朝河貫一 『中世日本の土地と社会』 が提起したいくっかの問題

﹃中世日本の土地と社会﹄ が 提 起 し た い く つ か の 問 題
なぜ本書を出版するのか
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、
.
[編訳者解説]
朝河貫
第一章
N 迂(一九二九年、邦訳﹃入来文書﹄
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なぜ本書を出版する必要があるのか。朝河貫一は、主著吋常ロミN
柏書房、二 O O五年)刊行の前後に、大量の庄園文書を研究している。一九一 0 1二0年代のことである。いくつ
かの論文は発表されたが、不幸にして生前それらをまとめる機会は訪れず、朝河は敗戦から間もない一九四八年
夏にパ 1モント州の避暑地で急死した。
FshNE円淀川ミミミミミミ同も室、日本学術振興会、一九六
朝河の封建制論に関わる遺稿の一部は、﹃荘園研究﹂(トS
shNSA
五年)に収められた。以下、同書の日本語部分を指すときは﹃荘園研究﹂、英文部分を指すときにはh
界に提供するものであり (b)、
R折 h じ一耐官官一一骨卦し、﹁入来文書﹄の先例に倣って、巻末に附し、貯一一一静トレか
(a)0
得る関係文書を、 AT昨
とりわけ﹁午原庄関係文書﹂は、若者か除後日い卦臥ルトかか骨岳骨骨骨舟料ト砕舟レ ぃ、令後九げ研究の基礎ト争
は、部分的に引用文書の原文が挿入されていたが、ひとり引用又は言及された文書にとどまらず、執近入手され
﹁本書の第一部に収めた右の二論文[﹁越前牛原庄﹂および﹁庄園制度の展開を示す古文書の研究﹂を指す]に
に説明している。
ER司令と略称する。同室日を編集した当時の﹁朝河貫一著書刊行委員会﹂(刊行委)は、その編集意図を次のよう
1
7
7
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78
表 1 朝河の選択した古文書と刊行委が補充した古文書の対照表
朝河の選択 刊行委が関連文書として列挙し、
した古文書 学振版に収めた古文書
牛原庄文書 本書第一部関連
I 71円光院領牛原庄由緒
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0
4官宣旨
E
0
5官官旨
0
6
官宣旨
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7
1円光院領牛原庄由緒
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越前回司庁官
V
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越前国司庁宣
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越前回司庁宣
V
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越前国司庁官
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越前国司庁宣
1官官旨
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越前国司庁官
V
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3
越前国司庁宣
Wa 71円光院領牛原庄由緒
1太政官奏
Wb 0
5二支院菓子酒畳等支配状
Wc 2
4
牛原庄節器支配注文
Wd 2
3二宝院宿直兵士支配状
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2
7
官宣旨案
医
3
1醍醐寺記録
初期庄園文書および東大寺領庄閤文書(本書第二部)
I
7
4
弘福寺田畠流記帳
I
7
5讃岐国山田郡弘福寺領回図
E
7
6
大安寺伽藍縁起起流記資財帳
E
7
7法隆寺伽藍縁起井流記資財帳
9
0法隆寺縁起資財帳
8
9東大寺開田越削国足羽郡糞置村
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地図奥書
V
7
8
越前国司公験
9
越前回使等解
V
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越前園田使解
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越前回目使解
3
越前国使等解
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造東大寺司牒
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5
越前国使等解
X
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6
越前国田使解
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7
生江臣息島解
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8
越前回坂井郡司解
X
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1越前回使解
9
2
御物東大寺領糞置村関団地図
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生江子公戸口同広成解
9
4上家郷戸主野於斐多戸口秦目リ多
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麻呂解
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5中野郷戸主物部古麻呂解
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伊何我部広麻呂解
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6草原郷戸主酒部午養戸口同小国
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草原郷戸主中臣部小金解
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9岡本郷戸主粟田多比女戸口道守
息虫女解
1
0
0貞観寺田地目録帳
1
0
1都維那法師解
1
0
2
越則国足羽郡庁解
1
0
3東大寺諸庄団地目録
1
2
8
官官旨
1
2
9
東大寺領回数所当 j
主進
1
3
0
東大寺注進状案
8
1摂津国島上郡水無瀬庄絵図
1
0
5東大寺牒
1
0
3東大寺諸庄田地目録
1
0
6関自家政所下文
1
0
7散位為時解
1
0
8
水無瀬庄司藤井安吉申文
1
0
9
水無瀬庄未進勘文
1
0
4
左尽職下文
1
0
5
東大寺牒
1
1
0
水無瀬庄地子米結解状
11l水無瀬庄預紀延住解
1
1
2
藤井重冗解
1
1
3
左近衛将曹中臣近友解
1
1
4
水無瀬庄文書出納日記
1
1
5東大寺領見在庄園目録
1
1
6東大寺庄国文書絵図目録
1
1
7東大寺庄園文書絵図目録(後閥)
1
1
9東大寺知事静縁注進状
1
1
8
水無瀬庄田堵等解
1
2
0
紀光安請文
1
2
1水無瀬庄文書目録
1
2
2
水無瀬庄文書注文
1
2
3
僧某奉書
1
2
4
東大寺被召上文書注文
1
2
5
東大寺領庄園文書目録
1
2
6東大寺文書預状
1
2
7
水無瀬庄文書出納日記
1
2
9
東大寺領回数所当注進
1
0
0貞観寺田地目録帳
刊行委注、[ ]内の文書は朝 i
可が翻訳しなかったものを、刊行委が関連文書として和文を掲げた
ものである。 LandandS
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[編訳者解説]
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﹁庄間関係文書﹂は、著者の引用・言及した限りの原文と若干の関連文書を収録したものである
研究﹄解題五1六ページ
﹂(﹁庄園
(C)
上記の編集方針は、一見学問的に何の問題もないものに見える。だが、同書の刊行以後、この本がほとんど参
照されず、あたかも敬してこれを遠ざけるかのごとき扱いを受けてきた現実を踏まえて、私は考える。﹁後知恵
の批判にすぎぬ﹂という反批判を甘受しつつ書くが、刊行委の編集方針には重大な誤謬が含まれていたのではな
いか。刊行委の編集は﹁﹃入来文書﹂の先例に倣って﹂行われており、私が﹃入来文書﹄の邦訳を試みた際に指
摘した誤謬が十年後にも繰り返されているわけで、私の疑問あるいは批判も同じものになる。
結論的に言えば、このような﹁史料の補充﹂はその善意にもかかわらず、朝河貫一の著作権の侵害になり、朝
河の著作物を後世に伝える上で問題が残る、と私は主張する。
朝河の書いた論文は主として英語論文(一部はフランス語)であることが読者を遠ざけてきた理由であったこと
を考慮すれば、刊行委は、何よりもまずこれらを邦訳して英語に不慣れな読者に日本語として朝河の結論を提供
すべきであった。これならば朝河貫一の著作権侵害問題は生じない。
次に朝河がアメリカに在って参照できなかった史料、あるいは﹁著者の没後に発見された史料﹂の扱いについ
てである。これらを﹁新たに編纂・校訂する﹂仕事は、朝、河の著作とは明確に区別し、刊行委等の独自の任務と
して行われるべきであり、両者の混同は厳に戒めるべきだ。補充部分を﹁巻末に附し、第三部とした﹂やり方は、
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朝河が大量の史料のなかから苦心の末に選び抜いたエッセンスを、いわば反故紙の中に紛れ込ませる愚行に等し
ν
、
朝河が選んだ史料選と﹁巻末第三一部﹂との関連は、
叫塁手ぜ円相同九w
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・ 印山一出の 2ページの対照表に一不され
ている。すなわち﹁EPMg ﹄若山口ゆ路島。258Z一口三。こさω52号253HEEσ2152qguoロ門戸Em
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252仲田口門戸OFqmgg 2523﹂と題された対照表であ
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-一回﹃叶司自由E
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。
三ページにわたる対照表(上掲の表 1) を用いて、刊行委の﹁新たに編纂・校訂﹂した﹁巻末第三部﹂から朝
河の英訳した部分を調べるのは容易なことではなく、普通の読者ならば、古文書の当該箇所を探る過程において、
﹁朝河の杜撰あるいは手抜き﹂と誤解する恐れさえある。私はこの印象を踏まえて、あえて再び強調するが、こ
のような作風は朝河貫一の著作権を侵害するものであり、朝河貫一が選び抜いた史料のエッセンスを反故紙の海
に隠すに等しい。私は刊行委の善意を疑ってはいない。朝河史学の到達した成果に対する無理解が、このような
愚劣な編集方針に帰結した事実を批判するにすぎない。私が今回、朝河史学翻訳三部作に加えて、あえて本書
﹃中世日本の土地と社会﹄を世に問うのは、朝河史学の結論部分を読者に伝えたいと願うからである。とはいえ、
浅学非才の素人による、後期高齢者の仕事であるから、誤謬は避けがたい。博雅の士のご叱正を待つばかりであ
Qo
ヲ
顧みると、日本史学界では、戦後幾度か庄園研究のブ lムがあり、その成果は、たとえば﹃福井県史通史編
2 ・中世﹂(一九九五年。以下﹃福井県史﹄)などに盛り込まれている。その中で牛原庄は、第二章﹁南北朝動乱と
越前・若狭﹂において第四節﹁越前・若狭の庄園の諸相﹂の一部をなす第五項﹁牛原庄(庄の成立、庄域の変遷、
地頭の支配、絹の庄園)﹂で扱われているだけである。ゴマンとある庄園文書のなかで、牛原庄の影はきわめて薄い。
﹁福井県史﹄が用いたのは﹃醍醐寺雑事記﹄など、朝河が用いた史料とほとんど変わらない。朝河の分析と
﹃福井県史﹄を比較すると、同じ史料を用いながら、朝河の牛原庄論は、通俗的な﹁福井県史﹂とはまるで異な
ることに、読者は気づくであろう。朝河はヨーロッパのマナ!と日本の庄とを対比して異同を論ずる﹁比較封建
[編訳者解説]
181
制﹂研究の視角から、牛原庄文書を読む。﹁読み方﹂によって﹁読み取れる内容﹂はまるで異なって来ることを
示す恰好の事例である。では、違いはどこにあるか。
朝河は、牛原庄の歴史的位置から出発する。朝河は、院政下で発展した﹁成熟した庄園﹂を﹁初期の庄園﹂と
峻別する。たとえば初期庄園は﹁国免庄﹂であり、国司の権限で免税が行われた。これは通常は﹁当該国司一代
限り﹂であった。当然、国司が交代すれば、免税措置は取り消される可能性があった。つまり、免税措置は安定
的なものではなかった。実際、午原庄の歴史を見ると、﹁免税許可﹂と﹁免税許可の取消し﹂が繰り返された後、
ようやく﹁官宣旨﹂を得て、免税が定着した経過が次第に浮かび上がる。百姓の開墾田を買い上げたり、庄内外
の新開墾地を口分田と交換したりしながら量的に拡大し、質的に土地の保有関係を強化しつつ、成熟していった
庄園で生まれた慣行を注意深く観察すれば、﹁十二世紀の庄園﹂は﹁初期の庄園﹂とは似て非なるものである、
と朝河は強調してやまない。
第二に、朝河は庄の設立を認めた﹁上皇の住む院(住まい)﹂、上皇の寄進によって生まれた﹁寺院としての院﹂、
そして公有地の囲い込みから生まれる﹁エンクロ iジャとしての院﹂、これら三者の関係を再考する。そして
﹁日本版エンクロ lジヤ﹂は﹁上皇の権力によって行われた﹂事実に着目し、ここに﹁成熟した庄﹂の成立の契
機を見ている。初期の庄は、いわば国司の判断一つで租税公課の減免が行われていたのに対して、いまやその判
断を行うのは、天皇の地位を退いた上皇なのだ。
第三に、ヨーロッパのマナ1においては、﹁領主直営地(島市BgD巾)の比率﹂がきわめて高いのに比して、日本
においては﹁庄の直営地﹂が、きわめて小さい。水田の大部分は、土地所有者から耕作者に対して小作地として
借地され、﹁直米という名の小作料﹂(地代)を得る形が大部分を占める。京都の朝廷に警護の兵士として派遣さ
れ、あるいは節句において奉仕するなどの義務もあるが、それらは﹁土地に緊縛されて、自由を失った形﹂で行
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一
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2
うわけではない。ヨーロッパと日本のこの差は、何に由来するのか。
朝河の結論を言えば、日本流の﹁精耕細作による水稲耕作﹂とヨーロッパ流の﹁小麦を中心とする粗放農業﹂
との違いが他の要因を圧倒する。前者がアジアモンスーン地帯の水田(富島身内庁E由)で広く行われる農業である
のに対して、後者は﹁乾地畑作農業﹂(仏弓貯コロE
m) とも呼ばれる。
コメを作る水田農業と、小麦を育てる畑作との違いは一見して明らかだが、そこからヨーロッパの領主農場の
経営規模の広さや地条の形態、他方の水田農業における領主直営地の制約条件を、小家族の農民家庭の経営条件
から解いて見せる朝河の日本農業論は、ほとんど手品に魅了されるような印象を私は抱く。
すなわち歴代の日本農民の水稲耕作は、その技術・経営的条件に規制され、一町歩程度の規模に収敵した。こ
のタイプの水田経営が標準として時代を越えて継続してきた。その経営の安定性、安定の中での漸進的成長の秘
密を、ヨーロッパの粗放経営と比較して解いた歴史家は、朝河以外に見当たらない。朝河は、二疋数の小作農民
グループが、小作地経営を基軸としつつ、その﹁剰余時間を用いて副業的に﹂領主のための直営地耕作を引き受
)0
この分析は、本書
けることによって、労働時間の配分においても、農民家庭の経営においても、最も安定的な経営に収触すること
を、﹁耕作面積と収旦一塁﹂の相対関係の具体的な分析から、論証してみせた(本書三五ページ
の白眉であると私は考える。
繰り返す。管見だが、朝河以外にこのような問題意識を設定し、論証に挑戦し、成功した例は、皆無ではない
のか。﹁収益から見た生産性﹂では、﹁直営地経営が圧倒的に有利である﹂にもかかわらず、それが拡大する要因
には直結しない。それは個別農家の経営を﹁部分的に補完する形でのみ安定的に存在し得る﹂にとどまる。かく
て直営地経営は、﹁一定の規模に収赦し安定する﹂という動的論理を彼は具体的な水田面積、労働時間、米の収
量等の条件からいわば帰納法により論証した。このような対比はヨーロッパのマナl の構造を深く認識できた朝
、
.
、
¥
¥
¥
[編訳者解説]
1
83
河のみが達成し得た成果ではないか。日本に残された膨大な庄園文書をどれほど大量に収集して分析したところ
で、このような独特の成果に到達し得ないことは、これまでの研究史が逆の面から教えている。つまり学問研究
においては、方法論が決定的に重要なことを朝河の成果が示している。そして日本の歴史学界には、朝河が持っ
た問題意識はなく、朝河の研究成果を理解することさえできずに、実態から義離した定義を弄して、﹁庄とマナ
l﹂について見当違いの比較を試みては忘れるという悲喜劇を繰り返してきた。たとえば日本における封建遺制
を語る論者が、ヨーロッパ流の共同体規制を日本に発見すべく、どれほど涙ぐましい徒労を続けたことか。日く、
水利管理上の規制あり、日く、入会地利用上の規制あり、云々。﹁共同体規制に拘束される農奴﹂という通俗イ
メージと、﹁作人とは地主であり、農業経営者でさえある﹂と喝破する朝河の耕作者イメージには、雲泥の差異
がある。
第四に、精耕細作の日本的水稲耕作と西欧の粗放農業とが、農業生産のあり方においてかくも異なる事実は、
当然に人々の社会関係、階級構造にも大きな影響を及ぼす。そこから朝河は、﹁日本には農奴は存在しない﹂事
実を強調し、転じて﹁日本人の国民性﹂の特徴を説いた。
第五に、ヨーロッパにおけるマナ l の封土(フィ lフ、常同)が中世を特徴づけるのに似て、日本の庄園の耕地
が鎌倉期以降、封土に転化していく過程を論証し、このことからヨーロッパ近代社会の母体となる封建社会と、
日本の近代化を用意した﹁封土を基礎とする封建社会﹂の特質とを対比研究した。この﹁比較封建社会﹂研究と
いう視点こそが、朝河が生涯をかけて追求した課題であり、成果を挙げた独自の領域である。
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¥
¥
1
84
第二章
本書の構成について
本書の主体部分は三部から成る。
第一部には﹁牛原庄の解剖││庄は十一一世紀にどのように封土化したか﹂というタイトルを掲げた。朝河の原
タイトルは単に﹁弓∞E
mTmg﹂である。朝河はここで﹁十分に成熟した午原庄﹂の構造を徹底的に分析し
a宮白R
ている。この庄の起源に始まり、十一一世紀半ばにかけてどのように成長したかを丹念に跡づけて、その後﹁十分
に成熟した午原庄﹂が頼朝による鎌倉幕府の樹立によってどのように変容したかを描いている。つまり、朝河に
よれば、日本の庄園は八世紀に生まれて、十二世紀末に鎌倉幕府が成立して以来、封土化の道を歩み、十五世紀
半ば(一四六七年の応仁の乱)以後、戦国時代の展開に伴い、すべての﹁農地の封土化﹂が実現された。
この時点で、あるいはその後も、いわゆる﹁庄園という通称﹂は残る場合もあるが、その内実はかつての﹁中
世の庄園﹂とは、根本的に異なる。それはすでに封土に本質を変えたものであり、初期の庄園とはまったく違う。
日本では律令制下の土地保有制度が解体し庄園制が展開する過程において膨大な古文書が残されており、庄園研
究は時代的な流行を別としても、相当に活発だ。こうして庄園は細部まで明らかになった印象が深いが、実は
﹁木を見て森を見ない﹂弊害に悩まされているのではないか。庄園文書の海で溺死寸前なのではないか。
朝河貫一が庄国文書の中から、﹁十二世紀の十分に発展した庄﹂の構造を分析するために選びとったのは、越
前大野郡の小さな庄﹁牛原庄﹂と、それと対比するためのいくつかの寺院領にすぎない。読者は、そのようにご
く一部の例から大きな結論を導く朝河の論理展開に当惑するかもしれない。しかし、彼の視野には、ヨーロッパ
封建社会の基礎をなしたマナーについての深い知識があった。マナ lと庄とがどのように異なるか、 そのような
[編訳者解説]
1
85
違いを生み出したものはなにかを追求することを研究課題とする、明確な問題意識を持って選ぴ抜いたのが牛原
a水稲耕作と b牧草地の欠如である。両者の因果関係は、ニワトリと
庄であり、水無瀬庄なのだ。その発展と変容を長期的、継続的に跡づけることの可能な文書類として、朝河はこ
れらを選択したのである。
日本農業を西欧農業と区別する特徴は、
タマゴにも似ているが、水稲耕作のゆえに三圃制のような土地利用形態は不要であった。地力回復を得意技とす
る水稲耕作の場合、長期的連作が可能であった。水稲耕作によって、一一千年にわたって連作を続けながら、連作
障害も収量逓減も生じなかったことが日本農業の決定的な特徴であり、これは当然ながら日本社会全体に深い刻
印を残した。朝河の著作前後にも、たとえば和辻哲郎の﹃風土│人間学的考察﹄のように、日本農業や日本社会
の自然環境に触れた分析は枚挙にいとまない。しかし、たとえば﹁ヨーロッパではなぜ領主制農場が中心的位置
を占める﹂のに対して、日本では﹁なぜ小規模農民の経営が圧倒的であり、領主直営地は拡大しなかったのか﹂
││この大問題を朝河のように分析した例を、管見だが知らない。朝河の論理はあまりにも独創的なものであっ
たために、執筆以後、百年を経ても大方の理解するところとはなっていない。
門外漢としてあえて書くが、これは日本史研究があまりにもドメスチックな視野狭窄に陥っているためではな
いか。同時に、西洋史研究者たちが自らの問題意識をまるで欠いたままに、西洋学説の輸入業者にとどまってい
るためではないか。いずれにせよ、明治以来、帝国大学に源流を発する﹁国史、東洋史、西洋史﹂の三分割路線
の欠陥が致命的な悪影響を及ぼした。その欠陥に起因するならば、東洋史、西洋史を含む日本史学界全体の病弊
と見るべきである。
朝河の牛原庄分析の概要は、以下の九篇の史料に付されたタイトルによって輪郭は把握できよう。
1
8
6
牛原庄(越前回大野郡)の起源
円光院に寄進された領地について、国司の干渉をやめさせるための院宣一一一一一一一年
牛 原 泉 庄 の 領 家 一 二 三 年? 1一一六O年
左弁官から醍醐寺円光院へ下された宣旨一二三二年
E 領家藤原成通のために、左弁官が越前回へ下した宣旨一一一二三年
H I
N
私はこれを(あ)1(え)に四分類してみた。
第一部の主題が明確であるのに対して、﹁第二部寺院領の発展と﹃庄園の封土化﹄﹂は、ややこみ入っている。
05である。直訳すれば
。
℃EB門広∞ESEEr-己
朝河の原タイトルは印。自の口。2ggg 冨5可註︿ゆえ任命ロ2 色
﹁庄園制の発展を説明するためのいくつかの文書﹂である。ここにはおよそ三十篇の文書が選択されているが、
ても十分に理解されるに至っていない。本書はその空白を埋めるささやかな試みの一つである。
朝河が世界で初めてである。それはあまりにもユニークであるゆえに、執筆後百年を経た二十一世紀の今になっ
展した。こうして生まれた﹁封土﹂こそが、封建社会の基礎となった。﹁庄の封土化﹂の過程を実証したのは、
庄﹂である点が特筆される。日本のいわゆる﹁庄﹂は八世紀に生まれたが、十三世紀に姿を変えて﹁封土﹂に発
第一部の主題は﹁牛原庄の成立と発展﹂であることが一目瞭然である。そして主な分析対象が﹁十二世紀の
醍醐寺における仏事の記録一一八一 i 一一八五年
平泉寺僧の狼藷に関わる宣旨一一六三年
牛原庄の年貢と諸役十二世紀半ば
牛原庄の免税を指示した庁宣一一三一一一1 一一五二
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E 四
[編訳者解説]
1
87
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iA
zl
-fl
'
納使街﹂への登記報告、xxm封土化前夜の東大寺庄の一覧、 XXE封土化以後の東大寺庄名一覧などを扱う。
の比較)、xxv新開墾水田道守庄の売却記録、 X X羽田宮庄の土地記録、xxw足羽郡庁から東大寺﹁諸庄収
回坂井郡司から東大寺領磯部庄の徴税報告、 XXE越前回司の土地報告、 XXN糞置村地図(七五九年と七六六年
時期は八世紀から十三世紀に及ぶ。文書としては、xxI足羽郡司から東大寺領糞置庄の徴税報告、 XXE越前
の東大寺領に即して徹底的に分析する。それらは糞置庄、磯部庄、道守庄、田宮庄などのケ lススタディである。
(う)﹁寺領の発展から封土化へ││越前回東大寺領の場合﹂では、封土化の過程を越前回足羽郡および坂井郡
桑原庄に着目してその発展過程を描いた。
﹁その由来が記録として残されているもの﹂は必ずしも多くはない。朝河は大量の庄園記録の中から、ここでは
東大寺の保有する庄園は数が多く、文書量は膨大で、内容もさまざまだが、﹁比較的初期のもの﹂で、かっ
東大寺司の決定、 X X国田使から造東大寺司に宛てた徴税報告の添書から成る。
録
、 X珊﹁国史生から造東大寺司への報告﹂に対する指示、xk﹁国史生から造東大寺司への要請﹂に対する造
ぶ。時期は八世紀中葉である。 X V桑原庄の成立・土地売却証書、xw桑原庄の財産目録、xu桑原庄の財産目
(い)﹁初期の寺領211桑原庄の場合﹂では、典型例として﹁桑原庄のケ lススタディ﹂(越前田坂井郡)を選
都深草貞観寺の土地登記から成る。
ては、 X讃岐国弘福寺の寺領、xI奈良大安寺の寺領、 X E奈良法隆寺の寺領、 X E奈良法隆寺の寺領、xw京
大地震﹂の時代に生まれた京都深草貞観寺の寺領を分析したもので、時期は八世紀から九世紀である。文書とし
大安寺の寺領、あまりにも有名な奈良法隆寺の寺領、そして東日本大震災以後、とりわけ有名になった﹁貞観の
(あ)﹁初期の寺領I││法隆寺など﹂は、旧川原寺から名を変えた弘福寺の寺領、旧百済大寺から名を変えた
J
最後に(え)は、﹁東大寺領水無瀬庄の封土化への道﹂であり、時期は八世紀から十三一世紀である。
、
a
A
,
8
8
第一部牛原庄から第二部(う)までの事例は、すべて越前回の庄、それも大野郡、足羽郡および坂井郡に限ら
れる。これに対して、(え)で扱う﹁水無瀬庄﹂は、摂津田島上郡に位置する。 x
xx水無瀬庄(摂津国)の水田
地図(七六七年)、 x
xxI水無瀬庄の土地登記(九九八年)、 XXXE水無瀬庄への免税命令(一O一六年)、 X X
X E水無瀬庄への免税請願と許可(一 O二九年)、 xxxw水無瀬庄の地子米報告(一 O五五1五八年)、 xxxv
水無瀬庄の絹・種馬進上(一 O五六1五九年)、 x
xxu水無瀬庄における中臣近友による小作契約(一 O九一年)、
x
x
x
m
u水無瀬庄の土地登記(二二八年)、 xxx四水無瀬庄の小作人八名が五節句に畠の地子を供える覚書
(二一三年)、 XXXE水無瀬庄の経費一覧(一一二四年)から成る。
朝河が最後に配した﹁水無瀬川﹂は万葉の昔から歌に詠まれ、歌枕として有名だ。本来は﹁表面には流れは見
えないが、地下に水が伏流している川﹂を意味する普通名詞であり、古来﹁忍ぶ恋﹂を象徴するものとみなされ
てきた。平安京に遷都されて山陽道がこの川の近くを通るようになると﹁水無瀬川﹂のイメージが変わる。水無
瀬川に由来して生まれた東大寺水無瀬庄は、当時摂津田嶋上郡に属していた。
見渡せば山もと震む水無瀬川
タは秋となにおもひけむ
これは﹃新古今和歌集﹄に収められ、人口に贈突する後鳥羽上皇の名歌である。一一九九年頃、水無瀬川と淀
)0
しかし翌年には、源通光によって旧地の北西方に新たに水無瀬
川の合流点近くに後鳥羽上皇の離宮・水無瀬殿が営まれたことは藤原定家の﹁明月記﹂に書かれているが、これ
は一一二六年六月の大雨で流失した(﹃百錬抄﹄
)0
一二一二年、鎌倉幕府打倒に失敗した後鳥羽上皇は隠岐島に配流され、その地で没した。
殿が建てられた。この新離宮は賛を尽くしたものと言われ、後鳥羽上皇は水無瀬の地を好み、水無瀬御幸はつ一十
回に及んだ(﹃明月記﹄
鎌倉時代になって、水無瀬庄の水田は最盛時の四十町の三分の一に減少したことが、文書X X加に言う十二町八
[編訳者解説]
1
89
段から分かる。これは旧庄園が亡び、庄園が﹁封土﹂(由民)に転化していく姿の一つの象徴と見ることもできよ
う。この文脈で後鳥羽上皇の歌は、旧庄聞の亡びを弔うもの、腰膿たる春霞も含めて﹁中世の秋﹂を象徴するイ
メージと化したわけだ。
朝河貫一は﹁院政下で生まれた最初の庄﹂として午原庄を選び、水無瀬庄で最後の分析を終えた。後鳥羽上皇
が水無瀬庄で鋭気を養いながら、鎌倉幕府の打倒を試みるという歴史的に見て反動的な計画を企てて失敗し、隠
岐島に流されて死去した事実は、﹁上皇権力の終罵﹂を象徴する出来事である。水無瀬庄は﹁院政下の最後の
庄﹂と呼ぶこともできよう。
十二1十三世紀の日本庄園は、律令政治体制を崩して、のちの封建社会を形成する舞台回しの役を演じた。朝
水稲耕作が決定づけた日本封建制の特質
河が﹁中世日本の土地と社会﹂で意図したのは、その転換の内的構造の分析であった。
第三章
第一節﹁水稲耕作の先天的要請﹂が決定した日本型封建制
堀米庸三は、かつてこう指摘したことがある。歴史における理論的一般化に極度に慎重であった朝河氏が、例
外的にそれをあえてした領域があるとすれば、それは﹁水稲耕作が日本史の発展におよぼした規定的意義﹂につ
いてであった。氏は、歴史の基本的動向において共通するところが多い日本とヨーロッパについて、それにもか
かわらず両者を決定的に分かつ一般的要因があるとすれば、それは一方[ヨーロッパ]における﹁大規模な牧畜
¥
'
90
をともなう主穀農業﹂と、他方[日本]における﹁牧畜の僅少な水稲耕作﹂であると信じた。このような一般論
が朝河氏に例外的であっただけに、氏がこの問題に注いだ努力は異常なものがある。﹁氏ほどに東西農業の対比
を技術史的観点にもとづいて追求した例を、わたくしは寡聞にして知らない﹂。
堀米庸三の指摘する﹁東西農業の技術史的対比﹂の事例は、朝、河の論文の随所に発見できる。たとえば一九一
八年の講演﹁日本封建制の諸相﹂では、こう指摘している。﹁庄園をマナーから区別する特徴の起源を理解する
には、歴史的時代の当初から日本農業を際立たせている特徴にもどらなければならない﹂、﹁すなわち牧草地を相
対的に欠いていたこと、水稲耕作を農業の中心としていたこと﹂である。
﹁初期の庄と初期のマナ l の比較研究﹂では、水田の圧倒的重要性と家畜の飼育が大きな意義を持たなかった
ことが﹁農民に対して強い個人所有権あるいは水田所有権の感覚を育てた﹂とし、また﹁領主農場の欠如が耕作
者に相対的に自由な状態をもたらした﹂と結論づけていた。
この例のように、朝河が日本農業の特徴を強調した論述は、諸論文の随所に見られるものではある。しかし、
論文﹁日本史における農業﹂ほど大胆に、日本農業の特質を概括したものは見当たらない。
εgEB)
朝河によれば、日本の農業は﹁記録の残っている最初期以来﹂、二つの大きな特色によって特徴づけられてき
た。すなわち、
①実質的に牧草地を欠いていること(岳町買R己主与82
②水田が普遍的に存在していること(己55ぞ2包 買2
820ごF25・白色色
。
巾
である。
g
)﹂について朝河は一三一口う。﹁いずれが原因であったにせよ、
両者の﹁密接な発生史的関係(出号お暗号号互阻止
水稲耕作は、広範な畜牧業(自民宮口弘2EE丘町広各自己弓)と両立できなったと思われる﹂と。つまり牧草地を
1
[編訳者解説]
欠いていたから水稲に特化したのか、それとも水稲中心の農業であったために、牧草地が不要であったのか、そ
o
、
.
の因果関係はともかく、歴史的事実として①と②は二律背反であったという。実質的に欠如している牧草地はさ
ておき、普遍的に存在する水稲耕作についての朝河はほとんど詩に近いような簡潔な語長で次のように活写する
h
l-どの田も最後の切株、石ころまで除去される(巾RVP555HZnZR色。ごE E印
ZEE-)包与えgm)/どの
田も完全に水平にしなければならない (
m
R
FB5HZB色相官民巾門広三巾︿巾})/それから正確な深さまで水を入
℃2
れる(自己宮出。aEZEZR円 号 宮 町 ) / 隣 接 す る 田 は 、 水 をいつでも管理できるようにするため、非常に 正確
に 棚 田 に し な け れ ば な ら な い 公 宮 田 丘2Eロ
何
回)ZZECZZZ3REgRBEg-可吾巳吾内君主2zsg戸主ロえ包tBgzzE巾吋円。ロ可。-)/天候がどんなに突然変わったにしても被害を最小限にするために有効な措置を即座に
と ら な け れ ば な ら な い (山口己山口昨日戸市田口仏門円巾ロ門町田口 沼田。向者gP255同
σmB252田口同]可当EMEP2Z巾gg∞己円巾印件。
EEEN2rFREt己己円FE$件。片町巾25zd司
F同 ) 種 蒔 き 、 田 植 え か ら 刈 り 入 れ ま で (ZB83ロぬ伊豆
吋
。
己m
この水稲耕作という特徴が、日本の国民生活に与えたものとして、ゴ一つの側面を朝河は指摘する。
と牧草地が必要とされた。
びに家禽や家畜が可耕地に侵入することによって、より正確に言えば親密に織り交ぜることが行われ、広い牧場
吾2 E岳 可
。ESSE。ご宮山EE巾)﹂を、毎年﹁大きな雄牛隊の撃で耕起していた﹂。そこでは、収穫の終わるた
a
けで十分である。中世ヨーロッパでは、﹁泥深い休閑地とひどく踏まれた可耕地
この耕作の﹁独特の集約的性質(昨Z S空耳-tES包話岳民国門言。ご医師 2EBこ を 実 感 す る た め に は 、 ﹁ 中 世
B兵FEES民自読者恒三口買恒三5BEE-2色何日告巾)﹂と比較するだ
ヨーロッパで行われていたような粗放耕作 (
(HZZ当可印色。ごZEZd司自己
ぬ損失を受けることのないように気にかけ、手入れしなければならない。
5 ロ宣言EmgE22zm)、 耕 作 の 各 段 階 で 丹 念 に 条 件 を 整 え 、 ち ょ っ と で も 管 理 を 怠 っ た た め に 取 返 し の つ か
191
'
92
(1) 経済的側面
日本史を通じて、日本農業は小さな田畑、小さな耕地面積、小規模農業を続けて来た。前封建時代に大きな領
地が発展したときでさえも、小規模農業を経営する小さな水田と小さな耕地から構成されていた。
(
2
) 法律的側面
E窓口弘)﹂が早期に発展した。これは﹁ロ i マの
﹁水田の個別的管理の感覚(出回280ごFZE玄含包 gロ
可
。Z ご5
g
) よりは、
所有権(号EEロヨ)﹂とまではいえないが、﹁古代ゲルマンの持分権 52-2巾)あるいは所有物(巴m
(
己
司
gE-2tas--mESEg
gc門戸戸田戸色白HESt)町内田吋町田口弘SERB巾
5qzcEqgB島巾
︿t
O
B
) なもの﹂であった。﹁耕作を成功させるために、耕作者は異常なほどの手入れと労働を
確実に属人的(胃B
投下しなければならない
0
片
町
巾2
-ZR 三回-Z52ZE)﹂という現実を、朝河は直視する。そして、こう自問する。これを﹁日本の水稲耕作
'
g
E
5
) のは誤りであろうか﹂
の特質だけに帰着させる(白色B
町
戸
ぬ
ロ-REE502rγ 宮吉田巾ユ2
U貯52POPE田
}
岡
山
田
彼の安寧は﹁その控え目な土地から得られる生産物の年毎の循環(同町内同ロロ戸田]門官 -mo
C円
安ZFO同
ご 宮 買E
g
o号∞ニ。件。ご自己)﹂と結びついている。﹁彼の心は土地の中にあり富山田宮担吋件当gEE﹂、﹁もし可能ならば彼はそ
れを手放そうとしないであろう(町内君25ロ旦富江主任一三ご5nSEE-て件)﹂。﹁各時代を通じて、この単純だが牢
o
固とした水田に対する個人的権利の感覚 (E:E℃﹃σ555205∞
-ュ
BZロュ2EEE) が、それを
B80ごE7孟E
侵害するあらゆる勢力と一六世紀の内乱後に勝利するまで静かに、苦悶しつつ、戦ってきた﹂
(
3
) 社会的側面
農村生活の社会的単位はムラであり、それは可耕地を別個に所有する隣接する家族からなる小村であった。ム
ラの本質的性格は、家と土地の一般的配置に関する限り、小さな不揃いの水田を持ち、個々の家族と人々によっ
[編訳者解説]
1
9
3
て別々に耕作される分散的農場の集合であった。ムラをかくも弾力的にし、持続的な生命力を与えたものは﹁水
田における牢固たる個人的権利﹂であった。﹁個々の水田が持続的であったために、ムラも持続的であり、その
生活と精神も持続的であった(﹀zzzptE
ごBtEE 者向月胃BEEFgdg
z
m
Z
Eユ
員宅吉田町民同町山口己g
司 ptg
F442
司 巾)﹂。住民間で﹁可耕地を配分し処分することを規制﹂したり、耕作の細部を命じたり、さらには﹁耕
作や収穫の作業を共同で実行﹂するという意味で﹁村落共同体主E唱gBBEミ)﹂であったことはない。
というのは、一方では、家禽や家畜の飼育が不可欠ではなく、巨大な濯蹴工事を欠いており、他方で小規模な
一
︿
巾
門
口E
B
)﹂は﹁個人的所有(広島EbEJ0223ロ)﹂と﹁個人的耕作 (-EEE包
﹁集約的耕作(白∞虫色 E g∞
宮島自己弓)﹂によってのみ成功できたからである。
次いで朝河は、日本では﹁領主の家庭農場まえこ551Rg)﹂を欠いていた事実を指摘する。庄園における
﹁領主農場の欠如﹂は、水稲耕作の条件と深く関わっていた。マナ l の小作人が奴隷的労働を余儀なくされたの
に対して、日本では﹁領主農場の欠如﹂のゆえに﹁庄園には奴隷はいなかった﹂と、朝、河は強調する。
﹁領主農場の欠如﹂がもたらしたもう一つの帰結は、私的領地(岳町℃ユ
g丹市号B百戸)と公的土地(同町巾℃zzw
p E♀)の﹁経済的条件の本質的類似性﹂である。法的地位や租税の行方は異なるとはいえ、私的領地と公的土
地の聞に経済的内容における差異はほとんどなかった。両者は﹁職﹂(与を)によって結ぼれており、流通して
いたからである。
ここで朝河は、職の説明を行う。職は元来、﹁公的な職務 55-ROBS-PR
)﹂を意味していたが、のち
ま5
に﹁私的な職務﹂をも含むようになり、十世紀以後は﹁官職にともなう土地﹂から﹁派生する収益を受取るこ
と﹂を意味するようになった。こうして同一の土地から地主、作人、下作人の職が生まれ、これらの職は次々に
分解され、異なる人々に与えられ、多くの人々に移転された。同一人物が、異なる庄園の、あるいは公的土地の
、
a
1
9
4
異なる田に、さまざまな等級の職を持つことさえあった。
社会的不安と領地の拡大によって引き起こされる経済的不安の時代にあって、職は農民が財政的危機を乗り切
(E:zσσOBi-- ロ
C
H
H
O
B
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S
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-岳EtBEE-同
丹
市g三5-22EZEZcZ同
り、必要な保護と後援を買う手段なのであった、と朝河は分析する。もっと深い理由は﹁水田に対する直接的支
配を手放したくないという頑固な意志
仏
)
﹂ の中に発見できる、という。
吋
一
円
巾 'ED
可法印話弓 ESSE-ιg吾土問注目。
gg門医∞
農民は土地からの所得の一部を断念することによって、次々に加わる経済的圧力を避けようとした。この手段
によって﹁土地を直接的に耕作する権利﹂を﹁最後まで保有した
(実 は ﹁ 水 稲 耕 作 の 先 天 的 要 請 ( 己555Z
巾門叶巾同℃一。芹同三。口。同同町巾由。ニ)﹂ のであった。 こ の σ
事
m
F叶件。片町内応 21
円
十世紀以後、私的な武士という新階級が勃興したときに、彼らを支える経済的基礎になったのは、まさにこの
S
A
C
E
B
)﹂と少なからず関わっているとみるのが朝河の結論である。
ごR宮552zo
職なのであった。つまり﹁私的な職(汁宮耳目
g芯 岳E)﹂と﹁私的な武士(同宮買ぞ同丹市当ミユミ)﹂が結合すること
によって﹁公的権威 55rE任
Eqこを掘り崩していった。こうして日本の﹁封建制は純粋に私的な後援のも
)﹂で際立っている、
とに勃興し、成長した点(担問
門田町吉田門吉Bq℃
ロ
︿
回
同
町
富
田
℃
一
円2
2 Z3858三色江田巾自己m
戸m
g
d司E
国
仏
と指摘する。
しかし十五世紀末までには、庄園は一掃され、武士の封土と農民の領地によって置き換えられた。一時は細か
く分割され、流通した職は、いまや二大セットに再統合され、武士階級と農民階級によって保有されるようにな
った。こうして、自ら耕作する水田を完全に所有したいとする農民の長年の願望は、法的には不完全だとしても、
実質的に実現した。
逆説的に見えるが、水稲耕作に最も必要なものは、戦争を通じて得られたことになる。 ム ラ は こ う し て 個 人 的
[編訳者解説]
。
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問
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、
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巳.
円
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呂
3
円
』向
をもたらし、 それが農民の地位の向上につながった、 と朝河は説いて
L一
一
)
ヨ
業の性質に起因するもの﹂ではない。しかし、﹁その独特な農業と農法の基本的必要性が一瞬もやむことなく反
作用してきた﹂のであり、これを無視すれば﹁日本史の真の意味を理解するうえで失敗する﹂ことになる。
このように、朝河の日本農業論は﹁水稲耕作の先天的要請(片ZEEZB宮町32go
ご5s-EZ)﹂の一語が核
QZSEn-055己主合同一ユ$ごロ
心になる。その要請に基づいて日本農民は﹁水田における牢固たる属人的権利
巾
円
相
)
)
﹂
。
的であった(﹀ZZE&E
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-一貯自己印。巳P44司
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gえE12仏当巾足胃BEEF8 項目ZFESE-4司
︿ E
(
g色町田円邑ロmE凹ヨ畠uzzz
つまり、﹁自由な小村からなる分散農場をもっ個人所有者による小農地の小農業
E E E色吉田由283022552R225吉田gm白骨2ZE2)││これが初期から日本農業の基礎的条件(岳町
σ即
位
円 gEE80こ白℃同日おお江2-EBEESユ可皆同町田)であり、それは上からのどんな力をもってしても変えるこ
とはできなかった﹂とするのが朝河農業論、すなわち封建制論の基礎的条件である。
そして、日本とヨーロッパにのみ封建制が成長したのは﹁世界史のなかで、きわめて少ない人種にのみ恵まれ
た幸運な例外(担問。EE2σ ロ
こg σ 3号包 E 2 5弓宮司Eng-EESE-5-きれ)﹂である、とい
RE--qE
う結論が得られる。
、み
所有と個人的経営による農民の土地の総体という私的経済の性格を変えることなしに、公的行政の意味で共同体
pー
十
H
一方では ﹁職の形態﹂ が生まれて武士の経済的基礎となり、 ﹁領主農場の欠如
ぞ
"
。
の地位に上昇した。
払3
こうして、水稲耕作のゆえに、
'
"
r
、
朝河によれば、武士階級の勃興や家臣の組織、長期にわたる内乱、徳川体制の崩壊などは、いずれも﹁日本農
い FP
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るuo
o 'd
.
P
J
ュ2Z
)﹂を発展させた。﹁個々の水田が持続的であったために、ムラも持続的であり、その生活と精神も持続
・E
'
9
5
1
96
表 庄園とマナーの比較
マナーの特徴
庄閣の特徴 (16)
牧草地の欠如、水田連作
牧草地、耕地の休閑を中心とする二圃制
水稲耕作が主
コ肥料の必要性小さい
休関地の必要性
二字地力養成のため
単畜
連畜耕作
水田の個別保有二字集約労働
共同体規制なし
畑地の割り替え二字粗放労働
共同体規制強い
分散農場の形態
村落共同体を構成
(土地から分離した)職の分割と譲渡
職の形態なし
土地保有権と諸階級がルース、柔軟化
=字耕地の個人的財産権の確立
諸階級は厳格、特に奴隷労働あり
不在領主
二字領主と小作人の関係は経済的関係
二字最も下層の農業労働者でさえ非奴隷的
在地領主
二字領主と従者の関係には大きな密着性あり
コ下層小作人は土地に緊縛、奴隷的
とはいえ、日本の庄園とヨーロッパのマナーとは、 いくつか
の点で決定的に異なる特徴を持っていた。朝、河の分析に基づい
て、庄園とマナ l の相違を整理しておけば、上表のごとくであ
ろ
、
っ
。
今回私は、百年前に書かれた朝河の分析を深い感慨をもって
読み直した。それは戦前戦後の日本資本主義論争あるいは封建
論争の虚妄を想起してのことである。日本農村においては水稲
耕作のゆえに共同体規制は無用であり、それが農民の相対的な
自由を保障していたこと、また領主農場が欠如していたために、
農民が奴隷的な状態に陥ることがなかったことを、朝河が明確
に指摘している箇所を読むと、まさに﹁目から鱗が落ちる﹂感
じを否めない。 われわれの先人たち(特に講座派系の論客たち)
は、ヨーロッパにおける﹁フュ lダルなものとはなにか﹂を正
しく理解できなかったので、﹁農村の共同体規制﹂を誤解し、
曲解に基づいて﹁農民の奴隷的地位﹂を論じてきたのである。
労農派系の論客たちは、相対的に正しい見方を提示したとはい
え、やはり限界を免れなかった。日本人がヨーロッパ近代史を
比較的冷静に観察できるようになったのは、高度成長以後、す
なわち総評の提起した﹁ヨーロッパ並みの賃金を﹂という目標
[編訳者解説]
'
9
7
を十分に獲得した後のことだが、朝河は時代に半世紀以上さきがけて、日本封建制の特徴を正確に別扶していた。
朝河時代区分
第二節 朝河貫一の描く日本封建制の構図
2
有権の集約化]は未完成である。
これは鎌倉幕府が聞かれてから滅亡するまでの時期である。領主権は増大したが、土地保有の一体化[土地保
(1) 封建時代I期(一一八五 1 一
一
一
一
一
二
三
年
)
次いで、封建時代を三つの時期に区分する。
にかかわる﹂土地保有権に対して、﹁主として所得﹂を意味していたと分析する。
﹁土地の職﹂という。つまり職とは﹁土地の保有条件﹂ではなく﹁土地から派生する利潤﹂であり、﹁社会的地位
敵するほどの広さになった。庄園の土地の収益は、国家、土地保有者、小作人に分けられるが、配分の根拠を
庄園は八世紀に静かに現れたが、続く四百年の内に、すなわち十三世紀末には、庄園の範囲は公的な地所に匹
成長した時期と見ている。すなわち、朝河は庄園を議論の出発点に置くのである。
まず封建時代の前史(八1十二世紀)。鎌倉時代に先立つ数百年(八1十二世紀)を、朝河は、庄園、そして職が
分する。
はじめに﹁フュ lダル﹂概念を朝河流で定義し、その定義に基づいて、前史と日本封建時代を次の三段階に区
ゃすいことに気づく。それを読んでみよう。
九月)に際して、日本在住のアジア協会メンバーのために行った講演は、注釈が九つしかなく、きわめて分かり
﹃朝河貫一比較封建制論集﹂を眺めると、朝河が第二回目、すなわち最後の帰朝(一九一七年六月 1 一九年
拙
訳
'
98
(
2
) 封建時代 H期(一一二三六 1 一
六 O O年)
足利幕府の成立から関が原の戦いまでの時期である。 封土化が完成し、 兵農分離が完成した。
(
3
) 封建時代田期(一六 001一八六八年)
関が原から徳川幕府の滅亡までの時期である。 徳川時代を朝河は ﹁純封建時代ではなくなった時代﹂と認識し
ている。
こうして朝河は、封建時代は鎌倉時代に始まり、室町時代に完成し、徳川時代にはすでに﹁純封建時代ではな
くなった﹂、すなわち﹁封建遺制の時代﹂となったと捉えている。
朝河が細かく分析した﹁職という観念﹂に相当するものは、ヨーロッパにはない。ただし、八世紀以後の扮会
o 日本のそれと違って、﹁切り離され、岳山昨日い静怯かトか JV
かかはぜかか
誌
領怯に似ており、それがプレカリウムとなり、卦卦となったと朝河は見る。とはいえ、ヨーロッパの職(肉竜寺E
?b﹂
は﹁士松ト給会﹂していた
hbE)
点で大きな相違がある。
J
要するに、中世の日本人は﹁領主職、土地保有者職、小作人職﹂のように、﹁庄園の職﹂を扱う上で常心、 ヤト
長軟骨トもアぃ﹁全措れい朴益﹂ト﹁か酷、骨か酷﹂レかのであった。
こうした朝河の徳川時代認識は、現代の日本の議論を半世紀前に先取りした趣がある。たとえば水谷コ一公は
﹃江戸は夢料﹄で、こう指摘している o ﹁封建制から脱皮する時期の早さや徹底性の点で、日本はイギリスやヨー
ロッパより﹃進んでいた﹄、つまり日本は封建脱皮の﹁先進国﹄だと言える﹂。﹁遅くとも江戸時代初期、十七世
紀半ばまでには、日本の脱封建は一応完成した﹂。﹁最初に産業化や工業化に進んだイギリスのような国や、イデ
オロギー上の必要から閉鎖システムをとりながら工業化を進めた国々の方が、外部からの圧力や競争が少ない分、
以前から続いてきた統治システムの構成要素を残す余地が大きかった﹂からである。
[編訳者解説]
'
9
9
・
nt -nt
庄園の封土化の論理
こうした庄園が庄園のままであったならば、封建制にはなり得ない。庄園はいかにして、﹁封土化﹂したのか。
中世の日本では土地保有は、次の三種類からなっていた。
①遺贈も処分も勝手にできる自由地(開墾、購入など﹁公然たる取得﹂に基づくもの)
②寄進地(保護や免税を求めて領主に﹁寄進﹂されたもの)
③贈与地(領主から﹁贈与﹂された土地。﹁世襲﹂はできるが、許可なしに﹁処分﹂はできない)
の三種類である。このように三種類の土地が並存した場合に、領主は①を②に、②を③に変えることによって
﹁領主権を拡大﹂しようとする。他方、土地の保有者(あるいは所有者)は、③を②に、②を①に変えて﹁土地保
有権を強化﹂しようとする。両者の闘争の中で、職が分割され、移動した、と朝河はそのダイナミズムを説く。
最も自由な庄固とは、土地保有者から寄進され、その子孫が管理人の地位を占め続けたものである。最も不自
由な庄園とは、宮廷から贈与された庄園であり、そこに領主が住み、耕作させる場合であった。領主は世襲的保
有者の機嫌をとりながら、居住者を働かせるほかなかった。ここで居住者とは、地方名土の後背などから成る住
人、労働力を雇用する作人、賃金のため作人に一展われる作男(ただし土地に緊縛される奴隷ではない)などから成っ
ていた。
庄園は村落共同体ではなく、共通の規制や管理は少ししかなく、各農地は独立に管理されており、不在領主の
下にゆるやかに束ねられていた。これをマナ!と比べると著しい対照をなしている。
さて、③←②←①の論理の中で、領主権が増大した。領主権の強化は経済的には﹁土地保有権の一体化﹂によ
って、軍事的には武士グループの手に握られることによって行われた。こうして﹁強化された軍事的領主﹂が
﹁武力で獲得した領地﹂を自由に処分した時に、土地保有は﹁封土﹂と化して、﹁封土﹂を基礎とする封建制が成
、
.
200
立した。これこそが朝河の説く﹁岳か卦土必﹂の論理であり、日本卦骨骨れい庇L
AV骨骨である。
ここで鉄砲の導入により、戦争の形態が変化したことを背景として、農業諸階層から軍事階層が分化し、後者
H農民が成立し、農民は全掛か努除か一昨和者
は領主の城の近くに居住するようになり、農民は一方で武装解除されたが、それは同時に社会的地位と農民自身
の意識改革において﹁より自由になる過程﹂であり、こうして百姓
になり始めた。
この新農民の下には、別の新階層すなわち真の小作人も生まれていた。小作人は租税の代わりに﹁経済的地
代﹂(小作料)を地主に支払い、国家への租税自体は地主に課せられた。新農民は﹁天然の経済的階級﹂であり、
小作人は相対的に小さな数にとどまった。
というのは、国家への粧拾が骨すぎかのに対して、地主への掛仔ゆ怯 hrpかので、た松長ルム十在レ心人 γい
Jか
小
たからである。
oそして、
要するに、①水田の財産権の相対的安全性のために、そして②戦争形態の変化により武士を田野から一掃した
ことによって[兵農分離]、﹁ト恥骨骨か相妙除岳山昨﹂ゆ子トト小ル骨骨かわかトゆかかじい十勘アいいか
土地と武器(武士)の分離が、封建社会の中に非封建的要素(たとえば政治権力の集権化傾向、武士階級の官僚化な
ど)を持ち込み、封建制を解体させる要因を形成する。
徳川時代は﹁卦建除要素ト#卦赴砂野長﹂、﹁分権除骨骨﹂ト﹁長権除骨骨﹂が﹁異常に巧みにバランスして結
r岳治、より広い地域での組織された規律が生ま
合された体制﹂であった。徳川時代には、一種の集権仲朴ト仲t
れていた。武士は忠誠を誓い、自己犠牲の精神を持ち、農民は従順で、かつ土地からの収穫を驚くほど平等に分
けていた、と朝河は結論する。余談だが、朝河の描く徳川社会のイメージは、とりわけその柔軟性において三十
世紀後半の現代日本資本主義における﹁株式の相互持合﹂による﹁会掛L義的資本主義﹂の姿を訪御とさせる。
[編訳者解説]
201
第三節
堀米庸三は朝河史学を高く評価した
堀米庸三はかつて、こう指摘したことがある。
ライシャワーの封建制論は朝河理論の継承と指摘した
日本の学界の視野狭窄ではないか。
0
マルクスに対しては拒
とすべきは﹁マルクスとヴェ lパl﹂だけを議論して、それが社会科学のすべてであるかのごとく錯覚してきた
氏の業績が十分に理解されなかったことの、決定的な理由だったのではなかろうか﹂。そうかもしれない。問題
ーが氏の問題意識に入っていなかったことが、日本史家とのふれあいを生じさせなかったこと、したがって朝河
否的だったし、ヴェ l パIさえときに概念規定などでその名をあげているくらいである﹂、﹁マルクスとヴェ Iパ
﹁(朝河貫一)氏は強い学問家気質の実証史家として、一般論にはきわめて慎重である
‘も
まれた人的忠誠関係の結合を封建制度発生の必須条件と見る点では一致している。
Nhh(
点である。朝、河は職をもってまだ﹁真の知行﹂ではないとし、真の知行への転換を十五1十六世紀の末年に求め
る。日本封建制の起源について、ライシャワーは職の保有関係の変化を重視するが、これは朝河が特に重んじた
これら③④の観点の源流は、オット l ・ヒンツェ司2ミミ凡で町与さたど若丸町同町mR§ なさ
一九二九年)であ
朝河もライシャワーも、③先行する統一国家ないし集権的統治組織の崩壊、④氏族制ないし部族制の内部に育
いる。
(封建関係の物的側面)の内、①人的側面を第一義的なものと見る。ライシャワーは②封土の側面に力点を置いて
朝河の封建制度概念は、①主従聞の忠誠関係(封建関係の人的側面)と、②土地を主体とする知行の授受関係
3
202
た。これはライシャワーが﹁室町時代の後期﹂に日本封建制の確立を見たことと符合する。
朝河によれば、庄園は京都の貴族や社寺などにとっては経済的基礎であったが、地方に成長しつつある﹁封建
武士にとっては権力的基礎ではなかった﹂。この点で庄園は実質的にも機能的にもマナ!と異なる。ライシャワ
(叩)
ーの日本封建制論は、職の理論、マナ!と庄園の異同論など、ほとんどすべてにおいて﹁朝河の封建制度論の基
朝河編﹃入来文書﹄を﹁辺境薩摩のもの﹂と退けた日本史学界に対して、堀米は朝河編﹁庄園研究﹄を
本的特徴を継承したもの﹂である。
O
司 BEn4
提示した
朝河の理解するマナーは、古典マナ lと呼ばれる﹁一村一領主制的構造のもの﹂だが、このマナ lは封建制度
の主たる基礎であったのか。今日では、むしろ否定的見解に傾く研究者が多い。類似の事柄は、日本中世史の研
究についても言える。それゆえ、朝河の研究は﹁現代性においていささか欠けるところがある﹂のは率直に容認
すべきだが、それは朝河の﹁業績が過去のものになった﹂ことを意味するものではない。﹁史料的基礎に確実無
比の足場をもっ朝河氏の研究﹂は、依然としてわれわれの﹁論議の出発点であり基礎たりうる﹂。﹁入来文書﹂は
﹁辺境薩摩のもの﹂であるとしても、﹃庄園研究﹄では﹁越前や畿内の史料﹂の研究が主要部分を成している。朝
河の研究は﹁そのもっとも基本的部分で生きている。氏が理論家でなかったことが、かえって氏の﹁研究の生命
を永続させる結果になった﹂。これが堀米の評価であっ討。
一九五五年に吋守口ミミ唱え誌なミ.H3.Eが復刻された当時、朝河史学が唯物史観学派によってどのように黙殺さ
れたかについては、二 O O五年に訳した際に﹁訳者解説﹂で書いた。﹃入来文書﹄を﹁辺境薩摩のもの﹂と退け
る謬論に対して、堀米は﹁庄園研究﹄(一九六五年学振復刻版)の素材は、京都醍醐寺の牛原庄であり、法隆寺や
、
.
「
Z
一
品
三
栴
度
大谷瑞郎の封建制論
びになった。
第四節
44叶寸ノ三に
5( 一九ニ九年)に対する批判
大谷瑞郎のヒンツェミ g O 3 C 3
え︿ O号
、 ORFSh町内法ω
さは耐え訪ヨ
叩 却
けている。軍事的機能と政治的機能を欠いたところに統治制度の体系としての封建制を主張するのは無理である、
ここで﹁晩期封建制﹂には、ヒンツェの挙げた三つの要因の内、﹁経済・社会的機能﹂を除く二つの要因が欠
である。
前半までを指す﹁封建制の晩期﹂
③貴族の主たる関心が農村における経済・社会的地位の維持ないし活用に集中した十八世紀末ないし十九世紀
②軍事貴族の政治的影響が最も高まった十六1十七世紀までを指す﹁封建制の盛期﹂
①軍事的要因が支配的な十二世紀末までを指す﹁封建制の初期﹂
建制の要因と認めた。ヒンツエは、封建制の歴史を三つの時期に区分した。すなわち、
機能の三つを挙げた。つまり、戦士層における主従制、領主の農民に対する収奪、戦士貴族による公権保持を封
ヒンツェは、統治制度の体系として封建制を捉え、その要因として、軍事的機能、経済・社会的機能、政治的
4
一瞥する。なぜか、出版時に寄贈された縁である。大谷は封建制を次のように特徴づけている。
ここで視野を少し広げて、武蔵大学教授で経済史家の大谷瑞郎の著書﹃歴史の論理l ﹁封建﹂から近代へ﹄を
(詑)
上か。それから半世紀を経て、ようやく朝河卦全苧(庄園の封土化を実証的、論理的に説く歴史学)が邦訳される運
東大寺の庄園史ではないかと抗議したのだ。歴史学界主流の謬論をたしなめる堀米の声は、その病死とともに消
ーヰの j 卦
[編訳者解説]
20
3
204
と大谷は批判する。封建制に対する大谷の積極的主張はこうなる。
概念規定としては、統治制度の面から、すなわち﹁封士宮内向)﹂の考察から出発するのが最良の方法である。
封土の授与は上級領主による下級領主の地位の確認を意味する。下級領主の所領の保全が、彼の上級領主に対す
る軍事奉仕と表裏の関係になっている点に、封建制の特色がある。
この意味で、封建制とは﹁領主聞の支配関係﹂である(領主と農民の関係から封建制を説明すると、封建制概念の拡
大解釈になる)。領主聞に支配・従属関係が生じることは、公権力が分散している状態を意味するとともに、多数
の小さな領、王の存在を意味する。そして小領主は自らの地位を保持するために、上級領主の庇護を必要とする。
他方、上級領主は自らの地位を保持する軍事的手段として、下級領主の奉仕を求める。中世ヨーロッパでは、
上級領主がキリスト教の僧職である場合も少なくないが、封建制の代表的な形は、俗人領主聞のものだ。商品経
済の発達は領主に財政収入を増やす欲望を引き起こし、領域の拡大への刺激を与える。領域拡大の争いにより、
領主の整理がもたらされる。領域拡大戦は民族を単位とする国家の形成に向かう。その過程で、小領主の公権力
は失われ、中央集権化が進む。商品経済の発達は、また生産力の向上と武器の発達をもたらす。
火器の発達と集団戦術は、封建制下で見られた﹁騎士の戦闘﹂を時代遅れのものにする。騎士奉仕に代わって、
傭兵の役割が大きくなる。これは権力者の財政収入増大の要求を強める。中世末期から進んだ中央集権化への動
きは、近代国家の形成をもたらしたが、反面、在地領主の性格を帯びた小領主から領主的性格を奪い、領主の重
層的存在を特色とする封建制の基盤の崩壊を意味した。
封建制の理念型を抽出するには、ヒンツェのように﹁地球上の各地に通ずる概念﹂の設定を目指すのではなく、
﹁典型的な場所と時期について理念型﹂の素材を求めるのがよい。ゲルマン文明とロ 1 マ文明の双方の影響を受
けていたライン河、ロワ l ル河に挟まれた地域、すなわち北フランスやベルギーについて、九001一二五O年
[編訳者解説]
205
大谷瑞郎の日本封建制論
頃に現れた統治制度を研究対象に据えるのが妥当である。
凋斗 aIqL
西ヨーロッパの封建社会に似たものが日本に見られるとすれば、それは十六世紀以前である。鎌倉時代の御家
人制に、代表的な例を認める説が適当である。重層的な領主の存在は、上級領主が武家でない場合にも認められ
る。上級領主の内に皇族や公家や寺社の占める比率は高く、武家政治にとらわれた見方をしてはならない。武士
H中世的 H進歩的、公家 H古代的 H反動的という図式は誤りである。鎌倉時代に中世の盛期を見るのは妥当だ。
それに先立つ数百年を封建社会の成立期と見るほうが、封建社会論としても、日本中世論としても、無理が少な
i
v
日本の律令体制は、武器を収公するとともに、畿内の大領主(豪族)を首都に集住させる形をとった。その結
果、天皇の周辺に位し、重要な官職を独占した公家は、私的には武装しなかった。そこで貴族たる公家は、上級
領主になっても私的には武装せず、必要な軍事力を律令制天皇機構に頼った。
公家に対して武家が発生してきた時、上層の貴族の多くが﹁個別的に武装しなかった﹂ことは、ヨーロッパに
比べて日本の中世の特色である。鎌倉時代、御家人制によって、ヨーロッパの封建社会に似た社会制度が整った
が、その際にも、武家ではない存在を上級領主とする重層的な領主制が広く存在した。
庄園が十六世紀にまで生きのびたのは、古代的制度の残存ではなくて、中世的な社会機構の一部を構成してい
たからである。日本封建社会論においては、庄園制も構成要素として考えるべきである。御家人制の形をとった
レl ン制だけを封建制とみなし、それ以外を非封建的なものと理解すると、問題を見誤ることになる[大谷も庄
園の封土化という核心をつかみきれていない]。
206
gt d
内
8﹃
大谷瑞郎の結論
封 建 制 と い う こ と ば を 混 乱 か ら 救 出 す る に は 、 最 も 狭 い 意 味 と 言 わ れ る レ l ン制に限定するのが妥当である。
封建社会とは、レーン制が重要な役割を演じている社会である。レーン制の形態が整うまでに、生成の期間があ
H中 世 と 等
った。他方、レーン制は遺制としてかなり後まで残ることもある。したがって、レ l ン制の崩壊過程を封建社会
に数えるのは差し支えないが、その場合に封建社会と近代杜会を峻別しない配慮が必要だ。封建社会
ヒンツェ、朝河の時代のレl ン論
る。時代区分の目印として、封建ということばは使わないのがよ吋
o
置して、封建社会でないから古代であるとか、封建社会であるから近代ではないとか規定する方法には問題があ
第五節
(出)
ヒンツェの書いた吋含むもSSSHhb¥己芯民への書評について、朝河は、﹁他のどの紹介よりも細心のもの﹂とマ
ルク・ブロック宛ての書簡(番号一六八)で評している。﹃朝河貫一書簡集﹂には、ヒンツェ宛て書簡が二通(番
(お)
号一七回、一七七)収められている。書簡一七四で朝河はこう書いた。
﹁フランク王国の特徴や西欧封建制の本質に関するあなたのご見解が、主要点で私の解釈と一致していること
が分かり、たいへん満足しております﹂、﹁徳川時代の日本の大名制とドイツの帝国諸侯制度との比較や、日本の
初期封建制とドイツでのラント法とレ l ン法の共存との比較は、豊かな成果が得られる分野だと思います。また
(描)
レl ン 法 に は 、 日 本 の 制 度 と 比 較 し た 場 合 、 共 通 性 や 対 照 性 に お い て 検 討 に 値 す る 点 が い く ら か 存 在 し て い る こ
とにも気づきました﹂と。
また、ヒンツェ宛て書簡一七七でこう書いた。
﹁ドイツのラント諸侯制と日本の大名制の類似点、相違点を説明してくださり、心より感謝いたします﹂、﹁相
[編訳者解説]
20
7
違が見られるにもかかわらず、封土に関する諸原則の日独比較や、封建時代初期の規範を国家法や封建法の下で
の状況に鑑みながら比較することには、実に数多くの重要性が含まれています。双方の制度においてラント法と
(訂)
いトい法か骨か骨骨は驚くほどの卦併任ト妙骨骨を示しています。日本の制度とフランク王国から伝えられてき
た封建制とを比較すれば、数多くの興味ある主題が浮かび上がってきます﹂と。
ヒンツエ自身が最も強調しているのは、次の点である。﹁とりわけ重要な一致点は、われわれ両名[朝河とヒ
ンツエ]とも大規模な文化融合という歴史的現象が封建制度の成立にとって決定的に重要であったとしている点
である﹂、﹁古い文明をもっ中華帝国のモデルと儒教の影響が、日本の封建制成立過程において果たした役割は、
ロl マ・ゲルマン文明圏においてロ l マ帝国のモデルとキリスト教が果たしたものと酷似している﹂、﹁直接的な
(お)
影響によるのではない二人のこのような見解の一致は、その見解の根底にある認識の正しさをある程度保証して
くれるように思う﹂。
大谷は典型的な封建制として﹁ゲルマン文明とロ l マ文明の双方の影響を受けていたライン河、ロワ l ル河に
(却)
挟まれた地域﹂を想定したが、ヒンツェ自身も結論的には、﹁大規模な文化融合という歴史的現象﹂の生じた地
域として、この地域と日本を挙げるに至った。
AVAr
扮た肝であった。これこそが典型的な封建制を生み出した国際環境であったと解すべきであ
この点で、ヒンツェ、朝河、大谷の封建制理解には共通項が見られる。西欧は地中海文明の対抗文明であり、
日本は市中島た貯
る
。
208
第四章
網野善彦と朝河史学
朝河は一九O九年から一九二九年にわたって、繰り返して﹁ヨーロッパのマナーには農奴がいた﹂が、﹁日本
の庄園には農奴はいなかった﹂﹁農奴を産み出す条件はなかった﹂という分析結果を語り続けた。なぜか。ヨー
ロッパでは領主農場が農地の大きな部分を占めていたのに対して、日本の庄では領主農場が成長する条件を欠い
ていたからだ。その根拠は、以下の第五章﹁﹁アルバイト小作﹄の壁﹂で紹介する。
H領主制の生成﹂である。冒頭に日く﹁古代末期の内乱が奴隷制の矛盾の展
戦後の日本史学界において、唯物史観学派を代表する研究者の一人である永原慶二の代表作﹃日本封建社会
(却)
論﹄の第三章のタイトルは﹁農奴制
開であることはうたがいないにもせよ、それは古代権力の終局的没落と封建制の形成を意味するのではなく、奴
隷所有者の階層内での権力の割譲、以降といった性格をなお強くもつものであったのである。したがって、この
o
新たな政治史の局面の展開によっても、奴隷の農奴への進化は直ちに権力によって保証され、体制として確立さ
れたのではなく、なお長期の過程を通じて、奴隷自身の闘争としてかちとられてゆかねばならないのである﹂
特に問題なのは、以下の文である。﹁ト一、一世給か来葉ル降[鎌倉以後]の歴史過程は、かかる意味では、か静か
農奴への進化のための不断の闘争と、奴隷所有者の三階層i 庄園領主・古代的在地領主・名主層│の封建的土地
所有権把握をめぐる武力的闘争によって彩られているといってよ吋﹂ 0
永原の場合、初めにドグマ H公式ありき、であり、ドグマに合わせて史料を読む作風に見える。このような学
派が横行する戦後の史学界にあって、朝河史学は黙殺された。
[編訳者解説]
20
9
では、永原と同じ学灯に属しながら、独自の中世史研究を開拓した網野善彦は、どうか。彼は晩年にマルクス
(沼)
o
主義史観のドグマへの懐疑を率直に表明した。いわく﹁僕はいまや奴隷制度、封建制度、資本主義、社会主義と
(お)
いった概念は、全部再検討の対象になると思っています﹂
﹁網野善彦著作集﹄第一一巻の序章で、網野は朝河史学について、次のように言及している。
中田薫の見方をうけつぎつつ、庄園制・封建制の研究をすすめ、そこに新たな視野をひらいたのが朝河貫
一である。朝河が封建社会を日本と西欧のみの﹁ごく僅少な人種のみが享有した幸福な変則﹂であったとし、
その成立の条件として﹁氏族生活の記憶と国家政治の経験との同時的存在﹂をあげたことは、堀米庸三の紹
介などによってよく知られている。しかし反面、朝河は﹁中世日本の寺院領﹂で、マナ!と庄との相違を強
調し、﹁職﹂が﹁土地より分けとり得る分離した権利もしくは利益﹂である点に着目しつつ、庄そのものは
封建的領土ではなく、﹁職﹂を破壊したところに封土ははじめて生まれるという見解を明らかにしている点
にも注目しておかなくてはならない。この見方の背景には、日本における牧畜の欠如、水稲耕作の特質など、
いわば民族学的ともいうべき朝河の独自な観点があったこと、それがこれ以後の研究にほとんど生かされて
いないことも、十分考えておく必要がある点であろう。しかし当面注目すべきは、﹁職﹂を基礎とする庄園
制と、封建制とは異質、とする観点がここに入ってきたことであり、このとらえ方が牧健二によって、さら
(担)
に体系的なものとされていったのである。
牧は名著﹃日本封建制度成立史﹄において、﹁職﹂の官職的・公法的側面に注目し、﹁職﹂の所有よりも
﹁下怯﹂か一昨帝宇一安世心か除陪としており、﹁職﹂に基礎をもっ岳骨骨小舟脹わか心トじLTぃ、長飴朴しド
封建制が発展してくると主張した。そして庄園制に足場をおく初期封建制においては、いずれの階級に属す
,
ー
‘
2IO
るものにも土地所有権の観念が強くなかったという、まことに注目すべき指摘を行った牧は、﹁下地﹂の知
行の進展によって、それが本格的な封建制に移行していく時期を、鎌倉末・南北朝期と把えたのである。こ
(お)
の見方は、ごく最近の庄園制・封建制に対する見方に、なお決定的な影響を与えているといわなくてはなら
なし。
朝河の主張は、西欧と日本にあらわれた封建制を﹁氏族生活の記憶と国家政治の経験との同時的存在﹂と
いう、世界史における﹁ごく僅少の人種のみが享有した幸福な変則﹂から生まれたものとする点にあるが、
一方で、その両者を比較し、牧畜を欠き、水稲耕作を基調とする日本の封建制の場合、西欧と異なり、骨骨
れい全世保和ゆ蛤靴下、仲 trA
ムハ骨伶ト hr
加わかと、と説いてい針。ここには、すでに挫骨争かいレ骨払抗争除か
観点からの立論がうかがえるのであるが、興味深いのは、日本の﹁正統的﹂アカデミズムの基礎を築いた黒
(謂)
板勝美が、朝河の説は多くを中田薫に負っていると批評したのに対U、朝河が自らの独自性を主張した点が、
まさしくそうした面にあったという事実である。そしてまた、戦前にほとん小一般かか作かか?か幹舟か仕事
(却)
小、いがゆかし骨骨レbれいが、(中略)滑恥一一一野れい﹃ト恥恥世 AVιrtr
﹄一た骨一﹂炉、ト恥詩一昨仕)かb?b
という関係も見落とすことはできない。
網野はここで、堀米の朝河紹介を踏まえながら、朝河史学の核心を見事に理解していると見てよい。第一は、
﹁庄そのもの﹂は封建的領土ではなく、﹁職﹂を破壊したところに封土は初めて生まれるという見解である。すな
わち﹁庄園が封土に変化する﹂ことによって封建制が生まれるのであり、この移行過程を実証することこそ、朝
河が自らに課した課題であることを的確に認識した。ヨーロッパのマナーを日本の庄園と安易に対比して、誤解
、
a
[編訳者解説]
2II
の源流を作ったのは、中田薫である。これを継承する黒板勝美を批判した朝河の論旨は明白であるにもかかわら
ず、網野のいう﹁﹁正統的﹂アカデミズム﹂は、依然この呪縛にとらわれている。
第二は、﹁牧畜を欠き、水稲耕作を基調とする日本の封建制の場合、西欧と異なり、農民の土地保有は強靭で、
村落共同体を欠如する﹂と指摘して、日欧の最も大きな差異が乾地畑作農業と水稲耕作の違いにあることを、こ
れも堀米に従って的確に理解している。そこから﹁農民の土地保有は強靭で、村落共同体を欠如する﹂という認
識が生まれる。ヨーロッパの村落共同体におけるいわゆる共同体規制とは、一二圃制に典型的に見られるように、
領主による土地利用の強制的な割り替えである。その決定権を持つ領主と、そこで従属的立場で農作業に従事す
る農民との関係が隷従的にならざるを得ないのは、容易に察せられる。ところが水稲耕作の場合は、水の配分に
ついて一定の協調が必要だとしても、それは三圃制における規制のような厳しいものとは明らかに性質が異なる。
第三に、これは第二の特徴から生まれるのだが、マナーにおいては、領主農場が全農地の少なくとも三分の一
あるいは四分の一程度を占め、その農場における農作業は農奴的な体制にならざるをえないのに対して、水田に
おける小作人はあたかもその﹁水田の地主﹂のように積極的に経営を行った。そこで収量を増やすことが直ちに
自らの利益に直結したからだ。そこから﹁農民の土地保有の強靭性﹂が生まれる。
総じて日本の小作人は、マナ l の農業労働者と比べてはるかに大きな自由を享受していた。このような農民像
に着目せず、マナ l の農民が農奴であるからには、日本封建制下の農民はますます農奴的に違いないと類推した
のが唯物史観学派であった。網野が、すでに紹介した自己批判を踏まえて、ドグマから解放された豊かな中世社
会像を提示したことはよく知られている。網野は一九七三年に書いた﹁荘園公領制の形成と構造﹂で、﹁荘園公
領制﹂を提起した。
212
﹁庄園制﹂という規定は、本来、私的大土地所有の体系としての土地制度を表現しているが、それだけで
はかたづかぬ一種の国家的な性格を、この時期の土地制度はもっているのが、未熟な用語をあえて使うのは、
その点を考慮にいれたからにほかならぬ。といっても、庄園を私的土地所有とし、国街領を国家的土地所有
と規定し、そのいずれかに土地制度の基準を求めようとするわけでもない。少なくとも十二世紀以降の庄園
と公領は、もはや異質な対立するものではなく、本質的には同質といっても過言ではない。従って、いま私
的といい、国家的といった性格は、庄園・公領の双方に、それぞれ貫徹しているとみなさなくてはならない。
(網野、 一九七三年)
網野によるこの問題提起は、私的大土地所有 H庄園制の展開という伝統的な観点を厳しく批判し、庄園と公領
は﹁本質的に同質であり、一種の国家的な性格をもっ﹂と説いた。
朝河は﹁初期の庄園﹂と﹁十二世紀以後の十分に発展した庄園﹂とを峻別して、同じ庄園の名で呼ばれるが、
十二世紀以後の庄園は、もはや封土に変化したか、あるいは封土への転化過程にあると分析した。分かりゃすく
言えば、まずは東国に生まれた鎌倉幕府が次第に全国的に権力を行使するようになるからだ。
では、鎌倉幕府はどこから生まれたのか。庄園の中で武士が成長し、そこから東国の政権が生まれた。この地
方政権の権力・財政基盤は庄園であり、これを従者に対して思給として与えた時に、庄園は封土に転化した。こ
れが封建制誕生の物語である。この東国政権が京都の天皇の認知を得て、全国的政権に成長したことは、﹁庄園
以外の土地﹂すなわち﹁公領もまた封土に転化した﹂ことを意味する。
鎌倉幕府が誕生した時点では、庄園の外に公領が存在したので、この過渡期において庄園と公領とが並行して
存在することは明らかである。しかしながら、鎌倉幕府が全国的政権に成長するとは、すなわち旧公領もまた、
[編訳者解説]
213
幕府権力のもとに掌握され、封土に転化することと同義である。図式化すれば、鎌倉幕府の成立
H庄園の封土化
H庄園と公領の過渡的併存、幕府の全国的政権への成長 H公領を含めた全国土の封土化、つまり庄園公領制の終
嵩 H封建制への移行の完成である。
木村茂光は﹃荘園公領制﹄の序文で、次のように記した。
荘園公領制概念の提起とこの間における研究の進展は、高校日本史の教科書に荘閏公領制が採用されたこ
とが象徴的に一不すように、中世社会像の究明に大きな役割を果たしたことは明らかであるし、今後の研究の
深化が大いに期待されている。
荘園公領制の内部構成を総合的に全体的に把握しようとした網野の分析方法の影響があることも指摘して
おく必要があろう。
網野史学が﹁荘園公領制﹂なる﹁未熟な用語﹂を提起したのは、唯物史観学派のドグマから解放されるための
一つの過程としては重要だが、単なる﹁並列表記﹂にとどまったことの限界もすでに明らかであろう。
網野がもう少し深く朝河史学を読んでいたならば、﹁庄園と公領を単に並列﹂して、私的土地所有と国家的土
地所有の問で、行きつ戻りつして核心から遠ざかる混迷を避けることができたはずである。すなわち私的土地所
有と国家的土地所有との聞に、封土というキーワードを媒介すれば、私的土地所有の封土化によって地方政権が
成立し、この政権が全国的政権に成長することによって国家的土地所有[非私的土地保有]の封土化が完成し、
網野流の﹁庄園公領制が終罵を迎える﹂構図である。
214
朝河史学を敬遠し、十分に学ばないことによって、日本史研究は大きな損失を蒙ったと評せざるを得ない。こ
れはすでに指摘したように、日本史学界だけではなく、西洋史および東洋史学界の責任でもある。
第 五 章 収益率の高い領主直営農場が大規模経営に発展しなかったのはなぜか
││﹁アルバイト小作﹂の壁を実証する
朝河の日本農業分析の卓越した成果の一つを以下に紹介したい。
ヨーロッパのマナ!と比べて、日本農業の大きな特徴は、マナーには通常耕地、休閑地、牧草地を含む全農地
面積の三分の一ほどの広さを占める領主農場が日本ではほとんど見られないか、あるいはその規模が大きくても
農地(畠と水田)の一割未満にすぎないことである。それは何に起因するかを、朝、河は解明した。
(1) 年貢の徴収について
まず課税水田。朝河は古文書に書かれた﹁定田﹂を課税田と訳し、次のように解説した。﹁他の水田も、課税
されるから、定田のみが課税されるかのような訳語は、必ずしも適当な訳語ではない。しかしながら、すべての
庄において、大部分の水田は庄役人の取り分と(現地の)宗教施設の維持に割り当てられることが多い。
そこでは、いつも天候や他の理由により収益の不安定な水田がいくらか含まれる。これらの不安定な土地を除
一町あたり一石の
いたものが、給田・定田と呼ばれる。公団と(非耕作の)損田、(耕作中の水田たる)得田の全体から、﹁収穫不安
定の土地を控除した残り﹂が定田である。
これについて﹁段当たり一斗﹂が徴収され、 それは段米と呼ばれる。段当たり一斗ならば、
、
.
/
/
[編訳者解説]
215
年貢であり、四六十町ならば四六十石の計算になる。
これに延べ米徴収が加わる。延べ米とは、俵詰めや輸送の際に生ずる不可避の目減りを埋め合わせる費用を指
す。延べ米とは、文書W AとBの末尾に見える加徴と同じである。
(2) 徴収に際して
﹁石あたり二斗﹂(二十%相当)が付加徴恥されたが、これは徴税担当者たる笠置の利得になる。利得はのちに
三升分追加徴収された。こうして笠置の利得は、徴収石あたり二・二斗から、三・三斗に増え、石高あたりの附
加徴収は二十三%に膨れた。
おんつくりだ
(3)直営地、すなわち御作田について
御作田とは、御は敬称、作田とは、耕作を意味する。御の敬称が付された田は﹁領主あるいは庄役人が直接
用いるため﹂の意である。徴収の際には、﹁段あたり一・六石﹂である。原文には単に﹁六斗﹂と書かれている
が、これは前半の﹁一石﹂が脱落したもので、﹁一石六斗﹂と読むべきと朝河は訂正している。これは町あたり
十六石なので、二一町ならば四十八石の計算である。さらに徴収高一石につき、﹁延べ米﹂として八升(八%相当)
を付加するのが規別であった。
(4)直営地三町の田租
これは五十一石(四十八石+三石)であり、種子と食事分を除いはいのが規別であった。
216
味
で
)
同
5
さ専
片品
存告
目の
妥
震
台裏
庄のなかの小作人あるいは居住者の家族を指す。この語はのちに、 法的によ
(日)(回)(臼)
(
8
) 徴収の際における笠置の取り分
された。
o しかしながら
あたり五石)であった。そのほかに、加働五升(五%)とや加骨二升(ゴ一%)、計八升(八%)が恐小和として付加
年貢五百石のうち、三百十・四石が消費され、残りは百八十九・六石であった。年貢は﹁段あたり五斗﹂(町
(
7
) 年貢
恐らくこれは小作料を運搬する小舟に課せられた通行料である。 祈盛り一杯の量り方で、 年貢は ﹁段あたり
斗﹂とされ討。世めやは一アrbかか一一一介宝石川)とされた。
(
6
) 須美河下りとは
の一段併は、年貢を除かれた。というのは年貢として﹁段あたり六判﹂を納めたからであ針。
在家という単語の成熟した意味が当該文書の時点で生まれていたのではない。飯米用として留保された水田一一一分
(岨)
敷﹂も往々同じ意味で用いられる。これは中世ヨーロッパの告円Egg-28吋吉討を想起させる
新しい合意における在来は、時には庄の居住者の中心となり、家と土地との結合した新単怯になった。﹁屋
り複雑な内容を含むようになった。来日EL仲骨わか台をも意味し、さらには岳かか冊埜レわが貯をも含んでいる。
4忽r
年貢米の内、一斗あたり二升(二O%)が徴収者である笠置の取り分となり、年貢米の斗につきつ一合会福)を
・
、
4
、
在
、
[編訳者解説]
217
建代として付加した。
では直営地は、なぜそのように小さく、かつ小さなままで推移したのか。その疑問を朝河は鮮やかな史料操作
で解読したが、詳細は本文中で解説したので、ここでは省略する。
第六章 封建法(レーン法) は、庄園法(ホl フ法) から生まれ、 公領をも支配する
中世日本において、天皇は普通法(ラント法)のみの裁判官であり、幕府の将軍が封建法(レ lン法)のトップ
であった。ただし、幕府の将軍の地位は天皇の論旨によって、その権威を保証されていた。つまり鎌倉幕府、室
町幕府などの統治権力は、天皇の権威に認知されることによってのみ、その正統性を保証されたのであった。こ
の史実を踏まえて朝河は、日本の封建法(レ lン法)の起源は庄園法(ホ lフ法、同ヰ尽きであり、庄園法から封
建法が生まれた、と判断する。そして、封建法の母体となった庄園法(ホ lフ法)は、普通法(ラント法)の適応
による慣行から生まれた。すなわち、律令体制という普通法(ラント法)から、①庄園法(ホ iフ法)が生まれ、
②庄園法(ホ lフ法)から封建法(レ 1ン法)が生まれた。この文脈からして、朝河は﹁日本の封建法は、ラント
法の孫に相当する﹂、﹁日本封建法の母体は庄園法であった﹂と説いている。
日本において、﹁庄園法から生まれたばかりの封建法﹂が、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の時代に、突然その範
囲を拡大した。これによって庄園法の適用範囲は急速に狭められ、弱められ始めた。それから何世紀かを経て封
建法は着実に発展し、庄園法のほとんどすべてを吸収し、さらに(公領を律していた)普通法の多くを吸収した。
こうして﹁頼朝の封建法﹂は、ついに封建法の適用対象の外にあった非封建的官僚機構とその特権を奪い取り、
、
.
218
天皇から相続したとしてきた既存の法体系については、幕府権力がこれを﹁単に保護する﹂にすぎない形となる。
これが法制度の面から見た封建制への全面的移行である。
土ん日宝石
FHV
ノ
ム
ヨr
43
、
それは非封建的権利をより一層支配し、日本封建制の基本的要素を形成した。その後永続する体制を初期に力強
じたものとはいえ、頼朝が﹁国家の官僚として﹂行ったものではなかった。その結果が特有の幕府体制であり、
と庄閏法(ホlフ法)の上に、頼朝が封建法(レ 1ン法)の部分的導入に成功できたのは、概して天皇の裁可を通
土地制度の進展は、封建法(レlン法)の急速かつ広範な成長の過程にある。すなわち、律令体制(ラント法)
平清盛と源頼朝の役割は、どこが違うか
[分析2]
ら広く自由になったものだ。
(日)
形成されていた。しかし庄園法(ホ lフ法)自体は、旧普通法(ラント法)の適応による慣行から生まれ、そこか
接的に生まれたものではなく、その起源は庄園法(ホlフ法、同キミぎから育ったものであり、すでにしっかり
の裁判官ではなく、普通法だけの裁判官であり、将軍が封建法のトップであった。日本の封建法は普通法から直
した。あまり知られていないのは、両者の法的関係である。天皇は普通法(ラント法)と封建法(レ lン法)双方
日本全体の封建領主として、将軍が存在したことはよく知られている。将軍は、天皇の裁可の下で権力を行使
将軍の実力と権威について
[分析1]
朝河は自らの学問を﹁比較法制史研究﹂と規定した。この分野における朝河の分析を四つ拾っておく。
補 論1 │ │
朝河貫一の比較法制史研究から得る視点
qtE4241員と干ノミ
[編訳者解説]
219
220
く樹立したのが、頼朝であった。頼朝以前は、平清盛でさえも、領主として、天皇の裁可を得てコ一つの法(律令
に基づく法、庄園法、封建法)において、かくも広範に権力を集中することはなかった。なるほど清盛の領地は大
きかったが、頼朝よりは小さく、全般的な公的権威づけを欠いていた。清盛による庄園法(ホ 1フ法)の利用は、
所有者の私的な了解によるか、あるいは所有者への専横な侵害にすぎなかった。清盛も公的権力を広範に行使し
たが、純粋な封建領主として行使したのではなく、清盛とその家臣たちが天皇制度の中で保有する官職を通じて
行使したのであった。清盛とは対照的に、一一八六年以後、頼朝が地域そして領地で警察代行・徴税のために家
臣を雇ったのは、朝廷によって認められたものとはいえ、﹁京都の政府役人として﹂公務を執行したのではない。
鎌倉の領主に責任を負い、その領主から封土という恩恵を受け、領主に奉仕したのであった。さもなければこれ
らの家臣たちは、その将軍(領主)も同じことだが、律令体制(ラント法)においては小宮の地位しか得ず、真に
行政的なものではない名誉職的な肩書を預かるにすぎまい。というわけで、日本政治において﹁封建的支配の創
始者﹂とは、頼朝に帰属させるのが妥当である。
[分析3]
頼朝の目的は、家臣と東国政府の獲得であった
比較封建制の研究者にとって興味のある、日本の封土の注目すべき規則のいくつかが、ゆっくりと形成された
のは、領主が庄園法(ホ lフ法)をうまく保護できるようになったあとの時期のことであるにすぎない。しかし
その前に、領地の慣行への全般的な干渉に先立つより秩序立った発展過程が、頼朝によって第一の法なき時期に
確立されていた。そのときに始まったものは、それでもなお庄園法(ホ Iフ法)の犠牲において、後に決まった
形で続いた。法制度は自らを宣伝し、変える内在する決定力を持たないことを、研究者は忘れてはならない。人
参
、
[編訳者解説]
221
為的制度を発展・崩壊させ、その性質を変えるのは、いつも変わりつつある社会的需要と人間の動機なのだ。頼
朝が二1 コ一年のうちに、持続し成長した日本特有の封建制の基礎を確立した驚くべき事実を理解することがわれ
われの目的であるから、われわれにとっては、いかなる封建的要素を頼朝が扱いやすいと考えたかだけでなく、
いかなる需要と動機がこれらの法的要素を、頼朝の追求したやり方で用いさせたかを検証しなければならない。
一一八O年からの三年間、頼朝が敬慶に献身すべき朝廷を断固として無視したことを、どのように解釈すべきか。
みすぼらしい流刑者であった頼朝が、一一八O年に提起された二つの選択肢の内、より困難なものを大胆に選ん
だことは明らかだ。すなわち、わずかな友人の与える乏しい支持に依拠して残りの人生を無為の拘束の中で送る
か、それとも全盛の平氏の権力に挑戦して立っか、の選択である。この決定について、彼は自らが受け取った以
仁王の命令に激励されたし、他の特別の環境にも強制された。とはいえ、この決定は頼朝にとって重大なもので
あった。というのは、彼の選んだ方向には成功か死か、それ以外にはあり得なかった。成功の可能性ありとすれ
ば、彼は地方武士を個人的家臣とし東国の政府を支配することしか可能性のないことをはっきり認識していた。
これら二つの試みの内、前者は表向き許されておらず、後者は以仁王の命令ではいささかも想定されていなかっ
た。頼朝は当初から、これや他の特権を、与えられたものと主張していた。そうした主張は疑いなく、彼の祖先
がこの地で得た小規模の類似のものを得ることに、頼朝の希望があったことを示している。ここでは平氏との戦
争が主な目的であり、家臣と東国政府を獲得することは、一一つの必要条件であった。この間、以仁王とその徒党
は叛徒として亡び、頼朝は国家の大敵の地位を継承した。そこでわれわれの問題はここに帰着する。いかなる正
当的理由によって、さもなければ非常に忠実な奉仕者たる頼朝は朝廷政府をかくも断固として一貫して無視する
態度をとったのか、である。殺された反乱者・以仁王の不法な命令は、空虚な口実にすぎない。この問題の解決
のためには、単なる推測に落ち込む必要はない。というのは頼朝と源氏の他の者によるいくつかの宣言、なかで
参
、
222
も行家と頼朝による皇室の始祖たる伊勢神宮への祈躍があるからだ。これらの文書に表れた観念は、源氏以外の
者によっても繰り返されており、頼朝の事業を正当化する一般的考え方を証明できる。要するに、件の祈一時者源
氏は平氏とまったく同じように皇室の子孫であり、両家は何世紀にもわたって宮廷と国家を防衛する軍事力であ
(回)
った。源氏を現在の悲しみの状態に落としたのは、戦争という先の読めない運命である。しかもこれは、不当に
も復讐心を持つ平氏によって与えられた苦痛なのだ。
[分析4]
頼朝の行動の根拠はなにか
平氏が一一八三年に西国に退却した時に、頼朝がどこまで進撃すると考えていたかは分からない。しかしその
日付以後、ラント法とホ l フ法の援用解釈の下に頼朝が一つ一つ採った実際の行動は、すでに述べ、そしてこれ
からも述べるように、誰もが予見できなかった多くの出来事に主として決定づけられている。一貫していたのは、
頼朝の不屈の意思力と、それに直面した時の驚くべき能力であった。頼朝の行為を導いた﹁動機﹂について言え
ば、少なくとも一一八一一一年に至る成功までは、東国を保持するため、であった。彼の権力のこの堅い基礎に基づ
き、西国の平氏征服をも含めて①国家の保護者となり、②朝廷の命令の執行者となることであった、これらの大
仕事を平氏のように国家の大臣としてではなく、純粋に③封建領主の資格でやろうとした、と推定したい。上記
の三点の内、初めの一一つはのちの項で記述するが、最後の点についてはここで一言加えておく必要があろう。頼
朝の見るところ、自身の組織と伝統を持つ京都は、彼の封建紀律の厳格さを暖昧にする勢力に見えたに違いない。
彼は宮廷文化のある局面の恩恵を受け入れて、有職故実に慣れた者の助言を熱心に聞こうとさえしたが、頼朝は
結局のところ武士の首長であること、彼に適した活動範囲は自らの家臣と同じであることをよく知っていた。彼
ー
、
[編訳者解説]
223
らの倫理基準と人生観は、強い個人的名誉の感覚と原則への忠誠に基づいていたが、概して形式的で考え方にお
いて非倫理的であり、頼朝らの影響で決定的に元気を失っていた京都の洗練ぶりとはほとんど協調できなかった。
家臣が朝廷から任命される官職を自由に受け入れることでさえ我慢できなかった頼朝は、宮廷の役所を自らのた
めに利用しなかったし、さらには彼ら自身の活動範囲内で廷臣と付き合うことはなかった。彼は封建政府の所在
地を変えることはなく、京都の直接的影響からはるかに離れた、父祖の地の中心たる鎌倉に滞在し続けた。
,、
224
補論2 │ │朝河封建語録
,、
朝河史学が俗流封建史観とは著しく異なったものであることは、以下の三十七の朝河語録から容易に理解でき
レ品λ10
1. 徳 川 時 代 の 農 民 は 耕 地 の 所 有 者 二 九 O九年)
日本の封建政府の最後のコ一百年間に、家臣は領主と共に村から離れた城下町に居住し、その所得は実際の土地
(団)
保有の代わりに石高(米による給料)であったために、耕作者は多くを自らの裁量に任された。それは農奴やそ
れに類したものではなく、耕地の事実上の所有者であった。
2. 農奴に最も近いのは、大農民の世襲の奉公人(一九 O九年)
これらの農民階級のどれをとっても農奴ではない。農奴に最も近いのは、大農民のもとで働く世襲の奉公人で
(削)
あったが、この奉公人は少数派に減少しつつあった。彼らと主人との関係は、﹁土地﹂への従属というよりは
﹁卦んか宋唐﹂に従属していたのであり、真の従属というよりは個人的な関係に基づいていが o
一六O O年の日本農民(一九二一年)
4. 庄は、﹁分散農場﹂制からなる(一九一四年)
一六O O年の日本の農民は実際、公的にも私的にもヨーロッパ中世の農奴より高い地位を獲得していた。
3
[編訳者解説]
225
庄は、﹁分散農場﹂制
(E
印
白
255EB
3RB) の大きな単位であり、形と規模が極度に不揃いな土地の混合で
ョ凹
ggRE2m自民主88B宝田一括田区官。25σSFE) と
あり、その起源と実際の条件において非常に多様なものであった。領主と半ば自由な小作人の共同介入によって
経営される地条型可耕地によって構成されるマナl組 織
は異なっていた。
5. 庄に具現された日本農業の特徴(一九一六年)
庄には、独特の日本農業の永続的特徴がすべて体現されている。それは土地の大きな部分を占め、人々の生活
(臼)
の多くの部分を支えていた。その漸次的進化はこの時期を通じてその複雑さのほとんどすべてにおいて、政治・
社会生活全般を反映し影響を与えてきた。
6. 鎌倉時代の﹁作人﹂は実質的に﹁地主﹂であった(一九一六年)
﹁作人﹂が実質的に﹁地主﹂であることを示しているのかも知れない。しかしながらそうであったとしても、封
建時代第1期︹鎌倉時代]の終りには少なくとも﹁作人﹂は雇一われ耕作者ではなく、いわんや農奴ではなく、耕
gzp巾呈5ZEE20ごZ
地の果実を得る者、結局のところ、そこから派生するすべての租税負担を担う者(
EB) であったと結論して過言ではあるまい。
7
. ﹁作人﹂という新階級の誕生と、旧地主の武士階級と新地主(小領主)への分化(一九二ハ年)
彼らは旧﹁作人﹂の制度的子孫ではなく、農奴でもなく、特別な先行者なしに現れた正規の小作人であった。
旧百姓も旧作人も単純な階級ではなく、それぞれいくつかの地位の等級からなっていた。封建時代の最初から百
,、
2
2
6
姓のなかに武器をもつには貧しすぎる小百姓がおり、侵略する武士や専横な徴税者が来ると、逃げたのは当然で
あった。しかし百姓のなかには、大きな武装した﹁地主﹂もいた。﹁作人﹂の初期の条件も多様であり、多様性
h
はますます増加した。フランスの農村階級も奴隷や農奴として落ち着くまでは複雑であったと思われる。各階級
の等級差は一掃され、前の二つの階級のいくつかは新隊列のなかに融合していた。いいかえれば、次のような事
態がいかにもありそうな姿である。すなわち﹁作人﹂の一部が残り、自由小作人になり、他の者は地位の高い百
姓になった。﹁地主﹂も上昇した﹁作人﹂と同様に、職業的武士ともはやその家来ではなくなった者とに分化し
た。彼らは庄に残り、姓をもつことを誇りとし、小領主の生活をするか、あるいはこの時期の終りにかけてます
ますそうなったように土地を離れ豪族に従属するようになった。旧呼称は続いたが、実質は変化していた。新た
な複合的な百姓には財産持ち農民と小作人が含まれており、新農村階級の基幹を構成したように見える。上には
不在領主がいて、下には一雇われ者がいた。雇われた農業労働者(作男、耕作者)は、時には何世代も続いたが通常
は期限つきで、土地ではなく一族に付属していた。彼らは自ら耕作するための土地を保有することも、賃貸する
こともなかったが、一六O O年以後は勤倹な作男が蓄えを用いて土地を買ったり借りたりし、小作人あるいは独
立した農民として出発することは、よくあることだった。これらの労働者を奴隷と呼ぶのは適当ではない。彼ら
は知行を割当てられているのではなく、年貢や賦役労働の義務をもっていたわけではない。逆に賃金や他の形の
(制)
報酬のために働いたのである。結婚や相続において制限を受けていなかった。雇用者のために働いている土地と
抱合せで譲渡されることもなかった。彼らは家内的に雇われた者であり、それ以上でも以下でもなかった。
8
. 例外的に残った四国祖谷山のケl ス(一九一六年)
. 彼らは村のために名とい
祖谷山についての事実は、少なくとも次の面から異例のものであり、興味深い。 1
/
[編訳者解説]
227
. 首長は武士であ
う古い呼称を留保し、村長を名主と呼んでいたことで、われわれの議論からして興味深い。 2
. 彼らの地位は世襲であった。 4. 彼らは小作人を農奴として保有
り、騎士の奉仕という義務を負っていた。 3
場
、
していた。このために、小稿では孤立した村にしばしば言及する。今日この地域を訪問し、現在の状況を学ぶこ
(伍)
とは興味深いであろう。祖谷山を最近旅行した伊予の市民は、祖谷山を旅行したがまだ訪問しにくいこと、首長
の家族は農民から依然として大いに尊敬されており、農民の多くはまだ強情で反抗的であると報告している。
マナ!と庄(十二世紀)の特徴(一九一八年)
ヨーロッパの典型マナーを特徴づける牧草地・耕地の混在は、村落共同体に似た生活をもたらした大きな理由
同牧草地・耕地の混在こそが共同体規制の根拠(一九一八年)
れたことである。
かかわるならば、庄の最初の大問題は、利益移動の集積結果として成長し、不在領主のもとでゆるやかに束ねら
をもっといりくんだ変化可能なものにし続ける。それゆえ、もしマナ1 の起源の主な問題が村落共同体の要素に
理される。これらの保有者の多くは領主の財政権限が妨げられない限り、好きなように職を処分し、土地保有権
て日本の庄は、耕地についていえば、場所だけでなく形やサイズも定形ではなく、その保有者によって独自に管
ているからである。そのうえ、下層の小作人は厳密にその地条に緊縛され、移動を禁じられている。これに対し
これらの保有権の変化しない帯状畑を保有する。というのは、各地条ごとに定められた領主への奉仕を負わされ
その耕作はマナ l の 牧 場 や 草 原 、 森 林 の 管 理 と 同 様 に 領 主 と 小 作 人 の 共 同 監 督 の も と に お か れ て い る 。 小 作 人 は
ヨーロッパの典型的マナlは村落共同体に類似した特徴をもち、その耕地は長方形の帯状で一定の規格をもっ。
9
2
2
8
だと亨えざるをえなMo
日.自由な個別保有という個人的財産権(一九一八年)
日本では封建制の開始に先立って、すでに領主による耕地利用への侵害に対して、岳山昨か骨勝保和トい、小一骨l
r
的財産権(門町内向円巾Eogc
ごEEE0828ロ)がすでに確実に守られていた。これは日本の封建制とヨーロッパ
出U
のそれとの相違を理解する場合に、記憶すべき重要な条件であ封。
ロ.庄は、いかなる条件のもとで、封土に変わったのか(一九一八年)
第一は土地保有権と諸階級が非常に単純化・再編成・強化されることによって、はっきりした階級が現れたに
違いないことだ。一つは武力で奉仕する、高貴とみなされた階級であり、他の諸階級は、生産に従事し土地保有
権をもつが、卑しいとみなされた階級である。第一一に、領主あるいはその上位者は自らが武士であり、領地の武
士たちとの聞には直接的な人的関係があった。土地保有権に基づく諸階級の再編成と軍事的領主の出現という二
つの変化は、鎌倉時代として知られる最初の封建時代に大きな影響を与え、実質的な進歩を示したものの、その
完成は次の時代まで待たなければならなかった。領主は寺社領の領主でさえも、不安hrbh﹂怯保和措b
b
u
h
v島市貯
な土地保有権に変えようと長らく努力した。領主はいまや﹁地主﹂と﹁作人﹂の利益を害う職を没収して、従属
的な小作人に与えることさえした。
日.庄に領主農場はなく、それゆえ農奴なし(一九一八年)
庄についての一つの重要な点は、領主に対して個人的な奉仕を負う小作人の農加階級が岳士ルかか ?bことで
参
、
[編訳者解説]
229
ある。この重要な事実の主因は、領主農場の欠如に求められなければならない。庄の領地管理は、 マナ!と違つ
て、大量の強制労働を継続的に確保する必要はなかった。小作人を厳格に土地に縛りつけるインセンチブは相対
的に小さかった。居住地と住民の動きは、強制よりは庄内外を比べた純粋に経済的条件によって決定されていた。
さまざまに変わる土地の権利と利益の支配的な傾向にもかかわらず、小作人の状態はこれらの理由のために全体
として、かなりの程度まで相対的自由と柔軟性を保持した。厳密な意味での奴隷制度はそうした土壌では育たな
かった。庄は、決してマナ!と同じではなく、農奴を持たなかった。
日.領主農場が小作人に対して強制労働を強いる(一九一八年)
ヴィラはマナl に似て、マナーのもつ際立った特徴をもち、 小作人に対して強制労働の義務を強いるかなりの
広さの領主農場を含んでいた。領主農場がマナーにあり、 庄にはなかったことが、 耕作者の条件にどれほど重大
な影響を与えたかを観察しよう。
日.作人とは﹁土地に緊縛された農奴﹂ではなく、﹁賃金のために雇われた者﹂(一九一八年)
いわゆる作人は、一片の土地に緊縛された農奴といったものではなく、収益の多い権利の保有者あるいは彼自
身が労働者を雇用する側であることは明らかである。 ではこれらの労働者は作人のもとで真の農奴として奉仕す
宝ヰも
:zふJ
h同・カ
るのか。 日本で十一一世紀に農奴は存在したのか。 私はまだこれらの疑問に答えることはできない。 f
Ehみ人
J14
(
η
)
乏しい証拠の限りでは、 これらの労働者は領主に対するサービスのために土地に緊縛された農奴というよりは、
何らかの形で賃金のために雇われた者であることを示唆していると言えるだけである。
h
230
日.﹁作男﹂は農奴ではない(一九一八年)
この時期に、農業人口の最下位には賃金のために雇われた国内の作男がいたことを積極的に証明できる。たと
r、ひひかれい作野山w
え日本の岳ト卦去か一世舟においでいがかかか時間貯心、農蜘ト吟小か階級がいわトレ日ぃ i
l
rト
ろん農奴ではなかった。
げ.地下人と対比できるのはロ l マ帝国のサルトゥス(一九一八年)
社会的に最も低い階層・地下人でさえも、作人職の個々の保有者によって賃金のために私的に雇用されたもの
である。庄の地下人と対比するには、フランスの封土における農奴ではなく、むしろ表面的な類似にとどまると
はいえ、ローマ帝国のサルトウ対をあげるほうが適当日。
日.領主農場における共同耕作(一九一九年)
rかか岳かれい給金
フランク王国の村落やマナ lの領主は、独立した地位を獲得していた。骨、否ゆ工ザ内庁岳かや仲l
をかきあつめ、領主の部下は領主農場を無償で耕作しなければならなかった。 ヴィラはより先進的な型の農業を
発展させた。[水稲に特化する]庄とは対照的に、ヴィラではさまざまな穀物が育てられ、農業は大規模に行わ
r
れ、農場は払ハ骨耕作が昔赴であった。これらの差異は、主として日本のが静耕作かかか、そして岳じゅ管王、 t
b介いやいかことに帰着させることができ針。
日.マナーとは異なって庄は、農奴を持たなかった(一九一九年)
庄についての一つの重要な点は、朗幹全心持レ ぃ
r働か奉仕ト骨、小恥仲んかか詩階級が岳士九wbか?bことで
r骨l
J
ー
、
[編訳者解説]
2
31
ある。この重要な事実についての主な理由は領主農場の欠如に求められなければならない。 領 地 の 管 理 は マ ナ ー
と違って、大量の強制労働を継続的に確保する必要はなかったのである。 小作人を厳格に土地に縛りつけるイン
センチブは概して相対的に小さかった。 居住地と住民の動向は、 強制よりは庄内と庄外を比べた純粋に経済的条
件によって決定されていた。 さまざまに変わる土地の権利と利益の支配的な傾向にもかかわらず、 小作人の状態
は全体としてこれらの理由のために、かなりの程度まで相対的自由と柔軟性を保持した。厳密な意味での奴隷制
度はそうした土壌では育たなかった。わずかの下位の小作人が時間の経つにつれて個々の土地賃貸者に奉仕した
が、これは領地の領主のためではない。マナーとは異なって庄は農奴を持たなかった。
加.小作人の領主農場における無償労働(一九二九年)
小作人は階級の差に応じて異なる無償労働を領主と領地のために行い、この強制労働は疑いなく、彼らの義務
のなかで最も厄介なものであった。決定的な理由が領主農場の存在に起因することは明らかだ。すべての小作人
は、程度の差こそあれ厳格なマナl に 住 み 、 決 ま っ た 単 位 名 を も ち 、 定 め ら れ た 負 担 を 課 さ れ た 単 一 あ る い は 分
(市)
割された土地で働き、これらの義務の大部分が強制労働であるならば、その結論は、これらの耕作者はヴィラの
従属民であり、自由な小作人ではない。
幻.成熟した庄から生まれた新階級(一九二九年)
庄について問うべきは、マナlも同じことだが、旧階級の混合から生まれる新たな階級ではなく、相対的な画
一性から差別化して生まれる新鮮な階級である。この時代には、庄外の自由民でさえも、庄内と同様に水田を個
人的に所有していたように見える。
参
、
2. 日本農業における米作の本質的意味(一九二九年)
,、
ローマ帝国のフンドゥスとヴイ列からフランク王国の領地、イギリスのマナ l へと続くヨーロッパの農業発展
を学ぶ者は、耕地・田畑・農法の規模がたがいにほとんど均衡がとれていなかった事実、農法は別としても小作
人の保有する耕地と田畑は、原則として日本よりはかなり大きかった事実を想起するかもしれない。ここにはさ
まざまな原因があるが、そのほとんどすべては農業の特質と認めることができるか、あるいはそれと密接に関わ
っている。すなわち山の多い国士、水平な棚田、人間による農業、小農具による丹念な耕作、各農場に不可欠の
要素としての牧草地や牧場の不要なこと、そして人々の生活を支えるうえで相対的に高い価値をもっ米作が結合
した結果である。
ぉ.庄の構造はマナ!と根本的に異なる(一九二九年)
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庄は、字義的にはヨーロッパのマナ l同様に領地領主あるいは代理人の農村の家を意味するが、派生して領地
自体を意味した。しかし秘静トレわか岳除、下小トト骨骨が栂十中仙昨日い昼ハ
いいか。社会的機能が似ておらず、
制度的先行物が異なり、多様であり、なかでも構造そのものが異な針。
農民の水田をゆるやかに束ねた庄(一九二九年)
いるより古い奴隷の状態がしだいに改善されたのに対して、初期の自由保有者とコロニは紛れもない農業労働者
農業諸階級の条件の著しい変化(それが起こっていたことは知られている)の原因の一っかもしれないことを示して
ヨーロッパの領地とマナ l の形跡は、すべての小作人が領主のための労働を強制される大領主農場の存在が、
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.
232
[編訳者解説]
2
3
3
の地位に低下した。庄の小作人はこれとは逆に、領主と領地のための農業労働者であるとはほとんどみなされな
(開)
い。彼らは農民用の水田を自由に利用し処分できたからだ。そして領地全体は農民の水田をゆるやかに束ねたも
のであった。
ぉ.経済的にみると、私領(庄)と公領は本質的に類似していた(一九二九年)
庄における領主農場の欠如による注目すべきもう一つの影響は、私領と公領の聞の経済的状況の本質的類似性
であった。国家との関わりにおける人々の法的地位の差異およびそこから支払われた租税の行方を別とすれば、
M)
公領と私領の聞には、経済的内容において際立った差異はほとんどなかった。両者ともに主として個人的に利用
される分散した水田からなり、両者の資源は制度的な職の手段によって同じように流通された。
ぉ.職の根拠は何であったのか (一九二九年)
同一の土地が ﹁地主﹂﹁作人﹂﹁下作人﹂ の職を生み出し、 これらの職は他の資格のもとに増やされ、 それぞれ
さまざまな領地と等級の職をもっていた。職の根拠は何であったのか。社会的不安と領地の拡大からくる
が次々に分解され、 異なる人々に与えられ、 多くの手を通じて移転された。 しばしば同一人が異なる庄や公領に
、
えyえ
経済的不安の時代にあって、思うに、職とは農民が金融危機を乗り切る、あるいは必要な保護と後援を購入する
(出)
手段(貨幣が稀少であったので)なのであった。もっと深い理由は、わずかの水田に対する直接的支配を放棄した
くないという頑固な意思のなかに発見できるに違いない。
U
. 日本の封建制は私的な後援のもとに勃興し成長した(一九二九年)
今
、
234
土地にかかわる慣習法は、日本の公的領域と私領をともに支配し、武士たちはそれに従属していたが、マナー
(師)
も農奴もなかった。日本における封建制の起源を研究すると、とりわけ封建制がほとんど純粋に私的な後援のも
とに勃興し成長したという際立った事実、封建制がマナlと農奴なしに存在した事実が浮き彫りにされる。
主
論﹄第二巻、岩波文庫、一九六九年)を想起しつつ、試算した。
(1) 熊代幸雄﹃比較農法論東アジア伝統農法と西ヨーロッパ近代農法﹄(お茶の水書房、 一九六九年 ) 0
(2) 和辻哲郎﹁風土l人間学的考察﹄点岩波書庖、一九三五年、一九六七年改版)。
(3) 編訳者矢吹は、フランソワ・ケネl の﹁経済表一七五九年﹂(岩波文庫、一九六九年)やマルクスの再生産表式(﹃資本
(4) 堀米庸三﹁歴史の意味﹄(中央公論社、一九七O年)一七一一一1 一七四ページ。
(5) 矢吹晋編訳﹃朝河貫一比較封建制論集﹄(柏書一房、二 O O七年)一九ページ。以下﹃比較封建制﹄と略す。
(
6
) 矢吹﹃比較封建制﹄一 O五1 一O六ページ。
(7) 矢吹﹃比較封建制﹄一一一一一 1一二一二二ページ。
(8) 矢吹﹃比較封建制﹄一一一一一一ページ。
(9) 矢吹﹃比較封建制﹄一一一一一一ページ。
(叩)矢吹﹃比較封建制﹄一一一一八ページ。
(ロ)矢吹﹁比較封建制﹄一一一一八ページ。
(H) 矢吹﹃比較封建制﹄一 O五ページ。
(日)矢吹﹃比較封建制﹄一一一一四ページ。
(M) 矢吹﹃比較封建制﹂一一ページ。
(日)その理由は、後述の朝河の再生産表で一不される。
参
、
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三E
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(凶)庄は八世紀に生まれ、十六世紀まで存在したが、ここで典型的な庄として想定するのは、﹁十二世紀の十分に成熟した
庄﹂である。
(口)水谷三公﹃江戸は夢か﹄(筑摩書一房、一九九二年
)0
F
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(凹)オット l ・ヒンツエ﹃引でなミミえで問、 5
hshbミ岳写さき﹄(一九二九年、邦訳未来社﹃封建制の本質と拡大﹄、
、
(時)堀米庸コ一﹃歴史の意味﹄(中央公論社、一九七O年所収)一六七1 一六八ページ。
一九七九年
(却)堀米﹁歴史の意味﹄(注目参照)一七八ページ。
)0
(沼)大谷瑞郎﹃歴史の論理l ﹁封建﹂から近代へ﹄(刀水書房、一九八六年)。
(幻)堀米﹃歴史の意味﹄(注目参照)一六九1 一七0 ページ。
(お)大谷﹃歴史の論理﹁封建﹂から近代へ﹄(注辺参照
)
。
(担)朝河貫一書簡編集委員会編﹁朝、河貫一書簡集﹄(早稲田大学出版部、一九九O年
(お)五世紀から九世紀にかけて、西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国。
(お)﹃朝河貫一書簡集﹄(注但参照)四コ一四1四三五ページ。
(訂)﹁朝河貫一書簡集﹄(注担参照)四四二ページ。
(沼)河音能平﹁オットl ・ヒンツエの日本封建制論﹂(﹃新しい歴史学のために﹄一八七号、京都民科歴史部会、一九八七年)。
)0
(却)岡田英弘﹁世界史の誕生﹄(ちくまライブラリー、筑摩書房、一九九二年)。
(却)永原慶二﹃日本封建社会論﹄(東京大学出版会、二 O O一年
(剖)永原﹃日本封建社会論﹄(注初参照)一 O五1 一O六ページ。
)0
(担)インタビュー﹁私の生き方、百姓イコール農民ではない﹂(﹃公研﹄三十五号、公益産業調査会、一九九七年。のち網野
﹁歴史としての戦後史学﹄所収。
)0
(お)網野善彦著、稲葉仲道・桜井英治・盛本昌広・山本幸司編﹃網野善彦著作集﹄第二巻(岩波書応、二 O O七年
(担)牧健二﹁日本封建制度成立史﹄(弘文堂書一房、一九三五年
、
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[編訳者解説]
2
3
5
2
36
(お)網野﹃網野善彦著作集﹄第二巻(注お参照)八1九ページ。
(お)朝河貫一著、朝河貫一著書刊行委員会編﹃荘園研究﹂(日本学術振興会、一九六五年)。
)0
(幻)黒板勝美﹁朝河氏の﹁日本荘園の起源﹄を読む﹂(﹁史学雑誌﹄二六編三号、一九一五年)。
(お)朝河貫一﹁日本封建制度起源の拙稿につきで﹂(﹃史学雑誌﹄二六二ハ号、一九一五年
(却)網野善彦﹁荘園公領制の形成と構造﹂(竹内理三編﹁土地制度史 1 体系日本史叢書﹄、山川出版社、一九七三年。のち
(却)網野﹁網野善彦著作集﹄第二巻(注お参照)一二六1コ一七ページ。
)0
網野善彦﹃日本中世土地制度史の研究﹄塙書房、一九九一年および網野善彦著、稲葉伸道・桜井英治・盛本昌広・山本幸
司編﹃網野善彦著作集﹄第三巻、岩波書庖、二O O八年所収
(必)網野自身の表現(本書二O九ページの引用)。
(但)木村茂光・井原今朝男編﹃展望日本歴史八荘園公領制﹄(東京堂出版、二 000年)二ページ。
(必)原資料は﹁升﹂と書かれているが、これは﹁斗﹂の誤りと朝河は訂正した。
。
虫、学振版注B)
U-H
mgREBは森
(叫)﹁誰の取り分か、明らかでない。朝河がE ロ
gmEと訳した箇所は労働日の食事を意味し、それらは疑いなく耕作者が
ロ
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受け取ったものだ﹂戸室、きえめRR宮
林の﹁皆伐﹂禁止を指す。
(必)中世の土地法において禁じられていた森林利用の禁止条項であり、名ユ巳8 2は森林の﹁柴刈り﹂禁止、
(hSAShHE三SJUEg。
在宅の信者を指す。朝河の説く25-Z己紹は派生的意味である。庄園の在家とは納税義務をもっ者で在家役と呼ばれた。
(必)ここで学振版注ロは、以下を補足している。﹁在家は元来仏教用語である。在家の基本の意味は出家した僧侶等に対して
律令制下で調庸を課されていた者の後育である﹂
(幻)十五戸農家計では、十五×一一一分の一段 H五段分となる。
(必)五段×六斗 H三
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。
(却)この五段は直轄地三町の他に開墾されたものである。
(印)史料の﹁升﹂は﹁斗﹂の書き誤り。
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平i
青盛
3
平忠盛
4,10, 陣 地
2
1
8,2
19
高階常河
86
4,
6
史 生 明 106,107,IIO
高階盛章
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3,24,
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5,
2
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シチズン
9
3
太政官
私的領地
清水正健
清水三男
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太政官符
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田代
四至勝示
『拾芥抄J '74,'
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収 納 使 27
熟田
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5,
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高椅連安床
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田所
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田辺采女
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勝入麻呂
朝河貫一著書刊行委員会
預かり所
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網野善彦
鎌倉幕府
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掃都豊成
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官省符庄 1
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乾 地 畑 作 農 業 182
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足羽布岐
1
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観賢ヲ
69
5
,54
足羽小綿女
提子
1
7
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飛鳥浄御原宮
3
1,3
3,
4
1,
2
1
4,2
1
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鎌倉野
1
2
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飛鳥岡基宮
加徴
街牒
208,
210,2
I
I
官牒
1
4
官符
1
4
官物町, I
I
4
粟 172
粟田奈勢麻品 1
31
粟国人麻呂 109
官物一色
家司
義範ヲ
義演
1
6
9
木曽義仲
5
3
6
54,5
生江東人
95,
99,100,
120,
1
2
2,1
3
6,
144
木村茂光
生江置嶋
1
1
5
偽文書
生江人豆
1
27
キャロベラリイ
生江広主
1
27
教義
石上奥継
1
31
京職明
猪名部黒人
2
1
2
28
37
73
『入来文書j 57,201
慶 湛 54,5
5
83
共同体規制 1
,195
石清水八幡宮
清原池貞
1
25
8
5
空海
院政
9
院宣
9
,1
1,
1
2,5
5
インドミニカータ
37
右弁官
供御田 1
5
7
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5
9
日下部氏継 89
葛井連 1
1
3
口宣 106
ヴィラ 37
ヴェーパー 200
宇治部公足
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3
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糞置庄
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糞 置 村 口 6,1
31
,
明
, 140,142,1
4
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頴 稲 106,巧7
『円光院領牛原庄由緒j 3
,2
1
糞置村水田地図
薗地
追食
73,
78
弘福寺
6
1,1
8
6
5
4
日分田
1
1
9
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2
1,
1
2
2
内蔵寮
86
大谷瑞郎
202-20
7
国役
大伴宿禰潔足
126,
1
31
黒板勝美
大伴宿禰麻呂
93,
98
桑原庄
慶延
2
刑部稲束 1
7
1
3
尾張連古麻呂 1
御作田
210
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J
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『慶延記j 41
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解 状 10,16,I
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48,54
下司職ヲ
検 非 違 使 57
ゲルマン文明 204,206
厳円行
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0
9r
天安門事件の真相・下』白石和良、村田忠、結共著、蒼蒼社
1
9
91
.
10 r
毛沢東と周恩来』講談社現代新書
1
9
91
.
11r
保守派v
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.改革派 中国の権力闘争』蒼蒼社
1
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.
0
6r
ベキノロジ一 世紀末中国事情』蒼蒼社
1
9
9
2
.
0
8n
図説]中国の経済』蒼蒼社
1
9
9
3.
10 r
郡小平』講談社現代新書、 2
0
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3
.
0
8講談社学術文庫
1
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5
.
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2r
郡小平なき中国経済』蒼蒼社
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10r
中国情報用語事典 1
9
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7
年版』竹内実共編、蒼蒼社
1
9
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6
.
0
6r
巨大国家中国のゆくえ 国家・社会・経済』東方書庖
1
9
9
6
.
0
7r
中国人民解放軍』講談社選書メチエ
1
9
9
8
.
0
2n
図説]中国の経済第 2版Jスチーブン・ Mハーナー共著、蒼蒼社
1
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S.
2
0
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0
.
0
5r
朱鈴基 中国市場経済の行方』小学館文庫
2
0
0
0
.
10 r
中国の権力システムーポスト江沢民のパワーゲーム』平凡社新書
2
0
0
2.
10 r
中国から日本が見える j ウェイツ、 Tha
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2r
ポーツマスから消された男 朝河貫ーの日露戦争論J編訳、東信堂、横浜市
大叢書
2
0
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4
.
0
9r
日中の風穴 未来に向かう日中関係J勉誠出版、智慧の海叢書
2
0
0
5
.
0
8r
入来文書』朝河貫一著、訳、柏書房(朝河四部作の 1)
大化改新』朝河貫一著、訳、柏書房(朝河四部作の 2
)
2
0
0
6
.
0
7r
2
0
0
7
.
0
2r
朝河貫一比較封建制論集』編訳、柏書房(朝河四部作の 3
)
2
0
0
7
.
0
5r
激辛書評で知る中国の政治経済の虚実』日経BP
社
2
0
0
7
.
12 r
朝河貫ーとその時代』花伝社
2
0
0
8
.
12 r
日本の発見一朝河貫ーと歴史学』花伝社
2
0
1
0
.
0
2n
図説]中国力』蒼蒼社
2
0
1
0
.
0
9r
一目でわかる中国経済地図』編著、蒼蒼社
2
0
1
0.
11r
客家と中国革命
「多元的国家」への視座J藤野彰共著、東方書庖
2
0
1
0
.
0
2r
複眼中国一現代中国の援を読み解く j謹勝美共著、時事通信オンデマンドブ
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2
0
11
.0
4r
劉暁波と中国民主化のゆくえ』加藤哲郎、及川淳子共著、訳、花伝社
2
0
1
2
.
0
5r
チャイメリカー米中結託と日本の進路』花伝社
2
0
1
3
.
0
1r
尖閣問題の核心』花伝社
2
0
1
3
.
0
8r
尖閑衝突は沖縄返還に始まる J花伝社
2
0
1
4
.
0
8r
敗戦・沖縄・天皇J花伝社
2
0
1
4
.
11r
中共政権の湖熟腐敗』蒼蒼社、高橋博共著
2
0
1
5
.
0
3r
中世日本における土地と社会j 朝河貫一著、編訳、柏書房(朝 i
可四部作の 4)
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5年 1
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7年 8月号
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史苑j1
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年 9月号
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朝河貫一書簡集J早稲田大学出版部、 1
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9
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7 毛沢東政治経済学を語るーソ連政治経済学読書ノート J訳、現代評論社
1
9
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5
.
0
1 毛沢東社会主義建設を語る J編訳、現代評論社
1
9
7
5
.
0
4 中国社会主義経済の理論政治経済学基礎知識J訳、龍渓書舎
1
9
7
5
.
0
6 現代社会主義の可能性J大内力編、共著、東京大学出版会
1
9
7
6
.
0
2 中国石油 その現状と可能性』編訳、龍渓書舎
1
9
7
8
.
0
6 中国経済と毛沢東戦略j].ガーリー著、中兼和 i
幸次共訳、岩波現代選書
1
97
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9 中国トロツキスト回想録 中国革命の再発掘』王凡西著、訳、柘植書房
1
9
7
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.
0
8 思想、の積木 毛沢東思想の内容と形式』金思憧著、訳、龍渓書舎
1
9
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.
0
3 毛沢東著作年表語棄索引編』中村公省共編、京都大学人文科学研究所
1
9
8
4
.
0
7 二 000年の中国』論創社
1
9
8
6
.
10 チャイナ・ウオッチングー経済改革から政治改革へJ蒼蒼社
1
9
8
6.
12 チャイナ・シンドロームー限りなく資本主義に近い社会主義』蒼蒼社
1
9
8
7.
12 H図説]中国の経済水準』蒼蒼社
1
9
8
7
.
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2 中国開放のブレーン・トラスト J蒼蒼社
1
9
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6 改革期中国のイデオロギーと政策 1978-87j S'Rシュラム著、訳、蒼蒼社
1
9
8
7.
12 H図説]中国の経済水準』蒼蒼社
1
9
8
8
.
0
3 ポスト郡小平改革と開放の行方』蒼蒼社
1
9
8
8
.
0
8 中国のペレストロイカ一民主改革の旗手たち j編訳、蒼蒼社
1
9
8
9
.
10 文化大革命』講談社現代新書
1
9
8
9
.
0
8 チャイナ・クライシス重要文献』第 1巻白石和良、村田忠稽共訳、蒼蒼社
1
9
8
9
.
0
9 チャイナ・クライシス重要文献J第 2巻白石和良、村田忠稽共訳、蒼蒼社
1
9
8
9
.
12 チャイナ・クライシス重要文献J第 3巻白石和良、村田忠棺共訳、蒼蒼社
1
9
91
.
0
3 中国における人権侵害』アムネスティ & A・ウオッチ著、福本勝i
青共訳、蒼
蒼社
1
9
9
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.
0
6 天安門事件の真相・上j蒼蒼社
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日本封建土地制度の起源の拙稿に就きて J r
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.邦訳『入来文書.1 2
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5年、柏書房。
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[著者紹介]
朝河貫一(あきかわ・かんいち)
1
8
7
3 (明治 6) 年 1
2月20日、旧二本松藩(現、福島県二本松市)生まれ、戸籍
2日。父は戊辰戦争生き残りの正澄。
上は 2
1
8
7
8 (明治 1
1
) 年、立子山小学校初等科に入学。
1
8
8
8 (明治 2
1
) 年、福島県尋常中学校(現、安積高等学校)に入学。 1
8
9
2年飛
び級 4年で首席卒業 (
1
9
歳)
1
8
9
2 (明治 2
5
) 年、東京専門学校(現、早稲田大学)文学科入学、 1
8
9
5年首席
で卒業。同年 1
2月、米国留学 (
2
2歳
)
。
1
8
9
6 (明治 2
9
) 年、ダートマス大学に入学、 1
8
9
9
年卒業。
1
8
9
9 (明治 3
2
) 年、イエール大学大学院歴史学科に入学。
1
9
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)年
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で博士号 (
2
9歳
)
。
1
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3 (明治 3
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) ~06年、ダートマス大学講師 Lecturer ont
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t 日露紛争
出版。
1
9
0
5 (明治 3
8
) 年 8月、日露講和会議に際して、ポーツマスで会議を見守り、
賠償放棄論を説く。
1
9
0
6 (明治 3
9
) 年 2月から約 1年半、第 1次帰朝。
1
9
0
7 (明治 4
0
) 年、イエール大学歴史学講師 L
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r就任 (
3
3歳
)
、 1
9
1
0年助教
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rに昇進。
授A
1
9
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9 (明治 4
2
) 年、『日本の禍機』を出版。唯一の日本語本。
1
9
1
7 (大正 6) 年 6 月 ~19年 9 月、第 2 次帰朝、東京大学史料編纂所等で史料
調査、『入来文書Jを発見し、 1
0年後の 1
9
2
9年に TheDocumentso
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iを出版。
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9
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0 (昭和 5) 年、イエール大学歴史学准教授 A
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5
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歳
)
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7 (昭和 1
2
) 年、歴史学正教授P
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rに昇進 (
6
3歳
)
。
1
9
4
1 (昭和 1
6
) 年1
1月、昭和天皇宛ルーズ、ヴェルト大統領親書案を書く。
1
9
4
2 (昭和 1
7
) 年、定年、名誉教授P
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rEmeritus。
1
9
4
8 (昭和 2
3
) 年 8月 1
1日、パーモント州ワーズボロの自宅山荘で心臓麻揮の
4
0
ため死去。享年7
(
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朝河貫一の主要論文 (
1
9
0
5
・
1
9
3
9
)
*朝i
可貫ーが 1
9
3
9年に自選した 2
7論文のリストに、矢吹が 5点を補足したもの。
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[編訳者紹介]
矢吹晋(やぶさ・すすむ)
1
9
3
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年福島県郡山市生まれ
1
9
5
7
年福島県立安積高校卒業
1
9
6
2年 東京大学経済学部卒業
1962~67年 東洋経済新報社記者
1967~76年 アジア経済研究所研究員
1976~84年横浜市立大学商学部助教授、 1985~2004年同教授。
現在、横浜市立大学名誉教授、 2
1世紀中国総研ディレクター、国際善隣協会理事、朝河
貫一博士顕彰協会代表理事、東洋文庫研究員。
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刷中一却
か世一印
著者
編訳者
発行者
発行所
朝河貫一
矢吹晋
富津凡子
柏書房株式会社
東京都文京区本郷 2
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