投薬エラー防止のための リスクマネジメント取り組み事例

15
聖路加国際病院における
リスクマネジメントの視点から
投薬エラー防止のための
リスクマネジメント取り組み事例
リスクマネジメント活動を様々な角度から推進している聖路
加国際病院を訪問。その中で、投薬エラー防止のために実施さ
れている事例を中心に取材してきました。お話をうかがったのは、
医療安全管理室・専任リスクマネジャーの寺井美峰子さんと薬
剤部長の井上忠夫先生、薬剤部チーフの阿部猛先生です。3名
の皆さんが共通した見解は“ 投薬エラー防止対策に薬剤師の
関与は欠かせない”点でした。
Ⅰ
医療安全への
病院全体の取り組み
医療安全管理体制
左から 井上忠夫先生(薬剤部長)、
寺井美峰子さん(医療安全管理室・専任リスクマネジャー)、
阿部猛先生(薬剤部チーフ)
リスクマネジメント委員会と連携した活動を検討す
る会議です。今年度は、各部門、各部署から80名の
医療安全リーダーが参加しています。
井上 医療安全への取り組みには組織横断的な体
制が必要なことはもちろん、医療安全管理室が十
特
集
投薬に関するエラー防止の取り組みをテーマに
分に機能するためには院長直轄で動けるようにす
おうかがいしますが、はじめに医療安全管理体制を
ることが条件だと思います。薬剤部としても、医療
教えてください。
安全管理室が取り組んでいる活動に積極的に協力
寺井 当院では、
リスクマネジメント委員会(委員長:
するように努めています。
石川陵一副院長、委員19名)が病院全体の医療安
全のための検討を行っています。リスクマネジメン
ト委員会の委員は組織横断的に構成され、薬剤部
患者参加の取り組み
医療安全リーダー会議などで検討された取り組
を代表して阿部先生が委員をされています。実務
み例をあげていただけますか?
は医療安全管理室が担当しており、室長の石川副
阿部 私は、
リスクマネジメント委員会の委員と医
院長をはじめ、専任リスクマ
療安全リーダーを兼ねています。医療安全リーダー
ネジャーの私のほか、ICP(イ
会 議 で は 、通 年 の テ ー マ を 設 定し て い ま す が 、
ンフェクション・コントロール・
2005年度は「医療安全のために患者さんに参加
プラクティショナー)1名、患
してもらおう」ということでした。
者相談窓口担当者1名によ
寺井 米国では医療安全に関する患者参加の方策
って構成されています。
として20項目くらいあるようですが、医療安全リー
また、
リスクマネジメント
ダー会議で検討した結果、当院では手はじめに5項
委員会の下部組織として、医
目に絞って患者さんに協力をお願いすることにし
療安全リーダー会議が設置
ました。
「薬の袋のお名前、点滴ボトルのお名前、書
されています。各部門、各部
類のお名前などをご確認ください、ネームバンドを
署の医療安全を推進する役
お見せください、
ご自分からお名前をフルネームで
忠夫 先生
割を 担っている医 療 安 全リ
声に出してお伝えください」
「医療者が手洗いをし
「医療安全対策にお金はかかるものです」
ーダーが、年に6回集まって、
ていないときにはご指摘ください」
「入院される時
薬剤部長 井上
3
は、すべりにくい履き物を持参してください」
「検査、
まで習得する内容です。今年は100人余りの新人
手術、輸血、治療などでは説明同意書をしっかり読
看護師が受講しています。なお、当院は臨床研修病
んで、納得した上で署名しましょう」
「わからないこ
院で、臨床医も今年から新人看護師と一緒に、薬剤
とは、お気軽にお尋ねください」といった内容のリ
部による講義を受けることになり、参加しています。
ーフレットをつくって、入院患者さんにお渡しする
静脈注射研修プログラム
ほか、外来の窓口に貼りました。
阿部 私たちも、薬の受け渡し時に患者さんとお
注射薬に関する看護師対象の研修がありました
名前、薬剤の内容、用法用量を相互に確認して、誤
ら教えてください。
薬防止をはかっています。その際、お互いに薬が確
寺 井 2 0 0 2 年 9 月、厚 生
認しやすいように、当院では裏面が透明の薬袋を
労働省からの 通知『看護師
採用しています。
等による静脈注射の実施に
医療安全管理室と薬剤部との連携
インシデント・アクシデント報告書で薬剤に関す
ついて』を受けて、当院の看
護部では「 看護師の静脈注
射に関する検討プロジェクト」
る医療安全管理室での対応を教えてください。
を立ち上げました。その結果、
寺井 当院のインシデント・アクシデント報告書の
2003年1月に「 聖路加国
うち全体の約30%∼40%が薬剤に関するもので
際病院看護師の静脈注射実
す。その中で病院全体で対策を検討する必要があ
施に関する基準」を作成し、
る場合は、私は阿部先生をはじめ薬剤部の方々に
その院内基準に基づいた教
ご相談します。医療安全管理室の活動には薬剤部
育プログラムを実施してい
医療安全管理室・専任リスクマネジャー
寺井 美峰子さん
「 医療安全管理室の活動に薬剤部の協
力が不可欠です」
の協力が不可欠です。
ます。
阿部 私の役割は、病院内で発生した薬剤に関す
これはナースマネジャー(看
る問題点を、寺井リスクマネジャーやリスクマネジ
護師長)の推薦を得た2年目以上の看護師を対象
メント委員会を通じて入手し、薬剤部としての対応
にした共通科目講義と技術演習による研修プログ
方法を考え、実行することであると考えています。
ラムです。
「薬剤の基礎知識と管理」と題する薬剤
その際重要なのは、薬剤部という組織全体で、問題
部による講義もプログラムに組んでおり、注意すべ
を解決していくことです。インシデント・アクシデン
き薬剤、投与にあたって確認すべき点、重大な副作
ト報告書の内容を解析し、例えば情報の問題であ
用などを指導していただいています。
れば医薬品情報室、注射薬のことであれば注射薬
研修プログラムを修了して、担当部署のナース
のスタッフと相談して、より具体的な対策を検討す
マネジャーから実施可能と判断された者には、静脈
るようにしています。
注射ができることを示すバッジを襟元に付けるこ
特
集
とを義務付けています。
Ⅱ
薬剤の安全管理に関する
院内教育
Ⅲ
投薬プロセスにおける
エラー対策
新人看護師教育で薬剤師が講師
新人看護師には薬剤の安全管理についてどのよ
うに教育されていますか?
類似薬は採用時と電子カルテで制御
類似薬のエラー対策を教えてください。
寺井 新人看護師を対象とする医療安全に関する
井上 まず、採用時に似ている薬剤はなるべく採
教育プログラムを当院の教育・研究センターと医療
用しないようにしています。当院では薬剤の採用を
安全管理室で作成しています。薬剤に関しては薬
審議する場にリスクマネジャーの寺井さんにも委
剤部に講師をお願いしています。処方せんによる
員として参加してもらい、安全面から薬剤の名前や
オーダー後の投薬プロセスから、麻薬、毒薬、向精
色、包装なども検討しています。
神薬の取り扱い、さらには薬剤師さんとの連絡方法
規格量がいくつかある薬剤も間違いが起きやす
4
いため、使用頻度が多い規格量に絞るようにしてい
ます。基本的には、採用当初は規格量の単位が低い
ものにして、様子をみながら増やすかどうか、検討
するようにしています。
すでに採用した薬剤で取り違えなどのインシデ
ント報告が複数あった場合には、他のものに変更で
きるかどうか、医療安全管理室や現場と相談します。
阿部 現在使用している薬剤については、電子カ
特
集
薬剤部から払い出し時に付けている注意書き例
ピンク色の紙にして、注意を促しているわけで
ルテで制御しています。当院では2003年7月から
すね。
システムを稼働しています。薬剤のマスターは薬
寺井 色で意味を伝える効果は大きいと思います。
剤部でつくり、間違えやすい薬剤については処方オ
例えば手術室では、数多くのシリンジが麻酔器の上
ーダー入力時に注意を喚起するようにしています。
に並んでいて、それらのシリンジを取り違えること
寺井 「サクシゾン」
「サクシン」は薬剤名が類似し
によって、降圧剤と昇圧剤を取り違えるなどの危険
ていてオーダーエラーが起きやすいことが知られ
がありました。そこで、薬剤部にも対策検討に加わ
ています。当院では、そのことから「サクシゾン」を
っていただき、手術室と一緒に検討した結果がシリ
採用していませんでしたが、さらなる対策を行いま
ンジに色分けしたシールを貼ることでした。
(写真)
した。
「サクシン」については手術室以外からはオ
阿部 降圧剤には青色のシール、昇圧剤にはオレ
ーダーできないようにオーダーシステム上の制限
ンジ色のシール、
を設けました。使用履歴を調査して、手術室以外で
麻酔薬には黄色
の使用がないことが確認されましたので、
このよう
の シ ー ル 、そし
にシステムを変更しました。この場合も、
「サクシン」
て 毒 薬 など取り
の使用履歴を調査するなど、阿部先生をはじめ薬
扱いに注意を要
剤部に力を貸していただきました。
する薬剤に黒色
また、電子カルテによって、オーダーの変更によ
の シ ー ル 、麻 薬
る転記の必要がなくなり、転記ミスが減りました。
には赤色 のシー
オーダーが変更された場合、直ぐに電子カルテ画
ルで識別するよ
面に反映されますから、投与時に確認できます。
うにしました。
注意書きの貼付と手術室使用薬剤の色分け
電子カルテ以外のエラー防止対策を教えてくだ
寺井 薬効ごとに色分けされたシールを貼るだけ
ですが、いいアイディアでした。薬剤部でシールを
作成して印刷していただき、
このような方法がある
ことを知って、手術室が活用していきました。実際
さい。
阿部 手術の前に投与を中
に取り違えがなくなり、学会で発表して優秀演題に
止すべき薬剤や血管外漏出
も選ばれました。
すると危険な薬剤などのリ
病棟保管薬の管理
ストを院内のイントラネット
に掲出しています。また、薬
薬剤部チーフ 阿部
猛 先生
「重要なのは、薬剤部という組織全体で、
問題を解決していくことです。」
5
手術室で使うシリンジを薬効別に色分け
その他、薬剤部が関与して改善された例をあげ
剤 部から払 い 出 す 時 、看 護
てください。
師さんに注意を促すピンク
寺井 当院では、病棟保管薬は、夜間、薬剤部の当
色の紙を薬剤に付けていま
直時間帯に使用する頻度が高いのですが、その時
す( 写真 )。薬剤を袋から取
に薬剤の種類や量の間違いが起きていました。そ
り出す時やテープを剥がす
の対策としては看護師間でのダブルチェックは欠
時など何か操作をする時に
かせませんが、それまで看護師が担当していた薬
必 ず 見てもらえるように紙
剤在庫管理を薬剤部に担ってもらうことによって、
を貼付する位置にも工夫を
薬剤の種類が減って、間違えやすい規格違い薬剤
しています。
も保管数が減りました。期限管理も薬剤部で定期
図 ヘパリン生食液プレフィルドシリンジ製剤の価格の閾値分析
的になされるようになり、期限切れなどのリスクが
400
減りました。
費
用 300
1
本 200
あ
た
り
︵ 100
円
︶
0
阿部 病棟保管薬を調べてみると、あまり使われ
ていないものが保管されていたり、保管数も過剰
な状況がみられました。薬剤部で管理するようにな
ってからは、内服薬は1年に1回、注射薬は半年に1
回の保管薬見直しにより、在庫数が半分くらいに減
った病棟もありました。
薬剤部調整剤との
費用の差=115.3円
病棟調整剤
閾値=186.6円
プレフィルドシリンジ製剤
薬価=226円
薬剤部調整剤
閾値=341.3円
50
100 150 200 250 300 350 400 450
ヘパリン生食液プレフィルドシリンジ製剤の価格(円)
井上忠夫:病院 2004;63
(10)
:848−850
注意:製品の薬価については最新の情報をご参照ください。
全面の向上と作業効率の向上を評価すべきでしょう。
当院で早くから薬剤部調製していた理由は、医療
安全と質の向上のために必然だからです。コストを
かけてでも医療安全対策に取り組むのだと考える
べきです。
薬剤部が管理する病棟保管薬
ヘパリン生食液のプレフィルドシリンジ製剤
投薬プロセスでのエラー防止のためにキット製
組織横断的に情報共有が投薬エラー防止の基本
最後に投薬エラー防止のために、一言いただけ
ますか。
阿部 病棟や各診療科など現場の状況をよくみて、
剤が開発されていますが、例えばカテーテルロック
薬剤部としてできることを具体的に提案していき
に用いられるヘパリン生食液のプレフィルドシリン
たい、
と思います。
ジ製剤はどのように評価されていますか?
寺井 医療安全に関する集合教育を行っていますが、
井上 基本的には、安全なキット製剤は積極的に採
臨床の現場で先輩から後輩に受け継ぐ教育も重要
用する方針です。ヘパリン生食液のプレフィルドシ
だと思います。また、何でもわからないことは直ぐ
リンジ製剤も採用しています。ヘパリンロックは、
調べたり、問い合わせることが大事です。当院の看
薬剤取り違えと院内感染の事故が起こり報道され
護師は昼夜を問わず薬剤部に質問をしています。
ていました。当院では感染対策の観点から、ヘパリ
井上 医療安全に関するデータを作成しても、そ
ン生食液は元々、病棟ではつくっておらず薬剤部で
れを活きた情報として活用しなければ意味があり
無菌調製していました。ですから感染対策面では
ません。情報はコミュニケーションをはかってこそ
問題はなかったのですが、調製時にゴム片やアンプ
共有されますので、チーム医療の中でうまく活かさ
ル片などの微細な破片が入る恐れや調製業務の効
れればリスクは減ると思います。インシデントやア
率化の課題がありました。
クシデントが起きた時、薬剤師を含め各職種が横断
キット製剤にするとコストが高くなる、という意
見もありますが、井上先生のお考えはいかがですか?
特
集
的に集まってコミュニケーションをとり、より良い予
防策をみつけていきたいと思います。
井上 ヘパリン生食液の調製費用とプレフィルド製
剤の価格について薬剤経済学的に評価したところ、
意外にも薬剤部で調製した場合よりキット製品は
聖路加国際病院
〒104‐8560 東京都中央区明石町9‐1
安価であることがわかりました(図参照)。病棟で
開 設:明治35年
調製するよりコストは高いのですが、そもそも安全
理
事
長:日野原重明
のために薬剤部で調製すべきものです。プレフィル
病
院
長:福井次矢
病
床
数:520床
ドシリンジ製剤であれば、薬剤名が明記されており
外来患者数:1日平均約2,500名
誤薬防止が可能、無菌調製されている、といった安
6