『松原病院における医療事故対策』 患者様とのリスク共有視点からの試み

『松原病院における医療事故対策』
患者様とのリスク共有視点からの試み
医療法人財団松原愛育会 松原病院
看護部リスクマネジメント委員長
川田和人
当院の「医療安全管理委員会」は、平成 12 年に発足した「医療事故対策委員会」を
前身として活動している。その中にあって、看護部門は患者様の療養生活と治療の両過
程に携わる組織であり、事故防止対策の実践部門であると認識している。平成 11 年に
ヒヤリハットノートから開始した報告システムは翌年にレポート形式に切り替えた。ま
た平成 14 年度には業務過程を洗い出しながら、事故内容別に従来の事故防止対策マニ
ュアルを見直した。さらに報告件数が上位をしめた転倒事故や与薬事故に関しては「特
定事故報告書」「特定インシデント報告書」を導入し、発生率の高かった要因や状況な
どをチェック方式で記入できるようにした。結果、平成 14 年 1 月から平成 15 年 12 月
までの1年間でインシデント 738 件、アクシデント 1223 件の報告があった。
(グラフ 1
参照)これらを 100 床あたりに換算すると、1.17 件/日の報告に相当する。これらを
第 30 回(平成 14 年 3 月)日本精神科病院協会学会において発表された他の医療機関
のものと照らし合わせると極めて高い数字を示している。このことは徹底して協力を呼
びかけたこと、またアクシデント、インシデントのそれぞれの報告要件を明確に定めた
結果であると考えている。当院のアクシデント報告の報告要件は過失の有無や身体的実
害を問わず、エラー発生による信頼喪失を含め報告を義務付けている。つまり従来のヒ
ヤリハット報告要件を含んだことで、その数字はインシデント報告を常に上まわる結果
となっている。
精神科病院における事故防止対策は、一般科と同様の視点や手法だけでは有効とは言
いがたい。与薬事故を一例にとると、医療者側の過失に伴ういわゆるうっかりミスによ
る「誤与薬」に加え、患者自身が誤った方法で服用した結果生じる「誤服薬」が現実と
して起きている。本来の期待する薬物療法が正しく行われないという悪しき結果を受け
止め、これまでとは異なる視点や対策が必要となった。つまり患者様に必要となる情報
を提供し、リスク情報を共有することで防御システムを高めていくという手法である。
患者様を治療のみならず、リスク回避のための主役として巻き込んでいく取り組みが必
要であると考えている。
これより患者様とのリスク情報の共有視点から、
「与薬事故」
「転倒・転落」の取り組
み事例を紹介したい。
1 与薬事故防止のための取り組み
①誤与薬
患者様に薬を正確に手渡すために医療者は何をすべきか。医療の主役である患者様
に注意して欲しいことは何かということを見極めた。ポイントを絞って整理すると医
療者は薬を取り出し手渡す際に、患者様の名前と与薬区分(朝食前や夕食後、寝る前
など)を患者様に聞こえるように読み上げる。患者様にも手渡し時に、応答してもら
えるように協力を求めた。(写真1参照)当院では従来のヒヤリハット報告の中で患
者様指摘によって未然に防ぐことが出来た事例、つまり防御システムとして働いた
「患者の眼」を積極的に活用している。
実際には病棟会で与薬についての協力願いとして取り上げ、話し合いの機会を設けて
いる。また応答が期待できない患者様に対しては、要注意シールを活用し注意喚起を
促がしている。
精神科では患者様の服薬トラブルがしばしば問題となるが、こうした協働作業や
その共有過程は薬物療法へのコンプライアンスを高めることにも一役を担うものと
考えている。
②誤服薬
平成 14 年 6 月から与薬に関する専用報告書を採用して以来、患者行動あるいは観
察不足に起因する与薬事故が急増している。
(グラフ2・3参照)これは報告基準を
定めたことで、従来の実態数が浮き彫りになったものと判断している。具体的には患
者様の服薬行動に起因する「薬包内呑み残し」
「呑みこぼし」
「自己管理中の怠薬」さ
らに服薬認識に起因する「多量服薬」
「薬物の持ち込み、譲渡」などがある。実際の
患者の服薬手技を見つめると手のひらに取り出した錠剤を口に運び入れる時に口元
からこぼれ落ちたり、薬包内に薬が残っているにも関わらず注意が及ばない状況が殆
どであった。そこで患者様の注意力を高めるために、確認ポイントを示したポスター
を掲示した。(写真2参照)また薬包は必ず看護者に手渡していただき、視覚と触覚
をもとに呑み残しがないことを確認することとした。また患者様が自己管理へ移行す
るにあたっては、個別に予想されるリスクや適応についてチーム間で協議している。
(表 1・2 参照)
一般的に精神に病を抱える患者様は注意力が損なわれやすく、時に抗精神病薬その
もの副作用としても現れる。患者様が理解可能な注意を喚起しながら、本来期待する
薬物療法が正しく行われるような具体的な取り組みを模索していく必要がある。
表 1 服薬自己管理時に予想されるリスク状態
患 者 サ イ ド
医 療 者 サ イ ド
拒薬
管理能力アセスメントミス
飲み忘れ
薬剤の渡し忘れ
自己コントロール
指示変更の伝え忘れ
多量服薬
観察不足
患者間での譲渡、交換
指導不足
紛失、こぼす
表 2 服薬自己管理開始における望ましい状態
1 病状及び病識
・回復期(幻覚妄想等の急性症状を脱している)
・病的体験をもとに服薬の必要性を理解できている
2 管理能力
・見当識障害や記銘力障害がない
3 既往歴
・大量服薬、乱用の既往がない
・自殺企図の既往、自殺念慮がない
4 服薬行動
・怠薬、拒薬、自己調整がなく服薬できている
・所定の場所、正しい時間に服薬できている
5 コンプライアンス及 ・入院治療に不満、不信感を抱いていない
び治療関係
・医療者と対人関係が保たれている
2
転倒防止のための取り組み
当院の転倒・転落に関する報告は「身体的要因」
「認知・精神的要因」
「環境的要因」
「治療的要因」「状況別要因」の5項目を基に集計しているが、これらが単一的な要因
であることは希であり、それぞれが複雑に絡み合って転倒は起きている。特に精神科で
は疾病の特性上、患者の認知面に関わる転倒が多いものと考える。
平成 14 年 10 月から平成 15 年 3 月までの6ヶ月間の報告を分析すると、
(グラフ4・
5参照)「認知・精神的要因」が「身体的要因」に次いで多かった。さらに具体的な内
容で最も高い数値を示した項目は、順に「身体的要因」では筋力の低下、
「認知・精神
的要因」では危機回避注意力の不足、「環境的要因」では「環境的要因」では履き物、
「治療的要因」では眠剤服用後、「状況別要因」では起立動作時であった。そこで着眼
したことは危機回避注意力である。患者様自身が転ばないために必要な注意を高めるこ
とが必要と考えた。転倒や転落は「わが身に起こりえること」として認識して頂いた上
で、対策を講じるべきであると考えた。しかしながら患者様には、通り一遍の説明では
行動変容を期待できない。つまり患者様の歩行状態や理解力に応じた具体的な目標設定
が必要であり、実際の転倒場面を回想しながら、
「起こりえる事例」として患者様にフ
ィードバックする。具体的には眠剤服用後や覚醒直後の歩行中の転倒、スリッパ履きで
の滑りによる転倒など、当事者が行動認識を変えることで未然に防ぐ事例は多い。その
上で目標設定を行い、治療あるいは療養支援に反映させていくことが大切である。その
イメージ図を下記の図1に示す。
現在、これらをより効果的に理解していただけるように、事例を通して転倒転落場面
を構成、撮影し、視覚的に理解していただけるようなビデオを作製中である。
転倒しない
転倒に対し、注意を払える
転倒しやすい環境や場面を理解できる
適切な支援や見守りが受けられる
転倒予防のための運動を取り入れ、実践する
転倒しても、怪我がないように、環境を整える
図1 転倒・転落に関する共有目標
アクシデントレポート (与薬用)
報告者氏名
発見者氏名
患者氏名
入院年月日 S・H
発生日時
平成
年
月
年
(
日
月
日
時
与薬された薬剤名
分
病棟名
入職経験年数
※ 報告者と異なる場合記載
)歳(男・女) ID
主病名
入院形態 □任意 □医保 □措置 □自由
発生場所 □病室 □ナースセンター □ホール
□廊下 □院外 □その他(
投与方法
□経口
□経管
□舌下
□外用
□点眼
□吸入
□その他(
具体的要因
□誤与薬 □指示ミス
□指示受けミス
□確認不足
□注意不足
□判断力不足
□知識不足
□管理不足
□その他
□CP入力ミス
□調剤ミス
□指示変更連絡ミス
□業務内容連絡ミス
□臨時薬セットミス
□定期薬セットミス
□定期薬更新ミス
□外泊薬準備ミス
□手渡しミス
□その他(
)
□トレイからの患者薬剤取り出し
□与薬後の観察不足
□患者薬剤持ち込み
□患者間の譲渡・交換
□外泊中の服薬トラブル
□服薬自己管理中のトラブル
□その他(
)
□誤服薬 □管理ミス
□確認不足
□判断力不足
□観察不足
□指導不足
□患者の行為
□その他
)
業務過程の要因
□医師の指示段階
□指示受け∼申し送りの段階
□与薬の準備の段階
□与薬の実施段階
□与薬実施後の観察・管理の段階
□その他(
)
内容
)
要因
年目
□患者間違い
□与薬時間の間違い
□用法の間違い
□重複与薬
□与薬未遂
□禁忌薬剤投与
□その他(
)
□患者間違い
□服用時間の間違い
□用法の間違い
□重複服薬
□服薬未遂
□多量服薬
□その他(
)
医師への報告
有・無 (
医師 ) 平成
年
月
日
時
分
所属長への報告
有・無 (
師長 ) 平成
年
月
日
時
分
発生状況及び経過
個人的な改善策
組織的な改善策
所属長の意見
事故レベル分類( A
B C D E )
※紙面が不足する場合は別紙に記載すること
松原病院看護部
所属長
印
アクシデントレポート(転倒・転落用)
報告者氏名
発見者氏名
患者氏名
入院年月日
発生日時
平成
年
病棟名
入職経験年数
年目
※ 報告者と異なる場合記載
( ) 歳 (男・女)
ID
主病名
S ・ H
年
月
日
入院形態 □任意 □医保 □措置 □自由
発生場所
□トイレ □ベッドサイド □廊下 □ホール □病室
月
日
時
分
□院外
□その他(
)
身体的要因
認知・精神的要因
環境的要因
治療的要因
□視力聴力の低下
日目
□痴呆
□履物(
) □変薬増量後
□平衡感覚の低下
*日数を記載
□精神運動興奮
□床の障害物
□反応速度の低下
□注射後12時間以内
□失禁の不安
□床の水濡れ
□筋力の低下
*要因と考える注射名を記載
□危機回避注意力の不足
□段差
□骨・関節の変形、変形 □見当識障害
(
)
□ベッドの高低
□神経疾患
□眠剤服用後
□てんかん
□ベッド柵の不備
□アルコール依存症
□隔離中
□スタッフへの遠慮
□スタッフの観察不足
離脱期によるもの
その他
□第三者との接触や加害 □抑制中
□片麻痺
その他
(
)
その他
□四肢麻痺
)
(
) (
その他
(
)
状況別要因
□トイレ行動時
□ベッド昇降時
□車椅子乗車中
□徘徊行動中
□夜間覚醒時
□起立動作時
その他
(
)
医師への報告
有・無 (
医師 ) 平成 年 月 日 時
分
所属長への報告
有・無 (
師長 ) 平成
年
月
日
時
分
発生状況及び経過
個人的な改善策
組織的な改善策
所属長の意見
事故レベル分類( A
B
C
D
E )
※紙面が不足する場合は別紙に記載すること
松原病院看護部
所属長
印
文献
1)日本精神科病院協会:日精協誌、21(別冊)第 30 回日精協精神医学会収録集(2002.)
2)松原三郎他:高齢者の精神科医療と事故―その実態について―、老年医学精神医学雑誌、
14(6)715−721(2003)
3)日本精神科看護技術協会.精神科ナースのための医療事故防止・対策マニュアル、精神
看護出版(2002)
グラフ1 H14年アクシンデント・インシデント
件数
140
120
100
80
60
40
20
0
122 113
101 96107
8276
78
75
66
5850 51 50 54 54
88
80
70
59
85
インシデント
52
37
30
4.1
H1
4.2
H1
4.5
4.4
4.3
H1
H1
H1
4.6
H1
4.7
H1
4.8
H1
4.9
H1
2
1
0
4.1
H1
4.1
H1
アクシデント
4.1
H1
グラフ2 平成14年10月∼平成15年3月の与薬アク
シデント区分
35
30
25
20
15
10
5
0
16
14
7
2
7
11
H14.10
1
H14.12
誤服薬
誤与薬
19
11
H14.11
15
H15.1
15
14
H15.2
H15.3
グラフ3 平成14年10月∼平成15年3月の誤服薬内容
の内訳
2%
4%
服薬未遂(のみこぼし、のみ忘れ)
外泊中の服薬トラブル
6%
6%
6%
トレイからの患者薬剤取り出し
患者持ち込み、溜め込み
服薬自己管理中のトラブル
10%
66%
外泊中の服薬トラブル
患者間の譲渡、交換
グラフ4 平成14年10月∼平成15年3月 転倒
要因内訳
10%
5%
身体的要因
47%
精神的要因
環境要因
治療的要因
38%
グラフ5 平成14年10月∼平成15年3月 転倒・転
落要因内訳(精神的要因)
4%
1% 3%
危機回避注意力の不安
5%
痴呆
5%
失禁の不安
45%
9%
28%
不眠
見当識障害
精神的不穏
スタッフへの遠慮
その他