1面:医学研究科長・医学部長寄稿 2面:弘前大学東洋医学研究会発足 3面:ハーバード大学留学体験記 第59号 4面:「地域医療入門」ワークショップ報告 5面:研究室紹介 脳神経内科学講座 発行日:平成23年12月16日 6∼7面:留学だより 8面:東医体結果・人事異動 発行者:医学研究科広報委員会 医 学 研 究 科 長 ・医 学 部 長 寄 稿 ノ ー サ イ ドド 医学研究科長・医学部長 佐 藤 敬 弘前国際医学フォーラム ハンガリー医科大学生臨床実習 奥 村 謙 学務委員長 ︵循環呼吸腎臓内科講座 教授︶ でいる日本人学生に医学部 平成二十二年度より開始 様 な 考 え 方 が あ る の は 普 通 来 た こ と も あ っ て、 親 し み されたハンガリー医科大学 附属病院で臨床実習の場を で あ り、 そ の よ う な 事 案 を を 感 じ な が ら 各 号 の 隅 々 ま 受 託 実 習 生 ︵臨 床 実 習︶ の 提 供 す る こ と を 目 的 と す ど う 処 理 し て い く か が、 で 読 ん で き た と 言 え ま す。 受 け 入 れ も 今 回 で 二 回 目 と る。 昨 年 は 三 年 次 学 生 五 名 組 織 の 力 の 一 つ と し て 問 わ 今 振 り 返 っ て み る と 、﹁ ノ ー な っ た。 本 制 度 は、 日 本 の が 内 科 実 習 を 行 っ た が、 れ る の だ と 思 い ま す。 多 様 サ イ ド ﹂ を 徹 底 す る た め 高 校 を 卒 業 後、 ハ ン ガ リ ー 本 年 度 は 七 月 四 日 よ り 七 月 な 考 え 方 が あ る と い う こ と に、 さ ま ざ ま な 情 報 や 考 え 国 の 四 医 科 大 学 ︵セ ン メ ル 二 十 九 日 ま で の 四 週 間、 は、 安 易 な 結 論 に よ る 過 ち 方 を 皆 で 共 有 す る こ と は き ワ イ ス 大 学、 セ ゲ ド 大 学、 三 年 次 学 生 四 名 が 内 科 実 習 を 避 け る た め に も 重 要 で わ め て 重 要 で あ り、 そ の 点 ペ ー チ 大 学、 デ ブ レ ッ セ ン を、 四 年 次 学 生 二 名 が 外 科 す。 し か し な が ら、 い っ た で ﹁ 医 学 部 ウ ォ ー カ ー﹂ 大 学︶ に 進 学、 医 学 を 学 ん 実 習 を 行 っ た。 日 本 と 異 な 野 田 総 理 大 臣 が、 民 主 党 り欧米では九月から新学期 代 表 に 選 ば れ た 日 だ っ た と ん 決 定 が 下 さ れ た な ら ば、 が 果 た し て き た 役 割 も 大 き た。 血 液 型 不 適 合 輸 血 の 顛 が 始 ま る が、 三 年 次 の 七 月 記 憶 し て い ま す が、 記 者 会 そ れ 以 降 は ﹁ノ ー サ イ ド﹂ い と 思 い ま す。 そ の 意 味 で 末は皆さんよくご存知だと は三年次カリキュラム終了 見 で ﹁ ノ ー サ イ ド に し ま で な け れ ば な り ま せ ん 。 反 は 、﹁ 医 学 部 ウ ォ ー カ ー ﹂ 思 い ま す。 臓 器 移 植 の 適 応 直 後 で あ り、 従 っ て 四 年 次 し ょ う﹂ と 言 わ れ ま し た。 対 を 引 き ず る こ と な く、 決 は 単 な る 新 聞 の よ う な も の 拡 大 の た め に、 か つ て は 医 進 学 直 前 と い え る。 同 様 に これはラグビーで用いられ 定に沿った対応がなされな で は な い と 認 識 し て い ま 学的に禁忌とされていた医 四年次学生は五年次進学直 る 言 葉 で あ り 、 多 く の ス け れ ば な り ま せ ん 。︵ た だ す 。﹁ 医 学 部 ウ ォ ー カ ー ﹂ 療 行 為 に 果 敢 に 挑 戦 し た 高 前 の 時 期 に 相 当 す る。 三 年 ポ ー ツ の 中 で、 試 合 終 了 を し、 こ の こ と は 決 定 後 の 検 の 今 後 が い か な る も の に 橋 先 生 の お 話 に 感 動 を 覚 え 次 学 生 の 四 名 ︵男 性 二 名、 ﹁ ノ ー サ イ ド ﹂ と 言 う の は 証 や 見 直 し の 作 業 を 妨 げ る な っ た と し て も、 組 織 と し 玉 井 克 人 先 生 の 講 演 か 用 し て ポ ス タ ー を 見 る こ と ま し た。 シ ン ポ ジ ウ ム の 最 女 性 二 名︶ は、 消 化 器 血 液 ラ グ ビ ー 以 外 に は、 寡 聞 に も の で は な い と い う こ と も て の 情 報 や 考 え 方 を 皆 で 共 授 有 す る と と も に 、﹁ ノ ー サ ら 始 ま り ま し た 。 玉 井 先 生 も 可 能 で し た の で 、 企 画 と 後 は Paul I. Terasaki教 授 内 科 、 循 環 呼 吸 腎 臓 内 科 、 し て 知 り ま せ ん 。 ラ グ ビ ー 重 要 で す 。︶ の よ う に 体 の ぶ つ か り 合 い ﹁ 医 学 部 ウ ォ ー カ ー﹂ は イ ド﹂ の 精 神 に 徹 し て 組 織 に は 皮 膚 の 再 生 医 療 に 関 す し て は ま ず ま ず の 出 来 栄 え で す。 臓 器 移 植 の 基 本 で あ 内 分 泌 代 謝 内 科、 腫 瘍 内 科 が 中 心 と な る よ う な 競 技 で 五 十 九 号 を 数 え ま し た。 の 運 営 に 当 た っ て い く こ と る 最 先 端 の 情 報 を ご 提 供 い で あ っ た と 思 っ て お り ま る 組 織 適 合 検 査 の 開 拓 者 か ら 二 科 を 選 択 し、 前 後 半 は 、﹁ ノ ー サ イ ド ﹂ に 徹 す 十 周 年 の 時 に も 書 き ま し た は 続 け ら れ な け れ ば な ら な た だ き ま し た 。 続 い て 名 古 す 。 で、U C L A を ご 退 任 後 も の 各 二 週 間 で 実 習 を 行 っ 屋大学の山本徳則先生には る 意 識 が 根 底 に な け れ ば、 が、 私 は ﹁ 医 学 部 ウ ォ ー い と 思 っ て い ま す。 午 後 の シ ン ポ ジ ウ ム はU を 設 た。 四 年 次 の 二 名 は 胸 部 心 Terasaki Foundation 脂 肪 組 織 由 来 幹 細 胞 を 利 用 C S F の Chris E. Freise 単 な る 格 闘 に な っ て し ま う カ ー﹂ の 創 刊 か ら 関 わ っ て 教 立 さ れ、 現 在 で も 世 界 的 オ 臓 血 管 外 科 と 消 化 器 外 科 を した腎臓再生という非常に 授 の 膵 移 植 の 話 題 に 始 ま ピニオンリーダーとしてご 二 週 間 ず つ 交 代 で 実 習 を 恐れがあるためだという見 魅 力 的 な ご 講 演 を 頂 き ま し り、 秋 田 大 学 の 佐 藤 滋 教 活 躍 中 で す。 消 化 器 外 科 学 行 っ た。 四 年 次 の 一 名 は、 方 も あ る よ う で す が、 私 自 た。 本 学 で も、 脂 肪 組 織 由 授 に は 免 疫 抑 制 剤 の 血 中 濃 講 座 の 佐 々 木 睦 男 名 誉 教 授 昨 年 弘 前 大 学 で 内 科 実 習 を 身 の 経 験 か ら 言 う と、 格 闘 来 幹 細 胞 を 簡 単 に 分 離 ・ 採 度 が 薬 物 代 謝 酵 素 の SNPs は Terasaki教 授 の 研 究 室 行 っ た 学 生 で あ る 。 のつもりでプレーしている 取 可 能 な 研 究 機 器 を 導 入 し に よ っ て 影 響 を 受 け る こ と に 留 学 さ れ て お り、 佐 々 木 ハ ン ガ リ ー 医 科 大 学 の 日 うちはラグビー選手として ま し た の で、 今 後、 医 学 研 を お 話 頂 き ま し た。 第 一 名 誉 教 授 と の 三 十 年 振 り の 本 人 学 生 は 何 ら か の 事 情 で は 未 熟 で す。 そ れ は と も か 泌尿器科学講座・先進移植再生医学講座 日本の大学医学部に進学せ 究 科 に お い て も こ の 領 域 の く、 激 し い 戦 い が 終 わ っ た 再 会 を 喜 ん で い ら っ し ゃ い 線 で ご 活 躍 中 の 先 生 方 の お 教授 ず、 ハ ン ガ リ ー で 医 学 を 学 研 究 が 活 発 に な る も の と 期 話 で、 説 得 力 と 迫 力 に 満 ち ま し た。 後 に、 敵 も 味 方 も な く、 お 大 山 力 ん で い る。 医 学 は 英 語 で、 待 さ れ ま す。 互いに健闘を讃えあうこと たご講演を堪能させて頂き 今回のシンポジウムは文 平 成 二 十 三 年 九 月 九 発 表 が あ り、 参 加 者 は 百 二 今 回 の 国 際 フ ォ ー ラ ム は ま し た。 は、 ラ グ ビ ー の 最 も 美 し い 部科学省特別教育研究事業 日 常 生 活 は ハ ン ガ リ ー 語 瞬 間 に ほ か な り ま せ ん 。︵ そ 日 、 第 十 三 回 弘 前 国 際 医 名 で し た 。 シ ン ポ ジ ウ ム 、 時 間 の 関 係 で 、 昼 休 み に ポ ﹁ 免 疫 学 的 不 適 合 臓 器 移 植 で、 と い う ハ ン デ ィ を 背 負 最後のセッションは臓器 の 他 に は、 美 し い 点 は ほ と 学 フ ォ ー ラ ム が 開 催 さ れ ポ ス タ ー セ ッ シ ョ ン 共 に 活 ス タ ー セ ッ シ ョ ン を 組 み 入 移 植 領 域 の 世 界 的 権 威 の 先 の 拡 大 に 向 け た 基 礎 的 ・ 応 い な が ら 勉 強 し て い る だ け ま し た 。 今 回 の テ ー マ は 発 な 討 議 が 繰 り 広 げ ら れ 、 れ 、﹁ ラ ン チ ョ ン ポ ス タ ー 生 お 二 人 に お 願 い し ま し 用 的 研 究 ﹂ の 研 究 グ ル ー プ に 、 医 学 に 対 す る モ チ ベ ー ん ど あ り ま せ ん が ⋮ 。︶ "Innovation in Transplant 盛 況 の う ち に 今 回 の 国 際 セ ッ シ ョ ン ﹂ と い う 形 式 を た 。 ま ず 、 A B O 血 液 型 不 が 主 体 と な り 企 画 ・ 運 営 致 シ ョ ン は 高 く 、 弘 前 大 学 学 ラ グ ビ ー に 限 ら ず、 さ ら に は、 民 主 党 代 表 選 の よ う and Regenerative Medicine" フ ォ ー ラ ム が 終 了 し ま し た 採 用 し ま し た 。 軽 食 を つ ま 適 合 腎 移 植 を 自 ら 開 拓 、 し ま し た 。 ま た 、 青 森 医 学 生 よ り も 学 年 と し て は 一 年 な 人 事 に 限 ら ず 、﹁ ノ ー サ と し 、 近 年 著 し い 進 歩 を 遂 こ と に 深 く 感 謝 申 し 上 げ ま み な が ら の ポ ス タ ー デ ィ ス 確 立 さ れ た 新 潟 大 学 の 高 橋 振 興 会 を は じ め 多 く の 皆 様 後 輩 に あ た る が 、 内 科 、 外 カッションは参加者が分散 公太教授にはABO 血液型 から貴重な御支援を賜りま 科の知識レベルは決して遜 イ ド﹂ の 精 神 は き わ め て 重 げ て い る 移 植 再 生 医 療 の 最 す。 せ ず、 効 率 よ く 討 論 が 可 能 不 適 合 腎 移 植 の 歴 史 と 問 題 し た。 こ の 場 を お 借 り し て 色 な い よ う に 思 わ れ た。 実 要 で す。 大 き な 組 織 に な れ 先 端 の 話 題 に 焦 点 を あ て ま シンポジウムは本学皮膚 ば な る ほ ど、 そ の 中 に は 多 し た。 一 般 演 題 は 十 七 題 の 科 学 講 座 出 身 の 大 阪 大 学 教 で し た。 ま た、 昼 休 み を 利 点 に つ い て お 話 を 頂 き ま し 御 礼 を 申 し 上 げ ま す。 ︵次ページへ続く︶ 題字 弘前大学長 遠藤正彦氏筆 印 刷:やまと印刷株式会社 第13回 附属病院整形外科 助教 大 石 裕 誉 特別講演Ⅱ:福島県立医科大学・会津医療センター準備室教授 三潴忠道 先生 「総合病院における漢方診療の実際」 (座長:東海林教授) 2012年未定 MCC 講師:東洋医学会青森県支部長・アラヤ医院院長 新谷哲一先生 ●外科関係疾患の漢方処方の使い方 ●症例提示・症例報告 9.第五回 勉強会 2012年未定 MCC 講師:東洋医学会青森県支部長・アラヤ医院院長 新谷哲一先生 ●その他の疾患の漢方処方の使い方 ●症例提示・症例報告 平成23年度 病態薬理学講座 教授 2.第一回 勉強会 2011年8月25日(木) 講師:東洋医学会青森県支部長・アラヤ医院院長 新谷哲一 先生 医学部コミュニケーション ●漢方の基本事項1 漢方の腹診・診断方法について センター(MCC) ●症例提示・症例報告 3.第2回 講演会 <症例提示> 附属病院 小児外科 准教授 須貝道博 先生 2011年9月15日(木) (座長:元村教授) 医学部コミュニケーション 「小児排便障害に対する大建中湯の有用性」 センター(MCC) 特別講演:東北大学大学院医学系研究科・先進漢方治療医学講座准教授 武田 卓 先生 『産婦人科診療ガイドライン婦人科外来編 2011』からみた漢方治療(座長:水沼教授) 4.第二回 勉強会 2011年11月2日(水) 18:30∼、MCC 講師:東洋医学会青森県支部長・アラヤ医院院長 新谷哲一 先生 ●漢方の基本事項2 漢方の腹診・診断方法について ●症例提示・症例報告 5.第三回 勉強会 2012年1月26日(木) 18:30∼、MCC 講師:東洋医学会青森県支部長・アラヤ医院院長 新谷哲一先生 ●内科関係疾患の漢方処方の使い方 ●症例提示・症例報告 6.第3回 講演会 2012年2月23日(木) 18:45∼、MCC 7.第4回 講演会 2012年3月末予定 18:45∼、 MCC 数を増加する中で寄附講義 と し て 整 備 し ま し た。 と こ ろが選択科目として開始し た こ と で、 当 初 か ら 医 学 科 学 生 の 履 修 率 が 十% 未 満 と 公 開 講 座 将 来 に 大 き な 可 能 性 を 有 し し た が、 基 本 的 問 題 は 学 内 て い る こ と を、 多 数 の 一 流 に 人 が ︵東 洋 医 学 の 専 門 家 の 学 内 外 の 講 師 が 学 生 に 伝 も 含 め︶ 少 な い こ と で す。 えてくれた結果であると確 弘前大学は全国八十大学中 信 致 し て お り ま す。 字 数 と 二 校 だ け の 東 洋 医 学 会 認 定 スペースの関係でアンケー の専門医・指導医が不在の ト結果を紙面に載せること 教育指定病院でない附属病 が で き ま せ ん が、 興 味 を 院 で す。 先 ず は こ の 状 況 の 元 村 成 お 持 ち の 方 は 元 村 ︵ 内 線 解 消 が 必 須 で す。 そ の た め 五 〇 二 一 、 E-mail: moto@ の 教 育 講 演 会 ︵ 既 に 二 回 開 い う 状 況 に 陥 り ま し た。 ︶ ま で ご 催、 次 回 は 二 月 二 十 三 日 の cc.hirosaki-u.ac.jp 予 定 ︶、 東 洋 医 学 会 青 森 支 直 ぐ に 必 修 化 へ 切 り 替 え を 連 絡 下 さ い。 計 り ま し た が 五 年 掛 り ま ﹁ 空 白 の 五 年 間 ﹂ の 若 手 部長の新谷哲一先生による し た。 こ の 五 年 間 は 東 洋 医 医 師 に も、 ど う し た ら 毛 嫌 勉 強 会 ︵既 に 二 回 実 施、 次 学 に 全 く 触 れ な い 学 生 を 送 い せ ず に 東 洋 医 学 に 興 味 を 回 は 一 月 二 十 六 日︶ と い っ り 出 し て し ま っ 持 っ て も ら え、 こ の 五 年 間 た 受 験 資 格 を 取 り 易 く す る た ﹁空 白 の 五 年 続 け て き た 東 洋 医 学 の 卒 前 試 み を 定 期 的 に 医 学 部 コ 間﹂ と し て 弘 前 教 育 つ ま り 医 学 生 へ の 講 義 ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン セ ン タ ー 大 学 に と っ て 大 の 成 果 を、 卒 後 の 初 期 研 修 ︵ M C C ︶ で 始 め て お り ま 問 題 で あ る と 深 を 含 め た 若 手 医 師 の 東 洋 医 す ︵ 別 表 参 照 ︶。 東 洋 医 学 く 認 識 し ま し 学の研修研究勉強に繋げる に興味をお持ちの方は御参 た。 二 〇 〇 七 年 こ と が 出 来 る か、 そ し て 学 加 下 さ い。 そ の 結 果、 附 属 に 必 修 化 し、 講 内 ・ 附 属 病 院 内 で 東 洋 医 学 病 院 が 研 修 教 育 病 院 に な る 義だけでなく体 に興味のある医師を育てて 手助けになればと考えてい 験 学 習 も 取 り 入 い く に は ど う し た ら よ い ま す。 少 し 時 間 が 掛 る か も れ、 五 年 が 経 過 か、 等 々 が こ の 度 ﹁弘 前 大 し れ ま せ ん が 一 歩 ず つ 前 進 し ま し た。 出 席 学 東 洋 医 学 研 究 会﹂ を 立 ち し て 行 く こ と を 念 じ て お り 率 は 常 に 九 十% 上 げ た 背 景 で す。 沢 山 の 教 ま す。 を 超 え ま す。 講 授 に 世 話 人 に ご 就 任 頂 き ま 義開始前と十二 回の講義終了後 にアンケート調 査 を し、 学 生 の 弘前大学大学院医学研究科 意識の変化を検 討 し ま し た。 同じ質問に対す 麻酔科学講座 教授 廣 田 和 美 る五年分の調査 結果が纏まりま 平 成 二 十 三 年 度 弘 前 大 講 座﹁ 腎 疾 患 と 腎 移 植 ﹂ し た。 講 義 前 に 学 大 学 院 医 学 研 究 科 公 開 は、 九 月 二 日 金 曜 日 の 午 は東洋医学を如 後六時から午後八 何に胡散臭く非 時 ま で、 医 学 部 コ 科学的であると ミュニケーション 感じている学生 センターで開催さ が 多 い こ と、 そ れ た。 附 属 病 院 泌 れが講義後では 尿器科・講師の米 きちんと自分で 山高弘先生によ 考察できるよう る ﹁慢 性 腎 不 全 の になることが一 治 療 法 ﹂、 医 学 研 目 瞭 然 で す。 東 究科先進移植再生 洋医学と謂えど 医学講座・准教授 もE B M が 大 事 の鳴海俊治先生に で あ る こ と、 ︵次ページへ続く︶ 8.第四回 勉強会 弘前大学東洋医学研究会発足 ︱︱ 空白の五年間を埋めて前進するために︱︱ 弘前大学東洋医学研究会の活動の記録と予定 特別講演:帝京大学医学部外科学准教授/日本大学医学部内科学系統合和漢医薬学分野 兼任講師 新見正則 先生 『西洋医がすすめる漢方』 (座長:袴田教授) 特別講演:日本東洋医学会専門医制度委員会委員長/表参道福澤クリニック 副院長 福澤素子先生 演題:未定(専門医制度について) ︵前ページより︶ Jacques Duparc Award 受賞報告 習 態 度 は 概 ね 良 好 で、 日 本 の 大 学 医 学 部 附 属 病 院 で、 日本の医学・医療を学んだ ことに大きな意義を見い出 し て 欲 し い と 思 う。 彼 ら が ハンガリー医科大学を卒業 後、 ど の よ う な 進 路 を 選 択 す る か 分 か ら な い が、 恐 ら くほとんどは日本の医師国 家 試 験 を 受 験 し、 日 本 で 医 療活動に従事することにな る だ ろ う。 青 森 県 と い う 医 師 不 足 を 背 景 に 有 す る 地 域 十 五 題 あ り 、 best 10 poster で 日 本 の 医 療 に 接 し た こ と が 今 回 の awards に選出さ で、 わ が 国 の 医 療 の 現 状 を れ ま し た。 多少とも理解できればとも 私の研究は変形性股関 期 待 し て い る。 節症発症の新しい疾患概 最 後 に な っ た が 、 弘 前 大 念 と さ れ て い る Femoroac学五年次BSL学生に加 ︵F etabular impingement え、 ハ ン ガ リ ー の 三 年 次、 AI ︶ に つ い て 調 査 し た も 四 年 次 学 生 の 実 習 を 受 け 入 の で す。 本 邦 で は 臼 蓋 形 成 れ て い た だ い た 内 科、 外 科 不 全 が 変 形 性 股 関 節 症 の 発 の 各 教 授、 臨 床 実 習 担 当 の 症 原 因 と し て 考 え ら れ て い 二〇〇二年に医学教育に 先 生 方 に 感 謝 申 し 上 げ た ま す が、 欧 米 で は こ のF A モ デ ル コ ア カ リ キ ュ ラ ム が い。 I が 新 た な 疾 患 概 念 と し て 導 入 さ れ、 弘 前 大 学 で は そ 注 目 さ れ て い ま す。 本 研 究 れ 以 前 に 単 発 的 に 実 施 し て で は 弘 前 大 学 医 学 部 社 会 医 い た 漢 方 医 学 教 育 を、 コ マ 平成二十三年六月一日 か ら デ ン マ ー ク の 首 都 コ 学講座が主催する岩木健康 ペ ン ハ ー ゲ ン で 行 わ れ た 増進プロジェクトにて撮影 ︵ European さ れ た 両 股 関 節 レ ン ト ゲ ン 12th EFORT F e d e r a t i o n o f N a t i o n a l 像 を 解 析 し、F AI の 発 生 Associations of Orthopaedics 頻 度 、 脊 椎 ア ラ イ メ ン ト や ︶ congress 骨 盤 傾 斜 角 、 ま た F A I の and Traumatology に て 優 秀 ポ ス タ ー 賞 特徴的画像的所見が実際の 2011 ︵ Jacques Duparc Award ︶ 臨床症状を惹起するか調査 を 受 賞 致 し ま し た の で ご し ま し た。 そ の 結 果 レ ン ト 報 告 致 し ま す。 演 題 名 は ゲ ン 所 見 と 臨 床 症 状 は 相 関 ﹁ Plain radiographic analysis せ ず 、 F A I の 特 徴 的 な of femoroacetabular レントゲン所見は骨盤傾 impingement︱ the relation- 斜 に 伴 う normal anatomic であることが推察 ship between cross-over variants sign, spinal alignment, and さ れ ま し た 。 今 後 は 更 に 他 impingement sign in the の 因 子 も 検 討 項 目 に 加 え 引 Iwaki Health Promotional き 続 き 研 究 を 継 続 し て い き ﹂で す 。 本 学 会 で は た い と 考 え て お り ま す 。 Project の 応 募 は 千 七 百 八 最 後 に、 本 研 究 を 行 う に e-poster あたり御指導いた だきました整形外 科学講座の藤 哲 教 授、 石 橋 恭 之 准 教 授、 中 村 吉 秀 講 師、 社 会 医 学 講 座 の 中 路 重 之 教 授、 梅田 孝准教授に 感謝申し上げま す。 な お 本 研 究 は 文 部 科 学 省、 厚 生 労働省の各科学研 究費および日本整 形外科学会プロ ジェクト研究の支 援 を 受 け ま し た。 この場を借りて御 礼 申 し 上 げ ま す。 米山 高弘 先生 特別講演Ⅰ:東洋医学会青森県支部長・アラヤ医院院長 新谷哲一 先生 「日本東洋医学会の紹介∼支部県部会の紹介∼」 (座長:元村教授) 2011年7月1日(金) ホテルニューキャッスル 1.第1回発足 記念講演会 医学部ウォーカー第 59 号 平成 23 年 12 月 16 日 ︵前ページより︶ よ る ﹁腎 移 植﹂ お よ び 附 属 病院キャリアパス支援セン タ ー ・ 助 教 の 藤 田 雄 先 生 て い た。 講 義 後 の ア ン ケ ー た。 昼 食 後、 青 森 県 健 康 福 に よ る ﹁ 腎 移 植 前 と 腎 移 ト の 結 果 を 見 て も、 受 講 者 祉 部 か ら 担 当 の 方 に 来 て い 植 後 ﹂ と 題 し て 講 演 が 行 全 員 が ﹁ よ く 理 解 で き た ﹂ た だ き 、﹁ 医 学 修 学 資 金 貸 わ れ、 司 会 は 医 学 ま た は ﹁ほ ぼ 理 解 で き た﹂ 与 制 度 に つ い て﹂ に つ い て 研 究 科 広 報 委 員 会 で あ り、 分 か り や す い 講 義 お 話 し を い た だ き ま し た。 委 員 の 廣 田 和 美 が で あ っ た よ う だ。 個 々 の 意 引 き 続 い て 施 設 見 学 の プ ロ 行 っ た 。 受 講 者 は 見 で も 、﹁ 非 常 に 解 り や す グ ラ ム で す 。 ま ず 参 加 者 全 七 十 名 で あ っ た 。 い ﹂、﹁ 親 し み が 持 て た ﹂、﹁ 資 員 に 大 講 義 室 で 福 田 幾 夫 胸 講 義 は、 米 山 先 生 料 が 見 や す か っ た﹂ な ど の 部 心 臓 血 管 外 科 学 講 座 教 授 は 泌 尿 器 科 医 の 立 意 見 が 多 数 あ っ た。 以 前 と と 小 笠 原 尚 志 助 手 の 解 説 の 場 か ら 慢 性 腎 不 全 違 っ て、 最 近 は 身 近 な 病 気 も と に 手 術 ビ デ オ が 放 映 さ 平 成 二 十 二 年 九 月 よ り、 の 原 因 か ら 治 療 に で あ る 糖 尿 病 に 起 因 す る 腎 れ ま し た。 こ れ は 毎 年 も っ ア メ リ カ マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 関 し て の 説 明、 鳴 不 全 が 増 え て い る こ と か と も 人 気 の あ る プ ロ グ ラ ム 州 ボ ス ト ン の ハ ー バ ー ド 大 海 先 生 は 移 植 外 科 ら、 受 講 さ れ た 方 々 に と っ で す。 生 徒 達 の 興 味 半 分 か 学 に て 研 究 の 機 会 を い た だ 医としての立場か て身近な話題と捉えていた ら真剣なまなざしに変わっ ら腎移植手術につ のではと司会をしていて感 て い く 様 い て の 解 説、 藤 田 じ た。 受 講 者 の 皆 さ ん は、 は、 福 田 教 先生は腎臓内科医 今回の公開講座に満足され 授や小笠原 の 立 場 か ら 患 者 さ た よ う で あ り、 開 催 し た 側 助 手 の 魅 力 んの変化を交えて としてはホッとした次第で 的なプレゼ 腎 移 植 の 前 後 の 管 あ る。 ンテーショ 理の説明や周辺事 ンによるも 情についての紹介 のが大きい が あ り、 ど の 講 義 と 思 い ま も大変分かりやす す。 最 後 に く 行 わ れ た。 講 義 薬 剤 部、 検 後の質問も数多く 査 部、 放 射 あ り、 各 講 師 は 分 線部の三施 かりやすく説明し 設の施設見 学が行われ ま し た。 施 設見学と並 行 し て、 午 後一時半に 在校生と見 学者との意 見交換会が 入試専門委員長 中 根 明 夫 行 わ れ、 医 ︵感染生体防御学講座 学科のオー 教授︶ プンキャン 現場の話から消化器外科領 パスが閉幕 域 の 研 究 ・ 診 療 の 最 新 情 報 し ま し た。 が 紹 介 さ れ、 袴 田 教 授 の 弁 今 年 も 参 加 舌 さ わ や か な 語 り 口 に 参 加 者 は、 県 内、 東 北 各 地 の み 増 し ま し た。 最 後 に、 今 回 者 は 聴 き 入 っ て い ま し た。 な ら ず、 全 国 か ら 参 加 者 が の オ ー プ ン キ ャ ン パ ス の 準 備や当日の施行に多大な貢 そ の 後 一 転 リ ラ ッ ク ス し 集 ま り ま し た。 た ﹁学 生 コ ー ナ ー﹂ が 始 ま ﹁ 学 生 コ ー ナ ー﹂ は 今 年 献 を い た だ い た 先 生 方、 学 り ま し た。 医 学 科 一 年 生 か も 学 生 自 治 会 に 協 力 を 求 生 自 治 会 学 生 諸 君、 学 務 グ ら 四 年 生 の 学 生 諸 君 が ﹁学 め、 受 付 時 の 誘 導、 施 設 見 ル ー プ に、 深 く 感 謝 い た し 生 生 活 楽 し み 中﹂ と 題 し、 学 の 付 き 添 い も 担 当 し て も ま す。 楽 し く、 か つ た め に な る 学 ら い、 参 加 し た 生 徒 と 医 学 生生活を語ってもらいまし 科学生のふれあいの時間が プンキャンパスへの参加の 歓迎と弘前大学医学部医学 科への誘いの挨拶がありま し た。 次 に、 奥 村 謙 学 務 委員長から弘前大学医学部 医学科の特徴ある研究・教 育についての紹介が行われ ま し た。 引 き 続 い て 袴 田 健 一消化器外科学講座教授か ら ﹁人 に 優 し い 外 科 治 療 の 進 歩﹂ と 題 し た 模 擬 講 義 が 行 わ れ ま し た。 外 科 治 療 の 弘前大学オープンキャンパスが 開催される 八 月 九 日 ︵火︶ に 弘 前 大 学オープンキャンパスが開 催 さ れ ま し た。 昨 年 は 過 去 最大の四百五十七名という 参 加 者 数 で し た が、 今 年 は そ れ を 上 回 り、 四 百 八 十 一 名 と な り、 参 加 者 数 が 更 新 さ れ、 う れ し い 悲 鳴 を 上 げ ま し た。 午前十時からプログラム が 開 始 し ま し た。 ま ず は 佐 藤 敬 医 学 部 長 か ら、 オ ー や、 週 末 に は 家 族 と の 時 間 を 過 ご す こ と が、 私 に と っ てほっとできる癒しでもあ り、 ま た 次 へ の や る 気 と な っ て お り ま す。 も う 少 し こ こ で research を 続 け さ せ て い た だ き、 将 来 こ れ ら の 眼 疾 患 の 病 態・ 眼科学講座 助教 竹 内 侯 雄 進行・予防につながる成果 をだすことができればと 思 っ て お り ま す。 い て お り ま す。 こ こ ボ ス ト シ グ ナ ル に つ い て research 留学の機会を与えて下 ン は、 ア メ リ カ の 東 北 部 に を 続 け て お り ま す。 さった眼科学教室中澤 満 位 置 し 、 気 候 は 青 森 ︱札 幌 そ の 結 果、 現 在 の と こ に 近 い で す 。 夏 は 三 十 ℃を ろ 、 加 齢 黄 斑 変 性 症 ・ 糖 教 授 、 そ し て ス タ ッ フ の 皆 越 え ま す が、 長 く は 続 か 尿 病 性 網 膜 症 な ど の 眼 疾 様 に 感 謝 し て お り ま す。 ず、 十 月 に も な れ ば 朝 は 寒 患 で み ら れ ま す vascular く な っ て き ま す 。 一 月 ︱三 に A leakage/angiogenesis 月 は 、 マ イ ナ ス 十 ℃近 く に M P K が 関 与 し て い る こ も な り、 ボ ス ト ン を 流 れ る と が わ か っ て き ま し た。 チ ャ ー ル ズ ・ リ バ ー が 凍 り ま だ ま だ 研 究 途 中 で、 わ か 付 く 程 の 厳 し い 冬 が あ り ま ら な い こ と だ ら け で、 調 べ す。 たいことがたくさんありま マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 州 は、 す。 で も こ う し た 多 忙 な 中 自 然 の 大 変 あ り ふ れ た 町 で で も、 ラ ボ の 明 る い 雰 囲 気 も あ り ま す。 私 の 住 ん で い るアパートのまわりにも野 生のリスが住み着いてお り、 車 で 少 し 郊 外 に 出 か け る と 自 然 の 豊 か な、 ま る で ﹁ 青 森 ?﹂ の よ う な そ ん な と こ ろ で す。 私 は、 Massachusetts Eye ︵MEE and Ear Infirmary I、 マ サ チ ュ ー セ ッ ツ 眼 耳 科 病 院︶、 Angiogenesis の Joan Miller 先生と Lab. 先 生 の Demetrios Vavvas 下 で research をしておりま す。 は、 一 言 こ ち ら の Lab. で 言 え ば 、﹁ 自 主 性 ﹂ が 重 ん じ ら れ ま す。 最 初 か ら 指 示 さ れ る こ と は な く、 自 分 で 必 要 な 試 薬 を order し、 実 験 計 画 を 組 み 立 て、 結 果 に つ い て 、 lab. meeting の 場 所 で presentation を行い ま す。 私 は、 AM P K と 呼 ば れ る タ ン パ ク に 注 目 し、 酸化ストレス下における血 管内皮細胞・網膜色素上皮 細 胞 に 注 目 し、 そ の 細 胞 内 Vavvas 先生宅でのホームパーティにて撮った研究室のメンバーの集合写真。向かって 左端が筆者。中央で浴衣を羽織っているのがボスの Vavvas 先生。研究室には日本人 も多いのが特徴です。 鳴海 俊治 先生 藤田 雄 先生 平成 23 年 12 月 16 日 医学部ウォーカー第 59 号 AO入試スクーリングが開催される ﹁地域医療入門﹂ワークショップ報告 は や り が い や 地 域 住 民 か ら 大 切﹂ な ど の コ メ ン ト を し る 講 義 二 ﹁弘 前 大 学AO 入 き ま し た。 ま た、 更 年 期 障 2年次 の 大 き な 期 待 が あ り、 実 際 て 頂 い た。 害の一要因であるエストロ 試 選 抜 の 概 要 ﹂、 そ し て 奥 に各医療機関の医師たちは ゲンの低下が様々な疾患の 本科目の対象は二年生で 村謙学務委員長による講義 情 熱 を も っ て 取 り 組 ん で い あ る が、 低 学 年 の う ち か ら 三 ﹁弘 前 大 学 医 学 部 医 学 科 原 因 と な る こ と、 さ ら に は る 反 面、 医 師 不 足、 過 重 労 地 域 医 療 に 関 心 を 持 ち、 か の 教 育 ﹂ と 順 次 行 わ れ、 ホルモン補充療法について 働 な ど 負 の 側 面 も あ り、 行 つ 地 域 医 療 を 等 身 大 に 正 し 最 後 の 講 義 は 遠 藤 正 彦 学 長 の 解 説 が あ り ま し た。 横 山 政 か ら の 支 援 や 行 政 と の 連 く 捉 え、 自 ら の 進 路 に 重 ね に よ る ﹁青 森 の 医 学 を 拓 い 先生からは骨折の原因とな 加 藤 博 之 総合医学教育学講座 教授 携 も 重 要 で あ る こ と 、 そ れ る骨粗鬆症の治療および予 合 わ せ て 考 え て も ら う こ と た 人 々﹂ と 題 し て 講 義 を し ま ざ ま の 診 療 機 関 は そ れ ぞ 見 を 出 し 合 い、 討 議 を し て ら の 調 和 を い か に 取 る か が が 重 要 で あ る と 思 わ れ る。 て い た だ き ま し た。 研 究 面 防法についてご講演いただ 平成二十二年度から始 き、 予 防 に つ い て は 主 に 運 ま っ た 二 年 次 の 新 カ リ キ ュ れ が 地 域 住 民 に と っ て か け ま と め、 最 後 に 全 体 発 表 を 課 題 と な っ て い る と の ま と 今 後 は、 こ の よ う な 授 業 に で は、 弘 前 大 学 医 学 部 元 教 動や食事との関連からお話 ラ ム ﹁地 域 医 療 入 門﹂ で、 が え の な い 医 療 機 関 で あ す る よ う 指 示 し た。 学 生 た め が 多 か っ た。 当 日 は、 実 引 き 続 い て、 夏 休 み な ど を 授 で あ り 文 化 勲 章 受 賞 者 の い た だ き ま し た。 骨 粗 鬆 症 授 業 の 一 環 と し て 行 っ た り、 一 つ ひ と つ の 医 療 機 関 ち は 様 々 な ア イ デ ア、 意 見 際 に 東 通 村 診 療 所 で 地 域 医 利 用 し て、 実 際 に 地 域 医 療 高 橋 信 次 先 生 を は じ め、 の予防には運動習慣が重要 ワ ー ク シ ョ ッ プ に つ い て 報 が そ れ ぞ れ の 役 割 を 果 た す を 出 し 合 い、 熱 心 に 討 議 を 療 に 従 事 し て い る 川 原 田 恒 の 現 場 を 見 る 実 習 に つ な げ 弘 前 大 学 医 学 部 で 活 躍 ・ 業 であることを誰もが認識し 告 す る 。﹁ 地 域 医 療 入 門 ﹂ こ と に よ っ て 、総 体 と し て 重 ね て 課 題 に 取 り 組 ん だ 。 所 長 に も ご 参 加 頂 き 、 学 生 て ゆ く こ と が で き れ ば 、 更 績 を 挙 げ ら れ た 先 生 方 の 紹 て帰路についたであろうと で は 、 前 期 毎 週 火 曜 日 に 講 本 県 の 医 療 を 支 え て い る 図 に ま と め の 作 品 ︵ プ ロ ダ た ち の 発 表 に ﹁〝 地 域 に 対 に 効 果 的 で あ る と 考 え ら れ 介 が あ り ま し た 。 講 義 の 至 〝地 る。 思 い ま し た。 講 演 の 後 に は る所で遠藤学長が考える将 義 を 行 い 、 県 内 各 地 の 大 小 こ と を 学 生 に 理 解 し て ほ ク ト ︶ の 一 例 を 示 す 。 学 生 し て 〟と い う 姿 勢 よ り 、 た ち の 意 見 は、 地 域 医 療 に 域 と と も に〟 と い う 姿 勢 が 活 発 な 質 疑 が あ り、 両 先 生 来の医療人として期待され さまざまの診療機関から先 しいと考えている。 が丁寧に質問に答えられて る 人 物 像 に つ い て 熱 く、 生 に お い で 頂 き、 本 県 の 地 四 月 ∼ 七 月 の ひ と 通 り の い た の が 印 象 的 で し た。 そして優しく語られまし 域 医 療 の 実 情、 課 題、 や り 講 義 が 終 了 し た の ち、 最 終 秋の行楽シーズンの最中 た。 講 義 終 了 後、 質 疑 応 答 が い、 そ こ で 行 わ れ て い る 回 の 授 業 で は ワ ー ク シ ョ ッ で は あ り ま し た が、 小 春 日 が 行 わ れ、 本 年 度 のAO 入 研修や教育などを紹介する プを行って本科目のまとめ ︱県内高等学校進路指導担当教諭との懇談会も含めて︱ 和の天候に恵まれ九十五名 試スクーリングの日程が終 こ と を 通 じ、 学 生 に 本 県 の を 行 っ て い る。 今 年 度 は 七 の方に参加していただきま 了 し、 現 在AO 入 試 本 番 の 医 療 に つ い て の 理 解 を 深 め 月 十 二 日 午 前 に、 医 学 部 会 入試専門委員長 し た。 本 講 演 会 に こ こ ろ よ 真 っ 最 中 で す。 ス ク ー リ ン てもらうことを目的として 館二階でワークショップを 平成二十三年十月二十九 中 根 明 夫 グ の 参 加 者 増 を 反 映 し て 日 ︵ 土 ︶、 ホ テ ル ク ラ ウ ン く ご 協 力 い た だ い た 大 館 市 い る。 こ こ で い う ﹁地 域 医 行 っ た。 当 日 は、 ま ず 学 生 ︵感染生体防御学講座 教授︶ か、 平 成 二 十 四 年 度 A O パレス秋北にて弘前大学大 立 総 合 病 院 長 の 舘 岡 博 先 療﹂ と は、 小 さ な コ ミ ュ ニ を 八 ∼ 九 名 ず つ、 十 三 の 小 入 試 の 志 願 者 は 昨 年 度 よ 学 院 医 学 研 究 科 ﹁健 康 ・ 医 生 を は じ め と し た 関 係 各 位 テ ィ を 基 盤 と し た 診 療 所 等 グ ル ー プ に 分 け た。 冒 頭 で についてお話いただき 平成二十一年度の入試 り 二 十 名 増 加 し ま し た。 の 医 療 の み を 指 し て い る も 筆 者 が、 本 日 の テ ー マ は か ら 新 た に ア ド ミ ッ シ ョ ま し た。 入 試 専 門 委 員 療 講 演 会﹂を 開 催 し ま し た。 に 深 謝 い た し ま す 。 の で は な く、 本 県 の 医 療 全 ﹃ 私 の 考 え る 地 域 医 療 の や ン ・ オ フ ィ ス 入 試 ︵AO 入 長 に よ る 講 義 二 ﹁ 弘 前 六 月 九 日 ︵ 木 ︶、 A O 入 ま ず 、 大 館 市 立 総 合 病 院 試実施に対し有効な意見交 長 の 舘 岡 博 先 生 か ら﹁ は 体 を 広 く 〝 青 森 の 地 域 医 り が い と 課 題﹄ で あ る こ と 試︶ が 行 わ れ、 AO 入 試 も 大 学 AO 入 試 選 抜 の 概 換 を す る た め に 、 青 森 グ じめの挨拶﹂を頂戴した後、 療〟 と し て 捉 え、 診 療 所 か を 説 明 し た。 そ し て、 前 期 四 年 目 に 入 り ま し た。 受 験 要 及 び 弘 前 大 学 医 学 部 ラ ン ド ホ テ ル に お い て、 弘 前 大 学 大 学 院 医 学 研 究 科 ら 、 広 域 を 守 備 範 囲 と し て の 授 業 を 振 り 返 り 、 KJ 法 生 に 弘 前 大 学 医 学 部 医 学 科 医 学 科 の 教 育 の 概 要 ﹂ ﹁ 青 森 県 内 高 等 学 校 進 路 指 産科婦人科学講座教授 水 高 度 な 医 療 を 提 供 す る 大 規 を 用 い て、 グ ル ー プ 内 で 意 を 理 解 し て い た だ く 目 的 で は AO 入 試 の 資 格、 導 担 当 教 諭 と の 懇 談 会﹂ が 沼 英 樹 先 生 お よ び 大 館 市 立 模な施設まで で、本 年 度 も 二 回 の ス ク ー 選 抜 方 法、 医 学 教 育 開 催 さ れ ま し た。 こ の 懇 談 総 合 病 院 整 形 外 科 部 長 を包含してい リ ン グ を 実 施 し ま し た。 六 年 間 に つ い て 話 し ま 会 も 今 年 で 七 回 目 と な り ま 横 山 徹 先 生 よ り、 そ れ ぞ る。 従 っ て、 第 一 回 目 は 五 月 二 十 二 日 し た。 さ ら に 花 田 勝 美 し た 。 弘 前 大 学 側 か ら 、 佐 れ ﹁ 更 年 期 障 害 ﹂、﹁ 腰 痛 ﹂ 講 師 は、 自 治 ︵ 土 ︶ 午 後 一 時 か ら 三 時 半 附属病院長による講義 藤 医 学 部 長、 入 試 専 門 委 員 と い う タ イ ト ル に て ご 講 演 医大OBの ま で、 臨 床 大 講 義 室 で 行 い 三 ﹁躍 進 を 続 け る 弘 前 長 を は じ め 六 名、 県 内 高 校 い た だ き ま し た。 水 沼 先 生 方々が赴任し ま し た。 高 校 三 年 生 を 中 心 大 学 医 学 部 附 属 病 院﹂ 側 は 十 七 校 の 進 路 指 導 担 当 か ら は、 更 年 期 障 害 と は ど ているへき地 に 生 徒 百 六 十 二 名、 保 護 で は、 花 田 病 院 長 の 軽 の 先 生 方 が 出 席 し ま し た。 う い う 病 気 で あ る の か、 お 診療所の所長 者・高校教諭二十九名の計 妙 な 語 り 口 で 附 属 病 院 佐藤医学部長のあいさつの よびその治療法についてわ の 先 生 か ら、 百 九 十 一 名 と こ れ ま で 最 の す ば ら し さ を 語 り、 後、 入 試 専 門 委 員 長 か ら 平 か り や す い ご 講 演 を い た だ 本県救急医療 多 の 昨 年 の 百 四 十 二 名 を 参加者はいずれの講義 の最後の砦で 軽 く 超 え、 最 多 参 加 者 数 が も 熱 心 に 聴 き 入 っ て い ま し 諭 十 六 名 の 計 六 十 一 名 が 参 成 二 十 三 年 度 の 入 試 結 果 と あ る、 本 学 の 加 し、 昨 年 の 四 十 四 名 を 超 平 成 二 十 四 年 度 の 入 試 の 変 者 や 保 護 者 も き わ め て 高 い 更 新 さ れ ま し た。 講 義 は 三 た。 高度救命救急 コ マ 組 み ま し た。 最 初 に 第 二 回 目 の ス ク ー リ ン グ え、 第 二 回 目 ス ク ー リ ン グ 更 点 に つ い て 説 明 を 行 い ま 関 心 を 寄 せ て る こ と を 改 め センターの浅 佐 藤 敬 医 学 部 長 か ら 講 義 は 八 月 十 日 ︵水︶ に 行 わ れ と し て は、 過 去 最 高 の 参 加 し た。 そ の 後、 大 学 と 高 校 て 実 感 し ま し た。 利 教 授 ま で、 一 ﹁弘 前 大 学 医 学 部 の 姿 勢 ま し た。 昨 年 と 同 様 前 日 に 人 数 で し た。 今 回 の 講 義 は 間 の 質 疑 応 答 や 意 見 交 換 が 最 後 に、 二 回 の ス ク ー リ 実に多彩であ と 将 来 性﹂ が 行 わ れ、 弘 前 オ ー プ ン キ ャ ン パ ス が 開 催 四 コ マ 組 ま れ ま し た。 佐 藤 行 わ れ、 一 時 間 半 の 懇 談 会 ン グ の 準 備 や 当 日 の 施 行 に る。 科 目 全 体 大 学 医 学 部 の 概 要 と 医 学 さ れ た た め か、 今 回 の 参 加 敬 医 学 部 長 か ら 講 義 一 ﹁弘 が 終 了 し ま し た。 質 疑 応 答 多 大 な 貢 献 を い た だ い た 先 のねらいとし 部学生・医師・医学研究者 者 は 減 少 し た も の の、 生 徒 前 大 学 医 学 部 の 姿 勢 と 将 来 はAO 入 試 が 中 心 で あ り、 生 方 お よ び 学 務 グ ル ー プ に て は、 大 小 さ と し て 求 め ら れ る 人 間 像 四 十 五 名 、 保 護 者 ・ 高 校 教 性 ﹂、 入 試 専 門 委 員 長 に よ 生 徒 は も ち ろ ん 、 高 校 関 係 深 く 感 謝 い た し ま す 。 横山 徹 先生 水沼 英樹 先生 医学部ウォーカー第 59 号 平成 23 年 12 月 16 日 図 ワークショップで学生が作成したプロダクトの一例 平成23年 医学研究科公開講座 「 健 康 ・医 療 講 演 会 」 分子生体防御学講座 教授 伊 東 健 脳神経内科学講座は平成 十 八 年 に 発 足 し、 今 年 で 六 年 目 を 迎 え ま す。 本 格 的 な 臨床神経学の教育と診療シ ステムの確立・普及と神経 変性疾患のバイオマーカー と根本的治療法の開発を教 室 の テ ー マ と し て、 教 室 員 と 歩 ん で 来 ま し た。 最 近 で は全国的にも弘前大学神経 医学科4年 代 表:鈴 木 貴 弘 副代表:相 馬 藍 丸 山 尊 !! !? 脳神経内科学講座 座 の ご 協 力 ば あ ち ゃ ん が ⋮ ﹂、﹁ も し 夫 の 成 果 は、 現 在、 前 臨 床 試 は 講 義 ・ 実 習 を 通 し て 学 ん の 下、 妊 婦 が ⋮﹂ と お っ し ゃ っ て い た 験 と し て 進 展 し つ つ あ り、 だ 知 識 ・ 技 術 を 地 域 社 会 に 体 験 、 胎 児 方 も 見 ら れ 、﹁ も し も ﹂ の 日 本 発 の 根 本 的 治 療 法 と 還 元 す る 役 割 を 持 つ﹂ と い エ コ ー、 乳 た め に と 頑 張 っ て 練 習 し て し て 大 変 期 待 さ れ て い ま う 理 念 の 下、 青 森 県 民 の 健 が ん 自 己 検 い ま し た。 康増進を目標に医学生有志 す。 診教室を行 によって行われる医学科最 現 在 の メ ン バ ー は、 私 と ま た 、今 年 も﹁ 知 の 創 造 ﹂ い ま し た。 と の 共 同 企 画 を 行 い、 脳 神 松 原 悦 朗 准 教 授、 瓦 林 毅 大 級 の イ ベ ン ト で す。 今 年 ﹁ 妊 婦 体 験 経病理学講座教授の若林先 講 師、 若 佐 谷 保 仁 助 教 と も 昨 年 と 同 様、 社 会 医 学、 で き て よ 生 に は ﹁ 脳 卒 中 を 知 る ﹂、 仲 田 崇 助 手、 大 学 院 生、 精 神 医 学、 臓 器 展 示、 治 療 か っ た﹂ と 救急・災害医学講座教授の 研 修 医、 中 畑 直 子 言 語 聴 覚 手 技、 産 婦 人 科、 救 急 医 学 脳神経内科学講座 教授 東海林 幹 夫 の 意 見 が、 浅 利 先 生 に は ﹁大 震 災 時 の 士、 高 村 歩 美、 大 野 英 人 特 の 六 つ の ブ ー ス を 設 け ま し 特 に 男 性 か 災 害 医 療﹂ と い う 演 題 で 講 任 研 究 員、 葛 西 祐 代、 成 田 た。 ら 多 か っ た 演 し て い た だ き ま し た。 内 科 の 存 在 が 確 固 た る も の 最 後 の 砦 と し て の 役 割 を 果 早 希 子 の 二 人 の 秘 書、 佐 藤 社 会 医 学 ブ ー ス で は、 社 で す。 さ ら 若 林 先 生 の お 話 で は、 発 症 た し て い ま す。 当 科 で 開 始 由 紀、 佐 藤 薫、 飯 沼 要 の 会 医 学 講 座 の ご 協 力 の 下、 と な っ て い ま す。 に、 ﹁サ ポ ー 予 防 の た め に と メ モ を 取 る し た 物 忘 れ 外 来 は 実 に 七 百 三 人 の 研 究 助 手 さ ん で す。 四 肢 血 圧、 骨 密 度 を 測 定 し 診 療 面 で は 外 来、 病 棟 と ト が 必 要 だ ご高齢の方が多く見受けら も に 呼 吸 管 理 を 要 す る 重 症 例 を 突 破 し 、 バ イ オ マ ー 皆 さ ん と と も に 今 後 の 弘 前 ま し た 。﹁ 毎 年 来 て い る ﹂ と 思 っ た ﹂ れ、 熱 心 に 勉 強 さ れ て い ま 例 か ら 希 な 変 性 疾 患 ま で カ ー や 画 像 を 用 い た 診 断 や 大 学 神 経 内 科 の 発 展 を 望 ん や ﹁去 年 は ○ ○ さ ん に 良 く と い う 感 想 し た。 浅 利 先 生 の お 話 で して頂いた﹂といったリ 幅広い診療を行っていま へ の 参 加 や 臨 床 第 で い ま す。 J-ADNI も も ら え た は、 被 災 現 場 の 写 真 や 臨 場 ピーターのお客さんの多さ す。 青 森 県 で は 神 経 内 科 専 一 相 治 験 の 実 施 な ど 全 国 的 の で 体 験 し 感 の あ る お 話 に、 来 場 の 方 に 驚 か さ れ ま し た。 地 域 の 門 医 が ま だ ま だ 少 な く、 難 に も 先 端 の 取 り 組 み を し て て い た だ け 全員が食いつくように聞き 方々の健康に役立ててもら し い 神 経 内 科 疾 患 は 大 学 に お り、 二 〇 一 〇 年 度 弘 前 大 て よ か っ た 入 っ て い ま し た。 両 教 授 の えているのだと改めて感じ 集 中 す る た め、 患 者 さ ん の 学 診 療 奨 励 賞 に 選 ば れ ま し と思いまし 講 演 会 は ど ち ら も タ イ ム ま し た。 た。 た。 乳 が ん リ ー な 話 題 で あ り、 活 発 な 精 神 医 学 ブ ー ス で は、 教育面では全国レベルの 検 診 に つ い 質 疑 応 答 が 行 わ れ、 来 場 者 神経精神医学講座のご協 教育コンテンツの作成と講 て も 好 評 の方々の関心の高さが伺わ 力 の 下、 感 情 の 浮 き 沈 み 義、 実 習 に 時 間 を 注 ぎ、 お で、 し こ り れ ま し た。 の チ ェ ッ ク ︵ P O M S ︶、 陰様で各地の卒後研修施設 の感覚を一 性 格 チ ェ ッ ク︵ T E G ︶ からは神経疾患を十分診察 最 後 に な り ま す が、 開 催 生 懸 命 覚 え 日時はほんの三日間ではあ を 行 い ま し た。 老 若 男 女 問 できるようになっていると わ ず、 大 勢 の 方 々 に 足 を 運 科 結 び 体 験、 外 科 器 具 展 示 て い ま し た。 り ま し た が、 準 備 期 間 も 含 のお褒めをいただいており ん で い た だ き ま し た。 結 果 を 行 い ま し た。 実 際 に 手 で 救 急 医 学 ブ ー ス で は、 救 め る と 数 ヵ 月 間 活 動 を 続 け ま す が、 ま だ ま だ 後 期 研 修 を 見 る な り ﹁お お ! 当 た っ 触 れ て 体 験 で き る と い う こ 急 ・ 災 害 医 学 講 座 の ご 協 力 る こ と と な り、 ス タ ッ フ の 医が大学に残らないのが大 て る か も ﹂、﹁ う そ 意 と も あ っ て 、 家 族 連 れ や 学 の 下 、 胸 骨 圧 迫 ・ A E D な 人 数 が 多 く は な い 中 で も こ 変 な 所 で す。 外 !﹂ な ど、 さ ま ざ ま な 反 生 の 方 々 を 中 心 に 来 て い た ど 救 命 体 験 を 行 い ま し た。 れ だ け 充 実 し た も の を や り さ て、 研 究 面 で は 現 在 応 が 聞 こ え て き て 大 変 楽 し だ け ま し た。 夢 中 に な っ て 広 い 年 齢 層 の お 客 さ ん に 来 遂 げ る こ と が で き ま し た。 アルツハイマー病の原因 ん で い た だ け た よ う に 思 い 十 分 以 上 も 腹 腔 鏡 の 前 か ら て い た だ き、 そ の 中 で も 女 こ れ は ス タ ッ フ 全 員 の 力 だ と し て 注 目 さ れ て い る Aß ま す。 離 れ な い 方 も 多 く、 お 客 さ 性 の お 客 さ ん が 多 か っ た よ け で は な く、 各 講 座 の 先 生 に関する新たな発 oligomer 見 を 報 告 す る こ と が で き ま 今 年 も 十 月 二 十 一 日 臓 器 展 示 ブ ー ス で は 、 ん に 満 足 し て い た だ け た 展 う に 感 じ ま し た 。﹁ も し お 方 、 鵬 桜 会 の 皆 様 、 事 務 の 方々のご協力あってのもの し た 。 抗 Aß oligomer モ ノ ︵ 金 ︶ か ら 十 月 二 十 三 日 生 体 構 造 医 科 学 講 座、 病 理 示 に な っ た と で す。 医 学 展 開 催 に ご 協 力 ク ロ ー ナ ル 抗 体 の 作 成 を 開 ︵ 日 ︶ ま で の 三 日 間、 学 生 生 命 科 学 講 座、 脳 神 経 病 理 思 い ま す。 外 していただきまして本当に 始 し て か ら 実 に 八 年 が 経 っ 総 勢 七 十 名 で ﹁ 医 学 展 ﹂ 学 講 座 の ご 協 力 の 下、 様 々 科 結 び は ま だ あ り が と う ご ざ い ま し た。 て い ま す。 松 原 悦 朗 准 教 を 開 催 さ せ て い た だ き ま し な 正 常 臓 器 ・ 組 織、 病 理 標 小 さ い お 子 さ 心 か ら 御 礼 申 し 上 げ ま す。 授、 高 村 歩 美 博 士 は 一 貫 し た。 総 合 文 化 祭 に お け る 医 本 を お 借 り し て 展 示 し ま し ん に も 体 験 し て 努 力 さ れ 、 Aß oligomer 学 展 の 位 置 づ け は 、 年 を 追 た 。 ス タ ッ フ の 説 明 も 交 え て い た だ け 、 が ア ル ツ ハ イ マ ー 病 の 最 も う ご と に 大 き い も の と な っ な が ら、 め っ た に 見 る こ と 見 よ う 見 ま ね 重 要 な 原 因 分 子 で あ る こ て き ま し た。 実 際、 今 回 の で き な い 臓 器・標 本 を、 で 頑 張 っ て い と 、 ELISA に よ る 測 定 が の 来 場 者 数 は 過 去 最 高 の 我々学生以上に観察して勉 る 姿 が か わ い バ イ オ マ ー カ ー と し て 有 用 千 六 百 人 以 上 に も な り、 強 さ れ て い る 方 も お ら れ ま ら し く 思 え ま し た。 で あ る こ と 、 開 発 し た Aß 総 合 文 化 祭 の 中 で も 存 在 感 し た 。 抗 体 が ア ル ツ ハ イ が あ る 団 体 の 一 つ と 言 え ま 治 療 手 技 ブ ー ス で は、 消 産 婦 人 科 oligomer 化 器 外 科 学 講 座 の ご 協 力 の ブ ー ス で は、 マ ー 病 の 予 防 に 有 効 で あ る す。 こ と を 示 し ま し た 。 こ れ ら 医 学 展 と は 、﹁ 我 々 学 生 下 、 腹 腔 鏡 下 手 術 体 験 、 外 産 婦 人 科 学 講 医学展2011を 振り返って 平成 23 年 12 月 16 日 医学部ウォーカー第 59 号 学 の 四 年 生 ︵日 本 で い う 六 イ メ ー ジ で と ら え ら れ が ち テネシー大学での研修を 年 生 ︶ の 家 で ホ ー ム ス テ な ﹁競 争﹂ の ポ ジ テ ィ ブ な テネシー大学での実習レポート 三沢での実習生活を振り返って 報告します イ さ せ て も ら い ま し た。 作 用 を 見 た 気 が し ま し た。 実習外でもアメリカの医学 齋 木 琢 郎 伊 藤 晶 子 医学科五年 医学科五年 最 後 に な り ま し た が、 俊 医学科五年 柴 田 生事情など彼らと話す機会 今回の実習をサポートして を た く さ ん 持 て た こ と は と く だ さ っ た、 袴 田 教 授 を は し た。 銃 ・ 暴 力 外 傷、 交 を 見 学 し て も 幸 運 だ っ た よ う に 思 い じ め と す る 先 生 方、 総 務 グ 七 月 二 十 一 日 ∼ 八 月 三 日 St. Jude hospital テネシー大学への実習研 八 月 下 旬 の 二 週 間、 メ ン 修 を 大 変 有 意 義 で 貴 重 な 体 通 事 故、 麻 薬 関 連 が 主 な フ ィ ス の 汗 ば む 陽 気 の 中、 ま し た。 と く に、 レ ベ ル1 ま す。 彼 ら は 希 望 の 科 や 病 ル ー プ の 木 村 さ ん に 改 め て ま で の 二 週 間、 三 沢 米 軍 基 験 に し て 頂 い た 袴 田 教 授、 も の で し た。 窓 ガ ラ ス で University of Tennessee︵ 最 高 次 ︶ の 外 傷 セ ン タ ー 院 に 進 む に も 競 争 に さ ら さ 感 謝 の 意 を 表 し た い と 思 い 地 病 院 で の 研 修 に 参 加 さ せ 総 務 の 木 村 さ ん、 選 考 委 員 怪 我 を 負 っ た 患 者 の 尺 骨 で と 血 液 内 科 を 見 学 し た The れ て い る け れ ど も 、 競 争 を ま す 。 も っ と 勉 強 し て し っ て い た だ き ま し た 。 私 は こ Health Science Center の 方 々、 テ ネ シ ー 大 学 の 動 脈 ・ 尺 骨 神 経 再 建 や 銃 行 っ た 実 習 に つ い て 報 告 し と い う 病 院 は、 治 療 経 な が ら 希 望 す る 道 を 進 む か り 働 け る 人 間 に な り た い の プ ロ グ ラ ム の 存 在 を 知 っ MED 費 す べ て が 税 金 で 賄 わ れ て こ と が 彼 ら に や る 気 や 自 信 と 思 い ま し た。 あ り が と う て か ら ず っ と、 こ の 研 修 に 、 Ms.Bland 、 滞 弾 で 負 傷 を 負 っ た 消 化 器 ま す。 Mr.Shreve 参加したいと思っていまし 在 先 の Creek 夫 妻 に 感 謝 申 を damage control 目 的 で 外 国 の 医 療 と い う と、 い る た め に 貧 困 層 が 来 院 し を 生 ん で い る よ う に 感 じ ら ご ざ い ま し た。 た 。理 由 は 二 つ 。一 つ 目 は 、 し 上 げ ま す 。 Creek 夫 妻 の 切 断 し た 後、 後 日 消 化 器 日 本 と ま っ た く 異 な る ス タ や す く、 銃 に よ る 外 傷 や ド れ、 日 本 で は ネ ガ テ ィ ブ な 外国の人と英語を話す生活 自 宅 に ホ ー ム ス テ ィ し 大 学 を つ な げ る 吻 合 術 を 見 学 イ ル が あ る よ う に も 思 わ れ ラ ッ グ 常 用 者、 ア フ リ カ 系 を し て み た か っ た か ら、 も の 医 療 施 設 に 通 い ま し た 。 し ま し た 。 二 十 六、二 十 九 る 一 方 で 、 い や 、 勉 強 し て ア メ リ カ 人 に 多 い と さ れ る う 一 つ は、 家 庭 医 に 興 味 が こ の 夫 妻 は 私 と 同 世 代 の 医 日 は Transplant Surgery の いる内容が違っているはず MISAWA あ り 、 ア メ リ カ の Family 学 生 で あ り な が ら、 様 々 た め がないという気もしてよく Methodist Le Bonheur な 国 か ら の 留 学 生 の Host HealthCare を 訪 れ ま し た。 わ か ら な い の で、 そ の 実 際 を見てみたかった 医学科五年 Practice 平 山 陽 士 のところを見てみたいと思 か ら で す。 に な る な ど 、 懐 の 三 十、 三 十 一 日 は Family High深 さ を 感 じ ま し た。 を 扱 う Rout い 、 今 回 の 実 習 に 参 加 し ま 患 者 を 診 察 し て お り、 ア メ Risk Obstetrics 三 沢 で の 二 週 間、 私 八 月 二 十 二、二 十 三 日 今 夏 は、 私 以 外 に 五 名 の れ ば 高 い ほ ど、 米 国 医 学 に は ホ ス ト フ ァ ミ リ ー の リ カ の 医 療 は よ り ﹁チ ー ム を 訪 れ ま し た。 糖 し た。 い や、 た だ 外 国 に 行 Center 学 生 が 三 沢 で 研 修 を し、 つ い て 学 ぶ 比 率 は 大 き く な の あ る 尿 病、 高 血 圧 な ど を 合 併 し き た か っ た だ け か も し れ ま さ ん の 家 に 滞 在 医 療﹂ を 行 っ て い る と い う に Family Medicine Cappelluti そ の 事 に つ い て 報 告 す る こ る。 残 念 な が ら、 私 の 英 語 さ せ て い た だ き ま し た。 印 象 を 受 け ま し た。 ま た、 を 訪 れ ま し た。 た 分 娩、 帝 王 切 開 を 数 件 見 せ ん。 St.Francis と に な っ て い る。 私 以 外 の レ ベ ル で は、 診 察 室 で の 会 妊 娠、 乳 幼 児 健 診 な ど 産 婦 学 し ま し た。 妊 娠 中 で 失 神 実 習 は 科 ご と に 大 学 周 辺 さ ん は 産 婦 人 科 院内のスタッフ同士も仲が Cappelluti 五 名 は、 優 秀 で 真 面 目 で 人 話 は 早 す ぎ て、 ま た 高 度 な の 看 護 師 で あ り、 産 婦 人 科 良 い 印 象 を 受 け ま し た。 病 人 科、 小 児 科 関 連 の 患 者 を 起 こ し た 患 者、 生 殖 器 か の 病 院 で 行 い、 家 庭 医 学、 間 性 に あ ふ れ、 英 語 の 能 力 質 問 を す る 事 も で き な か っ 領 域 の 興 味 深 い 話 を 聞 い た 院 以 外 で の 生 活 で は、 日 本 が 散 見 さ れ ま し た。 高 齢 ら 出 血 し た 患 者 な ど の 急 患 外 傷 セ ン タ ー、 血 液 内 科、 も 秀 で て い る。 私 が 真 面 目 た。 米 国 医 学 を 垣 間 見 た 程 り、 時 に は お 互 い の 趣 味 に 居 な が ら も ア メ リ カ 生 活 者 の 定 期 健 診、 小 児 疾 患 も あ り ま し た。 九 月 一、 そ し て 小 児 悪 性 腫 瘍 の 臨 床 に 書 い た と こ ろ で、 彼 ら の 度 の 研 修 と な っ た が、 非 常 の 映 画 の 話 で 盛 り 上 が っ を 満 喫 し て い ま し た。 食 事 の フ ォ ロ ー ア ッ プ 、 糖 尿 二 日 は St. Jude Children's と 研 究 で 世 界 的 に 有 名 な 報 告 の 眩 さ ゆ え に、 反 っ て に 有 意 義 で あ っ た 事 だ け は た り し ま し た。 病 院 で は は ほ ぼ 毎 日 ピ ザ か ハ ン バ ー 病、 高 血 圧 な ど の 長 期 的 な を 訪 れ Research Hospital 惨 め な 思 い を す る こ と に な 強 調 し て お き た い。 と も あ 患 者 の サ ポ ー ト や 胸 痛、 ま し た。 、 U C C ガー!休日は映画を見たり Hematological MaFamiliy Practice る 。 故 に 、 彼 ら と は 別 な 視 れ 浅 ま し い 話 で 申 し 訳 な い ︵ 救 急 ︶、 産 婦 人 科 、 小 児 仲 の い い 家 族 と ご 飯 を 食 べ 足痛などの患者の外来も と Infection lignancy Group 点 か ら お 伝 え し て み よ う と が、 若 か り し 頃 にN Z に 語 科、 整 形 外 科、 内 視 鏡 を 見 た り、 ダ ー ツ を し た り、 毎 あ り、 ア メ リ カ の 家 庭 医 ︵I C T ︶ で Control Team 学 研 修 に 行 く た め に 計 画 的 学 さ せ て い た だ き ま し た。 日 が 充 実 し て い ま し た。 思 う。 の 取 扱 い 領 域 の 広 さ に 驚 働く二人の日本人医師に指 に 家 賃 を 滞 納 し た 事 を 思 う B S L と は 違 い 、 Common こ の 紙 面 で は ほ ん の 少 し き ま し た 。 二 十 四、二 十 五 導 を 受 け ま し た 。 白 血 病 患 三沢研修を申し込んだ理 日は 由 は 英 語 が 重 要 で あ る、 米 と、 三 沢 研 修 は 僥 倖 で あ っ の た 者 の 回 診 やI C T が 他 科 と の 患 者 さ ん ば か し か 語 れ ま せ ん が、 二 週 間 Disease Trauma Surgery 鎌 状 赤 血 球 症 の 専 門 病 棟 な 国 の 医 学 に 興 味 が あ る と い た。 め り 。 Family practice で は 内 三 沢 で 過 ご し、 本 当 に 貴 重 Elvis Presley Memorial 抗 菌 薬 の 使 用 に つ い て 行 っ ど、 日 本 で は な か な か で き う あ り ふ れ た 理 由 の 他、 面 三 沢 で の 失 敗 談 を 一 つ。 科 か ら 整 形 外 科、 精 神 科、 な 経 験 を さ せ て い た だ き ま を 訪 れ ま たディスカッションに陪席 Trauma Center な い 経 験 を 得 る こ と が で き 接 で は 言 わ な か っ た も っ と し ば ら く の 間 ス ポ ン サ ー の 皮 膚 科 領 域 ま で 問 診 と 診 察 し た。 私 は 海 外 留 学 も 英 会 し ま し た。 二 人 の 医 師 は 卒 単 純 な 理 由 が あ る。 英 語 が 家 で ボ デ ィ ー ソ ー プ の ボ ト を 行 っ て お り、 そ の 知 識 の 話 教 室 の 経 験 も な か っ た た ま し た。 後 九 年 目、 三 年 目 に 渡 米 し 向 こ う で は 医 学 生 で も 自 使 え る と 人 生 が 楽 し い。 た ル を 間 違 え て 使 っ て い た。 幅 広 さ に 驚 き ま し た。 看 護 め、 英 語 に 全 く 自 信 が な て き た 方 々 で す。 渡 米 時 の 分 で ま ず 診 察 し て 所 見 や 必 だ 、 そ れ だ け で あ る 。 旅 先 あ る 日 ス ポ ン サ ー が ﹁ Yoji! 師 や Physician Assistant 苦労話やアメリカの医療に も く、 始 め は 二 週 間 も 三 沢 で やっていけるのかという 要 な 処 置 を ま と め、 朝 の カ で は 色 々 な 情 報 に 触 れ ら れ つ い て 話 を 伺 い、 大 変 参 考 ﹂ Which bottle do you use? ン フ ァ レ ン ス ↓ レ ジ デ ン ト る し、 大 抵 英 語 が 出 来 る と と 聞 く の で、 こ の 緑 の ボ ト 民 間 人 で、 軍 人 で は な い。 不 安 で い っ ぱ い で し た。 に な り ま し た。 と の プ レ ラ ウ ン ド ↓ 教 授 と 安 上 が り で あ る。 も ち ろ ん ル だ と 答 え る と、 そ れ は 好 き で 日 本 を 職 場 に 選 ん だ で も み ん な が と て も 気 さ く 二週間という短い研修の ネットを使えば国際レベル た め 周 囲 の 環 境 に 慣 れ る の の 医 療 水 準 を 知 る こ と も で の ラ ウ ン ド と 、 そ の 間 常 に 私 の 英 語 力 で は ま ま な ら な 犬 用 で あ っ た 。﹁ Wow, Do と い う 事 も あ る が 、 相 当 な で 、 私 の 拙 い 英 語 で も 熱 心 が 精 一 杯 で、 ア メ リ カ の 医 き ま す。 医 療 の 世 界 に も グ デ ィ ス カ ッ シ ョ ン を 交 わ し い。 だ か ら こ そ 憧 れ る。 三 ﹂︵ シ ラ ミ が 親 日 派 で あ る 。 日 本 の 事 に に 耳 を 傾 け て く だ さ り 、 不 you have lice? 療 を 学 ん だ と い う よ り 垣 間 ロ ー バ ル 化 の 波 が 押 し 寄 せ つ づ け る な ど、 自 分 の 持 っ 沢 研 修 で は 二 週 間 英 語 漬 で あ る の か ?︶ と 笑 わ れ た つ い て 色 々 と 質 問 し、 意 見 安 は い つ し か 消 え、 大 変 で 見 た と い う の が 実 感 で す。 て き て い ま す。 日 本 で 学 べ て い る も の を ア ウ ト プ ッ ト し か も、 往 復 に 費 や す 時 間 が、 決 し て そ う い う わ け で を 言 っ て い た。 如 何 せ ん 私 は あ っ た け れ ど 英 語 で の 会 弘 前 大 学 に は 国 際 的 に 活 躍 る こ と は 日 本 で し っ か り 学 す る 機 会 が 豊 富 に あ る こ と が 短 く、 米 国 の 医 学 を 垣 間 は な い。 の 英 語 で は 限 界 が あ り そ れ 話 っ て 楽 し い ! と 感 じ、 医 見 る こ と が で き る。 勿 論、 さ れ て い る 先 生 も い ら っ び ア メ リ カ に 再 び 行 き 挑 戦 が 印 象 的 で し た。 を非常に申し訳なく思って 学だけではなくたくさんの 閑 話 休 題、 私 の ス ポ ン し ゃ い ま す し、 イ ン タ ー し て み た い と 思 い ま す。 宿 泊 に つ い て は 先 方 の 大 研 修 生 の 英 語 レ ベ ル が 高 け サ ー は 基 地 で 勤 務 し て い る い る。 ︵次ページへ続く︶ 医学部ウォーカー第 59 号 平成 23 年 12 月 16 日 Autozone_Park で野球観戦した時の写真 テネシー大学及び 三沢空軍病院への学生派遣 ︵前ページより︶ の 職 業 は 主 夫 で あ っ た が、 方、 二 週 間 一 緒 に 過 ご し た は や る 気 に 満 ち あ ふ れ て い 家事はホームヘルパーがし こ と を 学 ん で 帰 っ て き た、 さ ん、 三 沢 米 軍 る、 何 で も 積 極 的 に や っ て 三沢放浪記 Cappelutti て く れ る の で、 毎 朝 八 時 に そ ん な 感 じ が し ま す。 基 地 病 院 の ス タ ッ フ の み な い る ﹂ と の こ と で、 今 後 の自分の姿勢にも反映さ 起きて子供達を学校に連れ 篠 原 良 仁 医学科五年 最 後 に、 こ の よ う な 機 会 さ ん、 関 係 者 の み な さ ん に せ た い 所 で す。 実 習 以 外 に て 行 く こ と ぐ ら い だ っ た。 を 与 え て く だ さ っ た 先 生 深 く 感 謝 い た し ま す。 もホームパーティーにお呼 羨 ま し い 米 国 生 活 で あ る。 あればスタッフのオフィス 病院実習ではほぼ全ての科 ば れ さ れ た り し、 様 々 な 人 五 年 生 に な り、 久 々 に 種・文化の人と交流する楽 夏 休 み ら し い 夏 休 み を に 雑 談 し に 行 き、 寝 る 前 は を 見 学 し た。 日 本 の 病 院 と 後輩の皆さんへ し み も 知 り ま し た。 そ し て 手 に い れ た 私 は、 弘 大 の そ の 日 学 ん だ 英 語 の 復 習 を 異 な る 点 は、 病 棟 と い う よ 言葉に不自由する自分を悔 制 度 を 知 り、 す る 日 々 だ っ た。 だ か ら、 り も オ フ ィ ス が い く つ も 小 泉 亜耶子 医学科五年 Externship し く 思 い、 も っ と 英 語 を 勉 三 沢 空 軍 基 地 内 で 生 活 さ 四 六 時 中、 英 語 に つ い て 考 あ っ た。 ま た、 患 者 の 大 ま 強したいと心の底から思い れ て い る Bruja 夫 妻 と 二 人 え 続 け て い た の で、 非 常 に か な 病 歴 は 看 護 師、 テ ク ニ シ ャ ン が 行 っ て い た。 か っ た 日 米 間 の 医 療 へ の 意 ま し た。 の Bruja boys の 家 に 八 月 疲 労 し た。 ﹁案ずるより産むが易 二 十 二 日 か ら 九 月 四 日 ま で そ れ で も、 三 沢 デ イ ズ は そ し て、 業 務 中 も 飲 食O K し ﹂。 良 く い わ れ る 言 葉 で 識 の 差 な ど に つ い て も 質 問 特 別 な 勉 強 を し た 訳 で も す が、 ま さ に そ の 通 り で す る こ と が で き ま し た。 ま な く、 英 語 力 は 大 学 入 試 以 で 初 め て お 産 を 見 学 し、 ア の 二 週 間、 居 候 さ せ て い た と て も 楽 し く、 新 鮮 味 あ ふ で あ っ た。 そ も そ も 院 内 行 こ う か と 考 え て い る 人 れ る 日 々 で あ っ た。 二 週 間 に 冷 蔵 庫 が あ る。 疾 患 は へ。 で き る だ け 英 会 話 は で す。 ホ ー ム ス テ イ し て み た た ﹁日 本 の 学 生 も 将 来 の 診 降 没 落 の 一 途 を 辿 っ て い た メ リ カ で は 無 痛 分 娩 が 主 流 だ い た。 い と 思 っ た こ と は こ れ ま で 療 科 を 選 ぶ 時 悩 む ? 女 子 医 私 で す が 、 そ ん な 私 で も 空 で あ る こ と 、 入 院 期 間 が 短 子 供 達 は 四 歳 児 と 八 歳 の の 滞 在 の 間 で party が五回 ば か り で き た 方 が い い で す。 自 分 は common disease 英語が全く聞き取れません 何 度 も あ り ま し た が、 英 語 学 生 は 結 婚 に 対 し て プ レ ッ 軍 病 院 で 多 く の も の を 得 る い こ と を 知 り ま し た。 個 人 二 人 だ っ た が、 英 語 を 少 し あ り、 平 日 は ホ ー ム パ ー あ っ た。 力 へ の 不 安 が 邪 魔 し て 最 初 シ ャ ー を 感 じ る か ?﹂ な ど 事 が で き ま し た。 後 輩 の 中 主 義 な の で 病 室 は ち ょ っ と も 勉 強 し な か っ た 結 果、 初 テ ィ、 休 日 は 基 地 の 外 に 連 私 は Bruja 家 族 の 素 晴 ら で し た の で、 絵 を 描 い た の 一 歩 を 踏 み 出 す 事 が で き と 質 問 さ れ た り も し ま し で テ ネ シ ー 大 学 や 三 沢 空 軍 し た ホ テ ル の よ う で 夫 婦 で め は 子 供 達 の 英 語 が 分 か ら れ て 行 っ て も ら い 、 病 院 の し い hostability の お か げ り、 辞 書 で 確 認 し た り、 身 ず に い ま し た 。 今 回 思 い た 。 遠 い 異 国 の 地 の 医 学 生 病 院 で の 実 習 に 興 味 が あ る 一 室 、 旦 那 さ ん も 泊 っ て 分 な か っ た 。 日 本 人 に 対 し 、 ス タ ッ フ と ダ ー ツ や ビ リ で 、 体 重 が 五㎏ 増 加 し 、 現 振 り 手 振 り で コ ミ ュ ニ ケ ー 切 っ て 空 軍 病 院 で の 実 習 に を と て も 身 近 に 感 じ た 瞬 間 方 々 に は、 迷 わ ず 応 募 す べ 娩 に 立 ち 会 い 臍 帯 を 切 っ て 大 人 は 分 か り や す く 話 し て ヤ ー ド を 楽 し み、 朝 ま で 飲 在 も ダ イ エ ッ ト に 励 ん で い シ ョ ン を と り ま し た。 あ ま りにもつたない英語で意 き だ と 言 い た い で す。 迷 っ い た の に は 驚 き ま し た。 そ く れ る が、 子 供 は 容 赦 が な み 明 か し た。 ご 主 人 が 太 り る。 挑 戦 し た 訳 で す が、 三 沢 に で し た。 思 疎 通 を し て い た の で、 行 く 直 前 は 不 安 で い っ ぱ い 米 国 で は 学 生 に も 様 々 な て い る だ け で は 何 も 始 ま り し て 英 語 で の プ レ ゼ ン ︵五 い。 私 の 三 沢 で の 二 週 間 は 気 味 の 様 で、 普 段 は 肉 類 を 最 後 に な り ま し た が、 企 で し た 。 し か し 行 っ て み れ 手 技 を 経 験 さ せ て く れ る よ ま せ ん が 、 ち ょ っ と 勇 気 を 分 程 度 ︶ テ ー マ は ﹁ 日 米 の 毎 日 分 か ら な い 英 語 の 意 味 控 え て い る よ う だ が 、 私 の 画 ・ 運 営 を し て 下 さ っ た 先 あ る 先 生 か ら 、〝 You are ば 何 と か な る も の で す 。 う で 、 私 も 普 段 の 実 習 以 上 出 す だ け で 大 き な も の が 得 出 産 に 関 す る 相 違 点 ﹂ を 選 や 言 い 回 し を 尋 ね 、 暇 さ え 滞 在 中 は ア メ リ カ の 家 庭 料 生 方 、 Burja 家 の 方 々、 三 〟と言われたのを fantastic. 初 め の 頃 は 英 語 が 聞 き 取 れ に 診 療 に 参 加 さ せ て い た だ ら れ ま す。 ぜ ひ 挑 戦 し て み び ま し た。 他 に も、 軍 の 階 理 や、 自 慢 の グ リ ル を 駆 使 沢 空 軍 基 地 の 方 々、 本 当 に 覚 え て い ま す。 普 段 の 日 常 級 や 基 地 の 医 療 費 の 話、 ず 、 て き と う に ﹁ う ∼ ん ⋮ き ま し た 。﹁ 米 国 の 医 学 生 て く だ さ い 。 し た 料 理 を 振 舞 っ て く れ あ り が と う ご ざ い ま し た。 生 活 は、 基 地 の 中 に は ス ー ア フ ガ ン 派 遣 の 話、 ち ょ っ た 。 ま た 、 Bruja パ ー や 映 画 館、 ゴ ル フ 場 ま ⋮﹂ を 連 発 し 過 ぎ て 食 家の主人 yes と お か し な 制 度、 日 本 と ア で あ っ て、 さ な が ら 一 つ の 事の約束をダブルブッキン メリカで医者になる違いな 町のような基地での生活も グ し て 焦 っ た、 な ど 失 敗 談 三沢のすゝめ ど も 聞 い た り、 軍 な ら で は 新 鮮 で し た。 と て も 身 体 が も あ る の で す が、 数 日 た つ 三 沢 空 軍 病 院 に て の非常時訓練も見られまし 大きなアメリカ人に囲まれ と 耳 が 英 語 に 慣 れ た の か、 医学科五年 町 田 純 帆 た。 て、 大 味 で ボ リ ュ ー ミ ー な 周 り が 私 ︵の 未 熟 な 英 語︶ 黒 川 貴 司 医学科五年 食 事 を 食 べ た り、 家 族 で 病 院 外 で は、L IV E 、 バ ー ベ キ ュ ー し た り、 と 平 成 二 十 三 年 八 月 十 二 日 れ て 自 分 の 居 場 所 を 見 つ 三 沢 祭 り、 教 会、 買 い 物、 七 月 二 十 四 日 ∼ 八 月 五 日 職 種 間 で の 連 携 が 良 く、 ス い っ た ア メ リ カ ン ラ イ フ も というダンスエク ∼ 二 十 六 日 に 三 沢 空 軍 病 院 け、 ど ん ど ん 楽 し く な っ て Zumba の 二 週 間、 米 軍 三 沢 基 地 に タ ッ フ 間 の 距 離 が と て も 近 体 験 で き ま し た。 そ ん な プ で 実 習 さ せ て い た だ き、 紙 い き ま し た。 自 分 で 作 っ た サ サ イ ズ な ど を 楽 し み ま し あ る 空 軍 病 院 で 実 習 し て き く 感 じ た こ と、 な ど で す。 チ 留 学 生 活 を 体 験 で き る の 面 に 書 き き れ ま せ ん が す っ 名 札 を 白 衣 に 貼 り、 誰 に で た。 友 人 家 族 の お 宅 で は 頻 ま し た 。 最 初 の 一 週 間 はU ま た 、 朝 が と て も 早 い か わ も 、 こ の プ ロ グ ラ ム の い い か り 満 喫 し て き ま し た。 最 も から始 繁に友達が食事やおしゃべ Nice to meet you. 初 か ら す ん な り い っ た わ け め ま し た。 日 本 人 と 違 い、 り に 来 て、 プ ラ イ ベ ー ト で C C ︵ urgent care clinic 、 り に 夕 方 に な る と み な 帰 宅 と こ ろ だ と 思 い ま す。 で は あ り ま せ ん。 滞 在 さ せ あ ら ゆ る と こ ろ でH i ! と の 付 き 合 い も と て も 充 実 し で も 興 味 が あ る 人 は 英 語 に 救 急 部︶ で、 次 の 一 週 間 は し て 家 族 と の 時 間 を 過 ご し 最 後 に、 こ の よ う な 機 会 て い た だ い た の は パ ワ フ ル hug す る 姿 が 印 象 的 で 、 て い ま し た 。 自 信 が な く て も、 ぜ ひ チ ャ 小 児 科 で お 世 話 に な り ま し た り、 一 週 間 の 勤 務 表 を 見 を 与 え て く だ さ っ た 弘 前 大 な 黒 人 女 性 Tonya の お 宅。 当 た り 前 に あ い さ つ を す る 米 軍 基 地 と い う 特 殊 な 環 レ ン ジ し て 下 さ い。 毎 年 た。 実 習 で は、 ア メ リ カ の せ て も ら う と 身 体 に 負 担 の 学 の 先 生 方、 学 務 の 方 々、 African American women 環 境 の 素 晴 ら し さ を 感 じ ま 境 で の 医 療 や 人 々 の 生 活 に 十 二 月 の 医 学 部 ウ ォ ー カ ー 病 院 の 雰 囲 気 を 垣 間 見 る こ か か ら な い ス ケ ジ ュ ー ル に 受 け 入 れ 先 の 三 沢 基 地 の 触 れ て、 国 際 文 化 や 医 療 に を 読 ん で み る と 面 白 い で す と が で き ま し た。 日 本 の 病 な っ て い た り、 と 勤 務 体 制 方 々、 ホ ス ト フ ァ ミ リ ー の は 予 想 以 上 に テ ン シ ョ ン が し た。 高 く、 笑 い 転 げ て 途 切 れ る 希 望 す る 科 は 適 宜 取 り 対 す る 視 野 や 今 後 の モ チ よ。 三 沢 で の 実 習 の 機 会 を 院 と 比 較 し て 特 に 違 う と 感 に 羨 ま し さ も 感 じ ま し た。 方、 本 当 に あ り が と う ご ざ こ と な く 話 す た め 、 笑 っ て 計 ら っ て も ら い 、 Labor ベ ー シ ョ ン が 大 き く な っ た 与 え て く だ さ っ た 先 生 方 や じ た の は 、 外 来 に 来 た 患 者 逆 に 、 患 者 さ ん の 診 断 や 治 い ま し た 。 こ の 場 を 借 り て 乗り切ったことも多々あ & D e l i v e r y , O B / G Y N , よ う な 気 が し ま す 。 温 か く 事 務 の 方 々 、 Misawa AB さ ん が 診 察 室 に 入 っ て く る 療 の 場 面 で 、 医 学 は 世 界 共 お 礼 申 し 上 げ ま す 。 り ま し た。 し か し み ん な Pediatrics, UCC, Family 素 敵 な み な さ ん に 本 当 に よ の 方 々 に 深 く 感 謝 い た し ま の で は な く 医 師 が 患 者 さ ん 通 な ん だ と い う こ と を 、 あ く し て も ら い、 非 常 に 貴 重 す。 あ り が と う ご ざ い ま し の 部 屋 へ 足 を 運 ん で 診 療 す ら た め て 実 感 し ま し た。 、男性は Medicine, Surgery Service friendly gentleman る こ と、 医 師 ・ 看 護 師 な ど そ れ と、 こ れ か ら 三 沢 に で、 知 り 合 い が 増 え る に つ を 見 学 し ま し た。 私 は 三 沢 な 体 験 と な り ま し た。 少 し た。 平成 23 年 12 月 16 日 に 慣 れ た の か、 た ど た ど し いながらも実習や会話を楽 し む 事 が で き ま し た。 そ の 中で前々より聞いてみた 医学部ウォーカー第 59 号 [二 十 五] 弘 前 大 学 六 位、 男 子 ダ ブ ル ス / ベ ス ト 8 村 田 ・ 木 下 ペ ア、 女 子 団 体 / 第 五 ︿女 子﹀ 位 、女 子 ダ ブ ル ス / 第 三 位 加 藤・ 大津ペア ︻バ レ ー ボ ー ル 部︼ 女 子 / 第 三 位 ︻バスケットボール部︼女子/ベ スト8 ︻ ゴ ル フ 部 ︼ 男 子 団 体 / 第 八 位、 女 子 団 体 / 第 六 位、 女 子 個 人 / 第 四位 佐々木真緒 採用︵ ・ ・1︶ 採用︵ ・ ・1︶ 23 23 11 11 11 23 23 11 11 23 23 10 27 31 16 10 10 30 31 臨床教授・臨床准教授 新規称号付与者 10 北日本親睦野球大会を 終えて ●附属病院 一 位 吉 川 良 平、 女 子 総 合 / 第 七 お 返 し し て し ま い ま し た 。 位 、[ 女 子 個 人 ] ス ー パ ー 大 回 転 辞 職 ︵ ・9 ・ ︶ / 第 三 位 瀬 川 千 紘、 女 子 複 合 / ま だ 同 点 と 気 持 ち を 切 り 替 第四位 瀬川千紘 え、 三 回 の 表 に は 中 軸 打 線 助教 耳鼻咽喉科 の活躍でまた二点を奪いま 武田 育子 し た。 そ の 裏 は エ ー ス の 見 ︿青 森 県 立 中 央 病 院﹀ 事な投球で〇点に押さえた 助教 産科婦人科 こ と も あ り、 チ ー ム の 雰 囲 木村 秀崇 気としては大会規定の試合 ︿ 国 立 病 院 機 構 弘 前 病 院﹀ 時間一時間三十分が早く過 高度救命救急センター 誠 教授 早 狩 助教 ぎてほしいと思っていたと 横山 公章 る 元 村 選 手 に お 願 い を し ま こ ろ で す。 し か し、 四 回 か ︿大 館 市 立 総 合 病 院﹀ し た。 元 村 選 手 は ﹁も う 年 ら 六 回 に か け て 各 イ ニ ン グ 採 用 ︵ ・ ・1︶ な ん だ か ら、 一 回 だ け で 良 に 一 点 ず つ を 献 上 し、 最 終 助教 耳鼻咽喉科 い か ら ね !﹂ と 仰 っ て お り 的 に は 六 対 七 の 僅 差 で 敗 戦 井上 卓 ま し た が、 内 心 で は 心 に 期 と な っ て し ま い ま し た。 す ︿青 森 県 立 中 央 病 院﹀ するものがあったのでしょ ばらしい投球で完投した元 助教 高度救命救急センター う。 今 回 は 日 々 の ト レ ー ニ 村 投 手 の 健 闘 に 報 い る こ と 横田 貴志 ン グ の 詳 細 は い っ さ い 口 に が 出 来 ず、 本 当 に 申 し 訳 な ︿大 館 市 立 総 合 病 院﹀ は 出 し ま せ ん で し た。 そ の い 気 持 ち で い っ ぱ い で す。 助手 産科婦人科 言 葉 を す っ か り 真 に 受 け、 今 回 の 試 合 に は、 元 村 選 横田 恵 ︿医 員﹀ 次は誰に投げてもらおうか 手のほかに出場が最後とな 昇任 ︵ ・ ・1︶ とリリーフ陣を頭の中に描 る 選 手 が 多 数 出 場 し ま し 講師 耳鼻咽喉科 い て い た と こ ろ で す。 結 論 た。 佐 藤 敬 選 手、 羽 田 隆 南場 淳司 か ら 申 し ま す と 元 村 選 手 吉 選 手、 西 條 康 夫 選 手、 ︿耳 鼻 咽 喉 科 助 教﹀ は、 巧 み な 投 球 術 で み ご と そ し て 臨 床 検 査 部 高 坂 公 博 辞 職 ︵ ・ ・ ︶ に完投し有終の美を飾った 選手には長年教授団のメン 助手 泌尿器科 次 第 で す。 バーとしてチームを支えて 岡本 哲平 試 合 は 、 二 回 に 当 方 の 打 い た だ き ま し た 。 こ の 紙 面 ︿︵財︶鷹 揚 郷 腎 研 究 所 青 森 病 院﹀ 線 が 爆 発 ? ︵多 少 相 手 チ ー を お 借 り し、 皆 様 に 深 く 御 ム の サ ー ド に 応 援 を い た だ 礼 を 申 し 上 げ る 次 第 で す。 い た ?︶ し、 一 挙 に 四 点 を 弘前大学医学部 先取しおおいに盛り上がり ま し た。 た だ ベ ン チ サ イ ド で は 、﹁ も し 勝 利 し た ら 、 も う 一 試 合 あ る ぞ。 こ の メ ン バ ー で 暑 い 中、 戦 え る の だ ろ う か ?﹂ と 心 配 も し て お り ま し た 。 し か し な が ら 臨床准教授 教 授 団 チ ー ム は ﹁常 に 紳 士 小松 恒弘 ︵青森県立中央病院心臓血管外科部長︶ で あ れ ﹂ を モ ッ ト ー に、 平成二十三年十月一日∼平成二十六年九月三十日 そ の 裏 に は き ち ん と 四 点 を 23 ●大会本部から届いた総合成績 ︿男 女 総 合﹀ 順 位 [得 点] 学 校 名 1 [ 七 十 八・五 ] 慶 応 義 塾 大 学 2[五 十 七] 新 潟 大 学 3 [四 十 七] 秋 田 大 学 3 [四 十 七] 筑 波 大 学 5 [四 十 五] 山 形 大 学 6 [三 十 七] 群 馬 大 学 10 お悔やみ 講師 助教 循環呼吸腎臓内科学講座 泌尿器科 1 [三 十 三] 秋 田 大 学 富田 泰史 山 本 勇 人 ︿む つ 総 合 病 院﹀ 2[二 十 六] 筑 波 大 学 ●大学院医学研究科 3 [二 十 一] 福 島 県 立 医 科 大 学 昇任 ︵ ・ ・1︶ 辞職︵ ・ ・ ︶ 弘 前 大 学 名 誉 教 授 ︵元 脳 ﹁ な で し こ ジ ャ パ ン ﹂ が 4 [ 十 九・五 ] 山 形 大 学 採 用 ︵ ・9 ・ ︶ 研 病 態 生 理 部 門 教 授︶ 水 野 流 行 語 大 賞 に 選 出 さ れ た。 5 [十 九] 東 京 女 子 医 科 大 学 講師 助手 社会医学講座 泌尿器科 彼女たちには失礼な言い方 6 [ 十 八・五 ] 慶 応 義 塾 大 学 助手 小児科学講座 髙橋 一平 鈴 木 裕 一 朗 ︿市 立 函 館 病 院﹀ 成 德 氏 に は、 平 成 二 十 三 年 7 [ 十 六・五 ] 弘 前 大 学 か も し れ な い が、 撫 子 の 花 敦賀 和 志 ︿ 休 職 代 替 か ら ﹀ ︿ 社 会 医 学 講 座 助 教 ﹀ 循 環 器 内 科 , 呼 吸 器 内 科 , 腎 臓 内 科 助 教 十 一 月 十 日 に 逝 去 さ れ ま し の 持 つ 可 憐 で 嫋︵ た お や 越前 崇 ︿む つ 総 合 病 院﹀ た。 享 年 九 十 歳 辞職︵ ・ ・ ︶ 採用︵ ・ ・ ︶ ︽第 五 十 三 回 東 医 体 冬 期 部 門︾ ︻ ス キ ー 部 ︼男 子 総 合 / 第 五 位 、[ 男 か︶ な イ メ ー ジ と 形 振 り 構 循環呼吸腎臓内科学講座 助手 教授 こ こ に、 謹 ん で 哀 悼 の 意 臨床検査医学講座 子個人]スーパー大回転/第二 を 表 し、 御 冥 福 を お 祈 り い わ ず フ ィ ー ル ド を 駆 け 巡 る 舘山 俊太 萱 場 広 之 ︿秋 田 大 学﹀ 位 宇 佐 美 真 太 郎、 大 回 転 / 第 二 勇姿とのギャップに命名者 た し ま す。 位 宇 佐 美 真 太 郎、 男 子 複 合 / 第 のウイットを感じた方も多 い だ ろ う。 二〇一一年日本は大きな 困 難 に 直 面 し た。 こ れ ほ ど 多くの涙を流した年を私は 知 ら な い。 そ ん な 先 の 見 え な い 七 月、 大 和 撫 子 は 日 本 中に大きな元気と勇気を与 え て く れ た。 金 色 の 紙 吹 雪 の 中、 優 勝 カ ッ プ を 高 ら か に掲げる選手たちの笑顔に 溢 れ た 一 枚 の 写 真。 永 久 保 存 版 で あ る。 二〇一一年世界も激動し た。 ア ラ ブ の 春、 ヨ ー ロ ッ パ 全 体 の 金 融 危 機、 中 国 の 台 頭 。 そ し て Trans-Pacific 。国内では不安 Partnership 定 な 政 治。 二 〇 一 二 年 は さ らに不確実性が増しそうだ。 二 〇 一 二 年 弘 前 大 学、 医 学 研 究 科、 附 属 病 院 も 新 し い 体 制 に な る。 多 く の 教 授 選 考 も 進 め ら れ て い る。 国 際的評価基準に耐えうる医 学 教 育、 世 界 水 準 の 研 究 の 推 進 と 研 究 費 の 獲 得、 地 域 医療の堅持と高次医療の提 石戸谷 会長 忻 一 供、 高 度 先 進 医 療 の 開 発 ・ な お、 入 会 方 法 等 の 推 進、 な ど 少 な い 人 材 の 中 弘 前 大 学 後 援 会 で は 、 学 生 の 学 業、 課 外 活 動 へ 詳 細 に つ い て は、 弘 前 で進めるには酷なほどの課 の 助 成、 学 生 の 進 路 指 導 大 学 総 務 部 総 務 課 広 報 ・ 題 が 山 積 し て い る。 さ ら に に 必 要 な 助 成 等 学 生 生 活 支 援 グ ル ー プ ︵ Tel : 0172- 労 務 管 理 に 関 す る 問 題 も 。 の多岐にわたる分野の助 、 E-mail : jm3012@ 困 難 な 状 況 下 で は ﹁ な で し 39-3012 成 を 行 っ て お り ま す。 つ ︶ ま で こ﹂ の 力 を 借 り た い く ら い cc.hirosaki-u.ac.jp き ま し て は、 何 卒 本 会 の ご 連 絡 い た だ く か、 弘 前 だ。 ち な み に 撫 子 の 花 言 葉 趣 旨 に 御 賛 同 頂 き ま し 大学後援会ホームページ に は ﹁ 大 胆、 快 活 ﹂ も。 て 、 各 位 の 格 別 の 御 高 ︵ http://www.hirosaki-u. な る ほ ど ﹁ な で し こ ジ ャ パ 配、 御 支 援 を 賜 り ま す よ ︶ ン﹂ で あ る。 ac.jp/kouen/index.html う 、 切 に お 願 い 申 し 上 げ を ご 覧 く だ さ い。 二〇一二年が皆様にとっ ま す。 て良き年になりますよう に。 ︵袴 田︶ 23 23 第53回 23 23 分子生体防御学講座 教授 伊 東 健 成 績 ︵連 絡 の あ っ た も の の み︶ 機敏な動きを見せておりま ︻ラ グ ビ ー 部︼ 優 勝 し た。 さ す が 強 豪 チ ー ム と ︻バドミントン部︼男子団体/第 六 位、 女 子 団 体 / 優 勝、 女 子 シ ン 感 心 し つ つ、 プ レ ー ボ ー ル グ ル ス / ベ ス ト 8 山 内 理 沙、 女 を 迎 え ま し た。 子 ダ ブ ル ス / 第 三 位 追 切・ 山 内 当 方 の 先 発 投 手 は、 長 年 ペア ︻ ソ フ ト テ ニ ス 部 ︼ 男 子 団 体 / 第 教授団のエースを務めてい !? 第54回東医体 におい 第54回東医体 において てラグビー部、 バドミントン女子団体 バドミントン女子団 体 で優勝! 薬剤学講座 本年の七月から八月に かけて聖マリアンナ医科 大 学、 筑 波 大 学、 昭 和 大 平成二十三年七月三十一 学、 東 京 医 科 歯 科 大 学 ︵聖 日 第 五 十 三 回 北 日 本 親 睦 野 マリアンナ医科大学が主管 球 大 会 に 弘 前 大 学 医 学 部 代 表 校︶ の 主 管 で 行 わ れ た 教 授 団 も 参 加 い た し ま し 第 五 十 四 回 東 日 本 医 科 学 生 た。 本 年 は 総 監 督 と し て 佐 総合体育大会夏季大会にお 藤 敬 医 学 研 究 科 長 を は じ い て、 弘 前 大 学 学 生 は 日 頃 め、 元 村 成 教 授、 西 條 康 の 練 習 成 果 を 存 分 に 発 揮 夫 教 授、 福 田 眞 作 教 授、 羽 し、 男 女 総 合 で 第 十 位 と 健 田 隆 吉 教 授、 上 野 伸 哉 教 授 闘 し た。 東 日 本 大 震 災 後 の そ し て 医 学 部 お よ び 病 院 の 大 会 で、 開 催 の 可 否 が 議 論 事 務 職 や 技 術 職 の 皆 様 を 選 さ れ た 大 会 で あ っ た が、 勇 手 に、 十 和 田 市 立 中 央 病 院 気 を 届 け た い と の 学 生 の 気 と 対 戦 し ま し た。 対 戦 相 手 持 ち で 開 催 と な っ た。 大 会 の 十 和 田 市 立 中 央 病 院 は か ではチャリティータオルを つて本大会において六回の 販 売 す る な ど し て、 被 災 者 優 勝 経 験 の あ る 強 豪 チ ー ム へ の 寄 付 が 行 わ れ た。 さ ら で す。 し か し な が ら、 当 日 に開催にあたっては電力な グランドでの準備運動や練 ど の 心 配 も あ っ た と 思 う が 習 風 景 を 拝 見 し た と こ ろ、 大 会 は 成 功 裏 に 終 わ っ た。 か つ て の 強 豪 チ ー ム の 面 影 主 管 大 学 を 始 め と す る 学 生 は 見 ら れ ま せ ん で し た。 と の 尽 力 に 敬 意 を 表 し た い。 は 言 え、 や は り 選 手 層 は 当 連絡のあったものについて チームの先発出場が課せら の み、結 果 を 以 下 に 掲 げ る。 れ て い る 選 手 ︵ 教 授 ︶ の 平 均 年 齢 よ り は 遥 か に 若 く、 医学部ウォーカー第 59 号 平成 23 年 12 月 16 日 弘前大学後援会のご案内 30
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