平成23年度の終業式において、24年度の始業式で全員元気な顔で会いましょうと約束 しました。約束どおり、ここに集えたことを、まずは喜び合いたいと思います。 古代ギリシアでの話です。ある男が自慢話をします。「おれはロドス島で大跳躍をした。 君たちがそこにいれば、その大跳躍を見ることができたろう」。それに対して、聞いてい さと た一人が諭します。「ロドス島まで行く必要はない。ここがロドスだ。ここで跳んでみせ たまえ」。 皆さんが世界史や政治経済で学ぶヘーゲルやマルクスもその著作の中でこの言葉を引用 していますが、「ここがロドスだ。ここで跳べ」。私は毎年、この時期をどこで迎えるこ とになっても、この言葉を想起してきました。ここより他に、跳ぶべき場所はない、と。 大震災において、最大の津波被害を受けた自治体の一つが岩手県の陸前高田市でした。 人口の一割に達する二千人以上の犠牲者を出しました。 まち 震災から一か月後の昨年4月11日、その市の高校3年の一人の少女が、瓦礫となった 自宅跡に立ち、海に向かってトランペットを吹いていました。曲はZARDの『負けない い ず み で』。(ZARDこと坂井泉水さんは'90年代を疾走した女性シンガーでしたが、癌闘病 中の不慮の事故で40歳の若さで世を去りました。) 「負けないでもう少し/最後まで走り抜けて/どんなに離れてても心はそばにいるわ/ 追いかけて遙かな夢を」 ジャージ姿のその少女は、母と祖母を亡くし、祖父は行方不明でした。「私は元気だか いだ ら」、そうつぶやいて祖母が買ってくれたトランペットを胸に抱いたそうです。 その光景が翌日の朝日新聞に掲載されたことから、少女は5月に東京オペラシティの舞 ふるさと 台に立ち、『負けないで』を吹くことになります。アンコール曲の『故郷』の演奏では千 5百人のオーディエンスの合唱が加わり、ホールを包み込みました。 こ ふ な 「兎追いしかの山/小鮒 釣りしかの川/夢は今もめぐりて忘れがたきふるさと(略) こころざし 志 を果たしていつの日にか帰らん/山はあおきふるさと/水は清きふるさと」 あれから1年、先月30日の朝日新聞に一人の女性の写真が掲載されていました。真新 る り しいパンツスーツに身を包み、緩いパーマをかけた笑顔の女性です。佐々木瑠璃さん、あ の時のトランペットの少女でした。瑠璃さんは、この春、福島県立医科大学の看護学部に 進学したのです。(皆さんの先輩の倉方聡美さんがこの春進学したところです。) 瑠璃さんは、かつてお母さんと一緒に、県立医大のキャンパスを訪れ、「落ち着いて勉 強できそうね」と一緒に微笑み合ったそうです。2年生の頃でしょうから、放射能に汚染 される前の、あの高台の深い緑陰のベンチでのことだったのかもしれません。「ここに進 めと母に導かれたみたい」。形見のトランペットは大学でも続けるとのこと。あの日、悲 しみの限りに鎮魂の祈りを託した『負けないで』、これからは将来への決意を込めて吹く のでしょう。「つらい経験を無駄にしないで、どんな患者にも寄り添える看護師になりま す」。 彼女もまた、自らの「ロドス」を思い定めた一人です。「ここが福島だ。ここで跳べ」。 先週6日には、原発災害による全村避難から帰村を目指すこととなった双葉郡川内村で 小・中学校の入学式が行われました。新入生を含めた児童生徒の数は、事故前の5分の1 に達しない30人でしたが。そこもまた、「ロドス」です。 さて、皆さんにとっての「ロドス」はどこでしょうか。おそらく、この修明の校舎以外 に、みなさんの「ロドス」はありません。ここで跳んでください、勉学に、資格取得に、 部活動に、それぞれの自己実現、進路実現に向けて。「ここが修明だ、ここで跳べ」。 思い起こせば、この1年間、「希望」という言葉が語られ続け、あふれかえりました。 あ し げ いつしか、それは邪険に扱われ、足蹴にされ、手垢にまみれてきました。その希望を、私 たちは、もう一度自分の掌にのせて丁寧に手垢を拭かなければなりません。一人ひとりが、 一つひとつの異なる希望を抱いています。他者の希望を肯定しつつ、それぞれが自分の希 望を生きようとすること。そこに私たちの希望は宿ります。 新しい1年を始めたいと思います。 平成24年度が、皆さんにとって、二度とない、かけがえのない、実り多いものとなるこ とを期待して、始業に当たっての挨拶とします。
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