶ月前半では様々な体勢で足を支持面に突っ張り,前に
進む様子が観察され,足に十分な力がこめられるようになっ
ている.そして,8 ヶ月後半では腕と足の動きがリズミック
に連動した四つ這いでの移動が観察された.こうした四つ這
いでの移動は,6 ヶ月後半から観察されたピボットに見られ
る左右交互の上肢の動きと,6 ヶ月前半から観察された両足
で交互に支持面を蹴る動き,四つ這いの姿勢の維持,これら
を上手く協働させる動きであり,それら複数の運動パターン
が合流するような形で,対象児の四つ這いの移動が始まって
いた.
発達過程のなかで運動パターンが分岐してヴァリエーショ
ンが生じ,それらが部分的に合流,さらに分岐していくこと
で,四つ這いでの移動が始まっていた.これらの観察結果か
ら,運動パターンのヴァリエーションが四つ這いの移動の開
始に関わる具体的な過程が示されたと考えられる.
今後の課題としては,他の乳児が四つ這いでの移動を開始
するまでの発達過程を同じように観察することで,乳児ごと
の発達過程の固有性を示すとともに,それらの固有の発達過
程の重なりの中から浮かび上がる共通点を示すことが挙げら
れる.
また,発達過程の中で様々な運動のヴァリエーションが観
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Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 26 - 30
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
書道熟達者の運動学習
─再帰定量化解析による縦断的評価を手掛かりに─
A Longitudinal Study of Gaze-behavior in Process of Copy Drawing:
The Case of a Expert Calligrapher
野澤 光(東京大学大学院
学際情報学府)1
本稿ではケーススタディとして,書道熟達者 1 名が 16 回の試行を経て臨書を制作する過程を,書家の運動協
調の縦断的変化に焦点を当てて分析した.書家の頭部の水平面の旋回周期を再帰定量化解析(Recurrence
Quantitative
Analysis)により評価した結果,特定の試行数と,特定の紙面位置において,旋回周期は高い再帰
性を示していた.このことは,書家の身体システムが,試行を通じて平均的に底上げされるかたちで発達するの
ではなく,特定の描画シーンにおいて,異なる協調関係を実現している可能性を示唆している.
Keywords:
1
書道, 模倣, 運動学習
はじめに
本研究は,書道熟達者の「臨書」の制作過程を,運動学
習という観点から研究する.「臨書」とは,書道の指導者
30 代の書道熟達者 F である.熟達者自身にとって難易度
の高い課題を課すために,今回は,実験前に熟達者との打
ち合わせの上で,臨書の対象となる古典作品を選択する,
という手続きを取った.その結果,『鄭羲下碑』(A.C.511
がかいた手本や古典作品を模倣して,書を学ぶことである.
年, 北魏, 鄭道昭)からの 17 文字「父官子寵才徳相承海内
書を学ぶ過程の大部分は臨書によって達成されるため,臨
敬其榮也先假公」を半切用紙(35×135 ㎝)に臨書する課
書は書において重要な位置を占めている.書家にとって臨
題が選択された.実験において使用した『鄭羲下碑』の複
書は日常的な自己鍛錬である.たとえば書家の柿沼(2002)
製本(1989)は,A4 サイズ見開き(42×29.7 ㎝)であり,
は,毎日必ず“スポーツ選手のトレーングのように”古典
F は複製本(1 ページあたり 8 文字)を観察することで臨
を臨書すると述べている.また,そのトレーニングとは,
書を行った.
一種類の古典作品を何枚も続けて臨書し,作品に対する理
2.1
用紙と文字がもたらす課題制約
解を深めてゆくものである.しかしながら,既存の書道研
臨書が,元作品と異なる素材(筆,用紙),および異な
究において,臨書は作品制作の過程として捉えられてきた
る文字数によって制作されたことから,以下のような課題
というより,むしろ熟達者〜初級者間の書字技能を横断的
制約が生じた.すなわち,熟達者が古典作品から選んだ文
に比較するための,実験統制として捉えられてきたという
字数は 17 文字(奇数)であり,半切用紙に二行で臨書し
方が正しく,その結果も,書字過程を内的なモデルの投射
た場合,左右いずれかの行の文字間を,他方の行より詰め
とみなす認知理論の傍証として解釈されてきた(横山 他,
て臨書しなければなかった.実験後の自己評価時に熟達者
2012).本研究は,臨書における運動学習を,他者の作品
自身が残したコメントによれば,紙面に対するこうした文
の文字痕跡という外的制約に自らの関節運動を適応させ
字数の選択が,課題の制約として働いていた.この制約の
る,身体システムの自己組織化として捉える.そして臨書
ため,熟達者は臨書中,各文字の形態を臨書するという課
過程の関節運動データを,力学的アプローチにより運動解
題を達成すると同時に,半切紙面上に 17 文字を配置する
析することで,臨書制作過程の解明を目指す.本稿ではケ
という課題も達成しければらなかったと考えられる.
ーススタディとして,書道熟達者 1 名が 16 枚の試行を経
2.2
て臨書を制作する過程を,視線探索を担う頭部運動の時系
列データから記述した結果を報告する.
実験方法と機材
実験では,
『鄭羲下碑』の 17 文字を「形臨」するよう指
示を行った.一般に臨書は「形臨」
「意臨」
「背臨」の三段
階で理解される(全国書道学会, 2013)
.
「形臨」とは,そ
2
参加者と課題選択
の作品の文字の形態を忠実に模倣することを指す.実験時
実験に協力した参加者は,免許皆伝を受け,プロの書家
間は最大 8 時間とし,試行回数の制限はなく,参加者が作
として活動する傍ら,大学の書道学科で講師を勤めている
品完成を申告した時点で実験終了とした.実験後,参加者
1 Hikaru NOZAWA (The University of Tokyo Graduate School of Interdisciplinary Information Studies):
[email protected]
書道熟達者の運動学習
27
9,10,11,13,15,16 試行目であり,16 文字を描画でき
たのは 2,4,8,12,14 試行目,3 試行目は 15 文字しか
描画できなかった.一方で,7 試行目では熟達者が課題に
反して 1 文字多い 18 文字目を描画していた.熟達者はこ
自身が最も良く書けたと評価する書を申告してもらった.
の 18 文字目を“配置調整のために”描画したと報告した
書道用具と墨汁は熟達者が持参し,半切用紙は雁皮紙を使
が,本稿の分析でこの文字は除外している.
用した.運動データは VICON (60Hz)で計測し,マーカ
ーは筆管 3 点,頭部 3 点, C7,L4,両肩峰 2 点,両肘 2
点,両手首 4 点,手甲 2 点の合計 18 点に添付した.
4
描画時間
次に,各文字の描画時間の変動を,試行数,文字の画数,
文字の位置から検討する.試行時間は全体として試行を重
3
結果
ねるほど増加する傾向にあったものの,1試行内に書かれ
実験の結果,
熟達者の平均試行時間は 17 分 48 秒(SD.150
たすべての文字の描画時間を試行間で比較した1要因
秒)であり,試行時間の合計は 4 時間 46 分,試行数の合
ANOVA の結果 F (249,15)=0.74(p>.05),試行数の主効果は
計は 16 枚であった.各試行の所用時間別に見ると,試行
優位ではなかった.一方,文字の画数に対する描画時間の
時間は 1 試行目の 12 分 10 秒から 16 試行目の 20 分 59 秒
相関係数は,強い正の相関 R=0.86 を示しており,試行数
まで試行を重ねるにつれ増加する傾向にあり(図 2),熟
と描画時間の相関係数は R=0.16 であった.この結果は,
達者自身が最も良く書けたと評価した 15 試行目は,3 番
各文字の描画時間の変動が,試行数より画数に強く依存し
目に試行時間が長かった.また 16 試行の内,熟達者が全
ていることを示している.
17 文字を紙面上に描画することができたのは,1,5,6,
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
28
H. Nozawa
次に,描画時間の試行間変動を,文字別に詳細に検討す
定量化解析とは,身体システムを構成する一部の変数の時
るために,各文字の描画時間の試行間変動を,文字別にプ
系列データから,システム全体の安定性を推定する手法で
ロットした結果を図示する(図 3)
.1 文字目の「父」を除
ある.たとえば書をかいているとき,書家の頭部は,向か
く 16 文字が,試行数に対して正の相関を示していた.次
って左側の見本と,右側の臨書を交互に観察しており,こ
に,増加傾向内での描画時間の変動に焦点を絞るため,各
の観察動作には周期性が見られる.RQA を用い,軌道の
文字の描画時間の試行間でのトレンドを除去した後,±
周期の再帰性を評価することで,この周期から,制御され
2.7σ以上を外れ値とし,この分布について検討した.試
た成分と,制御されていないノイズ成分の比率の変化を推
行数に対する外れ値は合計 17 個であり,その分布は前半
定することができる.このように,RQA を用いることで,
1/3 にあたる 3,4,5 試行目が計 4 個,後半 1/3 にあたる
身体システムの協調の時間遷移として,臨書の制作時間を
11,12,13,14 試行目が計 13 個であった.文字の描画順序に
記述することができる.RQA に至る手続きと使用したパ
対する外れ値の分布は,一行目に位置する 3,5,7 文字目が
ラメータを,
(1)埋め込み定理によるアトラクタの再構成,
計 4 個,二行目に位置する 9,10,11,12,13,15,16 文字目が計
(3)RQA による指標算
(2)リカレンスプロットの作成,
13 個であった.このように,外れ値の分布は前半 1/3 の試
出の順に報告する.
(1)アトラクタの再構成には,Takens
行と後半 1/3 の試行に分離しており,かつ,その位置は二
(1981)の埋め込み定理を用いる.埋め込み次元数の決定
行目に偏っていた.
には,誤り最隣接法(Kennel & Brown, et.al, 1992)を使用
し,埋め込み時の時系列データの時間遅れ値は,時系列の
RQA による解析
5
平均相互情報量が,最初に極小値をとる値を使用した
次に,熟達者 F の文字描画中の頭部の水平面での旋回軌
道を,再帰定量化解析(Recurrence
Quantitative
Analysis)
(Webber & Zbilut, 2005)を用いて評価した.
5.1
Recurrence Quantitative Analysis
(Fraser & Swinney, 1986)
.実際に使用した時間遅れ値は
32(単位時間 1/60 秒)
,
埋め込み次元数は 7 次元であった.
同じ条件で比較するため,すべての試行と文字について,
同一の時間遅れ値,次元数を使用した.
(2)リカレンスプ
力学的アプローチから見たとき,ヒトの身体は非線形の
ロットの作成では, 5 秒間のリカレンスプロットを 1 秒
システムとして捉えることができる.この視点から見れば,
ずつスライドさせる「窓」の手法(Webber & Zbilut, 2005)
臨書の過程とは,身体システムの各変数が自己組織的に協
を用いた.
(3)RQA による指標算出では,リカレンスプ
調関係を発達させてゆく過程と考えることができる.再帰
ロットの 2 点間を再帰として判定する閾値として半径 2.0
書道熟達者の運動学習
を採用した.なお,頭部旋回の時系列信号は,頭部 3 点の
6
マーカーから再構成した頭部の重心と額を結ぶ線分を,紙
面高 8mm まで延長し射影した x,y 座標を使用した.
5.2
結果
以下では,システムに含まれるノイズ成分に反比例する
指標として,再帰率(%REC, 0〜100%の値を取る)に焦
点を当て,試行間,文字間での変動について検討する.頭
部旋回軌道の再帰率の全試行での平均は 31%(SD. 11%)
であった.またすべての文字で見たとき再帰率は試行を重
ねるにつれ増加する傾向にあり, 5 試行目(36%)
,14 試
行目(35%)の順に高い値を示していた(図 4).1 試行内
に書かれたすべての文字の再帰率を試行間で比較した 1
要因 ANOVA の結果 F(249,15)=0.06(P>.05)では,試
行数の要因は有意ではなかった.また再帰率に対する試行
数の相関は R=0.16,文字の画数との相関では R=0.17 を示
しており,頭部旋回の再帰率が試行,文字ごとに大きく変
動していることを示している.
29
議論
臨書課題において書家は,試行を通じて,文字の形態を
模倣することと,紙面上に文字を配置すること,という二
つの制約を解決しなければならないと考えられる.また
『鄭羲下碑』からの 17 文字を選択したために,左右いず
れかの行を詰めて臨書しなればならないという特有の制
約も,今回の課題においては生じていた.試行時間から見
れば,試行時間は 4 試行目と,13~15 試行目に頂点をお
く,二つの山形を描くかたちで増加していた.一方,文字
を個別に見たとき,描画時間の外れ値の分布は,前半 1/3
の試行と後半 1/3 の試行に分離しており,紙面内の位置に
関しては,二行目に分布が偏っていた.頭部旋回周期の再
帰率の算出結果も,描画時間と概ね同じ傾向を辿っていた.
すなわち,再帰率の試行間での推移は,5 試行目と 14 試
行目を頂点とする山形を描いており,文字別に再帰率の外
れ値の分布を見た場合も,前半 1/3 と後半 1/3 の試行に分
離し,二行目に分布が偏るという傾向を辿っていた.この
ように,描画時間が大きく変動するシーンにおいて,視覚
探索を担う頭部が質的に異なる旋回周期を見せていたと
いう事実は,これらのシーンで,何らかの探索的な描画が
行われたという可能を示唆する.また,頭部旋回の再帰性
を,書家の身体システム全体の協調度の指標として考えた
とき,それは,書家の身体システムの運動協調が,試行を
通じて平均的に底上げされるようなかたちで発達するの
ではなく,ある特定の描画シーンにおいて,他とは異なる
協調関係を実現しているという推測を可能にする.
7
今後の展望
本稿は,臨書制作過程を頭部旋回の再帰性という観点か
5.3
頭部旋回の再帰率の試行間変動
つぎに,頭部旋回の再帰率の,試行間での変動を文字別
ら検討したものである.複数の制約を解決しなければなら
ない臨書過程において,書家の身体は,異なる振るまいを
に詳細に検討するために,各文字の再帰率の試行間変動を
組み合わせることで,課題を遂行している可能性がある.
文字別にプロットした結果を示す(図 5)
. 1 文字目の「父」,
しかし,本稿で示した描画シーンにおいて,書家が解決を
7 文字目の「相」
,15 文字目の「先」を除く 14 文字が試行
試みている課題制約が何であるのかは,未だ明らかではな
数に対して正の相関を示していた.また,各文字の再帰率
い.今後の分析では,文字形態の特徴と,文字の配置の両
の試行間でのトレンドを除去した後,±2.7σ以上の外れ
面から,書家の描画した文字の変遷を RQA による評価と
値の分布について検討した結果,合計 17 個の外れ値の内,
併せて分析する必要がある.
前半 1/3 にあたる 3,4,5 試行目が計 8 個,中盤 1/3 にあたる
7,8 試行目が計 2 個,後半 1/3 にあたる 11,12,14,15,16 試行
引用文献
目が計 7 個であった.また文字の描画順序に対する外れ値
Webber, C. L., Jr., & Zbilut, J. P.(2005), Recurrence
の分布は,一行目に位置する 2,5,7 文字目が計 6 個,二行
Quantification Analysis of Nonlinear Dynamical Systems.
目に位置する 9,11,12,13,14,15,16 文字目が計 11 個であり,
Tutorials in Contemporary Nonlinear Methods for the
中盤の 2 試行を覗いて,外れ値の分布は,描画時間とほぼ
Behavioral Sciences Web Book web book, Edited by M.A.
一致していた.最後に,外れ値のみの再帰率の平均値は
Riley & G. C. Van Orden, pp.26-94.
53%と全体での平均より高い値を示していた.
Fraser, A. M., & Swinney, H. L. (1986). Independent
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
30
H. Nozawa
coordinates for strange attractors from mutual information.
Physical Review A, 33, 1134–1140.
Kennel, M. T., & Brown, R. et al(1992) Determining
embedding dimension for phase-space reconstruction
using a geometrical construction. Abarbanel Phys. Rev. A
45, 3403.
Takens, F. (1981). Detecting strange attractors in turbulence.
Lecture notes in mathematics, Vol.898, Dynamical
systems and turbulence, warwick 1980, 366–381.
Webber, C. L., Jr., & Zbilut, J. P. (1994). Dynamical assessment
of physiological systems and states using recurrence plot
strategies. Journal of Applied Physiology, 76, 965–973.
全国書道学会(編)(2013). 書の古典と理論, pp.96-97.
二玄社(編)(1989),中国書法選 鄭羲下碑.
柿沼康二(2002).信念に従って生きる.『FIND』 , Vol.20
No.2/No.3, pp.3-5.
横山航・鍋田真一・山本洸希 他(2012).視線情報の可視化に
よる熟練者・非熟練者間の比較分析:書道における熟
達度の観点から. JeLA 会誌, 12, pp.64-72.
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 31 - 34
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
相対運動ロボットを用いた触覚による自己運動パターンの想起
Motion Recall through Tactile Sensing with a Relative Motion Robot
辻田
勝吉(大阪工業大学)1
岡﨑
後安
美紀(urizen)2
乾二郎(武蔵野美術大学)3
本研究では,人間と協働して絵を描くロボットシステムを用いて,自己主体感および自己所有感発現のメカニ
ズムを調べることを目的とする.本研究では,描画行為は主体と媒体との相対運動の中で生じるものだと考えて
いる.具体的には,ロボットがペンを保持したアームを可動させるのではなく,ロボット上部に設置された画板
を実際の描画方向とは逆に可動させることで描画を行う.本描画ロボットを用いた実験を通して,人間がペン先
に伝わる触覚のみによって,過去の自分の描画運動パターンを想起し,再現できるか否かを検討した.その結果,
ペン先の触覚のみによる運動知覚によって,画像刺激による想起と同等の線画の形態的特徴の再現能力と,線画
の局所的な特徴点近傍では,むしろ視覚想起条件よりも優れた再現能力が発現することが確認された.
Keywords:
1
触覚,描画運動パターン,想起,描画ロボット
はじめに
近年,義手やアシスト機械等,人と協調・協働を行う機械
た人はそれが自身の筆触であるか他者のものであるかチャン
スレベル以上の確率で個人同定できることであった(Yabuki
システムの研究が盛んに行われている(Roland & Sankai,
et al., 2014;Goan et al., 2013;Okazaki, 2008)
.その結果をふま
2010; Marasco, P.D., et al. 2011)
.これらを扱う上で人間と機械
え本研究では,過去の自身の描画を再現できるかという想起
の親和性について考えなければならない.従来,ロボット工
実験を行った.
学の分野では「人間の模倣」の研究が行われてきた(高松,
本研究で行った描画ロボットシステムを用いた個人の運動
2009)
.人間の動きを模倣・代行するような機械システムの研
パターンの認識メカニズムは運動感覚を取り戻すリハビリテ
究においては主に形態的類似性または動作的類似性に焦点を
ーションへの利用が期待できると考える.
あ て 研 究 が 行わ れ て き た(Kudoh, et al. 2008; Tresset &
Leymarie, 2013).本研究では動作的類似性に注目する.動作
2
運動感覚の想起実験
的類似性においては自己認識に関する研究が重要であり,人
2.1
相対運動による描画
間の自己認識は行為を行っているのは自身であるという自己
本研究の目的は人間の自己主体感や自己所有感からなる自
主体感とこの身体は自身のものであるという自己所有感の,
己認識のメカニズムを解明することであり,本研究で用いた
少なくとも2種類から構成されていると考えられている
描画ロボットは描画行為それ自体を通して自己認識メカニズ
(Gallagher, 2000)
.しかしラバーハンドイリュージョン(RHI)
ムを調べるための装置として機能している.本研究では,描
や幻肢等の現象に挙げられるように,実際の人体に対して必
画行為は主体と媒体との相対運動の中で生じるものだと考え
ずしも常に主体感や所有感が発現するわけではない(ラマチ
ている.具体的には,ロボットがペンを保持したアームを可
ャンドラン, 2011;Maravita & Iriki, 2004;入来,2000;Botvinick
動させるのではなく,ロボット上部に設置された画板を実際
& Cohen, 1998;本間,2010;山本 & 福村,2010)
.
の描画方向とは逆に可動させることで描画を行う.自分がか
本研究では,人間と協働して絵を描くロボットシステムを
つて描いた方向とは逆の方向に動く画板にペン先一点で触れ
用いて,自己主体感および自己所有感発現のメカニズムを調
ることで,かつて自分の描いた線画の特徴を把握できるかど
べることを目的とする.本研究で用いたロボットシステムは,
うかを調べる.この関係を簡単に説明したものを Figure 1 に
保存された描画軌道に従ってロボットが画板を可動すること
示す.
で人間に運動感覚を伝えるものである.これまでの研究で明
らかになったことは,記録保存した各実験参加者の描画軌道
データをロボットを通じて動作再現したところ,それに触れ
1 Katsuyoshi TSUJITA (Osaka Institute of Technology): [email protected]
2 Miki GOAN (urizen): [email protected]
3 Kenjiro OKAZAKI (Musashino Art University): [email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
32
K. Tsujita, M. Goan and K. Okazaki
Figure 1
2.2
Typical drawing and relative motion drawing
実験方法
実験方法全体の概念図を Figure 2 に示す.はじめに,各実
験参加者一人一人にペンタブレット画面上に指定画像(Figure
3) を描画させ,運動データとして記録した.実験参加者は
Figure 2
22~24 歳の男性 8 名で実験は 1 人ずつ行った.実験参加者を
Framework of t he proposed system
視覚想起グループと触覚想起グループとに分け,数日おきに,
描画再現実験をおこなった.
視覚想起グループ(Group A:4 名)
では,過去に自分の描いた軌跡がペンタブレット上に線画と
して再現される様を見て,その通りに描いてみるよう教示し,
過去のデータとの相関をとった.触覚想起グループ(Group
B:4 名)では,視覚情報は与えずにロボットによる動作再現を
経験させ,得られた筆触情報のみを頼りに,過去の描画を再
現するよう教示した.この実験では Figure 3 に示すような XY
テーブル構造を持つ相対運動描画ロボットシステムを用いた.
実験参加者に教示した線画を Figure 4 に示す.Group B の実
験においては,記録しておいた描画データを基にロボットの
Figure 3
天板が XY テーブルとして動き,実験参加者は,描けないペ
Relative motion drawing robot
ンを定位置に保持しておくことによって,視覚情報を排除し,
実験参加者は触覚のみで運動を想起する.
具体的な実験手順を以下に示す.
1)
図形の入力:実験参加者は図形をホワイトボード上で
3 回,タブレット PC 上で 2 回練習を行った後,見本
(Figure 3) が無い状態でタブレット PC 上に描画する.
これを 3 つの図形すべてに対して行う.
2)
想起実験:入力を行った実験参加者は 3 日後に再度同
Figure 4
Given trarget figures
様の図形の描画を行う.この際練習は行わず,Group A
はディスプレイに表示される 2)で描画した自身の描
3)
2.3
結果
画軌道を確認した後,見本が無い状態でディスプレイ
各実験参加者が想起実験において描いた線画図形を Figure
上に描画する.Group B は 2)で描画した自身の軌道を
5 に示す.A,B いずれのグループにおいても,全体の幾何形
XY テーブルを用いてペン先から伝わる触覚のみで確
状には個人差が表れ,各人の個性が保存されている.
認した後,見本(Figure 3)が無い状態でディスプレイ
次に,描いた線画図形の描画軌道について,元の図形(図
上に描画する.どちらも同様に 3 つの図形すべてに対
中 0th)と各経過日数における想起描画(図中 1st,2nd,3rd)
して行う.
との間で描画速度パターンの相関を求めた結果を Table 1 に
3 日毎に残り 2 回,同様の実験を行う.
示す.いずれのグループも元の線画図形の描画速度パターン
と各経過日数における想起描画速度パターンの間で,高い相
関が得られ,線画全体の描画形状および描画速度については,
高い精度で想起されており,A,B グループ間で大きな差は見
相対運動ロボットを用いた触覚による自己運動パターンの想起
33
られなかった.
Table 1 Correlation between motion velocity patterns for the
original drawing and the recalled drawing
Participant
ID
3 days
6 days
9 days
A1
0.940
0.964
0.928
A2
0.917
0.884
0940
A3
0.694
0.842
0.718
A4
0.869
0.945
0.926
B1
0.901
0.825
0.916
B2
0.792
0.780
0.754
B3
0.933
0.870
0.907
B4
0.356
0.806
0.841
(B) Drawings of group B participants
Figure 5 Obtained drawings of the participants
さらに,Figure 4 における Target #3 の線画図形の四隅の角
(図中 Edge1 ~Edge4)に着目し,これらの角の近傍での速
度パターンについて,元線画図形と想起図形との間で相関を
求めた.得られた結果を Figure 6 に示す.
得られた結果を見ると,視覚情報のみに基づくグループ
(Group A)は,描画の幾何学的配置の再現性は高いものの,
運動パターンの再現性は,経過日数とともに減衰してしまっ
ていることが解る.
特に,Figure 4, 図形 Target #3 の Edge 1 の
近傍における Group A の描画速度パターンの劣化は顕著であ
ることが解る.
一方,筆触情報のみのグループ(Group B)は,幾何学的配
置の再現性は Group A ほど高くないものの,
運動パターン
(速
Group A
度パターン)の再現性は日数を経ても高いまま維持され,さ
らに,描画上の局所的な特徴点まわりの運動パターンの再現
性精度は極めて高い状態が維持されることが判った.
Group B
Figure 6 Results of experiments
3.
まとめ
本研究の相対運動ロボットを用いた実験によって得られた結
(A) Drawings of group A participants
果をまとめると次のようになる.過去の自分の描いた線画を
視覚情報により想起する場合と,ペン先の一点で画板に接触
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
34
K. Tsujita, M. Goan and K. Okazaki
することによる触覚情報により想起する場合とを比較すると,
視覚想起の場合には全体の幾何学的特徴はかなりの精度で保
存されるが,特徴点における運動パターン情報は劣化傾向が
V.S. ラマチャンドラン,サンドラ・ブレイクスリー (2011).
脳のなかの幽霊 山下篤子訳,株式会社角川書店
Maravita Angelo , Iriki
Atsushi, (2004). Tool for the body
見られた.一方で,触覚想起の場合には,特徴点近傍におけ
(schema) TRENDS in Cognitive Sciences Vol.8 No.2 pp.79
る運動パターンが正確に保存されていた.すなわち,わずか
– 86
ペン先一点の触覚による想起によって,描画全体の幾何学的
配置が十分に再構成され,なおかつ,特徴点近傍では,かつ
ての自己の運動パターンを正確に再現可能であることが明ら
かになった.これらの結果から,自己所有感は視覚想起を通
した形態的類似性の知覚からでも誘発される可能性があると
いうことと,一方で,自己主体感は,触覚による特徴点の運
動パターンを伴わなければ,強く誘発されないことが示唆さ
れた.
このような触覚による運動パターンの想起は,障がい等で
失われた自己の運動機能の想起とリハビリテーションへの応
用が期待される.
入来篤史 (2000). 道具を使う手と脳の働き 日本ロボット学
会誌 Vol.18 No.6.pp786-791
Botvinick M. & Cohen J. (1998)
Rubber hands ‘feel’ touch that
eyes see”NATURE Vol.391
本間元康 (2010). ラバーハンドイリュージョン:その現象と
広がり Cognitive Studies,17(4),pp.761-770
山本耕資郎,福村直博 (2010). ゴム手形状や手姿勢を変化さ
せた場合の Rubber Hand Illusion の解析 信学技報 IEICE
Technical Report Vol.117 pp.173-178
Yabuki K., Tsujita K., Goan M., Kihara S. & Okazaki K., (2014)
Point contact and relative motion of drawing can identify
individual traits, Proc. of IEEE Int. Conf. on Systems, Man
and Cybernetics (SMC), pp.1235-1240
謝辞
本研究は,科学研究費補助金(基盤研究(B),課題番号
Goan M.,Tsujita K.,Ishikawa T.,Takashima S.,Kihara S.,
26284035)の支援を受けて行った.研究遂行においては,実
Okazaki K. (2013). Perceiving the Gap: Asynchronous
験環境整備を含めたご協力および貴重な議論の機会をいただ
Coordination of Plural Algorithms and Disconnected Logical
いた大阪工業大学大学院生体医工学専攻の矢吹耕平氏ならび
Types in Ambient Space, WSH 2011 and IWNC2012,PICT 6
に urizen 主宰の木原 進氏に深く謝意を表したい.なお,研
pp.130-147
究の実験に関しては,その実施に際して大阪工業大学ライフ
Okazaki K. (2008). Robots create Humans : The definition of robot
サイエンス実験倫理委員会の審査の上,学長の承認を得てい
through,on the definition of human and art through robot,
る(承認番号:2013-42-1).
IROS2008 Workshop Art and Robots pp.9-11
引用文献
Roland Taal, S. & Sankai ,Y. (2010). PRACTICAL DESIGN OF
FULL BODY EXOSKELETONS-Stretching the Limits of
Weight and Power, Biomedical Electronics and Devices, pp.
133-138
Marasco, P. D.,Kim K,Colgate J. E.,Peshkin M. A.,Kuiken T.
A. (2011). Robotic touch shifts perception of embodiment to
a prosthesis in targeted reinnervation amputees, Brain Vol.134,
pp.747-758
高松淳 (2009). 人間動作の模倣・再現に関するビジョン技術
日本ロボット学会誌 Vol.27 No.6 pp. 622-625
Kudoh S.,Ogawara K.,Komachiya K.,Ikeuchi K. (2008). Painting
Simulation Using Robots IROS2008 Workshop Art and
Robots pp.39-45
Tresset P. & Leymarie F. F., (2013). Portrait Drawing by Paul the
Robot, Computers and Graphics, Vol. 37
Gallagher S. (2000). Philosophical Conceptions of the Self :
Implications for Cognitive Science, Trends in Cognitive
Sciences 4 (1) pp.14-21
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 35 - 36
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
人を取り巻く空気振動の知覚
─ 呼吸の質に対する影響 ─
Perception of Ambient Aerial Vibration:
Impact on Quality of Breathing
沢田
山下
護 (株式会社デンソー)1
宏 (日本音響エンジニアリング株式会社)2
大山
3
中島
晃一 (日本音響エンジニアリング株式会社)
中川
冨田
雄樹 (辻村外科病院)5
7
昌夫 (藤田保健衛生大学)
和田
三嶋
章徳 (辻村外科病院)4
陽介 (辻村外科病院)6
博之 (早稲田大学人間科学学術院)8
筆者らは、2012 年第 2 回生態心理学とリハビリテーションの融合研究会において、身体に快適で動きやすい
音場空間に関するデモンストレーションを実施した。この内容は、背臥位安静時の被験者の両サイドに空気振動
を拡散反射する部材を設置し、被験者の筋緊張の度合いを実験協力者が揺すりによって確認することであった.
その結果,殆どの被験者は拡散反射部材を置くと筋緊張が緩和した.本研究では,臍部に装着した加速度センサ
を使用して呼吸の質を分析し,人を取り巻く空気振動環境が人の呼吸活動に影響を与える事例を示す.
Keywords:
振動知覚,空気振動,呼吸数,拡散体
反射特性の違いが,その空気を媒体とする“振動知覚”を通
1
序論
自動車運転時,熟練者は直進時のハンドル保舵状態におい
じて人の呼吸や筋緊張に影響を与えると考え,これを検証す
る.
てもタイヤの接地感などを感じることができる.タイヤと路
面で発生する微小振動は,ステアリングリンク機構を介して
ハンドルに伝達される.熟練者はハンドルを保舵していると
きに,生体から生じる微小な振動をハンドルに入力し,タイ
2
方法
2.1
計測方法
人の呼吸と筋緊張の計測方法は,ベッド上背臥位にて安静
ヤから反射する振動を知覚している(沢田・伊能・三嶋, 2010).
時呼吸による腹部の動きを無線式 6 軸加速度センサ
この知覚能力を獲得するには,力を抜いてハンドルを保舵す
(WAA-006, ワイヤレステクノロジー社製)を用いて受信ソ
る技術の習得が必要である.
フト(Accel Viewer Hybrid, 上記同社製)で測定した。加速度
さらに熟練者は,自動車に乗車する時から車室内を環境と
センサの位置は臍より下方 1 横指(臍部),身体の頭尾
して認識し,知覚を始めている.ここでの環境とは,例えば,
(superior-inferior)方向で評価した (中島・中川・和田・
運転席に座ったことによる車体振動,ドアを閉めたことによ
冨田・沢田・大山・高田・八木・辻村, 2016).
る車室内空気振動などである.車体振動は身体とシートの接
2.2
“揺すり”による筋緊張状態の変化
触振動だけではなく,空気を媒体とした空気振動としても身
冨田(2002)の“揺すり”の目的は,支持面に接した身体部
体に伝達される.また,ドアを閉めたことで発生する空気振
分がそれぞれに筋活動で結合されずに独立した重心をもって
動は,車室内で反射し定在波を発生させることがあり,これ
支持面から支えられている状態であるパーキングファンクシ
らも知覚の対象となりうる.
ョンを実現することある.Figure 1 に,冨田の“揺すり”の前
このように自動車に乗り込んだだけでも様々な情報のピッ
後で計測した臍部加速度のパワースペクトルを示す.約
クアップが可能であり,熟練者はこれらの情報から,その自
0.25Hz のピークは呼吸周波数,約 1Hz のピークは心拍による
動車は運転すると呼吸が浅くなったり筋緊張を引き起こしそ
腹部大動脈圧の変動に起因する.特徴は,揺すり後に 2Hz と
うだと予感する.本研究では,人を取り巻く環境の空気振動
3Hz のパワーが減少していることである.ヒトが活動してい
1 Mamoru SAWADA (DENSO CORPORATION): [email protected]
2 Hiroshi OYAMA (Nihon Onkyo Engineering co., Ltd.): [email protected]
3 Kouichi YAMASHITA (Nihon Onkyo Engineering co., Ltd.): [email protected]
4 Akinori NAKASHIMA (Tsujimura Surgical Hospital): [email protected]
5 Yuuki NAKAGAWA (Tsujimura Surgical Hospital): [email protected]
6 Yousuke WADA (Tsujimura Surgical Hospital): [email protected]
7 Masao TOMITA (HUJITA HEALTH UNIVERSITY): [email protected]
8 Hiroyuki MISHIMA (Waseda University): [email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
36
M. Sawada, H. Oyama, K. Yamashita, A. Nakashima, Y. Wada, M. Tomiya and H. Mishima
る際は,身体の物理的・運動学的リズムと脳の神経的リズム
の統合が,大脳基底核によりおよそ 2Hz で実現されていると
考えられる(冨田, 2016).したがって,ベッド上背臥位での安
静時呼吸時においても,身体の動きの基本周波数である 2Hz
の活動はいつでも準備状態になっていると推測され,“揺す
り”はその活動パターンに影響を与えたと考えられる.
Figure 3 柱状拡散体の設置状況.
呼吸数に関する分散分析に有意差は認められなかったが,
柱状拡散体“有”では呼吸数の多かった被験者では呼吸数が
少なくなり,逆に少なかった被験者では多くなる傾向が読み
取れた.I:E 比(吸気時間呼気時間比)に関する分散分析では
試行間で傾向差が確認された(F(1,5)=3.07, p <.10).試行間の多
重比較(LSD 法)を行った結果,柱状拡散体が“無”から“有”
Figure 1 (左)揺すり前,(右)揺すり後の加速度パワー
スペクトル.
に移行する局面で有意差が認められた(MSe = 0.077,p<.05.).
柱状拡散体が“無”から“有”となったときに呼気相の比率
が上昇し,その効果は柱状拡散体が“無”となっても持続す
Figure 2 に,臍部加速度(1Hz, LPF)の時間波形を示す.呼
気開始タイミングは▲,吸気開始タイミングは▼で示した(中
島他, 2016).呼吸数は,揺すり前では平均 12.9 回,揺すり後
で は 平 均 11.2 回 と 減 少 し て お り , t 検 定 (t (18)=4.786,
p<.0001)で有意差があった.
ることが示された.
3
結果と考察
本研究では,被験者の両サイドに柱状拡散体を設置するこ
とで筋緊張が緩和し,呼吸数に変化を与える結果が得られた.
これは人を取り巻く空気振動特性の変化を自覚することなし
に知覚し,生体活動としての呼吸活動を平衡に近づける影響
をもたらすことが示された.但し,空気振動の何が変わって
このような効果が得られたのかについては不明であり,その
機序の特定は今後の課題である.しかし,身体に快適な環境
をリハビリ室に適用することにより,患者の呼吸改善,理学
療法士の揺すり効果の向上が期待できる可能性が示唆される.
引用文献
Figure 2
(上段)揺すり前,
(下段)揺すり後の加速度.
沢田 護・伊能 寛・三嶋 博之 (2010). 一端を把持し、もう一
端を対象表面に接触・静止させた棒による対象の知覚
第 3 回日本生態心理学会発表論文集, 74-77.
2.3
空気振動の拡散による呼吸の変化
参加者は成人男性 6 名(平均年齢 27.0 歳)であり,実験に
際し,全参加者に対して本実験の目的と手順を説明し,十分
な理解の上で参加の同意を得た.
柱状拡散体の特徴は,入射する音波が空間的・時間的に散
乱するように設計され,低音域の定在波を抑制し、中高音域
冨田 昌夫 (2016). ヒトの動作を再考する-リズムの持つ意
味の検討―
第 4 回生態心理学とリハビリテーションの
融合研究会資料
冨田 昌夫 (2002). 無自覚へのアプローチ(1)藤田リハビリ
テーション医学・運動学研究会会報
第 8 号,
中島 章徳・中川 雄樹・和田 陽介・冨田 昌夫・沢田 護・大
の緻密な響きをもたらすことである (山下・佐古, 2010).
山 宏・高田 勇・八木 崇行・辻村 享 (2016).
Figure 3 として,柱状拡散体を被験者の両サイドに設置した状
計を用いた安静時呼吸評価の可能性 第 32 回東海北陸理
況を示す.全ての被験者の申告では,柱状拡散体を設置して
学療法学術大会(予定)
も特に変化を感じないとのことであった.
実験手順として,(1)柱状拡散体無し,(2) 柱状拡散体有り,
(3) 柱状拡散体無しの 3 試行を連続して実施し,各試行の継
続時間が 2 分,試行間のインターバルは 1 分と設定した.開
眼/閉眼についての指示は行わなかった.
加速度
山下 晃一・佐古 正人 (2010). ルームチューニング機構
AGS/SYLVAN の導入事例
グ
技術ニュース第 30 号
日東紡音響エンジニアリン
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 37 - 40
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
空気流動を遮蔽する物体の知覚
Perception of Occluding Objects by Air Flow
伊藤
精英(公立はこだて未来大学)1
三嶋
沢田
護(株式会社デンソー)2
博之(早稲田大学)3
空気流動を利用して物体の形状を知覚できることを明らかにするために実験を行った.予備実験では扇風機を
利用して空気流動を起こし,空気の動きを遮断する物体の形状により空気流動がどのように変化するかを検討し
た.その結果,遮蔽する物体由来のうなりが生じることが示唆された.そこで,うなりを振動発生機から出力し
て空気振動を発生させ,遮蔽物による振動の変化を分析した.その結果,遮蔽物の形状に特有の波形及びスペク
トル構造を得た.物体の形状の違いによる振動の差異を触覚によって弁別できるかを検討した結果,チャンスレ
ベル以上の確率で形状由来の振動パターンを弁別することができた.本報告では,空気振動配列の構造が光学的
配列と同様に物体表面の状態を反映するテクスチャーであることについて言及する.
Keywords:
1
空気流動,サウンドテクスチャー,空気振動,遮蔽,知覚
はじめに
る条件では 75%の確率で壁面の近傍で停止することがで
きた.停止できた際の手指の生理的振戦を測定すると,
媒質である空気は多くの知覚システムが利用する情報
Figure 1 のように壁面が左近傍にある場合,手指が露出し
を提供する.光波はその物理的性質から視覚システムによ
ている条件では左の手指の振戦パワーが右の手指よりも
って,環境に存在する物体表面の微細な構造までをも特定
増加していた.右近傍の場合も同様であった.一方,手指
可能にする.空気流動により拡散する化学物質は,嗅覚シ
も含めて覆った条件では,手指の振戦に左右差は見られな
ステムによってその源についての情報を提供する.空気の
かった.つまり,壁面に向かって移動する場合,遮音して
疎密波は耳において聴こえという現象を生じさせ,身体皮
いても,感受性の高い皮膚表面が露出していれば大きな物
膚表面の触覚受容器に対して機械的刺激ともなる.つまり,
体の知覚が可能であること,さらに,物体に近い側の手指
空気流動は聴覚と触覚を同時に活性化させる可能性を含
の振るえが大きくなることが示された(Ito, et. al, 2011)
.
んでいると思われる.
従来,盲人の障害物知覚のメカニズムは,直接音に対す
る反射音の時間遅延の知覚とされている.一方,盲人の内
省報告によれば,壁面や支柱などの大きな物体が近傍にあ
るとき,遮蔽感とともに圧迫感を伴うとされる.伊藤
(1998)が行った盲人のナビゲーション観察では,「壁が
なくなり空間が広がりました」「風が吹いています」「柱
の圧迫感があります」などの発話が得られ,障害物知覚に
おいて空気流動が触覚的な手がかりをも提供しているこ
とを示唆する.
これまで筆者らは空気の微細な動きが物体の存在の知
覚に果たす役割について実験を行ってきた.障害物知覚を
有する盲人を被験者とし,手指以外の皮膚表面を覆いかつ
遮音した条件と,手指も含めて覆いかつ遮音した条件で,
壁面への接近実験を行った.その結果,手指が露出してい
Figure 1
左近傍に壁面がある場合の手指の生理的振
戦 STFT
1 Kiyohide ITO (Future University Hakodate): [email protected]
2 Mamoru SAWADA (DENSO CORPORATION): [email protected]
3 Hiroyuki MISHIMA (Waseda University): [email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
38
K. Ito, M. Sawada and H. Mishima
Ito, et. al(2015)では,被験者が静止した状態で,物体
が壁面のように大きい物体でない場合の距離知覚の可能
性を検討した.被験者の手指を固定し,手指の先端から
10mm と 200mm の位置にコンクリートブロック片を置き,
その物体までの距離を判断させた.被験者は 1 名であった
が,7 割程度の確率で遠近を判断できた.ただし,200mm
以上離れた所に物を置くと,200mm との区別はできなか
った.距離判断中の手指の生理的振戦を解析すると,12Hz
以下の周波数でパワーの変動が認められた.これらのこと
から,被験者が静止していても,音響情報なしに物体の知
覚が可能であることが示唆された.つまり,手指の表面の
触覚受容器を活性化する機械的刺激,言い換えれば空気の
流動が,近傍に存在する物体の知覚を支持する情報を提供
しうると考えられる.
障害物知覚を音響学的に説明する場合,大きく 2 つの要
Figure 2
遮蔽条件の違いによる空気流動の振幅包絡線
因が想定される.物体による音の遮蔽と,直接音と反射音
との位相干渉である.本稿では,物体による遮蔽の効果を
が,円柱_曲面条件,角柱_辺条件では振幅崩落の強弱が見
検討する.表面の形状が異なる物体が空気の流動を遮蔽す
られた.これはある意味で,
「うなり」
(beat)と見ること
る条件を設定し,遮蔽の有無及び物体の形状の違いの判断
ができる.物体に空気が接触し,物体の表面で「渦」
の可能性について検討した.
(vortex)などの空気の乱れが生じ,空気流動が変化した
といえる.つまり,遮蔽物の形状に依存した空気流動の変
2
予備実験
2.1
物体で空気流動を部分的に遮蔽した際,その空気流動に
どのような変化が生じるかを検討するため,予備的に実験
を行った.
2.2
2.2.1
容が,うなりという現象として現れることが示唆された.
目的
方法
装置
空気流動は円錐形の物体を取り付けた小型の扇風機(羽
3
物体による遮蔽と空気流動の変化
3.1
目的
予備実験により,物体による空気流動の変化がうなりと
いう振動現象として記述できる可能性が得られた.そこで,
振動発生機でうなりを出力し,遮蔽物の形状による空気振
動の変化を解析した.
の全長 29mm,幅 21mm)により起こした.
2.2.2
記録方法
扇風機から 30mm 離れた場所にマイクロフォンを固定
し,扇風機からの空気流動を記録した.
2.2.3
測定条件
① 統制条件:扇風機とマイクロフォンの間に物体を設
置せずに,扇風機から発生する空気流動を記録した.
② 円柱_曲面条件:扇風機とマイクロフォンの間に直径
6mm の円柱を固定し,空気流動を記録した.
③ 角柱_辺条件:円柱と同じ位置に 4mm×4mm の角柱
の一辺を扇風機に向けて固定し,空気流動を記録した.
④ 角柱_面条件:上記と同様の角柱の平面を扇風機に向
けて固定し,空気流動を記録した.
2.3
結果
Figure 2 に各条件の振幅包絡線を示す.統制条件の空気
流動はノイズ様であり,周期性や断続性は見られなかった
Figure 3
実験装置の配置
空気流動を遮蔽する物体の知覚
3.2
3.2.1
方法
3.3
装置
3.3.1
39
結果
波形
Figure 3 のような実験状況で,振動発生機から出力され
Figure 4 に,出力信号および各条件ごとに記録された波
た振動をマイクロフォンで記録した.統制条件では遮蔽物
形と包絡線を示す.注目すべきは,各条件の最大振幅の現
を置かなかった.遮蔽条件では,振動発生機から約 140mm
れる時刻である.3Hz のうなりであるので,出力信号は
離れた距離に遮蔽物を固定し,その物体から 15mm 離れた
1/2 周期の時刻にあたる約 0.167 秒になっている.それに
位置の空気振動を記録した.
対して,各条件の最大振幅の時刻は相対的に後方にずれる
3.2.2
傾向が見られた.最大振幅が大きく遅延する条件は順に,
条件
① 統制条件:振動発生機とマイクロフォンの間に遮蔽
物を置かずに記録した.
② 円柱_曲面条件:円柱(直径 30mm,長さ 150mm)を
角柱_辺条件,円柱_曲面条件,木板_平面条件,統制条件
であった.振幅値のずれは,物体による遮蔽によって空気
振動波が変形したことを意味する.さらに遮蔽物の形状に
固定し,円柱の曲面を振動発生機の振動板に向け,物体越
より波形自体が異なることも示された.
しに空気振動を記録した.
3.3.2
③ 角柱_辺条件:角柱(対角線 30mm,長さ 150mm)の
周波数解析
Figure 5 に各条件ごとのパワースペクトルを示す.全て
1 片を振動発生機に向け,物体越しに空気振動を記録した.
の条件で 3Hz にピークがある.3Hz 付近のパワーを見てみ
④ 木板_平面条件:MDF ボード(150mm×202mm×
ると,ピークの立ち方が各条件で異なっていた.3Hz から
5mm)の平面を振動発生機に向け,物体越しに空気振動を
13Hz までを見てみると,スペクトル分布は統制条件と円
記録した.
柱_曲面条件が類似していた.スペクトルレベルを見ると,
3.2.3
この周波数帯域のパワーは統制条件と円柱_曲面条件が最
出力波
振動発生機から出力した波は,50Hz の純音を 3Hz で振
幅変調した低周波うなりとした.
3.2.4
も高く,次いで木板_平面条件と続き,最も低いのは角柱_
辺条件であった.13Hz から 17Hz のスペクトルを見ると,
手続き
振動発生機から低周波振動を出力し,各条件で 60 秒間
記録した.
Figure 4
遮蔽条件の違いによる空気振動の波形と包
絡線
Figure 5
遮蔽条件の違いによる空気振動のパワース
ペクトル
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
40
K. Ito, M. Sawada and H. Mishima
角柱_辺条件,木板_平面条件が他の条件に比べて山型の形
4.3
結果と考察
Table 1 に 5 名分の回答を合計した正同定率を示す.正
状を示しており,相対的にこの帯域のパワーが高かった.
パワーのへこみ(dip)を見てみる.約 7Hz 以下では円
しく判断された割合は 3 割から 7 割強までの広い範囲にわ
柱_曲面条件では大きなへこみは見られないが,角柱_辺条
たるが,概して 6 割程度で正しく判断されたといえる.こ
件では大きなへこみが多数見られた.このことは,角柱と
れにより,チャンスレベルよりも若干高めという程度であ
いう形状に依存する周波数の減衰が生じ,さらにそれが遮
るが,振動パターンの違いは,ある程度判断されていたと
蔽物に特徴的なスペクトル構造となっているといえる.
思われる.ただし,弁別判断の正確性には条件の組み合わ
3.4
せ及び提示順序によりばらつきが見られたことから,さら
考察
遮蔽物体越しに空気振動を記録してみると,波形及びパ
なる検討が必要であろう.
ワースペクトルに違いが表れた.波形が変形した原因とし
ては,物体による空気振動の反射,回折が考えられる.円
柱の曲面は空気振動波が湾曲した表面に沿って回り込む
5
まとめ
本実験により,空気流動が物体によって遮蔽されると,
ことを可能にする.角柱の 1 辺に空気振動が衝突すると,
音圧の減衰のみならず,物体表面の形状に依存した振動波
振動板に向いている 1 辺で空気振動が鋭角に曲げられ,2
形の変化が示唆された.さらに,振動波形の変化はある程
面で反射した後,他の 2 辺により回折する.この過程によ
度,触覚・機械的受容器により判別できることも示唆され
って独特な位相干渉が生じ,特定の周波数成分の減衰や増
た.ただし,今回の振動解析及び心理実験には課題もある.
大が生じたと考えられる.
例えば,本報告で使用したマイクロフォンは仕様上,低周
光配列においては明暗のパターン,あるいは色素のパタ
波振動を記録する方法としては適切とは言えない.さらに
ーンが光を反射する物体表面の肌理を反映する.同様に,
心理実験においては正答率のばらつきが大きかったこと
音響配列においても,音波の振幅パターンが事象生成音を
から,振動刺激の提示方法や実験手法にも改善の余地があ
反映し,反射音の振幅パターンが反射面の肌理や配置を反
る.今後はこれらを検討し,本実験で得られた知見の妥当
映しており,伊藤はこれらをサウンドテクスチャーと呼ぶ
性を高めることとする.
ことを提唱した(伊藤,2013).今回の解析で得られた示
唆は,空気振動が物体によって遮蔽されたとき,物体越し
引用文献
に捉えられる空気振動は,遮蔽している物体の表面の形状
伊藤精英 (1998).どのようにして盲人は環境内を移動す
を反映するといえる.つまり,これもまたサウンドテクス
るのか:ウェイファインディングに対する生態心理
チャーであるといえる.
学的アプローチ
4
Ito, K., Inou, K., Sawada, M., & Mishima, H. (2011). Effect of
振動パターンの弁別実験
4.1
air-flow perception on reaching movements. presented at
目的
the 16th International Conference on Perception and
形状の異なる遮蔽物により生じた空気振動を弁別でき
るか否かを心理実験により検討した.
4.2
認知科学,5(3),25-35.
Action.
Ito, K., Takiyama, M., Kikuchi, Y., Sawada, M., & Mishima, H.
方法
(2015). Medium facilitates the perception of affordances
提示される刺激は 3.3 の解析で使用した録音データと
した.3.2.2 の 4 条件のうち,2 条件の振動を一対として
振動発生機から出力し,二つの振動が同じか否かを回答し
た.被験者は成人 5 名であった.
of touch. presented at the 18th International Conference
on Perception and Action.
伊藤精英 (2013).サウンドテクスチャー ―日常音環境の
知覚を可能にする情報単位
村田純一(編)
知の
生態学的展開 第 2 巻 技術(pp. 47-80) 東京大学出
Table 1 一対比較による振動パターン弁別の正答率[%]
統制条件
円柱_曲面条件
角柱_辺条件
統制条件
54.2
54.2
45.8
円柱_曲面条件
70.8
45.8
54.2
角柱_辺条件
75.0
33.3
54.2
版会
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 41 - 43
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
俳優の演技デザインの変遷
─ ひとり芝居の創作実験の分析 ─
Technique of Acting:
Analysis of Making a Monodrama
佐藤
由紀(玉川大学)1
佐々木
青山
慶(東京大学)2
正人(東京大学)3
俳優という職業における中心的技術の一つは,
“不在の環境(佐藤, 2004, 2006)
”の現出である(ブルッ
ク, 1993)
.それは,紙上に書かれたテキストを俳優の身体というメディアによって“行動を現在化(グイ
エ, 1976)
”することでもある.そこで本研究では,プロの俳優 2 名に一人芝居の上演戯曲を基に,40 時
間(4 時間/日×10 日間)の稽古で演技を組み立てるよう依頼し,その稽古過程を観察および分析した.
Keywords: 演技,生態学的事象,ジェスチャー,マルチモーダル分析,身体化された発話行為
所属劇団がプロデュースする芝居の他,海外テレビドラマ
1
はじめに
の吹き替え声優としても活動している.
俳優という職業における中心的技術の一つは,“不在の
環境(佐藤, 2003, 2006)
”の現出である(ブルック, 1993)
.
2.2
実験手続きと環境
それは,紙上に書かれたテキストを,俳優の身体というメ
俳優 2 名に対して,稽古期間および最終日に“本番”が
ディアによって“行動を現在化(グイエ, 1976)
”すること
あること以外の情報を,実験前にいっさい知らせず,実験
でもある.そして,その行動は“再現された行動(シェク
初日に初めて稽古場に案内し,上演戯曲(以下,“台本”
ナー, 1998)
”として“現在化”されなければならない.
と記す.
)を渡した.
この一見矛盾しているようにも感じる“再現された行
1 日 4 時間×10 日間の稽古期間を設け,11 日目に“本
動”の“現在化”を,どのようなアプローチでうみだして
番”という形で観客の前で演技の発表をおこなった.実験
いるのか.プロの俳優を対象に,一人芝居の上演戯曲を
5 日目,10 日目に 2~4 名の見学者を稽古場に入れた.
40 時間の稽古で組み立てるよう依頼し,その稽古過程を
観察および分析した.
俳優には“稽古日誌”を渡し,稽古中や稽古後の思考や
気づきを記録するように依頼した.
実験者は,稽古場および本番にて,“フィールド・ノー
2
方法
2.1
参加者
ト”に俳優の発言や動き,実験者自身の発言等を記録した.
稽古場および本番会場では、4 台のカメラ(正面・上手・
実験の参加者はプロの俳優 2 名(A・B)で,両名とも
下手・背面)を設置し,その一部始終を記録した.設置カ
年齢は 40 代,性別は男,演技歴は 15 年以上あり,社会的
メラに稽古過程の全容が写るよう,稽古場の演技エリアは
に一定の評価を受けている劇団に 10 年以上所属していた.
幅 3050mm×奥行き 2670mm とし,俳優自身の演技や表情
2 名の演技歴の背景は以下の通り.A は,学生劇団がプ
の確認がおこなえるよう,
正面に幅 900mm×高さ 1850mm
ロへと展開した“独立系演劇(角田,2000)”の劇団に所
のキャスター付き鏡を置いた.本番では,演技エリアをど
属しつつ,さまざまな表現形態の現場(アカペラ,アング
のような形でどのくらいの大きさでおこなうか,について
ラ演劇,インプロヴィゼーション)へもコミットしている
は演技プランの一部となるため,各俳優に任せた.
俳優である.B は,大学卒業時に“老舗”の新劇系劇団の
研究生となり,その後そのままその新劇系劇団に所属し,
1 Yuki SATO (Tamagawa University): [email protected]
2 Kei AOYAMA (The University of Tokyo): [email protected]
3 Masato SASAKI (The University of Tokyo): [email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
42
Y. Sato, K. Aoyama and M. Sasaki
3
分析と考察
3.1
共通点
稽古過程において俳優両名が共通しておこなっていた
ことは,以下の通りである.
①
ることで,動作を探索する.
③
環境の設定:舞台上の環境を整理する.
1 回(4 時間)の稽古で 1 つの目的のみの稽古となること
はほとんどなかった(Table 1 参照)
.
Table 1 目的による稽古内容の分類
稽古の全日程において,稽古開始時に台詞の暗唱を
おこなう.
②
稽古初日に台本を一度黙読した後,音読をする.
③
稽古初日におおよその演技エリア内の装置や小道
具のセッティング位置(舞台上の環境)を決定する.
④
稽古前半で,台本内の気になる言葉の“言い回し”
や“アクセント”を声に出して何度も確認する.
⑤
稽古場に見学者が入った稽古日は“通し稽古”をお
こなう.
“①稽古開始時の台詞の暗唱”は,両名とも本番当日も
含めおこなっていた.稽古や本番当日のスタート時に台詞
の暗唱をおこなう際,両名とも台詞の“音の響き”を確認
するような仕方がほとんどであった.
稽古初日は,両名とも“②黙読や音読”をし,台本に描か
れている物語の流れを確認した上で,“③舞台上の環境”
を決定していた.しかし,両名とも初日に決定した“舞台
俳優 A は,
稽古全日程において毎回“①台詞の音の検討”
をおこなっていた.これは,俳優 A が台詞を暗唱できる
ようになるのに時間がかかったこと,音の響きにこだわり
をもってアプローチしていたことが要因と考えられる.
俳優 B は,稽古前半期間(初日~5 日目まで)は“①台
詞の音の検討”,“②-(a)動作の探索”,“③環境の設定”が繰
り返しおこなわれていたが,稽古後半期間(6 日目~10
日目)は,主に“②-(b)イベント順序の生成”に費やされた.
上の環境”がそのまま本番の環境にはならなかった.
また,稽古前半では両名ともに台詞の“意味内容”より
も“音の響き”に重点がおかれていた.これは“台詞を覚
える”という目的が大きいようにみうけられた.
見学者が入った稽古日(5 日目,最終日)は,台本の最
初から最後までを演じる“通し稽古”を,両名ともおこなっ
3.3
考察
稽古初日に舞台上の環境を決定しても,必ず変更がとも
なう.にもかかわらず,初日に両名が台本黙読後すぐに“舞
台上の環境”を設定したのは,台本という紙上のテキスト
を俳優の身体を通し“行動を現在化”するためには,まずそ
の行動の拠り所となる“環境”が必要であるということが
ていた.
うかがえる.
3.2
目的による分類
10 日間の稽古を観察,分析し,その目的から大きく 4
種類に分けた.
見学者が入った稽古日(5 日目,最終日)に“通し稽古”
を,両名ともおこなっていた.これは,演劇表現の特性の
一つは一回性であり,その場には“観客”を伴う.言い換
えれば,演劇表現は舞台上の俳優と座席にいる観客のイン
①
台詞(言葉)の音の検討:
台詞の音の響き,リズム,イントネーション等に
重きをおいて検討することを目的として,稽古を
おこなう.
②
台詞(言葉)の身体化:
台詞の示す「意味」を探索することを目的として
稽古をおこなう.
(a) 動作の探索:主に動作によって,台詞の示す「意
味」を探索する.
(b) イベント順序の整理:物語の中で展開される
「イベント(Gibson, 1979)
」の順序を整理す
タラクションによるイベントの生成である.そういった意
味で,見学者がいる稽古場は,俳優にとっては“本番”に近
い場を生成することができるため,“通し稽古”をおこなう
ことで,“本番”で生成されるであろう観客とのインタラク
ションの可能性を探っていたと考えられる.
稽古をその目的で分類したところ,俳優 A が稽古期間の
ほとんどを“①台詞の音の検討”に終始していたのに対し,
俳優 B は,稽古前半期間では“①台詞の音の検討”,“②-(a)
動作の探索”,“③環境の設定”を,稽古後半期間では,主
に“②-(b)イベント順序の生成”を目的としていた.これは,
それぞれの俳優としての歴史的背景が影響を与えている
俳優の演技デザインの変遷
43
のではないだろうか.俳優 A の所属する“独立系劇団(角
田,2000)
”は,
“インプロ”とよばれる“即興演劇”を基に
芝居を組み立てるという,1980 年代から 90 年代当時流行
したやり方でプロへと成長した劇団であった.一方,俳優
B の所属する“老舗”の新劇系劇団は,養成所があること
からもうかがえるように,
“演技を教えるシステム”が整っ
ており,演技の“メソッド”がある.紙上のテキストを身
体化していくにあたり,俳優 B はその方法に迷いがない
ように見受けられた.実験後の内省でも,特に手順につい
ての混乱はなかった,と述べていた.
4
今後の課題
今回は,演技デザインの変遷を,稽古で起こっていたイ
ベントと目的から分析した.稽古内でどのようなイベント
が起こり,それがどのように変遷したのか,を数時間とい
った単位で区切った.
今後は,具体的な演技(動作)を数分から数秒という単
位で区切り,“現在化”された行動をどのように作り出し
ているのか,を検討する.
謝辞
本研究は科研費基盤研究(C)「演技における発話構造
デザインの探索」(JSPS 科研費 24603004)の助成を受け
たものです.
引用文献
Gibson, J. J. (1966). The Senses Considered as
Perceptual Systems. Houghton Mifflin Company.
(J.J.ギブソン 佐々木正人・古山宣洋・三嶋博之(監
訳)(2011). 生態学的知覚システム 東京大学出版会)
Gibson, J. J. (1986). The ecological
approach to visual
perception. Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.
(Original work published in 1979)
グイエ,アンリ
佐々木健一(訳)(1976). 演劇の本質
TBS ブ リ タ ニ カ (Gouhire, H. 1943 L’Essence du
theatre. Plon)
佐藤由紀 (2004). イッセー尾形の舞台における協調の分
析
生態心理学研究,1(1),73-83.
佐藤由紀 (2006). 一人芝居の身体-イッセー尾形の 1 分
間
佐々木正人(編著)アート/表現する身体―アフ
ォーダンスの現場
シュクナー,リチャード
ォーマンス研究
東京大学出版会
pp. 55-85.
高橋雄一郎(訳)(1998). パフ
人文書院
角田達郎 (2000). 日本演劇の「現在」素描
淑徳国文 (愛
知淑徳短期大学),41, 63-80.
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 44 - 47
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
触知覚を与える生理的振戦
Physiological Tremor Bringing Haptic Perception
長谷川
伊藤
愼哉(公立はこだて未来大学)1
精英(公立はこだて未来大学)
3
吉田
彩乃(公立はこだて未来大学)2
櫻沢
繁(公立はこだて未来大学)4
繊細な物に触ろうとするとき,指の生理的振戦が心理的要因と無関係に変化することが知られている.このよ
うな生理的振戦は,触知覚において何らかの機能を持っている可能性がある.そこで本研究では,柔らかい物を
指で触れ,柔らかさを触知覚するとき,筋の電気生理的な活動から振戦の生成因を明らかにすることを目的とし
た.その結果,柔らかい物に触れている時,指関節の運動に寄与する拮抗筋のスパイク状の活動が大きかった.
これらの実験事実より,柔らかい物に触れている時の生理的振戦は,加えた力に対する指の動きによる筋紡錘脊髄反射系から引き起こされていると考えられる.
Keywords:
触知覚,振戦,ダイナミックタッチ,筋電位
期待される.
1
はじめに
そこでこれまで我々は,指で柔らかい固体を触るときの僅
人間の身体は常に振るえている.この振るえは「振戦」と
かな柔らかさの違いを弁別する状況において,指先に 10Hz
呼ばれ,さらに病理的振戦と生理的振戦とに分けられる.病
の振動子を装着し,加振時と非加振時との条件下で硬度弁別
理的振戦は身体運動調節機能の病的欠陥である一方,健常者
能の差を調べた.その結果,加振時には非加振時に比べて柔
であっても人間の身体は多かれ少なかれ生理的振戦として常
らかさの弁別を正確に行えることが分かった.すなわち,振
に 10Hz 前後で振動している
(坂本・清水・水戸・高野倉, 2009)
.
動は柔らかさの知覚を増幅する働きがあることを明らかにし
日常の経験の中で繊細な物に触ろうとすると,個人差はあ
た(能戸・櫻沢・伊藤, 2014; 櫻沢・能戸・伊藤, 2014; Sakurazawa,
りながらも指の振戦の増大を経験する.この様な振戦は心理
Noto & Ito, 2015)
.
的緊張による主働筋と拮抗筋の不協調によるものと解釈され
しかしながら,この時,指は受動的に動かされているだけ
る一方で,指の振戦は心理的要因と無関係に変化することが
である.本来,生態心理学的なアプローチによれば,知覚は
知られている.例えば,目隠しをした人が壁に近づく時,壁
環境への能動的な働きかけそのものである.その点に留意す
の接近に伴って振戦が大きくなる (Ito, Inou, Sawada &
るならば,振戦の振動は身体の能動的な生理的活動と密接に
Mishima, 2011).目隠しにより視知覚を遮られているため,
かかわりあっている必要がある.そこで昨年度の研究結果を
視知覚以外の知覚による環境探索が重要になってくる.視知
踏まえて,今年度の研究では,柔らかいものを触って,その
覚以外の知覚としては,聴覚等様々なものが挙げられる中,
柔らかさを知覚しようとしているときの振戦の生成因として
触知覚もその一つとして重要になってくる.そのような状況
の筋活動を筋電位によって検出することとした.
で,手の指の振るえが大きくなったということから,手の指
の振るえは単に緊張や運動調節機能の低下によるものだけで
はなく,触知覚を与えるための機能としての無意識且つ積極
的な運動と考えることもできる.
一方,振動が触覚に与える影響は多く研究されており,触
覚に関して振動を利用する研究は、アクティブセンシングや
2
実験方法
23~47 歳の健康な男女 3 名について,示指で被触検体を触
知覚している時の前腕部の筋電位,及び指先の加速度を同時
に記録した.
2.1
被触検体
タクタイルセンシングとして人工現実感の分野で広く研究さ
被触検体としての柔らかい固体には,作成が容易であるこ
れてきた(福本, 1995; 岩村, 2007)
.このような振戦を考慮す
と,且つゼラチンの濃度によって硬度をほぼ線形にコントロ
るにあたって,上述のように振戦が触知覚を与える積極的な
ール可能であることから,ゼラチンゼリーを選んだ.
運動であるとすれば,振動によって触知覚能が高まるものと
1
2
3
4
50ml ビーカーにゼラチンをそれぞれ 0.5g, 1.0g, 1.5g, 2.0g,
Shinya HASEGAWA (Future University Hakodate): [email protected]
Ayano YOSHIDA (Future University Hakodate): [email protected]
Kiyohide ITO (Future University Hakodate): [email protected]
Shigeru SAKURAZAWA (Future University Hakodate): [email protected]
触知覚を与える生理的振戦
45
2.5g, 3.0g 量り取り,純水を加えて 50ml とした.撹拌しなが
し,自作の信号増幅器で信号を増幅した後,A/D 変換器によ
ら加熱し,90℃以上で完全に溶解してから 4℃まで冷却し,
って PC に記録した.
ビーカーから抜き取って使用した.
3
2.2
触知覚実験
Figure 1 に示すように,被験者は,示指をまっすぐに伸ばし,
結果と考察
6 種類のゼラチン濃度で作成したゼリーに触れている時に
加えて,空中で指示している時,及び机に触れている時の総
示指の末節の中央が,ゼリーの中央に位置するように示指を
指伸筋と浅指屈筋の筋電位を調べた.その代表的な結果を
置いた.
Figure 2 の(a)~(h)に示す.
この状態で手首や腕に力が入らないよう,前腕部の肘と手
首及び手掌を台の上に載せ,台の高さを調節し,指先から肘
ゼリーが柔らかくなるにつれ,総指伸筋のスパイク状の活
動が強くなった.
にかけて水平になるようにした.示指以外の指は自然な形で
脱力するように指示した.更にゼリーの柔らかさが感じられ
るよう力を調節してもらった.
(a)
机に指を触れた時
Figure 1 ゼリーの柔らかさを触知覚している時の筋電位計
測および指先の加速度計測
2.3
筋電位計測
ゼリーの柔らかさを触知覚している時の指の運動に関連す
る代表的な 2 つの筋について,それらの活動の情報を筋電位
で計測した.
自作のアクティブ電極と自作の筋電位増幅回路を用いて筋
電位を計測し,A/D 変換器(AD Instruments, PowerLab)を経
(b) 空中で指示した時
由して PC に記録した.
2.2 節で記したように,肘と手首及び手掌が固定されている
ことから,示指の運動はほぼ浅指屈筋と総指伸筋によるもの
と考え,それぞれの筋に沿って電極を並べて貼り付けた.示
指を動かした時,最も大きく動く場所を中心に,筋繊維方向
に沿って各筋にそれぞれ 8 個の電極を 2cm 間隔で一列に並べ,
各電極間で 7 チャンネルの双極誘導を行った.各チャンネル
で計測された信号を比較し,信号の伝播方向と伝播に伴う信
号の減衰から神経筋接合部を判定し,神経筋接合部と考えら
れるチャンネルの両隣を比較して大きな信号が得られている
チャンネルで計測された信号をその筋の活動と考えた.
(c)
2.4
3.0g ゼラチンのゼリーに触れている時
加速度計測
示指の爪の上に加速度センサ(Kionix KXR94-2050)を装着
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
46
S. Hasegawa, A. Yoshida, K. Ito and S. Sakurazawa
(d)
2.5g ゼラチンのゼリーに触れている時
(h)
0.5g ゼラチンのゼリーに触れている時
Figure 2 各条件における総指伸筋と浅指屈筋の筋電位
また,指に装着した加速度センサーの出力値の RMS につい
て全ての被験者の平均値を Figure 3 に示す.柔らかい時に振
動が大きくなっていることが分かった.
(e)
2.5g ゼラチンのゼリーに触れている時
Figure 3 ゼラチンの柔らかさに対する加速度センサーの
出力値の RMS
(f)
2.0g ゼラチンのゼリーに触れている時
一方,筋電位信号の RMS について,全ての被験者の平均値
を Figure 4 に示す.黒丸・実線が浅指屈筋で,白丸・破線が
総指伸筋を表す.セリーが柔らかくなると,総指伸筋の活動
が大きくなり,浅指屈筋は中程度の柔らかさで最も強くなる
傾向にあった.ゼリーが柔らかくなると指の沈み込みを防ぐ
ように指を引き上げる総指伸筋が活動しているが,浅指屈筋
はいつも活動を続けていることが分かった.
しかしながら,ゼラチンの濃度の変化に対して EMG の値
の変化は,加速度センサーの値のそれに比べると変化が少な
かった.硬いものを触って指の震えが止まっていても,絶え
(g)
1.0g ゼラチンのゼリーに触れている時
ず筋は活動し続けていることが分かった.
触知覚を与える生理的振戦
佐々木正人
(1994).
47
アフォーダンス―新しい認知の理論.
岩波書店
三島博之
(2000).
エコロジカル・マインド―知性と環境を
つなぐ心理学. 日本放送出版協会
Figure 4 ゼラチンの柔らかさに対する筋電位の RMS
これらの実験事実より,柔らかいものに触れる時の指の振
るえは,硬いものを押したり柔らかい時に指を支えたりと,
絶えず指を保持しようとする持続的な筋活動の他に,拮抗筋
のスパイク状の活動が変化していることがわかった.これは,
ゼリーを押したとき,指の動きから筋紡錘が反応してその指
の動きを止めようとする脊髄反射が起きているためであると
考えられる.柔らかい時には特に指が動きやすく,そのため
脊髄反射も大きくなり,その反射がまた次の脊髄反射を引き
起こすという具合に,振るえを生んでいる可能性がある.
引用文献
坂本和義・清水豊・水戸和幸・高野倉雅人
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Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 48 - 51
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
<移動知>の身体化について
─徒歩旅行と輸送─
On Embodiment of "Mobiligence":
Wayfaring and Transportation
佐古
仁志(立教大学・日本学術振興会特別研究員PD)1
本発表の目的は,インゴルドの「徒歩旅行」と「輸送」という移動の区別を引き受けたうえで,諸々の移動研
究を参照することで,それらの移動に伴う知,つまりは<移動知>がどのように身体化されるのかを考察するこ
とにある.まず「徒歩旅行」と「輸送」の区別を明確にし,それからそのような区別と接続可能な身体性認知科
学についての検討を行なう.そのうえで,「モビリティ」に関する研究を参照することで,さまざまな移動に伴
う実践および知識,すなわち<移動知>がどのように身体化されているのかについて考察する.また,このよう
な<移動知>の身体化の考察からは,移動形式のもたらす「自己」への影響が明らかになると思われる.「徒歩
旅行」という形式の移動研究は,地図に依存することなく,むしろ物語(境界・俯瞰的ではない地図)の創出を
通じて影響を与える点で,そして「輸送」という形式の移動研究は,「モビリティ」研究を媒介にし,社会性を
もたらす点で,
「自己」の形成に重要な役目を果たすということが提示されることになるだろう.
Keywords:
1
移動,身体性認知,自己
はじめに
人類学者ティム・インゴルドは,移動について,「徒歩
旅行(wayfaring)」と「輸送(transport)
」という興味深い
区別をしている.
さらに,インゴルドはこれらの移動に伴う実践および知
識が,身体に埋め込まれている,あるいは身体を越えて拡
張していく可能性を,すなわち,身体性認知科学とのつな
がりを示唆している.
「徒歩旅行」という形式の移動は,地図に依存すること
なく,むしろ物語の創出を通じて影響を与える点で,そし
て「輸送」という形式の移動は,地図という形で社会性を
もたらす点で,「自己」の形成に重要な役目を果たすとい
うことが提示されることになるだろう.
2
二つの移動形式
インゴルドによる「輸送」と「徒歩旅行」という移動性
(mobility)の区別(Ingold 2007) に取りかかる前に,イ
ンゴルドが,「地図(map)」を媒介にして,「経路探索
(wayfinding)」と「ナヴィゲーション(navigation)
」の区
別をしていること(Ingold 2000)に注目することが理解の
助けとなるだろう.
2.1
「経路探索」と「ナヴィゲーション」
「ナヴィゲーション」研究では,ひとがなじみのない土
地で地図を使用して目的地に到達するために行なってい
ることと,その土地になじみのある人が特に何かを参照す
ることなく目的地に到達するために行なっていることの
比較研究などがなされている.
特に,ケヴィン・リンチの研究(Lynch 1960)以来指摘
されることが多いのは(Portugali 1996)
,両方の事例にお
いて,実のところ「地図」が利用されているというもので
ある.つまり,前者が紙や近年でいえば携帯端末としての
地図を利用しているのに対し,後者は,頭の中にあるとさ
れる「認知地図」を利用しているという考えである.
ここで注目すべきであるのは,地図使用において念頭に
おかれているのは抽象的な「空間(space)
」に点を,すな
わち,自分の位置あるいは目的地をプロットすることで,
進路が確定されるという点である.
他方で,目的地とそこへ到達する経路がはっきりしない
場合になされる「経路探索」の研究においても,時おり認
知地図のような認知プロセスが想定されることがある.イ
ンゴルド(Ingold 2000)は,そのような「経路探索」を認
知プロセスと見なす立場を批判し,経路探索とは運動のマ
トリクス(a matrix of movement)における場所から場所へ
の移動の問題であると指摘している.
つまり,「ナヴィゲーション」が抽象的な空間である地
図にプロットされた点から点への移動であるのに対し,場
所から場所への移動である「経路探索」は,イヌイトが行
なっているように(大村 2004),さまざまな場所(旅)を
物語ること,さらにはそのような物語をたどることによっ
て達成される.
2.2
「徒歩旅行」と「輸送」
インゴルドは明示的には述べていないものの,「経路探
索」と「ナヴィゲーション」という区別を引き受けたうえ
で,移動性の二つの様相である「徒歩旅行」と「輸送」の
1 Satoshi SAKO (Rikkyo University / JSPS Research Fellow PD): [email protected]
<移動知>の身体化について
区別を提案する(Ingold 2007, 2010)
.
49
点に辟易している(Ingold 2013)
.
「徒歩旅行」とは,イヌイトの旅のように,最終目的地
そのためここでは,身体性認知科学の概観を行なうので
を持たず,絶えず動いている状態にあるものである.それ
はなく,移動(movement)研究の観点からインゴルドを
は旅行者の動きそのものであり,世界のなかで旅する一本
参照しつつ,身体性認知科学について言及している
の線となるものである.また,成長や発達や進行中の過程
(Øvergård et al. 2008)を参考にすることで,移動におけ
を突き進むにつれ,その先端から伸びていく線でもある.
る身体性認知科学について考察する.
そこでの徒歩旅行者とは,そのような線に沿って進む道す
身体性認知科学には,身体化された(embodied),拡張
がら,さまざまな交渉を行ない,それらに即興で対応し,
された(extended)など提唱する論者により,さまざまな
そのような行為と共に成長するもののことである.
違いはある.ただ,ここで押さえておく必要があるのは,
それに対し,「輸送」とは,目的地指向の移動であり,
知覚‐行為,知覚‐認知,行為‐認知という三つのカップ
「徒歩旅行」のように生活に道に沿って成長することでは
リングの総合が重要な役割を果たしているという点であ
なく,ある位置から別の位置へ横断して人や物資をその基
る.
本的性質が変化することのないように運搬する移動様式
身体性認知科学にとってひとつめの重要な側面は,知覚
であり,輸送される乗客の関心は,できるかぎり短い時間
‐行為カップリングが,世界における人間の知覚と運動と
で A から B に到達することにある.
の循環的な関係を指すために使用されており,これらの密
これら二つの移動の区別は,機械的手段を使用するか否
接なカップリングが認知の基盤を構成しているというこ
かではなく,「徒歩旅行」において見られる移動と知覚と
とである.たとえば,何らかの試薬で眼球運動を止めると
の親密なつながりが消失しているかどうかによってなさ
光は見えていても対象を知覚できないということはよく
れる.
知られているし,より大きなスケールでも同様の事態は知
以上の区別を踏まえたうえで,インゴルドは,「徒歩旅
られている.
行」のように,私たちの知識は,日常生活で通り抜けるさ
二つめの要点は,これらが人間の身体を皮膚を越えて機
まざまな道(path)に沿って歩くこと(移動すること)で
能的に拡張する可能性があるということである.幻肢に関
成長すると主張する.
する研究や現象学,神経心理学の研究の成果から提示され
そのうえで,インゴルド(Ingold 2010)は,哲学者マク
ているのは,私たちの身体イメージというものが,半永久
シーヌ・シーツ=ジョンストンやアンディ・クラークを引
、、、、、、、、、、、
き合いに出しつつ,歩行者は運動のなかで考えている
的に持続するものではなく,身体の変化や道具の使用など
(thinking in movement)と主張し,身体性認知科学との関
とである.
により可塑的なやり方で文脈に応じて変化するというこ
連を示唆する.そして,徒歩旅行者の,社会的な知識を含
そして三つめの要点は,知覚‐行為循環,身体の機能的
む,知識の成長の核心には,身体化された存在としての発
な拡張に加え,認知もまた環境へと拡張するというもので
達と成熟とがあることを提案している.
ある.それは文脈が,身体の機能的な拡張のように行為や
移動に関する行為の機会だけでなく,「複雑な問題解決」
行為にも拡張されうるということである.それらの例とし
ては,航海における地図の使用や,読書を容易にするため
にペンで線を引きながら文章を読むといった作業を挙げ
ることができる.
ここであらためて注意しておきたいのは,テクノロジー
(機械的手段)の使用が,そのまま「徒歩旅行」を「輸送」
にしてしまうというわけではないということである.先に
インゴルド(Ingold 2007)は,移動と知覚のつながりの重
要性を指摘していたし,身体性認知科学におけるテクノロ
Figure 1 「徒歩移動」の線(左)と「輸送」の線(右)
ジーの使用においても,「輸送」の位置づけはいわゆる身
(Ingold 2007 より引用)
体の拡張とは異なった形で理解される必要があると指摘
されている.
3
移動における身体性認知科学
4
事例
インゴルドはたびたびアンディ・クラークなどを参照す
実際,このような「徒歩旅行」という移動形式,さらに
ることで,身体性認知科学への好意的な言及を行なってい
は,身体性認知科学をも考慮した形での学習についての研
る.その一方で,
「身体化(embodiment)」という語があま
究がいろいろとなされている.
りに多様な分野で,しかも様々な使用のされ方をしている
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
50
S. Sako
4.1
子どもによる博物館の「意味」の学習
ハケット(Hackett 2016)は,インゴルドの「徒歩旅行」
基づく知識の獲得は,身体性認知科学との関係において,
抽象化された空間,あるいは客観化というものを想定する
という移動形式に依拠しつつ,まだ博物館を訪れたことの
ことなしに,私たちがさまざまな場所の意味を獲得するこ
なかった 2 歳から 3 歳になる子どもを,親と共に繰り返し
とができるということを提示してくれている.
博物館に連れていくことで,子どもたちがどのような知識
を獲得するのかという研究を行なっている.
また,「輸送」という移動形式ではないが,ジェンセン
(Jensen 2013)がその「モビリティ」研究のなかで指摘し
その研究において明らかになったことは,子どもたちが
ているように,「輸送」のためのインフラやそれに伴うテ
博物館のなかをいろいろと動き回りながら,親や博物館の
「徒歩旅行」とは違った形での,ある意味,
クノロジーは,
なかで出会ったほかの子どもたちと一緒になりながら,博
社会的とも言いうる形での,移動に伴う知識の身体化を与
物館におけるさまざまな場所の「意味」を発見するととも
えてくれるものと思われる.
に,そのような発見に基づきながら場所の「意味」を制作
するという過程が連鎖しているということである.
以上のように「徒歩旅行」という移動形式によって獲得
子どもたちは,博物館に行くごとに館内を移動するとい
される「意味」に着目しながら,身体性認知科学を媒介す
う実践を通じた(人を含む)さまざまなものとのやりとり
ることで,さらには,「モビリティ」研究という違う形式
のなかで,固定した知識(意味)ではなく,例えば置いて
の移動研究をも参照することで,<移動知>がいかに身体
あった太鼓を利用して行進を始めるといったような,その
化され,それが「自己」の形成にどのような影響を与えて
都度状況に応じた「意味」を獲得する.
いるかということについて新たな視点を提示することが
4.2
可能になると思われる.
都市におけるアウトリーチ活動
ホールら(Hall et al. 2014)は,カーディフという都市
において福祉ワーカーが,屋外で移動しながら生活してい
る自分のクライアントとなる人物たちと出会うためにど
のように移動するのかということを研究している.そして
謝辞
本研究の一部は,科研費(特別研究員奨励費 26・3999)
の助成により行なわれました.ここに謝意を表します.
そのような研究を分析する手段として,身体性認知科学を
参照にしつつ,インゴルドによる「徒歩旅行」という移動
引用文献
形式を利用している.
Hackett, A. (2016). Young Children as Wayfarers: Learning
従来の研究の多くはそのようなクライアントと出会っ
た地点をプロットするという手法を用いた分析であった.
それに対し,ホールらは実際に福祉ワーカーたちが自分の
about Place by Moving Through It. Children and Society,
30 (3), pp. 169 – 179.
Hall, T. & Smith, R. J. (2013). Knowing the city: maps,
クライアントたちに出会うための移動が「徒歩旅行」とい
mobility and urban outreach work. Qualitative Research,
う移動形式であったことに注目する.そうすることで,ど
14 (3), pp. 294 – 310.
の巡回も決して同じものではなく,そのような福祉ワーカ
ーの動きの線こそがまさにその場所の知識そのものを表
わしているということを明らかにした.
Ingold, T. (2000). The perception of the environment: essays on
livelihood, dwelling and skill. London: Routledge.
Ingold, T. (2010). Footprints through the weather-world:
Walking, breathing, knowing. Journal of the Royal
以上二つの研究は,「徒歩旅行」という移動形式が,子
Anthropological Institute, 16 (1), S121 – S139.
どもにおいては,「博物館」の知識の身体化を促すものと
Ingold, T. (2013). Making, Growing, Learning. Two Lectures
して,福祉ワーカーの場合には,「徒歩旅行的」巡回こそ
presented at UFMG, Belo Horizonte, October 2011.
が,彼らの仕事を支える実践的な知識として,まさに身体
Educação em Revista, 29 (3), pp. 297- 324.
化されている事例である.
このような知識の獲得は,本を読むことによって知識が,
「伝達」されるのではない仕方で獲得,学習される方法を
インゴルド T.
化史
工藤晋(訳)(2014).
左右社
ラインズ:線の文
(Ingold, T. 2007. Lines: A Brief
History.)
提示しているともに,まさにこのような移動に伴う知識の
Jensen, O. B. (2000). Staging Mobilities. Abingdon: Routledge.
獲得,学習こそが,さらなる移動を導くという形で,私た
リンチ K.
ち自身の,つまりは<自己>の形成に大きな役割を果たし
ていることを示唆するものである.
5
展望
以上で見てきたように,「徒歩旅行」という移動形式に
丹下健三・富田玲子(訳)(2007). 都市のイ
メージ(新装版)
岩波書店
(Lynch, K. 1960. The
Image of the City.)
大村敬一 (2004).
旅の経験を重ねる――極北に生きるカ
ナダ・イヌイトの知識と実践 野中健一(編) 野生
のナヴィゲーション
古今書房
pp. 55-90.
<移動知>の身体化について
51
Øvergård, K. Bjørkli, C. Hoff, T. (1995). The bodily basis of
control in technically aided movement, In S. Bergmann, T.
Hoff, T. R. Sager (Eds.), Spaces of Mobility: The
Planning, Ethics, Engineering and Religion of Human
Motion. Equinox, London. pp. 101-123.
Portugali, J (ed.). (1996). The Construction of Cognitive Maps.
Dordrecht: Kluwer.
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 52 - 53
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
拡張された身体とともにある知覚
─ 自動車運転による間隙通過時の視覚ー運動協調 ─
Embodied Perception with Extended Body:
Visuo-motor Coupling in Driving through Aperture
工藤 和俊(東京大学大学院情報学環)1
鳥越 亮(東京大学大学院総合文化研究科)2
根本 真和(東京大学大学院総合文化研究科)3 進矢 正宏(東京大学大学院総合文化研究科)4
沢田 護(株式会社デンソー)5 三嶋 博之(早稲田大学人間科学学術院)6
本研究では,自動車運転による間隙通過の際の注視点計測を行うことにより,運転時の視覚-運動協調につい
て検討した.実験では7名の参加者が乗用車を運転して 100m 先の障害物(パイロン)間を通過する間隙通過課
題を行った.この際の注視点をアイマークレコーダーを用いて計測した.また,車両幅の知覚における個人差を
明らかにするため,静止した車両の前方に置かれたパイロン位置を車両の左右端に合わせる車両幅知覚課題を行
った.その結果,知覚課題における誤差(実際の車両幅と知覚された車両幅の差)と間隙通過課題時の障害物注
視確率との間に正の中程度の相関が認められた.この結果は,車両幅知覚の誤差が小さかった参加者は運転時に
進行方向である間隙中心を注視していた一方で,車両幅を過大に知覚していた参加者は障害物を注視することに
よって車両の接触可能性を確認するという注視行動が生じていたことを示唆している.これらの注視パターンは
それぞれ,目標方向への移動および障害物の回避課題において典型的に認められることから,自動車運転による
間隙通過時の注視行動は拡張された身体である車両の行為可能性を反映していると考えられる.
Keywords:
視覚-運動協調,自動車運転,間隙通過,光学的流動
者にとっての光学的流動を変化させることにつながり,結
1
序論
果的にステアリング操作を不安定化させる要因となる可
運転者にとっての自動車とは,運転者を取り巻くという
能性がある.そこで本研究では,車両幅知覚課題を用いて
意味において環境である.その一方で,自動車は運転者が
「車両感覚」を定量化するとともに,自動車運転による間
アクティブに移動するための道具であり,乗車中は常に運
隙通過の際の注視点計測を行うことにより,車両幅知覚と
転者とともにあるという意味において,拡張された身体で
運転時の注視行動との間の関係について検討した.
あるといえる.ヒトにとって高速度の移動運動である自動
車運転においては,遠隔情報である視覚情報が重要な役割
を果たす.とりわけ,狭い隙間を車で通り抜けようとする
2
方法
2.1
参加者
際には,間隙縁への接触を避けるための視覚-運動協調が
参加者は成人男性7名(平均年齢 27.9 歳)であった.
必要となる.これまで,不慣れな車椅子を用いて間隙通過
すべての参加者は裸眼もしくは矯正視力で自動車運転を
を行う際には,歩行による間隙通過時よりも左右の間隙縁
する際に必要な視機能を有しており,普通自動車運転免許
への注視率が増大することが報告されている(Higuchi,
を取得して少なくとも3年以上経過していた.実験に際し,
2009).したがって,自動車運転による間隙通過の際には,
全参加者に対して本実験の目的と手順を説明し,十分な理
運転する自動車に慣れていない(いわゆる「車両感覚」の
解の上で参加の同意を得た.
乏しい)参加者の場合,同様に左右の間隙縁への注視率が
2.2
間隙通過課題
増大する可能性がある.運転時の光学的流動は,自動車の
本実験は株式会社デンソー網走テストセンターの所有
移動のみならず運転者の眼球,頭部,体幹等の運動に伴っ
するテストコースにおいて行われた.参加者は実験車両
て変化することから,左右の間隙縁を注視することは運転
(レクサス IS250,6 速オートマチックトランスミッショ
1 Kazutoshi KUDO (The University of Tokyo): [email protected]
2 Ryo TORIGOE (The University of Tokyo): [email protected]
3 Masakazu NEMOTO (The University of Tokyo): [email protected]
4 Masahiro SHINYA (The University of Tokyo): [email protected]
5 Mamoru SAWADA (DENSO co., ltd.): [email protected]
6 Hiroyuki MISHIMA (Waseda University): [email protected]
拡張された身体とともにある知覚
53
ン)を運転し,運転開始地点から前方 200m に設置され
4.20, p = .086)
.一方,間隙幅および視覚ガイドの主効果,
た 2 つの障害物(工事用パイロン)の間を指定された速度
1 次および 2 次の交互作用は,いずれも有意ではなかった
で通過するよう教示された.課題条件として,パイロンを
(ps > .11)
.また,注視率において速度の主効果が有意で
設置した間隙の幅(2種類:車幅+30 cm,車幅+70 cm),
あったことから,各速度条件で値をプールし,各参加者の
通過時の速度 (2種類:20 km/h,60 km/h),路面の両端に
注視率と知覚誤差の相関係数を算出したところ,速度
書かれた白線(視覚ガイド)(2種類:白線あり,白線な
20km 条件では r(5)=.70(p = .08)
,速度 60km 条件では r(5)
し)の3条件を設け,2(間隙)×2(速度)×2(白線)
= .70(p = .08) といずれも中程度の相関が認められた.
の組み合わせにより計8通りの課題を2回繰り返して実
施した.3条件の試行順については,参加者内および参加
者間において順序効果を相殺した.
2.3
車両幅知覚課題
4
考察
本研究では,乗車した車両幅の知覚課題および運転によ
る間隙通過課題時の注視点計測を行った.その結果,車両
車両幅知覚実験では,参加者は運転席に座り,前方に置
幅知覚の誤差が相対的に小さかった参加者は運転時に間
いたパイロンの下端がボンネットに隠れず見える最小距
隙中心をより頻繁に注視していた一方で,車両幅を過大に
離に2本のパイロンを設置した.その後実験者が2本のパ
知覚していた参加者は障害物を注視する傾向が示唆され
イロンを1本ずつ徐々に動かしながら間隔を調節し,参加
た.Raudies et al. (2012) は,移動運動時における注視点と
者の搭乗している車両の左右端に一致するパイロン位置
光学的流動の関係について検討し,目標点到達の際には目
を求め,実際の車両幅との差を求めた.
標中心を,障害物回避の際には障害物縁をそれぞれ注視す
2.4
ることにより各課題に有効な光学的流動パターンが得ら
注視点計測
間隙通過課題において瞳孔反射法を用いたアイマーク
れることを報告している.このことは,今回用いた間隙通
レコーダーによる視線計測を行った.サンプリングレート
過課題が,車両幅を正確に知覚している参加者にとっては
は 60Hz であった.その際,視野映像内で障害物上にアイ
間隙中心への到達課題になっていた一方で,そうでない参
マークがあるフレーム(障害物注視フレーム)数を計測し,
加者にとっては障害物回避課題になっていたことを示唆
障害物注視フレーム数 / 総フレーム数× 100 を障害物へ
する.これらのことから,自動車運転による間隙通過時の
の注視率と定義した.
注視行動は拡張された身体である車両の行為可能性を反
映していると考えられる.また,一般に運動の初心者や障
がい者の動きには環境/身体の知覚特性が反映されるこ
とから(工藤,2005; 豊田, 三嶋,古山,2005),これらの
技能の獲得のためには,環境/身体とともにある知覚-行
為循環を踏まえた学習が必要になると考えられる.
引用文献
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Raudies, F., Mingolla, E., & Neumann, H. (2012) Active gaze
control improves optic flow-based segmentation and
Figure 1
運転中の注視点.A. 障害物縁の注視.
B. 間隙の注視.
3
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Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 54 - 55
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
車両運転者の熟練度による光学的流動の差異
─ 注視点分布の分析 ─
Difference of Optic Flow Generation between Skilled and Unskilled Driver:
Analysis of Gaze Distribution
三嶋
博之(早稲田大学人間科学学術院)1
沢田
護 (株式会社デンソー)
2
熟練ドライバーが生成する光学的流動と,非-熟練ドライバーが生成する光学的流動を,それぞれ動画としてデ
ィスプレイ上に提示し,それらを観察する実験参加者の注視点分布を視線計測装置により記録した.分析の結果,
熟練ドライバーが生成する光学的流動(熟練ドライバーが運転する車両のビデオカメラによって撮影された走行
時の前方風景の動画)を提示した場合には,非-熟練ドライバーの動画(熟練ドライバーと同様の方法で撮影)を
提示した場合に比べて,それを観察する実験参加者の注視点はより遠位かつ左右に広がって分布することが確認
された.一方,非-熟練ドライバーの走行時前方風景の動画再生速度を単に上昇させた場合には,注視点の分布は
全体的に遠位にシフトするものの,遠位で左右に広がることはなかった.これらの結果から,熟練ドライバーが
生成する光学的流動には,注視点を遠位左右(道路上のコーナー出口など)に向けて誘導する固有の構造──情
報──が含まれている可能性について議論される.
Keywords:
光学的流動,運転行動,注視点
なわち自車両)の運動に起因する流動成分の寄与が,光学
はじめに
的流動中において相対的に高いものとなる.極低速での走
自動車を運転する際,ドライバーは多種多様な情報から
行時を除いて,自動車の車両挙動に起因する光学的変位は
運転のために必要な情報を選び取るために努力している
複雑なものとなるが,この傾向──眼前の光学的流動が複
と考えられる.特に視覚的な情報の抽出については,ドラ
雑化する傾向──は,元来,車両挙動が不安定な傾向のあ
イバーの視線の向きを“注意の方向”の指標とみなす研究
る初心者ドライバーにおいて特に顕著なものとなると考
によって検討が重ねられてきており(Land & Horwood.,
えられる.その結果,たとえばドライバーは光学的流動の
1995; Land & Lee, 1994 等)
,たとえば,熟練ドライバーと
中の湧出点(focus of expansion; FOE)を見つめる傾向が強
初心者ドライバーでは前方環境への注視パターンが異な
いとされているが(Cohen, 1978)
,初心者ドライバーの運
ること──熟練ドライバーの視線が遠方の広範囲に向け
転においては,車両挙動が不安定となるが故に,熟練ドラ
られる傾向がある一方で,初心者ドライバーの視線は車両
イバーと比べて生じる FOE が曖昧なものとなっている可
近くの局所に集まる傾向があること等──は古くから知
能性が高いと考えられる.
られている(Mourant and Rockwell, 1972)
.
そこで本研究では,熟練ドライバーと非-熟練ドライバ
ドライバーの視線を誘導する代表的なものには,(1)ラ
ーがそれぞれ操縦した車両の車載ビデオカメラから得ら
ンドマーク,標識類,白線(あるいはガードレール,縁石
れた記録映像を被験者に提示し,その注視パターンを分析
等)といった静的な対象物や,(2)歩行者や他の車両といっ
することで,熟練ドライバーと非-熟練ドライバーが生成
た動的な対象物などがあげられる.しかし,これら具体物
する光学的流動パターンの違いについて検討し,報告する.
の他に,(3)それ自体は実体を持たない“(景色の)流動そ
のもの”──“光学的流動”
(Gibson, 1966)──も視線を
方法
誘導することが知られている.走行環境内に見られる標識
熟練ドライバーと非-熟練ドライバーのそれぞれが運転
などの具体物と異なり,光学的流動の特定の構造は“いつ
する車両から撮影された前方景色の動画を実験参加者に
でも・どこにでも”生じうるものであるという点で,視線
対してディスプレイ(27 インチ;アスペクト 19:9;視距
の選択において恒常的な制約となっていると考えられる.
離約 50 cm)上で提示し,視線計測装置(SeeingMachines
一方,知覚者自身を取り囲む光学的流動は,他者(環境)
社製,FOVIO;サンプリングレート 60 Hz)によって実験
の動きと知覚者自身(自己)の動きの合成となっている.
参加者(1 名)の注視点を計測した.
特に,自動車に乗車して高速に移動する場合は,自身(す
1
2
Hiroyuki MISHIMA (Waseda University): [email protected]
Mamoru SAWADA (DENSO CORPORATION): [email protected]
車両運転者の熟練度による光学的流動の差異
55
提示映像の詳細: 株式会社デンソー網走テストセンタ
遠位にシフトさせる一方,それだけでは注視点を“遠位左
ーのカントリー路(幅 7 m[2車線]
;1 周 3.1 km)のう
右”(コーナーの出口など)に誘導する効果は低いことが
ち,複数のカーブを含む約 2 km 分の走行時前方風景の動
示された.これらの結果から,熟練ドライバーの生成する
画を使用した.車両の運転は,熟練ドライバー(運転歴 34
光学的流動に,注視点を遠位左右(コーナーの出口など)
年; 自動車メーカーの車両性能評価ドライバーとして 20
へ向けて誘導する情報が内在する可能性が示唆された.
年以上の経験)と非-熟練ドライバー(運転歴 24 年;通勤
等で日常的に運転)がそれぞれ個別に行った(該当区間約
2.1 km における熟練ドライバーの平均速度:約 95 km/h;
非-熟練ドライバーの平均速度:約 60 km/h).また,記録
された動画の再生時間を圧縮することにより,非-熟練ド
ライバーの平均速度を見かけ上で熟練ドライバーと等し
く(約 95 km/h)なるように補正した映像も作成した.
結果と考察
実験参加者の注視点の分布を Figure 1〜3 に示す.図の
中央部に見られる白雲状の領域が,実験参加者の注視点の
分布を表しており,それぞれ Figure 1 は熟練ドライバーの
Figure 2
走行動画を提示した場合,Figure 2 は非-熟練ドライバーの
視点分布.背景写真は前方風景の一例.点線部は Figure 1
走行動画を提示した場合,Figure 3 は速度補正された非-熟
のものを同じ位置に重ね描きした.
非-熟練ドライバーの走行動画全体に対する注
練ドライバーの走行動画を提示した場合のものである.
まず,熟練ドライバーの動画(Figure 1)と非-熟練ドラ
イバーの動画(Figure 2)に対する注視点の分布を比較す
ると,熟練ドライバーの動画において実験参加者の注視点
は奥行き方向でより遠位(画面上での上方)に,かつ遠位
において左右に広がって分布していることが見て取れる.
Figure 3 速度補正された非-熟練ドライバーの走行動画
全体に対する注視点分布. 背景写真は前方風景の一例.
点線部は Figure 1 のものを同じ位置に重ね描きした.
引用文献
Cohen, A. (1978). Eye Movements Behavior While Driving a
Figure 1 熟練ドライバーの走行動画全体に対する注視
点分布.背景写真は前方風景の一例.点線部は注視点分
布の輪郭を示す.
次に,速度の異なる非-熟練ドライバーの2つの動画(通
常走行速度の動画:Figure 2,および熟練ドライバーと同
じ平均速度になるように補正された動画:Figure 3)での
注視点の分布を比較すると,補正された動画(Figure 3)
では視線は奥行き方向でより遠位(画面上での上方)に分
布していた.ただし,遠位左右方向への広がりは,熟練ド
ライバーの動画に対する場合ほど大きくならなかった.す
Car: A Review (p. 58). Presented at the ARI Technical
Report.
Gibson, J. J. (1966). The senses considered as percentual
systems. Houghton Mifflin Company.
Land, M., & Horwood, J. (1995). Which parts of the road guide
steering? Nature, 377(6547), 339–340.
Land, M. F., & Lee, D. N. (1994). Where we look when we steer.
Nature, 369(6483), 742–744.
Mourant, R. R., & Rockwell, T. H. (1972). Strategies of visual
search by novice and experimental drivers. Human Factors,
14(4), 325–335.
なわち,光学的流動の全体的な速度の上昇は注視点をより
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 56 - 60
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
頸髄損傷者によるリモートタッチの知覚の検証
Remote Touch Perception in Patients with Cervical Spinal Cord Injury
玉垣
努(神奈川県立保健福祉大学)1
本研究では,ダイナミックタッチの知覚およびリモートタッチの知覚に麻痺が与える影響について検討した.頸髄損
傷者 5 名と健常者 6 名を対象に,視覚的に遮蔽された状態で,道具の長さと,その道具を打ち付けた接触面までの距離
について知覚判断させた.分散分析から,健常者では,道具の長さと長さのタスクおよび接触面までの距離と距離のタ
スクにおいて単純主効果が有意であった.しかし頸髄損傷者では,道具の長さと距離のタスクにおいても有意な単純主
効果が生じていた.このことは,タスクに関係する性質を選択的に知覚する能力が,神経障害の有無に影響を受けるこ
とを示唆する.
Keywords: 知覚, ダイナミックタッチ, リモートタッチ, 頸髄損傷
1
はじめに
道具使用は,麻痺のある患者でも日常生活に広く見られ,
書字や整容など作業療法場面でも多く用いられる.道具は,
知覚対象であると同時に,環境を探索する知覚媒体でもある.
道具の長さ,幅,重さ,向きといった諸性質の触知覚は,その道
具の質量分布を反映した回転慣性値の関数として規定できる
ことを一連の研究は示している(Turvey MT 2011).この触知
覚は,ダイナミックタッチの知覚と呼ばれ,“筋と腱への変化
する刺激流動のなかの不変項に基づくものである”と考えら
れている(Gibson 1966).一方,白杖にて地面までの距離や
地面の凹凸を触知するように,その対象の面とさらに隣接す
図1 長さと距離の知覚の関係
る面のレイアウトにまで延長された触知覚が存在する.この
把持した対象の長さが一定(L1=L2) でも、接触面(ここでは例として
触知覚はリモートタッチ(リモートハプティック)と呼ばれ
W1,W2 を想定) までの距離は一意ではない(D1≠D2)
ている(Carello 1992).
道具が接触する面を触知覚する場合,把持した道具の回転
髄損傷者と健常者を対象に,把持した棒の長さの知覚判断値
慣性値だけでは説明することはできない.なぜなら,図1に示
と接触面までの距離の知覚判断値を測定する実験を行い,神
すように,一定の道具の長さを触知覚系が特定できたとして
経障害の有無が触知覚系に及ぼす影響について検証する.
も,接触面までの距離は無数に存在し一意に決定できないか
らである.従って,接触面と道具の衝突を伴う触知覚では,
回転慣性値に加えて,角度や衝撃中心など他のパラメータ
(Barac-Cikoja D 1991)が必要となる.
2
方法
2.1 被験者
上肢に感覚運動麻痺を有するC6からC7レベルの頸髄損傷者
小池ら(Koike 2007)は感覚運動麻痺がある頸髄損傷者のダ
6名(すべて男性,平均年齢35.8±10.3歳)と健常者成人男女
イナミックタッチの検討を行い,対象が知覚され,健常者に
6名(男性2名,女性4名,平均年齢25.1±4.0歳)が参加した.
相当したことを報告している.これらの知見を踏まえ,本研
頸髄損傷の被験者は更生施設入所者から募集した.頸髄損傷
究は次の2点の問題の検証を目標とする.第一に,感覚運動麻
者に対して,モノフィラメント3.61番を用いて右手の皮膚覚
痺を有する患者でもリモートタッチの知覚が達成できるか,
がNormal以下であることを確認し,MMTテストから手首および
第二に,棒の長さと接触面までの距離を選択的に注意して
肘関節の筋力が健常以下の筋力低下の状態にあることを確認
各々を独立に知覚できるかである.具体的な方法として,頸
した.頸髄損傷者のうち1名が肘関節での上肢の持続的な運動
1 TSUTOMU TAMAGAKI (Kanagawa University of Human Services): [email protected]
頸髄損傷者によるリモートタッチの知覚の検証
57
が困難だったので,実験に参加したがデータからは除外した.
いこと,また,十分時間をかけてよいことも伝えた.棒が空
表1に頸髄損傷を有する被験者の情報を示す.
振りした場合や床面などに接触した場合はキャンセルした.
棒の長さ(3水準)
,壁までの距離(3水準),タスク(2水準)を
表1
頸髄損傷者の被験者情報
組み合わせランダマイズした18試行を1セッションとし,3回
セッションを反復し,計54試行を行った.実験の前に,実験
者はサンプル棒の棒振り動作を見せて手続きを説明した.実
験の事前練習は一切行わず,被験者に対し一切フィードバッ
クを与えなかった.
2.4 統計処理
独立変数を棒の長さ,壁までの距離,タスクの種類とし,
実験の前に,実験趣旨と実験方法について十分に説明した
従属変数を被験者の知覚判断値とした.知覚判断値の平均値
上で,本実験への参加は任意であり,参加への同意は随時撤
を算出し,両群ごとに3要因分散分析を行った.要因間の交互
回可能であり実験中止による不利益は一切なく,個人情報は
作用が有意な場合は,下位検定として単純主効果検定を行い,
一切公表されずプライバシーは確保されることを文章と口頭
さらにRyan法から多重比較検定を行うこととした.すべての
で説明し,同意書を得た.また実験には実験実施者以外に必
検定は危険率5%を有意水準として設定した.
ず複数の作業療法士が立ち会い,常時被験者の状態をモニタ
ーできるよう安全面に配慮した.
3
結果
3.1 頸髄損傷者の知覚判断値
2.2 装置および材料
Carelloの研究を参考に,標準刺激として,直径1cm,長さが異
表2と図3に,頸髄損傷者の結果を示す.頸髄損傷者におけ
なる木製の棒(直径1.2cm,長さ50,65,90cm)と可動自立式の壁
る棒の長さの知覚は,棒が長くなるにつれ知覚判断値も増大
面が用いられた.被験者のテーブル上に長さ200cmの報告面が
する傾向がみられた.壁までの距離の知覚は,距離が長くな
設置された.回転中心から壁までの距離を,18,33,44cmに設
るにつれて知覚判断値も増大する傾向がみられた.また棒の
定した.被験者の右肘は肘台に固定された.棒を把持ができ
長さを答えるタスクの方が壁までの距離を答えるタスクより
ない頸髄損傷者への対応として,棒と右手は弾性包帯で固定
も知覚判断値が大きかった.この長さ,距離,タスクの3要因
した.被験者から棒と壁が見えないようにカーテンで遮蔽し
の知覚判断値への影響を分析するため,分散分析を行った.
た.また実験中,棒と壁が接触する際に生じる衝撃音が被験
その結果,タスク[p<.005],長さ[p<.005],距離[p<.001]に
者に聞こえないよう,ヘッドホンから各被験者の好みの音楽
主効果,タスクと長さの要因の交互作用効果[p<.001],タス
を流し,サンプル棒で実際に壁を叩かせながら衝撃音が聞こ
クと距離の要因の交互作用効果[p<.001]が有意であった.ま
えない程度に音量を調整した.カラーノイズは予備実験から
た長さと距離の要因の交互作用と二次の交互作用は有意では
負担が大きいと判断し,倫理的配慮から本実験では用いなか
なかった.
った(図2).
3.2 健常者の知覚判断値
表2と図3に,健常者群のデータを示す.健常者群における
長さの知覚判断値は,棒が長くなるにつれて増大する傾向が
みられた.距離の知覚判断値は,壁までの距離が長くなるに
つれて増大する傾向がみられた.各タスクの知覚判断値は,
棒の長さを答えるタスクの方が距離のタスクよりも大きかっ
た.分散分析を行った結果,タスク [p<.001],長さ[p<.001],
距離[p<.001]に主効果,タスクと長さの要因の交互作用
図2 実験の様子
[p<.001] ,タスクと距離の要因の交互作用[p<.001] が有意
であった.また二次の交互作用,長さと距離の要因の交互作
2.3 手続き
用は有意ではなかった.
被験者は,坐位で棒を振り壁に当てる動作で棒の長さ,ま
たは壁までの距離を報告するよう教示された.報告は,被験
者の指示で実験者が報告面を操作した.棒の長さと壁までの
距離の2つのタスクが用意され,メッセージカードを用いて
どちらのタスクを遂行するかを示した.棒は自由に振ってよ
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
58
T. Tamagaki
表2
頸髄損傷者・健常者の知覚判断値の平均
一方,頸髄損傷者群では,棒が長くなると長さの知覚判断
値が増大したが,距離の知覚判断値は減少する傾向がみられ
た.つまり,長さの条件変動は距離のタスクに対して相殺的
な交互作用をもっていたと考えられる.
図4から確認されるこの傾向は,交互作用の下位検定からも
検証された.健常者では,長さの条件変動は長さのタスクに
対してのみ単純主効果が有意[p<.001]であり,距離のタスク
には有意ではなかった.また距離の条件変動は,距離のタス
クに対してのみ単純主効果[p<.001]が有意であり,長さのタ
スクに対しては有意ではなかった.一方,頸髄損傷者におけ
る交互作用の下位検定では,棒の長さの条件変動は,長さの
タスク[p<.001]のみならず距離のタスク下[p<.05]において
も単純主効果が有意であった.壁までの距離は,距離のタス
ク[p<.001]に対して単純主効果が有意であったが,長さのタ
スクに対しては有意でなかった.
図3 実験結果(多重比較検定 * p<.05, *** p<.001)
図 4 各タスク下における知覚判断値と実際の棒の長さ・実際の壁ま
での距離の関係
3.3 交互作用
分散分析における交互作用の様相を検討するために,図4
上段は頸髄損傷者の知覚判断値の平均、下段は健常者の知覚判
断値の平均である.
にタスク毎の知覚判断値と棒の長さ,距離の変動の関係を示
した.
健常者群では,棒の長さが長くなるにつれて長さの知覚判
断値は相乗的に共変しているが,距離の知覚判断値は一定に
4
考察
4.1 実際の長さ.距離に対する知覚判断値の誤差について
収束している.また壁面までの距離が長くなるにつれて距離
実際の棒の長さおよび壁までの距離と,被験者の知覚判断
の知覚判断値は相乗的に共変しているが,長さの知覚判断値
値との間の誤差は顕著であった.長さの知覚は過小評価され
は一定に収束している.
る傾向にあり,距離の知覚は過大評価される傾向にあった.
頸髄損傷者によるリモートタッチの知覚の検証
59
いずれにしても実際の長さや距離といった性質と,知覚判断
道具の性質に影響を受けて接触面の知覚が崩れる傾向にあっ
値は一致しているとはいえない.
たと言える.
しかし一方で,実際の長さや距離と知覚判断値が一致しな
一方で,第二の研究目標である道具と接触面の選択的注意
いことが必ず触知覚の失敗を示すともいえない.触知覚系は,
に関しては,健常者では先行研究と同様に道具と接触面をそ
回転慣性値などの機械力学的な情報から対象物の長さや距離
れぞれ独立に知覚することが可能であったが,頸髄損傷者で
などの幾何学的性質を推定している.触知覚系が特定する長
は道具の知覚時には接触面の性質の影響を抑制して道具を知
さとは,幾何学的次元で定義された「長さ」自体ではない.
覚することができるが,接触面の知覚時には道具の性質の影
本実験で用いた棒は,長さは異なるが密度が同一で形状が
響も被ってしまうことが明らかであった.従って,頸髄損傷
同型なので,長さと回転慣性値は同一ではないが比例関係に
者は,多数存在する情報の候補からタスク要求に対応した情
ある.一見,棒の長さに対応して長さの知覚判断値は増加し
報だけを選択的に特定すること(宮本ら
ているようだが,むしろ長さと比例関係にある回転慣性値に
的に困難を示していたと考えられる.
2004)について部分
基づき知覚判断が行われていると推測できる.
知覚判断値の過大判断・過小判断は,健常者にもみられる.
4.3 探索運動パターンの違いが知覚に与える影響
従ってこの現象は神経病理学的な原因とは関係がない.過大
近年の研究は,ダイナミックタッチの知覚と探索運動の密
判断・過小判断は,むしろ情報源の差異に起因し,触知覚系
接な影響関係を主張している.例えば,知覚する性質別に探
の混乱に原因があるわけではないと考えられる.
索運動パターンの運動構造を調べた研究では,把持した対象
の長さと幅のどちらかを意図的に独立して知覚するとき,そ
4.2 分散分析の結果について
れぞれの知覚条件下で発現する自発的な運動の再帰構造が異
分散分析から,健常者・頸髄損傷者ともに,タスクと長さ,
なっていた(Riley MA 2002).またさらに,別の研究では,
タスクと距離が組み合わさるとき効果をもち知覚判断に影響
各々の性質に対応した探索運動パターンの発現があることに
を与えていた.これは単に対象の性質だけではなくタスク要
加えて,特定の性質を明確に知覚するためには特定の探索運
求も触知覚に影響していたことを示唆する.この結果は,成
動が必要であるという運動が知覚を促進することを示唆する
1992)と同様であ
知見が報告されている(Arzamarski R. 2010)( Harrison SJ
人健常者を対象とした先行研究(Carello
った.これらの知見は,健常者一般の触知覚判断と本実験の
頸髄損傷者の知覚判断とが共通性をもつことを示唆する.
ただし下位検定からは両群の間に相違が見られた.健常者
群では,棒の長さの条件変動は長さを答えるタスク下でのみ
2011).
以上を踏まえると,本実験の健常者と頸髄損傷者間の知覚
上の差異は,両者の運動的差異から生まれたと解釈すること
が可能である.
知覚判断に有意に影響し,壁までの距離の条件変動は距離を
しかし,その説明のみでは解消されない疑問がある.もし
答えるタスク下でのみ知覚判断に有意に影響を与えていた.
運動学的差異が必ず知覚に影響を与えるならば,健常者と頸
つまり,健常者はタスク要求に関連した性質の変動に対して
髄損傷者の知覚パフォーマンスはどの条件でも有意に異なる
のみ選択的に注意を向けて反応していたといえる.この選択
はずだが,本実験では,道具の長さの知覚では両者が同等の
的な知覚能力は、成人健常者を対象とした先行研究(Carello
結果を示している.本実験では被験者の動作計測は行ってい
1992)の結果と共通している.
ないが,目視での観察から,健常者と頸髄損傷者の棒振り動
一方で頸髄損傷者群では,棒の長さの条件変動は距離を答
作が明らかに異なっていたことが分かっている.健常者の周
えるタスク下においても知覚判断に有意に影響を与えた.図4
期的で安定した棒振りとは対照的に,頸髄損傷者の棒振りは,
に示したように,頸髄損傷者では,道具の長さを変更すると
棒を持ち上げる抗重力動作が努力的で,壁への棒の打撃も
壁までの距離の知覚が相殺的に影響されていた.頸髄損傷者
弱々しく,時として小休止を含む断続的なものであった.
の知覚もタスク要求に影響されていたのは確かであるが,本
従って,運動上の差異が影響した可能性はあるにしても,
来タスクとは無関係な性質の変動からも触知覚系が影響され
個々の知覚される性質とそれに対応する探索運動は厳密な一
ていたことが示唆される.
対一対応の関係にあるのではなく,もっと冗長な関係にある
以上を本研究の目標に照らしてまとめると以下のようにな
る.
と考えられる.つまり,健常者から頸髄損傷者までの多様な
探索運動パターンでも特定可能な性質がある一方で,より限
第一の研究目標である接触面の知覚能力に関しては,頸髄
定的な探索運動パターンでしか特定できない性質もあるので
損傷者は健常者と同等の知覚パフォーマンスを示したとは言
はないだろうか.本実験の結果に照らして言えば,ダイナミ
えない.接触面まで延長して知覚するとき,それを媒介する
ックタッチの知覚は冗長性の高い探索運動を許容するタスク
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
60
T. Tamagaki
であったが,一方で,リモートタッチの知覚はより限定的な
Barac-Cikoja D. Turvey MT: Perceiving aperture size by striking.
探索運動を要求するタスクであったと推測される.
Journal of Experimental Psychology: Human Perception and
本実験の知見の範囲では,知覚と探索運動間にどの程度の
Performance 17: 330-346, 1991.
冗長性があるのかは明らかにできなかったが,今後の研究で
Gibson JJ: The senses considered as perceptual systems.
は,次の2点について明らかにするべきである.すなわち,頸
Boston : Houghton Mifflin, 1966.
髄損傷者と健常者が同等の結果を示した「棒の長さ」タスク
Carello C. Fitzpatrick P. Turvey MT: Haptic probing:Perceiving
では,両者の運動間にどのような等価な部分が存在していた
the length of a probe and the distance of a surface probed.
のか,また両者が異なる結果を示した「壁までの距離」タス
Perception & Psychophysics 51:580-598, 1992.
クでは,どのような両者の運動上の差異が影響していたのか,
Koike T. Miyamoto E. Tamagaki T: Dynamic touch in patients
である.これらに解答するために,今後は,被験者の探索運
with cervical spinal cord injury. In Cummins-Sebree S. Riley M.
動の動作計測を含む知覚と運動の統合的分析が必要である.
Shockley K (eds).Studies in Perception & Action IX. Erlbaum, NJ,
また,本実験の結果は,実験タスクの種類によって探索運
2007,pp. 151-154.
動の冗長性を許容する程度が変わることを示唆する.あるタ
宮本英美, 小池琢也: マイクロスリップ‐持続するタスク制約下の
スクにおいて頸髄損傷者と健常者のダイナミックタッチの知
修正運動. 生態心理学研究 1(1): 141-146, 2004.
覚が同等であっても,他のタスクでは異なることは十分起こ
Riley MA. Wagman JB. Santana M. Carello C. Turvey MT:
り得る.このように,あるタスク下で特定の性質知覚をする
Perceptual behavior: Recurrence analysis of a haptic exploratory
こと,すなわち特定の意図をもつことの影響も,知覚と運動
procedure. Perception 31: 481-510, 2002.
の関係に加えて検討しなければならない重要な問題である.
Arzamarski R. Isenhower RW. Kay BA. Turvey MT. Michael CF:
今後は,意図− 知覚− 探索運動が相互に影響し合う三項関係
Effects of intention and learning on attention to information in
の視点から検証を進めることで,日常生活行動時における患
dynamic touch. Attention, Perception, & Psychophysics 72:
者の具体的な触知覚的臨床像を描き出すことが期待される.
721-735, 2010.
Harrison SJ. Hajnal A. Lopresti-Goodman S. Isenhower RW.
5
結語
Kinsella-Shaw JM: Perceiving action-relevant properties of tools
本研究は,リモートタッチと神経障害の関係について検討
through dynamic touch: Effects of mass distribution, exploration
した.実験結果から,被験者の知覚判断値は,タスク要求と
style, and intention. Journal of experimental psychology: Human
道具の性質,タスク要求と道具が接触する環境の面の性質が
perception and performance 37: 193-206, 2011.
組み合わさることで,その交互作用から影響を受けていた.
これは頸髄損傷者,健常者ともに共通する結果であった.一
方で,交互作用の下位検定の結果から,健常者の知覚判断は
特定のタスク要求に対応した性質に対してのみ有意に影響を
受けていたが,頸髄損傷者の場合はタスク要求とは無関係な
性質からも影響を受けていた.このことは,検知可能な性質
が環境内に複数存在し,かつその中からタスク要求に応じた
性質を選択的に知覚しなければならないとき,神経障害の有
無が知覚に影響を与えることを示唆している.
謝辞
本研究及び実験の施行にあたり,宮本英美氏、小池琢也氏、
さらに神奈川リハビリテーション病院作業療法科の一木愛子
氏,には多大なご協力をいただきました.
引用文献
Turvey MT. Carello C: Obtaining information by dynamic
(effortful) touching. Philosophical Transactions of the Royal
Society B: Biological Sciences Nov 12 366(1581): 3123-32,2011.
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 61 - 64
JSEP6th(2016 年 9 月 3 − 4 日北海学園大学於)予稿
マイクロスリップとアクションスリップ
─記述とタイプ─
Microslips and Action Slips:
Their Descriptions and Types
廣瀬
直哉(京都ノートルダム女子大学)1
本稿の目的は,マイクロスリップとアクションスリップを統一的に記述・分類し,両者の相違点について検討
することであった.そのため,スリップを含む行為を動作系列として記述する方法を提案した.また,その記述
方法を使って記述したスリップを修復モデルの 3 つの観点(修復対象,非流暢,修復)からタイプ分けした.さ
らに,マイクロスリップとアクションスリップを統一的に記述・分類することで明らかになった両者の相違点に
ついても検討した.その結果,マイクロスリップは単にアクションスリップがマイクロなレベルで生じているだ
けではなく,両者には本質的な違いがあることが推察された.
Keywords:
マイクロスリップ, 行為エラー, 動作系列
類はその後の多くの研究で用いられてきた(例えば,鈴木・
1
はじめに
1.1
マイクロスリップとアクションスリップ
三嶋・佐々木, 1997)
.しかしながら,この分類はどのような
運動をマイクロスリップと認定するか,つまりマイクロスリ
本稿の目的は,マイクロスリップとアクションスリップと
ップの検出の条件を挙げただけであって,マイクロスリップ
いう 2 つの異なるレベルのスリップを統一的に記述・分類し,
の本質を捉えるには必ずしも十分ではないと思われる.した
さらに両者の相違点について検討することであった.
がって,別の分類方法を考案する必要がある.
マイクロスリップとは日常的なタスクの遂行中に頻繁に観
マイクロスリップは,環境に対して行為を行う際の調整過
察される微小な行為の淀み現象である.日常的なタスクの多
程を反映していると考えられている.このような行為の調整
くは,一連の行為を行うことにより課題が達成されるが,マ
過程の性質を明らかにするには,行為がどのように推移して
イクロスリップとはそのような系列的課題においてしばしば
いるか,その流れを捉える必要があると思われる.また,行
みられる微小なスリップと修正を含んだ現象であるといえる
為の調整はマイクロスリップが生起しているようなマイクロ
(廣瀬, 2015).
な行動レベルだけではなく,より上位の行動レベルにおいて
マイクロスリップは,微小なレベルで生じるスリップであ
も生じている.したがって,マイクロスリップだけでなく,
るが,マイクロではないレベルのスリップは,一般にアクシ
アクションスリップや他の行為エラーも統一して記述できる
ョンスリップと呼ばれる.また,アクションスリップと類似
ような行為の推移を捉える枠組みと分類の体系を構築するこ
した行為エラーとして,失行などの行為・動作障害が挙げら
とが望まれる.
れる.アクションスリップや失行はマイクロスリップと同様
に日常的なタスクにおいて生じるエラーであるが,それぞれ
異なる分野で研究されることが多かった.そのため,記述の
2
行為の記述とスリップ
2.1
動作系列としての行為
仕方や分類の方法も異なっており,両者の関係は必ずしも明
マイクロスリップに関する初期の研究では,マイクロスリ
らかでなかった.本稿では,マイクロスリップとマイクロで
ップを含む行為を記述する方法として,Action Coding System
はないアクションスリップ(および行為エラー)の関係を明
(ACS)が用いられていた(Reed, Palmer, & Schoenherr, 2009; 鈴
らかにするため,両者を統一的に記述し,分類することを試
木・佐々木, 2001).ACS は課題のゴールがあり,その下にいく
みた.
つかの下位ゴールがあり,その下にさらに下位ゴールがあると
1.2
マイクロスリップのタイプ分けの問題点
いうように課題のゴールの階層性に着目した分析である.課題
マ イ ク ロ ス リ ッ プ を 初 め て 体 系 的 に 報 告 し た Reed &
のゴールの構造は課題に特殊なものであり,階層的でない場合
Schoenherr (1992)の研究では,マイクロスリップは躊躇,軌道
もある.つまり,ACS による分析はすべての課題に適用できな
の変化,接触,手形の変化という 4 つに分類された.この分
いため,より汎用性をもった記述方法が望まれる.
1 Naoya HIROSE (Kyoto Notre Dame University): [email protected]
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
62
N. Hirose
本稿では,スリップを含む行為を動作(motion)の系列として
ことができる課題において,いくつかの条件下でのみ生じる
記述することを提案する.行動には運動(movement),動作
意図せぬ行為として定義した.本稿では,重森の定義に沿っ
(motion),行為(action)という 3 つのレベルがあり,動作は行為
た形で,通常ならば達成できる課題において生じるノーマル
と運動の間に位置する (長崎, 2004).行為とは異なる動作の
な動作系列からの意図せぬズレとしてアクションスリップを
組み合わせからなる意図的な行動である.例えば,ある対象
定義する.同様に,マイクロスリップはノーマルな動作の実
X を移動するという行為は,X をつかみ(take)
,別の場所で
行からズレた運動として定義する.このようなスリップの定
X を離す(give)という 2 つの動作から成る.また,運動と
義に基づくと,行為を記述した動作系列においてノーマルな
は動作を構成する個々の関節や体節の動きのことである.例
動作系列(または動作)とズレがあった場合,そこでスリッ
えば,X をつかむという動作は,いくつかの運動(movement)
プが生じたということができる.
から成る.マイクロスリップを例にとると,X を躊躇してつ
かむという動作は,X に向かう,一時停止,X に向かう,X
3
修復とスリップ
をつかむという一連の運動から構成される.このようにマイ
前章でスリップを含む行為を動作系列として表すことを提
クロスリップは 1 つの動作内でスムーズな運動が生成されな
案した.しかしながら,系列として記述するだけではその性
い現象として記述できる.
質を検討するには不十分であり,何らかの分析の枠組みが必
本稿では動作を行動の基本ユニットとして行為の記述を行
要であると思われる.廣瀬 (2013)は,発話修復のモデルとマ
う.個々の動作は,動作と対象の組み合わせで表し,その移
イクロスリップの記述を対応付け,行為の修復という観点か
行は“>”で記す.動作を A,B,C,対象を x,y,z とする
らマイクロスリップを理解することを試みた.本稿において
と,
“A x > B y > C z >…”のように表される.具体的には,ス
も,スリップを含む行為を修復モデルにもとづいて分析を行
プーンを取り,砂糖をすくって,カップに入れる場合,
“take
いたい.行為を修復という観点から扱った研究はほとんどな
spoon > scoop sugar > pour sugar”となる.マイクロスリップを
いが,発話における修復に関する研究は数多く存在する.こ
含む動作については,動作が途中で完了されないため,未完
れまでの研究においても,マイクロスリップは,発話におけ
了の動作を~ing で表す.例えば,
“スプーンを置いた後,カ
る 非 流 暢 性 と の 関 連 が 指 摘 さ れ て き た た め (Bettcher &
ップを取ろうとした手が途中で引き返し(軌道変更 TS)
,再
Giovannetti, 2009; Reed et al., 2009),発話の修復モデルを援用
びスプーンをつかんだ”という行為の推移は,
“give spoon >
することは妥当だと考えられる.
taking cup (TS), take spoon”と記述される.アクションスリッ
発話における修復のモデルはいくつかあるが,本稿では
プについても同様に,いくつかの動作の系列として記述でき
Repair Interval Model (RIM; Nakatani & Hirschberg, 1993)を取り
る.
上げる.RIM では,修復の過程を修復対象(reparandum),非
2.2
スリップの定義
本稿ではマイクロスリップとアクションスリップを扱うが,
流暢(disfluency),修復(repair)の 3 つの連続した区間に分
割する.さらに,RIM では修復対象区間の終端(非流暢区間
この両者について明確な定義は定められていないのが現状で
の始端)を中断点(interruption site)と呼ぶ.例えば,
“上を,
ある.廣瀬 (2015) は,マイクロスリップに関する研究を概
えっじゃなく,下を押してください”という発話の場合,
“上
観する中で,マイクロスリップの定義が研究間で必ずしも一
を”が修復対象,“えっじゃなく”が非流暢,“下を”が修復
致していないことを指摘した.これまでのマイクロスリップ
になり,
“上を”と“えっじゃなく”の間が中断点である.た
研究を大まかなに分類すると,マイクロスリップをエラーの
だし,全ての修復においてこの 3 つの区間が存在するわけで
一種として限定してみる見方と,行為の不連続性・非流暢を
ない.例えば,修復対象と修復がなくて非流暢のみ現れる場
表すより広い現象としてみる見方の 2 つがある.
合は潜在的修復(covert repair)と呼ばれる (Postma & Kolk,
アクションスリップに関しては,行為が意図やプランに反
1993).
して実行されるエラーであるとの定義が一般的である
発話における RIM の枠組みをマイクロスリップに当てはめ
(Reason, 1979).しかし,行為の実行にあたって,事前に意図
ると次のようになる.マイクロスリップ (MS)が生じた前後の
やプランが明確でない場合もある.さらに,意図やプランが
動作を記号表現で表すと,
“A x > Bing y (MS),
明確であっても,必要なスキルを持っていないためプランど
表記することができる.これを RIM に当てはめると,修復対
おりに実行できない場合もある.したがって,意図に反して
象が Bing y,非流暢が MS,修復が C zに相当する.例えば,
実行されるエラーというアクションスリップの定義は見直し
“お湯を注いだ後ポットを置こうとしたが,躊躇して (H),
が必要であると思われる.
C z”のように
再びお湯を注いだ”というマイクロスリップの場合,“pour
重森 (2009) は,スリップを行為者が目的を達成するための
water > giving pot (H), pour water”と表記される.このとき,
スキルをあらかじめ持っており,通常ならば目的を達成する
修復対象は giving pot,非流暢は H,修復は pour water となる.
マイクロスリップとアクションスリップ
アクションスリップについても同様に記述できる.例えば,
ある.
“砂糖を入れるのに,間違って塩の容器をつかんだが,やり
接触 touch:対象に接触するが操作を行わない.
直して砂糖の容器をつかんだ”というアクションスリップの
混合 mixed:非流暢が複数重なって生じる.
場合,
“take salt > give salt > take sugar”と表記される.この場
合,修復対象は take salt,非流暢はなし,修復は give salt > take
63
彷徨 wandering:複数の起動変更があり,手がさまよう.
4.3
sugar となる.
修復
修復とは,スリップの生じた前後でどのように動作が継続
したかを示すものである.
4
修復モデルに基づくスリップのタイプ
スリップをふくむ動作系列に修復モデルを適用すると,修
復対象,非流暢,修復の 3 つの観点からスリップをタイプ分
続行 resumption:動作途中で中断しようとした動作をその
まま続ける.躊躇した手が同じ対象をつかむなど.
Bing y, B y.
転換 conversion:動作の対象は変えずに動作自体を変更す
けすることができる.本稿では,これまでの研究から見出さ
れた代表的なタイプを以下に示す.
る.つかもうとした手の形が代わり,表面を触るなど.
4.1
Bing y, C y.
修復対象
復帰 return:別の対象に向かったが,先の対象に戻る.カ
修復対象とは,どのようなエラーが生じたか,どのように
ノーマルな動作から外れたかを表すものである.行為エラー
ップを一旦離したが,もう一度同じカップをつかむなど.
の研究においては,エラーのタイプを過失 commission と省略
A x > Bing y, C x.
omission に分けることが多いが,本稿では動作系列の観点か
代替 substitution:動作の対象を変更する.鉛筆に向かった
ら考え,動作そのものがズレている場合(動作レベル)と動
手が消しゴムをつかむなど.
作系列としてズレている場合(動作系列レベル)の 2 つに分
Bing y, B z.
移行 shift:対象と動作の両方を変更する.砂糖をすくおう
ける.
4.1.1
動作レベルの修復対象
動作そのものがノーマルな動作とズレている場合である.
作法 manner:動作のやり方や道具等がノーマルな動作と異
なる.フォークをつかって砂糖をすくうなど.
標的 target:動作の対象や位置が異なる.砂糖ではなく塩
をつかむなど.
質 quality:動作そのものは間違いではないが,動作のタイ
ミング,力,速度などが異なる.重い物を軽く持ち上げよう
として失敗するなど.
4.1.2
動作系列レベルの修復対象
としたスプーンがカップをかき混ぜるなど.
Bing y, C z
5
マイクロスリップとアクションスリップの違い
本稿では,マイクロスリップとアクションスリップを統一
的に記述・分類することを試みてきた.統一的に記述・分類
することにより,両者の違いが際立つので,その違いを明ら
かにすることは有意義であると思われる.
Bettcher & Giovannetti (2009) は,行為エラーの検出と訂正
の観点から,マイクロスリップ,スリップ,ミステイクを分
ノーマルな動作系列(例:A > B > C)と異なる場合である.
類した(Table 1).マイクロスリップがスリップと異なる点は,
付加 addition:ノーマルな動作系列にない別の動作が付け
検出においてより自動的で前注意的であることと,訂正が実
加えられる.A > B > X.
先行 anticipation:必要な動作ステップを飛ばして,次の動
作を行う.A > C > B > C.
保続 perseveration:必要以上に動作を繰り返す.
行された行為ではなく実行途中の行為に行われることである.
つまり,マイクロスリップは,エラーの検出メカニズムが通
常のスリップと異なり,時間や行為のレベルでより微小な訂
正が可能であると想定されている.
A > B > C > A > B.
省略 omission:ノーマルな動作系列にある動作が欠落する.
A > C.
4.2
非流暢
非流暢とは,ノーマルな動作からの運動の乱れとして検出
Table 1. Bettcher & Giovannetti (2009)によるマイクロス
リップ,スリップ,ミステイクの相違点.
プラン
種類
検出メカニズム
訂正
正しい
マイクロ
前注意
迅速
スリップ
自動制御
開始した行為の変更
スリップ
内的・外的フィード
迅速か遅延
バック
実行した行為の変更
外的フィードバック
遅延
できるものである.
躊躇 hesitation:動作途中で一時的な停止状態がある.
軌道変更 trajectory shift:動作途中で明らかな軌道の変更が
ある.
手型変化 handshape change:動作途中で把持の形の変化が
誤り
ミステイク
行為プランの変更
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
64
N. Hirose
これに対して,本稿におけるマイクロスリップとスリップ
の相違点をまとめたものが Table 2 である.
まず,これまで見てきたように,マイクロスリップとアク
ションスリップは生起のレベルが異なる.マイクロスリップ
は,動作単位の中で生じる,ノーマルな動作実行からのズレ
であるが,アクションスリップは,動作単位間で生じる,ノ
ーマルな動作系列からのズレである.次いで,修復モデルの
3 要素からみたマイクロスリップとアクションスリップも異
なっている.
第一に,修復対象はアクションスリップには必ず含まれる
が,マイクロスリップには含まれない場合がある.発話の修
復モデルでは,修復対象がない修復は潜在的修復と呼ばれる
が,マイクロスリップでは同じ対象にリーチングをおこなう
続行(taking A, take A)のような場合がこれに相当する.修復
対象が含まれない場合があるということは,マイクロスリッ
プが必ずしもエラーではないという主張(例えば,Sasaki,
Mishima, Suzuki, & Ohkura, 1995)とも整合しているものと考
えられる.
第二に,非流暢はマイクロスリップには必ず含まれるが,
アクションスリップには含まれない場合がある.マイクロス
リップではスムーズな動作の途中でズレが生じるため必ず非
流暢を伴うが,アクションスリップでは動作の区切りでズレ
が生じる場合があるため非流暢が見られないことがある.
第三に,修復もマイクロスリップには必ず含まれるが,ア
クションスリップには含まれない場合がある.アクションス
リップでは,定義上(修復が行われた場合は先行となるため)
修復がない省略や,不可逆的な動作を行うことで修復できな
い場合(例えば,コーヒーに砂糖の代わりに塩を入れる)も
ある.
このように修復モデルに基づいて考えると,マイクロスリ
ップとアクションスリップは少なからず異なっている.Reed
et al. (2009) は,マイクロスリップを miniature slips と呼んだ
が,マイクロスリップはより微小なレベルでスリップが生起
しているだけではなく,修復に関して本質的な違いを含んで
いると考えられる.
引用文献
Bettcher, B. M., & Giovannetti, T. (2009). From cognitive
neuroscience to geriatric neuropsychology: What do current
conceptualizations of the action error handling process mean
for older adults? Neuropsychology Review, 19(1), 64–84.
廣瀬直哉 (2013). マイクロスリップにおける行為の非流暢性
と修復パタン. 生態心理学研究, 6(1), 77–78.
廣瀬直哉 (2015). マイクロスリップに関する研究の動向. 生
態心理学研究, 8(1), 49–61.
長崎浩 (2004). 動作の意味論. 雲母書房.
Nakatani, C., & Hirschberg, J. (1993). A speech-first model for
repair detection and correction. In Proceedings of the 31st
annual meeting on Association for Computational
Linguistics - (pp. 46–53). Morristown, NJ, USA: Association
for Computational Linguistics.
Postma, A., & Kolk, H. (1993). The covert repair hypothesis:
Prearticulatory repair processes in normal and stuttered
disfluencies. Journal of Speech and Hearing Research, 36,
472–489.
Reason, J. (1979). Actions not as planned: The price of
automatization. In G. Underwood & R. Stevens (Eds.),
Aspects of consciousness, Vol. 1: Psychological issues (pp.
67–89). New York, NY: Academic Press.
Reed, E. S., Palmer, C. F., & Schoenherr, D. (2009). On the nature
and significance of microslips in everyday activities. Journal
of Ecological Psychology, 4(1), 51–66.
Reed, E. S., & Schoenherr, D. (1992). The neuropathology of
everyday life: On the nature and significance of microslips
in everyday activities. Unpublished Manuscript.
Sasaki, M., Mishima, H., Suzuki, K., & Ohkura, M. (1995).
Observations on micro-exploration in everyday activities. In
B. G. Bardy, R. J. Bootsma, & Y. Guiard (Eds.), Studies in
perception and action III: Eighth International Conference
on Perception and Action (pp. 99–102). Mahwah, NJ:
Lawrence Erlbaum Associates.
Table 2. 修復モデルの観点からみたマイクロスリップと
アクションスリップの相違点.○は必ず含まれる場合,△
は含まれない場合を示す.
重森雅嘉 (2009). 発生メカニズムに基づいた行為・判断スリ
ップの分類. 心理学評論, 52(2), 186–206.
鈴木健太郎・三嶋博之・佐々木正人 (1997). アフォーダンス
と行為の多様性: マイクロスリップをめぐって. 日本
生起レベル
修復対象
非流暢
修復
マイクロスリップ
動作内
△
○
○
アクションスリップ
動作間
○
△
△
ファジィ学会誌, 9(6), 826–837.
鈴木健太郎・佐々木正人 (2001). 行為の潜在的なユニット選
択に働くタスク制約 : 日常タスクに観察されるマイク
ロスリップの分析. 認知科学, 8(2), 121–138.
学会報告
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 67 - 69
学会報告
遅延制御システムを用いた行為の予期についての研究
─ 第 18 回知覚と行為に関する国際会議参加報告 ─
Anticipation in Delayed Control System:
Report on the participation in the 18th International Conference on Perception and Action
藤田
雄人(公立はこだて未来大学大学院)1
第 18 回知覚と行為に関する国際会議の参加報告として,本稿にて発表した研究を紹介する.この研究では,
人間の視覚性運動制御に予期による行為が利用されているかを調査した.地面に対して水平なレール上を転がる
鉄球を制御する課題を用いて実験を行った.制御システムには被験者の操作が反映されるまでに遅延を設定し,
視覚情報の遅れを実現した.計測した操作と鉄球の位置との相互相関解析から,操作が鉄球の運動に追従するフ
ィードバック制御であることがわかった.そして,制御対象に対する操作の遅れはシステムの遅延に依存せず一
定であった.被験者は操作を行う中で,システムに遅延があることを認識していた.しかし,相関解析の結果に
被験者が鉄球の運動を予期して鉄球の運動よりも先に操作を行う傾向は見られなかった.このことは人間の視覚
性運動制御が軌道計算の予期によるフィードフォワード制御ではないこと示唆し,運動制御が制御モデルで与え
られるような認識‐運動過程ではなく,運動調整に対する生態心理学的なアプローチを支持する結果である.
Keywords:
知覚ー行為サイクル,視覚性運動制御,予期,フィードフォワード制御
刺激の多さから,運動制御に関わる情報をパラメタとして,
1.
はじめに
定量化することは困難である.そのため,フィードバック,
筆者は日本生態心理学会の国際交流特別補助金からの援助
フィードフォワード制御モデルでは,適応的な人間の運動制
を受けて,第 18 回知覚と行為に関する国際交流会議(18th
御モデルとして限界がある.このような問題に対して生態心
International Conference on Perception and Action)へ参加した.
理学では,環境との相互作用の内に潜在する不変的な量を利
そして,ポスター発表を行い,初めての国際学会という貴重
用して,運動が調整されると考える.Devid Lee(1985)は視覚
な経験をすることができた.本稿では,そのような機会を与
情報をもとに,接近する物体の拡大率を知覚していることを,
えていただき感謝の念を示すとともに,発表した研究を紹介
衝突係数 τ で説明した.この τ の利用のように身体は無数の
する.
環境情報の中から,不変的な量を直接知覚し,それをもとに
運動を調整していると考えられる.
2.
背景と目的
視覚刺激が与えられてから運動が行われるまでの時間の長
倒立振子のような不安定な状態を維持する安定化制御は,
さによって,課題が達成されるか否かが決定される.この運
どのように達成されているのか?倒立振子は,重心が高く常
動調整に必要な時間について研究が行われている(Boostma,
に不安定な状態である(傘を手のひらの上で立てるように).
1990).卓球の球を打ち返す課題では,球がラケットに接触す
均衡状態から次に倒れる方向はランダムであり,素早く,正
るおよそ 80msec 前に運動調整が行われていた.同様に,ボー
確な運動制御が求められる.安定化制御について調査するた
ルが床に接触するときにジャンプをするタイミング一致課題
めに,人間の適応的な運動がどのようにして行われているか
においても,遅れはおよそ 80msec 程度であった.
を考える必要がある.人間の運動制御については多くの研究
通常,視覚から入力された刺激は網膜から脳へと伝達され
がおこなわれ,これらの研究では,フィードバック制御やフ
て,その後認識課程を経て運動が生成される.この一連の過
ィードフォワード制御を用いたモデルによって,人間の運動
程を通る神経系の長さから推定される反応時間は 130msec 程
が説明される(Craik, 1947; Daniel, 1995; Neilson, 1988).し
であるとされている.
先の Boostma(1990)の報告にある 80msec
かし,実際の環境では常に状況が変化し,また,自分自身の
は理論的な 130msec よりも短い時間で視覚刺激に対して運動
動きによって環境が変化する.このような状況下では,運動
が起こっていることを示す.それを可能にするためには,予
制御における目標値が次々と変化すること,環境が提供する
期による運動の可能性が考えられる.
1 Yuto Fujita (Future University Hakodate): [email protected]
所属は研究発表当時のものを記載
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
68
Y. Fujita
そこで本研究では,簡単な鉄球運動の制御課題において,
操作システムが被験者の操作に遅れて実行されるときの被験
球の位置が先にピークをとる部分が見られる.このことは鉄
球の位置を基に操作が行われていることを示す.
者の反応を調べた.通常の操作システムでは,被験者が操作
すると,すぐにその操作は鉄球の運動を通じて被験者に伝え
られる.操作システムに遅延があるときには,被験者の操作
はある時間遅れてから,鉄球に伝えられる.そのため,被験
者は自分の操作を遅れて知る.このときの反応から,視覚性
制御運動に予測が利用されているかを調べた.
3.
方法
実験は,コの字型のアルミレール(10mm(A) × 10mm(B)
× 2mm(t)× 500mm(L))を持つ装置によって行われた.アル
ミ レ ー ル の 中 央 に サ ー ボ モ ー タ ( TRESREY, HIGHEST
POWER RACING DS1000)が取り付けられ,このモータによ
Figure 1 操作と制御対象の運動
りレールの傾斜角は制御された.被験者はコントローラ(JR
を示し,実線は操作を表す.グラフ上部(正の値)は右方
PROPO, PCM9XII)の右スティックのみを用いて,サーボモ
向への移動を表し,下部(負の値)は左方向への移動を表
ータを制御した.コントローラから送信された信号はレシー
す.
破線が制御対象の位置
バー(JR PROPO, RS10-8325(72Hz))によってパルス信号に変
換され,サーボモータに送信された.サーボモータとレシー
操作と鉄球の位置の相互相関解析の代表的な結果を次に示
バーの間にマイコン(arduino Mega)を接続し,このマイコン
す(Figure 2).グラフは操作に対しての鉄球の位置の相関を
により意図的な遅延の設定が行われた.レシーバーで受信さ
示す.横軸は遅れ時間,縦軸は相関値を示す.ピークが正の
れた操作信号は PC にも送信され,この信号から操作が計測
遅れ時間にあれば,操作に次いで鉄球の位置が変化すること
された.実験装置上部に,デジタルビデオカメラ(JVC, Everio
をあらわし,ピークが負の遅れ時間にあれば,鉄球の位置に
GZ-E345-T)を設置し,制御対象の運動が記録された.記録
次いで操作が変化することをあらわす.相関値が正のときは
された操作対象の運動は,画像解析により数値化された.
同位相で変化し,相関値が負のときには逆位相で変化するこ
被験者は実験装置の前方 1.2m の位置に楽な姿勢で立ち,操
とをあらわす.解析の結果,遅れが 0 付近で負のピークをと
作を行なった.実験装置のレールの上に直径 20mm,重さ
ることがわかった.つまり,操作と鉄球の位置との関係は,
32.65g の鉄球が置かれ,制御対象とされた.レールの左端が
操作と鉄球の位置が同時刻に逆方向の変化をしていることを
初期位置に設定された.鉄球は床面から 1.05m の高さに置か
示す.
れた.課題は,鉄球を初期位置からレールの中央に移動させ,
その位置を維持すること,であった.課題は 1 分続けられた.
被験者は計 20(5*4)試行行なった.5 試行ごとに,システム
の遅延は 0.044sec,0.11sec,0.22sec,0.44sec に変更された.
操作と鉄球の運動の関係を調べるため,計測されたデータ
は相互相関解析された.操作の信号は 45Hz(レシーバーの周
波数が 45Hz)
で計測された.
操作対象は 30fps で計測された.
データ数を揃えるために,操作の信号は 30Hz にダウンサン
プリングされた.
4.
結果
実験の結果,操作と鉄球は逆位相で運動していることがわ
Figure 2 操作と制御対象との相関解析の結果
.これは鉄球の運動を妨げる(停止させる)
かった(Figure 1)
方向に操作が行われるためである.また,試行の前半の時間
各遅延とそのときの操作に対する鉄球の位置の相関の遅れ
帯では,操作のピークが鉄球の位置のピークに先行している.
を以下に示す(Table 1)
.システムの遅延が大きくなると,そ
操作によってレールに傾きが与えられ,操作が鉄球の位置に
れに伴い相関の遅れも大きくなることがわかった.設定した
先行するためである.後半の時間帯では,操作に先行して鉄
遅延が 0.04sec のときには相関の遅れは負の値をとり,それ以
遅延制御システムを用いた行為の予期についての研究
69
外では正の値をとった.相関の遅れにはそれぞれ設定したシ
Kenneth J. W. Craik(1947). “Theory of The Human Operator in
ステムの遅延が含まれているため,相関の遅れから設定した
Control Systems. I. The operator as an engineering system”.
遅延を引くことで,システムの遅延なしでの遅れが算出され
Br J Psychol Gen. Sect, 38(Pt 2). 56-61
る.その結果,相関の遅れから設定した遅延を引いた値は全
P. D. Neilson, M. D. Neilson and N. J. O'Dwyer(1988). “Internal
て負の値であり 0.07sec 程度であった.つまり,どのシステの
Models and Intermittency: A Theoretical Account of Human
遅延においても,鉄球が操作に先行しその遅れはほとんど変
Tracking Behavior”. Biological Cybernetics. Vol, 58. 101-112
わらないことがわかった.また,各試行の初めの切り返しの
Reinoud J. Bootsma and Piet C. W. van Wieringen(1990). “Timing
みに着目し,相関解析を行った場合でも同じ遅れ時間が観測
an Attacking Forehand Drive in Table Tennis”. Journal of
された.
Experimental
Psychology:
Human
Perception
and
Performance. Vol, 16. No, 1. 21-29
David N. Lee, David S. Young(1985). “Visual Timing of
Table 1 全試行の各遅延時間
0.04
0.11
0.22
0.44
相関から得られた遅れ
-0.01
0.04
0.13
0.35
実際の遅れ
-0.06
-0.07
-0.08
-0.08
設定した遅延
5.
Interceptive Action”. Brain Mechanisms and Spatial
Vision. NATO ASI Series Vol, 21. 1-30.
考察
実験結果より,操作が制御対象の運動よりも遅れて行われ
ることから,視覚情報をもとに,運動調整が行われているこ
とを示唆する.どの遅延においても制御対象の位置が知覚さ
れてから(制御対象の運動が瞬時に網膜に到達するとする),
運動が行われるまでの遅れはおよそ 70msec であった.この遅
れ時間は,卓球の球の打ち返し動作やボールの跳ねるタイミ
ング一致課題における,運動調整の遅れ時間と一致している
(Boostma, 1990).また,始めの切り返しのみに着目した解析
結果から,被験者は,制御対象の運動を見てすぐに,制御量
を知覚していた.卓球の球の打ち返しや,ボールのはねるタ
イミング一致課題と比較して,今課題は同じ遅れ時間を持ち,
対象の運動方向は異なる(二つの課題は奥行き方向,今実験
は左右方向)
.このことは,人間が奥行き方向以外の運動に対
しても,衝突係数τと同じような量を直接知覚していること
を示唆する.また,システムに遅延を設定したとき,被験者
は操作が遅延していることに気づいていたにも関わらず,操
作の変更がされなかった.このことから,素早い運動調整は
脳の中央処理とは別の過程で行われることが考えられ,軌道
計算などの予期によるフィードフォワード制御を当てはめる
ことは困難である.従って,適応的な運動は身体の直接知覚
によってもたらされ,これは運動調整に対する生態心理学的
なアプローチを支持する結果である.
引用文献
Daniel M. Wolpert. Zoubin Ghahramani and Michael I,
Jordan(1995).
“An
Internal
Model
for
Sensorimotor
Integration”. Science. vol. 269, 1880-1882
Copyright © 2016, The Japanese Society for Ecological Psychology
Journal of Ecological Psychology
2016, Vol. 9, No. 1, 70
学会報告
学会模様:北米生態心理学会から
野中
哲士(神戸大学)
2016 年 6 月 20 日,私は現在研究滞在しているボストンを
れるのか?...最終状況としての目的に至る,たくさんの異
出発し,夜 7 時 30 分にアメリカ南部のサウスカロライナ州に
なる経路がある.
..
.あなたは生きている間中,無数の可能な
あるグリーンビル・スパータンバーグ国際空港に到着した.
経路から具現したこれまでのあらゆる選択を反映する,それ
飛行機を降りると,もわっと蒸し暑くて,どこか日本の夏を
ぞれに固有の経路をたどっている.この観点から見ると,問
思わせるところがある.空港には公共交通機関がまったくな
題は,ある目的を達成することが可能な経路の族の中から,
いとのことで,あきらめてタクシーに乗ると,運転手が独特
なぜあなたがその経路を選択したのか,ということにな
の南部訛りの英語で話しかけてきた.会話の内容などはどう
る.
..
.
.Bob の体系はさらに,ふるまいに対する道徳的な,
でもよくなってしまうような,音楽のように心地よい運転手
ある種のソフトな制約にいたるまで実際に考慮している.実
のことばのリズムにいたく感動する.
際に,人が目的を達成するときにある経路をたどり,他の経
タクシーに乗って1時間ほどして,北米生態心理学会が開
路をとらないのは物理的な理由のためではないということが
かれるクレムゾン大学に到着した.あたりはただひたすら広
ある.インテンショナル・ダイナミクスの理論は,そういっ
く,トウモロコシ畑や野原が広がっている.とても徒歩では
たことまでも考慮に入れたものなんだ.
」
生活できない感じだ.会場ではすでにレセプションがはじま
学会が終わったあと,私たちは貸し切ったバスでグリーン
っていて,オーガナイザーの Chris Pagano さんと奥さんにご
ビルの街に揃って繰り出して,グリッツというアメリカ南部
挨拶する.お二人と話していたら,なんと彼らは 3 か月前に
の郷土料理を食べ,散歩をして,パブに行き,話し足りなか
結婚したばかりの新婚ホヤホヤとのこと.
った議論の続きや,近況などを話しあった.夜中にバスで揃
学会は 6 月 21 日,22 日の二日間にわたって行われた.初
日 は コ ネ チ カ ッ ト 大 学 の Michael Turvey 先 生 の
ってホテルに戻り,お別れをすると,翌日にはそれぞれがま
た旅立っていった.
“Perception-Action without a Nervous System”という発表ではじ
まった.続く発表の主立ったトピックは,対人間相互行為の
ダイナミクス,知覚情報,技能とコントロール,アフォーダ
ンス,人間工学,熱力学とエントロピーなどであった.心理
学者から動物行動学者,哲学者,工学者まで,発表者の顔ぶ
れは多分野にわたっており,異なる分野の研究者が集まって
すべての発表を聴き,理解しようとするというこの学会独特
の伝統は今回も継承されていた.
アフォーダンスの2つのセッションでは,フロアの議論の
時間がずいぶんと長くとってあって,興味深い議論が交わさ
れていた.Turvey 先生は,アフォーダンスについて,次のよ
うな発言をされていた.
「アフォーダンスは,新しいクラスの
第一性質(primary quality)である.生態科学者たちは,生物
システムの進化を所与としたときの,世界の記述を見据えて
いる.生物システムがむすびつく(fit into)世界の記述とは
どんなものだろう?生物システムたちがむすびつく世界のユ
ニークな記述こそが,今わたしたちの手にある,アフォーダ
ンスの概念だろう.
」
また,もうひとつのアフォーダンスのセッションでは,行
為が具現するプロセスが問題となったところで Bill Mace 先
生が Bob Shaw 先生のインテンショナル・ダイナミクスについ
て次のような発言をしていた.
「インテンショナル・ダイナミ
クスの核心は,行為の遂行についての理論だ.何か目的(goal)
があったとして,その目的を達成するためには何が必要とさ
学会後の夕食場面(右から Chris Pagano さん,Polemnia
Amazeen さん,Claudia Carello さん,Jeff Wagman さん,
私,Pagano さんの奥様).